「はい、どうぞ…///」「えっ、これ…?」 (15)

およね「勘違いせんで下され///アタシゃただ利蔵さんの体が冷えないように養命酒を持ってきただけですからね///」

ワシ「そうか、ご苦労じゃった。有り難く頂いておくわい」

およね「……畑仕事ばっかりでなく、たまには家に草餅食べに来て下さいな……」ボソッ

ワシ「んぁ!?何か言うたか?ワシゃ耳が遠くての」

およね「なな何でもござらん!えぇから早ようヤンマー乗って来なされ!」

ワシとおよねとの腐れ縁は明治から続いておる━━

ワシがお国のために南米へ出向いたときも、帰って来て大正デモクラシイの中必死に電器店を開いたときも、いつも憎まれ口を叩きながら側におった。

ワシはそんなおよねに口を返しながらも、あやつがおらんとやって来られなかった局面もあってな、本当は感謝しとるんじゃ。

息子夫婦は隣町におって、孫娘はとうに結婚しておる。確か歯医者の手伝いをしとるだか聞いたわ。妻には五年前に先立たれ、今はこのボロ家でやもめ暮らしじゃ。

およねの家は三軒またいで隣で、何かにつけてかぼちゃの煮物やら小魚の和え物やらを持って来よる。

今日もそうじゃった。ワシはつい、

ワシ「おい、およね。そんなに頻繁に来んでもええぞ。ワシは一人でも飯くらい食える。無理せんでも大丈夫じゃ」

と云ったのだが、およねは

およね「何を言うとるですか。魚ひとつ捌くにも日が暮れるようなあんたさんに料理なんぞさせたら、畑がただの泥沼になりまっしゃろ」フヒュヒュ

なんて軽口を叩く。

そう言われるとワシもつい意地になって、

ワシ「そんな事はありゃせんわ。そりゃあお主ほど手際は良くねえけんど、自分の飯くらいはすぐに作れるわい。お主の手など借りずとも足りるわい」

などと云ってしまった。

けども、およねは物ともせずに、

およね「ほぅほぅ、そうですかい。利蔵さんは畑も飯も自分で賄えるんですねぇ」

なんて云うもんで、ワシは勢いに乗って頷いた。

ワシ「あぁそうじゃよ、ワシは身の回りくらい一人で賄えるんじゃ。お主の世話になるほど落ちぶれとらんわい。同じ顔ばかり何べんも見とうないわ」

いかん、ちぃと云い過ぎたかの、とおよねを見やると、およねは何故か得意気に微笑んで口を開いた。

およね「けんど利蔵さん、畑も飯も何でもできるあんたさんがアレを忘れるなんて…おかしかないですかねぇ?」

ワシ「アレ?アレとは何じゃ?」

およね「フヒュッ…弥六さん、困っておりましたぞよ?」

ワシ「弥六……?……あっ」

そうじゃ。ワシは先月の、すみれ町内回覧板を回すのを忘れておったのじゃ。

弥六はすみれ町内会の書記で、町内会長の権力をかさに着てあれやこれやと威張る嫌な奴なんじゃ。

特にワシには当たりが強く、同じ失敗をしても他の者にはお咎めなし、ワシにだけ何やかや償いを云い付けることもある。

回覧板の回し忘れなんぞしたら、弥六にあれこれと嫌味を云われるに違いが無い。来週のゲエトボオルで会わねばならんのに……

ワシ「おんやまあ……しまったことじゃ……」

ワシはがっくりと膝を落とした。情けのうことじゃ、こんな有様じゃあおよねに何と云われても仕方があるまい。

ワシはわざとおよねに背を向けて、火鉢の側へ座った。リウマチの腰がきしむ。

ワシ「そうじゃな……確かにワシはお主の云う通り、一人じゃ何ぁんにもできん老いぼれじゃ」

およね「利蔵さん、アタシゃ何もそこまで」

ワシ「ええんじゃ。……なぁおよね、ワシは去年までは24じゃったんじゃ。……それが、今は39にまでなっとる。……若者なんかのぅ、12で充分事足りるらしいぞ」

およね「24……?利蔵さん、何の話をしてるんですか、アタシにはよう分からんで」

ワシ「テレビィの音量じゃよ!!!!!」

およね「……っ!!」

火箸を持つワシの手はいつしか震えていた。およねが何か云おうとして、堪えて口を結んでいる気配が背中から伝う。

ワシ「もう……もう、いかんのじゃ。ワシは耳も遠いし、足腰も弱って来とる。おまけにお主の云う通り、オツムの方も駄目になっとるみたいじゃわ」

諦めたような重たい息が、入れ歯の隙間から漏れる。次に何を云おうか考えていると、およねが震う声で云った。

およね「利蔵さん、それでもアタシゃお前さんを老いぼれだなんて思うたことはありゃせん」

ワシは思わず振り向いた。

ワシ「およね……?」

およね「耳が遠うても何じゃ、お前さんの畑はどこよりもええ土じゃろ。足や腰が悪うても何じゃ、お前さんがゲエトボオルの班におれば必ず勝ち星が付くわ!」

途中からおよねは叫ぶように云っていた。その黒豆のような目からは、涙が零れている。

およね「頭だって、お前さんは年なんか取っとらん……。仲間内で飛ばす冗談も、畑仕事の段取りも、まっこと冴えとる。戦争に行く前から、何にも変わらんままじゃ」

ワシは、笑うとも呆れるともつかぬ息をヘッと漏らして、また火鉢に向き直った。そうでもせんと格好が付かんかった。シワだらけの頬を、塩辛いもんが伝っていた。

およねがそんな風にワシを見ていたとは知らなんだ。毎度毎度、ただの近所のよしみで暇潰しがてらに話に来ると思うていたが。

およね「ただちょいと……ちょいとだけ、うっかりが多くなっただけのことじゃ。アタシらの年なら仕様がないんじゃ。特にお前さんは畑のことに家のこと、仲間付き合いも多いから、それは当たり前なんじゃ」

ワシは、有難う、と素直に云えたら良いのにと思う。昔ながらの頑固な性格が直らぬままここまで来てしまったもんで、またもヘッと息を出すのが精一杯だ。

およね「……じゃから、回覧板はアタシが回しといた」

ワシ「えっ?」

およね「こないだお前さんの家にいんげんを分けに来たとき、戸棚の横に立て掛けてる回覧板を見てさ……、少しでも遅れると弥六がグチグチ云うのは知ってるからさ、アタシが持ってったんだ」

およねは肩をすくめて、女学生のようにすねた顔を作りよる。

およね「お前さんをあっと驚かしたくて……。悪かったですよ、先に云わんくて」

ワシ「およね……」

およね「べっ別に利蔵さんの為だけじゃありゃせんよ、弥六のやつが癪に障るしさ、たまたま暇もあったから」

ワシ「……、およね……。助かったわい」

有難う、とはまだ云えぬ自分にちょいと唇を噛み締めた。

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