碇シンジの日常 (162)

朝、シンジが目を覚ますと、隣りにアスカが寝ていた。

その逆隣りにはミサトも寝ていた。

そして、シンジの腕には手錠がつけられていて、それはアスカの手と繋がっていた。

シンジは眠たい目をこすりながら、Tシャツ、パンツという半裸姿のアスカをじっくり堪能した後、枕元に置いておいた針金を手にして、カチャカチャと手錠を外し始めた。

その途中でふと思い出したのか、ミサトの、Tシャツを軽くめくってブラを眺め、また手錠を外す作業に取り掛かり、途中でアスカのTシャツも二回めくって、アスカの胸元をドアップにした写メを四枚ほど撮り、その後、ピンっという音がしてようやく手錠が外れたので、もう一度ミサトのTシャツをめくって、アスカのTシャツもめくって、外した手錠を代わりにミサトの腕にガチャリとはめてからシンジは携帯を持ってトイレに駆け込んだ。


ハァハァ……ハァハァ……

ハァハァ……ハァハァ……


ハァハァ……ハァハァ……
ハァハァ……ハァハァ……


「うっ!」


ガサ……フキフキ……
ザーッ……


ガチャッ……


「……さて。ご飯、作らないと……」


碇シンジの非日常的な日常はこうして始まる。

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アスカが、寝ている間にシンジの布団に潜り込む様になったのはつい二ヶ月ほど前からである。

そして、朝、目覚めると隣にアスカが寝ているというのは、今ではごく自然な事であり、その際、手に必ず手錠がつけられているというのもごく普通の事だった。

ミサトがその逆隣で寝ているというのも、これまた珍しい事でも何でもなく、シンジの毎朝の自家発電行為にオカズが一品加わるだけの話で、シンジにとっては迷惑であろうはずがない。

そして、シンジが何故、外した手錠を自分の代わりにミサトに取りつけたかと言えば、かの有名な登山家、ジョージ・マロリーが「あなたは何故エベレストに登るのですか?」という質問に対して「そこに山があるからだ」と答えたとされたのと同様、そこにミサトがいたからである。

何の意味もなかった。

そこにミサトがいたからである。

では、何故、アスカが夜中にシンジの布団に潜り込むようになったのか。

これについては当初も今もアスカはずっとしらばっくれたままであり、「寝ぼけて間違えたのよ!」とひたすら言い続けている。

別段、潜り込まれる事に対してシンジは文句など何一つなかったが、それはアスカが起きるまではの話であり、起きてからはひたすら迷惑でしかなかった。

「ちょっとアンタ! 何でアタシの布団で寝てるのよ!」

起きた時のアスカの第一声は決まってこれで、その後、エロ、スケベ、変態だのといった罵詈雑言が飛んでくる。そして、反論しようものなら、今度は蹴りが飛んでくる。

「勝手に入ってきたのはアスカの方じゃないか! そんなの身勝手すぎぐはっ!」

「H! バカ! 変態! そんだけ股間ふくらましていう事じゃないわよ!//」

生理現象だから仕方がない、という言い訳は聞く耳すら持たれなかった。

もちろん、大体の場合、それだけではなかったが。

この事をミサトに相談した時、シンジの保護者はビール缶のプルトップを開けながら答えた。

「シンちゃんも色々大変ねー」

他人事の様に、ミサトは言う。

「そんな事言ってないで、何とかして下さいよ、ミサトさん!」

「そうは言ってもねえ……」

ビールを喉に入れつつ、ミサトは少し考えるふりをする。歯切れの悪さはミサトがその理由を知っているからであった。

「何でもねえ、最近アスカ、怖い夢をよく見るらしいのよ」

「怖い夢?」

「そ。シンちゃんだってそういう経験はあるでしょ? アスカは女の子だもの。そういう時、誰かの側にいたいって気持ちわからない?」

シンジ「でも……。だったら、ミサトさんのところに行けばいいのに……」

「私じゃ意味ないのよん。アスカがシンジ君の布団に潜り込むのは、そこにシンジ君がいるからよ」

「……どういう事です?」

「その怖い夢ってのがさ。シンジ君がエバーに乗ったまま、十四年間、ずっと帰ってこなくなる夢らしいのよ」

「僕が?」

「そう。だから、その夢を見た後はシンジ君がどっかに行っちゃうんじゃないかってすごく不安になるんだって。だから私も強く言えなくてね」

「そう……なんですか」

ちなみに、ミサトがシンジの布団に潜り込むのは単に寝相が悪いだけである。

何の意味もない。

そこにシンジがいるからではない。

実際、確かにアスカは、シンジの服の一部分を掴んで寝ている事が多かった。どこかに行ってしまわないように、と考えて寝ている事を考えると、やはりシンジも愛おしさが多少は芽生える。

しかし、毎回、朝起きて目覚めの蹴りを入れられる様ではたまったものではないので、シンジはアスカの目が覚める前に布団から出ていく様になった。

しかし、これはこれで問題があり、朝起きてシンジが布団の中にいないとアスカの不安が爆発するのである。一度シンジがコンビニに買い物に行っていて見つからなかった時などは、アスカは完全に涙目になっていた。

それが嫌で、アスカは近頃、手錠をシンジにはめてから寝るようになり、それが嫌でシンジは針金を使って手錠を外すスキルを最近身につけた。

アスカにとっては完全にヤマアラシのジレンマであったが、シンジにとっては蹴られるのを避ける為の正当な防衛手段である。

ミサトは本当に何も関係がない。

つづく

人は何故、争うのだろう。

人は何故、争いを求めるのだろう。

人は何故、平和的に生きられないのだろう。

争い、勝ち取る事にどれだけの意味があるんだろう……。

こんな苦痛に満ちた世界で人はそれぞれ精一杯生きているのに、何故、争う必要があるんだろう……。


人は、母親の胎内から外に出て、この世での生が決まった瞬間、必ず泣く。

笑う事は絶対にない。

この世界が泣くほど苦痛に満ちたものばかりだという事を、人は本能的に知っているんじゃないだろうか……。

なら、どうして……。

それでも人はこの辛い世界で争うんだろうか…………。


そんな事を考えつつ、碇シンジは今日も目玉焼きを作る。

みんなの分の朝食を作る。

その頃、アスカはシンジが布団にいない事に気づいて、慌てて布団から飛び出した。

ミサトが悲鳴を上げた。

アスカは派手に転んだ。

ミサトが反動で頭を机の角に打ちつけた。

二人は手錠の事についてひどく言い争った。

シンジは朝食を作り終えた。

僕は何故、オナニーをするんだろう。

僕は何故、オナニーを求めるのだろう。

僕は何故、オナニーなしでは生きられないのだろう。

一人で射精し、精子を無駄に捨てる事にどれだけの意味があるんだろう……。

このオカズに満ちた世界で、僕は毎朝精一杯射精して生きているのに、何故、性行為を求めるんだろう……。


精子は、僕の胎内から外に出て、飛び出した先が女体ではなくティッシュだったら、きっと泣く。

笑う事は絶対にない。

この世界に無駄に飛び出して来た事について悟り、そして自分の人生が儚くも短いものだった事に気付いて、落胆し悲嘆し、そして死んでいくのだろう……。

なら、どうして……。

それでも僕はオナニーをやめられないんだろうか…………。


そんな事を考えつつ、碇シンジは今日もウィンナーを焼く。

焼き上がったウィンナーをタコさんウィンナーに変えていく。

そして、みんなの分の弁当を作る。

香ばしい肉の匂いと、栗の花の匂いの混ざった中、黙々と作る。

その頃、アスカとミサトは、今度は手錠の鍵の事について言い争っていた。

アスカは、ミサトが寝ぼけてどこかにしまい込んだのだと主張し、ミサトは、アスカが寝ぼけてどこかになくしたのだと主張した。

手錠の鍵はシンジのポケットの中にあった。

アスカが寝ぼけてそこにしまいこんでいた。

朝食と、弁当の用意。

これらは、シンジが行うものであり、特に明確に定められている訳ではないが、もしもこの家に法典があったとしたなら確実にそう明記されていたはずである。

味噌汁の香りが広がる中、シンジは四人分のお弁当を手際よく作っていった。

その匂いにつられたのか、ようやくアスカとミサトの二人が揃ってシンジの部屋から出てきた。

「おはよう、シンジ君」

頭のこぶをなでながらミサト。

「おはよう、シンジ……」ホッ……

深い安堵の溜め息を吐きながら、アスカ。

「おはよう、アスカ。それから、おはようございます、ミサトさん。もうすぐ朝ご飯出来ますから」

「そう。それじゃ私、顔洗って来るから」

「アタシも……」

並んで洗面台へと向かう二人。

シンジは鍋の蓋を開け、味噌汁の味見をする。上出来だった。

「アスカ、タイミング合わせてよ」

「ミサトこそ。顔洗えないじゃない」

ふと、そんな二人の声が聞こえたが、シンジは特に気にしなかった。

顔を洗い終え、テーブルについたミサトが早速リモコンでテレビをつける。

『……ようございます。七時のニュースの時間です』

「シンちゃん、今日のご飯何ー?」

『……のマンションの一室に強盗が押し入り、現金と』

「ご飯とお味噌汁。それと鮭のバター焼きに目玉焼き、ノリです。漬け物はアスカ、いらないよね?」

「うん。いい。アレ、苦手」

「美味しいのにねえ」

『……などと犯人は供述しており、警察では更に詳しく動機を調べて』

「いただきます」ジャラッ

「ちょっとミサト! タイミング合わせてって言ったでしょ! 鮭に醤油がかかっちゃったじゃない!」

「あー、ごみん、ごみん。悪気はなかったんだけど」

『……駄菓子屋から火が出ました。最初に発見したのは』

「アスカ、僕のと交換しようか?」

「いいの? 悪いわね。じゃあお願い。はい」ジャラッ

「ぶほっ! アスカ、ちょっと! 味噌汁が! 熱い熱い熱い!」

『……火は隣の木造住宅にも燃え広がり、この火事により、その家に住んでいた72歳の』

「ミサトさん、大丈夫ですか!?」

「大丈夫じゃない! 熱い、熱い!」

「ダメ、ミサト暴れな……あっ! ちょっ!転ぶ! あっ! いやあああっ!」

ミサト「ひぎゃっ! アスカ、ちょっと! きゃあああっ!」

ズシーン……!!

『……緊急速報です。たった今、地震が起きました。震源は』

シンジ「どうしよう……」

朝食を食べ終えると、シンジには一つのミッションが下された。

アスカとミサトについている手錠をどうにかして外す事である。

シンジは包丁を使って鎖の切断を行う事を提案した。しかし、それは二人の猛反対にあって退けられた。

「だって怖いじゃない、そんなのー!」

「ケガしたらどうすんのよ、バカ!」

鍵を探すという選択肢は既に消えている様だった。

元々、アスカが勝手に手錠を取り付けたという事も忘れ去られているようだった。

シンジがミサトに手錠を取り付けたという事は当のシンジもすっかり忘れていた。

結果、何故、二人が手錠によってつながれているのかという事はシンジにとってもアスカにとってもミサトにとっても永遠の謎となった。

完全犯罪が出来上がった。

「えっと……じゃあ針金を使って外してみます」

「頼んだわよ、シンジ。このままだと一生ミサトと過ごさなきゃならなくなるんだから」

「頼んだわよ、シンジ君。私達の運命、あなたに託すわ」

二人からの過剰な期待を乗せ、シンジは針金を持つ手を動かした。何故、こんな状況に陥っているのかは最早誰にもわからなかったが、シンジはそれでもベストを尽くした。

玉のような汗を額に浮かべ、慎重な手つきでシンジはカチャカチャと針金を動かしていく。

刻一刻と過ぎ去っていく時間。

アスカもミサトもシンジの手元だけをじっと見つめていた。

そして……。

カチャリ……


「外れた……?」

「よっしゃあ! 流石、シンジ君!」

「よくやったわ! ナイスよ、シンジ!」


歓喜する二人。微笑むシンジ。


おめでとう。

手錠につながれてた全ての人におめでとう。

アスカとミサトにおめでとう。


シンジに針金にありがとう。


開始から四分二十三秒後、二人の手錠は見事に外された。

シンジには祝福と感謝の言葉が与えられ、ミサトはこれから一ヶ月の間、ゴミ出しを全部自分ですると約束した。アスカは二ヶ月の間、シンジのアイスを勝手に食べない事を固く誓った。シンジは額の汗を拭くためポケットからハンカチを取り出し、その拍子に手錠の鍵がコロコロと床に転がった。

アスカは蹴った。

シンジは泣いた。

ミサトは笑った。

今朝もミサト家は平和だった。

つづく

「それじゃ、ミサト。行ってくるわね」

玄関で、制服姿のアスカがそう言った。

「行ってらっしゃい、アスカ」

ミサトがにこやかに笑ってそう返した。

「それじゃ、ミサトさん。行ってきます」

猫の着ぐるみがそう言った。

「うん。行ってらっしゃい。あ、シンジ君。ポカリスエットはちゃんと持った? 熱中症は怖いからね」

「大丈夫です。ちゃんと鞄の中に四本入ってます」

猫の着ぐるみは鞄を軽く持ち上げてそう返す。

「こまめに水分補給するのよ。ヤバイと思った時にはもう遅いんだから。いい?」

「大丈夫ですよ。ミサトさん」

中の人は軽く微笑んだ。ミサトにそれは見えなかったが、口調から何となく察した。

「じゃあ、シンジ……// 行きましょ。途中で転ぶんじゃないわよ」

アスカがそっと猫の着ぐるみの手を握る。その表情にはどこか照れの成分が混ざっており、さながら初デートで初めて手を繋いだカップルの様にも、遊園地で初めてツーショット写真を撮る子供の様にも見えた。

「あんまり早く進まないでよ。下、全く見えないんだから」

猫の着ぐるみはそう返しながら、アスカの誘導に従ってひょこひょこと歩き始めた。その姿はさながら少女と手をつないで歩く猫の着ぐるみだった。

それ以外のものには見えなかった。

シンジが何故、猫の着ぐるみを着て登校する様になったかと言えば、それは真希波・マリ・イラストリアスに起因する。

約一ヶ月前に、渚カヲルと共にシンジの通う学校へと転校してきたこの少女は、自己紹介が終わると真っ先にシンジの元へ元気よく駆けつけた。

「ワンコ君、久しぶりー。会いたかったよー」

そう言ってシンジに抱きつき、マリはシンジの耳元に口を寄せた。

「君……相変わらずいい匂い……。LCLの匂い……」

そう言って、マリは休み時間中ずっとシンジの首元あたりをクンカクンカ、ハスハスしていた。

ひたすらクンカクンカ、ハスハスしていた。

うっとりとした顔つきでクンカクンカ、ハスハスしていた。

豊満な胸を揺らしてクンカクンカ、ハスハスしていた。

甘い吐息をシンジにかけつつクンカクンカ、ハスハスしていた。

たまに舌を出して、シンジの首元に触れるか触れないかの距離まで伸ばしクンカクンカ、ハスハスしていた。

食べたいな……と微かに囁きながらクンカクンカ、ハスハスしていた。

「あの……何を…?//」ドキドキ

シンジが尋ねるとマリは答えた。

「レバー」

シンジはそれ以上何も聞かなかった。

聞きたくなかった。

レバー臭い少年は悲しみの中で勃起していた。

ある意味、その時間はシンジにとっては夢の様な、あるいは地獄の様な時間であったが、とはいえ、体は正直であり、彼の体の一部分はずっと勃起していた。

マリにとっては間違いなく夢の様な時間で、その間、彼女の体の一部分はずっと勃起していた。

アスカにとっては地獄の様な時間でしかなく、その間、彼女の体の一部分はずっと勃起する事がなかった。

カヲルにとっても地獄の様な時間でしかなかったが、彼の体の一部分は何故かずっと勃起していた。

レイは勃起しなかった。

トウジは勃起していた。

ケンスケは勃起しなかった。

先生は勃起していた。

その日の夜。

アスカは裁縫箱とミシンを取りだし、徹夜して一晩で猫の着ぐるみを作った。

それをシンジに着せ、マリがクンカクンカするのを防ぐためである。

わざわざ猫にしたのは、マリがシンジの事をワンコ君と呼んでいたからで、それに反発しての事だった。

「あんな女にシンジの匂いを嗅がせるもんですか。絶対、嗅がせるもんですか。シンジの匂いは全部アタシのものなんだから。シンジの匂いを嗅いでいいのはアタシ一人だけなんだから」

アスカは勃起せずに呟く。

「シンジに抱きついていいのはアタシだけなんだから。シンジ。シンジ。シンジ。シンジ。シンジ。シンジの匂い。シンジの体。シンジの着ぐるみ姿。シンジの着ぐるみの匂い。シンジの汗の匂い。シンジのベトベトになった汗の匂い。シンジのエキス。シンジのベトベトのエキス」ハァハァ、ハァハァ

アスカは勃起しながら呟く。


それを翌朝、勃起していないシンジに渡し、学校に行く時はこれを着ていくよう命令した。

シンジは勃起しながらうなずいた。

ほとんどアスカが原因だった。

それからというもの、マリがシンジをクンカクンカする事はなくなったが、シンジは代わりに職務質問を受ける事が多くなった。

シンジにとっては良い事はあまりなかったが、アスカは満足していた。

シンジはシンジで不満に思わない訳でもなかったが、しかし、ある意味満足もしていた。

学校が終わって家に帰ると、何故かアスカがその着ぐるみを必ず着るからである。

シンジは勃起した。

その結果、ミサト家には朝と深夜をのぞいて猫の化け物が常時うろつき回る事になったがミサトは笑って済ませた。

ミサトも勃起していた。

理由もなく勃起していた。

つづく

式波・アスカ・ラングレー。

彼女はいわゆるツンデレと呼ばれる少女であり、とかくストレートな愛情表現が苦手だった。

シンジの側にいたいのに、いたくないふりをする。

シンジの事を好きなのに、シンジの事をどうでもいいと思っているようなふりをする。

例えるなら、アスカは変化球しか投げれないノーコンピッチャーであり、シンジは死球を怖がって打席に立とうとしないバッターであった。

アスカとしてはシンジがどうして打席に立たないのかが不満であり、シンジとしてはアスカがどうしてストライクゾーンに投げないのかが疑問なのである。

結局、アスカは恋に対して不器用であり、シンジは恋に対して臆病だったのだ。

言葉にすれば、ただ、それだけの事でしかない。


不器用な少女と臆病な少年は、それを互いに知らないまま、今日も並木道を手を繋いで歩く。

片方は頬を軽く染め、もう片方の足取りは覚束ない。

近所の幼稚園児は羨ましがり、母親にねだった。

「猫ー! 僕も手を繋ぎたいー!」

彼らはぱっと見幸せそうだった。

特に猫の着ぐるみの方は常に笑顔で幸せそうだった。

その日は気温が40度を越えていた。



本当の事など誰にもわかりはしないのである。

例えば、料理。

シンジはアスカが料理を始めた理由を知らない。

アスカはその事について語らない。

彼女の性格上、語れる訳がなかった。

シンジに食べて欲しいから、などと言える訳がなかった。

「うるさいわね。別にアンタに迷惑かけてる訳じゃないからいいでしょ」

アンタには関係ない、とは決して言わない。それが彼女に出来る精一杯の愛情表現だった。だが、シンジはそれに気がつかなかった。

「わかったよ。でも、片付けとかはきちんとやってよ」

少し不満げにシンジはそう返す。

愛情のデッドボール。すれ違いのツーベースヒット。

「言われなくてもそうするわよ! バカッ! あっち行け!」

アスカは声を張り上げてシンジを追い返す。

激情のヒットエンドラン。自己嫌悪の送りバント。

シンジが少し口を尖らせて自分の部屋に去った後、アスカは台所で後悔に包まれていた。

体は着ぐるみに包まれていた。

それを見ていたミサトは「野球はツーアウトからが勝負よ」と言った。「いつかあなたもきっとバク転をする日がやって来るわ」と言って励ました。

アスカには意味がわからなかった。

結局、そういった理由と経緯により、アスカは未だにシンジに料理を振る舞えてはいない。

もっとも、それは綾波レイも一緒であったが。

綾波レイの開いた料理会は、テロリストから脅迫文が届き、中止になったからだ。

『料理会ヲヤメロ。サモナクバ、バカシンジヲ爆弾デ殺ス。コノ事ヲ誰カニ話シテモ殺ス。テロリストヨリ』

レイは素直に従い、料理会を即座に中止にした。そして、その理由を誰にも言わなかった。

その日の夕方、松代では謎の爆発事故が起きた。

レイは素直に従って正解だったと確信した。

翌日、アスカはアフロになっていた。

レイは疑問に思わなかった。

「……アスカ」ゼイゼイ……

不意に着ぐるみの中から蚊の泣くような弱々しい声が聞こえた。

「……何?」

アスカは不安げな声で尋ねる。

「ちょっと休憩させて……。あと水を飲ませて……」ゼイゼイ……

「わかったわ。ちょっと待ってなさい」

アスカは慌てて猫の着ぐるみの頭を両手で掴み持ち上げた。

スポリと猫の首が外れた。

幼稚園児は固まった。

「はい、シンジ。ポカリ。ゆっくり飲みなさいよ」

アスカはポカリを渡すと、ものすごく自然な動作で猫の頭だけをかぶった。

化け物が誕生した。

幼稚園児は泣き叫んだ。

「はあ……」

ポカリを飲み終えたシンジは、額の汗を手で拭きながら一息つく。

その間、アスカは中でシンジの匂いに包まれておりハァハァ言っていた。

幼稚園児は母親を置いて逃げ出した。

母親はウサイン・ボルト並のダッシュで後を追いかけた。

幼稚園児はすぐに捕まった。

「お母さん! お母さん! お化けがいるよ!」

「大丈夫よ、坊や。あれは変態だから」

もしも、この場にシューベルトがいたら、魔王はきっと別の曲へと変わったはずだった。


アスカはまだハァハァ言っていた。

よだれを垂らしながらハァハァ言っていた。

それ以外のものも垂らしながらハァハァ言っていた。

それを見て、シンジもまた別のものを垂らしていた。

アスカはもうたまらなかった。


幼稚園児にはトラウマだけが残った。

つづく

「おーい、碇ー」

ふと、後ろから声がした。

二人が振り返ると、そこにはこちらに駆け寄ってくるケンスケとトウジの姿があった。

シンジは「二人とも、おはよう」と軽く手を振り、アスカはあからさまに中で舌打ちをした。

シンジは聞こえなかったふりをして、二人を待った。


「おはよう。碇」

「おはようさん。センセ。今日も相変わらず仲がええなあ」

「誰がよ!//」

「そうかな? よくわからないけど……」

「むー……///」

トウジのからかいも、アスカの照れ隠しも毎度の事である。四人はほとんどテンプレとも言える挨拶を交わすと、並んで学校へと向かった。

同じ時刻、同じ場所、同じ学舎へと向かう彼らだったが、何故かその格好は全員がバラバラだった。

一人は女子の制服に猫の頭。
一人は全裸に猫の体。
一人は普通の男子の制服。
一人は普通の女子の制服を着ていた。

全員が全員とも、互いの格好に対し何も言わなかった。

その光景にも、もう慣れたものだった。

「なあ、碇。少し聞いてくれるか」

歩きながらケンスケはシンジに話題をふる。

「……何?」

一瞬、間が空いたのは、ケンスケの表情がいつにも増して真剣だったからだ。

「大事な事なんだ。笑わず真面目に聞いてくれるか」

「……うん」

シンジがうなずくと、ケンスケは「ありがとな」と軽く微笑んで、それから意を決した様に口を開いた。

「……人が人を愛するってどういう事だと思う?」

「……難しいね」

シンジは笑わなかった。

隣でアスカが吹き出した。

トウジがさりげなく死角から後頭部をはたいた。

猫の頭はにこやかに笑いながらキョロキョロと辺りを見回した。

トウジは黙っていた。

「昨日の夜、ベッドに入りながら考えたんだ」

ケンスケはアスカを無視して気にせず語る。

「僕は人を愛する事がどういう事なのか、それを知らないんじゃないかって」

「……どういう事?」

「僕には今好きな人がいるんだ」

「…………」

「その人の事を考えると夜も眠れなくて、胸が張り裂けそうなぐらい苦しいんだよ。瞼を閉じると、その人の笑顔が目に浮かぶんだ。普段は全く笑わないし、かなり無口で無表情なんだけど、でも、思い浮かぶのは何故か笑顔なんだ。僕はその人の事が好きすぎて好きすぎて涙が出るくらいに辛いんだよ」

アスカはふっと笑うのをやめた。そして、途端に静かになった。表情は、着ぐるみに隠れてて見えない。着ぐるみの方はにこやかに笑っていたが。

「だけどさ、この気持ちが愛なのかどうか僕には判断がつかないんだ」

苦しげにケンスケは語る。

トウジも空気を察したのか、ずっと無言だった。

シンジは重い口調で言う。

「それが愛だと思うのならそうなんじゃないのかな……相田なだけに」

「そうかもしれない。でもさ……」

アスカが途端に吹き出した。

トウジが再び死角から後頭部をはたいた。

アスカは反射的に蹴り返した。

ケンスケが悲鳴を上げた。


トウジは黙っていた。

「大丈夫、ケンスケ?」

「ああ、こんな事ぐらい何ともないよ。辛いのは体の痛みより心の痛みさ」

パンパンとズボンについた土や埃を払ってケンスケは起き上がる。

その時、一陣の風が吹き、アスカとトウジは慌ててスカートを押さえた。

「……見た?//」

猫の頭をした少女は猫の体をした少年に問い詰めた。少年は首をふった。

「見えなかったよ。僕、別の方を見てたし」

「ホントでしょうね?//」

「うん……」

猫の体をした少年は残念そうにうなずいた。それを見て猫の頭をした少女は嘘ではないと判断した。

「ワシのも見えてもうたかいのう」

トウジはあっけらかんと笑う。

「見えなかったよ」

ケンスケが代わって答えた。

「見えたよ」

シンジは余計な事を言った。

トウジは「すまんなあ」と笑った。

アスカは往復ビンタをした。

女としての意地がそうさせた。

それを察したトウジは黙ってその往復ビンタを受け入れた。

男らしい、とシンジは思った。例え、女装をしていたとしても、トウジは男であり漢だとシンジはいつも思う。

「それでさ、碇……」

「うん……」

「僕はさ、この感情が愛だと信じたいんだ。でも、その一方でそう信じられない僕もいるんだ」

「……うん」

「僕らは人としてまだ未成熟なんだよ。好きだと思う一方で性的な欲望も多く抱えている。ひょっとしたら、僕はその人とただ性行為をしたいと願っているだけなのかもしれない。そう考えると辛いんだ。でも、性的な欲望も止められないんだよ。だからこそ、不安なんだ。この感情が愛じゃないかもしれないなんて考えたくもないんだよ」

「わかるよ、ケンスケ。……その気持ちはわかるよ。僕もずっとオナニーがやめられないから……。僕もこんなのは非生産的な行為だって自分じゃわかってるんだ。カピカピのティッシュを毎日大量に生産はしているけど、でも、非生産的な行為な事に間違いはないってのは頭の中ではわかってる。でも、それでも僕はオナニーが好きだし、オナニーがやめられないから、まるでご飯を食べるように毎日オナニーをするし、気分によってはアナニーもするし、たまにオナホーがふあっ!!」

「アンタ、バカァ!!?///」

流石にアスカは蹴った。

「乙女の前でなんて話をしてんのよ!/// H! バカ! スケベ!///」

「……それでさ、ケンスケ。愛に形はないと思うんだよ、僕は」

シンジはアスカを丁重に無視した。ケンスケは「形?」と聞き返した。「そう、形」とシンジは答える。

「僕らが性行為をしたいと思うのは普通の事なんだ。好きな人に触って、キスして、胸を揉んで、ビンタされて、怒られて、蔑まれて、服を脱げと命令されて、唾を顔に吐きかけられて、全身を舐め回されて、踏まれて、アナルを開発されて、そして犯されたいって気持ちはごく普通の事なんだ。好きな人からそうされたいって思わない男はいないよ」

「…………」

(……そうなの?///)ドキドキ

「セックスなしでも僕らは生きていけるけど、でも、セックスなしの人生は、炭酸が抜けたコーラと同じで味気がないと僕は思うんだ。例え性的な目で相手を見たとしても、そこに愛が伴っていればそれはそれで立派な愛の形だよ。相手の事を思いやって、そしてそれについて深く悩んでいる今のケンスケは、立派だと思う。ケンスケは今の自分を卑下する事なんか何もないよ。誇っていいと思う」

「じゃあ、碇……。僕はこのままでもいいのかな……? こんな不純な気持ちを抱えていてもいいのかな? その人の事を好きなままでいてもいいのかな?」

「いいよ、ケンスケ。いいと思う」

シンジは優しく微笑んだ。

「ありがとう、碇……」

ケンスケは目に涙を浮かべて、絞り出す様にそう答えた。彼の悩みが一つ消え、そして彼は一つ成長した。

その日はひどく蒸し暑かったが、それでも清々しい朝だった。



「……ところで、アンタの好きな人って誰なの? ひょっとしてエコヒイキ?」

アスカが尋ねるとケンスケは首を振って答えた。

「ううん。名字は知らないんだ。夏休みにちょっとしたきっかけで知り合った人なんだけど」

「名前は?」

「ゲンドウって言ってた」


時は止まった。

つづく

ケンスケがいわゆるホモセクシャルな愛に目覚めたのは、夏休みの始め頃まで遡る。

セカンドインパクト以降、この世界からは四季というものが消えたが、しかし夏休みは夏休みであり、この長い休みを使って彼は普段出来ない様な事をしようと考えた。

基本的に少年というものは、夢やロマンに憧れる生き物なので、彼は色々と考えを巡らせた末、一人旅に出ようと決意した。それ自体は、子供らしい至極普通の結論だったのかもしれない。

「男はやっぱり冒険しなきゃ駄目だよな」

結果的に彼は大人な冒険をする事になった。

さて、周知の事実の通り、ケンスケの趣味はミリタリー関係全般である。

どうせ一人旅に出るなら、そっち関係の場所がいいと思った彼は、自宅でパソコンを使って各サイトを渡り歩いた。

関連サイトから関連サイトへと次々とジャンプしていく。

そうしていくつか探していく内に、彼はふと一つのサイトでマウスをいじる指を止めた。

そこにはこんな一文があった。

『あなたもサバイバルゲームをしてみませんか? もちろん、初めての人にも優しくします』

彼はこの一文に興味を惹かれ、それに参加申請を申し込んだ。

このサイトはカヲルが運営していた。

「歌はいいねえ、歌は。リリンの生み出した文化の極みだよ」

「君もそう思わないかい? 相田ケンスケ君」

山中に張られたテントの中、二人は寝転びながら色々な事を語った。

今日のサバゲーの内容について、明日の作戦について、夢について、進路について、エヴァについて、将来の事について、使徒について、そして本当の愛の事について…………。

「君はさ、まだ本当の愛を知らないんだよ、ケンスケ君」

「本当の愛って……?」

「痛みを伴わない愛は愛じゃない……。そういう事さ」

ランプの淡い光の中、カヲルはじっとケンスケを見つめていた。

ケンスケは自分の顔が赤くなっていくのを自覚した。

「君は正直だね。可愛いよ」

カヲルは優しく微笑んだ。

「……知りたくないかい、ケンスケ君。本当の愛について」

「僕は…………」




















「アッー!!」

夜の静寂を破って、ケンスケの悲鳴が轟いた。

鈴虫がメロディーを奏で、フクロウは唄い、兎は踊った。

熊の子はじっと見ていた。

お尻を出した子をじっと見ていた。

一等賞はケンスケのものだった。

その日、ケンスケは後ろの処女を失った。

その三十分後、口の処女も失った。

その二時間後には、童貞も卒業した。


「僕は、その日の内に三階級特進したんだ」

夏休み明け、ケンスケは嬉しそうにその時の事をシンジとトウジに語った。

シンジは涙ぐんだ。

トウジも涙ぐんだ。


頬を伝う涙にどんな意味があったかは二人にはわからない。

ただ、ただ、彼ら二人は涙した。

涙が止まらなかった。

訳もわからず、彼ら二人は泣いた。

ケンスケは幸せそうに笑っていた。

つづく

かくして同性愛に目覚めたケンスケであったが、渚カヲルとの関係はそれほど長く続きはしなかった。

「僕にとって、攻めと受けは等価値なんだ」

「僕は誰の物でもあるし、誰のモノでも受け入れる。それが僕に定められた運命なんだ」

「君の身体を僕は愛する事が出来る。でも僕が心を愛する人は一人しかいない……」


碇シンジ。


彼を愛するが故に、カヲルは他のリリンに身体を許しもするし犯しもする。

シンジに痛みを伴わせないよう、代わって自分が快楽に溺れる。

それが彼なりの愛だった。

それは自分が傷つき我慢するだけの悲しい愛だった。

しかし、シンジの幸福だけを願った結論がそれであった。

故に、カヲルはシンジには決して手を出さないと固く心に誓っている。

そして、自分の目の前でシンジが誰かと愛の営みを行っていたらどれだけ興奮するだろうと、カヲルは今日も想像して勃起する。

彼はNTRが大好きだった。

実際問題として、ケンスケもまたそれほどカヲルに心を奪われていた訳ではない。

ケンスケの中では、カヲルは真実の愛の伝導者のようなものであり、いわば迷える仔羊を導くキリスト的な存在であった。

カヲルの神々しい輝きは、ケンスケにとっては眩しすぎたのだ。

神や天使は自分の手の届かない場所にいるからこそ、輝いて見える。カヲルから別れ話を告げられた時、ケンスケはそれを理由もなく理解し、そして何一つ不満などなく受け入れた。

神と人は同じ場所にはいられない。

神と人は対等の関係を築けない。

悲しさも多少はあったが、これで良かったのだとケンスケは思った。

それに自分はもう神から惜しみない愛をもらっている。

具体的な言葉にすると大量の精液でしかないが、ケンスケはそれを愛だと理解し、全てを美しき良き思い出へと変換させた。


そもそもケンスケはカヲルがタイプではなかった。

「さよか……。カヲルと別れたんか……」

「ううん。違うよ、トウジ。カヲル君は、別れたとかくっついたとか、そういう低次元な場所には元からいなかったんだよ。……それだけの事さ」

ケンスケは清々しい笑顔を気の良い親友に向けた。

「…………」

向けられた側であるトウジの胸中はかなり複雑だ。

自分の最も親しい友達が、恋愛面においても別の面においても、一気に遥かな高みへと登っていってしまった。今の自分では絶対に到達出来そうもない場所へと。

そして、その話を逐一自分に報告してくる。


決して羨ましくはなかった。

だから嫉妬する事など全くなかった。

ただ反応に困るのだ。

なんと返していいのかトウジにはわからず、ただ曖昧に返事をする事ぐらいしか出来ない。

お茶を濁すだけだ。

唯一無二の親友に対して、それで自分は本当にいいのかと、彼もまた悩む。

「まあ……お互いが納得しとるんなら、ワイが口を出す事はなんもあらへんが……」

「いいのさ、トウジ。全てはこれでいいんだよ。僕は自分だけの本当の愛を探すから」

落ち着いた微笑をトウジに向けるケンスケ。それは完全に酸いも甘いも知った大人の顔だった。

少年は、ほんの少しの……ほんの少しのきっかけによって、いつでも大人になれるのだと、トウジはその時悟ったかもしれない。

「さよか……」

トウジもまた微笑んだ。それはこの上なく優しい笑顔だった。

「ほなら……ケンスケはまた新しい恋を探せばええわ。ワシは応援するで」

「ありがとう、トウジ。本当にトウジはいいやつだよ。俺、トウジの事、一番好きだよ」

「なに言っとるんや、照れるがな。ワイもお前の事を一番の親友やと思っとるで」

「僕もだよ、トウジ」

「もうええっちゅうねん。それより、ケンスケ。お前の好きなタイプってどんなタイプなんや? そっから聞かせてもらおか」

「そうだね……。僕の好きなタイプは、男らしくてがっしりしてて、だけど母性本能をくすぐるような、そんなタイプかな。実は、トウジとかも結構タイプなんだけどさ……//」

「…………」


…………以来、トウジは女装を始めるようになった。

ケンスケとの友情を継続させる為に、彼は世間体を捨てたのだ。いや、それ以上のものを捨てたのだ。

父親からはこっぴどく殴られ、妹のサクラからは変態と罵られて泣かれた。今も口一つきいてくれない。

それでもトウジは女装をやめなかった。

まるでメロスとセリウンティヌスの如く、真の友情よりも大切なものはないと、彼は魂の底から理解していたからだ。


シンジがその理由を知った時、トウジはなんて男らしいんだとひたすら感動した。美しい友情の形だとさえ思って思わず涙ぐんだ。

アスカは特に気にも止めなかった。

レイは関心すらなかった。

ヒカリはその日以来、学校に来ていない。

つづく

鈴原トウジ。

彼の事について人に説明するのは、驚くほど容易い。とにかくジャージについて語れば良いのだから。


「彼はどんな人物ですか?」

「いつもジャージを着ています。黒色のジャージです」


鈴原トウジを語る上でジャージを外す事は決して出来ない。何故なら、ジャージを着ていればその事について話さねばならず、ジャージを着ていなければ着ていないという事について言及しなければならないからだ。


「彼は今日はどんな様子ですか?」

「今日はジャージを着ていませんが、普段はジャージを着ています」


ジャージは言わば彼のシンボルであり、そして数少ないアイデンティティーでもあった。


「彼はジャージが好きなのですか?」

「いいえ、ジャージこそ彼なのです」

そんな彼が遂に脱いだ。

友人との絆を守る為に、彼は着ていたジャージを脱ぎ捨て、代わりにセーラー服とスカートを身に纏ったのだ。

さながらそれは騎士が友と家族と祖国を守る為に甲冑を身に纏って戦場へと赴く様に似ていた。

男には、退いてはならない時がある。

果敢に挑まねばならない時もある。


「ケンスケ……。ワシな、今日から男の娘デビューするんや」

逃げ出したい衝動を堪える為、トウジは下唇をぐっと噛み、声を震わせながらそう告げた。

目尻にはほんの少しの涙。

彼はともすれば揺るぎそうな自分の決意を不退転のものとして表明するかの如く。

ナチスドイツの軍人が「ハイル、ヒトラー!」と叫ぶかの如く。

Vサインを作って、それを額に当てて見せた。

「チェキラっ♪」

「…………」

ケンスケは無言でトウジを殴り付けた。

「ケンスケ、いきなり何すんねん!」

頬を押さえながらトウジが抗議する。

しかし、ケンスケはそれには答えず、トウジの両肩をがっしりと掴んで激しく揺さぶった。

「トウジ! 一体、どうしちゃったんだよ! 目を覚ましてくれよ!」

ケンスケとて殴りたくて殴った訳じゃない。

しかし、今は殴ってでも止めなきゃいけないと思ったのだ。

「このままだと、トウジがダメになっちゃうよ! だから、正気に戻ってくれよ、トウジ!!」

哀願するかのように語るケンスケの瞳からは滴が一つ二つと零れ落ちていた。

彼は友の為に涙を流していた。

どうしてこんな事になってしまったのか。

どうして唯一無二の親友がこんな事に……!

「ケンスケ……。お前……」

「ごめんよ、トウジ。ごめんよ!」

そう言ってケンスケはトウジを再び殴り付けた。

「ぐあっ!!」

トウジは地べたへと倒れ込んだ。

それは愛のある一撃だった。

しかし、何故もう一発殴ったのかはケンスケさえもよくわからない。

荒い息を吐いて涙をぽろぽろと溢すケンスケ。

地面に倒れたまま親友を見上げるトウジ。

自分の為に涙する友の姿を見て、トウジもまた知らず知らずの内に涙を流していた。

これほどまでに友達から心配された事があるだろうか。

これほどまでに友達から想われた事があるだろうか。


片手でぐいっとこぼれた涙を拭うと、トウジは決意したように声を絞り出した。

「ケンスケ……。ワシはお前が友達でホンマ良かったと思う。せやけどな……いや、だからこそや。ワシは女装をやめへん! ここでやめたらワシは男やない! ただのクズや!」

「……どういう事だよ、トウジ。言ってる事おかしいよ。変だよ!」

ケンスケはしゃがみこみ再度トウジの両肩を掴んで揺さぶった。

しかし、最早トウジの決意は揺るがなかった。

「わかっとる。わかっとるけど、もうええんや。ワシは今日から男の娘や。それでええんや。ワシを友達や思てるなら、もうこれ以上何も言わんといてくれんか、ケンスケ」

姿勢を正して、彼はその場で深々と頭を下げた。

「後生の頼みや。頼む!」

「……トウジ」

その姿を見て、ケンスケはそれっきり俯いたまま沈黙してしまった。

言葉が見つからなかった。

紡ぐ単語もなかった。

悲しかった。

トウジが何故こんなにも女装に拘るのかは、ケンスケにはまるでわからなかったが、最早彼を止めようがないという事だけはどうしようもなくよくわかってしまったのだ。

太宰治が書いた小説の中に「走れメロス」という作品がある。

その物語にはありとあらゆる友情が詰まっている。

例えば、処刑までの人質となる事を承諾したセリウンティヌス。

メロスがもしも戻ってこなかったら代わりに処刑される事になるのだが、しかし彼は何も言わずそれを引き受けた。

暴虐な王ディオニスは、メロスは戻らぬとセリウンティヌスをからかい続けたが、それでも彼は友を信じて、メロスは来ます、とだけ答え続けた。

約束の時刻まで残りわずかとなり、処刑場まで連れていかれた時もセリウンティヌスは平然としていた。

全ては友を信じていたからだ。

その信頼に応え、約束通り帰ってきたメロスは何故かフルチンだった。

処刑時刻ギリギリになって現れたフルチンの親友。

来る時に何をしていたのか、ともすればナニをしていたのか。ひょっとしてそれで帰りが遅くなったのか。

しかし、その事をセリウンティヌスは一切口にはしなかった。

友情とはそういうものかもしれない。


問い質したところで意味のない事もある。

無益な事だってある。

知らなくても良い事だってあるだろう。

ただ側に居続けるだけの友情もあるはずだ。

トウジもケンスケも正にそんな気分だったかもしれない。


ずいぶんと長い間ケンスケは黙ったままだったが、やがてぽつりと呟いた。

「そのセーラー服。似合ってるぜ、トウジ……」

ほんの少し、間が空いた。

トウジは全てを悟ったかの様に微笑んだ。

「……せやろ?」


どうしようない事だって世の中にはある。

その日の太陽はお互いやけに滲んで見えた。

彼らは恐らくこの日の事を一生忘れないだろう……。

そして、時は動き出す。


ケンスケがゲンドウへの愛を告白し、シンジが凍りつき、アスカが固まり、トウジがルーズソックスの手直しをしていた頃へと。

「それでさ、碇。ゲンドウさんの事なんだけど」

「あ、あああああああの」

「……碇?」

マズイ! と思ったアスカは咄嗟にラップを始めた。

何とかその場を誤魔化そうとしたのだ。

「アアアアアアアアタシ、マジキュート♪ ううううううう歌って踊れるパイロット♪ Hey you come on!」

突如、アスカから指差されたトウジは、神の声を聴いたモーゼの如くそれに従い、意味もわからないままタップダンスを躍ってその場を盛り上げた。

「…………えっと。それで碇。その事で一つ相談に乗ってくれないか。少し難しい話なんだ」

「あ、いやその……あのそのだけどあああの……」

「碇?」

今度はアスカは奇声を上げながら雨乞いを始めた。

気が狂った振りをしてケンスケの注意を引き付けたのだ。

更にはヨーデルを歌いながら、高速で反復横飛びまで始めた。

この話題から逃れようとアスカは必死だったと言える。

全てはシンジの胸中を思いやっての行為だったが、しかしその代償は大きかった。


彼らは近所の住民から通報された。

つづく

不審者がいるとの通報を受けた警察は、市民の安全と平和の為に可能な限り迅速にその場へと駆けつけた。

しかし、その頃にはシンジ達も流石に周りからの白い目に気付いており、かつ通報を受けたという事実を小耳に挟んだ為、可能な限り迅速にその場から逃走した。

丁度その頃、ネルフの副司令である冬月は、電車でネルフへと出勤する為にその場を通りかかっていた。

時を同じくして、通学途中の一人の小学生女子がたまたまその近くで石にけつまずいて派手に転び、泣き出してしまったのも丁度その頃であった。

「おや……。大丈夫かね、君。怪我はないか? ちょっと私に見せてみなさい」

不審者はあっさりと捕まった。

そんな事は露知らず、シンジ達四名は学校へと何とかたどり着いていた。

途中、アスカがシンジの為に甲斐甲斐しくポカリを頭からかけたり飲ませたりしていたので、炎天下の中で走り続けたにもかかわらず、着ぐるみを着ていたシンジもどうにか無事である。

その代償として、彼は頭からつま先までびしょびしょになっており、動く度に着ぐるみの中からちゃぽちゃぽと音をさせてはいたが。

「流石にこれはまずいわよね……。シンジ、アンタ体操服にでも着替えないと風邪引くわよ」

「うん。そうだね……。教室についたら着替えるよ」

それを聞いて、アスカがお決まりのセリフを言う。

「アンタ、バカァ? そんな濡れた格好で教室まで行くなんて迷惑以外の何でもないわよ!」

「あ……そうだね。でも……」

「でも、何よ?」

「教室に体操服が置いてあるんだ。だから……」

「ああ、もう。しっかたないわねえ。いいわよ、このアタシが取ってきてあげるわよ。感謝しなさいよ」

アスカは着ぐるみの頭をシンジに被せると、嬉しそうにハァハァ言いながら駆け出していった。

さっきまで全力疾走していたから息が荒くなったのだろう、とはその場にいた全員が思わなかった。

「あ……えっと。それでさ、碇」

「何、ケンスケ?」

「話を戻すけど、ゲンドウさんの事で少し相談があるんだよ。碇ならきっといい答えを出してくれると思うから」

嫌な予感がしたが、シンジはもう逃げなかった。どんなに辛い事だろうと精一杯向き合おうと、彼はエヴァに初めて乗った時に決意したのだ。

逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……!

まるでそれが自分を勇気づける呪文であるかの様に、彼は心の中で繰り返し呟く。

「いいよ。ケンスケ。僕はどんな事実だろうと受け止めるよ」

強い眼差しをケンスケに向けて、シンジは一言一句はっきりと述べた。

「きっと逃げた先にはもっと辛い事しかないんだ。だから僕はもう逃げない。何でも言ってよ、ケンスケ」

ケンスケは少し戸惑った様な不思議そうな表情を見せたが、シンジの態度から何かを感じ取ったのかあえてそこには触れず、そのまま相談を始めた。

「親子の仲って……どうやったら仲良くなれるかな?」

今度はシンジが意外そうな顔を向ける番だった。

ゲンドウとケンスケの初めての出会いは山の中だった。

夏休みのとある日、カヲルとの都合が合わなかったケンスケは仕方なく一人でサバゲーをしていたのだが、そこでゲンドウを見つけたのだ。

ゲンドウはパジャマ姿で、湖のほとりで体育座りをしながら、水面を寂しそうにじっと眺めていた。

こんな時間にこんな所でおまけにあんな格好で一体何をしているのだろう?

不審にも思ったが好奇心の方が遥かに勝ったケンスケは、生来の人懐っこさも手伝って声をかけてみた。

「何をしてるんですか?」

ゲンドウは少しだけケンスケの方を向いたが、すぐにまた水面に目を向けじっと眺め続けた。

「釣りだ」

「釣り竿も何にもなしで?」

「そうだ」

「…………」

いささか返答に困ったケンスケは、黙ったままゲンドウの顔と湖を代わる代わる見つめた。

すると、ゲンドウは仕方なくといった感じで一言だけ答えた。

「エアーフィッシングだ」

「……そうですか」

そこでケンスケは立ち去り、会話は終了した。

そして、その日の夕方近く。

テントで野営する用意を整え終えたケンスケは、夕食のカレーを作るまでの間、余りに退屈だったのだろう。ふとゲンドウの事が気になった。

そこで軽い散歩がてら湖のほとりにまで行ってみると、驚いた事にゲンドウはまだそこにいた。

昼間と全く同じ姿勢で、じっと寂しそうに水面を眺めていた。

時折、手近な小石を水面にぽちゃりと投げてもいた。

何となく哀れに思ったケンスケはまた声をかけてみた。

「釣れますか?」

「ああ」

ゲンドウはそれだけ答えると、また水面をじっと見つめ始めた。

ケンスケが黙ってそれを見ていると、ゲンドウは仕方なくといった感じでまた一言だけ答えた。

「大漁だ」

それを聞いて、ケンスケは何故か無性に可哀想になり、彼を食事へと誘った。

ゲンドウは黙ったまま小さく頷き、まるでピクミンのようにケンスケの後についていった。

愛してくれとは言わなかった。

テントへ戻ると、ケンスケとゲンドウは二人でカレーを作り、二人でカレーを食べ、二人で後片付けをした。

腹が満たされれば心も満たされる。

長い間、ずっと無言だったゲンドウも、夕食を食べ終えた頃にはぽつりぽつりと自分の事を喋り始めていた。

自分はゲンドウという名前である事、妻とは若い内に死別したという事、息子が一人いるという事、とある世界的に有名な企業に勤めているという事、そこは信じられないぐらいのブラック企業で休みなど全くないという事……。

「あれ? 今日は休みだったんじゃないんですか?」

ケンスケが尋ねるとゲンドウは俯いてしまった。

「今日は出張だ」

「出張?」

「そうだ」

「…………」

ケンスケが黙っていると、ゲンドウは仕方なくといった様子で答えた。

「私は置いていかれたのだ」

「…………」

本来なら、ゲンドウは今頃、月面のタブハベースへと視察に行くべく、スペースシャトルで月面軌道に乗っているはずだった。

しかし、彼はその大事な日に遅刻した。

その原因は寝坊だった。

慌ててベッドから飛び起きると、ゲンドウはほとんど着の身着のままで飛び出した。タクシーを電話で呼びつけ、運転手をかなり急かして超特急で打ち上げ場へと向かったのだが、着いた時には既にロケットエンジンからはもくもくと煙が上がっており、どう見ても完全に手遅れだった。

呆然と立ち尽くすゲンドウを尻目に、冬月だけを乗せたスペースシャトルは力強く宇宙へと飛び出していった。

この日以来、ゲンドウは冬月に対してかなり冷たく当たっている。

つづく

とにもかくにもそういった事情によりネルフにも顔を出し辛くなったゲンドウは、安息の地を求めてさ迷う仔羊の如く、色々な所を歩き回った末にこの山へとたどり着いた。

きらきらと美しい輝きを放つ湖畔の静けさと、たまに聞こえてくる鳥たちの歌声とが彼の心に安らぎを与えたのだ。

しかし、幾分か心の傷が癒されたところで、水面に映る自分はパジャマ姿であり、おいてけぼりにされたという事実に一切変わりはない。

結局、私はいらない人間だったのだ、とゲンドウは話の最後を寂しそうに締めくくった。

ケンスケは深く同情し、また慰めた。

「ゲンドウさんを必要としている人はきっといます。だからそんな寂しい事を言わないで下さい」

「そうか……」

ゲンドウは相変わらず無表情だったが、ケンスケには少しだけ微笑んだ様に見えた。

それから二人は電話番号を交換し、その日はテントで一緒に寝た。

ケンスケは無論寝込みを襲うような真似はしなかったが、彼の心はどことなく満たされていた様な気がする。

それはカヲルと一緒に寝る時の様な、激しい満たされ方ではなかったが、ケンスケはそこに安らぎと安心感を見いだしたのかもしれない。

その日以来、二人はちょくちょく連絡を取るようになり、たまに会って一緒に食事をする様な仲となった。

ゲンドウは自分の事についてはあまり多く語らなかったが、ケンスケはそれでも満足していた。

ゲンドウは色々と悩み事や愚痴を話す事が多かったからだ。

信頼されているんだろうな、とケンスケは思う。

それと同時に、この人は僕が助けてあげなきゃ、という一種の母性本能にも似た気持ちが沸き上がった。

それが恋心へと変化するのに時間はそれほど多くはかからず、気がついた時にはケンスケはゲンドウに対して心臓が溶けるほど熱く恋い焦がれていた。

恋はいつだって唐突であり、そしてひどく切ない。

この燃え盛るような熱い想いをどこにぶつければいいんだろうと、ケンスケは今日も激しく精子を飛ばす。

一メートル二十七センチ。

自己新記録を更新した。

「ごめん、話が逸れたな、碇。本題はここからでさ」

この時、シンジのLIFEは既に0を大きく下回っていたが、ケンスケは話に夢中で気がつかなかった。

ゲンドウへの熱い想いを頬を染めて語るケンスケは、純情で穢れを知らぬ乙女にも、死者に鞭を打つ冷酷な処刑人の様にも見えた。

「それで、ゲンドウさんには僕と同じぐらいの歳の子供がいるんだけど、この前、息子との接し方がよくわからないって言っててさ。それが相談なんだよ」

その言葉に少しだけシンジのLIFEが回復の兆しを見せた。

「はー、さよか……。そんなんで悩む親もおるんやな」

「ゲンドウさんは繊細なんだよ。それに人一倍傷つきやすい人なんだ」

昔、ゲンドウの妻であるユイもそんな事を言った。

「あと、単身赴任でずっと息子さんと一緒に暮らしていないからだろうね。……確か碇も似たような境遇だろ? 碇ならゲンドウさんの気持ちがわかるんじゃないかと思ってさ。今のままだと息子との距離がどんどん離れていってしまうって、ゲンドウさん、ずいぶん落ち込んでたから何とか力になってあげたいんだよ」

「父さんがそんな事を……」

「うん。もしも碇のパパがそう言っていたらどう思う、みたいな感じでいいんだ。きっと参考になると思うから。なあ、碇。教えてくれよ」

「…………」

シンジは少しの間考えてから、ふっと小さく息を吐き出した。

「何でもいいから、話してみるのが一番じゃないかな……。多分、その息子さんもどう接していいのかわからないんだと思う」

「そんな簡単な事でいいのかな……?」

ケンスケは少し心配そうな表情を見せたが、シンジは微笑んで頷いた。

「うん。きっとそうだよ」と……。

親が子供を想わない訳がない。

子供が親を想わない訳がない。

ただ、それに気が付きにくいだけの話だ。

シンジの母親であるユイは、我が子が笑って過ごせる様な未来を作りたいと、自ら望んでエヴァ初号機の被験体となった。

その結果は悲劇にしかならなかったが、しかし今も彼女の魂は初号機の中にあり、我が子を守り続けている。

これまで何回も初号機が暴走を起こしているのはその為だ。

シンクロテストの際、シンジのシンクロ率の結果が悪いと、初号機は必ず暴走を起こし、我が子のシンクロ率を常にナンバーワンとした。

少しでもシンジの悪口が聞こえると、初号機は必ず暴走を起こし、格納庫でひたすら暴れまくった。

全ては我が子を愛するが故だ。


ネルフ内部においては、初号機は最強のモンスターペアレンツと陰で呼ばれている。

ふと、弾むような足取りが聞こえた。

その足音と共に体操服を抱えたアスカがハァハァ言いながらシンジの元へと駆けつけた。

「ほら、シンジ。持ってきてあげたわよ。感謝しなさいよ」

「あ、うん。ありがとう、アスカ」

渡された体操服は何故か温かく、しかも何やらよくわかない液体で所々べとべとしていたが、シンジはその事について何も言わず、勃起しながら受け取った。

「えと、じゃあ僕、今から着替えてくるから」

アスカは既に勃起していたが、更に勃起した。


「ほなら、ワシらは先に教室に行っとるで。行こか、ケンスケ、式波」

「そうだね。相談に乗ってくれてありがとう、碇。今度会った時にそう話してみるよ」

「早く着てきなさいよ、シンジ//」ドキドキ

そう言って三人は去っていった。シンジはほかほかの体操服を抱えて急いでトイレへと向かう。

色々な意味において色々なものがはちきれんばかりのシンジであったが、しかし、トイレに入る直前で彼は不意に横から声をかけられ、色々な意味で寸止めされた。

見ると、レイがそこに立っていた。

レイはいつも通りの表情で、いつも通りの口調でこう言った。

「おはよう、童貞野郎」

「うっ!」

シンジはたまらず射精した。

つづく

綾波レイがいつ頃からシンジの事を好きになったかはわからない。

そもそも本人はこの感情が恋だという事すら理解していなかった。

ただ、シンジといると心がポカポカする。

だからシンジにもポカポカして欲しい。

恋に不器用なアスカとは違い、レイにはそれを実行する素直さと行動力があったが、その手段がわからなかった。

結局、食事会も中止せざるを得なくなったレイは、それに代わる新たな方法を求め、一番身近にいたリツコに質問してみた。

「男の人がポカポカする様な事って何でしょうか。教えて下さい、赤木博士」

リツコはさも当たり前の様に答えた。

「童貞野郎と呼んであげる事ね。間違いなく悦ぶわ」

結果的に、それはものすごく正しかった。

リツコは煙草をふかしながら、まるで宇宙の真理を悟ってしまったかのように言う。

「いいこと、レイ。男なんて全員単純でバカな生き物なのよ。人のいない所に呼び出して、脱ぎなさいと命令して、変態と罵って、頬をはたいて、蔑んだ目をしながら踏んであげれば、誰もが力強く激しく猛々しく、あえてオブラートに包んだ言い方をするなら、まるでオペラで観客が感動してスタンディングオペレーションを行うかの如く勃起するわ」

レイは無表情のまま質問した。

「勃起って何ですか」

「恋の予感ね」

リツコは適当な事を言った。

「聖書の中でキリストは、右の乳首が勃起したら左の乳首を差し出しなさいと言ったわ」

「乳首を……」

「ええ、そう。乳首を。もしくは乳輪を」

リツコは大真面目な顔で言う。

「……よくわかりませんけど、そういう事をすれば男の人はポカポカするんですか」

「ええ、ボッキボッキするわ」

レイはよくわからないまま頷いた。

結局、リツコはレイの事が嫌いであり、ただ単に嫌がらせをしたかっただけである。


ゲンドウの亡き妻に似た女。

手にかなりの火傷まで負って救い出された女。

おまけに自分よりも若く、肌はピチピチ。

食事の時にはレイと一緒。自分は呼ばれた事すらないのに。

腹立たしい。腹立たしい。腹立たしい。

おまけに、最近はちょくちょく外食に出掛けている。つまりはデート。

悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。悔しい。

実際のところ、その相手はケンスケだったのだが、リツコはその事を知らない。

デートの相手はレイだとリツコは勝手に思い込んでおり、レイが言う「男の人」もゲンドウの事だと勝手に思い込んでいた。

つまり、レイにとっては完全に逆恨みのとばっちりでしかなかったのだが、しかしその適当なアトバイスは、リツコの意に反してかなり役立つ事となった。

「童貞野郎、こっちに来て」

レイはシンジの腕を掴み、女子トイレへ連れ込もうと引っ張る。

「何をするの、綾波! やめてよ!」

シンジはそう言いつつ、迅速に女子トイレへと駆け込んだ。

「次に、その着ぐるみを脱いで」

「そんな!// こんなところで脱げる訳ないじゃないか! 無理だよ、出来っこないよ!///」ヌギヌギ

シンジはすぐさま全裸になった。

「変態ね。恥ずかしくないの」

「そんな!// やめてよ、綾波! ひどいよ、ひどすぎるよ! だから、もっと! もっと罵らないでよ!///」ドキドキ

シンジは懸命に抗議したが、レイは聞く耳をもたず、手首のスナップをきかせてすぐさまビンタした。

「うるさいわ、童貞野郎」

「そんな、お仕置きだなんて!// やめてよ! お願いだからやめてよ!///」ドキドキ

シンジは左の頬と左の乳首を差し出して必死に抵抗したが、レイはその両方をビンタした。

シンジはたまらず射精した。

その頃、教室ではアスカとヒカリが感動の再会を果たしていた。この日、何週間かぶりにヒカリが学校へと登校してきたのだ。

「ヒカリー、久しぶりじゃない! どうしてたのよ、今まで。ずっと学校に来なくて心配していたのよ!」

「うん……ちょっとね」

ヒカリは、少し困ったような笑顔で応えた。

「病気……みたいなもので今まで家に。でも、もう完全に治ったから」

「そうだったの? 大変だったわね。心配だったから、一回だけ家に行ってみたんだけど、いないからって断られちゃってさ」

「そうなんだ……。ごめんね」

謝りつつ、ヒカリはふと視線をちらりと移して、アスカと一緒に入ってきたトウジを眺めた。

やはり変わらずセーラー服。

それを見るヒカリの瞳は物悲しそうであったが、諦めがついた様な感じも多分に含まれていた。

やさぐれた様にヒカリは息を吐く。

「ねえ、アスカ。よく人って外見じゃないって言うけど、あんなの嘘よね。綺麗事だよね」

「え?」

唐突な話に思わずアスカが聞き返した。

ヒカリは特に気にした様子もなかった。

「だって、人は外見だもん。本当に人間っていうのは身勝手な生き物で、目に写るものばかりを重視して、本当の中身を知らないし、本当の中身を知ろうともしない。よくテレビドラマとかで見かける、安っぽくて頭がスカスカでいかにも世間知らず的な奥さんが、結婚した後に家庭の不満を他人にぶつけて、あんな人だとは思わなかったの、私は騙されていたの、なんて馬鹿みたいな事を言ってるけど、実際のところ人間なんてみんなそんなものなのよ。中身ではなく外見や言葉に私達は恋する生き物なのよ。ね、アスカもそう思うでしょ?」

ヒカリの口調はどことなく投げやりで、それこそドラマに出てくる三十代ぐらいのくたびれたスナックのママを彷彿させるものがあった。

「えと……どうかしら……」

ヒカリの変わりようにやや戸惑いながらも、アスカはそう答えた。自分がシンジの事を外見で好きになったとは思わない彼女である。

「そりゃまあ、外見もやっぱり大事だとは思うけど……。でも本当のところは違う気がするわね。性格だとか、たまに見せる力強さだとか優しさとか……。そういうものに惚れるんじゃないかしら?」

ヒカリは鼻で笑った。

「大人びている様に見えるけど、やっぱりアスカも子供なんだね。そうだよね、仕方ないよね。私達は、お子様だもん」

アスカは何を答えていいかわからず、また何かを答えなくてはいけない様な気もしたが、まるで言葉を忘れてしまったかのように口を開く事が出来なかった。

それを見て、ヒカリは話はここで終わりとばかりに席を立った。「化粧直ししてくるから」と廊下へと出ていく。

アスカは一緒に立つ事が出来なかった。

このままヒカリの後を追わなかったら、何か大事なものを失う様な気がしたが、それでも彼女は何故か立つ事が出来なかった。

追って引き止めたとして、何を言えばいいのだろうか。

自分には何が言えるのだろうか。

それがわからず、アスカは俯いたままじっと机の上の小さな傷を意味もなく眺め、ただヒカリの帰りを待つ事しか出来なかった。


しばらくして、女子トイレからヒカリの悲鳴が聞こえた。

シンジはたまらず射精した。

悲鳴は更に大きくなった。

つづく

シンジがドMへと目覚めたきっかけは、言うまでもなく綾波レイのビンタが原因である。

「お父さんの言う事が信じられないの?」

「信じられる訳ないよ。あんな父親なんか!」

レイは振り向くと、シンジの頬を無言ではたいた。

響き渡る炸裂音。

この時にシンジが受けた衝撃と快感は彼の中でとてつもなく巨大なものであり、それは全宇宙の全ての始まりとされているビッグバンにもよく似ていた。

今からおよそ百四十億年前に、無の状態から突如として誕生したとされている宇宙。

全ての物質とエネルギーがそこに集約し、極端な高温高密度状態の中で宇宙は爆発的に膨張したと言われている。

時間や空間という概念もその時に誕生したと言われ、そして宇宙は今もなお膨張し続けている。

広く、深く、どこまでも。

この狭い世界の中で、我々は一体どれだけの事を知っているというのか。

人は海やあるいは山を見て、その大きさに感動し、自分の抱えている悩みや自分という存在がいかに小さいかという事を思い知らされるのだが、しかし、その海や山さえも宇宙全体から見れば海岸の砂粒程度の大きさでしかないのだ。

我々が住むこの銀河系にはおよそ二千億個の星があると言われており、この宇宙には銀河が一千億個以上あると考えられている。そしてこの宇宙に散らばる大小無数の星々の混雑度について、とある天文学者は「ヨーロッパ大陸に蜂が三匹飛んでいる程度」と述べた。

これほどまでに宇宙は広大であり、そして果てしない。

嗚呼、この壮大なる宇宙! 我々は知らねばならない! 人間が如何にちっぽけで、如何に短い時の中を生きているのかを!

そんな事を思いながら、シンジは射精した。

それは爆発的な射精で、ビッグバンによく似ていた。

かくして、劇的にMの快感に目覚めたシンジは、それからというものレイに対して少し特別な期待を抱くようになった。

ヤシマ作戦前、消えゆく街の灯を山頂付近で眺めながら、シンジは思いきってレイに尋ねたものである。

「綾波は……ムチとかに興味がある?」

「鞭……。よくわからない」

「ローソクとかは?」

「蝋燭……それもよくわからない」

そんな話をしている間に初号機が勝手に暴走し、第六使徒はいつの間にか殲滅されていた。

二人はそれを黙って眺めていた。


やがて、レイがぽつりと呟いた。

「……こんな時、どういう顔をすればいいかわからないの」

「笑えばいいと思うよ」

二人は少しだけ幸せそうに微笑んだ。


初号機が夜空の星々に向かって咆哮する中、シンジとレイは三角木馬の事について延々と語り合って過ごした……。

そういった経緯もあり、シンジとレイの仲はそれなりに良い。

少なくとも、アスカが来日する前には二人で世間話をするような仲にはなっていた。

そして、レイが挨拶以外で自分から声をかけるのはシンジに対してだけである。

その為、アスカは当初二人が付き合っているものだとばかり思って、触らず近寄らず的な態度を取っていたのだが、それも第八使徒が来るまでの話に留まる。

大気圏から飛来し落下してくる使徒。

それを真っ先に受け止めたシンジ。

自分一人ではどうにもならなかった。

ずっと一人でやっていけると思っていた。

一人が淋しいなんて思いもしなかった。

なのに、今は何でこんなにも……。





……部屋の戸をゆっくりと開け、シンジの布団にそっと潜り込もうとするアスカ。

が、思いもかけずその途中でつまずき、気が付けばアスカはシンジの上に覆い被さるような形で密着状態となっていた。

お互いに触れ合う肌と肌。

ぴったりとくっついた腰と腰。

擦れ合う乳首と乳首。

そして、すぐ目の前の唇と唇……。

シンジは頬を染めて勃起し、アスカも顔を真っ赤にして勃起した。

勃起は恋の予感……。

そこからアスカの恋は始まった。

「ナナヒカリ……///」

「式波……///」


もう少し近付けばキスするような距離で二人はお互いの名前をそっと呼び合った。

暗闇の中で抱き合う形となったアスカとシンジ。

それを見るのは月明りだけ。

二人とも、突然の事に思考がついていかず、ここから先どうしていいかもわからず、ただただ相手の顔だけをじっと見つめていた。

愛への序曲……。

擦れ合う乳首を通じて高鳴る鼓動が相手にも伝わり、お互いの勃起とロマンティックは止まらない。

「式波。どうしてここに……?///」

「ナナヒカリ……ちょっとだけこのままにさせて///」

囁く様に、二人……。



それからどれぐらいの時間が経ったのだろうか。

ようやく覚悟を決めたアスカがゆっくりと口を開いた。

「今日……どさくさに紛れてアタシの事、アスカって呼んだでしょ///」

この時のアスカの心臓はハツカネズミの如く激しく脈打っており、口の中は緊張から唾で一杯だった。

故に、アスカは溜まった唾を飲み込んで、それから次のセリフを吐くつもりだったのだが、いかんせん動揺していたせいで、彼女はこの二つの動作を同時にしてしまった。

つまり、アスカはシンジに唾を吐いた。

シンジはたまらず射精した。

もうその後はぐたぐだだった。

ほんのりと栗の花の匂いが漂う中、アスカはテンパりながらもとにかく言うだけの事を言って自分の部屋へと急いで帰り、そしてベッドに潜り込んで顔を真っ赤にしながら、まるで駄々をこねる子供の様に足をひどくばたつかせた。

何をやっているのよ、アタシはっ!!

これでは、シンジに文句を言って唾を吐きかけただけで、あまりにも最低な女だと自己嫌悪せざるを得ない。

しかし、シンジからしてみれば、御主人様から御褒美をもらえた上に、しかも名前で呼ぶ事を許されるという特権を頂いたのだから何一つ文句などありはしなかったのだが。

こうして、お互いに違った意味で悶々とした一夜を過ごしたその翌日、アスカは昨日の事を何とか誤魔化す為に苦し紛れの嘘をついた。

「実はアタシはドSなのよ!/// だから、昨日のはアレよ、アレ! プレイよ!/// だから、別にアンタの事を嫌いでああいう事をしたって訳じゃないから! いいわね!///」

シンジは納得し、力強く勃起した。

アスカはほっとしたが、ひどく後悔した。

しかし、とにもかくにも一度芽生えた恋心はやはり恋心であり、アスカはそれからというもの迷わなかった。

まずレイとシンジの両方に質問し、二人が付き合っていないという事実を確認したアスカは、不器用ながらもシンジに対してアプローチを始めた。

ただ、肝心要なところで自分から全てを台無しにしてしまったという失敗が彼女の心の中では重くのしかかっており、どうにもシンジに対して直接強く踏み込めない。

しかし、シンジに対する想いは人一倍強かったので、そのやり場のない鬱屈した愛情は別の方面で爆発する事となり、シンジの留守中に布団に潜り込んでクンクンするなどの行為へと彼女を走らせる結果となった。

シンジはシンジで、アスカからの御褒美をあれから強く期待してときめいてはいたものの、しかし、もらえるのは蹴りや罵倒などがほとんどで、それはシンジの求めているものとは微妙に違っていた。

アスカはシンジからの愛ある行為を求め、シンジはアスカからの愛あるプレイを求めた。

似て非なるもの。

上手く噛み合いそうで噛み合わない歯車。

すれ違う二人の想い。

アスカは今日も、シンジが寝ている間に撮った彼の恥ずかしい写メで興奮し鼻血を垂らしそれ以外のものもだらだら垂らすが、そこから先へは進めない。

シンジは今日も、アスカが寝ている間に撮った彼女の恥ずかしい写メで興奮し鼻血を出しそれ以外のものもどぱどぱ出すが、そこから先へは進めない。

トウジは一人エロ本を見てハァハァ言い、ケンスケはゲンドウの写メを見てハァハァ言い、カヲルはシンジの尻を見てハァハァ言い、マリはレバーを食べながらハァハァ言い、レイはシンジの恥態を思い出してハァハァ言い、先生は授業中ですからと全員を注意した。


今日も世界は平和だった。

こんな何でもないような日常が、実は幸せな日々だという事にシンジ達は気がつかない。

彼らは今日も世の中は不本意であり不条理な事ばかりだと嘆きながら授業に戻る。


ヒカリの姿はそこにはなかった。

彼女は既に早退していた。

日誌の理由欄には一言「ソーセージ」と書かれてあった。

後でシンジが「フランクフルト」と書き直した。

ちっぽけなプライドだった。

つづく?

授業の合間の休み時間。

シンジは一人屋上へと向かった。

ポカリによってびしょびしょとなった猫の着ぐるみをそこに干しておいたからである。

シンジが手で触ってみると、流石にまだ湿ってはいたが、それでもずいぶんと乾いていた。

「この分なら、帰る頃には大丈夫かな……」

すっかり家事が身についているシンジはそう判断する。

それから、彼は一息つくようにふっと息を吐いた。

おもむろに、持ってきたテープレコーダーのスイッチを入れると、イヤホンで耳に蓋をし、ほんの一時の安らぎを求める様にシンジはそこに寝転んだ。

戦いは男の仕事。そうだとしたなら戦士にはきっと休息が必要だろう。特に股間が。

今日は朝から飛ばし過ぎて、少し疲れてきている彼だった。特に股間が。

そうやって寝転がったまま、清みきった蒼い空と流れる雲をぼんやりと眺めるシンジ。

何もかもが癒されていく様な気がした。

特に股間が。

ここに来て、エヴァに乗って、それで良い事はあまりなかった。特に股間が。

怖い思いをした事も、死にかけた事もある。その度にヒュンッとなった。主に金玉が。

最強の拒絶タイプである第十使徒も、月から舞い降りたカヲルが殲滅しなかったらどうなっていたかと思う。主に股間が。

色々と大変な事になっていたかもしれない。特に股間が。

それに、あの時、弐号機で出撃した真希波はどうなっていたんだろう。特に股間が。

真希波は豊満な体の持ち主だし、色々と持て余す事もあるんじゃないだろうか。特に股間が。

言ってくれれば、僕はいつでもスタンバイ出来るんだけど。主に股間が。


そう言えば、真希波と初めて会った時もこんな暑い日だったっけ……。


そんな事をシンジが考えていた時だった。

「どいて! どいて!」

そんな声が空から聞こえてきたのは。

突然、話は変わるが、葛城ミサトは子供の頃、一切の言葉を喋れなくなった時があった。

セカンドインパクトの際、目の前で自分を庇って死んだ父親。そのショックから彼女は深く心を閉ざしてしまったのだ。

誰とも話さず、心を開こうともしない。

そんな時期がミサトにはあった。


だが、そういった辛い過去など全くなかったかの様に、今の彼女はよく笑いよく喋る。

まるで失われた時間を取り戻すかの様に。

しかしそれでも、失った命は二度と戻っては来ない。

忘れる、なんて事も出来ない。

あの日の出来事、全てを。

忘れようがない辛い過去、思い出。そういうものは誰しも一つや二つは抱えているだろう。

それらを受け入れ乗り越える事で、人は成長していき、今の自分を築いていくのかもしれない。

ミサトは時たま遠い目をする。

その時、何を思い、何を考え、何を感じているのか。

それはシンジにはわからない。

ただ、そんな時のミサトはひどく儚げで、そしてなにより美しかった。

「大空に広がる光の翼……。それが私が見た十五年前の光景よ……」

ネルフでのシンクロテストからの帰り、愛車を運転しながら、ミサトは自分の過去の一端をシンジに語った事があった。

窓を開けていた為、ミサトの長い黒髪が風にたなびき、それは夕焼けに映えてまるで宝石の様に光り輝いていた。

つけっぱなしのラジオからは、リスナーのリクエストにより「翼を下さい」がさっきから流れている……。


『悲しみのない、自由な空』


「私は……翼なんか欲しいと思わないわ。……空を飛びたいとは思うけど」

ほんの少し、淋しそうにミサトが呟いた。

シンジはミサトの横顔を眺めながら、黙ってそれを聞いていた。

何を言うでもなく。

言葉にはならなかったが、ミサトの気持ちはシンジには痛いほどよく伝わった。

その数日後、ちょっとしたきっかけから、シンジはその時の事をアスカに話す事となった。

「そう……ミサトがそんな風にね……」

アスカはそれだけ言うと、まるで何も聞かなかったかの様に冷蔵庫からアイスを取り出し、そして自分の部屋へと普段通りに戻っていった。とはいえ、きっとアスカにも気持ちは伝わったんじゃないかとシンジは思う。


アスカもまた、その数日後にネルフでちょっとしたきっかけからリツコにその事を話した。

「ミサトらしいわね……」

リツコはほんの少しだけ目を伏せると、持っていたコーヒーに軽く口をつけた。しばらくして、「苦いわね……」と小さく呟く。その口調は少し淋しげにアスカには聞こえた。


リツコもまた、その数日後にちょっとしたきっかけからマヤにその事を話し、聞いたマヤもその数日後にちょっとしたきっかけから青葉に話し、聞いた青葉もその数日後にちょっとしたきっかけから冬月に話し、聞いた冬月もその数日後にちょっとしたきっかけから日向にその事を話した時には内容が大きく変わっていた。

「何でも、葛城君は今、空を飛ぶ事に興味があるらしいな」

「空……ですか……?」

「ああ、その様だ。何でもパラセーリングやバンジージャンプによく行っているとか……。ひょっとしたら、スリル狂なのかもしれんな」

「まあ、確かに葛城さん、車の運転とか見ると、荒いというより激しいですからね。にしても、空ですか……」

ミサトに好意を寄せていた日向は、ひょっとしたらそういう話がデートに誘うきっかけになるかもしれないと、早速、スカイダイビングのネット予約をした。


つまり要約すると、空から日向マコトが降ってきたのはミサトのせいである。

「えっ!? ちょっと、何でこがふっ!!」ズガッ!!

「ぐあっ!!」ズガッ!!


激しくぶつかり合う体と体。

それに伴う衝撃と衝撃。

お互いに密着する肌と肌。

「メガネ。メガネは?」と手探りで地面を探す日向。

ぴったりとくっついた股間と顔面……。




















「うわあああああいああああああああああぎああああああああああえああああああああああああおああああああいああああああああああああああぐああああああああぁああああああああああげああああああああぁああああああああああいああああああああえああああああああああいああああああああぁああああああああああおああああああああひああああああああああげああああああああぁああああああああああいああああああああぎああああああああああぐああああああああごああああああああああいああああああああぁああああああああああぎああああああああおああああああああ!!!」


シンジはこの世のものとも思えない悲鳴を上げた。

日向は驚いて、飛び退くつもりが更に股間を密着させた。

シンジは狂った様に叫んだ。


もしもこの時、シンジが初号機に乗っていたら確実にサードインパクトが始まっていたであろう。

股間によるサードインパクト。

人類股間計画。

魂の安らぎがそこにあるかはともかくとして。

つづく

この世界に未来はない。

人類にも未来はない。

そう考えた一部の人間がゼーレという組織を発足させた。

人の形を捨て、新たな生命体へと生まれ変わる儀式。それを執り行う為に。

出来損ないの群体として行き詰った人類を、完全なる単体生物へと人工進化させる為に。

それが人類補完計画であり、その全容を知る者はほんの一握りの人間だけである。

ネルフの首席監察官である加持リョウジは、その内容とセカンドインパクトの真相を求め、裏で暗躍する道を選んだ。

自分の身を危険にさらしてまで。

それでも、彼は真実が欲しかったのだ。

だが、一人の女性と出会った事により、その考えもまた変わっていった。

彼が出会ったのは貧乳のヘルス嬢だった。

彼女と出会った事により、人類の未来とか世界の行く末とか、そんなのが何かもうどうでもよくなってきていた。

いつだったか、スイカ畑で加持はシンジと語り合った事がある。

「君は……貧乳は好きかい?」

シンジは少しだけ目を伏せた。彼は巨乳好きだったからだ。

「……それほど好きではないです」

加持は草むしりの手を止めて、シンジに真剣な眼差しを向けた。

「シンジ君、貧乳はいいぞ。貧乳は疲れた男の心を慰めてくれる。俺も若い頃は君と同じで巨乳派だった。だが、歳を重ねる毎に貧乳の良さに気付くようになった。つるぺたというのはただそれだけで素晴らしいんだ」

そう言うと、加持は目の前のスイカに優しく触れた。

「俺の経験によると、これぐらいの大きさがパイズリにはベストだ。だが、貧乳には乳首ぴったんという技がある。わかるかい、シンジ君?」

それから彼はお気に入りのヘルス嬢の乳首を生かした様々なテクニックの事について語り始めたので、シンジはそれを熱心にメモを取りながら聞いた。

「貧乳は世界を救う。俺はそう信じている」

加持もまた熱心に語る。

「巨乳には巨乳の良さがある。だが、貧乳には決して叶わないと俺は思っている。貧乳には脂肪の代わりに男の夢が詰まっているんだ。小さいから、と言って恥ずかしそうに胸を隠す女性の姿を見て、君も何かを感じるだろう? それがロマンだ。貧乳にはそれだけの力がある。もしも世界中の女性が貧乳だったとしたら、この世から戦争がなくなるなんて君は信じられるかい?」

「……なくなるんですか?」

「ああ、間違いなくな」

加持はそう断言した。

「貧乳は愛と平和の象徴なんだ。俺はこの真実に辿り着くまで三十年もかかってしまった。だが、シンジ君。君にはそうなって欲しくはないんだ。これは俺の本心だ」

シンジは少しためらったが、結局こう答えた。

「だけど、僕……。それでも巨乳が好きなんです」

「そうか……。だが、君にもその内わかるようになるさ」

加持は納得したように優しくそう言うと、「すまなかったな、付き合わせて」とシンジにお勧めのAVを数本渡してそれから家まで送った。

もちろん女優は全員貧乳だった。

しかし、その中にはSMものもあったので、シンジはそれを歓喜して受け取った。

帰り際、「葛城には内緒だぞ」と加持はイタズラっ子のように笑い、シンジは「大丈夫です」と嬉しそうにうなずいて、夕闇へと消え去っていく加持の車に向かっていつまでも手を振り続けた。


ミサトの事は全く話題に上がらなかった。

そんな事をふと思い出した昼休み。

シンジはため息を三回つきながら自分の弁当を取り出した。

横ではトウジが「メシや、メシやー」と歓喜の声を上げている。

食事の時間こそが学校最大の楽しみだとトウジは以前に明言した事がある。

人は食物を摂取する事によって、自らの生命を維持し機能させる。それはつまり、生への実感であり同時に歓びでもあった。

ベートーベン作曲の交響曲第九番、「歓びの歌」を口ずさみながら購買へと昼飯を買いに行くトウジ。

そんな彼を見送る為にカヲルはワーグナー作曲の「ワルキューレの騎行」を口ずさみ、テンポが混じってぐちゃぐちゃになっていた。

教室ではマリが特に意味もなく「365歩のマーチ」を歌っていた為、トウジは三歩進んで二歩下がる事となり、半ば牛歩戦術の様相を見せている。

シンジは股間にまつわるエトセトラのダメージが抜けきらないまま、力なくレイに弁当を渡した。

「綾波……これ。前に喜んでくれたから……。迷惑じゃなかったら食べて」

レイは少し驚いた様な顔を見せたが、それもわずかな間だけで、彼女はそっと手を出すと、頬をほんのり染めながら弁当箱を受け取った。

「ありがとう……///」

アスカは咄嗟に自分の箸を掴むと、それをすぐさま真っ二つにへし折り、そして、少し困ったようにシンジに声をかけた。

「シンジー、箸が折れちゃった。ほら、見てよ。アンタ、新しいの持ってない? ちょっと探してよ」

シンジはその綺麗に折れた箸を見て、多少疑問には思ったものの、言われた通り、一旦レイから離れて一応自分の鞄を探った。アスカはふふんとレイの方を眺める。

「…………」

レイは無言だった。


「……ごめん、アスカ。流石に予備の箸までは持ってきてないから……」

「えー! じゃあ、どうしろってえのよ。アタシに手で食べろって言うの、アンタは」

「いや、そういう訳じゃないけど……。えと……どうしよう。困ったな……」

アスカはすかさず畳み掛けた。

「じゃあ、アンタの箸を貸して。アタシ、それで食べるから」

「えっ、でも、それだと僕がお弁当食べられなくなっちゃうから……」

「そんぐらいわかってるっつーの。しょうがないからアンタの分はアタシが食べさせてあげるわよ。ほら、お弁当持ってこっち来なさいよ、シンジ///」ドキドキ

アスカは隣の席をポンポンと叩く。つまり、「はい、あーん」という風に食べさせてあげる、という訳である。

「いや、でも、それは……///」

それを見ていたレイはそっと立ち上がり、自分の箸をアスカに差し出した。

「使って。私は手でも平気だから」

アスカはすぐさまその箸もへし折った。

「…………」

レイは無言で去っていった。


そして、無言のままシンジの箸を窓の外へと放り投げた。

シンジは見ている事しか出来なかった。

教室の隅に固まって、もそもそと手で弁当を食べる三人。

カヲルはみんなを慰める為にモーツァルトの「レクイエム」を歌い、「うるさい、黙れ」とアスカに言われて寂しげにそこから立ち去った。

マリは全員を慰めようとレバーを一つずつあげ、全員から微妙な表情をされた。

ケンスケは「良かったらこれを使ってくれよ」とボールペンをそれぞれ二本ずつ渡し、揃って窓の外に放り投げられた。

アスカもレイもシンジも、手がべたべたの状態で、学校最大の楽しみはいつの間にかとても物悲しい気分に変わっていた。


不意に、何でこんな事になったのかという論争が起こった。

アスカはエコヒイキのせいだと言い、レイの弁当に唐揚げを放り込んだ。

レイは弐号機パイロットのせいだと言い、アスカの弁当にグリーンピースをばらまいた。

シンジは僕が予備の箸を持ってこなかったから僕がいけないんだと言い、アスカとレイは揃って謝った。

マリは「仲良き事は美しきかにゃ」と感慨深けに呟き、カヲルはみんなの為にドヴォルザークの「新世界」を口ずさんで、レイは「うるさいから黙って」とカヲルに注意し、ケンスケは外でボールペンを探していた。

トウジはまだ購買に辿り着けていない。

つづく

一方で、レイとカヲルの関係も少し複雑である。

お互いに使徒の魂を持つ、運命を仕組まれた二人の子供。

お互いシンジに好意を抱く、恋のライバル。

とは言っても、自らの恋心を自覚してないレイはそんな事は全く思っていなかったし、寝取られ好きのカヲルはむしろレイを応援していた。

彼らの利害は実は一致しているのだが、中身はかなりいりくんでおり、その思惑や考えもまた別物と言える。

レイの関心は今のところシンジをポカポカさせる事のみに向けられていたし、カヲルの関心はもっぱらシンジの性事情にのみ向けられていた。

彼は、いつシンジが童貞を卒業するかをある意味本人よりも気にして、そして密かに期待している。

「……君は、シンジ君とはもうしたのかい?」

この日、わずかばかりの切なさと背徳的な興奮とを込めてカヲルはレイに尋ねてみた。さながらそれは高く組み上げた積木の塔を一気に崩す時の様な、そんな倒錯的な快感に似ていた。

「……した?」

「そう。シンジ君とはもう……寝たのかい?」

「いいえ……。寝ていないわ」

カヲルは性行為について尋ね、レイは睡眠について答えた。

「そうか……まだなんだね」

カヲルが少し残念そうに言う。

「ええ。そうね」

レイはよくわからないまま答えた。

そして、ふと前にシンジから聞いた話を思い出した。

「そういえば……最近、碇君は弐号機パイロットと一緒に寝る事が多いみたい」

「それは本当かい!?」

カヲルが食いついた。

「ええ。時々、葛城一佐も一緒に寝ているらしいわ」

「3P!?」

カヲルは勃起した。

「手錠をいつもはめられるって」

「拘束プレイ!?」

カヲルは更に激しく勃起した。

それが合図の様に、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴った。


おかげでカヲルは午後の授業を無意味に悶々と過ごす羽目となったが、レイには全く悪気はなかった。

全ての授業が終わった後。

カヲルはようやく事の真相を知らされ、その時、彼はあからさまに落胆した。

レイは興味がなかったので、気にしなかった。

教室では、クラスメイト達がそれぞれ帰宅の途につこうとしている。

もっとも、今日はシンクロテストがあるので、シンジ達はネルフへと赴かねばならなかったが。

アスカがふと思い出した様にシンジに尋ねた。

「そういえば、シンジ。もう着ぐるみ乾いたんじゃないの?」

シンジは軽くうなずいた。

「うん。多分……。取りに行ってくるよ」

シンジは気の進まない様子でとぼとぼと屋上に向かって歩き出した。屋上での股間の一件を思い出して憂鬱な気分になったのである。

しかし、それを見て、アスカは別の勘違いを起こした。

「何よ、その態度は。アタシが作った着ぐるみを着るのがそんなに嫌なの? 嫌なら嫌ではっきり言いなさいよ」

別にアスカはシンジを責め立てている訳ではなかった。単純に、シンジが着ぐるみを着るのが嫌かどうかを確認したかっただけである。それがこういう言い方になってしまうのは、彼女のその損な性格のせいだろう。

「違うよ、アスカ。そういう訳じゃないよ」とシンジは慌てた様に返す。

「じゃあどういう訳よ。はっきり言いなさいよ」

「弐号機の人、やめて」

不意にレイが間に割って入った。

彼女もまた別の勘違いを起こしていた。

シンジが着ぐるみを無理矢理着せられているのだと思ったのである。

取り残された、シンジ、アスカ、マリ、カヲルの四人が揃ってネルフまで行くと、レイは既にエヴァの前でプラグスーツに猫の頭という出で立ちで待機していた。

アスカは対抗して、プラグスーツの上から更に猫の着ぐるみを着て現れ、二人とも揃ってリツコから注意された。

「あなた達、一体何を考えてるの? その着ぐるみは何?」

「猫です」

レイが答えた。

「アタシが作ったの」

と、アスカが補足する。

リツコは額に手を当てて深い溜め息をついた。

「そういう意味じゃなく、どうしてそれを着ているのかと尋ねているの」

「…………」
「…………」


二人は答えられなかった。

実際、何でこんな格好をしているのかは二人にもよくわからない。

「もういいわ。とにかく脱ぎなさい」

「は、はい!//」

シンジが喜んでプラグスーツを脱ぎかけたので、マヤが慌ててそれを止めた。アスカが小さく舌打ちし、レイはマヤを軽く睨み、カヲルはあからさまにため息をついた。

マヤは常識のある行動をしたわ、とリツコが擁護したが、三人は不服そうだった。

こうしてドタバタの内に始まったシンクロテストだったが、意外とごく落ち着いた感じで進められ、そしてごく普通に終わった。リツコは納得した様に一つうなずき、全員にテストの終わりを告げた。

「みんな、御苦労様。特にシンジ君。あなたが今回もナンバーワンよ。よくやっているわ」

言葉の内容とは裏腹に、リツコの口調はかなり事務的なものだった。これを言っておかないと初号機が暴走するかもしれないので、仕方なく言っているだけの事である。

前述した通り、初号機はシンジより高いシンクロ率を許さない。

一度だけカヲルがシンクロ率100%を出した事があったが、その時にはシンジのシンクロ率は150%を記録し、危うくエヴァに取り込まれかけた。

その為、カヲルはリツコからひどく叱られる事となった。

「どうしてこんなに高いシンクロ率を出すの! 有り得ないわ! 空気を読みなさい!!」

これほど理不尽な怒られ方も珍しかっただろうが、カヲルはそれについて特に文句を言う訳でもなく、謝罪の言葉と共に深々と頭を下げた。

カヲル自身もシンジを危険な目にあわせかけたと反省していたからである。

カヲルからシンジへの愛は誰よりも深く重いが、その事をシンジは知らない。

「……シンジ君、今度こそ君だけは幸せにしてみせるよ」

エントリープラグの中で、カヲルは一人そっと呟く。

その姿は淋しげであったが、少し幸せそうでもあった。

さて、シンクロテストが終わり、レイが着替えを終えて更衣室から出ると、廊下で待っていたのかすぐさまシンジが声をかけた。

「綾波。その……」

「……何?」

「えと……綾波ってさ。確か……一人暮らしだったよね?」

「ええ」

「うん……」

これは質問ではなく確認だった。そして、その後をシンジはなかなか続けようとしない。

「……碇君、何?」

しばらく経ってからレイが改めて尋ねた。その間、ずっと言いにくそうにしていたシンジだが、更衣室からアスカとマリが出てきそうな雰囲気を感じ取ったのか、緊張した面持ちで口を開いた。

「あの……今度遊びに行ってもいいかなって、そう思って……。それが聞きたくて……。だから……」

「……碇君が、私の家に?」

「うん……」

自信なさげに、小さく頷くシンジ。

「あ、嫌ならいいんだ。ちょっと聞いてみたかっただけだし、別に無理する必要もないから。だから、その……」

「いいわ。……来て」

「え?」

「来て……。そう言ったの」

「あ、あの、本当にいいの、綾波?」

「ええ」

そう言った後、レイは思い出したかの様に訂正した。

「来なさい、童貞野郎」

「はい!///」

シンジにとっての春が到来した。

シンジにとっての春はもちろんレイにとっての春でもあり、二人は自転車の空気入れでシュコシュコと勢いよく風船を膨らませるかの如く、期待と夢を大きく膨らませ、特にシンジは股間も膨らませていた。

「えと……じゃあ、あの……近い内に行くから……//」

「ええ」コクッ

「あの、綾波……。えっと、その……// ……ムチとかローソクとかも持っていってもいい……?//」ドキドキ

何でシンジがそんな物を持ってきたがるのかよくわからなかったが、特に断る理由もなかったので、レイは「ええ」とあっさり承諾した。

シンジは歓喜して勃起した。


そんな二人のやり取りは、実はアスカ、マリ、カヲルの三名ともに盗み聞きされていた。

この三人は更衣室のドアにぴったりと耳をくっつけたまま事の成り行きをさっきからずっとうかがっていた。


「姫ー」ヒソヒソ

「な、何よ」ヒソヒソ

「これは、ちょっとヤバイんじゃあないのお?」ヒソヒソ

ニヤニヤしながらマリが尋ねた。

「そんな訳ないでしょ」とアスカは答えたが、顔はそうは言っておらず、不安を隠しきれていない。

「ワンコ君、取られちゃうよ?」ヒソヒソ

「べ、別にシンジがエコヒイキとくっつこうが、アタシには関係ないじゃない」ヒソヒソ

「へえ……」

マリは一つ頷いただけで、あえてそれ以上は何も言わなかった。これ以上言うと、逆効果になりそうな予感がしたのである。


一方、カヲルは男子更衣室の中で一人、とても興奮していた。

「嗚呼、遂にこの時が来てしまったんだね……!」

カヲルは熱い吐息を吐きながら、切なそうな、嬉しそうな声を出す。

一方その頃、ネルフの発令所ではミサトと青葉が少し真剣な議論を交わしていた。

内容はネルフの情報操作、情報規制の件であり、ここで二人の意見は真っ二つに分かれた。

「僕はやっぱりある程度は開示しなきゃ駄目だと思うんですよ。使徒っていうのは、どこからでも来ますからね。実際、報道されていないだけで目撃してる人はこれまで何千人とか何万人とか何十万人とか、そんな単位でいるはずなんですから。一から十までとは言いませんが、もうある程度の情報は出してしまった方が、ネルフにとっても都合がいいと思うんですよ」

「あー、うん……。青葉君の言いたい事はわかるわー。でもさ、ちょっち考えてみてよ。使徒とかいう化物がー、って話をしただけで眉に唾をつける人は大勢いると思うし、それに対抗する為に人造人間……まあ、一般的な言い方をするならロボットよね? リツコ辺りはそう言うと怒るかもしんないけど、でもやっぱ普通の人から見たらエバーってロボット以外の何物でもないでしょ? それを使って倒してます、なんて言ったら、それこそ非難轟々だと思うのよ、私は。逆に不安と不信を煽るだけにしかならないと思うのよね」

「まあ、確かにそういう部分もあるとは思いますけど、でもーー」

元はと言えば、「まーたお酒が値上がりしたのよー」という、ミサトのごく何気ない世間話から始まったのだが、そこから物価の話になり、経済の話になり、現在のかんばしくない政治状況の話になり、ネルフの予算の話になり、壊された迎撃都市の修復状況の話になり、使徒の話になり、そして今の話になった。つまるところ、始まりはごく些細なものであったのだが、しかし一度白熱してしまった議論は議論であり、二人はお互いに自分の意見を翻す様な真似を良しとはしなかったし、きちんと決着をつける気にあふれていた。

「ですから、何だかんだで見通しが甘いと思うんですよね。やっぱり隠していても仕方がないですし、既にある程度はバレている事なんですから、もう今の内にこちらからーー」

不意にミサトの携帯が鳴った。

「っと……ちょっちゴメンね。少し席を外すわ。多分、大した用件じゃないだろうから、すぐに片付くとは思うけど」

不意の電話に少し気勢を削がれた感はあったが、とはいえ、このまま曖昧に終わらせる気は二人にはなかった。

「ええ、わかりました。それなら僕も少しトイレに行ってきますので、またそれから」

「そうね。そうして」

そう言うとミサトは携帯電話の通話ボタンを押し、青葉は席を立ってゆっくりと発令所から出ていった。

それから数分が経っただろうか。

ほどなくしてミサトの電話は終わったが、青葉はまだ戻って来なかった。

代わりにマヤが発令所に姿を現したので、ミサトが軽く声をかけた。

「お疲れ、マヤ。シンクロテストはもう終わったの?」

「はい。今回は早かったですね。いつもこうだと助かるんですけど、そうもいきませんから。あ、結果はすぐに必要ですか?」

「ううん。後でいいわー。データだけ送っておいて。それよりリツコは? 一緒じゃなかったの?」

「はい。先輩はちょっと用事があるとかで……。すぐに来るとは言っていましたけど」

「ふーん……」

そんな話をしていたら、ようやく青葉がトイレから戻ってきた。

「今、戻りました。それで葛城さん。さっきの話の続きなんですけど、僕が思うにですね……」

「…………」
「…………」

二人は思わず言葉を失った。戻ってきた青葉がツルツルの坊主頭になっていたからである。

つづく

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2016年04月08日 (金) 02:01:02   ID: wxV5wWrB

文才ある

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