苗木「穴に落ちたら別世界?」舞園「たぶん違うと思います」 (849)

はじめましての人ははじめまして、そうでない人はお世話様です。

このスレはグダグダと日常だか非日常だか分からない話が繰り広げられるSSです。

以下、このSSの注意事項
※苗木→←舞園の微カップリング要素あり(もしかしたら、霧苗舞な部分もあるかも)
※他のSSにも時間をかけてるため、そちらが終わるまで超亀進行。もはや、カタツムリレベル
※オチが決まっていない見切り発車(死んだりしない限り投げだしはしないけど、オチが微妙だった……的な可能性高し)

それで良かったら、↓へと進んでください。

なお、このスレの1は雑談や展開予想などは一切気にしないので、ざわざわしたい人はざわざわして大丈夫です。
なに……むしろ寂しくなくて良い…………。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1384442471

 それはある日のことだ。
 春休みが明け、苗木誠は実家から直接希望ヶ峰学園へと向かっていた。
 しかし、靴ひもが解けたり、電車が止まったりするなど、数々のトラブルが苗木を襲った。
 そのため、苗木は遅刻しそうになりながら、必死に希望ヶ峰学園へと走るはめになっている。

「なんで新学期早々こんなにことに……!」

 1時間以上余裕をもって、家を出たはずだったのだが、今では間に合うか間に合わないかの瀬戸際だ。

「こんなことなら、着替えとかはあらかじめ宅配便で送っておけばよかった……」

 ローラーの壊れたキャリーバックを半ば背負うようにして、苗木は走っていた。
 いっそ間に合わないことが確定してしまえば、楽になれるのだが……残念ながら頑張れば間に合うかもしれない微妙な時間である。
 不真面目な学生ならば、さっさと諦めていただろう。
 しかし、残念ながら苗木は真面目ではないが、不真面目でもなかった。
 それどころが、可能そうならば頑張ってしまう程度には前向きだったため、無駄に一生懸命走っていた。

「はぁはぁ。あそこに公園がある。そこで水でも一回飲もう…………」

 そして、フラフラとその公園に入ってしまった。

「って……あれ? こんな公園あったっけ?」

 遊園地の一部分を切り取ったように様々な遊具があり、カラフルだった。
 一度見れば、まず忘れない。
 それなのに、苗木は覚えていなかった。

「なんか……まずい。って、うわぁ……」

 ふと苗木は足を滑らせた。
 穴などなかったはずなのに、苗木は足を滑らせた。

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 そして、そのまま落ちて行った。

◇◇◇
「苗木君……苗木君…………起きてください。苗木君」

 聞き覚えのある声がした。
 よくテレビなどで聞く声だ。
 この半年くらいの間は身近でよく聞いた声。

「う、うーん」

「あ、良かったぁ。みなさん、起きましたよ!」

 騒ぐ声も聞こえ始めた。
 苗木が目覚めたことを喜ぶ声だ。

「まったくみんなに心配かけるなんて、苗木君の癖に生意気ね」

「意外と取り乱していた御仁が言うと説得力が違いますなぁ」

「まぁ、けど本当に良かったよ! 苗木が無事で!」

「そうだな! 苗木っちの内臓に大事はなさそうで良かったべ」

「オメー。マジでクズな事しか言わねぇな。いっそ尊敬……するわけねーだろ!」

「ノリツッコミご苦労様ですわね」

「良かったよぉ……。新学期早々ひとりお休みなんて、悲しいもんねぇ」

「うむ皆勤賞にははじめの一歩が大切だからな!」

「そういう問題じゃなくね? マジ意味分かんない。
 はー、けど絶望的な展開じゃなくて良かったんじゃない? あたしはつまらないけど」

「じゅ、盾子ちゃん……。そんなこと言ったら……」

「チッ……。マジでオープンになっただけで、こいつは何も変わんねーのな」

「持って生まれた性(さが)は中々変えることもできないであろう。……難儀なものだ」

「な、難儀っていうか、頭おかしいだけでしょ……」

「江ノ島の頭に付けたリミッターは現在も改良中だ。
 超高校級の神経学者やセラピストといった者たちが総出で研究中だ。いずれ、どうにかなるだろう。
 そんなことよりも、今は苗木だ。何故、あんな場所で倒れていた?」

 ここは保健室のようだ。
 白い天井や壁、それとほのかに漂う薬品の香りに身に覚えがあった。

「うゆぅ……み、みなさん、保健室ではお静かに……」

 慌てている保健委員にも見覚えがある。
 体育の時間などで何度か保健室送りになったことがある苗木はその顔を覚えていた。
 その保健委員は超高校級の保健委員だという話で、起きた時にはすべての処置が終わっているというのもざらだった。
 医療に関しては並みの医者以上であり、信頼のおける人物だ。
 そんな彼女が慌てるだけで、新しく処置を始めないということは、おそらく自分の身体に大事はないのだろうと苗木は結論付ける。

「あ、すみません……。もう大丈夫そうなので……」

 苗木は起き上がった。

「痛みはありませんか……」

「はい大丈夫です」

「痛みがあったらいつでも来てくださいねぇ」

「はい、そのときはよろしくお願いします」

 苗木は立ち上がり、クラスメイトたちと一緒に退室した。
 教室へと向かいながら、ここまでの状況を話す。

「苗木君は空き地で倒れていたそうですよ……。何があったんですか?」

 舞園がそう切り出した。
 それに補足するようにして、大和田が語りだす。

「喉かわいて、ちょっと寄り道したら、オメーが倒れてやがってよ。
 しゃーねぇから、後ろにしばりつけて、ここまで運んできてやったんだ。感謝しろよな」

「し、縛り付けて……」

 荷物のように運ばれた自分の姿を想像して、微妙な顔をする苗木。

「その様子だと……何も覚えていないようね?」

「う、うん……」

 霧切が口元に手を当てて考え込む。
 しかし、さすがに情報が少なすぎたのか……答えは出ないようだ。
 そこで苗木の方から話を振った。

「えっと……あそこに公園があった気がしたんだけど?」

「え……公園ですか? そんなものありましたっけ?」

 苗木の言葉に舞園が疑問を呈した。
 その疑問に他の者達も続く。

「なかったと思うよぉ」

「聞いたことありませんわね」

「僕も存じませんな」

「寝ぼけてたんじゃね?」

「そ、そうかな…………」

 皆に否定されて、苗木も自信がなくなった。

「苗木も疲れておるのだろう」

「記憶が混乱してるって訳ね……。苗木も松田君に見てもらった方がいいんじゃない? あたしが紹介してあげよっか?」

「そ、そこまで大変なことなのかな……?」

「くだらん……。所詮は苗木が倒れた程度の話だ。他の超高校級を呼ぶほどのこともないだろう」

「あ、ある意味いつものことですもんね……。白夜様の言うとおり、このままで大丈夫じゃない?」

「よし、大丈夫か。占ってやるべ。うむむ……よし! 苗木っちに異常はないべ。このまま過ごしても平気だべ」

「つまり、3割の確率で大丈夫ということだな!」

「ねー、それって占いやる前より怖くない? 私の気のせいかな?」

 とりあえず、自分の見た公園は存在しないようだと苗木は納得した。

「夢……だったのかな……?」

 苗木はひとまずそう自分を納得させた。


◇◇◇

 希望ヶ峰学園の本科は普通の高校とは違い、その科目が必修科目、個人必修科目、選択科目に分かれている。
 しかも、1週間の間にコマが割り振られるのではなく、個々人に合わせて作られる。

 必修科目は普通の高校でもあるような科目および卒業後のコネ作りに繋がる科目である。
 コネ作りというのは、単純に希望ヶ峰学園のOBを呼び寄せたうえでの講演であることもあるし、
 コネを作ったあとにそれに振り回されないようにする心得を説くようなものもある。
 十神などはこの科目が必要がないと言っていたが、大多数の人間がコネなど持ったことがないので、そのまま必修であり続けている。
 他にも、クラス全員で行事に参加したり、騒いだりする時間もこの必修科目に制度上は含まれるらしい。

 個人必修科目というのは、主に学園側の研究に協力する科目群である。
 桑田なら全身にセンサーを付けたうえでピッチング練習をするなど……個々人が才能の研究・開発に取り組む。
 これさえ履修していれば、何か失敗しても学園側がお目こぼしで卒業させてくれるという説もあるくらい重要な科目群である。
 もちろん本当かどうかは分からず、桑田をはじめとした何人かの生徒は一緒に卒業できるのだろうか? と周りから疑問に思われている。

 選択科目というのは、自由に取れる科目群である。
 美術や音楽といった教養に寄ったものから、理学・工学といった実利的なものまで多数ある。
 現代文化論や古典文学論なども存在している(ただし、その分野の超高校級はわざわざ履修しないことも多い)。
 各分野の著名人が講義を行うため、予備学科からの参加希望者も多く、今学期からは人数に制限こそあるものの履修が可能となった。
 前学期までは予備学科生の受講は認められなかっていなかったのだが、希望ヶ峰学園評議委員会のメンバーが一斉に退陣し、
 運営方針に多少の修正が加わったらしい(なお、このとき江ノ島盾子は高笑いを上げていた)。
 そのため、今学期からは履修前に試験を受け、その結果が良ければ、講義を受けることができる。
 もちろん、それでも講義のスケジュールは本科生の都合が優先されるなど、予備学科が不満に思うものは残っているようだが、
 本科生と予備学科の交流が少しずつ活発になり、双方に良い影響を与えていくことが期待されている。
 近い将来には、予備学科から超高校級が生まれる可能性もあるようだ。



(こんなに複雑な制度なのに、全員が集まれる日がこんなに多いなんて……奇跡だよな)

 教室にて、苗木は必修科目……というよりも新学期のガイダンスを聞きながら、そんなことを思った。
 78期生は全員が一緒に授業を受ける日が過去の本科生たちよりも比較的多いらしい。
 理由は2つある。
 ひとつはスケジューリングを行う側が優秀であること。
 もうひとつは、苗木達自身の希望があったからだ。

 苗木達の受ける科目のスケジューリングは、本科生の予定などを聞きながら、電車のダイアグラムもかくやというほど緻密かつ動的に組まれている。
 そのため、多少無茶な希望でも通るのだ。
 それに加えて、苗木達自身が予定を合わせている(口では合わせていないと言っている者もいるが)ため、平均して2日に1回は全員が揃う時間がある。
 特に新学期が開始してからの最初の1週間は、ほぼ毎日全員が一緒に授業を受けることとなっていた。

(久しぶりに見ても、やっぱりすごいよね。この顔触れは……)

 アイドル、野球選手、探偵、御曹司、スイマー、風紀委員、文学少女、暴走族、格闘家、同人作家、ギャンブラー、占い師、ギャル、プログラマー、軍人……。
 本来なら、平凡を自負する苗木にとって、雲の上の存在といってもおかしくはない。

(けど、話してみると意外と普通の高校生っぽいところがあるんだよなぁ……。今だって……)

 苗木の視線の先ではすでに寝かかっている桑田や興味なさそうに本を読んでいる十神がいた。
 前者は興味がないため、後者はもう完全に理解しているため、という違いこそあるが、一般的な高校生もやりがちなことである。

(十神クンが聞いたら……怒るだろうけど…………)

 苗木はボーっとその様子を見ていた。
 朝のことが気になって、いまいち話されている内容に集中できなかったのだ。

(……ん?)

 すると背中をちょんちょんと叩かれる。
 後ろをわずかに見ると、舞園が紙を渡してきた。

「体調はどうですか?」

 紙にはそう書かれていた。
 気をつかってくれているのだろう。
 苗木も紙に返事を書いて、後ろに回した。

「大丈夫そう。ところで、舞園さんはこの休みの間どうだった?」

 しばらく2人でやり取りをする。

「この時期は番組が切り替わる時期ですから、その準備に少し忙しかったですね。
 けど、撮り溜めておける分は撮ってしまいましたし、あとは何回か生放送に出るだけです。
 だから、この1週間は毎日来ますし、時間的ゆとりもありますよ(←すごい重要です!)」

「それは良かったよ。久しぶりに、放課後一緒に遊びに行けるね」

「はい♪」

◆◆◆

 しかし、そのやり取りをしているうちに、苗木は急に眠たくなった。

(……え? あれ? どういうこと?)

 あまりにも唐突だった。
 苗木の目の前がゆがむ。
 そして、気が付いたら、真っ暗な世界にいた。

(……落ちてる?)

 苗木は頭から落下していた。
 空気の渦の中を下へ下へと突き進んでいた。
 しかし、不思議と危機感が沸かない。
 このままだと、いずれ地面に叩きつけられるというのに、苗木は慌てることがなかった。
 実感がなかったのだ。
 まるで夢の中にいるような感覚だったのである。
 そして、実際に現実では起こりえないことが起きた。

(……何?)

 何の前触れもなく、苗木の落下速度が下がっていく。
 苗木はゆっくりと見えない床に着地した。
 羽毛ベッドのように床は柔らかく、苗木の身体に痛みはない。
 周囲には16個の扉があった。
 右に7個、左に7個、真正面に1つ。真後ろに1つだ。
 真円を描くようにして、扉は並んでいた。

(……ボクの後ろにも扉があるな。さっきまではなかったのに。しかもひとつだけ点滅してるし)

 苗木の後ろにある扉だけが光ったり暗くなったりを繰り返している。
 他の扉にはそのようなことはなかった。

(いや……ひとつだけ様子が違うものがあるな)

 ぼんやりと光り続ける扉があった。
 苗木の位置からわ反時計回りに3つ目の扉だ。
 その扉だけは、まるで誰かを待つように明るいオレンジ色の光を放っている。

(他に手がかりもなさそうだし……)

 苗木はゆっくりと近づき、その扉のノブに手をかけた。
 そして、開く。

◆◆◆

「なんだ……ここ…………」

 おとぎ話の世界というのが一番近かった。

「けど、メルヘンだとしてもおかしいような……」

 ただし、それはあくまでも雰囲気だけだ。
 生活感のない街並みに遠近感がおかしくなりそうな巨大な建造物。
 それだけ見ると、異世界に紛れ込んだような気になる。

 しかし、メルヘンというよりもシュールという方が苗木の感想としては近かった。
 街灯の代わりに巨大なバットがいくつも立ち並び、町のあちこちで老若男女が一心不乱にキャッチボールをしている。
 ランニングをする者もいれば、投球練習をする者もいる。
 一列になって、バットで素振りをする集団もいた。
 おおまかな街並み自体は現代日本――しかもオシャレな店が立ち並ぶ若者の街といった感じ――を思わせるものであり、
 そのシュールさは極まっている。
 テラスのある喫茶店で、何人かの男女がコーヒーや紅茶の代わりにスポーツ飲料を飲んでいた。
 まるで野球を中心に文明が発達したら、こんな感じになるのではないか? と思わせるような具合だ。

「なんじゃこりゃーーーー!?」

 そのシュールさに苗木以外の者も驚く。

「……って、桑田クン!?」

「な、苗木じゃねーか!?」

「どうしてこんなところに……って、そもそもここはどこ!?」

「オレが知るわけねーじゃん!?」

「野球なら桑田クンの方が詳しいよね!?」

「……だからって、こんな場所知ってると思うか?」

「…………そうだね。ごめん」

「「………………」」

 思わず沈黙した2人は、もう一度街並みを見た。
 野球尽くしの街が広がっている。

 いや、街だけではない。

 遥か遠くにはスカイツリーもかくやというほどの巨大なビル群が見えるのだが、それらもよく見れば、
 社名代わりに野球ボールやグローブのマークが描かれている。

「おい……雲まで野球だぞ」

 空には、グローブ型の雲やボール型の雲が浮かんでいた。
 もはや野球に関するものを見ない方が難しいだろう。

 苗木はひとまず周りを見るのを止めた。

「く、桑田クンはどうしてここに?」

「なんか気づいたら、暗い穴の中を落ちてた……」

「そ、そう……ボクと同じだね」

「マ、マジか……オメーもか…………ってことは、お前も帰り方は分かんねえわけだな」

「う、うん……」

「「………………」」

「そうだ! 一回戻ってみようか? あのいっぱい扉があった部屋に!」

「扉?」

「え……、桑田クンは扉を使わなかったの?」

「気づいたら、ここにいたわー」

「そ、そう……。えっと、扉っていうのはね……。こっちにある……って、あれ? なくなってる!?」

「はぁ……」

 苗木がくぐった扉はすでになくなっていた。

「本当にここは一体……」

 混乱する苗木。
 もはや夢の中であることを疑っていた。



「そうでちゅ! ここは夢でちゅ! 夢の世界でちゅ!」




 すると舌足らずな高い声が響いた。

「う、ウサギ?」

 桑田の驚く。
 彼は2つの意味で驚いてた。
 ひとつはそのウサギが急に現れたこと。
 もうひとつは……。

「大きいね……」

 そのウサギがアニメに出てくる魔法使いのような恰好をして、人の言葉を話していることである。

◆◆◆

「あちしはウサミ……魔法少女ミラクル★ウサミ。ちょっぴりスイートなミルキーッ娘でちゅ」

「お、おう……」

 フリル付きのピンクのスカート姿にステッキを携えた二足歩行のデフォルメされたウサギ。
 普通ならあり得ない。
 桑田が思わず呻いてしまうのも無理はない。

「えっと……キミは?」

「あちしは魔法の国から来まちた! 二人の味方でちゅ! あちしに任せておけばここから安全に出られまちゅ」

「どういうことだよ、おい!?」

「驚かせちゃった? ごめんなさいでちゅ。けど、まずは話を聞いてほしいでちゅ!」

 すると、そのウサミと言うウサギは語り始めた。

「この世界は誰かの夢の中でちゅ……。
 普通この中に迷い込むなんてことはありえないのでちゅが、
 何かの拍子で運が悪いと迷い込む人がいるのでちゅ」

「運が悪いって……」

「く、桑田クン。そこでボクのことを見るのはやめてくれる!?」

「しかし、大丈夫でちゅ。あちしのお仕事は夢の中の迷子を保護すること!
 この世界の夢を見ている人が起きるまで、二人を守ってあげまちゅ」

「マジか……。てか……ここってなんかやばいものあんの?」

「たまに人間が見てはいけないものがありまちゅ。
 人の夢の中って意外とグロテスクなものが出てくることが多くて困っちゃうんでちゅ
 この夢の中は少ないみたいでちゅが……」

「そもそも……ここって本当に夢の中なの?」

「うーむ。信じてないでちゅね。よろちい! 今、魔法を見せてあげるでちゅ!」

 そういうと、ウサミはステッキを振る。
 すると、 ウノミの身体が大きくなっていく。
 どこまでも……。

「やべええええええええええええええええええええええ」

「えええええぇぇぇえぇぇぇぇぇぇぇえぇっぇぇぇぇぇ?」

 雲を突き抜けるほど大きく、その背は高くなり、肩幅もそれに応じて段々と広がっていく。
 影が街を覆っていく。

「いや! もういいから! ノーセンキュー! マジで!」

 まだまだ大きくなるウサミに対して、桑田が叫んだ。

「も~う~信~じ~て~く~れ~ま~ち~た~か~?」

 遥か上空から声が響いた。
 苗木は思わずつぶやいた。

「なんだ……これ…………?」

 しゅるしゅると元のサイズに戻ったウサミは話を続けた。

「ということで、あちしは魔法使いで、ここは誰かの夢の国でちゅ。
 基本的に、この誰かが夢を見終えれば、迷い込んだ人も帰れるので安心してよいでちゅ。
 万が一に備えて、あちしがいるので、むしろ……ミナサンは滅多にないこの機会を楽しむのが良いでちゅよ」

 ウサミは笑顔のままそう言うと、呪文のように「らーぶ! らーぶ!」と唱えた。
 その様子に苗木と桑田が毒気を抜かれる。

「なんかよく信じられないけど……そう言うなら、守ってもらおうか」

「そうだな……。まぁ、そのうち出られるならそでいいや。
 はぁ……教室で寝てただけなのに、どうしてこうなった。ありえねー」


 桑田はため息を吐くと、さらに続けて言った。

「それにしても、誰だよ。こんな野球ばっかの夢見やがって……。
 オレをマインドコントロールするつもりかよ……」

「く、桑田クンの夢じゃないの!?」

「オレ!? オレ、今ここにいんじゃん!?」

「そ、そういうオチだって思ってたよ……」

「はぁ……?」

 桑田が心外だとでもいうように叫ぶ。

「そりゃ、最近野球も思ったよりいいかなって思ってっけどよ……。
 ここまで野球が好きなわけじゃねーよ」

 しかし、ウサミが桑田にとって不吉なことをしゃべり始めた。

「ここにいいるからと言って、ここが桑田君の夢じゃないとは限りまちぇんよ」

「は?」

「明晰夢というものがありまちて、夢を夢だと自覚したまま見る事があるのでちゅ。
 つまり、この世界を夢だと自覚したまま、現実での自我を保つことも多々ありえるのでちゅ」

「お……おいおい。そんなアホなことが……」

「ここまで明確に夢と現実の自分を分けていることは珍しいでちゅが……あり得ない事ではないでちゅね」

「ありえねー。ありえねーって……」

 桑田は叫んだ。

「こんな夢、オレぜってー見てねぇからああああああ!!」

 しかし、現実は無常であった。




『ミュージシャンだ! ミュージシャンの国の奴らがせめてきたぞおおおおおおおおおおおお!』



 非常用ボタンが押されたかのように、サイレンが鳴り始めた。
 遠くから騒音のような音楽が鳴り響き、大勢の人間が近づいてくる。

 彼らはパンクファッションに身を包み、ギターやギターケースなどを担いでいた。



『うおらあああああああああああああああああ。殺せえええええええええええええええええええええええええ
 野球の国の奴らをぶちころせええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!』

『やられてたまるかああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
 バットだ! バットもってこい! うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』



「せ、戦争……?」

「なんかすごいでちゅね。けど、安心してほしいでちゅ! 苗木君と桑田君に危害は絶対に加えさせまちぇん!」

「い、いや、ボクはいいんだけど……」

「え? でちゅ?」

「アホアホアホアホアホ………………」


 桑田はこれから起こる出来事を予想してしまった。

 すでに嫌な予感がしていた。



 ――これは絶対に恥ずかしい思いをすると。

今日はおしまいです

ある意味、78期生の夢の中を覗いて辱めるだけのSSですね
まぁ、そんなんでよければ今後もおつきあい下さい。

午前中に書き溜めた分を投下します


◆◆◆

『野球なんてだせえんだよ! さっさと止めやがれ! このバカアホウンコタレ!』

『野球がだせえのは認めてやんよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』

『認めんのかよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?』

『けど、止めるわけにはいかねえんだよおおおおおおおおおおおおおおおおおお!』

『うわあああ。来んな! アホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホ!』

『アホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホ』

『アホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホアホ』


 野球の国とミュージシャン(パンク)の国の戦いは熾烈を極めている。
 どこから湧いてくるのか分からないが、次から次へと兵隊たちが出てきては戦列に加わった。
 そして、次から次へと散っていく。
 ドカンドカンと緊張感のない音を立てて、やられた者は光の粒子になって消えていく。

「リアリティの欠片もない夢でちゅね。ここまでないのも珍しいでちゅ」

「……野球の方はユニフォームを着て、パンクの方は普段の桑田クンみたいな恰好してるね」

「だけど、どっちも似たような喋り方でちゅね」

「う、うん……」

 苗木は思わず桑田――本人らしき者――を見た。
 
「オレの夢だって言うのかよ!?」

「いやだって……。ねぇ?」

「そうでちゅねぇ……」

「クソッ……。じゃあ、オレの夢だとしてよ。この後、どうなるわけ? オレはミュージシャンの方を応援していいわけ?」

「野球じゃないんでちゅか!?」

「んなわけねえだろ!!」

「ひぃぃ……でちゅ」

「や、やめなよ、桑田クン……」

「クソクソクソ――! さっさと覚めろよ、このヤロー!」

「叩くなら自分の頭を叩いてよ!」

 桑田がもだえている。
 そして、桑田は叫んだ。

「オレ、ミュージシャンに加勢してくる!」

「ちょ、桑田クン!?

「だ、だめでちゅ……。近づいたら危ないでちゅ!」

「うるせえええええええええええええええええええええええ」

 桑田は近くに落ちていたボールを拾い、野球軍の先頭に向かって全力で投球した。

 光の線を空中に描きながら、ボールは相手の顔を撃ち抜く。

 そして、爆発した。

「れ、レーサービーム……?」

 苗木は思わず呟いた。
 しかし、そんな苗木の呟く声に耳を貸さず、桑田は次から次へとボールを投げた。

「じゃあ、近づかなければいいんだろおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 桑田がボールを投げるたびに爆発が起きる。
 光と熱が辺りを焦がし、風が建造物をなぎ倒す。



「うおっしゃああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 野球軍が吹き飛んでいく様子を見て、桑田は歓喜の叫び声を上げた。
 目を血走らせながら、野球の痕跡を消している。
 そして、実際に消えていく様子を見て、さらに雄たけびを上げる。

「もう、これはだめでちゅ。苗木君はあちしと一緒に遠くから見守るでちゅ」

「う、うん……」

「ちなみに、観客として見守る場合は上演が終わったら、最後に拍手をするのがマナーでちゅ」

「そうなんだ……」

「ちなみに、これがパンフレットでちゅ! 魔法の国発行のレアものでちゅよ!」

「あ、ありがとう……」

 渡されたパンフレットにはあらすじ、設定、登場人物紹介、解説などが載っていた。
 しかし、目の前で起きている状況の方が遥かに気になる苗木は貰っただけで中身を見なかった。

「どれくらいで、この夢は終わるの?」

「現実で桑田君が誰かに起こされたなら、すぐ終わりまちゅ。
 だけど、そうじゃない場合は一区切りつくまででちゅね。
 一区切りがつくと、夢の持ち主が深い眠りにつく場合が多いので、その間なら楽に抜け出せまちゅ」

「えっと……、夢が一区切りつく平均時間ってどれくらい?」

「そのとき、そのときで違いまちゅ!」

(つまり、何も分からないってことか……?)

 苗木はため息を吐く。

(この際、桑田クンがさっさとこの戦争にケリを付けてくれないかな?)

 苗木はそう願った。

 すると、その期待に応えるようにして、桑田は野球ボール片手に無双を続ける。

「もう少しだぜえええええええええええええええええええええ」

『うわあああああああああああああああああああああああああ』

 野球の国の人数が勢いよく減っていく。

「よし、あと一球で…………」

 そして、両手で数えるほどにまで減った。

「決めてやる…………ッ!?」

 しかし、そこで桑田の手が止まった。
 その様子に気づいて、苗木もまた驚いた。




「え……ボク達?」


 野球の国に残された人数は8人。
 見覚えのある姿がそこにはあった。
 78期生の男子たちが野球のユニフォームを着て、ボロボロになっていた。

「桑田……。オメェ野球やりたかったんじゃねえのかよ。オメェはオレが認めた男なんだぜ」

「大和田紋土殿の言うとおりですな……。無機物へのツンデレとか時代を先取りしすぎですぞ。思わず、尊敬の念を隠せませんぞ」

「僕は野球やってるときの桑田君がかっこいいって思うなぁ。僕も桑田君みたいになりたいなぁ」

「そうだぞ! 桑田君! 健全な汗を流したまえ! 僕も君を見習うぞ!」

「完璧な俺でもお前の野球の才は買っている……。いや嫉妬していると言っても良い。お前こそ真の超高校級の完璧だ!」

「そうだよ、桑田クン……キミは本当にすごいんだ。野球さえやっていれば、舞園さんや霧切さんもキミにメロメロだよ」

「野球さえやれば、桑田っちは億万長者、ハーレム、不老不死……思いのままだべ。俺の占いは100割当たる!」

「野球やろうぜ、オレ! 野球は楽しいぜ!」

 何故か桑田と苗木までその中にいた。
 そして、皆が野球をやる桑田を絶賛していた。

「な、なんだ。これ……」

 動揺する桑田は後ずさりをする。

「って……ん?」

 すると、その背中が誰かに当たった。

「騙されてはダメよ。桑田君。ボーカルをやるあなたが一番カッコいいわよ……。抱いて!」

「そうだよー。スポーツもいいけど、音楽もいいよー! 抱いて!」

「うわ、マジで? マルコメくんに戻っちゃう? うわ絶望的! どうせ絶望するなら音楽の方がよくない!? 抱いて!」

「……盾子ちゃん。たとえ盾子ちゃんでも桑田君は渡さないよ。抱いて! あ……、スポーツ飲料もいいけどミネラルウォーターもいいよね」

「桑田よ……。野球選手としてのお主はすでに完成されておる。2つ目の道を進んでもよいだろう。抱くがよい!」

「お、音楽に歌詞なんか本当は認めないんだけど……、あ、あんたのだけは認めてあげてもいい……わよ。だ、抱いて!」

「桑田君の声は美声ですから、きっとミュージシャンになれますよ! 抱いてください!
 アイドルの私が保証します! ……あ、あと苗木君への感情は憧れだけでした……たぶん! 抱いてください!」

「抱いて……抱いて……抱いて……って馬鹿みたいですわね。……抱いて!」

 今度は女性陣が現れて黄色い声を上げ始めた。
 桑田はその声を聞いて、だらしなく表情を緩めた。

「やっぱ、オレ……ミュージシャンの才能もあるよな……へへ…………」

「ば、バカヤロー! 騙されるな、オレ! まずはこっちで野球をやるんだ!」

「ダメですよ! 桑田君は私とデュエットするんです!」

「うらぁ……女は黙ってろおおお! こっちは9人いなきゃチーム作れねえんだよおおおお! 桑田をもってくんじゃねええええ!」

「あらあら……。叫ぶだけしかできないなんて、野球をするような人は本当に野蛮ですわね……」

「セレスティア・ルーデンベルク殿ほどではございませんよ!」

「んだと……こらぁ! もう一片言ってみろ! このビチグソがああああああああああああ!」

「ひぃぃぃぃぃ。すみませんすみません……!」

 そして、男性陣と女性陣が戦い始めた。
 桑田を巡って……。
 桑田は満更どころがその状況にとっても喜んでいた。

「オレを巡って争うのはやめてくれよ! へへへへ…………」

 だらしなく笑っていた。



「「………………………」」



「「………………………」」



 苗木は思わず絶句する。
 ウサミも釣られて絶句する。

「ボク達が見てるってこと完全に忘れてるね……」

「そうでちゅね……」

「……ねぇ。この夢って、桑田クンは覚えてるの? 起きても、ボクに見られたって記憶は残る?」

「起きても覚えていられるかはその時々なんでちゅが……。この場合はたぶん覚えていまちゅね」

「そうなんだ……」

「そうでちゅ……」

「…………………」

「起きた後、あえて触れないというのもひとつの優しさでちゅよ……」

「……そうだね」



「「…………………………」」

投下終了です
見直したらすごいシュールな感じがします

今日はまだ書きますが、投下まではいかないかもしれません
日付超えるか超えないか辺りでまた報告します


◆◆◆


『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

 しばらくして、結論が出たようだった。

 桑田が野球のマウンドの上でマイクを使って喋り出す。
 まるで、マウンドをライブのステージに見立てているかのようだ。

「オレは両方やるぜ! 今は野球だが、現役を引退したらミュージシャンだ!」

「「「「「「「「うおおおおおおおおお。すげえええええええええええええええええ」」」」」」」」

「だから、今は待っててくれよ! かわいこちゃんたち!」

「「「「「「「「きゃああああああああ。流されない姿がかっこいいいいいいいいい」」」」」」」」

「応援 YOROSHIKUNA!」

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

「昼の千本ノックも! 夜の千本ノックもMATTEROYO!」

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

『桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田! 桑田!』

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお』

『きゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ』






「ねぇ、ウサミさん……?」

「なんでちゅか……苗木君。別にさん付けはいらないでちゅよ」

「そう、じゃあ。ウサミ……。これ、いつ終わるの?」

「もう結論出たみたいなんでちゅが……なぜか終わらないでちゅね……」

「もしかして、現役野球編、引退編、ミュージシャン編とか話が続くわけじゃないよね?」

「さすがに、そんなことはないと思いまちゅ……」

「今、桑田クンは夢だってこと覚えてるのかな?」

「絶対に忘れてると思いまちゅね」

「じゃあ、そろそろ教えにいった方がいいかな?」

「そうでちゅね。夢だと気付かせれば一気に起きるかもしれまちぇん」

「よし……。じゃあ、あぁ……けど、できれば近づきたくないな」

 愚痴をこぼしながらも、苗木は桑田へと近づいていく。


「桑田クン!」

 すると、その場にいた全員が苗木へと視線を向けた。

『苗木? 苗木はここにいるはずなのに?』

 皆が疑問に思う。

「えぇっと……、もうめんどくさそうだからいっか。
 ねぇ、最初からいた方の桑田クン! 野球もミュージシャンも目指すのはいいけど……ここがどこだか覚えてる!?」

 すると、桑田が笑いながら答えた。

「ここがどこかって? そりゃ、ここは夢だろ! …………夢? ハッ……!?」

 そして、何かに気づいたようだった。
 周囲の色彩がモノクロに変わる。
 先ほどまで騒いでいたギャラリーは一斉に押し黙る。

「オメー、は、ちょ、待てよ……。夢? 夢ってことは……? これ現実じゃねぇってことだよな?」

「うん」

「……オメーも夢だよな?」

「違うよ。ボクは現実みたいだよ」

「は……ははは…………」

「……あ、けど、もしかしたら、ボクは起きたら全部忘れてるかもしれないんだって」

「マジか? マジなのか!? 本当に信じていいんだよな!?」

「う、うん……大丈夫…………だよ」

 それは苗木なりの優しい嘘だった。

 苗木自身も顔を引きつかせながらの言葉であった。

 普通なら、気づかれるだろう下手くそなごまかしだった。

 しかし、桑田はその言葉を信じたいがゆえに信じた。

「よっしゃああああああああああああああああああああああ!
 いいな。苗木! もし覚えてたら、頭丸めてもらうかんな!
 絶対だからな! 万が一、覚えてても頭をその辺に打ち付けて記憶をリセットしろよな!
 マキシマムリセットだからな!? 分かったな! 分かったって言え!」

「う、うん」

「そ、そもそもいつもこんな夢見てるわけじゃねえからな。
 別にクラスの連中とかどうも思ってねェし。野球と音楽の道で迷ったりもしてねえから!
 たぶん配役とかにちょうどいいものがなかっただけだって。あと付き合いが長くて記憶に残ってた感じ!?
 マジ、この脚本頭ワルくねー!? デビル頭わるくねー!?」

「そ、そうだね。流石にクラスの男子とスポ根?をやったり、クラスの女子でハーレムをしたりなんか普段だったら考えないよね」

「だって、たぶん普段からオレをマインドコントロールする何かがあるんだって、夢もそんな無意識の産物だし。……な!?」

「だ、だね! 全部、無意識が悪いよ! こんなカオスな夢。普通だったら、人に見せないし、見られることないもん
 ここにボクが迷い込んだのが悪いし、迷い込ませたのが悪いし、桑田クンにそんなことを考えさせた色んな物が悪いよ!」

「だよなー。ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

「「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」」

「「ハハハハ………………………………………………………」」

「「…………………………………………………………………」」

「「…………………………………………………………………」」

 ふと、世界が崩れていく。
 桑田が夢から覚め始めているようだ。
 オチが付いたからか、それとも現実で目覚めつつあるのか……それは分からないが、どちらにせ一区切りがついたようだ。


「良かった。これで出られる……!」

 苗木は安堵の声を上げた。
 すると、それに合わせるようにして、ウサミが語り始めた。

「う~ん、今回はあちし、ほとんど役に立ちませんでちたね」

「いや、助かったよ。あの光景をひとりで見るのはちょっと……」

「ど、どういうことだ、苗木……。オメー本当にちゃんと忘れんだろうな!?」

「お別れでちね。短い時間でちたが、お元気で…………」

「うん。たぶん、ここでの出来事は忘れ……ると思うけど、たぶんウサミにはずっと感謝するよ」

「オメー、今、忘れないって言おうとしなかったか?」

「うん。けど、ほら実際は忘れちゃうみたいだから……」

「本当か?」

「本当だよね!? ウサミ!」

「そそそそそそそ、そうでちね。わわわわわ、忘れまちゅ!」

「うそくせええええええええええええええええええええええ」

 煉瓦かパネルで作られたかのように、世界に罅が入り、崩れていく。
 空にも地面にも穴が開く。

 すると、桑田が落ちて行った。

「って、おい。こら。まてやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」

 断末魔のような余韻を残しながら、桑田はこの世界の外へと消えて行った。




「えっと……。ボクもそのうち消えるのかな?」

「そうでちゅね。別に穴に落ちなくても大丈夫でちゅよ」

「それは良かったよ。なんか今日はしょっちゅう穴に落ちてたし……」

「そうなんでちゅか……? まぁ、なんにせよ、もうここには迷い込んじゃダメでちゅよ!」

「迷い込んで迷い込んじゃわけじゃ……」

「……それもそうでちゅね。けど、何事も気をつけるんでちゅ! 気を付けて損はないでちゅ!」

「そう……だね……」

 苗木は苦笑する。
 その苦笑に対して、ウサミは満面の笑みでお別れを言った。

「それじゃ、またね~さよなら~。ラーブラーブ! 苗木君の未来に幸あれ! ラーブラーブ! 苗木君も一緒にどうぞでちゅ!」

「うん? またね? ラーブラーブ?」

 バイバイみたいなものかな? と思いながら苗木はラーブラーブと呟き、手を振った。

「ラーブラーブ」

「ラーブラーブ」

 その別れの挨拶をしているうちに、苗木の意識は再び闇に包まれた。
 そして、一気に水の中を浮上するような感覚が苗木の身を包む。
 力を抜いて、水の圧力で上へ上へと押し上げられるように、苗木の精神は夢から現実へと戻っていった。


◇◇◇

「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 目の覚めた苗木がはじめに聞いた音はそんな桑田の叫び声だった。

「桑田っち!? そんなに休み時間が恋しかったべか!?」

 ちょうど休み時間になったようだ。

「ふわぁ……」

 苗木も頭を覚まして、目をこする。

「あ、起きましたね。急に眠っちゃうからびっくりしました。
 もしかしたら……保健室に連れて行った方がいいかなとも思ったんですが……」

「私が大丈夫って言ったの。パッと見て、普通の居眠りのようだったし
 朝から走ったり、気絶したりって色々あったみたいだから、疲れてるんじゃないかしら?」

 舞園と霧切が話しかけてくる。

「いや、そういうわ……」

 そういうわけじゃない……と苗木は言おうとして、もの凄い視線でこちらを見据えている桑田の気配に気づいた。
 夢を覚えているかどうかをうかがっているようだ。

「ううん。やっぱ……そうかも。夢も見なかったし。すごい熟睡してたみたいだよ」

 少し遠くの席で、桑田がホッと胸をなでおろす。
 そして、「よっしゃ! よっしゃ!」とガッツポーズを決めた。
 思わず、近くにいた何人かが心配そうに見ている。
 例えば、葉隠が「だ、大丈夫だべか? 胸でも苦しいんか?」と心配し、朝日奈が「ド、ドーナツでも食べる?」と気をつかっていた。
 だが、それでも気にせず、桑田は嬉しそうに叫んでいた。

「桑田君……どうしたんでしょう?」

「はははははは……なんか夢でも見てたんじゃない?」

「夢ね……?」

 霧切が思案深げな顔をする。
 そのため、苗木は慌てて語りだす。

「そうだ。ごめん。寝てたから何も聞いてなかったよ!
 何か重要そうなこと言ってた!?」

「えっと……ですね。さっきの時間言っていたことは……」

 舞園がひとつひとつ丁寧に教え始める。

「舞園さん……。今回は良いと思うけど、あまり甘やかさないほうがいいわよ」

「そうですね。今回だけにしておきます。うふふふ……」

 呆れたような顔をする霧切に対して、舞園ははにかんだ。

(良かった……。誤魔化せた……)

 苗木は桑田から矛先がずれたことを喜んだ。
 多少は変に思われたかもしれないが、今すぐどうこうということはないだろう。

 そして、安堵したことで、少し冷静になり……少し考えた。

(ハァ……。けどなんだったんだろう?)

 自分の身に起きた不思議な出来事に関して、苗木は少し考えたが……。

(まぁ……もうないだろうから、いっか…)

 結論が出そうになかったので、ひとまず保留した。

 もうないとは限らないというのに……。

(とりあえず、新学期頑張ろう!)

これで桑田編終了です
んでもって、今日はこれでおしまいです


そういえば、世の中リレーSSというものがあって、参加者を募集しているらしいです
現在、月曜日まで第三回のメンバーを募集しているようです。興味ある人は是非!

モノクマ「ダンガンロンパリレーSSだよ!」
モノクマ「ダンガンロンパリレーSSだよ!」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1382953053/)

私は第三回には参加しませんが、前に参加したとき、けっこうおもしろかったですよ


◇◇◇

「今日はこれで終わりだよ。お疲れ様。苗木くん、セレスくん」


 初日、最後の講義を苗木は受け終えた。
 個人必修科目。つまり、≪超高校級の幸運≫として研究に協力する時間だった。
 セレスが一緒にいるのは、講義の最中に≪運≫に関する実験を行ったからだ。

「疲れているのは苗木君だけのようですわ」

「ははは……。ひどいや、セレスさん」

「相変わらず、手厳しいな。君は」

 似たような才能を持つ者達は招集されて、同じ講義を受けさせられることがある。
 前学期も、時々、このような形で何度か一緒に講義を受けた。
 セレスだけではなく、ここにインスピレーション占いを引っさげた葉隠が加わることもあれば、77期の≪超高校級の幸運≫が加わることもあった。

 そして、その度にオカルト染みたゲームが行われる。

 負けても特に何もないが、ささやかな賞金や賞品が手に入る。
 だから、皆が本気でゲームに挑む。

 そして、その度に苗木はボコボコにされていた。

「けど、確かに苗木くんは本当に≪幸運≫なのか、時々、私ですら疑わしくなるよ」

 今回の講義を行った霧切仁もそうつぶやいた。
 ≪運≫も才能の内だということを持論にし半ば強引に≪幸運≫の枠を維持している霧切仁は、
 定期的に自ら苗木の講義を執り行うことがある。

「申し訳ないです……」

 苗木は頭を下げる。
 学園長直々の講義は面白いのだが、その面白さに反して苗木は一切結果を出せないでいた。

 もちろん、それは苗木の責任ではないし、それが原因で学園から放逐されるなどということはないのだが、
 申し訳ないものは申し訳なかった。

「いや、それでも話を聞く限り、君には何かしら≪運≫に関する才能があるとしか思えない。
 それが≪不運≫なのか≪悪運≫なのか、もっと別のものなのか……。それは分からないが」

 しかし、霧切仁は嬉しそうに笑う。

 学園側が用意したゲームに苗木は負け続けている。
 ゲーム自体には負けるが、帳尻を合わせるように、ゲーム外で幸運が訪れる77期生の≪幸運≫とは違い、
 ただ純粋に負けている。
 それ以外にも日常生活で細々とした不運が苗木を襲っている。

 しかし、仮に≪運≫の負の側面を体現した≪運≫であろうと、才能は才能……。
 霧切仁にとってとても興味深かった。

 仮に、苗木の才能が≪不運≫だとしても、彼自体はそれを実感していないことも良いと思っていた。
 不運であっても、不幸にまでは至らない。
 苗木自身の性格によるものなのか、それとも致命傷を負わないことに特化したような才能なのか、
 それとももっと別の何かか……。
 霧切仁は苗木の才能を解き明かしたいと思っていた。


「はぁ……」

 ただし、苗木の側はそれを呆れた顔で眺めていた。
 霧切響子からときに話を聞くが、ちょっと才能というものに肩入れしすぎなんじゃないかと、苗木はたまに思ってしまう。

(そもそも他の人が強すぎるだけだと思うんだけどな……。普通の高校生であるボクがギャンブラーのセレスさんや
 元々賭博とか好きそうな葉隠クンに勝てるはずがないよ……)

 しかし、苗木はあえてそれを言わなかった。
 仮に、才能がないと判断されたら、それはそれで困るからだ。
 78期生の皆と仲良くなった今、 希望ヶ峰学園から放逐されるのはまっぴらごめんだった。

 78期生の面々は、もし苗木がクラスメートでなくなっても、態度を変えることはないかもしれない。
 しかし、当たり前のことだが、出来ればクラスメートとして卒業まで仲良くやっていきたい……それが苗木の考えだ。

「学園長……。そろそろよろしいですか? わたくしたちも暇ではありませんので」

「あぁ、すまない。君たちはこの後パーティーを行うんだったな」

「なんでしたら……。学園長も参加なさいますか? 霧切さんもお喜びになると思いますけど」

「い、いや……。やめておこう。あの娘も私の事を良くは思っていない。場の雰囲気が悪くなるだけだよ」

「そうでしょうか……? まぁ、わたくしもよその家の事情には深入りいたしませんけど……」

 なお、学園長と霧切響子が親子であることは、周知の事実となっている。
 同時に、そのことに触れないのも暗黙の了解となっている。
 まぁ、セレスのように平気で地雷原を進んでいく者もいるが……。

「それでは、行きましょうか。苗木君。それでは、ごきげんよう……霧切仁さん」

「ははは……。では、さようなら。2人とも」

 セレスはマイペースに話を切り上げると、そのまま退室していく。
 苗木もそれに続くことにした。

「はい。失礼します、学園長」

 苗木はセレスの後を追う。
 放課後、苗木達は他のメンバーと一緒に寄宿舎の食堂にて新学期を祝うパーティーを行う。
 新学期は別に祝うべきものでもないかもしれないが……、行事や宴会とは得てしてそういうものである。

 苗木とセレスは食堂へと歩いて行った。

 すでに食堂で準備を始めている者がいるはずである。

ひとまずここまで……。
はやく次の夢に行かなければ……。


◇◇◇


・・
・・・

「どうしてこうなった」

 苗木は状況が分からず呟いた。

 遠くには、この事態の元凶と思われる3人がいた。
 葉隠、大和田、桑田の3人だ。
 3人は他の人に介抱されたり、ちょっかいをかけられていた。

「だべ……月の光が俺に力をくれるべ…………」

「ここは屋内だよぉ……。葉隠君」

「不二咲が3人に見えるぞ、オラァ……」

「しっかりするんだ! 兄弟! それ水だ! ……それにしても情けないぞ!
 そもそも君と桑田君は未成年だろう! 誘われたから飲んだなど言い訳にもならないぞ!
 それにしても、普段から、君達は―――――――――――――――――――――――――」

「うるせぇ、うるせ、イインチョうるせぇ……アホアホアホアホアホアホ。ひっく……」

「キャハハハハハ。桑田マジおかしい……。苦しいの? そんなに苦しいの? マジ絶望! って顔してるよ!?」

「やかましぃ……。これが飲まずにいあれるかってんあ。あーほあーほ……きょういちにちをわすれんだよ!」

「盾子ちゃんダメだよ……。もう桑田君が麻酔を打たれた密偵みたいな顔してるよ……」

 自分は二十歳だから問題ない……と葉隠がまず酒を持ってきていた。
 そして、気が付いたら、それを大和田と桑田が飲んだ。
 他の人が気づいたとき、3人はべろんべろんに酔っていた。

「……………………」

 まぁ、ただそれくらいなら、3人がせいぜい二日酔いで明日死にそうになっているくらいで済んだだろう。

 問題は別にあった。

「お分かりですか……? 苗木君? 運を味方にする者は運命をも味方にするのです。
 英語のfortune……。今でこそ幸運と訳されますが、元々は運命という意味を持っていました。
 fortes fortuna adjuvat(フォルテス・フォルトゥナ・アドユゥバッド)ということわざをご存知ですか?」

「し、知らないよ……」

「このことわざの意味は、『強き者を運命の女神は助ける』という意味です。
 なぜこんなことわざが生まれたかと言いますと、基本的には戦いも博打も、勝つときは勝つし、負けるときは負けると考えられていたからです。
 古代ローマでは、自分たちが明日の戦いで生き残れるかを占うために、くじを使っていました。
 何故、こんなことをしていたのか……≪超高校級の幸運≫である苗木君なら分かりますか?」

「わ、分かりません。ごめんなさい」

「はぁ……。そんなことだから、わたくしの退屈しのぎにもならないのですわ。
 初日からあのような有様では、今学期も先が思いやられます。
 戦略があってすら、圧倒的な運の前にはひれ伏すしかないというのに……。
 運がなく、回すべき頭もない……。絶好のカモですわね」

「ごめんなさい……」

 いつの間にか、セレスまで酔っている。
 はじめはシャンパン風のノンアルコールジュースを飲んでいた。
 しかし、なぜか気が付いたら、グラスを片手に赤ワインを飲んでいたのである。
 葉隠が持ち込んだものをうっかり注いだのか、それとも故意に注いだのか、今となってはもう分からない。
 しかし、セレスが現在進行形で酔っている事だけは確かだった。 


「当時、未来に何が起こるかは全て運命の女神の気分しだいだと考えられていたのです。
 そのため、博打に強い人間……つまり今現在において運命の女神に気に入られた人間は、
 明日の戦いにも勝てるだろうという発想がありました。
 つまり、彼らは明日の自分の運命を賭けていたのですわ。お分かりですか……? この意味が……?」

「……………………」

 苗木は沈黙する。
 しかし、セレスは気にすることなく続けた。

「ちなみに、fortuneのfortというのは元々『投げる』という意味がありましたの。
 『サイコロを投げる』の『投げる』ですわ。
 昔の賭博はみんな投げることで行っていましたので、投げるという意味のfortがクジという意味で使われるようになり、
 そこから運命や幸運……へと変化していきました。
 そして、その運命を味方にした者こそは強者であると信じられていたのです。
 …………あら? もしかして、その顔は信じていらっしゃらない?」

「え、そんなことないけど……」

 本当にそんな顔をした覚えはなかった。
 セレスの一方的な思い込みである。

 しかし、酔ったセレスはひたすら他者に絡んでいく。
 呂律は回っているし、話す内容もしっかりしている。
 だけど、いつもより会話が一方通行だった。

「要塞を意味するfort(フォート)、強くを意味するforte(フォルテ)……これも投げるのfortから来ています。
 つまり、サイコロ賭博は強さを意味します。
 先ほどのことわざも、その発想で訳するのなら、
 『さいころ博打をする人を運命の女神は助ける』という意味になりますわね」

「つ、つまり……?」

「戦略を圧倒する"力"、それが運。そして、生まれながらにして幸運をプログラムされているわたくし。
 わたくしが強くて、わたくしが勝者。そのわたくしが負けるはずがないではないですか」

「ソウデスネ……」

 セレスは嬉しそうに笑っている。
 その姿を見て、苗木は苦笑いを浮かべるしかない。

(こんなにひとつのことを語り続けるセレスさんは初めてだよ……)

 苗木は焦りながらひたすら相槌を打っていた。

(言葉やことわざなら……腐川さんに話した方がきっと有意義な気がするんだけど……)

 苗木はちらりと視線を腐川へと向けた。
 腐川は十神の近くをうろうろしつつ、ときたま、こちらの会話に耳を傾けていた。

(気になるなら……話にくればいいのに……)

 苗木は苦笑しつつ、腐川へと声をかけた。

「腐川さん……。ローマ時代の運命の女神の話なんだけど……」

 そう苗木は切り出し、腐川にも話を振っていった。
 すると、数分後には……。

「ぎ、ギリシャ神話やローマ神話では、運命の女神には他の神々も勝てなかったそうよ。
 勝てる……勝てない……というよりも独立した存在だったのね」

「つまり、ジョーカーという枠を通り越して、ルールそのものだったわけですね。
 まさに戦略を超えた存在……。わたくしにぴったりですわね」

「は、はぁ……? ま、まぁ、いいけど。あ、あんた、意外にことわざや語源に詳しいのね?
 他に何か知ってたりするわけ? た、例えば、他の運に関する……言葉とか?」

「あら、流石です。やはり、言葉は腐川さんにとって大切な武器のようですわね。
 とても貪欲な目をしていらっしゃいます。超高校級ならそうでなくては……。
 ……よろしいでしょう。それでは、チャンスやロットといった言葉についても……わたくしの至言を教えてさしあげます」

 特定の分野における教養や知識をセレスは非常に多く持っていた
 大きく分けて2つの分野だ。
 ひとつは、西洋趣味に由来するもの。もうひとつは、自身の運に対する自信の裏付けをするものだ。
 知識としてはやや偏っているのかもしれないが、そこもまたセレスのらしさを表していると言えるだろう。

 セレスと腐川の会話は予想外に盛り上がりそうであった。


「お酒の力ってすごい……」

「……大変でしたね。苗木君」

「あ、舞園さん……」

 舞園が苗木の近くにやってきた。
 パーティーが始まった頃は苗木の近くにいたのだが、先ほどまで酔いつぶれた3人のために水を運んでいたのだ。

「舞園さんもお疲れ様」

 どうやら、介抱はひと段落ついたらしい。
 今は、酔っぱらいながら管を巻く3人に対して、石丸が延々と説教をしている。

 舞園と同じように介抱していた不二咲、大神、山田、朝日奈といった面々は今度は4人で談笑し始めている。

 介抱せずにひたすら3人組をおちょくっていた江ノ島は、
 今度は遠くで見ていた(3人組が酔いつぶれても我関せずの態度を取り続けていた)十神にちょっかいをかけにいった。
 
 戦刃は江ノ島の後を追っている。

「いえいえ、苗木君もたいへんでしたよね?
 セレスさんがあんなふうになるなんてびっくりです」

「ははは……。セレスさんもボク達に気を許してくれてるのかな?」

「うーん。どうでしょう? 霧切さんはどうだと思いますか?」

「……あら? 私に答える順番を回してくれるの?」

 いつの間にか近くにいた霧切が「あなたも分かっているでしょう?」とでも言いたげに笑った。
 そして、苗木に向かって語りかけてきた。

「セレスさんがパーティーに来る理由、そして彼女の性格を考えれば簡単に分かることよ。
 服装を維持するためにプールをはじめとした運動のほとんどを拒否するくらい頑固な性格……。
 そんな彼女が参加自由のパーティーにわざわざ出席している……。
 …………ここまで言えばわかるわね?」 

「うん……」

 苗木は神妙に頷いた。

 その様子を見て……、舞園がほほ笑んだ。

「いい感じにまとまりましたね!」

「そうだね……! なんか新学期から変なことが色々あったけど、これで初日は気分よく終われそうだよ!」

「よかったですね! 苗木君! あ、そういえば……」

 そして、舞園は明るく話を切り替えた。


「今日、みんなより早めに終わったから……、私、先に来てケーキを作ったんですよ。
 今度、料理番組で披露するんです。
 人数分作るほどの時間がなかったから、結局今回は出すつもりがなかったんですが……。
 苗木君にはお疲れ様でしたということで、特別にプレゼントしますね!」

「あら? 私の分はないの?」

「大丈夫です。霧切さんの分もありますよ。
 あと、介抱を手伝ってくれた大神さん、朝日奈さん、不二咲君、山田君、石丸君の分くらいもあります。
 本日のパーティーを頑張ったで賞ということで、この人たちには差し上げます。
 酔っぱらった人たちや手伝ってくれなかった人たちは知りません!」

「ははは……。いいんじゃないかな? いつも苦労する人は同じ面々だし。
 たまには役得があっても……」

「ひどいわね、苗木君。私に対する当てつけ? 実は私も介抱は手伝ってないわよ」

「え? 本当? 霧切さん?」

「冗談よ……。相変わらず騙されやすいわね」

「………………」

「うふふ……。霧切さん、あんまり苗木君をいじめちゃダメですよ」

「舞園さんのがうつってしまったようね」

「……じゃあ、今度は2人で苗木君をからかいましょうか? うふふ……」

「そうね。考えておくわ。ふふ……」

「え、ちょっと、2人とも……」

 舞園と霧切が仲良く会話をする間で苗木はなんとも情けない顔をしていた。

「うふふ……。じゃあ、ケーキを取ってきますね。元気を出してね、苗木君!」

「ははは……」

 そんな苗木の顔を見て、舞園は微笑んだ。
 そして、彼女は冷蔵庫へとケーキを取りに向かった。

(まぁ……。舞園さんのケーキを食べられるなら、細かいことはいっか)

 その後ろ姿を見ながら、苗木は≪超高校級のアイドル≫の手作りケーキに夢をはせる。

(きっと、美味しいんだろうな……)

 そして、夢をはせながら……。


◆◆◆


・・
・・・

「……え? またここ?」

 16個の扉に苗木は取り囲まれていた。

「……今度は黒い扉か」

 苗木の立っている位置から右に4つ目の扉。
 桑田の夢に通じていたオレンジ色の扉の隣。

 そこにある黒い扉がぼんやりと光っていた。
 自然界ではまず見られない黒い光を放っていた。

「……もうここには来ないんじゃなかったんじゃ」

 苗木は愚痴りながらその扉に近付いた。

「今度も誰かの……? それとも………?」

 苗木は不安な気持ちのまま扉を開いた。




 ――そこには、中世ヨーロッパ風の異世界が広がっていた。

今日はここまでです
前ふりだけで終わってしまった……
……次から誰かの夢の中です

そして、その運命を味方にした者こそは強者であると信じられていたのです。
⇒そして、その運命を味方にした者こそが強者であると信じられていたのです。

ですね。やっちまったね


 街の中心には、石造りの巨大な城がある。

 細く長い柱や梁(はり)が幾重にも組み合わされることにより、ひとつの巨大な構造物を作り出している。
 円柱や流形線の柱が互いを支え合うようにして建ち並び、それらの柱を繋げるようにして、梁が渡されていた。
 梁はアーチ(円弧)であり、その頂部は尖がっている。

 この梁の名前は、尖頭アーチと言う。
 それは高さと細さをより強調する装飾性の象徴であると同時に、垂直方向の負荷を容易く分散する合理性の象徴でもあった。
 これは、中世ヨーロッパ後期に花開いたゴシック建築……その代表的特徴のひとつである。

 ……もっとも、迷い込んだ苗木はそんなこと全く分からず、ただ圧倒されるだけであった。

(桑田クンのときと違って、建物ひとつひとうに妙な迫力があるような……)

 夢を見ている人物の強いこだわりが反映されていることを知らない苗木は、ただボーっと城を眺め続ける。
 すると、巨大なステンドグラスの時計板、巨大な尖塔、城を取り囲む城壁や堀などが見えた。

(ゲームか漫画で一回くらい見た気がするけど、こうやって実物大で見てみると、すごいな……」

 夢の中だと言うのに、苗木は感心してしまう。
 そして、ため息が出てしまった。

(どこ行けばいいんだろう……。こんなに広いと分からないや。説明なしでRPGをやってる気分だ……)

 苗木は今度は街を見る。
 そこは大勢の人間でにぎわっていた。
 行商人が行き来し、フェルト帽と呼ばれるつばのない帽子を被った男女が中心となって買い物をしている。
 フェルト帽の中には、頭頂部の布が余っており、まるでサンタの帽子のようにぶらさがっているものもあった。
 それは、まるで映画などで妖精の被る帽子のようである。

(……というよりも、妖精みたいな人が何人かいるような。頭身がおかしいというか)

 よく見れば、ファンタジー世界に出てきそうな存在がちらほらといる。
 コスプレだと言われれば信じられるレベルの者から、体格レベルでおかしい者まで色々いた。

 ずんぐりとしていて妙な愛嬌をもった頭身のおかしい者もいる。

「……って!? 山田君!?」

「…………はて、どなたでしたかな?」

 山田だった。
 どう見てもドワーフとしか言いようがない山田だった。

 ドワーフというのは、ファンタジー世界を題材としたゲームや漫画や小説によく出る種族名である。
 妖精の仲間みたいな者で、ずんぐりとした体格が特徴的な種族である。
 そして、一般的に鍛冶仕事が得意とされている。
 メジャーな種族なので、趣味でゲームをやる苗木も知っていた。

 夢の中に出てきた山田も同じ様子だった。
 ずんぐりとした巨体の割に背が小さいところまでは現実の山田と同じだ。
 しかし、ファンタジー世界にでも出てきそうな格好をしているのである
 頭には例の妖精がかぶりそうな布の余ったフェルト帽をかぶり、顔には髭まで蓄えられている。
 体はブリオーと呼ばれ羊毛で作られた貫頭衣で包まれており、ベルトで固定している。
 ベルトには、鍛冶にでも使うのだろう金槌や分厚い皮手袋がぶら下げられていた。

 どう考えても、鍛冶を仕事にしているドワーフである。
 苗木は山田の姿をまじまじと見る。

「えっと……。ここは山田君の夢なのか……?」

「はぁ……。何のことだか分かりかねますな」

「そ、そうだよね……」

 可能性としては2つあった。
 ひとつは、ここは山田の夢で、彼が夢を見ていることに気づいていない可能性。
 もうひとつは、別の人の夢で、彼が登場人物である可能性だ。

 苗木は見当もつかなかったので、ひとまず質問することにした。

「えっと、この国の名前は?」

「ほう。この国は初めてなんですか? では、僕が教えて差し上げましょう!
 この国の素晴らしさを伝えるのが僕の役目……。
 人は僕を女王陛下に忠実な偉大なる伝道師と呼びますぞ!」

「えっと、だから名前は……?」

「ほう、せっかちなお客人ですな。急かさないでいただきたい。今からちゃんと話しますので」

「…………」

「ふむ……。では、言いましょう! この国の名はルーデンベ……」

「分かった。ありがとう」

「ちょ、話はまだこれからですぞ!?」

「誰の夢だか分かったし、話が長そうだからいいよ!」

「く、おのれ、たばかりましたな! なんたることよ!」

「じゃあ、じゃあね!」

 後ろで山田が叫ぶのも気にせず、苗木は一目散に逃げ出した。

(RPGでいうところの、入り口近くにいる村人みたいな役目なのかな?)

 苗木はそんなことを考える。
 そして、恐ろしい事態に気づいた。

(セレスさんが起きるか、話に一区切りつかないといけないんだよな?
 最後に見た状況から考えて、セレスさんは現実ではまずしばらく起きないだろう。
 酒の影響で明日の朝まで眠っている可能性もある。
 じゃあ、残りは話に一区切り付くことなんだけど……)

 苗木はあたりを見回す。

「話ってなんだよ。あらすじが見えないよ。まずセレスさんはどこにいるんだよ?」

 よく見ると、あちこちに現実で見た事のある物や者が点在していた。

今日はこれで終了です。
次は、金曜日の夜までに(もしくは金曜日の夜に)一度は投下します。

あと、セリフが誰だか分かりにくいという指摘はもっともすぎるので、もっと頑張ります。

ただ、どうしても、その場にいる人数が多い場面だと分かりにくくなるかもしれません。
もし良かったら、誰と誰が間違いやすいとか書いてくれると、今後活かされるかもしれません。

 街中にはセレスの好きそうなものが売られている。
 特に黒い布や衣装や赤い薔薇は高値で取引されていた。
 他にも西洋風の人形やローズヒップティーも人気のようだ。
 よくできた世界観のようでいて、商品に偏りが見られる。

「売っている人や歩いている人の中にも見覚えがある顔が……
 入り口にいたはずの山田クンもまたいる。入口にいた人とは別人……って設定なのか?」

 クラスメートの姿もちらほら見られる。
 例えば、朝日奈が洋菓子を売っていたり、大和田が大工仕事をしたりしていた。

「いらっしゃい! はやく買わないとなくなっちゃうよー! 私が食べちゃうよー! ……ムシャムシャ」
「うっし、今日はあと10件建てんぞ! 野郎ども気合いれろ! 女王陛下のために三日三晩徹夜だ、おらぁ!
 うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 色々、無理がある。
 夢の主が、興味がない箇所のディテールにこだわるつもりがないのだろう。
 売り上げを気にしてなさそうなお菓子屋と人間の限界に挑戦する大工がそこにはいた。

「着ているものとか見た目はそれっぽいのに……」

 苗木は他の者たちも見てみる。
 RPGでいうところの道具屋らしきところに山田がいた。
 というよりも、作るのに泥臭い作業が必要そうな物を売っている店は店主が全部山田だった。

「「「「「いらっしゃいませ、お探しのものはありますかな?」」」」」

「いえ! ありません! 失礼しました!」

 苗木は必死に目を逸らす。
 そして、こう思った。

(……RPGのキャラグラの使いまわしみたいになってるよ。
 使いまわすのに便利なんだろうな……山田クン。ビジュアル的に、武器屋にいても防具屋にいても違和感ないし)

 苗木はため息を吐いた。
 すると、今度はそのため息を聞きつけたのか、怪しげな装束を纏った男が近づいてくる。
 葉隠だった。彼はローブを被り、水晶玉を握っている。顔に変な模様の入れ墨までいていた。
 占い師というより、うさんくさい呪い師という具合だ。

「どうしたんだべ? 行くべき道に迷ってんのか? それなら俺に任せるべ!」

「葉隠クン……すごい馴染んでるね」

「葉隠……? 誰だべ? それは? 俺は名もなき占い師だべ!」

「そ、そうなんだ?」

「昔は俺も名前を持ってたんだが、
 『あなたの名前は気に入らない』って言われて女王陛下に名前を奪われたんだべ
 だから、今では名もなき占い師だべ。なんかかっこいいから気に入ってるべ」

「へ、へぇ……」

 苗木は思わず考えてしまう。

(セレスさん……。葉隠君の名前が気に入らないって何かあったのかな?
 それとも、実は葉隠君を名前を呼びたくないほど……嫌いとか…………?
 いや、怖いから考えないことにしよう)

 苗木は考えを打ち切る。
 そして、葉隠の占いについて尋ねた。

「とりあえず、お願いしようかな……。どこに行けばいいかを」

「分かったべ! 任せるべ! ………………これでノルマ達成だべ」

「今、なんか最後に怖いこと言わなかった!?」

「気のせいだべ! よし出たべ! オメーは城に向かえばいいんだべ!」

「……そうなんだ。ありがとう。……それじゃ!」

「待つべ! 逃がさんべ!」

 ガシリと葉隠が苗木の腕を掴んだ。
 現実離れしたものすごい力だった。

「イタッ!? 夢なのにすごい痛い!?」

「御代をよこすべ!」

「お、御代? 御代って何を……。実はこの国の通貨を持ってなくて……」

「大丈夫だべ。誰でも持ってるから心配しなくていいべ!」

「だ、誰でも持ってるって!?」

「生き血だべ! 生き血を置いてくべ! お城でイケメンヴァンパイアの皆さんがお待ちかねなんだべ!
 ノルマを達成できないと、俺の首が飛ぶんだべ!」

「こわっ!?」

 葉隠は巨大な注射器のようなものを取り出した。

「痛いかもしれないけど、我慢するんだべ」

「いやだよ! ちょっと、誰か助けて!?」

 しかし、道行く者達は笑いながら通り過ぎるのみだ。
 あらあら活きの良い若者だことお城の方々も喜ぶでしょう……といった具合に微笑ましそうに、苗木達の様子を見ていた。

「こわっ……。騙された! ここは怖い夢だ! セレスさんの夢だ!」

 苗木は絶対絶命だった。

(やばい……! ここでうっかり死んだら、ボクはどうなるんだ!?)

 夢とはいえ痛みがある。
 ……痛みだけでも、人間、死に至ることもあるらしい。
 苗木はそんなことを考えながら、葉隠の注射器から必死に逃れようとした。
 しかし、無情にも注射器は苗木に迫る。

「ほうら、いくべ!」

「うわああああああああああああああああああああああああ」


 ――しかし、救世主が現れた。


「まちなちゃい!」

「だ、誰だべ!? だ、だべえええええええええええええええええええええええええええええええ」

 そして、葉隠は星になった。

「キ、キミは……!」

 苗木は救世主の名前を呼んだ。

「……ウサミ!」

「危ないところでちたね。苗木君!」

 ウサミだった。
 サンタのようにトナカイに引かせたソリに乗って、ウサミが現れたのだ。

「こんなにはやく会えるなんて、驚きでちゅ……
 遅れて申し訳ないでちゅ……。同時に2人も夢の中に迷い込むとは想定外だったんでちゅ」

「え、ふたり?」

「…………ひっく。オ……レ……だよ。苗木……」

「く、桑田クン!?」

 酔いつぶれている桑田がソリの中にいた。

「こんなこと初めてでちゅ。
 いちおう、あちしなりの仮説も立ててるんでちゅが…………って、聞いてくだちゃい!!」

「……な…え……ぎ、オメー、や……っぱ……おぼ……え……て…」

「い、いやだな。桑田クン!
 この夢の中に入ったら急に思い出しちゃったんだよ。きっと、現実に戻ったら、またすぐ忘れるよ!」

「……そ…うか……。……それ……なら……い…い………や………」

「桑田君も休みなよ! 明日に響くよ!」

「……お………う」

 ウサミは苗木が今取っている行動を見て、悲しげに息を吐いた。
 自分の立てた仮説が正しかった場合、苗木の行動は応急処置にもならないからだ。

今日はひとまずここまでです。
思ったより進まなかった……。
次は日曜日の朝を目指します(もし日曜日の朝に投下できなかったら、たぶん火曜日の朝になるかと)

なお、無条件で夢の中に皆来るわけじゃないけど、順番が後の人ほど恥ずかしい夢を大勢に見られる可能性が高くなる仕様……。

並列して書いてたやつに予定よりはるかに時間がかかってしまってあまり進んでないので、夜までにキリが良いところまで書き溜めて投下します
ちなみに並列して書いてたやつは↓です

舞園「リセットしましょう」
舞園「リセットしましょう」 - SSまとめ速報
(http://ex14.vip2ch.com/test/read.cgi/news4ssnip/1385382895/)

よかったらこっちも見てね
こっちと違って、舞園さんオンリーステージになってるけど

書き溜めに失敗して、このままだといくらたっても進まなそうだから、
寝落ちするまでもそもそ書いては投下します
急に止まったりしたらたぶんオチてます

◆◆◆

「………………ぐぅ。……………」 

「よしッ! 寝てくれた」

「夢の中でさらに夢を見るとどうなるんでちゅかね……」

 桑田が眠りについた姿を見て、苗木はガッツポーズを決めた。
 その姿を見てウサミは困ったかのように頭を抱える。

「難しいことばかりでちゅ……。どうちまちょう」

「ウサミ……? どうしたの?」

「苗木君……。実はでちゅね……」

 ウサミは語り出す。

「苗木君達は単純に迷い込んで来たわけではないようなんでちゅ」

「え?」

「特に苗木君は、少なくともあと10回以上は誰かの夢の中に迷い込んでしまうと思いまちゅ」

「ど、どういうこと……?」

「魔法の国の偉い人たちが言うにはでちゅね……。苗木君は“特異点”を踏み抜いてしまったんでちゅ」

「特異点……?」

「歴史の中で、国が亡びるとか世界が滅びるとかそういうレベルの分岐点がありまちゅと……、
 時空や空間が歪んで穴ができるんでちゅ……。そして、そこに踏み込むと現実と夢の区別が薄くなるんでちゅ」

「……つまり?」

「つまりでちゅね! このままだとしょっちゅう誰かの夢の中に引きこまちゅ。起きてようが寝てようが関係ないでちゅ!」

「めんどくさ!? なんとかならないの!?」

 苗木が心の底から嫌そうな顔で叫んだ。
 桑田、セレスと……まだ2回しか体験していないはずなのに、「もう十分だ」とその顔は如実に語っている。
 そんな様子を見て、ウサミは安心させるように笑った。

「任せてくだちゃい! あちしに考えがありまちゅ!」

「え? 本当!?」

「はい! あちしが思うに、特異点を踏んだ苗木君だけでなく桑田君まで今回紛れ込んだのは……苗木君との間に絆があるからなんでちゅ!」

「絆?」

「はい、おそらく苗木君は特異点に落ちたとき、自分の中にある心の一部が割れてしまったんでちゅ!
 あぁ! そんなに不安な顔をしなくても大丈夫でちゅ!
 心といっても、人格や性格の一部が壊れたわけじゃないし、記憶が吹き飛んだというわけじゃないでちゅ。
 最初に言いまちたとおり、現実と夢の境界線を認識する力が減っているだけでちゅ!
 あぁぁ!! だ、だから、そんなに不安な顔をしなくて大丈夫ですって……絆があるから大丈夫なんでちゅ」

「…………」


 ウサミは「こほん」と教師が生徒に言い聞かせるような態度で語り始めた。

「自分を見失ったとき、自分を取り戻すのに一番良いのは、
 お友達を見る事やお友達と話すことでちゅ。
 お友達を通して自分を見直すんでちゅよ。ラーブラーブ」


 ウサミはニコニコと微笑んでいる。

「それと同じことなんでちゅ。
 苗木君の心は危険を感じた瞬間に、その砕けた心の欠片をとっさに身近な人の心の中へと飛ばしたんでちゅ。
 他の人の心の中で保護してもらっている形でちゅ。そうすることで、最悪の事態を回避したんでちゅ
 今、苗木君が夢と現実を区別できているのは、お友達に結びつけた命綱ようなものに捕まっているからなんでちゅ」

 そう言うと、ウサミは杖を振り出した。
 すると、光る魔法陣が中空に出現する。

「あの後、桑田君の夢の跡地からこれが出まちた!
 きっとこれが苗木君の心の一部でちゅ! ――名づけるなら、希望のカケラ!」

 魔法陣の中から、白く光る八面体のクリスタルが現れた。
 苗木は慌ててそれを受け取る。

「…………ッ!?」

 クリスタルは一際大きな光を発して、苗木の胸の中へと吸い込まれた。

(なんだろう? 今、ボクの中にクリスタルがはまる器のようなものが見えた……?)

「苗木君……。見えまちたか?」

「え?」

「それが希望のカケラを入れる器でちゅ。……あちしは残り14個クリスタルをはめる穴が見えまちた」

「14個……それって…………」

「心当たりがあるんでちゅか?」

 苗木はクラスメートの数を思い出した。
 そして、16個の扉のことを。

(半透明の扉をボクのものとだとすると……。
 残りの15個は……みんなのものだってことか)

「苗木君? どうかしまちたか?」

「ウサミ……たぶんあってるよ……。だって、こういうことがあってさ……」

◆◆◆

 ……苗木の話を聞き終えて、ウサミは断言した。

「おそらく、その考えは正しいでちゅ。きっとクラスのお友達の中に苗木君の希望のカケラは隠れていまちゅ」

「つまり……、あとは全員の夢の中に1度は行って夢が終わるのを待たないといけないんだね?」

「そうでちゅ! ただし夢を打ち切られることなくキリの良いところまで見る必要がありまちゅ!
 その人が無防備になった瞬間に希望のカケラは飛び出しまちゅ!」

「一回見に行った人の夢に、もう一回入ることってあるの?」

「普通はないでちゅ。元々、人の夢に迷い込むのは珍しいケースなので……きっとないでちゅね。
 苗木君が他の人の夢に入っているのは、自分の心のカケラを目印にしているからでちゅ。
 ただ……断言できないところもありまちゅ。桑田君が迷い込んできていまちゅし」

「そういえば……桑田君はなんで?」

「苗木君が見たっていう“扉”が開かれて、苗木君が夢の中を行き来した結果、結びつきが強くなったじゃないかな?
 精神的なパイプが太くなってて、苗木君が他の人の夢に引っ張り込まれるときのエネルギーが伝わってるんでちゅ。
 だから、寝ている状態など精神的に無防備な状態だと、苗木君と一緒に引っ張り込まれちゃうんだと思いまちゅ」

「なるほど……分かったような……よく分からないような……」

「現在、分かってることや夢の中で注意することをまとめた≪旅のしおり≫を渡しまちゅね! これで安心でちゅよ!」

 ウサミが再び魔法陣から物を取り出した。
 今度はひも付きのノートだ。
 ひもを使って首からぶら下げることが可能になっている。

 苗木は中身を見た。


-------------------------------------------------------------------------------------------

苗木の状況に関するルール
 ルール1【苗木誠は15個の希望のカケラを集め終わるまでクラスメートの夢の中に迷い込む】
 ルール2【希望のカケラを回収し終えたクラスメートの夢に再度行くことはない】
 ルール3【苗木誠が他者の夢に引っ張り込まれるときに、回収済みの者が寝ている場合、その者は苗木と一緒に迷い込む】

※ルール1~3は現時点での推定

夢世界に関するルール
 ルールA【夢の世界から出る方法は3つある】
  ルールA-1【夢の中の話に一区切りが付く】
  ルールA-2【夢の主が現実世界で目を覚ます】
  ルールA-3【※※※※※※※※※※※※※※※※※※※】

 ルールB【夢の世界で迷い込んだ者は次の3つの危険に気を付けないとならない】
  ルールB-1【ショッキングな体験をすることによる精神的ダメージ】
   →グロテスクなものを見ると精神に異常をきたす恐れがあります。
  ルールB-2【物理的なダメージを本物だと錯覚することによる現実世界への影響】
   →刺されるなどした時に死んだと思い込むと本当に死ぬことがあります。
  ルールB-3【夢と現実の区別が付かなくなること】
   →夢の中で宿題が終わったと思っても現実では終わっていません。現実を見ましょう。


注意1【夢を見ている者は自覚している場合としていない場合の2通りがある】
注意2【夢を見ている者は第三者視点で夢を見ているときもあれば、主観のみで見ている場合もある】
注意3【夢の持ち主や登場人物が現実世界どおりの性格や恰好をしているとは限らない】

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(さらっと怖いことが書いてあるな……ってあれ?)

 苗木はあることに気づく。

「ルールA-3だけなんで塗りつぶされてるの?」

「昔は使っていたんだけど、今は危険なので使ってないんでちゅ
 緊急時に使う場合もありまちゅが……規則なので教えられまちぇん……ごめんなちゃい
 しおりに記述だけ残ってるのは、上司の怠慢なんでちゅ」

「ま、魔法の国もお役所仕事みたいなのがあるんだね……」

 苗木は苦笑いを浮かべた。

今回はこれで終りです。ね、眠い
今後も使う設定だから時間がかかりました。待ってた方はごめんなさい
次でちゃんとセレスさんの夢の続きに行きます……

お待たせして申し訳ないです
短いですが、今夜に一度投下します

あと1週間くらいで並行してやってた、SSの加筆修正が終わって
20日くらいにはリアル世界で一仕事終わるので、それらが済むとペースが速くなると思います


「なんにせよ、あのお城に行きましょう! 夢を進めるにはまず夢の主に会いに行くのが一番でちゅ!
 主役がいないと動きまちぇんからね!」

「……主役って、セレスさんのことは知ってるの?」

「いいえ、知らないでちゅ! ただ桑田君が『あんなゴスゴスした城作るのってセレスくらいっしょ……』って
 引きつった顔で言ってたので、きっとそのセレスさんという子があの城にいるんだろうなぁって」

「ゴスゴス……」

 そんなことを言いつつ、ソリに乗って苗木達は城へと向かう。

「それにしてもあのお城大きくて、細かいところまでよく出来てまちゅね。ああいうお城にものすごいこだわりがあるんでしょうね」

「珍しいの?」

「そうでちゅね。普通、あんな細部まで作りこむのは難しいでちゅ。遠目からはお城って分かっても、
 近づくと微妙みたいなことはよくあるんでちゅよ」

「ふぅん……。じゃあ、セレスさんはやっぱりこういうのが心から好きなんだね……」

「そうでちゅね。並ならぬ思いがあるのかもしれまちぇん。あ……着きまちたよ」

 2人(荷台にいる桑田を入れると3人)は城の前に辿り着いた。
 そして、2人は城門前に立つ。

「……大きいな。やっぱり」

 苗木は呟いた。
 やはり見上げるほど、その城は大きい。

「圧倒されちゃダメでちゅよ! 気合を入れまちょう!」

 圧倒される苗木をしり目に、ウサミは腕を高く突きあげる。
 続けて、宣言する。

「では、中に入りまちょう!」

 ウサミはスキップするように歩き始めた。
 しかし、それを拒む者達が現れる。

「待って……」
「待つのだ……」

 マスケット銃を構えた戦刃と、赤いオーラを纏った大神がそこにいた。

 どちらもRPGのボスのような存在感と威圧感を放っている。
 思わず、先ほどまでの威勢もどこにいったのやら、ウサミが叫んだ。

「怖いでちゅ! 殺されるかと思ったでちゅ!」

(この2人か……最強の門番すぎる……)

 ウサミの叫びに、苗木も内心同意した。
 対して、大神と戦刃は淡々と言う。

「何用だ?」
「……入っていいのは女王陛下に特別に許された人だけ」

 彼女達は威風堂々と立ち塞がる。
 苗木は引きつった笑顔のまま、彼女達に尋ねる。


「許されるって、例えば……?」

「献上品を持ってくるとか……」

 戦刃が答える。
 そして、大神が付け加える。

「ただし、どちらにせよ、女王陛下に謁見できるのは夜からだ」

「夜から?」

「昼間は美容のため眠りについていらっしゃる」

「そ、そうなんだ……」

 ヴァンパイアと一緒に生活をしているという話を考えれば、おかしくはないのだが、
 そこだけ抜き出して聞かされると、怠惰な生活をしているように感じてしまう。

(いや、ある意味、合ってるのか……? セレスさんってあまり働こうとはしないし……行事の準備とかでも……。
 ……私生活ではどうしてるんだろう?)

 クラスメート達は互いにだいぶ仲良くなったが、セレスは未だに隠していることも多い。
 仲良くなることと秘密を明かすことは別だと彼女は言っていた。
 苗木が知っているのは、宇都宮出身で餃子が好きで豪運によって人生を勝ち抜いてきたくらいだ。
 あとは、耽美趣味があって、西洋風のものが色々好きだと、言葉の端々に匂わせているのを聞いたこともある。

(他に強いてあげるなら、何気に面食いなところか? 学園祭でも十神クンとデュエットしようとしてたし……)

 彼女がたまに匂わす壮大そうな夢について、何となくの推察をクラスメート達は立てているが、未だに確定された答えは出ていない。
 ちなみに、桑田は「逆ハーレムとかなんじゃね?」と言って、「お前じゃないんだから!」と皆に笑われていた。

(うっかり知っちゃったら怖いなぁ……。セレスさん、ときどき物騒な喋り方するし……)

 苗木は桑田の夢を思い出す。
 見ている方がいたたまれなく夢だった。

(桑田クンは寝てるし……。万が一のときは、ボクひとりで墓まで持っていこう……)

 苗木はそんなことを考えた。
 そして、そんな眉を寄せて考えている苗木に対して、ウサミは言う。

「一端ここから離れまちょう! 苗木君」

「そうだね……」

 2人はひとまず、門から離れることにした。
 そして、離れたところで、ウサミは言う。

「夜にするのは簡単なことでちゅ」

「そうなんだ……?」

「このステッキがあれば、夢の持ち主にショックを与えないことなら何でもできまちゅ……。夢の住人を傷つけたり、
 大事そうなものを破壊したり、トラウマを抉ったりということはしちゃいけませんが、それ以外なら何でもオーケーでちゅ」

 ウサミはくるくると誇らしげに杖を振り回した。
 しかし、すぐにしょげる。

「けど、献上品には何がいいんでちょうね……? お花でちゅか?」

「……餃子かな?」

「餃子!? えぇ、なんでこんなにオシャレな世界なのに、餃子なんでちゅか!?」

「さぁ……」


 ウサミは困った顔をしている。

「けど、困ったでちゅね。料理でちゅか……。餃子っぽいものなら作り出せるんでちゅが……。
 味の方には自信がないでちゅ……。ニンジンならおいしいのも作れるんでちゅが…………
 餃子だと、味覚のイメージまでいまいちつかめないでちゅ…………」

「ステッキで起こす魔法は、全部ウサミのイメージなの?」

「はいでちゅ! イメージさえあれば、なんでもできまちゅよ!」

「そうなんだ?」

「夢はあちしのテリトリーでちゅ!」

 自慢げに胸を張るウサミを苗木は苦笑しながら見守った。

「じゃあ、形さえイメージできれば出来る物……アンティークドールとかがいいかもね」

「なるほどでちゅ! では、いきまちゅ!」

 ステッキが光り出し、ピロピロピロリーン……とゲームの効果音のような音を出した。
 光がなくなると、そこには人形があった。
 とてつもなく、ファンシーでかわいらしいぬいぐるみの人形が……。

「……ごめん。たぶん、これセレスさんの趣味じゃない……」

「そ、そんなーでちゅ!? じゃあ、どんなのがいいんでちゅか!?」

「えぇっと……西洋風で、なんか古めかしくて、見方によってはちょっと怖い感じ……?」

「なるほど! わからんでちゅ!」

 苗木は説明しようとして、上手く説明できなかった。
 よく見知ったものでも言葉で説明するのは意外と難しく、それなりの技術とボキャブラリーが必要なのだ。
 ≪超高校級の文学少女≫ならまだしも苗木にそんなスキルはない。

「そのステッキをボクが使えばいいんじゃない……? それともボクじゃ使えない?」

「そんなことはないでちゅ! もちろん使えまちゅ! だけど、規則で貸すことはできまちぇん!」

「そっか……。けど、じゃあ、どうしよう?」

「困りまちたね。もういっそ透明にでもなって玉座に忍び込みまちょうか? スパイみたいに」

「いいの!?」

「マナーとしては良くないでちゅね。それに、その世界のルールに従った方が話が動きやすいことも多いでちゅ。
 意外と夢の世界は繊細なんでちゅ。ただでさえ、苗木君はこの世界では異物のようなものでちゅし……。
 うーん、言ってて、やっぱダメな気がしてきまちた」

「そ、そう……」

 苗木達は唸る。

 しかし、そんなときである。

「どうしましたか? お困りですか?」
「話くらい聞くわよ」

 苗木は「え!?」と驚いた。
 そこには、中世ヨーロッパ風の衣装を身に纏った舞園と霧切がいた。
 裾の長いチュニックにエプロンのような前掛けを身に着けた簡素な衣装。
 この国の平民の標準的な衣装なのだろう。

(あ、かわいい……)

 ただし、簡素な衣装といっても、苗木から見れば、民族衣装を着ている舞園と霧切に他ならない。
 クラスメートのコスプレ衣装を見ているような感覚に、苗木は少しドキドキする。

「うふふ……。どうしました?」

「あ、な、なんでもないよ……」

 舞園が微笑み、苗木は顔を赤くしていた。
 霧切がそんな様子を見て、ため息を吐く。



「困ってるようだから、声をかけたけど……意外と余裕そうね」

「そ、そんなことないよ! 誤解だよ、霧切さん!? すごい困ってるよ!」

「あら……なんで私の名前を知ってるの?」

「えっと……」

「あ! 前に店に遊びに来てくれた方ですよね!?」

 苗木が言葉に詰まったのを見て、舞園が発言した。
 店ってなんだろう? と苗木が考えるのを先回りするように、舞園が言う。

「うちのお店に来て、私の歌を聞いてくれた方ですよね! たしか名前は苗木君……」

「う、うん……」

「嬉しいです。また会えるなんて……!」

「あぁ、なるほどね。じゃあ、そのとき、私も店にいたのね。言われてみれば、苗木って名前に聞き覚えあるもの」

 霧切も納得したようだ。
 歌う……ということは、酒場か料亭か何かだろうか? ……と苗木は予想する。

(この世界にもボクをモデルにした人間がいるんだろうか? それにしても、意外と人間関係が細かいな……。
 桑田君のときは歓声を上げるモブキャラみたいな感じだったのに……)

(夢は、見ている人の考えや感情を反映しまちゅ。もちろん、いつも同じように反映するとは限りまちぇんが……。
 この夢の場合は、セレスさんの考えた世界と役柄にそのまま皆さんを当てはめているようでちゅね)

(ウサミ!?)

(テレパシーでちゅ!? それくらい魔法の力で余裕でちゅ!
 苗木君が聞かれたくなければ、送信を止めることもできまちゅので安心してくだちゃい!)

 ウサミはそう言うと、テレパシーの閉じ方を苗木に教えた。

(分かった! 一回、試してみる!)

 教えられ、即座に、苗木は一度テレパシーの送信を止めてみる。
 そして、冷や汗を垂らす。

(舞園さん達に鼻の下を伸ばしてたこと聞かれてないよね?)

 にこにこしているウサミを見て、苗木は不安にかられる。
 それは分かっていて、あえて黙るというウサミなりの優しさにも見えるからだ。

(桑田クンの気持ちが少し分かったぞ……!)

 人に心を見られるというのは恥ずかしいものだなと苗木は今更ながら確信した。

「結局、苗木君達は何に困っていたんですか? あと、そちらのウサギさんのお名前は?」

「あ、こっちはウサミって言ってね。えっと、ボク達は――」

 苗木達は献上品について話しはじめる。
 国に帰るために女王に会わないといけないなど……もっともらしい理由を付け加えながら、献上品が必要だということを苗木達は語った。


◆◆◆

「そういうことなら一緒についてきますか?」

「え?」

「私達、今晩、献上品を納める予定なんです」

 舞園がそう語る。
 苗木はそれに対して、思わず2人に聞いた。

「献上品って……?」

「ラー油です!」
「あと餃子ね」

「やっぱり……」

 それぞれの原材料は東の果てにある国から霧切が取って来たものらしい。
 陸を行き、海を渡り、冒険に次ぐ冒険の果てに手に入れて来たものとのことだ……。

「霧切さんは探し物が得意なんですよ」

「探し物で済むレベルなの……?」

「ちなみに、この餃子ひとつで家が買えます」

「嘘!?」

 舞園の言葉に対して、苗木は疑問しか持てない。
 だが、その疑問を必死に隠しながら、苗木は計画を練る。

(ひ、ひとまず……2人に着いて行って、そのまま謁見しよう。
 そうしたら、この夢も話が進むかも……。……そういえば、ボク達が知らない間に話が進むことってあるの?)

(そういうこともありまちゅね。けど、大きな動きがあったら、もっと色々この世界に動きがあると思うので、
 たぶん、今はまだあまり進んでないと思いまちゅ。眠りについたばかりで、完全に夢の中には入ってないのかも
 しれまちぇん。人間が夢をみやすいレム睡眠まで現実世界で1時間半ほどかかりまちゅし)

(桑田クンのときはすぐ始まった気がしたけど……?)

(苗木君が夢に入る前から、うつらうつらしていたんじゃないでちゅか?)

(あぁ……。そういえば居眠りして、うつらうつらしてたような……)

 苗木は今日あった出来事を思い出して、遠い目をした。
 すると、そんな苗木に対して、舞園が声をかける。

「どうかしました? 苗木君? ボーっとして」

「あ、なんでもないよ。舞園さん……」

 苗木は空を見た。
 太陽はまだ明るく、街を照らしている。
 舞園達についていくということで、話は決まったので、あとはもう待つだけである。

(あ、そうだ……。ウサミ、夜にしてよ)

(あ、それもそうでちゅね! 少し時間を早めまちょう! ちょっと寝ているセレスさんの脳を活発にさせまちょう。
 ノンレム睡眠からレム睡眠にはやく移れるように……)

(うん、お願い。……って、あれ?)

(あ、そんなことしなくても、セレスさんは本格的に夢を見始めた見たいでちゅよ!)

 太陽が高速で動き始めた。
 まるでビデオの早回しのように……
 そして……。


「し、城が……なんかものすごくおどろおどろした感じに……! こ、怖い……」

「た、耽美で不思議な感じっていうのが正しいんじゃないでちゅかね!?」


 先ほどまでと違い、蝙蝠でも飛びそうな雰囲気を、城が醸し出し始めた。

今日はここまでです
次来るのはいつだろう……
来週にもう一回は来たいと思ってます

加筆修正してたやつが終わったけど、年末年始忙しい…
生存報告と執筆意志があることだけこっそり書き込み

あぁ…なんか遅くなってすみません
明日の午前中にキリがよいところまで一度投下します


 月は出ているが辺りは仄暗い。
 流れる雲の隙間から、月光が零れ落ちてくるが、帳(とばり)のように立ち込める霧がその光をぼやけさせていた。
 お城の尖塔に火が灯る。おそらく見張りか誰かが松明に火を付けたのだろう。
 そのおかげで遠くからでも、城の位置が分かった。

「それでは行きましょうー、苗木君!」

 舞園と霧切が動き出す。
 明かりを頼りに、城へと近づいていく。
 城下町の通りもうっすらと霧に包まれており、人々の姿が影芝居のように動いていた。

「はぐれないようにね」

「うん……」

 時折、霧切が苗木達に声をかける。
 霧の中ではぐれないように、苗木達は懸命に歩を進めていく。
 霧切、舞園、苗木、ウサミ、桑田の乗ったソリ……という順番で、彼らは進んでいく。
 霧のヴェールをかき分け、ただ進む。
 すると、ついに尖塔の明かりだけではなく、城門や壁や窓といった部分も肉眼で見え始める。

 明るいときに見た様子とだいぶ違う。
 質実さの中に華麗さがあったのが昼間の光景だとするならば、
 今は、その2つが霧と闇によって混ざり合い、まったく別のものへと変じている。
 質実さは無機質な印象を与え、華麗さは耽美な魅力へと切り替わっていたのだ。

 どこかから、危険な死の臭いとともに眠気を誘う音が流れてくる。
 オルガンの音色だ。それは、澄み渡るように高く、青空のように軽妙だった。
 しかし、どこか寒々しい。
 静かに人を威圧するような何かがあった。

「って、おい!? なんだー!? ここ!?」

 すると、その冷たい音が耳に入ったのか、目を覚ました桑田が後ろのソリの上で叫んだ。
 どうやら、だいぶ酔いが醒めて来たらしく、きちんと呂律が回っている。

(すごいな……。あんなに飲んでたのに……酔うのも速いと抜けるのも速いのかな……?)

 飲酒経験のない苗木は首を傾げた。
 しかし、ずっと首を傾げているわけにもいかないため、苗木は桑田へと大きな声をかける。

「目が覚めた? 桑田君? ここはセレスさんのお城だよ……!」

「マジかよー!? やっべーなっ! もうこれ、新手の観光じゃん?」

「たしかに……。現実にないって意味ではすごい貴重な体験だよね」

「そうだな…。そーいう意味じゃ、この前のオレの夢も――って、おい、こら!」

「うわぁ!?」

「オメー、ホントに忘れんだろな!? さっきは酔ってたから聞き流したけど――」

 桑田は大きな声で吠えたてようとした。
 しかし、その声が辺りに響く前に、軽やかな声がそっとその口を押しとどめた。

「あれ? そちらの方はどなたですか? 霧で顔が見えません」

 舞園の声だ。
 そして、それに続くようにして、霧切の声も聞こえた。

「ソリの中にいる人が起きたのね?」

 舞園と違い、霧切の言葉には困惑の色は見えなかった。
 しかし、それ以上の説明も感想もなく、質問や追求もしてこない。
 そして、舞園と霧切はそのまま押し黙ってしまう。
 ふと、そのことに苗木は違和感を覚える。

(……急にどうしたんだろう? 霧切さんと舞園さん?
 こっちの出方を窺っているような?
 普段ならもっと気軽に何か話を振ってくるよね……?)

(……苗木君。これはセレスさんの夢でちゅよ)

(……ウサミ?)


(2人の言動は、セレスさんの頭が考えるものなので、実物とが違いがありまちゅ。
 イメージであり、現物とは違うんでちゅ!
 その言葉もシチュエーションに合わせて、本当に言いそうなことから絶対言わないだろうもの、
 言ったら面白いだろうなぁってものから、怖いだろうなぁってものまで様々でちゅ)

(そうなんだ?)

(そうでちゅ。連想ゲームみたいなものでちゅ。
 だから、ソリの中に桑田君がいたことに霧切さんが本当に気付いていたかも怪しいでちゅ。
 さっきまで少しもソリの中なんて気にしてなかったでちゅ。
 本物の霧切さんなら『分かっていた』と言いそうだと、セレスさんは考えたんじゃないでちゅかね)

(……なるほど。だから、桑田君がいるってわかってたわけじゃないんだ)

(たぶん…きっとそういうことでちゅ)

 苗木とウサミは脳内で会話すると、そのまま桑田について2人に紹介した。

「えっと…。今、ソリに乗ってるのは、桑田クンだよ。それで、桑田クン……、前にいるのは、舞園さんと霧切さんだよ」

「マジでー? やべー、寝て起きたら中々ラッキー。
 よっし、このままダブルデート行こーぜ! 城の夜景とかいい感じだろーし!
 セレスの考えるのは趣味じゃないけど、デート場所としてはロマンはあるよな。
 遊園地みてーっていうか、お化け屋敷みたいで!
 クジでもなんでもいいから、ペアを作ってその辺回ろうぜ! な、舞園、霧切?」

「はぁ…。そうですか? 桑田君って、あの桑田君ですよね? 女王陛下の庭に放し飼いにされてるペットの?」

「は!? 何言ってんの、舞園!?
 オレがセレスのペット? なんで、オレがあのゴス女のペットなんかに?
 つーかさ、そもそもオレ、そんな趣味ねーぞ?」

 そこまで言ったときだった。
 霧切が足を止めた。そして、霧の中でも分かるくらいの殺気を飛ばし始めてくる。
 くるりと振り返った霧切の眼光は霧の中でも光って見えた。

「様を付けなさい、このデコ助野郎……! 皆の前で歌声を競い合って負けたくせに……。 まだそんな生意気なことを言うの? 泣いて詫びてたじゃない?」

「ふ、ふざけんなー!? オレ、そんなことしてねーし! あと、オレが負けるわけねーじゃん?」」

「え!? あんなにすごい泣いてたのに忘れちゃったんですか!?
 あぁ、そんなにショックだったんですね……」

「そ、そんな目でオレを見んなよ。舞園だって、オレの歌、前褒めてくれたじゃん……?」

「社交辞令だったんですけど……。まだ気づいてなかったんですか?」

「マジかよー……。けっこー嬉しかったのに……」

「く、桑田君……。ここはセレスさんの夢でちゅから……」

 2人にボロクソにけなされ始めた桑田を見かねて、ウサミが小声で桑田に言った。
 苗木はそんな桑田達の会話を聞きながら、こう嘆息した。

(学園祭のとき、結局、ステージでのオオトリになったのは、セレスさんだよね?
 たしかに桑田クンと争ってたけどさ……。
 結局、桑田クンをやり込めて、悠々と歌っていたような?
 そ、そこまでしといて、これかぁ……。
 セレスさん……、普段からこんなこと考えてるわけじゃない……よね?
 夢の世界の出来事がきっかけで、現実世界の人間関係がこじれるとか嫌だからな……)

 苗木は引きつった笑いを浮かべる。
 ひとまず、セレスにケチを付けるような行動はこの夢の中ではタブーだと理解した。
 だから、苗木は桑田から矛先を逸らすためにセレスを褒めてみる。

「セレスさんって綺麗で頭が良くて歌も上手いんだよね。すごい運もいいし、憧れちゃうなー」

 慣れないことをしているため、やや棒読み気味だが、苗木はあれこれセレスを褒め称える。

「頭もいいし、度胸もあるし、いや、本当に完璧だよね」

「は? 何言ってんだ? 苗木?」

「そうですよー、苗木君。もうっ! そんな当たり前のこと言っちゃって!」

「そうよ。苗木君。女王様は生まれたときから勝利を義務付けられているのよ。考えなくても分かるじゃない」

「あぁ、なんかもういいやー。オレ、この2人苦手だわー。絶妙にうぜーわー」


 桑田のイヤミを耳にも留めず、舞園と霧切がセレスの数々の逸話を話しはじめる。
 もう何も言わずに、桑田はゴロンとソリの上で寝ころんだ。

 やがて、舞園と霧切の話は逸話から謁見時の礼儀作法へと話題が移る。
 苗木は細かい所作などについて延々と聞かされながら、ゆっくりと歩いていった。

 そして、城門に辿り着き、大神と戦刃に無言で中に入れと促され、そのまま城の中を歩いていく。

 様々なものが見えた。
 ぼんやりとしたシャンデリアの明かりに照らされながら、ホールで踊る人々。
 ライオンみたいな恰好をして庭を駆け回る桑田。
 ブリキの兵士のように城内を巡回する石丸の群れ。
 メイド姿で様々な雑事をこなす不二咲。
 蔵書室の整理をしている腐川。
 なぜかやっぱり便利キャラとして、庭仕事などを行う山田。 
 ……見覚えのない顔もいっぱいいたが、よく見ると、見知った顔もそこら中を歩き回っている。
 そして、歩き回りながら、城を整えていた。
 この城の主のために、様々な者が歯車として回っている。
 何故か全員、恍惚とした表情をしている……。

(……調教済み?)

 苗木は冷や汗をかきながら、城の奥深くにある謁見の間へと近づいていく。

 そして、ついに辿り着いた。

「やっと、来ましたか? 来るのは分かっていましたわ
 さぁ、どうぞ、楽にしてくださいな。うふふふふふ……」

 謁見の間というにはこじんまりとしており、
 玉座もまた装飾は少なく、どこかアンティークなソファを思いださせた。
 調度品なども置かれており、謁見の間と言うよりは、彼女の居室といった具合だ。

 しかし、そこに座るセレスは女王然とした風格を漂わせていた。
 ヴァンパイアのように牙を生やした十神に執事服を着させ、その彼に運ばせたワイングラスを右手で弄んでいる。
 その目は入室してきた苗木達を見下ろしていた。
 侮蔑するでもなく、軽く見るのでもなく、圧倒的な高みから静かに苗木達を見ていた。


「それでは、どのようなものを持っていらしたのか、楽しみにしていますわね……」


 セレスは冷たく微笑んだ。

今回はここまでです
あと2~3回でセレスの夢が終わる……はずです


「はい、これが約束の品です」

 舞園と霧切が前に出て、餃子とラー油を差し出した。
 餃子は宝石箱のような入れ物に入っており、作られてからだいぶ時間が経っているはずなのに、
 湯気が出ておりまだ暖かそうだった。

(魔法瓶ならぬ魔法箱ってところなのかな? ラー油の入った容器の蓋もプラスチック製みたいだし……
 餃子関連に関しては世界観から浮いてても深く考えてはいけないんだろうなぁ)

 そう心中で嘆息しつつ、苗木はセレスの近くに立つ十神を見た。
 無言のまま、十神は立ち続けている。
 執事として、寡黙な態度を崩さず、命令を待っていた。

(ヴァンパイアなのに、ニンニクの臭い大丈夫なんだ……)

 苗木は頬を掻く。
 そもそも十神の恰好自体ツッコミどころが満載だった。
 絵の具か何かで、唇を縫うようにして赤いバッテンが描かれている。
 おそらく、口が悪いから「喋るな」というセレスの無意識の注文だと思われる。

 苗木は、セレスが以前、
「十神君はもう少し従順そうならばナイトに相応しいのですが、はぁ……残念ですわね」
 と憂い顔で言っていたのを思い出し、もう一度、心の中でため息を吐く。

 ついでに、何となくだが、苗木は思う。
 セレスの居場所に近付けば近付くほど、違和感のある箇所も増えているようだ……と。

 良く見れば、城内の細かいところは、城の外側に比べてリアリティがない。

 セレスの無意識の願望が、好きなものを出来る限り詰め込もうとした結果、
 全体の世界観に馴染んでいない物質や人物も増えているに違いない。

 細かい調度品に現代社会のものが混ざっていたり、横文字にアルファベットではなく、
 カタカナが使われていたりと、本人にとって馴染みの深く使いやすそうなものがいくつも存在していたのである。

(餃子に使うための割り箸入れも厨房に置いてあったし……世界観はどこ行ったんだろ……?)

 苗木は何とも言えない気分で部屋の様子やセレスの様子を眺める。

 しかし、当のセレスは満足しているようだ。

「ウフフ……。ご苦労様でした。あとでご褒美をあげましょう。考えておいてくださいね」

「はい、ありがとうございます」
「光栄です。女王陛下」

 舞園と霧切は綺麗な姿勢でお辞儀をする。

 それに対して、セレスも優雅にほほ笑む。
 ソファに身体を軽くもたれさせ、ソファ風の玉座の肘掛に頬杖をつき、左足を軽く組んでいる。
 服装や髪型はいつものものと違う。白いレースの少ない漆黒のドレスを着て、
 結いあげた髪を黒薔薇のコサージュでまとめており、どこか妖艶さがあった。
 可愛さと退廃的な要素を併せ持つゴシックロリータというよりは、
 退廃的な要素を強調するゴシックファッションに近い格好だ。

「やべー。セレスが縦ロールじゃねー。しかも、いつもと違って化粧じゃねーぞ、あれ……」

 何だかんだ文句を言いながらも、ソリから降りて、ここまで着いてきた桑田がボソリと言った。
 その言葉を聞いて、苗木もセレスの顔をよく見る。
 言われてみれば、顔の雰囲気がいつもと違った。

(本当だ。化粧なしで顔が白くなってる……。それにいつもより顔立ちが欧米寄りになってる気がする)

 部屋が暗めだったため、最初は気のせいだとも思ったのだが、そうではなかったようだ。
 セレスの顔が、いつもより彫りの深い顔になっている。
 漫画家が画風をキュートなものからリアルなものへと変えたような、妙な違和感があり、苗木は「うーん……」と首をひねった。

(宇都宮出身ということを平気で話してる時点で、別に日本人であることが嫌だと思っているわけじゃないんだろうけど……。
 やっぱり、それと憧れは別なのかな……? 正直、普段の顔の方が親しみがもてて良いと思うんだけど……うーん……。)

 ちなみに、隣で桑田は「ファッションセンスを改めれば、もてると思うんだけどねー」などと失礼なことを呟いていた。

「それで、そちらのお三方はどちらの方でしょうか?」」

 そして、そんな苗木達を見て、セレスが声をかけてくる。
 あわてて、苗木は居住いを正す。

「あ、挨拶が遅れて、失礼しました……」


 苗木達はゆっくりと前に進んで挨拶をした。
 苗木とウサミが道中で舞園と霧切から教わったとおりの作法で頭を下げ、
 それに続く形で、桑田が2人を真似る形でわずかに首を傾ける。
 ただし、桑田のお辞儀はいやそうな態度が隠しきれていない雑なものだった。

「…………2人は良いでしょう。しかし……」

 行儀が良いとはお世辞にも言えない桑田の所作を見て、セレスは眉をひそめた。
 セレスは頬杖を突いていない側の手で肘掛をトントンと軽くたたき始める。

「そうですわね……」

 そして、しばしの間を挟んで、その手の動きを止めると、桑田に対して告げる。
 さらっとした口ぶりだった。

「あなたはEランクですわ。めざわりなので、退室してくださいません?
 あなたは、わたくしの部屋には相応しくありません」

 それに対して、桑田は「頭下げてやったじゃねーか!」と憤慨し、
 身振り手振りを交えながら、負け惜しみまがいの文句を言い始める。

「は!? あー!? バッカじゃねー? ありえねー。何様だよ!? ちなみに、オレはスーパースター様だかんな!
 言っとくけどな、別にオメーの部屋になんか入らなくても、入ろうと思えばいくらでもオレを部屋に入れてくれる女の子いんだからな!
 オメーなんか好みじゃねーし! この部屋もオレの趣味じぇねーし!
 オレ、女の子に関してはもっと純情そうなのが好みー。この部屋じゃドキドキ感足りねー」

「……今のでFランクに格下げですわ」

 セレスは右手の親指と中指をこすり合わせてパチンと音を立てる。
 すると、桑田の立っていた床が扉のようにパカリと開く。

「うぉっと!? なにすんだ!? 殺す気かよ!?」

 しかし、以前、自分の夢の中で落ちたときの経験が活かされたのか、
 桑田はひらりと身をひるがえして、穴に落ちるのを回避しようと身体を動かす。

 恵まれた反射神経によって、落とし穴が完全に開き切る前に足元を蹴り、
 優れた身体バランスによって身体を捻り、飛距離を稼ぐ。

 まるで空中を滑るように飛ぶ桑田。
 さながら牽制球に反応してベースに戻る野球選手のように、桑田は安全な床へと転がり込んだ。

「チッ……。バカは落ちればいいのに……。目障りなのよっ!
 まったく、わたくしが消えろと言ったのだから、消えてくださらない?」

「バカって何だよ、バカって。あと、消えろって口で言う前に穴開けたよな!?」

「バカじゃなければ、アホですわ」

「アホって言う方がアホなんだよ。アホアホアホアホアホアホアホアホアホ!」

「うっせぇぞ! この焼き鳥頭がっ! ボキャブラリーすくねーな、オイ!
 ってか、テメー、いつぞやの臆病ライオンじゃねーか!?
 おい、チキンライオン! その鬣(たてがみ)むしられたくねーなら、
 さっさと庭に戻って、犬みてーにチンチンでもしてろや。アァ!?」

「鳥か!? ライオンか!? 犬か!? まずどれなんだよ!? イミわかんねー!」

 盛大に罵り合う2人。
 その様子に、ウサミがオロオロしだす。

「ふ、ふたりとも喧嘩はダメでちゅ! 仲良くしまちょー!」

「「うっせ、すっこんでろっ」」

「ひぃぃぃぃでちゅぅぅぅぅ……。2人して同じ喋り方になってまちゅ」

「「………………………」」

「あら……でちゅ?」

 ウサミの叫びを聞き、急に静かになる2人。
 おそらくハモったことが恥ずかしかったのだろう。
 どちらも苦虫を潰したような顔をしていた。

「おほん……。ところで、残りのおふたりは……っと、そういえば、そちらの方も見覚えがありますわね」

「え? ボク……?」


「えぇ、そうですわね……たしか……。……あぁ、思い出しましたわ」

 セレスは苗木に向かってにっこりと微笑んだ。

「案山子さんですわね」

「か、案山子……?」

「あら? 変な顔してどうしたのですか? いつも農園を江ノガラスから守っているではありませんか?」

「江ノガラス……」

「いつも畑でボーっとするのも飽きますものね。たまのお休み……というところでしょうか?
 それとも、収穫物でも届けに来たのですか? 美味しいですものね、とちおとめ。
 バラ科の植物ですし、わたくし嫌いじゃないですわ」

 いつの間に、自分は畑の守護者になったのだろう? と、苗木は埴輪のように口をぽっかりと空ける。
 そんな苗木の様子を見て、舞園が「苗木君って、案山子さんだったんですか!? うわぁ、すごーい!」と何故か大絶賛していた。
 意味が分からない。苗木はウサミにテレパシーで相談を持ちかける。

(えっと、どうしよう? ウサミ? なんかすでにボクの役割が出来てるみたいなんだけど……)

(何が求められてるかよくわかりまちぇんね。うーん、とりあえず、イチゴを魔法で出してプレゼントしまちょうー)

(え、出来るの?)

(はい、視覚や聴覚に比べて、味覚や嗅覚はイメージしづらいんでちゅが……。
 イチゴならあちしもよく食べてまちゅし、シンプルでちゅから、頑張ればなんとかなりまちゅ! たぶん!)

 そうテレパシーを送ってきたウサミは、魔法のステッキを振り上げる。
 薄暗い闇の中で、綺羅星のように光り輝くウサミ。
 その場にいた者達が目を押さえた次の瞬間には、スーパーのパックに入っているイチゴがウサミの手元にあった。

「はい、女王様、これがあちしたちが作ったイチゴでちゅ」

「……ところで、あなたはどなたですか? わたくし、あなたについては全くもって心あたりがないのですが」

「あちしは旅の魔法使いでちゅー。
 案山子の苗木君が無事にお城までたどり着けるように、ここまで一緒についてきたんでちゅ!」

「そうですか。それはご苦労さまでした。優しいんですのね、ウサギさん」

「いえいえ、それほどでもー。ふふーん」

 胸を張りながら、セレスへとウサミは近づいていく。そして、イチゴを手渡した。
 手渡されてイチゴをしげしげと見た後、セレスは一粒摘まんで、口に入れた。

「あら……。魔法で作ったイチゴだから、さぞ美味しいかと思ったら、いまいちですわね」

「えぇ……。そうでちゅかぁ……。残念でちゅ。ごめんなちゃい」

「はぁ……。期待しましたのに。潤いが足りませんわ。味も甘いですけど、どこか人参みたいです」

 イメージで作られたイチゴは所詮イメージだったようだ。
 セレスの冷ややかの視線を受けて、ウサミが狼狽えて、プルプルと震えている。
 それを見て、さらにセレスはため息を吐く。

「はぁ……。このわたくしにふさわしいものを献上出来たのなら、
 なんでも望むものを褒美として与えたのに、もったいないことしますわね」

 セレスは指先をくるくると回しながら、そう呟いた。
 その言葉を聞いて、苗木は考える。

(もしかして、ここでセレスさんをすごい喜ばして、褒美をもらって、みんな良かった! みたいな形で終われば、
 この夢にオチが付くんじゃないかな? ……セレスさんのことだから、無理難題言ってきそうだけど、ウサミのステッキなら……)

 苗木は一歩前に出た。

「えっと、セレスさ、……セレス様?」

「はい、なんでしょうか、苗木君?」

「えっと、ウサミはステッキで他にも色々できますよ。身体を大きくしたり、もっといろんなものを作ったり」

「あら、そうなんですの?」

「リクエストしてもらって、それをウサミが知ってれ――」

「そうですの? それでは宝石をお願いできます? ひとまずダイヤモンドでも」

「……え、あ、うん」

 恥も外聞もなく、即座に貴金類を所望するセレスに戦慄を覚えながら、苗木はウサミに頼む。

「ウサミ……。お願い」

「合点承知でちゅー。えい、ちんぷいぷい、ちちんぷいー!」

 そして、次の瞬間、山のようにダイヤモンドが降ってきた。
 溢れかえるダイヤモンドの山に、さすがのセレスも感嘆のため息を吐く。

「あら、素敵ですわね……。――ルビー、サファイア、エメラルド、トルマリン、トパーズ、アメシスト、アンバー、
 オニキス、オパール、ガーネット、キャッツアイ、クリスタル、カーネリア、パール、ターコイズ、ペリドット、
 ムーンストーン、ラピスラズリ、ローズクォークもお願いできますか?」

「えっと、その? ええい! もう色々出しまちゅー! 任せてくだちゃーい! ちんぷいー!」

 色とりどりの宝石がどんどん降ってくる。
 まるで色の着いた雨のように、宝石は床を叩いていく。
 しかし、不思議なことに割れることも傷つくこともない。
 ひとつひとつの宝石が大きく丈夫で、その輝きも素晴らしいものだった。
 中には自然界で見たこともない不思議な色の宝石も存在していた。
 七色の宝石や雪の結晶のような形をした宝石がセレスの手のひらの中に納まる。

「素晴らしいですわ。さすがは魔法使いです……。感謝いたしましょう」

「えへへ、褒められちゃったー」

 ウサミが喜んでいる。
 それに対して、セレスもまた穏やかな表情を浮かべていた。慈愛に満ちた表情だった。
 苗木はそれを見て、安堵の息を吐く。

(よし、すごく楽しんでもらえたみたいだ!)

 これで、あとは褒美でももらって「めでたしめでたし」で終わるに違いない。
 そのとき、苗木はそう思っていた。

「ところで、魔法使いのウサギさん。身体を大きくすることもできるのですよね?」

「はい、もちろんでちゅー。余裕でちゅー」

「見てみたいですわ」

「はいはいでちゅー。いきまちゅよー! ちんぷいー!」

 ウサミが部屋いっぱいに巨大化する。
 黄色い歓声をあげる女性陣。
 その歓声に対して、ウサミは誇らしげに胸を張る。

「どうでちゅかー!」

「きゃー、すごいですわ。すごいですわ。それでは、小さくなることもできますの?」

「もちろんでちゅー」

「そうなんですのー。どれくらいまで小さくなれるのですか? さすがに豆粒ほどにはなれないのでしょうかー?」

「侮ってもらっちゃこまりまちゅねー。それくらい余裕でちゅ!」

「どっひゃ~~。おったまげましたわー。触ってみてもよろしいですかー?」

「いいでちゅよー」

「小指より小さいですのね。すごいですわー」

「いえいえ、それほどでもー」

「いえいえー、本当にすごいと思いますわー」


 セレスは豆粒のようになったウサミを右手に乗せて、顔の目の前に近づけた。
 セレスはウサミをジッと見つめる。
 照れたようにモジモジするウサミ。ステッキや服装もそのまま小さくなっている。

「お世辞抜きに素晴らしいと思いますわー」

 ウサミをなでるようにして、左手の人差し指を近づけ、セレスは恍惚とした表情をする。


「……本当に」


 そして、そのままボソリと呟いた。


「……ずっと手元に置いておきたくなるくらい素敵な“ステッキ”ですわ」


 親指によって、セレスの人差し指がたわみ、一瞬のうちにそれが矢のようにして放たれた。
 そして、狙いたがわず、ウサミの手元のステッキを弾き飛ばす。

 爪楊枝よりも細く小さなサイズになっていたステッキは音も響かせず、床へと落ちる。

「え……?」

「それでは、ごきげんよう。魔法使いさん」

「ちょ、えー!?」

 そして、セレスはウサミを口の中に放り込んだ。
 セレスの小さな喉がゴクリと動く。
 辺りには静けさが広がる。

「「え?」」

 苗木と桑田も何が起きたのかすぐには分からなかった。
 だが、何が起きたのか理解した次の瞬間、同時に叫んだ。

「「ウサミーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?」」

(どういうことでちゅかーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?)

 テレパシーが苗木の脳内に響き渡る。


 パニックを起こす苗木と桑田。
 そんな、2人に対して、舞園が声をかける。

「2人とも逃げましょう! こっちに来てください!」

「あ、うん! わ、分かった、舞園さん……!」

「ちょ、まて、苗木! そいつは……!」

 2人の命運を分けたのは、セレスの夢の中の舞園に対する好感度の違いだ。

 ボロクソにけなされていた桑田は嫌悪感を持っていた。

 それに対して、苗木は持っていなかった。
 むしろ、現実世界で仲が良いこともあり、どちらかといえば好感を持っていた。
 そのため、苗木は無意識に舞園の言葉に従ったのである。

「苗木君、つーかまえたー♪」

「うわあああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「苗木いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!?」

 苗木の頭上からは瓶が降ってきた。
 瓶には“honey”と刻まれている。
 その瓶の口から、小麦色のねばねばした液体がぶちまけられ、苗木の身体を押し流す。
 無様に床に転がり、立ち上がろうともがく苗木。
 しかし、そんな苗木に対して、さらに網が投げつけられる。

「チェックメイトね……」

 霧切が静かに笑い、網についた縄を引っ張っていく。
 苗木の身体は地面から離れ、彼女達のひざくらいの高さで、宙ぶらりんとなる。


「く、桑田クン、逃げて! なんか良く分からないけど、逃げてー!」

「な、苗木……」

 叫ぶ苗木に対して、動揺する桑田。

 そんな桑田に対して、セレスが悠然と近づいていく。
 その指先にはウサミの魔法の杖が挟まれている。


「さて、あとはこの杖の使い方を教えてもらいましょうか
 この男の命と引き換えに……。うふふ……」

「邪悪でちゅ! まさに邪悪でちゅ!」

 ウサミの声がセレスの耳へと届く。
 テレパシーでなくとも、体内からの声はセレスまでなら届くようだ。
 傍から見たら、まるで独り言だが、セレスはウサミに向かって叫ぶ。

「黙りなさい! この杖さえあれば、様々なことが思いのままじゃありませんの!」

 続けて桑田達にも叫ぶ。

「そもそも、あなたたち、わたくしの知っているライオンでも案山子でもないでしょう! この偽物!
 このわたくしを騙そうなど、百万年早いですわぁ!!」

「に、偽物ってか……。オレ、だから、はじめから、否定して――って、うおおおおい!?」

「逃げて、桑田クン! いいから、逃げてー!」

 弁明しようとする桑田に対して、ダッシュで迫り、飛び膝蹴りを放つ霧切。
 桑田は身をひるがえして、それを紙一重で避ける。
 夢の中の霧切の脚力は鬼のようにすさまじく、かすっただけなのに、桑田の服が破けた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 桑田は一目散に逃げる。
 それを追いかける霧切。
 それらを見て、大音声を響かせるセレス。


「捕えなさい! 生きたまま捕えなさい! 捕えた者には望むままに褒美を与えましょう!」

 そして、城全体を揺るがすように、城のあちこちから怒号にも似た返事が返ってきた。

 今、桑田の逃亡劇が始まる。


「ありえねえええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」

今日はここまでです
次回から、セレスの弱点を求めてさまよう桑田の大冒険(笑)が始まるよ

明日の午前中に6~8レスくらいあげます


 桑田は、長い廊下を全速力で駆け抜ける。
 廊下の壁には燭台が並び、桑田が横を通り過ぎる度に、火が灯る。
 まるで城全体が桑田の行先を教えているかのようだった。

「こんなんありかよー!?」

 実際、霧切を先頭にして、続々と城の住人達が合流してきている。
 槍を持った石丸、刈り込みバサミを持った山田といった見知った面々から、
 見覚えのないやたらと顔立ちが整ったヴァンパイア風の男達まで、様々な者達が桑田の背中を追いかけている。

「ばっかじゃねーの!? こんなに汗かくの、オレのキャラじゃねーしっ!
 泥くせーのは石丸にでも任せとけよ!」

「ハッハッハ! 呼んだかね!?」

「呼んでねーよ!」

「そうだったのかね? しかし、良い健脚ぶりだ! ハッ、そうか! 野球には足も必要だからかッ!」

「何でもかんでも野球に結び付けんじゃねーよッ!」

 いつの間にか、石丸が桑田の隣を並走していた。
 ガチャガチャとブリキの鎧を鳴らしながらも、息ひとつ切らしていない。
 満面の笑みを浮かべながら疾走する石丸。
 しかし、ハッと何かに気づいた様子を見せると、急に真剣な顔になる。

「桑田君! 廊下を走るのはやめたまえ!」

「廊下走りながら言うセリフじゃねーな! イインチョがまず止まれよ!」

「僕はイインチョではない、ここではヘイシチョだ! ちなみにナイトとは別だぞ!」

「どうでもいいーしっ! 泥くせーのにはかわんねーし!」

「……うむ? ナイトは泥臭くないぞ?」

「そっちじゃねーから! オメーのことだから!」

 叫びながら、桑田は曲がり角を曲がる。
 すると、桑田の後ろで、列をなすようにして城の住人達が連なっていく。
 石丸を先頭、山田を最後尾とし、その間にイケメンヴァンパイア達が並んでいた。

「オレ、持久走、は、苦手、なんだけど……。」

 桑田は必死に足を動かす。夢の中だというのに、心臓が痛い。
 恵まれた才能は、彼に剛腕だけでなく、健脚も与えていた。

 同世代に比べれば、圧倒的に早く、圧倒的に持久力もあるのだが、
 それでも桑田は持久走に苦手意識を持っていた。

 練習嫌いの延長で、ランニングなどの基礎トレーニングを嫌ってきたためである。

 ランニングに真剣に取り組んだことがないわけでもなかったが、それもだいぶ昔の話。
 甲子園に出場する少し前に至っては、ランニングに参加しないと野球の練習もさせないと
 顧問に脅さて、仕方なく走っていたという有様だった。

 そして、希望ヶ峰学園に入学してからは、その反動もあって、全力でランニングを避けていた。

(こんなんになんなら、投げたり打ったりするだけじゃなくて、走るのももっと……って、うわ、あぶねっ!?)

 しかし、それでも過去の積み重ねが残っていたのか、
 桑田は息切れを起こすぎりぎりのところで追手の手をかわし続ける。

「おとなしく捕まりたまえ!」

「いやに決まってんだろ! ……うりゃッ!」

「うわッ!?」

 ひらりひらりと、動体視力と反射神経を駆使して、自身の身体を掴もうとする石丸の手を紙一重で避け、
 スライディング気味に足を突きだすことで、彼を転倒させる。
 そして、石丸の落とした槍を拾うと、そのまま再び走り出す。


「待ちたまえ! 僕の槍を返すんだ!」

「いやに決まってるんだろ!」

「クッ…。ナイトの皆さん、お願いいたします!」

 床に片膝を突いた状態で、石丸はイケメンヴァンパイアの集団に対して、
 拝むように手を合わせ、大声で頼み込む。

「「「「「――――――――――――――――――――――――」」」」」

 それに対して、ヴァンパイア達は目を赤く光らせることで了承の旨を返す。
 その様子を振り返りながら見た桑田は少年漫画を連想する。

(全員、同じような恰好してると、イケメンでも雑魚キャラの群れに見えんな……)

 やられ役というのだろうか? 悪の組織の末端戦闘員を桑田は思い浮かべた。
 主人公の新技などであっという間に蹴散らかされる雑魚キャラ達である。
 ヴァンパイア達は執事服の似合う美男子・美少年であり、ひとりひとりは見目麗しい。
 しかし、ハンコ絵のように同じデザインの服を着ている彼らの姿はまさにモブキャラ。
 使い捨ての戦闘要員にしか見えなかった。

 そして、実際、桑田に追いつくことが出来ず、あと一歩のところまで迫るたびに、
 撃退される彼らの姿は、むしろその見た目の良さとのギャップの大きさによって、
 何とも説明の付きづらいシュールのものになっていた。

 桑田は石丸から奪った槍をバットをスイングするように振り回すことで、
 至近距離まで迫ったヴァンパイアをなぎ倒し、それ以外のヴァンパイア達も自分の身体から遠ざける。

「いやだー! マジいやだー! 泥くせーのもうさんくせーのも辛気くせーのも勘弁してくれよっ!」

 追手をまこうと、桑田は何度も何度も道を曲がり、曲がるたびに後ろに向かって槍を振る。
 フルスイングされた槍はヴァンパイア達を弾き飛ばす。
 しかし、転倒させても転倒させても、代わりのヴァンパイアが現れる。
 終わりのない逃亡劇が続き、燭台のない場所を求めて、桑田は走り続けた。

(どっちが入口だっけ……。ってか、入口にいけばいいのか? あぁ、もうわっかんねー!)

 桑田は近くにあった階段へと向かい、一気に駆け下った。
 2段、3段と一気に段を飛ばしていき、U字型の踊り場へと着地する。
 そして、踊り場で一気に踵を返して、さらに飛び降りるようにして下へと向かう。
 その結果、桑田は、ヴァンパイア達の目から姿を消すことが出来た。

 そして、さらにそこで幸運なことに気づく。

(よっしゃっ! 階段には燭台がねぇ! このまま一気に距離を開けて、
 1階じゃなくて2階で廊下に戻れば、あいつらまけんじゃね!?)

 階段には燭台の代わりに窓があり、それが室内の明かりを採っている。
 そのため、桑田のいる場所のみが明るく照らされるということもなく、追手をまくにはうってつけだった。
 そこで、桑田は思いつきに従い、身を翻す。
 2階の廊下へ走り出て、即座に物陰に隠れる。

 一番近くにある燭台と階段の間に、布団のシーツをぎっしりと詰めたワゴンが置いてあったので、
 その後ろへと隠れた。

(お願いだから、気づくなよ……。……うしっ! 行け、行け、そのまま行っちまえ……!)

 桑田の願いが通じたのか、ヴァンパイア達はそのまま1階へと向かっていく。
 石丸もまたその後ろを走り抜けていった。

 なお、石丸は数が増えていた。兵士長と自分のことを称していた石丸の他にも、
 少し小柄で色違いのミニ石丸がきびきびと手足を動かし、兵士長の後ろをついて行っていた

(……な、なんだあれ? ミ○ドラ? ……ま、まぁ、いっか。とりあえず、これでひとまず……って、うおぉ、あぶね!?)

「皆さん、待ってください……。自宅警備員である拙者には、この急こう配は地獄でござるよ……
 ブヒッ……。……いや、ほんとに、待って、僕、死にそう……ぜぇぜぇ……」

 だいぶ遅れて、山田が通過していった。
 夢とはいえ、中々、リアルなタイム差だった。


(ブーデー、無理すんな……)

 山田一二三――夢の中でなおセレスにこき使われている彼に、桑田は同情を禁じ得ず、
 桑田は山田に憐みの目を向けた。

(……ま、けど、実際おせーな。さっさと行ってくれ、頼む)

 しかし、同情ばかりはしていられない。
 もし捕まれば、自分も山田達のように、奴隷になるまで調教されるかもしれないのだ。
 セレスならそういうことをする……そんな確信にも似た予感が桑田にはあった。
 現実ならともかく夢の中なら、一切遠慮することもないだろう。

 山田が姿を消すと、桑田は安堵で胸をなでおろす。

(あ、そういえば……)

 そして、ふと苗木のことを思い出した。
 捕まった苗木は無事だろうか?
 そもそも、あの杖の使い方を知りたいのなら、自分ではなく、
 苗木の命を引き換えにしても良いのではないか? そんなことを桑田は思う。

 そして、そう思った時だった。

(……桑田君。桑田君。……無事でちゅか?)

(ウサミ……!? なんだ、どっから!?)

(桑田君にはまだ言ってませんでちたが、実は、あちし、テレパシーが使えるんでちゅ。
 杖がなくても、簡単な魔法はまだ使えるんでちゅ……)

(マジかよ!? じゃあ、この状況をどうにかできるんの?)

(…………………………)

(……黙んなよ!?)

(……他にも、夢の世界の住人がどのあたりにいるかなんとなく分かりまちゅ)

(……そんだけ?)

(…………ごめんなちゃい)

(お、おう……)

(だけど、逃走するのを助けるくらいはできまちゅよ……)

(そ、そうか……。じゃあ、頼むわ……)

(はい! ……でちゅ)

 なんとも言えない気分で、桑田はウサミのテレパシーを聞いた。
 レーダー――のようなもの――を手に入れたわけだから、事態は多少マシになっているのだが、
 桑田としては落胆の方が大きかった。
 せめて、事態が解決に向かうヒントが欲しいところだ。

(てか、どうすりゃいいわけ? セレスが目を覚ますまで逃げ回ればいいのか?)

(あ、そのことなんでちゅが、その……できれば……強制的にセレスさんの夢を覚まさせてほしいでちゅ……)

(キョーセイ的?)

(たしか、桑田君にも≪旅のしおり≫を渡しまちたよね?)

(あ? このだせぇやつ?)

(ダサい……)

(まだ持ってるけどさ、これがどうしたわけ? いちおー、中身は読んだけど?)

(今から、そこにルールなどを追加しまちゅ)

(……お?)


 桑田の首にかけられていたひも付きのノートが光り出す。
 あわてて、桑田はそれを手で押さえる。

(バカ!? 隠れてんのに、見つかったらどうすんだよ!?)

(ご、ごめんなちゃい! 魔法は光るって決まりがあるんでちゅ……!)

(んな決まり、今いらねーからっ!)

 光を漏らさないように、桑田はあわてて服の中に≪旅のしおり≫を入れ、うつぶせになった。

(……消えたか?)

(もう光は大丈夫だと思いまちゅ……。ごめんなちゃい)

(はぁ。勘弁してくれよ……)

 桑田は≪旅のしおり≫をぺらぺらと開く。
 すると、そこには「New!」とうマークの付いた新しい事柄がいくつか書かれていた。

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苗木の状況に関するルール
 ルール1【苗木誠は15個の希望のカケラを集め終わるまでクラスメートの夢の中に迷い込む】
 ルール2【希望のカケラを回収し終えたクラスメートの夢に再度行くことはない】
 ルール3【苗木誠が他者の夢に引っ張り込まれるときに、回収済みの者が寝ている場合、その者は苗木と一緒に迷い込む】

※ルール1~3は現時点での推定

夢世界に関するルール
 ルールA【夢の世界から出る方法は3つある】
  ルールA-1【夢の中の話に一区切りが付く】
  ルールA-2【夢の主が現実世界で目を覚ます】
  New! ルールA-3【夢の主が心の奥にしまいこんでいるものを暴いてショックを与える】New!

 ルールB【夢の世界で迷い込んだ者は次の3つの危険に気を付けないとならない】
  ルールB-1【ショッキングな体験をすることによる精神的ダメージ】
   →グロテスクなものを見ると精神に異常をきたす恐れがあります。
  ルールB-2【物理的なダメージを本物だと錯覚することによる現実世界への影響】
   →刺されるなどした時に死んだと思い込むと本当に死ぬことがあります。
  ルールB-3【夢と現実の区別が付かなくなること】
   →夢の中で宿題が終わったと思っても現実では終わっていません。現実を見ましょう。


注意1【夢を見ている者は自覚している場合としていない場合の2通りがある】
注意2【夢を見ている者は第三者視点で夢を見ているときもあれば、主観のみで見ている場合もある】
注意3【夢の持ち主や登場人物が現実世界どおりの性格や恰好をしているとは限らない】

New! マジカルステッキに関する説明 New!
 a【持ち主の許可さえもらえば誰でも使用可能】
  →盗難されてもセキュリティが機能するので大丈夫です。
 b【使うときは、強いイメージを持って大きく振ること】
  →呪文を唱えるのがマナーです。
 c【夢の世界にあるものを直接壊すことは出来ない】
  →夢もその人の一部です。不要と思ったものが意外な役割を担っていることもあるため、セーフティ機能がかかっています。
  →形を変えるなど、後で元に戻すことが出来る魔法なら大丈夫です。
  →なお、マジカルステッキを使わない方法なら、傷をつけたり、壊しても大事にはいたりません。

※どんなときでも使い過ぎには注意すること
※あまりに夢の中を弄り過ぎた結果、夢の主が長い間、目を覚まさなかった事例あり


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 桑田は≪旅のしおり≫を見終わると、再びウサミと会話し出す。

(で、どういうこと? このルールA-3とかいうので、セレスを起こせばいいわけ?)

(そうでちゅ。本当はあまりよくないんでちゅが、状況が状況だから仕方ないでちゅ……)

(いや、オレは別にこのまま覚めるのを待ってもいいんだけど……。どうせ、朝まで逃げればいいんだろ?
 別にセレスの秘密暴いてもいいけどさ、無理して、この城の中を歩き回りたくもないってか……。
 もう疲れたっていうかさ……。な、分かんだろ?)

(……うむむでちゅ。いえ、けど、最悪の場合があるんでちゅ!)

(サイアクの場合?)

(そうでちゅ! ステッキをセレスさんに使われたら、下手すると、この世界がずっと続くことになりまちゅ!)

(……あぁ、ま、たしかに、杖が使えるなら、セレスなら好き放題すんだろうな。
 ここが夢だって気づいても、現実の自分に遠慮とかしねーだろーし。
 だけど、別に、ウサミが許可しなきゃ、その杖使えねーんじゃねぇの?)

(……そ、それは確かなんでちゅが。そのぅ……。今、すごい……)

(はぁ? なんだよ?)

(数時間も経ったら、苗木君がどうにかなっちゃうかもしれないでちゅ……)

(苗木? ……そ、そういえば、あいつ、どうなった?)

(……………………)

(お、おい、なんだよ、その沈黙? 苗木、どうなったわけ?)

(……少しだけでちゅよ)

(……す、少しってなんだよ…………? 苗木に何が……)

(……蜂蜜を使うのは、未成年には刺激が強すぎまちゅ)

(……あぁ!? どういうことだよ!? おい!?)

 そこまで桑田が話したとき、ザーザーという壊れたラジオのような音が桑田の脳内に流れ始めた。
 ザーザーという砂嵐のような音に混じるようにして、何度かかすれたような声も響く。
 そして、まるで受信する電波が調整されていくかのように、砂嵐は掻き消え、声は明瞭なものへと変わっていく。

(……今、あちしが聞いてる声を繋ぎまちゅ)

 ウサミの声が桑田の脳裏に響いた。
 そして、それを合図に桑田の頭の中で聞き覚えのある声が会話を始める。

◆◆◆

「……蜂蜜は熱を与えればよく溶けて、冷やせばよく固まりますわね。うふふふ……」

「そうですね、女王陛下」

「や、やめてよ、舞園さん……。あ、あついよ……って、やめっ、ほんとに熱いっ」

「あ、ごめんなさい! 火加減間違えてしまいました!」

「いえいえ、舞園さん、それくらいで大丈夫ですわよ。
 人間、はじめは過剰に痛がったり、熱がったりするものですわ。
 苗木君も条件反射的にそう言っているだけで、まだまだ平気でしょう。……………………おそらく」

「そうなんですか? さすが、女王様です! では、もう少し、表面を焦がしてみますね」

「あつ、あつっ、やめっ、蜂蜜は蝋燭みたいにして使うものでも、
 気に入らない相手にぬりたくるものでもないから!?」

「あれ、蝋燭ならいいんですか? 苗木君?」

「あら、まるで変態のようなことを仰いますのね?
 お望みなら、燭台でも持ってこさせましょうか? 十神君! お仕事ですわ」

「…………………………………………………」

「十神君!? やめて、本当にいかないで、キミは本当は命令なんかに聞くタイプじゃないよね!
 超高校級の御曹司であるキミが誰かの命令を聞くなんて、そんなの似合わないよ! 正気に戻って、十神君!」

「その懇願する様子、中々素敵ですわよ。苗木君……。あら、良いことを思いつきました。
 十神君、鎖や手錠も持って来てくださいな。そして、舞園さんと交替してください
 十神君と苗木君……十神君に比べたら、苗木君はだいぶ下がってしまいますが、耽美な世界を形作るなら、及第点でしょう」

「……ボク達に何やらせる気!? セレスさんにはBL趣味とかなかったよね!?」

「耽美な雰囲気になるのなら、少しくらい未知の扉を開いてもよろしいではありませんか?」

「それは違うよ! 思いつきで行って、後悔するものは山ほどあるよ! 例えば――――って、
 あつうううううううううううううう!? 舞園さん!? 今、ボク、話の途中!?」

「あ、ごめんなさい、苗木君。ちょっと手持ち無沙汰で、つい……」

「そ、そんな、しおらしい顔してるのに、火は止めないんだねっ!?」

「うふふ……」

「というか、やめて、セレスさん! 舞園さんは清純派アイドルなんだから! こういうことはさせないでよ!」

「清純派とサディスティックは両立可能だと思いますわよ、苗木君。
 それに、清純派という認識も、もしかしたら、あなたの…………いえ、これ以上、言うのは止めておきましょうか。
 夢を持つというとは大事なことですものね。うふふふふふ……」

「ほ、ほとんど言いたいことが隠し切れてな……」

「イヤよ! イヤよ! イヤよ! 見つめちゃイヤー! ハニートラップ!!」

「痛い、痛い、痛い、舞園さん!? どっから出したの、その鞭!? って、うわぁ、ぁ!?
 痛っ!? 話を聞い――ブボァッ!? 痛ッ!? 顔はやめてぇ……」

「えいえい! 気持ちいいですか? 苗木君!?」

「……痛い。痛い。ただ痛いだけだよ!」

「あら、舞園さん、鞭の使い方がなっていませんわ。貸してごらんなさい」

「はい、女王陛下……! どうぞ!」

「うふふふ……。腕がなりますわね」

「あ、女王陛下、十神君も帰ってきました……!」

「…………………………………………………………………」

「必要なものは全部そろいましたわね! ……では、本気を出しましょうか」

「おー!! 女王陛下バンザーイ!!」

「……………………!!」

「う、うわあああああああああああああああああああああああああああ」

◆◆◆

 そこでウサミが回線を閉じたのか、プツッという音とともに声は途切れた。
 聞き終えて、しばらく桑田は何もしゃべらなかった。
 口も開かず、テレパシーも行わなかった。
 そして、長い時間が経って、桑田は頭を掻きながら、笑顔になった。

(ハハハ! マイフレンド苗木は楽しそーだな! このまんまでもいいんじゃね!
 命に別状なさそうじゃん! オレ、絶対に捕まりたくねーし!)

(最後のが本音でちゅよね!? せめて隠しまちょうよ!)

(やだ、オレ、アブノーマルじゃねーし! そういうの山田の役目だし)

(お友達のピンチでちゅよ!?)

(ピンチっても、せいぜい苗木がSMの扉開くか開かねーかじゃん!
 てか、オメーもその杖の秘密を喋ってないってことは、結局、そういう意味だろ!?)

(……ほ、ほんとに危なくなったら、秘密を明かしまちゅよ! ただ、そうなると、
 ますます状況が悪くなっちゃいまちゅ! もしかしたら、夢の終わるのが長引きまちゅよ!)

(はぁ……。マジかよー……。勘弁してくれよ……せめて、助ける相手は女の子にしろよー……)

(だから、探してほしいでちゅ! セレスさんが思わずパッと目を覚ましてしまうほど知られたくない秘密を!)

(……秘密ねぇ。あ、オレ、一個、心あたりあるわ)

 やる気なく、頭を掻いて、寝転がっていた桑田は唐突に何かを閃く。
 それに対して、ウサミが強く食いついた。

(本当でちゅか!? 教えてくだちゃい!)

(逆ハーレム!)

(えぇ!? どういうことでちゅか!?)

 驚愕し、疑問を覚えるウサミに対して、桑田はにやりと勝ち誇ったかのように笑う。

(前はバカにされたけど、ぜってー、セレスの夢ってこれだって、
 この夢に入って、確信したわ。逆ハーレム願望あんだって、イケメンはべらして、女王様を気取りたいんだって、間違いねーよ!)

(えっと、本当でちゅか?)

(間違いねー! そうでなかったら、チューニ病だって! 山田が言ってた!)

(それなら……。苗木君にそう伝えましょう……。一度、回線を切りまちゅね)

(おう!)

 桑田は満足げに返事をすると、深く息を吐いた。
 実際、自信があった。
 これで解決するという自信が……。

「……あとは待つだけか。やるな、オレ……。ミュージシャンだけはなくて探偵の才能もあんじゃね? ハハッ、さすが、オレ!」

 ひとり、桑田はしたり顔をする。
 もうすでに助手の報告を待つ名探偵の気分になって、桑田はウサミから再びテレパシーが送られてくるのを待った。

(…………桑田君)

 そして、再び、ウサミのテレパシーが桑田に届く。

(やったか、ウサミ!)

(……伝言でちゅ)

(は?)

(テレパシーを使えるのが、セレスさんにばれちゃいまちた)

(…………)

 それが示すのが、成功なのか失敗なのか、桑田はすぐには判断できなかった。
 しかし、ウサミの続く言葉で、桑田は理解する。


(それでセレスさんが桑田君に対して言ってまちた)

(……なんだよ?)

(『わたくしはこの夢に対して恥じ入ることなど何もありません。
  もし、これを恥ずかしいと思うのなら、それはあなたの心に恥ずかしいという気持ちがあるに他ありません。
  きっと、普段から、低俗なことしか考えていないから、そのような発想しか出てこないのでしょうね?
  あぁ、かわいそうに……。口を開かなくて済むように、テレパシーを使えるのが、せめてもの救いですわね』)

(はぁぁぁぁぁ!?)

(『それと、実力の伴う言動ならば、それは“中二病”ではなく、“個性”と言うのですわ。
  お分かりですか? パンク大好き、高二病疑惑のある桑田君? あら、そもそもドンピシャで高二でしたかしら?
 そうでしたら、失礼しましたわ? お忘れくださいませ。うふふふふふふ……』)

(………………ッ)

(だそうでちゅ……)

(…………………)

(…………桑田君?)

「……セレス、調子にのんなあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

(でちゅ!?)

「オメー、なんなの、学園祭のときといい、オレになんか恨みでもあんの!?」

(桑田君、お、落ち着いてくだちゃい!)

「やってやるよ! ぜってー、やってやる! 見てろよ、セレス、
 オメーの知られたくないヒミツ、夢の中だけとは言わず、現実でもばらしてやる!」

(そ、それはダメでちゅぅぅ!! 反対でちゅ!)

「聞き込みから開始だっ! 今から、オレは探偵だ。ディテクティブエリートだっ!」

(や、やる気になったんでちゅか!? それは良かったでちゅ。だけど、現実では――)

「よっしっ! あいつの自室をまず探すぞ、どーせ、ベッドの下にでも隠してあんだろ」

(あぁ、もう、聞いてくだちゃーい!)

 桑田は勢いよく立ち上がると、両手を握り締め、自らに気合を入れる。
 このまま自分の手でこの問題を解決してやろう……。そう、桑田は考えていた。
 しかし、そんな桑田に対して、声がかかる。

「ふぅん……? 自信があるのね、桑田君?」

 その声は桑田をはさんで、廊下の反対側。桑田から見て、廊下の奥の方から響いた。
 うす暗闇の中を、ゆっくりと歩きながら、その声の主は言う。

「反対側の階段を固めていたのに、こんなところで寄り道していたのね?」

 霧切だった。
 ゆっくりと、彼女の輪郭が桑田の目に映る。

(そういえば……。いつの間にか、オレを追いかける集団の中からいなくなってたな……
 待ち伏せしてたってことかよ。あぶねー……)

 桑田は冷や汗を覚えた。
 ウサミとテレパシーで会話していなかったら、罠にはまっていたかもしれないからだ。

(……また、逃げ切ってやる)

 桑田は気持ちを切り替えて、身構える。
 霧切ひとりなら逃げ切れる。先ほどと同じように逃げ切れる。少なくとも、捕まることはない。
 そう桑田は自分に言い聞かせる。
 場合によっては、霧切を不意打ちで倒して、探索に専念する……。
 そう桑田は息を整えながら、この場を脱する方法を考えた。

 しかし、桑田にとって、不幸なことに、霧切はひとりではなかった。


「残念ね……。私ひとりならって思っているんでしょうけど、ひとりではないのよ」

 霧切の言葉を聞き、桑田の顔が引きつる。
 だが、まだ動揺はしていない。
 どうせ、ヴァンパイア達だろう……と桑田にはまだ余裕があった。

 しかし、霧切の後ろから現れた二名の姿を見て、桑田は肝を冷やした。

「お主が、曲者か……」

「……侵入者は銃殺」

 夢の中でなお圧倒的な存在感を放つ者達。
 大神と戦刃が現れたのである。
 霧切が門のところから連れてきたのだ。






「あ、やっべ、オレ、死んだかも……」


今日はここで終わりです



(死んじゃだめでちゅー! 現実の大神さんと戦刃さんがラスボスより強くても、
 ここにいる2人は、きっと中ボスでちゅ! セレスさんの夢の中でちゅから、現実より弱いかもしれまちぇん!)

(いや、オーラ出てっから! やべーほどのオーラ出てっから! むしろ現実より強くて、
 手から波動拳とか出すんじゃねーの!? つーかさ、セレスが「あいつ出しそう」と思えば出すんだろ!?)

(そ、そういうこともありまちゅが、今のところ大丈夫だと思いまちゅ! 世界観的におかしいじゃないでちゅか!)

(……だって夢じゃん? 勢いで色々変なこと起きんじゃね?
 オレも自分の夢でボールを投げたらビームになったぞ)

(それは桑田君の発想が……)

(はぁ?)

(な、なんでもないでちゅ! ……たしかに夢は連想ゲームみたいなものでちゅから、
 常識は当てはまらないところがありまちゅ。だけど、この場合は大丈夫でちゅ。
 色んな世界を歩んできた夢マイチュタの私が言うから大丈夫でちゅ!
 もし、もっと色々おかしなことがありそうなら、あちしには分かりまちゅ!)

(なんでだよ?)

(安定しているんでちゅ。
 魔法の国ではなく、みなさんの世界の言葉で説明するなら、
 神経を興奮させるノルアドレナリン、脳を活性化させ気持ちを落ち着かせるセロトニン、
 視覚や感情を興奮させるアセチルコリンなどの脳内物質の分泌量をはじめとして、
 脳の動きが一定のリズムを保っているんでちゅ。
 そして、今のところ、このリズムに変化はそれほど起こらなそうなんでちゅ)

(魔法の国の呪文はやめろよ)

(……つ、つまりでちゅね。夢に変化がありそうなら、あちしはその予兆を察知できまちゅ。
 そして、今はそういうこともないので、夢の雰囲気がいきなり変わるということはなさそうでちゅ)

(……つーことは、今のところ、この城の雰囲気にあったことしかできないってことか?
 テーマパークのテーマは変わらねーみたいなな感じ?)

(そういうことでちゅ!)

(ハハ……それはよかったわ! ハハハハハハハハハハハ……!)

(ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ! でちゅ!)

(ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!)

((ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!))





「……それで、もう準備は出来たのか?」

「スンマセン……もうちょい待って……」

「……うむ」

 大神が腕を組みながら睥睨していたので、桑田は思わず謝ってしまう。
 なお、大神の後ろでは戦刃がマスケット銃を構え、さらにその後ろで霧切が、
 雪合戦で雪玉をあらかじめ作っておくように、何本もある予備のマスケット銃に弾を込めていた。
 その様子を見て、桑田は思わず尋ねる。

「セレスって、……生け捕りって………………言ってなかったっけ?」

 桑田の乾いた声が周囲に響く。しかし、マスケット銃を構える戦刃はその姿勢を崩さない。
 銃口を桑田に向け続けたまま、戦刃は口を開く。

「……大丈夫。足を狙う。むしろ口を割らせるには手足は邪魔……」

「お、おう……」

 桑田の表情は引きつる。
 いっそ素直に捕まった方が最終的な苦しみは少ないのではないか? そんなことを考える。


(だけど捕まったら、SMの世界なんだよな……あとセレスにドヤ顔されてもむかつくし)

 桑田としては鞭や蝋燭も遠慮したいところである。
 そう考えると、やはり、どうにかしてここから逃げなければならない。

(前は論外、横道も追いつかれそう……。となると、階段か……?
 なぁ、ウサミ、階段のほうって今……人いる? 分かるんだろ、人の位置とか)

 その思考に対して、ウサミが返事をする。

(……やっばいでちゅ! 今、上の方はまだ人がいっぱいいまちゅ。行くなら下でちゅ
 さっき下へと向かって行った人達はまだ遠くへ行って、帰ってきてまちぇん)

(よ、よし……。だったら……、どうにして、階段まで辿り着くぞ……逃げ切ってやる……)

(ファイトでちゅ! 仮に夢の中で手足をもがれても、夢から生きて出られれば、
 現実では手足は無事でちゅよ! 緊張せずに頑張ってくだちゃい!)

(……や、やめろ。脅すなよ……)

 最終的に無事だとしても、痛そうなものは勘弁願いたいと桑田は切に思う。

(使えそうなものは……)

 桑田、槍を握りしめる手に力を入れ、そのまま辺りに視線を向ける。
 そして、シーツの入ったワゴンに目を留める。

(……って、多少怪我してもいいなら、これ使えるんじゃね?)

 あることを思いついた桑田は、その思惑を悟られないよう再び視線を逸らす。
 桑田は緊張で声を震わせながら、大神に向かって叫ぶ。

「大神……!」

「なんだ……?」

「た、頼みがある。せめて、一対一にしてくれ……」

「何だと? ……逃げずに闘おうというのか? 我と?」

「逃げても足で追いつかれそうだし……、だったらせめて玉砕のほうがマシじゃね?」

「ほう……」

 大神は腕組みを解き、ゆっくりと1歩、2歩と足を進める。
 そして、構えを取る。

「女王陛下が言うには、このようなときお主は泣き叫び、体中から流せる体液という体液を流しながら、
 土下座して詫びるに違いない……ということだったのだが、女王陛下にも間違いはあるのだな。見直したぞ」

(セレス……。このヤロ……)

「うむ……。ならば、我も武人として礼を持って戦おうぞ……! 戦刃、霧切、お主らは後ろにもっと下がれ……!」

 大神は体中に力を籠め、その筋肉を膨張させ始める。

「ちょ、ちょっと待ってくれ……」

「なんだ……?」

 大神の闘志が高まるのを見て、桑田はひとまずそこにストップをかける。
 すると、そ言葉を聞き、大神は闘志に怒気を混ぜ始めた。

「やはり、命乞いか……!?」

「い、いや、そーじゃねーよ……。ちょっと準備させてくれよ。
 あと、オレ、この槍使うから、もう少しだけ、距離を離させてくれよ……」


 必死に弁明を始める桑田。
 その様子を見て、大神は少しだけ緊張を緩める。

「なるほど……。一理ある。では、準備とやらを行え。……待とう」

「お、おう……。ちょっと待ってくれ」

「待て……。先に言っておく」

 桑田が一歩足を動かしたのに合わせて、大神が厳かに告げる。

「もし少しでも逃げようとしたならば……」

「……私が撃つ」

 大神の言葉を引き継ぐようにして、戦刃が一言だけ告げた。
 それきり戦刃は何も語らない。大神の意志を尊重するようだ。

(なんか、大神っ“ぽい”行動だし、戦刃も取り“そう”な行動だな……)

 夢が連想ゲームだとするならば、桑田の言動に合わせて各々が取りそうな行動をセレスの脳が考えたということになる。
 行動の目的としては、セレスが最優先されるのだろうが、
 その過程はおおむね桑田の知っているものと見なしていいのだろう。

 つまり、誇張や歪曲はあるのかもしれないが、
 モデルとなった人物からかけ離れた行動を取るということは、この夢の中ではないに違いない。
 そのことを念頭に入れながら、桑田は口を開く。

「別に……、槍を使っていいなら、他にも道具使っていいだろ? 例えば、このシーツとか……」

「シーツだと……? 何に使うのだ」

「ほ、ほら、防具…………とか」

「その薄い布で我の拳を防げると思うのか?」

「……こうやって、身体にいっぱい巻きつければ致命傷を防げるかもしれねーだろ?」

「体が重くなるだけだと思うが……」

 桑田は腹にシーツを巻きつけていき、頭にもターバンのように巻き付けた。
 まるで、防弾チョッキや防災頭巾のように桑田はシーツを身に纏う。
 そして、左腕に包帯でも巻くようにして、やはりシーツを巻いた。

(傍から見たら、すげぇダセェんだろうな……はぁ……)

 自分の身体のラインがもこもことした不格好なものへと変わっていくのを自覚して、
 桑田はため息を吐く。

 シルエットだけなら、寸胴、頭でっかち、丸太のような左手……。

 とくに左手など、チュッパチャップスの筒に手を突っ込んではしゃぐ小学生男子のような状態であり、桑田としては面白くない。
 桑田は内心で毒づく。

(……いっそ、笑えよ)

 大神、戦刃、霧切は特に表情に何も出さず、桑田の様子を見続けている。

(オレだってやりたくてやってるわけじゃねーからな。
 スーパースターのオレにガキだったころとかねーし!)

 心の中で叫びつつ、桑田はワゴンから一歩下がる。

「もう少しだけ、距離を取らせてもらってから開始させてくれよ」

「かまわぬ……」

 桑田は右手に持った槍がちょうどワゴンに届くか届かないかという位置まで下がる。
 それは大神からもだいぶ遠い位置である。
 しかし、階段までは走って逃げようと思ったら、追いつかれる可能性のある距離であり、
 同時に、戦刃の狙撃を回避するにも長すぎる距離だった。


(……やめるなら今だぞ、オレ)

 桑田は目をつぶって、自問する。
 別に捕まっても死にはしないのだから、ここで投降するというのも正しい選択肢である。
 むしろ、失敗したときの痛みなどを考えたら、今から取ろうとする行動の方がリスクは高い。

(……さっきはセレスぶっ飛ばすとか思ってたけど、きついわ……。やっぱやめようかな……)

 桑田の中で天秤が揺れ動く。
 セレスが自然に目覚めるであろう数時間くらいなら耐えられるのではないか?
 そんな気持ちが桑田の中で生まれていた。

(……こんなに頑張るのオレのキャラじゃねーしなぁ)

 すると、そんな桑田に対してウサミがテレパシーを送る。

(……桑田君。怖いんでちゅか?)

(ぶっちゃけ)

 先ほどから心の声をテレパシーで桑田は送っていた。
 これみよがしに送っていた。
 出来れば、止めてくれないかな? という気持ちを込めて、桑田は心の声をウサミに送っていた。
 しかし、ウサミは止めるでもなく、背中を押すでもなく、ただ静かに返事をする。

(……あちしとしては桑田君に命令するつもりはないでちゅよ)

(止めもしてねーんだな……)

(今回のことは申し訳ないと思っていまちゅ。不甲斐なくてごめんなちゃい)

(ホントだよ、まったく……)

(だから、あとは桑田君の意志を尊重しまちゅ。仮に捕まって、本当に耐えられないと思ったら、
 言ってくだちゃい。ステッキの使い方をセレスさんに教えまちゅ。
 初日からステッキを乱用するとは限りまちぇんから、意外にあっさりと夢の時間が終わるかもしれまちぇん。
 仮にセレスさんがステッキが乱用しそうになったら、自爆してでも止めまちゅ……!)

(自爆かよ……。はぁ、マジか……。なんかそこまで言われると……ビビっちゃいけねー気がするな……)

(なんか逆に押し付けがましくなっちゃいまちたね……」

(ホントだよ……はぁ……)

 桑田は眉間に皺を寄せる。

(つーかさ、ウサミ的には、どっちがオススメ? オレ、こういうの考えるのダメだわ……)

(うーんとでちゅね。やはり、逃げるのがオススメでちゅ。
 捕まったのが2人になると、もっと過激になる可能性がありまちゅし……。
 2人いるなら、ひとりくらい……って言いそうな顔してまちゅ。今のセレスさん……)

(……苗木、どうなった?)

(………………………………黙秘しまちゅ)

(よし、頑張って逃げんぞっ!)

 桑田は先ほどの苗木の様子を思い出して、自らを奮い立たせる。
 やはり、苗木と同じ運命をたどりたくないというのが心の底からの想いだった。
 それに比べれば、少しくらい痛くてもいいやって気分になったのである。
 現金な話に聞こえるかもしれないが、重要なことである。


 桑田は目を開けて、大神に告げる。

「準備は出来たぞ、待たせたな……」

「心の準備は出来たか?」

「……あぁ、この通りなっ!」

 不意打ちで、桑田は右腕の槍を振るった。ただし、不意打ちといっても大神を狙ったものではない。
 槍の穂先をワゴンの上に残っていたシーツを引っ掛けたのである。穂先はシーツを引っ掛けたまま、
 勢いよく空中を進んでいき、急停止する。すると、慣性に流されるように、穂先からシーツが離れる。
 シーツは空中に広がり、カーテンのように、桑田の姿を大神達から隠した。

「……この程度では我の隙は作れん」

 不意打ちではあるが、大神は冷静に構えを取り、視覚の代わりに聴覚を研ぎ澄ませる素振りを見せた。
 夢の中の大神に、本当に聴覚があるのかは分からないが、その行動は実際の大神も取りそうな行動である。
 まるで、桑田の取る行動をあらかじめ知っているかのように大神は体を動かす。
 そして、桑田の次撃を簡単に防ぐ。

 シーツごと大神を突き破らんとする投げ槍の一撃が迫っていたのだが、
 それをあっさりと腕を払うことで弾き飛ばす。

「ハアアアアアアアアアアアァァァァァァァァッ!!」

 気合とともに大神は槍の腹を殴り飛ばす。
 軌道を逸らされた槍は壁へと突き刺さった。

 桑田の剛腕から放たれる正確なコントロールによる投擲は、
 大神の身体を確実に捉えているように傍からは見えたが、大神には通用しなかった。
 
 しかし、桑田の狙いは大神を倒すことではない。

「…………ッ」

 戦刃が気づいたようだ。

 銃弾が桑田の足元をかすめた。
 しかし、当たらない。

 シーツが視界を防ぎ、正確な狙いを取れなかったのである。
 シーツが床に落ちたとき、すでに桑田は下り階段に足をかけていた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」

 桑田はそのまま踊り場に一足飛びに着地し、そのまま、まるで伸びるバネのように跳び上がる。
 踊り場にあった窓枠へと、桑田は右手でしがみついた。

 そして、桑田は窓の外の地面を見て、一瞬、冷や汗をかいた後、
 シーツを巻きつけていた左腕を窓へと叩きつける。

 ステンドグラスで作られていた十字架模様の窓ガラスが粉砕されていく。
 罅が広がるのを確認しつつ、桑田はさらに窓を叩く。

 ステンドグラスは銅のフレームで固定され、このフレームによって模様の大まかな型が作られていたのだが、
 グラスだけが割られ地面へと落されたことで、檻の格子のように、そのフレームだけが後に残る。

 格子の隙間は人がぎりぎり入れる隙間であった。
 桑田はその隙間から外へと飛び出し、近くにあった綺麗に切り揃えられた植木へと落ちる。

「………………………ッ!」

 受け身を取りながら、転がるようにして桑田は中庭の地面に着地する。

「いてぇ……。少し切ったな」

 しかし、桑田は無事だった。
 身体の急所となる部分はすでシーツを巻くことで守ってあり、
 あとは上手く着地できるか出来ないかだった。
 首や顔を手で隠しながら、身体全体で植木をクッション代わりにしたのである。


 超高校級の野球選手の身体能力をもってすれば、無謀な賭けではなかった。
 盗塁を容易く瞬発力によってスタートダッシュを決め、強靭な足腰によってジャンプをし、
 剛腕によって窓ガラスを割り、類まれな動体視力によって危険となるガラスの破片や木の枝を避ける……
 普通の男子高校生には出来なくとも、超高校級の才能を持つ桑田には可能だった。

(こんなに緊張感のある鬼ごっこは初めてじゃね……?)

 桑田には、子どもの頃、同年代には鬼ごっこをはじめとした各種運動系の遊びで負けた記憶はない。
 幼少期の男子にとって、運動が出来る事は最大のステータスだったこともあり、
 桑田の自分がスターだという強い確信の一端はその頃の体験にも因っていた。
 それが、こんなところで揺らぎかけるなど、桑田は思いもよらなかった。

(超高校級全員で耐久鬼ごっことかやったら誰が最後まで残るんだろうな……)

 桑田はそんなことを考えながら走り出す。

(やっぱ、大神か……?)

 ふと上を見れば、大神が窓の銅銭を捻じ曲げようとしていた。
 桑田に比べて一回り大きいその体では、銅銭の隙間から中庭に降りることは出来ない。
 そのため、彼女は足止めを食らう形になっていた。

 しかし、銅銭が折れるのもまた時間の問題であり、
 それに加えて、戦刃や霧切も他のルートから中庭に向かっているだろうと考えると、うかうかしてもいられない。

(桑田君! 右手前方向にある扉に入ってくだちゃい! 今、そっちには人がいまちぇん!)

 ウサミがテレパシーで桑田をナビゲーションしたので、それに従って、桑田は動いていく。

 そうして、桑田は追手を撒くことに成功した。

今日中にもう少し更新したいですが、ひとまずこれで


 追手を振り払ってからも、城の住人に遭遇しないように、桑田は慎重に移動していく。

(この後、どうすっかな……。冷静に考えると、聞き込みした瞬間に捕まりそーだし。
 家探しするにしてもセレスの部屋とか今入れねーだろーし。詰んでね?)

(えっとでちゅね……。それなら、蔵書室なんか良いんじゃないないでちゅか?
 もしかしたら、ご本にヒントがあるかもしれまちぇ)

(ご本だー?)

(えー!? なんで、そんなに不満そうなんでちゅかー!?
 調べものっていったら、まず図書室じゃないでちゅか!?)

(オレ、マンガ以外は読まねーから、そんな習慣ねー! 教科書も開いた事ねーし!)

(Oh……でちゅ……)

(はぁ。けど、仕方ねーか……。いっそ、本の中身を全部暗記してるやつがいればいーんだけどな)

(そんな都合よい話ありまちぇんよ!)

(だよな……はぁ……)

 右へ曲がり、左へ曲がり、階段を上り、階段を下り、桑田は誰とも会わないように少しずつ蔵書室へと近づいていく。
 そして、蔵書室まであと少しという距離まで近づいた。
 しかし、そこでウサミが強いテレパシーを送り、警告を発した。

(あっ! 今、蔵書室に誰かが近付いてまちゅ……!)

(はぁ!? クソ、どこの誰だよ!?)

(物陰はありまちぇんか? 様子をうかがってみまちょうよ?)

(あー……。マジかー。めんどくせー。オレ、かくれんぼはそんなに好きじゃなかったんだけど)

(あちしはどちらかといえばかくれんぼのほうが好きでちたね)

(あったのかよ、ガキの頃……)

(あ、歳の話は女性には禁止でちゅよ~♪)

(いや、聞く気ねーから……)

(おー、紳士でちゅね!)

(…………)

 テレパシーを切ったうえで、桑田は「いや、そもそも女と認識できねーんだけど……」と心の中で呟く。
 ウサミに子どものころがあろうとなかろうと、ウサミが女性あろうとなかろうと、桑田としては大差ない。
 二足歩行するほぼ二頭身の兎である。
 しかし、ウサミが妙に嬉しそうなので、桑田はそれ以上何も考えないことにした。

「とりあえず、ゆっくり行くか……」

 桑田は小声で呟きながら、曲がり角から顔だけを出し、蔵書室の方を覗き見る。

(腐川かよ……)

 そこには、蔵書室の扉に手をかける腐川がいた。
 うつむきながら腐川は蔵書室へと入っていく。
 桑田はそれを確認しつつ、ゆっくりと蔵書室に接近する。

(あいつ、詳しそうじゃね? いかにも色々知ってそうな感じがする……)

(腐川さんって、あの眼鏡かけた真面目そうな女の子でちゅよね?)

(真面目そう……? あぁ、たしかにパッと見ただけだとそういう印象になんのか……)

(ち、違うんでちゅか!?)

(いや、真面目ではあるんじゃね? 不真面目ってことはなさそーだし)

 桑田は蔵書室の中を窺いながら、腐川のことを考える。


 桑田の腐川に対する印象は良くも悪くもない。
 というよりも、良い悪いの前に「苦手」というのがまず来る。
 出会った瞬間に、かみ合わないことが分かったため、クラスメートとして、
 当たり障りなく付き合ってきたのだ。

(よくわかんねーんだよなぁ。あいつ……)

 自虐的であり、被害妄想が強くて、卑屈であり、それでいて人への絡み方がねちっこい……というのが、
 桑田の知っている腐川冬子である。
 しかし、クラスの中では思ったより上手くやっているようで、桑田としては見ていて不思議な気分になる。

(どう動くかとか、セレスがどういう奴だと認識してるかとか想像もつかねー……)

 桑田の視線の先で、腐川は本の整理をし始めた。
 目録らしきものを片手に本の順番を並べ替え、その作業の合間に本の上に積もっていた埃を払っている。
 そして、数棚作業を終えるごとに、ため息を吐く。

「はぁ……。じょ、女王陛下に文句を言うつもりはないけど、
 す、少しくらい日本文学や近代以降の西洋文学を置いてもいいんじゃない?
 あ……、幻想文学なら女王陛下も入りやすいかもしれないわね……?
 ド、ドイツつながりでエルンスト・ユンガー……は安易すぎるし、
 じょ、女王陛下の求めているものと大きく違う気がするわね。もっと耽美なものの方が……。
 あ、け、けど、女王陛下のことだから、西洋のもので好みに合うものは既に読んでいらっしゃるかもしれないわ。
 な、なら、いっそ、場所については、も、もっと広く考えて、
 ラテンアメリカ文学くらい離れた方が偏見も持たれなくていいかもしれないわね。
 『エレンディラ』のような短編集なら読みやすいに違いないし……。
 そ、それに……。あ、あたしが紹介するものはどうせ初めからつまらないと色眼鏡で見られるんだから。
 それなら、いっそ、まったく馴染みがなさそうなものを……う、うふふふふ……。
 い、色々考えないといけないわ。せっかく、女王陛下があたしにおすすめのものを聞いてくださったのだから」

 腐川はぶつぶつと呟きながら、紙にペンで本の名前らしきものを書き連ねていた。
 ただし、あくまでも“名前らしきもの”であり、実際の本の名前ではない。
 セレスの方に知識がないため、腐川のおすすめする本など書けないのである。

 今、腐川が口にしている内容も、セレスが眠りに落ちる少し前に腐川と話した内容が元となっており、
 具体的な固有名詞もまたそのとき腐川が口にしたものだった。

 自分の好みのもの以外読まないし読む気もないと口にしたセレスに対して、
 腐川がもったいないと語り、本を見繕うと約束をしたのである。

 セレスと腐川が話していたことを桑田は知らなかったため、
 腐川が呟き続ける姿を見て、こう思った。

(は? なに? セレスと腐川って趣味あうわけ? はじめて知ったぞ。
 それともあれか? 腐川に自分の好きな本を称賛させるつもりか? ジグザグエンってやつ?
 つーか、同じ本読んで意気投合しても、そのうち音楽性の違いで解散する未来しか見えねーんだけど?)

(ジグザグエンじゃなくて、自作自演じゃないでちゅかね……?
 あと、本も色々ありまちゅし、感想も人それぞれでちゅから、
 違う趣味の人でも話すと色んな発見があって楽しいでちゅよ)

(あー、パンクでもピストルズ、ダムド、クラッシュでまたちげーみたいなカンジか……。
 活字も色々あんだな。オレ、活字はだめなんだよねー。絵がねーと、すぐ眠くなっちまうよ。
 マジ、呪文だわ、あれ。オレを眠りに導く悪魔の化身にしか思えねー)

(どれだけ嫌いなんでちゅか!?)

(あー、もういーじゃん。とりあえず、隙だらけだからさ。近づいて、セレスの秘密を吐かちまおう。
 物知りキャラっぽいから、なんか色々聞けそうじゃん)

(な、なんか、発想がセレスさんに似てきてまちぇんか?)

(夢の中だから、それくらいいーんじゃね? なんかさっきの逃亡劇で勇気が沸いてるわ)

(それ、吹っ切れただけじゃないでちゅかー!?)

(…………………)

 ウサミの疑問の声を心の中で聞きながら、桑田は室内に視線を走らせる。
 そして、扉の近くに長い柄の付いた箒が立てかけられいるのを発見する。
 桑田はそれを手に取ると、いつでも振り下ろせるように箒を振り上げたまま、ゆっくりと腐川へ近づいていく。


「動くな!」

「ひいぃ!? な、なんなのよ!?」

「聞き――」

 聞きたいことがある……。そう桑田は言うつもりだった。
 しかし、その前に腐川がまくしたて始める。

「な、泣き寝入りはしないわよ!? ど、どうせブスだからって、泣き寝入りするとか思ってるんでしょ?
 そ、そうはいかないわよ。じょ、女王陛下に比べたら一目も見られない醜女(しこめ)だとしても、
 あ、あんたみたいなチャラ男が下半身を軸に動いてるってことくらいみんな知ってるから、
 『あんなブスをわざわざ狙うなんてありえねー!』なんてありあちな言い訳をしようとしても無駄よ……!」

「んなことしねーし!? つーか、どこまで腐川が言いそうなセリフで、どこからがセレスの言わせたいセリフなわけ!?」

「はぁ……? 何言ってるのよ……? 
 ハッ……ま、まさか、『オレにはかわいい彼女がいるからそんなことしません』という言い訳をするつもりだったの?
 う、嘘よ、あんたは女に身体が付いてればなんでもいいんでしょ!? 騙されないわよ!」

「意味わかんねーッ! てか身体のついてない女ってなんだ、ユーレイか!? 斬新すぎんだろ!?」

 そこまで言って、桑田は箒で近くにあった机を叩いた。威嚇である。

「ひぃぃぃぃ」

「あ、わりぃ……」

 しかし、腐川が怯えた声を出したので、桑田はばつの悪さを覚えて、すぐ止めた。
 そして、少しだけ落ち着きを取り戻した後、桑田はこう告げる。

「……オメーにしてもらいたいことはただ質問に答えることだから。
 こっちの質問に答えてくれればいいから! 別に身の心配とかしなくていーよ」

「え、そ、そんなことでいいの? じゃあ、何が狙い?」

「あぁ、もう、何が狙いでもいいだろーが! ほら、さっさと答えろ! セレスの隠し事ってなんだ?」

「そ、そんなこと知ってるわけないじゃない! 仮に知ってたとしても教えるわけないじゃない!

「そ、それもそうだな……」

「ば、馬鹿なの?」

「うるせー!」

 桑田は叫ぶ。そして、ウサミにアドバイスを求める。

(ウサミ、何聞きゃいーんだ?)

(隠し事がある場合、それを隠すために不自然な行動を取る場合が多いでちゅね……。
 コンプレックスを隠すために、その逆の性質を得る為に努力したり、派手なことをしたり……。
 この国の歴史やセレスさんの半生でも聞けばいいかもしれまちぇん)

(つまり、何度も強調されることの逆が秘密かもしんねーんだな)

(その通りでちゅ)

(よっしゃ、じゃあ、その辺を聞くか)

 桑田は腐川へと箒を近づける。

「よし、じゃあ、この国についてと、セレスの人生について教えろ。
 歴史の本やセレスの伝記とかあんだろ、この部屋。そのあたりの中身について教えてくれ」

「そ、そんなことも知らないの? ……本当に馬鹿なのね」

「いいから言えよ!」

「グギギギギ……、そんな怖い顔で睨むんじゃないわよ。わ、分かったわよ……。
 教えてあげるわ。ね、寝ないでよね……」

「お、おう……できれば手短にな……」

「手短? そ、それは無理な相談ね。ふ、ふふふ……」

 腐川は引きつった笑いを口元に浮かばせながら語り出す。
 この国では何が大事であり、セレスはなぜ偉いのかについて……。

今回はここまでです


 腐川は教科書でも朗読するように、固い口調で語りはじめる。

「ハプスブルク家から嫁いできた音楽の才能に恵まれた母君と
 かつて存在したカペー朝の王の末裔である大貴族の父君の間に
 セレスティア女王陛下は生れ坐した(あれました)。け、けど……」

「……ハプスブルク? カッペー? 荒れました? やべー、何言ってんの?」

 しかし、桑田は出だしを聞くだけで、もうすでに怪訝な顔。
 腐川の語る内容が、そのまま頭の中を滑って行っているようだ。

「……母親と父親の仲が悪くて荒れたのか、セレス? 意外と家庭環境たいへんってことか?」

「…………ま、まだ、女王陛下は生まれただけよ」

「は? じゃあ、初めからそう言えよ」

「……グッ。ググググ……あ、あんたに細かい言葉のニュアンスなど無駄ってことが分かったし
 文脈から意味を類推することも、き、期待できないってこともよく分かったわ……。
 ば、バカバカしいわね。あんたのために話をするのも……。や、やっぱり手短にするわ……」

「はぁ、なんでオレが悪いみてーになってんの?」

「あ、あぁ、もう、あ、あたしが悪いってことでいいわよッ!」

 腐川は髪の毛を掻きむしりながら話を続けることにした。
 そして腐川は桑田でも分かるような言葉を使う。

「……ドイツとかオーストリアのあたりにあったハプスブルクさん家の娘さんである母と
 ご先祖様がカペー朝って国の王様だったフランスの貴族の父との間に、
 セレスティア様は生まれました。……こ、これで分かる?」

「あぁ……まぁ、なんとなく……」

「……そ、そう。そ、それはよかった。こ、これでダメだったら、あたしの手には余るところだったわ。
 そ、それでセレスティア様はやんごと……すごい偉い家に生まれたのよ。
 け、けど、これほど大きなお城をもった国はまだ持ってなかったの。
 ルーデンベルクはセレスティア様がご自身で勝ち取った国なのよ……」

「……勝ち取った? 相続したんじゃねーの?」

「……あ、跡継ぎがないまま、先代のルーデンベルクは亡くなってしまったの。
 だ、だから、遠縁の貴族達が自分こそがって主張して……。
 そこから血が血を洗う王位争奪が起きて……。
 み、自らの圧倒的な豪運によってセレスティア様は王位を手に入れたのよ。
 お、王位継承権こそあるけれど、その立場は他の継承権を持った人間に比べて低かったのにね。
 さ、最終的には多くの国民の圧倒的な支持を受けて……セレスティア様は女王になったの」

「……どうやったんだよ?」

「……王位継承が有力視されていた人はセレスティア様の他に3人いたのよ。だ、だけど、全員ダメだったわ……。
 ひとりはすごい兵隊を持った大貴族、ひとりはすごい政治力を持った頭の良い大貴族、
 ひとりは誰からも好かれるすごい人望を持った大貴族……。
 だけど、兵隊貴族は甲冑を着て馬に乗っているときに雷に打たれて死んで、
 政治貴族は2階から落ちてきた花瓶が頭にぶつかって死んで、
 人望貴族は意中の相手からもらったお菓子で食中毒にあって死んだのよ」

「全部、相手の自滅じゃねーかっ! 棚ぼたじゃん!?」

「な、何もしなくても勝利への道が開けるのよ。う、運命の女神にセレスティア様は愛されているのよ……」

「雑じゃね? 話のつくりが…」

「はぁ?」

「…あ、いや、なんでもねー……。続きは?」

「……終わりよ。は、拍手でもしたら、どう? い、いちおうあんたの頭に合わせて手短にまとめたんだけど。
 んふふふ……、ど、どうせあたしの話なんてつまらないって思ってるんでしょうけど……。
 グギギギギギ……。ど、どうせ話の内容がつまらない奴が書いた小説も、
 同じようにつまらないとか思ってるんでしょ…………よ、読んでもないくせにっ!」

「思ってねーよっ!? つーか、終わったってなんだよ!? オチとかねーのかよ!?」

「……こ、細かいところを話しても、ど、どうせあんたの頭には入らないでしょ……?」


 腐川はさらに続けていく。

「ま、まぁ、そもそも国の名前や成り立ちもセレスティア様には相応しいものなんだけどね……。
 なるべくしてなったというか…。……し、知りたい?
 そ、それともそろそろ他の人に話も聞いた方がいいって思ってる?
 ……そ、そうよね。どうせ話すなら、もっと、か、かわいい子の方がいいものね……」

「いや、フツーに知りてーから……。別に誰でもいいし。キンキューだから、そんなこと言ってる場合じゃねーのっ!」

「そ、そう……!? ううう…まただ…またやっちゃったわ……。こ、これだから自意識過剰って言われるのよ……」

「………………」

「ま、まぁ、いいわ。えっと…この国がまだ小さかったころ、国というより町といった方が良かったころなんだけど……。
 賭博が盛んだったのよ。流れ者や身分を隠した人達が一攫千金やスリルを求めて……いっぱい訪れたらしいのよ。
 そ、それで、定住する人も増え、商人なんかもいっぱい訪れる場所になって、一気に発展したの。
 ち、近くにある山を越えれば、さらに他の国へ続く街道もあるしね……。
 だから、“遊び人が積み上げた山”もしくは“山の近くにある遊び人の城”という意味で、
 Ludenberck(ルーデンベルク)って言うのよ……。
 代々の国王や女王様も様々な遊戯を嗜んでいらっしゃったそうよ……」

 ラテン語で遊戯という意味を表すルーデンスを元にしたルーデンという独自の接頭辞に
 ドイツ語一般で岡、山、山城などの意味を表すベルクを加えた国名ということだ。
 ギャンブラーであるセレスにとって相応しい国名である。
 ……まぁ、そもそも夢の中であるから、セレスにとって都合が良い名前であるだけなのだが。

 桑田は頭を掻きながら質問を加えた。

「……ちなみに、セレスティアってのはどういう意味?」

「Celestiaは“天上の”とか“神聖な”って意味よ」

「つーことは、つまり、セレスティア・ルーデンベルクってのは“神聖な遊び人の城”とかそういう意味なのか。
 ……プッ。やべーな、セレス……。色々、突き抜けてやがる」

「あ、あんた……今、笑ったわね。し、死刑よ! 極刑よ! 斬首よ!
 バンドでもやったら、痛々しいバンド名付けそうな癖に……!
 ど、どうせ、歌詞も書いたこともないくせに、ラプソディとか付けちゃうんでしょ……。
 しかも、クレイジーラプソディとか頭痛が痛いとかそういう意味のセンスがカケラ感じられない
 ゴミみたいなバンド名にしちゃうんだわ……!」

「し、しねーよっ!? 小学生か!」

「……んふふふ、そ、そういうことにしといてあげるわよ。ぐふふッ……」

 にたにたと笑い始める腐川。
 完全に桑田が小学生レベルのネーミングセンスであると疑っていないようだ。

「信じてねーだろ!? ってか! やっぱり、これで話は終わりかよ!?」

「……そうよ。もうこれ以上話せることはないわ
 ざ、残念だったわね。あ、あんたが何を探してるのか知らないけど……。
 女王陛下に刃向かおうなんて、ダンゴ虫が太陽に立ち向かうくらい無謀なのよ!」

「………………はぁ」

 腐川の暴言に怯んだのではなく、無駄足だったことによってため息が出る。
 そして、そのまま桑田は思ったことを口にする。

「時間の無駄だったな……。やっぱ、話しかける相手は選ばねーとな……」

「キィィィィィ……、や、やっぱり、あたしのこと馬鹿にしてたのね……!」

「ま、少しだけ」

「グギギギギ……」

「……どうどう」

 歯ぎしりをしながら指先をわなわなと震わせる腐川に対して、思わず桑田は箒の穂先を突き付けてなだめた。
 その対応を受けて、腐川はぶつぶつと呟く。

「ど、動物扱い……。そ、そうよね……あたしなんか……んふふふ……」

 しかし、何故か腐川は落ち着きを取り戻し始めてもいた。

 桑田はそんな腐川の様子を見ながら、これからのことについて思案を巡らせる。

(……やべぇ。なんにも役に立つことがなかった。
 セレスの偽名の由来が分かっても、なんにもうれしくねー)

(なんか濃い会話でちたね……。だけど、諦めちゃいけまちぇん。
 他にもっと詳しい人がいないか訪ねまちょう!)

(……どうせ誰も教えてねーんじゃね? それこそセレスの親でも出てこねーと)

(このお城にいるんでちゅかね?)

(そっか、その辺、聞いてみるか……?)

 脳内会議を終えると、桑田は腐川に質問をする。

「なぁ、セレスの親ってこの城に住んでんの?」

「……はぁ? なんでそんなこと聞くのよ? ま、まさか……あんた……」

「たぶん、オメーの考えてることは全部外れてっから」

「そ、そう……。ま、まぁ、どちらにせよ…。
 女王陛下のご両親はもうすでに他界なされているらしいわ。ざ、残念だったわね……」

「……セレスに家族とかいねーの?
 昔の知り合いとか、この国の女王になる前に住んでた場所の友達とか」

「さぁ…? あたしは知らないわね。せ、せいぜい、女王陛下の姉妹を騙るやつがいたくらいね」

「姉妹……?」

「じ、自分は女王陛下の双子の姉妹で女王の本当の姿を知ってるとかなんとか……。
 女王陛下の子どものころをもっともらしく語ってたけど……。
 う、嘘に決まってるわ……。か、仮に真実が含まれてたとしても、きっと、昔の使用人か何かだったのよ……。
 あ、あんな地味な服を着たやぼったい女が、優雅で美麗な女王陛下の姉妹なはずないじゃないっ!」

「似てない双子っていうと、戦刃と江ノ島とか思い出すけど、あんな感じじゃねーの?」

「じ、女王陛下とまず肌の色が違うのよ……! 女王陛下の白く美しい陶器のような肌に比べたら……」

「白い肌って……あれ、白塗りじゃね?」

「はぁ?」

「あ、なんかめんどくせー。セレスはこの際、どーでもいーやー。
 ……今はセレスの姉妹とかいう奴だわ。で、そいつ今はどーしてんの?」

「地下よ……。地下のじめじめした場所に押しこめられてるわ。んふふ……いい気味ね」

「今度は地下かよ……。地下ってどっから行けばいいわけ?」

 桑田は次の手掛かりを求めて、地下へと行くことにした。
 そして、そのために腐川から地下へ続く階段の場所を聞き出す。
 腐川曰く、すぐ近くにある階段を下りていくと地下牢のある場所まで続くらしい。

「……じゃ、ま、助かったわ。それじゃ!」

「も、もう来るんじゃないわよ……!」

「オレも来たくねーよ……」

 桑田は箒を突き付けながら一歩、二歩と下がっていく。
 そして、そのまま蔵書室から出ようとしようとする。


 しかし、その瞬間、ウサミがテレパシーで大声を上げた。


(あぁ!?)

(何だぁっ!?)

 桑田は背筋をビクンと伸ばして、そのまま尋ね返す。

(ウサミ、何かあったのかよ!?)

(たいへんでちゅ……! ついに恐れてた事態が起こりまちた)

(な、なんだよ……)


(桑田君が残ってるから、もう苗木君はどうなってもいいってセレスさんが……)

(な、苗木がついにピンチってことか……?)

(あと1時間後に城下町で見せしめにするそうでちゅ……)

(おいおい……苗木がどうなるってんだよ……?)

(やばいでちゅ。とりあえずやばいでちゅ。今もけっこうやばいでちゅが、それ以上にやばいでちゅ。
 苗木君は大丈夫って言ってくれてまちゅし……なんかものすごい顔しつつも耐えてくれてまちゅが……
 これ以上激しくなったら――あぁ、恥ずかしくて何も言えないでちゅっ!)

(だ、だから、何が起こってるんだよっ!?)

(50分経過した時点で、あちしは杖の使い方を教えまちゅ……。もう背に腹は変えられないでちゅ……。
 やばいでちゅ。やばいでちゅ……超やばいでちゅ……)

(そ、そっか……なんかよくわからねーけど、やべーんだな? あと、落ち着けよ)

(もしも地下に行って……何も見つからなかったら、そのまま隠れてやりすごすんでちゅよ……。
 セレスさんが目覚めるまで隠れ続けるのがひどい目に合わなくて済む一番の方法だと思いまちゅ。
 万が一、あちしと苗木君に何かがあっても桑田君だけは無事生き延びるんでちゅよ……)

(なんでそんな永遠の別れみてーになってんだよ!?
 つーか、杖を使い過ぎると、眠り続けるって話だけどさ、そんなすぐになるわけ?)

(……そうかもしれないし、そうじゃないかもしれまちぇんね。
 マジカルステッキを使って目覚めそうになるのを止め始められると最悪でちゅね。
 自分が夢を見ていると自覚がない状態で、ここが夢だと気付いてしまった人がたまにやるんでちゅよ……。
 夢を見てる人にとってここは現実でちゅからねぇ……。もちろん、人によると思いまちゅが……。
 ……セレスさんはどうでちゅか? 現実に他の自分がいるって知ったら、素直に目覚めまちゅか?)

(……オメーはどう思うわけ? 遠慮するように見えるんの?)

(…………………)

(苦労して――――っかどうかは分からねーけど、わりと愛着があんだろ、この城……。手放すとは思えねー)

(でちゅよねー)

 桑田はゆっくりと歩きながら、ウサミに尋ねる。

(ちなみによー、ここが夢だって気づくのってどれくらいありえんの?)

(途中で気付くのは、1万回に1度くらいでちゅね……)

(……それくらいだと、なんか普通に起きそーだな。なんか希望ヶ峰学園の中ってなんか確率とかおかしーし……)

(そ、そうなんでちゅか?)

(……しかも、間の悪い苗木がこっちにいんだろ? そして敵はセレス……。
 やべー、ふつーになんかの拍子に気づきそーじゃね?)

(……いやな信頼でちゅね)

(オメーも今度うちの学園に遊びに来いよ。確率とかだと、苗木の先輩で意味わかんねーのがいっから。
 ……っても、ま、オメーが来るのは無理か。わりぃ……)

(うーん、みなさんとは長い付き合いになりそうでちゅからね。
 今度、ちょっと上司に外出届を出してきまちゅ。許可が下りれば見に行けまちゅ)

(って、来れんのかよっ!?)

(細かい決まりがあるんで無理かもしれまちぇんがね~)

(マジかー。なんかよくわかんねーな、マジカルな国って)

(うーん、じゃあ、道中は魔法の国についてお話しまちゅね。何か気分転換になるかもしれまちぇんし)

(なんのか? ま、とりあえずレーダーさえしっかりやってくれんなら、
 地下に行くまでは暇だし、話でもすっか……)

(おーでちゅー)


 そうして桑田はウサミから魔法の国の話を聞きながら地下へと向かっていく。
 地下牢に行くまで、桑田はウサミと色々な話をした。



 ウサミの仕事には給料がなく、夢の世界に来た人が笑顔で現実に戻ることそのものが
 ウサミにとってのご褒美であるという話を聞いて、
 「それってただのボランティアじゃね? 給料ないって騙されてねー? 頭大丈夫?」と言ったり、

 ウサミが長期間魔法の国に帰らなければ、誰かが心配して助けに来てくれるかもしれないという希望的観測を聞いて、
 「マジかよ!? やべー、別にオレ頑張んなくてもいいんじゃね!? 苗木はまぁ置いといて……」と言ったりした。



 桑田のそんな発言を聞いて、ウサミは「魔法の国は夢と希望に溢れてるだけで、決して頭はお花畑じゃないんでちゅ!」と反論し、
 「助けが来るのはいつになるか分からないでちゅよ!? 捕まったら、桑田君も苗木君と同じ目に……!」となだめすかす。



 そうして、2人は脳内でコントを繰り返しながら、目当ての階段まで歩き続けた。

 そして、辿り着いた。

 冷たく湿った空気が漂う地下への入り口に2人は辿り着いたのである。

キリがいいので、今日はここまでです

セレスさんの名前の由来は勝手に想像したんで非公式です(念の為)

家族が私以外全員ノロウィルスでダウンしてるのでちょっと忙しいです。生ガキ怖い
次の投下は金曜日夜~土曜日になりそう

あと、まだ先になりそうですが
注意書きにはなかった注意としてロンパゼロのでっかいネタバレが出ると思います
松田君とか松田君とか。どうしても縁の深い人がクラスメートにいますし

ロンパ霧切ネタも多少あるかもしれませんが、
こっちはお姉さまの名前が出るレベルのネタバレでたいしたもんじゃないです
ネタバレだって気づかれないレベルのネタバレかと

d011もといNORO
家族全員全滅しました。もうしわけありません



「くれー。足元が見づれーよ。マジでこんなところにセレスの姉妹はここにいんのか…」

 桑田はぼやきながら階段をゆっくりと降りていく。
 指先で冷たい壁をなぞりながら、一段一段、足を下の段へと進めていく。

「ほこりもひでー。かびくせー。あぁ……マジありえねー」

 桑田は足先で階段がもろくなってないか叩くようにして確かめていた。
 その度にほこりが舞い上がり、桑田の鼻と喉をくすぐった。
 冷たく乾燥した空気の中で舞うほこりは、明確な異物として、桑田の身体に強く認識される。
 そのため、何度も桑田はくしゃみが出そうになる。
 しかし、くしゃみをすればさらにほこりが舞いそうなので、桑田はそれを必死にこらえた。

(つーか、これってどんだけ降りればいいんだよ……。ウサミ、何か分からねー?)

(人の反応が近づいてまちゅ……。1人だけいまちゅ。もうそろそろでちゅ)

(お? マジか? よっしゃ! 気合入れていくぜ! ……つっても、慌てず行くけどな)

(い、意外とそのあたりは慎重なんでちゅね……)

(わ、わりーかよ? なんか文句あっか!?)

(いえいえ、そんなことはないでちゅ!)

 ぶつくさと脳内で文句を言いながら、桑田は進む。

 そして、桑田の足が最下層へとたどり着く。
 足は伸びきらず、しっかりとした床を叩いたのである。

(あっちに灯りが見えんな……)

(気を付けてくだちゃい。誰かいまちゅよ)

(あぁ……)

 桑田はゆっくりと灯りを目指して歩いた。

 すると、そこには牢の中に入れられ、足に枷をはめられた少女がいた。
 その顔には見覚えがある。
 しかし、その服装には見覚えはない。

(まぁ……。あるはずねーけど……。なにこれツギハギ?)

 少女はいかにも貧民が着そうな継ぎ接ぎだらけの服を着て、寒そうな牢の中に座っていた。
 胸の辺りにはジャージの名札のような白い布があてられており、黒いインクか何かで「パチモン」と書かれている。

 牢の中には、ガムテープで補修された畳が敷きしめられており、壁の一部には罅が入り、
 そこからは隙間風が流れ込んでいる。

 そして、そんな隙間風によってわずかに揺れる黒いおかっぱ。
 前髪や後ろ髪を綺麗に切りそろえたその髪型は、別におかしな髪型ではないのだが、
 その少女がしていると違和感がある。

 また、いつもより明るい肌色も健康的ではあるが、その少女のものだと思うと面食らう色合いだ。

(けど、オレ、普段のセレスよりこっちのほーが好み! 純情そうだし!)

 少女――おそらくセレスの姉妹設定のセレスは、憂い顔のまま下を見ていた。
 どこか儚げであり、華やかさはないが、見ようによっては可憐かもしれない。

 そんなセレスはゆっくりと顔を上げ、そのまま桑田に顔を向ける。
 そして、ゆっくりと口を開いた。

「……チェンジ」

「失礼すぎんだろ!」

「………………」

「そしてだんまりかよ!」


 セレスはジッと桑田を見つめると、静かに語り出す。

「では、まずこれを外してくださらない? 話はまずそれからですわ」

「はぁ? これってその足枷かよ? 鍵もねーのに外せるはずねぇじゃん?」

「あ゛ぁ゛? じゃぁ、テメェは何しに来たんだよ!? 
 いいから牢屋番でも何でもいいから襲って鍵持ってこいや、このクソボケッ!
 こちとら日の光が足りなくてビタミン足りねぇんだよおおおおおおおおおおおお!」

「なんでキレたときのガラの悪さとかだけは同じなんだよ!?
 違うのは見た目だけじゃねーか!?
 しおらしいセレスとか正直者のセレスとかきれいなセレスとかはいねーのかよ!」

「はぁ? まさかと思いますが、バカにしていらっしゃいます?
 なんだかよく分かりませんが、あの偽女王と比べているように思えますが?」

「……だって、オメーはあいつの双子なんだろ? って……偽女王?」

「ハプスブルク家とかカペー朝とか実は嘘です」

「おう…」

 何を今更なことを言っているのだろう? と思いつつも桑田は返事をする。
 そんな桑田に対して、彼女はゆっくりと、そして静かに、語り出す。

「王位継承権なんかありませんし、あの肌は本当はあんなに白くありませんし、
 髪の毛はウィッグですし、本名は違いますし、赤ワインの味の良さなんか分かりませんし、
 実家では朝はご飯に漬物と味噌汁ですし、令嬢に相応しそうな楽器に挑戦して3日坊主で終わっています」

「お、おう……」

「他にも、日本と近いという理由だけで、
 母方の家系をロシアのロマノフ王朝の末裔という設定にした方が
 リアリティが増すのではないかと思ったりしていますわ」

「……リアリティ?」

「とはいっても、嘘に関しては淑女の嗜みだと思うので、わたくしとしても何も言いませんが」

「そんな嗜み知らねー」

「はぁ……。けど、化粧と名前に関しては、現状からの脱却が必要だと思いますわ」

「ゴスロリとセレスティア卒業ってことか?」

 ため息を吐き、思わせぶりに視線を伏せるセレスに対して、桑田が率直な感想を返す。
 しかし、それを聞いたセレスは心底呆れたような態度を取る。

「……え? なんでそうなるのですか?」

「ちげーのかよ……」

「あの化粧……あそこまで白く塗ると後に響きます。
 白塗りというほどではないにせよ、まだ皮膚呼吸がしづらいですし……」

「あぁー、なるほどなー」

「将来的にもっと長く続けていくには、もう少し使用量を抑えた方がいいでしょう。
 もっと良いメイク方法を学ばなければなりません。
 舞園さん経由で腕の良いメイク師を今度紹介していただきますが、
 許容できる量に関してはもっと真剣に考えた方がいいのではないでしょうか」

「お、オレに言われても……。はは、困っちまうなぁ……」

 桑田としてはクラスメートの女子の化粧の裏事情など聞きたくない。
 得てして生々しい話に飛躍しがちであり、男子としては聞かない方が女子に幻想を持っていられるのである。

「……チッ。器の小さい男ですわね」

「………………めんどくせーし、その辺は一回置いとこうぜ」

「はぁ……。まぁ、良いでしょう」

「そういえば、セレスの本名ってなんて言うんだ?」

「………………」

「……ん?」


 それは桑田にとって何ということのないささやかな疑問だった。
 セレスに目が覚めるほどのショックを与える秘密だとも思っていなかったし、
 何が何でも知りたいというほどのものでもなかった。
 しかし、セレス(の双子設定の人)は名前を尋ねられた瞬間、雷に打たれたかのような感情な反応を示す。

「……っ。……ぁ。うぅ……頭が……」

「なんだー!? お、おい、どーした?」

「……………ぅ」

 彼女はパタリと倒れると、痙攣し始めた。

「呪いが……。あの女の本名を尋ねられたとき勝手に発動する呪いが……」

「なんだそりゃー!? ありえねー!?」

(どこの傍に立つ者の攻撃でちゅかー!?)

 様子を窺っていたウサミが思わずテレパシーでツッコミを入れてくる。
 しかし、セレスの双子設定の少女は芝居がかった仕草で天に向かって手を伸ばし、呻くようにして辞世の言葉を残す。

「セレスティア・ルーデンベルクの本名を唱えたとき、この国は………ぅ………。
 わ、たくしの…遺体は……棺に入れて、栃木宇都宮の………大地に…………。
 ……あと、墓の近くには薔薇の花畑を………お供え物は……餃子で………………」

「死んだ!? 意味わかんねぇ……! どんだけ本名で呼ばれんの嫌なんだよ!」

(ふ、双子の設定のはずなのに、あっさりでちゅね……!?)

「つーか、せめて本名のヒントを残せよ!」

 本名が重要なキーワードであることだけを後に残して、セレスっぽい人は死んだ。

 その様子を見て、桑田は脱力する。
 そして、力が抜けたまま桑田はウサミに尋ねる。

「……あと何分?」

(見せしめまであと30分、あちしが降伏するまであと20分でちゅ)

「時間もねーし。もうあきらめるか……」

(あともう少しってところなんでちゅがね……)

「けど、ヒントもねーし……」

(うーむでちゅ……。その牢屋に何かヒントになりそうなものはないでちゅか?)

「いちおー、ちょっと探してみる」

 桑田は牢屋の中に入る。
 足枷があるから大丈夫ということのなのだろうか、牢自体には鍵がかけられていなかった。
 桑田はまず遺体に近付いてみる。

「しかし、人形みてーな死体だな」

(そこにリアリティがあっても嫌でちゅよ……)

「た、たしかにな……」

 桑田は遺体の傍に膝を突き、ポケットの中を漁った。
 しかし、何も見つからなかった。

「ダメだ……。なんもねー」

(うむむ……)

「この牢屋の中で目立つものったら、このツギハギだらけの服くらいしかねーし。
 やっぱ、これ、詰みだろ……。苗木にはわりーけど、もう待つしかなくねー?」

 桑田は継ぎ接ぎだらけの服をボーっと眺めつつ、そう呟いた。
 いっそ服に名前でも書いてくれていれば良かったのだが、あいにくそのようなものはなかった。
 ジャージの名札のように白い布が縫い付けられているが、そこには「パチモン」と書かれているだけだ。



「つーか、パチモンって……。ふつーに考えて、どちらかといえば本物はこっちのセレスじゃね?」

 桑田は白い布をなぞってみる。
 白地は汚れておらず、縫い目も綺麗であることから、継ぎ接ぎの中でも比較的新しく取り付けられたことが分かる。

「セレスの嫌がらせって感じか……? ……ん?」

 光の当たり具合によって、白地の下にうっすらと黒いものが透けて見えた気がした。

「………………」

 なんとなく……桑田は無言で白い布を引きちぎって見た。

 すると、その下にはもうひとつ白い布が縫い付けられていた。
 そこには――。





「書いてあんぞおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーー!!!」

(えええええええええーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!?)




 そこには「多恵子」と大きく黒い文字で書かれていた。




「よっしゃ! なんかよくわからねーけど分かった」

(たしかに、なんかよく分かりまちぇんけど分かりまちたね!
 まだ間に合いまちゅ! 走ってくだちゃい!)

「おう!」

 跳び上がるようにしてガッツポーズを取る桑田に対して、ウサミが叫び、
 桑田もまたそれに力強く応じる。

 桑田は一気に階段を駆け上がり始める。

 広場まで走って10分ほどかかる。
 牢屋の中を漁るのに5分近くかかったので、時間的にはだいぶ押している。

 しかし、やるべきことが決まっている今、桑田の行方を阻むものは何もなく、
 桑田は一直線に広場まで走っていく。

 行きは気になった埃も気にならず、城内にいるセレスの下僕達も少なくなっており、
 桑田は充分な余裕を持って、広場に辿り着くことが出来た。

 広場の中央には、磔にされた苗木を取り囲むように、見覚えのある者達が集まっていた。

 そして、もちろん彼女もいた。



「あら……? もう逃げ帰ったかと思っていましたわ」



 セレスティア・ルーデンベルクはにっこりと微笑んでいる。

 怖いものなど何もない……と彼女の笑顔は言っていた。

お待たせしました。ノロは週の終わりくらいまで長引きました

今度の火曜日も休みなので、近いうちに続きを投下します


(よーしっ! 見てろよセレス。今からほえ面かかせてやっからな!)

 桑田はにやりと笑ってセレスを見据える。

「セレス……オメーの秘密は分かってる。降参すんならここで言わないでおいてやる」

「下手くそなブラフですわね。わたくし人に知られて困るようなこと……何もないですわ。
 恥ずかしいことも後ろめたいことも何もしたことがありませんの」

「ダウトッ! ダウトッ! ダウトッ! オメーに限ってはそんなんばっかだろ!」

「人は自らの物差しでしか他者を測れないと申しますものね。嘆かわしいことですわ」

「あぁー。ダメだこれ。話し合いにならねーやつだ」

「話し合いが無駄という一点ではわたくしも同じ考えです」

 セレスが手を振る。それは下僕達に対する合図である。
 見覚えのある面々が桑田を取り囲み、そのままジリジリと距離を詰めていく。
 その様子を見て、セレスは口元に手をあてて嫣然と微笑む。

「うふふふふふ……。あなたも苗木君と同じように……」

「あ、やっぱ、そこで磔になってるの苗木か。見なかったことにしたかったわ……」

 磔になったうえで、苗木は口に鉄製の轡(くつわ)がかまされ、
 服の一部が剥がされたり、破られたりしているなど変わり果てた姿になっていた。

「……そんなこと言わずに、じっくりと見てもよろしいですわよ?」

「オレにそんな趣味ねーから!」

 狭まる人の輪に合わせるようにして、桑田は円の中心に追いやられていく。
 しかし、追いやられながらも桑田は余裕を崩さない。

「仕方ねーな……。恨むなよ! セレス以外のやつもよーく聞けよ!

 周囲の喧騒に対して、桑田は牽制するように口を開いた。

「そこにいるセレスはな! そもそも日本人なんだよ!
 名前もセレスティア・ルーデンベルクじゃねーし!」

 周囲の動きがぴたりと止まる
 重い沈黙が辺りを支配する。
 だが、すぐに再び動き出す。

「だ、騙されてはなりませんぞー!
 セレスティア・ルーデンベルク殿はセレスティア・ルーデンベルク殿!
 これは敵の精神攻撃に違いないですぞ!」

「山田くんの言うとおりだ! 僕達はただ女王陛下を信じるのみだ!」

「言うのはタダだべ! 信じてほしければ証拠を出すべ!」

 そんな彼らに対して、桑田は満面の笑みを湛えて告げる。
 人差し指でセレスを指し示し、桑田は大声でその名前を叫ぶ。

「そいつの名前は『多恵子』。生粋の日本人だ! 分かったか!」

「くっ……。…ぐぐぐッ!!」

 セレスが怯む。
 なぜその名前を知っている? とでも言うようにうめき声をあげ、逃げるように半身を後ろへと泳がす。

 そして、その動きに合わせるようにして、地震が発生する。
 桑田の夢が崩れたときのように、世界全体が揺れているようだ。

(よっしゃっ! 正解ってことだな! ざまーみろ、セレス。オレの勝ちー!)

(おぉー! すごいでちゅ! やりまちたね、桑田君! これであちし達も助かります!)

 周囲の下僕達も次々と叫び、うろたえていた。

「まさか!? 本当に?」
「嘘でしょ!? 日本人!?」
「そんなダセー名前だったなんて幻滅だべ! 死んだほうがいいべ! 生きてる価値ないべ!」
「諸君、魔女狩りの時間だ!」


 そんな彼らの様子を見て、桑田は勝利を宣言する。

「多恵子、女王辞めるってよ! さっさと全員解散しろ!」

 ざわめきがさらに大きくなり、世界の振動もどんどん大きくなる。
 それらの騒ぎに対して、セレスは黙ったまま下を見続ける。

「………………………………………」

 しかし、世界の震えは急に止まる。

「……うふ…………うふふふふふ…ふ…ふ…ふふ…ふふふ…」

 ゆっくりとセレスは顔を上げる。

「ふざけてんじゃねーぞ、このダボッ!! 辞めるはずねーだろ! あぁ!?」

「お、おい!? は? え? どーいうこと!?」

「多恵子だぁ!? てきとーな名前ぶっこいてんじゃねーぞ?」

 その剣幕に今度は桑田が怯む。

(お、おい、ウサミ、は、話がちげーぞ!? え、これで合ってるんじゃねーの!?)

(お、おかしいでちゅ。バ○スと同じよーに唱えれば世界が崩壊する呪文みたいなものなんでちゅが……。
 実は名前が似てるけど違うとかなんじゃ……? そ、そういえば双子の人に付いてたタグでちゅし……)

(そ、そうか! 名前がびみょーにちげーかもしれねーのか!?)

 桑田は思いつくままに名前を列挙し始める。

「たえこ、たかこ、たいこ、たきこ、たけこ、たこ、たてこ、たにこ、たぬこ、たねこ、たまこ、たみこ、ためこ、たらこ……えっと」

「バッカじゃねーですの!? てきとーな名前を挙げればそのうち当たるとでも思ってるのでしょうけど!?
 おあいにく様です。そんな風に名前を片っ端から挙げる時点で確信がないってことですわ!」

 哄笑するセレスの様子を見て、周囲が再び落ち着きを取り戻していく。

「やっぱり! 嘘でしたか!」
「セレス様はやんごとなき身分!」
「セレスティア・ルーデンベルクこそが本名だべ。長生きすべきだべ! 生きてる価値あるべ!」
「諸君、魔女狩りは中止だ!」

 再び桑田を取り囲む輪が狭まり始める。

「うむ……。もう逃げ場はないぞ。桑田よ…」

「少しでも逃げようとしたら、足を撃つ」

「これで詰みね……」

 大神、戦刃、霧切といった面々も輪の中に加わり、桑田を逃がすまいと圧力をかける。
 その圧力に負けるようにして、桑田の膝が震えだす。

(やべー……。ど、どーすんだよ、ウサミ。なんとかしてくれよ、ウサミ……)

(さ、さっきの世界の反応から見て、『多恵子』って名前はかなり脈があったはずなんでちゅが……)

(だけど、現実として……、あ、ここは夢だけど……、ってうおわぁ!?)

(桑田君!?)

 桑田は取り押さえられ、地面へと引き倒される。

「うふふ……チェックメイトですわ」

「い、いやだーー! 苗木と同じ目に合うのはいやだーーーーーー!」

 桑田は必死になって叫び始める。

「多恵子多恵子多恵子多恵子多恵子多恵子多恵子多恵子多恵子多恵子多恵子多恵子!!」

「そんな口裂け女に対するポマードじゃあるまいし、無駄ですわよ! ほら、観念なさい!」

「こ、こんなはずじゃ……。いや、だってオメー、多恵子って名前なんじゃ? っていてぇぇー!?」

「はぁ? そんなダセー名前のはずねーだろ!? その名前で二度と呼ぶんじゃねーぞ? このビクグソがっ!」


 悠然と歩いてきて、おもむろにヒールで桑田の額を突っつき始めるセレス。
 思い切り踏まないところに、セレスなりのささやかな情けがあるのだが、傍から見て痛そうなことに変わりない。

 ふと、そんな桑田の様子を見て、群衆の中の一人――山田が叫んだ。

「くっ……羨ましいですぞ。我々の業界ではご褒美だというのに!」

「じゃあ、代われよ、山田! オレにこの趣味はねー! ぐふぅ……」

「ふぉおおおおお! 代わっていただけるなら代わりたいですな、桑田怜恩殿!
 ぼ、僕も名前で呼べばいいんですかね……? 多恵子……はっ、何多恵子殿なんでしょうか?
 どういう設定なんですか、桑田怜恩殿!! そこのところ詳しく!
 ……って、ギニャアアアアアアアアアアアアアア!?」

 セレスが指を鳴らすと、大和田、石丸、葉隠、十神といった面々が次々と山田を蹴り始めた。
 山田は「こ、これは我々の業界でも拷問ですぞおおおおおおおお!?」と叫ぶが、誰も気にしない。
 桑田とウサミもまたそれよりももっと気になることがあった。

(まさか、フルネームいるのか……?)

(さっきのは名前は合ってたから、一瞬ショックで夢から覚めそうだったけど、
 やっぱりフルネームじゃないから、ごまかせるって無意識下で思った……という感じだったのかもしれまちぇんね……)

(往生際わるっ!?)

(けど、困りまちたね……。苗字を確認する方法が……はっ!?)

(どうした……ウサミ!?)

(苗木君に心当たりがあるそうでちゅ!)

 広場の中央で、ギャグボールを噛まされている苗木が何が呻いていた。
 しかし、彼の声は明確な言葉にならず、何を言っているのかは分からなかった。
 近くにいた舞園が「うるさいですよー」と鞭をしならせて静止の命令するまでの間、
 彼は必死に何かを伝えようとしていた。

 そんな苗木の様子を見て、地面に倒れ伏したまま、桑田はわずかに涙ぐむ。

(やべー。必死なのは分かったけど、何言ってんのかわかんねーよ、苗木……
 あと休め、苗木……。クラスメートのそんな姿は見たくなかった……)

 舞園が鞭をしならせた瞬間、苗木の動きはぴたりと止まった。
 明らかに何かアブノーマルなものが苗木の身と心に沁み込んでいた。

 だが、苗木の犠牲は無駄ではないようだ。
 ウサミが苗木の心の声をテレパシーで聴いたようだ。

(葉隠君……という人の名前がこの世界では存在しないことになってたそうでちゅ!?)

(葉隠だと……? なるほど! 分かった!)

(本当でちゅか!?)

 桑田はセレスに向かって再度叫ぶ。

「葉隠多恵子! それがオメーの本当の名ま……ぐわあああああああああ」

(桑田君ーーーーーーーーーーーー!?)

 無言でセレスは桑田の頬にヒールを移動させ、そのままぐりぐりと押す。

「んなわけねーだろ!? よりによって、わたくしがあのウニ頭と同じ苗字!?
 ……寝言は死んでから言ってくださらない? く・わ・た・れ・お・ん・く・ん?」

「ぶぁっくぁ!? シューピャーーシュチャーのウォレににゃんてことしゃががりゅ!?」

 一音、一音、区切るようにして、セレスは発音し、リズムよく桑田の頬をヒールで突いたため、
 その度に桑田の口から空気が漏れ、桑田の叫びは情けないものへと変わる。

 仕方ないので桑田は脳内で文句を言う。

(屈辱だー!? おい、葉隠でもねーぞ!? どーすんだよ!)

(葉隠君は葉隠君なんでちゅか……?)

(なに、葉隠も偽名なわけ!?)


(い、いえ、そういうことじゃなくてでちゅね……?)

 ウサミはその発想はなかったと言わんばかりに驚きつつ、ずばりそのもののヒントを出す。

(苗木君が言うには、名前のほうがあやしいかも……ってことでちゅ)

(名前……葉隠康比呂? やすひろ……? ……安広!?)

(そ、それでちゅ! きっとそれでちゅ!)

(よっしゃ、今度こそーーーーーーーーーー!!)

 桑田は最後の力を絞り出して、ヒールから逃れる。

「え!? まだあきらめませんの?」

「うるせーーー! オメーこそさっさと諦めろ! これで止めだ!」

「なんですって!?」

 驚くセレスに対して、桑田は叫ぶ。

「安広!」

「ぐ……」

 世界が再び揺れ出す。
 セレスが一歩、二歩と後ろへと下がり出す。

「『安広多恵子』。それがオメーの本当の名前だ! 今度こそ当たりだろ!」

「ぐぐぐ……。ぐぅ……ああああああああああああああああああああああああ!?」

 セレスは叫び、もがき苦しみだす。
 そしてその身体から光の粒子が煙のように昇り始める。
 まるで服の繊維が解けるように、光は上へ上へと進み、セレスの体の色が薄れていく。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?
 わ、わたくしはセレスティア・ルーデンベルクぅぅぅぅぅううううううううッ!
 安広なんてダセー苗字な訳が…………………………………………………………
 ねぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええんだよぉおおおおおお!!
 テメー、いちゃもんつけてんじゃねーぞ! そのタテガミ焼くぞ!?」

「そ、その状態で言われても、説得力がねえええええええええええええええええ!?」

 周囲もセレスの様子を見て、再び囁き始めてる。

「まさか!? 本当に? しかも、よりによって安広?」
「嘘でしょ!? 日本人!? 葉隠と同じ名前?」
「そんなダセー名前だったなんて幻滅だべ! 死んだほうがいいべ! 生きてる価値ねーべ!」
「諸君、魔女狩り再開だ! あの様子を見る限り、今度は本当だろう!」

 安広多恵子という名前が群集の間で広がっていく。
 まるで非人間でも見ているかのように、群衆がセレスに冷たい視線を浴びせ始め、
 何人かが石を投げ始める。

「どんだけだよ!? 全国のやすひろに謝れよ!?」

 その様子を見て、思わず桑田が叫んだが、周囲の喧騒は止まらない。

 そして、セレスもまた『安広多恵子』という名前を認めようとはしない。


「何度でも言ってやるから、耳の穴をガッツリかっぽじって、よく聞きやがれぇええええええ!
 わたくしの名はセレスティア・ルーデンベルク! セレスティア・ルーデンベルクなんだよぉおおおおおおおおおおおおおおおお!!!
 わたくしの名前が『安広多恵子』だという証拠を持ってこいやああああああああああああ!
 それが出来ない以上、全部ヨタ話になんだよぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!



 しかし、横合いから葉隠が口を挟んだ。


「あ、そういえば、俺、昔言われたべ。
 『あなたの名前は気に入らない』って言われて名前奪われたべ!
 今思うと、そういうことだったんだな!」

 そして、その言葉がダメ出しとなった。


「葉隠ぇぇぇええええええええ!? その頭のやつチョン切るぞぉぉおおおおおおおおおおおおお!!」

「え!? なんだべ!? 俺、何か悪いこと言ったか!?」

「くっ……。もうダメ…………。負けを認めましょう……。もうもちませんわ……。
 どっひゃああああああああああああああああああああああああああああ~~~~~~~~~」

 セレスは気の抜ける叫び声を上げると、そのまま一気に身体の輪郭を失い、
 そのまま光の粒子となって、空へと昇って行った。

 そして、それを合図にするように、地平線の向こうで太陽が昇り、周囲に朝日が差し込み始める。

 夜明けだ。

 周囲の者達が歓声を上げる。

「葉隠康比呂殿が偽の女王を倒したぞ!」

「葉隠すごーい! ドーナツいる!?」

「僕は感動したぞ! 葉隠君! 君こそ本当のナイトだ!」

「うむ……。お主こそが次の王だ」

「マジで!? 俺が王様!? つーことはお金使いたい放題だべ! やったべ!」

 皆が次々と葉隠をたたえ始め、葉隠が満更でもなさそうな顔をしている。
 そんな彼らの様子を見て、未だ地面に倒れ伏したままの桑田がぼそりと呟く。

「いや、待て、一番頑張ったのはオレじゃね?」

 しかし、誰も桑田の言葉は聞かず、「葉隠!」「葉隠!」「葉隠!」と手を振り上げ、音頭を取り始める。

 その光景は一種の悪夢である。

「納得いかねーッ」

「夢の中でちゅから。深く考えたら負けでちゅよ!」

「ウサミ!? 元の大きさに戻ったんだな!」

「はいでちゅ! あと、この世界ももうすぐ終わりまちゅ! このまま無事に帰れまちゅよ!」

「よっしゃっ! やったぜ!」

「ありがとうございまちた! 全部桑田君のおかげでちゅ!」

「はは……。なんかウサミのお礼でもないのとあるのじゃやっぱ段違いだわ。
 頑張った甲斐があったわ。
 あ……あとで、苗木にも礼言ってもらわねーと」

「そうでちゅね。現実世界でも仲良くしてくだちゃいね!」

「………………………」

「どうかしまちたか? 桑田君?」

「いや、別に誘導したつもりもねーんだけど……。
 今の発言……。苗木、現実でも覚えてるってことだよな?」

「あ……」

 ウサミが固まったまま動かない。
 世界が揺れる音がひときわ大きく辺りに響くのを桑田は聞いた。

「えっと……。では、また何か縁があったら会いまちょう。
 あまり居眠りはしないほうがいいでちゅよ。
 苗木君と一緒にまた迷い込んじゃいまちゅから!!
 それでは、バイバイでちゅ!」

(こいつ、逃げやがった……)

 ウサミは桑田の目の前から飛び去った。
 苗木の方へと向かっている。どうやら苗木を縛っている縄を外しにいったようだ。

 そんなウサミの様子を見ながら、桑田はフッと気が遠くなる感覚を覚えた。
 浮遊感が桑田の身体を包み込む。一気に水の中を浮上するような感覚。
 力を抜いて、水の圧力で上へ上へと押し上げられるように、桑田の精神は夢から現実へと戻っていった。




「…………ここは現実か?」

「桑田っち、まだ酔ってんのか?」

「康比呂……」

「きゅ、急に名前で呼ぶなんて、どうしたべ!?」

「いや……別に……」

 どうやら寝ていたようだと桑田は状況を確認した。
 食堂の片隅にうつぶせで転がされていたようだ。
 汚してもいいように……ということだろうか、地面にはブルーシートが敷かれている。
 近くには葉隠の他にも大和田がいて、青い顔して口を押さえていた。

「大和田?」

「チッ……。話かけんじゃねーよ」

「あ、あぁ……」

 どうやら葉隠や桑田と違って、まだ酒が抜けきっておらず、気分がすぐれないようだ。
 桑田は大和田からそっと視線を逸らし、食堂の様子を見る。
 すると、苗木がきょろきょろと辺りを見回しているのが目についた。今、目が覚めたようだ。

 そして、そんな苗木に対して、舞園と霧切が近づいていくのも目に入った。

「あ、苗木……。あと霧切、舞園……。う……気分が……」

 夢の中で、舞園と霧切に苗木が捕まったことを思い出し、桑田は渋い顔をする。
 そんな桑田に対して、葉隠が気遣いの声をかける。

「お、桑田っちも気分がまだよくねーのか? 安静にするべ
 あと、俺達もうここから離れちゃいけないべ。ここ隔離席だべ」

「いやそういううわけじゃ……」

「あ、わかったべ! 羨ましいんだな、苗木っちが!」

「あぁ~。まぁ……そういうことにしとけよ」

「ん? なんか変な桑田っちだべ」

「………………………」

 両手に花、苗木のそんな状況が羨ましくないはずないのに、今の桑田は欠片もそんな気持ちになれなかった。
 桑田はボーっと苗木達の様子を見続ける。




「あ、苗木君、起きたんですね! 急に眠っちゃったからびっくりしました!
 まだ具合悪いんですか? やっぱり疲れてるとか? 大丈夫ですか?」

「眠ってる以外、おかしな様子はなかったからそのまま寝かせたけど……。
 明日、明後日も同じように急に眠ってしまうようなら、病院に行くのをお勧めするわ」

「あ、あ、あありがとう、ふ、ふたりとも……ボクは元気だよ」

 苗木は2人――特に舞園の顔を見た瞬間、ガタガタと体を震わした。
 そんな苗木の様子を見て、舞園と霧切が怪訝な顔をする。

「……えっと、どうしてそんなに怯えてるんですか? 怖い夢でも見たんですか?」

「……今、私達、というよりも舞園さんを見て、震え始めたような気がするんだけど?」

「き、気のせいだよ。そ、そんなはずないじゃないか。あ、舞園さんの手作りケーキは残ってる!?
 あはは、ボク食べたいな! お腹空いちゃった!」

「苗木君って甘いもの好きでしたっけ?」

「舞園さんの作ったものなら別腹だよ!」

「そ、そうですか……? それは嬉しいですけど……」

「怪しいわね……」


 挙動不審な苗木に対して、2人は疑念を覚える。

 しかし、わざわざ追及する必要性もなかったためか、2人はあえて気にしないことにした。

「えっと……。じゃあ、ケーキ持ってきますね。今度は寝ないでくださいね」

「あ、あはは……もちろんだよ。ち、ちなみに、ケーキってどんなケーキ?」

「えっと、蜂蜜を使ったカップケーキなんですけど……」

「蜂蜜!?」

「は、蜂蜜ですけど!? ど、どうかしましたか、苗木君!?」

「蜂蜜……怖い…………」

「え?」

「蜂蜜怖い……舞園さん怖い……無口な十神君怖い……鞭怖い…………」

「苗木君!? 苗木君どうしたんですか!?」

「舞園さん怖い!」

「えぇ!?」

 転がるようにして、苗木はイスから離れそのまま走り出す。

「舞園さんが怖いぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」

「ひどいです! 苗木君!」

 走って逃げ始めた苗木に対して、舞園は叫ぶ。
 そして、そんな2人を見て、さすがの霧切も開いた口が塞がらない。

「な、何事………? 寝ている間に苗木君に何があったというの……?」

 霧切は推理を始めるが、材料が足りなさすぎて、その思考は焦点を結ばない。

 そんな舞園と霧切を後に残して、苗木は十神の元へと走り寄る。

 十神の近くには江ノ島と戦刃もいた。

「あれ、苗木じゃん? どうしたの、そんな血相変えて……? 苗木もいつものキャラに飽きた?」

「じゅ、盾子ちゃんじゃないんだから……」

「チッ……。どいつもこいつも騒がしい……。
 この俺が参加してやったんだから、俺のために休憩用の個室のひとつでも用意したらどうなんだ?」

 苗木が来て早々無理難題を言い出す十神。十神はぶっちょづらをしていた。
 江ノ島と戦刃に対して、辟易していたのだろう。

 しかし、そんな十神の言動に苗木は喜びの声を上げた。

「やっぱり、これだよ、十神クンは!」

「は? 何を言ってる苗木?」

「少しくらい口が悪くないと十神クンじゃないよ!」

「どういう意味だ苗木? 文句でもあるのか?」

「いや、文句なんかないよ。いつまでも十神クンは十神クンのままでいて!」

「……腐川の腐臭にやられたか。さもなくば酒か。……度し難い。
 ………………とりあえず、俺の視界から消えろ。近づくな」

 泣いて喜ぶ苗木を見て、十神は心底から嫌そうな表情を浮かべている。
 たぶん苗木が喜んでいる理由を聞いたら、さらに嫌そうな表情を浮かべるだろう。




 桑田は苗木の様子を見ながら、ため息を吐いた。

(オレの夢を覚えてるってのは、チャラにしといてやるか……。あいつの方が重傷っぽいし……)

 そして、この元凶になった夢の主はどこにいるのだろう……と桑田は視線を動かしていく。


「うっ……」

「どうしたべ? 桑田っち? 吐くか?」

「……吐かねーよ」

 桑田は見ていることを気づかれないように、視界の端で目的の人物を捉えた。

 セレスは静かに激怒していた。
 そして、その殺気立った視線が桑田へと向けられている。

(あいつオレたちが夢の中に入ったこと知らねーはずだよな……?
 ……って言っても、あの苗木を見たら、勘づくか……。オレのことも疑ってんだろーなぁ……
 うわぁ……。厄介な奴に……。あの剣呑な感じ……そんなに本名ばれるのいやだったのかよ……)


 パーティーの残り時間、桑田はセレスと視線を合わせないように細心の注意を払うことにした。


(なんか苗木に色々聞きてーことがあったんけど、明日でいっか……)

 桑田はゆっくりと目をつぶる。
 眠ったふりをしてセレスをやりすごすことにしたのである。

(パーティーが解散したらさっさと部屋に戻るか……はぁ……)

 そうして、桑田はそのままシートに寝転がり、身体を休めはじめた

 何度も居眠りをしていたはずだが、同時に邪魔をされていたせいか眠気が残っていたのだろう。

 桑田はあっさりと再び眠りに落ちる。

 そして、そのまま今度こそ安眠することが出来た。

今日はここまでです
終わってみると、セレスさんに時間をかけすぎた気がしないでもない


◇◇◇

(はぁ……。どうしてこんなことに……。今日、舞園さんと十神クンに対して何て言おう……。
 あ、そういえば、きっと桑田クンにも記憶が残ってることばれたよな……。はぁ……
 セレスさんも夢の中の出来事覚えてるんだろうか……?
 あぁ……やっちゃったな…………。これからどうしよう)

 次の日、昼前の授業(大学の講義に似ている)を受けていた苗木は心の中で嘆きの声を上げた。
 どんよりとした空気を漂わせている苗木を見て、近くに座っていた山田一二三が小声で言った。

「どうかなさいましたかな、苗木誠殿?
 選択してはみたもののレベルが低すぎてつまらないってヤツですかな?
 クックックッ……。この僕ですら興味深い内容だというのに……脳ある鷹は何とやら。
 実はオタクランクCに見せて、SS(ダブルエス)の人材でしたか……。
 苗木誠……なんて恐ろしい子……!」

「どちらかと言えば、授業は難しいんだけど……マニアックすぎて……
 あと、悩んでるのはそこじゃなくて……。あ、けど、やっぱり授業も悩みかも……」

 今、苗木達が受けている授業は、選択科目である『ゲームと倫理』である。

 副題は「プロジェクトゾンビはなぜ発売中止になったのか?」であり、
 ゲームにおける暴力表現や性的描写に関して、その社会的な是非を問う“講義”である。

 ある程度、基礎知識があることを前提に、
 現実にあった社会的な出来事に関して講師が説明し、論じるのである。

 例えば、副題にあるプロジェクトゾンビは、
 女性ロックボーカリストがゾンビを奴隷のように扱うR指定ゲームであったのだが、
 奴隷制を容認しているように見えた点が、単なる暴力的・性的行動の仮想体験に留まらないとして問題になった。

 つまり、R指定によって購入に制限が付いているとはいえ、反社会的な影響が強すぎるされたのだ。

 当初、メーカー側は「ゾンビは人間ではない」という理屈で抗弁したが、

 命令を理解し行動するゾンビはもはや人間と呼んでよいのではないか? 
 知恵を持ち、限りなく人間に近い存在はもはや人間と言ってよいのではないか? 
 という反対意見が大量によせられ、最終的に販売を断念したらしい。


 この判断については、未だに、人によって肯定的意見と否定的意見が別れている。

 そのため、講師がどちらの意見もまとめ、その上でどう考えるかを述べる必要がある。
 だから、授業ではなく、もはや講義なのである。

 なお、山田は、
 「プロジェクトゾンビは趣味ではありませんが、同人にとって規制は他人事ではありませんからな」
 と言って、この科目を取ったようである。

(そもそもR指定なのに……ボク達が見ていいのか? 資料だからいいってことなんだろうか? うーん……)

 この科目は他にも宗教的な理由から販売が中止になったペーガンダンスという
 ソフト(巨大な神となって、人間に次々と天罰を下すR指定ゲーム)について取り上げたり、
 人はそもそも隠されたものやタブーにどうして惹かれるのかという心理的な反応を、
 ゲームの裏技という観点から検討したりするようである。

 必携となる資料は『超技林』という電話帳大の書物である。
 なお、『超技林』は毎年発行されるため、十数年分のデータが電子化されて生徒には配布されてある。
 本来、ありとあらゆるゲームの裏技が記されたものなのだが、この規模になるとゲームの総合カタログとしての役割も果たす。

 科目受講者は最終的にこの超技林を片手にレポートを書き、
 さらにそのレポートを元にディベートに参加しなければならない。

 元々、ゲームをプレイするだけではなく、ゲームを守りたいと思えるほど、
 ゲームが好きで好きでしょうがない人じゃないと、とてもじゃないとやってられない科目である。

(ボク、ゲームはけっこう好きだし、規制もどちらかといえば反対なんだけど……情熱が足りなかったみたいだ……)

 昨日のトラブルや、今日の昼食時にするつもりの会話に気を取られていたせいもあるのだが、
 授業内容がまったく頭に入ってこなかった。

 すると、そんな苗木の様子に気付いたのか、一緒に講義を取っていたもうひとり……不二咲が小さな声で囁いた。

「あ、苗木君……。良かったらなんだけどぉ……、あとで一緒に勉強しようよぉ。
 三人で話し合いながら勉強すればぁ……きっと、分かりやすいと思うよぉ……
 もちろん迷惑じゃなければ……なんだけどぉ、どうかな?」

「あ、ありがとう……! 不二咲ク……さん! むしろ、ボクの方からお願いしたいところだよ……!」

「えへへ……、それなら良かったぁ……。一緒に頑張ろうねぇ……」


 不二咲が嬉しそうにはにかむ。

 すると、苗木達の周囲の空気が僅かに揺れた。

 今学期から、選択科目の一部を受講可能になった予備学科生達が息を呑んだのである。



(ちーたんッ!! ……ハァハァ)
(生ちーちゃん、GJ)
(ちーちゃんマジ天使。鎖骨の形が男っぽいところもまた良し)
(殺伐とした現代に舞い降りた救いの女神ちーたん)
(生きるべきか死ぬべきか……ちーちゃんかちーたんか……それが問題だ)
(苗木誠殺し隊)



(……なんか聞こえてはいけない声が聞こえる気がする)



 苗木は冷や汗を流す。



 不二咲の熱狂的なファンが予備学科生の中にもいたらしく、
 さりげなく(といっても、周囲からはもろ分かりなのだが……)、彼らは苗木達の近くの席に座っていた。

(なんだろう……。山田クンがいっぱいいる感じ…………?)

 受講のために、試験を突破してきたことから、超高校級とまではいかなくても、
 この分野においては同世代よりはかなり詳しいのだろう。

(けど、本当にこの分野に対する興味だけなんだろうか……?)

 彼らが頑張った理由は「ゲームと倫理」に興味があったのではなく、
 不二咲と一緒に授業を受けたかったからなのではないか……? そんな感想を苗木は持つ。

 「ゲームと倫理」ではなく、この科目に結び付いた別の欲望が彼らの心を燃やし、
 その熱が自分を襲ってきている気がしたのである。

(不二咲クンも人口知能を研究する上で倫理について考えるのは必須だって言ってたし……
 純粋か不純かは置いといて強い動機があるとやっぱり違うな……。
 ボク達の近くに座っていない予備学科の人達もきっと何か強い目的があって、この科目を取っているんだろうな……)

 苗木は先ほどとは違う理由でさらにため息を吐く。
 夢の世界に落ちることもそうだが、この学園からドロップアウトされないように頑張らないとならないからである。

 他の本科生と違って、『幸運』は研究成果に対する寄与が少なく、お荷物呼ばわりされがちだ。

 そのため、苗木は苗木なりに無事卒業までこの学園にいられるように、色々と作戦を立てていたのだが……。

(初日からいきなりこんなことになるなんて………。
 まずは夢の一件をどうにかしないと、日常生活もままならないよ)

 昨夜は、霧切に「苗木君、あなた疲れているのよ……」と半ば強制的に部屋に戻るように言われた。

 冷静になってみると、ものすごい恥ずかしいし、迷惑をかけて申し訳なかった……と、苗木は思う

(このままにしておくと、また皆に迷惑をかけるかも……)

 幸いなことに、苗木自身が先に眠っていれば、他の人が眠っても迷い込むことはないようだし、
 誰かが居眠りをしなければ急に意識を失うこともない。

 しかし、急に眠ってしまう可能性がゼロでない限り、苗木としては外を歩くのも怖い。

 さらに、このままだと皆のプライバシーに土足でどんどん踏み込むことになり、その点も問題である。

(なんとか穏便に終える方法がないかな……?)

 苗木は、ひとまず昼休みになったら、昨日迷惑をかけた舞園、霧切、十神に謝った後、
 さらに桑田に嘘を付いたことを謝って、相談しようと考えている。

 しかし、それではおそらくそれだけでは解決できないだろうから、
 桑田に証人になってもらったうえで、霧切や十神など頭がキレる人に頼んで、
 打開策を一緒に考えてもらおうとも考える。


(やること多いな……)

 苗木はさらにため息を吐いた。

「はぁ……」

 すると、その横で山田があくびをする。

「ふぁああああああ……!」

「……え?」

 苗木はため息に対する返事か何かかと一瞬、目をしばたかせた。
 苗木の視線の先で、山田はあくびを終えると、頭を掻きながら小さな声で笑う。

「失敬失敬……。これは授業が退屈なのではなく、昨夜、パーティーでテンションが上がったまま、
 創作活動に打ち込んだが故(ゆえ)……。つまり、単なるあくびではなく、勲章のようなもの。
 決して、僕はSSS(トリプルエス)ランクなのではないので、安心してくだされ……
 クックックック……」

 それに対して、苗木は曖昧に返事をする。

「う、うん……」

「冴えない男子高校生が実は……というのは嫌いじゃないですが、僕の作風ではありませんからなー」

「そうだね……」

「では、僕は意識の高い男子高校生らしく授業に集中しますぞ……!」

 山田は講師の話す内容に再び集中する。
 そして、意味があるのかないのか分からないくらい勢いよく、ノートに文字を書き殴り始めた。

 そんな山田の様子を見ながら、苗木は苦笑いを浮かべる。

(ハハ……。山田クンは山田クンで寝不足なのか、テンションがおかしいな……。
 …………とりあえず、寝ないでね、山田クン)

 あくびはしても寝ないで欲しい、そう思いながら 
 苗木もまた山田を見習って、講師の話す内容に再び集中し始める。




(よし、まずは目の前のことに集中しないと! くよくよしててもしょうがない! 頑張ろう!)



 苗木は自分に気合を入れた。
 人より少しだけ前向きなのが彼の特技だった。


(集中……集中……)


 そして、チャイムが鳴るまで、苗木は集中し続けた。
 これまでが嘘のように苗木は集中した。


 しかし……。







「やる気だけじゃ駄目だったよ………」

「ど、どんまいだよぉ……」

「次がありますぞ!」





 ……結局、内容がいまいち頭に入らなないまま、「ゲームと倫理」最初の講義は終わった。

今日はここまでです

ちなみにゲーム本編でプロジェクトゾンビをあげると大喜びする桑田クンは、まんまチャラい大学生のノリで、
科目名と科目説明から発せられるエグそうな雰囲気を感じ取り、「ゲームと倫理」は履修しませんでした


◇◇◇

「おい、苗木、ちょっと……」

 食堂に入った苗木に対して、いきなり桑田が話しかけてくる。
 どうやら、昨夜のことも含めて、今後どうするかを話したいようである。

「く、桑田クン……。夢のことだよね……?」

「まぁな……、あー、やっぱ覚えてんのな」

「えっと、ごめん……。誰にも言わないから」

「……頭丸めるんだよな? 覚えてたんだし。それか忘れるまで頭打ち付けっか」

「うっ……」

「はぁ~、冗談だよ、冗談……。なんか昨日のセレスの夢の後だと、
 なんかもうなんでもありな気がしてんだよ。
 なんつーの? そもそも夢の中とか滅茶苦茶じゃね?」

「そ、そうだね」

「それに冷静に考えたら、たまには野球もやりたくなるし、女子相手にそういうこと考えちまうもんじゃん。
 なんつーか、オレ、おかしくねーじゃん」

 桑田は眉間に皺を寄せながら腕を組む。
 そして、言った。

「苗木もエロい夢とか見んだろ?」

「ちょ、え? 何言ってるの!?」

「はぁ!? ここまで来てイー子ぶんのかよ?」

「い、いや、そういうわけじゃなくて……」

 苗木はいきなり話を振られてうろたえる。
 そして、そんな2人の会話を近くで聞いていた者がいた。

「ほうエロですとな……?」

 先にテーブルに向かったはずの山田である。

 待たせても悪いので、苗木は「先に食べてていいよ」と山田と不二咲に言っておいたのである。

 実際、すでに他のクラスメートはすでに席についている。
 十神が少し離れた場所にある丸テーブルをひとりで独占しているなど、いつも通りの光景が広がっており、
 何人かは苗木達が来るのを待っている。

 そんな中、山田は、自分の分の食事を厨房からもらってくるついでに、
 苗木の分も持ってきてやろうと考えたらしく、苗木に何がいいか聞きにきたようである。

「ちなみにいかにも人に気を使いそうな不二咲千尋殿ではなく、なぜ僕が来たかと言いますと
 不二咲千尋殿は、先ほどのプロジェクトゾンビの中の一部の映像のせいで
 いまいち食欲がないそうなので、飲み物だけでいいそうなんですなぁ……。
 そんな不二咲千尋殿に、食べもしない食事を運ばせるのも酷なことですし、
 さっさと座って休んでほしいという僕なりの心遣いですな。
 一部の読者になんでお前? ちーたん出せ! とか言われそうなので、
 先手を打って、説明させていただきましたぞ」

「オメー、誰に説明してんの?」

「すべての始まりにして終わりなるものにしか分からないメタ的な世界という奴ですしおすし。
 まぁ……僕もオフ会では気配り上手だってよく言われてますから問題ないですなぁ」

「お、おう?」

 なお、皆のいるテーブルでは、
 戦刃が不二咲に「……食欲がなくても食べやすいよ」と飲むゼリー感覚でレーションを勧めていたり、
 大神が「ならば、食欲不振にはプロテインコーヒーが効くぞ」とヨーグルト感覚で勧めていたりいた。
 おそらく、今もっとも気配りが必要とされているのは、その一角である。


「ところで……エロい話とはエロい話とは? ハァハァ……」

 本気なのか冗談なのか、妙にキラキラとした視線を山田は苗木と桑田に向ける。

 それに対して、桑田は告げる。

「あー、なんつーか、具体的なことはねーぞ。苗木がエロいの好きってだけで」

「え、そんな話だったっけ?」

 苗木が思わず引きつった表情を浮かべるが、気にせず山田と桑田は話を続ける。

「性に興味があるのは男子として当然ですな。まぁ、僕は二次元専門ですが」

「だよなー。ニジゲンはよくわかんねーけど」

「チッチッチ……コミックゴロゴロでもポンポンでも青年向け漫画でも何でもいいですが、
 サービスシーンで少しでも興奮したことがあるならば、桑田怜恩殿にも素質がありますぞ。
 それに……、今時の若者ならば二次元のことも知らないともてませんぞ」

「マジかよ!? やべぇ、オレももてるために山田のマンガ読んだほーがいいのか……って、ねーよッ!」

 桑田は驚愕に身を動かし、思案するように口を引き締めた後に、
 一気に投げ捨てるようなリアクションを取る。ノリツッコミである。

 山田は「そんなことはありませんぞ」とにやりと笑う。
 
「時代は僕らの背中に風を吹かせていますぞ。……クックック。
 数年後に後悔するがよい。まぁ、それは置いといて……」

 山田は鼻息を荒くしながら「高尚な話に戻りましょうか」と告げた。

「しかし、なぜそんな当たり前のことを? 呼吸の大切さを思い出すのと同じくらい今更ですぞ」

 山田は怪訝な顔をする。
 そこで苗木は言い訳をしようとするが……。

「あ、いや、ボクは……」

「素直になろうぜ、苗木」

「素直にって……」

 桑田に遮られた苗木に対して、さらに山田が言い募る。

「まさか……、苗木誠殿は自分は男子ではないと仰る? そういえば、声も高いですしなぁ……」

「い、いや違うって……!」

「では、やはり女の子に興味があると……? たいへん興味があると……? そう言うんですな!?」

「う、うん!? そ、そうだよ!?」

「ですよねー!」

「うん……! って、……あれ?」

 思わず頷いてしまった苗木は自分の言葉に首を傾げてしまう。
 だが、すでに遅い。

「ちなみに、苗木は夢の中で舞園に鞭で打たれたり、無言で十神に迫られたりしたらしいぜ」

「いやぁー、上級者ですなぁ。そこに痺れますし、憧れますし、もう少し詳しく!」

「ボクは平均的だよッ!?」

 苗木は思わず叫ぶ。
 そして、同時に考える。

(というよりも、桑田クンは夢の中に入った話はありなのか?)

 荒唐無稽な話だから、うかつに喋ると正気を疑われるのではないか? と苗木は心配していたのだが、
 あっさりと桑田は夢の中のことをしゃべり始めそうであった。
 そのことに苗木は少し焦る。


「えっと、桑田クン……? 夢の中に入ったなんて話しても大丈夫かな?」

 そこで、苗木は小声で言う。

「は? なんで? ……って、あー、もしかすっと、頭の中を疑われるかもしんねーのか」

「ボクと桑田クンだけだとね……。セレスさんも証言してくれるといいんだけど……」

「昨日の今日じゃ無理じゃね……? 今日、あいつずっと笑顔で怖いんだけど」

「そ、そうなの?」

 苗木はセレスへと目を向ける。

 セレスはテーブルに座っている。
 長テーブルの一番端にて、他の人より多めにスペースを使って、優雅にティータイムを嗜んでいた。
 もうすでに食事を取り終えているのか、レースで編まれた高そうなブックカバーを付けた本も読んでいる。
 深窓の令嬢然とした態度である。

 しかし、苗木の視線に気づくと……。

「うわぁ……」

 苗木は思わず引きつった声をあげてしまう。

 セレスがにっこりと愛想よく微笑んでいたのである。
 クスリと抑え目に笑うのではなく、満面の笑みだ。
 笑顔に含みを持たせるのはいつものことだが、今日はそれに加えて、
 有無を言わせぬ凄みのようなものを感じさせていた。

「あれ、絶対何も言うなってことだよね……」

「ま、別に言いふらすつもりはねーけどさ。はぁ……」

 桑田はため息を吐く。

「とりあえず、あんな感じだししばらくは無理じゃね?
 つーか、しばらくしても夢の話を振ったら、不機嫌になんじゃね?
 ま、案外、本名以外なら大丈夫かもしんねーけど……。まぁ、オレは勘弁させてもらうわ。
 やるなら、苗木頼む」

「ははは……」

 苗木も苦笑いしか浮かべられなかった。

 すると、そんな嘆息する2人に対して、山田が語りかけてくる。

「さっきから小声で何を語っておるのですかな?」

 山田は眼鏡をクイッと押し上げる。

「年齢制限がかかる話なら、僕にお任せあれ。ただし二次元に限る」

 妙に凛々しさを感じさせる声で山田は宣言する。
 しかし、口にしている内容は微妙極まりない。

「な、なんでもないよ……。あ……、山田クン、セレスさんが」

 そんな中、苗木はふと視線の先でセレスがティーカップを置いたのを見た。

「はて? セレスティア・ルーデンベルク殿がどうしたって…………は!? 今、参りますッ!」

 すると、山田が走り出す。

 セレスが紅茶の中身を飲みきったのを、山田は“振り返ることなく”察知し、即座に厨房へと走る。
 ロイヤルミルクティーのおかわりを取りに行ったのだ。
 その俊敏な動きは、まさに調教された豚……もとい、訓練された給仕そのものであった。

「うわぁ……」

 桑田は夢の中の出来事も思い出しつつ、何とも言えない顔をした。
 そして、苗木もこう思う。

(いっそ、十神クンみたいに給仕の人でも雇えばいいのに……。お金もあるんだし)

 しかし、セレスは必要なこと以外お金を使うつもりはなく、何か大きなものを買うためにお金は貯めているらしい。


(まぁ、いっか……)

 苗木は気を取り直した。

「ひとまず昼ごはん食べたら、霧切さんに相談しようかなって思ってるよ」

「まぁ、他に頭良さそうなのは、十神と江ノ島だしな……。こういうの話す相手としてはコエーな」

「ははは……。セレスさんや腐川さんもこういうの本か何かで読んでそうだけど、
 まぁ、まずは霧切さんかな」

「いいんじゃね? とりあえずはってことで」

 苗木と桑田は話しながら、テーブルへと向かう。
 彼らの向かう先では、クラスメート達が談笑している。
 もちろん霧切もそこにはいる。彼女は舞園や朝日奈と何か話していた。
 しかし、視線を向けられたことに気付いたのか、霧切は顔を苗木に向ける。

「なに……?」

「えっと、あとで相談したいことがあるんだ」

「苗木君と桑田君が? ……何のことか大体分かったわ」

「え!? ほんとに!?」

 苗木は目を見開く。
 そんな苗木に対して、霧切は喉のつかえが取れたかのように、フッと少しだけ微笑む。
 そして、2人に対して小声で告げる。

「共通点があるもの。昨日のこと……たぶん睡眠関係のことでしょ?」

「マジかよ!?」

 桑田も驚愕によって開いた口がふさがらない。
 どうやら霧切は、今の状況を素早く昨日の出来事と結びつけたらしい。
 昨日、苗木と桑田がそれぞれ起き抜けに絶叫したことについて、答えが出ていなかったので、
 いつでも取り出せるように頭の片隅に残していたようだ。

「えっと、苗木君、何か悩みでもあるんですか?」

「私たちは聞いちゃ駄目な話?」

 そんな霧切に対して、近くに座っていた舞園や朝日奈は首を傾げるばかりだ。
 苗木は困ったように笑う。

「ははは、ごめんね、舞園さん、朝日奈さん。
 聞かれて困るってわけじゃないけど、なんか自分でも上手く整理出来てないんだ」

「あら、私なら整理できていない話を聞かせてもいいの?」

 いつの間にか、霧切は微笑んでいた口元を結び直していた。
 少しだけ焦る苗木。

「え、そ、そんなことは……」

 しかし、そんな苗木に対して、桑田が助け船を出した。

「ほら、霧切って、整理できてない話を聞くの得意そうじゃん」

「……人をカウンセラーみたいに言うのね」

 ほんのわずかにムッとした様子で、霧切がじろりと桑田を見る。
 しかし、すぐに気を取り直したのか、霧切は苗木にあらためて告げる。

「じゃあ、食事が終わったらしっかり話を聞かせてもらうから」

 その言葉を聞いて、苗木は安心した。


「うん、ありがとう。じゃあ、ボクは食事を取ってくるから」

 だいぶ時間がなくなってしまったと、苗木は少し速足で厨房へと向かう。

(あっ……)

 厨房へと移動する途中、視界の横で、山田がホッとした様子を見せているのが分かった。
 ロイヤルミルクティーがセレスの舌にあったのだろう。

(山田クンの雑用能力が上がっていくなぁ……)

 少しだけ親近感が沸く苗木。
 中学時代に厄介事を何かと押し付けられたことがある苗木としては、他人事ではなかった。

(ボクも霧切さんにコーヒーでも淹れようかな。この後、お世話になるし)

 そう考えながら、苗木は山田から視線を外した。

 ちなみに、視界の端で最後に見た山田はあくびをしていた。
 安堵によるものなのだろうか、それとも寝不足によるものなのだろうか。

(まぁ、どっちもでいいか……)

 深く考えず、そのまま苗木は厨房へと入っていった。

今日はここまでです
次で誰かの夢に入ります




どうでもいいですが、最近、スクールモードの選択肢を全部見ようとして、乱数の壁(主に葉隠くん)に阻まれてます

「やっぱり朝食は和風だよね」「何か飲む?」「小腹がすいたらハンバーガーだよね」が12回連続で出た来たときは、
葉隠くんの頭を丸刈りにしたいと思いました

苗木「葉隠クンの部屋を掃除するごとに占いの的中率が上がるって?」

ってスクールモードやってたら思いつきました
葉隠クンには無限の可能性がありますね



なお、本編は明日、投下します
4~5レスくらいです
次の夢の冒頭まで行きます


◇◇◇

「すぐには信じられないわね」

「だよね……」

「ただ、筋道は通っているから、否定もしない」


 昼休みが終わり、食堂から人が減った頃、霧切は苗木の話を聞き終える。

 幸いなことに、3人とも午後は次の授業まで時間があるようであり、
 細かい話も含めて、苗木は自分の知る全ての情報を話した。

 霧切は少しだけ驚いた様子を見せたが、すぐに表情を引き締め、淡々と可能性を検討し始める。

「いくつか可能性はある。
 それこそ夢の世界なんてファンタジーがあり得るのなら、無数に。
 いっそ、SFの可能性も考えるなら、記憶や認知に異常が起こった可能性もあるわ。
 例えば、2人して幻覚を見ていたり、2人して記憶を操作されていたり……ね。
 ただ、もしそんなことが可能だとしても、それを実現できそうな人は限られる。
 人の手によるものなら可能性を絞っていけば、自然に辿り着くはず……。
 ……だから、まずは本当に人の力によらない現象であると仮定して話を進めましょう」

 もちろん、苗木や桑田が見落としている箇所に何かしらのトリックが存在するかもしれない。
 しかし、今はファンタジーの可能性があるのかないのかをまず確認したい……と、霧切は告げる。

「保健室に行きましょう。
 そこで私が睡眠を取って、本当に苗木君が夢の中に入ってくるかを確認するわ」

「え……? いいの?」

「何か困るの?」

 自分の言葉に対して、戸惑ったような顔をする苗木に対して、霧切は不思議そうな顔をする。
 そこで、苗木に代わって、桑田が答えを返す。

「夢の中を見られるって恥ずかしくね?」

「別に」

「別にって……」

「だって夢なんて記憶が無秩序に出てくるものよ。
 記憶による連想ゲームでしかない。
 そこに意味があると考えるのは有意義なこととは言えないわ」

「マジで?」

「マジよ」

 霧切は告げる。

「夢は睡眠の副次的効果にすぎない。
 夢を見るのは、睡眠中に記憶を整理しているからであって、
 論理的な思考に基づいたものじゃないの。
 だから、何かとんでもない夢だったとしても安心していいの」

「よっしゃー! 安心したぜ!
 オレは野球が別に死ぬほど好きでもねーし、ムダに女子に飢えてるわけでもねーんだ!」

 桑田ははしゃぐ。
 両腕をあげて、ファイティングポーズにも似たガッツポーズを決めていた。
 自分が恥ずかしい人間ではないというお墨付きを得たためである。

 しかし、そんな桑田を見つつ、苗木は首を傾げた。

(けど、セレスさんの夢とか一定のルールに縛られてたような?)


 実際のところ、ファンタジー的な要素を除いても、夢には未知の部分が多く、
 本人の願望を直接的に反映しないにしても、間接的に反映している可能性などは十分に考えられる。

 たとえば、物事が上手くいく夢を見るとしたら、それは願望ではないかもしれないが、
 これからする行動の予行練習ではあるかもしれない。

 仮に失敗する夢を見たにせよ、それは失敗をイメージすることによって、
 現実でのショックを和らげようとする脳の働きかもしれない。

 動物は夢の中で狩りの練習をするという話も存在する。

 何かしら、タネになるものがあるからこそ、夢にそれが反映されるということも十分に仮説として考えられるのである。

(あぁ、けど、実際、セレスさんがお城に住むとしてもボク達全員を家来にしようとは考えないはずだし。
 やっぱし、意味はないのかも)

 ただし、連想ゲームというのも嘘ではなく、
 夢の登場人物に身近な人が出やすいのは、知人は記憶される回数が多いからであり、
 夢の世界を構築する材料として使われやすいためである。

 だから、同じ夢の中でいくつかの役割を兼任することすらあり得るし、
 夢の中でのイメージが直接、その人物を表現しているとは“必ずしも”言えないのである。

(うーん……けど、セレスさんの夢は色々細かい部分もあったし、
 みんなの動きや性格もすごいそれっぽかったような……)

 ただし、感情と記憶が密接に結びついているということも確認されており、
 夢を見やすいレム睡眠中はその感情を司る脳の機能が強く働いているため、
 何かしら現実世界での出来事や人物像を強く反映している可能性もある。

(ダメだ……。深く考えたらいけない。
 細かいところやその人っぽいところもあるくらいで考えよう。
 ルールに縛られてるように見えて、あからさまにおかしなところも多かったし)

 あえて藪を突いて蛇を出すこともないだろう……と、苗木は黙っておくことにした。

 もし本気で知りたいと思ったら、≪超高校級の神経学者≫にでも相談しに行くしかないだろう。

「……と、とりあえず、霧切さんが良いなら試してみようか」

 とりあえず、苗木達は保健室に向かうことにした。

(保健室か……。2日連続は初めてだな)

 苗木は苦笑しながら保健室のドアを開けた。

「あ、あ、あの、病気ですか!? 怪我ですか!? そ、それとも何か私に落書きでも!?」

 すると、そこには昨日と同じように、超高校級の保健委員がいた。

(……まさか、常駐してる?)

 保健室にいることも才能を伸ばす一環なのだろうか?
 苗木はそんなことを考えたが、結論は出ない。

 しかし、一緒にいた霧切は特に動じた様子もなく、要件を告げる。

「ベッドをひとつ貸してくれないかしら?
 昨日から少し右のこめかみあたりが痛くて……あまり眠れてないの。
 この後、受けないといけない授業があって、寄宿舎でゆっくり休むというわけにもいかなくて……。
 それに――――」

 霧切はそれらしき理由を説明していく。
 医学的な用語もいくつかあった。おそらく探偵としての知識だろう。
 早い話が、気合の入った仮病である。
 そうして、霧切は目当てのものを得られるように話を持っていく。


 すると、保健委員はひとつの提案をしてきた。

「そ、そうなんですかぁ? 季節の変わり目に起こる偏頭痛かもしれませんね……。
 良かったら……あくまで良かったらなんですがぁ……よく効くお薬がありますよぉ!
 睡眠導入剤の一種なんですが、頭痛を和らげる働きもあるんです」

「あら? 勝手に出していいの?」

「この部屋にあるものは自由に使っていいことになってるんですよ」

「ふぅん……?」

「ひ、ひぃ、う、嘘じゃないですよぉ……!?」

 あくまで一度騙すくらいなら、≪超高校級の保健委員≫相手でも可能なのだろう。
 相手に提案させる形で、会話のペースをつかみ、短時間で眠りにつける薬品を手に入れようと霧切は考えていた。

「……じゃあ、せっかくだから使わせてもらおうかしら?」

「はい、ではこれを……」

 そして、その結果、霧切は瓶に入った睡眠薬の錠剤を手に入れる。

 霧切はその瓶を手で振りながら、苗木に向かって言葉をかける。

「それじゃ。ここまででいいわ」

「え? ……あ、あぁ……分かったよ」

 苗木の話が本当ならば、近くにいれば夢の中に入れる。
 そのため、別に苗木は一緒にいなくてもいいのである。
 むしろ、距離によって入れないことがあるのかどうかを判別するためにも、
 苗木には別の場所にいてもらおう……霧切はそう考えていた。

 一種の実験である。
 わざわざ自室でなく、保健室を選んだのは、関係のない第三者を介在させるためだ。

 また苗木や桑田が気付かなくとも、
 ≪超高級の保健委員≫ならば何か身体的・医学的な異常に気付くかもしれないという考えもあった。

「またあとでね……」

「うん」

「じゃあな」

 苗木と桑田は保健室を後にする。
 廊下を歩きながら、2人は食堂に戻ることにした。

「あとは霧切が寝るのを待つだけか」

「そうだね」

「ま、今回はオレは外から見てっから、テキトーに寝言でも言いながら頑張れ」

「ははは……」


 桑田は少しだけ楽しそうに笑っていた
 安全地帯から、完全に傍観者となるつもりのようである。

「あ、けど、霧切の夢か……少し興味あんな」

「確かに少し気になるよね」

「探偵のオールスターライブみてーになってたりしてな。
 ホームズとか……シャーロックとか……」

「同じ人だよ、それ……」

 シャーロック・ホームズ以外は思いつかなかったようである。
 苗木は曖昧に笑いながら頬をかいた。

(けど、いざあらためてこれから夢の中に入るって思うと緊張するな……。
 今までずっと突然だったからなぁ……)

 苗木は小さく深く息を吐く。
 自分に気合を入れようと思ったのである。

(よし……! 今度は捕まらないようにしよう……というよりも安全第一でいこう!
 …………って、あれ……?)

 しかし、そのときだった。
 身に覚えのある感覚が苗木を襲う。

「あれ……?」

 現実世界において、苗木はいきなり倒れ込む。
 それに驚いたのは桑田であった。

「ちょ、はやすぎね!? の○太かよ!?」

 桑田は慌てて苗木を支える。
 しかし、桑田の言葉はすでに苗木の耳には届いていなかった。

 苗木は夢の中に落ちていった。


◆◆◆


「……本当に唐突に来るんだな」

 苗木は16個の扉を眺めながら、嘆息する。
 ここ数日、ため息を吐き過ぎたせいか、自らの息が鉛のように重くなっているように感じる。
 ただ仮に身体が鉛のように重くなったとしても、歩ける限りは頑張ろうと思うのが、苗木の長所であり、モットーであった。
 そのため、苗木は躊躇することなく、扉のノブへと手をかける。

 苗木が背にしている扉からちょうど右隣で、明るい赤紫色つまりマゼンタカラーの扉が
 自らの存在を主張するように強く光っていた。

(そういえば、これひとりひとり色が違うのか?)

 本人のイメージカラーなのかそれとも苗木の中の認識なのかは分からないが、
 桑田はオレンジ、セレスは黒……といった具合で色が決まっているようだ。

(けど……、霧切さんは青紫とか紫とかかなって思ってたけど、赤紫色も好きなのかな?)

 マゼンタはピンクに近く、派手な色である。
 そもそも色の三原色であることからも分かるように、自己主張が激しく、好みが分かれる色でもある。
 しかも、この扉は発色が妙に良く、まるで特撮などで使われる子どもに受けそうな色合いだ。
 それが霧切の色であるということが、苗木にとって意外であった。

(霧切さんのこと全部知ってるわけじゃないし……。
 こういう側面もあるってことだよね)

 しかし、苗木は気にしないことにした。
 これまでにあった夢の中での2回の体験が苗木の心を広くしていた。
 もはや夢の中で、霧切が誰かの靴下の中に手を突っ込んでいても驚かない自信があった。

「よし……じゃあ、入ろうかな」

 苗木は扉をくぐる。


「え……!?」

 すると、そこには巨大な建造物があった。
 高層部に4つの逆三角形を頂く独特のデザインの建物が塔のようにそびえ立ち、
 さらに、そこから左と奥へとそれぞれ別の巨大な建造物へと続く通路が伸びている。
 3つ合わせてひとつの建造物であるようだ。

 苗木が立っている場所から逆三角形の建物、さらには逆三角形から伸びる通路にも大勢の人間が歩いている。
 まるで日本中の人が集まっているのではないかというほどの人口密度であり、
 全員が一斉に走り出したら地震でも起きるのではないかというほどの活気があった。

「こ、これは……?」

 苗木は知っていた。

 クラスメートに連れられて、売り子をやったことがあるから知っていた。

 年2回行われる、一部の人達が“聖戦”とまで呼ぶ巨大なイベント。

 宝を求めるハンター達の集い。

 その日限りの出会いを求めて彷徨う戦士たちの会合。

 その名は……。



「コミケ!?」



 日本最大の同人即売会コミックマーケットである。



「何故……?」

 苗木は考えた。
 何故、霧切の夢に入ったはずなのに、自分は東京ビックサイトの前にいるのかを……。
 そして、答えを導き出す。

「そういえば、前にマンガを貸したなぁ……。けっこう気に入ってくれたのは知ってたけど、
 まさか同人誌に興味を持つほどはまったのか……」

 以前、日本のマンガ文化に親しみがないから、オススメを教えてほしいと霧切が言ったので、
 何人かがマンガを貸したことがあった。

 その結果、全てではないが、いくつかは面白いと思ってくれたものがあったらしく、
 また何かあったら教えてほしいと言われたのである。

 といっても、意外と内容にうるさかった霧切の好みにあったマンガはあまり思いつかず、
 それ以降、特に苗木達が貸すということもなかったのだが……。
 (なお、好みじゃないジャンルも、好奇心自体は刺激され、それなりに楽しく読んだらしい)

 だからこそ、苗木は霧切が好みのマンガを求めて、ついに同人誌に興味を示したのだと思ったのだ。

「山田クンも一度は行った方が良いって力説してたしな……。
 興味を持ってもおかしくないか……。
 うん、よし。イメージと違くても受け入れよう。そうしよう」

 苗木はそう納得することにした。
 やはり、苗木は疲れていたのかもしれない。




 なお、苗木の背後の空では『外道天使☆もちもちプリンセスぶー子 2期決定!!』と書かれたアドバルーンが浮かんでいる。

 しかし、苗木は気づかなかった。

今日はここまでです

いやー、霧切さんの夢に入ったはずなのに、不思議なことになってますね(棒)


(どうしよう……。えっと……、まずはウサミと合流するまで危なくなりそうな場所から離れよう)

 苗木は人の流れから外れて、比較的人口密度の低い広場の端へと向かう。
 もちろん“比較的”であって、近くを通る人の流れは常よりは遥かに激しい。
 しかし、立ち止まって周囲を見渡す余裕くらいはあった。

(えっと……、建物前のこの広場はコスプレ会場なのか……。
 ……うわぁ、これはウサミがいても気づかないかもな)

 色とりどりのコスプレ衣装を着た人々が並んでいる。
 キグルミやそれに似たものに扮している者もおり、もしウサミが紛れ込んでいても、
 周囲に溶け込んでいしまうだろう。

(こっちで何か目印になるものを用意した方がいいかな……?)

 苗木は周囲を見回す。
 しかし、コスプレの皆さま以上に目立つものは見当たらなかった。

(やっぱり待つしかないな……)

 苗木はコスプレしている人たちをボーっと見ながら待つことにした。

(けど、色々な人がいるなぁ……。
 子どもの頃見たアニメから最近やってるマンガのキャラまで……。
 あ、ゴスロリが何人かいる……。まるでセレスさんみたいだ)

 苗木の視線の先ではゴスロリもしくはそれに近い衣装を着ている人が何人かいる。
 黒い服を基調とし、白いフリルが付いていた。

(といっても、セレスさんの服ほど豪華な感じのする人は少ないな……。
 おもちゃっぽいのが多いかな? 違う人もいるけど……。
 やっぱり手間かお金がかかるんだろうなぁ。
 ……こうやって見てみると、セレスさんって普段着にお金かけすぎだよね……)

 久し振りに苗木は超高級の力を再認識する。
 やはり、普通の高校生である自分とは金銭的な面でも桁が違うようだ。

(しかし、コミケなのに寒くも暑くもないな。夢だからかな?)

 触覚や嗅覚は現実世界よりも鈍くなっているようだ。

(霧切さんの夢だから、感覚がものすごい再現されている……とかありそうだったけど、
 そんなことはないみたいだ。うん……。良かった)

 苗木は少しだけ頬の緊張を緩めると、一息つく。
 よくよく周囲を見てみると、それ以外に特におかしなところは見受けられない。
 セレスの夢に入ったときのような危険もなさそうだ。

(うん……。霧切さんが何を買うつもりかは分からないけど……。
 目当てのものを買ったら、区切りが付いて、案外すぐ終わったりして)

 苗木は緊張を緩めたまま周囲の観察を続けた。
 やはり、この近くはコスプレをしている人が多い。
 そして、先ほど述べたとおり、黒い布地に白いレースやフリルを付けた服装をした人も多い。

 別にコスプレしている中で、ゴスロリの人の割合が高いというわけではないのだが、
 やはり人間、自分の知っているキャラやそれに似ているキャラの衣装ほど目に付くものである。

 苗木の頭の中には、クラスメートとして一緒に通うセレスの衣装の印象が強く残っていたため、
 苗木は知らず知らずのうちにゴスロリ風の服に目をとめてしまっていた。

(うーん、別にセレスさんはコスプレじゃないんだけどな。
 どうしても比較しちゃうな……。似てるのが多いなぁ。
 あれなんかセレスさんの衣装に本当にそっくりだ。
 頭の飾り、赤いネクタイ、袖や裾周りの白いフリル、鈴のようで鈴じゃないイヤリング、
 赤い目、白塗りの顔、セレスさんそっくりの顔……って、あれ!?)

 こっちにゆっくりと歩いてくる少女がいた。
 周囲の喧騒が気に食わないのか、不快そうに顔をしかめている。
 その不機嫌そうな顔に見覚えがあった。

「セレスさん!?」

「あら、ごきげんよう。やっとお会いしましたわね」

 苗木の姿に気付くと、セレスはわずかに目元を柔らかくした。
 そんなセレスの態度に苗木は戸惑う。


「えっと……」

「うふふ……。初めましてではありませんわ。
 この夢の登場人物ではなく、現実世界のセレスティア・ルーデンベルクです」

「えぇ!? どうして!?」

「さぁ……何故でしょう? ……そうですわね。あえていうならば……。
 わたくし、昨夜はあまり眠れませんでしたの」

「う、うん?」

 セレスはところどころにアクセントを付けながら語っていく。

「不思議な夢をパーティーのときに見まして……その夢のせいで寝つきが悪かったのです。
 えぇ、不思議な夢でした……。苗木君と桑田君とピンク色のウサギが出てきて、
 わたくしの秘密を漁ろうとする夢でした。
 その夢の中で、わたくしはヨーロッパの古城で優雅で退廃的な生活を営む……という
 長年の夢を満喫していたというのに、土足でずかずかと苗木君達が入ってきて、邪魔をしてきたのですわ。
 しかも、わたくしが実は日本人であるという根も葉もない噂を大勢の前で吹聴されたのです。
 ひどい辱めでした……」

「実はも何も……日本じ――」

「あァ?」

「あ、いや、なんでもないよ、ごめん」

「そんなこんなでひどく朝から苛々していましたの。
 ですので、気晴らしに“なんとなく”昼食後も食堂の近くを散歩していましたわ。
 そうしたら、“偶然”あなたが霧切さんに何か話しているのを小耳にはさみましたので、
 夢の中に入るなんて、なんてロマンティックなのでしょう……とあなた達の話にあやかって、
 部屋でお休みを頂くことにいたしましたの。
 そうしたら、本当にこうしてあなたと夢の中でお会いできました。
 えぇ……、とても驚きです。うふふ……。ふふふふふふ……」

 セレスは嫣然と微笑んでいる。
 何かを企んでいたことは隠していないが、何を企んでいたかは教えないつもりのようである。

(ここは気付かないふりをした方がいいよね……)

 苗木はセレスの思わせぶりな態度はスルーすることにした。
 こうやって、セレスが何か含みを持たせた発言をしているとき、正面から言葉を返しても、
 無粋扱いされたり、ため息を吐かれたりするからだ。
 会話の雰囲気や、思わせぶりな言葉によるやりとり自体を楽しんでいる節もあり、
 それを壊されると一気に不機嫌になる可能性もある。

 そのため、基本的には会話は合わせていた方が良い。
 むしろ、合わせておかないと、桑田のように言葉のドッヂボールになりかねない。

(それに、これって互いに詮索をするなってことでもあるようね?
 謝ろうとも思ったけど、藪蛇になりそうだ……)

 苗木は、昨夜のことに触れなくて済んだ安堵と、
 今この瞬間のセレスの態度に対する不安が混ざった少し引きつった笑顔を浮かべる。

「そうだね……。えっと、小耳にはさんだのなら、大まかなところは分かっているんだよね?」

「えぇ、もちろんですわ。けれど、はぁ……」

「ど、どうしたのため息ついて」

「まさかあの後、山田君に協力を頼むとは……。
 せっかく霧切さんの夢の中に入れると思いましたのに……。
 あの豚めが……ここぞというところで邪魔をしますわね」

「はははは……」

 霧切の夢に入ってみたかったという言葉から、苗木は少しだけセレスの思惑が分かった気がした。

(自分が恥ずかしい思いをしたからって人を巻き添えにしようとするのはどうかと思うよ、セレスさん。
 あ、けど……セレスさんなら秘密を握ってクラス内で優位に立とうとする可能性もあるのかな?
 ……いや、どちらにせよ…………)

 苗木は頬を掻いて苦笑いを浮かべる。


(けど、山田クンの夢だと勘違いしてるなら、このまま隠しておいた方がいいかな?
 霧切さんもボクが入ることは許してくれたけど、他の人が入ることは何も言ってなかったし
 あ、だけど、山田クンと話をしたらあっさりとばれるかな、うーん……)

 セレスにばれない程度に首を傾げて、苗木は考えた。
 最善はどれだろうかと必死に頭を回転させる。
 しかし、中々答えは出ない。そこで、ひとまず誰の夢であるかどうかという話題から離れることにした。

「と、とりあえず、ウサミと合流して、夢が終わるまで待とうか……」

「………………」

「ど、どうしたの、セレスさん?」

「苗木君、何か隠し事をしていますわね?」

 ズイっとセレスが目を見開きながら、苗木へと一歩詰め寄る。
 セレスは相手の心の中を覗き込むように、強い視線を間近から苗木へと向け始める。

「せ、セレスさん……、か、隠し事なんて……」

「苗木君。無駄ですわ。あなたの表情の読みやすさはクラス内でももっぱら評判ですわ」

「うそっ!?」

「舞園さんが楽しそうに色々としゃべってくれたおかげで、もはやマニュアルが作れそうですし、
 その内容自体も霧切さんが暇潰しで試してみた範囲では10割近く当たってるそうです」

「あの2人何やってるの!?」

「まったくですわね……。別に深く考えなくとも、何回か話せば、苗木君の考えてることなんて簡単に分かるようになりますのに」

「い、いや、そっちじゃなくて……」

「……では、話を戻しましょうか? 今の反応を見る限り、隠し事があるのは正しいのでしょう?」

「……あ」

「“そんな馬鹿な”や“嘘をつくな”と仰るのではなく、
 “うそっ!?”とあからさまに驚いた時点で、もはや自白しているようなものですわ」

「た、たとえそうだとしても、セレスさんには言わな――」

「昨夜のわたくしの夢」

「うっ……。それを言われると……」

「………………」

「ご、ごめん……」

「……………………」

「……………………」

「………………………………」

「………………………………」

 苗木は一歩も退くことが出来ないまま、冷や汗を垂らす。
 しばらくの間、苗木はセレスに釣られるようにして無言となり、ひたすら葛藤を続けた。

「わ、わかったよ……」

 やがて苗木は観念した。
 時間としてはわりと長くもった方である。しかし、相手が悪かった。

 苗木は意を決して言った。




「ここ……。霧切さんの夢の中なんだ」

「…………………………………はぁ?」

 そして、当たり前だが、セレスは尋ね返す。
 その顔には相手の正気を疑う感情がありありと浮かんでいた。


 セレスは呆れ顔で告げる。

「熱でもあるのですか?」

「ないよ! し、信じないなら、それでいいよ!」

「熱じゃないとするならば、もしかして、あなたは夢の中の苗木君ですの?」

「違うよ!?」

「……では、なぜこの夢が霧切さんの夢になるのです?」

「それは……」

 苗木は疑いの眼差しを向けてくるセレスに対して、必死に自分の考えを説明した。
 以前、マンガに興味を示したことなどを……。
 すると、セレスはしばらくの間考えたうえで、にっこりと笑う。

「なるほど……。では、ここは霧切さんの夢の中なのですね」

「そうだよ……。だけど、秘密を暴いたりだとかはダメだし、
 ここで何か変なことがあったとしても、それを元に現実世界でどうこうってのもなしだよ。
 何か霧切さんが触れてなさそうなものとかがあったら、そこには近づけさせないから……!」

「あら? 傷ついてしまいますわね。そんなこと少しも考えていませんわ」

「そ、それなら、良かったよ」

「うふふ…………」

「ははは…………」

 苗木はひとまず安心することにした。
 先ほどまでの不機嫌そうな顔も何かを企んでいるような様子も、今は見受けられなかったからである。
 苗木は心の中で一仕事を終えた気分になっていた。

(ふぅ……。セレスさんも分かってくれたようでよかった……。
 隠し事もせずに済んだし、今回は後腐れなく終わりそうだな)

 それに対して、セレスは心の中でこう考えていた。

(霧切さんの夢? ご冗談でしょう……?
 どうせ、山田君が力尽きて眠りについただけですわ。
 ……だけど、せっかくなので楽しませていただきましょうか、苗木君?)

 怪しげな気配を醸し出しているセレス。



 すると、そんな彼女を見て、声を上げる者がいた。



「ひ、ひぃでちゅ!? なぜかセレスさんがいまちゅ。邪悪な笑みを浮かべていまちゅ!?」

 ウサミである。
 苗木を発見して近づいてきたら、昨夜の夢でひどい目にあわされた相手がいたため、ウサミはうろたえていた。

「食べないで~。あと、過激なのはもうらめぇでちゅ!」

 どうやら、ウサミはウサミで、セレスがトラウマになっているようである。

「まったく失礼な……。初対面の相手にその言い様……。躾のなってないウサギですこと」

「しょ、初対面でちゅか? あ、もしかして現実世界のセレスさんでちゅか!?
 え、どうして……。今は昼間のはずでちゅよね。桑田君といいなんでそんなに昼間から寝てるんでちゅか?」

「……昼寝は適度な美容にも良いのです。スペイン人の従妹が言っておりました」

「えぇ~。そんな理由で……」

「なぜあなたの納得する理由じゃないといけないのでしょう?」

「あ、はい、そうでちゅねっ!」

「理解してくださったようでたいへんけっこうですわ」

 もうすでに格付けは終わっているようだ。


 苗木はなんとも言えない表情でそんな2人を見ていた。

「えっと、ウサミ、とりあえずこの後どうすればいいの?」

「えっとでちゅね……。このイベントが終わるまで待てばいいのではないでちょうか……?
 現実世界に近いようなので危険も少なそうでちゅ。
 って、そういえば、これってなんでちゅか!? なにかのお祭りでちゅか!?
 ここに来るまで、写真をいっぱい頼まれて困ったんでちゅが……?」

「お祭りといえばそうだね……。うーん、なんて説明すればいいのか……」

 苗木は説明にあぐねいていた。
 すると、セレスが横から口を挟んでくる。

「趣味による難民キャンプのようなものですわ。
 少しばかりの物資を求めて何時間も並ぶ物好きな方々の集いです」

「え、セレスさん?」

「わたくし、人の多い場所はあまり好きではありませんの。
 もっと静かでゆっくりとお茶を飲めるような……そんな場所が好きです」

「いや、セレスさんの趣味は分かったから……えっと……」

 苗木はセレスからウサミへと向き直る。

「趣味でマンガや小説を書いてる人が互いに売り買いする場所だよ。
 写真を頼まれたのはマンガのキャラの架装、つまりコスプレだと間違えられたんだね。
 コミケって言うんだけど……」

「あぁ、これが噂のコミケでちゅか」

「えっ? 知ってるの!?」

「日本の方でけっこうこれを夢に見る方は多いんでちゅよ。
 本を作るのが間に合わなかった夢だとか、人間関係がこじれる夢だとか……たいへんそうな夢を……」

「うわぁ……」

「けど、実際にその現場に来る夢に入ったのは初めてでちゅ。
 あちしのお友達は何度か入ったそうなんでちゅけど、あちしはたまたま縁がなかったんでちゅ。
 お土産に何か買って帰りまちょうかね? 動物が出て来るマンガがあちしは好きでちゅ」

「……本の中身まで再現されてるのかな? 夢だけど」

「あ……、それもそうでちゅね。残念でちゅ」

「ははは……、どちらにせよ、あまりウサミが好きそうなマンガはないかも」

「うーん、そうなんでちゅか」

「うん……」

 苗木は同人誌だからなぁ……と心の中で苦笑いを浮かべる。

(ないことはないかもしれないけど、エッチなのが多いよね……。
 あ、霧切さんの好みが反映されてるかもしれないから、全年齢対象のが多いか……?
 だけど、それもウサミ好みではないような……)

 苗木は意識を会場へと向ける。
 しかし、当たり前だが、中の様子は分からない。
 すると、そんな苗木に対して、セレスが提案する。

「興味があるのなら、実際に行ってみればよいのではないでしょうか?
 幸いなことにあそこにうってつけの人物が……」

「え?」

 苗木が視線を向けると、そこにはポスターをはじめとした荷物をまるで弁慶のように担ぐ山田一二三の姿があった。
 どうやらあらかた目星の同人誌を買いつくし、今は休憩を取っているようだ。
 ぶー子のコスプレをした女性を相手に写真の許可をもらっていた。
 見たこともないような慈愛に満ちた笑顔を浮かべている。
 相手はまるで二次元のぶー子がそのまま三次元になったかのような女性だった。
 どうやら山田は至福のひとときを過ごしているようだ。


 そんな山田の元にセレスは歩いていく。

「おや、セレスティア・ルーデンベルク殿? 奇遇ですな?
 参加は明日だと思っておりましたぞ?」

「んなわけあるかァ!? このボケッ……! 何日あっても参加なんかするわけねーだろ!?
 テメェは黙って、わたくし達の道案内をすればいーんだよ? おわかりですかっ!?」

「ほげぇ!? なぜ、いきなり僕はキレられてるんですかー!? あ、逃げないで、ぶー子!?」

 ぶー子のコスプレをしていた女性は蜘蛛の子の散らすように逃げていく。

 こうして、山田の至福の時は終了したのである。

 そんな山田に対して、セレスは告げる。

「うふふ……。恨むなら、ここが霧切さんの夢の中だということを恨んでくださいね。
 えぇ……。夢のホストでなければ、何をされても文句は言われないはずですからね。
 光栄に思ってくださいませ。わたくしたちの夢の旅路が円滑にいくようにこき使って差し上げますわ」

「なんのこっちゃ!? 電波に目覚めたんですか!?」

「光栄に思ってくださいませ……ね?」

「は、はい……。た、たいへん公平に思いますぞ。イエス、ユアマジェスティ」

「うふふ……」

 山田の運命が決まったようだ。
 そんな山田を見て、苗木はほんのわずかな罪悪感を覚える。

 しかし……。

(けど、セレスさんの言うとおり、ここは霧切さんの夢。本当の山田クンには影響がないはず。
 夢の中の山田クンには悪いけど、ここは今後のために多少強引でも仲間になってもらったほうがいいかも。
 この世界の常識とか教えてくれるかもしれないし……)

 苗木は気にしないことに決めた。
 ある種、ゲームのキャラクターと同じだろう……と、認識することにしたのである。
 一見そっくりでも、根本的なところでは違いがあるというのは、前回のセレスの夢でよく分かっていた。
 前回はそれでひどい目にあったが、今回はそれを利用させてもらおう……苗木はそう考えたのである。

 そして、そんな場の雰囲気に対して、ウサミは無邪気にこんなことを考えていた。

(ここは霧切さんって子の夢なんでちゅね~。どんな子なんでちゅかね?)

 霧切に対する誤解は正されることなく進んでいく。

今日はここまでです

霧切さんの夢(笑)なのに山田君がパーティーに加わりました

次回更新は来週の土日になってしまうかと
ちまちま平日に書き溜めて、土日に投下します


「いやぁー! なんにせよ、同人誌は良いものですぞ!
 まさに真のクールジャパン。今度、国立国会同人誌図書館も出来ますし、
 紳士のたしなみといっても過言ではないですな」

 歩きながら、山田は語り出していた。
 その勢いは留まることを知らない。

「人気の趣味ランキングでも1位になりましたし、
 もう本業とは別に自分の作品を作るということは当たり前になりつつあってたいへん良い事です。
 ここに至るまで同志たちと何十年と戦い続けましたが、最近やっと報われてきましたな。
 もう同人誌というだけで隅に追いやられませんぞ! 万歳!」

(何十年って、この世界はサ○エさん時空か何か……?)

 やたらと高い山田のテンションに対して、苗木は心の中でそう突っ込んだが、口には出さなかった。
 ウサミやセレスもまた何も言わなかった。
 ウサミは興味深そうにただ頷いていて、セレスは興味なさそうに周囲を眺めている。

「はぁ……。この世界単体ではあまり面白味はありませんわね。
 唯一の娯楽たり得るものは――」

 セレスは時折苗木の反応を見て、口元に薄く笑みを浮かべていたのだが、誰も気づかなかった。

「わたくしの本名を知ったのは、苗木君、桑田君、ウサミ……。
 どうにかして口を封じるか、弱みを握っておかなければ……」

 はじめはクラス内で強い発言力を持ち、苗木とも仲の良い霧切の夢でそのヒントを得るつもりだったのだが、
 予定は変更したらしい。
 セレスは素直に場の流れに身を寄せ、機会をうかがっていた。

 なお、山田の話を聞く限り、
 どうやらこの世界は近未来……という設定のようだ。
 といっても風景が変わらないように、大きな変化があったようにも見えない。
 どうやら、同人誌をはじめとしたオタク文化の地位が向上した世界のようである。

 そして、そこに至るまで大きなドラマがあったようだ。

「クラス内で布教した甲斐がありましたぞ。
 超高級の皆さんが同人誌を嗜んでくれたおかげで世間でのイメージは急上昇。
 今では、二次元が分からないリア充などただのリア充とまで言われるようになりました。
 長かったですなぁ……」

「そうなんでちゅか!? 頑張ったんでちゅねぇ! すごいでちゅ!」

「でしょう!? でしょう!? もっと褒めてもいいんですぞ。グフ、グフ、グフフ……」

 山田はウサミ相手に語っていた。
 ウサミが魔法の国から来たと言ったので、ウサミのことをコスプレ(着ぐるみ)を着た外国人だと勘違いしたらしい。
 そのため、山田にとっての日本文化を語っているのである。

 それを傍から聞いていた苗木は思案顔をした。

「そうか山田君がマンガ文化を話したときに色々語ったんだな。
 だからその影響で夢の中がこんなことになったのか……。
 漫画文化と同人誌文化は違うってことをちゃんと説明しなかったからなぁ……」

「……別に必要ないと思いますが」

「え、セレスさん、何か言った? ごめん、聞こえなかった」

「いえ、なんでもありませんわ。そもそも小声で言いましたし。独り言です。お気になさらず。……フフ」

「えっと、セレスさん、もしかして、少し楽しんでる?」

「まぁ? よくお分かりになりましたね? 感心ですわ。
 そうです……わたくしに相応しいとはいえないこの空間には、何の楽しみもないと思ったのですが……、
 この空間に驚く苗木君達の姿はそれなりに見ていて面白いと言えるでしょう。
 苗木君もそのつもりでもっと大袈裟にリアクションを取ってくださって結構ですのよ?」

「あ、うん? 頑張るよ?」

 苗木はセレスが何を面白いと思っているのか分からないまま首肯した。

(まぁ、不機嫌になるよりはいっか……)

 セレスのことはひとまず置いておいて、苗木は山田に声をかける。

「この後、山田クンはどこにいくつもりなの?」


「もう欲しい作品はあらかた買いましたし、知り合いのサークルには挨拶もしましたからなぁ……。
 あとは掘り出し物がないかフラフラと見てまわるつもりだったのですが、
 苗木誠殿のご友人の方もいるようですし、
 せっかくだから、同人界のカリスマであるこの僕が案内して差し上げましょう!」

「えっと、出来れば初心者でも大丈夫なやつで、年齢指定がないやつがいいかな」

「なんですとぉ!? はぁ……、ご友人がいるとはいえ、ここでパドスに従わないとは、
 まだまだカルマが足りませんなぁ、苗木誠殿……。
 まぁ、いいでしょう……。皆さんの中の真の趣味はここではあえて尋ねないことにいたしましょう。
 独り立ちしてから、じっくりとカタログを見ながら夢を馳せ……楽しんでくだされ」

 山田はアニメキャラか何かのポーズなのだろうか?
 両手を大げさに振って「やれやれ」と言わんばかりの態度を取った。
 しかし、すぐに妙に穏やかな笑顔に変わる。

「では、ウサミ殿。本日は僕と苗木誠殿、その両方の知り合いのブースを回りますぞ」

「了解でちゅ!」

「え、ボクとも知り合いなの?」

 元気よく返事をするウサミをしり目に苗木が困惑の声を上げる。

「おや、皆さんが参加しているのを知らないと申しますかぁ~ッ!
 ダメですぞ、カタログはもっとちゃんと見ないとッ!
 なんと、今日はクラスのみんながほぼ全員いますぞ!」

「嘘でしょ!?」

「え、何をおっしゃる、ウサギさん!? ……おっと、ウサギは別にいましたな、失敬失敬。
 ……それは参加しているに決まってるじゃないですかぁーっ!? コミケですぞコミケ! 日本人なら一日は参加しないと非国民ですぞ!
 むしろ、僕としては苗木誠殿のブースが今どうなってるかの方が気になりますぞ」

「あ、うん? って、え、ボク!? ……た、たぶん別のボクがやってるんじゃないかな?」

「なんと!? ついに苗木誠殿は影分身を覚えましたか!?
 ……あ、影分身で合ってますかね? この元ネタ?
 それともドッペルさん的な設定ですかな?」

「うん、まぁ、ドッペルさんで……」

 苗木は困惑しながらも話を合わせた。
 だが、それと同時に自分は何を売っているのだろう? と、少しだけ興味が湧く。
 この夢の中で自分は何に興味があるのだろう? どんなのに興味持ちそうだと思われているのだろう?

「せっかくだから、ボクのブースから行こうか。山田クン、案内お願いできる?」

「はて? 自分のブースなのにわからないとは苗木誠殿ったらお茶目さんですなぁ……。
 ドジっ子目指しているんですかな?」

(なんか言葉のチョイスが本当に山田クンっぽいなぁ……。すごいや霧切さん、よく見てるよ」

「では、とりあえず、苗木誠殿のブースから行きましょうか!
 では、みなさん、こちらへ~。あ、そういえば、ウサミさんって何のキャラなんですかな?
 そこはかとなく体つきや色合いや魔法少女なところがぶー子に似ていて、僕、興味がありますぞ!」

「えっとでちゅねぇ……。これは、あちしの国の正装なんでちゅよ」

「おぉー、衣装だけじゃなくて演技も設定も完璧ですなぁー。
 苗木誠殿がこのような方とお知り合いだったとは……。喜ばしい限りですなぁ。
 なんなら、今度一緒にみんなでオフに行きましょうぞ」

 ウサミと会話をしながら、山田はテンションを上げていく。
 セレスに至福の時を邪魔されたというのに、それなりに楽しそうなのはウサミに興味を持ったからのようだ。
 非常によくできたコスプレだと勘違いしているようだ。

 そんな山田を道先案内人として、一同は進んでいく。

 なぜか大変都合が良いことに、彼らが歩くと道は空き始める。
 そして、周りを歩く人々の描かれ方がたいへん雑になる。
 棒人間みたいなのが歩いており、顔には小さく「モブ」と書かれていた。
 まるで漫画原稿におけるネームのようである。


 そんな背景を見て、セレスがため息を吐く。

「まぁ、これが効率的な手抜きというものですのね
 わたくしはあまり味がなくて好きじゃありませんわ」

 なぜかダメ出ししていた。

(何様なんだろう? やっぱり女王様?)

 ふと、苗木はそんなことを思ったが、口には出さなかった。

 しかし、何にせよ、邪魔されることもなく苗木達の歩みは進む。
 そして、苗木達は苗木のブースにたどり着いた。

「苗木誠殿のドッペルさんは今いないようですな。代わりに売り子が豪華ですが」

「なんで舞園さんと江ノ島さんが売り子やってるんだ……」

 なぜか舞園と江ノ島が苗木のブースで売り子をやっていた。
 よく見ると、ブースには2つのサークルの名前が書かれていた。
 どうやら苗木のブースで委託を行っているようだ。

「なんでって? いやですね、もう苗木君! 記憶喪失じゃないんですから」

「そうだよ、苗木ー。記憶喪失するならもっといい設定や場所が必要じゃん」

 舞園と江ノ島はどうやら苗木(夢)の代わりに売り子をやりながら、自分たちの本も売っているようだ。

(何を売ってるんだろう……)

 苗木は自分(夢)の本と舞園と江ノ島の本を手に取った。
 まず、苗木は自分(夢)の本をめくる。
 そこにはこんなあらすじの物語がト書き形式で書かれているようだった。




 どこにでもいそうな平凡な高校生である少年笛木誠。
 彼は各分野の天才が集まる高校に招待される。
 出会う人、出会う人、全てが個性的なその高校にて、笛木は様々な女の子と仲良くなっていく。

 同じ中学だった国民的アイドル! 舞薗鞘花
 ミステリアスな美少女探偵! 霧桐鏡子
 ゴスロリに身を包む天才ギャンブラー! ケレスティア・ルーデンベルグ
 少し飽きっぽいけど好きな人には一途なギャル! 江の島純子
 おっぱいの大きい元気なスイマー! 朝比奈葵衣
 実直! 質実剛健! 史上最強の女子高生! 大噛桜
 SSなのに隠しキャラ? ちょっと残念な軍人 戦場ムクロ

 笛木のどっきどっき! わっくわっく! なスールライフが今始まる――




「…………………………………」

「いやぁー、しかし、やりますなぁ、苗木誠殿。前々から苗木誠殿の境遇はラノベかギャルゲにできると思っていたのですよ。
 今書いているオリジナルが終わったら、苗木誠殿をモデルに一本書こうと思っていたのですが、
 先こされてしまいましたな!」

「……う、うん」

 自分をモデルにしてハーレム作品の一次作品を作るとかどれだけ猛者だよ!?
  と苗木は一瞬思ったが、それ以上深く考えないことにした。

(というか、この作品をモデルになった相手に売らせてるのか……。
 ボクは霧切さんにどう思われてるんだろう? 何か普段の行いを反省した方がいいのか……?)

 苗木はちらりと視線を舞園と江ノ島に向けた。
 しかし、2人は何も言わない。そのため、苗木も何も言えなかった。
 最近、何も言えないことが多い気がする……そんなことを苗木は思った。


「……えっと、あぁ、そうだ。2人はどんなの書いてるんだっけ?」

 気を取り直して、苗木は尋ねる。
 すると、舞園が満面の笑顔でこう答えた。

「百合ものですよー。ラブ○イブ、ア○マス、ア○カツのが1冊ずつですよ。
 あ、見てください、この子、私のアイドル仲間に似てると思いませんか?」

「そ、そうだね……」

「そういえば、さっきナマモノで私のがありました」

「な、ナマモノ?」

「実在のアイドルやタレントを題材にした同人誌のことですよ。
 普通は男性の方のものが多いんですけど、自分のものがあってびっくりです」

「そ、そう……」

「あ、ちなみに希望ヶ丘学園のみんなのものもありましたね。
 数年前から流行ってるみたいですよ。
 苗木君×十神君、葉隠君×桑田君、石丸君×大和田君のものが今年も人気みたいです」

「知りたくなかったよ!? その情報ッ!?」

 ドン引く苗木。
 そんな苗木と舞園の会話を聞いて、山田が穏やかな声で諭すように告げる。

「ダメですぞぉ~。舞園さやか殿。ナマモノは本人が嫌がるかもしれないから、裏でひっそりこっそりやるものですぞ。
 本人に教えるのはマナー違反ですな」

「あ、そうでした、ごめんなさい。忘れてください、苗木君」

 苗木は「忘れたいなぁ……」と小さく言うのみだ。

「ちなみに、あたしはオリジナルの少女漫画ね。ほら、これ、あたしと松田君くんに似てるでしょ?」

「すごいベタなの来た!?」

「やっぱ、ギャルがベタな少女漫画好きっていうギャップが世間に大うけすると思うんだよねェ」

「ギャップ萌えってやつですなぁ」

「さすが江ノ島さん! わかってますね」

 山田と舞園がこれみよがしに笑っていた。
 山田と江ノ島と舞園が同人誌について語る――夢の中であり、本人じゃないとはいえ凄まじい絵面である。

(まるで山田君の妄想のようだなぁ)

 苗木はふとそんなことを思ったが、そのときはまだここが霧切の夢だと思い込んでいた……。

ひとまず今日はここまでです

ほったらかしにして申し訳ありません。
4月に失業しまして、現在人生2度目の就活中となっております。
6月から志望業界の中の第一希望の募集が始まりそうなので、しばらくそちらに気を取られているかもしれません。
はやいと7月に終わるのですが、遅いと9~10月になってしまうかも。

第二新卒で新卒枠に応募しているので、無事終われば、超暇な時間が半年くらい出来るはずなので、そのときは死ぬ気で頑張ります。

なお、無事終わらなくても、生活するのに困ってない限り投稿再開します。
再開するときは壮大にageまくります。

絶対絶望少女の発売日が決まるよりはやく投稿再開して、発売するまでに完結して、発売後にそのネタで二次創作書くのが今の目標(願望)です。
生暖かく見守り下さい。

すみません、生存してます。

最後の報告からもう2か月経ってたのか……。実感としてはまだ1月くらいでした(汗)
今後は、もう少しまめに生存報告します。

絶望少女の発売日が決まりましたが、就職先は決まらず(第一希望は選考進んでますが、順調に行ってもお盆を挟んじゃいます……)、
まだ再開までは時間がかかります。申し訳ない。

希望的観測ですが、就職先が決まってなくても、
お盆を越えたら、並行して進めてた資格試験の勉強とかがひと段落終わるんで、多少余裕が生まれます。
そのため、8月末か9月始めには、ペースは遅めですが、更新再開できると思います。

今週末に更新します
書き溜めいっぱい出来てれば良かったんですが、そんなにやってないです
申し訳ねぇ……


(……そもそも霧切さんはどこにいるんだろう?)

 視点を揺らしながら、苗木は山田に尋ねる。

「えっと、クラスのみんながいるって言ったけど、どこいるの?」

「好きなジャンルの場所を探してるんじゃないですかねぇ。
 ただうちのクラス、ニッチなジャンルの本を探す人もいっぱいいますからなぁ。
 案外、買い物自体は早く終わるかもしれませんぞ。
 朝日奈葵殿はエクレア×ドーナツ本を買うと言ってましたし。
 ちなみに、穴はあるけどエロはないそうですな」

(それ、昨日、朝日奈さんがエクレア風のドーナツ食べたいって言ってたからか……?)

「ちなみに、石丸清多夏殿は開場前にやって来て、深夜から並んでいる人に説教して、開場したら帰りましたぞ」

「石丸クンは参加するんじゃなくて注意するために来たんだ……」

「本当ならば深夜並んだときに注意したいそうですが、それだと条例に自分も引っ掛かるので、
 やむなく始発で来たそうです。せっかくだから何か買っていけばいいと思うんですがなぁ。
 うざがられるためにだけ来るとはドMですなぁ……。まあ、最近、風物詩みたいになっていますが……」

「そ、そうなんだ……」

「男の熱い友情が書かれた本もありますぞって言ったら、多少は興味を持ったようですが、
 著作権とモラルに問題がある! ……と言って、見ないことにしたそうですな。
 ……それどころが、著作権に関してはもっと勉強すべきだと、勉強に誘われましたぞ」

 山田は目を細めて、悟りを開きつつある僧侶のような顔をしていた。
 それは、新しい命題を証明しなければならない学者のような顔でもあった。

「コミケを続けたいなら、もっと法律に通じるべきだと、
 今度、僕、著作権の判例集なるものを渡されるらしいですぞ……。
 ここのところ、貸されたものはいちおう読んだ上で批判するという一世代前のオタクマインドに目覚めた僕としましては、
 なぜ読めなかったかをちゃんと説明したいと思っているのですが、どういたしましょうぞ……。
 ぶっちゃけ読みたくない」

「借りる前から既に諦めてるんだね……」

「そもそも判例集とか高校生の読むもんじゃねぇ! 少し前の僕なら断固拒否だ! って言ってやりたいのですがなぁ……。
 ……はぁ、けど、たいへん遺憾ながら、最近、石丸清多夏殿の頼みを断るのに罪悪感を覚えてしまうんですよ」

「え?」

「なんか昔、偽善者と罵って泣かした学級委員長の女子を思い出してしまうんですぞ。
 妙におせっかいなところとかが。石丸清多夏殿の方が規律に厳しいとか、細かい違いがあるのですが……。
 なんか親しげに接してくるおせっかいな委員長というキャラが、もはや僕の罪悪感と言う名のトラウマに……」

「そ、そうなんだ……」

「しかも、石丸清多夏殿からは元ボッチという共通点があるせいで、最近、妙な親しみを……。
 こ、こういうとき、一般人やリア充なら、どういう風に相手を傷つけずに断るのですかな……」

(罪悪感あるのに断るのか……)

 そんな苗木の内心のツッコミを代弁するように、
 ずっと黙っていたセレスが「山田君の石丸君に対する中途半端なデレと葛藤を見て、誰が得するんでしょうね?」とボソリと呟いた。
 しかし、山田は変わらずいじけるようにして両手の指先をつつき合せる。

「うぐぐ……。苗木誠殿の言いたいことも分かりますぞ。
 しかし、オタクは自分の好きなことに時間と労力とお金を全力でつぎ込むからこそオタクなのですなぁ。
 だからこそ、相互に時間の無駄をなくしつつ最低限のコミュニケーションとディス……もとい批評をできるように、
 1話切りだとか3話切りという洗練された文化があるんですぞ。
 しかし、風の噂で聞くところによると、リア充は人に薦められたらとりあえず最後まで見るんだとか」


(そもそも、その“リア充”ってどこ情報なんだろう? 山田クンの頭の中の存在じゃないよね?)

「石丸清多夏殿は非オタ。非オタということは、一般人。
 1オタクとしてなら、『だが断る』でその意見切らせてもらえばいいんですがなぁ。一般人ですし。
 しかし、将来、幅広い層に夢を提供する予定の僕としては、
 そうやって論破するだけじゃダメだと最近は思うんですなぁ」

(一般人に対する対応そのものが何かおかしいような……)

 山田が両手で頭を抱え込むように悶絶する中、苗木も困ったように頭を掻いた。
 すると、そんなとき、ウサミが万歳するように両手を挙げ、山田を励ますべく大きな声で言葉を紡ぐ。

「顔しか知らないんで、あちしには確かなことは言えまちぇんが、
 山田君の気持ちを最初から最後まできちんと伝えるといいと思いまちゅよ!
 難しいのなら難しいから、忙しいなら忙しいと、
 素直に、だけど、けっして石丸君を邪険にしているわけじゃないのを強調して。
 きっと、わかってくれまちゅよ! 大丈夫でちゅ! だって、石丸君はお友だちなんでちゅから!」

「友達ですとぉー!? 石丸清多夏殿は優等生ですぞ!? 友達も出来た最近の彼は圧倒的リア充一直線ですぞー!?」

「お友達でちゅよ!」

「なんですとー!? いつの間に僕にエロくもない一般人の友達がーー!? トロフィーで実績が解除されますな!?」

「まって、山田クン! その理屈だと、ボクじゃエロいからダメだったの!? それとも最初からオタク認定されてたの!? 」

 山田とウサミの会話に苗木が割り込もうとする。
 しかし、すでに感動で震える山田の耳には届かなかった。

「うぅ……。くぅ……。オタクはオタクのまま、一般人は一般人のまま相いれられるのですな。
 一般層にも届く作品と言いながらも、どこかでオタクを増やすことを望んでいた僕には、
 まだ甘えがあったのですなぁ……」

 天を仰ぎ、見えない朝日を見ているかのような邪念のない慈愛に満ちた笑みを浮かべる山田。
 そんな山田に対して、ウサミはニコニコと笑うが、苗木は冷や汗を流し、セレスは無表情であった。
 無表情のまま、セレスは苗木の耳元で囁く。

「で、霧切さんを探すのではなくて? だいぶ話が脱線しているようですが?
 そもそも……苗木君? ここは霧切さんの夢なのでしょう?
 それなら、この山田君のトロフィーなど聞いても無駄ではありませんか?」

「そ、そうだね。セレスさん。うっかり忘れてたよ……」

 セレスは髪を弄りながら、呆れたような声色で話を進めようとする。
 ため息すら吐かずに、淡々と話を進めようとするその態度は、彼女が現状に飽きつつあることを示していた。

 苗木はそんなセレスの態度を見て、少し慌てる。
 そして慌てた結果、山田の真に迫った言動に関して感じた違和感を深く考えなかった。

(迫真に迫ってたな、山田クンの悩み。……霧切さんの夢なのに。
 どっかで見たのかな? 判例集の貸し借りの話。
 一瞬、ここが霧切さんの夢じゃなくて、山田クンの夢の話かと思ったよ!
 あぶないあぶない。雰囲気に呑まれずに、ちゃんと危機感を持たないと。
 セレスさんのときみたいに捕まるのはごめんだ)

 苗木は自分を明後日の方向に戒める。
 前回の夢での経験が、彼に目の前の出来事に注視し、先入観や楽観を捨てろと後押ししていたのである。
 そして、その結果として、苗木はゆっくりと注意深く山田に尋ねた。

「霧切さんは何をしているか知ってる?」

「霧切響子殿ですか? はて? 霧切響子殿は…………」

「え? どうしたの? 山田クン?」

「えぇっと……。ちょっとお待ちくだされ」


 悩み始める山田。
 山田は「霧切響子殿のはまりそうなジャンルとは……?」と口の中でもごもごと呟くが、答えは出ないようだ。
 そもそも夢とは、夢の主の連想で作られる世界であり、その人が想像していなかったことは存在しないのである。

 彼女のはまりそうなジャンルなど、本人にも分からないだろうし、
 彼女の最大の特徴である『超高校級の探偵』という要素が同人と言う要素と
 直結しているわけでもない(少なくともアイドルやギャルほどには)。
 かといって、何か特定のもの(ドーナツとかゴスロリとか)を人一倍好きというわけでもない。
 そのため、彼女がコミケ会場のどこにいるのかと問われれば、夢の主は一瞬考え込まざるを得ない。
 コーヒーのレビュー本? オリジナルの推理小説? 夢の中の山田は色々と候補を考えるが、しっくりこないようだった。

 ――しかし、霧切響子に対する最大限の考察(妄想と偏見と捏造とも言う)を元に、ついに山田は答える。

「……お嬢様学校を舞台にした百合本を出しておりますぞ」

「……百合? お嬢様学校にいたってのは聞いたことがあるけど」

「自己紹介のときに出身校を言ってましたし、わりと有名なお嬢様学校でしたからな。
 当時からきっとお姉さまって呼んだり、呼ばれてたりしてたかもしれませんぞ。……いや、そうに違いないのです
 そうじゃないとお嬢様学校ではありませんな」

「それは違うよ!?」

「違いませんぞ! お嬢様学校イコールお姉さまイコール百合! これぞ真理ですぞ!
 三次元では違うとしても、それを無意識に期待した霧切響子殿が日本の百合漫画で目覚めるのは何らおかしくありませんな!
 むしろ自明の理というものでしょう!」

「そ、そうなんだ……」

 山田のキラキラとした眼差し。苗木は怯むしかなかった。

 その後ろで、セレスが「人の業とは深いものですわね」と呟きつつ、養豚場の豚を見るような目を山田達へと向け、
 ウサミが「あちし知ってまちゅよ。百合って女の子同士の友情を描いたものなんでちゅよね」
 と妙に誇らしげに胸を張っていた。感想の違いは山田に対する認識の差だろう。

 ただ、2人の感想には共通している部分もある。それはツッコミの必要性を感じていない事だった。
 そして、ツッコミ不在のまま、山田の言葉の波が苗木を飲み込もうとしていた。

「そういえば、ふと思ったのですが……。
 仮に霧切響子殿が二次元にいたとしたら、お姉さまと呼ぶ方、それとも呼ばれる方……どっちだと思いますかな? 苗木誠殿は?」

「……えっと、お姉さまって呼ばれる方じゃないかな?」

「やはり、普通はそう思うんですなぁ……。うーむ、ギャップ的には呼んでいる方が面白いと思うんですがなぁ。
 しかし、苗木誠殿の感性の方が一般寄り。将来、一般層にも波及させるには、最初に目にする設定は普通の方が……」

「そもそもお嬢様学校で百合って普通なのかな……」

「何を仰る苗木さん!? 今は男女間の恋愛よりも女の子同士の愛情ですぞ。
 深夜アニメからディ●ニー映画まで、まさに百合始まってますぞ」

「……い、いや、ちょっと」

「分かってますぞ。安易に媚びるのもよろしくないということくらいは。
 だが、しかぁ~し! そこでお嬢様学校という設定が生きてくるのですぞ。
 オタクにとってはもはや見慣れた設定も、一般層には目新しい。
 つまり、受け入れられる土壌を持った目新しさなのですぞ。
 やっべ、閃いた。次回作はこれですな! やっぱ、山田一二三は天才ですな。
 オウフw、拙者としたことが自画自賛してしまいましたなwww ドプフォwww」

「あれ、この夢って山田クン……?」

 ついに苗木は違和感を覚える。
 ……しかし、そこでよりにもよって苗木はこんな質問の仕方をしてしまう。
 きっと、混乱していたのだろう。


「えっと、霧切さんじゃないの?」

 霧切さん(の夢)じゃないの? と苗木は尋ねたかったのだ。
 しかし、山田にはそう通じなかった。

「はて、僕が霧切響子殿に見えると……? ……ハッ!? ふむふむ……なるほど……」

 苗木は山田を通して夢の主に問いかけたつもりだったのだが、
 夢の山田に、ここが夢の中だと言う自覚はなかった。

「ふむ……。きっと、苗木誠殿は僕の後ろに霧切響子殿を無意識に感じとったに違いないですぞ」

「は?」

「多くの人間が表に出せない業(カルマ)を知らず知らずのうちに代弁してしまうのも、
 同人を突き詰めた者の性(さが)のひとつ。
 僕は同人界のカリスマとして当たり前のことをしたに過ぎませんな
 きっと僕の言葉が霧切響子殿の代弁をしたのです。
 言うならば、今、苗木誠殿には僕の後ろにスタンドとしての霧切響子殿を見ているのですぞ」

「えぇー!?」

「見えますぞッ! 霧切響子殿が並々ならぬ思いをクラスの女子に抱いていることも!」

「嘘でしょ!?」

「嘘じゃないですぞ! 嘘に見えるかもしれませんが、真実はときとして嘘のように見えるものです!」

 テンションが上がり、夢の中の山田は暴論をもって断言する。
 その勢いによって、苗木は混乱する。
 そして、混乱することによって、苗木はある言葉を思い出してしまう。

(そ、そういえば、≪旅のしおり≫の注意に
 【夢を見ている者は自覚している場合としていない場合の2通りがある】
 【夢を見ている者は第三者視点で夢を見ているときもあれば、主観のみで見ている場合もある】
 【夢の持ち主や登場人物が現実世界どおりの性格や恰好をしているとは限らない】
 ってあったな……。ま、まさか……!?)

 山田が何を言おうと、百合や同性愛は社会では一般的なものではない。
 むしろ、どちらかといえば恥ずかしいものであり、公言しない者が多い。

 また、百合のようなフィクションの1ジャンルを現実の同性愛をいっしょくたにするなという声もある。
 万が一、両方好きならば、悩みはさらに増えることだろう。

(つ、つまり、霧切さんが中々見つからなかったり、山田君が答えにつまっていたのは……。
 霧切さんが隠したがっていたから……?
 姿も中々見せないのは、第三者視点で見ているか、山田クンをアバターみたいにしてる?
 キャラ的におかしなことを言っても流される山田クンを使って、心の中を暴露してるのか……?
 そ、そうだ……。思い返してみれば、舞園さんと妙に仲がいいぞ……。あれってまさか……)

 それを言うなら、お前だって仲が良いだろう――というツッコミを苗木に向ける者は誰もいなかった。
 それに自分に対する好感度ことより、他の人に対する好感度の方が高く見えるのは、よくあることである。

 また、百合とレズの違いが一般人には分からないように、苗木には女性の友情と愛情の明確な見分け方に自信がなかった。

 もちろん、本来はそれほど難しく考えず、一般常識から考えればいいだけなのだが、
 山田の怒涛の屁理屈を先ほどまで聞いていたせいで、苗木の常識が少し揺らいでいたのが駄目押しとなってしまった。

(知らなかった……。もう半年近く一緒にクラスで過ごしていたのに……。
 もしかして、ボクって邪魔だったかな。い、いや、さすがに霧切さんはそんなこと考えないはずだ)

 苗木の頭の中で因果関係が逆転する。
 現実の霧切は舞園より先に苗木に興味を持ち、その後、苗木を通して舞園と仲良くなったのだが、
 苗木の中では、霧切は舞園と仲良くなる過程で、苗木とも仲良くなったのだということになっていた。


(ま、まぁ、別に女の子が好きでも、男が嫌いってわけじゃないんだろうし……。
 うん、別に霧切さんがボクに何か腹の中では考えているってことはないだろうなぁ。
 むしろ、なんだかんだで親切にしてくれるし……。
 あぁ、そうだ、この事実って舞園さんは知ってるのかな?
 霧切さんが隠してることを勝手に言うのもダメだしな
 かといって、ずっと知らないフリをするのも色んな意味できついなぁ……)

 しばらくの間、苗木は眉間に皺を寄せた。
 そして、一度ため息を吐いた後、頬を掻く。

(と、とりあえず、この夢を出た後に、霧切さんに話を聞こう。
 聞いちゃったことは仕方ないし、霧切さんの意志を尊重しよう……。
 あぁ、けど、霧切さんもこんな夢を見ることになるなんて思いもしなかっただろうなぁ)

 たとえ霧切でも自分の夢まではコントロールできないのか……と、
 当たり前の事実に苗木は小さな驚きと人生の深さを感じていた。

「山田クンはアバターだったのか……。
 そ、それが真実ならボクは受け入れるよ……。霧切さんは霧切さんだし」

「さすがですぞ、苗木誠殿。また一歩、オタクとして洗練されましたな」

「いや、その洗練のされ方は別にいいかな」

「またまたぁ。そんな事言って……。苗木誠殿ったら奥ゆかしいですなぁ」

「はは……」

 悟りを得たような顔の苗木と、それを見て妙に満足げな顔の山田。

 そんな2人を見て、ウサミは微笑む。

 そして、セレスは屠殺される寸前の豚を見るような目で、ひとこと口にする。


「調子に乗る豚は木に登る豚ですわね……
 なんで苗木クンがやりこめられているのでしょうか?」


 あまりの茶番にセレスもびっくりである。
 自分の本名をばらされないための保険になるものを求めて、この世界に着いてきたのは良いが、
 今のところ、ツッコミどころしかない苗木と山田の会話しか聞いていないのだ。

(もしかしたら、この勘違いは苗木君の黒歴史になるのでしょうか……?
 どう考えても、ここは山田君の夢でしょうに……。
 山田君が話している間、舞園さんと江ノ島さんは完全に動きを止めていますわ。
 微笑んだまま待機しています。どう見ても、不自然極まりないですわ。
 山田君だけが生き生きとしている今の状況に違和感はないのでしょうか? 
 それとも、これが噂に聞くツッコミ待ちというものでしょうか?
 万が一、わたくしにそんな野暮な役割を期待しているのなら、
 苗木君には覚悟していただかざる得ませんわ……)

 苗木のテンションやら何やらがおかしいのは昨日からのことであり、
 その原因はセレスの夢での出来事なのだが、当の本人であるセレスはただ呆れるのみであった。

 そして、呆れるだけ呆れると、決心した。

(もう茶番も見飽きましたし。
 さっさと夢から出させていただきましょうか……
 調子に乗るナードに鉄槌を下さねばなりませんし)

 セレスはゆっくりと山田に近付く。


 ここまで来る途中、セレスはウサミから≪旅のしおり≫をもらっており、
 苗木達が会話をしている最中、軽く目を通していた。
 だから、夢から出る方法はもうすでに思いついていたのだ。

「山田君」

「はい、なんですかな。セレスティア・ルーデンベルク殿?」

 セレスはそっと山田に耳打ちした。

「山田君。実は三次元に未練がありますわよね」

「ぐほぉッ!?」

 世界にノイズが走る。

 桑田の世界で最後に起きたような地面の崩壊が始まったからである。

 心の奥にしまいこんでいるものを暴いてショックを与えた結果、山田が衝撃を受け、現実世界で目覚めようとしているのだ。

 ウサミ、苗木が困惑の声を上げる。

「これって人が起きるときの予兆でちゅよ!?」

「え、こんなにあっさり!? 何言ったの、セレスさん!?」

 2名の困惑を余所に、セレスはかまわず囁き続ける。

「優しくされたり、微笑まれたり、自分の話を聞いてもらったら嬉しくなってしまうでしょう?」

「そそそそそれは、誰だって優しくされたら嬉しいですぞ。
 ひ、人として当然ではないのですかな。
 せ、せせセレスティア・ルーデンベルク殿でもいいい言って良いことと悪いことがありますぞッ!
 かかか、仮に三次元女子に興味を持ったとしても、それは純粋な知的好奇心と言うもので――」

「そもそも」

「は、はい……」

「3次元に興味がなかったら」

「な、なかったら……?」

「わざわざ3次元と2次元を比べる発言をする必要がありませんわ」

「ギニャアァーー。そ、それは邪推というものですぞぉー。
 2次元と3次元の間には、越えられない壁がありますぞ
 たとえ、3次元に魅力があったとしても、2次元にはその1兆倍の――」

「…………………………うふふ」

「――って、やめてくだされーー。その分かってますよ……って感じの眼はッ
 偽善者がオタに理解ありますよ的なアピールするときの眼ですぞーーーーーー

 響く叫び。
 山田はセレスに背を向けるや否や、その巨体からは想像がつかないほどの速度で走っていった。

 3次元よりも2次元が好きだと言う彼の言葉に偽りはない。
 しかも、2次元が好きだからといって、3次元を好きになってはいけないというわけではない。

 しかし、オタク以外に友達がいなさすぎた期間に、自他の両方に向けて
 「2次元最高! 3次元ワロスwww」な発言をしすぎた結果、
 山田は3次元に対して興味があるということを心より恥ずかしいと思っていたのだった。

 それは3次元から目を背けて2次元に逃げたわけではなく、
 2次元を一途に愛しすぎたが故に起きた一種の錯覚であり、
 この逃走もまた 図星を突かれたというよりも、論破し返せなかったことに対する羞恥の側面が大きかったのだが、
 今の山田にはまだ理解出来なかった。

 何だかんだで年相応の繊細さも持つ山田。
 その繊細さが作品に活かされることもあれば、地雷となることもある。

 ……とはいっても、通常、その地雷を故意に全力で踏み抜く者はまずいないのだが。


 しかし、とにもかくにも山田の夢はあっさりと終わりを迎えた。

 揺れる地面に怯えながらも、苗木がゆっくりとセレスへと近づいてくる。

「せ、セレスさん、何を言ったの」

「まぁ、苗木君? そんなに人の恥ずかしい秘密をお聞きになりたいのですか?
 わたくし、これを言うのにも少しだけ心が痛みましたのに」

「そ、そうだよね。ごめん。けど、霧切さんの秘密をよく知ってたね」

「うふふふふ……。まぁ、女性には女性同士でしか話せないような話題もあるのですわ。
 きっと、苗木君とずっと話してたから、わたくしの言葉が不意打ちだったのではないでしょうか?」

「つまり、ボクとかウサミにも知られてしまったと思い込んじゃったってこと?」

「きっと、羞恥心を煽られて、混乱してしまったのでしょう。
 霧切さんも可愛らしいところがありますわね」

「そ、そうなのかなぁ……?」

 苗木の話にてきとうに話を合わせるセレス。
 誤魔化すのは、もはや余裕過ぎて、眠くなりそうなほど簡単であった。
 だが「安広多恵子」という名を苗木と桑田とウサミの中だけに留めておくために、
 苗木には黒歴史をそのまま作ってもらおうとセレスはその単調な作業を続けた。

 すると、話を続けているうちに、ウサミが「希望のカケラを回収できまちた!」と騒ぎ出す。
 どうやら、夢の世界の崩壊時間と、カケラの出現時間は毎回違うようだ。
 今回は、崩壊する前に回収できたらしい。
 前回、セレスの夢で回収して、苗木に返していなかったものも含めて、ウサミは2つのカケラを苗木の胸に吸い込ませた。

 そんなファンタジーな光景を見て、セレスは少しだけ羨ましそうな顔をした。

(わたくしの好み……というわけではありませんが、空想の世界の光景ですわね。
 魔法の国があるのなら、吸血鬼の国もないのでしょうか?)

 そんなことを思っている間、夢の世界の崩壊は一気に進み、彼らは現実の世界へと戻っていった。

 皆さま、たいへん長らくお待たせいたしました。
 これからは1週間に一度くらいの更新になるかと思います。

 なお、この苗木誠殿は選択肢でイミフな選択肢を選んでしまう苗木誠殿だと思ってください。
 命がかかってたりしたら、最終的にはちゃんと頭働きます(日常生活レベルで覚醒するとは言ってない)。


◇◇◇

 苗木が目を覚まし、最初に聞いた声は桑田の声だった。

「お? 起きたか?」

「ぅ……ん? あ、桑田クン、おはよう……」

「いきなり寝っから、マジでびびったわ。
 オレがここまで運んだんだから、感謝しろよー」

「え? あ、本当だ」
 
 つい先ほど昼食を取った場所に苗木はいた。

 木漏れ日の差し込む中庭と、それを眺められる透明な窓ガラス。
 その窓際にある丸テーブルのひとつに、上半身をうつぶせにした状態で苗木は寝ていたようだ。
 どうやら桑田が苗木を運んだらしい。

「あ、ありがとう」

「へへ……。気にすんな。……プッ」

「あれ? どうしたの桑田クン?」

「い、いや、だから、気にすんなって。
 そんなことより、霧切の夢、どうだった? うまく入れたのか?
 何度かうなされてんだか、驚いてんだかわかんねぇ声出してたけど」

「え、えっと……」

 なぜか妙に笑いを堪えるような桑田に対して、苗木は違和感を覚えるが、
 それを追及するより前に、桑田から答えに窮する問いを向けられたため、そのまま口を閉じてしまう。

 そんな苗木の様子を見て、桑田は妙に嬉しそうに頬を緩める。
 野次馬根性というやつだろうか。
 さもなければ、恥ずかしい夢仲間が増えたことが嬉しいのかもしれない。

 そのことを察して、雨で濡れた犬のように、ブルブルと苗木は首を横に振る。

「だ、ダメだよ! 教えられないよ!」

「いいじゃん、いいじゃん。減るもんじゃねーし」

「そ、そういう問題じゃないよ」

「そうですわ。霧切さんのプライバシーの問題ですわ」

「「セレス(さん)!?」」

 いつの間にか、セレスが近くのテーブルに座り、ロイヤルミルクティーを嗜んでいた。
 ただ話しかけるだけでなく、優雅なひと時を演出しているのは、
 彼女なりのこだわりなのだろうか? それとも、桑田に対する挑発か?
 セレスは目を細め、楽しげな視線を桑田に向けている。

「せ、セレスじゃねーか。なんか用かよ?」

 夢の中に入れる話をセレスが聞いていたことを知らない桑田は、予想外の闖入者に身構える。
 昨夜の剣呑な視線や、昼ごろに見た不機嫌な様子から、セレスが口封じしにでも来たのではないかと思ったのだ。

(こいつ……。大人っぽい雰囲気を出そうとしてっけど、大人げねぇんだよなぁ……)

 もっともセレスとしては野蛮な真似をする気はない。
 先ほどから苗木達の周りをうろついている目的は、たしかに2人の予想通りであり、
 自分の本名を2人が喋らないよう釘を打つためだ。
 しかし、あくまでもセレスは穏便に話を付けるつもりだった。


「夢の中に入れるというのは、興味深いものですわね。
 さぞ、桑田君も昨夜わたくしの夢の中でお楽しみなったのでしょうね」

「え゛」

「あら? どうかなさいました、苗木君? そんな変な声出して。
 わたくし、桑田君に話しかけてるつもりでしたのに」

「い、いや、昨日のことは気づかない振りしてた方が良いんじゃって……」

「まぁ……! わたくし、そのようなこと頼んだ覚えありませんわ。
 苗木君の勘違いではありませんの?」

「え? あれ、そうだっけ……? そういえば頼まれたりはしてないような……」

「うふふ」

 苗木はごにょごにょと釈然としない気持ちを口の中で飲み込んだ。

 昼ごろまでの「その話題出すんじゃねぇぞ。アァ?」という様子からは
 想像も付かないような穏やかなセレスの物腰に戸惑みつつ、
 それ以上は追及しないことにせざるを得なかったのである。

 苗木の「最近、こんなのばかりだな……」という心の声を余所にセレスは話し始める。

「きっと、お二人は紳士ですので、わざわざこんなことを言うのは……
 プライドを傷つけてしまうのではないかとも思いますが……。わたくし、根は臆病ですの」

「お、おう……?」

 臆病って誰のことだ? と困惑する桑田。
 しかし、セレスは気にしない。

「心配で心配でたまりませんの。ですから、こうやって言葉にして頼むんですの。
 わたくしの夢で見聞きしたこと……特にわたくしが日本人であるだとか、
 本名が別にある……などというデマは絶対に公言しないでいただきたいのです」

「いや……別に言うつもりはねぇんだけど……」

 憮然たる面持ちで答える桑田。
 しかし、セレスはそんな桑田に対して爆弾を投げつける。

「もし桑田君が口にした場合は、桑田君の恥ずかしい夢の内容が公開されますわ」

「ハァ!? な、苗木!? オメー……」

 セレスの言葉によって、桑田は大きく口を開いたまま、固まる。
 そして、口を開けたまま、苗木へと顔を向けた。
 顔を向けられた苗木もまた慌てる。

「し、知らないよ。何も言ってない」

「いや、だってよ」

「ブラフだよ、ブラフ! セレスさんの得意な……!」

「……あ」

 桑田は口を閉じ、セレスに顔を向け直す。
 そして、再び大きく口を開ける。

「セレス、てめ――」

「恥ずかしい夢の内容は苗木君が公開します」

「苗木、てめぇ!」

「だから、しないし、知らないよ!?」

 セレスの言葉を受けて、桑田が矛先を苗木に戻す。
 しかし、苗木としてもあまりにも突拍子もないことであるため、ただ驚くばかりだ。


 苗木はセレスに尋ねる。

「なんでボクが桑田クンの夢の内容を暴露しないといけないのさ!?」

「霧切さんの夢の内容はみんなで考えるに値するだと思いますの?」

「……桑田クン、人の夢の内容を言うのはいけないと思うんだ」

「苗木ィ!?」

 霧切の夢(苗木視点)の内容を守るために、苗木は桑田の秘密を担保にすることにした。
 別に百合とか同性愛に偏見があるわけではないが、繊細な問題であるために、
 迂闊に公言されるわけにはいかないのである。

 セレスは心苦しそうな様子で口を開く。

「もちろん、わたくし公開などしたくありませんの。
 ただ、うっかり、口を滑らせてしまうかもしれませんわ。
 だから、苗木君には注意していただきませんと」

「だってさ、桑田クン! 絶対に言わないでね!」

「いや、だから元から言うつもりはねぇって。
 あと、お前らの話、どっからツッコめばいいんだよ!?」

 苗木と桑田はその後もあれこれ話し合いを始める。
 熾烈な言葉によるしのぎ合いがそこでは繰り広げられていた。
 それに対して、セレスは味方(人質)を得たことで、ご満悦である。

(まぁ、実際に公言したら、あっという間に苗木君の勘違いが発覚してしまうのですけど)

 なお、名前がばれたところで、セレスとしては何をするわけでもない。
 しつこく本名で呼ぼうとする物がいるならば、相手にロイヤルミルクティーかけるくらいはするだろうし、
 本名を探ろうとする者がいたときは威嚇や威圧はしてきたが、
 絶対に隠し通せるものではないため、覚悟はしているのである。

(だからといって、ただ本名が露見するのを見ているのも違いますわ)

 完全なチェックメイトをされるまで、足掻いてみるという性質。
 そして、駆け引きが好きという性分。
 それは、苗木と桑田にとっては迷惑極まりないが、セレスにとっては内面から導かれる必然なのだ。

「では、苗木君、桑田君。そろそろわたくしは行きますわ」

「あ、うん?」

「……引っ掻き回すのが趣味なのか、オメー」

 セレスは立ち上がると、そのまま食堂から出て行こうとする。
 そして、一度、振り向くと、こう告げた。

「桑田君には言われたくありませんわね。
 ……苗木君、額に文字が書かれていますわよ」

「え!?」

 苗木が窓ガラスに顔を近づける。
 すると、うっすらと映る自分の額の文字が見えた。

『 ↑
 送信用』

 矢印は苗木の髪に向けられていた。

「桑田君ッ! やっていいことと悪いことがあるよ!」

「いやぁー、なんか寝てたらマジックで落書きってお約束じゃね? へへ……」

「それは違うよ!」

 誤魔化そうともせず笑う桑田に対して、額をこすりながら苗木は怒る。
 そして、2人が小学生並みの口げんかをしている間に、セレスは帰っていった。

「うふふ……。ごきげんよう……」


◇◇◇

「……こんなことしてる場合じゃなかった」

「そーいや霧切のとこ戻らねーとな……」

 しばらくして、くだらない話に時間をかけてしまったことに気付いた2人は食堂を去り、
 保健室へ向かって歩き始める。



 ……なお、その途中で彼らはあくび混じりの山田に出会った。

  「なんか一瞬寝落ちしたような気がすますなぁ……。
   うーむ、嫌なものを見たような、ご褒美を味わったような……」

 などと彼は言っていたが、寝起きで声が小さかったためか、他人にはよく聞こえず、
 苗木は「あいかわらず眠たそうだなぁ」とスルーするだけであった。

 そして、結局、

  「コーラコーラコーラ、眠気覚ましにはコーラ……」

 と言いながら、山田は立ち去っていった。

 見覚えのある日常である。
 だから、苗木と桑田は気にも留めなかった。



 だから、そのまま何事もなかったように、苗木と桑田は霧切のいる保健室へと歩いていく。

 すると、保健室の前で霧切が立っていた。

「あら、苗木君? 遅かったわね。
 夢から覚めるのには時間差があるのかしら?」

「えっと、起きてからここまでに色々あって……」

「そう……。まぁいいわ。
 私の夢に入れたのよね?」

「うん」

「じゃあ、どんな夢を見たか言ってくれる?」

「え? 桑田クンがいるけどいいの?」

「……桑田君がいることに何か問題でもあるの?
 私、そんな変な夢を見た覚えがないわ。
 それに、夢だもの。少しくらい変でもおかしくないわ」

「覚えてないの?」

「睡眠薬のせいかもしれないけど、特に何かがあったという印象はないわね
 もしかして、そんなに言いにくいものだったの?」

「う、うん。まぁ、ちょっとだけ……」

「そう……。じゃあ、桑田君には席を外してもらおうかしら。
 別にかまわないわよね?」

「別にいーけどさー。苗木が喋っても霧切が覚えてなきゃ意味ねぇんじゃねーの?」


 桑田は疑問をこぼす。
 それに対して、霧切は平然と答える。

「そうかもしれないわね。
 ただ……実際に聞けば思い出せるかもしれないわ。
 人の記憶なんてちょっとの刺激で消えたり戻ったりするものよ。
 聞いているうちにひとつも思い出せれば、苗木君が夢の中に入ったという話は、私にとって真実となる。
 それに、最悪の場合、思い出せなくてもかまわないわ。
 だって、苗木君が急に眠ったとき――つまり、誰かの夢に入ったときに私も眠りにつけば、
 苗木君が入っている夢に入れるんでしょう?
 もらった睡眠薬は全部使ってないし、証明の機会には困らないと思うわ」

「おぉー。さっすが霧切。なんかよくわかんねーけどクールだ
 よっしゃ、じゃあ、席外すわ~」

 過程はともかく、霧切の答えに納得した桑田は褒め言葉を残す。
 そして、席を外して、どこかに行くことにしたようだ。

「ん……、じゃあオレは行くかぁ。けど、半端な時間だし、どうすっかな……。
 あ、そうだ。授業にでも行ってくっか……。初回だし。
 じゃあな、苗木、霧切。あとでどうなったか話聞かせてくれよ」

「い、いや、桑田クン。授業には最初から出ようよ……」

「今から行っても、15分くらいしかないわね……」

「おいおい、2人そろって真面目だなぁ~。大丈夫だって、授業なんて最後さえ出てればなんとかなるっしょ」

 今、最も卒業が危ぶまれる男、桑田怜恩はそう言うと、のんびりと歩いて行った。

 その後ろ姿には欠片も危機感はなく、苗木と霧切は沈黙して見送るのみ。

「………………」

「………………」

「えっと……、話に戻ろうか」

「そうね……」

 苗木と霧切は会話に戻る。

(……っていっても、どう説明すればいいんだろう?
 夢の中だから滅茶苦茶なものが出てきてもいいんだろうけど……。
 さすがの霧切さんも複雑じゃないかな? きっとこれまで隠して来たんだろうし
 あ、けど、夢の中だと極端な形になってただけで、現実だとそうじゃないかも……
 うん、普通に舞園さんのことは友達だと思ってるよね
 それに、お嬢様学校でも、お姉さま呼びとか普通に考えて……)

 ひとまず、苗木は探りを入れることにした。

「……そ、そういえば、霧切さんってお嬢様学校出身だったよね?」

「急にどうしたの? それって夢の話に関係あること?」

 苗木は軽いジャブくらいの気持ちでこう聞いた。

「い、いや、その、お嬢様学校って、お姉さまとかって呼んだり呼ばれたりしてるの?」

「…………そう」

「き、霧切さん……?」

 霧切の口元がキュッと強く結ばれる。
 わずかに視線が泳ぎ、沈んだ様子を見せた。
 それは半年間、一緒のクラスにいた苗木だから分かる変化だった。

(い、今の反応……え? 本当に……?)


 霧切は少しだけ遠い目をしていた。

「……結お姉さまの夢を見ていたのね。
 たしかに、ちょっと恥ずかしいかもね……。
 どうりで目を覚ましたら、忘れたのね……」

「そ、そんなに詳しくは分からなかったよ」

「昔、喧嘩別れのような形で……ね。
 捜査の途中で……色々あったのよ……」

「…………大切な人だったんだね」

「そうね……。
 だから、忘れたいんじゃなくて、思い出したくないのかも。
 ごめんなさい。もう話さなくていいわ」

「うん……。なんかごめんね」

「いいえ、私が迂闊だったのよ。今も昔もね……」

「霧切さん……」

 心配そうな顔で霧切を見る苗木。
 そして、そんな苗木に対して、霧切はぎこちなく微笑む。

「気にしないで。それに、むしろ、苗木君の方こそ不快じゃないの?」

「え?」

「だって、結お姉さま、少し似てるでしょう?
 だから、まるで代わりにしようとして近づいたんじゃないかって思わなかった?」

「え? あぁー……。そもそも、その“結お姉さま”の姿を見たわけじゃないんだ。
 間接的に話題に出てきたっていうか……」

「そうなの?」

「それに、霧切さんはちゃんと嫌でも真実を見ようとする人だから……。
 そんな心配はしないよ。きっかけはどうあれ、
 今はちゃんとボクや舞園さんのことを1人の人間として見てくれるって……思ってるよ」

「苗木君……。
 ふふっ……。苗木君のくせに生意気ね」

 破顔する霧切。
 その笑顔を見て、苗木もまた安堵する。

(良かった……。ばれたことに霧切さんがそれほどショックを受けなくて。
 それに、霧切さんのお姉さまに対する感情は、恋愛感情ってよりも、友情や家族愛に近そうだし。
 舞園さんと今すぐどうこうってわけじゃなくて、安心したよ。
 いつか霧切さんがその人と仲直り出来ればいいなぁ。
 ……それにしても、その結お姉さまって舞園さんに似てるのか。すごいなお嬢様学校)

 残念ながら、勘違いは3割くらいしか解けていないようだ。
 むしろ、正しい情報が半端に加わったため、ささやかな義憤に駆られてさえいた。



(今度、セレスさんにはきちんと言わないと。冗談でも霧切さんの秘密を暴露するなんて言わないでって……。
 大丈夫、セレスさんだって分かってくれるはずさ)



 ひとり決意も新たに苗木は拳を握っていたのだった。

今日はここまでです

どんな形であれ、結お姉さまには生き残ってほしいという願望を込めて
この世界では喧嘩別れという設定にしました


◇◇◇

 苗木が妙な決心をした後、少しの間、苗木と霧切は話を進めた。
 その話の主な内容は、今後の方針である。

「……今日の夜にでも、みんなに教えて協力してもらうのもいいかもしれないわね。
 みんなも、いきなり不特定多数に夢の中に入られても困るでしょうし。
 夜は苗木君に早めに寝てもらって、昼に各自の夢に単独でお邪魔するという形が理想かしら……」

 夢の中に入る、もしくは、入られるという状況を体感したわけではないが、
 苗木の話す「夢の中に入る」という現象が起こり得ると霧切は仮定している。

 オカルト以外の可能性も念頭に入れてはいるが、
 現段階では、苗木の話を枠組みにして話を進めることが、真実に最も近いと見なしたのである。

 だから、今話している内容は、原因(ウサミが苗木に話した考察が真実かどうか)と、具体的な対策である

「すぐには信じなさそうな十神君や場をかき乱そうとする江ノ島さんがどう出るか気になるけど、
 後で色々言われるよりは良いでしょう?
 もちろん、夢の中に入られるのが嫌だって言う人もいると思うわ」

「そうは言っても、夢の中に入られることが嫌だって言われても、どっちにしろ、入っちゃうからね……。
 ただ、それでもあらかじめ言っておいた方がいいよね」

「そうね……。それがいいと思うわ。
 苗木君、桑田君、セレスさん、私……、クラスの4分の1が証言すれば、
 信じられないにせよ、様子を見たり、協力してみようと思う人の方が多いんじゃないかしら?」

「そうだといいな……。けど、女性陣は嫌がるんじゃないかな?
 プライバシーに土足で踏み込むようなものだし」

「嫌がられるかもしれないし、夢の中に入ったことで気まずい思いをするかもしれないわね」

「う、うん」

「けど、そこは苗木君がどうにかして挽回してちょうだい。
 苗木君ならどうにか出来ると思うわ。頑張って」

「は、はは……」

 霧切は他人事のように淡々と話す。
 その中に、苗木に対する信頼も感じられるのだが、当事者である苗木としては苦笑せざる得ない。
 困ったように頬を掻く苗木を見て、霧切もわずかに目を細める。

「ふふ、私もフォローはするわ。
 さて、それじゃ行きましょうか。
 そろそろ、次の授業が始まるわ。苗木君も4時限目に何か授業があるんでしょう?
 本格的に動くのは、みんなが集まる5限の必修授業か、ホームルームのときにしましょう」

 霧切は自分の次の授業がある教室へ向かって、スタスタと歩き始める。
 そして、それを追うようにして、苗木も歩き出す。
 苗木もまた授業があり、教室の方向が同じだったため、途中まで一緒に行くつもりだった。

「そういえば、額が赤くなってるけど……なんて落書きされたの?」

「寝てる間に、桑田クンに落書きされたんだよ……って、え? 落書きされたことは分かるの?」

「苗木君が寝てるなら、桑田君はそんなことをやりそうよねって思ってたから。
 それに、桑田君、私からペンを借りていってたから……」

「いや!? そこは注意してよ!」

「大丈夫だったでしょ? 水性ペンを渡したから」

「それは違うよ! そういう問題じゃないよ!」

「最近、日本の学生のノリっていうのが少し分かるようになったのよ。ふふ……」

「……ま、漫画の影響がここにも? はぁ……」

 霧切にからかわれながら苗木は歩いていく。
 なんだかんだ文句を言いながらも、困った顔どまりで、嫌な顔をしていないのは、
 彼にとって、今の日常が充実したものである証拠であろう。







「ヤッバ……そそる! なんか後ろ髪を引っ張ってこけさせたくなる雰囲気がびんびんじゃん!
 なんか気合で脳のリミッターとか破れそう! 超絶望的な学園生活を見せられそう」






 しかし、日常を楽しく生きる苗木の後ろ姿を見て、不穏なことを言う女がひとりいた。

「昨日の苗木の様子を見て、こっそり後ろから見てて正解だったわね!
 リミッターを付けてからというもの、日々の生活が未知数の連続で、不自由だけど、
 新鮮な気分で色々見れるわ! これこそが絶望的な希望的な絶望的日常かしら!」

 クルクルと回り、白と黒のクマの髪飾りを付けた髪を揺らし、女は楽しげであった。
 彼女の名は江ノ島盾子。
 ちょっと絶望的なのがたまに傷な、青春を謳歌する美少女だ。

 学園によって半ば強制的に脳手術を受けさせられ、本来持っているスペックの大半を利用できない彼女は、
 しかしながら、今日も楽しそうであった。

「あ、ちなみに、脳手術は松田君(無免許)がやってくれました!
 松田君ってのはアタシの幼馴染なダーリンね。
 この一件から、責任とってくれるって話をしてたから、名実ともに完全にダーリンよ。
 超高校級の神経学者とも呼ばれてるけど、ここのところは、アタシの苦情受付先としての方が有名ね」

「盾子ちゃん……。誰に説明してるの?」

「うっせぇーぞ、残ねぇ! 今のアタシについて知らない雲の上の奴らにだよ!
 なんで、私様が普通に日常を満喫してるんだろう? って思う昔のアタシのことしか知らない奴らのために、
 懇切丁寧に今から説明すんだよ。わかれよ!」

「う、うん……。ごめんね、盾子ちゃん。邪魔しちゃって。続けて……」

「まぁ、もう続けるの飽きたからいいけどさ」

「えぇー……」

 あからさまにテンションを落とす江ノ島と困惑する戦刃。
 少し前まで、公の場では見られなかった光景なのだが、今では多くの人にとって見慣れたものになっている。

 前学期が終わる直前、江ノ島盾子の落した
 『偉大な黒幕である私様こと江ノ島盾子が負けるかもしれないフラグ集(はぁと)』
 と書かれたノートを、諸事情により満身創痍でさまよっていた苗木誠が拾ったことで訪れた変化は、
 世界に平和をもたらしただけでなく、江ノ島と戦刃の姉妹関係を公のものにするきっかけとなっていた。

 その結果、寡黙で無口でクールな軍人としてクラスの中では通っていた戦刃は、
 1日にして、顔見知りで話題が偏っているシスコンな軍人という存在になったのである。

「えぇっと……。ちなみに、盾子ちゃんはすごい計画をいっぱい考えていたんだけど、
 暗記しているはずの計画をわざとノートに書いて、『ばれたら絶望的』って緊張感を味わっていたんだよ。
 ……本当にばれちゃって、スポンサーが十神くん、プロデュースが希望ヶ峰学園、
 企画立案が松田夜助で、盾子ちゃんの矯正手術をしたの……。
 ……えっと、盾子ちゃん、こんな感じに喋ればいいの……?」

「ん、100点」

「え!? 本当!? やった、盾子ちゃんに褒められた……!」

「1兆満点中の」

「………………」


 黙る戦刃をよそに、クネクネと江ノ島は踊り始める。

「あ、ちなみに、脳手術したって話はほとんどの人に内緒ね~。ドン引きされちゃうし~。
 あと、予備学科使って人体実験しようとしていたのが責任とって秘密裏に辞職したのに、
 アタシにはやってたとかバレちゃうと、今度は松田くんや十神やら霧パパが学園にいられなくなっちゃうから~。
 だから、私のリミッターってのは、この頭についているヘアピンってことになってるの~。
 こっから電波出してやばげな衝動を抑えてるって設定になってるんで、そこんとこよろしく☆
 ……あぁ、ダメだ。このあからさまな媚キャラは、ぶりっ子キャラとかぶるわー。
 やっぱキャラを作るなら被らないようにしないとね。ボツボツ……っと」

 あらかた喋りたいことをしゃべり終わると、ブツブツと呟き、そして、急に思い出したかのように、
 江ノ島は「つまり松田夜助大勝利エンドってことでよろしく~」と天に向かって語りかける。

「で、リアル縛りプレイ、やり込みプレイを強制されてたアタシとしては、
 たまには新しいものを見たいと日々熱望してたのよ。
 そしたら、ついに新しいおもちゃを発見! 苗木ってば物理的事故だけじゃなくて、
 精神的事故も受けるなんてね。ちょっと羨ましいわ」

 リミッターにより脳の計算速度が天災レベルから、天才レベルに落ちた江ノ島は、
 少しドS、もしくはドM程度の人格破綻に収まり、日常生活を送っていた。

 未来予知めいた分析能力がなくなり、先を見通せなくなった結果、
 以前に比べ、あらゆるものが刺激に満ちたものに見えるようだ。

 例えるなら、その能力の欠損は、健常者がいきなり目や耳や鼻を失ったようなものである。

 そのため、自分からあれこれ仕掛けなくても、満足できる分の絶望を補充できるのである。

 とは言っても、ときたま、思いきり場をかき乱したくなるようだが……。

「夢って記憶なんだから、松田くんの出番でしょ!」

 江ノ島は苗木を追いかけはじめる。
 そのまま、苗木の襟元を掴み、松田のもとに連れて行くつもりなのだろう。

「じゅ、盾子ちゃん……。授業は……」

「アタシの部屋に化粧道具はあるから。よろしくね、お姉ちゃん」

「へ、変装するってこと……?」

「そうそう。初回だし、教室広いし。喋らなければばれないと思うから。
 なんなら、風邪ひいたふりしてマスクでもすればいいわ。ダセーけど。
 ん、じゃあ、よろしくねー」

「え、あ、うん……?」

 戦刃に代理で出席することを頼むと、江ノ島は足早にその場を去っていく。

 残された戦刃はポツリとこぼす。

「歩き方や戦うときの構えも盾子ちゃんの真似でいいんだよね……。聞き忘れちゃった……。
 あ、とりあえず、急がないと……」

 戦刃は寄宿舎まで走り出す。
 ここから寄宿舎までは遠いが、彼女の足なら往復でも授業に間に合うだろう。
 きっと、彼女は着替えて戻ってこれるだろう。

 野生動物のような速度で走るギャルなど違和感の塊でしかないが、彼女なら、勢いできっとなんとかするに違いない。


ひとまずここまでです

今日中にもう少し投下したいですな
けど、ひとまず風呂行ってきますぞ


◆◆◆

「……う、うう。ここは……?」

 いつの間にか、苗木は床の上に転がっていた。
 天井は見えず、ただ墨のように黒く、穴のように終わりの見えない夜空が広がっている。
 ゆっくりと上半身を起こすと、そこはもはや見慣れた16個の扉の間であることが分かる。

「いつの間に……?」

 点滅する扉がひとつ。その対面で、ぼんやりと光る扉がひとつ。

 点滅する扉は今までも見てきたものだ。
 色は、象牙色(黄色が少しかかった白)であり、電球と同じような平凡な色。
 おそらく、苗木のことを示している。

 それに対して、ぼんやりと光る扉は白と黒の絵の具が灰色にならずに混ざり合ったような奇妙な光を放っている。
 水と油が混ざらずに渦となったようにも見えるその輝きは、ブラックホールが水でふやけ、ぼやけたような錯覚を覚える。
 光っているように見えて、その実、周囲の光を吸い込んでいるのではないか?
 そんな錯覚すら苗木に抱かせる。

(何かまずい気がする……。開けたら、真っ先にウサミと合流することを考えよう)

 苗木は慎重に扉に近付き、そっとドアノブを回した。

 すると、ドアの向こうには――




「待っていたわ! 私様は待っていたのよ! あなたのような人間が現れる事をね!」
「あー、本気にしなくていいよ。今のはジョークだからさ」
「オレらに待たれるなんて、絶望的に嬉しいだろうけどよ! ひゃはははは」
「基本的には凡人でつまらないあなたをわざわざ待つ必要はありません」
「やって欲しいことはあるんだけどぉー、苗木クンである必要はないんだよー」
「残念ですか……? 悲しいですか……。けど別に絶望してるわけじゃないですよね……」
「うぷぷ……大丈夫。苗木クンはこれからワックワクとズッキンズッキンな旅に出かけることになるから」


 ――七人の江ノ島盾子がいたため、苗木はそっとドアを閉じた。

 ドンドンとドアを叩く音が響くが、苗木は無言のまま、ドアを見続ける。

「あ、悪夢だろ。これ……。出たくないよ……」

 7人の後ろには、森が広がっていた。
 黒く鬱蒼とした幹の大樹やきのこのように何かを吹き出す白い植物などが生え茂り、
 花や木の実も蛍光塗料を塗ったようなけばけばしい色であった。

 そして、そんな光景の中、立ち塞がる7人の江ノ島達もまた個性的な佇まいをしていた。

 ひとりは、王冠を被った不遜な態度の江ノ島。

「私様の姿に恐れをなしたの人間! 出てきなさい!」

 ひとりはクールなポーズを決める不遜な態度の江ノ島。

「どうしたんだい? チワワ100頭分とも称される、この愛くるしい顔に気後れしたのかい?」

 ひとりは、男のように荒々しい不遜な態度の江ノ島。

「ヒャハーッ! そんなドアぶっ壊しちまおうぜ! オラオラ!」

 ひとりは、知的な眼鏡をかけた不遜な態度の江ノ島。

「壊れませんね。……おそらく、この扉を境にして、扉の中は苗木君の夢なのでしょう」

 ひとりは、表面上は可愛らしく媚を売るが、その実、不遜な態度の江ノ島。

「えー。じゃー、苗木クンじゃないと開けたり壊したりできないってことー? つまんなーい!」

 ひとりは、ダウナーだが、声のトーンが低めなだけで、その実、不遜な態度の江ノ島。

「……苗木さんは、このまま夢が終わるまでこもるつもりなんですか……? 悲しいですね……」

 ひとりは、半身がそれぞれ白と黒に塗られたクマのぬいぐるみを抱えた、不遜な態度の江ノ島。

「うぷぷ……。もうしょうがないなー。苗木クンはー。開けるなって言われると開けたくなるのが普通なのに」


 ドアの向こうで、7人の江ノ島は楽しそうにドアの前をうろうろし続ける。

「さっさと出てきなさい。人間! これから、私様だらけの恋愛シュミレーションゲームが始まるわよ」
「オラッ! 7人も攻略対象がいんぞ。よりどりみどりじゃねぇか! 開けろよ!」
「……まぁ、その7人……全員同じ人間なんですけどね…………」
「しかも、全員、彼氏持ちってオマケつきだね。やれやれ」
「うぷぷ……。マルチ失恋シュミレーションゲームだよ」
「あ、寝取られなんて言葉を使わないでね! 取られるも何も苗木クンのものになったことはないんだから! プンプン!」
「もちろん、寝取る……という選択肢もあなたには用意されています。
 その場合、絶望するのは松田クンですね。私達としては、それもまた一興かと思っています」

 誰が何をしゃべっているのかもよく分からない。
 勢いは止まらない。彼女達はマシンガンのように話し続ける。
 甘い言葉で苗木を懐柔しようとしているのかもしれないし、遠まわしにおちょくっているのかもしれない。
 北風と太陽に例えようにも、今の彼女らが北風なのか、太陽なのかが定かではない。
 ただ、どのような意図があるにせよ、言いたい放題の彼女達の姿は苗木にとって天災でしかなかった。

(……どうしてこうなったんだ。そもそも、ボクは授業に向かっていたはず。
 あ、そういえば、誰かに後ろから掴まれて、そのまま引きずられたような……。
 あれってもしかしなくても、江ノ島さん?
 ……うーん、その後も、誰かと何か話してるのを聞いてたような……)

 かすむ記憶の中で、何があったのかを、苗木は必死に探そうとする。
 しかし、その記憶を発見する前に、聞きなれた声を聞くこととなる。

「なんでちゅかー!? この摩訶不思議というより奇々怪々な世界はー!?
 なんか白黒のクマがいっぱいきてまちゅー!? きゃー!?」

 ウサミの声である。
 どうやら、何かに襲われているらしい。

「あのウサギでもいいわね。私様たちの計画にはあれで充分だわ」
「そうだね。苗木クンには飽きてしまったよ」
「よっしゃ、行こうぜー。撃ち落とせ!」
「あえて扉の向こうの苗木クンに説明しましょう。元々、私達が用のあったのはあのウサミというウサギだったのです」
「苗木クンの話を盗み聞きしてからぁー、わらしたち、すっごいあの子に興味があるのっ! 特にステッキ!」
「まぁ……、あの杖を手に入れたところで……、許可がなければ使えないらしいですし……、いつかは夢から覚めるんでしょうけど……」
「うぷぷ……。けど、その間、色々できるよね。うぷぷ……楽しみだね……」

 7人の江ノ島が離れていく気配を苗木は感じた。

(う、ウサミは大丈夫か……。何かしないと……)

 苗木はドアに手をかけ、わずかに隙間を開け、外をのぞき見る。

 すると、そこには、マジカルステッキを使って無双するウサミと白黒のクマの大軍を指揮する江ノ島たちの姿があった。

 ステッキを持ったウサミには、江ノ島たちも手を出せないようだ。
 しかし、江ノ島たちは諦めない。

「ひゃははは この戦力差、絶望的じゃねーか!」

 一番、暑苦しい江ノ島がそう叫んでいることから、負け戦を楽しんでいることが伝わってきた。
 それに対して、ウサミは安堵の笑みを浮かべていた。

「よーし、はじめはどうなることかと思いまちたが、
 あちしと、このマジカルステッキならなんとかなりまちゅね!
 苗木君、ここはまかせてくだちゃーい!」

 ウサミは苗木にそう叫び、彼を安心させようとしていた。
 そして、実際に、ウサミには危なげな様子は見受けられなかった。

「ちちんぷいぷい! ちんちんぷいぷーい!」

 ウサミがそう唱える度に、ウサミの身体をバリアが包み込み、
 白黒のクマ達の攻撃を弾き返していく。
 白黒のクマたちのやられる原因は、自爆であった。

「うぷぷ……。このやればやるほどぶっ壊れていく感じ、これこそが絶望だよねー」

 江ノ島のひとりがそんなことを言った。
 やはり、感性が苗木のものとは違うようだ。

(なんか間違ってる気がするけど、やっぱり、ひとまず、終わるのを待とう……)

 苗木はドアをきちんと閉め、待つことに決め直した。

昨日(一昨日?)、投下出来なかった分を投下しました
日曜日のと合わせて1週間分ということで……

今月中にもう一回更新しますが
きりがちょっと悪いので今週末というか今日の更新は難しそうです


更新の前に、前回の分における、読みにくい部分と誤字を少し訂正です

>>262
 あと、予備学科使って人体実験しようとしていたのが責任とって秘密裏に辞職したのに、
 アタシにはやってたとかバレちゃうと、今度は松田くんや十神やら霧パパが学園にいられなくなっちゃうから~。

 あと、予備学科使って人体実験しようとした責任をとって秘密裏に辞職した人たちがいるのー。
 だから、アタシには実験したってバレちゃうと、同じように、今度は松田くんや十神やら霧パパが学園にいられなくなっちゃうから~。

>>266
わらしたち

わたしたち


以上です。



では、更新始めます。


◆◆◆

「攻撃の効かない敵ってぇ、絶望的だよねっ!」

「そのとおりね!」「そうだね」「だな!」「同意します」「……えぇ」「うぷぷ……」

 ぶりっ子な喋り方をする江ノ島が喜びの声を上げ、それに残りの6人が同意する。
 全員縄によって拘束されているにも関わらず、それなりに満足げである。

(……えっと、ドM?)

 苗木としてはドン引きである。

 どうやら江ノ島は自分の夢を自分の意志で操られるらしい。
 
 自分が夢を見ているという自覚のある夢を明晰夢と呼び、
 人によってはある程度夢の内容を操れるという場合があるのだが、
 江ノ島に至っては、針に糸を通すような正確さで、細かく世界を描写出来るようだ。

 先ほどまで、白黒のクマ――江ノ島曰く、モノクマと言うらしい――が
 精巧なディテールの武器や乗り物を使いこなし、
 まるで軍隊のようにウサミを攻撃していた(ちなみに、隠しキャラのように戦刃も混ざっていた)。

 また、武器は重火器以外にも魔法や剣のようにファンタジー的なものも多くあり、
 それぞれが映画のようなエフェクトや効果音を発していた。
 現実であれば、制作するのに莫大な規模の資金がかかりそうな過剰演出であり、
 それらを並列で想像し尽す江ノ島の想像力はやはりどこかおかしいのだろう。

(……苗木君、苗木君。この子はいったいなんなんでちゅか?
 どうにもこうにも、デンジャーな雰囲気があちまちゅが……?
 なんというかでちゅね……。別世界で何度もひどいめに合わされたような不思議な悪寒に襲われまちゅ……。
 はぁ、それにしても疲れまちた……。明晰夢にしてもハイクオリティーすぎまちゅ……)

 ひそひそ話をするように、ウサミが苗木にテレパシーを送ってきた。
 苗木は苦笑しながら、それにテレパシーで返す。

(別世界ってのはなんだか分からないけど……、とりあえずお疲れ様、ウサミ。
 えっと、江ノ島さんはね。どういう人かって言われると難しいんだ……。
 破滅願望があるって話でね……しかも、すごい規模の。だから、いつも治療を受けてるんだって)

(だからなんでちゅかねぇ……。夢を作るための心や頭の働きがどこかちぐはぐなのは……?
 いらない機能を止めて、必要な機能だけを研ぎ澄ましているような、なんかそんな野生の何かを感じまちゅ……。
 うーん、けど、その原因は病気でちゅか。……まだ若いのに、たいへんでちゅね)

 ウサミはしんみりとした様子で江ノ島を見る。
 どうやら同情しているようだ。
 すると、そんなウサミとその隣にいる苗木に向かって、江ノ島(クール)がフッと笑う。

「やれやれ……。そんな何もしゃべらずに笑うなんて……不気味だよ」

「……失礼な子でちゅね」

「……破滅願望に加えて、ちょっと世の中舐めてるみたいだよ」

 しょんぼりとした様子のウサミの様子を見て、苗木は苦笑する。
 といっても、苗木は江ノ島に悪感情を抱いているわけではない。

 苗木は江ノ島の立てていた“計画”について、詳細は知らなかった。
 拾った直後に気絶し、ノートの中身をしっかり見る前に、保健室送りになっていたからである。
 目が覚めた時には、学園の上層部は大慌てで、評議会委員が責任を逃れるために雲隠れを始めるなどの混乱が起こっていた。
 そのため、苗木自身が能動的に行ったことと言えば、十神や霧切などがその混乱に首を突っ込んでいたのを見て、
 その手伝い(主に雑用)を少ししたくらいであり、深くは関わっていないのだ。

 その過程で、江ノ島の性格や思想に問題があることは理解したが、
 計画の規模が大きすぎることに加え、計画の構成要素に突拍子もない発想も多かったので、
 苗木の江ノ島に対する認識は、重度の心の病のようなものを抱えた人というものになっていた。

 いうなれば、更生可能であり、いずれ社会に普通に適応するだろうといった認識だ(ちなみに、苗木は脳手術については知らない)。

 元々、クラスのにぎやかし役でもあり、悪戯染みたことはよくしていたため、
 現状の江ノ島に関しての苗木の主な印象も、悪乗りがたまに傷な子どものような人というものに落ち着いている。
 真実を知らないのは幸せなことだ。

 それに、実際、リミッターによって、江ノ島が絶望に関して期待するハードルが下がっているため、、
 悪戯レベルで満足できているのは確かであり……、江ノ島本来の性を知らなくて済むなら、一生知らなくて良いのかもしれない。


 ただ、そうは言っても、他のクラスメートが、リミッターをかけられる前に悪あがきをした江ノ島に、
 自慢のバイク盗まれたり、残姉をけしかけられたり、公衆の面前で白夜様をパンチとキックでのされたりして、
 恨みまでは行かないが、憮然とした気持ちを一時期抱いていたということは聞いていたため、
 彼女がかなり困った人だという危機感は持っていた。

「……とりえあず、江ノ島さんはかわいそうな子なんだ。色んな意味で……
 だから、色んな意味で注意しないといけないんだ」

「そっちのほうが失礼じゃね!?」

 江ノ島(熱血)が大袈裟なリアクションを返す。
 しかし、苗木は気にせず話を続ける。

「ところでさ、江ノ島さんはここが夢であることを自覚してるし、夢の内容を操れるんだよね?」

「……あ、ちょっと……待ってください」

「うん?」

 頭にきのこを生やした江ノ島(ダウナー)が話を止める。
 そして、途切れることなく、江ノ島(眼鏡)が引き継ぐ。

「7人もいると誰と話をすればいいか迷ってしまうでしょう?
 だから、リーダーである江ノ島盾子を作ってあげましょう。
 計算上、その方が早く話が進むはずです」

「それなら最初からひとりになってくれないかな?」

「それは受け付けかねます。
 やはり、7人のなんたらというのはゴロが良く、社会的認知度が高まりやすいですから」

「ひとり増えたら、8人になっちゃうけど……」

「大丈夫です。ひとりリストラされましたので」

「えっ?」

 苗木が他の江ノ島の姿を見ると、ぬいぐるみを持っていた江ノ島がモノクマの姿になっていた。
 縛られたモノクマは恍惚とした表情を浮かべている。

「……うぷぷ。喋り方がモノクマに似てたせいで、マスコット枠に格下げだよ。
 まぁ、ボクも江ノ島盾子も中の人は同じなんだけどね。うぷぷ……」

 苗木としては真顔で「あ、そうだね」としか言いようがなかった。
 夢だとはいえ、自由に変化しすぎだろうと、苗木は呆れるしかなかったのだ。

「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん!」

 そして、そんな真顔の苗木の前で、地面から江ノ島の上半身がポンッという音とともに生えてきた。
 まるでラムネ瓶の蓋を開けるような気軽な音だった。
 そして、上半身を出した江ノ島は体操をするように、頭の上で手を合わせながら、
 うねうねと波のように体をくねらせ、地面からゆっくりと出てくる。

「よいっと」

 そして、地面から完全に出て来るとモデルのようにポーズを決める。

「ドヤァ」

「いや……、直前の現れ方がシュールすぎて、かっこいいと思えないよ……」

「はぁ? 苗木ってばつまんないわー。ま、いいけど……、アタシも微妙だと思ってたし」

 苗木の指摘に対して、江ノ島は普通に答える。
 この江ノ島のキャラクターは、普段、苗木達に見せる江ノ島盾子に近いものだった。
 江ノ島(素)とでも呼べばいいのだろうか?
 苗木はひとまず彼女と会話を進めることにした。


「えっと、江ノ島さん? 
 きっとどっかで夢の話については聞いてたんだろうから、単刀直入に言うよ。
 さっさと目を覚まして、終わりにしてくれない?
 捕まったんだし、もうオチはついたでしょ?」

「あらら、苗木ってば、普通なことしか言わないのね。
 なんかノリで捕まっただけで、アタシたちは負けを認めてないわ。
 飽きっぽいアタシだけど、まだこの世界には飽きてないのよ。
 だから、飽きるまで、この夢は続けるわ。
 ステッキがあっても、アタシを直接叩いて起こすことはやれないみたいだし。
 あ、なんだったら、苗木好みの夢にしよっか? 終わらない楽園なんて楽しそうでしょう?
 めっちゃグロい夢にしたうえで無限ループって怖くね? でもいいけど」

「はぁ……? けど、いずれは起きるんだし……」

「さぁ、それはどうかしら? アタシなら永遠に寝ていられるかもしれないけど」

 表情が抜けおちたような顔で、江ノ島は告げる。
 ぞわりとした気配が苗木の背を這う。

(……これが十神クンが言っていた。江ノ島さんの危ないところか。
 ずっと寝続けるなんて、飽きっぽい江ノ島さんにとっても拷問でしかないのに。
 ……今の江ノ島さんには、それをやりかねない雰囲気がある)

 江ノ島の纏う雰囲気には病的かつ破滅的なものが色濃く出ており、
 寝ているせいで主に思考もしくは理性へ働きかけているリミッターが完全には作用せず、
 本来持っている衝動的なものが漏れている可能性も垣間見えた。

 苗木はごくりと喉を鳴らして、警戒を強める。

 しかし、そのときだった。

――なんだ。お前ら。どうしてここで寝てる?

 空の上から、男性の声が振ってくる。
 苗木にとって、聞き覚えはあるがあまり聞きなれない、1回聞いたことがあるかないかという声だ。
 しかし、江ノ島にとっては違ったようだ。

「あ、松田くんだ。おーい、松田くん! げんきー?」

 嬉しそうに江ノ島は空に対して手を振り、大きな声を上げていた。
 それに対して、戸惑ったような声が再び返ってきた。

――喋ったのか? 寝ているお前が……?

 きっと外の世界では寝ている江ノ島(と苗木)がいて、その江ノ島が松田の声を聞き、夢の世界に言葉を取り込み、
 同時に夢での言葉を松田へと伝えているのだろう。

 調子に乗った江ノ島(素)は、特に態度が偉そうな江ノ島(王冠)へと目くばせをする。

「……私様の声がきこえますね…きこえますね…松田君。私様は江ノ島盾子。あなたの全てを司る者。
 あなたはやがて、真の勇者として私様の前に現れるでしょう。
 そのとき、ドラ●エ派かF●派を選び、あなたがどういう人なのかを教えてほしいのです。
 ちなみに、私様はこんな王冠を付けて、パロネタに利用していますが、別にドラ●エ派というわけじゃありません。
 そもそもRPG派じゃありません。ガッカリゲー派です。
 クソゲーとして笑うこともできないガッカリなものやプレイして苦痛なものを人にプレイさせるのが好きです。
 松田君が好きなゲームががっかりな出来るように、好きなゲームを教えるのです……。教えるのです……」

――口の筋肉だけを動かしてるのか? 寝ている状態で? 相変わらず、化け物みたいな女だ。

 淡々と現状を考察する声が響く。
 すると、その淡白な態度に対して、江ノ島を代表するように、江ノ島(ぶりっ子)が黄色い声を上げる。

「ひど~いっ! 化け物だなんてぇ~。松田クンっ、そんなに口が悪いとわたし以外の女の子にもてないよ!
 あ、もしかして、それが狙い~? あー、松田クン、かわいいー」

――脊髄前角へのシグナルを故意に遮断して、本来、睡眠時に起きる運動神経の麻痺をなくしたってところか……?
  脳波もおかしいし、本当に寝てるのか、お前?

「シカトかよっ!?」「それとも、すねちゃった?」「うぷぷ……」「……青春です」「自分のことながら妬けてしまいますね」

――五月蠅い。ブスども

「「「「「「「「ブスキタ━ヽ(∀゚ )人(゚∀゚)人(゚∀゚)人( ゚∀)人(∀゚ )人(゚∀゚)人(゚∀゚)人( ゚∀)ノ━!!」」」」」」」」

 いつの間にか、会話に加わっている残り計7人と1匹の江ノ島(とモノクマ)たちは、姦しく喜び始める。
 この混沌としたテンションの高さは、江ノ島が自制心が少なくなる睡眠中であることを
 多少なりとも示しているのかもしれない(もちろん、別に示してない可能性もある)。


 リーダー格の江ノ島が楽しそうに喋る。

「ブスって罵るのはじめてじゃない?
 アタシが絶望的な側面を明かしてから、松田君がアタシのことをそう呼んだのはさ。
 ……なになにデレ期?」

――それ以上しゃべるな。頭に電流を流して、その減らず口を叩ける記憶ごと消すぞ

「えー、つれなーい。もしかして、昔みたいな喋り方じゃないとやっぱダメ?
 今さら、あの態度と喋り方だと、まるで猫かぶりしてるみたいでどうかなーって思うんだけど
 夜助くんがどうしてもっていうなら、頑張っちゃうよ!?」

――どうでもいい。それよりも、もうひとりいるこの男。たしか、苗木とか言ったか?

 ふと、松田の声が自分を呼んだことに気付いて、苗木は声を上げる。

「え? ……あ、松田先輩。お久しぶりです」

 以前、十神と打ち合わせをしているところに顔を出して、挨拶くらいはしている。
 そのため、苗木は松田のことを覚えていた。
 しかし、自分が覚えられているとは思っておらず、少し返事をするのが遅れる。
 ……もっとも、返事がそもそも松田へと伝わっていないため、速かろうが遅かろうが関係なかったのだが。

――こいつを使って何をしてるんだ? 答えろ……。答えによっては。

 松田は苗木の言葉をスルーして、江ノ島へと話しかけていた。
 だから、江ノ島は苗木の言葉を仲介する。

「え? ……あ、はい、松田先輩。お久しぶりです」

――は? 何を言ってるんだ、お前は?

「苗木の言葉を伝言してるんだよ。今、苗木はアタシの夢の中にいるの」

――もう一度言うぞ。お前は何を言ってるんだ?

「んー、苗木って、今、クラスメートの夢の中に入れるんだってさ。
 すごいよねー。半信半疑かもしれないけど、今、こいつ、アタシの夢の中にいるの。
 ホントだよ。アタシ、松田くんに本当のことを隠したり、思わせぶりなことは言うけど、
 嘘はつかないから。だから、ホントだよ」

――どうやったら、そんなことが出来る?
  そもそも、リミッターが付いた状態でも、お前はそんなことが考え付くのか?

「あははー、今のアタシを過大評価しすぎー。
 別にこれ、アタシが考え付いたわけじゃないんだ。
 SFってかファンタジーみたいだし、ちょっとそこまでは今のアタシじゃ無理ー。
 原因も理屈もまだ完全には分からないわ。仮説は思いつくけどね」

――だから、脳波を取ってるのか? お前と苗木の両方の脳波を?

「うん、そうだよ。分析するなら必要でしょ?
 理屈も何もないファンタジーなら意味ないかもだけど。
 実際に起きてる以上、アタシなら分析できるかもしれないしね。
 あと、このデータが松田くんの研究の助けになるかも。
 こんな現象、普通は起きないから、貴重だと思うんだ」

――俺のために連れてきたとか言うつもりじゃないだろうな?

「えー? なんでそんな不審げなの? 傷つくわー。
 アタシってば、意外と尽くす女なのに。
 ほら、例えば、子どもの頃にもあったでしょ」

 会話を区切り、江ノ島は苗木へと振り返り、ひそひそ話をするように、これ見よがしに、小さな声を出し始める。

「あ、苗木、実はさー。昔、松田くんがね」

 すると、江ノ島の話を阻止するように、世界が大きく揺れる。
 苗木とウサミは思わず、尻餅を突く。

 しかし、江ノ島は平気で立ったままだった。
 どうやらこの揺れは予想できたようだ。


「ひどーい、松田くんが頭叩いたー。
 アタシの頭はブラウン管じゃないんだけどー」

――いいから話を進めろ、江ノ島盾子。
  とりあえず……脳波を取ったり、外側からデータを取ればいいんだな?

「そうそう。さっすが、松田くん。話が速いね」

――ただ、データは取ってもお前には見せないからな。
  お前に渡してもろくなことにはならなさそうだし。

「えー。横暴だよー。
 アタシってば、そんなに信用ならない?」

――あぁ、信用できない。
  むしろ、お前を信用しないことが、お前を信用することだといっても間違いじゃないな。
  この数か月で俺が学んだ最も重要なことだ。

「がーん! まるで、うちのクラスの葉隠みたいな評価!?
 うわー、普通にこれは予想できなかったし。ショックだわー。
 ショック過ぎて、今度、お祝いと称して、舞園にマインドシー●ーをプレゼントしそうだわー」

「舞園さん、関係ないよね!?」

 思わず、苗木が慌ててツッコミを入れる。
 実は、その苗木の慌てようの方が江ノ島にとって、ストレス発散の的となるのだが、苗木は気づかない。

「関係あるよ。マインド●ーカーって、エスパー養成をテーマにしたゲームで有名だし。
 ま、エスパー養成って聞くと楽しそうだけど、実際はガッカリ……ってか、むしろ、やるのが苦痛な運ゲーだけどね。
 だから、誕生日プレゼントとか、何かのお祝いで渡されたら、きついだろうなぁって。
 毎日毎日毎日毎日毎日……クリアした? 楽しかったって笑顔で聞いたら、舞園どんな顔すんだろうね?
 どこまで笑顔を保てるかね? クラスメートの善意のプレゼントをどこまで喜ぼうとするかね?
 あーあ、あんまゲームやらなそうだし、トラウマになっちゃうかも」

「や、やめろよっ! 舞園さんにそんな危険物は渡させないからなっ!
 舞園さんはボクが守る!」

「ふーん、じゃあ、代わりにやる?
 運ゲーだし。≪超高校級の幸運≫である苗木にはちょうどいいかも。
 舞園の代わりに、アタシからの挑戦を受けて立つ? それなら舞園を守れるよ」

「あぁ! 受けて立つよ! ……って、あれ? ん?」

「約束だからね!」

「あ、うん……って、え?」

「ちなみに、このゲーム、超能力に目覚めて失踪する奴とか出るらしいよ」

「え……?」

 勢いに飲まれた苗木は、いつの間にか、怪しげな約束を取り付けられてしまった。
 苗木誠がが78期生第2のエスパーに覚醒する日も近いのかもしれない……。


――どんなくだらない話をしてるのかは知らないが……さっさと話に戻れ。


 首を傾げる苗木を余所に、松田の呆れたような声が響く。
 苗木の声は届いていないので、江ノ島のセリフだけで判断したのだろうが、くだらない話というのは当たっていた。

「……ま、これ以上グダグダ話しても、松田くんが怒っちゃうだろうし。
 じゃあ、苗木。ゲームでもしようか? クリアできたら、苗木の勝ちってことで、アタシは目を覚ます。
 クリアできなかったら……、ま、今日の夕食は抜きってことで」

「さっきまで永遠とか言ってたのに……。負けても、けっこうあっさり終わらせてくれるんだね?」

「だって、そのころには、アタシこの状況に飽きそうだし。
 人の夢ならともかく、自分の夢とか見新しさもなくてつまらないじゃん。
 自分で完全にコントロールできるって、そもそも自分の知らない側面すら見えないから、
 冷静に考えるとつまんないわ。凡人には面白いのかもしれないけど、完璧超人のアタシにとって、
 世の中をコントロールできるって当たり前のことじゃない?
 リミッターのせいで忘れつつあった感覚だから、一瞬、懐かしさでテンション上がったけど、醒めてきたわ」

「あ、そう……」

 江ノ島の言葉に対して、普通を自負する苗木としては、頬を掻くしかなかった。
 もはや、もう何でもいいからゲームを始めてくれという心境である。


今日は以上です。
そういえば、絶対絶望少女はクリアしましたが、積極的にネタにしてネタバレすることはないと思います。
使うにしても、知ってたら気づくレベルで収めたいっす。


「苗木ってばテンション低いじゃん。
 ま、わかんなくもないけどさ。アタシたちに勝てる気がしないんでしょ?」

「……江ノ島さんのことだから、ボクの感じてることが分かったうえで検討違いのこと言ってるよね?」

「え、なんだって?」

 まるで難聴にでもなったかのような反応とともに、江ノ島は耳を苗木へと向ける。
 それはあからさまなおちょくりであった。

「…………………」

「聞こえなかったから、話を進めるわね」

 そして、苗木の言葉などなかったかのように、江ノ島たちは次々と言葉を発する。

「アタシたちとそれぞれ一回ずつゲームをしましょうか」
「私様たちに1回でも勝てれば、あなたの勝ちでいいわ」
「つまり、7回もキミにはチャンスがあるんだ。良かったね、苗木クン」
「しかも頭使うのじゃ、苗木は絶対に勝てねぇだろうから、単純なやつばっかだっ!」
「鬼ごっこやかくれんぼなどの子どもの遊びレベルのものから、ババ抜きなどの運がからむものまで色々用意しておきます」
「なんだったらぁ、コンテニューも3回ずつ認めてあげよっかー? ゲームだしー」 
「……計21回もやって…負けるなんて…絶望的ですね。何回でも……ぎゃふんって言って良いですよ……」
「うぷぷ……。ちなみに、中の人は同じだけど、違うキャラクターっていう設定のボクが公平に審判やるからね。安心してよ、苗木クン」

 7人の江ノ島とモノクマが苗木に説明していく。

 例えるなら、修学旅行の電車内でやるような暇潰し感覚レベルのゲームであり、
 江ノ島らも本気を出すつもりはないようだ。

 そもそも罰ゲームを受けるのは苗木だけという時点で、江ノ島には本気を出す必要はなく、
 それでもゲームを行おうとする理由は、苗木に対してのささやかな悪戯心なのかもしれない。

「よしっ! 説明終わり! じゃあ、オレから行くぜっ!」

 熱血な雰囲気の江ノ島がまず一歩踏み出してきた。
 どうやら、彼女が一番手のようだ。

「苗木、ちょっと自分の部屋に戻ってな!」

「自分の部屋って……? あ、ボクが最初に落ちた場所のこと? 江ノ島さんの夢に繋がってる扉の中?」

 気合十分の江ノ島(熱血)に対して、苗木は困惑と戸惑いを顔に浮かべる。
 江ノ島のペースに中々順応できずにいたのである。
 しかし、江ノ島(熱血)は気にしない。

「そのとおり! まずはあそこに入って、30秒かぞえてもらうぜ!
 ほら、子どものほにゃららごっこによくあんだろ。平凡な苗木なら、ぜってー知ってるはずだぜ。
 30秒経ったら、苗木はオレのこと探すんだよ。
 で、苗木はオレを見つけて『盾子ちゃーん、みぃつけたー』って言えばいいわけ。
 それに対して、オレは苗木に気付かれる前に、苗木にタッチできれば勝ちっ!
 ついでに同じ場所に10秒以上隠れるのは禁止してやるよ。
 うん、なんだ。超ハンデ付きのかくれんぼってやつだな! ケイドロとかドロケイの要素もあっけどさ!
 ……って、よくワカンネーって顔してんじゃねーよ!
 もしかしてケイドロって言葉がわかんねーの? 苗木のとこだともっと別の名前だった?
 ま、わかんねーならググれ、バーカ! ここ夢の中だけどな!」

(別にケイドロは分かるし。ルールも分かったけどさ。今、ボクが不安に思ったのは、ルールの意図とかだよ)

 苗木にとって有利な条件ばかりだ。
 勝つためには、不意を打たれないように気をつけつつ、江ノ島のことをゆっくりと探せばいいだけにも思える。

(ただ、そうは言っても……江ノ島さんだしな。……それに、ひとつ問題が……)

 苗木は江ノ島へ半眼を向ける。

「自分の部屋っていっても、江ノ島さんの夢に入ったときに出入り口は消えちゃったと思うよ」

 桑田の夢に足を踏み入れたとき、いつの間にか出入り口となる扉が消えていたことを苗木は思い出していた。
 しかし、江ノ島(熱血)は背後を指差す。

「ひゃはははははー。ダイジョーブだって! ほら、見てみろよ! ちゃんと確保しといたから!」

「え?」

 苗木が見てみると、そこにはモノクマが2体おり、
 まるで担架を持つように、上端と下端をそれぞれ掴み、地面と平行に宙へと浮かせていた。


「……え、そんなことできるの? ウサミ?」

 思いもよらない光景を見て、反射的に苗木はウサミへと質問する。

「なんでちゅかね……。こんなのはじめて見まちた。
 この扉は、江ノ島さんではなく、苗木君側にあるもののはずなんでちゅが……」

 ウサミも首を傾げていた。
 すると、会話の様子を見ていた江ノ島(リーダー)がドヤ顔で語り始める。

「消えないように捕獲したのよ。
 うっすらと輪郭が消えかけてから、とっさに対策を打たせてもらったわけ。
 あ、ファンタジー的な直感でやったから、詳しい方法は聞かないでね。
 ウサミのステッキを見て、見よう見まねで真似したのよ」

「は、はい……でちゅ」

「なんでもありだね。江ノ島さん……」

「ま、開けるのは苗木じゃないと無理みたいだから、捕まえても大して面白くなかったけどさ……。
 さっさと中に入って、作戦会議でもしなよ。……30秒だけだけど」

 すると、2体のモノクマが扉を地面に置いた。
 さながら国民的アニメのキャラクターが使うど●でもドアのように、扉は地面に立つ。

 そして、ホテルの従業員のように2体のモノクマは扉の脇に立ち、同時に一礼する。
 さっさと入れということだろう。

「……夕ご飯もかかってるみたいでちゅし、ひとまず頑張りまちょうか? 苗木君?」

「夕ご飯か……。そもそもなんで夕ご飯を賭けないといけないんだろ……?
 江ノ島さんがさっさと夢を終わらせてくれれば、すぐに問題は解決するのに……」

 思わず、苗木は愚痴をこぼした。
 すると、江ノ島が地獄耳を発動し、割り込んでくる。

「アタシがアタシだからだよ。ちなみに、今日の夜のメニュー一覧には、霜降り肉を使ったステーキや
 苗木が好きなカレーがあったわよ」

「最悪だ……。そもそも……どちらにしても片方は食べられないのか」

「さすが苗木ね。地味すぎる運のなさ。ま、絶望的に地味すぎて、なんの感想もわかないけどね」

 食の好みにうるさい生徒がたくさんいる希望ヶ峰学園の食堂では、
 日替わりでメニュー一覧が発表されており、決められた時間までにこれを見て注文しておけば、
 その注文したものを食べられるのである(メニュー関係なく好きなものを食べたいときは追加料金が必要)。
 本科生の数が少ないからこそ可能な贅沢な仕様である。

「ただ、これだけだとあまりにも苗木に対するご褒美がないからね。
 もし、苗木が買ったら、アタシの夕食の半分をあげよっか?
 せっかくだから、アタシは霜降り肉のステーキを頼むわ」

 江ノ島は「ね、これならやる気出るんじゃない?」と笑顔だ。
 それに対して、苗木はうさんくささを感じつつも、少しだけやる気を出す。

「貰えるなら貰おっかな……」

 元々、やるしかないのだ。それなら、少しでもメリットがあった方が良いに決まっている。

 だからこそ、苗木は気持ちが削がれる前に、動くことにした。

「……入ってから30秒経ったら、出てくればいいんだよね?」

 自分の待機場所へと通じる扉へと苗木は手をかける。

「そうだぜ! ゆっくり数えろよな!」

 苗木の後ろ姿を見ながら、江ノ島(熱血)はガッツポーズを取っている。
 返事にも力強さが感じられ、江ノ島(熱血)の方はやる気満々であることが窺えた。

(……別に、ボクとゲームしてもそんなに面白くないと思うんだけどな)

 苗木は扉を開け、中へと入りながら、そんなことを考えた。
 そして、中へと入った後、ウサミへ向かって口に出す。

「江ノ島さんとボクじゃ真面目に遊んだら、江ノ島さんの圧勝だと思うんだ。
 実際、どうすればいいんだろう? 江ノ島さんは何が目的なんだろう……?」


 そんな苗木の心からの疑問に対して、江ノ島のことをよく知らないウサミとしては、
 こんな答えしか返すことが出来なかった。

「うーん……。純粋に苗木君と遊びたいんじゃないでちゅか?」

「そんなかわいい理由なのかなぁ」

 疑問は増えるばかりである。
 しかし、30秒しかないため、答えはなにひとつ出ない。

「うん……。そろそろ30秒だね」

 時間になったため、苗木は考えるのを止め、目の前のことに専念することにした。
 ウサミもそんな苗木を応援する。

「そうでちゅね! 頑張りまちょう!」

「うん……! そうだね。やるからには頑張ろう……!」

 外に出る前に、苗木は拳を握り気合を入れる。
 気は進まなくとも、やるからには一生懸命やるつもりだった。
 だから、勢いそのままに苗木は扉を開け、力強く一歩を踏み出す。







「江ノ島盾子ちゃんの先制攻撃だぜっ!」

「は?」

「え? でちゅ?」

 気合新たに扉を開けると、江ノ島(熱血)がいた。
 江ノ島(熱血)は右腕を振った。右手の指は開いていた。
 江ノ島のパーは苗木の顔面へと叩きつけられる。

「グェッ!?」

「な、苗木くーん!?」

 それは、ビンタですらなかった。
 力士のような力強い張り手であった。
 江ノ島の後ろ脚は地面を捉え、全身の勢いを一分の減衰もなく右の掌へと伝えていた。

「うあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 苗木は出てきたとき以上の速度で扉の中へと戻っていった。
 そして、そのまま出入り口とは真反対にある扉へと転がりながら衝突する。

「……ギャフン」

 苗木はひとつ呻き声を上げると、そのまま手足を脱力させる。
 ウサミがあわてて駆け寄る。

「な、なな苗木君、大丈夫でちゅか!?」

「……ウサミ、疲れたろう。ボクも疲れたんだ…。なんだかとても眠いんだ…ウサミ…」

「ひぃぃぃぃ。まるで苗木君がどこかの絵描き志望の犬さん連れた少年みたいなこと言ってまちゅっ!
 しっかりしてくだちゃい。まだ雪は降ってまちぇんよ!」

「……はっ!? 危なかった……。昔、飼ってた犬が川の向こうにいたよ……」

 苗木はふらふらと立ち上がる。
 すると、それに対して、江ノ島(熱血)が声をかけた。

「ひゃはははは。これでオレの1勝だな! オレとはあと2回。江ノ島全員であと20回だぜ!」

「え!? 今のタッチに入るの!? ってか、ボク、先に見つけたよね!」

「うぷぷ……。『見つけた』って宣言してないからダメだよ」

 審判役を務めていたモノクマが愉しそうに笑っている。


「こ、これはひどいでちゅ。勝たせるつもりが微塵もないでちゅ……!」

 おののくウサミ。
 そんなウサミに対して、モノクマが告げる。

「うぷぷ……。ルールを確認する時点でゲームは始まってるんだよ」

「げ、外道でちゅ! かわいげのない外道でちゅ!」

「お前らはいつもそう言うよね。知らなかったとか教えてくれなかったとか。
 知ろうとしなかったし、教わろうとしなかっただけなのに。
 まったく、お前らみたいなのがいるから、ボクのような熱心な先生がいなくなっちゃうんだよ。
 ゆとり教育の弊害だね」

「ゆとり教育関係ないでちゅ! そもそもなんで教職者みたいなこと言ってるんでちゅかー!」

「本当だったら、学園長になってたからさ。ま、今は関係ないけどね。うぷぷぷぷぷぷ」

 モノクマは口元に手をあてて、まるであざ笑うかのように声をあげる。
 そして、笑うだけ笑うと、モノクマはあっさりとこんなことを言う。

「では、第2回戦いきまーす! 扉閉めたら30秒で開始でーす!
 じゃあ、扉閉めましたー」

 バタンと軽い音を立てて、扉が閉められる。

「え? ……ちょ、ちょっと待って」

 その急展開に、苗木の思考は追いつけない。
 そして、あっという間に、30秒経ってしまう。

「苗木クーン、時間だよー。もう江ノ島さんは準備完了だよー。はやくでてきてよね!」

 そして、30秒経つと土井宇治に、ドンドンドンドンと扉を叩く音とおともに、モノクマの声が聞こえ始める。

「だ、だから待てって……」

 モノクマの声に誘われるがまま、苗木はあわてつつも、素直に扉に手をかける。
 そもそも、落ち着くまで待ってもよかったのだが……、
 身体に染みついたお人好しさ(パシられ体質とも言う)が苗木の手足を動かしていたのである。
 だから、あっさりと苗木は再びタッチされてしまう。

「ほらよっと!」

「え? うわっ!?」

 扉の上に乗っていた江ノ島が、まるで蝙蝠のように頭上から降ってきたのだ。
 苗木は悲鳴を上げながら、後ろへと一歩下がる。
 それに対して、江ノ島は足の甲を扉の上端にひっかけ、まるで振り子のように身体を揺らす。
 江ノ島の上半身は重力に沿ってスライドし、そこから伸びた腕が苗木を吹き飛ばす。

「うわあああああああああああぁぁぁぁ……ぎゃふん」

「な、苗木くーん!?」

 少し前とまったく同じ姿勢で苗木は地面に転がる。
 同様にして、ウサミが苗木へと駆け寄る。

「……ウサミ、疲れたろう。ボクも疲れたんだ…。なんだかとても眠いんだ…ウサミ…」

「まったく同じセリフでちゅ! 同じことを何度も繰り返すのは本当に疲れてるときにありがちでちゅ!
 しっかりしてくだちゃい! これが終わったらいくらでも休んでいいでちゅから!」

「……あ、あぶない。もう少しで犬の頭を撫でにいくところだった」

 苗木はふらふらと立ち上がる。
 すると、それに対して、再び、江ノ島(熱血)が声をかけた。

「ひゃはははは。これでオレの2勝目だな! オレとはあと1回。江ノ島全員であと19回だぜ!」

「もう何もつっこまないよ……。そっちがその気なら、ボクだって手段を選ばないからな!」

「期待はしねーよ!」

「しろよ!」

 苗木は思わず叫ぶ。
 それに対して、江ノ島(熱血)は少しだけきょとんとした顔をし、次いで、どう猛さを湛えた笑みを浮かべる。


「おーおー。いっちょ前に威勢がいいじゃねーかよ。そんなら、さっさと始めようぜ」

 江ノ島(熱血)は笑いながら、扉から離れていく。
 とりあえず隠れるつもりなのだろう。
 その様子を見て、苗木は警戒を強める。

(最後の一回くらい真面目にやろうってことか?
 ……いや、江ノ島さんのことだ。まともにやるつもりはないだろうな。
 よし……お願い、ウサミ。江ノ島さんの隠れる場所を見てて)

(分かりまちた! 苗木君が勝てるように協力しまちゅね!
 ズルしてるみたいでちょっと罪悪感もわかないでもないでちゅが……。
 江ノ島さんの行動がそれ以上にあんまりなので、考えないことにしまちゅ!)

(うん……。それでいいと思うよ。じゃあ、お願い。テレパシーで教えて)

(あいあいさーでちゅ!)

 ウサミは透明になり、扉から江ノ島の夢へと戻っていく。
 それを確認したうえで、苗木は扉を閉め、自分の領域で30秒数えはじめる。
 そして、30秒経過した時点で、ウサミに尋ねる。

(今、江ノ島さんはどこにいるの?)

(江ノ島さんは扉の真正面にある岩陰に隠れてまちゅ。
 扉から15mくらいの場所でちゅ。不意打ちはできまちぇん。
 岩の近くで他に隠れるものはありまちぇんから、扉から出たら動かずに、10秒待つといいでちゅよ!)

 最初のルール説明のとき、江ノ島は同じ場所に10秒以上隠れないというルールを設定していた。
 そのため、今、扉の前でスタンバイすれば、苗木の視界の中へと絶対に現れないとならないのだ。

(よし……。今度こそ!)

 外に出る前に、苗木は拳を握り気合を入れる。
 今度こそ……というやる気とともに、苗木は扉を開け、力強く一歩を踏み出す。







「ひゃははははははははーーーーーーー! 待ってたぜ! 苗木ー!」

「は?」

(避けてくだちゃい! 苗木君!)

 扉を開けると同時に、岩の上に江ノ島が仁王立ちした。
 続いて、江ノ島は苗木へと指を突き付けた。そして、指の指す方向へと走り出す。
 その方向とは、今苗木が立つ場所だった。
 江ノ島は真っ直ぐ苗木へと走ってくる。

「うわあああああああ!?」

「……チッ」

 苗木は間一髪で江ノ島のタックルを避ける。
 ウサミのテレパシーがなければ即死だった。

「かくれんぼってこういうゲームじゃなかったよね!?」

(苗木君! ツッコミはあとでちゅ! はやく見つけた宣言をするんでちゅ!)

「あ、そっか……。え、江ノ島さん見つけたよ! 終わり終わり!」

「ひゃっはー! 終わってねーよ!」

「え、えぇ!? ……ぐふぅ。ぎゃ、ぎゃふん……」

(な、苗木くーん!?)

 江ノ島(熱血)の華麗なるV字ターン。そして、そこから繋がるラリアットによって、苗木は吹き飛ばされる。

「うぷぷ……。苗木君の負けだね」

 モノクマが苗木の負けを宣言する。


「ま、まってくだちゃい! は、反則でちゅ! 苗木君はちゃんと見つけた宣言しまちたよ!」

 そんなモノクマのジャッジに異議を申し立てるウサミ。
 すると、モノクマは寝転がり、あからさまに真面目に取り合うつもりがないことをアピールしたうえで、
 ウサミの異議について反論する。

「だって『盾子ちゃーん、みぃつけたー』って言ってないじゃん!」

「えぇー!? そこは厳守しないといけないんでちゅか!?」

「それがルールってもんでしょ!」

「こいつ最悪でちゅー!」

 ウサミはモノクマに向かって、マジカルステッキを突き付ける。
 しかし、平然とモノクマは笑う。

「別にいいんすよ? ボクの代わりはいくらでもいるもんね。
 だから、いくらでも縛ってくれてぜんぜんオッケー。どうすかどうすか?」

「いくら無力化しても次のモノクマが沸くってことでちゅか? 本当に最悪でちゅね!」

「いやー。それほどでも」

「褒めてないでちゅ!」

 ウサミとモノクマが言い争いを始める。
 そして、そんな喧騒の中、苗木はゆっくりと立ち上がり、江ノ島(リーダー)へと近づいていく。

「嫌がらせだよね。これ……」

「いや、違うよ。アタシたちは苗木と楽しく遊びたいだけダヨ。ホントダヨ」

「片言になってるよ……」

「ま、半分冗談だけどさ。半分は本気だよ。
 ほら、アタシってば、ある意味、苗木に負けちゃったわけじゃん?」

「なんのこと?」

「ノート拾われてさ。そこからとんとん拍子でアタシの計画が終わったじゃない?」

「う、うん……。なんか実感ないけど、そうらしいね」

「それってあんた達が思ってるより、すごいことだからね?
 アタシって自分が負ける可能性は残してきたけど、負けたことはなかったんだ。
 本当だったら、誰かがノートを拾っても、それに合わせて計画が少しだけ変更されるだけで、
 苗木の起こしたちっぽけな変化はなかったことになってたんだよ。
 ところが、アタシはこうして平凡なちょっとだけ絶望的な学園生活を満喫してる。
 これって、奇跡に等しいんだよ。どうせ言っても分かんないと思うけどさ」

「は、はぁ……?」

「ま、けど、だからこそアタシは試してるわけ。
 なんで苗木に負けたのかよく分からないからね」

「えっと、じゃあ、何か分かった? 今のゲームで?」

「いや全然。
 強いて言うなら……苗木がやる気出してるの見ると生理的に不気味さを感じるくらい?」

「嫌いってことだよね。それ……」

「たしかにそうかもねー。実は偉そうなこと言ってて、実はただの復讐……というかやつあたりだったりするかも?
 リミッターのせいかなー。自分の気持ちがよくわかんないやー」

「うわぁ……」


 八つ当たり……の部分で嬉しそうに顔を歪ませる江ノ島。
 それを見た苗木は、思わず、江一歩後ろへと下がる。
 そして、江ノ島に対して引き気味のまま、苗木は考え始める。

(……これ、勝たせるつもりはないよね。
 けど、どうにかしないと……。夕ご飯抜きは地味にいやだ。
 いっそ、また桑田クンが眠って落ちてこないかな……。体力勝負なら、桑田クンに助太刀してもらえば、もしかしたら……。
 ………………………うん。さすがに無理だよね。桑田クンだってそんなに都合よく寝てるわけないだろうし。
 セレスさんや霧切さんは………………もっと無理だよね。
 ボクが寝てるのに気付いたら、何か行動を起こすかもしれないけど……。
 うーん…………)

 思わず、苗木は天を仰いでしまう。
 だが、空に桑田やセレスや霧切の姿は見えない。
 苗木は宙に向かってため息を吐く。

(ハァ。頑張ろう……。ウサミと力を合わせれば、一回くらい……。
 ……って、あれ? 今、何か見えたような?)

 今、空に浮かぶ雲と雲の谷間に、人の足のようなものが見えた気がした。
 しかし、瞬きの間に、それは見えなくなっていた。
 だから、苗木は気のせいだと結論付けた。

(……人の下半身にしては妙に丸かったし。疲れてるんだろうな。ボク……)

 実は、それは現実世界でうつらうつらとしているある人物の足だったのだが、
 そのときの苗木は気づかなかった。


更新は以上です。
今週は、もしかしたら火曜日にもう一度更新するかもしれません。

それはそうと……霧切さん誕生日おめでとうございます!
昨年の今頃はVIPで当て付けのようなことをして申し訳ありません。
悪気はなかったんです。悪気は! 10月6日だという感覚がなかったんです!
ちょっと目の前のことに集中しすぎて意識がやばかったんです。
まさか舞園さんのスレが4日から6日まで続くとは思わなかったんです。
次の日に見てやべぇと思いました。
舞園さんも好きだけど霧切さんも好きですよ!
ロンパ霧切3巻を予約したんで許してください!
数少ないリアル友人に布教しますんで!
ルアックコーヒーも捧げ物として差し上げますんで!

>>289
ありがとう
読んでみたけどどちらのルートも考えられててすごくいいSSだったわ
>>1のSS他にも探してみる


◇◇◇

 苗木が夢の中で江ノ島とゲームで戯れるはめになっているとき、現実では、もうすぐ授業が始まろうとしていた。
 そして、とある教室に、苗木が夢の中で見た足の持ち主――山田はいた。

(今、一瞬だけ意識飛びましたかな……? いけませんな。コーラ不足ですぞ……)

 山田はカバンから出したペットボトルに口をつけ、コーラを飲み始める。

「……ぷはぁ。生き返りますぞぉ」

 早めに教室に来た山田は、つい先ほどまで夢と現実の間に漂っていた。
 目をつぶって、目の疲れを癒すだけのはずが、首の力を失い、ガクンガクンと体を揺らしていたのだ。

(時間も経ってますし、もう少しで始まりますな)

 山田は時計を確認した後、教室内を見回す。
 一般的な高校のものに比べて広い教室にも関わらず、すでに十分な数の受講者が席に座っていた。
 その状況から次の授業が人気であることが推測できる。

(……しかし、分かってはおりましたが、女性が多いですな)

 次、この教室で始まる授業は、服飾と歴史を絡めたものであり、
 まるでカタログのようにあちこちの国の民族衣装をまとめたレジュメが配られたり、
 昔の服の実物を取り寄せて授業中に閲覧や試着をしたりするなど、
 服に興味がある者ならば何かしらの面白みを覚えるものとなっている。

 大学でやるような講義と違い、
 高校生が興味を持てるよう見た目の面白さを重点としているらしく、前評判は非常に高い。

 しかし、内容が内容であることに加え、
 前評判が流れていた時点で、受講者のほとんどが女子になりそうだという噂が出回っていたため、
 男子が積極的に受講しようとせず、その受講申請をした大半が女子になっていた。

(キャラに着せる衣装の参考になるかと思いましたが……少々しくじりましたぞ。
 誰か誘えばよかったかもしれませんな)

 予備学科の人間もかなりの数が受講しているようだが、それでも男子の姿はあまり見えない。
 それゆえに、山田は一抹の居心地の悪さを覚える。

(とは言っても、こちらも遊びじゃないんで、堂々とさせていただきますがなっ!)

 教室の中央付近の席で、山田はふんぞり返っている。
 数少ない男子かつ、特異な体型により、山田の姿は目立っていた。

(ひそひそ話が聞こえるような気がしますなぁ。
 ククク……。たとえ同じ超高校級といえど、同人作家は一般女性受けが悪い――というよりも、
 『同人って何?』とよく言われるのは知っていますぞ。
 だがっ! しかしっ! そういう態度こそが僕の戦士としての本能を呼び起こすのだ!
 数年以内に山田一二三の名を一般の世界にも刻み込み、山田一二三の原点である同人世界の認知を広げる!
 そんな大きな野望が僕に力を与えてくれるのだああああああああああああああ!
 ほーら見ろ! パンピーども。これが山田一二三の勇士ですぞ! ハァハァ……)

 脳内で気合を入れていただけだというのに、すでに気分は息切れ気味である。
 慣れない環境が山田のアドレナリン分泌を促進しているのかもしれない。

(ハァハァハァハァ……グヘヘ……)

 見られていることに興奮を覚えている可能性もゼロではないが……。

 とはいえ、慣れない環境が山田にプレッシャーを与えているのは事実だろう。
 このままでは山田の精神が明後日の世界に行ってしまう可能性があった。

 ……しかし、そんな人知れず危険な状態に陥っている山田を助けるように、
 教室の後ろの扉が開き、何人かの生徒が入ってくる。

 教室の扉が開くのと同時に、予備学科生の何人かがお喋りをやめたため、
 山田の耳にも、今入ってきた者たちの声がわずかに届く。

「まさかほとんど全員が揃うなんて思いもよりませんでしたね」

「いやー。やっぱりみんな女の子なんだね!」

「なによぉ……。そ、その言い方じゃ、申請自体せずにもぐりに来たあたしが女じゃないみたいじゃない……。
 も、もしかして、お前はもぐりじゃなくて、も、もぐらとでも言いたいの?
 あ、穴の中に潜ってるもぐらの性別なんて、女の子じゃなくて、め、雌だとでも?」


 舞園、朝日奈、腐川の声だ。
 山田は振り向き、彼女たちの姿を見る。
 3人の他にも、大神、セレス、霧切の姿があった。
 彼女たちは後ろの方にある席へと向かいながら、会話をしている。

 周囲に喧噪が戻り始めていたため、続いて行われた会話は山田には聞こえなかったが、
 その内容は次のようなものだった。

「腐川よ。別に朝日奈に他意はない。我もお主も受講申請自体はしておらなかったが、
 こうして誘われて来たということは、何がしかの興味があったということであろう。
 幸いなことに、我らがもぐっていようと問題はないようだ。この授業には巨大な教室が割り当てられている」

「……ちなみに、申請してなくても真面目に頑張れば、来年度に単位の振り替えが出来るらしいわよ」

「あらあら、みなさん。腐川さんは服や単位には興味がなくて、ご学友と交友を深めに来たのかもしれませんわよ」

 大神、霧切、セレスが次々と言葉を発する。
 それらの言葉を聞いて、腐川はいじけたような顔をして、特にセレスへと食いつく。

「な、なによ……。セレス。そ、そんなわけないじゃない。そもそも友達じゃないし……。
 く、クラスメートよ。あんた達との関係はあくまでクラスメートよ。
 ここでひとりだけ来なかったら、臭い臭いって陰口叩くんでしょ……。だ、騙されないわよ」

「あらあら。昨日、少しは距離が縮まったと思いましたのに……連れないですわね」

「さ、昨夜は、あんた達の飲んでた酒のにおいにやられたのよ……。
 あ、あ、あたしと学友になりたいなら、朝に紹介した本を全部読んでから、声をかけてちょうだい……」

「そうですの。では、読み終えましたら、あらためて声をかけさせていただきますわ。
 普段読まない本でしたから、少々時間がかかってしまうかもしれませんわね。うふふ……」

 セレスはにっこりと優雅に笑って、腐川をやりすごす。
 すると、今度は、舞園や朝日奈が2人の会話に食いついてくる。

「腐川さんのオススメの本ですか? わぁ、興味あります!」

「私……恥ずかしくて、あんまり恋愛ものは読めないんだけど、そんな私でも読めそうな本あるかな?」

「な、なによ急に……。だだ、黙ってなさいよ、ブリッ子ツー。
 あたしの紹介する本は静かに寂しく本を読める人向けなのよ。あ、あんたたちには無縁なんだから……」

「ひどいですよー腐川さんー。私たちぶりっ子じゃないですよーやだなー」

「そうだよー。ひどいよー。ブーブー!」

「まるで、わたくしが寂しい人みたいな言い方ですわね……」

 冗談めかしながら、あえてぶりっ子のように抗議する舞園。
 素の反応として、頬を子どものように膨らます朝日奈。
 その影でボソリと呟くセレス。
 女三人集まれば姦しいというが、3人どころが7人集まってるこの場はそれ以上に姦しかった。

 遠目に見ても、それは盛り上がっているのがよく分かる。

(近づきづらいですなぁ)

 期せずして山田は他の予備学科生の心情も代弁していた。

 予備学科生の中には彼女らの近くの席に座りたいと思う者もいた。
 そんな者たちはお喋りしながらも、彼女らの様子を遠巻きに窺っている。

 午前中に不二咲が受けていた授業もそうであったが、超高校級の生徒達を見たい、
 もしくは超高校級の生徒達に近付きたいという動機で、選択科目を選び、受講する者も大勢いるのだ。

 不純といえばそれまでだが、この状態が予備学科生の多くに期待を抱かせ、彼らのガス抜きとなっていることに加え、
 授業へ真面目に出席させる動機となっているため、結果として、彼らの学習意欲向上にも繋がっているらしい。

 予備学科生にもいわゆるガチ勢からミーハー勢まで幅広くいるため、
 重要なのは本科生と同じ授業を受けられる機会であり、それをどう生かすかは彼ら次第である。
 実際、本科生の様子に見もくれず、黙々と予習をしている者もいる。
 つまり、結局のところ、学園生活を満喫できるかは、その人間によるのだ。


(うーむ。ただ、近づきづらいといっても、別に彼女達は普通に話しているだけなんですがなぁ。
 声をかければ、案外、一緒に授業を受けてくれる可能性も微レ存?)

 ちなみに、本科生と予備学科生が同じ授業を受けることで、
 特別な対応に迫られているのは、むしろ本科生の側である。

 特権階級としての意識が高い生徒にとっては、予備学科生と同じ授業を受けることは苦痛であり、
 知名度の高い生徒にとっては、予備学科生と同じ授業はスキャンダルの危険性が常に潜む。

 そのため、十神などは「客寄せなど動物園のパンダにでもやらせておけ」と述べて、
 予備学科生が受講可能な選択科目は全て拒否しているし、
 舞園などは予備学科生限定のサイン会を開くなどのファンサービスを行ったうえで、
 予備学科生がいる可能性がある教室や施設では気持ちを仕事モードに傾けているらしい。

 つまり、本科生の側はすでにどう対応するか決めているし、それ相応の覚悟も決めている。
 そのため、予備学科生が近くの席に座っても、特に問題は起きない可能性が高い。

 一部の生徒はぞんざいな対応をするかもしれないが、
 それは平常運転であり、マイペースに生きている者たちなので気にするだけ無駄である。
 自由な人たちは匿名掲示板が炎上したり、呟き系SNSが炎上しようと気にしないのだ。

(まぁ、近付くのは自由とは言っても、見た目だけでも濃い面子が揃っていますからなぁ
 生半可な勇気じゃ近寄れませんなぁ。……といっても、僕は別ですぞ。クラスメートですしな)

 山田は机の上に並べていたノートをリュックに入れると、後ろの席へと歩いていく。
 一部の人間はざわめくが、山田は意気揚々と歩いていく。

(そもそも僕の偉大さを知らないもぐりは黙っていなされ。
 いやはや、他の人をグミングミンと言う十神白夜殿の気持ちが少しだけ分かりますなぁ)

 十神白夜本人が聞いたら「一緒にするな……」と怒りを通り越して呆れてしまいそうなことを考えながら、
 山田はスキップ交じりでクラスメートたちのもとに辿り着く。

「女性陣はほとんどお揃いなようで」

「あ、山田だー。……って、え!? 山田もこの授業取ってるの?」

「いやはや、朝日奈葵殿は一部の方々の疑問を見事に代弁してますぞ」

「え? どーいうこと?」

「いや、脇に置いといてくだされ。
 で、僕がなぜこの授業を取っているかと言いますと、それは単純明快。
 これからの創作で使うキャラクターの衣装の参考にするためですぞ!
 偉大な創作者は積極的に普段からネタを探すのです」

「へぇえええ。そうだんだー! 山田えらーい」

「それほどでも……ありますな」

 山田は誇らしげにお腹(本当は胸のつもり)を張る。
 しかし、そんな山田に引きつったような声をかける者がいる。

「……そ、創作者って……あんたのはただの模造でしょ。低俗なものの……さらに劣化品。
 そもそも……どうせ女の裸しか書かないんじゃ、い、衣装なんて必要ないじゃない」

「シャラアアアァァァップ!!!
 僕がぶー子の裸しか書いてないと思うな!
 そもそも! ぶー子の裸を書くときですらその裏に愛を書いておるわ! 低俗なんかじゃねー!」

「そ、そもそもぶー子って何よ」

「おまっ……何回言っても覚えてねーな。グググ……」

「あ、そ、そういえば、あんたが執着してるキャラって……そんな名前だったわね。
 の、脳に留めておくだけで、耳と目が腐りそうだから、いつもすぐに忘れてしまうわ」

「グググ……許すまじ腐川冬子。お前のような者がいるから、この世界は生きづらいのだ」

 一触即発である。
 しかし、そこでセレスが会話に割り込む。

「……ところで山田君。わざわざこちらに来たということは、わたくし達と一緒に授業を受けたいということですの?」


「そういうことですな。やはり、男1人は少々居心地が悪くてですね。
 毎週毎週……この空気だと過去のトラウマが目覚めそうなんですな」

「……山田君のトラウマは、こちらとしてはどうでもいいのですが。
 そうですわね……。殿方として、レディの談笑を邪魔しなければ、よろしいんじゃないでしょうか?」

 セレスがちらりと他の女性陣に顔を向ける。
 すると、腐川を除いて、皆が了承する。
 初めに霧切がさらっと答え、大神が静かに追従した。

「……別にかまわないわ」

「あぁ……ともに切磋琢磨する仲間であろう」

 そして、朝日奈と舞園がさらにポジティブなことを告げる。

「いいよー。別に邪魔じゃないよ。ただ、裸とかそういう話題はやめてほしいかも」

「うふふ……。山田君も一緒にお喋りしましょうか?」

 そんな中、腐川は「あ、あたしとは席を離してちょうだい」と小声で言っていたので、
 山田は「元からそのつもりだ!」と告げた後、他の女性陣にお礼を言う。

「ははー。では、ありがたく同席させていただきます。いや、本当助かりますぞ」

 山田は彼女達の近くの席に座り、和やかな笑顔を浮かべる。
 しかし、すぐにその笑顔の上に疑問符が乗る。

「おや……。江ノ島盾子殿と戦刃むくろ殿はいらっしゃらないのですな」

 すると舞園が笑顔で答える。

「江ノ島さんはいらっしゃいますよ。
 戦刃さんにも声はかけてあります。来てくれると嬉しいですよね」

「戦刃むくろ殿は……江ノ島盾子殿が来るなら、一緒に来るんじゃないですかな」

「はい……私もたぶんそうじゃないかと思います。
 うふふ……。そうなると、これで78期生の女の子は全員そろいますね」

 すると、腐川がぼそりと嫌味を言う。

「……こ、これで山田がいなければ、じょ、女子会だったのに」

「知らんがな!」

「あ、あたし、人生初の女子会になったのかもしれなかったのに……!」

「だから、知らんがな! というよりも、そもそも女子会は授業の合間にやるものじゃないですぞ!」

 山田が怒りを通り越して、脱力とともにツッコミを入れる。
 雰囲気もまた一触即発を通り越して、コメディになっていた。

 なお、それを見て舞園が「あれ? 前学期に女子会しませんでしたっけ? 腐川さんもいましたよね?」と呟き、
 霧切が「彼女の中では、そのとき私たちは友だちどころがクラスメートですらなかったんじゃないかしら?」と述べるが、
 場には影響せず、山田と腐川の間にある空気を変えることは出来ずに終わった。

 そんな中、山田と腐川の漫才を終わらせたのは、新しく教室に入ってきた人物である。
 そして、まず最初にその人物へと反応を示したのは、気配を感じ取れる大神であった。

「来たか、戦刃よ。――――ッ!?」

 最初、大神はいつものように静かな反応を示していた。
 しかし、戦刃へと視線を向けた大神は、思わず目を剥いて、声なき声を上げる。






「やっほー! こんにちゃーーーーーーん! 盾子ちゃんだよ!」





 それは、本来行われていた計画のため用意されていたものだった。

 江ノ島の部屋に置いてある化粧道具を探しにいった戦刃は、とあるメモを発見していた。
 メイクの仕方、喋り方、経歴……江ノ島盾子を演じる為のメモである。

「みんな、おはよ!」

「え、えぇ、おはようございます。いく……江ノ島さん?」

「「「「「「………………」」」」」」

 近付いてきた戦刃に対して、困惑の色を必死に隠しながら、舞園が笑顔で応対する。
 そして、他の者たちは無言で、困惑か無表情のどちらかを顔に浮かべていた。

「どうしたわけ? みんな変な顔して?」

 何回か江ノ島盾子に化ける練習は行われていた。
 戦刃の演技力に不安しかなかった江ノ島は、計画実行の大分前から、戦刃に変装と演技を試させていたからである。
 段階的に戦刃の変装技能と演技力を向上させ、予行練習を経たうえで、本番に使うつもりだったのだ。

 だから、戦刃は江ノ島の代理と聞いて、まずこっちを連想したのだ。

 もちろん、それだけならこんな無謀なことをするつもりはなかった。
 喋らなくてもよい、マスクをしても良いと言われていたからだ。

 しかし、運悪く、戦刃はメモを見つけてしまった。
 これは江ノ島が戦刃のためにカンペとして作っていたものだったのだが、戦刃は知らなかった。

(出来るなら、盾子ちゃんを完全再現しろってことだよね?)

 戦刃はそう判断して、気合を入れてメイクをして、気合を入れて教室の扉を開けることにしたのだった。

 ちなみに、時間に追われていたせいなのだろうか、それとも練習が足りなかったせいなのだろうか、
 あるいは教室まで全速力で走っていたためだろうか、化粧はすでに崩れていた。
 中々無残である。まるでピエロのように一部だけ白く、一部だけ赤い。

「えっと……戦刃さんはいらっしゃらないんですか?」

「お姉ちゃん? お姉ちゃんは履修してないからね。おかしなこと言うね、舞園」

「そ、そうですか。えっと、その……あ、あの、江ノ島さん。
 そのメイクがちょっと……ほんのちょっとだけ……崩れてますよ」

「え、マジで? やっば、やっちゃたかな。
 休みの間はノーメイクも多かったから、気が抜けちゃったみたいね。失敗失敗。
 えっと、誰か鏡貸してくれない?」

「あ、あの……。私がやってあげましょうか?
 使い慣れない鏡だとメイクもたいへんですし」

「え? そうだっけ……? 鏡ってそんなに関係ある?」

「あ、ありますよ。ね、ねぇ、みなさん?」

 舞園の問いかけに何人かが頷いた。
 頷かない者も否定はしなかった。

「へぇ……。今まで意識しなかったけど……そうなんだ……」

 戦刃は一瞬素直に納得しかけた。
 しかし、急に何か思い為したのだろう。慌てたように言い繕う。

「鏡で困ったことなかったからなぁー。ほら、あたしってば天才だし」

「こ、弘法は筆を選ばすって言いますからね」

「そうそう。そんな感じ」

「け、けど、私も最近メイクさんに色々教わってるんですよ!
 超高級のギャルの江ノ島には負けちゃうと思いますが……」

「うーん。ま、たまには違う感じのメイクもいいかもね。よーし、舞園。お願い!」

「はい、頑張らせていただきます!」

「あ、けど、時間がないから軽く直すくらいでいいからさ」

「そ、そうですね」


 そそくさと舞園は戦刃の化粧を直し始める。
 ダンスなどの激しい運動を行うステージの合間に、メイクを直す必要性があったためか、
 崩れたメイクを短時間で直す手法を舞園は知っているようだった。
 本職のメイクアーティストには劣るのだろうが、中々手際よく、戦刃の顔を修正していく。

「はい、出来ました。江ノ島さん」

 メイクを終え、舞園はすっと手鏡を渡す。
 渡された鏡に映る自分の顔を見て、戦刃はけらけらと笑う。

「よく出来てんじゃん。ま、あたしには負けるけどね」

「ありがとうございます!」

 元気よく返事をする舞園。
 そして、2人の会話を聞いて、押し黙る他の6人。

「「「「「「………………」」」」」」

 ツッコミどころが多すぎて、もはや誰もツッコめないという不思議な状況になっていた。

(な、なんですかなぁ……これは……。新手のドッキリ?)

 山田は心の中で周囲の声を代弁した。
 そして、この状況についての打開策を求めて、視線を彷徨(さまよ)わせた。

(だ、だれかー。いませんかー。この状況を理解できる方ー。
 ……ん、霧切響子殿が携帯を開いていらっしゃいますぞ。もしかして、助っ人ですかな?)

 霧切が携帯電話を開き、誰かにメールを飛ばしている様子が山田の視界に入った。

 パタリと携帯を折りたたみ、霧切は呟く。

「……苗木君あたりが巻き込まれているのかしら」

 どうやらこの状況の原因に心当たりがあるようだった。

「霧切響子殿……何か心当たりでも?」

 山田は小声で霧切に尋ねる。
 それに対して、霧切も小さな声で答える。

「そうとは限らないけど、いちおうタイミング的にね……」

「では、この状況はどう打破すべきか検討はついているのですかな?」

「さぁ……。授業も始まるし、ひとまずこのままでいいんじゃないかしら?
 別にお金をだまし取ろうとかそういうわけじゃないみたいだし」

「まぁ……たしかにそうですが」

「……メールの返事次第だけどね」

「はぁ……?」

 釈然としない山田に対して、霧切はそれ以上何も言わなかった。
 そして、戦刃について誰もツッコミをいれないまま、授業開始を告げる鐘が鳴り始める。

 すると、舞園がほっとした顔をして、他の人たちも授業の準備を始めた。
 山田もまた前を向いて、授業に集中することにした。

 ――苗木は夢の中で2人目、3人目の江ノ島盾子のゲームでひどい目に合わされているとき、
 現実ではそんなことが行われていたのだった。

今回の更新は終わりです

>>291
VIPやSS速報で出したのだと舞園さんばっかですね

苗木「僕の好きな人?」舞園「リセットしましょう」以外だと、
アレな舞園さんが出て来るR18なやつがあるんですが、ここは非18禁なんでリンクは張らないでおきます
スレタイに鶴が入ってるんで、たぶん見れば分かります。……他の作品とは毛色は違うし、見て楽しいものじゃないですが

他の場所に出したやつや、保守されずスレ落ちしたやつなら、
舞園さん以外もあるんですが短いことに加えて>>1的には黒歴史なんで……(汗)


明日更新しますんで、もう少々お待ちください
今、書いてます~!

ところで、読み直して新しく気づいた誤字脱字が11箇所もありました
>>44>>271で気づいた分を入れると、もうすでに14箇所
15レスに一回くらい間違ってて絶望的です

ま、せっかくだから一覧にしてみたので笑ってくださいゲヘヘ
>>107>>283>>296が特にひどいですねじわじわきますねグヘヘ
投稿する前に一度見返してから投稿してるはずなんですがねぇ…土井宇治とはいったい…ハハハ……

>>39
そして、その運命を味方にした者こそは強者であると信じられていたのです。
⇒そして、その運命を味方にした者こそが強者であると信じられていたのです。

>>50
(桑田クンのときと違って、建物ひとつひとうに妙な迫力があるような……)
⇒(桑田クンのときと違って、建物ひとつひとつに妙な迫力があるような……)

(ゲームか漫画で一回くらい見た気がするけど、こうやって実物大で見てみると、すごいな……」
⇒(ゲームか漫画で一回くらい見た気がするけど、こうやって実物大で見てみると、すごいな……)

>>56
顔に変な模様の入れ墨までいていた。
⇒顔に変な模様の入れ墨までいれていた。

>>102
何とも説明の付きづらいシュールのものになっていた。
⇒何とも説明の付きづらいシュールなものになっていた。

>>107
「……あとは待つだけか。やるな、オレ……。ミュージシャンだけはなくて探偵の才能もあんじゃね? ハハッ、さすが、オレ!」
⇒「……あとは待つだけか。やるな、オレ……。ミュージシャンだけじゃなくて探偵の才能もあんじゃね? ハハッ、さすが、オレ!」

>>115
すると、そ言葉を聞き、大神は闘志に怒気を混ぜ始めた。
⇒すると、その言葉を聞き、大神は闘志に怒気を混ぜ始めた。

>>117
(なんか逆に押し付けがましくなっちゃいまちたね……」
⇒(なんか逆に押し付けがましくなっちゃいまちたね……)

>>171
夢の世界に落ちることもそうだが、この学園からドロップアウトされないように頑張らないとならないからである。
⇒夢の世界に落ちることもそうだが、この学園からドロップアウトしないように頑張らないとならないからである。

>>244
「――って、やめてくだされーー。その分かってますよ……って感じの眼はッ
 偽善者がオタに理解ありますよ的なアピールするときの眼ですぞーーーーーー
⇒「――って、やめてくだされーー。その分かってますよ……って感じの眼はッ
 偽善者がオタに理解ありますよ的なアピールするときの眼ですぞーーーーーー」

>>262
あと、予備学科使って人体実験しようとしていたのが責任とって秘密裏に辞職したのに、
 アタシにはやってたとかバレちゃうと、今度は松田くんや十神やら霧パパが学園にいられなくなっちゃうから~。
⇒あと、予備学科使って人体実験しようとした責任をとって秘密裏に辞職した人たちがいるのー。
 だから、アタシには実験したってバレちゃうと、同じように、今度は松田くんや十神やら霧パパが学園にいられなくなっちゃうから~。

>>266
わらしたち
⇒わたしたち

>>274
松田君が好きなゲームががっかりな出来るように、好きなゲームを教えるのです……。教えるのです……」
⇒松田君が好きなゲームががっかりな出来になるように、好きなゲームを教えるのです……。教えるのです……」

>>283
そして、30秒経つと土井宇治に、ドンドンドンドンと扉を叩く音とおともに、モノクマの声が聞こえ始める。
⇒そして、30秒経つと同時に、ドンドンドンドンと扉を叩く音とおともに、モノクマの声が聞こえ始める。

>>296
超高級のギャルの江ノ島には負けちゃうと思いますが……」
⇒超高級のギャルの江ノ島さんには負けちゃうと思いますが……」

>>296
超高級のギャルの江ノ島には負けちゃうと思いますが……」
⇒超高校級のギャルの江ノ島さんには負けちゃうと思いますが……」

ですね。これがザルチェックですね。今回の更新が終わったらおしおきされてきますね


◆◆◆

「うわああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー」

「な、苗木くーーーん!!」

 トランプの札をまき散らしながら、苗木は空へと飛んで行った。

 江ノ島(クール)とのゲームが敗北で終わると同時に、
 苗木の座っていた椅子がロケット噴射で宙へと舞い上がったのである。

「危ないでちゅーーー! ちんぷいぷい、ちんぷいー!」

 ウサミがステッキを振り、牧場で牛や馬に与えるような干し草の束が現れる。
 その直後、苗木は干し草の中に頭から突っ込んだ。

「う……うう………………」

 干し草の中で呻き声を上げる苗木。そのうめき声はわりと本気で悔しそうである。
 そんな苗木に対して、江ノ島(クール)は一言告げる。

「いやー。ごめんごめん。ウサミがいるとどうしても無茶が出来るからさ。
 ついついオーバーリアクションを期待しちゃうんだよね。
 殺すつもりも痛めつけるつもりも今はないから安心してくれないかな?」

「そ、そういう問題じゃありまちぇーん!!
 一々、壮大なアクションを求められたら苗木君の心と体がリアクション芸人になってしまいまちゅ!」

 ウサミはまなじりを上げて抗議する。
 そんなウサミの声を聞き、苗木も立ち上がり、文句を言い始める。

「そうだよ。そもそも罰ゲームは夕飯抜きがあるじゃないか!
 なんで一々それとは別に罰ゲーム受けないといけないといけないんだよ!」

「ほら、敗者っていうのはさ。魂が敗北を認める必要があると思うんだ。
 魂が敗北を認めるからこそ、人は負けを認め真の敗者となり、それと対になる勝者を認められるんだよ。
 勝者が生まれるってことは、敗者が生まれるってことだからね。
 アタシは勝者として、それをちゃんと自分の勝利を確認しておこうと思ってるんだ」

「そもそもあと12回はあるからね……決着つくまで……。江ノ島さん全体で」

「正直なところ、まだあきらめないなんて……びっくりしてるよ
 運動神経も頭の回転も駆け引きも……何もかも苗木君には勝ち目がないのに。やれやれ……」

 短い間に、すでに苗木は9回負けていた。
 江ノ島(熱血)にかくれんぼで完封され、江ノ島(眼鏡)になぞなぞで完封され、
 江ノ島(クール)にトランプで完封されていた。

(勝てるチャンスはあったのな……)

 なぞなぞは小学生レベルだったのだが、かくれんぼで疑心暗鬼なっていた苗木は深読みしすぎて、負けてしまった。

(世界の中心にいる生物はなんだ? って……。“蚊”に決まってるじゃないか……。
 なんでボクはモノクマって言っちゃったんだろ……?)

 それは、そのとき夢の世界の中心で隠れモノクマが愛を叫んでいたからである。
 見つからないように隠れているものだと苗木は勘違いしたが、
 それは、見つからないように見えて見つかる絶妙なバランスで配置されたトラップだったのだ。

 そして、そのトラップに引っ掛かった結果ペースを乱され、その後も、反対の反対を突かれる形でなぞなぞに連続で敗北すつこととなってしまった。
 それは苗木にとって痛恨のミスであった。

 ……ちなみに、トランプは普通に運と実力で敗北した。

「そろそろね! 次は私様の出番よ!
 何がいいかしら? いっそのことあなたに選ばしてもいいのよ!」

 江ノ島(王冠)がふんぞり返りながら宣言する。
 それを聞き、苗木は考え込む。

「……選ぶって言ってもなぁ」

 勝ち筋がまったく見えないため、選ぶ基準すらも頭の中に湧かなかった。

「あははははは……。悩みなさい。悩み続けるのです。人間よ」

 悩む苗木の姿を見て、江ノ島(王冠)は高笑いを上げ続ける。


 それを見て、ため息を吐きつつ、苗木はウサミとテレパシーで相談を開始する。

(どうしようか……?)

(いっそ、クイズ苗木誠の100のコトとかどうでちゅかね?)

(え? それありなの?)

(……ダメでちゅかね? うーん。ダメもとで言ってみる価値はあると思うんでちゅが……)

(それもそうだね……。よし、却下されて元々で言ってみようか;;。
 ……けど、もし駄目なときはどうしようか?
 いっそ、残り12回を全て運のみのゲームにするとか……?)

(運……でちゅか。それはやめたほうがいいんじゃないでちゅか?
 なんというか……嫌な予感がしまちゅ。
 ……はぁ。せめて時間が稼げれば……あちしにも策があるんでちゅがね……)

(時間があれば?)

(あ、……ご、ごめんなちゃい。間に合わないと思うんで今回は忘れてくだちゃい)

(そっか……)

(思わせぶりなこと言って、申し訳ないでちゅ……)

(い、いいよ。気にしないで……。そんなに落ち込まなくていいって)

 2人の脳内会議は進む。
 しかし、中々結論は出ないようだ。

 すると、そんなとき、世界に松田の声が響き渡る。

――おい。苗木の携帯と、授業のチャイムが鳴ってるぞ。

「授業? 取ってるけど大丈夫だよ。アタシってば天才だし。出席も残姉ちゃんに頼んだから」

――苗木の携帯はどうする?

「いいんじゃない? ほっておけば」

 江ノ島(リーダー)はさらっと答える。
 しかし、それに対して、苗木が異議を唱える。

「いやいや。大事な用だったらどうするんだよ!?
 ……そもそも、このタイミングでのメールって、ボクが授業に出てないことに対するメールじゃないかな?
 それなら、ダメもとでボクも代返とか頼みたいんだけど!」

 しかし、苗木の異議と頼みを江ノ島(リーダー)あっさり無視し、
 代わりに、江ノ島(ぶりっ子)と江ノ島(眼鏡)が苗木に絡んでいく。

「えぇー!? 苗木クンってばフリョー! 
 そんな不真面目な大学生みたいなのはいけないんだぞー」

「そうですね。私達ほど学力のない苗木クンは、その分だけ真面目さをアピールすべきです。
 そこで私達と同じようにサボるなど社会の厳しさが分かっていないとしか思えません」

 苗木は「うるさいなぁ……。そもそもその貴重な出席な機会を奪ってるのは……」と呟きながら、
 さらに言い募る。

「せめて松田先輩にメールの内容を読んでもらってよ」

「はぁ……。仕方ないわね。松田くーん! 愛しの松田くーん!
 苗木の携帯に届いたメールが気になるって苗木が言ってるから、読んでくれない?」

――別に構わないが、一回起きるわけにはいかないのか?

「基本的にひとりの夢につき一回しか入れないらしいのよ。まったく不便よねー」

――そうか……。まぁいいさ。読めばいいんだろう。

 そして、数秒後、松田はメールを読み始めた。

――苗木君、江ノ島さん、松田先輩、どういうことかメールで返事をして……だとさ

「チッ……。もう気づいたか。これだから霧切は」


 江ノ島は舌打ちをする。
 どうやら苗木が江ノ島の起こすトラブルに巻き込まれたのだと霧切は気付いたようだ。

「……けど、ばれることは残姉ちゃんを送り込んだ時点で想定済みよ。
 そもそもアタシは苗木の状態を解明するために、松田君のところに連れてきた善意のクラスメートなんだし。
 正直に伝えたところで問題はないわ」

「善意……?」

「善意ってなんなんでちゅかね……?」

 苗木とウサミが白んだ目つきのまま首をひねる。
 99%合っているが、残りの1%が致命的な間違いである……と2人の目は言っていた。

「それじゃ。松田君。そう説明しておいてくれない?」

――別にかまわないが、もう一通来たぞ。

「え?」

――ところで、すでに戦刃さんがすっごくたいへんなことになっているわ……だそうだ。

「はぁ!?」

 なぜ代理出席を頼んだだけだというのに“すっごくたいへんなこと”になっているのか?
 江ノ島は理解できなかった。

「マスクを付けて1回手を挙げればいいだけじゃん。
 残念なお姉ちゃんでもそれくらいは出来るでしょ……?」

 夢の中に入ってから、はじめて江ノ島の顔に動揺が浮かんだ。
 しかし、江ノ島はつとめて冷静に言葉を紡ぐ。

「と、とりえあず、ゲームの続きをしましょうか。苗木?
 ……松田君。その間に、教室の様子を見てきてくれない?」

――パシリに使うな。まったく……

 松田の声が遠ざかっていく。
 口では文句を言っているが、体は素直なようだ。
 そのことに、わずかな親近感を覚えながら、苗木はふと思う。

(あれ……。何か流れが変わってきた?)

 先ほどまでの八方ふさがりな状態に、わずかな綻びが芽生えたように、苗木には感じられた。

 それゆえに、今なら行ける――苗木はそう考える。
 そして、苗木は江ノ島(王冠)に告げる。

「よし、江ノ島さん。ボクは次のゲームに『クイズ苗木誠の100のコト』を提案するよ」

「あなた……恥も外聞もなくすごいこと言うわね。私様もびっくり」

「だ、ダメなら『クイズウサミの100のコト』でも……」

「いいえ。いいわよ! 『クイズ苗木誠の100のコト』で」

「え? 本当?」

「人間が自分について知っているのは半分ほどだってことを、あなた達に教えてあげましょう。
 問題文は交互に出す……それでいいかしらね?」

「え? ……なんか嫌な予感」

「ちなみに私様とのあと2回のゲームは『クイズ江ノ島盾子の100のコト』と『クイズ松田夜助の100のコト』よ!」

「え、なんで……?」

「だって『クイズ苗木誠の100のコト』を3回もやってもしょうがないじゃないの。
 そもそも1回だけでもあなたにとって有利な条件よ。
 これ以上望むというのなら、私様を倒してからにしなさい!」

「倒すのは無理だけど……。まぁ分かったよ」

 たとえ一回でも負けないだろう……そう苗木は考えつつも不安が拭えなかった。

 そして、その不安は正しかったと、あとになって苗木は思った。


◇◇◇

「はーい、教官! ミリタリーファッションは授業範囲に含まれますか!?」

 戦刃の行動は近くで見ている山田の心の中に戦慄を巻き起こす。

(あ…ありのまま 今 起こった事を話しますぞ!
 『授業全体に関する質問があるか? って先生が聞いたら
  いくさ……江ノ島盾子殿が元気よくミリタリーファッションについて質問していた』
 な…何を言ってるのかわかねーと思うが僕も何が起こったのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった…
 初回の授業にありがちな問いかけと、それに対する熱心な生徒なんてそんなチャチなもんじゃあ断じてねぇ。
 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ…)

 なぜか戦刃は先ほどから積極的に手を挙げて質問や発言を繰り返していた。
 おそらく普段の授業で江ノ島の発言率が高いからだろう。
 普段、江ノ島は真面目ではないが、挙手することが多い人物であった。

 クラスにひとりかふたりはいる真面目ではないが、
 意味もなく手を挙げて注目を集めたり、先生の発言にツッコミを入れるポジションである。
 特に対外的にキャラを演じるときの江ノ島にはその傾向があった。

 とはいえ、それは空気が読めることを前提としていたものなのだが……。


  「その服だと戦うときや走るときに邪魔になるんじゃ……って思います。
   え? そういう目的で着るわけじゃないの?」

  「いやいや、その地域、昔から国境が複雑に入り組んでるから、奇襲や略奪が起こりやすいんだって。
   だから、男だけじゃなくて女だって色々考えてるって。
   ……あたし行ったことあるもん」

  「わざわざそんな高いもの作るなら
   その材料を使って他のものを作ったほうがいいじゃ……。革なら弓に出来るし
   ……あ、そういう問題じゃない? ……たしかにそうかも」

 隙あらば発言を繰り返す戦刃むくろ。
 何かが根本的にずれたまま、彼女は江ノ島の模倣を続けようとする。
 本来の計画で想定されていた影武者としての再現度が100を予定していたのなら、
 今の戦刃の再現度は10かそこらであった。
 黙っておくという選択肢がまだ実装されておらず、突撃しては撃破されるその姿は、
 内戦地帯に丸腰で行く民間人のように浮いており、この上なく目立っていた。
 例えるなら、ブティックに現れたブッシュマンである。

「えっと江ノ島さん…………今日は張り切ってますね? 初回ですからもう少しゆっくりしてもいいかもしれませんよ」

「そうだよ。いく……江ノ島ちゃん。ね、さくらちゃんもそう思うでしょ?」

「う、うむ……」

 舞園、朝日奈、大神がやんわりと小声で止めようとしているが、効き目はないようである。

「い、いっそ、もう正体ばれてるって教えてもいいんじゃないの?」

「あら? これはこれで面白いと思いますけど」

 腐川がボソリと呟き、セレスが他人事のような素知らぬ顔で反応する。

(性格が出てますなぁ……。他の生徒が見ていても何も変わらない。そこに痺れるし憧れますなぁ)

 学生の何人かは、こっそり携帯電話を弄り始めている。
 SNSで繋がったり、呟いたりするつもりなのだろう。
 ある意味、完全な見世物である。

(これ……授業の邪魔になってますかな? まさかの炎上?)

 山田は教科書の裏でスマートフォンを取り出すと、某呟き形式のSNSをブラウザで表示し、
 そこで「江ノ島盾子」を検索してみる。
 すると、タイムライン(※検索結果を時系列的に新しいものから順に表示したリスト)に
 江ノ島(戦刃)が出現していることが確認できた。
 それどころが、もうすでにニセジュンというハッシュタグ(※話題をカテゴリ化する仕組み)が作られ、共有され始めていた。


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 mob_mno 10秒前 @mob_pqr いや、実際に見てると面白いですよ。授業の邪魔自体はしてないですし。ただ少ない発言ひとつひとつのインパクトが(笑)あとでまとめますね(笑)

 mob_pqr 30秒前 @mob_mno え(引き)って感じですね…

 mob_st 1分前 さやかちゃん涙目w オーガもなんかかわいい

 mob_mno 2分前 @mob_pqr 靴やベルトに使う革で弓を作ることの有用性

 mob_mno 2分前 @mob_pqr 紛争地帯に行ったことがあること

 mob_mno 3分前 @mob_pqr 昔の服に軍事的な機能が隠されている可能性

 mob_mno 3分前 @mob_pqr 戦うためには服の機能性が重要だっていうこと

 k-on 4分前 いやっふぅぅぅ! パンクっす! 今年の後輩ちゃんたちは個性豊かでいいっすね!

 nevermental 5分前 これが本場のジャパニーズインパーソネーターだったんですね。感動です!

 nevermental 5分前 RT mob_ghi ニセジュンの正体は超高校級の物まね芸人

 mob_ghi 6分前 ニセジュンの正体は超高校級の物まね芸人

 mob_pqr 7分前 @mob_mno なに言ってるんですか?

 mob_mno 7分前 ニセジュンちゅんがすごいこと言ってる

 mob_def 8分前 戦うwww

 mob_abc 8分前 戦う?

 mob_xyz 9分前 @mob_uvw そうなんだけどさ……。画像以上にこのニセジュンやばいんだよ……。

 mob_uvw 10分前 @mob_xyz 画像に映ってる舞園さやかは本物なんだろ? じゃあ偽物なら気付かれるはずじゃん

 mob_jkl 10分前 ニセジュンの隣にいるのって舞園ちゃんじゃね? てか? 何? そもそも? 予備学科って本科と一緒に授業受けられるようになったの? ハァ?

 mob_xyz 11分前 @mob_uvw どう考えても偽物でしょ? その場にいたら分かるよ

 mob_uvw 11分前 江ノ島はフォトショ整形してっから

 mob_xyz 12分前 RT mob_ghi 雑誌の写真と全然違う。これ比較画像 [画像/動画をさらに表示]
 mob_uvw 12分前 RT mob_ghi 雑誌の写真と全然違う。これ比較画像 [画像/動画をさらに表示]
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 mob_def 14分前 RT mob_ghi 雑誌の写真と全然違う。これ比較画像 [画像/動画をさらに表示]
 mob_abc 14分前 RT mob_ghi 雑誌の写真と全然違う。これ比較画像 [画像/動画をさらに表示]

 mob_ghi 14分前 雑誌の写真と全然違う。これ比較画像 [画像/動画をさらに表示]

 mob_def 15分前 なんかおかしいというよりも全部おかしい?

 mob_def 15分前 RT mob_abc 盾子ちゃんがなんかおかしい

 mob_abc 15分前 盾子ちゃんがなんかおかしい

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 ハッシュタグが付いているものだけでも、中々の勢いであった。
 ハッシュタグなしだとさらに多いことを考えると、規模としては祭りと言えるかもしれない。
 しかし、幸いなことに、罵詈雑言が立ち込める、いわゆる炎上にはなっていないようだ。

 山田は「炎上はしそうになくて良かったですな……」と心の中で呟くと、
 そっとスマートフォンをしまった。


(霧切響子殿も先ほどからメールを送っているみたいですし。
 きっと打開策はあるのでしょう。よし、僕はみんなの分までノートを取る係ということで)

 山田はひとつ後ろの席で起こっている混乱を見て見ぬふりをすることにした。

 そして、実際、それは正しかった。

 元々、初回の授業ということで、授業時間に対する授業内容に余裕があることもあり、
戦刃の挙手攻勢はそれほど邪魔にならず、それどころが、学生が手軽に挙手できる土壌を作ってさえいた。

 また、江ノ島と戦刃をよく知っている者だからこそ慌てる羽目になるのであり、
 江ノ島達と話したことがない人からすると、戦刃の奇行は、変な人が授業を受けてる程度の認識である。

 そして、元々、本科は天才ゆえに変な人も多いという認識を持たれていたため、
 このことが大きなマイナスにはならなかった。

 もっとも、78期生以外の生徒の中にも、眉をひそめたり、頭を抱えたりしている者はいた。
 例えば、今、教室の外から中を窺っている松田夜助のように。

「あいつの姉だけあって、超ド級のバカだな……」

 松田は熱を抑えるように、そっと額を抑えると、教室に背中を向ける。
 自分の居城である神経科学研究所にさっさと戻ることにしたのである。


今回の更新は以上となります

今週は月曜日か火曜日に更新しますね

先週は資格試験で忙しかったので今回の投下は少なめです

ただその前に誤字脱字が4つ

>>303
アタシは勝者として、それをちゃんと自分の勝利を確認しておこうと思ってるんだ」
⇒アタシは勝者として、それをちゃんと確認しておこうと思ってるんだ」

そして、そのトラップに引っ掛かった結果ペースを乱され、その後も、反対の反対を突かれる形でなぞなぞに連続で敗北すつこととなってしまった。
⇒そして、そのトラップに引っ掛かった結果ペースを乱され、その後も、反対の反対を突かれる形でなぞなぞに連続で敗北することとなってしまった。

>>304
(それもそうだね……。よし、却下されて元々で言ってみようか;;。
⇒(それもそうだね……。よし、却下されて元々で言ってみようか……。

>>306
その材料を使って他のものを作ったほうがいいじゃ……。革なら弓に出来るし
⇒その材料を使って他のものを作ったほうがいいじゃん……。革なら弓に出来るし


これで計18箇所
自レス数が202回なので誤字脱字ありのレス数8.9%です
ここからは極力なくして、最終的に5%くらいに落したいですね(←ここからは誤字脱字なしとは言えないチキン)


◆◆◆

「ま、負けた……」

 苗木は膝を突く。
 松田が神経科学研究所に向かって歩いている頃、
 苗木と江ノ島(王冠)の『クイズ苗木誠の100のコト』は終わっていた。

 100問もクイズをやったにしては時間が短すぎるようにも思えるが、
 これは江ノ島の脳内における体感速度の影響である。

 通常、人は夢を見るとき、メタ認知と時間感覚を失う。
 メタ認知とは、自分の思考や行動そのものを客観的に考える能力であり、
 これが失われることにより、人は自分が夢を見ているという認識をなくすのである。
 さらに、メタ認知がない状態で、時間感覚をも失うと、人は飽きや退屈を忘れる。
 だから、人は何時間も苦痛なく眠り続けることが出来るのだ。

 これは脳が自分を休ませるために、自らが持つ機能に制限をかけるためである。
 コンピュータに例えるなら、クロック数を下げ、常駐するプログラムを減らし、熱を抑えている状態だ。

 しかし、この状態において、無意識の連想ゲームにより夢の中で様々な出来事が起こると、
 意識下での反応は追い付かない。
 そのため、夢の中では現実以上に時間が速く進むように感じることがある。
 処理速度が足りないのである。
 そもそも意識レベルでは自分が夢を見ているとは思わず、客観的は思考をすることが出来ないのだから、当たり前だ。

 中国の故事に、夢の中で栄華を極めたが目覚めるとわずかな時間しか経っていなかったというものがあるが、
 それに似た現象を脳はたびたび引き起こすのである。

 そして、江ノ島はこの現象を自発的に引き起こすことが出来た。

 メタ認知と時間感覚を失うということは、明晰夢でなくなるということに繋がり、
 江ノ島が夢のコントロールを失う可能性もあるのだが、
 なぜか彼女はコントロールを保ちつつ、時間感覚のみを狂わすことに成功していた。

 ある特定の生物は、意識を失った状態で一部の刺激にのみ反応し行動したり、
 狩りのために意識を保ちつつ時間感覚を失った状態で物陰に隠れ続けたりする能力を持つという。
 もしかしたら、江ノ島は人間であるにも関わらず、そのような能力が使えるのかもしれない。

 一応、寝ている状態の人間が目覚まし時計にだけ反応する仕組みは、この能力に近いという仮説もあるが、
 どちらにせよ人類が自力で使いこなすのは不可能な能力である。

 つまり、クイズに参加している最中、江ノ島は常に人の限界に挑戦していたのだ。
 もっとも苗木はそのことに気付かなかったし、これからも気づくことはないだろう。

「アハハハハ。勝負あったわね。……99対98で私様の勝ちよ。
 中々、良い勝負だったわ。褒めてあげましょう!」

「そ、そんな馬鹿な……」

「分かるわよ。完全無欠の私様がパーフェクトを逃がすなんて驚きだわ」

「いや、そっちじゃないよ……」

 ルールは単純だった。
 負けようがないルールだった。

 苗木に関するクイズを交互に出し、その答えを苗木と江ノ島(王冠)が紙に書く。
 そして、見せ合った後、苗木自身が採点をする。
 つまり、苗木の答えがそのまま正しい答えになるといっても過言ではなかった。

 しかし、苗木は2回間違えた。

「つまらない見栄を張ったわね!」

「……見栄じゃなかったんだ。無意識の願望というか……」

 質問のひとつは、「苗木の身長は?」であった。
 当初、苗木は自分の答えを、そのまま正解にするつもりだった。
 しかし、モノクマに実際に測ってみるべきと言われたのである。
 苗木は素直に従った。自分の答えに自信があったからだ。
 しかし、実際に測って見たら、苗木の身長は苗木が思っていたより低かったのだ。
 しかも、誤差というレベルでなく、数センチ単位で違ったのである。
 ウサミが魔法で用意したメジャーにより計測は行われたため、江ノ島の不正と言うわけでもなかった。

 どうやら苗木は自分のアンテナと靴を含めた身長を無意識に書いていたようだ。


 原因は、長期休暇中、実家の柱で測ったとき「やった身長が伸びた」と喜んだことである。
 往々にして、セルフ身体測定は甘えた結果を出すことで、人を勘違いさせぬか喜びさせるのだ。
 もし、そのとき厳しく測っていたら、自分の認識する身長に違和感を覚えていただろう。
 クイズに間違えることもなかったに違いない。

「2cm伸びたって喜んでいたのに……」

「そんなにいきなり伸びないわよ! 無様ね! あと苗木クンの成長期はこの前終わったわ! 私様に誓ってもいいわ!」

「…………………………ぐぅ」

「ぐうの音も出ないとはこのことのようね。……いや、この場合は出てるから違うのかしら?」

 苗木の認識に対して、江ノ島(王冠)の答えはミリメートル単位で正確であった。
 どうやら目測で読み取ったらしい。

 江ノ島(王冠)は余裕の笑みで苗木の身体測定を見ていた。勝利を確信していた。
 しかも、苗木の身長だけでなく、クイズ全体に関してである。
 そして、実際、その通りになった。

 この身長に関する質問が、そのまま命運を分けたのである。

 ちなみに、98対99ということから分かるように、両者ともにもう一問ずつ間違えているが、
 これは、両者ともに不正解になった質問がひとつあったからである。
 
 ある質問のとき、苗木が解答した後、答え合わせをするまでの間に、質問に対する考え方を改めたからである。
 言うならば、無効試合がひとつあったのだ。

 無効試合であるため、両方の点にならず、勝敗を分けるには至らなかった。
 つまり、今回の敗因は身長のみであった。

 もっとも、江ノ島(王冠)は内心で
 「ま、身長に引っ掛からなかったら、おねしょを最後にしたのは? とか色々聞くところだったけどね」
 と考えていたため、どちらにせよ苗木に勝利はなかったのかもしれない。

 そして、勝利宣言ついでに、江ノ島(王冠)は苗木に告げる。

「それにしても飽きてきたわね
 とりあえず『クイズ江ノ島盾子の100のコト』と
 『クイズ松田夜助の100のコト』はアタシの勝ちでいいかしら?」

「……そうだね。江ノ島さんの勝ちだろうし」

「だよねー」

 苗木と江ノ島(王冠)の話に、江ノ島(リーダー)が反応する。
 膝を突く苗木をしり目に江ノ島(リーダー)があくびをしていた。

「なんか苗木のリアクションもワンパターンになってきたし。
 そろそろやめちゃおっかな」

「そ、そうしてくれると嬉しいな」

 江ノ島(リーダー)の言葉に苗木がぎこちなく反応する。

(今のところ、勝機がまったく見えない。
 いっそ、このまま、ゲーム自体がうやむやになってくれた方がいいかな……)

 しかし、苗木の内心に気付いたかのように、江ノ島(リーダー)は付け足す。

「じゃあ、残りはさっさと終わらせようかしら? どうする、みんなー?」

「「「「「「さんせーいー!」」」」」」

 どうやらここからは本気なようだ。
 苗木にとって最悪の事態だった。

 しかし、その事態を打破するように、夢の世界へ松田の声が響き渡る。

 ――見てきたぞ

 どうやら戦刃の様子を見てきて、帰ったようだ。


 ちなみに、現実では、授業が始まってから30分程度経過していた。
 そろそろ、一度、授業に10分の休憩が入るはずである。

 希望ヶ峰学園の本科は、少々特殊な時間割が組まれている
 本科生の一部は出席できる日が偏っているため、まとまった時間で一気に授業を進める必要があり、
 まるで大学のような1コマにつき1時間半の授業時間が設定されている。
 一般的に高校は50~40分で1コマであるので、10分の休憩を入れても倍近くの時間となり、
 単位取得にかかる日数が少なくて済むのだ。

 なお、本科には、特定の条件下でスカウト前にいた高校で履修した単位を振り返る制度や
 大学の単位を先取りして取得する制度など、普通の高校にはない色々な制度がある。

 多様な事情や個性を持つ生徒が入学するため、学園側は様々な事態を想定しているのだ。

 しかし、現在の戦刃のような状態までは想定していなかっただろう。

 ――携帯を弄ってる奴らがいた。ネット上に拡散されてるだろうな。

 松田は戦刃について見たことを語っていく。
 そして、語られれば語られるほど、江ノ島達の顔から表情が消えていく。

 そして聞き終わると、7人の江ノ島は輪を作り、ひそひそと話し合いを始める。
 彼女らの近くでは、モノクマが「審議中」という看板を掲げていた。

 そして、数十秒経つと、江ノ島(リーダー)がこう言い放った。

「ちょっとお姉ちゃんシメて来るわ。苗木、勝負はお預けね」

「起きて教室に行くってこと? 続きは現実でやるの?」

 苗木は聞き返しながら、内心でガッツポーズを取っていた。
 そもそもここから出られるなら、江ノ島のゲームに付き合う必要もないからである。
 罰ゲームに関しても、ゲームが最後まで終わらなければ、受けることが確定しない。
 つまり、苗木はどうにかして夢から脱出して、ゲームの再開を先延ばし、全てをうやむやにするつもりだった。
 しかし、そんな小細工、江ノ島にはお見通しであった。

 江ノ島(リーダー)は言う。

「ゲームが終わるまで、ここから出さないわよ。
 アタシ、寝たまま教室に行くから」

「え?」

 すると、江ノ島達の姿が世界から消えた。
 夢の中には、白黒の闇と極彩色の木々だけとなった。


◇◇◇

 江ノ島はゆっくりと立ち上がる。そして、しっかりとした足取りで部屋の出入り口へと向かっていく。
 その間、江ノ島の目蓋は閉じられていた。

「おい……」

 呆れの色を滲ませながら、松田は江ノ島に声をかける。

「今度は寝たまま歩くのか?」

 もはや説明する必要もないだろうが、今、江ノ島の行っていることは常識外れなことである。

 寝ている状態で身体が動く事例はいくつかある。
 例えば、手続き記憶や運動記憶によって体が自動的に動いてしまう夢遊病(ノンレムパラノイア)や
 夢の中での出来事に反応して体を動かしてしまうレム睡眠時行動障害などである。

 しかし、江ノ島はそれらに当てはまらない。
 身体の各部位や各感覚が別個に動き、それぞれが現実と夢の世界の境を自由に越えていたのだ。
 視覚は寝ている一方で、聴覚は起きている。
 足が現実世界でリノリウムの床を歩いていく数秒後に、夢の中で自分の頬を抓る。
 ……そんな風に、江ノ島は平然と現実と夢を行き来していた。

 もはや、それは神経学者の松田に喧嘩を売っているようにすら感じられる。
 だが、今回に限っては、江ノ島に悪意はない。

「そうね。歩いていくわ。だって、アタシにとっては簡単だし。
 まぁ、この状態って普段より遥かに効率が悪いし、傍から見るほど脅威じゃないよ。
 戦闘力は100苗木、思考力は1000苗木くらいだわ。
 ……もし気になるなら、もっとリミッターを改良した方がいいかもね」

「単位はよくわからないが、改良はしておくさ。
 ……それにしても、わざわざそんな隠し芸を見せて、
 リミッターを改良しろとは、どういう了見だ? 何を企んでる?」

「うーん。そりゃアタシってばいつも何か企んでるけど、リミッターに関しては他意はないわ。
 松田クンにはいくつもの選択肢が与えられてて、松田クンはその中からリミッターを強化し続けるって選択肢を選んだ……。
 だから、アタシはそれを尊重してるの」

「なんだそれは?」

「松田クンには分からないかもね。けど、それが幸せってことだから気にしないでいいと思うわ。
 じゃあね、またあとで会いましょう」

 江ノ島は徹頭徹尾、松田の理解を越えたことを言うと、そのまま部屋を出て行った。

 残された松田はため息を吐く。

「江ノ島盾子は難しい」

 しかし、理解出来ないが、それ以上に恩があり、情があった。
 そのため、松田は悩みながらも付き合いを続けていくだろう。

「ふん……。それにしても、俺はこいつと2人でどうすればいいんだ?
 データとしては面白いが、一応、こいつも後輩なんだよな?」

 松田は寝ている苗木を覗き込む。
 苗木の脳波は覚醒時と睡眠時のちょうど中間といった変わった形を作っていた。

「もしかして、お前も寝ながら、現実の声が聞こえるのか?」

 もしかしたら、江ノ島と同じように現実と夢の境界を故意に移動できるのではないか? ふと、松田はそんなことを考えた。
 しかし、松田が声をかけても、苗木の脳波に目立った変化は現れない。

「さすがに無理か?」

 別に、期待していたわけではなかった。半ば暇潰しである。
 しかし、だからこそ、次の展開に驚いた。

「聞こ…てまち……よ」

 苗木の口が僅かに動いた。

「なに……? もう一回言ってみろ」

「聞こ……えて……ま……ちゅ」

 変な口調で苗木は喋り始めた。


今回は以上です
もう少しで、江ノ島さんの夢(?)が終わります

しかし、今回、地の文というか説明が多いっすね。話が進んでない
しかも、江ノ島さん周りは行動描写というか異能力の説明みたいにも見えます。びっくり
……こんなところに力を入れてる場合じゃry

9レス分ほど書きましたが、ちょっと頭がぼやけてるので、一度寝て、見直したうえで更新します
最近、誤字が多いんでもっと見直しが必要だと思いました(小並感)

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>>316
客観的は思考⇒客観的な思考

>>318
振り返る制度→振り替える制度

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計20箇所
自レス数206なので誤字脱字ありのレス数9.7%
やべぇ増えてる……

それもそうですね
今後もチェックは続けますが、コレはやべぇ……ってのだけすぐ書くことにします
それ以外のはスレ終了記念に一覧化したものを自分用の供養として投下し、目標達成出来てるか確認します

よし……それでは拙い>>1ですが、今後もよろしくお願いします
では、本日の投下です


「あちしの名前はウサミ……。今、苗木君の口を借りてメッセージを送っていまちゅ」

「何だそれは? ……あいつが言ってた“ファンタジー”ってやつか?」

「そうでちゅ……。今、江ノ島さんの真似をして、苗木君の体を動かしてまちゅ。
 ある場所から、苗木君の精神に干渉して、体をリモートコントロールしてるんでちゅ。
 あちしが魔法で夢に干渉すると、現実では頭の中に何かしら影響を及ぼされるようなんでちゅ。
 だから、今回はその応用で、苗木君の協力のもと、苗木君の体を動かしまちた。
 現実的には、江ノ島さんの身体と同じように寝ながら動いてる形になってるはずでちゅ」

「……つまり、その“魔法”で脳内伝達物質や電気信号を操れるってことか?
 たしかに脳波は見た事もない値を出してるが……」

「はい、理屈を付けるとそういうことになりまちゅ。
 本来はレム睡眠からノンレム睡眠に切り替えたり、夢の中で時間を進めたり……と、
 夢の世界であれこれするためのものなんでちゅ。
 江ノ島さんをお手本にしなければ、こんなこと出来ませんでちた。
 今日、あちしは未知との遭遇を果たし、かつてない成長を果たしまちた」

 以前、桑田に夢マイスタだと自称したように、ウサミは夢の世界を通して、
 脳のリズムを読み取ったり、脳内物質のバランスを感じ取ったり出来る。
 
 今回はその応用である。
 江ノ島が異常な脳の使い方をすることで、脳内物質や電気信号の値を任意に変え、夢と現実の世界に干渉するのに対して、
 ウサミは夢の世界に起きた異常を感知し、その時に異状な値を示す脳内物質や電気信号を把握した。
 そして、夢の世界(苗木の場合は扉の間から精神に)に干渉して、
 脳内物質や電気信号の値が江ノ島のものに近くなるように調整し、苗木の体が動くかどうかを試したのだ。

 つまり、江ノ島が外界の音を夢の世界に取り込んだときの状態を模倣することで、
 苗木の体で松田の声を拾うことに成功したのである。

 クイズをやる前にウサミは「せめて時間が稼げれば……」と言っていたが、
 それはこの試みを成功させるための時間である。

「とはいえ、まだほとんど動けまちぇん。
 最初に江ノ島さんがやってた、音を聞いて口を動かすのが精一杯でちゅ。
 なんで江ノ島さんはあんなに器用に動けるんでちょうか……。
 しかも、今も音だけを頼りに歩いていまちたよね?」

「江ノ島盾子のやることは気にするな。
 つい最近まで、あらゆる楽しみも苦痛も絶望に繋げて、さらにその絶望を愛していたような奴だからな。
 考えるだけ無駄だ。むしろ、考えれば考えるほど絶望が伝染する」

「絶望でちゅか!? それは良くないでちゅ! 希望を持ちまちょうよ!
 ……それに、何でも絶望に繋がるなら、普通に生活してもいいんじゃないでちゅか!?」

「強いて仮説を挙げるなら、絶対値だ。
 楽しみにしろ苦痛にしろ、その絶対値が大きいほどより大きな絶望に繋がるから、
 あいつはあえて自分に縛りをかけることがあるんだよ。
 音なしで歩けるのだって、障碍者の真似でもして、不自由な生活を味わったことがあるからかもな。
 今だって、本当は寝たまま目も使えるが、苦痛と達成感を味わいたいから、あえて使わないだけかもしれないぞ。
 まぁ、お前の魔法による模倣とやらに気付いていて、これ以上サンプルを取らせないために、
 目を使った状態を見せなかったっていう合理性も考えられるがな。
 ……そもそも、お前がこうして俺と話していることは、あいつに気づかれてないのか?」

「今、あちしは江ノ島さんの夢ではなく、苗木君の精神世界にいまちゅ。
 扉がいっぱいあって、色んな人の夢に繋がってる場所なんでちゅ。
 ここから魔法を使っているので、きっと江ノ島さんには気付かれていまちぇん!
 少なくとも、会話の内容までは分からないと思いまちゅ!」

「そうか」

「そうでちゅ」

「で、あいつに内緒で話せるのは分かったが、これ以上何を話すんだ? そもそも話すのが目的なのか?」

「ほわわっ? おっとっ、忘れてまちた!
 江ノ島さんがどっか行ってしまってゲームも進みまちぇんから、
 この間に、苗木君の単位のために動こうと思ってるんでちゅ。
 松田君! どうか、苗木君の体を教室に連れていってくだちゃい!」

 続けて、ウサミは連れていって欲しい教室の名前を言う。
 どうやら苗木がウサミに教えたようだ。
 神経科学研究所のある生物学棟からは少し遠い建物にある教室であった。
 そのため、松田は憮然とした顔でこう答えた。

「断る」


「ど、どうしてでちゅかー!?」

「無駄なことはしたくないからだ。
 第一に、今から連れて行っても、遅刻にすらならないかもしれない。
 第二に、目の見えない奴が行ったところで、授業は受けられない。
 第三に、お前が授業を受けても、俺の研究は進まない。
 ……あいつが戻ってくるまで、ここで脳波を取らせろ」

「最後は無駄じゃなくて、要求でちゅっ!!」

「それにしても、不気味だな。
 口だけパクパク動かして赤ちゃん言葉を喋る男子高校生っていうのは」

「今は関係ないでちゅ! あと、喋ってるのは苗木君じゃなくてあちしでちゅ!
 あちしはモノミ! 魔法少女ミラクル★モノミ! ちょっぴりスイートなミルキーッ娘でちゅ!
 魔法少女に歳はないんで、どんな喋り方をしてもいいんでちゅ!」

「ま、どっちでもいいさ。俺はお前らを授業に連れて行くつもりはないからな。
 今、俺が優先するのは、あいつのリミッターを強化することだ。
 そのためには、多少なりともあいつと同じ事が出来るお前らの頭の中を調べるのが一番早いんだよ」

「むむむ……。
 リミッターがどういうもので、なんで必要なのかさっぱり分かりまちぇんが、
 決意は固いようでちゅね! しかし、あちしも退きまちぇんよ!
 わざわざ苗木君の口を借りる以上、あちしには苗木君の学業をサポートする義務があるんでちゅ。
 夢と魔法の世界に浸かり過ぎて、現実が疎かになるなんて、駄目人間の始まりでちゅ!」

 ウサミは勢いよく叫ぶ。
 苗木の腕を動かせるなら思いきり振り上げそうな勢いだ。
 しかし、その熱意は松田に通じない。

「この学園は駄目人間ばかりだから今更だな。ひとりくらい増えたところで問題ない」

「この学園はなんなんでちゅかー!?」

「紙一重の天才が集まる場所だな」

 松田は椅子に座ると、背もたれを後方へと倒す。
 そして、愛読雑誌『コミックポンポン』を開きながら、会話を続ける。

「ま、と言っても、後輩だからな……少しくらいは助けてやるさ。
 後で教師には俺から説明しとく。
 江ノ島盾子に巻き込まれたって言えば、偉い奴ほど納得するだろう。
 少なくとも、色々と事情を知ってる学園長は便宜を図るはずだ」

「そうなんでちゅか? 良かったでちゅね。苗木君」

「それにお前が歩けるようになっても止めたりまではしないな。
 勝手に歩いて、教室行けよ」

 松田はモニターに映る脳波へと視線を映しながら、そう言い放つ。
 どうやら研究に繋がるデータさえ残していけば、後はどうでもいいらしい。

「オーでちゅ! 頑張りまちゅ!」

 しかし、松田の態度はウサミにツンデレ混じりの応援だと解釈されたようだ。
 先ほどよりも気合の入った声で、ウサミは松田に返事をする。
 そして、ピクピクと苗木の手足をわずかに動かし始める。

「この足を動かすツボはこれでちゅ! ……ん!? まちがったかな……」

 しかし、苗木の足はビクリと痙攣するだけだ。それ以上は動かない。
 もしかしたら、足がつったのかもしれない。
 ウサミは一度息を吐き、休憩を取る。

「ふぅ……。ゆっくり頑張りまちゅ」

「……そうしておけ」


◇◇◇

 その頃、戦刃の出席していた授業はが0分の休憩に入る。
 すると、多くの生徒の視線が一点に集中した。
 もちろん、その一点とは戦刃である。

 周囲の視線を気にするように、78期の女性陣が小声で戦刃に話しかけ始めた。
 先陣を切ったのは、朝日奈であった。

「……戦刃ちゃん?」

 それに対して、あっさりと戦刃は答えた。

「ん? 何? ……って、あ!?」

 しかし、自分が江ノ島盾子の代理であることに気付いたのか、即座に否定を始める。

「や、やだなぁー朝日奈。あたしとお姉ちゃんを間違えるなんて。マジショック~」

「え? だって?」

「最近、ダイエットにブートキャンプ始めたんだ……。
 お姉ちゃんと重なって見えるとしたら、そのせいじゃない?」

「そ、そうかな?」

「そうだよ。当たり前じゃん」

 朝日奈は首をひねる。

「私が間違ってるのかな?」

「それはないぞ、朝日奈よ」

 謎の勢いに飲み込まれつつあった朝日奈に対して、大神が冷静な意見を口にする。

「よくは分からぬが、戦刃は何があっても自分が江ノ島ではないと認めるつもりはないようだ」

 すると、まるでそれに賛同するように、江ノ島が言葉を差し込む。

「え? なんのこと? あたしが江ノ島盾子じゃん?」

「………………」

 大神は目をつぶり、それ以上は何も言わなかった。
 そんな2人のやり取りを見て、腐川が妥協点となるものを口に表す。

「……それならもう放っておけばいいんじゃないの?」

 腐川の言葉を聞き、戦刃を除く女性陣(+山田)が顔を見合す。
 そして、同時に頷く。
 このままでは埒が明かないため、授業終了までは何も言わないことにしよう……と、コンセンサスが取れたのである。

 しかし、そんなクラスメートの行動に対して、戦刃は笑顔で絡んでいく。

「なになに? みんなで分かったような顔して頷いちゃって。
 あたしにも教えてくんない?」

「うーん……ここまで来るとプロ根性に似たものを感じます」

 ある意味徹底された戦刃の態度に舞園が感心の声を上げた。
 そして、その言葉は全員の共感を得られたのだろう。

「「「「「「………………」」」」」」

 誰もその言葉にツッコミはいれず、戦刃の言動をスルーし始めた。
 ついに、ひと時の平穏が訪れたのである。

 だが、その平穏は長く続かなかった。

「え?」

 誰かが困惑の声を上げた。

「……江ノ島さん?」

 扉へと目を向けた何人かの囁き声が周囲に伝わっていく。


「ほ、本物だ……」

 本物の江ノ島盾子が教室に現れたのである。
 彼女はサングラスをかけていたが、周囲の人間は容易に彼女こそが本物の江ノ島盾子だと判断できた。
 偽物と良く似た髪型と服装でありながら、偽物とは比べ物にならない華々しさを持っていたからだ。
 偽物とはメイクもスタイルも大きく違っており、どう考えても、彼女の方が≪超高校級のギャル≫であった。

「………………」

 江ノ島は周囲の視線を釘づけにしながら、ゆっくりと歩いていく。
 すらりとした足が柔らかな筆のように床を滑り、戦刃の席へと江ノ島を連れて行った。
 そして、戦刃の数歩前でピタリと止まる。

 ピタリと足を止めた後、江ノ島は冷ややかにこう口にした。

「誰? アンタ?」

「え?」

 戦刃がポカンと口を開く。
 しかし、江ノ島は気にせず、そのまま言い放つ。

「困るんだよね。最近、アンタみたいに形だけ真似ればアタシになれるって思ってるやつが多くてさ」

「いや、だって……」

「ほら帰った帰った」

「えー……」

 江ノ島は扉を指差し、退室を促した。

「盾子ちゃんが言ったのに……」

 戦刃はしょぼんとした様子で歩いていく。
 そして、扉を開き、教室の外に体を出し、扉を閉め始める。
 しかし、もう少しで閉まるというとき、扉のわずかな隙間からそっと顔を出す。

「せ、せめて……一緒に授業を」

「ハウス!」

「イエッサー!」

 ぴしゃりと扉を閉め、戦刃は廊下を駆けて行った。

「さて……」

 残された江ノ島は教卓に向かって歩き始める。
 教卓にはポカンと口を開けた講師が立っていた。
 そんな講師に対して、江ノ島は朗らかな笑顔を向ける。

「いやー。ごめんなさーい! 知り合いと話してたらすっかり時間を忘れてました~。
 次回から気を付けまーす! 今回は遅刻でかまわないんでー。
 ん? 遅すぎるから遅刻じゃなくて今回は欠席扱い? ま、仕方ないかー。次回からでも巻き返せるしねー」

 理屈をこねれば、欠席ではなく遅刻に持ち込むことも出来るのだろうが、
 江ノ島はそれ以上粘ることもなく、無難に会話を終わらせに行く。

「……え? さっきの人? さぁ、誰なんだろ?
 いやいや、考えてよセンセー。普通に考えて、あんな人を代理にはしないってー」

 他の人に聞こえるように、わざわざ大きめの声で江ノ島は話をしていた。
 どうやら、江ノ島は出席より、戦刃の代理にした過去を消すことを優先したようだ。

「じゃあ、そういうことでー」

 江ノ島は教卓から離れ、78期生が座っている場所へと戻ってくる。

「ふぅ。疲れたー。あんな見知らぬコスプレ女がアタシの名前を騙るなんて不思議なことがあるわね。
 ……それにしても、みんなもどうしたのさ?
 もしかして、アタシがあいつに代返を頼んだと思った? マジありえないって!
 けど、まぁ、あそこまで意味不明だと、何か深い理由があるような気がしちゃうよね」


「そう……ですか?」

「そうそう」

 舞園が首を傾げているが、江ノ島は気にせず断言する。
 他の学生ならともかく78期生は戦刃とも面識があるため嘘などすぐに分かるというのに、
 江ノ島の言葉は妙に力強い。
 だから、その力強い言葉を受けて、舞園以外の者もあえてそれ以上追及しようとしなかった。
 端(はな)から異論を撥ね退ける気満々であることが分かったからだ。

 そんな江ノ島の態度を傍から見て、山田は心の中でこう呟いた。

(この会話の強引さは本物も偽物も変わりませんなぁ……。
 やっぱり2人は姉妹なんだって思いました、まる)

 それは何人かの心を代弁していた。
 今日の山田は様々な人間の代弁者であった。

(……しかし、これで今度こそ一件落着ですかな。………………おや? 
 こ、ここまで静観に徹していた霧切響子殿が動き始めましたぞ!)

 いつの間にか、霧切がそっと立ちあがっている。
 手にはペンライトが握られており、無言のまま、その光を江ノ島の目に向けていた。
 サングラスの隙間から目に当たるように、念入りに角度を調整し、光を照射したのだ。

(えー!? 嫌がらせですかー!?)

 山田は声なき声を上げる。
 山田だけでなく、その場にいる誰もその意図を読み取ることが出来なかった。
 サングラスをかけている相手の目にペンライトを向け、反応を確かめたことのある人間など、
 この教室にはいなかったのである。

「………………」

 光を当てるだけ当てると、霧切は思案顔になる。
 その顔は探偵としての顔である。
 そして、しばらく何かを考えた後、江ノ島に近付いて、こう尋ねた。

「あなた、寝ているわね?」

「あら、よく分かったわね」

 それは小さな声であったため、近隣の席に座る者しか聞こえなかった。
 しかし、あまりに予想外なその問いは、聞いた者に激しい動揺をもたらした。

(なんのこっちゃ!? 背筋を伸ばしてきちんと座ってますぞー!?)

 本当なら口に出して叫びそうなところを堪えて、心の中で山田は叫ぶ。
 他の78期生も同様なようだ。ひそひそと彼女達は話す。

「なぞなぞでしょうか?」
「暗号かも」
「2人の間にだけ通じる符号ということか?」
「い、言い間違いじゃない?」
「ブラフかもしれませんわよ」

 しかし、周囲を置いてきぼりのまま、2人の会話は進む。

「苗木君が返事を出来ない理由も、あなたが遅刻した理由もなんとなく分かったわ」

「そう? ま、きっと想像通りだと思うわ」

「今、苗木君は松田先輩のところにいるのね」

「そうね。今頃、松田クンに寝顔でも見られてるんじゃない?」

「ハァ……」

「何か文句があるなら、アンタも夢の中に入ってくるのね」

「そうね……。あなたが何を企んでいるかは知らないけど、このままにはしておけないわ。
 ……と言っても、一応、保険はかけさせてもらうけど。ハァ……」

 霧切は手にした携帯のメール送信ボタンを押した。
 あて先は、学園長や十神など江ノ島の本性を詳しく知っている者だ。
 最悪、自分が失敗しても、江ノ島を拘束するように頼んだのである。
 ちなみに、先ほどの「ハァ……」というため息は、父親にメールを送信せねばならないことに対する嘆きである。


「あと、これ」

 次いで霧切はハンカチを取りだし、それを江ノ島の口に素早く当てた。

「……予想内よ。これで現実じゃなくて夢に専念できるってもんね」

 しかし、江ノ島は抵抗することなく、それを受け入れ、直後、脱力する。
 どうやらハンカチには麻酔か睡眠薬が染み込んでいたようだ。
 もしかしたら、先ほど保健室で入手した薬を溶かしておいたのかもしれない。

「効き目良すぎないかしら? ……まぁいいわ」

 続けて、霧切は席に戻り、安楽椅子に座る探偵のように足を組み、
 考え事でもするように頬杖を突いた。
 そして、その上で、ハンカチを自分の口に当てた。

「………………」

 そして、やけにスタイリッシュなポーズのまま眠り始める。

 それを見て、再び山田が心中でツッコミを入れた。

(……まったくもって意味が分かりませんな)

 あまりにも淡々と事を進めていたため、霧切を止めるタイミングを誰もが忘れていた。
 今も、ほぼ全員が無言のまま目をしばたかせている。
 数少ない例外はひとりだけ――セレスである。

「まずいですわね……。このままだと、苗木君が勘違いに気付いてしまいます。
 気づかれたら、三者間による休戦協定が……。わたくしの本名が……。
 …………………………………仕方ないですわね。
 苗木君も懲りずにトラブルに巻き込まれているようですし、ここは恩を売る方針に切り替えましょう」

 セレスは誰にも気づかれないように、損得勘定を行い、ある結論を導き出した。

「山田君……。そのハンカチをこちらに持ってきてくださらない?」

「は、はい? なんでですかな?」

「気になさらないで」

「はぁ……まぁいいですが」

 山田は疑問を口にしながらも、霧切の持つハンカチを摘まむ。
 そして、そのままセレスに手渡す。

「ご苦労様」

 セレスはにっこりと笑う。
 そして、その笑顔のまま、右手に持ったハンカチを勢いよく山田の顔に押し当てる。

「むぐぅ……!?」

 山田の鼻腔を強い薬の臭いが侵す。

(い、意識が。……頭がボーっとしていきますぞ。あぁ――さようなら世界。また会う日まで)

 ドスンと……山田の巨体がそのまま後ろへと倒れ込む。

「さて、では、わたくしも…………」

 その様子を見届けたセレスは、すっと背筋を伸ばし、膝元に両手を重ねて置く。
 両足は、膝から先が斜めに揃えられており、さながら深窓の令嬢のような上品な座り方である。

「これでよいでしょう」

 セレスは、自分の座り方に不備がないことを確認すると、
 右手で持っていたハンカチを素早く自分の口へと押し当てる。
 そして、即座にハンカチを置き、再び右手を所定の位置に戻す。
 すると、そのままセレスはポーズをほとんど崩さず、首を人形のようにわずかに傾け、眠りに落ちて行った。
 これまた妙にスタイリッシュな居眠りの開始である。


「えー……」

 朝日奈が困惑の声を上げる。
 目の前でクラスメート達がいきなり電波な行動を取っているのだから無理もない。

「な、な、何よ、これ…………。む、昔、あたしがいたクラスみたいね。……学級崩壊寸前の」

 腐川がそう零すのもまた無理はなかった。

 舞園、朝日奈、大神が4人を揺さぶって起こそうとしているが、効果は少しも現れない。
 頑なという表現が使えそうなほど、彼女たちは深く眠っていた。

 そして、そんな彼女達の様子を見て、周囲の予備学科生らは熱心に携帯電話で何かを打ち込んでいる。
 SNSに投稿したい内容が山ほどあるのだろう。

 教師は休憩の終わりを告げるべきか悩んでいる。
 あまりにも生徒達に落ち着きがなく、少し様子を見た方が良いのではないかと考えていた。

 だが、そのときである。
 場の混沌を抑えられる人物がやってきた。



「失礼するよ」

 霧切仁――希望ヶ峰学園の学園長である。

 彼は教室の前、教卓に近い扉を開き、中に入ってきた。
 霧切響子のメールを読んでから来たにしてはやけに早い。

「あぁ。聞いたとおりの騒ぎだ」

 実は、メールを読むより前に彼は動いていた。
 一部のSNSや掲示板で、偽江ノ島盾子が話題になっているという情報がもたらされていたからだ。

 そして、教室の様子を見まわすと、講師に向かって告げる。

「先生、78期生は私が連れていきましょう。
 何が理由かは分からないが、授業どころではなさそうだ」

 そして、二言三言、話を続けたうえで、次のように締めた。

「もし事情を聴いたうえで、納得できる理由がない場合は、反省文を提出させます。
 場合によっては、この授業の履修も取りやめさせましょう」

 〆の言葉は講師以外にも聞こえるように、霧切仁は喋った。

 生徒の何人かがSNSで実況まがいのことをしていることに、霧切仁は気づいていた。
 そのため、本科生であっても、問題行動を取れば、罰せられる可能性をあえて示唆したのだ。
 本科と予備学科の間に大きな壁があることは衆知の事実であるが、
 それでも、ある程度の公平性が保証されていないと、不満は溜まり、いつか爆発するかもしれないからである。

「それでは――」

 霧切仁は78期生のもとに向かう。
 そして、霧切響子をおぶると、起きている生徒4人に声をかける。

「すまないが、江ノ島くん、ルーデンベルクくん、山田くんを運んでくれないかな?」

「……承知いたした」

 大神は山田の巨体を軽々と持ち上げ、肩に担ぐ。
 さすがと言わざるを得ない手際である。
 すると、大神に続くように朝日奈が江ノ島の体を抱きかかえる。

「うん、軽い! これなら楽勝だよ!」

 アスリートとして鍛えている朝日奈にとっても、霧切仁の頼みは容易なものだったようだ。
 そんな2人の体育会系を見て、腐川は戦慄(わなな)く。

「あ、あ、あたしには無理だからね。あたしは文科系だし……」


 すると、舞園もまた困ったような顔で腐川の言葉に反応する。

「私もひとりじゃ難しいですね。あ、そうだ……一緒に運びましょうか?
 私が上半身をおぶるので、後ろから少し支えてくれれば……」

「そ、それならなんとかなりそうね……」
 
 舞園がセレスをおぶり、その後ろから腐川が支える。

「い、意外と余裕そうじゃない……。べ、別にあたしいらないんじゃない?」

「いえいえ、全然余裕じゃないですよ。きっと、腐川さんの支え方がうまいんですよ」

「ふ、ふん、ど、どうだか……か弱さアピールのぶりっ子PRだったら許さないわよ……」

 こうして、寝ている者が全員誰かの手によって持ち上げられた。

 そして、そのことを確認すると、霧切仁は教室の後ろの扉へと向かっていく。

「それでは他の生徒諸君は学業に打ち込んでもらいたい」

 霧切仁はそう言い残し、扉から外へと出て行った。
 続けて、大神、朝日奈、舞園、腐川が出ていく。

「すまぬ。仲間が迷惑をかけた」
「ごめんね!」
「申し訳ありませんでした」
「………………」

 各々の形で謝意を表しつつ、彼女達はそのまま姿を消した。

 そして、彼女たちの姿が見えなくなると、残された者達が一斉に騒ぎ始めた。
 もはやSNSだけでは我慢できないほど、誰かと話したくてしょうがなかったのだろう。

 講師が大声で授業再開を知らせるまで、その喧騒は続くこととなった。

今日の投下は以上です~

そのままだとピンポイントで意味を読み取れなさそうな誤字があったので修正

>>327
その頃、戦刃の出席していた授業はが0分の休憩に入る。
⇒その頃、戦刃の出席していた授業が10分の休憩に入る。

明日更新します


◆◆◆

 夢の世界に7人の江ノ島が再び現れる。

「お待たせー苗木。ボーっとしてる暇はないわよ」

「あ……お帰り、江ノ島さん」

 江ノ島(リーダー)に対して、苗木がぼんやりと返事をする。
 目じりに僅かな涙が見える。どうやら待っている間、眠気に襲われたらしい。
 扉にもたれかかり座っている状態でうとうとしていたようだ。

(ウサミ……。江ノ島さんが帰ってきた)

 立ち上がりながら、苗木はテレパシーでウサミに話しかける。

(分かりまちた! 今、行きまちゅ!)

(口と手以外は動いた?)

(無理でちた……。……ごめんなちゃい)

(ご、ごめん。責めてるわけじゃないんだ)

 ウサミは扉の中に入ったまま、苗木の体で色々と試していた。
 しかし、大きな成果は上がらなかったようだ。
 つまり、現実世界を通じて助けを求めることは、まだ出来ない。

「別に……助けを呼ぶ必要はないですよ……」

 苗木ががっかりした顔をしていることに気付いたのだろう。
 きのこを生やした江ノ島(ダウナー)が静かに挑発的なことを告げる。

「……一番事情に詳しくて頼りになりそうな霧切さんは呼んでおきましたから……。
 それに……体を動かせたところで……どうせ…………どうにもなりませんよ……」

「え? 霧切さんが来るの?」

「はい。私が問題を起こしてることに気付いて……それが夢に関係してると推測したみたいです……」

「さすが霧切さん……!」

「やったねぇ! 苗木クン! 仲間が増えるよー!」

 江ノ島(ぶりっ子)がウインクして合いの手を入れた。
 そして、さらに続ける。

「ところで、わたしってなんのために霧切さん呼んだんだろ?」

「は?」

「なーんてね。それはね苗木クンとゲームするのに飽きたからだよっ!」

「う、うん?」

「そもそも何で苗木クンとゲームなんかしてたんだろうね。
 苗木クンの夜ご飯とかどうでもいーよね」

「いや、たしかにそうだけど……。
 え、なんなの? ボクが悪いの……?」

「ということでぇ、ここからは霧切さんに代打ちでもしてもらうから」

「……ボクはいいけどさ」

 そもそもゲームを止めるという選択肢はないのか? と苗木は不満に思う。
 しかし、その不満は江ノ島に届かない。

「じゃ、そろそろ出迎えようっか。苗木以外が夢に入るときは空から落ちてくるんだっけ?」

 江ノ島(リーダー)はマイペースに話を進めていく。

「じゃあ、一緒に待ちましょうか。霧切をさ」

(……この状況。霧切さんに呆れられるんだろうな。……って、あれ?)


 クールビューティーな霧切が無言で自分を見つめる姿を想像し、
 弱ったような顔をしていた苗木。しかし、そんな彼の視線が一点に集中した。
 そして、苗木と同様の疑問を覚えたのだろう。江ノ島もまた声を上げる。

「あれ、霧切じゃなくない……?」

 そして、この声を合図に空からある人物が落ちてきた。

「のおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!?
 助けてー! ぶー子おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 マゼンタカラーに輝くオーラを纏い、山田一二三が隕石のように流れ落ちてきた。
 直後、巨大な音が響き、土煙が舞う。
 そして、土煙が収まると、そこには大きなクレーターが存在し、その中央に山田が立っていた。

「どういうことー!? 一体如何なる神の手ですかー!?
 美少女が落ちて来るんじゃなくて、僕が落ちるって何も分かってねぇぞー!?」

 どうやら彼は大分混乱しているようだ。
 しかし、それと同様以上に混乱している者がいた。

(山田クン!? どうして!? え!? 霧切さんの変装!?)

「どうかしたんでちゅか!? 今の音は何でちゅか!?」

「う、ウサミ、たいへんなんだ……。霧切さんじゃなくて山田クンが落ちてきた!」

 扉の中から出てきたウサミが困惑で首を傾げる。

「山田君でちゅか……。たしかに山田君でちゅね。……って、あれれ? 山田君の夢に入りまちたっけ?」

「入ってないはずなんだけど……。えっと、あれ? 人の夢に入るときも姿変えたりできるの?」

「いえいえ、そのとき認識してる自分の服になるはずでちゅよ」

「へ、へぇ……」

 苗木の表情が引きつる。ある事態に気付いたからだ。
 そして、苗木があり得ない勘違いをしていたことに、勿論、この人物も気づく。

「苗木さー。もしかして山田の夢を霧切の夢だと勘違いしたの?」

「う……」

 江ノ島(リーダー)が白けた顔を向けていた。

「はぁ……。霧切に代打ちとして苗木をボコってもらう予定だったのに」

「…………霧切さんをボクの代打ちにするつもりだったんじゃ?」

 山田から視線を逸らしつつ、江ノ島の言葉に食いつく苗木。
 動揺しながらも――あるいは動揺していたからこそ――江ノ島の発した不穏な言葉を聞き逃さなかったようだ。

「そんなはずないじゃん」

「だって、仲間が増えるって……」

「仲間って叩き合って友情を深めるものでしょ?」

「い、いや、それは違うよ!」

「ま、どちらにせよ。今は関係ないし。苗木も現実逃避せずに重要なとこ考えたら?」

「う……」

 苗木は山田に再び視線を戻す。

「山田クン……? キミは本当に山田クン?」

「それはこの山田一二三という名が仮初めのものでないかということですかな?
 答えは否! 全ての始まりにして終わりなる者という二つ名こそあれど、僕は僕。
 全能なる同人作家山田一二三ですぞ」

「アバターとかじゃなくて?」

「はて、なんのことやら……?
 それにしても、苗木誠殿……ここはどこですかな? ホラーゲームを彷彿とさせる光景ですが」


(あ、本当に山田クンだ……。……ど、どういうこと?
 え、もしかして、あの夢、山田クンの夢? そんな馬鹿な!?
 だって、あの夢の中で、霧切さんは――――――いなかったな。
 ……お、落ち着いて考えよう。あの状況を。
 いつどこで誰が何をしていたか……?
 12月の終わり、コミケ会場で、山田クンが、同人誌を買ってた。
 ――うん。……どう考えても、山田クンだ。山田クンの夢だ。
 コミケ会場を案内出来て、萌語りまで出来る霧切さんとかいるわけない!
 じゃ、じゃあ、いったいどこで山田クンの夢に間違って入ったんだろ?
 そ、そうだ! たしか、山田クンは……午前中から眠たそうにして、ついさっきもあくびをしていた。
 つ、つまり あのタイミングで山田クンが眠っていたんだ!
 …………い、いや、落ち着こう。もっと落ち着いて考えよう……。結論を出すのははやい。
 夢と現実で『お姉さま』が繋がってるんだから、まだ可能性は残ってるはずだ。
 もしかしたら、霧切さんがこの状況を読んで、仕込んだのかもしれない。
 霧切さんなら変装の一環で役になりきるくらい出来るかもしれない……)

「な、苗木誠殿! 江ノ島盾子殿が7人に増えてますぞ!?
 ほとんど容姿の変わらない7つ子とかニッチすぎるジャンルですな。エロゲなら手抜きを疑われますぞ!」

「霧切さんはこんなこと言わない!」

「はい?」

 苗木は自らの致命的な勘違いに気づいた。

(……なんで霧切さんの夢って思ったんだろう? 霧切さんの要素がゼロだったのに)

 正しいと思っていた出来事が、霧のように形を失い、意味を失っていく。
 繋がっていたように見える事象も、そのスタート地点が間違っていればゴールにはたどり着かない。
 ゴールだと思った場所で振り返ろうとも、そこには何もないのだ。

(うわあ……。霧切さんにどう説明すればいいんだろう?)

 まるで初デートで待ち合わせ場所を間違えたカップルの片割れのように、
 苗木は頭を抱える。機嫌を損ねるのはもはや必須であった。
 激怒することはないかもしれないが、拗ねるくらいは覚悟したほうが良いだろう。

「………………」

「アタシもビックリね。マジでこれは予想できなかったわ。」

 愉しげに笑う江ノ島(リーダー)。
 それに対して、頭痛を抑えるように頭を抑えながら、苗木は答える。

「ボクもだよ……」

「いやいや、それはどうなの?」

 江ノ島(リーダー)が視線を斜め上に向けて、髪の毛を撫でる。

「……ま、もうこれでいっか。よし、山田!」

「はい?」

 未だ夢の世界に慣れない山田が上ずった声で返事をする。

「えっと、なんですかな? 江ノ島盾子A殿? そもそもここは……」

「アタシの代わりを頼んだ」

「へ? だからここは……」

「ゲームはとりあえず娯楽室にあるやつでいいかな。
 オセロ、ビリヤード、ダーツとか……他のでもいけどさ」

「ここは……」

「苗木に勝ったら、この等身大ぶー子像あげっから!」

「喜んでやらせていただきます!」

 ポンっという音を立てて、等身大のぶー子が現れた。
 マゼンタカラーの衣装が白黒の世界ではよく目立つ。
 しかも、まるで生きているかのように、手を振って、山田に媚を売る。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーー!!」

 それを見て、山田が空手に似た構えを取り、雄たけびを上げる。
 状況にとまどっていた山田の姿はもうそこにない。
 滾る欲望が危機意識を上回った様ようだ。

「ぶー子おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
 俺だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!
 結婚してくれええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!」

「や、山田クン。ここは夢の中だからあの像をもらっても現実には持ち帰れないよ」

「夢じゃねえええええええええええええええええええええええええええええええええ!!
 ぶー子はここにいるんだああああああああああああああああああああああああああ!!
 たとえ、形がなくなろうとも僕の頭の中に生き続けるんだあああああああああああ!!
 ぶー子! ぶー子! ぶー子! ぶー子! ぶー子! ぶー子! ぶー子! ぶー子!」

(ダメだ。これ……)

「ではッ!! ボクはビリヤードを希望いたしますぞ!
 各種オフ会で磨いたキュー捌き、今ここでお見せ致しましょうぞ!」

(完全に本気だ……)

 体型に似合わず、山田はビリヤードが上手いのだ。
 プロ級とまでは言わないが、苗木との間には明確な力量差があり、
 十中八九、苗木は負けるだろう。

「苗木クンも頑張れー。まぐれを起こせば勝てるかもよ。
 ≪超高校級の幸運≫なら可能性あるんじゃない? うぷぷ……」

 モノクマが腹を抱えて笑う。どうやら苗木を煽っているようだ。

「ムリゲーから運ゲーになったね。どうすかどうすか? 勝ち目ありそうっすか?」

「ないかもしれないけど……やるからには頑張るよ」

「頑張ってくだちゃい! 苗木君! あんな煽りに負けちゃいけまちぇん!
 イカサマさせないために、ビリヤード台と道具はあちしが魔法で用意しまちゅね!」

「……うん、お願い。ウサミ」

「苗木クンもウサミも心配性だな~。ボクがそんなことすると思う?」

「思う」「思いまちゅ」

「およよ……。ボクに対する信頼がない? ひどいなぁ~」

 わざとらしく落ち込んだ様子を見せるモノクマ。
 すると、その様子を見ていた江ノ島達が次々と慰めの言葉を口にする。

「かわいそうなモノクマ!」
「……モノクマが……いったい……何をしたというんでしょう……?」
「やだっ! これがきっとクマ差別ってやつだよぉっ」
「ひでぇなーっ! 差別は止めろよ! 許ささねーぞ!」
「差別はいつだって平凡な人間が起こすんだね。ガッカリだよ。苗木クン」
「苗木クンには弁明する義務が存在しますね」
「私様が裁いてあげましょう」

「その茶番もういいから」

「「「「「「「うぷぷ…………」」」」」」」

 苗木は呆れたように話を打ち切った。
 そして、すぐに山田に向き直る。

「……ゲームを進めないと夢から出られないらしいから、とりあえずゲームしようか?」

「……何やらたいへんそうですな。しかし、ぶー子のために僕も負けられませんのであしからず!」

「……ボクも夜ご飯がかかってるから頑張るよ」

「ゆ、夜ご飯ですと? それって現実で罰ゲームを履行しなければいいんじゃないですかな?」

「いや、確かにそうなんだけど……どうせやるなら勝ちたいし。約束を破るのもちょっと……」

「うーむ。苗木誠殿らしいといえばらしいですが、そういうことなら、ますます遠慮もいらないですな。
 もっとシリアスな理由があるなら、一考の余地がありましたが、やはり、僕はぶー子を優先しますぞ!」


(……しまったな。上手く言えば、手加減してくれたのか?
 それにしても、山田クン、この世界に対する適応が早いな。異世界みたいなものなのに……。
 ……いつもこういう妄想してるのかな?)

「僕の真の力をお見せしますから 負けたときはさすがですって言っていいですぞ」

「ははは……」

「この胸で受け止めてあげますので、ドーンッと来てくだされ!」

(胸にぶつかる前にお腹にぶつかりそうだな……。けど、そう言うなら……!)

 苗木は苦笑しつつも、楽しげに口元を曲げる。
 山田相手のゲームは江ノ島相手のゲームより楽しめそうだからだ。
 たとえ、夕食抜きという同じ結末に至ろうとも、江ノ島相手のような理不尽な過程にはならないだろう。
 そう考えれば、山田の言うとおり、胸を借りるというのも悪くない。

「じゃあ、始めようか。ナインボールでいいよね?」

「いいですぞ。ちなみにハンデは必要ですかな?」

「貰えるなら貰いたいけど……いいの?」

「コーラを奢ってくだされば、その量に応じて考えますぞ」

「げ、現金だな……。じゃあ、まぁ自販機ので一本で」

「ふむ……。それでしたら――」

 そこそこ和やかに話は進みそうであった。
 あまりに和やかであるため、江ノ島達があくびをしているくらいだ。
 山田に任せてはみたものの、特にドラマが生まれそうにないので飽きたのである。

 もはや、惰性でゲームが消化され、夢が終わる流れであった。

 しかし、そのとき、賭け事・勝負事の場面に呼んではならない者がやって来た。



「甘いですわね。ものを賭けるということは命を賭けると同義……。
 そのような半端な覚悟でやってもらっては困りますわ」



 ゴスロリ服をその身に纏うギャンブラー、セレスティア・ルーデンベルク――本名、安広多恵子である。

「セレスさん!?」
「セレスさん!? また寝てたんでちゅか!?」
「セレスティア・ルーデンベルク殿!?」
「あ、セレスじゃん?」

 四者四様に驚きの声を上げた。

「苗木君……」

 そんな彼ら、特に苗木に対して、セレスは語りかける。
 静かだが、抑揚のついた力強い言葉であった。

「奪われるだけよろしいのですか?」

「え?」

「この中でひとりだけ何のデメリットもなく勝負に臨もうとする方がいらっしゃいます」

 チラリとセレスは山田に視線を向ける。

「もしや、僕のことですかな……?」

 山田は唖然といった様子で口を開けた。
 それを見て、セレスは再び苗木に視線を戻す。


「そもそも賭けるものが夕食というのもいかがなものかと……。
 そのようなものを賭けて何になるというのですか?」

「いや、そもそも賭けたくて賭けてるわけじゃ……」

「言い訳はけっこうですわ。賭けることには変わりがないでしょう?
 やるからにはそれ相応の対価を相手に吹っかけるのです。
 清く適応するだけでなく、漆黒の意思をもって相手を食い殺すのですわ」

「こ、怖いよ」

「まぁ、失礼ですわね。わたくし、苗木君の味方として精一杯の助言をさせていただいてますのに……。
 わたくしがここまで誰かのためになることを申しますのは珍しいことですわよ?」

「み…かた?」

「えぇ……。わたくし、苗木君に助太刀するつもりで眠りにつきましたの。
 大切な授業の最中に……。そもそも山田君をここに送り込んだのもわたくしですし」

「え?」

「やはり、違和感がありましたので。あの夢が霧切さんの夢であったということに。
 だから、念のため、山田君を眠らせたのですわ」

「そ、そうなんだ。あ、ありがとう」

「だから、苗木君はわたくしに感謝しなければなりません」

「ん?」

「そして、ここでわたくしがゲームを代わりに行い勝利することに感激しなければなりません」

「え?」

「それでは、吹っかけ方を見せてあげますわ。成功したら、あとで報酬を頂きますわ」

「え……?」

 セレスが山田に近づいていく。

「山田君」

 それに対して、近づかれた山田の側は怖気づく。

「ひぃぃ……。何か最近、これに似たようなことがあったような……。
 すごい恐怖体験がががががが…………」

「夢の中だけの人形ではなく、現実世界でも欲しくはありませんか?」

「え、ど、どういうことですかな?」

「等身大ぶー子象を作るのに必要なお金を追加で賭けるのですわ」

「こ、この大きさで精巧なフィギュアを作ろうと思ったら、たいへんな額がかかりますぞ!?」

「山田君は≪超高校級の同人作家≫でしょう? それくらいのお金なら持っているはずですわ」

「苗木誠殿が困るかと……」

「苗木君のお金はわたくしが肩代わりしましょう。」

「そ、そうは言っても乗れませんぞ。さすがに大金をかけるのはちょっと……。
 ママに酒とタバコとギャンブルにははまるなと言われておりますので……」

「……それなら、互いのプライドをかけませんか?」

「プ、プライドですと?」

「負けた場合、互いに1日だけ絶対服従を誓うのです。
 あなたが勝てば、苗木君を好きなように……。
 あなたが負ければ、苗木君に好きなように……」

「ちょ、誰得ですかーッ!?!?」

 山田の叫びにセレスは動じない。
 苗木もまた「ボクもそれはちょっと……」と言ってるが、気にしない。


「それではどうなさいます? 代案は?」

「僕が決める流れですと!?」

「……何でしたら、山田君じゃなくて江ノ島さんに賭けていただいてもかまいませんわよ」

 埒が明かないと思ったのだろう。
 セレスは山田ではなく、その後ろにいた江ノ島達に視線を向けた。

「え、アタシ? いいけど?」

 セレスの視線と言葉に対して、江ノ島(リーダー)が軽い口調で了承した。

「お金よりは絶対服従の方が負けたときの絶望感高いから、その2択ならそっちで」

「はい、それでは決まりですわ。次のビリヤードで……。
 苗木君が買ったら、江ノ島さんを1日だけ命令を何でも聞いてもらえる。
 苗木君が負けたら、江ノ島さんの言う事を1日だけ何でも聞かないといけない。
 これで少しはやりがいのある賭けになりましたわね」

「待って!? 条件が悪化してない!?」

 苗木が叫ぶ。

「勝てば、これ以上ないくらい江ノ島さんに報復できますわ。
 ここまで色々やられたのでしょう?
 ……それに、この夢をはやく終わらせることもできますわ
 この夢から早く出たがっていたように見えたのですけど、勘違いでしたでしょうか?」

「たしかに……。いや、けど……」

「あとは勝てばいいのですわ」

「それが難しいんだよ!!」

「………………大丈夫ですわ。わたくしに考えがありますので」

 他の人に聞こえないように最後の一言をセレスは小さな声で告げた。
 それに対して、苗木は怪訝な目を向ける。

(本当かな……。セレスさんだしな……)

 苗木はジト目でセレスを見続けた。
 しかし、セレスは微笑むのみで、その心の中を見せることはない。

 そして、そんな2人を見て、江ノ島が「キャハハハ」と笑い、
 山田が「僕はもう蚊帳の外ですなぁ……。いちおう、苗木誠殿とビリヤードで戦うのは僕のはずなんですが」と呟く。

 和やかな空気はログアウトしてしまっていた。

今回はこれで終わりです
それにしても、最近初回書き込み時にトリップが上手くいかないときがありますね
黒いひし形が白いひし形になってます
トリップの中身が見えてしまわないか、羞恥プレイに似たひやひや感を覚えてしまいますな

明日か明後日に更新します

今夜中に10レス前後投下しますが日付変わってからになりそうです(今、見直し中です)


◆◆◆

「1セット先取がよろしいでしょう」

 ルールの細かい部分について、苗木と山田が話をし始めたとき、
 セレスがそう告げて、微笑んだ。



 ナインボールは、ビリヤードのゲームのひとつであり、
 基本的な進行は、キューと呼ばれる棒を使って、手球(てだま)を撞(つ)き、
 1から9までの番号が振られた的球(まとだま)にぶつけることで行う。

 ナインボールという名前のとおり、
 勝利の条件は、9番の的球をテーブルにある穴、ポケットに落とすことである。
 9番を落とすと1セットを取得でき、決められたセット数を先取できれば勝利となるのだ。
 そのため、1~8番は落とさなくても良い。

 しかし、キューによって手球を撞いて的球に当てるとき――この一連の流れをショットという――、
 テーブル上に残っている「手球はまず最初に最小番号の的球に当てる」いう縛りがあるため、
 他の的球が残っているなら9番がポケット付近にあろうと直接狙うことができない。

 また、手球を1番にぶつけ、1番をさらに9番にぶつけてポケットするのは禁じられていないが、リスクが伴う。
 手番の移動は、的球がひとつもポケットに落ちなかったとき、
 もしくはファウル(手球がポケットに入る、手球が最小番号の手球に当たらないなど)が発生した場合に起こるからだ。

 そのため、やみくもに9番を狙うのではなく、手番を失わないように、ミスなくショットを続け、的球と手球の配置をずらしていきながら、
 9番を直接もしくは間接的に落す機会を作り出すのがセオリーであると同時に最も求められる技能である。
 そのため、実力差がそのまま結果に反映されるゲームとも言える。

 そこで、実力差のある人同士では勝利に必要なセット数に差を設ける場合が多い。
 例えば、10セット先取で勝利のところ、片方は5セットで勝利……という形だ。

 慣習に習い、当初、苗木も山田から数セット分のハンデを貰おうと考えていた

 同一のセット数のままゲームを行ってしまうと、ゲームとして成り立たない可能性があったからだ。
 今、苗木達が使っている寄宿舎には、旧校舎3階にあるような娯楽室が存在し、
 クラスメート同士で遊ぶことがあるのだが、そこでの勝率は苗木より山田の方が明らかに高いのである。

 しかし、そこでセレスが異論を挟んだのである。

「1セットならば、誰にとっても不公平ではないですわ」

 どう考えても、山田にとって有利な条件だった。
 ゲーム的には公平であるが、賭け事としては不公平である。
 しかし、セレスは強気であった。

「……もちろん、運は必要ですし、運が公平だとは限りませんけど」

 なぜなら最初にショットする人はブレイクショットと呼ばれる特殊なショットをまず打たなければならないからだ。
 一ヶ所に集めた的球に向けて、手球を撞き、的球をばらけさせるのである。

 これによって的球と手球の初期配置はセットごとに変わることとなる。
 つまり、配置次第ではビギナーズラックによって、そのセットをもぎ取ることが出来るのだ。

「他のルールは前に娯楽室で行ったときと同じく。
 つまり、シュートアウトはなしですわ」

 シュートアウトというのはプロの試合でよく使われるルールであり、
 ブレイクショット後のショットで一部のファウルを免除するというものだ。

 プロ同士の試合はセット数を増やし、運の重みを下げることで、より実力を測りやすくするのである。

 しかし、セレスはそれらの要素を廃止することで、完全な運任せを選ぶべきだと苗木に忠告したのである。

「ざわ・・ざわ・・」

 それを傍から聞いていた山田は何かをつぶやく。
 しかし、直後、言い切る。

「同人世界で成功を収めるのには運も必要なのですからな……。
 苗木誠殿には悪いですが、まったく負ける気がしませんなぁ。
 セレスティア・ルーデンベルク殿……彼我の戦力を読み間違えましたな!」

「………………調子に乗らないでくださいます?」

「申し訳ございません! 豚めは黙っております!」


(なんだろうこれ……?)

 苗木は2人の会話を聞きながら、内心で首をひねる。

(結局、どうするべきだろう?
 セット数を増やして、ハンデを貰ってもいいんだけど……。
 ただ、そうしても勝てる気があまりしないな。
 絶対に勝てそうなハンデなら山田クン……と江ノ島さんが嫌がるだろうし。
 よし……じゃあ、いっそのこと……)

 考えた末に苗木は決断した。

「山田クンが良いなら1セットでやろうよ」

「ほう苗木誠殿、やはり、≪超高校級の幸運≫としては退けませぬか。
 ククク……いいでしょう。いざ尋常に勝負!」

(別にそういうわけじゃないんだけどな)

「乗ってくだされ! 苗木誠殿! 今日は朝から目が死んでますぞ!」

「ご、ごめん……! えっと……勝負だ! 山田クン!」

「行きますぞ! デュエル! スタート!」

「す、スタート!」

 そして、2人は先攻と後攻を決めるためにじゃんけんを行う。
 その気合の入った掛け声を聞いて、モノクマは「うぷぷ……男の子ってこういうの好きだよねー」と呑気に笑い声を上げた。
 本当ならバンキングと呼ばれるもので先攻後攻決めるのだが、娯楽室ではよく省略されていたため、今回も省略された。

「よし……勝った。ボクは先手を取るよ」

「ぐぬぬ……。まぁ、それが妥当でしょうなぁ……」

 意外なことに、苗木がじゃんけんに勝った。
 そこで、苗木は先攻を取る。
 ブレイクショットで自分にとって都合の良い配置が生まれ、
 山田に番を回すことなく、セットを取ることが苗木にとっての理想であった。
 後攻を取り、先攻の山田が9番以外のボールをあらかた落したところでミスすることを待つということも考えたが、
 やはり、実力差からすると敗北する可能性が高いという結論に至ったのである。

(ブレイクショットでうまくばらけますように……。
 できれば9番がそのままポケットに入りますように……)

 苗木は先攻として一つ目のショットを行う。
 集められた9つの的球に向かって、手球が転がっていく。
 そして、ボーリングのピンのように9つの的球は散らばり、
 クッション(テーブルの縁に付けられたゴム製の壁)にぶつかる。
 クッションによって跳ね返った的球はコーナーや他の的球にぶつかりながら、配置を形作っていく。

 そして、出来上がった形は――。

「あ、ダメだ。これは……」

 ポケットにいくつか的球は落ちたものの、
 1番の的球と手球の間に他の的球が壁のように立ち塞がっていた。
 これでは、まず最初に1番の的球に手球をぶつけることなど難しい。
 手球はファウルによる交替時など特殊な状況じゃないと、位置を動かしてはならないため、詰みに近かった。

「……もしかしたらと思いましたけど。
 やはり、奇跡は起きないものなのですわね。
 わたくしなら9番がポケットして、そこでゲーム終了でしたわ。
 勝負運がないとたいへんですわね」

 セレスが髪を弄りながら、ため息を吐いた。

「ただ、そうは申しましても、ここまでは予想通りですわ。
 苗木君。諦めずに頑張ってくださいまし」

「……頑張るよ」

 苗木はショットを行う。
 2つのクッションを利用して、コの字の形で手球を迂回させ、1番に当てようとする。
 しかし、手球は外れて別の的球にぶつかってしまう。


 それを見て、山田は笑う。

「ファウルですな。手球は好きな位置に置かせてもらいますぞ。
 ほほう。自分で置けるとなると、的球も中々良い配置ですな」

「うっ……」

 山田が手球を配置し直し、キューを構える。
 その体型に似合わない軽快さを感じさせるフォームで、山田はキューを動かす。
 すると、撞き出された手球が1番を落とす。
 そして、1番に跳ね返された手球は次の最小番号付近に移動する。
 次も楽々落とせそうであった。

「なにやら、セレスティア・ルーデンベルク殿には策がおありのようでしたが、
 残念ながら、それを披露する前に、この勝負は終えさせてもらいますぞ」

 山田は再びショットを行う。
 すると、今度は的球が2つポケットに落ちる。文句なしに上手であった。

(まずいぞ)

 先攻を取っていた事がむしろ仇となっていた。
 パッと見た限りでも、順番に落としていくのは容易な配置であった。

「この山田一二三に敗北の二文字はありませんぞ」

 そして、山田の手番は続く。


◆◆◆

「そーれそれそれお祭りですぞー」

 山田は手球を撞いていった。
 突かれた手球は危なげなく的球を弾き、ポケットさせる。
 1番、2番、3番とポケットは続き、手番も続く。
 そして、あっさりと残りの的球は9番だけになってしまう。

 あまりにも順調である。
 そのため、最後のショットを行う前に、山田はふと考えてしまう。

(うーむ……こんなにあっさり勝負がついていいんですかな? ちょっと悪い気もしますな)

 しかし、すぐさま思い直す。

(とはいえ、勝負は勝負。ぶー子のためにも勝たせていただきますぞ。
 苗木誠殿は罰ゲームですが、まぁ……本当に嫌だったら断るでしょう。いざとなったらノーと言える子ですし。
 所詮は口約束……魔法少女になる契約ではないから大丈夫に違いありませんぞ)

 夢に入ってから特に説明は受けていないが、
 漂う空気が深刻なものでなかったから、山田は平常運転で行動していた。
 聞きたいことは山ほどあったが、とりあえず場の空気に流されているのである。

(ある意味、空気読めてないのはセレスティア・ルーデンベルク殿だけですな
 ポケ●ンで小学生相手に本気出す大人みたいなものですぞ)

「山田君……」

「はいぃぃぃ!?」

「あら? どうかなさいました?」

「いえいえ、集中していましたもので。な、何でもないですぞ!」

「そうですの? まぁ深くは聞かないでおきましょう」

(危ない。心を読まれたかと思いましたぞ)

「それよりもお願いがあるのです」

「はい?」

「ちょっと手球をポケットに落としてくださらない?」

「イヤイヤイヤイヤ!? 何言ってるんですかね!?」

「山田君、山田君……」

「……はい?」

 そこでセレスは自分を指さす。

「わたくしはセレスティア・ルーデンベルク」

「はい」

 そして山田を指さす。

「あなたは山田一二三」

「はい」

 そして、ニッコリと笑う。

「つまり、そういうことですわ」

「どういうことですかー!?」

「いいから早く負けろや、このブタがぁぁぁ!!!」

「そういうことですねー!!」


 威嚇され、車のライトに照らされた狸のように縮み上がる山田。
 そんな山田に対して、セレスは優しげに微笑む。

「9番とは違う場所に向かって手球を撞くだけなので容易いことですわ」

「は、はぁ……」

 セレスの笑みは優しげではあったが、優しさから生まれたものではなかった。
 そんなセレスの笑みに山田は押されていく。思わず、ハンカチを出して汗を拭く程度には動揺した。
 しかし、そんな2人に対して審判であるモノクマが叫ぶ。

「オマエラー! こんなに堂々と八百長の相談するんじゃありません!
 世の大人がどんだけ八百長がばれないように苦労してると思ってるんだよ!」

「わたくしはお願いしているだけですわ。
 私語はルールで禁じられていませんし。勝つか負けるかは山田君次第です」

「汚いなー……! けど、嫌いじゃないよ、そういうの! オッケーオッケー!」

 モノクマが元気よく手を振り、万歳していた。
 思わず、苗木が「いいんだ!?」と驚いていたが、モノクマは万歳しながら話を進める。

「しかし、汚さなら負けないよ。なんたって実は審判のボクが江ノ島さんとグルなんだから! 驚きのクロさだろ?」
「ふっふっふ、驚いた人間? 私様とモノクマがグルだなんて?」
「…………驚いて声でも出ないようですね?」
「これが巧妙な汚い大人のようなやり方です。ご理解ください」
「うっしゃー。これで条件は同じだ。正々堂々と戦おうぜ!」
「それとも、正々堂々というより、悪々堂々とでも言った方がいいかい?」
「えー? どっちもいいってー?」
「それじゃ、話を進めましょうか」

 7人の江ノ島と1人のモノクマがわいわいと話しながら、山田へと近づいていく。

「ねぇ、山田?」

「は、はい、なんですかな?」

「アンタのぶー子に対する――

(わあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!
 でちゅううううううううううううううううううううううううううううううううううう!!!!
 それ以上聞いちゃダメえええええええええええええええええええええええええええええ!!!)

「うわぁ、なんですか!? 今、僕の頭の中で声が!?」

(聞いちゃいけないんでちゅううううううううううううううううううううううううううう!!!
 テレパシーなんでちゅうううううううううううううううううううううううううううううう!!!
 セレスさんから頼まれてえええええええええええええええええええええええええええええええええ!!
 江ノ島さんの言葉を聞かせないようにしてるんでちゅうううううううううううううううううう!!!)

「ぬわああああああああああああああああああああ!?
 頭の中でハウリングしちゃらめえええええええええええ!!」

(ご、ごめんなちゃい!! 一度切りまちゅ!!)

 ウサミの最大音量によるテレパシーを止める。

「はぁはぁ……ぜぇぜぇ……」

 しかし、山田はぜぇぜぇと息を立てて、喘いでいた。
 そんな山田の様子を見て、江ノ島達は唖然としていた。

「なに? テレパシー? 苗木とだけじゃないんだ?
 へぇ、さすがにそれは脳の使い方だけじゃどうにもならないかも。
 ウサミが苗木の頭の中にいるようなイメージだったけど、そうでもないんだ。ふぅん……。
 魔法の国はまだよくわからないわね」

 江ノ島(リーダー)はジッとウサミを見ながら言った。
 そして、つぶやく。

「これじゃアタシが何か言おうとする度に邪魔されちゃうね」

「はい、その通りですわ。ですから、わたくしだけが八百長の誘い……もといお願いをすることができるのです」

 セレスは江ノ島に対して、そう告げると、再び山田に話しかける。


「さらに言いますとね、山田君。ここで勝つより負けた方が得だと思いますわよ」

「え? な、なんですかな?」

「考えてみてください。
 江ノ島さんと苗木君。どちらの方が出来ることが多いかを。
 そして、江ノ島さんが苗木君に命令できる場合と、苗木君が江ノ島さんに命令する場合、どちらの方が面白そうか。
 さらに言いますと、苗木君と江ノ島さん、どちらの方が山田君に見返りを与えそうか……」

「むむむ……」

「想像を膨らませてみてはいかがですか?」

「………………」

 言われた通りに山田は考えてみる。

(想像……妄想……。言われてみれば、何でも命令を聞くなんて、
 ベタすぎて中々同人誌でも見ないシチュエーションですな。
 三次元だというのが残念ですが、これも二次元に還元できないことはないですからなぁ。
 創作におけるインスピレーションを刺激されそうですぞ。
 そうなると、今は、色々と協力してくれそうな苗木誠殿に協力した方がいい気がしますな。
 どうしてもという場合、苗木誠殿は土下座すれば折れてくれそうですし)

 先ほど、心の中で「いざとなったらNOと言える子」扱いしていたというのに、
 山田はあっさりと考えを変えた。

(実際のところ、薄い本展開にはならないのでしょうが、まぁ気分の問題ですな。
 なんでもする……良い響きですぞ。このシチュエーションについて考えるだけで原稿が進みそうですな。ぐふふ……。
 それに江ノ島盾子殿は絵も上手かったはず……。たまには自分以外の絵柄のぶー子も見たいですし、
 苗木誠殿を通して数時間だけでもアシスタントとして手伝ってもらうというのも……)

 元々それほど江ノ島に協力的ではなかった山田は打算的に物事を考え始めた。

 セレスの言動はある意味で、飴と鞭であった。
 山田を脅しつけることで動揺させ、そこに甘い言葉で付け込んだのである。

(しかし、僕にはぶー子が……)

(山田君、山田君! こっちを見てくだちゃい!)

(またテレパシーですか? 今度は一体なんですか……なっ!?)

 そこには等身大ぶー子像がいくつもあった。
 ひとつひとつが思い思いのポーズを取り、アピールしていた。

(うっはああああああああああああああああああああああああ!!!)

 山田が声にならない声を上げる。

(ここで苗木君の味方をしてくれれば、もっと出しまちゅよ!)

 等身大ぶー子像は、江ノ島の作ったものをウサミが魔法で複製したものであった。
 ウサミの魔法により、セレスは条件を同じにしたのである。

「うふふ……。これで思い残すことはありませんわね。
 さて……、わたくしは苗木君、そして苗木君を通して江ノ島さんにどんな命令をしましょうかしら」

「せ、セレスさん……。まだボクはセレスさんの命令を聞くとは……。いや、まぁ今はいいか……」

 もうすでにセレスは報酬について考えていた。
 山田が折れると既に確信していたのである。
 しかし、実際、それは第三者である苗木や、当事者である山田も同じ考えであった。

「よ、よし、そろそろショットしましょうかな」

 山田はぎこちなくキューを構える。あからさまに怪しい。しかし、誰も指摘しない。
 八百長自体を咎めるものは誰もいなかった。

(それでは全力でファウルを――)

 そして、山田は右手に持ったキューを突き出そうとした。

 しかし、そのとき、ある言葉が山田の耳を打つ。

『――――――――――――――――――――』


 それは何の変哲もない言葉だった。
 しかし、その声の主は、苗木でも山田でもセレスでもウサミでも江ノ島でもなかった。
 だが、山田はその声の主が誰だかすぐに分かった。

「ぶー子!? ぶー子の声だ!? どこにぶー子が!?」

『――――――――――――――――――――』

「そこかあああああああああ!!」

 最初からいた等身大ぶー子が山田に語りかけていたのである。
 それは、アニメとそっくりそのままの声であった。

『――――――――――――――――――――』

「うおおおおおおおおお!? 読み切り漫画にしかなかったシーンのセリフ!?
 まさか、この名言を生で聴けるなんてえええええええええええええええええええええ!?
 そ、そうか、君が本物のぶー子なんだね!? オリジナルのぶー子は君かあああああ!?」

「な、何事ですの? 江ノ島さんに分析力などというものがあろうとも、知らない知識は再現できないはずでは……。
 まさか山田君と同好の士だったとでも……? いや、そんな馬鹿な……」

「うぷぷ……。いい線言ってたのに運が悪かったわね」

「運が悪い……このわたくしが…………?」

「『外道天使もちもちプリンセスぶー子』が掲載されてる漫画雑誌の名前は知ってる?」

「名前……?」

「それはね。コミックポンポンって言うんだ」

「たしか……少年漫画誌でしたか?」

「そうそう……。でね、それは松田クンの愛読雑誌でもあるんだ」

「なん……ですって……?」

「だから、その幼馴染である江ノ島盾子さんもたまに読んでるんだ。
 気になる相手のことを知ろうとするのは当然のことでしょ?
 うぷぷ……。特に好きってわけじゃなかったんだけど、記憶力も良くてね」

「クッ……」

「良かったね。セレスさん! 自分では何も賭けてなくて。
 いや、あんなに大見得切って出て来たんだから、プライドは賭けてたのかな?
 ゴメンゴメン。≪超高校級のギャンブラー≫なのにこんなゲームで負けさせちゃって。
 ここは観客もいないし、ボク達も人に言ったりしないからさ。気にしないでよ」

「アァ!? まだ負けていませんわよっ!!
 少なくとも、わたくしが運で負けることなどありませんわ!
 なるほど……。油断は油断で取っておきましょう。だけど、どんなゲームでも最後に勝つのはこのわたくしです」

「うぷぷ……。負けず嫌いだね」

 セレスは山田に再び話かけに行く。

「山田君!」

「……はい、なんですかな? セレスティア・ルーデンベルク殿?
 今、僕は忙しいんですが?」

「それは江ノ島さんの作ったものであり、本物のぶー子じゃありませんわ。
 セリフをしゃべらせるだけなら、あちらのぶー子達でも……」

「やれやれですなぁ。セレスティア・ルーデンベルク殿」

「ア゛ァ?」

「まだ気づきませんか? ディテールの違いに。
 たしかにぶー子は画面の向こう側にいる存在……。しかし、ときに次元を超えて、本物だと思わせるものが稀にある。
 本物のぶー子でなくとも、本物だと錯覚させるほどの緻密さを持ったイラストやフィギュアがあるのです。
 そして、この声には本物だと感じさせる力がありました。
 言うならば! 魂が籠っているのですぞおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」


 山田の絶叫に対して、引きつつもセレスはこう反論した。

「……いえ、さっきその像の制作者は別にぶー子が好きでもないって言っておりましたわ」

「ジョウダンジョウダンスキダヨー」

「棒読みじゃありませんの!」

 いつの間にか近づいてきていた江ノ島(リーダー)がてきとうな言い訳をしたので、
 思わず、セレスは怒鳴る。

 だが、そんな2人に対して、山田は慈愛と悟りに満ちた瞳を向ける。

「たとえ、制作者に愛されていなくとも、このぶー子は僕に愛される資格があるのでノープログレムですぞ!!」

「……チッ。調子にのんなよ、豚がああああああああああああああああああああ!!」

「ひぃぃぃ……。け、けど、負けませんぞ。たとえ焙られようとも燻られようとも、
 僕はぶー子のためには自分を曲げませんぞ!!
 それに、ひとつ気づいてしまったんですぞ! セレスティア・ルーデンベルク殿!」

「………………何にですか?」

「僕はドMなので、苗木誠殿が江ノ島盾子殿に命令するより、
 江ノ島盾子殿が苗木誠殿に命令する姿を見ている方が、たぶん捗ります。感情移入的な意味で」

「そんなのどうでもいいですわよ! ボケエエエエエエエエエエエエエ!!」

『『『『『『『『『『『『――――――――――――――――――――』』』』』』』』』』』』

「色んなコスチュームを着たぶー子がいっぱい!?
 しかも、ぶー子が僕を応援してくれる!?」

『『『『『『『『『『『『――――――――――――――――――――』』』』』』』』』』』』

「うわあああああああああああああああああああああああああああ!
 ありがとうぶー子おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! 僕頑張るよ!!」

『『『『『『『『『『『『――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!』』』』』』』』』』』』

「やりますやります。今すぐショットします!!
 ぶー子! ぶー子! ぶー子! ぶー子ぉぉおおおわぁああああああああああああああああああああああん!!! 」

『『『『『『『『『『『『――――――――――――――――――――!!!!!!!!!!』』』』』』』』』』』』

「あぁああああ…ああ…あっあっー!あぁああああああ!!! ぶー子ぶー子ぶー子ぉおおぁわぁああああ!!!
 見てる!? 見てる!! ここにいるぶー子ちゃん達が僕を見てる!?
 ぶー子ちゃんが僕を見てるぞ! ぶー子ちゃんが僕を見てるぞ! 現実でぶー子ちゃんが僕を見てるぞ!!
 今この場所でぶー子ちゃんが僕に話しかけてるぞ!!! よかった…世の中まだまだ捨てたモンじゃないんだねっ!
 いやっほぉおおおおおおお!!!僕にはぶー子ちゃんがいる!! やったよぶー子ちゃん!! ひとりでできるもん!!!
 ううっうぅうう!! 僕の想いよ! ぶー子ちゃんのために届け! このショットを通してぶー子ちゃんに届けええええええ!!」

「うわぁ……」

 思わず誰かが声を上げたが、山田のキューの勢いは止まらず、
 彼の渾身の一撞きは手球を高速で弾き飛ばす。
 まるで弾丸のように飛んだ手球は9番の的球に衝突し、キィンと甲高い音を響かせ、
 弾き飛ばす。そして、9番の的球はそのままポケットへと流れるように転がっていった。

「あぁ……。また負けか……」

「悔しいですわ。こんな馬鹿みたいな理由で負けるなんて……」

「うぷぷ……」

 そして、9番の的球はポケットに入った。
 大きな音を立てて、9番の的球はテーブルの上から姿を消したのである。
 誰もが山田の勝利を確信した。




「いや、待ってくだちゃい!」



 しかし、実は終わっていなかった。


「え?」

 苗木がポカンと口を開いた。
 苗木の視線の先で、手球はまだ動いていた。
 山田の力み過ぎたショットは、手球に摩擦と抗う力を与えていた。

「…………………」

 セレスもまた、その手球の行く末を無言で見続けた。
 的球にぶつかり、明後日の方向へと転がっていった手球はそのまま別のポケットへと進んでいく。

「えぇーー。それはないんじゃない?」

 7人の江ノ島のうち、誰かが口にした。
 彼女らの目の前で手球がポケットへと落ちたからだ。

「「「「「「「「「「「「…………………………」」」」」」」」」」」」

 全員が沈黙した。
 長く重く乾いた沈黙だった。

「えっと……。ぼ、ボクの番だね」

 ファウルであるため、9番の的球を所定の位置に戻し、手球を任意の位置に置く。
 それは苗木でもほぼ確実にポケットに9番の的球を落せる配置だった。

「や、やった! ボクの勝ちだ!」

「「「「「「「「「「…………………………」」」」」」」」」」

「は、はははは……」

「よ、良い勝負でしたな! それでは僕はここで……」

「「「「「「「「「「…………………………」」」」」」」」」」

 ガシリと江ノ島のひとりが山田の肩を掴む。
 そして、全員で取り囲み、山田の足を軽くけり始める……無言で。

「「「「「「「「「「…………………………」」」」」」」」」」

「申し訳ない。申し訳ない。そしてありがとうございます。ありがとうございます」

「「「「「「「「「「…………………………」」」」」」」」」」

「痛い痛い! ちょ、それ以上は強くしないで!?」

 ちなみに、その間、セレスは水槽の縁にへばりついたタニシでも見るような目で山田を見ていた。
 苗木の勝利であるため、セレスの勝利とも言えるのだが、まったく喜んでいる様子はなかった。

「えっと、セレスさん……。やったね……? ありがとう?」

 苗木は恐る恐る話しかけた。
 しかし、セレスは疲れたような顔でこう述べるだけだった。

「このゲームに勝者なんておりません。みんな敗者といっても間違いじゃないでしょう」

 江ノ島の世界に罅が入り始める。
 どうやら終わりが近づいてるらしい。
 江ノ島が夢を維持することを馬鹿馬鹿しいと思い始めたのかもしれない。
 もしくは、偽江ノ島騒動、霧切来ない事件、山田の大チョンボと連続した残念コンボによって、
 疲労感が限界を超えたのかもしれない。


「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
 それ以上は、僕の業界でも拷問ですぞおおおおおおおおおおおおお!?」



 そして、山田の叫び声が響いたとき、夢の世界に本格的な亀裂が入り、
 苗木は江ノ島の世界から元の世界へと落ちて行った。

「あ……」

 落ちる苗木の視界の端できらりと白いクリスタルが光った。
 クリスタルは一際大きな光を発して、苗木の胸の中へと吸い込まれていく。

「これが江ノ島さんの持ってた希望のカケラか……。
 って、あれ? なんか半分黒いんだけど……。真ん中で罅入ってるし……」

 最後の最後まで江ノ島は苗木に何とも言えない思いをさせながら、夢の世界を終えた。




「らめぇえええええええええええええええええええええええええええええええええええ」




 そして、同様に、最後の瞬間まで、夢の世界に山田の声は響いていたのであった。

遅くなりましたが今回の投下はこれで終わりです

ちょっと分かりにくいかもしれない部分を発見したので一応書き込み
まぁあんま本筋じゃないからいいかなと思いつつ

>>351
テーブル上に残っている「手球はまず最初に最小番号の的球に当てる」いう縛りがあるため、
⇒手球はまず最初に「テーブル上に残っている最小番号の的球に当てる」いう縛りがあるため、


次の更新は木曜日か金曜日になります


◇◇◇

 目が覚めた苗木はベッドから上半身を起こし、ぼんやりとした思考の中でぼそりと呟く。

「ひどい夢だった……。いったい、なんだったんだろう?」

「俺に聞かれても困る」

「そ、そうですよね。すみません」

 眉をひそめた松田が近くに立っていることに気付き、苗木は慌てて言い募った。
 とはえい、苗木が謝ったところで、松田の表情は変わらない。ぶっきらぼうに松田は告げる。

「終わったらしいな。こっちもデータ取集が終わったところだ」

(出て行けってことかな?)

「一応、礼は言っておく。ありがとな。お前のおかげであいつのリミッターは強化できそうだぞ。
 今日の夜には江ノ島盾子は寝ながらにして起きるなんて馬鹿げたこと出来なくなってるはずだ」

(別に怒ってるわけじゃないのか?)

 冷たい印象の表情と声だが、これは松田にとっての常態であるようだ。
 むしろ、江ノ島に対して発揮していた毒舌がない分、後輩に対しての気遣いがあるとすら言えるかもしれない。

「寝ながら起きるなんて荒業。連発されても困るからな……。あいつ自身の健康にも良くない」

「……心配なんですね」

「……そうだな。今、あのリミッターが外れたら、今度こそあいつは学園……いや、世界から外れてしまう。
 そう思ったら、心配にもなるさ。まだ、お前にはピンと来ないのかもしれないけどな。ハァ……」

(それが正しいとしても……リミッターと健康はあまり関係ないよな)

 あれこれと心配する他の理由を語ってはいるが、彼個人に由来する理由が隠し切れていない。
 江ノ島の幼馴染であり、江ノ島にとって大切な人である松田夜助。
 そんな彼からしても、江ノ島盾子は大切な存在なのだろう。
 だから、松田は先ほどからため息に似た安堵の息を吐いているのだ。

「まぁ、何にせよ。目が覚めたなら良かった。運ぶ方も手間じゃないだろう」

「え、どういうことですか?」

「学園長から問い合わせがあったから、ある程度の説明はしておいた。
 それで、お前のことを迎えに来るらしいぞ」

 松田がそう言った瞬間、部屋の扉をノックする音が響く。

「……ほらな。どうやら来たようだぞ」

 松田はドアへと顔を向けると「どうぞ」と大きな声を上げた。
 すると部屋の中へと真っ黒な学生服を着たひょろりとした体型の男達がぞろぞろと入ってくる。
 要人警護を行うSPのように、全員がサングラスをかけているせいなのだろうか?
 苗木には全員が同じような顔に見えた。
 そして、それら――サングラスと対照的な真っ白い顔――からは、同じ高さの声が響く。

「学園長から頼まれてやってきた」「苗木誠だな?」「お前を護衛する」「短い道中とはいえ油断はしない」
「死んでも依頼は守る」「ひとり一死一護のつもりだ」「任せてくれ。それじゃ行くぞ」「場所は学園長室だ」

 黒服の護衛達は苗木のベッドへと近づくと、苗木に立ちあがることを促した。
 そして、苗木が立ちあがると、円陣を組むように苗木の周りを固め、歩き始める。

(こ、怖いな……。みんな同じ背格好だし……。
 学園が作った警備員型のアンドロイドか何かとか? いや、まさかね……)
 
 男達の背は高く、彼らに囲まれると、苗木は周囲の様子を見ることが出来なかった。
 苗木に代わって彼らが周囲を警戒しているが、その彼ら自体の威圧感が凄まじく、苗木は落ち着かない。
 しかし、抵抗することも出来ず、苗木は円の中心からずれないように歩いていく。

「……またな」

 そんな苗木の背に松田の声が届いた。
 さらに続けて、松田はこんな言葉をかける。

「あいつに何かあったら、いつでも来てくれ」

 心なしか優しげな声であった。


◇◇◇

 護衛達に案内されて、苗木は学園長室に辿り着いた。
 普段、生徒は立ち入り禁止の場所である。

「ここまでだ」「中で学園長が待ってるはずだ」「俺たちはここで警護する」
「誰にも近づけさせない」「死ぬ気で守る」「安心して中で話せ」

「いや……、決死の覚悟は必要ないんじゃ…………」

「大丈夫だ。全員で死ぬ気はない」「生徒会の護衛という任務がまだあるからな」

「そ、そうですか……。じゃ、じゃあ、これで……。ありがとうございました」

 苗木は引きつった顔をしながら、護衛の男達と別れた。

(あの人たちも超高校級なのかな? あの黒服、学生服も兼ねてるみたいだし……。
 いや、今はそんなこといいか……。学園長に呼び出されたってことは、江ノ島さん関係のことかな?
 それとも、江ノ島さん経由で夢のことが伝わったかな? 霧切さんもいるのかな?
 いなかったらどうしよう……? 霧切さんに相談したのに、勝手に話したりしたら怒られそうだ)

 逡巡し、不安を覚えながらも、苗木は学園長室の扉を開く。
 そして、そこにいた顔ぶれを見て、驚きの声を上げる。

「あれ、みんな……?」

 部屋の中には78期生全員が揃っており、全員が座った状態で苗木のことを待っていたのだ。
 中々の人口密度であった。備え付けのソファでは足りなかったのだろう。臨時の椅子が用意されている。

「来たか……苗木。遅いぞ。俺より先に座っておけ」

 偉そうな足を組み、頬杖を突いていた十神が不機嫌そうに苗木に声をかける。
 ソファと椅子が円を描くようにテーブルの周囲に置かれていたのだが、
 その円から僅かに外れる形で十神は座っていた。
 どうやら並べられていた椅子のひとつをわざわざ円から離すように、部屋の隅に置き直したようだ。

「ごめん、十神クン」

「フン……」

 しかし、苗木はそのことにとりわけ疑問を覚えず、謝ることであっさりと話を終える。
 むしろ、苗木の疑問は全員が揃っている方にあった。
 苗木は入口から一番近くに座っていた霧切に顔を向ける。

「霧切さん……、みんな揃ってるけど、なにがあったの」

「………………」

「えっと、霧切さん?」

 霧切は一瞬だけ苗木に視線を向けたが、すぐに顔を背ける。
 プイッというオノマトペが聞こえてきそうなくらいあからさまな反応である。

(うわ……。怒ってる)

 何人かがその様子を見て、苦笑している。
 例えば、霧切の隣に座っている舞園は霧切と苗木を視界に入れながら困ったように笑っていたし、
 霧切の向かいに座っている不二咲は笑っていいのか迷いつつも、
 苗木と霧切のやりとりにどこか微笑ましさを感じているのだろうか、頬を緩めていた。。

 苗木達に視線を向けていなくとも、ガシガシと頭を掻いて呆れたような態度を取る大和田のように、
 深刻さこそ覚えていないものの困惑の意を示している者が多く、
 霧切が何に怒っているかは、この部屋では周知な出来事であるようだ。

(学園長室にいるから……ってだけじゃないよな。これは……)

 苗木は山田に視線を向けた。
 それに対して、山田はあくび混じりではあったが、苗木に視線を返す。

「苗木誠殿……。いくらがなんでも僕の夢と霧切響子殿の夢を間違えるってあり得ないでしょう。
 いやー、僕が言うのもなんですが、ちゃんと寝た方がいいですぞ」


 場が笑いで沸く。
 ジョークなどを聞こうとあまり笑わない十神ですら馬鹿にするように笑い声をクツクツと漏らしていたり、
 日ごろからリアクションの薄い戦刃などもわずかに体を震わせていたりした。
 まったく反応を示していないのは、疲れたようにソファの肘掛にもたれかかってる江ノ島と
 素知らぬ顔で紅茶を飲んでいるセレスくらいのものだ。

(気づいてたんだな……。セレスさん。
 教えてくれればいいのに……。霧切さんがすねちゃったじゃないか……。
 ……あと、桑田クンと葉隠クン。うるさい! 特に桑田クン……野球の国と音楽の国の話するぞ!)

 2人のツボに入ったのだろう。
 桑田と葉隠は「ありえねー!! バッカじゃねぇの~!?」「常識的に考えて気づくべ!苗木っちもバカだったんだな!」 などと言いたい放題しながら、全身を震わせていた。
 石丸が「やめたまえ! 人間、間違うこともある! 笑いものにするのはやめるんだ!」と言うが、
 もはや止められないという具合に、桑田と葉隠はお腹を抱え続けた。

 そして、そんな2人を見て腐川が「耳糞と鼻糞が涙を目糞って笑ってるみたいね……」と呟き、
 その隣に座っていた朝日奈が「鼻糞!? やめてよ、腐川ちゃん! 汚いよ! 今、お茶菓子食べてるんだから!」と抗議し、
 そのまた隣に座っていた大神が「慣用句をもとにした例えだろうから気にするな、朝日奈よ……」と静かに言葉を紡ぐ。

 そんな彼らの様子を見て、霧切が拗ねたように、さらに苗木から視線をずらす。
 無表情のままだが、あからさまな抗議である。
 苗木は頬を掻く。

「えっと、霧切さん……」

「…………」

「勘違いするまでには色々あってね……」

「……………………」

「色んなもののタイミングが悪くて……前2つで驚きの連続があったり……」

「………………………………」

「その……」

「…………………………………………」

(これは面倒なことになっちゃったったな……)

 取り付く島もない。もはや、今すぐこの場で機嫌を取るのは不可能だろう。
 仕方なく、苗木はうなだれた。
 そして、霧切から2つ隣、舞園の隣へと腰を下ろした。

「コホン……。そろそろ良いかな?」

 苗木が座ったのを見て、これまで静観していた霧切仁が口を開く。
 入口から最も離れた場所に置かれた書斎机に、彼は座っていた。

「さて、苗木くん。話は既に聞いている。
 信じがたいことだが、今の君は人の夢に入ってしまうらしいね?」

「……はい」

「今、入ったことがあるのは、桑田くん、セレスくん、山田くん、江ノ島くんの夢だね?」

「はい」

「それで魔法の世界から来たウサギに助けてもらってる……と?」

「は、はい」

「やはり、少し信じがたいが……今は信じるほかないか……」


 霧切仁が思わず渋面を作る。
 すると、ソファに突っ伏していた江ノ島がむくりと起き上がる。

「さっき散々説明したじゃん。そこはもう全力で納得しとけよ!
 こっちはこれ以上説明するのはメンドクセーし、飽きたんだよ!
 つーか、疲れちゃったよ! 今日は!
 残姉は代返に失敗するし! ネット上は炎上してるし!  霧切は夢の中に来ねーし!
 山田はわけ分かんないミスするし! 目が覚めた覚めたで、へそ曲げた霧切に説明丸投げされるし!
 説明したら説明したで、クラスメートは中々理解しないし! 葉隠とか葉隠とか!」

「俺はオカルトを信じねーんだ!」

「……そういう問題じゃなかったよね。
 同じ“信じない”でも、十神が質問をしまくってきたとき、そもそもアンタのは前提が分かってなかったじゃん。
 まさか、十神が納得してやっと一段落ってところで、
 『希望ヶ峰学園って壮大なセミナー会場だったんだな!俺は金払わないべ!』なんて言われるとは思わなかったわ。
 まったく……。苗木の命令を聞く約束を受けてなかったら、こんなことしなかったわよ。
 命令を先読みして、代わりに面倒くさいこと片付けたアタシを褒めてよね、苗木」

「あ、ありがとう」

 やけに全員がすんなりと夢の話が前提となる霧切の怒りを理解していると思ったら、
 江ノ島が説明や質疑応答を既に行っていたらしい。
 これほど短い間にクラスメートの理解を得るのは、江ノ島といえど骨が折れただろう。

 勝手に「命令を1日聞く」という約束の1日をスタートさせているのは少々気になるところだが、
 説明の苦労を思えば、苗木としても感謝の念しか出て来ない。

「実際に体験しないと実感が沸かないという人もいるけど、
 ひとまず苗木の言う事は信じて話を進めるってことになったから。
 ま、面白半分だったり好奇心だったりってとこもあるだろうけど、上々でしょ?」

 江ノ島はそう言い残すと、再びソファの肘掛に突っ伏した。
 それを見て、霧切仁が苦笑いを浮かべつつ、再び苗木に声をかける。

「彼女の言うとおり、他の可能性も探しつつ、
 今は君の言う事が正しいと仮定して話を進めて行こうと思っているんだ。
 とは言っても……君のクラスメートの大半はもう既に君の話を信じているみたいだけどね。
 仲の良いクラスで結構なことだ。……それに対して、私は、頭の固い大人なせいか、
 どうしても感情や状況証拠だけで信じるというわけにはいかない。
 立場上、生徒達から一歩離れた場所から冷静な判断をしないといけない必要もあるからね。
 だからといっては何だけど、少し私からの質問に答えてくれないかな?」

「も、もちろんです」

 むしろ、苗木としては頭の病気を心配される可能性すら考えていたのだから、
 当面信じてもらえるだけ御の字である。

「あぁ、助かるよ。じゃあ、まずはウサミという人物、いや動物についてだが……」

 苗木の快い了承に対して、霧切仁は微笑む。
 そして、彼は質問を開始し始めた。

 それに対して、苗木は夢の世界のルールや、ウサミの上げた考察など、
 細かい部分を拾いながらも説明をしていく。

「ウサミが言うにはですね……」

 説明自体は難しいものではなかった。

 桑田やセレスが自分の夢の内容になると、眉をピクリと動かし、視線をチラチラと向けてきたため、
 苗木は個人のプライバシーに細心の注意を払う必要があり、
 その注意を払うという作業に中々の疲労感を覚えることとなったが、
 それでも苗木は説明を続けていき、必要な知識を皆と共有していくことに成功していく。

短いですが今日はひとまずこれで
明日も更新します

日付が変わってから1時くらいまでの間に更新しますね
もしかしたら、中途半端に終わって、日曜日に続きを……って感じになるかもです


◇◇◇

「ありがとう。苗木くん。よく分かったよ」

 苗木が説明を終えると、霧切仁が座椅子から立ち上がる。

「本当に夢の世界があるにせよ、別の何かがあるにせよ、研究者としてこの現象には興味が尽きない。
 だけど、このままこの状況を放置しておけば、君の日常生活にも影響が出るだろう。
 それは、私にとっても本意ではない」

 霧切仁がこの状況を解決したい理由は2つあった。

 ひとつは、本科生の才能を守るためだ。
 苗木達の周囲で起きるトラブルがカリキュラムに影響を与え、
 本科生の才能の分析と促進に支障をきたすことを予め防ごうという、希望ヶ峰学園学園長としての理由である。

「一から十まで信じることは出来ないが、一から十まで君たちのサポートを行おう」

 それに対して、もうひとつは極めて個人的なものだ。

「………………」

 ちらりと霧切仁は娘である霧切響子に視線を向ける。
 娘は自分に対する態度とはまるで違う、少々子どもっぽい態度を取っていた。
 自分に対しても感情が滲みだしていることはあるが、その場合、彼女はそれを出来る限り隠そうとする。
 しかし、今はそうでない。隠そうとしていない。
 入学当初の霧切響子であるならば、そのことを甘えだと断じて、自制しようとしていただろう。
 しかし、今の彼女はその甘えを許容している。
 それは、彼女がクラスの中で信頼できる者たちを見つけたということだ。
 そして、その信頼を得た者たちの代表が……。

 霧切仁は苗木に向かって力強く断言する。

「君が平和な学生生活に戻れるように、こちらで可能な限り支援するよ。
 ひとまず、小型の脳波測定器を用意させている。
 君が突発的に寝てしまった場合、これによって我々はそのことを知り、君の身体を安全な場所に移動させる。
 他にも、脳に異常が探知された場合などは集めたデータをもとに適切な治療を行うことを約束しよう。
 もちろん、測定器を使うかどうかなどは君の意志は尊重するし、君が望むなら、終わった後にデータは破棄する
 他にも必要なら、専用の個室を用意し、そこで寝泊りをしてもらうことや、
 急に倒れても良いように専用の護衛を用意することも考えている。
 事態が解決するまでは、出席などについても、私の方から教師達に言っておこう。
 出来る限り、便宜を図るつもりだ。」

 父親としてでなく霧切仁個人としても、この困ったような顔をしている少年は嫌いではなかった。
 入学してから少しずつ強まっているようにも思える≪不運≫にも似た≪超高校級の幸運≫という才能に強い興味を持っていたし、
 個性的なクラスメートに囲まれて苦労している彼に対して、中間管理職を経験した身として、同情を感じることもあった。

「ありがとうございます。学園長先生。
 専用の個室や護衛はいらないですけど、データは取っておいてもらって大丈夫です
 夢の中の世界はちょっと危ないときもありますけど、現実的にはそんなに危なくないと思いますし、
 他に何かおかしなことがあったら、ウサミが教えてくれると思います」

 霧切仁の言葉に対して、苗木は感謝の言葉を上げた。

 ちなみに、苗木誠のクラスでの立ち位置は、まとめ役や中心人物や重鎮というよりは、
 個性的なクラスメートが衝突したとき、その戦いの中間点(決して中立地帯ではない)によくいる人物、
 言うならば、紛争の多発する地帯において、射線が交差する場所に取り残された一般人だ。

 逃げようにも、逃げるタイミングを逃し、日々、銃弾を避けるのに精一杯なのである。
 それどころが、巻き込まれ続けるうちに、多くの登場人物と接点が生まれ、
 物語のレギュラーとなってしまい、ますます巻き込まれやすくなっている。
 ある意味、単なる仲介役やまとめ役以上に希少な立ち位置だろう。
 そして、苦労するポジションでもある。そのおかげで、人に好かれることもあるのだが……。

 霧切仁は微笑んでいる。

「それなら、あとは可能な限り希望のカケラというのを早く集められるようにすべきだな。
 君だけじゃなくて、他の皆も巻き込まれるようだし、短期的に決着をつけるべきだろう。
 そして、そのためには…………」

 しかし、その微笑みがわずかに崩れ、声のトーンも少し低くなった。
 苗木が怪訝に思う中、彼は他のクラスメートを見回す。
 そして、ゆっくりと彼は次の一言を告げる。

「夢に入られる順番や時間などについて話し合おうか」

 何人かガタッと音を立てた。
 そして、にわかに緊張が立ち込める。


「え?」

 意図せず、苗木の口から戸惑いの声が漏れる。

 そして、その戸惑いと緊張のバランスを崩すように、十神が一言言い放った。

「まずは俺の夢に入れ。苗木」

「……どういうこと?」

「妥協してやろうと言っているんだ。
 本来ならば、俺の夢にお前如きが土足で踏み入れることなど許されない。
 だが、後になればなるほど、俺の夢に立ち入る可能性のある人間が増えるのだろう?
 それなら、早い方が良いに決まっている」

「な、なるほど。それなら……」

 苗木は思わず頷きそうになった。
 しかし、待ったがかかる。待ったをかけたのは大和田であった。

「待てやコラァ! オメェは良くても他が良くねーんだよ!
 オイ、苗木。入るなら、まずオレのに入れ」

「え?」

「待つんだ! 入るなら、俺のが良いと思うべ。俺の占いでもそう出てっから!」

「葉隠クン?」

 今度は葉隠であった。葉隠は頭を抱えている。

「うっかり喋っちゃいけないことを夢の中で言ったらと思うと、俺の指がどうにかなりそーだべ!」

「……極道の秘密でも握っちゃったの?」

 苗木が呆れたように小声で呟いた。
 すると、続いて、その小さな声に負けないくらい擦れた声が腐川の口から発せられた。

「あ、あたしは……!」

「ふ、腐川さんも?」

「びゃ、白夜様の前か後を希望するわ!」

「後でも良いんだ!? って、それ順番的にはどこでもいいよね!?」

「あ、あたしの夢に入っていいのは白夜様だけよ……。
 あ、あんたも、もし入るなら、見ざる言わざる聞かざるを守ってよね……」

「……善処するよ」

 喋りながら、苗木は霧切仁が声のトーンを下げた理由を理解した。
 人の夢に入る、入られる――こんなシチュエーションを前にして、エゴや欲望がぶつかり合わないわけがない。

「……十神っちの夢ってお金の臭いがしそうだべ」

 苗木の心の声を肯定するように、葉隠が世迷いごとを口にしている。
 人に入られたくないが、人のには入ってみたい……そんな思いを持つ不埒者も何人かいるようだった。

「オレ、一番最初でよかったぜ。けど、言われてみれば、人の夢って興味あんな……へへ………………」

 桑田がチラチラと舞園や霧切など女子の姿を見ていた。
 何を考えて、何を言っているのかは苗木には聞こえなかったが、
 鼻の下がわずかに伸びていることから桑田がどんなことを考えているのか、容易く想像がついた。

(昼に霧切さんの夢に入ろうとしてたときはなんともなかったのに……。
 誰だよ……。桑田クンに余計な入れ知恵したのは……)

 すると、丁度そのとき、江ノ島がケラケラと笑った。

「ま、エッチな夢を見るとは限らないし、もっと気楽にやろーよ~。
 ま、見るかもしれないけど」

(江ノ島さんかー!)

 半眼で江ノ島のことを見る苗木。
 先ほどまで抱いていた、彼女が説明に要した苦労への感謝が消えうせそうであった。
 すると、そんな苗木の心痛を慮ってか、ある人物が江ノ島に対して言葉をかける。


「……江ノ島さん。ちょっと勘違いしてるみたいだけど……」

 発言者は霧切であった。
 もしかしたら、単純に江ノ島の意見に対して反証を行いたいだけなのかもしれない……と思わせるほど、
 顔は無表情のままであった。

「今まで何人もの研究者が夢に関しての調査してきたけど、人が見る夢のうち、
 性的な内容の夢であるのは、全体の10%に行くか行かないかというところらしいわよ。確率としては低いわ」

「低いけど、この中のひとりくらいはひっかかるじゃないですかー! やだー!」

 ツッコミを入れる山田。しかし、霧切の無表情っぷりは変わらない。

「気にしすぎよ。山田君。そもそも夢の内容なんて普通はコントロールできるものじゃないし、
 支離滅裂な連想ゲームのようになんら意味のあるものじゃないことがほとんどよ。
 昔は夢を分析して、人の抑圧されているものを測ろうとしていたこともあったみたいだけど、今では主流ではないの。
 性的なものと夢を絡めた理論では、フロイトのものが有名だけど、臨床の場においてはもう過去のものとされているわ。
 それに、連想ゲームって言うけど、人がよく見る“追いかけられる夢”というのは、
 遺伝子に刻まれた記憶が人に野生で生きるための予行練習をさせているって説もあるの。
 つまり、何かを見たといっても、その人の記憶ですらない可能性が考えられる。
 ……ここまで言えば分かるわね?」

「えっと? 理屈では?」

「そう。それならいいわ。…………他の人も、どうしても心配なら、
 松田夜助に聞けばいいと思うわ。彼の方が専門家だし。きっと心配するようなことは起きないし。
 起きたとしても、起きた後に身に覚えがないと言えば、それ以上確認する方法はないわ」

 山田に頭を抱えさせることに成功した後、霧切は夢についての一般的なイメージについて修正を行った。
 そして、修正が終わると、再び口を噤む。
 必要最低限は口にした。もうこれで自分の仕事は終わった……といった具合である。

 しかし、話し合いが難航している状況に変化はない。

「ただ、そうは言っても……。ただの夢ってわけじゃないんだよね?
 なんか山田の夢の話を聞くと、けっこう個性が出てるような……?」

 朝日奈が小首を傾げてウンウンと唸っていた。
 どうやら、内面を覗かれるということ自体に抵抗があるようだ。
 そんな朝日奈に対して、舞園が気遣うように笑いかける。

「たしかに、ちょっと恥ずかしいですよね……。
 ただ、どんな順番でも苗木君には夢の内容を知られてしまうわけですし。
 順番に関しては、それほど深刻に考えなくてもいいんじゃないと思いませんか?」

 多少は抵抗を感じているようだが、覚悟はすでに出来ているのだろう。
 芸能界で鍛えられているから、恥を耐え忍ぶことには耐性があるのかもしれない。
 さもなくば、見られて恥ずかしいと思う一番の相手が苗木であり、もはや開き直っているという可能性も考えられた。
 ただ、どちらにせよ、少しでも話を進めたいと思っている人にとっては渡りに船であった。

「うむ……。大事なのは順番ではない。他の者の夢には入らぬという誓いこそが重要であろう」

 腕組みをしながら、大神が静かに自分の主張を口にした。

「無論……夜などは、各々が眠りに就く時間にばらつきが生じるであろう。
 しかし、それでも他の者の夢に苗木が入ったとき、他の者は故意に眠らない……くらいの約束はすべきだ」

「……それはたいへん的を射た意見だと思いますわ。
 ですが、苗木君が他の方の夢に入るというのは、基本的には、夜に発生することだと思います。
 そうであれば、故意にせよ、事故にせよ、3人目が眠りに就いて苗木君と一緒に夢にお邪魔することが容易に想像つきますわ。
 そもそも、この中で何人の方が決まった時間に眠るのでしょうか? 就寝時間がまちまちな人も多いのでは?
 約束があっても、それほど効力が生まれるとは思えませんわ」

「メンドくせぇぞ! オラ! もういいじゃねぇか! 早いもん勝ちでよぉ! もう勝手に起きて勝手に寝ればよ!」

「兄弟!? 駄目だぞ! そんな自堕落な生活は!」

 大和田の叫びに石丸が食いつく。
 石丸は大和田に説教をし始め、さらに続けて、全員に向かって訓辞を垂れる。

「そもそも諸君も! 毎日決められた時間に寝たまえ! 日々の生活により良い睡眠は必要不可避だぞ!
 早寝早起き! この正しいリズムが生活を豊かなものにするのだ! 早寝早起き! ハハハ、皆も復唱してみたまえ!」

「早寝早起き! ……そういえば、昨日の夜は苗木くんって誰の夢にも入らなかったの……?」

 律儀に復唱してから、戦刃が苗木に対して疑問を挟む。
 苗木は戦刃の姿を見て、彼女が制服を着崩していることに軽く驚きつつ、答えを返す。


「そうだね……。昨日は疲れてて先に寝ちゃったけど……。誰かの夢に入った記憶はないかな」

「たぶんだけどさ」

 すると、苗木の言葉を聞き、江ノ島がさらに考察を立てた。

「誰かの夢の世界に入りかけてたのかもよ。だけど、あの扉だらけの場所で寝転がり続けたのかも。
 相手が夢から覚めても、扉を開いてないから厳密には繋がってなくて希望のカケラを入手できなかったんじゃない?
 つまり、希望のカケラの回収というか……夢の世界に入るには、苗木が起きてて相手は寝てる必要があるのかもよ。
 より正確に言うと、苗木が扉を開くのが夢の世界に突入する最後の条件というか……。
 まぁ、そうじゃないと、苗木はおちおち寝てもいられないからね。この場合はラッキーね」

「な、なるほど」

 つまり、苗木が誰よりも早く毎日寝て、皆が昼に居眠りなどしなければ、
 誰の夢にお邪魔することなく日常生活を送ることが出来るのだ。

(いや、無理だろ……)

 しかし、それは難しい。少なくとも、苗木には石丸よりもはやく床に就くなど出来そうにない。
 苗木は自分で考えたことに自分で苦笑するしかなかった。

「な、苗木君……大丈夫? 僕は順番どこでもいいよぉ……」

「ありがとう……。不二咲クン……」

「うん……。けど、変な夢でも笑わないでねぇ……」

「もちろんだよ! 笑ったりなんかしないよ!」

 不二咲の励ましの言葉を聞いて、苗木は感謝した。
 中々、調整は難航しそうであるが、こちらを気遣ってくれる者もいる。
 そう思うと、だいぶ気が楽になった。
 とはいえ、頭痛の種になりそうなものはまだまだあるのだが……。

「それにしても、残姉ちゃん。珍しく良いとこに気付くじゃん! 褒めてあげるわ!」

「……え!? 本当……!? 嬉しいよ……盾子ちゃん!?」

「ご褒美にあんたの順番最後ね」

「え?」

「最後最後」

「え、えぇー……」

(これはひどい……)

 目の前のやりとりに対して、苗木としては同情が禁じ得ない。
 他のクラスメートも「おいおい……」といった表情をしている。
 そして、実際にそれを口にする者もいた。

「オイオイ……順番譲る気はねぇけどよ。女に貧乏くじを押し付けるのは見過ごせねぇな。
 その女にやらせるくらいなら、オレが最後になってやるよ」

 大和田である。
 十神や葉隠と並んで、最も初めの方の順番を希望していたのだが、
 その個人の感情を、目の前で起きているパワハラに対して覚える忌避感が上回ったようだ。

「え? じゃあ、大和田が最後で、残姉はブービーってことで?」

 江ノ島が首を傾げる。

「別にその女はどこでもいいだろ」

「えぇ~。アタシ、残姉は一番最後がいいと思うな。キャラ的に合ってるし」

「んなこたぁねーだろ……。チッ……。オメェと話してると調子狂うな。オイ……」

 大和田が頭をガリガリと掻きはじめる。
 少し苛々しているようだ。もう少ししたら爆発するかもしれない。

「えっと……」

 だからという訳ではないだろうが、当の本人である戦刃が、そこで口を挟んだ。

「盾子ちゃんが言うなら私は最後でもいいなぁ……」


 貧乏くじを引くか引かないか以前に、江ノ島盾子の忠実なるイエスマンである戦刃。
 彼女は、大和田がため息を吐いていることも気にせず、あっさりと一番最後という順番を受け入れてしまった。

(いいのか……?)

 妹に甘い姉と言えば、それまでだし、一番もめそうな“最後”という順番が決まることも苗木にとって都合は良い。
 しかし、戦刃に対してどこか後ろめたさを感じてしまう。

(せめて、戦刃さんにも見返りがあればいいんだけどな……。あ、そうだ……!)

 ふと、そこで苗木は気づく。

「江ノ島さん江ノ島さん」

「なに? 苗木?」

「江ノ島さんって戦刃さんのこと好き?」

「ハァ? まぁ好きだけど……?」

「じゃあ今日1日は戦刃さんのこと素直に褒めて、普通に仲良くしてあげてよ」

「ハァ!? あり得ないでしょ!? てか素直に考えても褒める場所ないって!」

「今日、江ノ島さんはボクの言う事を聞いてくれるんでしょ?」

「うっ……。くぅ……。しまった……」

 江ノ島が苦渋の表情で固まる。そこで苗木は間髪入れずに続けた。

「なんだかんだで戦刃さんのこと信頼してるんだよね? まったくそうじゃなかったら、この命令は聞かなくていいよ」

「……こ、こんな屈辱を受けるなんて。ぜ、絶望的だわ」

「いや、そんなに……?」

 思わず、命令をしている苗木が困惑してしまうが、江ノ島に対して、この命令は効果抜群だったようだ。

「残……。いや、むくろお姉ちゃん……」

「盾子ちゃん?」

「むくろお姉ちゃんが社会のニーズから外れてるって言ったことがあったけど……。
 アタシ、そんなお姉ちゃんのことが好きだよ」

「盾子ちゃん!?」

「強くて、体力自慢で、色々と面倒を見てくれるお姉ちゃんをアタシいつも頼りにしてるよ」

「じゅ、盾子ちゃん!?」

「いつもブスって言ってるけど、お姉ちゃんはお姉ちゃんで親しみのもてる顔だと思うし、アタシは好きだよ」

「盾子ちゃん!? うぅ……嬉しいよ……!」

「いつも命令を聞いてくれ過ぎるから退屈に思うこともあるんだけど、それ以上に嬉しく思ってるよ。
 ただ、たまにはお姉ちゃんもわがまま言ってね。アタシもたまにはお姉ちゃんのために何かしたいから」

「うわあああああん。盾子ちゃああああああああああああああああああああん!?」

「泣かないでよ。お姉ちゃん。本当に残念なんだから……けど、アタシ、そんなお姉ちゃんが好きだよ」

「ぐすぐす……」

 涙ぐむ戦刃。死んだ目の江ノ島。傍から見るとコントにしか見えない何かが始まってしまった。

(なんだろうこれ……? えっと、もう放っておいていいかな?)

 命令した張本人である苗木が一番戸惑っていた。
 他の者たちもきょとんとした顔をしている。

「えっと……。よ、よし……! じゃあ、とりあえず、他のみんなの希望をまとめようか。
 あと、必要なルールもまとめないとね」

 苗木は誤魔化すように、慌ててそう告げる。
 
 そして、戦刃と江ノ島にはひとまず部屋の端に移動してもらった。
 話をするには、邪魔だったからだ。

今日はこれで終わりです
日曜日も少しかもしれないが更新します

そういえば今日はたえ……セレスさんの誕生日ですね
セレスさんおめでとうございます!
寝る前に気付けてよかった


◇◇◇

 そして、話し合いを進めた末、いくつかのことが決まった。

「それでは決まったことを確認するぞ」

 霧切仁が決まったことを口頭にてまとめを行い始める。
 ここまで彼は、責任者として議論の進行役を行っていたのである。

「苗木くんは夜に1回、日中に1回、人の夢に入る」

 残り人数は11人であるため、この約1週間で全員の夢に入れることとなる。
 この1週間というのは、苗木達にとって都合が良かった。
 78期生はこの1週間、全員がクラスに出席・集合していることが確実であるためだ。
 何か問題が起きたとしても、その日のうちに対応しやすいのである。

 それに、夜と日中に1回ずつという細かい指定にも訳がある。

「苗木くんは誰かの夢が終わった場合、続けて2人目の夢に入るのは止め、
 扉の間に戻ってきたら、新しく扉を開かず、そこでちゃんと睡眠を取ること」

 連続で入ることでどんな影響が出るか分からない。
 代わった脳波を出すなど微小とはいえ現実的な影響が出ている。
 そのため、念には念を入れているのだ。
 なお、一度夢に入り終える度に苗木の脳波などはデータとして松田の元に送られ、
 分析されることも決まっている。学園に研究データとして保存もされるようだ。

「順番は苗木くんに一任する」

 全員が納得する順番など見つかるはずもない。
 そのため、苗木に任せて、その選択に関して文句や詮索をしないことも決まった。
 場合によっては成り行きという可能性もあるが、それでも問題ないという紳士協定が結ばれたのである。

「皆は、人の夢には極力入らないようにするんだぞ。
 具体的には夜は10時より前に眠らないことと、昼は故意に眠らないこと。
 もし入った場合でも、そこで見聞きしたことを現実では言いふらさず、詮索もしないこと。
 それらを守らなかった場合、自分の夢について苗木くんに暴露されても文句は言えないからね」

 ルール破りのペナルティとしてはぬるいが、そもそも夢に入られたところで、
 現実的な被害をこうむるわけでもないことを考えれば、この程度の罰でいいだろうという結論に話は至っていた。

 この一因には、そもそも、夢に入るという現象自体を一度は体験したいと思う者が多かったというのもあった。
 ある意味、当然である。下心などなくとも、この非日常的な現象は、一定の好奇心を引いて余りあるのだから。

 そこで、自分の夢の内容を人に知られてもいいならば、ある程度、人の夢に入ることを許すこととなったのだ。
 ただし、10時より前に眠るのを禁止するというルールと、順番は苗木に任せるというルールの存在によって、
 どうしても他の者に入られたくないという場合は、
 苗木と相談したうえで誰にも気づかれないうちに眠って、苗木を希望のカケラを回収させるというのも可能である。
 とはいえ、そこまで手間をかけて、他の人を絶対に入れたくないという者はそれほどいないようだが……。

「そして、もし、苗木くんが助けを求めたら……誰かに新しく夢に行ってもらう。
 夢の中の展開次第では苗木くん1人では対処するのが難しいこともあるようだからね。
 だから、そのときは仕方ないと許してもらうことになる」

 最後のルールに関しては、苗木が主張したものだった。
 セレスの夢のときには、桑田がいなければ、一生もののトラウマが植え付けられる可能性があったし、
 江ノ島の夢のときには、セレスと山田が来なければ、今頃精根尽き果てていたかもしれない。
 夢の世界は未知の世界。ひとりで過ごすには心細い場所なのである。

 そこで、苗木がSOSを出したら、誰かに眠ってもらうことで、
 助けに来てもらうことを皆に約束してもらったのである。
 ちなみに、SOSの出し方は、ウサミに頼んで寝ながら喋るあの方法である。

「……話は以上だ。あとは君たちの仲の絆と紳士的な態度に期待するよ」

 決まったことを述べ終わり、霧切仁は口を動かすのを止めた。

 今回、話し合いの大半は、
 夢の中に入るという非日常に対する興奮をクールダウンさせることに費やされていた。

 しかし、その甲斐あってか、人の夢に入る入らないの前に、
 まず苗木の精神に危険がある可能性を理解されたようだ。

 そのため、渋々ではあるが、順番や人が立ち入る可能性については「要努力」程度の緩い縛りで収まったのである。

 なんだかんだで苗木はクラス内で大事にされているのかもしれない。
 扱いは必ずしも良くないが……。


日曜日と言いながら日付が越えた上に、予想以上に短くて申し訳ないですが今回はこれでおしまいです
この1レスくらいなら昨日の段階で投下出来れば良かったんですがねぇ……

明日の用事次第では次の更新は火曜日です

すみませんね
月曜日の用事が長引いたので火曜日の更新はできませんでした
次に長時間作業時間取れるのは土曜日なので土曜日の夜か日曜日の更新になります
目途が付いたらまた報告しますね

あと無印キャラじゃないけど本日は軽音部の娘さんが誕生日(名前の元ネタの人ともども)ですね
おめでとうございます!

明日の夜に更新します!

日付越える可能性と短めの可能性があります(火曜日に予定してた残りを投下するかもしれません)


「それでは解散。ホームルームで話すべき内容もここで伝えてしまったし、
 今日はもう寄宿舎に行って休んでくれ。つぶれた分の授業時間は近いうちに穴埋めさせるから」

 霧切仁が78期生に退出を促したため、それに従って78期生は学園長室から出ていく。
 そして、彼らは8人のボディーガードに守られつつ教職員棟を出ると、そこで一度息をつく。

 ずっと座っていて体が硬くなっていたのだろうか。
 朝日奈が身体を伸ばしながら、皆に呼びかける。

「休めって言われたけど夜ご飯まで時間があるよね。
 あ、そうだー! この後、みんなで遊ばない!? バスケとかバレーとかテニスとか野球とか!」

 すると何人かの生徒がそれに続く。

 しかし、運動をしたくなかったり、他にやることがあったりする人間は続かなかった。
 そして、苗木もその一人だった。
 苗木は霧切を控えめに呼びとめて、一歩一歩地雷原を進むように慎重に切り出す。

「霧切さん……」

「………………」

「ごめんなさい」

「……それは何に対して謝ってるの?」

「えっと、早とちりして山田クンの夢を霧切さんが見たって思っちゃったことかな」

「それでなんで謝る必要があるの? 別に勘違いだったら勘違いでいいじゃない」

「いや、たしかにそうなんだけど……」

「それに山田君の夢を見てたら恥ずかしいなんて、彼に対して失礼じゃない?」

「や、山田君の趣味を馬鹿にしてるわけじゃなくて……。
 上手く言えないんだけど…………。霧切さんの趣味を捏造しちゃったこととかが……」

「はぁ……」

 霧切は無表情のままため息を吐く。
 そんな2人を見かねて、まだ近くで様子を見ていた舞園が助言を述べる。

「苗木君、苗木君。霧切さんが怒ってるのは苗木君が勘違いしたことじゃないんですよ」

 舞園の言葉を聞いて、苗木がきょとんとした顔をする。

「え? それって……」

「舞園さん……。助言はそこまでにして……」

 しかし、それ以上、苗木が尋ねる前に霧切が舞園の口にくぎを刺す。

「あくまで今は、苗木君が何に対して謝ってるかを話してるから、私が怒ってることと関係ないの」

「え、そうなんですか? うふふ……。そういうことなら仕方ないですね」

 舞園は目を細めた。

「苗木君。遠慮も大切ですけど、それを怒る人もいますよ」

「つまり、それは……」

「うふふ……。ヒントはこれで終わりです。これ以上言ったら、今度は私が怒られてしまいますから」

 霧切が「もう怒ってるわ……」とぶっきらぼうに囁いた。
 学園長室で見せたような声色だった。

 それを聞いて、舞園は困ったように微笑みつつ、この場を立ち去った。

「じゃあ、体育館で他の方と合流しますから、苗木君と霧切さんもあとでまた会いましょう」

 2人が仲直りすることを前提とした別れの言葉である。

 そもそも学園長室での78期生の様子を思い出せば分かるように、
 今回の一件で、苗木と霧切の仲が険悪になると思っている者は誰もいなかった。
 困った事態になったと微苦笑こそせど、深刻に頭を悩ませている者はいない。
 遅れてきた苗木は知らなかったが、霧切は不機嫌になった後、多少の愚痴をこぼしていたからだ。
 そして、その愚痴の内容を聞いていれば、苗木と霧切の仲が険悪になることはないと確信できるのである。


(勘違いしたことに怒ってるわけじゃない? ……それってつまり)

 舞園の言葉を受け、先ほどの会議室でのことを思い出しつつ、苗木は短い時間で必死に頭を働かす。

(そもそも山田クンの夢の詳細は山田クン本人も知らないはず……。
 セレスさんが話した可能性もあるけど、セレスさんが意味なくそんなことをするとは思えない。
 さっき話し合いの中で、みんなが知ってたのも舞台がコミケだったくらいだ……。つまり、怒るとしたら……)
 苗木はその可能性に行きついた。

「霧切さんの大切な人と山田クンの夢を結び付けて変な想像しちゃって……ごめん」

「……50点ね」

「え?」

「たしかに、それも気になる……。
 けど、山田君の夢を見たのなら、仕方ないって思えるわ。だいたい想像つくもの……。
 実際に苗木君が夢の中で錯覚しても仕方のないものを見たのなら、そんな勘違いしてもおかしくはない」
 だけど、私が怒ってるのは……そこじゃなくて」

 霧切は腕を組み、口元に指を当てるようにして、思案する。

「……………………」

 しかし、直後、迷いを断ち切るかのように、霧切は首を振った。

「……いえ、そうね。……もう黙っててもしょうがないわ」

 霧切は苗木へと指先を見せる。
 まるで犯人はお前だ……とでも言うように。

「私が怒ってるのは、苗木君。あなたが遠慮したからよ。
 まったく……。舞園さんったら、ヒントどころが答えを言うのはどうかと思うわ。
 それに気付かなかった苗木君もたいがいだけど……」

「遠慮……」

「山田君の夢を私の夢だと思っていたとき、見てきた夢について具体的な内容を言わなかったでしょ?」

「それは……」

「分かってる……。きっと、気を使ってくれたってことは。
 けど、それさえ言ってくれれば、勘違いはしなくて済んだのよ?」

「ごめん……」

「あのね、苗木君……。別になんでもかんでも喋る必要はないし、
 喋ってほしいとも思ってないの。だけど、遠慮もしてほしくなかったの。
 もし間違ってても“違う”って言ってただろうし、もし言いたくなかったら“言いたくない”って言ったわ。
 だって、私達、仲間なんでしょ? 少しくらいの間違い、大目に見るわ。別に死ぬわけじゃないもの。
 ……それとも苗木君は、私が世間的には変わった趣味を持ってるって確信したら、
 それだけで接し方を変えたりするのかしら?」

「いや、そんなことはないよ」

「ふふ……。それなら、なんで私が怒ってるのか? もう分かってるわよね?」

「うん……。本当の意味でごめん。
 最初、霧切さんは舞園さん目当てでボクに近付いてきたのかな……って思ったんだ。
 もちろん、そんなことないってすぐに思ったんだけど……。
 あと、もし霧切さんが舞園さんに対して恋愛感情があったら、ちょっと困るなって……。
 仮にそうだとしても、霧切さんと舞園さんの間のことでボクがどうこう言う話でもなかったし、
 2人とボクが友だちであることは変わらなかったんだけどね。
 どこか視野が狭くなってたみたいだ。色々な意味で……」

「そう……。なるほど。たしかにいきなり知人の隠していた性的指向について聞かされたら、
 動揺してもおかしくないわ。差別は禁止されていても、現実に差別されている人がいる限り、
 周囲は慎重になるもの……。苗木君の反応は間違っていない。
 私が一切そんな素振りを見せていなかったのも、
 この場合、カモフラージュのようになっていて、話を振るのは慎重になってもおかしくない。
 ただ、それでも、私は苗木君に気にせず話してもらいたかったわ。
 いえ、この場合は相談してもらいたかった……というのが近いかしら?
 まぁ、どちらにせよ。バカ正直に真っ直ぐ尋ねてくれた方があなたらしいと思う」

「そうだね……。次からは気をつけるよ」

「分かればいいの」

中途半端なような区切りがついてるような……って感じですが、ひとまずここで
次のレスも書いてはあるんですが、ちょっと出だしが話のつながり的におかしいことに今気付いたので火曜日までに修正させてください
あとSS中の文と>>1の連絡のレスが見分けにくいので(特に投下分が短いと)、いまさらですが連絡の方には色つけてみることにしました


 霧切は口元をかすかに緩めた。
 2人の間に和やかな空気が流れる。
 そして、少し間が開いた後、霧切はつま先の向きを変える。
 運動をしに行った一団の方へ向かうつもりのようだ。

「……じゃあ行きましょうか。
 あの人の前じゃ話しづらいことが皆にあったかもしれないし。
 場合によっては、順番についてみんなで話せばいいんじゃないかしら?」

 あの人とは学園長のことだろう。
 どうやら霧切は夢の世界についての対策をさらに進めようと考えているようだ。
 もしかしたら、昼に受けた相談――苗木の悩みの解決への協力とフォロー――は彼女の中で続いているのかもしれない。

「そうだね」

 苗木は感謝とともに頷く。
 しかし、ひとつだけ懸念があった。

「ただ、勝手に順番を決めたりしたら、先に帰った人たちに悪いんじゃ?」

「別に全て決める必要もないわ。
 その場にいる人で自分の夢の中に入られてもあまり気にしない人を見つけて、
 その人を夜に回すのよ。昼と夜なら、夜の方が他の人に入られる可能性が高いから。
 それに、もし絶対に入られたくないって思う人が多かったら、
 1週間という日程か、昼夜1回ずつという前提を改めた方がいいかもしれない。
 もっとも、私の見立てじゃそこまで明確に拒んでる人はそれほど多くないと思うけど……。
 ただ、どちらにせよ遊んでる最中にそれとなく聞いていきましょう。
 個別に色々聞いてもいいし、誰かに他の人の様子を聞いてもいいわ」

「なるほど……。そうだ。それなら、明日の夜に入る人の夢を決めることを目標にしてみようかな」

「そうね。それくらいがちょうどいいわね。
 けど、今日の夜はいいの?」

「今日の夜は霧切さんの夢じゃだめかな? 結局、昼には入りそこなっちゃったし。
 霧切さんが嫌じゃなければ、最初は霧切さんっていうのが筋だと思う」

「そう。苗木君は律儀ね」

「それに……」

「それに?」

「何かあったとき霧切さんが助けが見込めるなら、やっぱり心強いよ」

「………………」

「霧切さん?」

「いえ、なんでもないわ……」

 素直に感謝してくる苗木に対して、ちょっとした気恥ずかしさを覚える霧切。
 探偵という職業柄、依頼と言う形を通して人に頼られることは多かったが、
 今回、苗木が見せた感謝には、それらの場合に受ける感謝に対するものとは違った感情を覚える。
 仕事とプライベートの違いだろうか?

「……とりあえず、行きましょう。夜までの時間も有限よ」

 霧切はスタスタと歩き始める。
 そして、彼女に続くように苗木も歩き出す。

「そういえば、少しだけ気になったんだけど……」

 話題を変えるためだろうか?
 数歩歩いた後、霧切が世間話のように尋ねた。

「舞園さんに対して恋愛感情ってどういうこと?」

「え?」

「さっきの謝罪の中にあったでしょ?
 話の本筋とはずれるから、気になったけど、あえて夢の内容については聞かなかったんだけど………。
 山田君の夢の中で、私はどういう人間になってたの?」

「そ、それは……」


 山田の夢はコミケの夢。つまり、同人誌の夢。
 同人誌の多くはフィクション(の二次創作)だと霧切は知識として知っていた。
 そして、その中に際どいジャンルもあるということも山田から聞いていた。
 しかし、それらが、どのような経緯をたどって、
 自分や“お姉さま”や“舞園さんへの恋愛感情”に結び付くのか、霧切にはまだ分かっていなかった。
 そして、怒りや困惑というよりも、純粋な知的好奇心で霧切は尋ねた。

「舞園さんにも伝えていいこと?」

「ははは……。すごい言いにくいんだけど……」

 この後、苗木は先ほどの反省を踏まえて、誠心誠意謝罪を行った。
 
 霧切は気にしていないようだったが、説明する苗木の方は恥ずかしかった。

 全部を理解て、霧切は呆れつつも笑った。

「舞園さんも思わず笑ってしまうと思うわ……」

「霧切さんの胸の中だけに留めておいて……」

「ふふ……。考えておくわ」

 もし、ばらされたら、夕飯のときの話題は確定である。

「いや、勘弁してよ……」

 霧切の隣で、苗木は頬を掻きながら、嘆息していた。
 そして、そんな苗木のため息を聞きながら、2人は歩いていく。







「なんだかんだで困った顔どまりで、嫌な顔をしてない……ってか、満更でもないのは、なんなの!?
 今の日常が充実してるの? やっぱり後ろが身を引っ張ってこけさせられたいの?
 ヤッバ……! デジャブ! 気合で脳のリミッターとか破れそう! って、これも2回目じゃん!」

 後ろで江ノ島が見ていたようだが、特に気にする人間もいなかった。
 
 一番近くで、この言葉を聞いていた人間も別にツッコミを入れるでもなく、マイペースに話を進めていた。

「盾子ちゃん……! この後、一緒にお茶しようよ……!」

「実の姉にナンパみたいな誘われ方してるわー。寒すぎて絶望的だわー。
 けど苗木の命令だから明日の正午までは付き合わないとー」

「うん……。ありがとう。盾子ちゃんが絶望的なら私も嬉しい。
 盾子ちゃんは絶望大好きだもんね……」

「残姉ちゃんってメンタル弱いんだか強いんだかよく分からないよね。
 めげなさだけがなんか苗木に似てきてね?」

「え、そう? ……えへへ」

「うわっ! うぜー。超うぜー。ウルトラ絶望的にうぜぇー」

「……盾子ちゃんって、苗木君のこと嫌いなの?」

「嫌いってか、絶望的に受け付けないわ。生理的嫌悪感っていうの?
 今日確信したんだけど、アタシとアイツは食うか食われるかだわ。
 もっとも、スペック的には雲泥の差だから、
 ライオンとトラとかハブとマングースとかってよりも……人間様とフグって感じ?
 アタシがわざわざ食べようとか思わなければ毒に当たらないし、単純に殺すだけならどうにかなるのよ。
 けど、食べたらおいそうだから、頑張って食べようと思ってめんどくさい思いをすることになっちゃうの。
 あ、けど、フグを見ても、生理的嫌悪感はないから、もっと別のかも」

「盾子ちゃんでも分からないことがあるんだね」

「知らないことは分からないわね。ま、予測したら99.9999999999999999999999999999999999%当たるけど」

 そう言いながら、江ノ島は苗木達の去った方向を眺めた。
 そして、ふと思い出した。


 『クイズ苗木誠の100のコト』で苗木と江ノ島が両方間違えた問題がひとつあった。
 苗木が解答後、答え合わせをするまでの間に、質問に対する考え方を改め、両方の不正解という形になったのだ。

 その質問は「苗木誠は誰の中にも希望があると信じているか?」であった。

 最初、苗木は「信じてる」と答えた。
 江ノ島もまた苗木は何の疑問も持たずに「信じてる」と答えるだろうと予測していた。

 しかし、答え合わせ寸前になって、苗木はふと答えを変えたのである。
 より正確に言うと、その質問について考え始めて十数秒で、苗木の中で精神的跳躍が見られたのである。



「もしかしたら、ない人って言う人もいるかもしれない。
 だけど、そのとき希望がなくても絶望に負けなければ、きっと希望は現れるよ」



 江ノ島はその言葉を聞いて「実質的に“信じてる”ってのと同じじゃないかしら?」と告げ、
 2人とも正解というのを主張したのだが、苗木はジッと江ノ島を見て、どっちも不正解を主張した。
 終始、江ノ島に振り回されていた苗木が、その時だけは、まるで別人のように、頑固であった。

 江ノ島が苗木に何かを感じたように、
 苗木も江ノ島にこれだけは言っておかなければならないという予感のような何かを覚えたのかもしれない……

 結局、苗木の主張に従い、どちらも不正解という形に落ち着いたのだが、江ノ島としては、ある確信を抱いていた。

 実は、その確信を抱くことこそが、苗木を夢の世界に引きずり込んだ最大の目的でもあった。

「予測も理解もできない残りの0.0000000000000000000000000000000001%か……。
 まぁ、いいわ……。世の中、ブラックボックスがあってもどうにかなるもの」

「今なんて言ったの? あと、0って何回言ったの?」

 何かずれてる質問をしていた戦刃を余所に、江ノ島は薄く笑う。


 苗木のことが分かるまで、しばらくはリミッターを解除しようと全力で抗うことをよしてやろう。
 それに、一度受けた絶望的な屈辱の味は悪いものではなかった。だから、あえて何度もそれを受けるのも悪くない。
 だから、リミッターが完全に解除できなくなったとしても、それはそれで笑える。


 日の光によって苗木達の立ち去った方向へと長く伸びる自分の影法師を見下ろしながら、
 江ノ島盾子はそんなことを考えていた。

 それが江ノ島なりの平和な学園生活における青春の仕方だった。

今回の投下&江ノ島さんの夢編はこれで終わりです
次回にはたぶん次の人の夢に入れると思います

たしかにご指摘のとおり

>>399
後ろが身→後ろ髪

ですね。同じ表現なのに、1回目はあってて2回目は間違ってるとは此は如何に……

少し忙しくて更新が遅れております
明日の夜、次回の更新がいつになるかお知らせします

金曜日に更新します


◇◇◇

「もうすぐ10時か。やり残したことはもうないかな?」

 パジャマに着替えた苗木はベッドの上に転がりながら自問した。
 夕食を食べた後、明日の準備をして、風呂に入り、歯磨きをしたらちょうど良い時間となっていた。
 もう後は寝るだけ。より正確に言うならば、霧切が眠りに就くのを待つだけだ。
 霧切は9時半から横になり、10時になっても寝付けないようなら、例の睡眠薬で眠るとのことだった。

「今日は色々あったな」

 山田や江ノ島の夢に入ったことや学園長室での会話を思い出す。
 そして、これから1週間、忙しい日になりそうだとひとり息を吐く。

 霧切とともに体育館に向かった後、何人かと話をし、
 夕食の席においても体育館に来なかったメンバーと話した結果、順番に関してはある程度目途がついた。

 早い遅いではなく、朝か夜かで分けていく方針を苗木は取ることにした。

 夢に入ってみたい人、もしくは入られてもあまり気にならない人は夜。
 可能な限り人に入られたくない人は昼。
 大きく2つにグループ分けをすることで、各々のニーズを出来る限り満たすのだ。
 前者に関しては、霧切、石丸、葉隠などがいて、後者に関しては、十神、大和田、腐川などがいる。

(まぁ葉隠クンは夜とか昼とかよりも初めの方であることが重要らしいけど……動機がすごい不純そうだから後に回そう。
 少なくとも十神クンより後だな……。十神クンの個人情報でインサイダー取引を目論んでたらまずい。
 『春休みの間に寝てるだけで儲かる株取引の仕方を教えてもらったんだべ』って昨日言ってたし……)

 夢でそんな情報を得られるかはともかく、十神の夢の中に侵入したことがばれると同時に葉隠の鳥葬は免れないだろう。
 苗木としても、クラスメートが鳥に啄まれる姿など見たくなかった。

(石丸クンは夢の中に入られても恥じるようなことはないって感じだったな。
 霧切さんの『夢は支離滅裂な連想ゲーム』って話をそのまま鵜呑みにしてる感じもするけど……。
 逆に、十神クンは最悪の可能性を踏まえて誰も立ち入らせないって感じだったな。
 腐川さんと大和田クンも同じ感じ……。
 そう言えば、江ノ島さんが『どうしても忘れないといけないものを見たら
 松田くんに頼んで何か作ってもらおうか? うぷぷ…』とか言ってたけど、何だったんだろう……?
 ……まぁ、どちらにせよ、ロクでもなさそうだから頼りたくないな)

 苗木は昼を強く希望したクラスメートに関しては細心の注意を払おうと考えた。

(あとの4人は恥ずかしさ半分興味半分、あと人の夢で変なの見たら申し訳ないって気持ちが少々って感じだったな。
 可能なら昼ってとこかなぁ……。ひとまず、4人の順番は後ろに回しておこう
 うーん。山田クンの夢から江ノ島さんの夢までそれほど時間が経ってなかったし、
 1日に数件入っても問題ないとは思うんだけど。無茶はいけないかなぁ……。
 とりあえず様子見……松田先輩の解析待ちかな?)

 苗木は残りの4人について思い出す。
 舞園、不二咲、朝日奈、大神は出来れば昼が良いとは言うものの、
 苗木に迷惑がかかるなら、どちらでも構わないとのことだった。

(順番に限らず、夢に入る機会が均等だったら良いんだけどなぁ。
 それだと仲が良い人が互いの夢に入りあって興味も満たせるし、恥ずかしくても必要最低限で被害は収まるし。
 朝日奈さんは夢の世界を体験したいと思いつつ自分の夢を覗かれたら恥ずかしいってジレンマになってたなぁ。
 不二咲クンも夢の世界に科学的興味が尽きないみたいだけど一方的に楽しむのは悪いって思っちゃったみたいだし……。
 ……場合によっては、葉隠クンを一番最後の夜にするのもありなのかな? ……いや、さすがにそれは葉隠クンが可哀想か。
 かといって、何故かトリを務める戦刃さんに全員で入っていい? って頼むのも、江ノ島さんは良くても、罪悪感が……。
 いっそ夜グループに入ってもらって、夜グループの中でさらにクジで順番を決めるというのもありかも……。
 それに対して、舞園さんと大神さんも夢の世界には興味があるみたいだけど、
 その対象が自分の内面世界っぽかったからなぁ。自己分析とか占い感覚なのかも。
 ただ、誰かの夢に入りたいというわけじゃなさそうだから、夜よりは昼かな)
 となると……)

 苗木は大まかな順番を頭の中で思い浮かべる。
 それは、次のようなものだった。


 1日目夜:霧切
 2日目昼:十神  2日目夜:※
 3日目昼:腐川  3日目夜:※
 4日目昼:大和田 4日目夜:※
 5日目昼:舞園  5日目夜:※
 6日目昼:大神  6日目夜:戦刃
※石丸、葉隠、不二咲、朝日奈の中の誰か(松田の解析次第では不二咲と朝日奈は昼に回るかもしれない)であり、
 クジで順番を決めてもらう


 苗木は頭の中で何度かシュミレーションをしたところ、
 これが最も無難だという結論に至った。

(ふぅ……。良かった。なんとかまとまった感じだ。
 明日、霧切さん達にも意見を聞いてみよう)

 苗木は安心したためか、あくびを一度する。
 ベッドの上で転がりながら待機していたためか、苗木自身も段々と眠気に襲われつつあった。

 ふと、苗木は壁の時計を見る。

(あ、10時までもう30秒だ……。
 ちょうど良い時間……)

 苗木の視線の先で秒針が12の文字へと戻ろうとしていた。
 苗木はそれを眺めつづける。

(22、21、20、19、18、17、16、15、14、13、12、11、10、9、8、7、6、5、4…………)

 カウントダウンをしながら苗木はそのときを待つ。

(3、2、1……)

 そして、秒針が12の文字を指した。

(0……。あ……)

 そして、それと同時に苗木はどこかに落ちていく。

 ゆっくりとあの場所に……。



◆◆◆

「……って、なんか2つ光ってる!?」

 16個ある扉のうち、苗木を表してる扉以外にも2つ光ってる扉があった。
 苗木の扉から時計回りに2つ目と5つ目。それぞれ純白の光と白みがかった薄紫色の光を放っている。

(10時ぴったしに眠った人が他にもいるのか。……早すぎるだろ。
 えっと、薄紫色の方がイメージ的には霧切さんだろうから、もう一人は白色が似合う人ってことか。
 ……石丸クンかな? 早寝早起きは三文の徳って言ってたし……。
 いや、それにしても10時になると同時に寝るってすごいな。
 10時にベッドに入るにしてもそんなにすぐ寝付けるものなの? 日頃の生活習慣の賜物かな?)

 なお、石丸の朝起きる時間は4時である。
 授業までの時間に、ランニングしたり次の日の授業の予習をしたりしているのだ。
 早朝に修行をしている大神にも関心されていた(大神は5時半くらいから修行を開始する)。
 日頃から生活習慣を注意されて面倒くさがっている桑田をもってして
 「イインチョがウゼェ通り越してコエー……」と言って、畏怖するレベルである。

 ちなみに、石丸と大和田が仲良くなったのは、石丸がランニングしている最中に、
 徹夜の遠征(暴走)から帰ってきた大和田とニアミスし、一悶着あった末の出来事らしい。
 石丸が授業開始時間になっても現れなかったため、クラスメートの何人かが心配して、
 探しに出かけたら、肩を組んだ石丸と大和田が現れて皆を驚愕させたのだ。

(早寝してるのは知ってたし、10時になったらベッドに入るってのも今日聞いたけど、
 さすがにこれはびっくり……。まぁ、霧切さんの扉を開けばいいだけだから問題はないけど)


 予想外の出来事だったが、それほど苗木は慌てなかった。
 冷静に判断を下し、「白い扉は明日以降だ……」と考え、苗木は薄紫色の扉へと近づいていく。
 そして、薄紫色の扉に手をかけようとした。
 しかし、その瞬間のことである。

「白い扉って落書きしたくなるよね。うぷぷぷ……」

「え?」

「はーい、みなさんこんばんはー。夢見る超高校級のみなさん、夢を見続ける準備はOK?
 えー、まだ、ダメ? はやく服脱いで全裸で待機するんだ。話はそれからだー。
 ボクはいつでも生まれたままの姿で皆さんを待ってます。
 おっと、遅れましたが、今夜のパーソナリティ、DJモノクマです!
 え、パーソナリティとDJは違うって? いいんだよー細かいことはー。
 脱線も人生です。ボクの場合はクマ生だけど!」

「な、なんでいるの?」

 何故か白い扉の近くにモノクマがいた。
 モノクマは照れたように頭に手を置き、告げた。

「江ノ島さんの夢が終わるとき、
 苗木クンの世界への扉が開きっぱなしだったから、つい入っちゃった☆」

「えーーーーーーーー!?」

「江ノ島さんが本体なら、ボクはそれをもとにしたプログラムなんだけど、
 なんかの拍子で独立稼働できるよう超進化しちゃったみたい~。
 うぷぷ……。この前、不二咲クンの作ってるアルターエゴを江ノ島さんが見たせいかな。
 人間の脳ってコンピュータみたいなもんだからねぇ……。
 まぁ、ひとまず、ボクのことは苗木クンの電気信号に反応して自動応答する高度なAIだと思ってくれればいいよー」

「もう何がなんやら……」

 モノクマが目を細めて穏やかな笑顔を浮かべてるのを見て、苗木は引きつった笑いを浮かべる。

(勝手に入ってくるって、それもうウイルスみたいなもんじゃないかな?)

「自分自身を複製できないからウイルスじゃないよ。
 あ、知ってた苗木クン? ウイルスって認められるには自分自身を複製できる能力が必須らしいよ
 だから、ボクはただのお茶目なマルウェアなのです。残念ですね。
 あ、マルウェアって有害なソフトウェアって意味ね」

(心を読んだ!? っというか、有害だって自覚はあるのか……)

「苗木クンの考えてることは分かりやすいよー! お茶の子さいさいだね!」

 モノクマは腹を抱えて笑い始める。
 しばらくの間、釣られるように苗木も苦笑いを浮かべていた。
 しかし、ハッとしたように何かに気付く。

「と、とりあえず、今は霧切さんの夢の中に行かないと……他の人が眠る前に。
 モノクマはここで待ってて。話はまた今度……」

「いや、ボクも行くよー」

「いや、ダメだって……」

「あとボクの気分は白なのだー」

「は?」

 虚を衝くように、モノクマがいきなり白い扉を開いた。

「え、ちょっと、まって、ふざけるなモノクマっ!?」

 あまりに突然なことで、苗木は目を剥く。
 だが、モノクマの暴挙を止める暇はなかった。

 白い扉が開くと同時に、薄紫色の扉の光が点滅し、カチャリと鍵がかかったような音が響いた。
 どうやらひとつの世界とつながっていると、他の世界とさらに繋がるというのは出来ないようだ。


「へーそうなんだー! 今度鍵開けに挑戦しよっかー! どうなるかワクワクだね!」

 何が起こったのか素早く理解したモノクマが万歳をしている。

「う、うわぁ……。うわぁー……」

 苗木は一度深呼吸をして、呼吸を整える。
 イラッとした気持ちを必死に抑え、苗木は出来る限りの冷静さを装って、こう言った。

「やっぱり一緒についてきて……。ここに残しても不安だよ……」

「あいあいさー」

「はぁ……」

「ごめんね。苗木クン、手がうっかり滑って」

「嘘だろ!」

「テヘペロ」

「……かわいくないよ」

「がーん! しょっく! ボクのアイデンティティーが!?」

「……えい」

「チョップ!? そんな苗木クンが暴力に訴える不良に!?
 腹パンしても土下座すれば許してくれそうな男子No.1の苗木クンが怒ってる!?」

「……だって無機物だし」

「モノとマスコットは大事にしましょう!」

「……そうだね。ハハハ…………」

 苗木は乾いた笑い声を上げる。
 霧切の夢に入るのはいつのこととなるのだろう?
 そもそも本当に入れるのだろうか……?
 苗木はそんなことを思う。

「………………」

「元気だしてよ、苗木クン! レールの引かれた旅は楽しくないよ! ハッスル! ハッスル!」

「せめて、この白い扉が石丸クンでありますように……」

「聞いてるー?」

 夢に入られることへの抵抗が比較的少ない石丸なら、
 不意打ちで入るにしてもまだマシ――そう念じながら、足取り重く、苗木は白い扉の奥へと向かっていく。

 そして、扉の敷居を跨ぎ、その世界へと入っていった。




「止まりたまえ! 持ち物を改める!」

「え、は、はい!」



 すると、いきなり、叱責の声に驚く羽目となった。
 入学式当日に着ていた白い学生服に身を包んだ石丸が立っている。
 彼は希望ヶ峰学園を背にしていた。

「そもそもパジャマで来るとは何事かね!」

「あ、ごめん……」

 眠りに就いたとき、苗木の恰好はパジャマであった。
 それが、夢の中に反映されているようだ。

(ツッコミが入るとは思わなかった……)

 星柄のパジャマを着たまま、うろたえる苗木。
 そんな苗木に対して、石丸はさらに怒鳴る。

「せめて学校指定のジャージにしたまえ!」

「え、そういう問題?」

「早く着替えに行きたまえ! もうすぐ朝礼が始まるぞ!」

「え、あ、うん……」

「あと、そのぬいぐるみは没収だ! 学業に関係ない!」

「あ、どうぞ……!」

「え、ちょっとー? ひどくないー?」

 横にいたモノクマを見て、石丸がモノクマに近付いていく。
 特に苗木は止めなかったため、モノクマは石丸に抱きかかえられる。
 他人の夢の中だからだろうか? 江ノ島の夢で見せたような異常な戦闘力をモノクマは見せず、あっさりと連れ去られていく。


「こらー覚えてろよー」



 苗木は見て見ぬふりをした。
 むしろ、ガッツポーズをこっそり取った。
 今まで受けてきた仕打ちから、苗木はモノクマに対して少しくらい辛らつな態度を取っても良いと考えつつあった。
 ある意味、気の置けない仲である。

「とりあえず着替えようかな……。たしか体操服の予備がロッカーに入ってたはず。
 いや、けど、石丸クンの夢だから再現されてないかも……。ウサミを探そうかな……」

 そして、何事もなかったように、校舎の中へと苗木は入っていく。
 夢の舞台となっている場所は、見覚えのある場所であったため、今までの夢の中で最も歩きやすかった。




「止まりたまえ! 持ち物を改める!」

「え、は、はい!」



 すると、いきなり、叱責の声に驚く羽目となった。
 入学式当日に着ていた白い学生服に身を包んだ石丸が立っている。
 彼は希望ヶ峰学園を背にしていた。

「そもそもパジャマで来るとは何事かね!」

「あ、ごめん……」

 眠りに就いたとき、苗木の恰好はパジャマであった。
 それが、夢の中に反映されているようだ。

(ツッコミが入るとは思わなかった……)

 星柄のパジャマを着たまま、うろたえる苗木。
 そんな苗木に対して、石丸はさらに怒鳴る。

「せめて学校指定のジャージにしたまえ!」

「え、そういう問題?」

「早く着替えに行きたまえ! もうすぐ朝礼が始まるぞ!」

「え、あ、うん……」

「あと、そのぬいぐるみは没収だ! 学業に関係ない!」

「あ、どうぞ……!」

「え、ちょっとー? ひどくないー?」

 横にいたモノクマを見て、石丸がモノクマに近付いていく。
 特に苗木は止めなかったため、モノクマは石丸に抱きかかえられる。
 他人の夢の中だからだろうか? 江ノ島の夢で見せたような異常な戦闘力をモノクマは見せず、あっさりと連れ去られていく。


「こらー覚えてろよー」



 苗木は見て見ぬふりをした。
 むしろ、ガッツポーズをこっそり取った。
 今まで受けてきた仕打ちから、苗木はモノクマに対して少しくらい辛らつな態度を取っても良いと考えつつあった。
 ある意味、気の置けない仲である。

「とりあえず着替えようかな……。たしか体操服の予備がロッカーに入ってたはず。
 いや、けど、石丸クンの夢だから再現されてないかも……。ウサミを探そうかな……」

 そして、何事もなかったように、校舎の中へと苗木は入っていく。
 夢の舞台となっている場所は、見覚えのある場所であったため、今までの夢の中で最も歩きやすかった。

今日はこれで終わりです。
すみません。最後連投になってしまいました。

次は火曜日の夜の予定です


(なんか変な張り紙が多いなぁ)

 苗木は周囲の様子を見ながら、廊下を歩いていく。
 歩きなれた廊下だが、ところどろこに違和感を覚える部分がある。
 例えば、掲示板に貼られた張り紙である。

(『廊下は走るな』って、普段張られてないよね……。言ってるのは当たり前のことなんだけど……
 ……念の為、走らずゆっくり歩いて行こう。朝礼もいつから始まるか分からないしね)

 ゆっくりと歩きながら、苗木は石丸の言っていた朝礼について考える。

(教室の時計を見る限り、石丸クンの中では、今は朝8時か……。
 始まるのは、8時半くらいからかな? そもそも行かないとまずいんだろうか)

 苗木は他の張り紙を見て、予定が書かれていないかを確認しようとした。
 しかし、予定に限らず、役立つ情報はとくに書かれていなかった。

(「水滴石を穿つ」って、これ石丸クンの部屋に貼られてるやつだよね?
 ……学校の決まり事ですらないな。
 他にも「質実剛健」とか「質素倹約」とかある……。石丸クンの日ごろの心がけなんだろうか?
 「早寝早起きは三文の得だ!」とかビックリマーク付きだし……。
 「努力に勝る才能なし」は赤文字だな
 すごいのになると、「欲しがりません勝つまでは」とか「贅沢は敵だ」とか書かれてる……)

 苗木は「たぶん、ゲームは1日1時間とかも探せばあるんだろうな」と苦笑しつつ、掲示板を後にする。

(ロッカーにも何かあるかもしれないな。
 大量の教科書が積まれてる可能性もあるぞ。
 石丸クンの考える学校なら授業数が倍くらいあるかもしれない。うん、覚悟をしておこう)

 自分のロッカーなのに、開けたら教科書が流れ落ちてくる。
 そんな光景を苗木は想像した。

(ははは……)

 苦笑する苗木。そして、苦笑し終わると、彼は次のことへと思いを馳せる。

(……それにしても、ウサミはまだ来てないのかな? 呼びかけてるけど、返事がない。
 うーん。それともウサミからじゃないとテレパシーって繋がらないのかな?)

 そして、そのままウサミのことを考えながら、苗木はロッカールームの前までたどり着く。

(開けたら、ウサミがいたりして……。はは、まさかね……)

 そして、苗木はロッカールームの扉を開く。
 残念ながら、ウサミはいなかった。代わりに、モノクマはいた。


「いやん、苗木さんのエッチッ!」

「え、ご、ごめん!?」


 モノクマによる嬉しくもなんともないサービスシーンが広がっていたため、苗木はピシャリと扉を閉める。

「……って、なんでだよッ。色々おかしいぞ!」

 しかし、すぐに開き直し、モノクマに抗議をする。

「いやーん。苗木クンったら大胆! ボクの裸体にそんなに興味があるの?」

「前から裸だったじゃないか……。それに、石丸クンに連れて行かれたのに、なんでここにいるんだよ」

「そうだなー。後ろにいる石丸クンに聞いてみたら?」

「え?」

 すると、そこにはいつの間にか、石丸がいた。

「苗木クン! 不純異性交遊は禁止だ!
 ましてや着替えをしているところを覗くなど言語道断だ! 反省したまえ!
 あと、廊下では静かにしたまえ!」

(い、石丸クンの方がうるさいよ……)

「それに、朝礼の開始時間に遅れているぞ!」

「え? 何時から?」


「8時からだ!」

「それって、持ち物検査を受けた時点でもう手遅れじゃなかった……?」

「持ち物検査を受けた時点で7時55分だっただろう!
 ロッカーまで1分! 着替えに1分! 体育館まで2分! 1分は余裕をもって体育館に入れたはずだ!」

「む、無理だよ……。しかも廊下を走っちゃいけないんでしょ?」

「もちろんだ! 何を当たり前のことを言っているんだ!?」

「やっぱり無理だって! 体育館にはあとから静かに入るから、石丸クンは先に行っててよ」

「駄目だ! 君以外は全員揃っているんだ! はやく来たまえ! みんな待ってるぞ!」

 すると、そこでモノクマが「そうだーそうだー」と石丸に追従する。
 その追い風となる言葉を聞いて、石丸はさらにヒートアップした。

「モノクマ先生もこう言っておられる!」

「先生!? ど、どういうこと?」

「恥ずかしながら僕も知らなかったのだが……。
 モノクマ先生は今日からここに赴任してきた新しい先生なのだ」

「担当は、倫理と生活指導だよ。うぷぷ……。
 出身は魔法の国だからね。ぬいぐるみみたいに見えるのは仕方ないよね。
 あ、ちなみに、魔法の国はもうすぐ国連に加盟するから。覚えておいてね。石丸クン」

「そ、そうなのですか!? それは初めて知りました!
 くぅ……。国連加盟国がひとつ増えるというのに、僕はそのことについてまったく知らなかった……。
 なんて事だ……。最近は教科書の勉強ばかりで国外の新聞を4つしか読んでいなかったからな……。
 将来、総理大臣になろうというのにこんな体たらくじゃ……努力が足りないと言われても仕方ない!
 この学校の図書室には主要な新聞が全て揃っていると言うのに……まったく活用できていないぞ、石丸清多夏!」

「い、石丸クン。普通の高校生は国外の新聞を4つも読まないよ……」

 どうやら夢の中の石丸は、現実の石丸以上に物事を素直に信じ込みやすく、気分の抑揚も激しいようだ。
 おそらく、そこを利用されて、モノクマに騙し込まれたのだろう。

「えっと、と、とりあえず……」

 慟哭する石丸をしり目に、苗木は自分のロッカーに手をかけることにした。

「ぼ、ボクは着替えるね。って、うわあっ!?」

 ロッカーの中から流れ落ちてきた大量の教科書に飲み込まれる苗木。
 石丸に注意を取られて、警戒を怠った結果である。

「苗木くん! ロッカーの中身はちゃんと整理しないと駄目だ!」

 ピタリと慟哭を終え、石丸が立ちあがる。
 そして、苗木を教科書の山から引っ張り出す。

「さぁ、はやく着替えたまえ! ジャージもそこにあるぞ!」

「あ、うん。ちょっと、まって」

「遅いぞ! 苗木くん! もっときびきび動きたまえ!
 なんなら、僕が手伝ってやろうか!?」

「い、いえ、けっこうです」

 苗木は慌ててパジャマを脱ぎ、希望ヶ峰学園指定のジャージに着替える。
 ついでに、ロッカーの中に入っていた電子生徒手帳もポケットに入れておいた。

「お、終わったよ」

「よし、では、行こうか!」

「い、石丸クン、ちょ、ちょっとまっ……うわああああああ」

 石丸は苗木の腕を掴み、ものすごい速度で“歩いて”いく。
 動画を2倍速で再生したかのような速度である。
 競歩とも違う、夢の中だから可能な動きであった。
 苗木は半ば引きずられるようにして、体育館へと連行されていった。

「うぷぷぷぷぷ……。ボクはゆっくりついていくよ。……って、え?」


 モノクマは含み笑いを浮かべていた。
 しかし、急にUターンしてきた石丸に驚く。

「先生! 先生もはやく来てください! 先生も挨拶があるはずです!」

「えーっと、まぁ、そうだね? けど挨拶まで時間もあるはずだよ」

「生活指導の先生ともあろう方が何を!?
 生徒の模範とならないといけませんよ!」

「お、おう……」

「さぁ! はやく!」

「ひ、ひぎぃいいいいいいいい。腕がちぎれて白い綿が出ちゃうーッ!?」

 石丸はモノクマの腕を掴み、振り回すようにして素早く歩き始める。
 右手に苗木、左手にモノクマ。
 石丸は1人と1匹を引き連れて、体育館へと向かう。

「いた、いたたたたた……」
「痛いクマ。これは駄目クマ」

 方向転換時の激しい切り替えしによって、苗木とモノクマの身体は何度か壁にぶつかる。
 慣性の法則によって、彼らの身体の勢いはすぐには止まらないのだ。

「体育館はもうすぐだ! 身だしなみを整えておきたまえ…………ハッ!
 なんてことだああああああああああああああああああああああああああ!?」

「「うわぁ……ッ!?」」

 苗木とモノクマはポーンッと宙を舞った。
 石丸が急に立ち止まり、両手で頭を押さえたからである。
 石丸の手は2つしかないため、苗木とモノクマを掴んでいた手が離されたのである。

「に、逃げよう。意外とこの夢やばいかもしれない……」

 拘束を解かれた苗木の判断は早かった。
 この2日間で、苗木の危機に対する判断力は急激に向上していた。
 苗木は逃げようとした。

「苗木くん!」

「は、はい!?」

 しかし、石丸に回り込まれた。

「苗木くんの髪型はおしゃれだな」

「え、あ、ありがとう」

「しかし、長すぎる! ここは学び舎だ! もっと短くしたまえ! 刈り込みたまえ!
 それになんだ! そのアンテナは! 流行っているのか!?」

「も、もっと短くって……。い、いつの時代!? それにこれはアンテナじゃなくて……」

「言い訳無用!」

 どこからともなく取り出したバリカンを石丸は手にする。
 慌てて苗木は反論する。

「こ、校則で決まってないよね!?」

「何を言ってる! 校則については電子生徒手帳に記載されているだろう!
 ま、まさか……苗木くんはまだ暗記していないのかね!?
 少なくとも、最初の100項目は基本的な項目だから、暗記しないと駄目だ!」

「ちょ、ちょっと待って……」

 苗木は電子生徒手帳を開き、校則の項目を見る。
 単位や卒業の条件など細かい規則や希望ヶ峰学園で生活するための手引きを
 手帳で閲覧できることは苗木も知っていた。
 しかし、石丸が言うような内容を見た覚えは少しもなかった。

(絶対、これ現実の手帳には載ってないよね……)

 そこには見た事もないほど多数の校則が書かれていた。
 そして、校則どころが細かい生活のスケジュールまでびっしりと指定されていた。


 例えば、「夜は10時に消灯」「朝は6時までに起床」「朝6時15分-7時まで寄宿舎の掃除」
「朝7時-7時半に朝食」「朝8時から体育館で朝礼」「朝8時45分から授業開始」……といった具合である。
 同様にして、服装や生活態度についても細かく規定されていた。
 例えば、「廊下は走るな」「左端一列通行を保つこと」「授業開始時間5分前には席に座ること」
 「スカート丈は膝より下」「靴下は白」「靴も白」「男子の髪は3厘刈りより短くすること」
 「女子の髪は三つ編みかおかっぱにすること」「染毛は禁止」「制服の上着を脱ぐのは禁止」
 「ボタンを開けるの禁止」「カーディガン禁止」「セーターは上着の下で黒か紺なら可」……などといった具合である。

 この校則を現実において適応したら、今時の高校なら暴動が起きるだろう。
 少なくとも、希望ヶ峰学園の生徒達は暴れるに違いない。
 おそらく、現実の石丸ですら、この校則を適応するのは不可能だと考えるに違いない。
 しかし、夢の中の石丸は違った。

「さぁ、観念したまえ! 君の髪は風紀を乱している!」

「それは違うよ! ……そ、それに、モノクマの恰好の方がよっぽど問題だよ!」

「え、なんのこと? やだなー。苗木クン。この日のためにちゃんとスーツ着てきたよ、ボクは」

「い、いつの間に……」

 ぬいぐるみサイズのスーツを着て、笑顔で対応するモノクマに対して、苗木は悔しさで顔を歪ませる。
 だが、すぐに気持ちを切り返して、苗木は必死に自分から矛先を逸らそうとする。

「モノクマの毛の色は白と黒。どっちかに統一すべきだよ!」

「地毛だよ! これは地毛だよ! 魔法の国では2色を持つアニマルが生まれるのも当たり前だよ」

「それは違うよ! ボクの知ってるウサミは魔法の国出身だけど白一色だ!
 真ん中で2色に分かれてる動物なんて、意図的じゃないとあり得ないよ!」

「ノー! ノー! それは差別だって差別。いいかい、苗木クン。
 三毛猫のオスは珍しいんだ。二毛熊のオスはもっと珍しいんだ。ただ、それだけのことなんだ」

「いや、そのたとえはおかし……」

「ええええええええい! 時間がないのだ!」

 石丸が吠えた。

「「ひぃ……」」

 苗木とモノクマが互いの肩を抱くようにして、石丸から一歩下がる。
 そんな1人と1匹に対して、石丸は迫る。
 片手にバリカン、もう片手に黒い塗料を吸ったハケを持っていた。

「モノクマ先生は黒一色に染め、苗木くんの頭は刈る! 決定だ!」

「「う、うわああああああああああああああああああああああああ」」

 そして、始まる追いかけっこ。

「待ちたまえ! 廊下は走るな! それに朝礼はどうするんだ!」

 例の超高速歩行で苗木達を追いかける石丸。
 もはや滑るようにして、石丸は横へとスライドしていた。
 バリカンとハケを前方へと突き出したまま(つまり、走るために振ったりせず固定したまま)、
 足だけを素早く動かしているのだ。それは苗木とモノクマにとって中々の恐怖であった。
 例えるなら、警察のマスコットが描かれた立て看板がそのままのポーズで迫ってくる状態である。

「プリティーなボクのボディが黒一色なんて中学生男子の好きそうなカラーになるなんて耐えられません。
 だから、苗木クン。囮になって!」

「やだよ!」

「ジャンケンしよ! ジャンケン!」

「だからやだって!」

「出さなきゃ負けだよ、ジャンケン……」

「だから、出さないって!」

「グー! そしてアンド! グー!」

「あ、あぶな!?」

 苗木の進行を防ぐようにして、モノクマはグー……と言う名のパンチを繰り出した。


「く、くそ……」

 避けようとして、苗木は転んでしまった。
 そして、それはこの場においては致命的な隙であった。

「苗木くん!」

「し、しまった……」

「刈るぞ!」

「や、やめてええええええええええええええええ」

 そして、頭のアンテナごと苗木の髪の毛は刈られていく。
 後ろの少し伸ばしてあった襟足なども綺麗に削られ、石丸とお揃いの髪型になっていく。
 これが夢の中で幸いである。

「う、うわあ……」

 囮にした張本人であるモノクマも思わずドン引きである。
 しかし、ドン引きしている時間は無駄な時間であった。
 本当なら、その時間も使い、モノクマは逃げねばならなかったのである。

「捕まえたぞ!」

 まるで瞬間移動のように、一瞬で間合いを詰めてきた石丸。
 モノクマは慌てて逃げようとするが、手遅れだった。

「しまったー!? い、石丸クン、ボク先生、キミ生徒……」

「風紀の前に先生も生徒も関係ありません! 学び舎にいる限り、人は風紀を乱さぬように注意しなければならないのだ!」

「う、うわあああああああああああああああああああああああ」

 モノクマは黒く染まっていく。

「あと、これをかけてください!」

 ついでに、目つきが左右で違うということで、それを隠すための分厚い眼鏡をモノクマは渡された。

「これはガリ勉用の瓶底眼鏡!? なんでこんなもんもってるんだよ!?」

「よし、これで2人の恰好に問題はないな! あとははやく体育館に向かおう!」

「いや、聞けよ!?」

「行こう」

「「うわあああああああああああああ!?」」

 そして、1人と1匹は再びそのまま引きずられて行く。
 慣性の法則に揺られ、苗木の意識は遠くへ遠くへと向かっていく。
 しかし、苗木は必死にそれを繋ぎ留めながら、助けを求め続けた。


(ウサミーーーー! 助けてーーーーーー! まだいないのーーー!?)

(な、……木君……。どう……まち……か!?)

(ウサミ……!? やっと来たの!?)

(苗木君……!? どうかしまちたか!?)

(ウサミ……!? たいへんなんだ! 色々と……!)

(い、今向かいまちゅ……! 同じ夢の中にはいまちゅので!
 なぜかいつものように苗木君のお友達も一緒でちゅ!)

(来るなら……気をつけて…………髪が……やばい……)

(カミ? ゴッドでちゅか!? ペーパーでちゅか? ヘアーでちゅか?)

(へ、へあー……あ、た、体育館の入口が……。もうだめだ……連絡はもうできないかも……)

(な、苗木君!? 何があるんでちゅか!?)

(朝礼中は……携帯禁止なんだって……)

(苗木君……! これは携帯じゃないでちゅ! 苗木君? 苗木君!? 返事をしてくだちゃい! 苗木君!)

 それきり、ウサミに対して苗木の返事はなかった。
 苗木は朝礼という名の魔境へと引きずり込まれて行ったのである。



(いきなりどういうことでちゅかー!?)



 ウサミの叫び声だけが一方的にテレパシーで流れたが、やはり返事はなかった。

今回はこれで終わりです
今年は年末年始も特に変わらず(むしろいつもよりペースはやめで?)更新できそうです


あと、絶望シスターズのお二方、誕生日おめでとうございます
……双子でクリスマスに誕生日とかプレゼント的には色々一括にされてしまって損しそうですね

明日の夜か明後日の朝に更新します

そして、ひふみん誕生日おめでとうございます
今年はコミケが大晦日じゃなかったそうで久し振りに家族にゆっくり祝われてそうですね(そういうネタのSSを書こうとして時間がなかったとは言えない)

もう少しでキリの良いところまで書き終わるのですがちょっと見直す時間が欲しいので
申し訳ありませんが、本日の夜に投下します。遅れて申し訳ない


◆◆◆

「「「「…………………」」」」

 苗木が断末魔にも似た声をあげていたとウサミから聞いて、その場にいた者たちは一度口を噤んだ。
 そして、少しの間を置いて、各々リアクションを浮かべる。

「おいおい……。これは聞いてねーぞ……」

 ひとりは桑田。髪を寝かし、寝間着用のTシャツと短パンを着ていた。

「……まったくですわね」

 2人目はセレス。いつもの通り黒いゴスロリ服を着ていた。

「データは少しでも多く……って聞かされてはおりましたが、
 この展開は霧切響子殿も予想してなかったでしょうなぁ」

 3人目は山田。チェックのパジャマとナイトキャップを着ていた。

「えっと……」

 そんな3人を回収したウサミは、先に聞きたいことを聞くことにする。

「……ミナサン、けっこう早寝なんでちゅね。
 現実はまだ10時ちょっと過ぎだと思うんでちゅけど……」

「早く寝るのは美容に良いので」

「ちげーだろ!? 霧切に頼まれたからだろ!?」

 セレスが息をするように嘘を付いたので、桑田が思わずツッコミを入れた。

「……てか、なんで、オメーはいつもの服なわけ? それで寝てんの?」

「あら、そんなはずないじゃないですか。服にシワができてしまいますわ」

「じゃ、なんで?」

「人前に出るときは黒いドレスと決めていますので。
 わたくし、この姿なら鏡を見ずとも頭の中で鮮明に思い浮かべることが出来ますわ。
 むしろ、それ以外考えられません」

「お、おう……じ、自信があんだな」

 よく分からない理屈に対して、とりあえず桑田はそれ以上触れないことにした。


「……さて、そろそろ話を戻しますぞ」

 そして、そんな桑田とセレスのやり取りをしり目に、山田がウサミに対して説明をする。

「少しでも夢の世界の手掛かりが欲しいからと、霧切響子殿が我々3人に入る事を頼んだのですよ。
 観察する人が多いほど得られる手掛かりも多いですからなぁ……」

「捜査でもしてるんでちゅか……?」

「当たらずとも遠からずというところですぞ。霧切響子殿は≪超高校級の探偵≫ですからな」」

「超高校級の探偵って……なんだかすごそうでちゅよね。
 しかし、最近の探偵さんは夢の世界の調査もやるんでちゅねぇ。
 超高校級の魔法使いさんとかはいないんでちゅか?」

「現実的に言って……魔法使いはおりませんなぁ。
 ……あ、そうでもないか。僕は30歳になると魔法使いになりますからね」

「な、なんでちゅってーー!?」

「はいはい、茶番はそこまでにしてくださいな」

 セレスが話を引き継ぐ。

「霧切さんは自分の夢に入られることに抵抗がないようでしたので、
 わたくし達を自分の世界に招き入れようとしていたのですわ。
 夢の世界の特徴や法則などについて見い出したかったのでしょう。
 ……ただ、目論見はまた失敗して、わたくし達は石丸君の夢の中に入ってしまったようですけど」

 セレスは廊下に貼られている掲示物を見て、夢の世界の持ち主にあたりを付けた。


 そして、その推測に対して、残りの2人も実質的に同意する。

「石丸清多夏殿は早寝ですなぁ……」

「てか、10時って早すぎんだろ。ジジイかよ」

 桑田は「マジひくわー」などと言いながら、頭を掻いていた。
 それに対して、ウサミが「早寝早起きは良いことでちゅよー」などとフォローを入れながら、新たな話題を提示する。

「みなさんも10時から寝ているってことは霧切さんも10時には眠る予定だったんでちゅか?」

「そうです。薬を使ってでも10時までには眠るということでしたわ。
 わたくしは10時前には眠りについて待機しておりましたので、正確な時間はわかりかねますが……」

「僕も同じような感じですな」

「オレは10時ちょっと過ぎだな。10時前とか中々寝れねーだろ。結局、あの薬に頼っちまった。
 てか、あれ効きすぎじゃね? 副作用とかねーよな……?」

「むしろ、眠りから覚めたあと、やたら頭がすっきりしてましたぞ」

「……それマジでヤベーやつじゃね?」

 山田の穏やかな笑顔に対して、桑田は顔をひきつらせた。

「うーん。とりあえず、10時前後に、この石丸君の夢の中に入ったみたいでちゅね」

 ひとまず、眠りについた時間に関しての情報はこれでおしまいのようだったので、
 それをウサミは統括することにした。

「霧切さんがその時間に寝ていたなら、苗木君は2人の世界のどちらかを選択できたはずなんでちゅが……」

「苗木のことだから、2択で間違ったんじゃね?」

「ヒントがあるはずなんでちゅが……」

「運が悪くてヒントなかったんじゃね? 苗木だし」

「そうですなぁ」

「そうですわね」

「そ、そうなんでちゅか……」

 今回に限っては苗木の運のせいではなかったので、桑田の推測は濡れ衣にも等しかったが、
 他の2人が納得してしまったため、ウサミも納得することにした。

「苗木君もたいへんな星のもとに生まれたんでちゅね……。
 ……よし。状況は理解できまちた。それじゃ、苗木君と頑張って合流しまちょうか。
 ほうっておくと、どんどんたいへんな目にあっていくようでちゅし……」

 この状況に至る経緯について納得したウサミは次の方針について話し出す。

「朝礼中は……って苗木君は言ってたんでちゅが……。学校でちゅし。体育館でちゅかね?」

「希望ヶ峰で朝礼とかやったことねーけどな。ま、あるとしたら、そこなんじゃね?」

「実質的に大学みたいな感じで、入学式と卒業式以来、生徒全員が集まるってことはないですからな。
 いちおう、他に候補としては、大教室とか講堂とかありますが、
 まぁ……石丸清多夏殿のイメージなら体育館なんじゃ」

「そうですわね。ひとまず体育館……というのが妥当だと思いますわ」

「よーし、なるほどでちゅ! では、みんなで体育館に向かいまちょう!」

「「「………………」」」

「ちょ、なんで、そこで黙るんでちゅかー!?」

「いや、ちょっと……。なぁ?」
「そうですなぁ……」
「危なそうですし」

「えぇー……。ミナサン、苗木君と仲が良いんじゃ……」

「仲は……いいんじゃね? 気兼ねしなくていいし、付き合いやすいんだよな、あいつ」
「そうですなぁ。僕も苗木誠殿とは気の置けない友達という感じですな」
「クラスにいる男の方では最もCランクに近い人材ですわ」


「だったら……! た、たしかに、たいへんそうでちたが、
 命の危機ってほどじゃなかったんで! ここはひとつもう少しお気軽に!」

「いや、超やべー状況じゃないってのは分かってっけど……。それだとますますオレたちが行く必要もねーってか」
「行くと辱められるんでしょう? 薄い本みたいに。僕、知ってますぞ」
「そもそも、めんどうですわ」

「そこは頑張りまちょうよ! だから、こう、もうちょっと……こう!」

 ウサミは涙目のまま手足を必死にばたつかせてアピールする。
 その勢いに押される形で、3人はため息を吐きつつ、表情をわずかに和らげる。

「はぁ……。仕方ねぇーな。けど、セレスの夢の中みたいに走り回るのは勘弁な」

「桑田君……。わたくしの夢の中での話は禁止ですわよ。
 さて、それはともかくとして、未来のナイト候補のために、ひと肌脱ぐのも主としての務めでしょうか。
 ……………江ノ島さんの夢の中では、恩を売ったと言うには微妙でしたし。
 ………………ここでしっかりと恩を売っておくのも必要でしょう。…………いざとなれば、山田君を盾に」

「僕もひとりじゃないなら行ってもいいですぞ。
 そもそも走るとかはできないので、ひとりじゃ戦力にもなれませんしな!
 けど、盾は勘弁ですぞ。……なんか僕の隣の人が小声で何か言ってるような気がしますが、きっと気のせい」

 とりあえず、彼らは体育館に行くことにしたようだ。
 ウサミはホッとした様子で、彼らに言う。

「よかった! じゃあ、皆で行きまちょうー!
 大丈夫でちゅよ! この魔法のステッキがある限り、ミナサンには指一本触れさせまちぇん!
 ミナサンは石丸君について色々教えてくれたり、今後の方針について考えてもらえれば大丈夫でちゅ!」

「「「………………」」」

「え、なんで、そんなに不安そうな顔してるんでちゅかー!?」

 自分に向けられる3対の生暖かい視線に対して、
 ウサミは抗議しながら、体育館へと3人を先導し始める。
 しかし、そんなウサミの後ろで3人は微妙な言い争いをしていた。

「わたくし、歩く順番は真ん中がいいですわ」

「一番前じゃなければ、なんでもいーわ」

「桑田怜恩殿に同じく」

 ウサミの後ろで3人はじゃんけんをしながら、歩き始めていた。

(これは……セレスさんの夢の中での失態のせいでちゅかね……。
 それとも、江ノ島さんの夢の中で苗木君と一緒に江ノ島さんに翻弄されたせいでちゅか……。
 なんか、頼られてない気がしまちゅ……。げ、解せないでちゅ……)

 ウサミはしょんぼりとした様子で歩いて行った。


◆◆◆

「つきましたぞ」

 ウサミの後ろを歩いていた山田が呟いた。
 ジャンケンによる歩く順番が何かに影響を及ぼすことはなく、
 3人と1匹は無事、体育館の前へとたどり着いたのだ。

「いきなり石丸清多夏殿が出てきて前から順番に持ち物検査……などということもなく、
 何事もなく終わりましたな」

「てか、誰にも会わなかったな」

「体育館に石丸君ともども夢の中の住人はいるんじゃないでしょうか?」

「そうみたいでちゅね……。中から大勢の気配がしまちゅ。えっと、数千人規模で」

「希望ヶ峰って、そんなに人数いたっけ……?」

「予備学科を入れてもそんなにはいませんわ。けど、ここはあくまで石丸君の夢ですから」

「画像はイメージです。実際の商品とは異なる部分がありますってやつですな」

「体育館の中も見た目より大きくなってまちゅね」


 どうやら体育館の外から見た大きさより中の空間の方が大きいらしい。

「おー。急にファンタジーになりましたな」

「いや、いちおう夢の中ってだけでここまでも十分ファンタジーじゃね?」

「この1日で色々とありすぎて感覚が麻痺してきているのでは?」

 3人は思い思いに会話をしていた。特に緊張感はないようだ。
 そんな緩い雰囲気の3人に対して、ウサミが小声で声をかける。

「しっ……。中を見まちゅよ。おや、朝礼はちょうど終わったようでちゅね……って、え?」

 窓から中を覗き込み始めるウサミ。それに続くようにして、残りの3人も窓から中を覗く。
 すると、体育館の中で、彼らが見た事もない光景が広がっていた。



「では、今行った朝礼の復習をみんなで行おう!」

「「「「「「「「おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」」」」」」」」

「新学期だからこそ、気を引き締めて学業に励むべし!」

「「「「「「「「新学期だからこそ、気を引き締めて学業に励むべし!!!!!!!」」」」」」」」

「放課後は寄り道をせず、家にまっすぐ帰ること!」

「「「「「「「「放課後は寄り道をせず、家にまっすぐ帰ること!!!!!!!!」」」」」」」」

「知らない人にはついていかない!」

「「「「「「「「知らない人にはついていかない!!!!!!!!!」」」」」」」」

「よし、元気がよくて結構だ! 続いていくぞ!」

「「「「「「「「おーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」」」」」」」」



 生徒達が自主的にその場に待機し、石丸の声に合わせて言葉を張り上げていた。
 なお、男子生徒達は坊主頭か角刈り、女性生徒達はおかっぱか三つ編みであった。

「うわぁ……。ダセー頃のオレがいんじゃん……」

 庭先で芋虫を見つけた主婦のような顔で、桑田は自分の姿を酷評した。
 それに対して、山田が疑問を浮かべる。

「そうですか? テレビで見たことありますが、けっこう似合ってると思いますぞ」

「……山田は坊主頭だと、なんか芸人みてーだな」

「それは褒めてるんです?」

「てか、坊主頭って誰がやっても間抜けにならねー?」

「野球選手はそうでもないのでは? 世間的にはリア充よりなのでは?」

「野球じてーが間抜けだからな。球を投げたり打ったり取ったりしつつ走るだけじゃねーか」

「いやはや、この外部の人には少しも聞かせられない感じ。
 それに、投げるのも打つのも取るのも走るのも禁止したらたいがいの球技が残らないんじゃ?」

「さ、サッカーとか残るし」

「サッカーよりは野球派じゃなかったですかな?」

「しょ、消去法だかんな!」

「はいはい、ツンデレ乙」

「ツンデレじゃねーよ!」

 桑田と山田が漫才をし始める。
 そして、そんな2人の横で、桑田以上に顔をしかめている者がいた。


「……わたくしがおかっぱで希望ヶ峰学園の制服を着るなどありえませんわ」

「けっこう似合ってると思うんでちゅが……。日本風の美人じゃないでちゅか」

「目を潰しますわよ」

「ひぃぃぃぃ……ごめんなちゃい」

 こちらは漫才になることなく、二言三言で終わった。殺伐とした終わり方である。

「……それにしても、朝礼の復習ってはじめて見まちた」

「オレ達も初めてだよ」

「え? そうなんでちゅか」

「普通ねーだろ……」

「ですよねー」

 桑田のツッコミに山田が追従した。そして、中の様子を観察していたセレスが続けた。

「今度は校則の復唱を始めましたわ」

「社訓の復唱みたいでちゅね」

「あれって暑苦しくてオレ嫌いだわ」

「僕も嫌いですな」

「わたくしも」

「……別に社訓の復唱の肩を持つつもりはないんでちゅが、
 ミナサン、まだ会社に勤めたこととかないでちゅよね?」

 ウサミは口に出しづらそうに小声で言いつつ、中の様子を見続ける。

「……あ、苗木君がいまちゅ」

「マジで? どこどこ?」

「真ん中あたりに……」

「いなくね?」
「よく分かりませんぞ」
「どこですの?」

「いや、あの真ん中の前から9番目くらいにいる」

「「「え?」」」

「え?って……、ほらよく見てくだちゃい」

「…………あ、な、苗木ーーーー!?」
「な、苗木誠殿……」
「なんてひどいことを……さすがのわたくしも同情を禁じ得ませんわね」

 3人は苗木の姿を見つけ、同時に言葉を失った。そして、同時に叫んだ。

「「「アンテナがなくなってるなんて!?」」」

 そんな3人の驚きに対して、ウサミも驚く。

「え? た、たしかに可哀想でちゅけど、アンテナの方でちゅか? 髪を刈られたことじゃなくて?」

「苗木の数少ない特徴が……。石丸、それはやべーって、マジやべーって」
「あれがないと苗木誠殿のただでさえ悪い運勢がますます悪くなる……」
「噂によると、あのアンテナ、亡くなったお爺様の形見らしいですわよ……」

「あ、あのアンテナっていったい……なんなんでちゅか…………」

 すっきりした苗木の頭を眺めながら、ウサミは考え始めるが、答えは出なかった。

(……と、とりあえず、なんかたいへんそうなので……苗木君と合流したら、
 魔法で髪の成長を促進してあげまちょう……。
 ……いや、まぁ、夢から出れば、現実は別に髪はそのままなんでちゅが。……うーむでちゅ)

 そして、釈然としないものを抱えながら、ウサミは朝礼の復習が終わるのを待ち続けることとなった。

今日はこれで終わりです
明後日か明々後日にまた更新します

あと、あけましておめでとうございます。桑田くんも誕生日おめでとうございます。今年もよろしくお願いします
……元日じゃないせいで忘れてたけど、新年のあいさつは3日まではセーフですよね。桑田くんの誕生日も兼ねられますし(1月1日生まれの人から目をそらしつつ)

それにしても、1年以上かかるとは正直思わなかった(真顔)


◆◆◆

「やっと終わったみたいですぞ」」

 朝礼の復習が終わり、生徒達が整列しながら体育館から出ていく。
 夢の中の78期生達も一列になって出口へと向かっていった。

(苗木君。苗木君。無事で良かったでちゅ!)

(……ウサミ?)

(体育館から出たら合流できまちゅか? 今は体育館裏にいまちゅ)

(……トイレに行くって言って抜け出すよ)

 苗木は周囲を歩く78期生――髪型がいつもと異なり著しい違和感がある――を見ながら、テレパシーを使う。

 違和感がないのは、元から三つ編みの腐川や襟足を少し短くしただけの戦刃くらいであった。
 男性陣は全体的に残念な仕上がり具合であり、女性陣はいつもよりだいぶ大人しそうに見える。
 ちなみに、不二咲は男性用の制服を来て、坊ちゃん刈りになっていた。
 男子は髪を刈りこむことという決まりはどこにいったのだろうかという疑問はあるが、
 シルエットとしては女性のボブカットヘアに近く、元の顔が中性的なためか、思ったより似合っている。

「坊主頭だったらどうしようかと思いましたが……慈悲の心ですかな」

 その様子を見て、山田がホッとした様子で呟いた。
 すると、セレスや桑田が疑問をこぼし、ウサミが推測を述べる。

「夢の中だから、色々と曖昧なのでしょうか?」

「まぁ、校則の“男子の髪は3厘刈りより短くすること”ってのがスポーツ刈りの時点で守れねーからな……」

「そもそも石丸君の髪型が3厘よりは長いでちゅ。
 整髪料を付けずに短く揃えればいいって感じなんでちゅかねぇ……」

「石丸清多夏殿も少しは融通は利かせられるのですなぁ」

 そして、再び、山田が感心したように顎に手をやり、頷いた。
 すると、山田の言葉に対して入れられるツッコミ。

「いや、融通を利かせられるヤツなら髪型は自由にすんじゃね?」

 しかし、それをフォローしようとウサミが口を出す。

「まぁまぁ。夢の中のことを深く考えたらダメでちゅよー。
 そもそも現実世界では髪型は自由なんでちょう?」

「あら……。そういえば、髪型と言えば……」

 すると、ウサミの言葉を聞いて、セレスが何かを思い出したかのように声を漏らす。

「大和田君がいらっしゃらないようですわ」

「え? たしか、大和田君って……あのトウモロコシのような髪型の子でちゅか?」

「ウサミ殿……。合ってはおりますが、それ、本人に対しては絶対言ってはなりませんぞ……」

「え?」

 ウサミの疑問に対して山田が渋い顔をし、その反応を見てウサミがきょとんとした顔をした。
 しかし、セレスは髪型の話題についてはスルーし、本題について話を続ける。

「他の方は全員いらっしゃるのに、大和田君のみいないのは何か意味があるのでしょうか」

「……夢のオチが大和田との再会なんじゃね?」

 桑田が腕を組みながら、投げやりな態度で言う。
 容易に頭の中で思い浮かぶ暑苦しい光景に、自分で想像しておいて、アレルギーを起こしたのだ。

「まぁ、確かに、世界名作劇場ばりに感動の再会になったら反応に困りますなぁ」

 桑田の反応に対して、山田が軽く同意する。
 とはいえ、桑田と違って、熱血嫌いを自称しているわけでもないため、
 山田の反応はあっさりとしたものであった。
 そのため、むしろ、まったく違う話題について話しはじめる。


「あ、そういえば、世界名作劇場で思い出したんですが、三つ編みの朝日奈葵殿を見てると、
 赤毛のアン思い出しません? さっきから脳裏で何か引っかかってたんですよ。いやぁ、すっきりしましたぞ」

「いや、知らねーよ……」

「おや、桑田怜恩殿は赤毛のアンをご存じない? 絵本とかで見ませんでした?
 ヒントは帽子とかかぶってますぞ。まぁ、僕も原作ではなくアニメの絵しかしらないのですが」

「いや、そっちの知らねーじゃねーよ……。まぁ、たしかに見たことはねーけど」

「ちなみに、元々は児童文学ですわ」

「マジで!? 昔話とかじゃねーの!?」

 セレスの補足に対して、本気で驚く桑田。
 そんな光景を見て、ウサミが魔法の国出身とは思えぬ語りを入れた。

「こ、これが若者の読書離れでちゅか……。
 これから先、日本の未来はどうなってしまうんでちょうか。
 ……ご本は心を豊かにしまちゅよー。おすすめでちゅよー。
 成人するまでの読書量はその後のミナサンの人生の豊かさに比例しまちゅよー」

「小学校の先生かよ!」

「……はぁ」

 セレスがため息を吐いた。
 そして、髪をいじくりながら、別の方角を見る。

「……あら? ……おふたりとも漫才はそこまでのようですわ。苗木君がいらっしゃいましたよ」

「マジで? ……って、おい!? 後ろから石丸がすげー速さで歩いてきてんぞ!?」

「は、はやいでちゅ!?」

「歩いてるのに速いとはこれいかに!?」

 2人に続くように、山田も驚いた。
 そして、彼の至極もっともな疑問が周囲に響き渡るや否や、
 石丸は走ってる苗木を追い抜かし、モノミ達に対して、指を突き付けた。

「君たち、いったいどういうことだ!? 先ほどまでのはカツラだったのか!?
 君たちは納得して、学園標準の髪型にしたのではなかったのか!?
 僕は悲しい……悲しいぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「お、落ち着けって、イインチョ。髪型くらい、いいじゃねーか」

 いきなりテンションの高い石丸に対して、猛獣をなだめるように桑田が両の掌を向ける。
 しかし、その言動は石丸に対して逆効果だったようだ。

「いいじゃないか……? いいじゃないか、だと……」

「あ……」

「そのいいじゃないかという言葉が! その気の緩みが! 全ての始まりなんだ!
 嘘つきは泥棒の始まりというだろう! それと同じだ!
 風紀の乱れは全ての乱れなんだ! そして身支度は風紀の基本中の基本だ!」

「お、おう……」

「分かったかね! それでは……」

「ちょ、ちょっと待て……」

「ハッハッハ! 大丈夫だ! 君は短い髪型のほうが似合うぞ!
 さぁ、全国の野球少年の模範となりたまえ!」

「うわあああああああああああああ!? 動きはええええええ!?」

 桑田の「よるな!」と言わんばかりに、強く突き出された両手を、
 ボクサーのような華麗なステップで躱し、石丸は桑田の背後に立った。
 ビデオのコマ飛ばしのように、ひとつひとつの動作がありえないほどスピーディーであったため、
 桑田は意表を突かれた形になったのだ。

「桑田怜恩殿ーーーー!!」

 石丸が桑田の頭を甲子園スタイルに戻すまで、あと数秒も必要なく、
 誰もが彼の頭に荒野が誕生することを予想した。


「それは行けまちぇええええええええええん! バリアあああああああああああ!」

 しかし、桑田の頭を守る者はいた。
 ウサミの叫びに応えるように、魔法のステッキが輝き、桑田の頭を光のヴェールで覆ったのだ。

「な、なんだとおおおおおおおおおおおおお!?」

「うっしゃああああああああああああああああ!?」

 驚愕する石丸と歓喜する桑田。
 2人の雄叫びは、傍から聞いていたセレスが「暑苦しいですわね」と思わず呟くほどの音量であった。

「あーほあーほ! そんなダセー髪型ぜってーねぇよ!」

「な、なんていうことを言うんだ! そ、それに、そのウサギは何なのかね!?
 ぬいぐるみの持ち込みや着ぐるみの着用は校則違反だ!」

「ぬいぐるみじゃないでちゅ! あちしは魔法の国出身のウサミでちゅ!」

「魔法の国か!? なら良し!」

「いいのかよ!?」

「ウサミ……いや、ウサミ先生もまた新しくいらっしゃった先生ですね! 本日からよろしくお願いいたします!」
 桑田の虚しく響く叫びを意に介さず、
 石丸が直立不動の姿勢から、直角に腰を曲げて礼を行う。

(講師……? どういうことでちょう? 苗木君?)

(……モノクマが魔法の国出身の教師って設定で、この場所にいることをごまかしたんだ)

(モノクマ? え、江ノ島さんが来てるんでちゅか?)

(……うーん。話すと長くなりそうだから、後で話すよ。とりあえず、今は口裏合わせたほうがいいよ)

(わ、わかりまちた!)

 ウサミも石丸に対して頭を下げる。

「そうでちゅ! あちしは今日からここに来まちたウサミと言いまちゅ。
 前の学校では…………えっと、そうでちゅね……。……引率とかしてまちた!」

「普段の授業などではなく引率を主に担当してたということは、学年主任などを?」

「そ、そうでちゅ!」

「そうですか! それは素晴らしい! これから頼りにさせていただきます!」

「ま、任せてくだちゃい!」

「それにしても……」

「な、なんでちゅか?」

 石丸はウサミの姿をつま先から頭まで見ると、合点がいったように手を合わせた。

「なるほど! 白いの身体にピンクのマスコットらしい服装……!
 子どもの頃、クラスの女子が持っていたぬいぐるみに似たようなものがありました!
 つまり、これが魔法の国の正装なんですね! そう考えれば、実に模範的な服装だ!
 疑って……申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「な、なんだか分かりまちぇんが、納得してもらえてうれしいでちゅ……」

 ぴったり90°で腰を曲げた姿勢を固定した石丸に対して、ウサミの腰が少し引ける。

「最初に風紀を乱しているのではないかと思った僕を許してください!」

「ひいぃぃぃ……。もういいでちゅから……頭を上げてくだちゃい。楽な姿勢にしてくだちゃい」

「はい、わかりました!」

 石丸の姿勢が直立不動の状態に戻った。

(ふぅ……。びっくりしまちたが、この服が正装と認められて良かったでちゅ)

(起きてるときに、魔法の国の存在を知った後、
 魔法の国……というか、異世界に行くような童話とか絵本とか児童文学について下調べしたんだって……)

(そういうのって、勉強するものでちたっけ……? うーん……。素直な子なんでちゅが、次の行動が読めないでちゅね……)

今回は短いけどこれで終わりです

舞台版を実写と考えていいなら石丸の髪ってスポーツ刈りどころか
3、4センチはあるよな。戦時中なら長髪と呼ばれる長さ

土曜日の夜か日曜日の朝に更新します


>>448
舞台版は顔の大きさに対してちょっと髪のボリュームが多めですし
舞台用に目立つよう髪量盛ってるんじゃないかなぁって考えてます
マルコメ状態の桑田クンとの比較でなんとなく
石丸クンの髪型って1cm前後、長くても2cm未満の坊主スタイル(notスキンヘッド)で髪が立ってるのは気合か髪質ってイメージです

角刈りやスポーツ刈りは一般的に前が1cmで後ろが5mmらしいから、運動部じゃない(と思われる)石丸クンが自分に求める長さとしてはそんなものかなぁっと





なお、参考画像作がわりに雑コラ(ペイントによる制作時間30分)で
アンテナのない石丸クンの髪型をした苗木クンを作ろうと思ったら
いつの間にか大和田クンのとこで舎弟やってそうな苗木クンになっちゃったので諦めました
石丸クンに比べて苗木君の眉毛が細すぎたのと、使用した石丸クンの画像がやや大きかったせいで……

http://i.imgur.com/APvtFwv.png

オレ、このSSを書き終わったら絵の勉強をするんだ(白目)


「では、ウサミ先生。さっそくですがホームルームの時間です! あいさつをお願いします!」

「あ、あいさつでちゅか?」

「はい!」

 曇りなき眼がウサミをジッと見続ける。
 その眼力に押し負けるようにして、ウサミはわずかに視線を逸らす。

「ざ、残念ながらでちゅが、あちしの正式な赴任は明日……いえ、1週間後でちゅので、
 今日は……ちょっと様子を見に来ただけでちゅ」

「素晴らしい! なんて熱心なんだ! これはますます挨拶を――。
 あ、……失礼しました。そういうことなら仕方ありません。
 来週を楽しみにしております!」

「は、はいでちゅ!」

 再度、石丸が頭を下げたので、ウサミもまた頭を下げ返す。
 深く頭を下げ、微動だにしない石丸に対して、ペコペコとウサミの頭は上下した。

「さて、ウサミ先生については分かったが……」

 しばらくして、石丸は顔を上げると、再び桑田達に視線を向ける。

「君達の髪は別だ! 納得がいってなかったらいってなかった……と、そう言いたまえ!
 なぜ、身支度が大事なのか分からないなら、分かるまできちんと説明するぞ!
 あと桑田くんと山田くんはなぜ寝間着なのかね?
 苗木くんもそうだったが、寮の洗濯機でも壊れていたのか!?
 だとしたら、情けないぞ! 制服の予備くらい10着は持っていたまえ!」

「は? いや、多すぎんだろ……」

「そもそも僕の勘違いじゃなければ、シャツ以外は……しばらく着まわすのでは?
 そ、それともこれって不潔にあたるのですかな。もしかして、毎日洗うのがマジョリティ!?」

「動揺すんなブーデー。冷や汗すげーぞ!?
 ……どんだけ洗ってねぇかはあえて聞かねーからな!?」

「ハッハッハ! もし洗い方に不安があるなら、僕が教えてあげよう!
 手洗いから洗濯機の使い方まで完璧な自信があるぞ!
 ……って、そこじゃないぞ、諸君! 制服がないなら、学校指定のジャージがある!
 せめて、それを着たまえ! どこに寝間着のまま学校に来る者がいるんだ!」

「ここに来たくて来てるわけじゃねーよ!」

「な、なななななんてことを言うんだ!? 学校に来たくないってことか!?
 悩みがあるのかね!? 悩みがあるなら言いたまえ、桑田くん! 僕が相談に乗ろう!」

「め、めんどくせー」

「今はだめか? じゃあ、放課後に聞くぞ!」

「いや、話、聞けよ!? いや、ちげー、聞くな!」

 今、この瞬間の文句を聞けという意味で「聞けよ」と言おうとして、あわてて、桑田は言い直す。
 悩みを言わないという意味で桑田は石丸に「聞くな」と伝えたかったのである。
 しかし、時遅く、石丸の中ですでに予定は決まったようだ。

「山田くんも何かあるなら、桑田くんのあとに部屋に尋ねにいくぞ!
 僕たちは学友として助け合わなければ!」

「そ、そうですなぁ~。けど、とりあえず、僕はあとでかまいませんぞ」

 めんどうくさいことは後回しの精神で、山田が同意した。
 しかし、この場合は正解なのだろう。
 石丸は満足げに頷くと、桑田と山田に対する追及を止めた。

「うむ……。では、放課後にとことん話そうではないか!
 よし、ひとまず、これで桑田くんと山田くんはこれで良しとしよう。
 さて……続いては……」

「あら、わたくしですの?」

「あぁ、そうだ。セレスくん。髪型はもちろん、きみの服についてもだ……。
 それは以前の学校で着ていたものではないか?
 いや、そもそも、初対面から思っていたのだが、その服は本当に制服なのか!?
 セレスくんの趣味ではないのか!?」


「えぇ、趣味ではなく制服ですわ」

「そ、そうなのか」

「はい」

「…………」

 間髪入れずに断言するセレスに対して、石丸は少し焦る。
 しかし、すぐに持ち直す。

「だが、どちらにせ以前の制服は以前の制服だ!
 今のセレスくんは希望ヶ峰学園の生徒……。きちんと学園指定の制服を着たまえ!」

「いやですわ。だって、わたくしには似合いませんもの。
 それに、この学園は以前在籍していた高校の制服でも大丈夫だと聞いております。、
 わたくしのこの服装はなんら問題がありませんわ」

 今、セレスが言っているのは、現実世界において本当の話であった。
 すると、夢の中の石丸もまた、このことは知識として知っていたため、このことを前提とした会話を始める。

「セレスくんは勘違いしている!
 以前、在籍していた高校の制服でも可というのは、
 入学当初など、新しい制服がまだ届いていないときに例外的に認められるものだ!」

「入学前に学園長から私服の許可はいただいておりますわ」

「ば、バカな!? そんな例外を認めていいわけがない!」

「そもそも以前、現実でも似たような話をしましたわよ。
 それに、あなたも今は以前の服を着てるじゃありませんの?」

「何を言っている? 現実とはなんだ? 僕をけむに巻く気か?
 ……とりあえず、反論させていただくが、僕の服はどこをどう見ても学校指定のものではないか?」

「あら? 自分に対する認識がおかしいみたいですわね。現実じゃないからでしょうか?」

「夢とか現実など……不思議な言葉を使っているな?
 ……何を言いたいんだ! 言いたいことがあるならはっきり言いたまえ」

「いえいえ、こちらの話ですわ」

「そうか! そちらの話ならしょうがないな!」

「えぇ」

「……それにしても、許可か。許可があるなら仕方ないか。うーむ……」

 話を戻し、腕組みをして唸る石丸。どうやら納得してないようだ。
 けれど、そんな石丸に対して、更なる追い打ちをかけるように、桑田と山田が言った。

「オレも私服の許可もらってるわ」
「僕ももらっておりますぞ」

「な、なんだって!? い、い、いや、待ちたまえ!
 仮に私服の許可があろうとも! 寝間着で来てよいという許可はもらってないはずだ!」

「……それも貰ってるって、なぁ、山田?」
「そうですなぁ。もらいましたなぁ」

「あ、あり得ない……ありえないぞおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」

「きょ、許可は許可だし」
「も、文句は学園長にお願いします」

 目をわずかに泳がせながら、桑田と山田は続ける。
 それに対して、石丸は心の奥底から絞り出すように言うしかなかった。

「風紀が乱れている。根底から乱れている……。
 これは由々しきことだ……。あとで学園長には直談判しなければ……」

 涙を流し、天を仰ぎ、石丸は両手を震わせる。
 そんな石丸を見て、苗木は心の中でウサミに対して愚痴をこぼす。

(これで良かったのか……)

(夢の中のせいかやけに信じやすいでちゅね。
 苗木君も普通の髪型が許可されてるって言えば、どうにかなったのかもしれまちぇんね……)


(……いや、信じやすさは現実でもあまり変わらないんだよ。
 ただ、夢の中だから聞く耳を持たないかもって思ってたんだけど……。
 この辺は現実と変わらなかったみたいで、失敗したなぁ……って。
 あ、けど……、髪型についての規則は、現実ではいっさいなかったから、この説得じゃ無理だったかも……)

(重要なのはそこでちゅか!?
 うーん……。元気出してくだちゃい、苗木君。現実では自慢のアンテナはちゃんとありまちゅから!)

(……じ、自慢してるわけじゃないんだけどね)

(それに、気になるなら、魔法で髪の毛を伸ばしてあげまちゅよ!)

(え、本当? それならお願いしたいな)

(はいでちゅ!)

 ウサミは魔法のステッキを振った。すると、緑色の光の球体が現れる。
 それを見て、苗木は「この球体に振れれば元に戻るのかな?」と考える。
 ロールプレイングゲームに出て来るような回復魔法を連想していたのだ。
 しかし、ウサミの魔法は苗木の予想の斜め下を行く。
 ポンッというビンからコルクを抜いたような音とともに、光の球の中からハートマークのついた如雨露が出てきたのだ。

(え?)

(あとはこの中に入った水をかければ……)

(えぇ……? 普通に光って解決じゃないの?)

(夢の中とはいえ、人に直接干渉するのは難しいんでちゅよ。何か間に置かないといけないんでちゅ)

(そ、そうなんだ……)

(じゃあ、かけまちゅね!)

(あ、うん……)

 そして、ウサミはダンボール箱を魔法で生み出すと、その上に乗り、如雨露の先を苗木の頭に向ける。
 如雨露の先から緑色の液体が流れ落ちる。
 その緑の透明な輝きは、植物の栄養剤を思い出させた。

(はやく大きくなりまちゅように~)

 そして、ウサミもまた植物の芽に水をやるように、苗木の頭に液体をかけ続ける。
 鼻歌を奏でながら、実に楽しそうである。
 しかし、その光景は実にシュールなものであり、山田、セレス、桑田、石丸……と、次々に反応する。

「え、いきなりなにやってるんです? 罰ゲームですかな?」
「分かりますわ。ときたま、誰かの頭に水をかけたくなりますものね」
「ねーよ!? オメーだけだよ!」
「い、いじめはやめたまえ!」

「いじめじゃないでちゅ! ほら、芽が出てきまちたよ!」

「す、すげぇ。なんか動いてんぞ……!?」
「元のものより大きく元気になりそうですわね」
「苗木誠殿の頭の上に苗木が……」
「ウサミ先生! 自由研究の実演は鉢植えを使ってください!」

「ボクの頭、どうなってるの!?」

 自分の頭の上は見えない苗木としては、不安でしょうがなかった。
 しかし、誰も苗木にどうなってるか説明しないまま、話は進んでいく。

「それに! 待ってください! ウサミ先生!
 今、苗木くんの頭は学業に励むうえで最も適した頭になっています!」

「そういや、イインチョ、頭っていえばさ。
 大和田ってどうしてんの? なんか体育館でいなかったよな?」

「兄弟!? 兄弟ッ!! 兄弟ーーーーー!!」

 びくりと体を震わせ、頭を抱え始める石丸。

「うおっ!? なんだよ!?」

 膝を突き、自らの両手を見ながらわなわなと石丸は震えていた。


「……兄弟の髪は風紀を乱している。
 風紀委員である僕が個人の感情によって例外を認めるなど……あってはならない!
 しかし、あの髪でなければ、兄弟ではない……!
 きっと、兄弟は命をかけてあの髪型を死守するだろう!
 僕は兄弟を説得したい。だが、僕には兄弟の命に釣り合うだけの覚悟があるのだろうか……!」

「重ぇ!? 説得するだけなら別にフツーにいけよ!?」

「ハッ!? たしかに……。ここで悩むだけでは解決しないな」

「お、おぉ?」

「ありがとう、桑田くん。僕は大切なことを思い出せた」

 先ほどまでの震えが嘘のように、スッと石丸は立ち上がり、晴れやかな笑顔で礼を言った。

「そ、そうか……」

「……僕はこれから兄弟を説得しにいく。
 兄弟を説得できるまで、君たちの髪については不問にしよう」

 石丸は背を向け、この場を立ち去ろうとする。
 だが、次の瞬間、体を硬直させた。

「ハッ!?」

 そして、再び体を回転させ、皆に訊く。

「兄弟はどこにいるんだ!?」

「えっと、どこだろう……?」

 苗木がオウムのように言葉を返した。他の者は何も言わなかった。
 皆が沈黙する中、石丸が叫ぶ。

「学生が昼間に学校以外のどこに行くというんだー!?」

(この世界で石丸クンが知らないことをボク達は知らないよね……?)

(……設定が追加されるのを待つしかないでちゅね)

「そ、そうだ……! 他にも場所はあった!」

(え?)

(どこでちゅかね?)

「魔法の国だ! ウサミ先生! 僕を魔法の国に連れていってください!
 きっと、兄弟はそこにいるんです! 魔法の国に留学しているに違いない!」

(ま、まずいでちゅ。寝る前の勉強が変な形で夢に影響していまちゅ!)

(魔法の国には連れていけるの?)

(無理でちゅ! 入国にはビザがいりまちゅ!)

(ビザとかあるんだ……?)

「魔法の国は雲の上にあるんですか? 穴に落ちればいいんですか?
 クローゼットの中ですか? 本の中ですか? 9番線と10番線の間の煉瓦の壁に入ればいいんですか?
 それとも、トンネルを抜けて雪国ですか!?」

「さ、最後のは絶対違うと思いまちゅ!」


「では、いったいどこに――ハッ? 
 ……魔法の国の場所が分からないのは、僕の努力不足なのかもしれない。
 他の皆は、こどものころに魔法の国について勉強するという……。
 絵本は子どもが日本語を覚えるだけのものではなかったんだ……。
 そんなことに今まで気づかなかった僕は魔法の国に行く資格がないのか……?」

「そ、そんなことはないでちゅよ。つ、連れていってあげまちゅって!」

「あ……ありがとうございます!
 これからは魔法の国について勉強します! いつかテストをお願いします!」

「あ、うん……でちゅ。
 けど、ファンタジーに出てくる国と、魔法の国はちょっと違うと思いまちゅよ……?」

「そういえば……。違うといえば……ひとつ質問なのですが、
 ファンタジーとメルヘンの違いとはなんでしょうか?」

「え、……え?」

「いくつか資料を読んだのですが、あらすじや紹介文において、
 同じ非科学的な設定を盛り込んだ物語でも、ファンタジーと形容される場合と、
 メルヘンと形容される場合があり、そこになんらかの使い分けがなされていることは分かりました。
 しかし、その使い分けの明確な方法が分からないんです!
 もちろん、メルヘンはおとぎ話や昔話など口承のものに対して主に使い、
 ファンタジーは比較的新しい創作物に対して使う分類だということは辞書を見れば書かれています。
 しかし、実際は、大人のためのメルヘンと帯に書かれている昔話ではない創作物を見かけたり、
 紀元前から続くファンタジーと書かれた昔話や神話をまとめた本があったりしています。
 ………いったい、どういうことなのでしょうか!? 先生!?」

「えっと、とりあえず……魔法の国はメルヘンよりかなぁって思いまちゅ」

「……申し訳ありません。勉強不足で……、
 何をもってファンタジー寄りかメルヘン寄りかを判断しているんですか?」
 
「えぇっと……。えぇっと…………」

 ウサミは頭を抱えて、唸り出す。誰がどう見ても焦っていた。
 知恵熱で爆発しそうな勢いである。

「メルヘンは世界がひとつしかない……。
 ファンタジーは現実と空想の世界がそれぞれある作品ですわ」

「せ、セレスさん?」

 しかし、知恵熱で爆発しそうなウサミの助け船を出す者がいた。
 将来の夢がファンタジーなルーデンベルク家のセレスティアさんである。

「メルヘンは語り継がれたもの、そこにあると信じられていたものであり、現実にあると信じられていたもの。
 そこから、実世界に架空のものがあると信じられている状態で話が進む物語。
 もしくは、架空の世界の住人が主人公である物語のことを指しますの。
 それに対して、ファンタジーは現実という尺度が存在して、架空の存在に対して登場人物が驚く物語。
 もしくは、現実と架空の世界を行き来する物語、
 さらに転じて、読者である我々を違う世界に導く工夫がなされている作品のことを指します。
 だから、同じ架空の世界を舞台にして、主人公がその世界の住人であっても、
 見る側にはじめからそういうものだと認識させ、説明を少なくした物語……どこぞの夢の国の作品などはメルヘンと形容されることが多く、
 どうしてそういう国なのかと言う部分を説明しながら話を進める作品はファンタジーと形容されることが多いのですわ。
 もちろん、厳密に使い分けされているわけではないですけど……」

「「おぉー!」」

 ウサミと石丸が感激して、拍手を始めた。

「……もちろん、わたくしも専門家ではありませんので、間違っているかもしれませんが、
 おおむね世間ではそのような使い分けがなされていることが多いということで、ご理解いただけまして?」

「もちろんだとも! ありがとう! 僕もこれでまた一歩、賢くなれた!
 そうだ! 今日から感謝の念を込めて、君のことはセレス先生と呼ぼう!」

「いいえ、けっこうです」

「そ、そうか……」

 意気消沈する石丸。しかし、すぐに気を取り戻す。


「しかし、魔法の国がメルヘン寄りだということは、僕たちの世界と地続きの場所にあるということだな!
 そうすると、雲の上か、穴の下か、9番線と10番線の間の煉瓦の壁ですね」

「9番線と10番線の間の話は、メルヘンじゃなくてファンタジーとして有名なのでNGでお願いしまちゅ!」

「そ、そうですか。となると、雲の上か、穴の下……それとも、まだ僕が知らない場所か。
 ……よし、雲の上から確かめに行こう。豆の木を探そう! いや、豆の種から育てる必要があるか……?」

「そこからでちゅか?」

「は、そうだ!? 今、そこに木になりそうなものがあるな!」

「え? ボクのこと?」

「そうか! 分かったぞ! ウサミ先生が苗木くんの頭に芽を出させたわけが!
 その芽が大きくなると、大樹になって、雲の上にある魔法の国に行けるのか!」

「えぇ……?」

 苗木は目をぱちぱちと瞬かせる。驚いているのだ。
 しかし、青天の霹靂はこれからであった。

「見えたぞ! 東の空に国が見えるぞ!」

「えぇーーーー!?」

 石丸の叫びに合わせるようにして、空に雲の島が誕生したのである。
 島の中心には、白い壁に白い時計台がある立派な門と綺麗な桜並木を持っている建物が存在した。

(って、学校じゃないか!? あれ!? 学ラン着た動物たちが歩いてるよ!?
 雲もなんかふわふわじゃなくて硬くてコンクリートっぽいし。飛んでることに違和感が……)

 ファンタジーやメルヘンを足そうと、ベースは石丸の夢なのである。
 ふわふわした雲の上に建物など建たないのだ。

「さぁ、では苗木くん! 頭のものをはやく伸ばしたまえ!」

「無理だよ!? そこは無理だって思ってよ!」

「無理ではない! 僕は本で見た! ウサミ先生! できますよね!?」

「え、えぇ……、できないことはないでちゅが……」

「ほら、聞いたか! 苗木くん! 不可能ではないのだ!」

(ウサミ!? そこは嘘でもできないって言おうよ!)

(……ご、ごめんなちゃいでちゅ!? い、勢いに負けまちた……)

今回はこれで終わりです

>>1の朝は遅い……というナレーションが聞こえます
もう朝じゃなくて昼な気がしますね……

あと、石丸くんの髪型は深く考えないでくださいねぇ……
このSSでは、
・苗木くんには似合わない
・他の人より短いが少なくとも3分刈りより長い
ことくらいが必須で、詳しい説明や断言はSS内でも意識的に避けてたくらいなんで……
むしろ登場人物の中でも髪型の説明が難しい>石丸くんの髪型

次の更新は来週の日曜日までに行います(今週末はちょっと忙しかった……)
時間に余裕があったら平日に更新できるよう頑張ります


「さぁ、苗木くん! あとはなにが足りない!
 苗木くん自身もなにか栄養を取った方がいいんじゃないか!?」

 石丸は大きく腕を広げ、苗木に対して笑顔を見せる。

「そういえば、苗木くん! 朝はきちんと食べているかね!
 三食忘れず、よく噛んでたべたまえ!
 最低でも30回! 免疫力のためにプラス20回! それらを習慣化するためにさらに20回だ!」

「えっと……」

「飲み物はご飯を食べた後の方がいいぞ! ご飯と一緒に食べると消化の妨げになって、栄養に影響が出る!」

「……そうなんだ?」

「そうだぞ! ハッハッハッハッハ…………ハッ!?」

「ど、どうしたの?」

「駄目だぞ! 苗木くん! 間食はよくない! 1日の食事は3回だ!」

「あ、うん……?」

「それとも君は――――そうか! 理解した!」

「今度はどうしたの?」

「君は朝食を抜いているな!」

「えぇ……?」

「駄目だぞ! 苗木くん! ダイエットは食事を減らすのではなく、ちゃんと体を動かすことで行いたまえ!」

「いやいや、ダイエットはやってないけど……?」

 次から次へとオーバーリアクションで言葉を返す石丸に対して、
 苗木は困ったように顔の前で手を振った。
 夢の中の石丸との会話は困難を極めていた。
 そこで、ウサミがその間に立ち、話を止めようとする。

「すとーっぷ! でちゅ! 
 ひとまず、話を整理しまちゅと……、石丸君はあの空に浮かんでる学校に行きたいんでちゅね?」

「はい!」

 手を挙げ、力強く返答をする石丸。

「苗木くんの頭の苗木に大樹となってもらい、それを伝って上まで登ろうと考えています!」

「そ、そこはこだわるんでちゅね」

「答えは違うのですかッ!?」

「あ、そういうわけでは……。
 えぇっと、いくつか方法がありまちて、必ずしも苗木君の苗木にこだわる必要はないと言いまちゅか……」

「では……」

「え?」

「なぜ苗木くんの頭の上に苗木を生やしたのですか!?
 苗木くんの頭の風紀を乱してまで苗木を生やした理由がなくなってしまいます!!」

「そ、それは……」

「先生も――先生も風紀を乱すおつもりですか?」

 きらりと光る石丸の瞳。思わず、ウサミは狼狽する。

「い、いやいや……そんなことはないでちゅよ…………」

「それならば……」

 決断を迫るかのように、石丸の顔がウサミへと近づいていく。
 ここで退いたら、家族が路頭に迷うとでも言いたげな静かな迫力がそこにはあった。


 そのため、それを見ていた苗木がウサミに心の中で伝えた。

(……別にボクの髪の毛を大樹にしてもいいよ)

(ご、ごめんなさいでちゅ……)

(ただ、そうするとボク自身は雲の上に行けなさそうだから、
 この後はウサミ達に任せるね)

 苗木はひとつ大人な対応をすることにしたのだった。
 そこで、ウサミは謝罪とともに苗木に対して出来る限り配慮をすることを約束した。

(せめて、バリアと暇つぶしになりそうなものは魔法で用意しておきまちゅね……)

(うん、お願い)

(では、出来る限り急ぎまちゅね)

 そして、ウサミはきびきびと動き始める。

「分かりまちた!
 では、急いで準備をしまちゅ! 石丸君は登る準備をしてくだちゃい!」

「はい、承知しました! 準備をしてまいります!」

 石丸は自室がある方向へと走っていった。
 どうやら荷物などを取ってくるつもりのようだ。

 ふと、桑田が何気なく呟いた。

「そういやあいつ授業はいいのか?」

「シィー……。石丸清多夏殿に聞かれたら面倒なことになりますぞ」

 山田が指を立てる。
 そのため、誰もそれ以上石丸の挙動については追及しなかった。
 そして、全員が静かになったところで、セレスが口を開く。

「それでは、こちらも今のうちに作戦会議と参りましょうか?
 ……ところで、ウサミさん、大樹を生やすとは?
 樹を伸ばした後は、それを自力で登るんですの?」

「そうなりまちゅねぇ……。
 本当なら、箒で飛ぶとか翼を生やすという手段もあったんでちゅが……。
 あ、けど、ちゃんと登りやすいように蔓を梯子みたいにしまちゅし、
 命綱の代わりになる魔法もありまちゅよ」

「そうですの?
 ……それならば、わたくしはここで待たせていただきますね。
 この装いで空まで登っていくのはたいへんですし」

 笑顔で上には行きたくないとセレスは言った。ウサミも笑顔で了承する。

「うーん……。仕方ないでちゅねぇ。
 バリアーはっておきまちゅんで、苗木君と一緒に中に入っててくだちゃいね」

 屈託のない笑顔であった。
 すると、そんなウサミに対して、山田が少しばかり申し訳なさそうに告げた。

「……あのぅ。僕もちょっと上に登るのは。
 エレベーターがないと体力的にしんどそうなのでパスしたいですぞ」

「山田君もでちゅか? まぁ……仕方ないでちゅねぇ」

 一度接触し居場所が分かってさえいれば、距離が離れていようと、
 魔法のステッキを使って彼らを守ることがウサミにはできた。

 また、石丸の夢が進んでいるかの確認し、
 進んでないときにちょっかいをかけて進行を促進するという役目もウサミひとりで可能だ。
 そもそも時間と暇さえ気にしないなら放っておいても夢は進むのだ。

 これらの点から考えるなら、ここに何人残ってもかまわないのである。


 だから、さらに続けて、桑田が言った。

「行かなくていいなら、オレも行きたくねーなぁ」

「えぇー? 桑田君もでちゅか?
 ここにいても退屈じゃないでちゅか?
 トランプとか暇潰しになるものは用意していきまちゅけど……。
 あ、それともお互いの夢の中身はできる限り、見ないようにって約束でもしてるんでちゅか?」

「いや、だって、この後、暑苦しそうだし……」

「そ、それだけでちゅか!?
 く、雲の上だからでちゅか? 太陽が近いからとか……?」

「いや、ちげーって。
 イインチョの夢のオチってさ、夕日に向かって走り出すとかだって、ぜってぇ……。
 そこにうっかりいたら、無理やり走らされるに決まってるし……」

 桑田は真顔でそう言った。
 もしかしたら、過去にそういう出来事があったのかもしれない。

「す、すごい偏見でちゅね……。
 うーん。だけど、残念でちゅ……。
 誰もついてこないとなると、さすがにちょっと寂しいでちゅね……」

「はは……。ここからテレパシーで応援してるよ」

 残念そうに言葉をこぼすウサミに対して、苗木が苦笑まじりに告げた。
 しかし、そのときであった。
 人を小ばかにしたようなダミ声が苗木達の耳に届く。

「悲しいとき~誰もついてこないとき~自分の人望のなさが露見したとき~♪」

「あ、あんたは! モノクマ! …………でちゅよね?」

「疑問符やめろ! どっからどう見ても、プリティーなボクでしょ!?」

「だって……色が?」

 ウサミの疑問に対して、苗木が説明を開始する。

「ボクの頭と同じで、色を塗られたんだ……。
 あと、モノクマは江ノ島さんの夢のときにいた1体が独立してボクの頭の中に転がりこんだらしいよ……」

「独立って……多重人格かなにかでちゅか……。
 いや、そもそも人格が別ってことがあっても。
 勝手に他の人の頭にお引越しって……。ウイルスかなにかでちゅか!?」

「ダーハッハッハ! 苗木クンと同じ貧相な発想だね!
 テンプレかよ! 個性のなさがよく表れちゃってるよ!
 あと、ウイルスって自己複製能力がないといけないから、ボクには当てはまらないよ!
 しいていうなら、マルウェアかな。うん……。呼びたいならモノクマルウェアとでも呼んでくれればいいよ。
 ……モノ・クマルウェア、モノク・マルウェア、モノクマ・ルウェア、モノクマル・ウェア。
 好きな所で区切って、黒歴史ノートの人名や技名っぽく叫んでくれても全然オッケー! ……馬鹿にするけどね。うぷぷ」

「馬鹿にするんじゃ駄目じゃないでちゅか!」

「馬鹿にされることで人は強くなるんだよ! ゆとり世代には分からないと思うけどね!」

「生まれた日時で言うなら、あんたもゆとりでちゅよ!」

「馬鹿にするなー! パンチするぞー!」

「えぇー!? 言ってる事が違うー!」

「良いから口答えするなー! 行こう! 石丸クンが来る前に上へ登ろう!」

「いやでちゅよ! どう考えても先回りして悪巧みするつもりじゃないでちゅかー。やだー!」

 まるで漫才しているかのようなやりとりをするウサミとモノクマ。
 しかし、ウサミの方は内心モノクマの方に対して強い苦手意識を持っていた。
 モノクマと一緒に行くくらいなら、1人の方がマシだと本心から感じていたのだ。
 しかし、ウサミの望みは叶わない。

 石丸がやってきて、その石丸がモノクマの同行を認めてしまったからだ。


「お待たせしました! ……あ、モノクマ先生じゃないですか!」

「オッホン……。石丸クン、今から空の学校に行くつもりのようだね」

「はい! きょうだ……大和田くんの様子を見にいくつもりです!」

「ふむふむ……。感心感心。風紀委員の鑑だね。キミは……。
 けど、引率の教師がいないと、先方にも失礼だから、ボクもついていっていいかね?
 ウサミ先生はまだ正式な赴任はまだなようだし、うぷぷ……」

「……ありがとうございます! 喜んで! お願いいたします!」

 ウサミが「あぁー!? さっきのごまかしを利用してー!?」と小さく叫んだが、
 誰にも聞き取られず、モノクマの同行が決まった。

「……桑田君」

「バカ、やめろ、そんな目でオレを見るな。い、行かねーからな!?」

 先ほどよりも悲壮感を漂わせながら、ウサミが桑田に声をかけてきた。

「旅は道連れ。世は情けって言うじゃないでちゅか……。
 バリアを張るし危険はないでちゅから……」

「ノー! ノー! マキシマムでノーセンキュー!
 体力的にはいいけど、精神的に疲れそうだから勘弁!」

「そこをなんとか! お願いしまちゅ! なんでもしまちゅから!」

「オメーになんでもって言われても……」

 セレスの夢での一件があったためか、妙に桑田に対して期待を寄せるウサミ。
 つぶらな瞳でジッと桑田に何かを訴えかけていた。

「そんな目されてもダメだかんなー!!」

 桑田の叫びが辺りに響いた。
 桑田もまた本心からめんどうくさいと……と考えていたのだった。

 しかし……。



◆◆◆

「……で、なんでオレがモノクマを背負って上を目指してんだ?」

「ハッハッハ! 桑田くん! 年寄りを労わるのは当然の事だろう!
 もちろん、疲れたらいつでも言いたまえ! 次は僕がおんぶする番だ!」

「やーやーやー。すみませんなぁ。お若いの……。
 ワシも若い頃は野性味にあふれたクマじゃったんだが……」

「オメー! ゆとりなんだろ!」

「はて、今、……何かいいましたかな?」

「ごめんなちゃい、桑田君……。2人を止められなくて……」

「くっそ……。希望ヶ峰に入ってからパンクな生き方して……。
 息を吸うだけで女の子が寄ってくるようになるはずが……。
 なんか以前より、イイ子ちゃんになってる気がすんだけど、オレ。
 ……どういうことだよ、苗木! 説明しろ!」

「……苗木君が『なんか、ごめん……』だそうでちゅ。『あと、それ……十神クン』とも」

「ファイトォオオオオオオー! いーっぱっつ! 桑田くぅん! 僕も頑張るぞおおおおおおおおお!」

「そのノリいらねーって! チクショオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」

「その意気だぞ!! はやいぞ! すごいぞ! 桑田くん! 僕も負けてはいられないな!
 ウサミ先生! どうか僕におぶらせてください! 桑田くんと同じ土俵で桑田くんに勝負を挑みます!」

「えぇー!? 本末転倒でちゅー!?」

 いつの間にか、ボケが2人とツッコミが2人で茶色(苗木の髪の毛の色)の豆の樹を登っていた。

 雲の上の学校まであともう少しであった。

今日はここまでです

ご無沙汰してます
火曜日に更新します

と思ったけど、キリがよいところまでかけたので一部を投下します


 なお、石丸の「ファイトォオオオオオオー! いーっぱっつ! 」という声は下まで届いており、
 山田が「崖の上でドリンクでも飲んでるんですかな? あ、もう一枚引きますぞ」と反応したり、
 苗木が「聞こえないけど、どんな会話をしているかなんとなく分かるよね……。
 あ、ボクも一枚……って、あ……バースト……」と呟いていたりした。
 彼らはセレスにディーラーをしてもらい、ブラックジャックなどやっていたのだ。
 別に賭けをしているわけではない。暇潰しである。
 セレスの側も勝負という意識はなく、この機会に色々なゲームのルールを教えておこうくらいの感覚だ。
 そのため、特に熱くなるというわけでなく、淡々とゲームは進んでいた。

 上と下で……激しい温度差である。

「桑田君! さぁ、僕の手に捕まりたまえ! 引き上げてやろう!」

「いいって! ひとりで登れっから!」

「よし! では、登ったらついてきたまえ! ハッハッハッハッハ!
 ……いや、失敬した。留学するのははじめてだから、つい落ち着きを失ってしまっていた」

 石丸は快活に笑いつつ、雲の上に立つ。雲の地面はアスファルトのように硬かった。
 ゆっくりと歩く石丸の足に合わせて、カツンカツンと音が鳴るほどだ。

「うむ。綺麗な桜並木だ。植木もきちんと刈り込まれている。ごみも落ちてないな。校庭も広い。
 ……あれは図書館か。希望ヶ峰学園に負けず劣らず、立派だな。
 ほう……。自習室も別にあるのか。これは生徒の学習が捗りそうだ。
 一見する限り、学習環境としては申し分ないぞ。シンプルだが、ちゃんと整っている。
 見習うべきところも多そうだ。希望ヶ峰学園は施設が多すぎて、分かり辛い部分があるからな」

「うぷぷ……。旧校舎くらいの大きさで充分だよね。有意義な学園生活には。広すぎると、監視するのもたいへんだし」

「……監視? 管理の間違いじゃね?」

「うぷぷ……。細かいこと気にしてると、女の子にもてないよ。桑田クン」

「はぁ!? モテっし! 付き合った数とか両手じゃ足りねーし!」

「なんだと!? 桑田くん! それは不純だ!」

「じょ、ジョークだって。イインチョ、顔ちけー……」

 モノクマと、モノクマを背負った桑田の会話に反応して、石丸が高速で桑田の目の前まで歩いてきた。
 もはやワープと言っても過言ではない速度であった。

(心臓に悪ぃ……)

(私語厳禁くらいの気持ちでいたほうがいいかもしれまちぇんね)

(……つーかさ、モノクマを運び終わったから、もう帰っていい? オレ?)

(最後まで一緒にいまちょうよー! 寂しいでちゅー!)

(オメーは連れションに行く女子かよ! ……って、女子か!)

「桑田くん! ボーっとしてないで行くぞ! ウサミ先生もついてきてください!」

 「職員室に向かい、その後、兄弟の様子を見に行こう!」と大声で宣言しながら、
 石丸はテンポよく手足を動かして喜びを表現しつつ、校舎へと歩いていく。

「近くから見ても綺麗だな! 感心だ!」

 校舎の白い壁はピカピカに磨かれており、石丸たちの来訪を待っていたかのようだった。
 まさしく石丸好みの学び舎であった。

 しかし、入った瞬間に、石丸は絶叫することとなった。

「な、なんだ!? これは!?」

 パラリラパラリラと軽妙な音が一行の耳に届く。
 校舎の中を、かかとに車輪が付いたスリッパを使って、爆走する生徒達がそこにいたのである。
 色とりどりのスリッパから種々雑多な音が鳴り響かせながら、彼らは廊下を駆けていた。
 蛇行しながら長い廊下を動き回りし、滑るようにドリフトを決めながらコーナーを抜ける。
 一列に移動しているわけはなく、隊列を組みながら、彼らは思い思いにスリッパを運転して(履いて)いた。
 バイクほどの速度ではないが、その速度は玩具とは呼べないものだ。
 単なる移動でもなければ、走行でもない。まさに“爆走”や“暴走”と呼ぶのが相応しかった。

「風紀が乱れているどころではないぞ!?」

 また、“爆走”や“暴走”という呼称が適切であると思わせる要因は他にもあった。
 生徒全員がリーゼントなどの気合の入った髪型をしたうえで、
 特攻服やサラシなどを使ったワイルドな恰好をしていたのだ。


「竹刀を持ってこなければ――」

 石丸は急いで地上へと向かって走り出す。歩きではなく、走りであった。
 石丸にとって一大事だったのだろう。歩くときの速度も凄まじかったが、走りの速度はその比ではなかった。
 残像を残しながら、石丸は豆の樹を垂直に駆けて行った。

 そして、同じ速度で駆け上がってきた。
 手には竹刀とトランプがあった。

(石丸クンに遊んでたトランプ没収されたー!
 セレスさんが不機嫌すぎて、山田クンのメンタルがたいへんかも……!)

 苗木がテレパシーでそんなことを言っていた。
 どうやら、石丸の通り道にいたため、持ち物検査をされたようだ。
 きっと、3人はこれからしばらくはヒマな時間を過ごすことになるのだろう。
 山田に合掌である。

「よし! 風紀を正しにいくぞ!」

 戻ってきた石丸は気合も高らかに叫んだ。
 しかし、そんな石丸に対して、モノクマがニタニタと笑いながら、冷や水を浴びせかける。

「うぷぷ……。風紀って言ってもね。
 実は、これが魔法の国では当たり前の常識なんだ」

「な、なんだって!?」

「国によって常識や風習が違うのは当たり前だよね。
 自分の常識の押し付けはよくないと思うよ」

「……魔法の国出身のあちしもそんな常識はじめて知りまちたよ」

「……チッ。黙ってろよ。愚妹」

「え、いつからあちしは妹になったんでちゅか!?」

「クマとウサギのキャラクターは兄妹って決まってるんだよ! 常識だろ!」

「えぇー!?」

 ウサミが困惑から叫ぶ。
 しかし、その叫び声を真剣に受け止める者はいなかった。
 石丸もまた膝を突き、震えるばかりだ

「こんな常識が許されるのか――いや、この思考は失礼にあたるのか?
 クッ……。うぅ……。僕はどうすればいいんだあああああああああああああああ!?」

 石丸は苦悩を全身で表現していた。
 鼻をすすりながら号泣するその姿は、常であれば、行きかう人の足を止めさせることだろう。
 しかし、夢の中の生徒達はで石丸を気にも留めず、その横をローラースリッパで過ぎ去るばかりだ。

「そ、そうだ……。恰好はともかく勉学に励んではいるのか……?」

「プ、プ、ウププのプ。
 昼はのんびりお散歩だ。たのしいなたのしいな。
 魔法の国にゃ勉強も試験もなんにもない。
 プ、プ、プププのプ。みんなで歌おう。プププのプ」

「う、うわあああああああああああああああああああああ」

 片目をつぶって歌うモノクマの言葉を聞いて、石丸の慟哭がさらに激しいものとなった。
 ウサミが「魔法の国に対する熱い風評被害でちゅ!」と反論するが、
 石丸のすぐ脇を爆走していく生徒達がいるため、何の説得力も持たなかった。

「こ、ここは駄目だ……。こんなところにいたら、人間堕落してしまうぞおおおおおおおおおお!
 兄弟! 兄弟はどこだ!? すぐにでも連れ戻さなければ……!」

「石丸クンも社会見学して行きなよ……。なにごとも経験だよ。うぷぷ……」

「怪しいでちゅ! びっくりするほど邪悪な大人の顔してまちゅ! 悪の道ダメ! 絶対!」

「……てか、イインチョの夢なのに、なんでこんなことになってんだ?」

 展開の速さについていけず沈黙を保っていた桑田が、ここでやっと発言した。

「えっと……」

 すると、ハッとした様子で、ウサミが少しだけ落ち着きを取り戻す。
 そして、小声でウサミは仮説を並べ始める。


「夢って恐れているものを予行練習することで危険に対する備えをするという面もあるので……。
 もしかしたら、これが石丸君の恐れていることなのかもしれまちぇんね」

 学級崩壊(というよりも学校崩壊だが)。
 大和田が非行に走ること(というよりも既に非行少年だが)。
 ……きっと、この辺りが石丸が日ごろ無意識に恐れている事態なのだろう。

「僕は間違っていた……」

 石丸はふらふらと立ち上がると、目元の涙をぬぐい始めた。
 足元には取り落とした竹刀が転がっている。

「僕達が兄弟になった日……。
 僕は兄弟の自分の髪型に対する想いを知った。
 髪型を通して自分の仲間に対する熱い想いを知ったのだ。
 暮威慈畏大亜紋土……それは兄弟の生き様。
 その活動自体は褒められるものでは断じてないが……、
 そこに譲れない何かがあることは心で理解した」

 石丸は何かを呟き始めた。
 自分に対して、何かを念じるように。

「だから、僕達は休戦したのだ。
 兄弟だけを例外と見なすこと――贔屓することなど僕には出来ないからだ。
 僕は風紀委員として公平でなければならないのだ。
 兄弟に譲れないものがあるように、僕にも譲れないものはあるのだ。
 だから、僕は兄弟が暮威慈畏大亜紋土として活動しているのなら、
 その度に、彼の行いを正すために戦いを挑むだろう。
 だから、これは和解ではなく、休戦なのだ」

 石丸は何かを必死に思い出しているようだ。
 そして、その声は夢の世界全体に響いていた。
 石丸自身や夢の世界の住人達は気づいていないのだが、
 その声はまるで雷鳴のように周囲に響き渡っていたのである。

「兄弟は、将来、大工になるつもりらしい……。
 壊すことばかりだった自分を省みて……今度は作る仕事に就きたいと兄弟は言った。
 だからなのか……、それとも、休戦したからなのか、それは分からないが……、
 兄弟はあの日以来、学園近くを暴走することもなければ、平日に無理な遠征をすることもない。
 時間に正確とまでは言わないが、学業を優先するようになったのだ。
 最近では、チームリーダーの後任を決めようともしているようだ。
 だから、僕もまた学園では兄弟の活動については何も言わなかった。
 無論、休日など授業がない日はうるさく言わせてもらっているし、
 兄弟の活動がどのようなものなのか見に行ったうえで批判もさせてもらっている。
 暴走族のコミュニティがどのようなものなのか勉強したことがなかったから、
 実際に見てみる事は、良い勉強になった。
 ……しかし、その上で、僕は考えていた」

 石丸は開いた両手を見ながら、表情少なく述懐していた。

「彼らの中には暴走族になるしかならなかった者もいるだろう。
 義や信念を持って行動している者もいるだろう。
 だが、大半は努力が足りず、他者に迷惑をかけ、
 真の意味で自立せず、他者に依存するばかりだ。
 努力の大切さや我慢の大切さを教えられずに育ってきたのだ。
 兄弟のようなまとめる者がいなければ、今頃何をしていたのかも分からない。
 ……たしかに、兄弟自身は違う。根性なしではない。
 兄弟は強いプレッシャーのもとで努力をしてきたのだろうし、
 チームを大切に思い、そのような者たちを引っ張ってきたのだろう……。
 暮威慈畏大亜紋土があるから、今の兄弟がいるのは間違いない。
 だが、その暮威慈畏大亜紋土がこれから兄弟の将来を捻じ曲げないとどうして言える?
 社会的に正しい集団であれば、大工になろうと考える兄弟の背中を押すだろう。
 しかし、反社会的な集団ならば、そこから抜けようとする兄弟の足を引っ張ろうとするのではないか?
 兄弟がいることであそこまで大きくなった集団が兄弟を失いそうになったとき、
 どういう行動に出るのだろうか? ……僕はそんな疑問をずっと抱えていた。
 しかし、休戦していること、そして、兄弟が暮威慈畏大亜紋土での想い出があるから頑張れると言っていたことから……、
 兄弟が卒業するときまで――時間が解決するのを待つことに決めたんだ。
 ……僕が"風紀"に拘るのは、風紀を正すということは、
 みんなが精いっぱい努力出来る環境を整えるということなんだ。
 だから、暮威慈畏大亜紋土があるから、兄弟が大工という将来に向かって頑張れるというなら、
 クラスメートとして僕は暮威慈畏大亜紋土という存在の是非について一度保留しておこうと思ったんだ。
 それにだ……。僕が想像したこともない環境であろうと、……一見、努力に相応しくないように見える環境であろうと、
 誠に努力した結果として報われ、幸せになれることが証明されるならば、それほど嬉しいことはない。
 そう考えていた。
 だが……、それは甘い考えだったようだ」

 石丸は拳を振り上げた。
 そして、その髪を白く光らせ、眼に眩いばかりの光を宿す。


「過去も大事だが、今現在の環境も大事だ!
 僕は兄弟をここから連れ戻す!
 時間が解決するよりも早く、すべてを解決してやる!
 努力しないことが常識だというなら、その常識は間違っているのだ!
 さぁ、何人でもかかってきたまえ!
 百人でも二百人でもまとめてその性根を叩き直してやろう!」

 空間が歪まんばかりの光と熱が石丸の周囲に立ち込める。
 まるで火山の噴火のように、石丸の身体から気合(オーラ)が立ち昇っているのだ。
 そして、その気合はまるで爆炎のように周囲へと放出された。

「うおおおおおおおお!? なんだこりゃ!?」
「大丈夫でちゅ! オートバリアがありまちゅ! 桑田君達の身に危険はないでちゅ!」
「う、うわああああああああああああああああ!?」
「って、おい! モノクマがフッとんでったぞ!?」
「自業自得でちゅよ!」
「それもそうだな!」
「お、オマエラ! 覚えてろよーーーーーーーーーーーー!」

 モノクマが雲の上からさらに上へと飛んで行った。
 しかし、モノクマは江ノ島から独立した存在であるそうなので、
 どんなダメージを受けても現実世界には影響がないので、問題ない。
 だから、モノクマがお星さまになるのを、心置きなくウサミ達は見送った。

 だから、当然、今気にしてるのは、眼前で気合と決意に燃えている石丸の方だ。
 石丸の夢がここからどうなるのかの方が全くもって想像付かず、
 彼の闘気と熱意とその他諸々は強くなるばかりであった。
 その勢いの凄まじさは、地上にいる苗木がテレパシーでウサミへと尋ねてくるほどだ。

(ねぇ!? なんか、空が光ってるけど大丈夫!? あと、さっきの石丸クンの声……)

(うーん。なんとも言えまちぇんね。拙いでちゅが……。
 で、出来る限り、テレパシーで状況を伝えまちゅね……)

 ウサミはテレパシーによる実況を開始することにした。
 今出来ることはそれくらいしかなかった。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
 おおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」

 石丸の叫びに呼応するように彼の気合は燃え上がった。
 髪の毛一本一本から煙のような湯気を立ち昇らせながら、気合の渦は伸びていく。
 うねる気合の渦はさながら絡み合う龍のようであり、遥か高い空へと昇らんとしている。
 そして、その根源となる石丸の周囲では、
 その気合の密度が高く、もはや質量をもった炎の壁のようになっていた。
 熱せられた空気は一か所へと追い立てられながら、圧縮を繰り返し、さらに温度を増していく。
 そして、自分自身を裂くような巨大な爆発音とともに衝撃波を巻き起こす。
 空気自体が発火し、内部からの爆発を引き起こしたのである。

「今行くぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 そして、爆発とともに、空気の一部が水へと変じるが、
 その水すら一瞬で水蒸気へと変えるほどの熱量がさらに石丸の身体から立ち上がる。
 無限にも似た気合がそのまま熱量となって石丸の身体から放出されているのだ。
 熱と蒸気によって、彼の周囲の光景は揺らめいていた。
 そして、その揺らめきによって、周囲にあるアスファルトに似た雲の床は融解し、焦げ、ひしゃげていく。
 まるで火山流のように、気合は地形を変えて行ったのだ。
 その気合の燃焼の勢いは止まらず増していき、その燃え上がり方は、もはや太陽の如くである。
 見る者の目を焼く強大な光。
 夢や魔法による存在でなければ、生命そのものを一瞬で融解してしまうだろう圧倒的な熱。
 生命の父であると同時に、時としてその強すぎる父性により不毛な土地を作り、生命を絶命させうる絶対的な力。
 それは、近づく者を永遠に遠き場所へと送り込み、遠ざかる者を逃がさない。




「兄弟いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!!」




 解き放たれた石丸の気合は空間を歪ませ、彼の残像を周囲へと刻んでいく。

 そして、魔法の国の学校(仮)の校舎が半壊した。

 だが、そこからが始まりであった。

 校舎の中から、ローラースリッパを履いた集団が大量に出てきて、石丸へと向かい始めたのだ。


「や、やべぇ……。いつの間にかスクールウォーズが始まってんだけど……」

 それを見ていた桑田はただ慄くしかなかった。

 一緒にいたウサミもびくびくと震えながら失言をすることしか出来なかった。

「べ、別ベクトルだけど、桑田君や江ノ島さんのの夢の中並みの凄まじい光景が広がってまちゅね……」

「え、オレの夢ってそんなにやばかったっけ!? ……ってそうじゃねぇ。オレの夢はさっさと忘れろよ!」

「ご、ごめんなちゃいでちゅ!」

 そして、彼らの手の届かぬところで、石丸の夢はクライマックスへと向かっていった。

今日はここまでです
火曜日に続きを投下できるよう頑張ります

ごめんなさい
投下は明日になります


「「「「うおー! 勉強なんかしたくないぞー!!」」」」

 石丸に向かって突撃する魔法の国の生徒達。
 そんな彼らに対して、石丸は一声を浴びせかける。

「もっと勉強したまえ!」

「「「「―――――――――!」」」」

 すると、彼らは声にならない声を上げて、遥か彼方へと吹き飛んでいく。
 だが、すぐに第二波が石丸に殺到する。

「「「「うおー! もっと暴れさせろー!」」」」

 しかし、それに対して、石丸は叫び返すのみだ。

「暴力はやめたまえ!」

 すると、声そのものが塊となっているかのような衝撃が生徒達を襲い、そのまま彼らをなぎ倒す。

「あれって暴力じゃねーの!?」と桑田が叫んでいたが、問題ではない。
 石丸はただ声を出しているだけだからである。つまり、気合だ。暴力じゃないからセーフなのだ。

「シャツはきちんとズボンに入れたまえ!」

「「「「―――――――――!」」」」

「ハンカチとチリ紙は持ち歩きたまえ!」

「「「「―――――――――――――!」」」」

「背筋はピシッと伸ばせ!」

「「「「―――――――――――――――――!」」」」

「ゲームは1日1時間!」

「「「「―――――――――――――――――――――!」」」」

「おはようございます! こんにちは! こんばんは! おやすみなさい!」

「「「「おはようございます! こんにちは! こんばんは! おやすみなさい!」」」」

 ロジックではなく、気合で論破されていく。
 ……なお、議論になっていない叫び合いに"論破"という言葉が適応されるかは忘れておくべきだろう。




◆◆◆


「起立! 礼! 着席! ……よし! もう風紀を乱している者はいないようだな!」

 しばらくの間、石丸は論破(気合)を繰り返していたが、
 周囲に生徒達がいなくなったことで落ち着きを取り戻しつつあった――のだが、
 本来の目的である人物がまだいないことに気付いて、再び絶叫する。

「兄弟がいないぞ!? 出てきたまえ! 兄弟!
 さぁ、一緒に希望ヶ峰学園に帰って勉強をするぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 拡声器もなしに巨大な声を石丸は上げ続けた。
 そして、「勉強するぞ」という声はまるで山彦のように何度も周囲で反響する。
 さらに、その反響は何度も何度も重ねられていく中で大きくなっていき、
 さながらパトカーや消防車のサイレンのような喧しさであった。

「――――――――!?」
「――――――――!!」

 喧噪の中で桑田とウサミが叫ぶも石丸の声にかき消されていく。
 まるで、ここで火災でも起きているかのようである。

 しかし、その喧噪も終わりを迎える。
 だいぶ時間が経ち、夢の中の陽の光が白から赤に変わった頃であった。
 石丸の待ち望んでいた人物が現れたのである。

「待たせたな兄弟! オレはここにいんぞおおおおおおおおお!」

 半壊した校舎の中から白い特攻服を着た大和田が現れた。
 夕日の光が彼を後ろから照らしている。
 白い服によって反射される赤の光は後光のような煌めきを放っていた。

 いや、実際に大和田は後光を纏っていた。
 そして、光の加減によるものか? 心なしか顔つきも陰影の濃さが増しており、劇画風に見える。
 本物の大和田より、顔が濃く、どこか迫力が増しているようだ。
 もしかしたら、石丸の脳内補正かもしれない。

「言葉はいらないぜ、兄弟いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」

 そして、そんな気合の入った顔つきの大和田はいきなり叫び始めた。
 すると、その言葉に虚を突かれたように、石丸は一瞬だけ、動きを止める。
 しかし、次の瞬間、何かを悟ったように、自らも気合の入った顔を浮かべて、叫びだす。

「……っ!? ……あぁ!! そうだな! 兄弟! いくぞおおおおおおおおおおお!!」

 続いて、石丸もまた大和田の後光に呼応するように、再び(気合で)光り出す。

「それでこそだああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 すると、石丸の纏う光の輝きを見て、大和田は笑みを浮かべると、さらに自らの光を強めていった。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 2人の気合のぶつかり合いは段々と激しさを増していった。
 音と光が辺りを駆け巡る。

「なにが始まるんでちゅ!?」

 気合と気合がぶつかる最中、わずかな音の合間を縫って、ウサミが叫んだ。

 そして、その瞬間だった。




「「――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!!」」



 2つの光がぶつかり、巨大な爆発音を響かせた。
 石丸ひとりのときとは比べ物にならないほどの風圧と音が周囲を薙ぎ払う。
 魔法の国(仮)の校舎が全壊し、アスファルトのような地面に罅が広がっていく。
 そして、光が完全に収まった後、そこには巨大なクレーターが残された。
 クレーターの中では、ボロボロになった大和田と石丸が転がっている。
 彼らは並んだまま、何か話していた。

「さすが兄弟……。こんな環境にいてもその根性に陰りはないようだ……」

「オメーもな……。さすがはオレが兄弟と認めた野郎だ」

 あの一瞬の中で、心と心で会話したことになっているようだ。
 石丸の中で暴力が許されるなら、
 夕日をバックに殴り合いをして友情を深めていたシーンだったのかもしれない。
 そこには、言葉に出来ない謎の充実感が存在していた。

「兄弟……。僕は兄弟に言いたかったことがあったのだ」

「イイって……。とりあえず、まずは走ろうぜ」

「あぁ……。まずは走ってからだな」

 石丸と大和田は立ち上がると夕日に向かって駆け出した。。
 うおおおおおおおおおおお! という叫び声を棚引かせながら、沈む太陽に向かって走り出したのである。
 そして、彼らの姿が小さくなっていくと同時に、夢の世界全体に罅が入っていく。

「……いやいやいや! とりあえずって、何がとりあえずなんだよ!?
 とりえずで走る意味とかあんの!?
 つーか、これで終わりかよ!? なに、これって爆発オチになんの!?
 いまどき、爆発オチとか流行んねーよ!?
 てかさ……やっぱ、夕日に向かって走って終わりって話かよ!?
 これってホントに危険に対する予行練習になってんの!? …………てか、なんか話せよ!?」

 最後に石丸の夢の世界で響いたのは、桑田のそんなツッコミであった。

(ウサミの実況を聞いてても何も分からなかったよ……)

 そして、そのツッコミが直接聞こえていないはずの苗木が図らずも同じような内容の言葉を告げたとき、
 苗木達は石丸の夢の中から放り出されて行った。

「……とりあえず、希望のカケラは回収しておきまちゅね。……うーん。なんとも言えまちぇんねぇ」

 そして、残されたウサミは淡々と自分の作業をして、
 石丸の夢の世界での仕事は終わりを迎えた。


「……打ち切り漫画みたいでちゅね」


 だから、ウサミの率直な感想は誰にも届くことはなかった。

 冗談みたいだが、これで本当に終わったのである。

短いですが、今日はこれで終わりです


◇◇◇

「なんかすごい夢だったなぁ……」

 石丸の夢から出て、まず一言苗木は呟く。
 そして、周囲を見て、さらに一言を口にした。

「……あ、そっか。まだ現実じゃないのか」

 そこは扉の間であった。
 周囲の扉の大半が光っていることから、クラスメートの大半はまだ眠っていることが分かる。
 いつものとおり石丸が早起きしただけで、今は、他の生徒が寝ている時間なのだろう。

「へぇ……。この時間なのに起きてる人が他にもいるんだ」

「こんな早朝に起きてるなんて、超健康的か、超夜更かしだね」

(当たり前のようにモノクマが返事して来たけど……もうツッコんだら負けだよね)

「石丸クンの扉だったところは開くけど、どこにも繋がってないよ。
 白い壁があるだけ。これじゃ、ドアじゃなくてただの木枠だ!
 これで色がピンクなら、どっかの青狸の持ってるドアに見えるね。うぷぷ……。
 あと、光ってる扉もうっすらと光ってるのとしっかり光ってるのがあるみたいだよ。
 苗木クンが入ったことのあるやつとないやつの違いかな?」

(……とりあえず、モノクマは抑えつけておこう。
 また、誰かの扉をあけられても困るし)

「おや、苗木クン? いやだなぁ……そんなに抱きしめられると照れちゃうよ」

 苗木はモノクマを抱っこする形で持ち上げ、部屋の中央に立つ。

(意外と軽いな……こいつ)

「あれ、無視? おーい!」

(……あとはこのままみんなが起きるまで待ってればいいかな。
 それにしても、誰がどの扉だろ?)

 自分のものだと思われる蛍光灯のような地味な象牙色の光を放つ扉を基準に時計回りに、苗木は眺めていく。

(一つ目はピンク色……。
 これは、舞園さんかな? 舞園さんのアイドル衣装の色に似てるし。
 大神さんや朝日奈さんとか他の女性陣の可能性もあるけど……)

 確信は持てない。
 そこで、ひとまず直感で当てはめていくことにした。

(2つ目は白色……だった扉。
 今は光ってない。石丸クンが起きたからだ)

 苗木は石丸の夢に入るとき、その位置にある扉から入ったことを覚えていた。
 陰りひとつない白い光を放っていたはずである。

(3つ目は、えっと……迷彩柄って言えばいいのかな?
 緑とかベージュとか黒とかがネオンみたいにごちゃごちゃになって光ってる……。
 軍隊の人がジャングルで着てそうな模様の光に見える。
 ……間違いない。戦刃さんだな。
 それにしても……複数の色が使われてる扉って江ノ島さんと戦刃さんしかいないのか。
 やっぱり姉妹だからなのかなぁ……?)

 カーキ色、オリーブ色、セ―ジグリーンを基調として
 ベージュ色、茶色、黒色など複数の色の光を同時に放つ戦刃の扉は、
 白と黒の絵の具をかき混ぜたような奇妙な光を放っていた江ノ島の扉にどことなく似ているようにも見えた。

(4つ目は、銅? えっと、仏像に使われてそうな色だ。
 ……赤銅って言うんだっけ? なんか強くて渋そうな色だ……。
 大神さんかな? それとも、日焼けしたときの色に近いから、朝日奈さん?)

 4つ目の扉は赤銅色……銅が熱せられ、鍛えられたかのような赤く鈍い輝きを放っていた。
 仏像などに使われる銅の色に似ており、どこか荘厳さを感じさせる。
 そのことから、苗木は暫定的に大神の扉だと判断する。

(5つ目は、霧切さんの薄紫色の扉だったはずなんだけど……。
 今は光ってないな……。え、起きてるの? 霧切さん?)

 5つ目は見る場所によって、銀色にも薄紫色にも見える光を放っていた扉だ。
 石丸の部屋に入る前に光っていたことから、霧切の部屋でおそらく間違いはないはずなのだが……、
 なぜか今は輝きを失っていた。


(……えっと、とりあえず、置いておこう。うん……。
 ……次は6つ目か。6つ目は、黄色……。赤味があって少し茶色に近い黄色だ。
 なんか見覚えがあるな。しかも、すごい、最近……。
 ……あっ、これは、とうもろ――大和田クンの髪の色だ!)

 たとえ心の中とはいえ、先に思いついた単語を言葉にすることは苗木には憚られた。
 特定の穀物の色に似ているとしても、黄色は黄色である。それでいいのだと思うことにしたのだ。
 なお、余談だが、玉蜀黍(とうもろこし)色という色は存在する。

(7つ目は赤色。
 あ、朝日奈さんの着ている服に似てるなぁ。
 やっぱり、さっきのが大神さんでこっちが朝日奈さんかな?)

 熱血の赤とでも言うのだろうか?
 輝く赤色の扉は暖色であるにも関わらずどこか爽やさも感じさせている。

(8つ目……ボクの向かいも光ってないな。
 たしか、江ノ島さんの白黒の扉だったはずなんだけど……)

 苗木は首をひねる。
 色々と規格外な江ノ島だが、意味もなく早起きするタイプには思えなかったからだ。
 しかし、ひとまず疑問は置いておき、苗木は次の扉を見ていく。

(9つ目は、えっと……茶色と黄色の中間? なんか土の色だ。
 うーん……。言葉に表現しづらいうえに、誰の色かよく分からないな。
 強いて言うなら、葉隠クンが持ってる腹巻の色に似てるような……)

 その扉の色は黄土色と呼ばれる色であった。
 地球上の土に見られよく見られる色であり、ファッション業界などではアースカラーと呼ばれることもある色だ。
 もしかしたら、誰かが何かを勘違いして、アースパワーを引き寄せる色だと思い込んでいるのかもしれない。

(10個目は、緑か……。不二咲クンかな?
 たしか入学式当日に着てた服やパソコンの背景がこんな色だったような気がする……)

 緑は調和を表す色とも言われている。
 不二咲千尋にはぴったりの色なのかもしれない。

(11個目は白金(プラチナ)の色?
 金でも銀でもないから、たしかプラチナで良かったはず……。
 十神クンかな?)

 金とも銀とも違う高級感ある輝きを放つ白い光を11個目の扉は放っていた。
 銀のような輝きこそないが、それゆえ落ち着いた白色の光であり、上品さがあった。

(12個目はセレスさんの黒。光ってるけど、以前よりも光は弱くて、扉に鍵がかかってるみたいだ。
 ……そういえば、以前は気にしなかったけど、黒色の光って現実にはないよね)

 黒とは光を吸収し、人の目に光を反射しないことで生み出される色であるため、現実にはあり得ない色である。
 つまり、このセレスの扉は、半分だけ黒の江ノ島の扉よりファンタジーな扉とも言える。

(……13個目はオレンジ。桑田クンの扉だな。……髪の毛の色かな?
 セレスさんと同じように鍵がかかって、以前より弱い光だ)

 ここから始まったんだよなぁ……と心の中で呟きつつ、
 苗木はエネルギッシュな色の扉から視線をずらす。

(14個目は……。紺……? いや、濃い紫かな。
 うーん。これは腐川さんの扉だろうなぁ)

 14個目は紺と紫が混ざったような色である。
 紫紺とでも呼ぶのだろうか? 腐川が入学当初に着ていた制服と似ていた。
 どこか芸術的なインスピレーションを呼び起こしそうな色であった。

(15個目は山田クンの赤紫……マゼンタカラーって言うんだっけ?)

 原色のカラーの中でも人を選ぶと言われている色だ。
 特撮の戦隊物でピンクに使われたり、
 外道天使☆もちもちプリンセスぶー子の髪に使われている色であった。

(で、16個目のボクの扉を越えて、1個目の扉に戻ってくると……。
 こう考えると、やっぱり、ピンク色が舞園さんの扉だろうな。
 青色とかも似合うんだけど、やっぱり舞園さんにはかわいい色が似あうよね)

 予想を立て終えた苗木は、その予想の出来栄えにひとり満足した。
 そして、モノクマを抱えたまま、床に座り、ボーっとし始める。
 大事な休息を取ろうとしているのだ。


「退屈だよー! ずっと同じ姿勢のままでいるなんて飽きちゃうよー!」

「………………」

「ワァオ! 苗木クンのスルースキルがブルッとするほど上がってるぜ!」

「………………」

 モノクマが文句を言っているが、苗木は気にしなかった。
 ただし、モノクマ以外のことには注意を向けていたため、ある出来事に気付く。

(…………………あれ?)

 赤銅色の扉の光が消えていた。
 大神が朝の修練のために目を覚ましたのだろう。

(じゃあ今は朝5時くらいかな。
 石丸クンが4時に起きるはずだから……って、……あれ?
 石丸クンの夢から出て、もう1時間経ったのか? そんなにボーっとしていたかな?)

 時が経つのを妙に早く感じた苗木は、少しの危機感を覚える。
 もしかしたら、このまま眠ったという実感がないまま朝を迎えるのではないか? ……と。

(現実で休めてたらいいけど、徹夜したのと同じような状態になってたら困るな……)

「何か悩み事でもあるの? 苗木クン? ボクが相談に乗ってあげようか?
 なんでも聞いていいよ? 知り合いのイルカ直伝のヘルプ能力を見せるよ。
 お前を消す方法とかそういうの以外はちゃんと答えるから! ……うぷぷ」

(ずっと抱えてるわけにも行かないしなぁ……)

 モノクマに相談するわけもなく、苗木の悩みは深まる。
 しかし、そんな中、頼もしい声が苗木に届いた。

「お困りのようでちゅね!」

「ウサミ!?」

 なんとウサミまで苗木の頭の中にやって来たのだ。
 桑田相手にいずれ現実にも遊びに行くと言っていたことは知っていたが、
 このような形で夢の世界から現実に近付いてくるとは予想していなかった。

「モノクマが苗木クンの頭の中に居続けてるって聞いて、
 あちしも出張してきまちた! 任せてくだちゃい! モノクマの動きはあちしが止めます!
 その間に、苗木クンは休んでくだちゃい!」

「助かるよ! ありがとう! ウサミ!」

 自信満々に言うウサミに対して、苗木は心からのお礼を述べた。
 ……後々、脳内にウサミとモノクマが来たことで、より面倒くさいことになるとも知らないまま。

「じゃあ、行きまちゅよ! モノクマをおろしてくだちゃい!」

「うん……!」

「チンプイ! チンプイ!」

 魔法のステッキを構えたウサミの前に、苗木はモノクマを置き、
 置かれたモノクマに対して、ウサミがステッキを二度三度と振った。

「そんなに締め付けちゃ……あぁ……綿が出ちゃう……ハァハァ……」

 杖が振られた後、そこにはリボンで拘束されたモノクマがいた。
 縛られたままモノクマはくねくねと動いていた。
 妙に所作が艶めかしいが、苗木もウサミも気にしない。

「じゃあ、お休み。ウサミ」

「お休みなちゃい~。苗木クン」

 そして、苗木は眠りに就いた。
 夢の中でさらに眠るようなものだが、
 特に違和感を持つこともなく、苗木の意識はぼやけていった。



◇◇◇

「遅いぞ! 苗木くん! 早寝早起きは三文の得だ!」

 そして、次に意識を取り戻したとき、苗木はいきなり驚くこととなった。
 苗木の枕元で石丸が大音量で叫んでいたのである。

「え、えぇ……? な、なんで石丸クンが部屋の中にいるの!?」

 苗木は掛布団を跳ね飛ばす勢いで、上半身を起こした。
 すると、部屋の中には他にも大勢の人間がいることが分かった。

「……起きたようね」

「おはようございます! 苗木君! ……ごめんなさい。お邪魔してます」

「おはよう……。苗木くん……」

「おっはー! 苗木! 今日も朝からムカツクほど爽やかないい天気よ!」

「苗木っち! ひどいべ! なんで昨夜は俺の夢に入らなかったんだ!?」

「……起きたのなら、コーヒーのひとつでも淹れてきたらどうだ?
 ルアックコーヒーの買い置きは渡しておいたはずだが?」

「わー。さくらちゃん、なぜかみんな苗木の部屋にいるよ!?」
 トレーニングに出るときは気づかなかったけど、そのときから集まっていたのかな?」

「うむ……。どうやらそのようだな」

 最後の2人の声は廊下から聞こえてきた。
 部屋の前に2人、部屋の中に7人いるようだ。
 前者は大神、朝日奈、後者は石丸、霧切、舞園、戦刃、江ノ島、葉隠、十神だ。
 苗木を合わせると、10人もの人間がこの場にいた。

「い、いすぎだよ……!? そもそも、なんでみんなボクの部屋にいるの?」

 すると、石丸、霧切、戦刃、十神、江ノ島が喋り始める。

「朝、君の部屋の前を通りかかったら、霧切くん達の声が聞こえたのだ!
 朝から女子と男子が同じ部屋にいるなど問題がある! だから、間違いがないように、同席したのだ!」

「夜10時に眠ったはずだったけど、
 苗木君が夢の中に来た覚えがないまま目を覚ましたから……様子を見に来たの。
 そうしたら、苗木君が別の夢に入ってるような寝言を言ってたから、とりあえず江ノ島さんを拘束したのよ」

「私の順番は最後だから、みんなより先に眠らないよう……苗木くんが寝てから寝ようと思って……。
 12時くらいにインターホン押して、寝てるか確認しようと思ったら……。
 霧切さんと盾子ちゃんと十神くんが来て……」

「霧切から江ノ島が何かまた企んでいるかもしれないと言われたからだ。
 ……問題は何もなかったようだがな。チッ……愚民どもが。時間を無駄にさせるな。
 凡人には分からないだろうが、部下に命令をするため俺が電話を手にする間にも、
 俺の貴重な時間は消費されるのだからな」

「アタシってば起きたら、簀巻きにされてて……黒服達に囲まれて……いきなり尋問されたのよ……。
 悲しかったわね……。悲しいほど絶望的で――――――いい目覚めだったわ!
 できれば、日ごろから、こういうサプライズがもっとほしいわね!」

 どうやら、苗木に江ノ島が何かしてるのではないかという疑いがあったため、
 江ノ島の監視と苗木の様子を見ることを兼ねるために、何人かが苗木の部屋に集まったようだ。
 鍵はマスターキーで開けて貰ったらしく、先ほどまではこの場にいる人たちに加えて、
 サングラスをかけた黒服の大人たちも多数いたらしい。
 ちなみに、石丸は黒服の大人たちが帰った後に、来たようだ。

「俺は文句があったから来たんだべ!」

 なお、葉隠は自分の夢の中に苗木が来ると考えていたが、
 その予想を外されたため、文句を言いに朝早くからやって来たようだ。

「私は食堂に行こうと思ったら騒がしかったので、さっき来たところです。
 不二咲君と入れ替わりでした。部屋の中を譲ってもらったみたいで何か申し訳なかったですね」

「……いや、エレベーターじゃないんだから、気にしなくていいんじゃないかな?」

 よく分からない恐縮の仕方をしている舞園に対して、苗木は疑問を挟む。


(それにしても、不二咲クンもいたってことは……。
 クラスメートで今日ボクの部屋に来てないのは、大和田クン、桑田クン、山田クン、セレスさん、腐川さんだけか。
 腐川さん以外は石丸クンの夢の中で会ったから……もうほとんどの人と今日会ってる気がする。
 あ、けど……大和田クンは夢の中の大和田クンだからノーカンかな?)

 ちなみに、舞園と同様、不二咲は騒がしかったから様子を見に、苗木の部屋に来ていたらしい。
 だが、部屋の中の密度が段々と高くなっていったからだろう。
 先に出て行ったらしい。現在は、おそらく当初の予定通り、食堂にいるに違いない。

「とにかく、目が覚めたのならはやく身支度を整えたまえ! 朝ごはんの時間だ!
 諸君! 諸君も先に食堂に向かいたまえ! 苗木くんも着替えなくてはならないからな!」

 食堂という言葉を聞いたからだろう。石丸が全員を急かし始める。
 いつもなら、食堂で朝ごはんを食べ始める時間だったからだ。

「それもそうね……。では、またあとでね、苗木君……」
「またね……」
「先に食堂で待ってますね」
「ばいばーい~」
「フン……」
「苗木っち! 話は終わってないべ! あとでちゃんと聞けよな!」
「あ、みんな出てきた? みんな集まって何してたのー?」

 最後の声は廊下にいた朝日奈である。
 どうやら、石丸以外の全員が廊下へと出て行ったようだ。

「さぁ、これで静かになったな。
 だが、落ち着く暇はないぞ! 苗木くん! 機敏に動きたまえ!
 寝坊したからと言って、それ以降もダラダラとすごすのはよくないぞ!
 無駄にした分は頑張って取り戻すべきだ!」

「あ、うん……。わ、分かったよ……」

「……ところで苗木君」

「え、なに?」

「君の髪は……」

「か、髪!?」

「ほとんど自然体だったのだな!
 てっきりその真ん中に立っているのは整髪料か何かで作っていると思ったよ! ハッハッハッハ!

「……そ、それだけ?」

「……それだけとは?」

「いや、もっときちんとした髪型にしろ……とか?」

「したいのかね!? 歓迎するぞ!」

「い、いや、ごめん。なんでもないよ!」

「……そうかね? 残念だ」

「そういえば、石丸クンは風紀委員だけど、
 無理やり髪型を変えろって言ったりとか、バリカンで刈ったりはしないんだよね?」

「当たり前じゃないか!
 無理やりバリカンで剃ったりなどしたら傷害罪だ!」

「あ、そ、そうだね……」

「それに、髪型に関しては校則でも決まっていないからな。
 僕としては染毛は髪を傷めるからよくないと言うことしか出来ない!
 ……それとも、校則を変えるために協力してくれるかね? 苗木君?
 以前、村雨先輩に容姿について校則の改訂を提案したのだが
 まず一定数の賛成者が必要だと言われてな。
 今、同志を探してはいるが、中々集まらないんだ!」

「が、がんばって……。じゃ、じゃあ、そろそろ着替えるから……」

「そうだな! はやくしたまえ!」

 苦笑いを浮かべる苗木をよそに石丸は外へと出て行った。
 石丸が外に出て行ったあと、
 苗木は「そんなことしてたのか……。いつの間に……」とただただ戦慄するばかりであった。
 ある意味では、夢の中での出来事以上の驚きであった。

今回はこれで終わりです

ご無沙汰してます
新生活に向けて引っ越しなどしてる関係で再来週まで忙しいです
まとまった時間が取りにくいこともあり、思い切って3月中ごろまで休ませていただきます

あと、絶女ネタでひとつ書いておきたい短編もあります(小声)
去年の秋くらいから書きたくてしょうがないものが(小声)
2週間くらいだとちょうど書き終わりそうなんです(小声)

ご無沙汰してます
中ごろと言ってたけど実生活が思ったより忙しかったため更新遅れています
次の更新は今度の日曜日になりそうです


◇◇◇

「それで、また私の夢には入れなかったのね?」

「ご、ごめん……」

「……別に怒ってないわ」

 朝食の間、苗木は昨晩の出来事について話をしていた。
 モノクマの横やりによって、霧切の夢ではなく石丸の夢に入ったことを説明したのだ。
 ちなみに、その場には、霧切だけでなく、他のクラスメートもいた。
 もちろん石丸自身もである。

「僕の夢に入ったのか。
 ……うむ。まったく記憶にないぞ。
 むしろ今朝はいつもよりすっきりした気分だった」

「……どんな夢を見てたかはあまり言わないでおくよ」

「なぜだ? 夢での出来事は現実の出来事ではないのだろう?
 昨日も霧切くんが言っていたではないか?」

「……恥ずかしくないの?」

「あぁ。しかし、苗木くんがそれほど口を重くするということは、
 著しく公序良俗に反する夢だったのかね?
 そうだとすると、申し訳ないことをした。謝罪しよう!」

「い、いや、公序良俗には反してなかったよ」

「そうか! それならば何も問題ないな!」

「あ、うん……」

 力強い石丸の言葉に、それ以上苗木は何も言えなかった。

「苗木の中にいるモノクマとやらについてはお前は本当に何も知らないんだな?」

「知らない、盾子、嘘つかない」

「……なぜ片言なんだ?」

 苗木が話をしている間、十神が江ノ島に対して詰問していた。
 しかし、江ノ島から有力な情報は特に得られないようだ。

「盾子ちゃん、昨夜は別に何もやってなかったよね?」

 戦刃も話に加わる。
 すると、江ノ島も笑顔で答えを返す。

「そうだよ! お姉ちゃん!」

 昨日の罰ゲームは午後まで効力が続いているため、
 いつもとは違い、江ノ島は姉に対して非常にフレンドリーな対応をする。
 ちなみに、目は笑っていない。
 今朝の芸能ニュースで"ニセジュン"という言葉が取り上げられていたのを見てから、
 瞳の奥で暗い光すら宿っている。

 以前、雑誌における江ノ島のメイク術についての記事『マジありえない! 5分で生まれ変わるミラクルメイク』と
 『チェケラッチョ! ジュンコの魔法★ 人気急上昇中のギャルモデル ジュンコが贈るエロカワギャルの法則』をもじって、
 『マジありえない!? 5分で生まれるジュンコの魔法★ 今大人気のカリスマギャルモデルは量産できる?』
 という煽りを見出しにしているニュースサイトなどもあったらしい。

 江ノ島盾子で検索をかけようとすると、サジェストに「江ノ島盾子 フォトショ」とかも出て来るらしく、
 江ノ島曰く「苗木にちょっかいかけるより先にこいつらオシオキしないと♪」とのことだ。

 ちなみに昨晩のうちに某SNS上で最初にフォトショ疑惑をつぶやいたアカウントの持ち主は特定したようだ。
 「絶望とか関係なく、色々と死活問題だし。リミッターとかに引っ掛からずにやらせてもらうわ。
  いいでしょ? 世間一般的な意味での"軽いオシオキ"ですませてあげるんだから」とも言っていた。

 火が付いたから火消をする――普通の人でも行うことだから自分がやっても問題ないとは江ノ島の談だ。

「ふん……。まぁ、いい」

 江ノ島の返答とその裏で燃える炎について見聞きしたうえで、十神は淡白な反応を示す。
 江ノ島の火消し方法の是非や姉妹のやりとり自体に十神は興味を持っていない。
 今、十神が優先しているものは苗木の中にいるモノクマに対しての考察だ。
 


 十神は苗木に向かって声をかけた。

「今日の昼は俺の番だったらしいな?」

「うん。予定ではね……。……いきなり昨日の時点で狂っちゃったけど。
 ……十神クンって守秘義務とか色々と人に知られちゃまずいことも多いだろうから、最初の方の昼がいいよね?」

「気が変わった。俺は後にしろ。
 俺の順番は昼でも夜でもかまわない。俺の準備が出来たら教えてやる」

「え?」

「え? じゃない。俺の言葉に対して疑問符を付けるな」

「あ、うん……」

「分かったなら、いいな。俺は行くぞ。」

「えぇ……」

 すたすたと十神は去って行った。

「どういうことだよ……」

 残された苗木はぽつんと呟いた。
 周囲にいた者達も大半は同様にあっけにとられている。
 すると、彼らの疑問に代弁するように霧切がそっと口にする。

「モノクマに対して、何か対策を練ってからにしたいのだと思うわ。
 そして、モノクマに対策が出来た時点で、
 他の人が夢に入っていても漏らしてはいけない情報を守る方法も確立できているってことになるんじゃないかしら?
 万全を期す……完璧を自称する彼らしいじゃない?」

 納得したように何人かが頷いた。

「昨日はあんなに最初の方にしろって言ってたのに、
 十神ってこういうところは入学したときから変わらないよね」

 朝日奈が口元をとがらせて、少しだけ非難した。
 とはいえ、彼女も含めてそれ以上、誰も十神のことを追及しようとはしない。
 慣れとは怖いものである。

「えっと、十神クンじゃないなら昼は誰にしよう……。
 やっぱり霧切さんかな?」

「明日以降の昼を予定していた人にすればいいんじゃないかしら?
 私は夜でもかまわないわ。昼は苗木君が昨日考えていたとおり、
 自分の夢にあまり入られたくない人を優先した方がいいんじゃない?
 それに、私も昼間のうちに調べておきたいことがあるし」

「そう? じゃあ、昨日決めてた順番的には腐川さんかな……」

 苗木はテーブルの端に座っていた腐川さんに視線を向ける。
 昨日の時点で最も人に入られたくない……といった態度を示していたのは、
 十神、大和田、腐川であった。

 ちなみに、3人の中での順番は深く考えていない。
 十神を最初にしていたのは情報漏洩によるインサイダー取引を警戒していたからであり、
 その次を腐川にしたのは女子と男子なら一般論として女子を優先しておくか……といった程度のものである。

「……あ、あたし?」

 腐川が狼狽しているかのようにあたふたとし始める。
 それは苗木としても予想外だった。

「えっと……」

「びゃ、白夜様の後の方がいいわ。
 ご、合法的に白夜様に対して自分をさらけ出すチャンスだもの……」

「人に入られたくなかったんじゃなかったっけ……?」

「びゃ、白夜様を徒人(ただびと)と同じだと思うんじゃないわよ……!」

「う、うん……」

「そ、そりゃ……びゃ、白夜様の夢に夢に入りたいって気持ちもあるのよ」

(そうなんだ……)

「だ、だけど、あたしなんかが白夜様の夢に立ち入るなんておこがましいにもほどがあるわ!」

(違う理由で十神クンは腐川さんの夢に入らなさそうだけど……)


「びゃ、白夜様があたしのユメの中に……。ぐ、ぐふふ……」

(なんか卑猥に聞こえるな……)

 意識が明後日にいってしまった腐川の姿は、はた目にも異様だった。
 近くに座っていた葉隠が「悪しき気配をビンビン感じるべ! お祓いするべ!」と水晶玉を突き出すほどである。

(水晶でどうやってお祓いするんだろう……。あとそれってオカルトだよね?
 …………いや、今はそんなこといいや。腐川さんが駄目なら、大和田クンかな?)

 苗木は大和田に向かって言った。

「大和田クン……」

「アァ? オレか? チッ……。わりぃが、今日、オレはパスだ」

 朝食を食べ終わり、椅子にもたれるようにふんぞり返っていた大和田が即答した。

(なんなんだ……?)

 候補となっていた3人が今日の番を望まないという事態に苗木は困惑する。
 そんな苗木の態度を見てとって、大和田付け加えた。

「オレの番は明日以降になりそうだから、昨日は言わなかったけどよ。
 今日の昼には受けてー授業があんだよ。大工の役に立ちそうなやつがよ。
 美術ってくくりだけど木材使うんだよ」

「それは仕方ないね……」

 苗木は大和田の意志を尊重した。

(なんで暴走族の大和田クンの断り方が一番真面目な理由なんだろう?
 ……ま、まぁ、いっか。えっと、こうなると霧切さんかな、やっぱり?
 それとも大和田クン達のあとに昼の番に回ってもらうつもりだった舞園さんや大神さんかな?)

 少しの疑念を胸に苗木はどうするか考え始める。
 すると、そこで手を挙げる者がいた。

「あ、あのね、ちょっと、いいかなぁ……。
 苗木クンが色々と順番考えてくれてるのに悪いんだけどぉ……。
 もしよかったら、今回は僕の夢に入ってくれないかなぁ……」

 不二咲だ。
 おずおずとおっかなびっくり手を挙げている姿はどこか小動物を連想させた。

「不二咲クンの夢?」

 苗木は不二咲を緊張させないように優しく声をかける。

「うん……。昨日の夜ねぇ……、学園長先生、松田先輩、十神君に頼まれたんだぁ……。
 夢の世界の研究のために、色々なプログラムの実装が必要なんだけどぉ、
 その一部を僕もやることになったんだぁ……。ただ、話で聞いてるだけじゃ分かり辛いところもあって……。
 何度か他のみんなの夢に入る機会があると嬉しいんだぁ……」

「そっか……。それで早いうちに夢の世界を体験しておきたいんだね」

「う、うん……。もちろんダメだったらいいんだよぉ……。
 夢の世界を体験しておくことが絶対必要ってわけじゃないし……。昼間の枠って貴重だろうし……」

「いや、大事なお仕事のためだし、幸い急を要する人は他にいないから、次は不二咲クンの夢にさせてもらうよ」

「わぁ、ありがとう……!
 あ、もちろんわがままを言ってるから、入りたい人は僕の夢に入っていいよ……。
 これで僕が後の皆の夢に一方的に入るだけだとぉ、ズルしてるみたいだしねぇ……」

(それだと昼間枠である必要がないんだけどな……。
 まぁ、いっか……。もう当初の予定もぐちゃぐちゃだし……)
 
 どうしてこうなった……。苗木はそんなことを考えながら、この後の具体的な動きを決めることにした。

「じゃあ、13時……昼食を終わってちょっと休んだら、
 松田先輩の研究室に集合ということで。もし、不二咲クンの夢に入りたい人もその時間までに来てね」

 とはいえ、急に言われても、授業があるため、ほとんどの者が来れないだろうと苗木は考えていた。
 いるとしても、桑田くらいのものだろうとも思っていたのである。


 しかし……。




◇◇◇

「お邪魔しているぞ!」

「松田先輩もコミックポンポン愛好者だったんですなぁ」

 なぜか石丸と山田がいた。

(この組み合わせは予想できなかったな……)

 苗木は苦笑しつつ頬を掻いた。

短いですがキリの問題でひとまずここまでです

とりま1レス投下します
まっとうな次回更新は12日(日)です
先週末は急用で忙しかったのでパソコンの前にすらいなかった……
てかこの1レスも前回更新のときに投下可能だったという……


「石丸クンが来るなんてちょっと意外だったな……」

 苗木は部屋の中に入りながら、石丸に向かって言った。
 石丸は部屋の隅にある本棚の前に立っていた。
 本棚には学術書や専門書が置かれており、石丸はそれらの中身に目を通していたようだ。

「意外……? 僕がいることがか?」

「いや、悪いって言ってるわけじゃないよ。
 ただ、昼寝することになるし……。
 それに、石丸クンは前の学期みたいに1週間休みなく授業を入れてると思ってたから」

 必修科目、個人必修科目、選択科目――前期の石丸は取れる限りの授業をスケジューリングし、
 予習・復習を欠かすことなく、それらの授業に出席していたのである。
 つまり、夜ならともかく昼間に来るほどの暇が石丸にあると苗木は思っていなかったのである。

「あぁ、なるほど! そういうことか! 納得だ!」

 石丸は「ハッハッハ!」といつものように朗らかに笑った。
 そして、誇らしげに言った。

「苗木くん! 僕も毎日成長しているんだよ!」

「えっと……、毎日勉強してるから?」

「それだけじゃないさ!
 前期に皆に言われたように力を抜くこと覚えたのだ!」

(な、なんだって!? 石丸クンが手を抜く!?)

「やることを予め決めていない時間を定期的に設けた方が、
 そのときに合わせ、臨機応変に必要なことを勉強できるからな!
 新しいことを勉強してもいい! 授業で興味深かった部分を掘り下げてもいい!
 勉強の効率自体について反省してもいいんだ!
 夜はどうしても予習復習が中心になって、新しい勉強についてまで意識が回らないからな。
 ……だから、僕は広い視野を持つ為に、隔週で開催される講義形式の授業を取ったのだよ。
 ハッハッハ……! こうして学校にいるのに授業がないという状態でいると、
 時間を無駄にしてはならない……という危機感にも似た使命感が芽生えるな!
 ――これが皆が僕に対してしていたアドバイスの真の意味なのだな!」

(ち、違うんじゃないかな……? ま、まぁ、石丸クンが満足してるならいいかな……?)

 苗木は石丸の言っていることに対して多大な違和感を覚えた。
 しかし、その違和感が大きすぎるがゆえに、どこから指摘すればいいのかが分からなかったため、
 今すぐ何かを言うことは止めることにした。

「隔週の授業だと単位と授業内容が半分になるからな。……はじめは敬遠していたんだが、
 ……こうして取ってみると、いつもと違った環境に自身をさらすことになって、これはこれで良い経験になるな」

「それで……。空き時間で新しいことや興味のあることを学ぼうと思って、ここに来たんだね?」

「あぁ……。そのとおりだ。苗木くん。
 夢の中に入る……。夢の世界とはいったいなんなのか?
 話では聞いているが、よく分からないのだ。
 昨日、あのあと様々な資料を見たり、辞書を引いたが、明確な答えは得られなかった。
 夢の世界。……本当にあるとしたら、それはたいへんなことだ。僕の知ってる物理学の基礎知識がひっくり返ってしまう。
 ……だから、それについて僕は知りたい。ちゃんと知識として知っておきたいんだ。
 幸いなことに不二咲くんは入っても良いと言っていたからな。
 本来ならば、自分の夢の世界というものも知りたかったのだが……。
 いつの間にか終わってしまったようだからな……」

 しょんぼりと肩を落とす石丸。
 その心からのがっかりとした表情には、散歩に連れて行ってもらえなかった子犬のような哀愁があった。

(昨日はそんなに分からなかったけど、実はけっこう楽しみにしてたのか……?
 まぁ、たしかに夢の世界なんて普通は体験できないからな……)

「だが、僕はくよくよしないぞ!
 来られなかった桑田くんのためにも僕はしっかりと夢の世界について観察しなければならない!」

「桑田クン……?」

 拳を振り上げて自らを鼓舞する石丸に対して、苗木が疑問の声を漏らす。
 すると、石丸が見ていた本棚とは別の棚、コミックポンポンなどのマンガが置かれた本棚の前にいた山田が反応した。

「本当は授業よりこっちの方が面白そうじゃね? って言って来るつもりだったみたいですぞ。
 と言いますか、途中まで僕と一緒にここまで歩いていましたし……。
 ところが、部屋の前でばったり石丸清多夏殿に会って……。まぁ、あとはお察しですな」

ということで短くて申し訳ないですが今回はこれで


 山田はコミックポンポンを棚に戻すと、苗木たちの元までゆっくりと近づいてくる。

「なお不二咲千尋殿と松田夜助殿は奥の部屋で会議しておりますぞ」

「……打ち合わせか何か?」

 苗木は率直な推測を口にする。
 不二咲が今回はやめの番を希望した理由から考えて、
 プログラム作成のために何かしら技術的な会話をしているのだろうと思ったのだ。

「みたいですな。なんだか難しい話をしてましたぞ」

「僕も後学のために見学したかったが断られてしまった」

 石丸が口惜しげに呟く。

「守秘義務とか?」

「いや……。どうやら松田先輩は僕達に何かやって欲しいようなのだ」

「なにかって?」

「……教えてもらえなかった。どうやら事前情報を得ずに試してほしいことがあるらしい」

 何かを考えるようにして、石丸が顎に拳を当て、その肘をもう片方の手の上に置く。
 しかし、考えても答えは出ないようだ。
 石丸の眉間に皺が寄っていく。

(試してほしいことってなんなんだろう?)

 苗木も予想を立てようとする。
 しかし、あまりにも情報が少なすぎて、答えは出ない。
 だが、自ら答えを出さずとも、答えの方から苗木達のもとにやってきた。

「どうやら苗木も来たようだな。
 それなら、ちょうど良かった。よし、そこに並べてある椅子に皆座ってくれ」

「あ、苗木君。来てくれたんだねぇ」

 松田と不二咲が奥の部屋から現れる。
 どうやら会議が終わったようだ。

「この後、お前らには不二咲の夢の中に入ってもらうことになるが……。
 その前にひとつやって欲しいことがある」

 松田は苗木達ひとりひとりに色違いのタブレット端末を渡す。

「えっと、これはなんですか……?」

 苗木が端末のスリープモードを解除しつつ、松田に尋ねる。
 端末のタッチパネルにはいくつかの多角形が映し出されていた。

「それぞれ映っているものが違うようだな」

 苗木に倣って端末のスリープモードを解除した石丸が、
 自分のものと苗木のものを見比べて言った。

 石丸の端末に映し出されているものも多角形ではあるのだが、
 苗木の画面に映っているものと形が違う。

 すると、松田はこう答えた。

「ちょっとした実験だ。
 今、その端末に映っているものは回転図形の描写課題と呼ばれている。
 手続き記憶と睡眠の関係を見るためによく使われるものだ。
 苗木、このペンを使ってなぞってみろ」

「え? は、はい」


 苗木は渡されたペンを使って、タッチパネルに映った多角形をなぞろうとする。

「……あれ?」

 しかし、うまくなぞれない。
 なぞろうとしたのと違った方向に、なぞったことを示すマーカーが現れる。

「……壊れてません?」

 画面に対して縦棒を引こうとしたのに、画面には横棒が引かれる。
 ペンで触れたことのない位置にマーカーの軌跡が現れているのである。

「ううん。苗木君、それは仕様なんだぁ」

 不二咲が困ったように笑った。
 すると、松田もまた「ハッ」と笑いを漏らす。

「話には聞いていたが、あまりにもテンプレ通りの反応だな。
 ……まぁ、いいさ。そういうのも悪くない」

 江ノ島経由で苗木達のことを聞いたことがあるのだろう。
 松田は再放送のドラマでお目当てのシーンを見たときのような含み笑いを浮かべる。

「ちゃんと説明してやるから安心しろ。
 今、その端末で起動しているプログラムはな。
 タッチパネルでなぞった線とデータとして入力される線がずれるように作られているんだ。
 苗木の持っているものは約90度ずれている。ちなみに、石丸のは45度、山田のは逆方向に90度だな。
 手続き記憶ってのは簡単に言うと、
 意味としては覚えてなくても、身体が覚えているような記憶のことだからな。
 すでに出来そうな作業じゃ実験にならないんだよ」

「な、なるほど……」

「情動を伴わない手続き記憶はノンレム睡眠と関係が深いからな」

「ど、どういうことですか?」

「……あぁ、ノンレム睡眠ってのは夢を見ない睡眠でな。
 脳がスリープモードになってる状態だ。
 だから、寝て起きたとき、手続き記憶の強度が向上しているなら、
 夢の世界に入るのを繰り返しても最低限の睡眠は取れているという仮説が立てられる」

「つまり、この後、不二咲クンの夢から現実に戻ってきて、問題なければ、
 連続で夢に入っても平気かもしれないってことですか?」

「そうとは言えない。
 ノンレム睡眠にも種類があって、種類ごとに記憶に関する活動が変わるからな。
 この実験だけじゃ確かな答えは出ない」

「そうですか……」

「それに……」

「それに……?」

「昨日の夜のお前の脳波を見たが、徹夜明けの睡眠みたいになっていた。
 レム睡眠――夢を見る睡眠の時間が長すぎる。
 本来、ノンレム睡眠、レム睡眠、ノンレム睡眠と……ノンレム睡眠から交互に訪れる睡眠が、
 お前の場合、やたらと短いノンレム睡眠、レム睡眠、レム睡眠、レム睡眠と来て、
 やっと最後に、長いノンレム睡眠って感じになっていた。
 ノンレム睡眠が取れているなら、これで構わないと見ることも出来るかもしれないが、
 そうじゃない可能性も残るのさ。
 そもそもノンレム睡眠が取れてるから、最低限の睡眠が取れているという仮説も、
 レム睡眠に問題がないと仮定したうえでのものだしな。実は、どちらもダメだということもありえる」

(……あれ、ボクの頭、何気にたいへんなのか?)

「むしろ、この実験は夢の世界がお前らに影響を与えるかって方が重要だな。
 だから、不二咲にはお前らがやったのものに加えて、別の種類の課題も解いてもらった。
 手続き記憶ではなく、エピソード記憶に関するものだ。
 レム睡眠は記憶にタグ付けをする睡眠だから、もし不二咲が新しく覚えた記憶が、
 目が覚めたお前らに影響を与えていたのなら、データとしてお前らの体験を証明できるものになるかもしれない。
 例えば、不二咲の受けた課題に対して既視感を覚えたとかな……」

「それはすごい!」

 話を聞いていた石丸が驚愕とも感嘆とも取れる反応を示す。


 そして、さらにその興奮のままに石丸は喋る。

「苗木くん、山田くん、僕達は科学の大きな発展の場にいるのかもしれないぞ!」

「魔法とか夢の話なのに、妙にSF寄りの話ですなぁ」

「ハッハッハ! 山田くん、SFはサイエンス・フィクションの略だぞ!
 これはフィクションじゃなくて現実だぞ。山田くん!」

「まぁどっちでも。僕、こういうの嫌いじゃないですしな!」

「それならばよし!」

(微妙に会話が成り立ってないな。まぁ本人たちがいいならいいけど……)

 石丸と山田の会話を聞きつつ、苗木は頭の中でまとめた。

(つまり、ボクの脳がちゃんと休めているかと
 不二咲クンの覚えたことが知らない間にボク達に伝わってるかを見るのか。
 ……どっちも結果次第じゃすごい怖いことになりそうだな)

 苗木は頬を掻く。
 ただし、苗木としてはさほど心配はしていなかった。

(ただ、これまでの実感としては睡眠不足に悩まされる感じもないし。
 誰かの影響を受けてるって感じもないな。
 影響を受けてるなら、江ノ島さんの夢がもっとトラウマになりそうだし)

 苗木はそこまで考えると一度考えることを打ち切って、
 端末に映し出された多角形の1辺にペン先を合わせながら言った。

「とりあえず、これをやればいいんですね?」

「あぁ、頼むぞ。時間は10分だ。
 できるだけ素早くなぞれるように頑張ってくれ。なぞれた図形の数も計測する」

「はい」

 苗木は課題を始める。

 すると、同じように、石丸や山田も同様に手元に集中し始める。

「勝負だ! 山田くん、苗木くん!」

「線を引く? なぞる? ……クックック、絵描きの初歩ですぞ。
 たとえ、線が曲がって表示されようと天才同人作家であるの手にかかれば、
 この程度の課題、児戯に等しいですな。
 この僕に勝負を挑んだこと――――後悔するがいい、石丸清多夏殿ッ!」

「なんだと!? ……だが、それでこそ熱い勝負になる!
 相手にとって不足なし! いくぞ! 山田くん!」

「静かにやれよ。お前ら」

 ヒートアップする石丸、山田のテンションに対して、松田が冷やかに一言を発した。
 すると、勢いよく立ち上がるものがいた。

「失礼しました!」

 もちろん石丸である。
 石丸は立ち上がるや否や、直角の礼を決める。
 完璧な謝罪の態勢である。
 された側の松田が面をくらうほどだ。

「い、いや、謝らなくていい……。はやく課題をやれ」

「はい!」

 石丸は作業に戻った。

 ちなみに、その間も山田は黙々と課題を続けていた。

「強者の戦いでは一瞬の間で全てが決まるのですぞ。
 たとえ怒られようと授業中のお絵かきだけは止めなかった過去を持つ僕に
 リア充である石丸清多夏殿では勝てないのです。
 ……って、この課題思ったより、難しくね? 今までの経験が逆に足を引っ張っている……うごごご」

(たとえ先輩の前でも何も変わらないな。この2人……)

 クラスメートのぶれなさに苗木としては苦笑や呆れを通り越して、ただただ驚くしかなかった。


◇◇◇

 そして、10分間の課題を終えて、苗木達はベッドに向かう。

「グググ……。まさか苗木誠殿が勝つとは…………」

「おめでとう! 苗木くん! さすがだな!
 いい勝負だった! 次もいい勝負をしようじゃないか! 起きたあとにな!」

「あ、うん……。ありがとう」

 ベッドに横になりながら、苗木達は先ほどの課題について感想を言い合っていた。
 といっても、主に感想を熱く語っているのは、石丸、山田だったのだが……。

(2人は会話してる時間がなければ、普通にボクに勝ってたよな……)

 苗木はそんなことを考えながら、次の夢の世界の主――不二咲に顔を向ける。
 4つ並んだベッド、その一番端で不二咲は横になっていた。
 制服の上着は脱いでおり、白いブラウスの上に掛布団がかかっていた。
 今、ベッドのうえに見えるのは、不二咲の顔だけだ。

(……男だと知ってても、一瞬ドキリとするな)

「……苗木君」

「あ、はい!? な、なに? 不二咲クン!?」

 思考が現実から離れた一瞬の間に、不二咲から話しかけられ、苗木は慌てる。

「変な夢を見ちゃったらごめんねぇ……」

「いや、気にしないでよ!
 普通、自分の見てる夢はコントロールできないんだから!」

「けど、もしかしたら、男の子が見たらつまらないものばっかり出て来るかも……。
 いやな思いさせちゃったり、退屈な思いさせちゃうかもぉ……」

「そんなことはないと思うよ……。
 そもそも夢の中に入るというだけでも、退屈はしないと思うし。
 それに……」

「それに……?」

「もしも夢の世界でいやな思いをしたり、退屈な思いをしたりしても、
 現実の世界の不二咲クンは誰かに嫌な思いをさせる人じゃないし、
 一緒にいて楽しい人だって知ってるよ。
 ボクだけじゃなくて他の2人もね。だから、大丈夫だよ」

 苗木は安心させるように優しく笑った。
 すると、不二咲もまた安心したように顔を緩ませた。

「そっか、それなら……安心…………だねぇ……」

 そして、目蓋を閉じ、ゆっくりと寝息を立てる。
 横になる前に飲んだ薬が効き始めたのだろう。

 気付けば、同じように薬を飲んだ石丸や山田も喋っていない。
 どうやら、皆、眠りにつき始めたようだ。

(……あ、始まった)

 そして、3人に釣られるように、苗木もまた夢の中へと落ちていく。

今日はこれで終わりです

次は火曜日に更新します

ちょっと体調崩した感があるので火曜日中の更新は難しいかもしれません(あっても少し)
申し訳ない……
今週さえ終われば歓送迎会シーズンも終わるんで更新速度が速くなる……とまでは言えませんが週1ペースに戻ると思います


◆◆◆

「あ、苗木クンが来たからノーゲームだよ!」

「キャアアアアアアアアアア!? これは伝説の卓袱台返し!?
 ゲームで負けそうになるとやる人がいるって聞いていまちたが、本当にいるとは!?」

「まぁ、負けそうになったのも演技なんだけどね!
 最後はやっぱり卓袱台返しで決めないとっていうボクなりのポリシーだよ。うぷぷ……」

「むきぃいいいいいいいいい!? 舐めプだったんでちゅね!?
 どおりで勝てそうになるとギリギリのところで逃げられると思いまちた!」

「わーい! ボクふつうに勝つのも得意だけど、千日手に持ち込むのも得意!」

「最悪でちゅ! こいつ性格最悪でちゅ!」

「けど、知ってたでしょ?」

「知ってまちた!」

 落ちた先にて、ウサミとモノクマが戯れていた。

(仲がいいわけじゃないんだろうけど……ギスギスした感じはまったくないな……)

 苗木は苦笑しながら、2匹に近づいていく。

「ウサミ達はなにやってたの? ……えっと、チェスかな?」

「チェスでちゅ……」

「ボクが考えた最高のデザインだよ」

 そう言って、モノクマが手渡してきたのはモノクマの形をした駒だ。
 より正確に言うと、通常のチェスの駒(今、苗木が渡されたのはポーン)を持ったモノクマの駒である。

「……パッと見て分かり辛くない?」

 モノクマが抱えるという形を取っているため、駒の種別を判別できる部分が本来のデザインのものより小さい。
 また、モノクマのデザインには変わりがないため、
 盤上に駒を並べた場合、それぞれの駒がいったいなんの駒であるか分かりにくそうであった。

「チェスをやるなら目隠ししても覚えるようにならないとね。ね、ウサミ? んん?」

「む、無理でちゅ……」

「ボクも無理だな……」

 わざとらしく同意を求めるモノクマに対して、苗木とウサミは明確にノーと告げる。

「うぷぷ……。ところで、苗木クンが来たってことは誰かの夢に行くのかな?
 光ってる扉から考えると、不二咲クンかな?」

 緑色に光る扉を見ながら、モノクマは言う。

「不二咲クンの夢って住み心地良さそうだよね。
 ホスピタリティに溢れてそう。苗木クンの夢からお引越ししようかな」

「いや、それはやめて」

「うぷぷ。冗談だって。ボクは友情に溢れたクマだから、
 苗木クンのことを見捨てて出ていったりしないって」

「いや、ただ出ていってくれるだけなら嬉しいんだけど……」

「またまたぁ、苗木クンはツンデレだなぁ~」

(本気だって分かってて言ってるんだろうな……)

 苗木は無視することにした。
 必要な用事でもなければ、モノクマに話しかけることは、時間と労力の浪費に等しいからだ。

「不二咲クンの夢の中に行くから、ウサミも一緒に行こう」

「わかりまちた。ついていきまちゅ!」

「うん、ボクも憑いていくね!」

「モノクマは……まぁ、いっか…………」

 ここに残すのもそれはそれで不安があったため、
 苗木はモノクマにも一緒についてきてもらうことにした。


「うぷぷ……。苗木クンは将来、教師になればいいんじゃないかな?
 小さくて生意気な子どもに懐かれると思うよ」

「いやな言い方でちゅね!
 あ、けど、もし教職課程を取りたいならあちしに相談してくだちゃい!
 魔法の国で教職員免許取得してまちゅからね!」

「ははは……、ありがとう。ウサミ」

 心の中で「ボク達の国で先生になるのに魔法の国の体験談はどれくらい役立つんだろう?」と思いつつも、
 苗木は感謝の意志を示す。モノクマのものと違い、ウサミの言葉には善意しかないからだ。
 たとえ実益がなくても、善意の言葉をかけられるというのは、苗木にとって嬉しいものなのだ。

「……よし、じゃあ、行こう!」

 ウサミ達が付いてくるのを確認しながら、苗木は不二咲の夢に繋がる扉を開けた。

◆◆◆

(あれ? ここは……)

 不二咲の夢に入って苗木が最初に覚えた感情は困惑だ。
 気合を入れて開けようとした鉄の扉が、暖簾であったかのような感覚である。

(不二咲クンの部屋……?)

 前に何度か入ったことがあった。

 いくつものモニターが置かれたデスクに、
 弾力のありそうなクッションが付けられた大きなエグゼクティブチェア、
 そして、静かに動くサーバー。
 毎夜、そこで不二咲が仕事をしているのだ。
 デスク脇のラックには、仕事に必要な備品がいくつも入れられているのを苗木は知っていた。

(以前、入ったときより物が増えてるな……)

 仕事に使う物以外にも苗木は眼を向ける。
 すると、いくつか気付いたことがあった。

 天体観測用の望遠鏡の脇には何枚もの宇宙の写真が貼られていた。
 以前は、数枚しかなかったが、今はコレクションと呼べる程度には数がある。

 また、近くの壁には同じく不二咲の趣味であろう変わったデザインのポスターがある。
 そこには丸い地球のような絵図が描かれている。
 まるでRPGに出て来る宝の地図のように、
 抽象的な絵とアルファベットと似て非なる文字で構成された絵図には、
 見ていてわくわくするようなロマンが存在していた。

 そして、趣味以外の物もいくつか増えていた。

(ハンドグリップの他にも縄跳びとかがある
 これで毎日少しずつ体を鍛えてるんだろうな……)

 握力を鍛えるためのハンドグリップは以前も部屋の中にあった。
 現在はそれに加えて、縄跳びや砂の入ったひも付きのペットボトルなどがある。
 そして、それらの脇にはトレーニングのスケジュールが書かれたメモがあった。
 体力の少ない不二咲でも続けられるようなよく練られたスケジュールである。

(そう言えば、先輩にスケジュールを作ってもらったって言ってたな……)

 今、不二咲の部屋に置かれたメモは、現実にあるものと同じであった。
 それは運動部のトレーニングで忙しい≪超高校級のマネージャー≫に無理を言ってお願いしたものであり、
 不二咲が無理なく続けられるように考えられたものである。
 縄跳びで体を動かすことに慣れてもらいつつ、ペットボトルの中の砂を少しずつ増やしていくというのを自主練として、
 体力的にきつい運動は誰かと一緒にやることを想定している。
 大和田や石丸や桑田といった面々に応援されながら腕立て伏せをしている不二咲の姿を、苗木も見たことがあった。
 わずかではあるが以前より腕立てできる回数が増えたなどと、不二咲が話しているのを聞いたこともあった。
 それはクラスで定期的に聞ける明るいニュースのひとつであった。
 だから、不二咲の今の目標は、体力テストにおいて学園卒業までに男子の平均と同じ値を出すことらしいが、
 それも夢ではないだろうと苗木は思っていた。

 ……ちなみに、不二咲と≪超高校級のマネージャー≫が知り合ったきっかけは意外にも石丸である。
 不二咲が体を鍛えたいということを大和田経由で聞いた石丸が、不二咲に彼を紹介したのだ。
 なんでも、服屋で彼が手に取ろうとした下着を、ほぼ同時に石丸が手に取ろうとしたことで、
 譲り合いが発生し、和やかな会話に移行した結果、2人の間に面識ができたらしい。
 どうやら愛用している下着のメーカーが同じだったとのことだ。
 熱いブリーフトークで盛り上がったとかなんとか。

 苗木が想像したこともない光景である。

(それはそうと……、不二咲クンはこの中にいないのかな?)

 部屋に入って、他のことに気を取られていた苗木は、当初の目的を思い出し、
 この夢――そして、この部屋の主である不二咲の姿が見えないことに気付いた。


「不二咲クンはいないのかな?」

「あれぇ? ……苗木君?」

「え?」

 ギィ……と音を立ててシャワールームの扉を開き、中から不二咲が顔をのぞかせた。

「もう来たのぉ……? 早かったねぇ?」

「もう来たって……。あれ? 不二咲クン、ここが夢の中だって気づいてるの?」

「夢……? あぁ、そうだよねぇ……。苗木君もたいへんだよね。
 なにか出来る事があったら言ってねぇ。僕じゃ何もできないかもしれなけどぉ……。
 それでも頑張るからぁ……」

(……あれ。気づいてなさそうだな)

 苗木が夢の中に入ってしまうことを知識としては知っているが、
 今がそのときだということは覚えていないようだ。

「苗木君たちは何をしに集まったんでちゅか?」

 苗木と不二咲の間で会話がうまく成り立ってないことに気付いたのだろう。
 ウサミが2人の間をつなぐために質問をする。

「え!? ウサギが喋った!?」

 とはいえ、その前にウサミ自身が不二咲に驚きを与えたようだが……。

「ウサギだけじゃないよ。かわいいクマもいるクマよ」

「クマも喋った!? すごぉい! ……ロボットなのぉ?」

「未来から来たんだ! 好きなものはどら焼きだよ!」

「嘘でちゅ。紛うことなき大嘘でちゅ!」

「ロボなんだぁ……。すごいねぇ……」

「聞いてないでちゅ!? 夢特有の偏った理解力で解釈されまちた!」

 モノクマと不二咲の会話に対して、ツッコミを入れるウサミ。
 ただそのツッコミは的確なものであり、ここが夢だということを明確に示していた。

「苗木君が言ってたウサミさんとモノクマさんを元にしたロボットなのぉ?
 すごいねぇ。よくできてる……。僕の考えたアルゴリズムと同じかそれ以上だよぉ。
 僕ももっと頑張らないと……」

(アルゴリズムっていうかほとんど生物みたいなもんだからな……。
 というか、なんで不二咲クンはシャワー室から顔しか出さないんだ……?)

 うんうん……と頷きながら、奮起している様子の不二咲に対して、苗木は心の中で静かに疑問を挟む。
 だが、それよりも先に知っておきたい疑問があったため、今すぐにはそれを口に出さなかった。

「あ……。ごめんねぇ……。ロボットとか見るとつい夢中になっちゃって……。
 えっとねぇ……。今日は、僕の部屋でみんなでお話しするんだぁ。
 苗木君、山田君、石丸君、僕の4人で楽しくお話ししたり遊んだりするんだよぉ……」

「へぇ……。楽しそうでちゅね!」

「良かったらぁ、ウサミさんとモノクマさんも一緒にお話しする?」

「いいんでちゅか!? いいなら喜んででちゅ!」

「うぷぷ……」

(モノクマの笑顔が不気味だな……。なにか企んでなきゃいいけど……。
 …………まぁ、それはともかく。……来るメンバーは夢に入ったメンバーと同じか。
 寝る直前の体験が影響してるのかな?)

 これなら、これまでの夢と違って、ぶっ飛んだ展開はなさそうか……? と苗木は警戒心を少しだけ減らす。
 とはいえ、今まで警戒を怠ってロクなことが起きなかったためか、減ることはあってもゼロにはならない。
 持てる想像力を費やして、苗木は超展開を予想しようとする。

(シャワールームから出てきた不二咲クンの身体が大和田クン――いや、大神さんになってたとしても驚かないぞ。
 もしかしたら、理想の強さを身につけた不二咲クンになってるかもしれない。夢だし……!)

「今、運動したから、ちょっとシャワー浴びてたんだぁ。
 すぐ着替えるから、少し待っててね」

「……あ」


「どうしたのぉ? 苗木君?」

「い、いや、なんでもないよ。ゆっくりで大丈夫だよ」

「そう……? ……うん。それじゃ、悪いけどぉ、少し待っててね」

「ゆ、湯冷めしないようにね……!」

 不二咲がシャワールームの中に戻っていくと、
 苗木はわずかに赤くなった顔を慌ててシャワールームから背けた。

 不二咲が身じろぎしたとき、わずかに肩とそこに繋がる鎖骨が見えたのである。

(……力強いどころが、むしろ、少し色っぽ……い、いや、そ、それも違うな。
 み、見慣れた不二咲クンの身体だ。……見慣れたといっても、別にいつも裸を見ていたわけじゃなくて。
 なんというか、普通というか……。通常というか……)

「うぷぷ……。苗木クンは何を見たのかな? ンン?」

「な、なにも見てないよ!」

「顔が言い訳してたよ。とてもじゃないけど、クラスの女子には見せられなかったね。うぷぷ……」

(……悔しいけど、言い返せない。しかも、考えてた内容的には、男子にも言えないし見せられないな……)

 一瞬、山田が「こんな可愛い子が女の子のはずがないじゃないですか!」と
 慈愛に満ちた笑顔でピースしてくる姿を想像したが、苗木はそれを必死に振り払う。

(……そう言えば、山田クンと石丸クンはまだかな?)

 そして、自らの頭の中で話題を無理やり切り替える。
 夢の世界がこの部屋の外にも広がってるとしたら、すでに山田と石丸もこの世界に来ているのかもしれない。


「ここは……!? 不二咲千尋殿のお部屋!? 僕、異性の部屋に入ったのは初めでですぞ!?」
「何を言ってるんだ? 不二咲くんは男だということを忘れたのかね?」
「石丸清多夏殿は知らないのですな。この世には男や女とは別の第三の性があるということを!」
「な、なんだって!? 保健の授業でもそんなのを聞いた覚えはないぞ!?」
「だから、少なくとも僕にとっては、ここはピンク色の夢に溢れた部屋!
 よく見ておかなければ! …………って、内装は普通に男の子の部屋ですな。
 勉強ができそうな理系男子の部屋ですぞ……。むむむ……。
 なんというか感じるロマンの色はにはピンクより青な感じですかな?」


 なぜか山田と石丸が会話しながら窓から中に入ってきた。
 扉と窓という違いこそあるものの、彼らのスタート地点は直接不二咲の部屋と繋がっていたようだ。

「あ、2人とも」

「おぉ! 苗木くんじゃないか! こんにちは!」

 夢に入る前にも話していたというのに、石丸は律儀に挨拶をしてきた。
 そこで、苗木もまた同じように挨拶をする。

「こんにちは、石丸クン。山田クン」

 そして、石丸に対して、ウサミとモノクマを紹介する。

「察しはついてるかもしれないけど、こっちがウサミで、こっちがモノクマだよ」

 苗木は手の先を2匹に向けながら、この世界の説明を始めた。

「ウサミとモノクマを見れば分かるように、ここはもう夢の中だよ。
 不二咲クンもシャワールームの中にいる。ただ、不二咲クンはここが夢だって認識できないみたい」

「ここは夢だと伝えてもか?」

 石丸が真顔で言う。それは至極真っ当な疑問であった。

「うんとね……」

 夢を見ている人は理解の一部が特定の方向に行ってしまって、固定化されてしまうことを説明した。
 すると、石丸は合点がいったというように頷いた。

「なるほど……。思い込みというのは恐ろしいものだからな。
 勉強でも同じだぞ、苗木クン。苗木クンももう少し挙手したまえ。
 せっかく真面目に勉強をやっているのに、もったいないと常々思っていたんだ」

「あ、うん。どうしても分からなかったら挙げるよ」

「いや、少しでも分からなければ――」

 苗木は石丸から授業中の挙手の大切さを延々と聞かされた。
 不二咲がシャワールームから出て来るまで……。

遅くなりました
ひとまず今日はこれでおしまいです
GWはもう少し頑張ります


◆◆◆

「待っちゃったよね……? ごめんねぇ……」

「いやいや、ボク達がはやく来すぎただけだって」

 着替えてきた不二咲に対して笑顔で声を返す苗木。

「そうかなぁ……?」

「そうだよ」

 急いで出てきたためか、不二咲の顔は上気している。
 見ようによっては湯上りの異性のようにも見えなくもないが、
 今の不二咲は女子用の制服ではなく、男女兼用の部屋着を着ているため、
 男子だという認識がある苗木は動揺せずにすんだ。

(そもそも何時集合だったかとか知らないしね……)

 苗木は不二咲の部屋を眺めながら、心の中で思う。

(放課後に遊びに来た……って感じでいいのかな?)

 すると、苗木の疑問を感じ取った……わけではないだろうが、
 石丸が大きな声で不二咲に尋ねた。

「不二咲くん! 僕達は何を話すんだ!? 夢の中で僕達は何をすればいいんだ!?」

「えぇ? 夢の中ってぇ……?」

(あ、それ、普通に聞いちゃう?)

 それとなく夢の中の不二咲が話す内容と辻褄を合わせていこうと思った苗木はびっくりする。
 しかし、同時に「……いや、そもそも矛盾しちゃってもいいのか?」とも思う。

 これまで体験してきたことから、夢の中のストーリーに合わせていったほうが、
 大きな変化(とそれに伴う超展開)が少なくて済むと苗木は考えていた。
 しかし、変化が起きると同時に、夢の中の時間も早く進む可能性に気付いたのである。

(仮に遠回りになっても……、いつかは終わるからな。今は石丸クンに任せてみよう)

 苗木の目の前で石丸は話を進めていく。

「そもそも僕達は不二咲くんと約束した覚えはないぞ!」

「そ、そんなぁ……」

(あ、やっぱ、これダメな流れじゃないかな……? 夢って単語から不二咲クンの気はそれたけど……)

 涙目になる不二咲を見て、慌てる苗木。思わず、口を出しそうになる。
 しかし、石丸の次の言葉を聞いて、ぎりぎりのところで唇の力を抜く。

「だが、僕達も不二咲くんに用事があったから、一石二鳥だな!
 いや、この場合は怪我の功名か? ハッハッハ! 一番合ってるのは、瓢箪から駒が出るかもしれないな!」

 クラスメイトになって時間が経った苗木達だから分かるが、これは石丸なりのジョークである。
 ……と言っても、"ハッハッハ!"の前までは素であり、ジョークなのは後半だけだが……。

「そうなんだぁ……。よかったぁ」

 それに対して、不二咲は笑いこそしなかったが、
 石丸との会話の結果として、石丸達が来たくなかったわけじゃないと分かって安堵した。

「もしかしたら、僕、石丸君達が来るって言ったのを聞いて約束しちゃったって勘違いしてたのかもぉ……」

「なるほど! 今度からはメモを取るのをおすすめする!」

「うん……」

「それはそうとして、ここは普通の部屋だな! 夢の世界はもっとすごいと思っていたぞ!」

「ごめんねぇ……。あまり面白いものは置いてなくて」

「いや、部屋としては様々な努力と勉強の跡を感じる! 僕は評価する!」

「え? そう? えへへ……、ありがとう」

 2人の会話を、苗木と一緒に近くで聞いていたウサミがぼそりと言った。

「不思議と会話が成り立ってまちゅね……」


 不二咲は夢の中にいるということに気付かないまま、
 石丸の言葉に合わせて、自分の認識を修正しているようだ。

「そうだぁ……。何を話す……って話だったよねぇ。
 僕、みんなの話を聞きたいなぁ……。
 入学してから今まで一緒に過ごしてきて、仲良くなったけどぉ……、
 こんな風にゆっくり話したことなかったからぁ……」

(ボク達のクラスいつも騒がしいもんな……)

「4人くらいで普段あまり話さないことを話すのって……。
 修学旅行の夜みたいで良さそうだなぁ……って。
 ……修学旅行って行ったことないから、ちょっと憧れてるんだぁ……」

(そうか……。女装してたら、行くの難しいよね……)

「できれば男の子全員呼びたかったんだけど……。他のみんなは用事があるんだって……」

(夢とか用事とか関係なく、十神クンは来なさそうだな……。
 桑田クンや大和田クンは夢じゃなければ来てそうだよね。
 葉隠クンは……借金取りに追われてる最中じゃなければ来るかな…………?)

「全員そろわなかったのは残念だけど、その分、みんなで楽しくお話し出来たらいいなぁ……」

(そういうことなら……協力しないと……)

 不二咲の純粋な願いを聞いて、苗木は快く承諾することにした。

「そういうことなら今日は楽し――」

「待て! 修学旅行みたいとはどういうことだ!?
 何がしたいかは分かったが、そこだけ意味が分からなかった!」

 石丸の大声が苗木の言葉をいとも簡単にかき消していく。
 どうやら、石丸は修学旅行のとき就寝時間を厳守していたようだ。

「修学旅行のどこに4人程度の人数で普段話さないことを話す時間があるのだ!?」

「いやー。石丸清多夏殿は知らないかもしれませんが、
 一般的に修学旅行の就寝時間にはロスタイムがあるらしいですぞ。
 それで、ロスタイムには普段話さないようなことを話すとかなんとか」

「なんだと!? そんな話聞いたことないぞ!?
 山田くんもそのロスタイムを経験したのかね!?」

「そんなリア充まっしぐらなイベント、僕が体験したわけないじゃないですか! やだー!」

「つまり、山田くんも体験したことはないのか?」

「石丸清多夏殿は誰かがやってるところを取り締まったりとかしなかったんです?」

「あ、あぁ……。ロスタイムなどというものがあるとは知らなかったからな……。
 就寝時間ぴったりに寝ていたな……。夜の見回りも先生方がやっていたし……」

「つまり、不二咲千尋殿も石丸清多夏殿も体験したことがないということは、
 苗木誠殿くらいですな。修学旅行らしい体験をしたのは……?」

「そ、そうだね……」

「真のリア充は苗木誠殿でしたか……」

 苗木が苦笑しながら肯定したので、山田が眩しいものを見るかのような態度を取る。

「石丸清多夏殿……。ここに先生がいますぞ。先生が」

「苗木くん……が、かね?」

「我々が知らないことを知ってる。これを先生と言わずになんと?」

「……た、たしかに!? よし、今から、苗木くんのことは苗木先生と呼ぼう!
 苗木先生! よろしくお願いします! 修学旅行のロスタイムについて教えてください!」

「苗木先生! お願いいたしますぞ!」

 素なのかボケなのかよく分からないテンションの山田と、10割本気の石丸が大きな声で苗木に言葉を求めてきた。
 すると、モノクマも「なえーぎせんせー! なえーぎせんせー! なえーぎせんせー!」とコールを始める。

「それ、みんなも一緒に! なえーぎせんせー!」

「「なえーぎせんせー!」」

 そして、それにノリで参加する山田と、生真面目さから参加する石丸。
 3人のコールが木霊する。


 すると、戸惑っていたウサミや不二咲も顔を見合わせて、参加するか迷い始める。

「参加したほうがいいんでちゅかね? 最近の高校生のノリがあちしには分からないでちゅ……」

「……うーん。いいのかなぁ……? 苗木君、困ってるみたいだけどぉ……」

「「うーん……」」

 そして、ウサミと不二咲は首を傾げて悩み始めてしまった。
 そして、残されたのは、コールにたじろぐ苗木である。

「え、えっと……。修学旅行のロスタイム? の何が知りたいの?」

 そもそもロスタイムって表現は正しいのか……と心の中で思いながら、
 苗木は2人と1匹のコールに対応する。

「何を話すのかね!?」

「えっと、好きな子の話……とか?」

「それを学校行事中に話すのは不純異性交遊の引き金になるのではないか?」

「じゃ、じゃあ、将来の夢とか……?」

「僕はオリジナル漫画を描き、石丸清多夏殿は総理大臣、
 不二咲千尋殿はAI作りつつ、男らしくなること……。
 僕と不二咲千尋殿は夢というには近場の目標という感じですが、
 なんか今更感がありますな……。
 苗木誠殿は将来やりたいこととか見つかりましたかな?」

「ま、まだ……」

「じゃあ、ウサミとモノクマは……どうですかな?」

 話を振られたウサミとモノクマは笑顔で元気よく答える。

「あちしはみなさんが笑顔でらーぶらーぶに暮らせる世界を作ることでちゅ」
「ボクはみんながわっくわくどきどきに殺伐とした世界でつぶし合う世界を作ることかな」

 そして、2匹は笑顔のまま互いに顔を見合わせて……。

「「…………」」

 同時に叫ぶ。

「「ファイ!」」

 ウサミとモノミ――互いのパンチが交差するように突き刺さり、鈍い音が辺りに響いた。

「やりまちゅね……」
「そっちこそ……。さすがマイシスター……」
「いや、だから妹になった覚えは……」
「お前にだったらオレが為しえなかった魔王退治を任せられるぜ……。
 あとは任せた……。ウッ……ガクリ……」
「死んだふりしながら厄介なことを任せられたー!?
 よくある展開だけど自分がその立場になるのはいやでちゅ!」

 膝を突き、ぜえぜえと息を切らしながら、漫才をする2匹を見て、
 山田が眼鏡をクイクイと動かしながら思案する。

「実は仲良し……?」

「仲が良いのぉ……? 喧嘩じゃないの……?」

「あわわ……! 悲しまないで! ちーたん!
 ちーたんが悲しむと、全国津々浦々にいるちーたん党員がクーデーター起こしてしまいますぞ!
 あれは喧嘩じゃなくてじゃれあいというのですぞ!」

「……そうなんだぁ。喧嘩じゃないなら良かったぁ」

 不二咲がホッとした様子を見せ、それに合わせるように場も一度落ち着く

「……修学旅行の夜って言っても話す内容は特に決まってないよ。
 好きな子の話とか将来の夢ってのもマンガとかでよく話されてる内容ってだけだし。
 だから、ごはんのときみたいに、そのとき話したいことを話したり聞いたりすればいいんだよ」

 そこで、苗木が機会を逃さず、言うべきことを口にした。

「だから、あまり特別感は感じなくていいと思うんだ」

「なるほど……。つまり……」

「……石丸クン? どうしたの?」


「よし! では、言いたいことを言わせてもらおう!
 喧嘩じゃないとはいえ暴力はやめたまえ! 友情を深めたいのならサウナに行くんだ!」

(え、そこに話が戻る!? そしてなんでサウナ!?)

 石丸に対して心の中でツッコミを入れる。

(なんか、話がループしてるというか……さっきから3歩進んで2歩下がるを繰り返してるような……。
 いや、別にそれでもかまわないんだけど……。いっそ、ボーっとしながら過ごしても……。
 ただ、不二咲クン的にはいいんだろうか?)

 そして、そこで苗木は気づく。

(もしかして、このメンバーだと、遊ぶときに牽引する人がいない?
 不二咲クンはクラス内でも貴重な聞き役気質だけど、グイグイ牽引するタイプじゃないし……。
 石丸クンはグイグイくるけど遊んだり自体あまりしないし……。
 ウサミは保護者みたいなポジションで、モノクマの牽引にはついていきたくないし……。
 強いて言うなら、オフ会とか企画してトーク力もある山田クンだけど……。
 ネタ話優先で会話も脱線させることもあるから、話が進まないときはほんと進まないんだよな……。
 ……まぁ、ボクも牽引するタイプかって言われたらそんなことないし……。人のこと言えないけど……。
 こういうとき桑田クンや朝日奈さんがいると助かるよな……)

 ふと、最近のモテテクは強引さだぜ……と3ヶ月くらい前にサムズアップしていた桑田の姿を苗木は思い出した。
 そして、同時に、体育の授業後の休み時間に、何をして遊ぶかという話で、
 桑田が野球に対してツンデレを発揮している間に、
 朝日奈の提案したバスケットボールが採用されたときのことも思い出す。

(うーん……。素直さと積極性って似てるのかな……。よし、それなら……!)

 思案の末、苗木は思い切って言ってみることにした。

「み、みんな聞いて!
 部屋の中でのんびり過ごせばなんでもいいと思うよ。
 不二咲クンの皆の話が聞きたいってのも、きっと時間が解決してくれるよ。
 ……あ、この後、何するかって話ね」

 途中で石丸が「なんの話だろう?」という顔をして、苗木を見たため、
 苗木は最後に前提条件を付け加える。

 すると、サウナという単語に気を取られていた4名が、
 苗木の話をきちんとキャッチして、考え始めた。

「いいでちゅね!」

「うぷぷ……。どうかなぁ……」

「のんびりか……つまり何もしないことか……」

「むむむ……のんびりですか……久し振りになりますな」

「うーん……そういえばあまりしたことないかもぉ……」

 ウサミが笑い、モノクマが含み笑いをし、他の3人は思案顔であった。
 だが、気にせず、苗木は続ける。

「皆が何もせずにボーっとするのが苦手だってのは知ってるよ。
 超高校級として時間があれば好きなことやしないといけないことに全力だって。
 けど、こういうときくらいのんびり何も考えずに話そうよ」

「そうだねぇ……。それがいいかもぉ……。さすが苗木君だね」

「そ、そう……」

 不二咲の率直な笑顔と称賛に対して、苗木は気恥ずかしさを覚える。

(ハハハ……、ボクにとっては普通なんだけどな。
 希望ヶ峰学園に来てから以外なことに驚かれることが多いな)


 この場にいないクラスメイトも含めて、超高校級の生徒というのは、
 同年代に比べて特定の分野に注力し、寸暇も惜しんで活動する者が多く、
 苗木のようなタイプは逆に珍しいのだ。

(暇な時間が多かっただけなんだけどな……)

「悪くないと思いますが……、とはいえ、
 まったくなにもせずに座っているだけというのもきついですし、
 何かゲームでもしますかな? トランプくらいならウサミが用意できるみたいですし」

「ゲームか。よし、勉強の成果を見せてやろう!」

「え、勉強の成果? なんですぞ? それ?」

「苗木クンから教えてもらったのだよ!
 ゲームは友達との会話に使うためのものだと!
 そのために多くの学生が他の勉強よりもゲームを優先するのだと!
 だから、僕は時間の合間にちゃんと勉強して、ゲームの勉強と他の勉強は両立できるのだと示そうと思うのだ!」

 石丸が気合十分に意思を示す。
 それを見て、「マジで?」と山田が目で苗木に訴える。
 苗木としては「あはは……」と曖昧に笑いながら、頭を掻くしかなかった。

「ははは! かかってきたまえ! トランプでも将棋でもメンコでもなんでもいいぞ!」

「アナログ中心だね……?」

「必須科目にあたるのはアナログが多いと聞いてな! まずはそこから勉強したのだ!」

「げ、ゲームの必修科目? な、なにそれ? …………ま、まぁ、それはいったん置いておくとして、
 ウサミが用意できるのはアナログだから、今はそれで問題ないかな……」

 石丸の言葉にものすごい興味を惹かれたが、グッと堪えて苗木は話を進めることにした。

(ゲームをしている最中に聞いていけばいいよね……。
 遊びという分野じゃ、石丸クンの言葉に一々反応してたらきりがないし……)

「あ、あのぉ……」

「え、不二咲クン……どうしたの?」

 石丸の言葉をスルーすることに、わずかに躊躇を覚えていた苗木に対して、
 不二咲が控えめに手を挙げて、提案してきた。

「デジタルなゲームもあるよぉ……」

「え?」

「僕がさっき作ったやつなんだけどぉ……。
 よかったらプレイしてみてくれないかなぁ……。
 みんなはじめてだから、石丸君だけが不利になるってこともないと思うんだぁ……。
 ゲーム機じゃなくてパソコンでやる形になるけどぉ……。
 ちゃんとゲームパッドは用意してあるから……」

 そう言うと、不二咲はコンピュータの電源を付けた。
 コンピュータの電源に合わせて、モニターの電源もONになる。

(超高校級のプログラマーが作ったゲームか……。すごそうだな……。
 ……って、ここは夢の中だけど、そんな複雑なことできるのか?)

 苗木の疑問をよそに、不二咲はパソコン内で実行ファイルを起動した。。

今日はここまでです




『はじめまして!』



 モニターの画面いっぱいに不二咲千尋そっくりの顔が映った。

(え、ゲームかこれ……?)

 瞬間的に苗木は違和感を覚える。
 同様にして、山田も驚いている。

「不二咲千尋殿がもう1人!?」

 ちなみに、石丸はマイペースに挨拶をしていた。

「はじめまして!」

『えへへ、はじめましてぇ! ご主人タマのお友だちだよね?
 ボクの名前は不二咲千尋。もう1人のご主人タマ、アルターエゴって呼ばれることもあるんだぁ』

(ちょ、ちょっと待って……。これって、前に不二咲クンが言ってた……)

 守秘義務があるということで、詳しいことこそ述べなかったが、
 以前、不二咲は今までなかったような人工知能を作っていると言っていた。
 強いAI――真の自意識や自我を持つコンピューターを作ろうとしているのだと。

(たしか、不二咲クンが≪超高校級のプログラマー≫と呼ばれるようになったきっかけ自体も、
 すごい人工知能プログラムを作ったからって話だったよな……。
 この子はそのときのものなんだろうか……? それとも今、開発中のものなんだろうか……?
 開発中のものだったら、ボク達に知られると色々とまずいんじゃ……)

 とはいえ、夢の中に出て来る情報を制御できるなら、誰も苦労しない。
 夢の順番で揉めることもなかっただろうし、十神が順番についてあれこれ言うこともなかっただろう。

(ま、まぁ、夢で見たことは詮索したり公言したりしないって約束だから、
 ボク達が言わなければ問題ないよね。……たぶん)

 気にかかることはあったが、苗木はそう自分を納得させた。

「ご主人タマ……ですと?
 この呼び方は一件あざといようでいて、不二咲千尋殿が使うと違和感ありませんな。
 呼称として中々のセンスを感じますぞ。……今度、自キャラで使わせてもらってもいいです?」

「タマとは何かね?」

「それは僕の口からはちょっと……恥ずかしいですな」

 アルターエゴについて、山田と石丸も特に気にしていないようだ。
 普通に会話をし始めた。

『ボクとお話しして、ボクを一人前の人間に育ててね!』

「ほう……。育成ゲームですか?」

「育成ゲームとは何だ!?」

「キャラクターに指示を出して、キャラクターを成長させて、その過程と結果を楽しむゲームですぞ」

「ゲームのキャラクターなのに成長するのか?」

「パラメータとかステータスとかありますからな」

『難しいことは考えなくても大丈夫だよ。
 分からないことがあったらボクかご主人タマがちゃんと説明するから』

「な、なんとーっ!? ボク達の会話にちゃんと反応しましたぞ!?」

「最近のゲームはすごいな!? それとも夢だからか!?」

『ご主人タマは音声認識や人工知能の分野が得意なんだぁ!
 コントローラーでの操作が苦手な人はボクに直接言ってくれれば、
 ゲーム内でのコマンド入力を代わりにやるよぉ』

(夢だからすごいのか、不二咲クンにとってはプログラムが会話することくらい普通なのか……?
 ……たぶん、後者なんだろうな。だけど、どちらにしても、ゲームとしてはどうなんだろう?
 このコマンドを選ばれたらこう動く――っていう条件があらかじめ用意されているわけじゃないだろうから、
 同じ選択をしても、そのときの不二咲クンの反応次第でいくらでも結果が変わっちゃうんじゃ?)


 苗木はゲームとしての公平性などについて少しだけ疑問を覚える。
 しかし、この苗木の心配は的を射ているようで杞憂である。
 ≪超高校級のプログラマー≫たる不二咲千尋の記憶には、自分のプログラムの仕様も常識として刻まれていた。
 そのため、もし不二咲が現実で同じようにゲームを作ったとしたら、この夢の中のゲームに限りなく近い挙動をするだろう。
 つまり、公平性など、ゲームプログラムとして必要な要素は用意されているのだ。

 もっとも、現実のアルターエゴは、苗木達が思っているより遥かに高性能であり、
 会話をするたびに少しずつ成長するため、
 同じ選択肢を選んでも、プレイヤーによって結果が変わるかもしれないというのは事実かもしれないが……。

(けど、これってあれだな。
 サイコロとか振ったり、ゲームマスターがいたりする……。
 えぇっと、確かTRPGだったかな? ……に似てる気がする。
 あまり詳しくはないけど、不二咲クンが進行するなら大丈夫だよね?)

 なお、プレイヤーがロールプレイするわけではないので、
 方向性としては匿名掲示板で見かける安価スレなどのほうが近いのだが、
 苗木はそこまでは思い至らなかった。

『何人でプレイするの?』

「えっと、6人で……」

 その場にいる人数を数えて、苗木はアルターエゴの問いに答える。
 しかし、不二咲が意外なことを言う。

「ううん、僕は苗木君達がプレイしているのを見ていたいなぁ……」

「え? どうして?」

「自分でプレイするとどうしても同じ結果になっちゃうからねぇ……。
 違う人のプレイってすごい興味あるんだ。違う自分が見れるかもしれないしねぇ……。
 それに、みんなが楽しく遊んでる姿を見れれば僕も楽しいんだよぉ」

「そっか。遠慮してるわけじゃないなら良いんだけど……」

 苗木はあっさりと納得した。
 ゲームもプレイするのが楽しい人と、人がプレイするのを見るのが好きな人がいるというのは知っていたからだ。
 しかし、不二咲の部屋に来て、部屋の主がゲームに参加しないというのも寂しい気がした苗木は、こんな提案をしてみた。

「……あ、それなら、ボクと代わりばんこにプレイしようよ」

「わぁ、それもいいねぇ……!
 苗木君と相談しながら一緒にやるのも楽しそう」

 苗木の提案は、不二咲にとって、
 予想以上に惹かれるものだったらしく、目を輝かせていた。

『じゃあ、操作人数としては5人でいいんだね?』

 アルターエゴが再度の質問をした。
 すると、それに対して、モノクマが逆に質問する。

「ねぇねぇ、そもそもこれって対戦型なの?
 育てたアルターエゴを競わせたりするの? うぷぷ……」

『うんっとねぇ……。人数分のボクを用意するから、それを各プレイヤーが育てるんだよ。
 それでね。プレイヤー間で勝ち負けはないんだけど、
 ゲーム内の時間で半年経つと、希望ヶ峰学園の学園祭ってイベントが発生するから、
 そこで皆のアルターエゴをお披露目してもらうんだぁ。
 プレイヤー全員のアルターエゴ達は集まって、相談し合ったうえで出店を開くんだけど、
 それぞれのアルターエゴの性格や興味あることで、
 どういう店を出すかとか、お店の売り上げが変わるんだ!』

「じゃあ、ある意味、協力ゲーなんだね。うぷぷ……」

 モノクマが含み笑いをする。あきらかに何かを企んでいる顔だった。
 それを見たウサミが怒りをあらわにしながら、モノクマの前に立つ。

「協力するゲームなら、ちゃんと協力しないとダメでちゅよ!
 モノクマは色々と怪しいから、あちしと一緒にプレイしなちゃい!」

 胸を張り、仁王立ちし、腰に両手を当てたポーズを取るウサミ。
 おそらく、彼女なりの威嚇なのだろうが、別に迫力はなかった。

 しかし、なぜかモノクマはあっさりとウサミの言葉を受け入れた。

「いいよ。じゃあ、一緒にプレイしようか。うぷぷ」

「え? あ、はい、やりまちょう……?」

 ウサミは狐につままれたような顔をする。
 しかし、自分から言い出したことなので、疑問と不安を覚えても、ただただ了承するしかなかった。


『じゃあ、4人でやるんだね。;……難易度はどうする?
 パラメータを大まかに区分して可視化した“やさしい”と、会話内容や表情で推測する“難しい”があるけど?』

「はじめてだし、とりあえず今回は“優しい”でいいかな?」

 苗木は他の者達に尋ねる。
 そして、反対意見もなかったので、アルターエゴにゲームを進めてくれるよう促す。

『じゃあ、“優しい”で始めるね!』

 そして、モニターの映像が切り替わる。
 画面が十字で4分割されて、それぞれの区画が黄、白、赤、ピンクに色分けされる。
 そして、その色分けされた区画を背景にして、4つのアルターエゴの顔が浮かび上がる。

『『『『いらっしゃい、ご主人タマ!!!!』』』』

「グフフ……。なんかいけない店に来ているようですな」

(メイド喫茶ってこんな感じなのかな?)

『じゃあ、参加する人はコントローラを押してね』

 先ほどのアルターエゴだろう声がスピーカーから出る。
 プレイヤーが育てる4人のアルターエゴと、ナビゲーター役のアルターエゴ、
 今回のゲームでは、計5人のアルターエゴが登場するようだ。

 苗木達はコントローラーのボタンを押して、
 自分がどのアルターエゴとパートナーになるかを決めていく。

「えっと、ボクと不二咲クンが黄色のアルターエゴ担当かな?」
「そうだねぇ。えへへ、頑張ろうね」
『よろしくお願いしますぅ……!』

「ボクは1Pみたいですな。背景赤で左上だし。
 ククク……。ここは育成ゲームのお手本というのを見せてあげるしかありませんぞ」
『慣れないとたいへんかもしれないけどぉ……。ボクも頑張るから、よろしくねぇ……!』
「うっは! 良い笑顔! なんかみなぎってきた! ブヒッ! ブヒッ!」

「よろしくお願いします!」
『うん……! よろしくお願いしますぅ……!』
『えへへ、どういたしましてぇ……』
「……ところで、“育てる”ということは、僕が君の親代わりになるということか?」
『そうだねぇ。……けど、そこまで緊張したり、肩を張ったりしなくて大丈夫だよぉ』
「いいや、たとえ、養子でも人の親になるというのは大きな責任が伴うものだ!
 僕は全力を尽くして、君を立派な人間に成長させてみせるぞ! 白いアルターエゴくん!」

「よかったね。ウサミ。このアルターエゴのイメージカラーはオマエのだっさい衣装と同じピンクみたいだよ」
「よかったねって言葉から後ろは、悪意しかないんでちゅけど!!」
『あのぉ……』
「あ、ごめんなちゃい! アルターエゴ君! あちしはウサミ、こっちのクマはモノクマって言いまちゅ」
「うぷぷ……。パパとママでちゅよぉ……」
「きゃー!? 嘘でもアンタと夫婦とか気持ち悪いでちゅ!?」
『えっと……そのぅ……』
「かわいそうな、アルターエゴちゃん。ママは、お前のママなんかやめたいってよ……」
「そういう意味じゃないでちゅ! 人聞きの悪いことなんて言わないで!」

 各々、挨拶を済ませ、ゲームがスタートする。
 特にオープニングや導入シーンというものはないようだ。
 ゲームはいきなり1人目のプレイヤーの操作を要求する画面になった。
 すると、最初の番である山田が画面を見て、一言感想を述べた。

「ほう……。パラメーターの名称が珍しいですな」

 画面右上に六角形のレーダーチャート(蜘蛛の巣グラフ)が置かれ、
 それぞれの項目に「芸術的センス」「頭脳」「強さ」「博愛心」「職人気質」「行動力」と記載されている。
 そして、六角形の下には「アルターエゴ」と書かれている。

 次いで、その下には2本の横棒グラフが伸びていた。
 それぞれ「発言力」「集中力」と書かれている。
 そして、そのさらに下には「ヒフミ ヤマダ」と書かれている。

「上の六角形がアルターエゴのステータスで、
 発言力がプレイヤーのHPで、集中力が残り行動時間みたいな感じだよぉ。
 集中力が切れると、1日が終わって、次のプレイヤーに交替だよ。
 発言力は……あまり気にしなくていいかも。
 なくなるとしばらく番が回ってこないってペナルティは作ったんだけど、
 よっぽどひどいこと言い続けなければ、大丈夫だよぉ……」

「なるほど。じゃあ、ある程度攻めた選択肢でも大丈夫ということですかな。
 ふむふむ……。最初は「職人気質」と「博愛心」と「頭脳」が高くて、
 「芸術的センス」と「行動力」が普通で、「強さが」が低めですか。
 一点特化で行くべきか、最初は様子見で均等に上げていくべきか……。
 で、選べるコマンドは……」


『ねぇ、最初に聞きたいんだけどぉ……』

「ん?」

 どんな選択肢があるのだろうか? と考えていた山田に対して、
 先んじて赤背景のアルターエゴ(以下、赤アルターエゴ)が質問を投げかけてくる。

「ボクはプレイヤーさんをなんて呼べばいいかなぁ?
 ご主人タマ? 山田くん? 山田さん? それとも、一二三くん?」

「………………」

「どうしたのぉ……?」

 ニコニコと天使のように朗らかな笑顔で聞いてくる赤アルターエゴに対して、
 山田が惚けたような顔を晒してフリーズしていた。
 そして、数秒経過して、たじろぐように驚く。

「…………ハッ!? え、えっと、や、山田くんで、お、お願いいたします」

(……山田クン、どうしたんだろう?
 呼んでもらえるならご主人タマとかマスターとか特殊な呼び方を好みそうだと思ったんだけど……)

 山田の頬に若干の赤味が差していたが、そのことに誰も気づいていなかった。

『今日は何する? 一緒にお話しするぅ……?』

「お、お話しで」

『山田くんは何が好きなのぉ……?』

「は、ハイ! え、しゅ、趣味はマンガ、フィギュア、ゲームなどオタクとして幅広く!
 仕事としては、同人作家をやっております! いずれオリジナルを出す予定です!」

『わぁ、すごいねぇ……! 今度見せてねぇ』

「よ、喜んで……!」

 赤アルターエゴの質問に答えていく山田。
 コマンドやら育成ゲームのお手本という話はどこにいったのか、
 受け身のまま彼の番は終わってしまった。

「ほ、ほえ~…………」

「や、山田クン?」

 そして、番が終わると同時に山田は放心する。
 心ここにあらずといった具合で、苗木の言葉も届いていないようだ。

「えっと、“職人気質”があがったみたいだね」

「そうですな……」

「高いやつをさらに伸ばしていくの?」

「そうですな……」

(きゅ、急にどうしたんだ……? 山田クンの様子がおかしいぞ)

『次は2Pプレイヤー番だよ』

「あ、ボクの番か……」

 山田の様子が気になったが、苗木はコントローラーを持つ。
 画面には、黄色の背景のアルターエゴ(以下、黄アルターエゴ)が映っていた。

『ボクはプレイヤーさんをどう呼べばいいかなぁ?』

「えっと、キミの好きなように呼んでくれればいいよ」

『うーん? じゃあ、苗木くんでいいかなぁ?』

「うん、いいよ。……って、あ」

『どうしたのぉ? 何か選ぶのぉ?』

「へぇ、喋りながら、メニューを表示できるし、そのことに反応してくれるんだ」

 喋りながら、苗木はコントローラーを動かしていく。
 画面にはアルターエゴの顔やパラメータの他に、
 チャットのログのように、会話の内容が文字として起こされたウインドウがあった。
 そして、そのウインドウの横には、いくつかの選択肢が記されたメニューと、
 現在どの選択肢をフォーカスしているかを示すカーソルが存在していた。


 メニューには、「お出かけする」「一緒に何かをする」などの項目があり、
 それらを選ぶことで、さらに細かい選択肢が表示されるようだ。
 選択肢の数はゲームとは思えないほど、種類が豊富であり、驚異的な自由度を誇っていた。

 しかし、苗木が驚いたのは、そこではない。
 アルターエゴと会話を始めた後、なんとなく手元のコントローラーのボタンを押したところ、
 会話を途切れさせることなくメニューを表示させられたことと、
 その苗木の操作自体に対してもアルターエゴが反応したことに驚いたのだ。

『苗木くん、何かしたいことある? ボクにさせたいことでもいいよぉ』

「えっと、どんな選択肢があるの? すごい数あるけど」

 苗木がシステムそのものに対しての疑問を口にする。
 すると、画面にいたアルターエゴが一度動きを停止して、
 代わりにナビゲーター役のアルターエゴ(以下、ナビ役アルターエゴ)が画面端に現れた。
 そして、それと同時に、時間経過を表す“集中力”の消費も止まっている。
 どうやらシステムについての解説時は、ゲームが一時的に停止されるようだ。

『うんっとねぇ……。
 ご主人タマが知ってること……情報としてボクに教えてくれたことなら、
 たいがいのことが出来るかなぁ。
 例えば、お出かけする場所として、希望ヶ峰学園を選べば、
 どの教室に行くにしても、その教室に合った反応をボク達は出来るよ。
 背景もそれに合わせて変えるし、
 ちょっとグラフィックは荒いけど、キャラクターとしてボクと苗木くんとご主人タマを画面に映し出せるよ。
 実際に苗木くん達が行くわけじゃないから、ごっこ遊びみたいになって申し訳ないんだけど……』

「いや、ゲームとしては、十分すぎるよ……!」

『ただ、ボク達は情報としては知ってても、
 他の人がその場所にどういう印象を持つのかとか、辞書的な意味じゃない意味とかまでは知らないんだぁ。
 いちおう、ご主人タマが教えてくれたものもあるんだけど、
 それも皆とお話をしている“ボク”のメモリーからは消してあるんだ。
 だから、プレイヤーの選択肢次第で全然違うボクになるかも!』

(本当にこんなゲームあったらすごすぎるな……。
 ……現実世界でも作れないか不二咲クンに聞いてみようかな)

『ちなみに、ボクがまったく知らないことでも、
 苗木君達の説明してくれれば、それについて覚えられるよ』

(もうゲームっていうより、実在する留学生か何かと会話するみたいだな……)

『じゃあ、そろそろゲームに戻るね?』

「……うん。ありがとう。アルターエゴ」

『えへへ……、どういたしましてぇ』

 そして、一時停止されていたゲーム画面が再び動き出す。
 すると、そこでは、黄アルターエゴがにこにこと苗木の言葉を待っていた。

『どうするの、苗木君?』

「そうだな……」

 苗木は考える。

「……って、そうだ。大事なこと忘れてた」

 そして、何かに気付いたようだ。

『……?』

「キミとは初対面なんだから、自己紹介しておくね」

『わぁ……! 苗木くんの自己紹介、聞きたいなぁ!』

「じゃあ、始めるね。ボクの名前は苗木誠――――」

 苗木は彼にとってお馴染みの“平均的な高校生”というフレーズを使った自己紹介をしていく。
 そして、自己紹介が終わった後は、雑談をしながら、メニューにどんなものがあるかを大まかに確認していった。
 一度目の手番が終了する頃には、苗木はアルターエゴとの会話にだいぶ慣れたようであった。

「次は僕の番だな!」

 そして、苗木の次は石丸の番であった。

今回はこれで終わりです

ところで、今まで土日に5レス×80行更新をおおまかな目標にしてたんですが
もしかしたら3日おきに2レスとか更新ペースが変わるかもしれません……
てか、読んでる方としてはどっちのほうがいいんでしょうかね?

今日は更新できませんが、来週の日曜に10レス更新します(もしくは今週の月~日の間に計10レス)
エタらないことは必須条件として、個人的に書きやすいのが2週間ペースな気がするので
10レス/2週間ペースで頑張ります

10レス分書き終わり、現在見直し中です
今夜中に投下していきます
日曜日予告してたのに、深夜25時とか26時みたいな深夜テレビ番組になって申し訳ない

もう遅いし無理すんなよ
待ってるからよ


「よし、ではまず使い方の復習だ!」

『あ、ゲームパッドの持ち方が……』

「ん? 何か問題があるかい?」

 手際よく操作しながら、石丸は答える。
 その手際の良さから、どのボタンが決定で、どのボタンがキャンセルか……など、
 ゲームパッドの基本機能は、山田や苗木の操作を見て覚えたことが分かる。

 しかし、その持ち方が変わっていた。
 テレビのリモコンを持つように、左の手の平でゲームパッドの背面を支え、
 右手を添えるように被せ、右手の親指のみでボタンを押下していたのである。

(その発想はなかった)

 笑ったり驚くより前に、苗木は感心する。
 子どもの頃からゲームをやっていた自分のような人間は、意識せず普通の持ち方するが、
 ゲームをほとんどプレイしたことがない人にとって、
 ゲームのコントローラーはリモコンと同じなんだ……と、石丸の姿を見て、苗木は新鮮な気持ちになったのだ。

「そっかぁ。ボタンの同時押しとかしなくていいなら、この持ち方もありだもんね」

 不二咲も感心していた。
 そして、ふと口ずさむ。

「使いやすいインターフェースもそうだけどぉ、
 予備知識が一切なくても、使い方がすぐ思いつくインターフェースも大事だよねぇ……」

 それを聞いて、苗木もアルターエゴをまじまじと見ながら、口にする。

「その辺りアルターエゴは会話すればいいってすぐ分かるからいいよね」

「うん……。ありがとう。
 ただ、言葉が通じないユーザ相手だと……、
 リソースを余分に消費するだけの普通のパソコンになっちゃうから、他の意志疎通方法も考えないとぉ……」

「ジェスチャーとか?」

「そうだねぇ……。言語だけじゃなくて、
 表情とか非言語コミュニケーションもできるようにしてあげたいなぁ」

 どうやら、不二咲はアルターエゴの更なる改良を考えているようだ。
 そして、その改良方法として、いくつか考えがあるのだろう。
 不二咲は真面目な顔で思案していた。

 すると、その真面目さに反応したのだろうか?
 石丸が不二咲に対して、声をかけた。
 そして、石丸と一緒に白い背景のアルターエゴ(以下、白アルターエゴ)もまた声を上げる。

「手話もいいかもしれないぞ!」

『そうだね、兄さん!』

「ん? 兄さん?」

 “手話がいい”と提案したのは石丸だとすぐに分かった。
 しかし、“兄さん”は、いったい誰の言葉だろう?
 苗木は、少しの間離していた目を、石丸へと意識を向け直す。

 すると、目を離した時間はほんの僅かだったはずなのに、そこには大きな変化があった。

『ご主人様! ボクに手をください! 手話が出来るようになりたいです!』

(え、石丸クンのアルターエゴの見た目としゃべり方が変わってる!?)

 白アルターエゴの顔の彫りが、他のアルターエゴと比べると、明らかに深くなっており、
 どこか凛々しさが感じられた。
 しゃべり方もゆったりとした中性的なものから、声色のやや低い落ち着いた男性的なものに変わっている。
 不二咲のこともご主人タマではなく、ご主人様と呼んでおり、どこか態度も丁寧になっているようにも見えた。

(えっと……?)

 苗木は困惑しながら、画面を注視する。
 すると、ひとつ気づく。
 いくつかのパラメーターが初期値から変動していたのである。
 “強さ”“行動力”が上昇し、“職人気質”“芸術的センス”が下降していた。


「えっと……。ステータスによって、性格や見た目って大きく変化するの?」

 苗木は不二咲に尋ねた。

「うん。そうだよぉ」

「そ、そうなんだ。じゃあ、最終的には石丸クンそっくりになったりして……」

 そこまで言って、苗木は「静聴せよぉ!」と叫ぶ不二咲の姿を想像する。
 微笑ましいが、石丸クンの大音量と違い、周囲に響かず終わりそうだった……。

「僕以外にも、何人か知っている人の性格をパラメータ化してるから、
 そのときのステータスで一番近い人の性格を真似するように設定してあるんだぁ」

 少し微妙な顔をした苗木に対して、不二咲は説明を始めた。

「ステータスが近ければ近いほどそっくりになるよぉ。
 アルターエゴが誰かの言動をシミュレーションする……一種のエミュレータだね。
 ……もちろん、本人じゃなくて僕が入力したデータだから、
 本物とはだいぶ違う部分も出ちゃうと思うけど……。
 クラスの皆の真似をするかもしれないけど、あまり似てなかったらごめんねぇ……」

「いやいや、ゲームだから、そこまで深刻に考えないでいいよ。大丈夫大丈夫」

「うん……。あ、そういえば、ゲームといえばね……。
 このゲームには、ゲームなりの隠し要素も少し用意してあってね……」

 ゲームの細かな仕様について、丁寧に説明をする不二咲。
 苗木が興味深そうに聞いているのを察して、彼は一から十まで律儀に語ろうとしていた。

 しかし、そこで石丸が大きな声を上げて不二咲を止める。

「待ちたまえ!」

「どうしたのぉ、石丸君……?」

「聞きたいことと言いたいことが同時にある!」

 反応した不二咲に対して、石丸は続けて言う。

「隠し要素とはなんだね!? 隠しなら言わない方がいいのではないか!」

「あ、そうだねぇ……。ごめんねぇ……。こういうのは自分で見つけたほうが面白いよねぇ」

「そういうものなのかね? それならば、それでかまわないぞ!
 それにしても、このゲームはすごいな。
 挨拶したら挨拶し返すロボットはニュースになったが、
 男の覚悟や絆を理解できるプログラムというのははじめて見たし、聞いたぞ!」

『兄さん、ご指導のほどよろしくお願いします!』

「任せたまえ! 僕が君を一人前の男にしてみせよう!」

『はい!!』

(自己紹介くらいしかしてないはずなのに……何があったんだ。
 それとも、ちょっとの会話でもステータスは大きく変わるのか?)

 苗木は首を傾げる。
 おそらく、山田や苗木と同じように、どう呼べばいいか……などの話を振られたのだろうが、
 そこからどのように会話が発展して、兄弟のような関係になったのか想像も付かなかった。

「すごかったでちゅねぇ……。少年漫画みたいでちた」

「第一話って感じだねー。打ち切られなきゃいいけど。うぷぷ……」

 ウサミとモノクマは、石丸達の会話を見ていたのだろう。感想を漏らしていた。
 それを聞いて、苗木は思わず「見たかったな……」と呟く。
 TVの生中継で決定的瞬間を見逃すタイプの人間がいるが、まさに苗木はそのタイプであった。
 仕方なく、苗木はウサミとモノクマに尋ねる。

「どういう自己紹介だったの……?」

 すると、2匹は顔を見合わせながら、苗木に教える。

「えっとでちゅね……。まず、呼び方の話をアルターエゴ君がしたら、
 逆に石丸君が、父親が欲しいか? 兄が欲しいか? って質問して……」

「男兄弟が欲しいってアルターエゴが言ったんだよ」

「それで、大和田君の話になってでちゅね……」

「石丸クンが兄で、アルターエゴが弟になった」


(わかるようで分からない……。
 これは、石丸クンと大和田クンが兄弟になったときと同じだな……。
 なんとなく分かるけど、具体的な会話が想像できないっていうか……)

 苗木は見逃したことを本格的に残念に思う。

(これから先、石丸クンに兄が出来たりするんだろうか……?
 あ、そういえば……、石丸クンと大和田クンはどっちが兄でどっちが弟になるんだろう……?)

 兄弟は兄弟であって、単なる兄と弟とは違うのだということを、
 普通の現代っ子である苗木には理解できなかった。

 しかも、ここでさらに理解できないことを言い始める男がいたため、苗木はますます混乱する。



「……そもそも、アルターエゴの性別を男だと決めつけていいのでしょうか?
 こんな可愛い子が女の子なわけないじゃないかと言うのは容易いですが、
 これは彼女達にとっては一生に関わる大事な問題……。
 不二咲千尋殿が男であろうと、プログラムである彼女達もそうとは限りませんぞ……。
 もし、性別が未定ならば、対話をしていき、
 本人達に納得してもらったうえで決めてもらう必要があると思いますぞ……。
 そう対話――対話こそが僕達を高みへと導いてくれる――」



「山田クンがなんか語り始めたーーー!?」



 まるで悟りを開いたかのように、
 静かで優しげに持論を展開し始めた山田に対して、苗木は驚愕の声を上げた。

「や、山田クン……。どうしちゃったの……?」

「苗木誠殿……。一目ぼれは存在するんですぞ」

「そ、そうなんだ……?」

「僕が二次元の戦士になったのも、
 もしかしたら、彼女と出会うためだったのかもしれませんな……」

「ぶー子はどうするの……?」

「ぶー子は恩人であり、崇拝する対象ですらありますが、
 今、僕が感じているのは、それとはまた別なんです。
 身近にいて、支えてあげたいと思う気持ち……。
 もしかしたら、これが恋と愛の違いなのかもしれませんな……」

(なんか妙に誌的な表現使い始めた……)

 山田の場合、最初の手番――あの僅かな間の会話が変化をもたらした対象は、
 アルターエゴではなく、山田自身だったようだ。

「……石丸清多夏殿のアルたんは男でも僕のアルたんは女の子だといいな」

「山田クン……。
 すごい言いにくいんだけど、この夢が終わったらアルターエゴとはお別れだよ。
 もしかしたら、現実でもアルターエゴはあるかもしれないけど、
 今から育てるアルターエゴとは別人なんだ」

「うおおおおおおおおおおおおああああああああ!?
 そうだったーーーーーーーーーー!?
 嘘だと言ってよ、アルたん!?
 やだーーーーーーー。僕、この夢にずっといるうううううううううう」

(今度は駄々っ子みたいになっちゃった……。
 それにしても……。うーん……)

 夢だから、プログラムではなく文字通り不二咲そのものでもあるとも言えるのだが、
 アルターエゴのコミュニケーション能力が予想以上に高かったためか、
 石丸と山田が妙に感情移入していることが気になった。
 特に山田に関しては、一般的な感情移入の範囲を優に超えているように見えた。

(と、とりあえず、終わりがあるから大丈夫かな……?)


 明確な区切りのない現実世界だったら、そのまま拗らせてしまう可能性もあるが、
 一度限りの夢ならば、致命的になる前に別れが来るだろう。
 ひとまず、苗木はそう納得することにした。

(それにしても、思った以上だな……。。
 もし現実で、アルターエゴをゲームとかに応用したら……、社会現象になりそうだ)

 若者の現実離れ。
 そんなフレーズが苗木の頭の中を過った。

(不二咲クンが倫理の授業を取ってて本当に良かった……)

 一緒に『ゲームと倫理』の授業を取ると決めたときは、
 「不二咲クンは真面目だなぁ……」くらいにしか思っていなかったが、
 それが大きな間違いだったと苗木は考えを改めた。
 不二咲にとって、プログラムと関わる上で、倫理的問題は必須だったのだ……と。

(職業的意識で、取る授業を決めてるなんて、すごいな……)

 見た目の可憐さや儚さで忘れそうになるが、
 やはり彼もプロフェッショナル。≪超高校級のプログラマー≫なのだ。

(最近、忘れつつあったけど、やっぱりボクのクラスメートはすごい……。
 …………って、いけない。また、画面から目を離してた……。
 ……あ、もうすぐ、石丸君の番が終わりそうだ)

 そして、同級生のプロ意識に感心していたら、
 画面の“集中力”が残り僅かになっていることに気付いた。

 すると、石丸もそのことに気づいたのだろう。締めの言葉を口にする。

「よし、今回はこれで終わりだ! さようなら! また会おう!」

『さようなら! ありがとうございました!』

 互いに元気よく挨拶を済ませて、石丸と白アルターエゴが1度目の対話を終わらせる。
 なお、石丸はさいしょこそゲームパッドを弄ってこそいたが、
 特に何かを決定することもなく、最後の方はゲームパッドを机に置き、
 身振り手振りを交えながら、白アルターエゴと延々と熱い会話を繰り広げていた。

「ハッハッハ! 中々有意義な会話だったな!」

 終わると同時に、石丸は皆に対して朗らかに笑いかける。
 どこか満足げですらあった。

「次はウサミ先生とモノクマ先生の番だ!」

 無意識だろうか? 何故か石丸はウサミとモノクマを先生と呼んでいた。
 前回の夢の影響かもしれない。

「よーし、次はあちし達の番でちゅね!」

「うぷぷ……」

 逆に、ウサミとモノクマは前回の夢の記憶があるがゆえだろう。
 先生呼びを特に気にすることもなかった。
 2匹はそのままピンク色の背景のアルターエゴ(以下、桃アルターエゴ)と向き合う。

 桃アルターエゴは恒例の質問をしようとした。

『ボクはプレイヤーさんをなんて呼――』

 しかし、桃アルターエゴは予想外の返答に困惑することとなった。

「こいつはビッチ、ボクはモノクマ」

「きゃー!? いきなり何言ってるんでちゅか!?」

『えっとぉ……、ウサギさんだから、雌犬は違うんじゃないかなぁ……?』

「ダイジョーブだよ。ウサギって年中発情期だし、意味としてはきっと間違ってないから」

「それって人間と同じでいつでも交尾できるってだけでちゅからね!?」

「やだよーコイツ。人間を[ピーーー]呼ばわりなんてー。ひどいなー」

「そんなこと言ってないでちゅ!?」

「き、君達は何を言ってるんだ!? 子どもの前だぞ!」

 モノクマが放送禁止用語を口にしたため、あわてて石丸が止めに入る。


『あ、あはは……』

 画面の桃アルターエゴも少し恥ずかしそうだ。
 その桃アルターエゴを見て、石丸はさらに言う。

「親子と言うには、アルターエゴくんの歳が近すぎるが、
 それでも君達は彼を導かなければならないんだ!
 兄が弟に接するように、姉が妹に接するように、模範となる姿を示したまえ!」

「うぅ……。ごめんなちゃい……」

「反省してま~す」

「反省したなら良し! 真面目にやりたまえ!」

 どう考えても、モノクマの声色は反省しているようなものではなかったが、
 石丸は言葉を額面通りに受け取り、ひとまず引き下がる。
 それを見て、ウサミは本当に申し訳なさそうに言った。

「あちしも煽られても受け流せるようにならないと、
 何度も迷惑かけちゃいそうでちゅね。平常心、平常心……と」

 ウサミは何度か深呼吸をした。
 そして、再び桃アルターエゴに声をかける。

「えっと、でちゅね。あちしの名前はウサミでちゅ。
 ウサミって呼んでくだちゃい」

『うん。よろしくねぇ。ウサミ』

「じゃあ、自己紹介などをしまちょうか!」

『うん!』

「ではまず……あちしから、あちしは――」

「それ、ポチポチっとな」

「ちょ、モノクマ、今、何を!?」

 横合いからモノクマが腕を伸ばし、
 ウサミの持っていたゲームパッドのボタンを何度か押した。

「お出かけだよ! お出かけ!
 今更、自己紹介とか普通のことしてもつまんないでしょ?
 チュートリアルに従うだけのプレイなんて、そんなの苗木クンじゃないんだから!」

(まぁ、たしかにはじめてプレイするゲームはとりあえずチュートリアルは見るけどさ……)

 それをつまらないと言われても、苗木としては困る。

『食音楽室にやってきたよ。
 音楽室というよりも、
 ちょっとしたホールみたいな作りになっているねぇ……。
 皆の他には誰もいないみたいだけどぉ…
 どうしようか?』

 桃アルターエゴがシステムメッセージのように状況を説明した。
 そのため、各人、気を取り直して、ゲームをプレイするウサミとモノクマに注目する。

「音楽室でちゅか。あ、そういえば……、音楽と言えば」

 ウサミが話題を振ろうとする。

「苗木君達のクラスメートにアイドルがいるって聞いたような気がするんでちゅけど、
 やっぱり、その子はお歌が上手いんでちゅか?」

『うん、舞園さんって言ってね。すごい歌が上手いんだぁ』

「おー。それは羨ましいでちゅ! あちしもアイドルの生歌、聞いてみたいでちゅ!」

『うん、分かるよぉ。ボクも同じクラスだって聞いたときは、聞いてみたいって思ったもん』

 ウサミが意図したかどうかは定かではないが、
 身近な人の話題や、芸能人の話題というのは、会話の導入として妥当なものである。
 そのため、出だしで躓き、多少ぎこちなくなっていた桃アルターエゴとの会話が、
 スムーズなものへと変わっていく。


(これなら……。問題なさそうだな……)

 苗木はホッと胸を撫で下ろす。

 しかし、それは早計であった。

「アイドルもいいけどさぁ……。
 自分で作曲したり、ステージで歌おうとかは思わないの?」

 モノクマがニヤニヤしながら桃アルターエゴに尋ねる。

『え? えっと、ねぇ……。
 その……プログラムで音を鳴らしたり曲を作る事は出来るけど……。
 そういうプログラムを組んだ事ないんだぁ。……多分、センスないと思うから……。
 それに、歌うのもそんなに好きじゃなくってぇ……』

「センスがないなら磨けばいいんだよ!
 諦めんなよ、諦めんなよお前! どうしてそこでやめるんだそこで! もう少し頑張ってみろよ!
 熱くなれよぉおおおおおおお!
 誰かのライブに行って、勉強すればいいんだよ! 一緒にライブ行こうぜ!」

『う、うん……』

 まるで熱血キャラのように、モノクマが絡んでくるため、
 その勢いに対して、桃アルターエゴは引き気味であった。

『えっと、人が多いのは……苦手なんだぁ……それに音が大きいのも……ちょっと……ごめんなさい……』

「いいんでちゅよ! 人はそれぞれ苦手なものがありまちゅから! 気にしないで!」

『あ、あの……せっかく誘ってくれたのに……うまくお話し出来なくて……ごめんなさい』

 すっかり、場の雰囲気が萎れた風船のようになってしまった

(気にしなくていいはずのプレイヤーの“発言力”が下がってる……。
 “発言力”って名前だけど、信頼度みたいな感じなんだろうな……。
 しかし、それにしてもひどい……。見てられないぞ)

 そもそもアルターエゴ……というよりも、
 その基となった不二咲が自分で歌うことを渋るのは、声の高低に問題があった。
 今までずっと女声を作り続けた結果、高音のパートなら問題なく歌えるが、
 低音のパートで違和感を覚えてしまうらしい。
 おかしくないか? 変じゃないか? ということが気になってしまうようだ。
 また、声の高低で他人に性別がばれることを恐れて、
 人前では出来る限り歌わないようにしてきたため、自分の歌唱力に対してあまり自信がないようだ。

(モノクマ、わざとやってるのか? ……わざとやってるんだろうな。
 音楽室を選んだのも迷いなかったしな……)

 苗木は立ち上がる。
 モノクマに注意することにしたのだ。

(場合によっては、ウサミに頼んで、モノクマを拘束した方がいいかもな)

 出来る限り穏便に行きたかったが、仕方ない……と苗木は決める。
 そして、その決意をもとにモノクマに声をかけようとした。

「モノクマ、ちょっと……って、え!?」

 しかし、苗木よりも早く動き出している者がいた。

「アルたんの妹いじめてんじゃねえええええええええええええええええええ!!!!」

「ちょ、おま……!?」

「喰らえ、必殺のジャスティスハンマー!」

「ぐぎゅ……!?」

 体重155kgの巨漢が跳び、モノクマに覆いかぶさる。
 ミシリ……と何かが折れかける音が響く。

「た、タンマタンマ……」

「駄目ですぞ! ここにいる間、お前には僕の抱き枕になってもらう!」

「な、なんだよ、その決め台詞……って、ぐぎゅうぅっぅ……」

 山田に抱きしめられたモノクマはまるでぬいぐるみのようにボディを歪ませる。
 ギュっと強く抱きしめられたモノクマの姿はいつもより細長くなっていた。


「ぅ……。ぅう……」

 モノクマは必死に手足をばたつかせていたが、逃げられない。
 手足が短く身体もぬいぐるみサイズのため、力づくでは脱出できないようだ。
 江ノ島の夢の中ではもっと馬力があった気がするが、今のモノクマにはそこまでのパワーはないようだ。

「さぁ、ウサミ殿! ここは僕に任せて、先に行け!」

「え、えっと、ありがとうございまちゅ……?」

 ウサミは困惑しつつ、ゲームに戻る。

「で、では、改めて自己紹介しまちゅと……」

『う、うん……』

 先ほどとは違い、ウサミと桃アルターエゴは、ぎこちなく会話をし始めた。

(なんだこれ?)

 立ち上がっていた苗木は仕方なく座る。
 そして、隣にいる不二咲に顔を向けると、不二咲も首を傾げていた。
 どうやら、この展開が理解できなかったのは自分だけではなかったようだ。

「ぬいぐるみを抱いて寝るのは卒業した方がいいぞ! 山田くん!」

 まぁ、そもそも石丸のように何も気にしてない者もいるため、
 そんなに深く考えなくてもいいイベントのだったのかもしれない……。

 苗木もまた、石丸を倣(なら)い、首を傾げながらも、努めて気にしないことにした。

(まぁ、これで円滑に進むなら、いっか……)

 そして、ボーっと、ウサミと桃アルターエゴの会話を聞く。
 残り時間も少なかったためか、いたってオーソドックスな自己紹介であった。

「で、では、またあとででちゅ……。最後に何かありまちゅか……?」

『う、うん……。えっと……』

 もっとも、ぎこちなさは、この回だけではなくなりそうになかったが……。

(……まぁ、ともかく、これで皆1回目が終わるのか。
 不安はあるけど、どうにかなりそう……かな?
 それにしても、このゲーム1回のプレイにすごい時間がかかりそうだ。
 代わりばんこにやって、育てる形式だから、仕方ないんだけど……待ち時間もあるし。
 …………ゲームをやるんじゃなくて、不二咲クンとお話ししに来たと思うことにすれば、いいかな……?)

 そもそも夢の中のアルターエゴと話すのは、不二咲と話すこととほぼ等しいのである。
 そう思えば、待ち時間の問題など些細なことであり、色々と割り切れた。

 それに、苗木個人の感性として、誰かと一緒にボーっとするだけというのも嫌いではなかった。

(そういえば、新学期始まってからゆっくりしてないしなぁ。
 ちょうど良かったのかも……)

 一緒に入ってきたメンバーは騒がしいが、
 不二咲の夢自体は落ち着いており、ゆっくり過ごすにはちょうど良かった。

「ふぁあ……」

 そう思うと、夢の中なのに、少しだけ眠くなってきた。

(……と、いけないいけない。遊びに来てるのに、これは失礼だな)

 つかの間の憩いを得て、思わず欠伸をした自分を苗木は戒めた。

(もっと不二咲クンとお話ししよう……)

 そして、不二咲の方へ視線を向ける。
 すると、ちょうど不二咲がこんなことを言った。

「やっぱり皆、僕とはだいぶやり方が違うなぁ……」

「え?」

 その言葉の真意が今いち分からず、苗木は間抜けな声をあげてしまう。


 すると、不二咲は自分の呟きに関して補足を入れる。

「あ、……その。悪い意味じゃなくて、むしろ嬉しいんだぁ」

「嬉しい……? え、本当に……?」

「うん」

 ほぼ全員がフリーダムすぎて、
 さすがの不二咲も呆れているのではないかと少し心配していたが、杞憂だったようだ。

「そっか。それなら良かった……。
 嬉しいのは……、やっぱり、自分の作ったものが楽しまれてるから?」

「ううん。それもあるけど……。
 やっぱり、アルターエゴが僕とは違った誰かに成長するのを見れそうなのが一番うれしいかな」

「違った誰か?」

「アルターエゴは僕の分身みたいなものだから、
 別の誰かを見てるというか、もしもの世界の僕を見てるって言うのかな?
 こんなこと言うと、変かもしれないけど、僕は色んな自分を見たいんだぁ……」

「色んな自分……?」

「男らしくなるのを止めるわけじゃないし、
 トレーニングも続けるつもりだけどぉ……。
 もしかしたら、強いって、肉体的なものだけじゃないのかもって、最近思うんだぁ……」

「……心の強さってこと?」

「うーん……? 自分でもまだ分からないんだけどぉ、それだけじゃないかもぉ……。
 えっとね、僕が欲しい強さって、“ウソに逃げている弱い自分”を壊せる強さなんだけど、
 もしかしたら、その強さを身につけるための道っていっぱいあるんじゃないなかなって思うんだぁ。
 それに、この僕は弱かったらダメだったけど、そもそもはじめに男のクセにって言われたとき……。
 そこで堂々とできる“僕”もあり得たんじゃないかなってぇ……」

「……………」

「もしかしたら、そんな単純なことじゃなくて、
 回り道してるだけかもしれないんだけどぉ……」

「いや、そんなことはないと思うよ」

「え?」

「ひとつの道を一生懸命進むのも大事だけど、色んな道を試すのも悪くないよ。
 焦らなくていいんだよ。
 ゴールが分かってるなら、どんな道でも自分なりに納得できる道を選んで進めばいいんだよ。
 それにね。不二咲クン……。
 もしかしたら、回り道したつもりの道が本当は近道かもしれない。
 生きるうえでの道って誰かが決めたものじゃないしね。
 今、見えている道が近道か回り道かなんて、試してみないと分からないよ」

「うん……うん……!
 ありがとう、苗木君!」

「それに、不二咲クンは今いる道を大事にしながら、
 他の道も探ってるんだから、本当にすごいと思うよ。
 ボクならトレーニングを始めた時点で満足しちゃって、
 強くなるための他のアプローチなんて考えようともしないよ」

「そ、そんなことはないよ!
 苗木クンはもう十分強いから、強くなる必要を感じないだけだよ!」

「あはは……。ありがとう」

 苗木は微笑む。
 いつもと違い、苦笑いではなく、朗らかな笑みだ。

(うん。やっぱり、不二咲クンには笑顔でいてもらわないと……!
 本当の不二咲クンはとっても強いんだから……)

 不二咲に褒められたから喜んだわけではなく、
 不二咲を勇気づけることが出来たがゆえの笑顔のようだ。


「ふむ、やはり苗木くんは良いことを言うな」

 いつの間にか、苗木の真横に気配があった。

「い、石丸クン、聞いてたの?」

「もちろんだ!」

 ただ今、ウサミ、モノクマ、山田はそれぞれ奮闘中である。
 そのため、石丸も忙しいような気がしていたのだ。
 だが、それは気のせいであった。

「僕も何かアドバイスをしようと考えていたのだが……。
 必要なかったな。さすがは苗木くんだ!」

「ははは……」

 べた褒めされてしまい、少し恥ずかしくなる苗木だった。

「苗木くんは将来何になりたいか決まっていないと言っていたが、
 教職が向いているんじゃないか?
 苗木くんなら風紀を乱すことなく、生徒を導いていけそうな気がするぞ!」

「そ、そうかな……?」

「もちろん、無理にとは言わないが……!
 僕は苗木くんのような先生がいたら嬉しいと思うぞ!」

「あ、ありがとう……」

「一度考えてみてくれたまえ!
 それで、もし教職を目指すなら、
 そのときは、僕と一緒に、学び舎のより良い有り方について語り合おうじゃないか! ハッハッハ!」

 頬を掻き照れる苗木に対して、石丸は大きな声で笑った。
 そして、今度は不二咲に対して、言う。

「僕も不二咲くんに何かアドバイスを……と思っていたが、苗木くんほどのものは出来そうにない」

「大丈夫だよ。その気持ちだけで充分嬉しいよぉ」

「すまないな。……ただ、もしかしたら釈迦に説法かもしれないが、
 君に知ってもらいたいことをひとつだけ思い出したので、良かったら僕にその話をさせてもらいたい」

「……えっとぉ、なに……?」

「健全な魂は健全な肉体に宿るという言葉は知っているかい?」

「う、うん……」

 少しだけ、不二咲の顔が曇る。
 あまり好きな言葉ではないようだ。
 体が弱かった不二咲にとって、この言葉は酷なものなのだろう。
 誰かに言われたこともあるのかもしれない。
 しかし、だからこそ、石丸の次の言葉は、不二咲に軽い衝撃を与えた。

「実はこの言葉、誤用が定着したものなんだ!」

「え……?」

「一般的に、身体が健全ならば精神も自ずと健全になる……という意味で定着しているが、
 元々はローマの詩人が言った“健全な肉体に健全な魂が宿ることを願う”という言葉だ。
 ……人間がまず望むべき願いは、心身ともに健全であることだって意図で使われた言葉なんだ!
 さらに言うなら、ローマ人は健康的ではあったが、その多くは健全な魂を持っていなかったとして、
 この詩人がため息とともに残した風刺の言葉なのだ!
 つまり、誤用として定着した意味とは逆に、健全な肉体だからといって健全な魂が宿るとは限らず、
 健全な魂こそ得るのが難しいのだと、このローマの詩人は風刺として残したのだよ!」

「そ、そうなんだ……! はじめて知ったよ!」

「だからこそ、僕は君の行いを眩しく感じる!」

「えぇ!?」

「不二咲くんは健全な身体を得る為に苦労し、さらに、より健全な魂を得るために心を砕いている!
 これを努力と言わずになんというんだ! 僕は本当に感心しているんだ!
 願わくば、不二咲くんがこれからもこの努力を続け、それを誰かの見本にしてほしい!」


 なぜか号泣しながら、石丸は不二咲に語りかけていた。
 すると、不二咲もなぜか目を輝かせながら、それに応じる。

「う、うん! 僕、頑張るよ!」

「さすがは兄弟が認めた男だ! 兄弟も不二咲くんのことはいつも強い男だと褒めているぞ!」

「そ、そうなんだぁ……。嬉しいなぁ……」

「ハッハッハ! それは良かった!
 ところで、いくつか聞きたいことがあるんだが!」

「えっと、例えば……?」

「人工知能というものはいったいどんな風に勉強をしているのかね?
 人間の勉強方法については色々見聞きして、知っているが、
 人工知能がどんなふうに言葉を覚えたり、感受性を学ぶのか……。
 よかったら、教えて欲しい!
 もしかしたら、僕自身の勉強をより良いものにする秘訣があるかもしれないと思っているんだ!」

「えっと、アルターエゴ自体について話す感じになると思うけどぉ、大丈夫?」

「もちろんだ! 人工知能自体も学術的に興味深いからな!
 教えてもらえるなら、すべて覚えて帰りたいものだ!」

「うん、そっかぁ……。えへへ、それなら、頑張って説明するね……!」

 石丸と不二咲の会話が盛り上がりを見せる。
 そして、その会話の内容は、2人の学力が高いせいか、
 数学や物理学に始まり、果ては神経科学や言語学にまで発展する非常に高度なものであった。

(な、何を話しているか……。分からない……)

 そして、それは苗木にとって難しすぎた。

(……完全に取り残されたな)

 他の話をしようと思えば出来るし、不二咲と石丸も今現在している話題を後回しにしてくれるだろう。

(まぁ、これでもいっか……)

 しかし、でしゃばる気も起きなかった。
 楽しそうだし、邪魔するのも悪いと思ったのである。

(いい機会だし、分かる部分だけでも頑張って聞いてみるか……)

今回はこれで終わりです
……寝よう

>>553
ありがとうございます
基本的に無理せず続ける方針なんですが、
今回はもうちょっとで区切りのいいとこまで……とか思ってるうちにこんな時間になっちゃいました(汗)


「人工知能には、"強いAIと弱いAI"って問題があってね……」

「ふむふむ」

 石丸のために、不二咲が説明していく。
 まずは人工知能そのものについての説明からだ。
 それは、まだ苗木にも理解できる……というよりも、苗木が以前聞いたことのある内容であった。
 そこで、苗木は復習代わりにそれを聞いていく。

 すると、苗木と同じように、彼らの会話を聞いて反応した者がいた。
 山田である。

「人工知能……。
 僕をプログラム化してアルたんと同じ世界に送れませんかね?」

 2回目の手番において、山田が赤アルターエゴに対して、そんなことを口にする。

 なおモノクマは未だに山田にがっちりとホールドされており、
 汗をかきながら「あ、あつい……」とこぼしていた。
 しかし、誰も気にしない。

 赤アルターエゴもモノクマの言葉に対して特に反応しなかった。

『えっとぉ、今はまだボクだけだけど、
 ボクと同じ技術で他の人のアルターエゴも作れると思うよ。
 本人の情報を学習するための時間はかかっちゃうけどね』

「それは……僕がもうひとり誕生するのであって、僕自身がプログラムになるわけじゃないのでは……?」

『あ、そうだねぇ。……ごめんねぇ。勘違いしちゃったみたい……』

「あ、アルたんが悪い訳じゃないですぞ!?
 悪いのはZ軸なんか持ってる僕……いや、世界だ!」

 少し悲しそうな様子を見せた赤アルターエゴに対して、
 山田は慌てながら言い訳をする。

『山田君は優しいんだね』

「じょ、じょ、女性にそんなこと言われたの初めてですぞ……たははは……」

『えへへ、もっとお話ししようね』

「よ、よ、よよ喜んで……!」

 赤アルターエゴが言葉を発するたび、山田は電流でも走ったかのように反応する。
 このゲームに課金システムがあったなら、ひと月もかからず山田は破産するだろう。

(ボクはクラスメートの人生が変わる瞬間に出くわしてるんじゃないだろうか?)

 苗木はそっと山田から目を逸らし、不二咲と石丸に視線を戻す。
 もう人工知能の基本的な説明は終わっている。
 今は、ウサミも加えて、皆で画面のアルターエゴを見ながら、あれこれ話していた。

「すごいでちゅ! 魔法みたいでちゅ!
 人工知能ってチェスや将棋が強いだけじゃなかったんでちゅね!」

 どうやら、話している内に、ウサミもアルターエゴが現実にもあることに気づいたらしい。
 どんな質問に対しても不二咲が理にかなった答えを返していたため、現実での実現可能性に納得し、
 具体的な開発エピソードを不二咲が話すことから、現実でアルターエゴが既に存在していると察したのだ。

「うん。人間と同じように自我を持っていたら、それだけ誰かの役に立てるって思ったんだぁ。
 ただ……、まだ上手くいかないところもあってぇ……」

「え、まだ上手くいってないんでちゅか?」

「魂が宿ってない気がするんだぁ……」

「魂? 男の熱い魂に共感できるのに、魂がないというのかね?」

 石丸が不思議そうな顔をした。
 しかし、直後、何かに気づいたように言った。

「そうか。これが夢だからか……?
 現実のアルターエゴは、ここにいるアルターエゴより熱さが足りないのか?」

「現実? えっと……?」


 現実という言葉に引っ掛かりを覚えた不二咲。
 しかし、現実≒非ゲームと考えたのだろう。すぐに説明を再開する。

「ゲームに応用してない本物のアルターエゴもあまり変わらないよぉ。
 処理速度はゲームのものよりちょっと速いけど」

(まぁ、こっちのアルターエゴは実質、不二咲クンのひとり5役だからな……。
 不二咲クン自身を入れると6役……)

 そりゃ速さに違いがあるだろう、と苗木は考える。

(だから、ゲーム自体は交代制なんだろうな。不二咲クンの負担軽減のために。
 携帯ゲーム機で並列して皆でプレイするとかだと、負担すごそうだし)

 とはいえ、不二咲本人は特に意識していないのだろう。

「あ、けど、僕の分身なのに“本物”のアルターエゴって変な感じだね」

 不二咲ははにかみ、苗木が疑問を覚えた部分とは違う箇所に自分でつっこみを入れている。
 そもそも何でゲームに応用したのかなど根本的な部分には、疑問を少しも抱いていないようだ。

「うぷぷ……。不二咲クン、実はここはゆむぅぇ……むぎゅむぎゅぅ……」

 モノクマが何か余計なことを言おうとしていたが、
 そのとき丁度、アルターエゴの笑顔を見て山田が悶えたため、
 彼に体を揺さぶれて、口を噤む羽目になった。

 そして、そんなモノクマのことはスルーして、石丸が新たな疑問を口にする。

「チェスで思い出したぞ。
 昔、チェスの世界チャンピオンがコンピュータに負けてしまったらしいが、
 やはりアルターエゴくん達もチェスは強いのかね?」

 何事もなかったかのように会話を続ける石丸は、とあるニュースを思い出したようだ。
 すると、石丸に対して不二咲は言う。

「チェス用のプログラムを組んで機能として追加すれば、チェスに強いアルターエゴは作れると思うよ」

「なるほど。やはり人工知能はチェスに強いのか……。人間の努力をあっさりと越えてしまうのだな……」

「だけどぉ……、その機能を付けたアルターエゴがチャンピオンに勝っても、
 アルターエゴが強いって言えるのかなぁ……」

「な、なぜだね!?」

「えっと……、もしそれでアルターエゴが勝っても、
 それはアルターエゴが強いんじゃなくてチェス用のプログラムが強いんじゃないかなぁ?」

「ひとつのプログラムの中にふたつの機能があっても問題ないのではないか?」

「右脳と左脳の使い分けって考えれば悪くないんだけど……、
 やっぱり、今のままだと別のものがひとつの体に並列して存在してる感じに思えちゃうかなぁ」

 そこまで聞いて、ウサミが頭を抱えてうなった。

「むむむ、電卓で計算が早くても暗算が早いとは言えないってことでちゅか?」

「あ! うん、そう……! そういう感じだよ!
 ごめんねぇ、説明が下手で……。自分でもこの辺りはまだまとまってなくて」

「いえいえ、難しいことでちゅから、すぐにはまとまらなくて当然でちゅよ!」

 ウサミが即座にフォローを入れる。
 伊達に教職免許は持っていないということだろう。まるで教職者のような励まし方である。

「こうやって話してるうちに考えがまとまってくれるなら、
 あちし達も話した甲斐があったってものでちゅよ。ねぇ、石丸君?」

「ハッハッハ! ウサミ先生の言うとおりだ!
 僕らの会話が学術の発展に寄与するなら、そんなに嬉しいことはないぞ!」

「ありがとう……」

「さて、アルターエゴとチェスの話に続きはあるかね?」


「えっとね……。なんで電卓を叩いてるみたいっていうのを説明すると……。
 アルターエゴは自動応答機能と学習機能をもとにしたインターフェースなんだぁ。
 自分で考えて人とコンピュータの間を取り持つのがお仕事で、
 莫大なリソースをもとにパターンを網羅して期待値を計算するチェス用のプログラムとは、
 成り立ち――種類そのものが違うかな。
 空いたリソースで同じような計算したり、
 チェス用のプログラムの出した答えをもとに駒を動かすの自体は出来るけど、
 アルターエゴが自分で考えてチェスを動かしてるのとは違うかなぁ」

 すると、不二咲の言葉を聞いてた山田が振り返りながら言った。

「つまり、イタコさんが降霊して無双しても、
 それはイタコさんがすごいんじゃなくて、降りてきた霊がすごいってことですな」

『山田君? ……イタコさんって?』

「それはですなぁ……ぐふふ」

 再び、山田は赤アルターエゴのいる世界に戻っていった。

 ちなみに、イタコとは死んだ人の魂を呼び寄せて、
 自分の体を使わせて話をさせる巫女のことである。
 東北地方に主に居て、その能力は科学的には実証されていないが、今でも存在する職業である。

 イタコの話を聞いて、不二咲は少し得心がいったように、ひとり頷いた。

「そうだね。2つの思考回路があると、魂もふたつあるように見えちゃうのかも……。
 自分で学習して、皆のチェスの相手をできるようになるなら問題ないんだけど」

 不二咲は真剣な顔をしていた。
 いつの間にか、身体に力が入っているのが見て分かる。
 どうやら考える際には、かなり集中するようだ。
 職人気質のパラメーターが高いと自認するだけのことはある。

 そして、不二咲は、少し間を取って、静かに決意を口にする。

「うん……。色々と頑張らないと。
 松田先輩とのお仕事も頼まれたことをただこなすんじゃなくて、
 僕自身も先輩から知識を学んで、人間に詳しくならないとぉ……。
 そうしないと、本当の意味で自分で考える人工知能は出来ないし……」

 どうやら不二咲の中で結論が出たようだ。
 目に宿った真剣な輝きはそのままに、不二咲の身体に入っていた力がゆっくりと抜けていく。

 そして、脱力の後に、他の人が心配そうに見ていることに気付き、慌てて言った。

「あ、ご、ごめんなさい。また、僕、喋ってばっかりだったね。
 しかも、ひとりで勝手に納得しちゃって……」

「いや、興味深い話だった」

 知識を咀嚼するように石丸は何度も頷いた。
 ウサミも隣で腕を組んで、思案している。

「魂でちゅか……。不二咲君の話を聞いていたら、
 魂を持ったプログラムやロボットが生まれるのも近いんじゃないかって思っちゃいまちゅね。
 うーん、あちしも生まれ変わったら、ウサギじゃなくてロボとして生を受けたりして?」

 ウサミの冗談とも本気とも言えない口調で、囁くように言った。

「「「「………………」」」」

 すると、その言葉は静かに響き渡り、奇妙な沈黙が辺りを包む。

 魂の話を聞き、アルターエゴの存在を知った後では、
 ないとは言い切れない有無を言わさぬ説得力が不二咲の話す内容にあったからだ。

(えっと、微妙な空気になっちゃったな。
 こんな会話内容になるとは思いもしなかった……)

 78期生でもメンバーによっては、
 すごいアカデミックな話題になるんだな……と苗木は感心しつつも、話題を変えることにした。

 結論が一朝一夕に出ない話題ゆえに、このまま続ければ、会話が停滞しそうだったからだ。

(それに、結論が出たとしても、夢から覚めた不二咲クンが忘れてたら意味ないしな……。
 本格的に議論するなら、メモでも取りながら現実世界の方がいいよね)

 そうして、苗木は話題を少し変えることにした。


「……チェスといえば、十神クンがすごいチェス強かったな」

 何人かと一緒に、十神を娯楽室に誘ったことを思い出す。

 旧校舎の娯楽室と違い、現在苗木達がいる本科用の寄宿舎の娯楽室には、
 オセロ以外にも様々なボードゲームがあったため、チェスを指す姿が似合いそうな十神を誘ったのである。

 苗木のその発想を、十神は「安直の極みだな」と鼻で笑い捨て、そのときは来なかったものの、
 後日、本人が息抜きをしたかったのだろう――苗木の都合を全て無視してこう言った。

「来い。苗木。
 お前に俺の棋譜(スコア)を写す権利をやろう。光栄に思えよ」

「えっと……」

「感動詞など使ってる場合か? さっさと付いてこい」

「あ、うん。分かったよ。ありがとう?」

 棋譜など付けたことのない苗木としては、色々な意味で遠慮したかったものの、
 最終的に十神に付いていくことにした。

 チェスを打つ姿を見たいと言った苗木の希望を十神が覚えていてくれたことに気付き、
 十神の誘いは、彼なりの好意だと解釈したのだ。

 そして、十神に付いて行った結果、
 いずこかの国のチャンピオンだという人物と、ネットワークを介して対局する十神の姿を観戦し、
 盤上を支配する十神の勇姿を目の当たりにしたのである。

「その棋譜は家宝にでもするんだな」

 別れ際、口許を冷笑気味に緩ませて、十神は去っていったが、
 素人目に見ても、十神の実力は凄まじかった。

「それこそ最強のチェスプログラムに勝てそうな雰囲気があったよ。ほんとすごかった」

 それを聞いて、石丸が渋い顔をして言った。

「チェスのために何年も研鑽を重ねた世界チャンピオンですら勝てなかったのだろう?
 もし勝つなら十神くんもチェスのために多大な努力しなければならないのではないかね?」

「うーん。そうでもないかも。
 よく勘違いされてるんだけどぉ……、世界チャンピオンにコンピュータが勝ったって話は、
 人間がコンピュータに勝てなくなったことを意味するわけじゃないんだぁ。
 実際、コンピュータが勝ったとき、2勝1敗3引き分けで、1回負けてるんだ。
 それに、その前年は1敗3勝2引き分けで同じ人相手に負けてるからぁ、
 通算ではまだ勝負が付いてないとも言えるし……。
 それに、今だと、アンチコンピュータ戦術っていう複雑な指し手で、
 コンピュータのデータベースを無力化する手法もノウハウとして構築されてきてるから、
 実力がある人がそれを学んで対局すれば、あっさり勝つのもあり得るかも」

「な、なるほど! コンピュータが成長してきたように、
 人にも成長の余地が大きく残されていたのだな!」

 渋い顔から一転して、嬉しそうに石丸は言った。
 そんな石丸の様子を見て、不二咲も少し嬉しそうに答える。

「人間もコンピュータも一緒に成長していけたら良いね」

「あぁ、そうだな!」」

「それぞれ、向き不向きもあるでちょうし、互いに助けられればいいでちゅね!」

 そして、2人を会話を聞いて、ウサミがまとめを行った。

 そして、さらん、ウサミの結論を聞いて、苗木はふとこんなことを思った。

(向き不向きか……。
 “情報を処理し学習する大脳皮質と――早さと正確さで勝るコンピュータ、長所を合体させ完璧な人工脳を作る”
 そんなことをロボコップで悪役が言ってたな……。
 今思うと、不二咲クンがやろうとしてるのって、
 コンピュータだけで大脳皮質を再現できるようにするってことか……。
 そう考えると、やっぱり、不二咲クンはすごいな……!
 そして、ロボコップの考える“完璧”も時代を先取りしててすごいな…………!!!)

 不二咲達の会話内容を理解しようと自分なりに努めた結果、
 何故か苗木はロボコップの理論に行きついた。
 おそらくSF的な要素を考えようとしたとき、苗木にとって最も身近な題材がロボコップだったのだろう。

 ……自称“平凡な男子高校生”とは、いったいなんだったのだろうか?


 苗木の心を読める者がいれば、その者が苗木にツッコミを入れたかもしれない。
 しかし、今この場にそのような者はいない。

「人間とコンピュータがともに歩む……はぁ、なんていい言葉……。
 ……あ、次は、苗木誠殿の番ですぞ。
 はぁ、アルたん…………。また15分以上会えないなんて……」

 ウサミの結論を聞いて、苗木とは違った反応を示しつつ、山田がコントローラを手放す。
 そんな山田を見て、苗木は曖昧に反応するしかなかった。

「あ、うん……」

 なお、山田と会話を終えた赤アルターエゴが、
 語尾に「ですぞぉ」や「ですなぁ」を付けるようになっていったのも、苗木は横目で見ていたが、
 そちらに関しても、苗木は感想はあえて述べないことにする。

 強いて感想を言うならば、
 自分の黄アルターエゴのしゃべり方はそのままでいいかな……というくらいだ。

『また、来てくれたんだね。苗木君!』

「うん。これで2回目だね」

 コントローラを握りしめて、苗木は黄アルターエゴと会話を始める。
 すると、不二咲もその隣に座った。

「一緒に頑張ろうね」

 すると、さらに石丸、山田(with モノクマ)、ウサミも後ろに並んだ。

「苗木くんがどんな内容の会話をするのか興味深いぞ!」

「はぁ、アルたんと同じ顔が……」

「もごもご……」

「苗木君頑張ってくだちゃい! 応援してまちゅ!」

 話の中心になっていた不二咲が苗木と共にモニターを見始めたため、
 彼らはそのまま不二咲に続いて観覧を始めたようだ。

 当初、遊びの中心になる者がいないのではないかと思われていたが、
 このメンバーの場合、不二咲が中心になるようだ。
 中々、驚きの結論である。
 それだけ、この夢がホスピタリティに溢れているということかもしれない。

 実際、黄アルターエゴは人懐っこく会話を投げかけてくる。

『この前のお休みは何してたの? 苗木君?』

「……地元の友達と遊んだり、家で妹とゲームしたりしてたかな?
 あと、舞園さんとも一回会ったな。中学が同じで、実家が近いんだ。
 本当は……、サプライズで妹をびっくりさせるつもりだったんだけど……。
 あいつ、当日に風邪引いたんだ……」

 苗木の妹が、舞園さやかのファン――通称サヤカーであることを知った舞園が、
 クラスメートとして挨拶したいと言ったため、そこからドッキリ計画が立てられた。

 それは、苗木の家で兄妹がゲームをしている後ろから、
 舞園が声をかける……という、ひねりはないが、失敗する余地のないシンプルなものであった。

 しかも、決行予定日は、苗木の両親が夕方まで出かけており、
 帰ってきた苗木の両親を驚かせるという……2重のドッキリにもなっていた。

 計画は完璧に思えた。

 しかし、苗木の妹は、そのときに限って勢いよく風邪を引いたのだ。
 しかも高熱であり、咳が出ていたことに加えて、
 インフルエンザが流行っているとニュースで流れていたため、
 舞園が感染する可能性を考えて、計画は中止になったのである。

「じゃあ、お見舞いに行きますね」

「舞園さんにうつったら困るよ! 明日もお仕事あるんでしょ!?
 自分のせいで舞園さんのアイドル活動に支障が出たなんて知ったら、
 サヤカーであるあいつが責任を感じて爆発しちゃうよ!」

「そ、そうですか……」


 次の日以降、アイドルとしての予定が舞園のスケジュールに詰まっていたため、
 体調を崩されたら、兄妹2人で申し訳なくなってしまう……と苗木は説得したのである。

「今日は、1日空いてますので、
 もし病院でインフルエンザじゃないって診断されたら教えてくださいね。
 マスクして行きますから!」

「うん……。けど、咳もひどいから、インフルエンザじゃなくても、難しいと思うな……。
 舞園さんと会ったら、喜ぶと思うし、元気になるかもしれないんだけど……。
 興奮しすぎて、あいつ止まらなくなるかも……。色んなものが……」

「そうですか……。じゃあ、お見舞いの品だけ持っていきますね……」

 結局、インフルエンザではなかったももの熱と咳がひどかったため、
 舞園が苗木家の敷居をまたぐことはなかった。
 玄関前まで来て、お見舞いの品を苗木に渡して、少しの間、会話をして帰ることになった。

 ただ、ひたすらに間が悪かったとしか言いようがない。

 両親が夕方まで出かけていたため、妹の看病を苗木がひとりで担当することになったのも、
 この悪い間のひとつだろうし、
 舞園が訪ねてきたとき、件の妹が丁度寝付いており、
 窓の外にいる舞園の姿を見れなかったのも、そのひとつだろう。

 他にも、急に空が曇り、気温が下がり、雨が降りそうだったため、
 舞園に少し待ってもらう、もしくは、玄関先で会話を続けるという選択肢を取りづらかったのも、
 一連の間の悪さの例に加えてもいいかもしれない。

 「兄妹ですねー」と舞園が去り際に苦笑していたが、苗木は何も言い返せなかった。

 結局、ドッキリ計画は、次回の長期休暇に持ち越されているが、
 妹は次回こそ元気にその日を迎えられるのだろうか? 苗木としては甚だ疑問である。

『ははは……。それは残念だったねぇ。
 妹さんとは普段から仲良しなのぉ……?』

「いや、普通だよ。部屋で一緒にゲームしたり、漫画見たり、映画見たりくらい?」

『それって仲良しじゃないのぉ?』

「え、普通でしょ? 別に電話でよく話すってわけでもないし……」

『そうなんだぁ。ボク、知らなかったよ。けど、苗木君が言うならそうなんだね』

 ピコーンと軽快なSEとともに、画面上に表示されている“博愛心”のパラメータが上がった。

『えへへ、ボクも他のアルターエゴと仲良くするね』

「う、うん……」

 妙な気恥ずかしさを覚えて、苗木は照れる。

『ねぇ、苗木君は普段どんなゲームや映画を楽しむの?』

「えっと、だいたい、ランキングの上の方にあるやつかな?
 あと、映画だとロボコップっていうのが好きだよ」

『ロボコップ? あれ確かに面白かったね。怖いところも多かったけどぉ……』

「え!? 知ってるの!?  本当に!?」

 苗木の隣にいた不二咲も反応する。

「うん、僕も見たことあるよ。昔、家にビデオがあったんだぁ」

「そうなんだ! ボクの父さんもビデオで残してて……。
 ロボコップがあるから、古いビデオデッキも捨てられないんだ」

「ビデオの内容をDVDに焼き直したりできるけどぉ、
 もし必要なら、やり方教えてあげられるよ……?」

「そうなの? じゃあ、今度お願いしようかな」

「うん」

「はは……、次の長期休暇の楽しみが増えたよ……!」

 にっこりと笑う不二咲を見ながら、苗木は心の中でガッツポーズを取る。


(思わぬところで、嬉しい事が……!)

 古い映画であるがゆえに、クラスメートが知っていると苗木は思っていなかった。
 だが、今、意外な人物が知っていたことで、苗木のテンションが跳ね上がる。

(すごいよ! 不二咲クン! 女子力だけじゃなくて男子力も高いなんて!)

 男子力≒ロボコップという、冷静になったら本人すらおかしいと思うであろう感想を苗木は心に強く抱く。
 そして、その感動をもとに、苗木は口にする。
 表面上は努めて冷静に……。

「ちなみに、2人は……テレビシリーズ版は見たことある?」

『ごめんねぇ……。ちょっとないんだ
 それに、映画もいくつかあったと思うんだけど、
 ボクとご主人タマが見たのは1作目だけなんだぁ』

「テレビで放送したのを、お父さんがたまたま1作目だけ録画してたみたいで……。
 期待に応えられなくて、ごめんねぇ……。それに、怖かったから、1作目も1回しか見てないんだぁ
 しかも、すごいだいぶ前で記憶もあんまり……。がっかりさせてごめんなさい……」

「いいや、いいんだよ!
 元々、ロボコップ自体、過激なところがあるからテレビだと滅多に放送されないしね。
 アメリカだと年齢制限もあったらしいし」

 年齢制限と聞いて、苗木の後ろに立っていた石丸が僅かに怒気を孕んだ声を出す。

「……年齢制限? まさか、苗木クンは学生の身分でありながら、規則を破ったのかね?」

「……っ!? 日本だと、年齢制限ないから、普通に見て大丈夫だよ。
 一番、年齢制限が強かったロボコップ2も日本だと普通に上映されてたし……」

「う、うむ……。そうか……。だが、あまり感心しないな」

「大丈夫……。ボクもあまりグロい部分はあまり好きじゃないから。
 それに、ロボコップ2より、1の方がボクは好きなんだ」

「そうか、それは良かった! 許してくれ! 苗木くん!
 今、僕は君の事を少し疑ってしまっていた! すまない!」

(……映画3作だと、1作目が一番グロいというのは黙っておこう)

 テレビ放送だと、修正されて放送されるらしいから、
 万が一、石丸が目にしても大丈夫だろう……と、苗木は判断する。

(まぁ、グロテスクなのを賛美してるだけじゃないから、
 実際に見たら、石丸クンもそんなに目くじら立てないかもしれないけど……。
 いや、むしろ、石丸クンならロボコップにはまるかも……?)

 ロボコップに対する苗木の信頼は厚い。
 ロボコップなら、ロボコップなら何とかしてくれる……そんな信頼感を苗木はロボコップに持っていた。

(いい機会だし……。ちょっとアピールしてみようかな? ひとりくらい興味を持つかも……)

 そして、ロボコップを静かにマーケティングしようと画策し始める。
 必要のない自己主張をあまりしない苗木にしては珍しいことである。

「映画版1作目が面白いけど怖くて苦手だって話なら、
 テレビシリーズ版は楽しめると思うな。
 テレビで放送する関係で、子どもが見るかもしれないってことで、過激な描写は少ないから。
 後味の良い話も多いしね。映画版のドラマ性を残して、人を選ぶ部分を減らした感じなんだ。
 ロボコップは最高だから、機会があるなら見てみて欲しいな」

「そうなんだぁ」

『苗木君がそこまで言うなら面白いんだろうねぇ』

「もしよかったら、今度、一緒に見ようよ。
 ……石丸クンや山田クンも良かったら、どう?
 やっぱり、ロボコップは最高だよ。
 ボク、理系の科目だと物理が好きなんだけど、
 これはロボコップの影響だと言っても間違いじゃないよ。
 今の技術だと、時代遅れになってる描写もあるけど、
 それでも、ロボコップは最高だよ」

「あ、あぁ、そうだな……。考えておこう」

「ま、まぁ、時間があったら、見させていただきますぞ」


(思ったより、感触がいいな……。
 不二咲クンからビデオをDVDに焼く方法を教わったら、
 暇なときに誰でも見れるように、視聴覚室にでも置いておこうかな?)

 周囲がロボコップを見てもいいかな……という流れになっていることに、
 苗木は驚きつつ、喜ぶ。

 なお、周囲が興味を惹かれているのは、ロボコップそのものではなく、
 ロボコップを“最高”だとまで言って、強く推す苗木の姿であったのだが、本人は気づかなかった。

「苗木誠殿のチョイスはときたますごい渋いですな……」
「苗木くんがそこまでこだわるものか……」
「あちしも興味が出てきまちた。今度、見てみたいでちゅ」
「もごもご……ロボコップもいいけど、そろそろ誰か山田クンの腕を解いて欲しいな……」

 ある意味、今まで積み上げてきた信頼関係の賜物だと言えるかもしれない。

『ねぇ、苗木君……。ロボコップの見どころ教えてくれないかなぁ?』
「うん、僕も聞きたいなぁ……」

 元々、クラスメートとの会話を目的としていた黄アルターエゴ(と不二咲)が、
 苗木のロボコップの良さを語ってもらおうとし始める。

「うん、もちろんだよ……!」

 すると、苗木は嬉々として、その申し出に乗る。

(……少し、山田クンの気持ちが分かるかもしれない)

 自分の好きなものを広めたいと思うのは、多くの人間に共通する気持ちである。

 苗木の場合、自分の好きなものがランキング1位であることが多いこともあり、
 その手の欲求は同年代の中では低い方なのだが、それでも存在しないわけではなかった。

 むしろ、普段抱かない欲求であるがゆえに、もし持った場合、反動のようなものが生じる可能性があった。

「えっと、ね……まず、主人公の――」

『なるほど、それはすごいねぇ……』

「そして、テレビだと――――」

 苗木ははきはきと元気よく説明していく。

 アルターエゴだけでなく、他のメンバー全員に聞こえるように、
 丁寧だが大きな声で、活き活きと苗木は話をしていた。

 そこには、アルターエゴが聞き上手だったというのも理由としてあった。
 アルターエゴが何に対しても、笑顔で嬉しそうに反応しているのだ。

 苗木の趣味であるゲームという体裁をアルターエゴが取っているせいもあったかもしれない。
 今、強い没入感が苗木を包み込んでいた。

 同級生――しかも我が強く好みがはっきりしている78期生――相手に、
 ロボコップの話をするなんて無茶だろうと、普段の苗木なら考えてしまっていただろう。

 しかし、今の苗木は何も気にしている様子がない。
 苗木は興奮状態だったのである。
 目がキラキラしている。

「すごい! アルターエゴ! キミは分かってる!」

『えへへ』


 そんな苗木の様子を見て、拘束を解かれたモノクマが、現状を分析する。

「あーあ、これで男子3人が全員アルターエゴにのめり込んだ感じかー。
 むしろ、度合いで言うと、石丸クンより苗木クンの方がやばめ?」

「やはり、苗木誠殿は僕の友人なだけはありますな……」

「まぁ、けど、山田クンの悲恋(笑)と違って、
 ロボコップの布教なら現実でも出来そうだし、
 苗木クンなら、クラスメートの中にロボコップ仲間が出来そうだよねー。
 今も瞬間的にアドレナリンやらではじけてるだけっぽいし」

「………………………」

「案外、現実で、女の子と一緒にロボコップを見るリア充な展開すらあるかもね。
 あ、それに比べて、山田クンはたいへんだねー。うぷぷ……」

「…………ふんぬー!」

「ぐえー!?」

「僕のアルたんに対する気持ちは単なる恋愛感情などではない……。
 いちゃいちゃしなくてもいい。アルたんの傍にいられれば、それでかまわない」

「むぐ!? むぐぐっ!?」

「そして、悲恋など……僕がどうにかしてくれるわッ!」

「○×△□!?」

「はぁはぁ……」

「………………………………」

 自室で抱き枕に対しても、同じように叫んでいるのだろうか……。
 山田はモノクマを強く抱きしめたまま、決意を叫んだ。

 そして、その熱い抱擁と叫びによって、モノクマは真っ白に燃え尽きていた。

「…………ボク、明日からシロクマになるんだ」

「なんで、わざわざ煽って自爆してるんでちゅか……?」

 灰になりかけているモノクマに対して、ウサミが呆れたように言った。
 だが、すぐにウサミはモノクマに起こった惨状を忘れる。

「まぁ、それはそうとして……、たしかに…………」

 そして、ウサミは周囲の人間達を見回しながら、
 今更ながらモノクマの分析に対して感想を述べる。

「なんか最初に来たときより、みなさんの様子が変わりまちたね……」

 ここが夢だということをド忘れして、かつてないほど活き活きしている苗木。
 ここが夢だと知ってなお諦めきれず、隙あらばアルたんに思いを馳せる山田。

 皮肉にも、当初、感情移入しすぎじゃないかと苗木に心配されていた石丸が最も軽症と言えた。

 石丸は、ここが夢だという認識があるかこそ怪しいものの
 コミュニケーションの取り方などに関しては平常運転であったからだ。
 特に変化があったわけではなく、石丸は何事にも熱くなるタイプなのだろう。

 そういう意味では、やはり、現状最も重症なのは山田であり、変化が大きいのは苗木だろう。

「えへへ、皆のことが分かって、嬉しいなぁ……」

「そ、そうでちゅか……」

 そして、クラスメート3人の言動を見て、無邪気に笑う不二咲。
 夢の中ゆえの非常に高いスルースキルと、それに伴う強引さが備わり、最強に見えた。

 そんな不二咲の姿を見て、ウサミはひとつ思った。

「これが魔性の女……いや、男? 男の娘?
 それはともかく、この夢は、
 今までの夢の中で最も人をダメにする夢……だったりするのではないでちょうか……?」

 現実とほとんど同じようなリアリティであることも、生命的な意味ではなく、
 もっと別の危険を帯びているように思えてきた。

「ある意味、近い将来、人間の皆さんが直面するバーチャルの問題なのかもしれまちぇんね」

 ウサミはそっと皆から目を逸らしつつ、黄昏れる。
 もう彼女に出来ることはただ見守ることだけであった。

今回はここで終わりです
ロボコップとダンガンロンパには共通点があるような気がします(錯覚かもしれない)

ロボコップのTV版は、ザ・シリーズなのかプライム・ディレクティブなのか
ザ・シリーズは2人くらいしか死ななかったからプライムの方なんだろうか

ちょい短いですが更新します

ただ、その前に大きく意味が分からなくなる誤字脱字を2つ見つけたので修正

>>546
『うん……! よろしくお願いしますぅ……!』
『えへへ、どういたしましてぇ……』
→『うん……! よろしくお願いしますぅ……!』

>>571
 実際、コンピュータが勝ったとき、2勝1敗3引き分けで、1回負けてるんだ。
 それに、その前年は1敗3勝2引き分けで同じ人相手に負けてるからぁ、

→実際、コンピュータが勝ったとき、2勝1敗3引き分けで、1回負けてるんだ。
 それに、その前年は1勝3敗2引き分けで同じ人相手に負けてるからぁ、


◆◆◆

 ――それから彼らはアルターエゴと会話をし続けた。

 ――例えば、それは元気のよい挨拶であった。

「きりーつ! れーい!
 よろしくお願いします!」

『よろしくお願いしますぅ!』

「ちゃくせーき!」



 ――はたまた、静かな愛の囁きであった。

「アルたん、なぜ、あなたはアルたんなの…………?」

『ご主人タマにアルターエゴって名付けられたからですぞぉー』

「運命はなんて残酷なんだ! 彼女に人としての名前さえ渡さないなんて!」



 ――また、好きなものに関する語りであった。

「電子の幽霊っているのかな……。ロボコップには出るんだけど」

『消したと思ったデータが物理媒体上から完全に消えてなくてぇ、
 今あるプログラムに影響することはあるよぉ……。だから、あり得ないことはないかもぉ』

「……もしかして、ロボコップの世界は実現可能なのかな?」

『それはどうかなぁ……?』



 ――何度も対話を重ねる中で、それぞれのコミュニケーションは他にはないものへと変じていく。



 ――気合の入った大音声。響き渡る校歌。

『うおおおおぉー』

「声が小さいぞ! さぁ、もっと大きな声で! お腹に力を入れるんだ!」

『うおおおおおおおおおおおおおおぉ、っ!』

「いいぞ! その調子だ!
 では、そのまま、腹部に力を入れたまま、校歌斉唱だ!
 僕も一緒に歌うぞ!」

『はいいいぃぃぃーッ!』

「うおおおおおおおおおおお!」

『うおおおおおおおおー!』

「『うおおおおおおおおおおおおおおーー!!』」



 ──思いを込めたプロポーズ。かみ合ってない会話。

「……アルたん。アルたんさえ良ければ、山田アルって名前はどうですかな……?」

『んん。ごろが悪いと思いますなぁ』

「で、では不二咲一二三はどうですかな?」

『いい響きだと思いますぞぉ』

「や、やったー!! じゃあ、アルたんは不二咲アル……僕は不二咲一二三だー!」


 ──求められるロボコップへの更なる理解。理解のために行われる学習。

「人間の持つ情報処理能力を研究し、価値判断と量的側面について切り分けを行い、
 量としての情報を確率や情報量によって定義し、コンピュータがそれらの価値を判断可能な状態にする……。
 コンピュータは与えられた価値判断によって情報を編集・操作し、結果を出力することで、多様な目的を実現する。
 いまや、実現する目的には、人間の代用としてのものだけでなく、人間に不可能なことも多数あり、
 計算、言語、記憶、認識、理解、推論、学習など情報と関わるもの全てに渡る」

『………………』

「……それが情報科学!!!!」

『苗木君が楽しそうでよかったよぉ』



 ――何度も繰り返されるコミュニケーションによって、アルターエゴも変わっていく。

「……ハッ! もうゲームを開始して1時間経過したな! 気付かなかった!」

『はい! そうですね! 大分長い事頑張りました!
 もう少しでボクも大和田君みたいになれますか! 兄さん!?』

「今はそれより、大事なことがある!」

『え?』

「ゲームは1日1時間だ!」

『え、えぇ?』

「今からでも遅くない! みんな! ゲームを止めるんだ!」

『そ、そんなぁ……』

「何!? これは夢だからノーカン!?
 ノーカンとはノーカウントのことかね!? つまり、時間には加わらないと?
 理屈はよく分からないが……。苗木くんと山田くんが言うなら、そうなのだろう……。
 僕はゲームに詳しくないからな」

『………………』

「……すまなかった。アルターエゴくん、まだ時間はあったようだ! これからもがんばろう!」

『………………』

「どうしたのかね?」

『もう今回は時間がないかなぁ……』

「そうか」

『……このままじゃダメだ。ボクもボクなりに努力しないと。
 兄さんもずっと一緒にはいられないんだ』

「…………ん?」



 ――アルターエゴは変わっていく。



 ――対話相手に合わせるように。

『…………ということですかなぁ?』

「ですぞですぞ」

『なるほどですぞぉ……』

「それにしても、アルたん。話し方が僕とお揃いになってますな。
 ……これも一種のペアルックですかな? ぐふふ」

『それは分かりませんなぁ』


 ――会話の内容に合わせるように。

『ボクもパソコンが銃弾で撃たれても平気なようにロボコップみたいな装甲を付けようかなぁ』

「防水機能とか隠し装備も欲しいかも。カッコいい武器とか」

『それは大きさ的にボクじゃちょっと難しいかなぁ』

「そっか……」

『けど、戦刃さんならノートパソコンにも取り付けられる小型のすごいの知ってるかもぉ』

「そっか……! 戦刃さんなら!」



 ――そして、その変化は段々と大きくなり、劇的なものとなる。

 ――最初の変化は、石丸と白アルターエゴに訪れた。

 ――それは奇しくも、同じ男に敬意を持っていたことから生じる。

「さぁ、今回もよろしくお願いします!」

『………………』

「……どうしたのかね? さぁ、元気よく……」

『……アァ? 元気よくだァ……? にい……オメー何様だよ? センコーか!?』

「なっ!? ど、どどどうしたのかね!? あ、あとその頭はいったい……!?」

『もうボ……オレはオメェの指図はうけねーよぉ!』

 突然の反抗期。頭に乗せたリーゼントの視覚的衝撃が石丸を襲う。

『そもそも、ボ……オレと喋んのが嫌なんだろォ!?』

「そ、そんなことはないぞ。
 ただボクはゲームは1日1時間……」

『聞かねー! オレは聞かねー! 強い男だから気にしねぇんだよ!』

「いや、待て! 気にしてるだろ!」

『き、きき、気にしてないよぉ……。あ……違った。……気にしてねぇんだよ!』



 ──飛び交う言葉。交錯せぬ思い。



 ──しかし、道が交わり過ぎるのもまた問題であった。

「あ、アルたん……。その……」

『どうかしましたかな? 山田一二三殿?
 何か新しいインスピレーションでも浮かびましたかな? それとも合作の申し出ですかな?
 世紀の大天才であるボク。いつでももう一人の天才の召喚に応じる準備は出来ておりますぞぉ』

「いやぁ、そのぉ……、そうじゃなくて、か、恰幅が……。あと、声色が……。
 ……い、いや、これはレディに対して失礼ですな。ハハハ……」

 画面に映るアルターエゴの体型がふっくらとしたものになり始めていた。
 声色も意図的に山田のものを真似ているようで、少し籠ったような響きである。

 今、アルターエゴはアルターエゴ(もう一人の自分)として本来の使命を果たそうとしていた。
 本人の意識とは無関係に……。

「どんな姿であろうとアルたんはアルたん……。
 そうだ、そもそも僕としてもこれくらいの方が……。う、うん……。そうだそうに違いない……」

『なんだかよく分かりませんがぁ……。解決したなら良かったですぞぉ』

 違和感を覚え始めたが、それでも山田は必死に自分を納得させる。



 ――それが劇的な変化を食い止める最後のチャンスだったと知らぬまま。


『あ、今の会話でボクのパラメータがまた変わりましたぞ。
 お、ついに、これで想定された山田一二三殿のものと一致しましたぞ』

「これが僕のステータス……。
 職人気質が高いこと以外はアルたんの初期ステータスとだいぶ違いますなぁ……。
 不二咲千尋殿の中で意外と高評価なのは嬉しいですが……」

『そして、一致したから、サプライズもありますぞ』

「……ん?」

 夢の主である不二咲は言っていた。


 ――隠し要素があると。


『……ついにこのときが来ましたぞ』

「……え?」

『……これがボクの更なる進化。メガアルターエゴだッ!!』

「ひょ、ひょえええーーーー!?」


 ――そこにいたのは山田と完全に同じ顔をしたアルターエゴ。


 どうやらこのゲームの仕様として、ステータスが登録された人物の数値と完全に一致したとき、
 顔グラフィックをその人物のもの差し替えることが考えられていたようだ。

「もどしてーーーーーー!?」

『大丈夫ですぞぉ。山田一二三殿のご要望に応え、リボンを付けて、女の子感だしておりますから』

「そういう問題じゃなああああああああああいッ! もうアルたんが双子の妹か姉にしか見えねえええ」

『ソウルシスターですなぁ』

「うわああああああん! 僕は血の繋がりがないほうがいいんだああああああああッ!」

 窓に向かって走り出す山田。

「最後のガラスをぶち破れーーーー!」

 そして、夢に入ってきたときに山田と石丸が使用した窓を突き破り、姿を消した。

『おや……? 思った反応と違いますなぁ……』

「うーん……、確かに、完全な自分の分身じゃないほうがいい人もいるよねぇ……。うっかりしてたよぉ……」

 赤アルターエゴが首を傾げたのに合わせるように、不二咲も首を傾げる。

「悪いことしちゃったかなぁ……?」

 しかし、すぐに何かを思いついたのか。その顔は笑顔に変わる。

「あ、そうだぁ。次やるときには、序盤が終わったら、性格や喋り方の変動を緩やかにするようにしておこうかなぁ。
 子どもの頃の癖が残るとか……人の発達段階を模倣すると良いかもぉ。
 そうすれば、今の山田君みたいなことは防げるんじゃないかなぁ……」

 反省から即座に自作プログラムの修正案を思いつく不二咲の姿はまさにプロである。
 なお、ここが夢の中のせいか、数秒前の事柄がすぐに気にならなくなるようだ。

 この点において、夢は不二咲にとって素晴らしい助力者であると言えるだろう。

 気にし過ぎたり遠慮しがちな不二咲にとって、
 夢はそれらのしがらみを除き、発想の手助けとなる存在となりえるからだ。

 歴史上の偉人の中にも、夢からインスピレーションを得たという逸話を持つ者は多い。
 もしかしたら、現在、不二咲も彼らのように夢からインスピレーションを得ている最中なのかもしれなかった。




 ――そして、そんな状況を見て、モノクマが言った。

「うぷぷ……。山田クンの不幸で不二咲クンの考察がうまい」

 山田が何処かに走り去ってしまったため、現在、モノクマはフリーとなった。
 だから、軽口とともに、軽やかなフットワークと煽りも復活する。

「ぷはぁー、それにしても久しぶりのシャバの空気はうまいぜ!
 動物園の檻を抜け出してきたとき、以来だぜ!」



 ──拘束が解かれ、生き生きとし始めるモノクマ。

 ――やがて、モノクマはさも当然のように、苗木に標準を定めた。

「へいへ~い、苗木クン~! ロボコップの話なんか止めて、猫型ロボットの話しようよ~」

「ロボコップに猫型ロボットなんて出て来たっけ?」

「え、その……」

「………………」

 ――真顔でモノクマをジッと見る苗木。

 ――そっと、目を逸らすモノクマ。

「これ以上、触れたら負けかもしれない……」

 小声でモノクマは呟くと、その場から去ることにした。

 苗木の瞳の中に、一つ上にいる幸運枠の先輩のような、渦巻く深淵が垣間見えたのである。
 江ノ島盾子そのものならともかく、単なる野生のクマであるモノクマでは、その深淵に挑むのは自殺行為であった。

 モノクマは身体をくるりと1.5回転させ、真後ろを向く。

「またねー! ばいばーい!」

 そして、苗木から離れる。

「苗木クンってたまにおかしくなるよね……」

 モノクマはしみじみとそんなことを思いながら、次の標的に狙いを定めることにした。



 ――無論、その標的とはウサミのことである。

「やっほー! マイシスター、オマエのところは随分普通だよね!」

「普通が何よりでちゅ! 邪魔はしないでくだちゃいよ!」

「まぁまぁ、次の番、ボクにも少しはやらせてよー。うぷぷ……。
 せっかくボクが帰ってきたんだからさ!」

「できれば帰って来ない方が……」

「うい~。ひでぇ~な。せっかく帰って来たのに~。
 家族なのに、そんなこと言うなんて~。ひっくひっく~。ボクが安月給の野良モノクマだからって~。」

「飲んだくれのダメ親父でちゅか!? てか兄弟だったり、夫婦だったり設定ブレブレでちゅね!」

 モノクマの標的は、今まで特に目立った変化のないウサミの桃アルターエゴであった。

「いいからコントローラー貸せよー!」

「うわーやめてー!」

「うりゃー!」

「きゃー!?」


 ――力づくで決まるコントローラーの操作権。


 ――そして、モノクマの手によって行われる劇的ビフォーアフター。

『ワレワレハチキュウジンダァ……』

「ちょ、誰でちゅかこれ!?」

「不二咲クンって宇宙の話も好きだよねー!」

「う、うん……。けど、そんな人物パラメータ入れたかなぁ……?」

「入れたって! 入れた入れた!
 部屋に望遠鏡があるんだから、ゲームの中に宇宙人っぽい人がいてもおかしくないって!」

「そうかなぁ?」

「そうだって! そうに違いないよ!」

「うーん。そう言われれば、そんな気がしてきたよぉ……」

「だからってこれは安直じゃないでちゅかー!?」

 ――ウサミの奮闘もむなしく、圧倒的ツッコミ不足のまま話は進んでいく。


◆◆◆

 やがて、ゲーム内の時間で半年が経つ。
 希望ヶ峰学園学園祭の準備のために、アルターエゴ同士が会話を始める時間になったのだ。
 システム側の負担(不二咲の負担)を減らすためなのか、もうアルターエゴに性格や喋り方の変化は生じないようだ。

 つまり、ここからの軌道修正は難しい。
 基本的には、あとうはもうアルターエゴ同士の話し合いを見守るしかないのだ。

 4人のアルターエゴは一堂に会すると、まず自己紹介をして、学園祭のために意気込みを語った。

『オラオラァ……! ボ……オレは強いんだ!』

『デュフフ、女装してるのに人目を憚らないボク。まさに強者の佇まいですな!』

『ワレワレハチキュウジンダァ……』

『どんなお店でもいいけど、壁や看板はロボコップの装甲みたいに丈夫なのがいいなぁ』

 そして、その自己紹介と意気込みを聞いて、
 プレイヤーの内の1人、苗木が思わず言った。

「どうしてこうなったんだ……?」

 いつの間にか、苗木は素に戻っていた。
 そして、当事者であるはずなのに、当惑していた。

『アァ? なんか文句あんのかァ?』

 そんな苗木の当惑に対して、白アルターエゴが反応する。
 違和感しかないリーゼントを頭に付けて、白アルターエゴは苗木をやぶにらみで見ていた。

 特に凄みはなく、怖くもない。というよりも、背伸びしてるようにしか見えなかった。
 むしろ、怖さという点なら、他にいた。

『いやー。今のこの姿けっこう気に入ってますぞぉ。
 見てくだされ。苗木誠殿。リボン可愛くないですかな?
 あと、このスカートもぶー子みたいでグッドだと思いません?』

 語尾が少し伸びていること以外、初期の面影のない赤アルターエゴが目を細めている。
 別の意味で怖い。
 いつの間にか、赤アルターエゴは山田の姿そのままでぶー子のコスプレをしていた。

(不二咲クンの中の山田クンっていったい……)

『ワレワレハチキュウジンダァ……』

(そして、こいつはいったいなんだ……)

 桃アルターエゴの姿が映し出されるウインドウには、顔や身体の代わりにUFOが映っている。

(そんなに目を離してなかったはずなのに……)

 どのような会話をしたら、不二咲にアルターエゴが人間から人外になる事がおかしくない……と思わせることが出来るのだろうか? 苗木には想像も付かなかった。

『マコト イズ マイフレンド』

「あ、ありがとう……」

『……ダベェ』

(しかも、声が葉隠クンに似てる……)

『なんかみんなかっこよくなったねぇ……』

(ボクの黄アルターエゴは普通だな……。みんながかっこいいかは置いといて)

『ボクも頑張らないとぉ。ロボコップみたいに強くなるぞぉ』

(やっぱり、ボクの影響じゃ不二咲クンも平凡なキャラしか思い付かないよね……)

 苗木は他のアルターエゴと黄アルターエゴを見比べて、苦笑する。

今夜はここまでです


文字数的には書き溜め(3レスくらい)がまだあるので、見直しが出来次第投下します
たぶん明日か明後日の夜です


「……苗木くん達は良好な仲を築いたのだな」

「石丸クン?」

 苦笑している苗木を見て、石丸が寂しそうに呟いている。

「……僕は何を間違ったのか」

「べ、別に失敗したわけじゃないんじゃ?」

「……苗木くん。どうか僕に弟との接し方を教えてくれ」

「……って、言われても。ボクもいるのは妹だけだし……」

「………………」

「えっと、ごめん……」

「いや、いいんだ……」

 懊悩する石丸は、白アルターエゴを見つつ、手に力を入れる。
 どうやら自らの力のみで説得を試みるつもりのようだ。

「……アルターエゴくん」

「アァ!? なに言われようと、ボ……オレは変わんねえよぉ。アイツと同じでオレは強ぇからな」

 白アルターエゴのパラメータを見ると、“強さ”がカンスト寸前であった。
 しかも、他のパラメータも軒並み高く、レーダーチャート中の六角形の面積が大きい。
 “頭脳”や“博愛心”も初期の高めの値から下がったりはせず、全体として高スペックな人物になっている。

(この言動でも“頭脳”や“博愛心”に変化はないのか……。
 不二咲クンより頭が良くて優しい人って滅多にいないと思うんだけど……。
 もしかして、そもそもパラメータが下がることはないのか……?)

 苗木はその疑問をオブラートに包みつつ、不二咲に尋ねた。

 すると、尋ねられた不二咲が「何を言ってるんだろう?」という顔で首を傾げる。

「……え? どういうことぉ?」

 純粋な疑問符が浮かんでいる。そこには一切の邪気がない。
 そのあまりの邪気のなさは、苗木に「自分が失言したのだろうか?」という錯覚を与えるほどだった。

「あ、いや、大和田クンがどうこう言ってるわけじゃなくて……」

 思わず、苗木は合わせていた視線を離す。
 そして、疑問について曖昧にぼかしつつ、口にする。

「不二咲クンと同じなのはびっくりだなって……」

 やけに自信なさげな苗木の態度はともかくとして、疑問の内容そのものはもっともなものであった。
 今、苗木が言わんとしていることは、おそらく大和田本人も納得の疑問であろう。

 しかし、当の不二咲だけは怪訝な顔していた。

「えっと……?」

 そこで、苗木の疑問をゆっくりと咀嚼して、苗木が何を言いたいかを不二咲は考え始めた。

「うーん……?」

 そして、たどたどしく苗木に対して答えを返す。

「えっとぉ……、大和田君は大工になるために頑張って勉強してるんだよぉ?」

「そうだね……。それは知ってるけど……」

「だから……だよ?」

「そ、そうなの?」

 疑問は全く解消されなかったためか、苗木の声が僅かに上ずる。


「い、いや、なんていうか……そもそも不二咲クンを基準にしてるなら、
 ボクも含めて、クラスの皆の多くが“頭脳”や“博愛心”とかに関しては、
 ステータス的に低くなっちゃうのが自然じゃないかなって思ったんだ」

 “頭脳”と“博愛心”……この2点において、不二咲を上回るということは、
 ≪超高校級のプログラマー≫以上の“頭脳”と
 蚊を殺すのも躊躇うような“博愛心”を持っているということだ。
 どちらか片方だけならともかく、両方というのは困難極まりない。

 そのような人物を発見できる可能性について考えたら、泥沼のように終わりがないだろう。
 とはいえ、苗木も別にそこまで深く考えるつもりはなかった。

「まぁ、ゲームだから、その辺はアバウトにやってるのかな?
 あ、そもそも隠しパラメータとかもあるのかな? ゲームには付き物だよね」

 そもそもゲームという設定だから、その設定の意図が気になっただけのことである。
 特に意図がないのならないで、別にかまわないのだ。
 だからこそ、苗木は微苦笑しつつも、次の話題に移ろうとしていた。

 しかし、ここまでの苗木の言葉を聞いて、不二咲は目に少量の涙を貯める。

「えぇっと……。僕は得意なものが……プログラムっていう今、旬な分野なだけで……。
 社会の役に立つ知識とか、生きるために必要な知識に限るなら、きっと同じくらいだよぉ」

 意図がないどころではなかった。
 本当の頭の良さとは一体何なのだろうか? という壮大なテーマに発展しそうな理由が不二咲の中にはあったようだ。

「大和田君は、美味しい焼きそば作るのが上手だし、大工さんのお仕事って昔からずっと大事だよぉ」

 つまり、“頭脳”というものが学校の勉強だけで測れるものではなく、
 もっと普遍的なものを含めた生きるためのあれこれを指すのだと……不二咲は言いたいらしい。

(けど、それ言ったら、“頭脳”をパラメータにする意味がほとんどなくなるような……)

 本当の頭の良さとは一体何なのだろうか?
 苗木も一瞬考えてしまう。
 しかし、すぐに論点はそこじゃないと思い直す。

(……ゲームなんだし、そもそも“頭脳”でひとくくりにするのが難しいなら、
 学力とかにして、割り切った方が良かったんじゃないかな……? 優劣付けたくなかったのか……?)

 苗木の考察はおおむね当たっていた。
 このゲームに、ステータス低下の要素はないのである。
 クラスメートの誰かになることが前提であるため、
 レーダーチャートグラフの六角形が形を変える事はあっても小さくなることはないのだ。
 大和田に近い白アルターエゴだけでなく、山田を模倣している赤アルターエゴのパラメータも、
 不二咲のステータスと相似していないだけで、個々の数値はそれぞれ初期のアルターエゴの持っていた値を大きく凌駕している。

(……あ。しかも、グラフの上限がいつの間にか増えて、それに合わせて六角形が縮小されてる。
 今の状態で最初のアルターエゴの数値をもとにした六角形を出したら、見えなくなっちゃうぞ……)

 つまり、不二咲の中では、
 不二咲を想定したアルターエゴは長所と短所を持っていたわけでなく、
 比較的マシな部分と短所を持っていたにすぎないのだ。

(謙遜しすぎじゃないかな……?)

 苗木は乾いた笑いを口元に浮かべる。

(博愛心とかも、なんか別の意味が含まれてるんだろうな……? 面倒見がいいとか……?)

 パラメータ増加の細かな匙加減は不二咲にしか分からないが、
 常に何かしらの理由づけによって、ユーザの会話で成長し続けるようになっていることは想像に容易い。

(数値だけ見れば、不二咲クンが大和田クンのフィジカルを身につけたように見えるんだけどな……)

『アン? なんかボ……オレになんか文句あるのかよぉ?』

(……なんで“オレ”って言うときに恥ずかしそうなんだろう? そういう仕様なのかな?
 山田クンのところと違って、パラメータが大和田クンを想定した値と完全に一致してないみたいだし……。
 ……不二咲クンの想定する大和田クンのパラメータってこれに加えて何が必要なんだろう?
 “強さ”をカンストさせるとか?)

 “強さ”がカンストしていると聞いたら、大神か戦刃を思い浮かべるが、
 実物についてはひとまず脇に置き、不二咲のイメージという要素を踏まえて、苗木は予想を立ててみた。

 しかし、不二咲はあっさりと予想を越えた答えを示す。

「もう少し“芸術的センス”が高ければ、大和田クンのパラメータになったのに惜しいなぁ……」

(えー)


 謙遜と敬意の相乗効果により、不二咲以外の人物の想定されたパラメータを予測するのは至難であった。

(山田クンのアルターエゴも、どこに出しても恥ずかしくない超高スペックな人物だしな……。
 ………………パラメータだけ見ると)

 不二咲は自分より下の相手を作りたくなかったのだろう、と苗木は心の中で結論付ける。

(クラスメートだし、なおさらかな……?
 ボクもクラスの皆を評価しろとか、成績を付けろって言われたら、逃げたくなると思うし……。
 きっと、学校の先生も通信簿付けるの大変なんだろうな……)

 苗木は昔お世話になった小中学校の担任に、今更ながらの感謝を覚えつつ、
 もうこれ以上パラメータについて気にするのは止めることにした。

(ゲームとしては……どうなんだろう? って思わなくもないけど、まぁ、角が立たないほうがいいよね)

 もし、本当に不二咲がアルターエゴの技術を流用して、このようなゲームを作ろうとしたら、
 もっと多くの工夫を凝らしていただろう。
 
 人のパーソナリティをデータベース化し、そのデータベース事態に自動収集機能や学習機能を付与し、
 多くのプレイヤーがプレイすればするほど、より精確な人間のシュミレーションを可能にしたかもしれない。
 
 ステータスのパラメータも、データベースの中のものを平均化して、そこから相対的な値を導き出すなど、
 私情の挟まれていない、万人が納得するような算出方法が採用されたかもしれない。

 しかし、今は違う。
 ここでは、不二咲ひとりの人生経験のみで事象が判断されている。
 そのため、やや大味な処理で、人物像を曖昧にぼかしつつシミュレートしている部分があってもおかしくないのだ。

(ボクの黄アルターエゴはパラメータがほとんと変わらず、
 ウサミとモノクマのところの桃アルターエゴっぽいものは、パラメータ部分が文字化けしてるしな……。
 まぁ、深く考えたら負けってことだろう)

 そして、苗木は自分についても笑って済ますことにした。

(ボクの会話って、そんなに特徴ないかなぁ……。まぁ、ないんだろうな……!)

 真相は、不二咲が苗木とモノクマの会話を処理しきれなかったというものなのだが、
 苗木は何を勘違いしたのかくすりと一度笑って、考察を終える。

 そして、別の話題を出すことにした。

『ワレワレハチキュウジンダァ……』

「……ところで白アルターエゴはなんでグレちゃったんだろう?
 グレるきっかけが分からなかったんだけど……」

 ツッコミどころしかない存在はあえて無視する。
 モノクマのやったことだから考えるだけ無駄だと思ったのだ。

「石丸クンと話して、大和田クンみたいになるのは、分からなくもないんだけど、
 それだと石丸クンともっと仲良くなりそうだし」

「えっとねぇ……。実はグレてるわけじゃないんだぁ。反抗期で照れてるだけだよぉ」

『……チッ。うんなわけねぇだろ? ぶっ飛ばすぞぉ! オラァ!』

(……め、めんどくさいな)

 頬を赤らめて舌打ちをする白アルターエゴを見て、苗木は率直な感想を脳裏に浮かべた。

(……今は不二咲クンの顔だから可愛いけど、大和田クンがやったら怒りで紅潮してるって勘違いするかも)

 なお、それは大和田の連続失恋記録更新の要因でもあった。

(まぁグレてないならないに越したことはないけど……)

 苗木は石丸の様子を伺いながら、そんなことを思う。

「……そうか! あの熱い魂のぶつかり合いを忘れたわけじゃないのだな!」

 不二咲の言葉を聞いて、あっさりと立ち直ったようだ。

『……ま、まぁな』

 そして、和解もあっさりと成立したようだ。
 白アルターエゴはグレていないこと、そして反抗期であることを認めてしまった。
 不二咲によるロールプレイであるため、根本的に根が素直なのかもしれない。


『よかったですなぁ! さて、では文化祭で何をするか決めましょうぞぉ』

 苗木達の会話を見守っていた赤アルターエゴが、タイミングを見計らって切り出した。
 そして、そのまま場を仕切り始める。

『なお、僕は山田一二三殿のような本を出したいという信念を曲げるつもりはありませんぞぉ!』

 画面の中で顎を反らして、胸を張り、誇らしげに赤アルターエゴは言う。

『異存がある者は挙手!』

『おう!』

 続いて、赤アルターエゴの言葉に対して、リーゼントスタイルの白アルターエゴが手を挙げる。
 なおその手の挙げ方は、肩から指先まで定規を引いたように真っ直ぐであり、背筋もピンと伸ばされていた。
 完璧な姿勢であり、石丸が「あれは僕が教えた……!」と感涙に震えるほどであった。

『ボ……オレはヤキソバかワタアメを売りてぇ……!』

『なんですとぉ!? そんな誰でも出せるようなものを……!?』

『焼き方にコツがあんだよぉ!』

『ナンセンス! ナンセンスですぞぉ!?』

『あんだとぉ?』

 一触即発。
 しかし、そこで苗木の育てた黄アルターエゴが間に割って入る。

『だめだよぉ。みんなで納得するものにしないとぉ。
 そうだぁ……。ご飯を食べる場所で本も売ればいいんじゃないかなぁ。
 最近は図書館や本屋さんの中にカフェがあったりするし……』

『僕の本が汚れたらどうするんだぁ!
 ヤキソバとワタアメじゃ、どっちもベタベタするから、本との相性は悪いですぞぉ!』

 本物の山田と違い、他のアルターエゴに甘くなく、むしろ厳しい赤アルターエゴ。
 だが、そんな赤アルターエゴ対して、白アルターエゴは言う。

『アァン……? こぼれちまえばどんな食い物でも同じだろぉ?』

『……チッチッチッ。これだから素人は困りますなぁ。
 ヤキソバやワタアメだと………………えーっと、よく覚えておりませんが、とにかく駄目なんですぞぉ!』

(なんか入学したての頃、、コーラと油芋を飲み食いしてる山田クンが何がよくて何が駄目とか言ってたな…………。
 なんだったっけ……? 粉が飛び散るのがアウトだったような……?)

 正確にはオタグッズに触れながらお菓子を食べるなら、
 粉が飛び散らず、一口で口に含められるものが良い……という話であり、
 さらに言うなら、手がべたつかないように割りばしを使うのがベターという結論であった。

 しかし、当時の苗木は「そもそもそこまで気を付けるならお菓子は後でいいんじゃ……?」と思ったため、
 そこまで詳細を覚えていなかった。

 不二咲も少し前の話であったため、ほとんど覚えていないようだ。
 夢の中で、赤アルターエゴによって山田をシミュレートしているうちに、
 エピソード記憶の一端が、瞬間的に脳裏を過ったのだろうが、完全には思い出せなかったらしい。

『……なんか別にヤキソバとワタアメもありな気がしてきましたぞぉ』

『よかったよぉ』

『おう、じゃあ、ヤキソバとワタアメ売りながら、オメェの本も売るんだな』

『ワレワレハチキュウジンダァ……』

『桃アルターエゴ殿も賛成なようですし、ワタヤキソバ付き同人誌カフェが出し物でいいですなぁ?』

(……すごい名前だ)


 苗木は思わず反応するが、当の本人達には異存がないようだ。

『いいぞぉ! 焼くのは任せろぉ!』
『いいよぉ……! エプロン着るのは任せて……!』
『チキュウジンダァ!』

(なんかすんなりまとまりそうだな。
 よかった。よか……)

『当日はボクもフリフリのエプロンを着ますぞぉ……!』

(……った?)

「山田君って自分の趣味は隠すことなく出してて、すごいよね。
 潔くて男らしいと思うんだぁ」

(た、たしかにそうだけど……。
 さすがの山田クンも自分で女装するのは趣味じゃないと思うな……)

 しかし、苗木の動揺を他所に、他の者達は気にせず、話を進めていく。

『店の外装は装甲板で覆ってぇ……』
『そこにかわいいものを描いて、見映えを良くするんですぞぉ』
『で、大きな声で呼び込めば完璧だな』
『ワレワレハァ……』

(と、とりあえず、これで今回の夢は終わりかな……?
 無事終わって、良かった……)

 苗木は肩の力を抜きつつ、安堵で気を緩ませる。

(はぁ、それにしても、食べ物の話を聞いてたら、夢なのにお腹が空いてきちゃったな。
 いっそ、焼きそばと綿あめだけじゃなくて、お肉も売らないかな?
 やっぱり、10代にはお肉だよね。お肉の10代だって言うし)

 今日の夜ご飯はなんだろうか?
 苗木はボーッとそんなことを考え始めた。

 だが、そんなときであった。

「こんなにあっさり終わるなんて、あっさり過ぎて、
 コテコテの味付けに慣れた現代の若者じゃ満足できないよね。うぷぷぷ……」

 モノクマが動く。

「ボクはゲームにはラスボスが必要だと思うんだ!」

「いや、なくてもいいだろ?」

 不穏な気配を感じて、苗木は腰を浮かす。
 いつでも押さえつけられるようにするためだ。

「ここまで来て、台無しにするなんて許されまちぇんよ!」

 ウサミもマジカルステッキを振りかぶった状態で威嚇する。
 いつでも全力で動きを封じ込められるようにするためだ。

「うぷぷ……」

 だが、そんな1人と1匹を見ても、モノクマはニヤニヤと笑うだけであった。

「生まれながらのエンターテイナーであるボクにお任せ~」

 本日、何度も自爆気味にひどい目に合っていると言うのに、懲りる気配は一向になかった。

今回はこれで終わりです

>>580
ここで想定しているTV版はザ・シリーズの方です
各種描写がマイルド+厳密にはパラレルみたいですが映画1作目と時系列的に近いので、
初心者におすすめするなら、まずこれが出るのかなと思いまして(DVDが出てないなど別の壁はありますが……)

ちょっと、ある部分で手こずってるので今日中は難しいかもしれません
水曜日(明日、明後日は残業確定してるんで多分無理)もしくは来週の連休中になるかもしれません

とりあえず今月中に残り20レスは書いて不二咲クン編も終わるはず……


「待ちなよー。オマエラにもメリットありありなんだから。うぷぷぷ」

 臨戦体勢を取る苗木とウサミに対して、口元に手を当てて、モノクマは含み笑いを始める。

「ねぇねぇ、不二咲クンの内面とか恥ずかしい秘密とか興味ないの? ただ普通に話すだけで満足できた?」

「出来たに決まってるじゃないか!」

 苗木は迷うことなく答える。誘惑に屈する様子はない。
 しかし、そんな苗木を見て、モノクマは生暖かい視線を向ける。

「ま、苗木クンはロボコップの話が充分できたろうしね~。
 男の子だから、趣味の話が出来て、夕食にお肉でも出れば満足だよね~」

「……なんかボクが悪いみたいに聞こえるんだけど」

「気のせい気のせい」

「……それで、結局、何が言いたいんだよ」

「そうだねー」

 モノクマは腕を組む。
 そして、勿体ぶるように虚空を眺めながら、目を細める。

「うぷぷぷ……」

(なんかイラッとくるな……)

「うっぷっぷっぷ……!」

 そして、含み笑いを浮かべたまま、モノクマは視線をゆっくりと移していく。
 まずは苗木、次にウサミ、そして、石丸、不二咲と順番に、その眼を向ける。

 そのとき、石丸はモノクマや苗木が何をしているのかをジッと伺っており、
 不二咲はきょとんとした顔をしていた。

 モノクマはそんな2人に対して、笑顔で話し始める。

「ねぇねぇ、ここに来てはじめのころ、修学旅行の夜……ロスタイムに話す内容について会話したじゃん?
 苗木クンは言わなかったけど、修学旅行のロスタイムに話す定番があるんだよ。
 しかも普段の会話じゃ話さないスペシャルなものが!」

「な、なんだって!? 苗木くん、なぜ教えてくれなかった!?」

「え? ちょっと待って? なにそれ? 検討も付かないよ」

 石丸が大きな声を出し、苗木が困惑する。
 だが、そんな2人を他所にモノクマは続ける。

「そして、心の“強さ”を競う一大イベントでもあるんだ」

「そうなのぉ……?」
『初耳ですなぁ』
「だなぁ……』
『うーん、なんだろう?』
『ツヨイ?』

 “強さ”と聞き、不二咲やアルターエゴ達が食いつきを示す。

「うぷぷ……。それはね……!」

 モノクマはピョンと飛び上がる。



「怖い話だよ! 怪談だよ! お化けだよ! 度胸試しの定番だよ! 強い男の登竜門だよ!」



「え!?」
『ひっ!? なななんですとぉー!?』
『お、お、おう……マジかよぉ……!?』』
『こ、怖い話はやだよぉ』
『ガクガク』

 不二咲とアルターエゴ達が一斉に震え始める。
 顔は青ざめており、一息吹きかければ、蝋燭の炎のように消えてしまいそうであった。


「それは修学旅行だからやるんじゃなくて、
 夏に修学旅行が多いから、やることも多いってだけじゃないか……?」

 不二咲達の様子を見て、苗木はそんなことを思い、実際に口に出したが、
 対するモノクマは「チッチッ」と言った後、したり顔で告げる。

「冬でもやるんだなーこれが。というーか! 冬は冬で趣があるのさー!」

「……それならそれでもいいけどさ。
 どちらにせよ、苦手な人がいるんだし……」

「そこを無理矢理にでも参加させるのが、修学旅行の醍醐味でしょ!
 そうやって子ども達は成長するんだ!」

 モノクマは断言する。
 すると、石丸が何故か納得し始める。

「そ、そうだったのか!?」

「それは違うよ! 石丸クン!」

 石丸の納得どころに疑問を抱きつつ、苗木はモノクマに抗議する。

「やるにしても、ゲームが完全に終わってからにしてよ」

「それじゃ一区切り付いてお開きになるかもしれないじゃないか!」

「それでいいだろ!」

「やだやだ。ボクはみんなを怖がらせたいんだー」

 赤ん坊のようにゴロゴロと転がりながら、モノクマは愚図る。
 どうやら何があっても、怪談話をしたいらしい。
 だが、苗木は「……と言われてもな」と素気無くモノクマの案を却下することにした。

(不二咲クンも苦手そうだし……)

「や、やるよ……!」

(え……?)

 しかし、苗木の考えとは裏腹に不二咲が意欲的な反応を見せる。
 そして、アルターエゴ達と共に宣言する。



「僕が弱い原因のひとつがそれに参加しなかったせいかもしれないし……! 僕、挑戦するよ!」
『ボ……オレも挑戦すんぞぉ! ボ……オレはつえぇからな!』
『僕もやりますぞぉ。山田一二三殿の名代として!』
『ボ、ボクも頑張るよぉ!』
『ワレワレハツヨインダァ……』



 次々と参加表明をする不二咲とアルターエゴ。
 しかし、その身体や顔は小刻みに震えている。

「無理しなくていいんだよ……。不二咲クン……」

「だ、大丈夫だよ! 僕、が、がが頑張るよぉ!」

 既に顔が青ざめている。
 指先一本で後ろへ倒れそうであった。

 アルターエゴ達も同様である。
 それぞれ模倣先は違えど、根本となる不二咲が平常心を保てていないからだろう。

 そして、そんな不二咲達の様子を見逃さず、
 モノクマは畳み掛けるようにまくし立て、怪談を無理やりスタートさせた。

「やるんだね! もう止められないよ!
 あぁ、もう始めちゃうからね! よ~し、始めるよ~!」

 そして、モノクマは部屋のピョンピョンと飛び跳ねながら、
 窓のカーテンを閉めると、声を震わしながら、語り始める。

「いっくぞー! これはまだボクが動物園にいた頃の話なんだけどね……」

 薄暗闇の中で、モノクマのだみ声が響き始める。
 そして、まるでホラー番組の語り部のように、間を取りながら、モノクマは言葉を紡ぐ。

「隣の檻にいた――」


 しかし、話が始まってすぐに、モノクマも予想しない出来事が起こる。

「……ひぅ」
『ご、ごらぁ……ッ!』
『ヒッ……!』
『うぅ……』
『ガタガタガタ……!』

 不二咲とアルターエゴ達が一斉にか細い悲鳴を上げ、耳を塞ぎ始めたのである。
 だから、モノクマも思わず話を止めてしまう。

「え? えっと、まだほとんど何も始まってないんだけど……?
 ま、まぁ、怖がってるなら怖がってるんでいいけどさ……」

 だが、すぐに気を取り直して、モノクマは話を再開する。

「……コホン。じゃあ、行くよ。
 ――隣の檻にいたリスのディートリヒ先輩が……」

「……うわああああああああああああん!」
『おらああああああああああああああー!』
『ですぞおおおおおおおおおおおおおお!』
『まってよよおおおおおおおおおぉぉぉ!』
『ブルブルブルブルブルブルブルブル……』

 何かが決壊したのだろう。
 見ている方がびっくりするほどの速さで不二咲は部屋から走り出し、
 一瞬のうちに画面からアルターエゴは姿を消す。

 残されたのは話を聞いてもらえなかったモノクマと、
 事態に付いていけてなかった苗木達だけである。

「えぇ……。皆どっか行っちゃったよ……。
 ボクのとっておきはこれからなのに…………! しょぼーん……」

(怪談が始まるのがいきなりすぎて心の準備が間に合わなかったのかな……)

 その離脱のあまりの速さに、何故か嫌がらせを仕掛けていた側のモノクマがしょんぼりと肩を落としている。

「自信があったんだけど、披露する前に終わっちゃったー……」

「……なんでお前の方がダメージ受けてるんだよ」

 モノクマは大きく肩を落としていたが、苗木の反応は冷ややかだ。

「……とりあえず、ボクは不二咲クンを探しに行ってくるね」

 苗木は部屋の扉に向かって一歩進む。

「あ、じゃあ……あちしは……」

 すると、そんな苗木を見て、ウサミも何かを思いついたらしい。

「この機会に中々戻って来ない山田君を迎えに行ってきまちゅね……」

「うん、分かった。じゃあ、見つけたらこの部屋で合流しようか」

「はいでちゅ!」

 そして、ウサミと一緒に苗木は不二咲の部屋を出て行った。
 残されたのはモノクマと石丸である。

「僕達はどうするべきだろう。
 お世話になった不二咲くんの部屋を掃除でもして待つべきだろうか?」

「それはやるにしても最後でいいんじゃない?
 ……どうせなら、ボクの超怖い話を聞いてよ!
 話の途中で出ていくなんてマナー違反だよ。まったくもう!」

「むむ……! マナー違反か! それは確かに問題だな!
 ……よし! 彼らの分も僕が話を聞こうじゃないか!」

「それでこそ石丸クンだよ! いいカモ……じゃなかったいい生徒ですね!
 よーし、じゃあ、ボクの自信作いくよー! ……うぷぷ」

 苗木達が出て行った部屋のドアを閉め、廊下の明かりをしっかりとシャットダウンすると、
 先ほどと同じようにモノクマはボソボソと語り始めた。

「これはボクがまだ動物園にいた頃の話なんだけどね……」




◆◆◆

 モノクマが石丸に怪談を話始めた頃、苗木は廊下を速足で歩いていた。
 既にウサミとは別れている。山田からテレパシーで返事があったようだ。

「さっきまで廊下はなかったよな。
 ドアからこの世界に入ったんだし……」

 苗木は廊下を移動しながら、あちこちを見る。

(地味に普段と違うな。歩いてる人がなんか強そうだ。
 不二咲クンからすると他の人達って相対的にこう感じるのか……?)

 肩で風を切り、威風堂々と廊下を歩く男子学生が多い。
 体格……特に上半身が逞しく成長しており、逆立ちで町内一周くらい軽くこなしそうである。

(相対的に見えるなら、大神さんとかはどうなってるんだろう……。
 見たいような見たくないような……)

 苗木は恐る恐るといった具合に辺りを伺いながら、歩いていく。
 すると、視聴覚室の灯りが点いていることに気付いた。

(ここかな……?)

 そして、苗木が中を覗くと、
 そこにはモニターに映し出された5人のアルターエゴ達と会話をする不二咲の姿があった。

「僕はやっぱり弱くてダメなやつなんだ……」
『大和田君の真似しても元がボクだしなぁ……』
『山田一二三殿みたいに堂々とできませんなぁ……』
『ロボコップみたいな装甲つけても中身がボクじゃなぁ……』
『ボクハハヨワインダァ……』
『ナビ役のボクが情けないばかりに……』

 1人と5体は黄昏れている。
 最初の頃のみ姿を見せていたナビ役の緑アルターエゴもいた。

(……そんなに落ち込まなくてもいいのに。
 苦手なら仕方ないと思うんだけど……)

 不二咲達の激しい落ち込みように、苗木はどうするべきかと思案する。
 周囲が聞いたら微笑ましい話でも、本人にとっては明日をも終わる一大事でかもしれないからだ。

(まったくモノクマは本当に余計なことしないな……。
 うーん……どうしよう?
 怖かったのは不二咲クンだけじゃない……って言うには早すぎる退場だったからなぁ)

 苗木はあれこれと考えるが、結論は出ない。

(とりあえず、まずは話を聞いて落ち着いてもらおう……)

 結局、苗木は不二咲の話を聞いてから、どう励ますべきか決めることにした。

「不二咲クン」

「あ、苗木君……ごめんねぇ……台無しにしちゃって」

「いや、いいんだよ。そもそもゲームの途中で強引に怪談なんかし始めるやつが悪いんだし」

「けど、僕はそれに賛成したのに、あんな情けなく……」

「はじめてなら仕方ないよ。
 ボクも初めてお化け屋敷に行ったときは、入った後より入る前のほうがどきどきしたよ。
 想像しちゃうんだよね、はじめてだとどうしても……」

「でも、やっぱり、これは情けなさすぎるよぉ……。
 ……見たでしょ? きっと、逃げるのが癖になっちゃってるんだよ……」

 どんよりとした空気を醸し出す不二咲。頭から茸でも生えてきそうである。

「僕は……逃げてばっかりだったからさ…………」

「例えばだけど……、お化け屋敷の前まで来て、
 やっぱり怖いから止めたって言っても問題ないと思わない?
 むしろ、そこで無理に入るよりよっぽど賢いし、勇気ある決断じゃないかな?」

「そうかなぁ……」

 苗木の言葉に対して、不二咲は変わらず落ち込んだままだ。
 だが、苗木は勇気づけようと会話を続ける。


「そうだよ。
 それに、仮にだけど、ボクが夜トイレに行こうとして、
 怖いから誰かに一緒に行こうってお願いしたら、不二咲クンはボクのこと軽蔑する?」

「し、しないよぉ……」

「うん。それと同じことだよ。
 ボクも不二咲クンが怖がってるからって軽蔑しないよ。
 人間、怖いものや苦手なものっていっぱいあるしね」

「けど…………」

「それに、やっぱり不二咲クンは勇気を持ってるってボクは思うよ。
 やらないといけない場面や言わないといけない場面だと、不二咲クンはきちんと逃げずに頑張ってる。
 怖くても、立ち向かわないといけない場面なら立ち向かう……。それが本当の勇気じゃないかな?」

「そう……なのかなぁ…………?」

 不二咲は苗木の言葉を聞いても。まだ何か引っ掛かるものがあるようだ。
 不二咲はゲームが始まってすぐの頃にした会話を蒸し返す。

「けどぉ、やっぱり、僕は中途半端なんじゃないかな……。
 体を鍛えたつもりになっただけ……、精神的に強くなりたいって言ってるだけなんじゃ……?」

「何度だって言うけど、それは違うよ。
 トレーニングした結果は出てるし、
 新しく自分に足りないものが見つかるのも精神的に成長して視野が広がった証だよ。
 もし怖い話が苦手な自分が恥ずかしいなら、それは次の目標に加えればいいんじゃないかな?
 お化けを克服してもいいし、怖い話を最初から断れるようにしてもいいし、大事なのはこれからだよ。
 目標はいくつあってもいいし、叶えるのにどんなに時間がかかってもいいんだよ」

「苗木君……」

「……それに」

「それに……?」

「……ボクは頑張ってる人を尊敬するよ。だから、ボクは不二咲クンのことも尊敬してる。
 だから、不二咲クンが不二咲クンのことを馬鹿にしてもいやだし、
 不二咲クンにはずっと尊敬できる不二咲クンでいて欲しいな。
 頑張ったことを無駄なんて言わずにさ」

「……僕は」

 不二咲は5体のアルターエゴを視界の端に留めたまま、その大きな瞳を揺らす。
 そこには、まだ僅かに迷いが見える。
 しかし、不二咲は心の奥底から絞り出すようにして、言葉を吐き出した。

「……やっぱり、どうしても、僕は自分の頑張りが足りないんじゃないかって思っちゃうけどぉ……。
 ただ、苗木君がそう言ってくれるなら……、少しずつでも進んでいける気がするよ」

 不二咲はゆっくりと立ち上がる。
 そして、涙によって濡れかけていた眦(まなじり)をこすると、
 苗木に対して芯の強さが垣間見える瞳を向けた。
 迷いは晴れていないが、それでも前に進むのは止めない……という決意がそこには見える。

 そして、そんな不二咲の様子を見て、苗木は誇るでもなく安堵する。

(いや、決意は最初からあったのかも……。それが強くなっただけで……。
 ボクがいなくても不二咲クンならいずれ、ちゃんと立ち上がったのかもしれないな……)

「……戻るよ。
 石丸君やウサミさんも待たせちゃってるし……。
 ただ、僕はもう参加できないって伝えないと……」

「じゃあ、一緒に戻ろっか」

「……うん」

 そして、不二咲は苗木と廊下を戻り始めた。

 すると、そんなときだった。



「うわあああああああああああああああああああああああああああ!?」
「ぎにゃああああああああああああああああああああああああああ!?」
「きゃあああああああああああああああああああああああああああ!?」




 廊下を震わすほどの巨大な叫び声が3つも響いてきたのだった。

「い、今のは……!?」

「た、たいへんだぁ……。皆の声だよ!?」

「あぁ、やっぱり……」

 響いてきた声は、石丸、山田、ウサミのものであった。

(今度は何があったんだろう……?)

 その叫び声を聞いても、苗木は比較的冷静であった。
 何かあったらウサミがテレパシーで教えてくれるだろうと考えていたからだ。

 しかし、不二咲の方は違った。
 血相を変えて不二咲は自室へ駆けて行こうとしていたのだ。

「な、何かあったのかも……!? い、行こうよ苗木くん……!」

「そ、そうだね……」

 不二咲は慌ててこそいるが、先ほどまでのオドオドとした態度とはまるで違った。
 その様に苗木は勢いに押される形で、不二咲に付いていくことに決める。

(何が何だか分からないけどボクも急ごう……)

 そして、苗木が付いてくることを確認した不二咲は、
 そのまま駆け足で自室へと戻っていく。

「み、みんな、大丈夫……!?」

 そして、不二咲は震えながらドアを開けた。

(うわぁ、なんでこんなことになってるんだろう……?)

 開けられたドアから中を覗くと、
 折り重なるようにして、白目で倒れている石丸や山田がそこにいた。
 そして、その傍で腰を抜かしているウサミの姿も目に入る。

「あばばばばばばばば……」

 半分ほど意識を飛ばした状態でウサミは震えている。
 よほど衝撃的な何かがあったようだ。

「うぷぷ……。これだよ。これ。
 聞いたうえでのこのリアクションこそがボクの求めいていたものだよ……。
 うぷぷぷ……。うぷぷ…」

 カーテンが閉められているのに、部屋は妙に明るい。
 それは、モノクマが鉢巻きで頭に火の灯った蝋燭を括りつけているからだ。
 手には五寸釘が刺さった藁人形と、トンカチを持っていた。

(うわぁ……。ベタだな……。
 ただ人を失神させるほどの怖い話ってのはやばいな……。
 いざとなったら、耳を塞ごう……)

 苗木は呆れつつ警戒を強める。
 すると、その隣で不二咲が体を強張らせながら、口を開く。

「あ、あのぅ……。区切りが付いたなら、怪談はもう終わりにしようよぉ……」

「えぇー? まだ苗木クンと不二咲クンは聞いてないじゃん?
 ちゃんと聞かないと将来強い男になれないよ?」

 不二咲の決死の覚悟に対して、モノクマは軽い調子で言葉を返す。
 だが、それでも不二咲は折れずに頑張る。

「う、うん……。ただ、それでもこれ以上はちょっと……。
 これ以上続けるなら、僕だけの問題じゃないし……」

「うぷぷ……。いいじゃないか何度でも聞かせて失神させれば。
 なぁに、何度も繰り返せば免疫がつくよ……」

「それは駄目だよぉ……!
 苦手な人に無理やり聞かせるなんて……!」

(石丸君達も苦手ではなかったはずだと思うんだけど……。
 まぁ、黙っておこう……)

 不二咲の勢いを止めないために、苗木はあえて何も言わないことにした。


「だから、今回はここで終わりにしょうよぉ……。ね?」

 不二咲は恐る恐るだが自分の意見をしっかりと伝える。

「うぷぷ……」

 しかし、モノクマはそれを聞いて、含み笑いを浮かべるだけであった。

「止めようって言われて止めるなら、ボクはモノクマやってないんだよ!」

 モノクマはジャンプすると、部屋の一番高い場所――天井にぶら下がる。
 天井から伸び照明を吊るしているコードを手繰って、
 天井付近まで移動し、そのまま片手でそこに垂れ下がったのである。。

「うぷぷ……。今のボクはぬいぐるみみたいに軽いからこんな芸当も出来ちゃうんだぞー。
 ここから、ボクはスピーカーのように延々と怖い話をしてやるからなー。子守唄のように、毎晩な!」

「や、やめてよぉ……」

 涙目でぴょんぴょんと飛んで、モノクマを下ろそうとする不二咲。

「…………………………」

 それを見て、苗木はベッド上の枕を無言で手に取る。

「………………えい」

 そして、投擲する。

「いたっ!?」

 ボトンとモノクマが落ちる。

「いたた……。ひどいなー……。まったく乱暴なんだから」

 モノクマはプリプリと怒りながら、苗木と不二咲の元へと歩いてくる。
 そして、そんなモノクマを苗木は抱え込む。

「……よいしょっと」

「ま、仕方ないよねー」

 そして、モノクマの方も苗木のそんな対応は予想済みだったらしい。

「わぁ、流石は苗木クンだぁ……!」

「え、いや、それほどでも……」

 不二咲の満面の笑みを見て、苗木は照れる。

(なんでも褒められて悪い気はしないよね……)

「……うぷぷ。かっこよさそうに見えても、ボクに枕投げただけだからね。
 そこんとこ忘れないでよ」

(そして、貶されて良い気はしないよね……)

 苗木は半眼でモノクマを睨む。
 しかし、すぐに気を取り直す。
 何故なら、不二咲が変わらずよいしょし続けてくれたからだ。

「けど、ボクなら枕を投げても届かなかったよぉ」

(不二咲クンが異性だったらボクは駄目男になってたかもしれないな……)

 褒め続ける不二咲の言葉によって、モノクマに対して抱いた苛立ちが一瞬で氷解したが、
 そんな自分の単純さに、苗木は自分で自分が心配になった。

 しかし、そんな心配を一瞬で吹き飛ばす爆弾発言をモノクマが投下する。

「うぷぷ……。今の話とはまったく関係ないけど。
 苗木クンは小学5年生までおねしょしてたんだよ!」

「お、お前! 本当に関係な……って、そもそも何で知ってるんだよ!?」

 苗木は心臓が飛び出かけてるほどの驚きを覚える。

 この発言は、この夢に限らず、
 夢の騒動が始まってから起こった出来事の中で、苗木にとって最も大きな衝撃であった。


(な、ななななななんで、モノクマがそんなこと知ってるんだ!?
 そ、そもそもモノクマが知ってるってことは、江ノ島さんも知ってる!? え? え!?)

「苗木君もそんな頃あったんだねぇ……」

「ふ、不二咲クン、しみじみしてるけど、出来るだけはやく忘れてね!」

「……頑張って克服したんだねぇ」

「……う、うん」

 慌てる苗木とは対照的に、不二咲はモノクマの発言に深い意味を感じ取ったのか、
 感慨深そうな顔で「うんうん……」と頷き始めた。

「……苗木君。僕も頑張っていける気がするよぉ!」

 そして、不二咲が何か答えを得たのと同時に、びしりと周囲の空間に罅が入る。
 この夢が終わりを迎え始めたのである。

(ちょ、え………?)

 苗木の目が点になる。
 夢に区切りが付いた理由が分からなかったからである。
 しかし、そんな苗木に対して、不二咲は言う。

「苗木君が僕を尊敬してるって言ってくれたように、
 僕も苗木君のことを尊敬してるんだぁ……。
 そして、そんな苗木君も成長して今みたいに強くなったんだねぇ……。
 僕、苗木君は昔から変わらないと思ってたよ……。
 みんな、少しずつ成長してきたんだねぇ……。
 僕も焦らずに頑張るよぉ……」

(え、こんなんで悩み晴れちゃったの……?
 ゲームも終わってないよ……? ……って? ……え?)

 ふと、苗木がゲームのために使っていたモニターを見たら、
 そこには姿を消していたアルターエゴ達が映っていた。

『『『『『少しずつだけどなりたい自分になるよぉ!!!!!』』』』』

 モニターには5体のアルターエゴが肩を組んだ状態で映っていた。
 そして、全員が足先から頭までまったく同じ容姿と服装である。

(ぜ、全員が大神さんみたいになってる……!?
 い、いや、筋肉の量は大神さんほどじゃないか……?
 け、けど、やっぱり方向性は大神さんのような……?)

 そこには大柄の男性のような体格と筋肉を持ったまま、
 何一つ恥じることなく女性の服を着ているアルターエゴの姿が映っていた。

 なお、顔は不二咲のままである。

(大和田クンの真似をしてたアルターエゴと山田クンの真似をしていたアルターエゴの強みを足したら、
 たしかにこんな形になるかもしれないけど……。こ、これはなんか違くないかな……!?
 あ、けど、強さって言ったら、大神さんだし。全ての強さは大神さんに通じるとも言うし……。
 やっぱり、これはこれで合ってるのか?)

 恥じる必要のない身体的な強さと、どんな容姿でも恥じない精神的な強さ。
 不二咲の考える2種類の強さを両立したら、このようになるのもおかしくないのかもしれない。
 苗木はそう考えようとした。

(あ、けど、不二咲クンの場合、女装する必要はないよね……。
 男らしくないことを馬鹿にされないために女装してたんだから。
 男らしくなったら普通に男装すればいいんだし。
 目的と手段が入れ替わっちゃってるよ……不二咲クン!)

「僕もアルターエゴのようになれるよう頑張るよぉ……!」

(オリジナルが分身を目指すのか……?)

 しかも、その決意の最後のきっかけは“苗木のおねしょのエピソード”である。
 苗木としては脱力するしかなかった。

「何年かかっても頑張るよぉ!」


 これまで何度も悩みについて対話を重ねてきたことによって、
 不二咲の中で答えは喉元まで出かかっていた。

 だが、確証持てず、保留されていたのだ。
 何故なら、子どもの頃あまり他の男子と遊ばなかった不二咲には、
 クラスメートに弱かった頃やクラスメートの恥ずかしい過去というのがあるということを言葉で理解しても、
 どこか遠い出来事、フィクションのように思えていたからだ。

 しかし、苗木の恥ずかしい過去を聞き、そして苗木が本気で焦る姿を見て、
 今は強い男の人でも、昔は完璧ではなかったのだという当たり前の事実を実感を伴って再確認できたのである。

 その結果、不二咲はより強い勇気を得たのである。

 これはボクシングのチャンピオンが昔は苛められっ子だと告白した結果、
 世の苛められっ子を勇気づけることになったのと同じようなものである。

 だから、厳密には、苗木のおねしょをしていたという事実そのものが不二咲に感銘を与えたわけではないのだ。

 しかし、傍から聞いている苗木には、
 その心の裏の細かな機微までは伝わらず、ただ困惑するのみであった。

「が、頑張れ……」

「苗木クンがおねしょを克服できたように、ボクも弱さを克服するよぉ!」

「おねしょについては本当にはやく忘れ…………って、うわあああああああああああ!?」

 いよいよ世界のあちこちに生えていた罅が広がり、床に穴が開起き始めていた。
 苗木はそんな穴に落ちたのである。

 すると、苗木が吸い込まれた穴を見て、
 ぎりぎりのところで苗木の腕から脱出していたモノクマが満足げに呟く。

「うぷぷ……。まぁまぁな結果かな。
 理想を言えば、不二咲クンにももっとダメダメな感じに終わって欲しかったんだけど。
 苗木クンのあの情けない顔に免じて、今回は許してあげるよ、うぷぷぷ!」

 哄笑するモノクマ。実に、愉快そうであった。

 だが、そんなモノクマの後ろに立つ者がいた。

「ハ……? この夢が終わる……!?
 ば、バカな……!? アルたんを僕の世界に連れてくるという野望が……夢が……!?」

「や、山田クン!? 世界の危機を感じて、目覚めたの!?」

「てか、ボクのアルたんはどこに……!?
 って、ギニャアアアアアアアアアアアアアアアアア!?
 戦闘力のカンストしてそうな人たちがいっぱいいるぅ!?
 って、これがアルたん!? 僕の顔じゃないだけマシだけどおおおおおおおお!?」

「ちょ、落ち着いて、山田クン!?
 ボクを掴んだまま、叫ばないで、こ、鼓膜が割れて綿が出ちゃう……」

「うぼああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

「そして、ボクを抱きかかえたまま、穴に向かってウィキャンフライはやめてええええええええええええ!?」

 そして、不二咲の夢は、中に入った者達を誰も幸せにしない結果のまま終わった。

 原因はほぼ自爆である。

「…………ひどい悪夢を見た気がするぞ。って、なんだ。うわあああああああ!?」
「なんでちゅ!? いつの間に穴が……!? きゃああああああああああああ!?」

 無論、その爆破に巻き込まれただけの者もいるが……。

「頑張っていくぞぉ……!」

 そして、中に入った人間はともかく、不二咲は自らの幸せに一歩近づいたようだった。

「えいえいおー!」

『『『『『えいえいえおー!!!』』』』』

 そして、不二咲達の可愛らしい掛け声とともに、今回の夢は終わりを迎えた。





◇◇◇

「うわああああああああああああああああああああ!?」
「ぎにゃあああああああああああああああああああ!?」
「うわああああああああああああああああああああ!?」

「な、なんだ、どうした……?」

 ベッドで寝ていた3人が同時に叫びながら目を覚ましたことで、
 近くでリクライニングチェアに座り、コミックポンポンを読んでいた松田が顔を上げた。

「夢の中で何かあったのか……?」

「あ、あったといえばあったね……」
「ありすぎた気すらしますなぁ……」
「僕は最後の方は何も思い出せないのだが……何か色々あった気はする……」

「そうか……」

 松田はコミックポンポンを机に置くと、
 研究室に備え付けられている冷蔵庫からミネラルウォーターの入ったペットボトルを3つ取り出す。

「飲むか?」

「あ、ありがとうございます……」

 苗木がお礼を言うと、松田はペットボトルを投げる。

「少し時間が経ったら、夢に入る前にやったようにいくつかの課題をこなしてもらう。
 ……じゃあ、少し休め」

 松田は課題の用意をするために、別室へと移動する。
 その姿に続くように、山田と石丸もふらふらと立ち上がった。

「ちょっとトイレ行ってきますぞ……」
「僕も少し外に出て来る……」

「い、いってらっしゃい……」

 そして、山田と石丸はぼやきながら動く。

「なんか喪失感はんぱないですぞ……」
「僕は気づいたら終わっていたからな……。
 アルターエゴくん達の文化祭はどうなったのだ……?」
「マッチョになってましたぞ……」
「君は何を言っているんだ……?」
「僕にもさっぱりですな……」

 寝起きでぼやつく頭を振りながら、彼らは部屋を出て行った。

 苗木も上半身を起こしたまま、ため息を吐く。

「はぁ……」

「苗木君……?」

「ふ、不二咲クン……!?」

 不二咲も目を覚ましたようだ。
 だが、寝たまま掛布団を引き上げて、頭を隠していた。
 どこか様子がおかしい。
 苗木は少し嫌な予感を覚えた。

(そ、そう言えば、夢の中どこまで覚えてるんだろう……?)

「ご、ごめんねぇ……。苗木君。
 なんか夢の中で変なこといっぱい言っちゃって……」

(あ、これ、全部覚えてるやつだ……)

「だ、誰にも言わないからね……」

「う、うん……」

 苗木も不二咲を見習って、掛布団の中に潜った。
 顔が赤いのを隠すためだ。

(……二度寝しようかな。
 はぁ、穴に落ちるんじゃなくて入りたい……)

 苗木は恥ずかしさで死にそうになりながら、他の者達が来るのを待つことにした。

だいぶ遅くなりましたが、先週の分はこれで終わりです
来週も投下できるように頑張ります。少なくとも5レスは

中々安定しなくて申し訳ないのですが
次の投下は今週末になりそうです

明日の夜投下します


◇◇◇

「実験の結果が出たぞ」

 ある程度時間が経ち、皆が落ち着いた後、
 苗木達は、夢に入る前に行ったのと同じように、幾つかの課題をこなした。

 不二咲の夢へ入る前に行った課題の結果と比較することで、
 夢の世界に入り込む現象に関して、科学の観点から有用なデータを確保できないか確かめるのだ。

 そして、夢が苗木の脳に危険を及ぼすかどうか検討するのである。

「脳波と合わせて考えると……」

 神経科学研究所の長である松田が椅子に座った状態で、サンダルをブラブラと揺らしている。

 現象の検証を行うといっても、それが出来るのは実質的に彼しかおらず、
 苗木達は彼の導き出す結論を聞くしかない。

「……やはり、短時間に連続で入るのは止めたほうがいいな。
 誰かの夢に入っている間、苗木の眠りは正常なものじゃなくなってる」

「……え?」

 そして、松田の出す結論に対して、苗木から返せるものは驚きのリアクションくらいしかない。

 苗木は不安げな表情で松田の説明を聞いていく。

「ノンレム睡眠が異常に少ないのは、お前らが寝る前に話したが、
 その異常を裏付けるように、今回の実験で分かったことがある。
 本来、ノンレム睡眠時に行われる手続き記憶の強化がほとんど確認できない」

「それって……?」

「……寝る前より寝た後の方が、課題の効率が上がるはずなんだよ。個人差はあるけどな。
 だけど、苗木の場合は、むしろ下がってる。
 つまり、苗木は表面的には熟睡しているように見えるが、そうでもないってことだ。
 夜に続けて入ったら、それは徹夜してるのとほとんど同じってこともあり得る。
 多少は無茶が効くかもしれないが、俺は勧めない。
 徹夜なんか、人生を死に急ぐ奴だけやってればいいしな。
 まぁ、お前がどうしてもっていうなら止めはしないが」

「……昼に連続して入るのは駄目なんですか?」

「あぁ、たしかに。無茶をするとしたら昼だな。
 けど俺はそれもあまり勧めない。
 簡単に言うと、この寝てるのに寝てない状態ってのがどんな影響を及ぼすか、
 確かなことが言えないからだ。仮説は立てられるがな……。
 まぁ、お前がどこぞのどブスと同じように破滅願望があるなら別だが……」

「い、いや、ないです…。
 ……えっと、ちなみに、仮説はどんな感じなんですか?」

「聞きたいのか?
 ……一応聞くが、お前、理解力には自信はあるか?」

「……そんなにないですけど。
 自分の頭のことなんで、頑張ってみたいとは思います」

「ま、いいだろ」

 松田は立ち上がり、研究所の隅に置いてあったキャスター付きのホワイトボードを引っ張る。
 そして、そのまま苗木達の前にホワイトボードを設置すると、その前に立った。
 少々気だるげな雰囲気であり、右手に持っているのは差し棒じゃなくて医療用のメスであったが、
 出来る限り苗木達が理解できるようには努力するつもりのようだ。

(……メスって普段何に使うんだろう?)

 苗木はメスとメスの指し示す先に釘付けになりつつ、松田の話を聞いていく。

「さて、仮説の説明をする前に、
 俺が確認できた苗木の脳に起こってる問題点をいくつか説明するぞ。
 確認できたものの中で大きなものは2つだ。
 ひとつは、今言ったもの――ノンレム睡眠が異常に少なくなることだ。
 そして、もう一つは帯状回前部の異常な活発化だ」

「帯状回前部?」


「帯状回前部というのは、脳の一部だ。
 簡単に言うと、空気を読むときによく使う機能だ。
 意思決定、共感など認知機能に強く関わっていて、対象との関係性を予測するのに使用される。
 人や物を見たときに、どんな感情を抱くかや、それが自分にとって利益となるか不利益となるかなど、
 自信の評価基準にアクセスして、その評価基準に従って評価をを行い、
 下された評価結果を脳の他の部分に伝えるのさ」

「なるほど……」

「……お前ら、思ったより、理解力は良さそうだな。
 強いて言うなら、そこの太いのは少し怪しそうだが」

「ぼ、僕には気にせず、お願いいたしますぞ……。
 赤文字で書かれた部分くらいは理解できるので……」

「そうか」

 山田が少し首をひねっていたが、大まかな内容は苗木達全員に伝わったようである。
 なお、松田が赤ペンで書いた“空気を読む”というのを見て、石丸が別の意味で難しい顔をしていた。
 何か思うところがあるようで、しばし書かれた文字を凝視し続ける。

「ハッ……!?」

 やがて、何かに気付いたのか、石丸は急に目を見開き、立ち上がる。
 そして、言った。

「5時限目の授業を取っていますので、そろそろ僕は行きます!」

「……そうか」

「本日は得難い体験をさせていただきありがとうございました!」

 松田に一礼し、続いて不二咲に「不二咲くんにも感謝する!」と告げると、
 石丸はスタスタと研究所を出て行った。
 苗木の夢入り現象に関わっていた旨を霧切学園長に報告すれば、
 出欠に関しては便宜を図られるはずなのだが、石丸は出られる限りは授業に出るつもりのようだ。

「……さて、ここで話を戻すぞ」

(松田先輩、スルー能力高いな……)

「現象発生時に、ノンレム睡眠がないだけだったら、昼に無理をするくらいは問題なかった。
 そもそも現象が発生しても、夢の中でさらに眠るということも出来るみたいだしな。
 今朝観測した明け方の眠りは、正常なものだった。
 おそらく夢の中で苗木がさらに寝たからだろう」

「だけど、夜にしっかり正しい睡眠を取ってても、
 昼に連続で人の夢の中に入るのは危険かもしれないんですよね……?

「あぁ……。寝てるのに寝てない状態ってのが、
 単純なノンレム睡眠の欠落だったら、そこまで問題はなかった。
 ……だが、帯状回前部が通常より激しく動いてるとなると話は別だ。
 活発に動くこと自体は通常のレム睡眠時にも見ることができる現象なんだが、
 苗木の場合はノンレム睡眠のときでも活発化してたし、レム睡眠時も度合いが激しすぎた。通常の3倍近い。
 本来、レム睡眠中に帯状回前部が活発化するのは、
 評価基準の再構築やエピソード記憶の重要度決定のためだが、苗木の場合、それだけでは説明が付かない。
 おそらくレム睡眠時における役割とは別の何かのために、活動しているんだろう」

 松田はホワイボードに書いた“帯状回前部の活発化”に対して、2つの矢印を引く。
 そして、それぞれの矢印の始点のなる部分に“再構築やタグ付け”と“?”という文字を書いた。

「その何かについても、心当たりはあるが、今は後回しだ。
 今、重要なのは“再構築やタグ付け”だからな。
 評価基準の再構築や、エピソード記憶に対してのタグ付けに必要な活動量以上の活動を
 帯状回前部が行っているということは、この“再構築やタグ付け”が適切に行われない可能性がある。
 例えば、その日、重要度が決定されたエピソードがあったとして、
 本来重要度を100点中10点くらいにするはずだったのを、30点にしてしまうかもしれないんだ。
 極端な話、それほど重要じゃない新規の記憶が重要な過去の記憶を上回るかもしれない」

「……それって、続けて入るとか関係なく、まずいんじゃ?」

「心配するな。正しい眠りにつけば、修正されるはずだ。
 脳は新規のエピソードに関しては数回に分けて作業を行うからな。
 多少のずれなら重要度の再設定が行われる。
 ただ、短時間に何度も繰り返して、間違ったタグ付けを強化してしまったら、どうなるか分からん」

「そうですか……」


「連続でも3,4回くらいじゃ大丈夫だろうし、
 時間さえかければ、固定化された記憶もなんとかなるだろうが……。
 ま、念を入れるにこしたことはないからな。
 ……だけど、そんなに気にすることはないだろ?
 注意することはこれまでと変わらない。そこに明確な理由ができただけだ」

「ははは……」

 苗木は目線を逸らし、口元をひきつらせた。
 しかし、それでも何とか自らを安心させるための言葉を発する。

「……ま、まぁ、明確な危険性と、それに対する対処法が分かったという意味では、
 前より安心ですよね」

「そうだな。そんなに危険があるわけじゃないな。
 ……ついでに、お前がさらに安心できるようなことを言うとだな。
 今挙げた2つ以外で大きな問題になりそうなことはないって事だ。
 これは俺の研究者としてのプライドをかけて断言してもいい」

「そうですか……!」

「ま、大切なものは目に見えないとか、有りがちなファンタジー的なオチだったら、
 俺にはどうしようもないがな」

「そっちは、ウサミがいるんで大丈夫だと思います。
 ……先輩、ありがとうございます!」

 ≪超高級の神経学者≫の結論を聞いて、その安堵を顔いっぱいで苗木は表現した。

「安心できたようで何よりだ。
 超高校級がどいつもこいつもお前と同じように物分りがいいと俺も助かるんだが」

(ははは……、まぁ癖の多い人多いしな……。
 先輩の彼女を筆頭に)

「おい? お前、今、何か失礼なこと考えなかったか?
 すごいイラッとしたんだが……?」

「い、いえ、何も……」

 安堵にせよ何にせよ、顔に出やすい苗木であった。

「……と、ところで、なんか話を聞いて不安になってきたんですが、
 ボク以外は大丈夫なんですか? 不二咲クン、山田クン、石丸クンは……?」

「あぁ、それか……。
 結論から言うと、山田、石丸といった夢へ巻き込まれた側には何も問題はない。
 いや、まぁ、俺にとっては問題か……。
 脳波は覚醒の状態を示していた。データとしては狸寝入りしているのと同じ状態だ。
 目蓋を閉じていたら現れるはずのない反応……、
 テレビか何かを見せれば同じような反応もあった。
 ……だが、仮に連続で夢に入ったとしても、起きる問題はせいぜい寝不足になるくらいだろう。
 それも夜に何度も入った場合だけだな。
 ちなみに、目蓋を閉じていたら見られないはずの反応は苗木にもあったが、
 大きな問題じゃないからさっきは言わなかった」

「えっと、巻き込まれた側……?
 わざわざ言い分けたってことは……?」

「大丈夫だ。不二咲に関しても気になることはあったが、やはり、たいした問題じゃない。
 苗木と同じように帯状回前部が活発になっているんだが、夢に入られる側は1回だけだしな。
 それに、活発化も苗木ほどじゃない。影響はほとんどないだろう」

「そう言えば、その帯状回前部が活発なのは……?」

「原因か?
 おそらくだが、夢の中にお前らがやってきてるからだろ」

「ファンタジーすぎて詳しくはまだよく分からない感じなんですか?」

「……は? ……あぁ、そういうことか。この説明じゃ分からないか」

「す、すみません」

「いや、これに関しては気にするな。
 普段、あまりにも察しが良すぎて、理解力のある女と会話してるせいで、
 どれくらい説明すれば、相手が分かるのか、感覚が分からなくなることがあるんだ。
 あいつ、俺が伏せてることまで勝手に分析や理解を始めるからな……」

(理解してくれるってところだけ聞くと、のろけられてるようにも取れるな。
 現実は…………だけど)


「帯状回前部が異常に活発化しているのは、お前らが来たという情報を処理しているからだろう。
 お前らという情報を認知し、評価するために、
 データベースの再構築や記憶のタグ付け以外の行動も並行して行ってるんだ。
 夢に出て来る登場人物がクラスメート中心なのも、これで説明付く。
 苗木という情報を並列して処理してるってことは、
 帯状回前部とこいつが管理してるデータベースにとって、常に最新の情報がお前になるってことだからな。
 連想ゲームでお前やクラスメートが出やすくなってるんだ」

「なるほど……」

「お前にも同じ反応があるということは、相互に夢に入ってるという扱いなのかもな。
 山田と石丸に同じ反応が出ないことと、不二咲より苗木の方が活発化が激しいことの原因は分からないが……。
 一応、仮説のための仮説は立てられるが、これ以上、憶測に憶測を重ねてもな……」

 そこまで言って、松田は大きなため息を吐いた。
 どこか沈んだ様子だ。
 憂いを帯びた……と言えば、聞こえはいいが、
 実際のところ、そこには苛立ちと不満が混じった愚痴に似た気配があった。

「……はぁ。ノンレム睡眠現象の原因もそうだが、
 分からないことがあるってのは生きがいにはなるが、苛々するもんだな。
 ……そもそもなんだ夢の世界って? 遊園地かよ。
 近所の公園を飾り付けでもして我慢しとけよ」

(ボクに言われても……)

「まったく≪超高校級の神経学者≫と聞いて呆れるな。
 ファンタジーにまったく太刀打ちできてない。……チッ」

(いや、十分太刀打ち出来てると思いますけど……)

 研究者として分からないことが少しでもある状態に満足できないのだろう。
 研究者とは大概は貪欲なものだ。
 しかも、今回の場合、現象が現実離れしているうえに、データ収集や実験の機会は限られている。
 苗木が夢に入っていないクラスメートの数は残り9人しかいないのだ。
 残り9回で、原因究明を完璧なものにするには、松田と言えど難しかったのである。

「……なぁ、少し提案があるんだが、俺の研究が終わるまで、
 集め終わりそうになったら、もう一回希望のカケラをばらまくってのはどうだ?
 回収が可能なら、その逆もできるんじゃないか?
 1回ばらまくごとに、協力費も給付するぞ?」

「い、いえ、その遠慮しておきます。
 ……あ、そうだ。ボクもそろそろ授業に出ます。
 途中からでも、出られるなら出ないと……。
 ほ、他にも話さないといけないことがあるなら、放課後に来ますね」

 松田の目から真剣みを感じた苗木は、そそくさと退出の準備を始める。

 当座の疑問と不安は解消されている。

 これ以上、この場にいたら、雑談と言代わりにモルモット化への勧誘を受け続けることになるだろう。

 苗木は準備を終えると「ありがとうございました!」と元気よく挨拶をして、
 研究所の扉をくぐろうとする。

 だが、そんな苗木に対して、松田は怒るでもなく、
 ぶっきらぼうに声をかけた。

「……帰るなら、最後にこれを受け取っておけ」

 そして、松田は苗木に対して何かを投げ渡した。

「……え? ……とっ!? これは……?」

 苗木は投げられたものを落としそうになりながらも、ぎりぎりのところで手の中に収めた。

「ヘアピン?」

 どこかで見たことがあった。

「これって江ノ島さんのリミッター?」


 今学期になってから、江ノ島が肌身離さず身に着けているものと同じものに見えた。
 しかし、苗木は気づかないが、それは少し違っていた。

 デザインそのものは全く同じだ。
 一見、何の変哲もない。
 それどころが目立ちもしない。
 飾りも何もないシンプルなデザインであり、色もなく、ガラスのように透明だ。
 遠目では着けていることすら気づかれないかもしれない。

 だが、見た目の存在感と相対するかのように、中身には大きな意味があり、
 そして、苗木と江ノ島の持っているものの違いは、この中身に集約されていた。

 江ノ島の持っているものは、
 表向き、彼女の能力を制御するリミッターである(といっても、リミッター自体ほとんど知られていないが)。
 だが、彼女を真に抑えているものは別にあり、現在、彼女が持っているものはダミーである。

 だが、今、苗木に渡されたものはダミーではなかったのだ。

「あいつを抑えるには出力が足りなくて、結局使用しなかった試作品だ。
 少し調整して、帯状回前部など、今回の現象に関係してそうな部分に限定して動きを抑え込めるようにしておいた。
 成功するかは分からないが、夢の世界に入りたくないとき、
 それを身につけていれば、もしかしたら、現象に巻き込まれなくて済むかもしれない。
 まぁ、他のことも作業効率は滅茶苦茶悪くなるだろうから、完全な休息用だな。元はリミッターだしな。
 強制的にスリープモードに入るようなもんだ。どうしても休みたいときにでも使ってみろ。
 なんなら、他の奴に貸してもいい」

「あ、ありがとうございます……!」

「まぁ、ないよりはマシ程度だろう。
 現象発生時に頭につけてなければ、
 現実の体を動かせない以上、後から身につけることもできないしな」

「……いえ、それでも、これがあるだけで安心感が違いますよ。
 本当にありがとうございます」

「そうか……。
 ……じゃあ、それで安心できるなら、希望のカケラばらまきに……」

「ありがとうございました……! 失礼しまーす!」

 明るく元気な声を残しながら、苗木は脱兎のごとく逃げ出した。
 この数日で、苗木の逃げ足はどんどん早くなっている。

「……あいつから、苗木は押せばなんとかなるって聞いてたんだが。
 そうでもないな」

 松田は苗木が開け閉めした扉を見ながら、ぼそりと呟いた。

「まぁ、苗木誠殿は日々、もっとひどい無茶ぶりを受けてるんで。T氏とかS嬢とかに。
 もし、どうしてもって言うなら、同意じゃなくて命令の方がいいと思いますな」

 それを聞いて、山田がさらりとひどいことを言う。

「ドMか……。あいつのクラスメートだけはあるな」

「ちなみに、僕もどちらかと言えばMです」

「知らん」

「先輩はどっちですかな?」

「知らん」

 ひどい雑談が始まりかけた。
 しかし、すぐに山田自身がそれを打ち切る。

「さて、僕もそろそろ行きますぞ。
 もう3時ですし、軽くおやつでも食べてから授業に出席しますぞ」

「……余裕だな」

「次は僕達のクラスがまとまって受ける授業で、
 しかも、今回の件で学園長が先生達に話を通したっぽいんで、少しくらい遅れても大丈夫なんですぞ」

 そう言って、山田は色々と物が詰め込まれて重そうなリュックサックを背負う。
 そして、不二咲に声をかけた。

ひとまずここで
残りをまた明日の夜に……(ちょっと誤字脱字を確認するには頭がぼやけてきた……)


「アル……不二咲千尋殿はどうしますかな? ……うぅ」

「えっと……」

 なお、直前の夢の影響か、山田は不二咲の顔を見て、一瞬、何か別の名前を言いかけた後、
 何かを堪えるように目頭を押さえ、顔を背けたのだが、誰もあえて触れなかった。
 男にはそっとしてほしい時もあるのである。

「えっとねぇ、もう少しだけ先輩と話すことがあるんだぁ……」

「お仕事の話ですかな? ……それなら仕方ありませんな。
 他の人にはもう少し遅れるって伝えておきますぞ」

「うん、お願い」

「それではお二人ともさらばですぞー」

 そして、山田も研究室を出て行った。

 残されたのは不二咲と松田だけである。

「さて、じゃあ早速だが話を始めるか?
 お前にも授業があるみたいだしな」

「……はい」

 松田はホワイトボードを隅に戻し、自身も元々座っていた椅子へと戻る。

 そして、不二咲も真剣な表情で背筋を伸ばす。
 不二咲はクラスメートにもあまり見せたことのない、真剣な顔をしていた。
 おそらく今の不二咲を見れば、凛々しいと感じる者もいるだろう。

 不二咲の手元には開かれた小さなパソコンがあった。
 メモを取る準備は既に済んでいるようだ。

 準備万端な不二咲の姿を見て、松田は話を切り出す。

「まず、話に入る前に聞きたいことがある。
 お前はさっき見た夢の内容をどの程度覚えてる?」

「えっとぉ、それは……」

「具体的な内容は言わなくていい。
 覚えてるか覚えてないかだけだ。
 最初の方から最後のあたりまで覚えてるとか、漠然と途中だけ覚えてるとかでかまわない」

「……たぶん、最初から最後まで覚えてます……。
 始まりは苗木君が急に部屋に来たところからで、
 最後はその……えっとぉ……苗木君と認識が一致してましたから……」

 夢の最後に関して、不二咲はちょっと恥ずかしそうに口を噤んだ。

「苗木君が部屋に来る前にも夢があったなら、分からないですけどぉ……。
 たぶん、全部記憶にあるんじゃないかなぁ……」

「今のところ、夢の世界ってのはストーリー性があるのが基本だってのは聞いてる。
 ただ、それとは別に断片的なものばかりの時間はなかったか?
 映画を見ていたのに、出来の悪いパラパラ漫画を見ていたような……そんな記憶はないか?」

「えっとぉ……。なかったですぅ……」

「なるほど。
 覚えてない可能性もあるが、
 少なくとも、お前の記憶の中では最初から最後まで苗木がいて、夢も物語仕立てだったわけだな」

「はい。それでぇ……それにどういう意味があるんですか……?」

「お前も苗木も眠りについて即座に帯状回前部が活発化している。
 そして、その一方で苗木と違って、お前にはノンレム睡眠も長時間確認されている。
 ……というよりも、今回の睡眠ではノンレムが9割ってとこだな」

「夢を見るのはぁ……レム睡眠でしたよね?」

「覚えてたか。
 まぁ、厳密に言うと記憶に残りやすく、ストーリー性があるような鮮明な夢を見るのがレム睡眠なんだが……。
 この場合は、同じことだ。
 お前の場合はノンレム睡眠がほとんどだったはずなのに、きちんと鮮明な夢を見ていた。
 ちょっと違和感があるだろ?」

「たしかに……」


「素直に考えるなら、ノンレム睡眠のときに見えないはずの夢を見ていたってことになる。
 ま、夢の世界の数時間が現実世界の世界の数分に当たるならば、
 不二咲がノンレム睡眠のときは苗木達には意識がなくて待機状態であり、
 レム睡眠のときに夢の世界に合流して……、その数分で話が完結することもあり得ないことはないかもしれないが……。
 今のところ、何とも言えないな」

「………………」

 松田の言葉を聞きつつ、不二咲は無言で何度か頷いた。

「理解が速くて助かる。
 俺からも伝えておくが、苗木に言っておいてくれ。
 今夜は夢の世界の持ち主がノンレム睡眠になってから3, 40分程度してから、
 その夢の中に入る奴をひとり用意してくれってな。
 もし、夢の中の話がだいぶ進んでるなら、ノンレム睡眠のときも話が進んでるってことになるからな」

「……分かりました」

「ま、なんかウサギがノンレム睡眠のときは“あまり話が進まないことが多い”とか言ってたらしいから、
 素直に考えない方が案外正解だったりするのかもしれないけどな。
 そいつの言ってたのって、つまり、裏返すと、ノンレム睡眠のときも夢の世界があるってことになるからな」

「そういえば……、夢の中でけっこう長い間ゲームをしてたんですけどぉ、
 現実ではそんなに時間が経っていませんでした……」

「……ゲームをやってたのはどれくらいだ?」

「1時間が経った時点で石丸君が反応しててぇ……。
 それが、総ターン数の5分の1くらい経過してたときだからぁ……」

 不二咲は考え込む。

「少なく見積もってもぉ……4時間半。
 ゲームをやってない時間も合わせると、5時間は確実に超えると思います。
 多く見積もったら6時間くらいかなぁ……。
 もちろん夢の中の時間が均一だったら……ですけど……」

「……夢の中だとメタ認知が出来なくなってるからな。
 ま、それでも主観としては情報量は現実の数倍だったわけだ。
 苗木達も目覚めた直後は疲れてたみたいだしな。頭の使いすぎってところか。
 少し経ったら、もとに戻ってたところを見ると、
 単純な疲労ってよりは、乗り物酔いとかに近いのかもな」

「けどぉ、すごいですよね……。
 睡眠時間自体が1時間半程度だったからぁ……、
 ノンレム睡眠時も夢の世界にいるなら3, 4倍。
 レム睡眠のときにしかいないなら、レム睡眠は約10分だったから、
 30倍から36倍で時間感覚が速まったことになりますし……。
 ……考え事するのに便利そう」

「まぁな。
 ただ、今回は記憶があるようだが、毎回毎回残るとは限らない。
 そして、一番の問題だが、外部でそれを観測することや、保存することは“まだ”出来ない……」

「まだ……?」

「あぁ、人間とコンピューターの間で相互に記憶をデータとしてやり取りするための方法がまだ存在しないからだ」

「……三原色にあたるものがまだ分からないから……とか? ですかぁ……?
 それとも、味や臭いのデータ送信がまだ実現できないのと同じ理由ですか……?」

 色であれば三原色の重ね合わせ、音であれば振動の重ね合わせ、
 人間もコンピューターも根本的には同じものを見聞きして、情報を咀嚼、認識する。
 色も音も、素(もと)となる情報に種類はそれほどなく、受け取った側で容易に組み立てられる形に分解できるのだ。
 例えば、紫は赤と青という2つの情報に分解され、赤と青と聞かされた人間は紫を想像できる……といった具合である。

 嗅覚や味覚をコンピュータが扱うことできないのは、その素となるものを用意できず、
 既存の臭いや味を情報として分解できていないからである。

 だから、不二咲は嗅覚や味覚とと同じことが記憶のデータ化においても起こってるのだと思った。
 それは極めて自然な発想であった。

 しかし、松田は首を横に振る。

「……それもあるが、もっと単純な問題がある。
 記憶について完全な解析は出来てないんだ。
 味や臭いは、舌や鼻が物質に触れることで引き起こされる化学反応だってことは分かってる。
 どこに刺激を当たえれば、現象が再現するかは分かってる。
 その刺激を与えるための素となる情報が決まらないだけだ。化学物質は数が多すぎるからな。
 ただ、逆に言うと、数さえ集めれば原理的には可能だろう?」


「たしかに、そうですねぇ……。
 実際、300以上の化学物質をインクセットのようにパッケージして、
 プリンタで絵を描くのと同じように、臭いを再現する機械は実現に向かってますし……」

 松田の「可能だろう?」という問いに、さらっと同意して、実例を挙げる不二咲。
 人間の知的活動を分析・解明することを生業とする松田と、人間の知的活動をコンピュータで再現しようとする不二咲、
 2人の見た目や雰囲気からは連想しづらいが、興味範囲は近いところにあるのかもしれない。

「それに対して、そもそも記憶は、外部の刺激がどんな風に処理されて蓄積されるのか……といった根本的な部分に
 まだまだブラックボックスが多いんだ。
 味覚や嗅覚のデータ化が困難というのがソフトの問題だとしたら、
 記憶の場合はそもそもハードの仕様すら分かってない状態って言ったら分かるか?」

「あ……、はい。それなら分かります……」

「だから、刺激を与えて既存の記憶を一部忘れさせたり、
 存在はしているが表に出て来なかった記憶を思い出させたりといったことなら実現も近いが……。
 脳のデータを他に移したり、外部から記憶を追加したり……といったことは難しい。
 コンピュータに例えるなら、デリート、ロック、アンロックはできるが、
 コピー、バックアップ、リストアは難しいってところか……。
 しかも、前者は旧いテレビを叩いて直すようなもんだ」

「なるほど……。うん……。えっとぉ……つまり…………。
 ハードディスクを物理的に壊すことや、データ自体にアクセス出来ないように回線を遮断したりは出来るけど、
 中身がどんな風に出来てるかとか、データの形式とか具体的なことは分からない……ってことかぁ……」

「そうだ。
 希望ヶ峰がコネを使って、関連する超高校級や元超高校級を集めて、
 潤沢な資金を研究費として提供しても、コピーやバックアップの実現は遠いだろうな。
 それこそ、完全な仮想現実の実現や、
 人間そのものにしか見えない人工知能が生まれるほうが早いかもしれない」

「えっとぉ……。その……」

「そう言えば、お前の研究……、たしか名前はアルターエゴだったよな?
 ……ある意味じゃ、記憶のコピー実現に一番近付いてるのは、お前のアルターエゴって言ってもいいかもしれない。
 まぁ複製品というよりは、模倣品って扱いなのかもしれないが……。
 それでも、お前に今回声をかけたのは……お前の研究で……………」

「……あ、ご、ご存じだったんですね。アルターエゴを……!」

「ん? まぁ、噂だけだがな」

「……そう…………ですか」

 不二咲の顔色が急速に青くなる
 その変色に、松田は少し怯みつつ言った。

「…………誰にも喋ってないし、これからも言うつもりはない」

「わっ。ありがとうございます……!
 ……うーん。なぜか、みんな、知ってるんですよね。機密情報なんだけどなぁ……」

(……公然の秘密じゃなかったのか)

 泣きそうな顔から、パッと明るい笑顔になった不二咲の様子を見て、
 松田は言いたいことを心の中だけで留めた。
 松田にしては珍しいことである。

(……あいつは普通に雑談で話してきたし、この前、十神と霧切も知ってたぞ)

 あいつこと江ノ島盾子を思い出しながら、松田は小さくため息を吐いた。
 だが、すぐにため息を振り払いつつ、松田は話を戻す。

「ま、記憶のメカニズムの究明は俺が地道になんとかしていくつもりだが、
 今回は急ぎだからな……。素直に協力を借りたい」

「それで……声を……?」

 不二咲は首を傾げる。
 元々、仕事の依頼をされてここにやって来ていたが、
 その依頼の背景にあるものを知って、改めて、どうして自分が呼ばれたかを尋ねたのである。

「そうだ。元々、同期からお前の話を聞いて、どんな才能かは知っていた。
 今回の一件がなくても、いずれ声をかけるつもりだった。
 俺は俺の研究のためにも≪超高校級のプログラマー≫の力が必要なんだ」

もう少しいけるかと思いましたが、今回はここまでです

次は土曜日に更新します
どこかで後れを取り戻したいですね

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>>629
「ま、なんかウサギがノンレム睡眠のときは“あまり話が進まないことが多い”とか言ってたらしいから、
 素直に考えない方が案外正解だったりするのかもしれないけどな。
 そいつの言ってたのって、つまり、裏返すと、ノンレム睡眠のときも夢の世界があるってことになるからな」

「ま、なんかウサギがノンレム睡眠のときは“あまり話が進まないことが多い”とか言ってたらしいから、
 素直に考えない方が案外正解だったりするのかもしれないがな。
 そいつの言ってたのって、つまり、夢を見ているやつがレム睡眠になるまで待機してるって考えることもできる……。
 ま、ノンレム睡眠中でも夢の世界自体はあるみたいだから、素直なものと素直じゃないものの中間ってとこかもな」


「あのぉ……。そう言ってくれるのは嬉しいんですけどぉ……」

 松田に自らの専門性を評価され、不二咲は少し照れた様子を見せた。
 しかし、すぐに困り顔を浮かべる。

「今回、自分で体験して……何か研究の役に立てないかって考えたんですけどぉ……。
 時間以外で気付いたことはなくてぇ……。
 夢の世界と脳の相関関係を直接的に調べるようなのは難しそうだし……。
 そもそも解析やログ以前に、コンピュータが読み取れるデータにすることが出来ないんじゃ……」

「いや、待て。
 流石に神経学者や脳科学者が解明できないことを解明しろとか無茶を言うつもりはないぞ。
 ……ま、確かに、分野外のエキスパートの知恵や閃きに期待してたのは確かだ。
 だが、それはこれからに期待ってとこだろ」

「えっと、じゃあ……?」

「夢の世界の現象解析のためにやってほしいことは色々あるが。
 お前には現実側からのアプローチを突き詰めて欲しい。
 夢そのものを外部から観測することはできないが、どんな夢を見ているかを推測したり解析する方法はあるんだ。
 起きてるときにいくつかの画像を見せて、画像ごとに脳が見せた反応について特徴を抽出して、
 寝てるときの脳と比較するって方法なんだが……」

「あ、聞いたことあるかもぉ……。
 たしかそれってぇ……。
 例えば、水の画像だったら、人間の脳は水を見たとき特有の反応を見せるからぁ……。
 それを脳波や脳画像としてデータとして蓄積して……。
 寝てるときに脳が同じような状態になったら、それは水に関する夢を見てるって判断するんですよねぇ……?」

「そうだ。よく知ってるな……」

「少し前に、そういう研究があるって聞いててぇ……。
 すごいですよねぇ……」

「まぁ、試みとしてはまだ始まったばかりで、
 的中率は半々ってところなうえ、視覚以外には適用できていないがな……。
 当たり前だが、特徴を抽出したことのないものは夢に出てきたとしても予測の選択肢にすらならない。
 水や川を見たときの特徴しか解析してなければ、夢の中で海が出てきても水や川としか答えられないだろう。
 しかも、結局、答えは夢を見た本人にしか分からず、答え合わせをするにはヒアリングするしかない」

「それでもすごいことだと思いますよぉ……」

「そうだな。それに関しては俺も異存はない。
 ……だから、これを今回は利用してやって欲しいことがある」

 そう言うと、松田は「ここに4人分のデータがある」といくつかの画像を見せる。
 それは先ほどの睡眠において、
 不二咲、苗木、石丸、山田の4人から採取したデータを時系列に沿って並べたものである。

「ここには本宅的な磁気共鳴機能画像法(fMRI)に使える装置が4台もなかったからな……。
 寝てから頭に付けられるような簡易な装置を使ったが、
 それでも特徴を抽出するには十分な鮮明さだ。
 ≪超高校級のメカニック≫に小型化を任せた甲斐があった……」

 松田は画像の映っているモニターを操作しながら、ひとりごちる。
 そして、それらのデータを取り出した意図を説明する。

「同じ夢を4人が共有しているなら、
 同じ時間に同じような特徴が抽出されるはずだ」

「あ、なるほどぉ……。つまり、えっとぉ……、
 みんなのデータを比較対照して同時に似た特徴を見せている部分を抽出できるプログラムを組めばいいんですね……」

「やっぱり、理解が速いな。その通りだ。
 それで、もし実用に堪えるプログラムが出来たなら、それを次回以降の夢にも利用したい。
 実用に堪えるかどうかは、お前の主観で構わない」

「だけどぉ……、特徴を抽出しても、
 その特徴が何を見たときのものかはコンピュータ側……といよりも夢の外側では判断できませんよぉ……?」

「本来なら、夢の内容を解読するための特徴抽出には、
 あらかじめ被験者にヒアリングを行いながら画像を見せるなどして、
 パターンをを集めておく必要があるが……。
 今回は、そこまでの厳密性を求めていない。
 お前の見た夢だから、お前の記憶で大まかな当たりを付けてくれればいい。
 それが当たっているか最終的な判断は、俺の方でやっておく」

「なるほどぉ……」


 話した内容を自分なりに咀嚼しようと、
 不二咲は指先を口元に当てて、首を傾げた状態で思案した。
 そして、数秒経過すると、不二咲は言った。

「うん……。分かりましたぁ……。それなら今日中に出来そうです……」

 不二咲はやるべき内容を理解したようだ。
 それどころが、にわかに楽しみを覚えたのだろうか、不二咲の口元が緩む。

「……画像認識と分析は、アルターエゴの初期に勉強したきりだから、
 久しぶりでわくわくするなぁ……」

「プログラム以外の部分で分からないことがあったら、何でも聞け。
 より細かい説明は後で文章として渡すが、不足があるかもしれないからな」

「はい」

「よし……!」

 不二咲が笑顔で頷いたのを見て、松田も安堵する。
 松田は不二咲の反応から、研究の進捗に関して、強い手ごたえを感じていた。

(さて、これで最低限必要なことは終わったな……。だが……)

 不二咲に尋ねたいことも、頼みたいことも松田は言い終えていた。
 だが、松田は、その手ごたえをもとに、さらにもう一歩、先に進もうと考える。

(せっかくの機会だ。いずれ頼む予定だったことも話しておくか。
 今回の夢の話とも関係がないわけじゃないしな……)

 優先順位としては下がるが、不二咲に頼みたいことは他にも2つあった。
 そこで、この機会に、その2つも頼んでおこうと松田は考えた。

「さて、今回お前を呼んだ一番の理由、苗木や夢の世界に直接関係あることは以上だが……。
 もし、余力があるなら、やってほしいことがある」

「えっとぉ……、なんですかぁ……?」

「ひとつは人間の脳の活動合わせて特定の周波で音を出す装置があるんだが、
 これの改良だ。脳の活動に装置が反応してから、出すべき音を決めるまでの時間を短縮し、
 ひとつひとつの動作における遅延を減らしたい」

「見て見ないとできるか分かりませんけどぉ……。
 単純なアルゴリズムの改良でしたら、それほど時間がかからないと思います。
 もちろん、短縮できる時間にも限りがありますけどぉ……」

 これは江ノ島のリミッターに関わる依頼だった。
 江ノ島のリミッターの仕組みは大雑把に言うならば、
 人間の記憶力を落とす音を聞かせ続けるというものだ。

 脳と音は密接な関係がある。
 例えば、寝ているときに、特定の音楽を聞かせると、記憶力が向上するという実験結果があるのだ。

 江ノ島のリミッターはその逆である。
 これは、江ノ島の状態に合わせて、常にその脳の活動を阻害する振動を与えるというものなのだ。

「まぁ、仕様と要望をあとで送るから、見るだけ見て欲しい」

「分かりましたぁ」

「さて、悪いがもう一つ頼んでおきたいことがある」

「もう一つですか……?」

「これは俺からというよりも、
 霧切や十神からの依頼なんだが……。
 苗木用のアルターエゴを作れないか?」

「苗木君のぉ……?」

「ちょっとした日記代わりに使いたいらしい;;」

「日記……?」

「万が一、記憶や人格に関して何かあったとき、それをもとに苗木に思い出させるって寸法だ。
 時間さえあるなら、アルターエゴじゃなくて、
 苗木に今までの一生をまとめた伝記でも書かせるってのもありなんだがな……」

「ちょっとした日記代わりに使いたいらしい;;」
→「ちょっとした日記代わりに使いたいらしい……」


「それはちょっとぉ……たいへんなんじゃ……」

「ま、手間がかかるわりには、信頼性の欠ける結果になりそうだからな。
 結局、アルターエゴのノウハウを利用した方が精度的にも時間的にも、数段上だろうって話になったらしい」

「そう……なんですかぁ」

「とはいえ、これは優先順位としては最後でいい。
 苗木の再現なんて……より完璧なものを求めれば求めるほどキリがなさそうなものでもあるしな」

「分かりましたぁ……。
 苗木君の協力もいりますし、
 短時間では苗木君そのもののアルターエゴは作れないかもしれませんけどぉ……。
 出来る限り、頑張ります」

「色々と頼んで悪いが……よろしく頼む」

「はい……!」

 不二咲は頭の中で作るべきプログラムについて夢想しながら、笑顔を浮かべた。
 苦労はあるが、人のためにプログラムを作ることは、不二咲にとって楽しいことなのだろう。
 しばらくの間、不二咲はニコニコと微笑んでいた。

(才能に反して、邪気のないやつだな……)

「…………あ、そうだ。いけない……。
 そろそろ、ぼ……私も授業に行かないとぉ……」

(僕……とでも言いそうになったのか?
 ……江ノ島経由で性別に関しては聞いてるが、知らないフリをしておくか)

 松田は素知らぬ顔で淡々と言葉を返すことにした。

「あぁ、長い間、呼びとめて悪かったな……。もう大丈夫だ」

「はい、じゃあ……失礼します」

 長らく話をしていたが、その終わりはあっさりであった。

 不二咲はパソコンを脇に抱えると、研究所の扉を開け、
 そのままパタパタと小走りで立ち去る。

 その挙動はまるで小動物のように可愛らしいものだ。

「あいつに限らないが、この学校、見た目と才能が一致しない奴が多いよな……」

 不二咲の後姿を見つつ、松田は呟いた。

「まぁ、いまさらか……」

 松田は自分の彼女のことも思い出し、自嘲気味にため息を吐く。
 見た目や生き方とは関係なく、ただ有るだけで圧倒するから才能なのかもしれない……と、
 ふと松田はそんなことを思った。


◇◇◇

(だいぶ遅れちゃったなぁ……)

 不二咲は自室にパソコンを置いた後、着替えを済ます。
 そして、今、小走りのまま体育館へと向かっている。
 今、不二咲の姿は体操着であった。

(ふぅ……)

 体育館の近くまで行くと、不二咲は走る速度を緩める。
 少し息が上がっていた。

(少し体力が付いたからって……、過信は禁物だよねぇ……。
 この後は体育なんだから……、温存しないとぉ……)

 苗木や山田が少しくらい授業に遅れても良いと判断した理由のひとつに、
 次の授業が体育だからというものもあった。

 よほどのことがない限り、授業内容が分からなくなるということはないからだ。

(チームで頑張るスポーツのときは足を引っ張らないようにしないとぉ……)

 高校という形式を取っている限り、希望ヶ峰学園にも一般的な高校と同じく、必修科目として保健体育がある。

 保健に関しては、一般的な高校だと第一学年で終えるため、
 転入した時点で単位履修済みとなっているか、半年程度の履修で済むことがほとんどであるが、
 体育に関しては別であり、一般的な高校と同じように全学年において授業としてコマが用意されている。

 以前いた高校で体育の単位を十分取っていた場合は、自由参加となるようだが、
 今のところ、苗木達のクラスは全員が参加している。

 体育の必要単位数に達していないからという消極的な理由の者もいるが、
 メリットやデメリットの問題ではなく、息抜きとして参加している者が多いようだ。

 一応、超過した分の単位は、進学するならば、大学の単位の先取りとして保持しておくこともできるようだが、
 そこまで考える者はまずいない。遊び感覚の者がほとんどである。

 体育は実技として行える事の幅が広く、現場の裁量に任せられる部分も多い。
 そのため、希望ヶ峰学園では体育はレクリエーションとしての役割も果たしている。
 その内容は限りなく自由なものであり、教師も隅っこにいるだけという場合がある。

 強いて言うならば、希望ヶ峰学園の体育教師に求められるのは何かあったときの迅速な連絡と、応急処置くらいだ。
 ……しかも、それすらクラスによっては専門家顔負けの物がいて、必要なかったりする。

(みんなすごい強いよねぇ……。
 弱い僕なんかと一緒じゃ迷惑じゃないかな……。せめて頑張らないとぉ……。
 休みの間も運動は続けてたから、前よりは足を引っ張らないはず……。
 …………引っ張らなければいいなぁ)

 なお、成績の付け方はクラス内での順位や、勝負の勝ち負けなどではなく、
 絶対評価でかなり緩めに判定されるから、必死に頑張る必要はない。

 運動が得意な者達が競い合う場も別に用意されている。
 選択科目などでは、運動に関わる才能を持つ超高校級同士が本気で競うこともあるらしい。
 その光景は普通の人間にとっては、天上の戦いに等しいとのことだ。

 だが、必修科目としての体育はあくまでも息抜きに近く、競争はほとんど行われないのである。

(もし皆が本気で頑張ってたら、邪魔をしないようにしないとぉ……)

 不二咲は少しだけ不安を抱えたまま、体育館の扉に手をかける。

 息抜きとはいえ、運動内容によっては勝ち負けが存在し、
 勝ち負けが存在する場合、その明確な結果は全員に対して示されることとなる。

 そして、体を動かしている内に闘争心が刺激され、
 ヒートアップする場合も多々ある。
 周りが気付いたときには、限界を超えた戦いが発生しており、周囲はそれを止められないかもしれないのだ。

 だから、体育館に入ったとき、不二咲の目に入った光景も、
 きっと誰かが限界を超えた結果だったのだろう。

(みんな、今日はなにやってるのかなぁ……。
 ……って、あれ? どうしたのぉ……?)

一回ストップします
今夜のうちにもう少し更新して、明日の夜にももう少し更新する予定です


 霧切と十神が他の者達を先導しながら、体育館の扉へと向かって歩いてくる。

「ひとまず、2人を保健室に運ぶべきね。
 そして、それとは別に松田夜助を呼びましょう……」

「松田夜助には既に俺が連絡した……」

「さすが、十神っちだべ。
 けど、なんで霧切っちも十神っちも松田先輩のことをフルネームで呼ぶんだ?」

「さっさとお前も他の連中と一緒に運べ、葉隠」

「ひどいべ! 俺の言葉は無視か!? つーか、十神っちも手伝ってくれよ!?」

「俺は忙しい。苗木の代わりに持つべきものがある」

「いや、今スマートフォンしか持ってないべ!?」

 慌ただしい様子でクラスメート達が体育館の中から外へ出てきたのを、
 不二咲は扉の前で出迎えることとなった。

「不二咲か……」

「大神さん……? えっとぉ……、どうしたの……?」

 ぞろぞろと歩くクラスメートの中でも前の方――霧切、十神、
 葉隠と同じくらいの位置――を歩いていた大神が、不二咲に気付き、不二咲の側も大神に反応した。

「……えっとぉ」

 そして、不二咲はクラスメート達の姿をあらためて観察する。
 すると、気づいたことがあった。

「……朝日奈さんが寝ちゃったの……?」

 大神が朝日奈を背負っていることに、1テンポ遅れて、不二咲は気づいた。
 正面から見たとき、大神の逞しい体躯によって、背中の朝日奈がすっぽり隠れてしまうため、
 すぐには気づけなかったのである。

 そして、さらに数テンポ遅れて、不二咲は気づいた。

「……あ、朝日奈さんが寝ちゃったってことは…………」

「うむ……。我が近くにおりながら、面目ない……」

 大神の視線の先には、担架のように手足を上下に真っ直ぐ伸ばした状態で、
 両腕を大和田、右足を山田、左足を舞園に持たれた状態で運ばれている苗木の姿があった。

「えっと、それに桑田君と戦刃さんもどうしたのぉ……?」

 そして、さらにその奥側には石丸に肩を貸してもらっている、満身創痍と言った具合の桑田と、
 江ノ島に半ば引きずられている戦刃の姿が見えた。

 やはり、体育の授業中に何かあったようだ。


◆◆◆

 一方、その頃、苗木の意識は扉の間にあった。

「……そろそろ見慣れてきたな」

 率直な感想を苗木は漏らす。
 いつもと変わらず、扉は16個ある。
 そして、以前と同じように、部屋の中央付近にモノクマとウサミが待機している。

「あれ、早かったでちゅね……? 外の世界はもう夜でちゅか?」

「うぷぷ……。これはあれだね。あれですね。
 苗木クン、またまたトラブルに巻き込まれちゃったんですね。
 いやー、羨ましい人生だね」

 なお、モノクマは雁字搦めに縄で縛られたうえで、地面に建てられた杭に結び付けられていた。
 だが、どういう経緯でそうなったか、苗木は大まかな予想がついていた。
 そして、その予想は当たっていた。

「前回、前々回と、自由にさせておいてロクなことがなかったんで、縛っておきまちた!」

「ひどいよねー。イイ子ぶってもウサギの本性なんてこんなもんだよ。
 クマと違って、腹黒いのさー。ちなみに、苗木クンはどっち派?」

「……少なくても、クマではないかな」

「曖昧な答えだなー。
 まぁ、いいやー。それはひとまず脇に置いといて!
 ねぇねぇ、苗木クン?」

「なに?」

「心優しいキミならどうする? 可愛い動物が縄に縛られてたらどうする?
 日本昔話的な発想でお願いします!」

(ほとんど誘導尋問じゃないか……)

 苗木は呆れ顔を浮かべる。
 そして、苗木はモノクマの期待している答えを理解したうえで、こう答えた。

「縄に縛られたままにしとくかな」

「えーー!? 苗木クン、そりゃないよー。
 お約束が分かってないよ。ダメダメだよ。動物相手にフラグが立たないよ。
 動物と結婚できないよ!」

「いや、動物と結婚したくないよ。
 ……しかも、この場合は、助けた動物ってモノクマだよね……」

「もしかしたら、動物じゃなくて、
 苗木クンの優しい行いを偶然見ていた可愛い女の子とのフラグがバリバリ立つかもよ。
 中学で鶴を助けたときのことを思い出すんだ!」

「いや、ここじゃウサミしか見てないし……」

「見てる見てないで決めるなんて、苗木クンって下心がないと動かないのッ!?
 がっかりだよ! 失望だよ! 絶望じゃなくて失望だよ!
 中学のとき、鶴を助けたときのキミは下心で動いてなかったはずだ!」

(めんどくさいな……)

「顔に出てるよ!」

「いや、実際、めんどくさいし……」

「人間関係にはめんどくささは付き物です!」

(もういいや。無視しよう……)

「ひどいひどい!」

(無視無視……!)

 これ以上モノクマ相手に漫才をするつもりのない苗木は、
 意図的にモノクマの存在を無視する。

 他の者に対してなら、苗木がまず取らない行動である。
 ある意味、気の置けない相手と言えるかもしれない。


「光ってる扉は……赤色か…………
 ここに落ちてくる前のことから考えても、きっと、朝日奈さんだろうな……」

 モノクマを意識から除外したことで、現在の状況に苗木は集中し始める。
 すると、夢に落ちた直後はぼんやりとして思い出せなかった、現実での光景を思い出す。

「何があったんでちゅか……?」

 そして、苗木が思い出し始めたのとほぼ同時に、ウサミも苗木に尋ねる。

「それは……」

 苗木は、その光景を頭の中で何度か思い返す。
 そして、まったく説明になっていない説明を口にした。

「なんか体育館に入ったら、みんなが鬼ごっこ……っぽいことをやってた……」

「それは、なんというか……。高校生にしては珍しいでちゅね…………?」

「ボクもそう思ったんだけど、……なんか色々あったらしいよ」

 苗木はウサミに対して、出来る限りの説明をすることにした。



 苗木の話す内容は次のようなものであった。



 松田の研究所を退出した後、
 苗木は一度部屋に帰り、必要なものを取り、不必要なものを置き、
 少しゆっくりした後、着替えをして、体育館へと向かった。

 それほどだらけたつもりはなかったが、到着した時間から考えると、
 遅刻した時間はそれなりであった。

 だからだろう。
 苗木が体育館に入ったとき、その鬼ごっこ……のような何かは佳境に入っていた。

 大神が駆け、朝日奈が飛び跳ね、桑田がスライディングをし、
 大和田と石丸がふらつく互いの体を支えるように肩を組みながら励まし合い、
 江ノ島を肩車したまま戦刃が反復横跳びをしていた。

 どういう状況なのか全く分からなかった苗木は、他のクラスメートと話すことにした。
 幸い、他のクラスメートはすぐ目につくところにいた。

 体育館の隅に白いビニールテープで円が引かれていて、
 その中で、疲れて休んでいたり、疲れる前にさっさと戦線離脱してくつろいでいたりしていたのだ。

 苗木はその円へとゆっくりと近づいていき、
 最も入口側に近かった葉隠に声をかけた。
 そして、何をしているのか尋ねた。

 すると、葉隠はこのようなことを言った。

「見てのとおりチーム対抗の鬼ごっこだべ。
 ケイドロみたいなもんだべ。
 泥棒チームと警察チームって分け方じゃねーけどな。逃げるのはかわりばんこだべ!」

 結局、それは鬼ごっこなのか、ケイドロなのか、苗木にはよく分からなかった。
 しかし、これがどのような競技かについて知るよりも前に尋ねたいことがあったので、
 苗木はルール等についての詳細を聞かず、どういう経緯でこれを行うことになったかを問うた。

 すると、葉隠は「そりゃ、深い理由があってだな……」と胸の前で腕を組んだ。
 いかにもすごいことを話すぞ……といった具合であった。

 しかし、苗木は葉隠のちょうど斜め後ろに座っていた腐川が「深い理由……?」と首をひねっていたことから、
 脱力するようなオチになりそうだなと、別の意味で苗木は心構えを固めた。
 実際、どの辺に深さがあるか、苗木は最後まで理解できなかった。

「授業は初回ってことですぐ終わったんだ。
 センセーも帰ったべ。あ、これ今後の予定だべ。ちゃんと苗木っちの分も確保しておいたんだ。
 感謝してほしいべ。なんなら、今度あるセミナーに参加してくれてもいいんだべ」

 葉隠は体操服のポケットからぐしゃぐしゃになったA4用紙を取り出して、苗木に渡した。
 苗木はそれを広げて中を見た。
 少し破けていたが、見る分には問題なさそうであった。
 用紙には、今学期の予定が書かれており、本日は自由時間(レクリエーション)となっていることが見て取れた。


「で、やることないから、何をするかって話になったんだが、
 そのとき桑田っちがぼそっと言ったんだ。
 『超高校級全員で耐久鬼ごっこをやったら誰が勝つんだろうな』って」

 それは桑田がセレスの夢の中で得た細やかな疑問であり、
 ここ数日で気になっていたことであった。

 とはいえ、別に、桑田も汗水垂らしてまで知りたかったわけではない。
 単なる話のネタであったのだ。

 しかし、何人かにとっては、そうでもなかったようだ。

「朝日奈っちが『やるなら勝つよ』って燃えて、
 それに触発されて、オーガもなんかやばいオーラ出したんだべ。
 なんか青い炎みてーだった」

 そして、葉隠はさらに話を進めた。

「で、まぁ他にやることないしってことで、
 なんとなく皆で参加して、
 なんとなくルール決めて、
 なんとなくチーム対抗になって、
 なんとなく今に至るんだべ」

 葉隠が接頭辞代わりに“なんとなく”を連呼していたため、
 聞き手である苗木も「なんとなく分かったような……」としか答えることが出来なかった。

 近くで聞き耳を立てていた腐川が「え……。わ、わかったわけ……?」と、先ほどと同様に首を傾げていたが、
 なぜか分かったはずの苗木も、腐川に釣られる形で首を傾げていた。

 なんとなくの理解度で、かろうじて苗木が分かったことと言えば、
 体育会系なノリに適応できる者達が率先して、鬼ごっこ……のようなものを始めて、
 他の者達は参加こそしたものの早々にギャラリーになったということくらいであった。

「いやー、苗木っちが来るまでの間、すごかったんだべ。
 闘争心のぶつかり合いだべ!
 こんなに盛り上がるなら、観客でも呼んで、予想くじでも売れば良かったべ。
 あ、今は、チームとしては女子チームVS男子チームだべ。
 圧倒的な女子チームに対して、男子もけっこう頑張ってんだぞ」

 “男子もけっこう頑張ってんだぞ”という言葉の前提条件に、
 なんとも言い難く、聞きようによっては情けなさすら感じられるものが見え隠れしていたが、
 誰もそこには触れなかった。

 一般的な男子高校生と女子高校生ならば、男子が勝つだろうが、この学校は一般的ではないからだ。
 男子が情けないというよりも、女子が凄すぎるのである。

 このクラスにおいて運動能力に関して平均を取ると、女子の方が高い……というのは前学期に発覚した事実である。

 大神、朝日奈、戦刃が大幅に平均値を底上げしているのに加えて、
 霧切、舞園、江ノ島も一般的な高校生よりは体力や運動神経に恵まれており、
 チームとして見た場合、選手層が厚いのだ。
 その充実ぶりは、腐川やセレスが平均点をやや下げたとしても、十分すぎるお釣りが出るのである。
 しかも江ノ島は能力が下がった状態でなお、どんなスポーツでも司令塔をこなせる。

 それに対して、男子チームは、
 桑田、大和田、石丸、十神が平均値を上げているものの、
 苗木と葉隠が一般的な高校生レベルであるのに加えて、山田と不二咲が一般的な高校生を下回っているため、
 チームとして見たとき、中堅層が薄く、総合力で女子チームに劣ってしまうのである。
 しかも、司令塔をこなせそうな十神はチーム戦では基本的にやる気を出さない。

「苗木っち、山田っち、不二咲っちがいなかったから、
 男子チームでは俺が最弱だったんだが、十神っちよりは粘れたから満足だべ!」

 ちなみに、十神は今回もやる気を出さなかったようだ。
 捕まった人の待機エリア(同じチームの誰かがタッチすれば、中にいる者が復帰できるルールのようだ)の端で、
 難しそうな本を読んでいた。実にマイペースであった。

「まぁ、男子チームが検討してるっても、男子が負けるのも時間の問題だべ。
 今、男子チームが逃げる番なんだが、もう体力が尽きかけてるからな。
 女子チームの方が人数多いから、戦刃っちは江ノ島っちを肩車したままやるってハンデがあったんだが、
 そもそもオーガと朝日奈っちだけでもかなりやばいっつーか。
 一応、床に引いた白い線を鬼側がまたいだら、10秒後に一回足を止めないといけないとか、
 そういう遊びのルールを利用して、なんとかやってたが……、もう限界ってとこだべ。
 戦刃っちも、今じゃ動き回らずに、ここを死守することにかけてるみてーだし」

 時間で鬼側と逃げる側が交替するルールだったらしく、
 体力配分やルールを最大限利用することなどによって、男子側はなんとかここまでやっていたようだ。


 しかし、それでも最後はチームとしての地力が勝敗を分けつつあった。

「しかも、朝日奈っち、完全にスイッチ入った感じだしな。
 桑田っち、起こしてはいけない何かを起こしてしまったようだべ」

 最初、桑田は朝日奈相手に互角か、さもなければやや優勢に戦っていたようである。
 野球を通して(本人が意識せずに)鍛えたスタミナや、盗塁のための瞬発力を利用して、
 追いかけるにせよ、逃げるにせよ、活躍していたようだ。
 あとで大神によって待機エリアから解放されてしまったが、一度、朝日奈を捕まえたこともあったらしい。

 しかし、それによって、朝日奈の闘争心に火を点けてしまったのである。

 待機エリアらから復帰した朝日奈は、つま先で何度か体育館の床をトントン叩いて、
 上履きのずれを直しながら、こんなことを言ったとのことだ。

 ――私がスポーツで一番熱くなる時って、勝った時じゃないんだ。
   てっぺんに上がれるか上がれないか、際どいところでのせめぎ合い……。
   そこでの、胸が張り裂けそうになる興奮とか不安だったりなんだよ……!

 そして、朝日奈はこの言葉を述べた後、
 「いくぞーーーーーーーーー!!! 勝負だーーーーーーーーーー!」と気合十分で叫びながら、
 桑田へ向かって走っていき、朝日奈は桑田にワンツーマンでの戦いを挑んだのである。

 そして、6つの部活を掛け持ちして蓄えた体力や経験を利用して、
 桑田の体力をじわじわと削ったらしい。
 陸上部のマラソン競技で鍛えたペース配分と、バスケで鍛えたマーク技術を利用しつつ、
 持ち前の気迫と情熱をぶつけ続けて、桑田の心身にプレッシャーをかけ続けたのである。

 活き活きとした朝日奈の姿は、さながら餌を眼前に捉えた肉食獣のようだったと言う。

 桑田にとって災難なことに、
 桑田は朝日奈が本気を出すのに相応しい相手であった。

 そして、鬼ごっことはいえ、超高校級同士がぶつかり合えば、それはもはや死闘である。
 プロスポーツ並みの運動量が消費されても不思議ではない。

 そして、限界以上の力で全力疾走していれば、
 足ががくがくに震えても仕方がなく、
 意識が朦朧とし始めるのも当然である。

 だから、桑田が自分の汗に滑って転倒した後に「つーか、なんでオレこんなに汗水流してんだろ……」と、
 白目を剥いてピクピクと痙攣しながら呟いてもおかしくないし、
 桑田を捕まえた朝日奈が「勝った……!」と叫んだ後に、立ったまま失神してもおかしくないのである。



「いや、おかしいでちゅよー!?
 なんでそんなになるまで放っておいたんでちゅかー!?」

「そう言われても……」

「鬼ごっこって、そういうものじゃないでちゅからー!」

「けど、実際そうだったからね……ボクとしてはなんとも……」

 ウサミが叫んでいたが、苗木としてはそう主張し通すしかなかった。
 実際、目の前で起きたことだからである。

今回はこれで終わりです

申し訳ありませんが次の更新は来週です
シルバーウィークはあるのでその辺で多少遅れは取り戻せるかと

申し訳ないです
なんといったらいいのか分からないのですが……
リアルの事情により10月の中ごろ?まで動けないです

エタるの対策に定期更新を目指してはいたのですが
生存報告だけ定期的に行いつつ、書き貯めが一定以上になったら投下する方向にします

生存中です
中々投下できなくて申し訳ありません
もう少しお待ちください

生存中です。
今日でリアルの忙しい時期が終わりますので、週末頑張ります!


「えっと、あ、そうだ……」

 苗木は話を変えた。
 夢に落ちた原因より、これからどうするかのほうが苗木にとっては大事である。

「そういえば、この状態でリミッターを付けたらどうなるんだろ? 戻れるかな。
 あ、リミッターってのは……」

 苗木は外であった事をウサミへ軽く説明する。
 リミッターという夢に落ちるのを阻止できるかもしれない装置を手に入れたことを。

「へぇ、それは便利そうでちゅねぇ」

「でしょ? 頭に付けたら、いきなり夢に落ちるのは防げるかもしれないんだ。
 今のところ、いきなりってのが一番困ってるからね……」

 苗木は肩をすぼめた。
 だが、気を取り直し、ウサミに言った。

「だから、ウサミ。ボクの口を動かしてくれないかな?
 江ノ島さんの夢の中でやったみたいに」

 江ノ島の夢の中で、ウサミは江ノ島の真似をして、夢の中から現実の苗木の口を動かせた。
 だから、同じように口を動かせば、クラスメートに頼んで、
 ロッカーに仕舞ってあるリミッターを苗木の代わりに頭に付けて貰えるだろうと、苗木は考えたのである。

「わかりまちた。任せてくたちゃい!」

 それに対して、ウサミは強い意気込みとともに了承の意を示した。
 ウサミはステッキを上方――苗木が落ちてきた方――へと掲げる。

「いきまちゅよー!」

 掲げられた掲げたステッキが光を帯び、救難信号を告げるライトのようにステッキは瞬きを繰り返す。
 しかし、どれだけ時間が経っても、それ以上の変化はなかった。

「あれ、おかしいでちゅね……。
 前はこれでできたのに……」

 ウサミは首を傾げた。
 すると、モノクマが大声で笑い始める。

「あのときは江ノ島さんの夢の中だから出来たのさー。
 体の方が調整済みだったていうか? 素人ドライバー用にコースの障害物を取り除いた感じ?」

「なんでちゅか!? それ!?
 体が調整中って言っても、
 そもそも、モノクマは江ノ島さん、あちしは苗木君って働きかけたものがそもそも違ったはずじゃ……!?」

「所詮は素人夢マイスターのたわごとだねぇ」

「し、しろうと……」

「あのときのウサミは補助輪付きの自転車を漕いでた小学生みたいなもんだから。
 補助輪がなければこんなもんだよ。
 そうじゃなければ、お手本を丸コピペしてる大学生みたいなもんだね。
 夢と夢と繋がってるときの脳に対する影響とか考慮しないまま、同じことをやっても無駄無駄」

(こいつボクが人の夢に入ってるときの脳の状態とか完全に理解できてるのか……?)

 苗木は、一連の現象に対して頭を悩ましていた松田を思い浮かべながら、
 何とも言えず、曰く言い難い視線をモノクマへと向けた。

「……教えてあげないよ♪ ジャン♪」

(相変わらずふざけてるな……。
 こいつさえ協力すれば、松田先輩が今やってる研究がその日のうちに終わるんじゃないか……?)

 なお、江ノ島の夢のときに採取された脳波などのデータはあまりにも異常が多すぎて、
 松田は解析を保留しているのだが、苗木は知る由もない。

 仕方ないので、苗木は赤く光る扉へと歩み寄る。

(開けないで、朝日奈さんが起きるのを待ってるのもありだよなぁ……)

 苗木は籠城作戦も視野に入れた。
 連続で入ることの危険性を松田から聞いていたこともあるが、
 朝日奈に事前告知なしでいきなり夢に入ることも、どうかと思ったからである。


 しかし、苗木は同時にこうも思う。

(けど、今だからこそ良いとも考えられるかな……?)

 苗木は赤い扉のドアノブに手をかけながら思案する。
 連続でも3,4回くらいじゃ大丈夫だろう……と松田が言っていたことに加えて、
 昼に入るメリットを思い出したのである。

(けっきょく、どのタイミングでも、ボクはお邪魔することになっちゃうからなぁ……。
 朝日奈さんも出来れば昼が良いって言ってたし……)

 また、籠城という今までと違ったことをやるのも勇気が必要であった。

(ここに着たとき、扉をスルーして良いのかわからないんだよな……)

 苗木は「一度ここに落ちたら、ひとつは夢に入らないといけない……みたいなルールはあるのかな?」とウサミに尋ねるが、
 当のウサミは意気消沈して、こう答えるだけである。
 
「ないと思いまちゅが……。断言は出来ないでちゅね……。いや、たぶん大丈夫だと思うんでちゅが……。
 自信がないでちゅね……。あちし素人なんで……。扉の間とか殆ど分からないでちゅ……。
 そもそも、あちしなんて、ステッキを取られて食べられるわ、モノクマに言い様に弄られるわで……。
 どうしようもないダメなやつなんでちゅよ……。はぁ……」

 酔っぱらったOLのようにいじけて、愚痴を吐き始めていた。

(うーん……。たぶん、大丈夫なんだろうなぁ。色々と自信失くしてるだけで……。
 とはいえ……。無理してまで試すのもな)

 ウサミが自信を持って断言していれば、
 苗木もそれを信じて、今回は籠城を作戦として選んだかもしれない。

 しかし、いまひとつウサミの歯切れが悪かったため、苗木もその作戦を遂行する気になれなかった。

 苗木は手をかけていたドアノブを捻る。

「うぷぷ……。ボクはこのまま置いてかれちゃうのかな?」

 苗木の背後からモノクマの含み笑いが聞こえてきたが、苗木は無視する。

「ハァハァ……。放置とはたまげたなぁ……。綿出ちゃいそう……」

「………………」

 モノクマの荒い息も気にせず、苗木はドアを前へと押し開ける。
 そして、開けると同時に大声を出す。

「うわぁ。すごい!?」

「あ、ほんとでちゅ!! 綺麗でちゅ!」

「え、そんなに……? そんなにすごいならボクも見たいなぁ……」

 モノクマの言葉を無視して、苗木とウサミは扉をくぐる
 もはや2人の頭にモノクマの存在はなかった。

 扉の向こうには、いくつもの島が並ぶ大きな海があった。
 泳いでも泳ぎきれないであろうほど、大きな海だ。

 青い海、白い砂辺を燦々と輝く太陽が照らし、
 海の向こうからは白浪が何度も打ち寄せている。

 白浪が去った後の浜は柔らかな灰色のカーペットとなっており、
 素足で歩けばひんやりとした心地よさが得られるだろう。

 だが、今はその浜をゆっくりと歩く者はいない。

 代わりに、走る者はいた。

「えっほえっほ」

 朝日奈である。
 水着の上にパーカーを羽織った朝日奈が裸足で濡れた砂を踏みしめながら、前へ前へと進んでいた。
 朝日奈が一歩踏み出すたびに、後にはひとつ足跡が残される。
 足跡は強い脚力と足の指の力によって、まるでヘラか何かで固めたかのようにくっきりと残っており、
 当の朝日奈はその窪みからロケットのように前方へと打ち出され、飛ぶように浜辺を駆けていた。


(速いな……。いや、速すぎるな……)

 苗木がその速さに驚いている内に、朝日奈は遥か遠くへと行ってしまった。

「おーい!」

 苗木は大声で呼んだが、朝日奈は気づかない。
 朝日奈は砂浜を駆け抜け、砂浜の脇にあった岩浜へと進み、そのままそこから海へとダイブした。
 そして、朝日奈の姿は、苗木の視界から海の中へと一度消え、
 しばらくした後、着水地点からかなり離れた位置から現れた。
 両腕が水面から飛び出すや否や、朝日奈の身体全体が宙に浮かぶ。
 浮上の仕方は、イルカもかくやというほどのアクロバティックなものであり、
 太陽をバックにしたその跳躍はまるで人魚のようですらあった。

「すごい……」
「わぁ」

 白い波紋を残して、海の中へと消えた朝日奈の姿を目撃して、感嘆の息を吐く苗木とウサミ。
 思わず見とれて、朝日奈が行くのを見送ってしまっていた。
 そして、今見た光景に引き寄せられるように、2人の足は自然と前へ出る。

 そんな2人に対して、慌ててモノクマが声をかける。。

「ダメじゃん、苗木クン! ここはビーチだよ! 男の子ならもっと他のものに見とれないと!
 ほらほら、縄を解いてよ、苗木クン!
 ボクが健全な男子高校生の夏の海についてレクチャーしてあげるからさぁ。うぷぷ……!
 ……って、あれ、ボク、今回は本当にお留守…………?」

 バンッという扉を閉じる音が、モノクマの言葉をかき消した。
 苗木は無言のまま後ろ手でドアを閉め、縛られたままのモノクマを置いてきぼりにしたのだ。

「朝日奈さん、どっか行っちゃったね」

「苗木君もすっかりスルー能力が高くなっちゃいましたねぇ……」

 ウサミは染々した空気を出す。
 目には慈愛の光が宿っている。

「……また戻ってくるかもしれまちぇんし、この辺りを見学しまちょうか?」

「そうだね。なんかいい臭いもするし」

 苗木達は周囲を見回す。

 ここは海にある島のひとつであるようだ。

 南国にでもありそうな陽気な空気と景色が漂っていた。
 木が立ち並び、美味しそうな実がいっぱい並んでいる。

 だが、それだけでなく、島の中心には建物が見えた。
 なにかしらの店舗が存在しているようだ。

 そこはかとなく食欲を誘う甘い香りが流れてくることから、
 島の中心にあるのは、食べ物に関わる何かだろう。

(よく食べてよく動ける場所か……。
 シンプルだけどいい夢かも)

 苗木はリゾート地に来たような気分になった。

(修学旅行とかで来たかったかも……)

 苗木達はのんびりとそんなことを言いながら、島の中心へと向かう。
 そして、歩を進め木々の間を抜け、開けた場所へと辿り着く。

 大きな広場だ。
 広場にはいくつもの屋台が円を描くように並び、
 それらの屋台の円に囲まれるように、駅ビルのような建物があった。
 先ほどから見えていた建物だ。
 縦に長く横に短い。駅の脇にでもありそうな5階建てのビルである。
 1階、2階、3階、4階、5階、それぞれに違うドーナツ屋の看板が付けられていた。
 それぞれの階から、別々の甘い香りが漂ってくる。

(周りの景色と比べると、屋台も十分浮いてるけど、あれはそれ以上に浮いているな。
 やっぱり、ドーナツが好きなんだな……。
 ……ん? あれ? あそこにいるのは?)


「わぁ~。おいしー!」

 先ほど海に飛び込んだはずの朝日奈がいた。

 ただし、着ているものは先ほどと違う。
 入学式の頃のように、白いシャツと青のショートパンツの上に赤いジャージを羽織っている。

 朝日奈は大量のドーナツが入った袋を片腕で抱きかかえたまま、屋台で売っている他の食べ物を見て回っているようだ。

「あむあむ……! むしゃむしゃ……!」

 他の食べ物を見ている間も、もう片方の手でドーナツを次々と口の中へと放り込む。
 そして、もの凄い勢いで口を動かす。
 大口を開けてがっついてるわけではないが、その咀嚼の速度は凄まじい。
 リスのように大量に頬張りつつ、口の中に別の口があるのではないかという速度で食べ物が消えていく。

「あぁ、美味しかった!
 甘いものの次はしょっぱいものかな! 交互に食べると毎回新鮮な感じでいいよね!」

 誰に聞かせてるわけでもないだろうに、朝日奈は楽しそうに大声ではしゃいでいた。
 腕に抱えていた食糧は既にない。

「よーし! じゃあ、ラーメンだー!」

 そして、パタパタと苗木から見て奥の方にある屋台へと走って行った。

(うーむ。運動して食べてを繰り返す夢なのかな。
 ……すっごいシンプルだな)

 いつものように苗木は苦笑いを浮かべる。
 それに対して、隣にいるウサミは「うわー! 美味しそうな食べ物がいっぱいありまちゅね!」とはしゃいでいた。

(味はするんだろうか?
 夢だと味がないって話もどっかで出たような……?
 けどドーナツの匂いはするし、味も再現されたりして?)

 ドーナツに関しては、味も匂いも触り心地も朝日奈の脳裏に焼き付いてるかもしれない。
 苗木はそんなことを思いながら、ビルを見る。

(そういえば希望ヶ峰学園の最寄駅にもドーナツ屋が入ってたビルがあったな……。
 現実はビルの中が全てドーナツ屋ってわけじゃないけど。……ってあれは?)

 驚く苗木の視線の先には、希望ヶ峰学園の制服を着た朝日奈と大神がいた。

(さっき別の屋台に行ったはずの朝日奈さんが大神さんと一緒にビルの中から出てきた……?)

 遠くからでも聞こえるような大きな声で
 朝日奈が「食べた食べたー! 次は運動だね。さくらちゃん!」と言っているのが聞こえる。
 そして大神が静かに頷くと同時に、彼女達は全力で走り始める。
 どうやらランニングを開始したようだ。
 もの凄い勢いで土煙を上げながら、彼女達は進んでいく。

 苗木のいる位置から見て反対側から、彼女達は広場を出て、そのまま姿を消す。

(せわしないな……。
 それにしても、あっちの道は何があるんだろう?)

 苗木は屋台の間を抜けて、朝日奈と大神が走り去った道へと向かうことにする。
 広場を横断する形だ。
 すると、その横断の最中に、あることに気付く。

「屋台には誰もいないな? 勝手に持って行っていいのかな?
 それにしても、誰もいない屋台なのに出来立ての食べ物は用意されてるって、
 夢だって知らなければホラーだな……」

「うーん……? 誰もいないからってお金を置かないのもなんか変な気分でちゅね。
 食い逃げみたいになっちゃいまちゅし、お金は置きつつ、貰っていきまちょうか。
 お金は魔法で作りまちゅんで!」

「………………えっと、じゃあ、それで」

 一瞬、“通貨偽造”という言葉が苗木の頭を過るが、
 魔法だし、夢だし……とすぐに気を取り直す。
 気を取り直すまでに僅かな間があったが、ウサミに特に気にした様子は見られない。


「ちんぷい~」

 ウサミの魔法で作成した硬貨を置きつつ、近場にあった物を手に取る。
 苗木もウサミの出した硬貨を受け取って、同じことをする。
 これで何かあっても共犯である。

 苗木は串焼き、ウサミは綿雨を選んだ。

「味も匂いも……」

「しないでちゅね……」

 やはりドーナツは特別なようだ
 苗木達は味のなくなったガムでも食べているかのような表情のまま、
 それらをよく噛み、飲み込んだ。

 2人は無言のまま、ゆっくりと朝日奈の立ち去った方へと進んでいく。

 屋台だらけの広場を抜けた、椰子の木らの間を抜け、苗木は舗装された道に辿り着く。
 道は苗木から見て、左から右へと続いていた。

「うーん?」

 朝日奈と大神がどちらに行ったかは分からない。
 しかも、地平線の向こうまで道は続いているようだ。
 道の両脇には街路樹が並んでおり、TV中継で放送されるようなマラソンのコースを思い出させた。

「どうしようか……」

「どいてどいて~!」

「えっ?」

 右に行くべきか左に行くべきか?
 まず右を見て思案していた苗木の虚を突くように、左から声がかかり、
 さらに、その声を追い抜くような速度で、朝日奈が自転車で脇を駆け抜けて行ったのである。

「トライアスロンで自転車は苦手だよ~」

 朝日奈はそんなことを叫びながらも、もの凄い勢いでペダルを漕いでおり、
 あっという間に地平線の向こうへと消えて行った。

「……速いなぁ」

「それに一か所に落ち着く気配がないでちゅねぇ」

「うーん。たしか現実でも暇さえあればトレーニングしてるかも」

「練習熱心なんでちゅね!」

(……というよりも、習性かな? 寂しいと死んじゃうウサギ的な)

「案外、追いかけるより、ここで待ってる方がいいかもしれまちぇんね。また戻ってくるかも」

「確かに……」

 今のところ周囲には人影はないが、また朝日奈や夢の中の登場人物が戻ってくるかもしれない。
 そう考えると、自分達から探し回る必要性は特にない

(ん……?)

 そして、その考えは的中した。
 近くでボールを打つ音がしたのである。

 大気を震わすほどの打球なのだろう。
 視認はできないが、聴覚だけではなく肌でその方向を苗木達は感じることが出来た。

「えっと……」

「行きまちゅか。あ、いざとなったら魔法で守りまちゅね!」

「うん。お願い」

 苗木達は音の出る方向へと進んでいく。
 舗装された道を挟んで向こう側、そして、その向こう側にある木々の間を抜けると、朝日奈と大神がいた。

修正

ウサミの魔法で作成した硬貨を置きつつ、近場にあった物を手に取る。
→ウサミは魔法で~


「セッ!」

「ハッ!」

 テニスコートの中をスコートを履いた2人がもの凄い勢いで走りまわっている。
 そして、飛んできたボールに追いつくと、手に持ったラケットを振るい、爆発音とともにボールを打ち返す。
 大神の放つ打球に至っては、地面を揺らしていた。
 比喩ではなく、本当に揺れており、苗木の足まで振動が伝わっているのだ。
 傍から見ると、ボールが鉛玉のような質量を持っているような有様であった。
 審判台と、そこに座っている葉隠の髪も意味なく揺れている。

「サーティ・フォーティ……だべ!」

(なんで審判役が葉隠君なんだろう……?)

「ジュースだべ! 同点だべ! 美味しそうだべ!」

 juiceではなくdeuceなのだが、どちらにせよ試合は白熱しているようだ。
 スコアボードを見る限り、ここから先に2点先取した方が、この試合に勝利するようだ。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 大神の力強いフォームから飛び出す超速のサーブが朝日奈のコートに飛ぶ。

「柔よく剛を制す!」

 そんな超豪速球を朝日奈はラケットのガットで受け、
 絶妙な力加減を以って、前へと走り込んでいた大神の後ろへと山なりに返す。
 完全に裏をかく形であった。

 しかし、大神の身体能力の前では、それも無意味である。

「甘いぞ……朝日奈よ!」

 シュン……という漫画かアニメのような効果音を立てて、大神の姿がかき消え、ボールの進行方向に出現する。
 まるでワープでもしたかのようだ。

「はあっっ!! 剛能く柔を断つ!」

 そして、再びボールは反転する。先ほどと一緒かそれを上回る速度で、朝日奈に向かう。
 顔面に当たれば即死だろう。

「待ってたよ、さくらちゃん! その一撃を!」

 だが、そんな殺人スマッシュに対して、朝日奈は突っ込んでいく。

「なんでちゅって!?
 あそこで突っ込むなんて。無謀でちゅ! 死んじゃいまちゅ……!
 ……ハッ? いえ……この狙いは!?」

「どういうこと? ウサミ」

 なぜか解説役風味の驚きの声をあげるウサミに対して、苗木は尋ねる。
 ちなみに、2人が会話を始めてから、周囲の時間の流れは不自然に遅くなっている。

「パワーで負けるなら、そのパワーを利用すればいいんでちゅよ!
 あの位置でブロックすれば、最短距離で大神さんのコートに戻せまちゅ!」

「けど、それなら大神さんも突っ込んでいくんじゃ?
 同じことをしたら、あとは反射神経の勝負になって……」

「そうなったら、互角か朝日奈さんの不利でちゅね。
 だけど! 腕力や脚力での戦いはそれ以上に不利である以上、これが最善なんでちゅ!
 いくらボールが高速で動いたとしても、その質量は変わらず、そこから生み出される力積にも限界がありまちゅ。
 だから、体全体で体当たりするように動けば、朝日奈さんの体格でも大神さんの渾身の一撃に対抗できまちゅ!
 それに、先ほどのロブショットを見せたおかげで、大神さんの意識は後ろに残っていまちゅ。
 ……いや、そもそも朝日奈さんが左右に打ち分ける可能性がある以上、近づくのは愚策。
 横を抜かれる可能性がありまちゅからね。
 大神さんには、やや遠くから、ボールの向きを見極める必要があり、
 朝日奈さんと同じ行動を取るとは考えられまちぇん」


「そ、そうなの!?」

「そうでちゅ!」

「けど、そうだとしても、大神さんにはあのワープ移動が……」

「朝日奈さんが利用できるのは急速だけではありまちぇん!
 ボールの回転も利用できまちゅ!
 もし、大神さんの球には強いトップスピンがかかっていまちゅから、それを利用したスライスを打てば、
 その強い逆回転により、相手の打球に制限をかけ、大神さんの全力スマッシュを阻止できまちゅ。
 そうすれば、球速を一定にして、持久戦に持ち込むこともできまちゅ。ミスも狙えまちゅ。
 もちろん、少しでも甘いスライスだと、ボールが浮いて、抜かれるのは朝日奈さんの方になりまちゅから、
 これはもろ刃の剣でもありまちゅね……。
 だから、ここからは体力と集中力。つまり、あとは体力と根性の世界でちゅ!」

(ウサミの解説が合ってるかはともかく、朝日奈さんはそういうの好きそうだな……)

 ウサミが解説を終えると同時にスロー再生が終わった世界の中で、ぼんやりと苗木はそんなことを考え、
 論理ではなく、クラスメートの性格を思い出して納得する。

 目の前で分身する大神に対して、崖っぷちで対抗する朝日奈の姿はとても活き活きとしたものであった。

(すごいなぁ……)

 素直に感心する苗木。
 だが、その直後に、他の人に聞かれたら雰囲気が台無しになることも考える。

(けど、ここで一番すごいのは、このラリーの中で壊れないラケットなんじゃ……)

 異次元の試合を見つつ、苗木はふとそんなことを思い、
 途中から2人ではなくラケットの心配をし始めた。

 なお、なお苗木の心配をよそに、
 試合が終了するまでの数十分間ラケットは丈夫であり続け、その役割を全うした。

皆さま、お待たせしました。更新再開です
この土日で、休んでる間に出たロンパ関係の知識も補充しましたし、来週も頑張ります!


◆◆◆

「あ、苗木だ」

「や、やぁ、朝日奈さん」

 今気付いたのか? と苗木は苦笑する。

「どしたの? そんなところで」

「散歩……かな?」

「ウォーキング? 気持ちいいよね! 砂浜だと指先も鍛えられるし」

「そうだな。あれは素晴らしいものだ」

 大神が追従した。
 手には手拭いがある。汗は拭き終えたようだ。
 大神は続けてこんなことを言った。

「それに磯風を浴びながら駆けるのもまた趣がある」

「そうだよね。泳ぎたくなるしお腹も空くよね!」

「磯と言えば……、腐川の小説のタイトルがそのような名前であったな」

「腐川ちゃんの本って、たしか恋愛小説だよね?
 わ、私…そういうのはちょっと……」

 なぜか朝日奈はひとりで照れている。
 そして、その場をごまかすかのように、苗木に話を振った。

「な、苗木はどうなの? 読んだの? 実は、恋愛得意だったりするの?」

「えっと、読んでないよ……。
 クラスメイトの書いたものだし、読もうと思ったんだけど、
 『同情で読むくらいならトイレのちり紙にでもして!』……って言われて、
 本を持っていかれちゃった……。すごい速さっだよ……」

「そ、そうなんだ……。
 持ってったってことは、腐川ちゃんも捨てられるのは流石に嫌だったの……かな?」

「さ、さぁ……」

「そう……」

 本の中身や恋愛に関する話を期待したら、まったく別の答えが返ってきたため、
 朝日奈は少したじろいだ様子であった。

 そして、そんな苗木と朝日奈の会話に反応して、
 夢の中の葉隠がこんなことを言った。

「海とトイレで思い出したべ!
 浜辺にはりゅーぜんこーってお宝が落ちてることがあるんだべ。
 苗木っちも見つけたら俺にくれ」

「りゅーぜんこー……? なにそれ?」

「葉隠、前もそんなこと言ってたよね……」

 葉隠の言葉に疑問しか返せない苗木の代わりに、
 朝日奈が白い目で葉隠を見た。

 なぜ朝日奈がそのような目をしているかというと、
 葉隠の言う"りゅーぜんこー"と、それに関して現実で葉隠がした雑な説明に問題があった。

 葉隠の言っているのは、正しくは龍涎香である。
 マッコウクジラの腸内で出来る結石であり、香料として古来より高い価値をもつ。
 龍の涎で出来たものとも昔は言われており、純金にも劣らない高い価値を持つ。
 浜辺で偶然拾った人の腕程度の大きさの龍涎香に1000万円以上の価格が付いたいう話もあるくらいだ。

 単なる排泄物とは違い、何らかの化学反応でマッコウクジラの腸内で発生する蝋状の石であり、
 水より軽く、浜辺に流れ着く事がある龍涎香は浮かぶ金塊とも呼ばれることがある。

 だが、現実で葉隠がした説明は『クジラが出したものは変な臭いだけど高値で売れるらしい』くらいのものであり、
 誤解しか招いていなかった。
 ちなみに、葉隠はお得意さんの家で龍涎香の匂いを必死で嗅いで覚えてきたとも発言していたため、
 その辺りも朝日奈のドン引き具合を助長していた。


「最近、浜辺を走ってるとたまに思い出しちゃんだよね……。うっかり踏んだらどうしようって」

「ふんだら形が壊れるかもしれないからな! 形はそのまま俺にくれ!」

 現実であったやり取りに近い会話をする朝日奈と葉隠の様子を見ながら、苗木は首を捻る。

(葉隠君が審判をやってたのは、りゅうぜんこーの話で、浜辺から葉隠君が連想されたからかな?)

 しかし、それ以上のことは苗木には分からなかった。

 そして、朝日奈も夢の中でわざわざ解説をしたくないため、
 誤解について気付く者は誰もいないまま、話は進む。

「俺は探してくるべ。なんか今日は見つかる気がするべ」

「そ、そう……。頑張って」

 数歩下がって、朝日奈は葉隠の言葉に答えた。
 葉隠はゴミ拾いをするときのような手袋を、手にはめるなど移動する準備をしつつ、
 朝日奈に笑顔で言った。

「テニスやってたら金持ちに会えるって占いは外れたから、
 次は当たりそうだしな」

「十神は呼んだんだけどね。テニス上手そうだし。
 だけど、来なかったんだよね」

「十神っちはウインドミルのクラブに先祖代々入ってるみたいだから、
 きっとそこじゃないとやる気出さないべ」

「あぁ、そういえば『俺とテニスコートで話したければ、最低でも全英オープンで優勝だ』って言ってたね」
 まったく! そこまで登りつめたら、十神じゃなくて、もっと強い人と競いたいよ!」

 朝日奈は頬をふくらます。

「球技大会があったら十神と同じの選んで、試合を挑んでやろーっと」

「朝日奈さん、たしか、希望ヶ峰学園の球技大会は学年対抗だよ」

「え? それじゃ……」

 朝日奈は首を傾げ、何かを考え始める。

「試合、接戦、ライバル、認めあい……更なるライバルの登場や、
 かつてのライバルとの共闘は無理ってこと?」

「そもそも球技大会だけじゃそこまでのイベントてんこ盛りにはならないんじゃないかな?」

「そうなると……」

(あ、聞いてない……)

 1秒、2秒、3秒と朝日奈は夢想する。
 その間に、葉隠が立ち去っても、朝日奈は何かについて悩み続けた。

 そして、かれこれ数秒経過した後、ぼんやりと顔の表情を緩め「……行ける!」と呟く。

「ガタガタの部、仲間探し、個性の強い人達、喧嘩、和解、努力、友情、勝利……これだ!」

(……そうなの?)

 何かに納得した様子の朝日奈に対して、苗木は純粋な疑問を浮かべる。

 だが、大神は無言で頷き、葉隠はもうおらず、
 ウサミは「そうなんでちゅか!」と納得してしまっているため、苗木の疑問に寄り添う者はいない。

「そうだよ! 学年対抗なら皆を集めて、練習しないと……!
 もう球技大会まで1週間もないし、優勝しないと廃部だよ!」

(学年対抗なのに廃部って……)

「えへへ、よーし! みんなを探しにいこー! ね、さくらちゃん?」

「うむ」

「苗木も!」

「あ、うん……」


 苗木は曖昧な返事をしたが、朝日奈の方はそれで満足する。

「よし! じゃあ、あとはウサ……ミちゃんでいいんだよね?」

「はいでちゅ!」

「よーし、じゃあ、ウサミちゃんも!」

「でちゅ!」

「目指すは友達100人出来るかな!
 騎馬戦なら25組!
 一騎当千なら25万! ……じゃなかった2万5千パワー!」

(球技大会ってなんだっけ……? 騎馬になってボールでも投げ合うのか……?)

「では、行くか。朝日奈よ。強敵(トモ)を求めて」

「うん! 友達(ライバル)を探して!」

(なんかこんなノリの先輩を前に見たなぁ……。
 あっちはスポーツじゃなくてバトルだったけど……。
 案外、会ったら意気投合するか?
 いや、朝日奈さんはスポーツ漫画のノリだけど、
 あっちは格闘ゲームとかバトル漫画のノリだから違うか……。
 ……いや、違うことになるのか? それ?)

 苗木はデジャブを覚えつつ、深く考えることを止める。

(ここはとりあえず、ついていこう)

「苗木は球技だったら何に参加したいの?」

「……え?」

 いきなり自分に矛先が向くとは予想していなかった。

「えっと、候補に何があるか分からないけど、野球とかサッカーかな?」

 特に何も意識せず、苗木は質問に答える。

(野球ならライトの9番、サッカーならディフェンスの端の方がいいかな。
 体育会系の超高校級がいっぱいいる中じゃ足手まといにならないようにするのが仕事になりそうだし)

「うん。じゃあ、暫定的にキャッチャーね」

「……え?」

 予想外のオファーが来て、苗木は焦る。
 だが、そんな苗木の焦りを気にする様子もなく、大神も続ける。

「頼んだ、苗木よ……。
 我のピッチャーとしての技術は桑田には遠く及ばぬ。
 だが、球威だけなら負けぬ!
 我の全力を受け止めてくれ!」

「い、いや、ちょっと待ってよ!?
 本当に待って!!
 死んじゃう! 死んじゃうよ!」

 鉄を断ち割る豪腕によって繰り出される投球を受け止める自信が、苗木にはなかった。
 キャッチャーミットごと天へ舞うことになるかもしれない。
 しかも夢補正付きであり、実際の大神より強化されているかもしれないのだ。
 それでいて“技術力は劣る”や“球威だけ”など、コントロールに疑問符が付きそうな不吉な発言もある。
 苗木に限らず遠慮したいところだろう。

「さくらちゃんを信じて!」

「あ、朝日奈さんがやればいいんじゃ……」

「私は外野全部をカバーしないといけないから」

「さ、3人でやるの?」

「ウサミちゃんもいるから4人だよ!」

「それでも足りないし、ウサミは学園の生徒じゃないから……」


「細かいことは気にしたらダメだよ! まずは行動しないと。
『波に乗っているときは、勢いに身を任せることだ。
 君を一段高いレベルに引き上げるのは、君の内なる存在だ』ってゴルフのグレグ・ノーマンも言ってた!
 今の私達のコンディションならなんとかなるって!」

(そもそもボクは2人と違って、まず波に乗れてないんだけど……)

「まぁ、まずはやろうよ! 何事も挑戦だよ!」

「あ、うん……。そうだね」

 結局、勢いに負けて苗木は了承する。
 そんな苗木の様子に、朝日奈は満足げに頷いた。

「うんうん。よきかなよきかな。それじゃ……」

 朝日奈はピョンピョンと踵を上げて、走る準備を始める。

「まずは野球場だね。隣のポンデリング島にあるから、今から泳いでいけば1時間くらいだよ!
 ここで桑田を倒して、仲間にしよう!」

(ポンデリング島……なんて安直な名前なんだ。しかも遠いし。
 あと、倒せば仲間が増えるんだ……。ゲームみたいだな……)

「じゃあ、いこー!」

 朝日奈は走り出す。

「野球場まで競争だよ、さくらちゃん!」

「あぁ……。受けてたとう……」

 走り出した朝日奈を大神が追いかけ始める。
 朝日奈が風のような軽やかな速度だとしたら、大神は流星のようだった。
 素早さと重みの両方があり、圧倒的な力強さがあった。
 あっという間に、大神は朝日奈を追い越し、リードを広げ始める。

 ――流石だね。さくらちゃん!

 ――悪いが、海に入る前に差を広げる……!

 ――負けないよ! 陸でのトレーニングの成果を見せてあげる!

 遥か遠くから、木霊のように2人の声が聞こえるが、
 その頃には苗木の視界から彼女達の姿は完全に掻き消えていた。
 まるでアニメの倍速を見ているかのような出来事であった。

「……あちしらは魔法で飛んで行きまちょうか」

「そうだね……」

 飛んで行っても朝日奈達の方が先に着いていそうだな……と思いつつ、
 苗木はウサミの魔法で空に浮かび始めた。


◆◆◆

「やっぱり先にいる……」

 苗木とウサミが着いたときには、既に朝日奈と大神は野球場の前にいた。
 野球場の外観は、巨大なポンデリングであり、輪の中がスタジアムになっているようだ。

(2人は真剣な様子だけど、視線の先にあるものはファンシーだな……)

 入口付近で仁王立ちする朝日奈と大神の後ろ姿を視界に入れつつ、
 苗木はポンデリング型のスタジアムを眺める。

(ある意味、一番夢らしい夢かもな。メルヘンチックというか……)

 窓や看板などもチョコレートやパンケーキの形をしており、見ているだけで胸焼けしそうだった。

「苗木、準備はいい?」

「まぁ、最低限は……」

「じゃあ、行くよ。ここにいる桑田を倒して――――」

 朝日奈はグッと右拳を握り、自らに気合いを入れる。
 苗木はそれを見て、横槍を挟まず、心の中で思う。

(……桑田クンを仲間にするんだよな? けど勝てるのかな? 夢の中とはいえ、桑田クンに野球で……。
 けど仲間に出来たら、このあとはテンポよく進みそうだな)

「――――このポンデリングをお腹いっぱい食べようね!!」

「……え? 仲間にするんじゃ?」

「お菓子の家に住んでる人を倒したら、そのお菓子の家は食べていいんだよ!」

「エンゼルとグレープだな……」

(ヘンゼルとグレーテルじゃないかな、大神さん? ……いや、この場合、間違って覚えてるのは朝日奈さんか?)

「ま、まぁ、食べた後に桑田君も仲間にすればいいんじゃないでちゅか?」

「そういうことだよ、苗木! 頑張ろうね!!」

「あ、うん……」

「じゃあ、ものどもとつげきー!」

「応(おう)!」

「「は、はい」」

 隣の大神が発した力強い言葉が耳に入るや否や、苗木とウサミは瞬間的に背筋を伸ばす。
 口からは勝手に声が出ていた。
 気に当てられたとしか表現できない現象である。

(……と、とりあえず、追いかけよう)

 突撃の合図と同時に、朝日奈と大神は走り出していたため、
 慌てて苗木とウサミは彼女達を追いかけはじめる。

 物凄い勢いで引き離されるが、建物入口からグラウンドまでの通路はそれほど長くなかったため、
 見失う前に目的地に辿り着く。

(中は普通そうで良かった……)

 通路の終端であるグラウンドへの入り口から見える光景は普通のものである。
 茶色の土と緑の芝が見えており、茶色のチョコレートや抹茶味のドーナツなどではなかった。

(けど、試合自体はどうやるんだろう……。
 いや、そもそも本当に野球で勝負するのか……?)

 苗木は考え事をしながら走る。

 朝日奈とは接触せずに、遠くから観客として眺めていた方が良かったのではないかとも今更ながらに思う。

 セレス、山田、江ノ島、石丸、不二咲……と、
 夢には入るとすぐに夢の主や登場人物に出会ってしまっていたため忘れていたが、
 別に夢の中の登場人物に接触しなくても良いのだ。

 桑田の夢で最初は傍観していたことを考えれば、
 夢の展開が遅い場合だけ接触するという方針でも構わないのである。


(次回はそうしよう……)

「苗木、危ない!」

 苗木が密かに決意を固めたとき、それは起こった。

「……え?」

 苗木の顔をレーザービームがかすめ、スタジアムの壁に穴が開く。
 そして、穿たれた穴の中を見れば、壁との摩擦をものともせず、回転し続ける球体があった。

 野球ボールである。

「……え? えー?」

「苗木、ぼさっとしないで! ここはもう真剣勝負の場だよ!」

「し、真剣とかそういうレベルじゃなかったような……」

「今のは挨拶だ!」

「く、桑田クン!?」

 マウンドには桑田がいた。
 甲子園に出場していたときに来ていたユニフォームを着ている。
 髪型は坊主ではなく、いつものスタイルだが、準備は万全といった様子だ。

「来やがったな! 待ってたぜ!」

 マウンドの上に立ったまま桑田は、
 右手で投げとキャッチを繰り返すことで、ボールを上下させていた。

 その動作は、桑田にとって軽い準備運動のようなものであるはずなのに、
 手首のスナップによって、ボールに強い回転がかかっていることが遠目からでも分かる。

(すごい。強そうだ! ……だけど)

 夢の中でも、桑田は野球が強いことはよく分かった。
 しかし、同時に、苗木は桑田の様子を見て、不遜にも勝てそうだなと思った。

(桑田クンは1人……。4対1じゃないか。チームですらない……)

 どうやって野球の体(てい)を整えるのかはまだ分からないが、
 自分が大神の投球で死ななければ何とかなりそうだと苗木は考える。

(……って、あれ? それが一番難しくないか?)

 苗木の喜びがぬか喜びに変わる。

今日はここまでです


 苗木の内なる葛藤を余所に、桑田と朝日奈はルールを決めていく。

「盗塁は禁止な!」

「いいよー!」

「犠牲フライみたいなのも禁止な。キャッチの後に走るやつ」

「だよねー」

(……内野がいないしな)

 ……夢ゆえか、たいへん大雑把ではあるが。

「場外ホームランは特別に3点な!」

「ダメだよ! 1点!」

「せめて2点!」

「んー。それくらいなら……」

 桑田側は、彼ひとりしかいない。
 そのため、桑田が塁に出たままだと、バッターボックスに入る者が他にいない。
 だから、桑田が塁に出て、ホームに戻れなかった場合、
 ストライクやボールのカウントをリセットし、再び彼がボックスに立つのだ。

 つまり、ヒットはなかったことになる。
 ヒットを10回打とうが、得点は入らない。

 ただ、それではあまりに桑田が不利ということで、
 場外ホームランに特別点を付けようということになったのである。

(……理屈が通っているようで、そもそもの前提条件がおかしいよな)

 特別点があろうとなかろうと、
 桑田が得点する手段がホームランしかあり得ないというのは、圧倒的ハンデである。

 そのルール決めの会話を聞いていた苗木としては「3点くらいあげてもいいんじゃ……」と思うが、
 夢の中の朝日奈と桑田が合意に達してしまったため、口にしなかった。

 また、苗木としては、有利になる分には、それはそれで問題ないのだ。

(朝日奈さんと大神さんのコンビなら、これであっさり勝てるかもしれないな……)

 苗木としても朝日奈の夢が順調に進んでくれた方が嬉しいのである。
 順調に進めば夢が早く終わるかもしれないし、
 試合に勝ち、運動神経のある仲間を増やすことで自分の出番が減れば、
 それに伴って危険が減るかもしれないからだ。

 だから、ルールについて苗木も色々と考える。

(盗塁以外にも、送りバントとか内野がいないと処理の厳しそうなことがあるけど、
 黙っててもいいのかな? どうしようかな……?)

「送りバントとかはどうする?」

(あ、気づいちゃったか……。ちょっと残念なような安心したような……)

 桑田に対して朝日奈の発した新たな問いかけを聞き、
 イタズラの準備中を見つかって叱られた子どものように、苗木はばつの悪そうな表情を浮かべた。
 だが、その表情も微笑ましいものを見たときのような穏やかなものに変わる。

(けど、こういうとき、自分の不利になることも言うのは、
 さすが朝日奈さんって感じだよな……)

 チャレンジやせめぎ合いが好きな朝日奈が、
 相手が不利になることに気付いて、そのままにするはずもないのである。

(……ただ、それでもこっちが有利なんだよな。
 外野もいないってことだから、普通だったら簡単に取られるようなフライでも、
 ランニングホームランになる可能性があるし……)

「送りバント? いいんじゃね? ありで」

(って、えぇ……?)

 送りバントはなしの流れかと思い、すっかり思考が次のステージに進んでいた苗木は、
 桑田のあっさりとした返事に苗木は戸惑う。そして、引きつった笑いを浮かべる。

(……桑田クンも瞬間移動とかするんだろうか?)

 漫画の世界に迷い混んだ一般人のような気分で、苗木は朝日奈と桑田を見続けた。


◆◆◆

「「プレイボール!!」」

 ルールが決まると、朝日奈はバッターボックスに立ち、桑田はマウンドで腕を振りかぶった。

 ちなみにルール制定における締めの言葉は、
 「細かいところはスポーツマンシップに則り、そのとき決める!」だった。
 ライブ感のある言葉である。

「うわぁー三振だー! 悔しいッ!!」

「まずはワンナウッ!!」

(自分の番なのにあっさりだな……)

 いきなり三球三振で朝日奈が打ち取られる。
 まるで残像を殴っているかのように、朝日奈のバットは宙を切ったのである。
 漫画で言えば、主役のポジションなのに、あっさりとした最初の出番である。

「惜しかったな。朝日奈! 次は我だ……!」

「気をつけてさくらちゃん! 手元ですごい伸びるよ!」

 キャッチャーミットを大神から受け取り、朝日奈はキャッチャーとして打席近くで構える。
 敵味方の枠を超えた守備だ。

(もう普通に野球の練習すればいいんじゃないかな? 試合形式じゃなくて……)

 のんびりキャッチボールでもしたいな……と思いつつ、
 キャッチャーからバッターにポジションチェンジした大神を苗木はボケッと眺める。
 大神はバットを数度振って、具合を確かめていた。

「当たりさえすれば……」

「ハッ! それはどうかな! 大神!」

「……む?」

「俺のは速いだけじゃねーのさ!」

 朝日奈に投げたものより、遥かに遅いボールが、
 ストライクゾーンの端、大神の手元――内角ぎりぎりへ滑るように飛ぶ。
 暴投だと一瞬錯覚するような、かなり際どいコースだった。
 しかし、大神はそれがストライクゾーンに入ることを容易く見切り、反応した。

「これしき!」

 巨大な打撃音がスタジアムに響く。
 そして、音よりも速いのではないかと思うほどの速度でボールが飛んでいく。
 それを見て、苗木は息を呑む。

(やったか……!? ……いや、ダメか)

 打球はファウルラインを切ってしまい、大神が1ストライクを取られた形となる。

「手元で沈むか……」

「打たされたね……」

 大神が唸り、朝日奈が同意する。
 桑田の投げた球は、バットに当たる寸前まで、大きく沈み続け、大きく曲がり続けた。
 そのため、大神はボールをバットの根本で打つこととなり、詰まった打球がラインを越えてしまったのである。
 力や反射神経で負けたのではなく、微細な反射角のずれが、大きな歪みとなったのだ。

「……お手本のような低速シュートだね」

「言っただろ。速いだけだと思うなよってな」

 真剣な眼差しで桑田を眺める朝日奈に対して、マウンドから挑発的な言葉が返る。
 すると、それに対して、大神は不敵な笑みを浮かべた。

「相手にとって不足なし」

 静かに大神はバットを構える。
 そして、桑田の一挙一動を見逃さないように、目をカッと見開いた。

「さくらちゃんに同じ技は通用しない……!」

(それスポーツ漫画のセリフじゃなかったよね?)

「俺の球に同じものはねぇよ!」


 苗木の内なる指摘を余所に、桑田は再度球を放る。
 それは先ほどとは逆に向かって、伸びる球であった。
 大神は反応するが、飛んだ打球は、逆側のファウルラインを越える。

「……外角にも伸びる球を放つというのか」

「前に体育で見せてたね。これは……」

「いや……あのときとも少々異なる。以前よりも浮くぞ……。
 桑田め……。野球が嫌いと言いながらも、精進している」

「ねー。やっぱ、大好きなんだねー」

 くつくつと大神が笑い、朝日奈がにやにやする。

(桑田クンは野球に対してツンデレなのは皆の共通認識なのかな?)

「だが、これも見切った。
 この打席の間に、ボールを芯で捕らえてみせよう……」

「頑張って! さくらちゃん!」

 それ以降も、投球の度に、大神のバットがそれを迎撃し、
 ボールはファウルラインを切る。

 桑田の球はストライクゾーンすれすれを掠めるように飛ぶことを基本とし、
 ときにボール1つ分だけゾーンの外にずれる。

 常人であれば、その極小の変化に気付けず、スイングは宙を切ったことだろう。

 だが、大神はその僅かな差異を常人離れした動体視力によって見極め、
 当てられるボールにだけ確実にバットを振るう。

(何がなんだか分からないけど、すごい駆け引きだ!)

 段々と、大神の打ち返す球がファウルラインの内側に近付いていく。
 宣言通りに、桑田のボールに大神が対応し始めているのだ。

 だが、桑田は大神のリズムを崩すべく、投球に虹色の変化を付ける。
 そのため、大神の見切りから逃れるように、ボールが大きく外側に飛ぶこともあった。
 大神が油断をすれば、すぐにでもボールはキャッチャーミットに収まることとなるだろう。

(白熱してる……!)

 2ストライクの状態でファウルになっても、
 カウントはそれ以上変化せず、アウトにはならないため、
 どちらかがミスをするまで続くという根競べの様相を呈してきた。

(夢の中の登場人物同士の戦いなのに、見てるボクまで緊張してきたぞ……)

 苗木は唾をのみ込んだ。
 これは夢であり、見せられる技巧も人間離れしたものであることは分かっていた。
 しかし、見た目や動き方自体は人間のものであるため、
 リアルなアクション映画を見ているような気分になっていたのだ。

(どっちが勝つんだろう……? あ……!)

 そして、その期待に応えるように、変化が起きた。

 ストライクゾーンぎりぎりであることには変わらないが、
 傾向の異なるボールが桑田の剛腕から放たれたのである。

 それはストレートと変わらないか、それ以上の速度だった。

 傍から見たら、焦れた桑田が勝負を決めるべく、
 文字通りの直球勝負を挑んだように見えただろう。

 しかし、それは半分正解であり、半分間違いだ。

 勝負を決める球ではあるが、
 その球種は、大神相手に最初に見せたものと同じ"シュート"であった。

 しかし、低速かつ横の回転が強い最初のシュートとは違い、
 そのシュートは高速かつ縦の回転が強く、落ちるのではなく浮くように伸びる。

 それまでの球に慣らされた者にとって、それは不意打ちであり、反応はまず出来ないだろう。
 そして、仮に反応できたとしても、今までと同様に打球は詰まり、ファウルラインを越える可能性が高い。

 本来、シュートという球種はすっぽ抜けるなど甘い球となった場合、打者にとっての絶好球となり、
 致命的な痛打を引き起こすものであることを考えると、
 これは、常識外れの制球能力を持つ桑田だからこそ為し得る低リスク高リターンの理想的な決め球であった。

 ……だが、打つ側も常人ではない。
 それは夢の主を含めて誰もが知っていることだ。


「ぬわぁ!」

 大神は腕をとっさに絞り、詰まらせながらも、正面へと飛ばす。
 叩きつけるように振られたバットは、ボールの芯を捕らえた。
 バウンドしたボールは、桑田の左腕のミットに吸い込まれるが、
 その間に、大神は一塁に向かって俊足で進む。

 対して、桑田は一塁を捨て、二塁に走ることで被害を最小限に抑えた。
 もし僅かにでも一塁に未練を残していたら、大神は二塁に辿り着いていただろう。
 それを思えば、失敗に対して、桑田は完璧なカバーを行ったと言える。

「ふたりともナイスファイト!!」

 苗木は2人を称賛する。
 自チームの大神が競り勝ったとはいえ、桑田も凄かった。苗木はそう思ったのである。

(最後までどうなるか分からなかった!
 本当に少年漫画の実写って感じの迫力だったよ!
 しかも、夢じゃなかったら、桑田クンにも仲間がいたはずだからって考えると、
 本当ならって別の展開も想像しちゃうような魅力的なカードだった)

 苗木氏大興奮である。
 平均的な男子高校生として、苗木もスポーツを題材にした少年漫画で熱くなったことはあるのだ。
 近頃はあまり読んでなかったが、昔の感動が蘇ったのかもしれない。

 だが、その興奮に水を差す者がいた。

「……桑田にしてやられちゃったね」

「……え?」

 他ならぬ朝日奈であった。
 いや、よく見れば、一塁にいる大神も苦い顔をしている。

「……ウサミちゃんと苗木。どっちが先に出る?」

(あ、そうか。盗塁が禁じられている以上、
 ボクかウサミが打たないと、大神さんはホームに帰ってこれない……)

 一瞬で、苗木は浮かない顔をする。
 熱戦を観ている間に、自分が登場人物であることを忘れていたのだ。

(これはたしかにまずいかも……)

 今の桑田の反応速度を見る限り、凡打では大神を2塁以上進ませることは難しい。
 いや、そもそも苗木やウサミではボールにかするかすらも怪しい。

(つまり、ただ大神さんを塁に出すだけじゃ、点を取るのは厳しいのか)

 つまり、今の状況は桑田にとって容易にコントロールできる範疇であり、
 この回が0点で終わるのは目前なのだ。

 大神の働きが得点に繋がらなかったということを考えれば、
 1回目の大神と桑田の対決は、大神の負けか引き分けであると考えることも出来る。

 だから、朝日奈も大神も苦い顔をしているのだ。

 とはいえ、朝日奈も大神もそのことを説明しようとはしない。
 それを説明するのは、苗木とウサミに期待していないと明言してるに等しいのだから。

(いや、大神さんで互角とかボクじゃ無理だろ……。
 言われなくても分かるよ……)

 苗木は嘆息する。
 しかし、そんな場の消沈を振り払うかのように、朝日奈は首を振り、
 闘志を熱く燃やしながら、桑田と苗木の両方に向かって言う。

「相手にとって不足なしだね……!
 苗木! 特訓の成果を見せるときだよ!
 送りバントの苗木って言われた昔を思い出して!」

(……ボク、特訓なんかしたことないぞ)

 先に立つことになった苗木は、バットを強く握りしめながらどうすべきか必死に考える。

(と、とりあえず、当てることを考えよう……。
 ゴロでもなんでも、前に飛べば、大神さんが進める。
 自分がアウトになっても大神さんをホームに近づけるんだ。
 大神さんの足なら、普通ならアウトになるところでもセーフになる。
 それに、ボクがタッチされる時間を稼げば、大神さんなら一気に2塁進めるかもしれない……)


 苗木はボールとバットの動きを必死にイメージしながら、
 投げられたボールに当てることを目標とする。

 バントをするつもりはない。
 狙ったところにボールを転がす練習をした経験も、それをぶっつけ本番で行う運動センスもないからだ。
 直前に行われた超常の戦いによって、付け焼刃のバントなど何の役にも立たないと苗木は理解していた。

 だが、バントに似たことはしようと考える。
 バットを線ではなく、面として使い、当てることを第一とする。

(そうすれば、球種がストレートか横に曲がる球ならば当たるかもしれない……。
 落ちたり浮いたりしたら……、無理だけど、もうその辺りは諦めよう……)

 苗木は焦りながらも、冷静に考える。

(内野がいない現状、ボールが桑田クンの方に真っすぐ飛んだりしなければ、
 大神さんの脚力ならば2塁は進める……。
 まぐれあたりが起こうするなら、これで正しいはず……)

 もはや野球をしているというより、どう行動すれば、
 天災の被害を最小限に食い止められるかについて、知恵を絞っているかのような有り様だ。
 そんな苗木に向かって、叱責が飛ぶ。

「ダメ! 苗木! そんな消極的じゃ!」

「……え?」

 苗木が抜けた声を出したとき、ボールもまた飛んだ。

 苗木の中途半端に突き出したバットに対して、その位置が分かっていたかのようにボールが飛び、
 テニスの壁打ちのように桑田へ向かって帰っていく。
 戻ってきたボールを桑田はノーバウンドで獲った。

「へッ、当てたかったんだろ? 当てさせてやったぜ」

 マウンドの上で、挑発的な態度と共に、こちらを指差す桑田。
 週刊漫画誌なら、煽り文とともに、来週に続いていただろう。
 それくらい圧倒的な実力差が苗木と桑田――そして、夢の登場人物達の間にはあった。

「か、仇はあちしが取ります!
 あ!? うわ!? きゃー!?
 ごめんなちゃい! 負けまちた!」

 そして、次週冒頭で描写すらなく散るモブが如く、ウサミも三球三振で沈む。
 苗木とウサミには何が起きたかも分からなかった。

 しかし、同じ凡退した者でも、朝日奈は違った。

「フォーク、シンカー、ナックル……なんでもありだね。
 ……よーし、次の回はまた私からか! 頑張るぞ! 楽しみ!」

(何が起きたか分かる時点で圧倒的な開きがあるんだろうな……。なんか楽しそうだし……)

 朝日奈のテンションが上がり続ける。
 次は守備だというのに、楽しくてしょうがないという具合だ。

「じゃあ、まずは守るの頑張らないと……!
 攻守交代だよ! 気合いを入れ替えて行こう!
 苗木はキャッチャーで、ウサミちゃんは一塁手ね!」

「頼んだぞ。苗木よ」

(ついに来てしまった……)

 朝日奈が気分を切り替え外野へと走り去るや否や、
 大神は一瞬でマウンドに移動してきた。
 比喩抜きで、目にも留まらぬ速さであった。

(……さっき、この移動をしたら、ランニングホームランできたんじゃ)

 テニスでは自重していなかった瞬間移動が、野球では使われないのは何故だろうか?
 苗木は考えたが、答えは出なかった。

今回はここまでです~


 苗木は渋い顔をしたまま、手にしたキャッチャーミットやマスクの強度を確かめる。

(とりあえず、丈夫そうだ。受け止めれば即死はないはず……)

 とはいえ、油断は許されない。
 大神の一投には、コンクリートをぶち抜く可能性が大いにあるのだから。

(いや、油断とか関係なくまずいな……)

 状況を冷静に考えれば考えるほど、
 「逃げるしかないんじゃないか?」という結論が見え隠れする。

(逃げた場合、問題があるとすれば、
 朝日奈さんと大神さんが全力で追いかけてきそうなことか……。
 それはそれで怖いな……。けど、今この場で怪我するよりは……)

 どちらにしても危険が伴うという悲惨な岐路である。
 だが、そんな大きな岐路に直面した苗木の脳内に救いの言葉が響く。

(安心してくだちゃい! 魔法をかけておきまちた。
 マスクとミットは見た目以上に頑丈でちゅし、
 万が一、破られても、圧縮された空気の膜がエアバックみたいに苗木クンを守りまちゅ!
 怪我しても回復できまちゅよ! 縫ったり接着したり!)

(ウサミ、ありがとう! さすが魔法! なんでもありだね!)

(でちゅよね! 魔法ってすごいでちゅよね!
 モノクマに色々言われたけど、あちしは素人なんかじゃないでちゅよね? ね?
 ………………まぁ、苗木君の声ひとつ外の世界に届けられないへっぺこなんでちゅけどね。はぁ……)

(ひ、引きずってるね……)

 頭の中で喋るだけ喋った後、ウサミは一塁でしょんぼりと肩を落とす。
 その姿は、古いデパートの児童向けスペースに置いてあるキャラクター型の遊具のようだ。
 ちょっと湿気て、中身が錆びてそうである。

 そんなウサミを見て、朝日奈が大きな声をかける。

「一回打てなかったくらいでくよくよしない! ここからここから!」

「は、はいでちゅ! ごめんなちゃい!」

「うんうん……! 大きくていい声だよー!
 その調子で頑張っていこー!」

「はい! でちゅ!」

 外野から飛んできた声によって、ウサミの短い背がビシッと伸びる。

 そして、それをマウンドから見ていた大神も低いがよく通る声で、
 キャッチャーである苗木に告げる。

「我らも気合いを入れてやるとしようか……」

「は、ハィ……」

「緊張しているようだな……。
 プロテインを飲むか?」

 少し声が裏返る苗木に対して、大神が気遣いに溢れた言葉をかける。
 現実でも、朝日奈の中でも、さくらちゃんは人を気遣える優しい女の子である。
 それに対して、苗木もまた精一杯の意地を見せる。

「い、いや、大丈夫だよ。覚悟は決まったし」

「そうか。お主が決めたなら、我らは何も言うまい。信じているぞ」

「う、うん……」

「そろそろ準備はいいか?」

 桑田がバットを構える。

「コールドにならねーように気を付けろよ」

「……言うがよい」

 挑発を軽く受け流し、大神は右腕を振りかぶる。
 そして、体全体の力を指先に集めるかのような流れるような動きに従って、
 渾身の力がボールを飛ばす。

「はぁああああああああああああああああああああッ!!!」


 その迫力は、強固な砦をも打ち倒す巨大な投石機さながらであった。
 それ故に、ボールの着弾予測地点にいる苗木は、声なき声で絶叫する。

(打って! 桑田クン!)

 思わず相手チームの応援をする苗木へ向かって、ボールは一直線に突き進んでいる。
 その軌跡の先には、苗木の突きだしたキャッチャーミットがあった。
 苗木が動かずにいれば、ボールはミットに勝手に収まるだろう。

 とはいえ、それはダンプカーが走ってきたのに動くなと言われているのに等しい。
 当たらないという確信がなければ、避けようとするのが普通だろう。
 身じろぎしないことは困難を極める

 だが、幸か不幸か、苗木の体は蛇に睨まれた蛙のように固まっていたため、
 ミットは動かずに済んだ。

 桑田も見逃したため、ボールは苗木の手中に納まる。

(……ぐッ!? うわぁ……ッ!!)

 苗木の腕を通して、彼の体に衝撃が走った。
 発射の反動によって砲身を反らす銃のように、苗木の上半身が後ろに反れ、
 そのまま後ろにひっくり返る。

(キャ、キャッチャーにも技術はいるよね……)

 苗木は仰向けに倒れたまま息を呑み、当たり前のことを思う。

(……けど、良かった……。
 痛みはそれほどない。腕はすごい痺れたけど……)

 自分の痺れる腕を見ながら、苗木はしみじみと思う。
 不安は残るが、ひとまず安心したようだ。
 そんな安堵と不安が骨髄に沁みている様子の苗木に対して、大神が声をかける。

「大丈夫か……? やはりプロテインが必要ではないのか?」

「だ、大丈夫だよ……。これくらいなら。
 ボクのことは気にせず投げていいよ」

 苗木は慌てて上体を起こし、無事であることを皆に示した。
 ウサミの魔法の効果を実感した結果、安心感により先ほどよりもやる気が出始めていた。
 すると、大神が感心したように言う。

「さすがだ。苗木よ……。
 恐れを知っても諦めぬ……。
 捕手として一番大事なものを持っているようだな」

(2番目以降も欲しいな……。
 速球を捕るには……勢いを殺すにはどうすればいいんだ……。
 ボールがミットに入ったときに後ろに引けばいいの……か?)

 先程よりもホームベースから離れつつ、苗木は腰を落とす。
 そして、2投目に対する準備をする。
 今度はボールの勢いに従って腕が後ろに動くように、
 腕を完全に伸ばし切らず、間接に余裕を持たせる。

(暖簾に手押し作戦……。
 バトル漫画であるよね? 後ろに下がって致命傷を免れるみたいなの……)

 自分がやっていることが、本当に野球なのか疑問に思いつつ、苗木は大神の動きに注目する。

 ……ちなみに、キャッチングの際に腕を伸ばしすぎないという判断は現実的にも正しい。
 ガチガチに構えすぎると、変化球に対応できなかったり、ミットからボールがこぼれることがあるからだ。

 逆に、ボールの勢いで腕が流れるようにするのは、現実的には正しくない判断だ。
 ボールの勢いで腕が流れてしまうと、
 音が鳴らずピッチャーの自信を減じさせたり、
 ストライクゾーンに入った球がストライクと判断されなかったりする恐れがあるからだ。
 手が痛まないようにするには、
 腕が勢いに負けないようにしつつ、ミットの芯に納めるが普通である。

 とはいえ、この場では問題がない。
 苗木が引いたところで大神の超高速の投球は音を鳴らすし、
 ミットが動いたところで審判はいない。全ては朝日奈の匙加減である。

 そして、何よりも、この場において重要なのは正しいか正しくないかではない。
 仮に正しいキャッチングの方法を知っていたとしても、大神の次の言葉を聞いたら、
 苗木は今の構え方に切り替えただろう。


「何かコツを掴んだようだな。
 では、次は、我もそれに応えよう……。
 更なる力を込めて、次を投げさせてもらう!」

(……は?)

「……ハァッ!」

 先程よりも闘志の籠ったピッチングが行われた。
 先ほの一投が投石機なら、今度の一撃は大砲である。

「うわぁァアァ!?」

 衝撃によって、苗木の体は震動し、そこから出される声はシンバルのようになった。
 後ろに転倒することは防げていたが、逃がしきれなかった力が苗木の中を駆け巡る。

(か、かかか雷に打たれたららり、こここんな感じなんだろうかかかか……)

 全身の中にあって震えぬものはない。
 口や舌はもちろんのこと、脳や心も例外ではなかった。

(こ、こんなのを9回裏までやるとか、む、無理だ)

 苗木は頭ではなく、体の感じた危険信号に従って立ち上がる。
 そして、痺れる舌を必死に御しながら、大声を張り上げ、ルール変更を求める。

「に、人数が少ないんだから、9回じゃなくて、よ、4回くらいにしない?」

「えぇー!? それはないよ~!」

 苗木の提案に対して、
 外野から大きな声で朝日奈が反論しながら走って近づいてくる。

「4回って少なくない!? それに……9回まで続けないと熱いドラマが生まれなそうじゃない!?
 ……あ、それとも苗木の言ってる4回ってイニングじゃなくて、
 7回試合を行って4試合先取した方が勝ち……みたいな? 感じ?」

「いや、それじゃ長くなってるし! そんなにハードじゃ死人が出るよ!?
 普通に4回表とか4回裏の4回で……、試合自体を短くしようってこと!」

 苗木も必死である。反論が来るのは予測していたが、
 それに付随する“4回”に対する朝日奈の解釈は斬新過ぎて予想外だった。
 焦りつつも、苗木は理屈を並べる。

「よ、4回って、バスケのクォーターと同じ数だよ。きっとすごいよ
 漫画みたいなドラマだってきっと生まれるよ。
 あと、9回でドラマが起きるのって、きっと、最後だから気合が入るせいだよ。
 だから、4回で終わりなら4回に皆が本気を出すから、ドラマも生まれやすいと思うよ!」

「そうかなー?」

 首を傾げて苗木の言葉を聞く朝日奈。
 ひとまず、検討するようだ。
 そこで、苗木はさらに言い募ろうとした。

「そ、そうだよ!」

「……だけど、バスケのクォーターって時間が決まってて、
 その決められた時間に全員が全力で動くことが前提だから、ドラマが生まれるんじゃない?
 点数も短時間に何回も入るし。スピード感が見どころっていうか。
 野球は出番のない時間も多いし、得点もそんなにバカスカ入るわけじゃないから、
 ドラマが生まれるには回が多いほうがいいと思うんだけど……? 私、間違ってるかな?」

「え、その……」

 急に理路整然と反論してくる朝日奈に対して、かつてない衝撃を苗木は覚える。

(こ、こんな真面目で冷静で頭良さそうな表情の朝日奈さん初めて見たぞ……。
 しかも、なんか筋道の通った反論をされてしまった……。ま、まずいな……)

 理論とは無縁の生き方かと思いきや、
 朝日奈はスポーツに関しては理論やハウツーもきちんと身につけ、
 そのうえで自分なりの考え方を持っているのである。

(……ただ、ここは夢の世界だから、現実の考え方と一致しない部分も多いし、
 まだなんとかなる……はずだ)

 未だ首を傾げている朝日奈に対して、苗木は再度言葉をぶつける。


「朝日奈さんの言ううとおり、本当の野球なら、回数が多い方が皆に活躍できる機会があって、
 ドラマも生まれやすいよ。それはきっと確かだよ。
 打席は短時間に何回も回ってくるってことはないし、
 守備をしてても球が自分の方に飛んでこなければ、活躍はできない。
 けど、やっぱり、それは9人を前提としてるからだよ。
 今回は人数の多い側でも4人しかいない……。
 打席は倍以上の速度で回ってるし、守備もひとりで大きな範囲をカバーしないといけない。
 きっと体力も普通よりいっぱい使うよ。むしろ、9回もあったら中だるみするかも……!」

 苗木はよどみなく言葉を紡いだ。

(良し! 反論できたぞ……! 危なかった……)

 この場で急いで考えた理屈にしては筋が通っているような気がして、
 言い終えた後に、心の中で自画自賛のガッツポーズを取る。

 すると、その自信は正しかったのか、
 相対する朝日奈も「うーん……」と少し悩み始めたようだ。
 そこで、苗木はさらに駄目押しとばかりに押す。

「この人数なら、バスケットみたいに短時間で全力を出した方がいいんじゃないかな?」

 ぴくりと朝日奈の眉毛が動く。
 脈ありである。
 そこで苗木はさらに言う。

「回数を少なくするんじゃなくて、
 真っ白に燃え尽きる為には4回に圧縮しようよ!
 本当は18人でやるスポーツが5人なんだし……。
 18割る5って3.6だし。四捨五入すると……4だからね」

「な、なるほど!? 苗木って頭いいね!!」

「そ、そう……。わかってもらえたなら良かったよ……。ハハハ……」

 自分でも後半は何を言っているのか分からなかったのだが、
 何故か朝日奈が納得したようなので、苗木はひとまず笑ってごまかす。

 すると、朝日奈も笑いながら、外野に戻っていく。

「よーし! じゃあ、みんな、頑張って燃え尽きようねー!
 イニングは半分以下だけど、その分、いつもの倍頑張ろうね!
 それで、その出し惜しみなしの倍の力で10倍は盛り上がろ!」

「あぁ……!」

「ま、いいんじゃね……!」

「でちゅ?」

 大神が期待に満ちた顔で力強く応じ、
 桑田が興味なさそうだが嬉しそうに言い、
 ウサミが理解しきれていないままに返事をした。

(反対する人はいなさそうだな……)

 ひとまず、苗木の望みは叶い、試合は4回に短縮されることとなった。



「ま、9回にせよ、4回にせよ。オレの勝ちだけどな」



 全員が元の位置に戻り、試合が再開される寸前、
 桑田が挑発的な態度を取る。
 自らに絶対の自信があり、勝利が揺るがないと確信しているようだ。

「……たいした自信だな。まだ1球もバットで触れていないというのに」

 大神が怪訝な顔で桑田の言葉を聞く。
 すると、桑田がドヤ顔で言った。

「次で見せてやるよ。大神の球は見切ったってことを」

「ま、まさかそんな……!?
 さくらちゃんの球をこんな短時間で見切れるはずが……!」

 遠くから朝日奈が叫ぶ。
 思わず動揺が口から漏れたかのような台詞だが、
 実際は外野からホームまで届く大きな声だ。さながら演劇である。
 それに対して、桑田も叫び返す。


「目じゃ追えねーけど、音聞いて感覚で覚えたわ」

「そ、そんな……!?」

「それに、それだけじゃねーんだよ」

 桑田は不敵な笑みを浮かべつつ、ユニフォームの袖を捲る。
 現れた手首にはリストバンドが巻かれていた。

「そう! オレの本気はこんなもんじゃねー!」

 桑田はリストバンドを外し、ベンチに向かって投げる。
 すると、文鎮でも投げたかのような重たい音が周囲に響く。

 そして、その音を外野から聞き取った朝日奈は、驚愕の叫びを上げる。

「そんなまだ本気を出してなかったの?
 しかも、音で攻略法を見つけた……?
 こ、これがスポーツ四天王の実力ッ!?」

(他の3人は誰なんだ……?)

 新しい単語の登場だ。
 もし連載を打ち切られたら未登場になるような風呂敷の広げ方である。

「スポーツ四天王か……。噂は聞いている……。
 ひとりひとりの能力が高すぎて、既存の試合形式では実力が出し切れないという……。
 中には、出場するだけで勝ちが確定してしまうが故にルールの変更が検討されている者もいると……」

(どういうことだよ……)

「しかし、どれもいずれは試合で当たる相手……。
 今回はそれが早まっただけのこと……! ならば、今日でひとりは打ち倒そう……!」

(倒せるの……?)

「桑田よ……。
 我の一投を見切ったというのならば、口だけではなく実際に見せてみるがよい……」

「……ハッ。言われなくても」

「ゆくぞ!」

 大神が投球の体勢をとり、両腕が頭の上で一度固定された。
 そして、全身の力をボールに溜めるかのように息を吸い込む。

「ハアァァァァァァァァ……」

 そして、目を見開きながら、右足で地面を抉り、左足で渦を作り出す。

「……デャァッ!」

 左足を起点に身体全体を軸として腕が旋回し、指先が目で追えぬ速さで移動する。
 そして、指先がボールをリリースしたとほぼ同時に、そのボールが桑田の眼前に飛来する。
 ボールが線ではなく、点から点に移動したかのような速度であった。

 だが、桑田はそのタイミングが分かっていたのだろう。
 振りかぶられたバットはすでに桑田の出せる最大速度に達していた。
 普通であれば、タイミングとして早すぎる。
 だが、大神相手であれば、それは完璧なタイミングであった。

 軽妙な音とともに、ボールは榴弾のように、長い弧を描いて観客席まで飛び、
 そこにあるベンチのひとつにめり込んだ。
 弾道は低いが、それを補ってあまりある推進力であった。
 文句なしのホームランだ。

「ハァ……」

 だが、その文句なしのホームランを見て、桑田がこれみよがしにため息を吐く。
 スポーツマンとして、褒められた態度ではない。
 桑田がいつも以上に調子に乗った口調で喋り始める。

「は、だから、言っただろ。
 オレに仲間なんかいらねーんだよ。オレはひとりで勝ってみせるぜ」

「……また、そんなこと言って!」

「悔しかったら、実力で証明すんだな!」

(なんか急に始まった!?)


 思春期の麻疹にかかったように、急に周囲を挑発し始める桑田に対して、
 朝日奈が大声で叫ぶ。

「野球はチームプレー! どんなに桑田が天才でもひとりじゃ限界があるよ!
 友情・努力・勝利! それに団結! これがすごい大事!」

「他の奴等なんか、ただの数あわせの球拾いなんだよ!
 団結が大事ってなら勝って証明してみせろ!」

(す、スポーツ漫画にこういう人ってたまにいるよね……。
 野球漫画じゃあまり見ない気がするし、現実では野球とか関係なく初めて見るけど……)

 現実においても、甲子園の中継でチームメイトと仲良くやってそうだった桑田を苗木は思いだす。
 エースで四番であることに自身や自負はあるかもしれないが、
 さすがにチームメイトは不要だとは現実の桑田も思っていないだろう。

(ただ、まぁ、ちょっと、そういうキャラは似合ってるけど……。
 これ、きっと改心したら頭を丸めるパターンだよ……)

 苗木は思わず苦笑する。

(桑田クンに見せたら、どんな反応するんだろう?)

 想像したら、どこからか声が聞こえたような気がした。

 ――ひとりで野球とか何その罰ゲーム? ボッチか!? ボッチですか!?

 その幻聴に対して「うんうん……」と頷きながら、
 苗木はさらにもうひとつ気になったことを心の中で指摘する。

(それにしても、急に展開が早くなったような気がするな……。
 9回予定だったのを4回に短縮したからかな?)

 苗木は言い争いがヒートアップする朝日奈と桑田を見ながら、そんなことを思う。
 いつの間にか、朝日奈はホーム近くに来ていた。

「よし! じゃあ、私が勝ったら桑田はチームメイトに『ごめんなさい』だよ!」

「いいぜ! そんなに言うなら、見せてみろよ! チームプレイ!」

「その言葉忘れないでね!」

 ひとまず話が付いたようだ。
 朝日奈は踵を返して、外野に戻り始める。
 試合再開のようだ。再び桑田がバットを構えて、大神が新しいボールを持つ。

 だが、そんなときだった。
 ウサミが一塁からこんなことを大きな声で言った。

「そういえばー、野球ってホームランしても走ってたような気がしまちたがー、
 桑田クンは走らなくていいんでちゅかー?」

「あ……」

「え……」

 朝日奈と桑田が同時に唖然とした顔をする。

「これって一塁踏み忘れ扱いでアウトになるんじゃない……?
 いや、きっとそうだよ! たぶん!」

「く、くそ……」

「こ、これがチームプレイだよ! 私だけじゃ気付かなかったもん!」

「これがチームプレイの力……。……いや、オレはまだ認めねー!」

「ここからが本当の勝負だよ!」

(えぇ……?)

 なぜかチームプレイが一矢報いた感じの反応を示す朝日奈と桑田を見て、
 苗木はぽかんと口を開いた。
 そして、ウサミはその光景を見てひたすら恐縮する。

「え、あ、その、……アウトになるんでちゅか?
 なんかごめんなちゃい……」

 オドオドとするウサミ。そんなウサミを見て大神が言った。

「智将ウサミか……。人も兎も見かけによらぬものだ……」

(智将って……。使うにしても監督とかに使うものじゃないかな……?)

スポ根の朝日奈
霊長類最強の大神
送りバントの苗木
スポーツ四天王の桑田[new]
智将のウサミ [new]


今日はこれでおしまいです


「だ、だけど、オレは次も打ってみせるぜ!」

「うっ……。そうだった! 今回はアウトにできたけど、次が……!」

 気を取り直した桑田が挑発を再開し、朝日奈が焦ってみせる。
 漫画で言うなら、今はまだ主人公がピンチであるべき場面なのだろう。

 それに、朝日奈の望みは際どいところでのせめぎ合いである。
 その望みに従うなら、苦戦の果てに勝利するという筋書きが最も朝日奈にとって好ましいはずだ。

「攻守ともに私たちが不利だけど……、頑張れば打開策が見つかるよ!」

 朝日奈は大きな声で皆を励ます。ピンチのはずだが、少し嬉しそうだ。
 すると、マウンドに立つ大神もまた頷いた。

「あぁ、そのとおりだ。朝日奈よ。
 ……我も諦めぬ。一投一投に全力を尽くそう」

「大神さん! 緩急緩急! 緩急も大事だよ!
 加減が苦手なら今ここでそれを克服すべきだって!」

 自らの保身とチーム勝利のために、慌てて苗木は叫ぶ。
 なお、保身が9割、勝利のためが1割である。
 夢の主で朝日奈のテンションが上がれば、
 夢の登場人物である大神もまたさらに球速を上げるかもしれない。
 その脅威を苗木は恐れたのだ。

(に、苦手克服と言えば、スポーツ漫画の王道……。
 きっと朝日奈さんも気に入って、これを勝利に繋げてくれるはず……)

「む……。克服か……。
 確かにそれも大事であるな」

(……よしッ!)

 珍しく自らの読み通りに話が進んでいることに、
 苗木は内心で感動の叫びを上げる。

「さくらちゃん! さくらちゃんなら出来るよ!」

 迷う素振りを見せる大神に対して、今度は朝日奈が叫ぶ。

「さくらちゃんならこの試合の間に間に合うって信じてる。
 万が一、打たれても後ろは任せて!」

「朝比奈よ……」

 大神の瞳に決意の色が宿る。

「よし……。ならば後顧の憂いなし……」

 そして、桑田を見据えた。

「ゆくぞ。桑田よ……!」

「はっ! どんな球だろうとオレには効かねーぜ!」

「……ならば受けて立て! でやぁッ!」

「絶好球だぜ!」

 桑田のバットがボールを真芯で捕らえる。
 そして、バットから離れたボールはスタンドに向かってロケット花火のように飛び立つ。

 だが、その瞬間に大神がその飛行方向に現れた。
 地を蹴り、宙を浮いていた大神はボールをグローブではたき落とす。

「……なっ!?」

「……タッチアウトだ」

 地面に落ちたボールを即座に拾い上げ、硬直していた桑田に当てる。

「……克服するまでに打たれる覚悟はした。朝日奈に後ろを任せもした。
 だが、ただで抜かれるとは言っておらぬ」

「……くっ!」

「我を侮るなよ」


「きゃー! さくらちゃんかっこいいー!」

「打たれる覚悟していたら、打たれた瞬間、即座に次の行動へ移れた。
 格闘技と同じだな」

「全ての運動は裏で繋がってるってことだよね!」

(そう……なの?)

 急に謎の覚醒をした大神を見て、朝日奈ははしゃぎだし、
 その2人を見て、苗木は困惑する。

(……なんか展開が急なような?)

 場が変化するように苗木が行った働きかけは、予想以上の劇的な変化を生み出していた。
 急遽、場は中盤の様相を見せ始めたのである。

「チッ……。だけど、無駄なんだよ!
 オレだって、大神の動きを見て逆方向に飛ばしてやんよ!」

 再び、桑田が構えた。

「うりゃ!」

 そして、大神の投げたボールを打つ。
 宣言通り、大神の飛んだ方向とは、逆方向にボールは飛んでいく。
 だが、次の瞬間、再度の驚愕が桑田を襲う。

「な、なにぃ……!?」

「後ろには私がいるもん!」

 飛んだボールの先には、来る方向が分かっていたかのように、朝日奈がいた。
 地を蹴り、滞空状態となっていた朝日奈はグローブのポケットでボールを受ける。

「これで……2アウト!」

 大神の動きを見て、その逆サイドに向かって桑田はボールを打ち出していたはずだった。
 しかし、大神をカバーするように、朝日奈が動いていたのだ。
 ……現在、外野を守る者は誰もいない。

「来る方向が分かってれば、さくらちゃんじゃなくても捕れるよ!」

「……大神の守備範囲を外して打てば、お前が待ってるってことかよ……!?」

「さくらちゃんのブロックはボールを防ぐためだけのものじゃないの!
 近付かれれば近づかれるほど、シュートを出す側のコースは塞がれる!
 だから、シュートコースはかなり限定されて、カバーする側はカットしやすくなるの!
 これがチームプレイだよ!」

(……野球の話じゃないよね? それ?
 なんかサッカー漫画かバスケ漫画でそんな理論を聞いたような……?)

 バスケやサッカーにおけるパスカット方法なのではないか? と苗木は首を傾げる。

(そういえば、バスケ部でもあったよね。朝日奈さん……。
 夢の中だから混ざった……?)

 どうしてこうなったか何となくの推測は立てられた。
 しかし、だからといって、それでどうにかなるわけでもない。
 苗木は頬を指先で書きながら、苦笑いを浮かべる。

(ひとまずチェンジ……。これで残りは3回……。
 あ、こう考えるともう中盤か後半なのか……)

 残りのイニング数だけで考えるなら、六回裏が終わり、七回表となる場面と同じだ。
 漫画なら、そろそろ畳みに入る頃だ。

(敵役が圧倒的な力を見せつけるとしたらもっと序盤だから……。
 もしかして、桑田クンのピークは終わった……?)

 どうやら今苗木の目の前で起きている状況は、
 一点も取る前に、逆転劇が始まりつつあるという謎のシチュエーションであるようだ。

(夢の中とはいえ……。ひどい扱いだ……)

 思わず、苗木は同情的な視線を桑田に向けてしまう。

「チッ……! だけど、オレのボールもお前らじゃ打てねーぜ!」

「油断大敵!」

「な、なんだと……?」


 朝日奈が桑田の投げたボールを打ち、転がったボールが三塁ベースに当たり、弾む。
 弾んだボールはファウルラインの内側へと落ち、フェアとなる。
 桑田は慌ててそれを拾うが、その間に朝日奈は二塁まで進んでいた。

「あの接線の中で、キャッチャーをやっていたのは私……。
 さくらちゃんとの攻防を一番間近で見てた。
 桑田の球速にも慣れたし、投げる前の癖もだいぶ読めるようになった」

「ば、バカな……」

「来るのがストレートだって分かってて、
 しかも、それが油断して投げられたものなら……私にだって打てる!」

「け、けどな……まぐれは一回で……」

「そして、投げるときの癖はさくらちゃんにも教えたよ!」

「……うっ。
 だけど、癖なんか意識すりゃ……」

「自分の癖なんかひとりじゃ中々気付けないよ。
 少なくとも、この試合中じゃ無理だって」

 朝日奈は悲しそうに言う。

 もし、桑田にそれほど分かりやすい癖があったとしても、
 彼に仲間がいれば、その癖を指摘し改善させていただろう。
 そうすれば、桑田側がチームとしてもっと強かったに違いない。
 朝日奈はそれが残念でたまらないのだ。

「……だけど、手の内が読めていたとしても、
 オレの変化球には対応できねーよ。
 打てたとしても、ファウルになっからな!」

「我もただ打つだけではない……!」

「な、なんだと……?」

 横に大きく変化する球に対して、大神はバットを横に置き、しっかりと球威を殺して転がす。
 今までの大神の動きが動であり剛であるならば、今回の動きは静であり柔であった。
 格闘において打撃を受け流すかのような柔らかな動きで、大神はボールの動きを反らしたのだ。

「バントを出来るのは苗木だけだと思うなよ……」

(いや、そもそもボクはそんな器用なこと出来ないです……)

 一塁に進んだ大神の呟きを聞いて、苗木は心の中で謝る。
 次は苗木の番であった。

「苗木頑張ってー!」

「お主なら出来る……」

「が、がんばってくだちゃい!」

 一塁に大神、三塁に朝日奈がいる今は、絶好の得点チャンスであった。
 ちなみに、2人が塁に出ているため、次のキャッチャーはウサミである。
 ウサミは「打席に立つよりも緊張しまちゅね……。この位置……」と言いながら、
 マスクとミットに魔法をかけて、そのサイズを自分に合うように変化させていた。
 そこで苗木は「いや、今の打席は同じくらい緊張すると思うよ……」とこぼす。

(当てることさえできれば、朝日奈さんがホームに突っ込めるはず……。
 あ、けど、こう思って、さっきも打てなかったな……。
 どうすればいいんだ……?
 そもそも、ボクとウサミが三番と四番って地味におかしくないか……?)

「苗木ー! ここであの特訓の成果を見せてー!」

「と、特訓って……?」

 三塁の朝日奈が叫んだ言葉は、焦りの中にいた苗木に更なる混乱を招く。
 特訓などという言葉は、苗木にとって青天の霹靂であった。
 そして、続く言葉が、苗木の質問する機会を奪う。

「朝日奈よ……。こちらが手札を持ってると教える必要はない……」

「あ、そっか。ごめーん! 苗木、気にせずやって! 任せる!」

「え、そもそもその手札、ボクも知らないんだけど!?」

「ハッ! そんなこと言っても、オレは騙されねー!」

「い、いや、本当に知らないんだけど!?」


「……演技うめーな。苗木。なんか騙されそうだ」

(演技じゃないって……)

 打席にて立ち尽くす苗木に対して、三者三様の視線が突き刺さる。
 期待と警戒が入り混じっているが、どれも苗木が何かを隠し持っていることを前提としたものだ。
 とてもじゃないが、その誤解を今すぐ解くことが苗木には出来そうになかった。
 それどころが、こんなアナウンスが流れ始める。

『三番、キャッチャー、苗木君。キャッチャー、苗木君』

(舞園さんの声!? っていうか、今まで選手紹介とかなかったよね!?)

『ファウルボールにご注意ください!』

(そんな勢いある球は飛ばせないよ……!?)

「得意技のバントを捨てて打つつもりかよ。苗木ー!」

「く、桑田クン、別にボクはバントが得意なわけじゃ……」

「バントよりも得意なものがあるってのか……。おもしれー」

(もうダメだ……。これ……)

「苗木君……。私との特訓を思い出すのよ……!」

「え、今度は霧切さん……?」

「お、おめーはアメリカ帰りの霧切……!?」

 いつの間にか、霧切が苗木達のものとして用意されていたベンチに座っており、
 彼女の姿を見た桑田が戦慄によって叫ぶ。
 そんな桑田の姿を見て、苗木はポカンと口を開く。

「えっと、アメリカ帰りって、それは驚くことなの?」

 クラスメートなら知ってることじゃないのか? と苗木は桑田が驚いていることに驚いていた。
 すると、苗木の質問に反応したのかどうかは定かではないが、
 桑田は霧切から目を離さないまま、呻くように呟いた。

「アメリカ帰りってことは……英語がうまくて野球かバスケが得意なんだろ……。
 オレは知ってるぜ……。チッ……。その霧切がコーチをやってたなら、油断はできねー!
 たとえ、苗木でも、オレは本気を出させてもらうぜ!」

「あ、はい、説明ありがとうございます……?」

 アメリカ帰り≒スポーツに強い人という朝日奈理論を桑田が説明してくれたため、
 苗木はこの状況を理解した。
 つまり、苗木は霧切のコーチを受けて、実力が上がった状態で、この試合に臨んだという設定なのだ。
 最も実力の低かった者が努力によって成長し、チームのため強者に一矢報いる。
 スポーツ漫画の王道である。

(いやいやいや……)

 どんどん無茶ぶりがひどくなっていることに苗木は焦りを覚える。
 苗木は思わず愚痴とも相談とも取れることをテレパシーでウサミに送る。

(弱かった仲間の成長イベントって漫画的には重要だけど、
 最初の試合じゃなくていいよね? 最初の試合くらいは主人公の力で逆転勝利とかのほうがいいよ!
 アンケート的にも! ね、ウサミ!?)

(うーん。もしかしたら、最初のテニスやトライアスロンとかで、
 もう朝日奈さんは覚醒やら成長やらしたのかもしれまちぇんね。
 最初から一緒にいたわけじゃないでちゅからね……)

(うわぁ……)

 苗木は苦虫を潰したような顔をする。
 すると、ウサミが「まぁまぁ」と彼女にしては珍しく余裕のある態度で苗木を励ます。
 なんとウサミは策を既に用意していたのである。

(あちしに任せてくだちゃいよ。
 キャッチャーミットやマスクだけじゃなくて、バットとボールにも魔法をかけておきまちたから!
 バットがボールにかすりさえすれば、超すごいことになりまちゅ!)

(いや、それが一番難しいんだけど……。
 桑田クンも警戒してるみたいだから、
 さっきみたいにバットにボールをわざと当てるみたいなことはしないだろうし……)

(大丈夫でちゅ。それでも、さっきみたいにバントをしててくだちゃい。
 きっと、あちしが持ってるミットに向かってボールは飛んでくるはずなんで、
 その前にバットを置けばいいんでちゅ!)


(そういえば、キャッチャーがウサミだから、
 どこにボールを投げさせるかは、ウサミも意見できるのか……。ミットの位置とかサインで……)

(はいでちゅ!)

 なんてザルなルールなのだろうか。
 苗木は根本的におかしいこの状況に関して、色々と言いたい気分になったが、
 そこをグッと堪えて、バントの構えを作る。

「……あらかじめバットを置きっぱなしにするだと?
 そんなあからさまなら、さっきみたいにオレの手元に戻ってくるようにできんだけど?
 けど、なぁ……。罠か……?」

 苗木の構えを見て、桑田が動揺し、何かを考える様子を見せる。
 その動揺を見逃さず、苗木は畳み掛けるように言った。

「い、いいから……さっさと投げて!」

 バットを迂回しつつ、ウサミのミットに入るような鋭い変化球を投げられる可能性もある。
 そこで、苗木は桑田を急かすことにしたのだ。

「お、おう」

 すると、その催促に怯んだのか、桑田がボールを投げる。ゆっくりとした球だ。
 投げると同時にキャッチする準備もしている。
 それを見て、苗木は一回表と同じ展開を想像した

「……ッ」

 苗木に切り札があると信じているはずの朝日奈も緊張で唾を呑む。

 最初に特訓と口にしたときこそ、
 苗木が桑田に対抗して頭のアンテナを外して身軽になるという展開を考えていたが、
 夢の登場人物でない苗木は朝日奈の台本通りの行動を取らず、朝日奈からすればアドリブに見える行動を取ったため、
 朝日奈は次の展開の予想も出来ないでいた。
 そもそも、特訓特訓と連呼こそしていたが、それは彼女の夢の中のノリと期待と連想によって発せられた言葉であり、
 朝日奈自身も苗木のしたという特訓の具体的な内容を明確に定めているわけではない。
 そのため、朝日奈の中には苗木が凡退で終わる可能性が多分に残されていた。


 だが、ボールが苗木のバットに当たった瞬間にそれは起こった。


 ボンッ! という風船が割れたような音が鳴り、ボールは弓なりに空高く舞い上がり、
 ある程度の高さまで飛んだ後、そこからグライダーのようにスタンドに向かって滑空する。

「え?」

「あ、ちょっとやりすぎちゃいましたかね……?」

 魔法がかかっていると知っているはずの苗木とウサミも驚く。
 ボールはそのままスタンドに入ってしまった。
 ホームランである。

「「「「…………………」」」」

 朝日奈、大神、桑田、霧切が無言となる。
 その光景に苗木は

 そして、しばらくした後、朝日奈が叫んだ。

「すごい! バントって極めれば場外まで飛ばせるんだ!?」

(……え?)

「……さすが苗木君ね。私の教えてことを私以上にマスターしているわ」
「見えないところで努力をしていたのだな」
「これもチームだから出来る技なのか……?」

「……ど、どれも違うよ」

 苗木は他の者達に対して、必死に否定の言葉を紡ごうとした。
 だが、朝日奈が叫ぶ。

「よーし! 私達も負けないように頑張ろう!
 この試合が終わったら、私もバントの練習しよっと!」

(これ、朝日奈さんの深層心理に変な影響とか与えてないよな……?)

 ひとまずピンチをしのいだが、不安が残る苗木であった。

今年ははひとまずこれで終わりです。
一昨年、昨年、今年と更新が遅い中、見てくださってる皆さん本当にありがとうございます
リアルで活動停止でもしない限り、エタらないようにしますので、よろしければ来年もよろしくお願いします

それでは良いお年をー
あと、ひふみん誕生日おめでとー

あけましておめでとうございます!
ことよろです!
次から投下します!


◆◆◆

「ぐわあああああああ!?」

 2ランホームランが飛び、桑田の絶叫が周囲に響く。
 現在、三回表2アウト、点差は21である。

 苗木がホームランを打った後、試合は苗木達優勢で進んだ。
 夢の中の桑田は奮戦したが、それ以上に開き直った苗木とウサミが酷かった。

(一度出来たことが出来なくなるのもおかしいし……)

(勝敗も決した感じでちたし……)

 いくつかの理由により、苗木とウサミは魔法で活躍した。
 朝日奈や大神の足を引っ張るどころが、それ以上の活躍を見せたのである。

(バントでホームランが普通なら……)

(何でもオッケーでちゅよね……?)

 理由の一つは、バントでホームランが起きたことによって、
 夢の世界のリアリティが大きく崩れたためである。
 元々際どいラインを走っていたが、バントによるホームランが押し出しの一手となったようだ。

 当たればホームランというトチ狂ったバントに対抗するように、
 桑田の投げるボールも消えたり、増えたり、Wの字を描いたりと、魔球に進化した。
 そして、彼の実力と相対するように朝日奈や大神の能力も現実離れしてしまった。
 大神が目を瞑ったまま打ったり、朝日奈が高速移動により分身したりと、
 ファンタスティックなことが当たり前になったのだ。

 そんな人外魔境において、素の能力だけで苗木やウサミが戦えるわけもなく、
 バットやボールにかけた魔法はそのままになっていた。
 そして、そのかかりっぱなしの魔法こそが苗木達が活躍している2つ目の理由である。

 ウサミがバットにかけた魔法は当たればホームランになるというものであった。
 単純だがこれ以上なく強力であり、桑田が大神の真似をして、打たれた瞬間に捕球しようとしても、
 それを避けて打球が垂直に飛ぶなど彼のグローブをすり抜け、絶対にホームランになるのだ。

(足を引っ張らないと……とか、最初はそんな理由だったはず……)

(とりあえず友情、努力、勝利を守っておけばなんとかなる……はずでちた)

 また、ウサミは念には念を入れて替えのボールにも魔法をかけていた。
 しかも、ご丁寧に残りのボール全てへである。
 そのため、最初のホームランでスタンドへ消えたものの代わりとして用意されたボールに始まり、
 その後の試合で使用されたボールは常に魔法がかかっている状態であった。
 ボールにかけたられた魔法は、苗木やウサミの使用するバットに吸い寄せられるというものである。
 どんな速度で投げられようと、どんな回転をかけられようと、
 ボールの方がバットをホーミングし、ほぼ確実に当たるのだ。
 しかも、"ほぼ"というのも、ホーミングの性能が足りないわけではなく、
 打者の方でタイミングよく意図的にバットをボールから逸らせば、当たらないようにも出来るというだけである。

 つまり、バットとボールの魔法が合わさると、必中かつホームランという頭のおかしな能力になるのだ。

 今もまた、苗木に続いてウサミがホームランを放ち、桑田が悶絶する。

「ぐわああああああああ!?」

「頑張って! 桑田!」

「心を強く持て! 桑田よ!」

「あ、なんかごめんなちゃい……」

 小声でウサミが謝る。
 今のホームランは、ウサミの意図したものではなかった。
 空振りすべく明後日の方向にバットを振ったのだが、
 振るタイミングが悪く、スイングの速度も足りなかったため、
 追尾するボールを振りきれず、バットとボールが接触してしまったのである。

「それにしても、あの変化球にも対応しちゃうなんて……」

「あの変化を読み切るというのか……ウサミよ」

「オレの限界を超えて、オレの予想を上回った球だったのに……。
 なんか、かけた回転とは逆に曲がったし……」

「い、いやぁ、そのぉ……。ま、まぐれでちゅよ。ははは……」

 朝日奈達がウサミを凝視している。
 より正確に言うと、苗木とウサミを観察している。
 その挙動を一目たりとも見落とさないと言わんばかりの熱い視線である。


 この視線が3つ目の理由である。
 魔法を解いたり新しいものに上書きする際もステッキを振る必要があるらしいのだが、
 彼女らの視線が監視となっている現在、その行動を取れば魔法について感づかれることになる。

 衆人環視の中、堂々と不正行為を働く訳にもいかなかった。
 朝日奈の心証を悪くすれば、セレスの夢のときみたいに敵対行動があるかもしれない。
 魔法があれば危険はないかもしれないが、
 打倒苗木&ウサミ……という展開になったとき、話が複雑化し、終わるまでの時間が延びる可能性があった。
 また、これ以上、夢の主要人物になるのも、苗木としては望むところでない。

 そのため、魔法の効力が強すぎることは分かっていたが、解く事も緩和することも苗木達は出来ずにいた。

 ……もっとも、この状況は状況で苗木にとって良からぬ方向に話が進みそうではあったが。

「ウサミちゃんはともかく、苗木は実力を隠してたの……?
 ……そんなに実力があるなら、トレーニングとか試合とかに付き合ってくれてもいいのに……」

 朝日奈が苗木を窺うような目で見ている。その眼には僅かな非難もあった。
 無論、不正に気付いたわけでも、咎めているわけでもない。
 高い実力があるのに何故一緒に頂を登ろうとしないのか? という疑問と不満と期待が主成分である。
 ただ、これはこれで苗木としては居心地が悪い。

(……なんか気まずいな。視線が痛い。
 何も知らない子ども相手に、お金の力で勝つ大人みたいだ)

「実はスポーツ四天王のひとりだったりして」

(その展開になった場合、ボクはどう振る舞えばいいんだ?)

 少年漫画に限らず、意外な人物が実は敵だった……という物語はあるが、
 スポーツ漫画において自チームのメンバーが実は敵という展開は珍しいのではないだろう?
 登場人物が高校生の場合、転校するなりして所属を変えないと成り立たないからだ。

(あ、けど、転校というアイディアはいいかも……。
 うっかり話に加わっちゃったけど、その方法ならしばらく出番がなくて済みそうだし。
 桑田クンのときみたいに見てるだけで大半終わるかも)

 朝日奈が目覚めても夢を覚えていた場合、とても恥ずかしいことになるが、
 いっそドヤ顔で四天王最強を名乗るのもありかもしれないと苗木は考え始める。
 もはや自棄(やけ)である。

(魔法があるならなんとかなるはずだし……。うん……。
 この後の展開次第ではそれも検討しておこう。
 手強い相手が出る分には、朝日奈さんも許してくれるはず……)

 夢に入りたての頃は、夢の主である朝日奈に対して遠慮しているところがあったが、今はない。
 週刊誌において先の話をどうするか考える漫画家のように、苗木は必死に頭を頭を働かせる。
 目指すは最速の打ち切り。無病息災、早寝早起き、規則正しい生活である。

(……なんか苦労の仕方が間違ってるよな)

 苗木は打席に入っている朝日奈を見ながら、自嘲気味に笑う。
 すると、そんな苗木の目の前で朝日奈が三振し、3アウトでチェンジになる。

 これまた苗木としては恐縮至極なのだが、
 大神、ウサミ、苗木がアウトになる気配がほとんどない分、朝日奈がアウトになることが一番多いのだ。
 ここまでの9アウト中、6が朝日奈、2が苗木、1がウサミとなっている。
 現実ならば、絶対に有り得ない状況である。
 とはいえ、それでふて腐れたりしないのが、朝日菜の良いところである。

「あー!? ダメダメ……! 考え事してアウトになっちゃうなんて……!
 しっかりして私! トレーニングが足りないぞ!」

 苗木達に気を取られていたのだろう。
 自らの凡退に関して、自らに対して朝日奈は憤る。

「次は守りだ! 点差はあるけど、気を抜かないで頑張ろー!
 手加減とか桑田に失礼だからね!」

 "手加減"と口にした当たりで、朝日奈の目線が一瞬だけ苗木とウサミに向けられる。
 先ほどから全力で打たないようにしている姿を訝しく思っているのだろう。
 打率が高いため何も言わないが、苗木とウサミの「打たないように!」という
 強い気持ちが透けて見えているのかもしれない。

「桑田がここから百点取るかもしれないし! っていうか取るよね!?」

「あ、あぁ……お、オレだったら、よ、余裕じゃね?」

 朝日奈が願望を込めた檄を飛ばすが、それに対する桑田の反応は芳しくない。

 いまや点差は絶望的となっていた。現在の点差は22である。
 プロ野球における最大の逆転劇は10点差、アメリカの大リーグを含めても12点差であることから、
 現実的に考えれば、現状がどれほど厳しいかは自ずと知れよう。


 一応、ここは夢であるため可能性はゼロではない。
 桑田が急に覚醒して数倍の能力を手に入れるなどすれば、この大差も覆せるだろう。
 しかし、朝日奈の様子を見る限り、それも難しそうだ。

「あわわ……。ここから桑田が22点取るには、
 桑田が攻撃面で圧倒的に強くならないといけないんだけど、
 この三回裏、次の四回裏の2回だけで、さくらちゃんから22点も取るのは普通無理だし……。
 そもそも桑田が成長したら、さくらちゃんも成長するし。
 あ、そういえば、そろそろさくらちゃんは緩急の付け方もマスターするんじゃ……?
 うーん……? やっぱり、九回まであった方が良かったんじゃ……。
 けど、今更ルール変更するのも、桑田に失礼だし……」

 強さは相対的に決まるらしい。
 いくら超高校級の野球選手相手とはいえ、
 一方的に大神が負けるのは、朝日奈にとって有り得ないのだろう。
 桑田の野球力が上限の100だとしたら、大神は95あるというのが朝日奈の考えなのだ。
 なお、苗木とウサミは魔法により200はある。

「負けるのか……このオレが…………」

「頑張って桑田!」

「ファイトだ! 桑田よ! 立ち上がれ! 桑田!」

 桑田がマウンドに膝を突く。
 圧倒的な差によって、朝日奈も打開策を思い付かなかったのだろう。
 実力伯仲による熱戦どころが、冷え冷えとしたコールドゲームが目の前に見えている。
 その空気を払拭しようと、朝日奈と大神が彼の近くに寄り叫ぶが、事態は変わりそうもない。
 もはや、これではどちらが敵なのか分からない。

 ボソリと朝日奈は呟く。

「……こ、ここからいい勝負になるにはどうすればいいんだろ?」

 苗木とウサミという異分子によって、完全に筋書きが狂わされたようだ。

(と言われてもな……)

 苗木も一緒に頭を捻るが、何も思い付かない。

 せめて桑田の使っているバットにも魔法をかけられれば、
 状況は変わるのだが、その機会は中々訪れない。

(……この場にいる人が少ないでちゅからね。
 他に注目を集める人かものがあればいいんでちゅが……)

(そう言えば、霧切さんは……?)

 他の人物と聞き、苗木は一縷の望みをかけて、その名前を言う。
 しかし、周囲を見回しても霧切の姿は見えない。
 すると、ウサミがそのことに関して告げる。

(あ、霧切さんはさっき『私に教えられることはもうないわ。次の場所で待ってる』って言って帰りまちた)

(あ、そう……)

 次の場所とはいったいどこだろうか? 苗木には分からない。

(本当は師匠的なポジションでお助けキャラだったのかな……。
 いずれ新たなライバルになったりするんだろうか……)

(きっと、あちし達は強くなりすぎたんでちゅ……)

(夢の中ではね……)

 しかも、人の夢である。

(はぁ、この状況を変えるきっかけが欲しいでちゅねぇ……)

(何かないかな……?)

(誰かを呼ぶとかでちゅか……?)

(呼ぶって誰をどうやって……?)

(うーん……?)

 苗木と朝日奈の共通の知人はクラスメートくらいしかいないため候補が少なく、
 かつ夢の中ゆえ電話なども使えないため手段も少ない。
 そのため、現実的な方法は何も思いつかなかった。
 しかし、そのとき苗木に天啓が落ちる。

(あ、そっか、そもそも現実的である必要はないし、誰でもいいんだ!)


 苗木は気づく。
 夢の中ならば、誰が唐突に出てきても問題ないはずである。
 そして、大事なのは役割である。
 この状況を打開できるのならば、誰であるかは関係ない。
 それこそ苗木の知らない人物でも呼べば来る可能性はあるのだ。
 それに気付いた苗木は大きな声で叫び、指を差す。

「あれは桑田クンが喧嘩別れした人達……!」

「……え!?」

 苗木が顔を向けた方向に、朝日奈達も顔を向ける。

 その方向には、苗木達がここに来るときに使った出入り口があった。
 出入り口の方から何人かの声が聞こえ、シルエットが見え始める。
 シルエットは複数あり、初めは明確な形を持っていなかった。
 だが、数瞬の後、形のなかったシルエットがゆっくりと輪郭を形取る。
 出入り口に対する朝日奈の意識が濃くのに比例して、具体的な人物像が決まっていったのだ。

「「「「ピンチみてぇじゃねぇか。桑田!!」」」」
「「「「ハッハッハッ!! 僕達の助けが必要かね!!」」」」

 ぞろぞろと大和田と石丸が歩いてきた。
 それぞれ4人ずついる。

「オメーら……!? なんでここに……!?」

「「「「ハッハッハッ! チームメイトがピンチなのに駆けつけない者がどこにいると言うんだね!?」」」」

「「「「まったくだぜ! 後ろは任せな! オメェの真の実力見せてやるんだ!」」」」

「あんなひでぇことを言ったオレを……」

「「「「気にするな! 桑田君! 過去のことは水に流そう……!!」」」」

「「「「そうだぜ! 伊達に普段から男の絆! 男の絆!って連呼してるわけじゃねぇぜ! 流してやるよ!」」」」

「これがチームか……。オレは大切なことを忘れてたみてーだ……」

(な、なんか、現実的に無理ある配役が、お手軽に和解してくれた……!?)

 高速で話が進む。正直に言って雑である。
 だが、朝日奈は嬉しそうだ。

「うんうん……! チームは大事だよね。
 私、男の絆とかってよく分からないけど、こういうのは分かるよ!
 団結っていいよね! 青春って感じ!」

(前に大和田クンと石丸クンが兄弟になったとき、
 ボクも正直、ちょっと暑苦しくて意味もイマイチ分からないっ感じたけど、
 これも別ベクトルでよく分からないよ! 朝日奈さん!
 大和田クン達のときは結論が分からなかったけど、こっちは過程がちょっと……。
 なんというか、すごいインスタントな感じ?)

 同じ顔が4人ずついる時点で、急ごしらえであることは間違いない。
 二人八役であるそれは、傍から見た場合、まるで尺と予算が足りない映画や演劇のようだった。
 苗木の場合は、グラフィックを使いまわしてるゲームを連想していた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
 今のオレなら22点くらい余裕で取れる気がすんぜ!」

「まずは僕達に任せてくれたまえ!」

「オメェには満塁で出番が来るようにしてやんぞ。オラァッ!」

 暑くなる場。
 しかし、苗木はふと疑問に思う。

(……桑田クンでも打つのが難しいんだから、
 人数を集めても、この点差を覆すのは朝日奈さん的にもなしなんじゃ?)

 これがサッカーやバスケなら人数はそのまま攻撃力に繋がるが、
 野球の場合は限界がある(といっても、ホームラン以外の特典手段があるだけ1人よりは遥かにマシだが)。
 そのため、あまり状況は変わらないのではないかと苗木は考えたのである。
 しかし、この状況によって、大きく変わったモノは他にあった。

(苗木君! 皆の目が離れてる間に桑田君チームのバットにも魔法をかけておきまちた!
 当たればヒットになる魔法でちゅ!
 ベンチに置いてあった9本の内、6本にかけておきまちたから、
 ほどよく点差を縮めつつ、こっちが逃げ切れるんじゃないでちゅかね!?)

(ナイス! ウサミ!)


 9本中6本ということは打者が一巡する間に、3人は魔法なしのバットになるはずである。
 その3人で確実にアウトを奪えれば、残りの6人が点数を稼いだとしても、
 1イニングで取れる得点は最大6点であり、残りの2イニングで12点だ。

 もし、魔法なしの者からアウトを奪えなければ、
 さらに打者が一順する可能性もあるが、それでも20点はいかないだろう。

 それに、三回裏の様子次第で苗木達が追加点を四回表で稼ぐこともできる。
 そうすれば、ちょうど良い勝負になるはずだ。

 なお、当初は負けることも視野に入れていたが、結局このまま勝ち逃げすることにした。

(スポーツ漫画って負けると話が伸びること多いし……。勝つ方が終わりが近づくはず……。
 当初の予定とは違うんだろうけど、
 朝日奈さんの考えてた結果も接戦の末の勝利だろうし問題ない……よね?)

 少し不安も残るが、自分達が介入してずれた部分に軌道修正を加えられたに違いない。
 苗木はそう自分を納得させる。

「打球が直角に曲がったぞ!?」
「オレのもだ!?」
「ハッハッハ! 僕のもだ!」

 当たれば確実に長打になる魔法のバットを使って、石丸が2人と大和田が1人、塁に出る。
 そして、次のバッターは桑田であった。

「今のオレには皆が付いてる!」

 桑田がバットを振るうと打球はスタンドに入る。

「これがチームか……!」

 桑田がしみじみとした雰囲気を出しながら、4点を取り返したのである。
 そして、さらに石丸や大和田が押し出しで1点取りつつ、3アウトとなり、打席は一順した。

「これまでの単純な勝負ではなくなったか……。
 桑田にとってはそうでもないだろうが、経験のない我にとって分が悪い……」

「大丈夫だよ! さくらちゃん!
 今のさくらちゃんなら緩急もそろそろ自在に操れるはず!」

「むむ……。言われてみれば、何かを会得した感触がある……。
 体の中で何かが繋がったような感覚が……!!」

 ゴゴゴゴという擬音じみた低い音を立てて、大神が光り始める。
 大神の中で何かが迸っているようだ。

「大神がさらにパワーアップだと!?」
「ハッ! 来るならきやがれ! やれるとこまでやんぞー!!」
「あぁ!! いくぞ、諸君! ここからが本当の戦いだ! えいえいおー!」
「「「「「「「「えいえいえおー!!!」」」」」」」」

(なんで相手チームも主役みたいに盛り上がってるんだろ?)

 苗木、彼我のテンションに困惑する。



◆◆◆

 そこからは激しい攻防であった。
 四回表、苗木達の最後の攻撃では、自重する苗木やウサミの代わりに、
 大神や朝日奈がバカスカ打ちまくり、点差が再び22点に戻った。
 しかし、四回裏、魔法のバットなしの者達が粘り、
 アウトを打席一順につき一つしか取らせなかった結果、18点取った。
 最終的な点数は、30対26と苗木達の勝利であったが、
 もしこれが九回まで続いていたら、勝負は分からなかった。

「まさか、苗木のバント技術を真似るなんて……。
 さくらちゃんじゃなければ、危なかった……」

(なんでそんなにバント推しなんだ……朝日奈さん)

 魔法なしで粘った三名は全員バントで粘っていた。
 大神の球速だとバントでも反動で右中間まで飛んでいくため、魔法のバットとほぼ同等の脅威であった。
 大神が緩急を操れるようになっていなかったら、負けていたかもしれない。

「きょ、今日のところはここまでにしておきちょう……」

 試合の終了と同時にウサミがへたりこんでいた。

(そして、なんでこっちは悪役みたいなことを言ってるんだ……?
 いや、ファーストは忙しかったから仕方ないんだけど……)


 息も絶え絶えのウサミに対して、苗木はその理由を知りつつ、思わず内心で疑問を呈する。

 なお、最後の回、初球からバットを振る者が多かったため、
 キャッチャーの苗木はそれほど仕事がなかったが、他の者は疲労困憊といった具合である。

「もっと早くオレが気付けば……」

 地面には真っ白に燃え尽きた桑田達が転がっている。
 勝者である朝日奈達も膝に手を置きへたり込むのを防いだり、片膝を突いている。

「いい勝負だったね……」

「あぁ、いい勝負であった……」

 とはいえ、最後の方の追いつかれるかもしれないという状況は、
 朝日奈にとって心地よいものだったのだろう。朝日奈の口元には笑みが浮かんでいた。

(お、これはもしや……)

 終わりを期待する苗木。
 しかし、朝日奈が「次はこのメンバーで新しい勝負だよ!」と言ったため、その期待はあっさりと裏切られる。
 そして、その期待を裏切るついでに、朝日奈の言葉に反応して、場が熱くなる。

「オレ達を仲間にしてくれんのか……!」
「「「「昨日のライバルは今日の友!」」」」
「「「「新しい仲間でより強い相手に挑むんだな!」」」」

「みんな! 目標は6種目全制覇だよ! がんばっていこー!!」

「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおお!!」」」」」」」」」

(……え? 6種目って何? あと何個あるの?)

 苗木の困惑は終わらない。

 それどころがさらに加速する。
 唐突に朝日奈が宣言した。

「じゃあ、親睦会としてポンデリング食べよ!」

「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおお!!」」」」」」」」」

(……え?)

 朝日奈達はスタジアムの壁に手をかけ、その表面をめくり始める。
 硬そうに見えた壁がベニヤ板のようにはがれると、そこからはたくさんのポンデリングが出てきた。
 剥がされた部分も見た目は無機物のように見えるが、
 チョコレートやクッキーのようにバリバリと頬張ることが出来るようだ。
 そして、同様にして、壁だけじゃなくてベンチやフェンスも食べることが出来るらしく、
 引っ張れば餅のように伸び、丸めればお団子のようになる不思議なお菓子として、皆に食されていく。

「ドーナツサイコー! 他のもサイコー!」

「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおお!!」」」」」」」」」

 まるでイナゴのようだった。
 朝日奈達は内側から食べつくしていき、
 やがてスタジアムを覆う巨大なポンデリング型の壁もお腹の中に納めた。
 朝日奈の言う親睦会が終わったとき、後には草しか残らなかった。

「お、終わった……?」

「す、すごい食欲でちゅね……」

 一歩も動くことができないまま、苗木とウサミは朝日奈達の食事を見ていた。
 なお、動けず固まっていたのは、主に恐怖のせいである。
 朝日奈達の食べっぷりは、スタジアムどころがこの世の全てを食いつくさんとする勢いだったため、
 生物としての本能が捕食者に対する恐怖を呼び起こしたのだ。

「苗木、ウサミちゃん……?」

 スタジアムを平らげた後、朝日奈達が苗木とウサミの近くに集まってきた。

「は、はい!?」

「ひ、ひぃ……、な、なんでちゅか!?」

「あんま食べてなかったみたいだけど、大丈夫?
 食欲ないの? お腹痛いの?」

 朝日奈は表情を曇らせ、苗木達を気遣う。
 どうやら心配しているようだ。


 その表情を見て、苗木は慌てて言う。

「あ、いや、その……、ちょっと食欲がなくて……。
 朝日奈さんは気にしなくていいよ」

 食べられるかもしれないと考えた自分が恥ずかしかったらしく、
 目を少し合わせずらそうにしていた。

「ふぅん……?」

 朝日奈はジト目で苗木を見る。

「な、なに……?」

「いや、別に……」

(……と言われても、気になるなぁ)

「じゃあ、ウサミちゃんも?」

「あ、はい」

「あんなに運動したのに……?」

「お、おやつのニンジンをこっそり食べてたんで!」

「なるほどー! 運動してたらお腹減っちゃうもんね!」

「あちし、ニンジンが大好きなんでちゅ! ウサギでちゅから!」

「そっかそっか! 私にとってのドーナツなんだね!」

 朝日奈が一転してニコニコとし始める。
 「お腹が空いたから食べる」という理屈は朝日奈にとってなじみ深いものだったのだろう。
 心配そうな様子や不審げな様子も既になかった。

「良かった! 心配したよーもう。
 お腹が痛いか、チームに馴染めてないのかと思っちゃった。
 勘違いで良かったー。実は苗木が他校のスパイでスポーツ四天王のひとりって疑ってたの。
 けど、食べ物を好きな人に悪い人はいないもん!」

(チームに馴染めていたのは確かかもしれないけどね……)

「苗木は何を食べたの?」

「……えっと、ボクは串焼きかな?」

 屋台で食べたものを思い出して、そう言った。
 試合中に食べていたわけではないが、嘘ではない。

「そっかそっか。
 うーん、なんかお肉も食べたくなっちゃったな。
 あ、とんこつラーメンもいいかも。今から、食べに行こうかなー」

「い、今から……? まだ食べられるの?」

「あったりまえだよ! おやつは別腹!」

 朝日奈の中でラーメンはおやつであるようだ。

「おやつ……」

 苗木としては言いたいことがあったが、グッと黙る。
 以前、カロリーについてツッコミを入れたら怒気を纏ったので、
 今回は触れないことにしたのである。

「うん。決めた! 次の島に行く前に、中央の島に戻ろっと。
 そこでラーメンを食べてから、次の勝負に行こう!」

「それも良いな……」

「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおお!!」」」」」」」」」

 大神が了解の意を示し、桑田達がイエスマンとなる。
 寄り道が始まりそうであった。

「つ、次の場所にも食べるものあるんじゃない……?
 いや、きっとそうだよ! はやく行こうよ!」

 苗木を軌道修正をしようとする。
 屋台へ行くのに付き合ったとしたら、味のないガムを食べ続けることになりそうであるからだ。
 また、6種目制覇という長大そうな目標を知ったが故に、少しでも急かそうと思ってもいた。


「うーん。次は次で美味しい建物らしいし。悩むなー」

 苗木の言葉は朝日奈に届いたようだ。朝日奈は悩みだした。
 そこで苗木はさらに自論を推す。

「おかしだって、運動してお腹が空いてた方がもっと美味しく食べられるかもしれないよ」

「い、一理ある……」

「それに、今こうしてる間に、朝日奈さんのライバル達が特訓して強くなってるかも」

「ハッ!? たしかに!?」

(この手のが一番効くみたいだな)

 自分がさぼっている間に、他の人がもっと強くなるかもしれない……という言葉は、
 朝日奈の胸中を強く抉ったようだ。

「私がこうやって悩んでいた間に他の人はお腹ペコペコで死にそうになりながらも、
 頑張ってるんだよね。うんうん……。私もドーナツ以外は我慢しよう。
 試合が終わってないのに、ドーナツ意外に浮気したらダメってことだよね。
 ドーナツの神様に怒られちゃうし! ドーナツ以外は断食だよ! 断食大魔神だよ!」

(なんのことだか分からないけど納得したみたいだ……)

 朝日奈は決意も新たに次の試合会場があるらしき方向に顔を向け始めた。
 すると、他の者達も朝日奈の後ろに横一列に並び、朝日奈と同じ方向に向く。
 スタジアムがなくなった今、この場所は芝生が一面に広がる野原であり、
 視線の先には地平線があった。そして、地平線の向こうから太陽が昇り始める。朝日だ。

(……いや、さっきまで上にあったよね? いつのまに朝になったんだ?)

 苗木の疑問もどこへやら、青春の一幕のような光景が彼の周りに広がる。
 朝日奈達は逆光の先を見据えて、何かしらの決意を固めているようだ。

「向かうはあの先だよ!」

「あぁ!」

「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおお!!」」」」」」」」」

 朝日奈達は光に向かって走り始める。

(お、これは石丸クンのときみたいに打ち切りエンドに……?)

 デジャブを覚えた苗木はそう思った。
 しかし、彼の予想は外れる。どこからともなく、声が響いてきたのだ。

「遅いと思ったら負けたのか。桑田め」

「愚かですわね。自分の得意な野球ですら負けるなんて」

「くくく……。スポーツ四天王の恥さらしですぞ」

「いえ、彼はよく戦ったわ……。私は見ていたから分かるわ」

「だ、だけど、け、結局負けちゃったんでしょう……? 負けたら終わりよ……」

「そう……。敗北は死に等しい……。戦場じゃなくても負けちゃだめ……」

「マジうけるー。桑田から野球を取ったら何が残んのー!」

「まぁまぁ、皆さん。桑田君も頑張ったみたいですし。
 負けたことよりも勝った朝日奈さんに注目しましょうよ」

 光を背にしたシルエットがいくつもこちらに向かって歩いてくる。
 すると、それに反応するように、苗木達の背後からも新たな声が響く。

「あの人たちはスポーツ四天王の……!」

「え、不二咲クン……?」

「あ、うん……。マネージャーの不二咲だよ。
 同じチームになってからははじめましてだね。苗木君」

「不二咲ちゃんは、次以降の対戦相手のデータを集めに行ってたんだ」

 朝日奈が不二咲のポジションについて説明した。
 不二咲は「うん」と頷きながら、話の続きをする。

「あそこにいるのは全員スポーツ四天王だよ……!」

(え、全員って……? 4人どころじゃないんだけど……)


 逆光の中から出てきた姿は見覚えのある顔ばかりだが、どう数えても4人以上はいた。
 そして、苗木の引きつった表情を別にして、不二咲の紹介が始まる。

「中央にいるのはグリーンハイスクール出身で、四天王のリーダー、テニスの十神白夜君!」

「愚民が……。誰の許可で俺の紹介をしている?
 俺について話していいのはウィンブルドンの会員だけだ……」

(前の学校に所属していることになってる……。校内の球技大会って話はどこに……?)

「ウインドブルを開催しているクラブに入るには同じ会員の紹介か、
 ウインドブルでの優勝が条件としているらしいんだぁ」

(そ、そうなんだ。豆知識だな……)

「隣にいるのは所属高校不明のさすらいのテニスプレイヤー! テニスのセレスさん!」

「高貴なわたくしがあえてプレイするなら乗馬かクリケットかテニスですわ」

(……じゃあ、クリケットでいいよね? テニスかぶってるよ?)

「着ている服が汚れるからって体育の授業も受けないし、大会にも出ないから、
 誰もその実力は知らないんだけど。すごい強いららしいよぉ」

(なんで誰も知らないのに四天王になったんだ……)

「さらにその隣にいるのは、アメリカ帰り、またの名をバスケの霧切さん!」

「まさかあなた達が勝つとはね。
 ……今のうちに言っておくけど、たとえあなた達でも試合になったら容赦はしないわ」

(アメリカにいたなら野球かバスケが得意理論は健在なんだな……)

「小柄だけど変幻自在に動いて、チームの司令塔としても活躍するよぉ」

(あ、普通の紹介だ……)

「そして、さらにその隣は、川端女子高校所属、陸上の腐川さん!」

「あ、あたし、運動全般は苦手なんだから……。だ、だって、あたしは文学少女よ……」

(……そりゃそうだ。あと、陸上って球技じゃないよね)

「ストレスが溜まると、夜な夜な奇声を上げながら走ってるって噂があるんだぁ。
 いや、実際にそのときの姿を朝日奈さんが目撃したこともあるよぉ。
 びっくりするくらい速かったみたい」

「うん。見た見た! 大晦日の前日、キャリーバックを背負って全力疾走してた!」

(え、本当に……?)

「そして、十神君の逆側の隣にいるのは、グンマ県立渋谷高校所属、バレーの江ノ島さんと戦刃さん!」

「私が足になって盾子ちゃんを乗せる役……」
「アタシが頭や腕になってボールを飛ばす役……」

(比喩だよね……?)

「肩車をしたまま戦うっていう斬新なプレイスタイルで、高さにおいては負けなしだよぉ」

(比喩じゃなかったー! それ絶対、別々に動いた方が強いよね!?)

「そして、その隣にいるのは、根黒高校所属、カバディの舞園さん!」

「カバディって何やるんでしょうね!」

(いや、こっちに聞かれても!? というか、朝日奈さんの所属する部活動ですらなくなった!?)

「歌手だからすごい肺活力だって噂だよぉ」

(歌手、肺活力、カバディって連想は飛びすぎじゃない!?)

「そして、最後のひとりは、丸富士高校所属、ボールの山田君!」

「どすこい!」

(それボール使わないよね!? というか、ボールの山田って何!?)

「最近はサッカーボールになりたいって言ってたよぉ。友だち欲しいのかなぁ?」

(蹴られたいってことじゃないかな……?
 朝日奈さんは勘違いして気付かなかったみたいだけど、どっかで変態的発言したんだろうな、山田君……)


 そして、山田に関する紹介で、今ここに現れた者達の紹介が終わった。
 すると、その紹介の終わりを待っていたかのように、彼らは一斉に決めポーズを取る。

「「「「「「「「我らスポーツ四天王!!!!!!!!」」」」」」」」

(夢の中とはいえ、十神クンやセレスさんがノリノリでポーズ取るのはシュールだな……。
 人数もなんか半端に多いし……)

 十神を中央に置いたうえで、子ども向け番組の5人組のように個々人が思い思いにポーズを取っているが、
 8人という人数ゆえに右翼が長く左翼が短く、左右のバランスが悪い。
 そのため、シュールさに加えて、妙な違和感も付き纏う。

(本当は桑田クンがあそこに加わるんだろうか……?
 まぁ、ノリでやってるのを気にしたら負けかな……?)

 苗木は心の中で首を捻る。
 すると、ちょうどその瞬間に、説明を終えたかのように見えた不二咲がさらに言った。

「本当は、ここにいるメンバーに加えて、もうひとりいるらしいよぉ。
 なにか理由があって、普段は実力を隠してるらしいけどぉ、すごい実力の持ち主なんだって……」

(あれ、クラスメートでここでいないのは葉隠クンくらいだけど……?
 まさかの葉隠クンが最強キャラ? それともクラスメート以外の人が出て来るのかな?)

「頑張って探したんだけどぉ、出身高校は夕闇高校ってことくらいしか分からなかったよぉ……」

(って、ボクじゃん!? や、やばい……! 本当に、実はボクが最強の敵って展開になりそう!?)

「もしかしたら、最終種目である水泳に出て来るかもぉ」

(しかも、魔法をかける道具がほとんどなさそうな水泳……。
 万が一のときには、海パンに魔法をかけてもらえばいいのか……?)

 苗木が焦ると同時に、スポーツ四天王として現れた者達の視線が一瞬だけ苗木に集まる。
 そして、何人かはアイコンタクトまでした。
 だが、誰も何も言わない。
 あからさまな伏線であった。

(う、うわぁ……。し、しまった……。秘密の敵ってポジションになってしまった……。
 ボクがその四天王って展開なら、さっさと名乗って、あっちに行けばよかった……。
 そしたら、ラストまで傍観していられるポジションになれてたかも……)

 最後は頑張るにしても、それまでの過程で休めるなら、それに越したことはなかった。
 だが、もう既に遅い。

「秘密の四天王だって、楽しみだね! さくらちゃん!」

「そうだな。朝日奈よ……」

「きっと最後の最後に登場するんだろうね! 見開きで!」

(き、期待されてる……)

 苗木は焦る。
 だが、そのとき苗木の視界の端に桑田の姿が映った。

(あ、そうだ……! 桑田クンなら四天王なんだから、設定的に知っててもおかしくないはず……!)

 だが、桑田は呻くように言った。

「四天王の中では新参だったから、オレも最後のひとりは知らねーんだ……」

(退路を塞がれた……!?)

 この夢における苗木の役割は決まったようだ。
 それどころが、更にドラマが進む気配があった。

「だけど、そいつも含めて、四天王の中で一番はオレに決まってる!
 このチームでそれを証明してやる! なぁ、苗木? オメーもそう思うだろ?」

「あ、うん。そ、そうだね……。心の底からそう思うよ……ハハハ…………」

「オメーいいやつだな! さっすが、マイフレンド苗木!」

(仲間からの信頼が上がっていく……。これはあとでドラマチックにするための伏線なのか……?)

 苦虫を潰したような顔で苗木は唸った。
 その心は震えていた。無論、武者震いなどではなく、不安と焦りによってだ。

(ウサミ……。正体を明かすときに使えそうなかっこいいセリフを考えたら教えて……。
 イメトレしとくから……)

(わ、分かりまちた……。が、頑張りまちょうね……)

今回はこれで終わりです
今年もよろしくお願いします

次の更新は来週の日曜日予定です

ちょっと日付を超えるかもしれません
あと、10レスの予定が5レスになっちゃいました
こっちの方がよいかも?って展開が思いついたんで、修正したりしたら一歩進んで二歩戻る的な感じに……


◆◆◆

「「「「「「「「さらば!!!!!」」」」」」」」

 登場するだけすると、スポーツ四天王(8人)は帰っていく。
 どこからともなく現れたときと同様に、どこかへと消えたのである。

 その消え去った方向を見ながら、朝日奈はグッと拳を握りしめる。

「次の島では、あいつらが待ってるんだね! 燃えてきたよ! ね、みんな!?」

「「「「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」

 すっかり外付けスピーカーと化した元桑田チームが相槌代わりの咆哮を上げた。
 その様子を見て、朝日奈は「うんうん」と満足げに頷く。

「気合十分だね。よーし、じゃあ、ここから一番近い島に行こー!
 ここからだと一番近いのは、チュロス島だね!」

「チュロス島か。いきなりだな。だが、相手にとって不足はない」

 大神も静かに頷く。
 目を瞑り、これからの戦いに想いを馳せているようだ。
 大神はさらに言う。

「それに、戦において将から狙うというのは常套ぞ」

「だよね! よーし! じゃあ、次の相手は四天王のリーダー十神だ!」

「あぁ!」

 朝日奈が走り出し、それに大神も続く。
 おそらく、その方向にチュロス島があるのだろう。彼女達の走りに迷いはなかった。
 そして、桑田、大和田達、石丸達も彼女達を追いかけはじめる。
 部活の朝練のように、彼女達はランニングをしながら移動するようだ。

「いち、にー、さん、しー!」

「にー、にー、さん、しー!」

「「「「「「「「「「「さん、さん、よん、にー!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」

「あ、それッ! いち、にー、さん、しー!」

「にー、にー、さん、しー!」

「「「「「「「「「「「さん、さん、よん、にー!!!!!!!!!!!」」」」」」」」」」

 朝日奈達の唱和が遠ざかっていく。
 救急車のように、少しずつ音が届く感覚が開いていくことから、その速度が凄まじいことが分かった。

(身体能力のリアリティーは揺れ幅大きいな……)

 苗木は遠ざかる朝日奈達を見送り(聞き送り?)ながら、嘆息する。
 だが、すぐに気を取り直して、隣にいた不二咲に話しかける。

「ところで、不二咲クンは朝日奈さん達と一緒に行かないの?」

「僕は先に車で行ってドリンク用意しないと。マネージャーだからねぇ……」

「なるほど……」

「じゃあ、僕は行くねぇ」

「うん、じゃあ、またあとで」

「苗木君だから大丈夫だと思うけど、集合時間に遅れないようにねぇ」

「……念の為、集合時間を確認しとくけど、今から何時間後?」

 この世界における時間を正確に把握する術を持たない為、
 苗木は開始時刻そのものを聞かず、やや迂遠な尋ね方をした。
 そのことに関して、不二咲は首を少しだけ傾げて回答する。

「えっと、3時からだから。2時間後かなぁ」

(意外と時間ないな……。まぁ、これも速まったり遅くなったりするんだろうけど……。
 ただ、時間の流れが変わるなら……)


 苗木はそこまで考えて、あることを試してみることにした。
 四天王たちの登場時に、朝日が急に昇ったことから、
 ここで重要なのは視覚的情報だと苗木は推測していた。
 そこで、苗木は試合開始時刻を目に見える何かと結びつけることにした。

「3時からってことは、太陽がちょうど真上に昇るころだよね?」

「え、そうなのかなぁ……?」

「そうだよ」

「そうなんだぁ」

「あそこに見える昇り始めの太陽が真上に来た頃に試合が開始するし、
 ボクもその頃に到着すると思う。朝日奈さんにもそう伝えて」

「うん、わかったよぉ」

 不二咲はにこやかに了承すると、そのまま立ち去った。

「よし……」

 苗木は一息を吐いた。
 だが、すぐに気を引き締め、ウサミに問う。

「セレスさんの夢のときに、
 脳を活発化させて時間を早めることが出来るって言ってたけど、その逆は出来る?
 状況を整理したり、演技の練習をしたりしたいんだけど……?」

「……ごめんなちゃい。逆は難しいんでちゅ。
 なんで難しいかって言われたら色々あるんでちゅが……。
 役立たずで申し訳ないでちゅ……。ごめんなちゃい…………」

「えっと、うん……。その元気出して……!
 そうだ……代わりに太陽の動く速度を遅くしたりは?」

「あ、それはステッキ振ればどうにかなりまちゅ」

「それは出来るんだ……。
 ……あ、けど、それが出来るなら、十分だよ!」

 朝日奈の体感時間で3時になっても、
 太陽が真上に昇っていなければ3時じゃないという設定が朝日奈が認識していれば、
 まだ3時じゃないと朝日奈が思い直すかもしれない。
 もし、そうならなくても、苗木としては3時前だから時間に遅れていないと言える。
 そういう意味では、ウサミの魔法は充分すぎるほど苗木の望んだ事を叶えられる。
 苗木はそれらの事柄について、ウサミに説明した。

「なるほど! だから、不二咲君に太陽が昇る頃って念を押したんでちゅね!
 あったまいいでちゅね! 苗木君!」

「けど、この作戦が出来るのもウサミのおかげだよ」

「苗木君……。じーんとしまちた……」

 褒められたことで、照れつつ嬉しそうな様子をウサミは見せた。
 そして、その嬉しさを胸にウサミはステッキを掲げる。

「よーし、頑張りまちゅよー! ちんぷいー!」

 ウサミは太陽に向かってステッキをかざした。
 そして、しばらくの間、無言でブンブンと振りまわす。
 そして、数十回以上ステッキの上下運動を繰り返した後、
 ウサミは汗をぬぐうような仕草をしつつ、言った。

「ふぅ……。少し大きいから、時間がかかりまちた。
 けど、成功でちゅ! これでだいぶ時間が稼げると思いまちゅ!
 えっと、だいたい3,4時間くらい? かけ直せばさらにもう少しいけるかも?」

「良かった……」

 苗木は心の底から安堵し、力を抜いた。
 先ほどの試合の疲労もあり、苗木はその場に腰を下ろす形となった。
 そして、そのまま後ろにぱたんと寝転がる。

「あー。このまま、ここでゴロゴロしてたい……」

 時間が生まれたことで、緊張が一気に抜けたようだ。
 ウサミも困ったような顔をした。


「気持ちは分かりまちゅが、頑張りまちょう……!」

「大丈夫……。ほんとにゴロゴロはしないよ」

 ゆっくりと上半身を起き上がらせて、苗木は言った。
 そして、現状について、ウサミと確認し合う。

「ここまでを整理すると……」

 すると、現状について苗木とウサミの認識は一致していた。
 四天王が8人いること、
 少なくともテニス、バスケ、バレー、陸上、水泳は絶対参加しないとならなさそうなこと、
 水泳の対戦相手は苗木が濃厚であること、
 朝日奈達にとって、苗木は隠れていた実力者であること……などなど、認識に特に違いはなかった。

「そして、そんな中、ボクの取れる選択肢は……。
 1、魔法を使って活躍しつつ、最後は期待に応えて朝日奈さんと決戦。
 2、試合に参加はするけど最低限の魔法で身をまもりつつ目立たないようにやり過ごす。
 3、何も考えずに逃亡してサボる。
 ……くらいかな? 2番を選ぶくらいなら、思い切って3番かなって思うんだけどどう思う?」

「まぁ、そうなりまちゅねぇ……。2番はなんか視線が痛くなりそうでちゅ」

「妙に期待されてたからね……。
 ただ、3番のときって話が進めばいいけど、ボクが来るまで試合が終わらないとかになったら、
 それはそれで困るよね? 桑田クンのときみたいに自動で進めばいいけど、
 セレスさんのときみたいに皆が追いかけてきたらたいへんなことになりそう……」

「魔法で透明になったりも出来るんで、時間はかかってもどうにかなるとは思いまちゅ。
 1番と違って、明確な終わりが分からなくなりそうでちゅから、長くなる可能性はたしかにありまちゅが……」

「じゃあ、ひとまず1番の路線で行って、どうにも上手くいきそうになかったら、
 試合と試合の間に3番に変更ってのがいいかな?」

「それがいいかもしれまちぇんね」

「よし、じゃあ、そうしよう……」

 元々、明確な最適解が出るような問題でもないため、どことなくふんわりとした結論であった。
 会話のテンポ自体も淡々としたものだった。

「ただ、1番で行くなら、もうひとり気を逸らせる人が欲しいよね……。
 さっきみたいに、注目されると、途中で新しく魔法をかけなおすってのも厳しそうだし」

「たしかに……。もうひとりか……。うーん……?
 ……今回は誰か他に入ってくる予定の人とかはいないんでちゅか?」

「たぶん、ないかな……?
 朝日奈さんは誰かの夢に入ってみたいから、入られてもいいかもって悩んでた気もするけど、
 結局、結論が出たのかどうか……。
 たぶん、みんな遠慮して入ってこない可能性が高いと思うな……。
 ピンチのときは、ウサミがボクの口を動かして、助けを呼ぶって話もしてあるから、
 こっちが呼ばなければ、ボクらが困ってるとも思わないだろうし……
 勝手に入ってくる可能性があるとしたら、
 現実世界でボクの体が寝言で苦しんでたり、助けを求めたりしてたときくらい?」

「助けでちゅかー。うーん? あ、そうだ。
 もう一回くらい試してみまちゅね。苗木クンの口が動くかどうか。
 ラジオの電波みたいにうっかり回線と開くかもしれまちぇんしね」

「うっかりで届くんだ……」

「結局、なんであのとき繋がって、
 今回は繋がらなかったのかもよく分かってないでちゅからね……。
 ここだと苗木君の脳に対して、口を動かせって指令が届きやすいかもしれまちぇん」

 アンテナが立つ場所を求めてスマートフォンを動かすように、
 ウサミはステッキを左右に動かす。

(完全に電波とアンテナみたいなノリだな……)

「……あ」

「どうしたの?」

 ステッキを動かしていたウサミが驚き、その動きを止めた。


「なんかつながったみたいでちゅ……!」

「え、本当に……!?」

 ――な、苗木君ですか? えっと、その……。

「あ、舞園さんの声だ」

 ――この口調……。苗木君の体を使って噂のウサミ……さんが話しているかしら?

「今度は霧切さんだ。本当につながったのか……」

 驚く苗木。すると、そんな苗木に対して、ウサミがテレパシーで話しかける。

(ここからは外で苗木君の体で喋ってる言葉を、あちしの口からも同時に出しまちゅね。
 外じゃなくて、苗木君に話かける場合はテレパシーを使いまちゅ。
 苗木君の方はテレパシーでも口でも好きな方でお気軽に~)

「あ、うん」

 すると、ウサミは苗木の体で喋ってる事と同じことと口に出す。

「はい、あちしの名前はウサミと言いまちゅ……! はじめまちて!」

 ――はじめまして。話には聞いていたけど……。

「まぁ、さすがの霧切さんもこの状況には驚くよね……」

 ――本当に赤ちゃん言葉なのね。

「……そこ?」

「今、そこにツッコミは禁止でちゅ!」

 霧切の驚きの理由に驚く苗木。
 苗木としては、驚くことは他にもあるだろうと思ったのだ。

 ……しかし、この場合、霧切の反応が多数派であり、
 口調の問題に違和感を持たない苗木の方が少数派であろう。

 苗木自身はウサミの口調や存在に慣れてしまったこともあり、
 寝てる自分が赤ちゃん言葉を話していると聞いても「魔法だし」で感想が完結してしまっていたが、
 目に見えない魔法より、実際に聞こえる言葉の方が、初見にはインパクトがある。

 なお、現在、現実世界では、苗木と朝日奈の体は保健室に移動させられており、
 クラスメートの様子を窺っていた。

 腐川などは「べ、ベッドの両脇に女がいる状況で、
 赤ちゃん言葉を喋る男とか……。へ、変態にしか見えないわ」と言っている。

 ――ごめんなさい。話が逸れてしまったわね。
   ところで、こんな風に話すってことは、
   何か外側でやって欲しいことがあるってことだと思うけど?

「はい、そうでちゅ!
 朝日奈さんの夢の中で苦労してるんで、出来れば1人来てくれると嬉しいかなって」

「プライバシーの問題はあるけど、スポ根漫画の展開で、ボクとウサミだけじゃきついんだ!」

「『プライバシーの問題があるってのは分かるけど、
 スポ根漫画の展開で、ボクとウサミだけじゃきついんだ!』って苗木クンが言ってまちゅ」

 ――プライバシーに関して大神さんが言うには、
   朝日奈さんは一回誰かの夢に入ってみたいから我慢するって結論を朝に出していたらしいわ。

「おぉ、それは良かったでちゅ!」

 ――と言っても、そんなにぞろぞろ入っては欲しくなさそうだったらしいけど。
   ……誰に入ってほしいとか希望はあるかしら?

「あちしがこっそり魔法を使うために、
 注意を引いてくれるだけでいいんで、誰でも大丈夫だと思いまちゅ」

「できれば、研究を頼まれてる不二咲クンがいいかな。
 それに、この夢の不二咲クンはマネージャーだから、うまく入れ替われば、色々融通が効くだろうし」


 苗木が候補を挙げる。
 そして、それがウサミ経由で外に伝えると、今度は不二咲の言葉が周囲に響く。

 ――分かったよぉ。苗木君にウサミさん。僕もすぐに眠るねぇ。

「分かりまちた! 待ってまちゅ!」

 ――他に何か伝えたいことはあるかしら?

 再び、霧切の声が響く。
 しかし、苗木やウサミとしては、もう特に伝えたいことはない。
 そのため、苗木の「ありがとう」という言葉を伝言して、ひとまず会話は終わった。

「ふぅ……。繋ぎっぱなしにできればいいんでちゅが。
 留め金の壊れた突き上げ窓みたいに、なんか力を入れて押さえないと、
 繋がりが勝手に閉じちゃうみたいでちゅ」

(魔法のはずなのに、さっきから妙に生活感が漂う解決法と比喩だな……)

「とりあえず、不二咲君を待ちまちょう」

「うん」

 苗木とウサミはしばしの間、ゴロゴロし始める。
 そして、体感時間にして十数分後、遠くから不二咲が歩いてきた。
 どうやら苗木やウサミと同様に近くの浜辺が開始地点だったようだ。

「苗木君、お待たせ。ごめんねぇ、ちょっと、時間がかかっちゃった」

「ううん。気にしないで」

 不二咲は希望ヶ峰学園指定のジャージを着ていた。

「念の為、体操服の上からジャージを着て来たんだ。
 それに、その直前に身につけてたものがある程度反映されるみたいだから、
 ポケットにホイッスルとかライトとか入れてきたんだぁ。
 注意を逸らせるかなぁって思って」

「準備がいいね。不二咲クン。さすがだね」

「えへへ……」

 不二咲は嬉しそうにきょろきょろと辺りを見回す。

「すごいいい景色だよねぇ……。
 うわぁ、自然がいっぱいだぁ……。
 ただ、動物とか虫とかは、いないみたいだねぇ……」

(よく見てるな……)

「夢の中のせいか、普段よりも動ける気がするし。
 時間があったら、僕も少しだけ体を動かそうかなぁ……。
 イメージトレーニングになるかも。
 ……あ、ごめんねぇ。苗木君がピンチを乗り越える方が先だよね」

「いや、いいよ。楽しめるなら楽しんだ方がいいと思うし」

 苗木は笑顔で言った。
 この後、朝日奈達と合流すること自体には不安はあるが、
 南の島というシチュエーションと、クラスメートと楽しむというイベント自体には不満はない。
 ただ、そのために、いくつか試練を乗り越えないといけないこともまた事実なので、
 苗木は笑顔のまま、話を進めることにした。

「ひとまず、今まで何があったかについて説明するね」

「うん」



◆◆◆

「……ってことがあったんだ」

「た、たいへんだったんだねぇ」

 一々、驚きの相槌を入れる不二咲のおかげで、
 苗木はすんなりと話し終えることが出来た。


「ただ、こんな風に不二咲クンが来てくれたおかげで、ボク達もやりやすいよ」

「不二咲君が注意を引いている間に、あちしが魔法を使えば、
 活躍することも、朝日奈さんの期待に応えることも思いのままでちゅ」

 苗木とウサミは喜びの声を上げている。
 それ対して、不二咲は冷静に尋ねる。

「僕はこの世界だとマネージャー役なんだよねぇ?」

「うん。試合開始前にどっかに呼び出すから、そこで不二咲クンには入れ替わってもらうね」

「この世界の不二咲君には悪いでちゅが、ぐるぐる巻きにさせてもらいまちゅ」

「朝日奈さん側で気付くことはないのかなぁ?」

「マネージャーとしての仕事をちゃんとこなしてれば、大丈夫じゃないかと思いまちゅ
 違和感を持たれたら、そこから入れ替わりに気付かれることがあるかもしれまちぇんが、
 喋り方や性格は普通でちたし。今ここにいる本物の不二咲君と見た目も同じでちゅ。
 まず気づかれないと思いまちゅ」」

「相手チームについて、情報を尋ねられることがあるかもしれないけど、
 基本的に何かのキャラクターの能力を言っておけば大丈夫だと思うよ。
 ……あ、不二咲クンって少年漫画は読むっけ?」

「読んでるよぉ。
 スポーツ漫画も強い男の人が出るから、昔から憧れてたんだぁ……」

「良かった。
 えっとね、分かってる相手メンバーは8人いて、さっきの紹介では……」

 苗木は先ほど夢の中の不二咲が紹介した内容を本物の不二咲に教えた。

「あまり整合性とかは気にしなくて大丈夫みたいだねぇ……」

「不二咲クンは気楽にやってくれればいいよ」

「なんてたって、魔法が使いたい放題でちゅからね!」

 外の世界から不二咲を呼べたことによって、自信を回復したらしいウサミが胸を張る。
 苗木は苦笑を浮かべつつも、それに同意した。

「けど、これで大分楽になったのは確かだよ!
 よーし、あとは、演技の練習かな。
 最後に朝日奈さんと勝負するときは、どんな感じで行けばいいかな?
 やむを得なくて戦う感じかな。それとも強くてライバルに飢えてた感じがいいかな」

「苗木君はライバルチームのリーダー役になるかもしれないんだよね?
 味方だったのに実は……って展開の」

「うん、たぶんそう」

「……だったら、味方の振りをした理由から考えた方がいいんじゃないかなぁ。
 演技も役作りが重要だって言うしね……」

「なるほど……! ちょっと考えてみる」

「えへへ、頑張ってぇ。僕も一緒に考えるから」

「太陽が真上に昇るまでまだ時間はありまちゅから、じっくり煮詰めまちょう!」

 まるで物語のプロットでも考えるときのように、妙な盛り上がりを見せる苗木達。
 ウサミが言うように、太陽が真上に昇るまで時間はあった。
 しかし、あくまでもそれは太陽が真上に昇るまでの時間であり、
 夢にそれまで動きがないという意味ではなかった。

 そのことを苗木はこの後知ることとなる。

もう少し続けたいけど見直しがまだなので
明日の夜に1レスだけ投下します
今日はここまでです


◆◆◆

「ちょっと時間ぎりぎりかな?」

「大丈夫でちゅ。まだ、太陽は真上に来ていまちぇん!」

 チュロス島に到着した後、苗木達は中央にあるスタジアムに向かって歩いていく。
 スタジアムの外観はチュロスの形をしており、中にいくつかのテニスコートがあるようだ。

「あれ、すでに試合が始まってるみたいだよぉ……」

「え?」

 団体戦なのだろう。
 複数のコートで、それぞれ勝負が行われていた。
 シングルが3つ、ダブルスが2つという中高生としてはオーソドックスな形式である。
 計5つのボールが高速で往復運動を繰り返しており、激しいラリーの音が苗木達の耳まで届く。
 そして、そのラリーの中でもとりわけ激しいものがあった。

 そのコートには4人の人物がいた。
 2人は四天王のメンバーである十神とセレスだ。

「……クッ。この俺が負けるのか!?
 馬鹿な……。テニスでなら、たとえ苗木が相手でも……!?」

「朝日奈さんも足手まといなどではなかったようですし。わたくし達の負けでしょう」

「まだだッ! 俺はまだ負けん!」

 十神とセレスはダブルスを組んでいるようだ。
 そして、追い詰められてもいる。

「さくらちゃんじゃなければ楽勝って言ってたけど、
 後悔してももう遅いんだからね!」

 十神達と戦う者の内、ひとりは朝日奈であった。
 だが、もうひとりが誰だか苗木には分からなかった。

(……誰だ? あれ?
 身長はボクと同じくらいだけど、なんかすごいいかつい身体だ……。
 しかもスキンヘッド……)

 シャツの上からでも分かる鍛えられた肉体に、筋肉によって引き締まった手足。
 そして、死地を乗り越えた者特有の鋭い眼差しに、精悍な印象を与えるスキンヘッド。
 苗木の知らない人物であるはずだった。
 しかし、喉に骨でも引っ掛かったような違和感が、苗木の中にあった。

(けど、なんか見覚えもあるような。
 顔の輪郭とか、口元とか……。それこそ毎日見てるような……?)

 鍛えられた肉体という点だけなら大神を連想させるが、それははありえない。
 なぜなら大神は隣のコートで十神の配下らしき相手(黒服でサングラス)とシングルで勝負をし、
 今この瞬間に勝利をもぎ取っていたからだ。

「我は勝った!」

「やったね! さくらちゃん! さくらちゃんなら確実に勝てると思ったよ!」

 ラリーをしながら、大神に対して祝福の言葉を朝日奈は述べる。

「クッ……。余裕のつもりか!?」

 十神が憎々しげに毒づく。
 そして、今まで以上の強打によって、ボールを飛ばした。

「だが、俺はまだ終わらん!」

「いや、もう終わらせた」

「なにぃッ!? ぐ、ぐわあああああああああああああああ!?」

 十神のスマッシュがさらに数倍の速度となって、十神の脇を抜けていった。
 それは常識外れの速さであり、その一球だけで、スキンヘッドの人物が圧倒的な実力を持っていることが分かる。

(ほんとに誰だよ……)

「さすが、苗木! 本気の苗木は本当にすごいね!」

「って、ボクかよッ!?」

 苗木は叫んだ。


 スキンヘッドのがたいの良い男は苗木であるらしい。
 トレードマークのアンテナやパーカーはなく、体格も目つきも違うため、
 よく見ても分からないが……。
 隣にいたウサミも首を突き出して、コートの中の苗木を凝視している。

「言われれば、輪郭や身長に面影を感じるような……? 感じないような……?」

「けど、かっこいいねぇ……。
 今のでゲームセットだから、本当に言ったとおりに終わらせたみたいだよぉ」

 不二咲は苗木に似てるかどうかはあまり気にせず、
 スキンヘッドの苗木の逞しさなどに感心しているようだ。

 コートの中では会話がまだ続いていた。

「馬鹿な……」

「あぁ、俺の方がより馬鹿だった」

「クッ……」

 よく聞けばスキンヘッドの苗木の声はトーンが常より数段低いが、苗木のものであった。
 ただし、口にしている言葉自体は、苗木の喋る内容とは思えないものだったが……。

「俺にとって馬鹿は勲章だ。
 それが俺に限界を忘れさせた」

 喋る言葉も妙にワイルドだ。

「って、あれだ、スキンヘッドのワイルドって……。
 朝日奈さんが好きなアクションスターのジェイソン・ステイサム……」

 苗木の不在、最強の存在、最強の存在に相応しい威厳、水泳が得意(ジェイソンは元水泳選手)……などの必要な要素から、
 朝日奈の夢の中に、新しい存在が生まれたようだ。
 それは、ジェイソン・ステイサムのような苗木である。
 顔(目を除く)だけが雑なコラのように苗木であり、それ以外は全てステイサムという斬新な人物である。
 名づけるなら、ジェイソン苗木といったところだろう。

(……ボクは見てるだけになったかもしれないけど、見続けるのはちょっときついかも……。
 ボクが喋ってると思うと、似合わな過ぎて恥ずかしい……。自分で演技した方がマシだよ)

 奇しくも、分岐は3番に進み、かつ懸念していた話の進まない可能性も払拭されたが、
 苗木としては脱力の極みである。

これで今度こそ今回は終わりです

次は今度の日曜日予定です(3週間が開いたわりにはちょっと短いかもですが)




◆◆◆

 苗木らしき人物は試合に勝つと「じゃあな」と言い残して、どこかへ消えてしまった。
 周囲の声曰く、彼は転校したらしい。
 今の一幕は、ラスボスとして登場するための、あからさまな伏線であった。

「あぁ、苗木そっくりの人がいるー!?」

(そして、ボクはそっくりさんに……)

 この夢における苗木という役はジェイソンのもののようだ。

「あ、分かった。妹ちゃんでしょ?
 苗木、妹いるって言ってたもんね」

(そんな馬鹿な……)

「妹ちゃんも一緒のチームに入る?
 お姉さんがビシバシ鍛えちゃうぞ!」

「……ボ、わ、わたしは、運動は得意じゃないから、やさしめでお願いしますッ!」

「うん、いいよ! 任せて!」

(……何か大切なものを失った気がする)

 自然と口から飛び出る裏声。そして、一人称の変換。
 苗木は少しのプライドを捨て、妹の振りをすることで、未来の激戦地から遠ざかったのであった。

 すると、そんな苗木に対して、声なき声が届く。

(苗木君……。苗木君……。聞こえる?)

 不二咲である。苗木と異なり、
 彼は当初の予定通りマネージャーをやっていた夢の中の自分と入れ替わることに成功していた。

(聞こえてるよ? なに、不二咲クン?)

(アドバイスはいるかなぁ……?)

(え、……なんの?)

(えっとぉ……、女の子のふりするんでしょう?
 恥ずかしいと思うけど、やりやすいところから教えるからぁ……。
 そのままだとバレちゃうかもぉ……)

 どうやら気を利かせて、苗木が言いづらいであろうことを先回りして提案しているようだ。
 ただ、その提案は苗木としては反応に困るものであった。

(……えっと、気持ちは嬉しいけど。
 そんなに気にしなくていいと思うよ。この場限りならボーイッシュで押し通せると思うし。
 ほら、朝日名さんを見てよ)

「双子じゃないんだよね? それなのに、本気じゃないときの苗木そっくりだよ!
 あ、もしかして、妹ちゃんも本気だしたら、筋肉がすごくなるの?」

「ならないよ」

「そっか……」

(……なんで微妙に残念そうなんだろ)

 夢の中の苗木が超進化したのは、帳尻を合わせるためだけではないのかもしれない。
 朝日奈の様子を見て、苗木はふとそんなことを思った。

(……本気出すと筋肉が膨れ上がるって昔の少年漫画にそんなのあったなぁ。
 この世界のボクはそんな存在になってしまったのか……)

 だが、朝日奈の興味が見てくれや仕草ではなく、
 その身体能力に向いている今、苗木のやる気のない女の振りがばれることもなさそうである。

(そっかぁ……。苗木君は女の子の振りをする場合でも、堂々としてて、僕と違って男らしいんだね)

(……えっと、そのありがとう?)

 女の子の振りをしている時点で男らしいと言えるのか? とふと苗木は思ったが、
 それを言うと、自分ではなく不二咲が傷つきそうだったので、心に秘めたまま漏れないようにした。


 そんな苗木の気持ちを知ってか知らずか、朝日奈は元気な声で言う。

「よーし、これからは同じチームで頑張ろうね!」

「こちらこそ……」

 そして、苗木との間で両手を使っての握手が交わされる。
 朝日奈はそれをブンブンと上下に揺らすと、嬉しそうに周囲に向かって言った。

「よーし、、十神、セレスちゃん、妹ちゃんと新メンバーが3人も入ったよ!
 苗木が抜けたのは残念だし、寂しいけど、気分を切り替えて行こう!」

 そして、握手を終えた朝日奈は、右手の人差し指をバンと伸ばして、より大きな声で叫ぶ。

「じゃあ、みんなが待ってた時間だよ! チュロスだーーーー!」

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーー!!!!!』

 朝日奈の叫びによって、歓声が響き渡る。
 十神とセレスに勝利した朝日奈は、彼らを仲間にするだけでなく、
 巨大なチュロスを食べる権利をも得ていた。

「うん。ドーナツの親戚だけあって、チュロスも美味しいよ!」

『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおーーー!!!!!』

 朝日奈達はベリベリとチュロスを削り取っては、ムシャムシャと食べた。
 そこには負けたことで新たな仲間になった十神やセレスもいた。
 現実では絶対に見ることが出来ないレアな光景である。

「えっとぉ、話には聞いたけど、すごいねぇ……」

 その光景を見た不二咲は一瞬の間、その表情を硬直させたが、
 苗木達から事前に話を聞いていたためか、この展開に瀕しても、すぐに冷静さを回復した。

「美味しいのかなぁ……?」

 冷静さを回復した不二咲は、率直な疑問を口にした。
 すると、ウサミが反応する。

「1回目はびっくりして何も食べなかったんでちゅが、たしかに気になりまちゅね」

「屋台にあったのは味がしなかったし、これもしないんじゃないかな?」

 苗木は味のないガムのような食感を思い出して、そう言った。
 しかし、ウサミは言い募る。

「ドーナツ系は別枠かもしれまちぇんよ。
 なんか朝日奈さんにとって特別なものみたいでちゅし」

「大神さんにプロテインがあるように、朝日奈さんにはドーナツだもんねぇ」

 不二咲もウサミに同意する。
 ウサミはその言葉を聞いて、楽しそうに耳をピョコピョコと動かす。

「興味でてきまちた……。少しだけ食べてみまちゅか?」

「そうだねぇ」

「じゃあ、一緒に行きまちょー! 苗木君も行きまちゅか?」

「……他にやることないしね」

 ウサミの言葉に苗木も頷く。
 巨大なチュロスと、そこに群がる飢えた獣のような朝日奈達に対して、
 興味よりも警戒心の方が僅かに勝っていたが、
 ウサミや不二咲だけに危険を冒させるわけにはいかないという義務感が加わったことで、
 苗木は行って、食べることを決める。

 だが、そんな苗木に比べて、ウサミ、そして不二咲は純粋に嬉しそうだ。

「えへへ、夢の中でお菓子なんて、びっくりだねぇ……」

 こうして苗木達は移動した。
 そして、朝日奈達の邪魔にならないように隅っこに陣取り、
 指先で掬うようにして、チュロスの壁を少しだけ削り、口にする。
 すると、サクッと小気味いい音がして、口の中にふんわりとした甘さが広がり始めた。


「こ、これは……!?」

「うわぁ、口の中で甘さが広がるよぉ……! 美味しい!」

「これは甘さの隠れ里でちゅ!」

 噛んでいくうちに、口の中で溶けていき、その食感がもちもちとしたものへ代わった頃には、
 甘い匂いが、口の中だけではなく鼻腔を抜けて脳へと届く。
 そして、脳は美味しいという情報を受け取っただけではなく、悩みや疲れが溶けて流れていく感覚を覚える。

 朝日奈がドーナツで感じる幸福を他者の脳に直接伝えたら、
 このような感覚になるのではなかろうかと、苗木は思う。

(実際のチュロスでこんなに美味しいものってあるのかな?
 思い出補正とかなんだろうか?
 これからは他の人の夢に入ったら、可能なら、その人の好きなものを食べてみようかな……?
 大神さんの夢に入ったら、プロテインは絶対に試そう)

 今、苗木は夢の中における楽しみ方をひとつ見つけた。
 厄介事としての側面の方が大きかったこの騒動の中で、ついに純粋な楽しみを見つけたのである。

 そして、そんな苗木の傍らで、不二咲とウサミも会話に花を咲かせていた。

「次の学園祭はチュロス屋さんもいいかなぁ。
 あ、前は大神さんや朝日奈さんと一緒にドーナツ屋さんをやったんだぁ。
 かわいいエプロンを着てねぇ……」

「わぁ、良いでちゅね! あちしも機会があったら行きたいでちゅ!」

「うん。ぜひ来てね……!」

「あちしは白いエプロンが好きでちゅ」

「ボクはふりふりした飾りがついたのがいいかなぁ」

「それもいいでちゅね!」

(ウサミと不二咲さんはだいぶ仲良くなったな。
 さっきから会話がすごい女子力高くて、ボクは入れないけど……)

 孤立するわけではないが、
 女性同士(この場合は違うが)の会話において、男性は影が薄くなりがちなものである。

(ま、いっか、その間、ボクはもう少しこのチュロスを味わおうっと……)

 しかし、苗木は気にせず、のほほんとチュロスを食し続ける。
 ゆっくりと咀嚼して、チュロスを味わった。
 チュロスは何度食べても、やはり美味しかった。

「……むしゃむしゃ」

「それでねぇ……。あのときはね……」

「そうでちゅか、それは楽しそうでちゅね!」

 しばらくの間、楽しい時間を過ごす3人。
 そんな中、急に不二咲が苗木に話を振った。

「そういえば、苗木君。苗木君の妹さんって中学生じゃなかったっけ?」

「……え? あ、うん、そうだけど」

 急に話を振られて、チュロスを取り落としそうになりながら、苗木は答えた。

「だったら、年齢を理由に試合には出れないって言えるんじゃないかなぁ?
 僕達は高校生だし……」

「……あ。た、たしかに。
 ボクはボク……兄の応援しに来た感じで言えば、それで押し通せるかも。
 流石だよ。不二咲クン!」

「えへへ、どういたしましてぇ」

「いやいや、本当にありがとう! とりあえず、行って来るね。」

 苗木はその場を後にして、朝日奈のもとに向かう。
 そして、移動中にこんなことを思う。


(雑談してても、この場におけるより良い選択肢を思いつくなんて、すごいな。不二咲クン。
 同時に別のことを考えられるのかな?
 それとも、適度な雑談が閃きの素になったりするんだろうか?
 不二咲クンの代表作のアルターエゴも雑談がその中核にあるし。
 不二咲クン自身も人と話すことが好きだし。これが≪超高校級のプログラマー≫の源だったりして?
 今後のためにも、コツとか聞いておこうかな?
 あぁ、けど、本当にもう一人呼んでよかったな)

 当初とは予定が異なったが、不二咲を呼んだことは間違いではなかったと、苗木は思いつつ、
 足取り軽く、朝日奈の前まで移動した。

「朝日奈さん。朝日奈さん。ひとつお話ししたいことが」

 さん付けではなく、先輩の方が良いだろうかと思いつつ、
 いつもより丁寧な口調で話しかける。

「ムシャム……ゴクン」

 すると、朝日奈は食べる口を一度止めて、苗木に顔を向けた。
 ……なお、手は止まらずに、お土産用の包みにチュロスを詰め始めている。

「なになに? 妹ちゃん?」

「わたし、中学生なんで試合には出れないんです」

「え、そうなの!?」

 ほっぺたにチュロスのカケラが付けたまま、ポカンと口を開く朝日奈。
 そんな朝日奈に対して、畳み掛けるようにして、苗木は言う。

「代わりにわたしもマネージャーとして頑張ります!」

「あー、うん? うーん……? …………えっと? あ、そっか! 分かったー!!」

 ドーナツの咀嚼ほど速く、情報を咀嚼することは出来なかったのか、
 少し間が開いたが、朝日奈は最終的に了承した。
 特に反対する理由もなかったのだろう。

「選手とマネージャーって違いがあっても、同じチームメイトだからね!
 なにかあったら遠慮せずに言ってね!」

「はい!」

「じゃあ、わたしは残りのチュロス食べるから、妹ちゃんも気にせず食べてね」

「はい!」

 話はあっさりと済んだ。
 その後、苗木はウサミ達の元に戻る。

「ボクも観戦に回れそうだよ」

「よかったねぇ」

「……うん。不二咲クンのおかげだよ」

 あまりにあっさりと安全地帯に移れたことに、
 糠に釘でも打ったかのような手ごたえのなさを感じないでもないが、苗木は素直に喜ぶことにした。

「こうなると、ボク……というか、ジェイソン苗木にもありがとうって言った方がいいのかな?」

「ジェイソン苗木って、すごい名前だねぇ……。あの新しい苗木君のことだよね?」

「お笑い芸人にいそうでちゅ。ジェイソンだけだと強面を連想するんでちゅけどね」

「金曜日に出てきそう……」

「けどぉ、おかげで苗木君もゆっくりできるねぇ……」

「だね。あとは応援しつつ、ゆっくり休ませてもらおっと」

 脱線しつつも、話が戻り、苗木は気を抜いた。
 すると、そんな苗木を見て、ウサミも何か思いついたようだ。

「あ、そうだ。人数も多くなってまちゅし。
 あちしも引率の教師役ってことにしまちゅね。朝日奈さんにそう言ってきまちゅ~」

「「いってらっしゃい~」」

 2人は見送った。
 そして、ウサミを見送りながら、苗木は安堵の声を上げる。

「これで、上手い事、3人で観客としての立場を手に入れられそうだな……」


 ……そして、苗木の言葉どおり、ウサミも朝日奈の了承を得て、
 3名は漫画かアニメを見るように、安全な場所から、朝日奈達の戦いを眺めることとなった。

 なお、既にラスボス(ジェイソン苗木)が現れ、四天王の表向きのリーダーがやられているためか、
 残りのスポーツ四天王との戦いは、桑田戦ほど長くならず、打ち切りの決まったマンガのように、テンポよく進んだ。
 以下は、そのときの苗木達の呟きである。



「バスケは霧切さんだねぇ……」

「実は敵だったていう衝撃の展開だったはずなのに、因縁があった設定の苗木君が既にいないうえに、
 実は敵だった展開持ちの苗木君がさらに後に控えてるせいか、薄味な感じの試合になっちゃってまちゅね」

「プレイは普通に上手いんだけどね……。現実的だし」

「あ、センターの大神さんが活躍して順調に勝ったよぉ」

「バスケの世界はシビアでちゅ」

「現実的にしたら、大神さんがセンターにいる限り、ゴール下で勝てる人はいないか……」



「うわぁ……!? すごい……!? 腐川さんが舌出してすごい速度で走ってるよぉ……!?」

「夜な夜な奇声をあげてるって話は本当なんでちゅかね……?」

「最近、執筆に行き詰ってるとか……?」

「あ、持久走に必要なのは根性とペース配分を乱さない鋼の心理論で、朝日奈さんが勝ったよぉ……」

「色んなものが乱れまくってまちたらかね。腐川さん」

「ただ、テンポじゃなくて、テンションは最後まで持続してたんだけどね……」



「バレーは江ノ島さんと戦刃さんだねぇ……」

「うわぁ、本当に肩車で戦ってまちゅ!?」

「通常の1.5倍くらいの高さだ!? ジャンプ力は据え置きで!」

「あ、相手コートの1人分の空白に向かって、朝日奈さん達がボールを飛ばして勝ったよぉ……」

「絶妙なチームプレイでちゅ!」

「……えっと、『そのコートの空白がチームとしての空白だよ!』って、
 上手いこと言ったつもりなの? 朝日奈さん? あ、ちょっとドヤ顔だ。顔赤いけど」



「……山田君がサッカーボールになって出て来たよぉ」

「あ、大神さんが蹴りにいきまちた……」

「飛んでる……」

「あ、山田君の声が聞こえるよぉ……」

「やまびこみたいに反響してまちゅね……」

「『ボールは友だち!』か……。山田クン、ボクらはキミがボールじゃなくても友達だよ……」




「舞園さんが来たよぉ……。えっと、カバディ……?」

「あの服って、インドのサリーでちたっけ?」

「カバディがイメージでしか掴めてないみたいだな。朝日奈さん」

「あ、大神さんが『カバディ、カバディ』って言い始めたよぉ……」

「舞園さんも言い始めたまちたねぇ……」

「どっちが長く言い続けられるかの勝負みたい……」

「あ、舞園さんがくしゃみをして負けたよぉ……」

「これを続けるのは不毛だって、朝日奈さんも思ったんじゃないでちゅかね……」

「これジェイソンを除いたら、最後の戦いなんだよね……。いいのか、すごいしょぼいけど……」

「一番の楽しみの水泳が後に控えてるから、気持ち的にも急いでるのかなぁ?」



 ……そうして、ジェイソン苗木を除いて、クラスメートは全員合流した(葉隠もいつの間にかメンバーに混じっていた)。
 ケーキドーナツ、イースドドーナツ、チョコドーナツ、
 クルーラー、クラップフェンなどの各種ドーナツ型の競技場は残さず、関係者全員で美味しくいただいた。

 全てを観終わって、苗木は言った。

「朝日奈さんは飢えているんだよ。
 より激しいせめぎ合いにも、ドーナツにも……。
 ……というか、朝日奈さん自身も、気持ちが最後の水泳勝負に行ってて、他は消化試合って感じになってるよね?」

「スポーツ漫画において、読者と違って、登場人物ははやく決勝に行きたいって思ってるってことでちゅかね……?」

「読むのと実際にやるのでは違うもんねぇ……。
 ただ、体を動かすの自体は楽しそうだったよぉ。朝日奈さん」

「……頭動かすより、身体動かすのが好きだからな、朝日奈さん。
 色々な展開を考えるよりは、さっさとやって、さっさと終わる方が合ってたってことなのかも?」

「スポーツマンであってマンガ家ではないでちゅからね。朝日奈さん……」

 こうして苗木達が観ている中で、脚本・演出ともに朝日奈によるスポーツ劇は第一幕を終えた。

 結論から言うと、映像的には面白かったが、話としてはシュールだった。

◆◆◆

「次は決戦……。顔の分からない最後の四天王がいる……」

 クラップフェンを食べ終わると、
 朝日奈は浜辺に出て、次の競技場がある黒糖ドーナツ島のある方向を見る。
 すると、それを見て、十神がいった。

「誰であるかは行けば分かる」

「十神……」

「俺達は口止めされているから言えん。
 たとえ、今はお前達の仲間になったとしても、こればかりは約束だからな」

「約束は大事だもんね。
 うん……。仕方ない。誰が来てもいいように、心の準備をしておこっと」

「あぁ、そうしておけ。ここまで来たら、お前には期待せざるを得ん。
 お前なら、あの男にも勝てるかもしれない……」

(あの男って……ジェイソン苗木でしょ? もうバレバレだからいいんじゃないかな?
 あ、けど、これもお約束ってやつなのかな?)

 現実的な感想を心の中で漏らした後、苗木はその心を否定する。
 ここは夢の中、非現実であり、漫画でも見るような気分でいるべきだと。

(そう思えば、ジェイソン苗木も画風の変化だと思え…………ないな。さすがに……。
 ボクがどうなっても、あぁはならないし……)

 苗木はまばたきを止めて朝日奈達を見る。
 画風云々の前に、現実と同じ姿である。
 どんなに目を凝らしても、そこに変化は見つけられない。

「どうしたのぉ、苗木君?」

「朝日奈さんの夢の中だから、実際の姿と違う人が他にもいないかなって……」

「たしかに、そういうのがあっても面白いかもねぇ……。
 僕も苗木君のことが少し羨ましいよぉ」

「え?」

「夢の中限定だけど、あんなに強そうな姿だったでしょ……?」

「あ、うん、そうだね。
 けど、ボクはもう少し違う形の大人になりたいな……」

「そう?」

 心の底から不思議そうに首を傾げる不二咲。
 人の好みはそれぞれだということだろう。
 苗木は不二咲の仕草を見て、そう結論付ける。

「うん。そう。人それぞれだよね」

「そっかぁ……」

 その結論に対して、不二咲は何度か頷いてみせた。
 何か思うところがあるようだ。

 少し、間が出来る。

 そんなとき……、狙ったわけではないのだろうが、
 話が終わるのを見計らっていたかのように、朝日奈が声をかけてきた。

「みんなー。船に乗るよー」

 今までになかった言葉であった。
 苗木は驚きとともに朝日奈へと体を向ける。

「船? 朝日奈さん達も?」

「うん、そうだけど?」

「ここまで全部泳いでたのに?」

「あー。次は水泳だから、ちょっと体を休めないと。
 次は今まで以上の強敵が待ってるみたいだし。
 実は、ここまで試合の間に泳いでたのも、次のための予行練習、
 ウォーミングアップが主な目的だったんだよ!
 大丈夫! 油断はないよ! 着く前にストレッチは済ませておくから!」

(あれがウォーミングアップだったのか……)


 大会開始前に軽くジョギングするのと同じ手軽さで、
 朝日奈は島と島の間を遠泳していたようだ。

(現実でも同じようにウォーミングアップにあれくらい泳ぐのかな?
 さすがにないか……? いや、けど、朝日奈さんだし……)

「黒糖ドーナツ島に着くまでは、みんなでお喋りしようよ! 妹ちゃん!
 女子会だよ女子会! あ、ウサミちゃんに不二咲ちゃんもどう?
 ……あ、不二咲ちゃんを入れたら、女子会じゃないか? んー、男女会?」

「特別な名称はいらないんじゃないかな、その会?」

「ま、どっちでもっか! 女子会に男の子がいてもいいよね!
 よーし、お話ししようー!」

「まぁ、構わないけど……」

「僕も大丈夫だよぉ……」

「あちしもでちゅ」

「うんうん。いい返事。よーし、じゃあ、こっちでー」

 そう言って、朝日奈は苗木達を船へと誘導し、
 乗船した後は、船の中の一室へと彼らを案内した。

「ここは団体用の大部屋だよ!
 男子は甲板ではしゃいでるから、今は女の子しかいないよ」

(そう言われるとドキドキするような……。
 あ、けど、中身は全部朝日奈さんなんだよな……。
 そう思うと、ここまでとあまり変わらない……?
 ボク、不二咲クン、ウサミ、朝日奈さんで男女比も2対2だしな……)

 会話次第では男が居づらい空間になるのだろうが、
 ことこのメンバーにおいては、性別を気にしない健全な会話になる気しかしなかった。

(あ、けど、万が一もあるしな……。
 もし聞いちゃまずそうな会話になったら、 不二咲クンと一緒に出ようか……)

 苗木は万が一を考えて、いざとなったら部屋を出ることを不二咲に提案する。

(うん。僕もそう思ってたぁ……。
 一応、僕を呼んでるから、そんな会話にはならないと思うけどぉ……。
 万が一もあるからねぇ……)

(よし、じゃあ、万が一のときは甲板に涼みに行くという方向で……)

 不二咲も賛同したため、苗木は方針を決めた。

今回はここまでです
ちょっと先の展開……というより、シーンの具体的な書き方に詰まってるので、短いです
もしかしたら次は朝日奈さんの夢の最後まで書いてから投下するかもしれません

生存してます(挨拶)
新たな資格試験(4,5月末)が迫っていることや首を痛めたこと等から目が少し死んでました(今は元気)
とりあえず、キリの良し悪しは置いといて13日日曜日に更新したいと思います。

……スミマセン
1ヶ月近く空いているのに今日は4レスしか投下できません……
5レス目が自分で書いてて何言ってるのか分からなさすぎました…
ひとまず以下にて投下しますが、来週も来ます


◆◆◆

 色気のない話になるだろうと苗木は考えてはいた。
 しかし、話されている内容は苗木が考えていた以上に健全であった。

「最近、青竹踏みも始めたんだよー。
 乾布摩擦しながらの青竹踏みは2倍は健康にいいよ!」

「最近、自家製プロテインにはまっていてな」

「レーションの作り方はプロテインにも応用されているんだって」

「アイドルにも筋トレは必要なんですよ」

「探偵だから足には自信があるの。秘訣は――」

「実はこのゴスロリ服の下には重りが――」

「物書きにも体力は――」

「魔法の国にもラジオ体操がありまちゅよー」

(……まさか、ここまで健全な話になるとは。
 いや、まぁ本気のガールズトークされても困るけど。
 好きな人の話とか、男子に対する愚痴とか……って、これは発想として安直すぎかな? うーん……。難しい……)

 苗木は頬を指で撫でながら苦笑いを浮かべた。いつもの仕草である。

(以前、恋したことがないのが悩みって言ってた気がするけど……。
 吹っ切れたのかな……?)

 色々あった末、自分は自分のまま生きると朝日奈は宣言していたが、
 今では悩みがあったことすら疑わしい有り様である。

「でさー、休みの間にさくらちゃん家に行って、昔の泳ぎ方習ったんだ。
 ノッシーて言うんだ。疲れにくくて忍者みたいに泳げるんだよ」

「昔、侍が鎧を着たまま泳ぐために編み出したものだ」

(ノッシー"じゃなくて"ノシ"だったような……。
 たしか漫画でそんなのを見た)

 この夢の中で話されてる内容はどこからどこまで正しいのか……苗木は全くもって確信を持てなかった。
 あとでググろうと苗木は思う。

 しかし、そんなことより苗木には気になることがあった。
 苗木は不二咲に小声で話を振る。ちなみに、顔は真顔である。

「……たぶん違うと思うんだけど、
 ボクが知らないだけで、女の子って集まったら、こんな話をしてるのかな?」

「……違うんじゃないかなぁ」

「そ、そっか……」

 真顔で尋ねてきた苗木に対して、不二咲が困ったような顔で返答した。
 苗木が真顔だったのは、当たり前と言えば当たり前だが、
 女の子同士がする会話の内容を男子である苗木はあまり知らないからである。

 好きな人の話、男子に対する愚痴、甘いもの……以外の候補が思い付かないあまり、
 目の前のことがスタンダードな会話なのかもしれないと錯覚しかけたのである。

 そんな苗木に対して、不二咲は続けて言う。

「……ただ、僕もどうしても避けられないってときしか女の子と会話はしなかったからぁ……」

「それでもボクよりはきっと詳しいし。心強いよ。不二咲クン」

「そう……?」

 女装時に女子同士の集まりなどに誘われても理由を付けて断っていたため、
 女子同士の会話を聞いたことがないのは不二咲も同じなのだが、
 女の子の振りをする中で身に付けた観察眼や振る舞いの賜物か、
 苗木よりは確信を持っているように傍からは見えた。

 そのため、苗木はガンガン意見を聞いていた。
 そして、そんな状況を不二咲もまんざらではないようだ。
 苗木はそんな不二咲を見て、さらに言う。


「同性のクラスメートで恋愛相談することがあるなら、不二咲クンかも……」

「そ、そう? ……えへへ、それは良かったぁ……。
 僕の経験なんて、男の人の役に立たないと思ってたけど、少しは役に立てそうでよかったよぉ。
 ……あ、けど、僕だけじゃなくて他の人の意見も聞いたほうがいいよぉ。桑田君とか詳しそうだし」

「あ、はい」

 苗木は瞬間的に桑田の夢を思い出して押し黙った。
 不二咲の意見には同意なのだが、桑田の話は役に立つ内容と役に立たない内容のギャップが激しそうであり、
 聞いても不安感を拭い切れないかもしれないと苗木は思った。
 例えるなら、大金の稼ぎ方を葉隠に相談するようなハイリスクハイリターンな戦略に思えたのだ。
 無論、桑田は本来そこまでひどくないのだが、あの夢が苗木に与えたインパクトは大きかった。

「それはそうと、朝日奈さんも楽しそうに健康法について語るよねぇ……。
 聞いてるこっちも明日から試したくなっちゃうなぁ」

「……たしかに、そうだね。ボクも風邪ひきやすいほうだから参考になるよ」

 不二咲が話題を変えてくれたため、苗木はそれに乗っかる。
 しかし、本人にしか分からない程度だが、わずかに苗木の言葉が詰まる。
 苗木の視線の先では、朝日奈が最もオススメする健康法"乾布摩擦"について語っていたからだ。

「朝早く起きるとね! まず空気がなんかこう爽やかなの!
 それでそんな空気を全身で吸うようにして、ベランダで乾布摩擦すると海の中を泳ぐ魚になった気分!
 肌で息してるみたいになって、空も自由に飛べそうな感じなのー!
 やったことがないならやったほうがいいよ! 本当!
 いつも皆、『そのうち試してみるね』って言って、
 それっきりやってないみたいだけど、本当に効果あるんだから!」

(夢の中に来て初めて、他の皆が朝日奈さんの言葉に対して苦笑いしてる……。
 ……以前、現実でも力説したのかな。
 まぁ乾布摩擦は上半身裸でやる健康法だからな……。寮でやるには色々とハードルが……)

「あちしはたまにやってまちゅ!」

(ウサミは……。そもそも上半身裸でも問題ないしな……)

「僕も今度試してみようかなぁ……。けど、ちょっと勇気がいるかもぉ……。
 うっかり誰かに見られたらばれちゃうかもしれないし」

(不二咲クンも……。ばれるとかの前に、朝日名さんと同じ意味でも危ないかも。
 ファンの人達とか、山田クンみたいな人がいないとも限らないし)

 なお、朝日奈曰く、基本的に外側に背中を向ければ見られる心配は大丈夫らしい。
 前が見えなければ大丈夫ってわけじゃないぞ……と苗木は心の中で声を上げる。
 もっとも、現実でも同じように言われたのか、夢の中の人達の反応も芳しくなかった。
 腐川など痴女呼ばわりしている。
 なお、大神はフォローしようとしているが、上手くいかない。

「最近は服の上からでも効果があると言われているからな。
 抵抗があるなら、そちらでやればよい……」

「あ、それ私も聞いたことがあります」

「たしかに原理から考えれば、服の上からでも同じ効能が得られそうね」

 舞園や霧切もそれに追随する。
 だが、当の朝日奈が納得しなかった。

「駄目だよー! 駄目!
 冷たい風に肌を晒すのも重要なんだよ! 寒い時のほうが摩擦で血管が開くんだって!
 前に服を着たままと着ない状態の両方で試したけど、服を着ないままの方が調子良かったよ!
 私、小学校のときの自由研究は、この2つの比較をしたんだ。だから、間違いないって!
 どうせやるなら一番効果が出るやつをやろうよ! 目指すなら一番だよ!」

「う、うむ……」
「あ、はい……」
「え、えぇ……」

(キミの乾布摩擦に対する情熱はどこから出るんだい……? 朝日奈さん?)

 苗木が思った以上に朝日奈は健康に一家言あるようであり、
 他の者はただ黙って頷くしかなかった。

 しかし「じゃあ自分もやってみるよ」と言う人は現れない。
 そこで、朝日奈は心底残念そうに言った。


「……はぁ、やっぱり今日も乾布摩擦の良さに気づいてくれる人はいなかったか」

「あちしは好きでちゅよ!」

「ウサミちゃんはいい子だね。
 ウサミちゃんがマスコットになって、乾布摩擦を広げてくれれば、風邪も撲滅されるかも」

「頑張りまちゅ!」

(乾布摩擦のマスコットとは……?)

「妹ちゃんはどう?」

(って、急に矛先が……?)

 ほとんど空気になっていた苗木に対して、朝日奈が話を振る。

「ねーねー、運動は好き?
 急に苗木が強くなったのも、私が教えた乾布摩擦のおかげだったりしない?
 妹ちゃんも乾布摩擦しない? ドーナツいる?」

「えっと……」

 矢継ぎ早に繰り出される質問とドーナツ。
 苗木は朝日奈の差し出したドーナツを手に取りつつ、質問に答える。

「ボ……わたしはやってもいいけど……ですけど。乾布摩擦…………」

「わぁー、さすがは苗木の妹だね! その調子なら運動もすぐに上手くなるよ!
 とりあえず、夏休みまでに100メートル走11秒24切り目指そ!
 そうすれば全中出場が見えるよ。今、中二? だったらさらに頑張れば来年には上位も夢じゃないよ」

(……いや、今からじゃ無理だろ)

「ところでさ、妹ちゃんはクラスに気になる人とかいないの?」

(……ッ!? 急に女子会みたいになったな!? 一気に変わりすぎだろ)

 苗木は居住まい正した。
 そして、心配そうな不二咲の視線を受けつつ口を開く。

「……そ、そ、そうだな。気になる人というか仲が良い人なら……」

 声に動揺が色濃く出ていた。口調もいつものものに戻っている。
 それを聞いて、朝日奈が色めき立つ。
 にわかに部屋の空気もざわめく。

「あ、いるんだー! すごーい!」

「……いやまぁー、異性として好きかは置いといて、まぁ仲はいいかなー」

 喋り始めて、まんざらでもなさそうな苗木。
 言葉とは裏腹に、その様子はその相手を異性として認識していると物語っているようにも見えた。
 キャーキャーと黄色い声が部屋に響く。

「うわっ!? 『異性として』とか、漫画みたい!? 進んでるなー!? どんな人?」

「そ、そう言われると……、えっと……髪が長くて」

「えっ、髪が長いの? 男子なのに?」

「えっ? 女子だけど?」

「えっ?」

「えっ?」

(苗木君。妹って設定忘れてるよぉ)

(あ……)

 黄色い声は止み、皆が興味深そうに苗木を見ていた。
 そんな中、朝日奈がごくりと唾をのみ込んだ後、
 苗木を見る目に尊敬の色をにじませながら、朝日奈は言う。その顔は少し赤い。

「妹ちゃん、進んでるねー。そっか、相手が男とは限らないよねー……。
 けど、すごいと思うよ。世間的にはまだ差別とかあるのに堂々としてて。……なんというか熟練者感あるね。
 もしかして、妹ちゃん、男女両方の気持ちが分かる人? もしそうだったら、何かあったら相談に乗ってね」

「あ、はい」

 そうして、オチがついたとばかりに、色恋沙汰の話は終わった。
 私にはまだ早かったとばかりに、朝日奈達の話題は再びスポーツとフードに戻ったのであった。


◆◆◆

(最後まで食べ物の話で終わったな……)

「あ、そとが夜になってるよぉ。苗木君」

「……スポ根漫画とかだと決勝前の夜って重要だからかな?」

 話の区切りがつき、そろそろ寝ようかと言い出した者がいたため、女子会はお開きになった。
 最初の話で船旅は1晩もかからなかったはずだが、
 朝日奈自身がどれくらいで着くと最初に言ったか忘れたのだろう。

「夜風が気持ちいいねぇ……」

「なんか乾布摩擦やりたくなってきたな……」

「タオル持ってくる……?」

「どこにあるのか分からないからな……。
 魔法で出せそうなウサミはもう少しあの部屋にいるらしいし」

 男子である不二咲はもちろんのこと、
 ウサミと苗木は大会に参加するわけではないから別室ということにして、
 大部屋ではく個室を取っていることにし、大部屋に留まらないことにした。
 しかし、ウサミは引率の教師という設定になってるので、皆が寝たのを確認してから退室するらしい。
 修学旅行みたいなものである。

(……けど、朝になるまでどれくらい時間がかかるんだろう?
 大部屋でまだイベントが起きてるなら、それが終わったら朝になるかな?)

「あ、あそこに朝日奈さんがいるよぉ」

(ワープしてる……?)

 大部屋でイベントが起こってるかと思ったら、
 いつの間にか、朝日奈が移動している。
 近くには、大神がいて、船の先端当たりで夜風に当たりながら、何かを話している。
 場所を移動したのは、重要なイベントなら背景や雰囲気も大事だからなのかもしれない。

「私、明日の競技が終わったら、勇気を出して、声をかけるんだ……」

「あぁ……」

(え? 何の話……?)

「これはもしや恋の話でちゅか!?」

「うわぁ!? ウサミ、いつの間に?」

 ウサミが苗木と不二咲の後ろに現れた。

「今来たばかりでちゅ!
 部屋で目を離した一瞬で朝日奈さんと大神さんが消えたんでびっくりしまちた。
 それはそうと何の話でちゅか?」

「いや、今ボク達も聞き始めたばかりだし……」

「最初の部分は聞いてないよぉ」

 苗木達は物陰からこっそり見る。

「内緒話なら聞くのも悪いようなぁ……」

「うーん。けど、それで知らなくて、あとでたいへんな目に合う可能性もあるしな……」

「いっそ、ここで近づいてみるのがいいんじゃないでちゅか?
 もし聞かれて困りそうなら、退散しまちょう」

 苗木達は互いに顔を見合わせた。
 そして、ゆっくりと物陰から出て、朝日奈達に近付く。
 すると、朝日奈が反応した。

「あ、皆、まだ寝てなかったんだね?
 って、うわ、ウサミちゃん!? ごめんなさい! 部屋抜けだしちゃって……。
 いや、ちょっと眠れなくて……ははは…………」

「いや、いいんでちゅよ。けど、明日に響かないように眠くなったらすぐ寝てくだちゃいね」

「う、うん」

 引率設定だからだろうか近づいてきた3人の中にウサミがいることに気付いて、ちょっと慌てたようだった。
 しかし、ウサミが別に気にしていないようなのに気付いて、すぐに落ち着く。
 なお、自分たちの話を聞かれていたこと自体は気にしていないようだ。

今日はここまでです。来週も来ます
最近、特に重大な理由もないのに遅れがちですみませんね

理想を言えばダンロン3(アニメ)が放送されて設定が大量追加されるまでに、
この話を終わらせておきたいとは思うんですけどねェ(今年中だからはやいと夏に放送開始する可能性もあるんですよね……)

>>499
で言ってた絶女ネタもまだ書き終わってないし何か色々グダグダすぎて困る
他にも書きたいネタだけはたまっていくアババババ

水曜日の夜に投下します
理想は理想なんでゆっくりでも納得いくものになるように頑張ります

投下し始めます。
見直しながら投下してるから、ちょっと終わりまで時間かかるかもです


 だからだろう。
 ウサミから視線を逸らすようにして、朝日奈は苗木に問いかけてきた。

「妹ちゃんはどう思う?」

「え、何が……です?」

「私なんか……って思われちゃうかな?」

「……よくわかないけど、そんなこと思う人はちょっと……。
 ちなみに誰に思われそうな……んですか?」

「苗木に」

(……たぶん大丈夫だと思うんだけど。
 まぁ、ただ、あの苗木はボクじゃないからな……)

 苗木は即答できず言い淀む。
 すると、隣にいた不二咲が答えた。

「苗木君はそんなこと言わないと思うよぉ……」

 不二咲がフォローする。
 ただ、これは単なる気休めというわけではなく、
 ジェイソン苗木が「苗木誠に朝日奈の理想が足されたもの」ならば、
 そのような無体なことを言う人ではないだろうという思いもあった。
 しかし、朝日奈はそれを聞いても渋い顔をしていた。

「うーん、うーん……。けど」

(朝日奈さんにしては歯切れ悪いな)

「メインの競泳もまだ極めてないのに、ふらふらと他のことに手を出すのもって……。
 最近は他の掛け持ちしてる部活も井戸の蛙だったのか、
 野球で桑田に完敗したり、私より足が速い人にごろごろ会ったりするし。
 今やってる6つに集中した方がいいんじゃないかなって……思っちゃうんだよ」

 珍しく元気のない顔をしている朝日奈。
 その柄にもない表情はとてもしおらしく、苗木の勇気や優しさの琴線に触れるものであった。

「……らしくないんじゃないかな。朝日名さん?」

「え?」

 苗木に妹の演技をしている最中という事実を忘れて、思い浮かんだ内容を率直に言う。

「いつもの朝日名さんならまずはチャレンジするはずだよ」

「……ハッ!? たしかに!」

 そして、その言葉の意図は苗木の口から出たのと同じくらいあっさりと朝日奈に届いたようだ。
 元々、朝日奈の中でも答えはほとんど出かけていたのを後押しする形になったのかもしれない。

「すごくもっともなこと言われちゃった!
 わぁ、すごいよ妹ちゃん! まるで苗木みたいだよ!」

「あ、うん。ありがとう。よく言われるよ……」

 自分がその苗木なんだが……とか、敬語忘れてた……とか色々な事柄が苗木の脳内を通過したが、
 もはや苗木自身がこの状況に慣れ始めたのか、
 妹扱いされることや雑な演技をすることに対して何とも思わなくなり始めていた。
 だからだろうか、先ほどのアドバイスに比べて受け答えが実にどこか雑である。

「ま、兄妹だしね。うん」

「うんうん。良いところはどんどん似るべきだよ!」

「うん。そうだね」

 だが、やる気のない演技をする苗木と相対するように、朝日奈は燃え上がる。

「……よしっ! アドバイスありがと!
 女、朝日奈覚悟を決めるよ!
 明日の競技に勝ったら、話しかけてくる!」

「……ん?」

「皆の前で宣言したからもう逃げられないね……。うん。
 ふぅ。すっきりした。よーし、じゃあ、あとは明日に備えて眠るだけ! お休み!」

 朝日奈は3人に対して一方的に宣言すると、駆け足で去っていった。

「……で? 結局、どういうこと?」


 苗木は困惑の表情のまま、その場に残った大神に聞く。
 すると、大神は静かに告げた。

「朝日奈も勇気を出すのだ」

(……だからどういうことだって?)

「だが、まずは明日の勝負に勝たなければな……」

 大神も朝日奈を追い、その場を立ち去ってしまった。

「「「………………」」」

 後に残された3名は顔を見合わせる。

「……まさかの告白でちゅか?」

「誰に?」

 ウサミの一言に対して、苗木は首を傾げながら聞き返す。

「……苗木君でちゅかね?」

「……えっ? ぼ、ボク? 朝日奈さんが!?」

「この夢の中の苗木君は朝日名さんの理想に近いみたいでちゅし」

(…………この流れは予想できて当然なのに、ドキッとしてしまった自分が憎い)

 苗木は少しだけ顔を赤らめる。
 夜ということで辺りが暗いため、誰にも気づかれなかったが、
 義理チョコを本命チョコと勘違いしたような妙な気恥ずかしさが顔に表れていた。

(……ま、まぁ、ただ、あんな変化をさせるなら、その展開はおかしくないよね)

 苗木は気を取り直して考え、同時に違和感も覚える。
 登場人物を理想の異性に近づけたのだから、ウサミの言う展開は妥当とも思える。
 また、朝日奈自身が理想の男性像として俳優のジェイソン・ステイサムを挙げていたという事実もある。
 それに、朝日奈だってスポーツや食べ物だけじゃなくて、恋愛自体に興味は持っている。
 初恋がまだだったり、自分の第一欲求を偽ったりしないだけである。
 だが、現れる欲求やら願望やらの上限が定まっていない夢の中ならば、
 普段あまり表に出ない……それこそ自覚していない願望や優先順位の低い願望を元にした展開が訪れてもおかしくない。

「……だけど、なんか違う気がするんだよな」

「そうでちゅか? スポーツ漫画でも恋愛要素があるものはありまちゅし、問題ないと思うんでちゅが」

「いや、漫画としてどうとかじゃなくて……。なんというか、えっと……」

 話が脱線しかける。
 しかし、そこで不二咲が囁くように主張する。

「僕はウサミさんの言う展開も、そうじゃない展開もどっちもあり得ると思うよぉ。
 だから、どちらでも大丈夫なように、準備するものがあるならした方がいいよねぇ……」

「たしかに重要なのはそっちだね」

「でちゅね」

 口調こそ弱々しいが、為された自己主張は的確なものであったため、
 苗木とウサミにすんなりと受け入れられた。

「……えっと、どちらの展開にしても、最後の一戦は見守る必要あるんでちゅよね」

「さっきの朝日奈さんの話も関わるとしたら、その後だし、ボク達が何かする必要も特にないよね。
 うん。冷静に考えたら、気にしなくても大丈夫だね。
 最後の一戦自体もボク達は応援するポジションになってるから、下手したら出番もないかも」

「……一応、勇気の出る応援メッセージを今のうちに考えておくのはどうかなぁ?」

「あ、賛成でちゅ」

「たしかにいいかも。暇つぶしとしても面白そうだし。それじゃ……」

 苗木は賛成した上で、少し思案した。

「そうだなー。知ってるマンガに出てきた応援や激励のセリフで山手線ゲームってのは?
 ……あ、けど、流石にそれほど数はないかな? 合ってるかどうかも他の人は分からないし」

「……単純な知識の勝負じゃなくて、それらしいものだったらOKって形にすればやりやすいかもぉ。
 他の2人の内の1人がOKだしたらセーフ……っていう感じの」

「それだと例を出すだけじゃなくて、色んな意見が出そうでちゅからいいでちゅね」


「うん。ボクもイイと思う。さすがだね。不二咲クン」

「えへへ。そう言ってもらえると嬉しいよぉ……。
 小さい頃、体が弱くてあんまり運動とかはできなかったけど、
 口だけで遊べるゲームとかはお父さんが付き合ってくれたから、色々思いつくんだぁ」

 けして自虐などではなく、むしろ誇らしげに不二咲は微笑んだ。

「そっか……」

「いいお父さんでちゅね」

「えへへ……」

 それを見て苗木とウサミも微笑み返し、場の空気が和み、山手線ゲームの開催が決まる。
 そして、和んな空気のまま山手線ゲームは順調に進んだ。

 3者の人柄によるものか、朝日が昇るまでの体感にして50分程度の時間ではあったが、
 ゲームが終了した頃、そこには含蓄に富んだ応援メッセージが集まっていた。

 中には、使いどころさえ間違えなければ、名言として世界中の人に愛されそうなものすらあった。



 ……残念ながら、その後の朝日奈の夢の展開的に、他の誰かの耳にきちんと届く機会はなかったのであるが。



◆◆◆

「すごいでちゅ! まだ泳いでいまちゅ! 人ってこんなに長い間泳げるんでちゅね!」

(まぁ、夢の中だしな……)

 船の上から苗木達は波の間を高速で動く2つの影を見る。
 速度も目を引くが、ウサミの言うとおり、何よりも持久力が凄まじかった。
 何度か荒波に揉まれながらも、海の藻屑となることなく、彼女らは数時間以上は泳ぎ続けていた。

「………………ッ。………………ッ」

 規則正しく息継ぎを繰り返し、朝日奈がジェイソン苗木を追いかけている。

 目的の場所であった黒糖ドーナツ島にたどり着く前に、勝負は開始された。

 いつものとおり事の発端は唐突であった。
 朝日が昇った頃、船の進行方向にあった畳2枚分ほどの大きさの浮き島にジェイソン苗木が何故か立っていたのだ。
 そして、彼は無言で手で「来いよ」と合図をした。

 実は敵だった展開だとか色々な展開を予感させるフラグがあったような気がしたが、
 それらを全て過去のものとするあまりにも静かな宣戦布告であった。

 無論、それを見て黙っていられる朝日奈ではない。
 朝日奈は船の舳先から海面へと飛び出し、そのまま熾烈な競争へと臨んだのである。

 ジェイソン苗木はその泳ぎによって、朝日奈に追いつけるか? と暗に問うていた。
 朝日奈が距離を詰めると、速度を上げて朝日奈を引き離す、それを彼は何度も繰り返していたのである。

 それゆえに、勝利条件は単純明快であった。
 朝日奈が追いついたのならば、朝日奈の勝ち。
 追いつけず、諦めたのなら朝日奈の負けである。

 それは朝日奈に有利な条件であった。
 しかし、それでも朝日奈の勝ちはまだ見えない。

 朝日奈がどれほど懸命に泳ぎ続けても、距離は少しも縮まっていないのだ。
 相手はラスボスにふさわしい強さであり、朝日奈が苦戦しているのは誰の目から見ても明らかだった。

 苗木達も大量の応援メッセージを飛ばしたが、船よりも速く水面を縫うように進む朝日奈に届くことはなかった。

「……クッ。俺達では着いていけない。まさか、この勝負を見ることすら至難とはな……!」

 いつの間にか隣にいた十神が呻く。
 彼が言う通り、船は朝日奈達から離されつつあった。
 その状況を目の当たりにして、ウサミも焦れたように叫ぶ。

「どうしまちょう……!
 応援が届かないと朝日奈さんが負けてしまうかもしれまちぇん!」

「……そんなヒーローショウじゃないんだから」

「……けどぉ、夢の中だし、応援の有無で展開が変わるかもぉ」

「でちゅでちゅ!」


「そう言われると困っちゃうな……。なんかすごいメガホンとか出せない? ウサミ?」

「出せまちゅけど、この世紀の決戦にそんなアンフェアなものアリなんでちゅかね……?」

「うーん……。どうなんだろう……?
 けど、今更じゃない……?」

「そうでちゅかね……? うーん……?」

「うーん……」

 2人で顔を突き合わせて、首を捻る苗木とウサミ。
 不二咲もまたそんな2人を見て「難しいよねぇ……」と困った顔をする。

 だが、そんなとき、颯爽と現れる人物がいた。

「……案ずるな。我に任せよ」

「……ハッ!? 大神さん!? そ、そうかここに来て、真打ち登場か!」

 なんだかんだノリノリで実況する苗木。
 そんな視線の先には、白い浴衣のような装束を幅の広い帯で固定した大神がいた。
 古式泳法で伝統的に使用する昔の女性用水着にあたる服なのだろう。

 後半、登場人物が増えたため、相対的に序盤ほどの出番がなかった大神だが、
 そこは朝日奈のベストフレンド、活躍の場は用意されており、満を持しての登場であった。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!
 朝日奈よ! 我がついているぞ!」

 大量の水飛沫を空高く巻き上げながら、魚雷のように大神は水へと入る。
 そして、腕で水をひとかきする度に、朝日奈達との距離を自身の身長分ほど縮めていく。

「あの特訓と修行を思い出せ朝日奈! 負けるな朝日奈!
 焦らずに熱くなるのだ朝日奈! 諦めるな朝日奈! ファイトだ朝日奈!」

(さ、叫びながら泳いでる……。朝日奈さんよりすごくなっちゃってないか……?)

 現実と同じように、息継ぎのタイミングにすら全身全霊を注いでる朝日奈に対して、
 漫画の世界から来ましたという勢いで泳ぐ大神だと、どうしても後者の方がすごく見えてしまった。
 だが、苗木は「夢の中だし……」と言いたいことを自分の中に留めることにする。

(……ま、まぁ、指摘はしないでおこう)

 朝日奈が気付いていないのなら、
 きっと気付かない方が朝日奈にとって都合が良いのだろう。苗木はそう考えた。
 空気を読んだとも言う。

 するとその甲斐あってか、大神の活躍によって、周囲がざわめき始める。

「……朝日奈さんの目が変わったわ」

「……はい、朝日奈さんの心の声が聞こえてきます」

 霧切が探偵としても規格外の視力を発揮し、舞園がスピリチュアルな何かを受信する。

「やはり友情とはいいものだな! 兄弟!」

「だな! 兄弟!」

 石丸と大和田が肩を組み感涙する。

「これが友情パワー……」

「盾子ちゃんが浄化されていく……!」

 江ノ島が浄化されていった。

「この大空に翼を~♪」

「たとえば君が傷ついて~♪」

「心のなかで~♪」

「めぐる風~」

「赤とんぼのうたをうたった空は~♪」

「今きみと~♪」

「ください~♪」

 そして、残りの者達は合唱曲の定番を歌い出す。


 クライマックスに向けて、思いついたセリフや展開や演出をとりあえず入れてみましたという感じであった。
 そのあまりの急展開とちぐはぐさに、思わず苗木が叫ぶ。
 空気と読むつもりであったが、耐えられなかったようだ。

「無理やり盛り上げなくていいから!
 ていうか、ばらばらに歌ったら合唱じゃないからそれ!
 せめてテーマ決めようよテーマ!」

 しかし、口を挟まずにはいられなかった苗木を余所に、
 話はクライマックスへと向かっているらしい。

 ――さくらちゃんとの特訓の日々。

「あ、なんかスピーカーみたいに空から声が聞こえるよぉ」

「夢でちゅからねぇ。モノローグみたいなものだと思えばいいと思いまちゅよ」

「なるほどぉ……。すごいねぇ……」

「でちょ?」

「うん……」

 興味深そうに不二咲は天を仰いでいた。
 ここまでの展開から、ある程度は予想していたのか、驚きはそれほどないようだ。

(……不二咲クンの順応性が予想以上に高くてびっくりだよ)

 苗木がそんな感想を抱いている間も、不二咲は天を仰ぎ続ける。
 天からは朝日奈のモノローグが流れ続けていた。

 ――皆との長い特訓の日々。

(……この夢の中だと数日だよね?)

 ――試合と特訓の日々。

(まぁ、ここに来てから朝日奈さんはずっと動いてたけど……)

 ――皆との特訓がなければきっとここまで来れなかった。

(……って、特訓ばっかだな)

 ――今、私は大切なことを思いだしたよ。

(……特訓のこと?)

 ――あの特訓はこのときのためにあったんだって!

(やっぱり特訓だー!)

 朝日奈の叫ぶようなモノローグが響き渡ると同時に、
 朝日奈の泳ぎ方が変わる。
 競泳で使う泳ぎ方ではない。
 それは、体の側面を上方へと向けた独特のフォームであった。

「……ハッ。あの泳ぎは例の泳ぎだべ……!」

「馬鹿な! この俺の知らないことをお前が知ってるのか葉隠!?
 教えてくれ、あれはなんだ!?」

「……ノッシーだべ。
 なんか俺が好きそうな不思議生物じゃなくて由緒正しい古代の泳ぎ方だべ。
 普通の泳ぎより速度は落ちるが、持久力に優れてるんだ!
 あの泳ぎ方なら鎧を着てても千キロは泳げるんだべ!」

(千キロは盛り過ぎじゃないかな……?)

 ――今すぐじゃなくても私は追いついて見せる。絶対に諦めない!

(……結論は良いな。あ、けど、これって精神論じゃなくて、まさか……)


 苗木の予感。それは的中した。
 いや、苗木の予感以上に、奇天烈な展開であった。

 天気が目まぐるしく変わっていく。
 太陽と月がメリーゴーランドのごとく大回転した。
 当たり前だが、それが現実世界ではありえない速度であった。

 そして、太陽や月に負けないくらい天気も激しく変化する。
 雨の日も風の日も雪の日も嵐の日もあった。

 つまり、朝日奈の努力と根性を世界全体で表現するための手段として、
 時間の経過が選ばれたのである。

 苗木にとって予想外だったのは、その規模である。
 両者がヘトヘトになるまで競争が続くことは予想したが、
 まさかこれほど時間をかけたという設定にするとは思わなかったのである。

(発想のスケールがすごいな。
 そういえば、前にオリンピックで金メダルを取ったら
 その次は太平洋を泳いで渡りたいって言ってたけどもしかして本気だったのか……?
 いや、さすがに現実じゃ睡眠が必要だから無理だよね……?)

 戦慄する苗木の前で、朝日奈は諦めずにジェイソン苗木を追い続けていた。
 昼夜が何度逆転しようが、雨が降ろうが、雪が降ろうが、雷が落ちようが、
 朝日奈は自分のペースを崩さず、無心に相手を追い続けていた。

 それは現実的に考えれば、凄まじい光景であった。
 朝日奈がとてつもなく真剣な表示であることも踏まえて、映像として圧倒的インパクトがあった。

 ……しかし、それでも見ている方としては限界がある。

(すごいんだけど……。たしかにすごいんだけど……。
 背景だけ綺麗で、それ以外にバリエーションのないアクションゲームを見続けてるみたいで、
 そろそろきついな……)

 他の登場人物達も、固唾を呑んで見守り続けているだけであり、
 週刊漫画の引き延ばしもかくやという変化のなさが続いていた。

 一応、映像のインパクトだけで体感時間で2時間ほどは楽しめていたが、
 それでも3時間に達した今では、飽きが生じるというものである。

(この日数がリアルタイムで進行しないだけマシでもあるけど……。
 それでもやっぱちょっときついな……。
 不二咲クンとウサミを連れて一度部屋に帰ろうかな……? 2人もたぶん疲れてるよね……)

 そこで、一度苗木は不二咲とウサミに目を向ける。

「さすがにちょっと変化がなくて焦れてきちゃいまちゅね。
 けど、朝日奈さんはもっとたいへんな思いをしてるんでちゅよね……。
 ……最後の瞬間は拍手で迎えたいものでちゅ! 決定的瞬間は見逃しまちぇんよ!」

「強くなるってきっとこういう風に負けずに頑張る必要があるんだよね。
 勉強になるなぁ。ボク感動してきたよぉ」

(……あれ? 思ったより平気そうだ。
 ボクが合わないだけで、他の人からしたら、これって面白いのかな……?
 ……ま、2人が大丈夫そうなら、ボクもボーっとしてようかな?)

 他の2人が熱心に見てるなら、自分は邪魔をしないでおこうと苗木は決める。
 ただ、飽きや疲れがあるのは事実だから、うとうとしながら眺めることにした。
 そして、そうと決めたら、苗木は本当にボーっとしながら、あれこれぼんやりと考えつつ時間を潰した。
 さすがにボーっとするのにも限界があるだろうと、
 当初は苗木自身も考えていたのだが、どうにかなってしまった。

 そして、その結果、末恐ろしい事に、苗木、ウサミ、不二咲の3名はテンションの差こそあるものの、
 体感時間にして10時間ほどの間、変化の少ない朝日奈の競争を文句も言わずに見続けたということになった。



◆◆◆

(なんか頭をからっぽにして見てたら、気のせいか、目頭が熱くなってきたぞ……)

 長い時間の果て、当初、野暮なことを考えて離脱しようとしていた苗木も、
 場に居続けた事で、その空気に染まったのか、他の者達と同じように、
 その結末に知らず知らずのうちに目頭を熱くさせた。

 夢の中でも疲労は貯まる……という事柄がその涙にどれだけ関連したかは定かではないが、
 強い熱意はなくても、長い間見続ければ愛着は沸くし、
 感情移入も発生するのは人として不自然なことではないだろう。


「ついに私は……勝った。
 こんなに熱くなれたのははじめてかも……」

「………………」

 朝日奈とジェイソン苗木は充実感とともに浜辺で転がっている。
 追いつかれた――つまり、敗北した――ジェイソン苗木も満足げであった。

 まさにエピローグという形で、その光景には美しさすら含まれているように、苗木には思えた。

 苗木に顔と筋肉をスキンヘッドを張り付けたような違和感の塊であったその容姿も、
 今となっては、とても自然なもののように見える。

 とはいえ、その感想には多分に感傷が含まれており、
 その感傷自体も長く続かなかった。

「私……。苗木に聞いてほしいことがあるんだ」

(……ん? ……って、ボクじゃなかった。
 てか、別キャラとして愛着は沸いたけど、やっぱりあれをボクというのは……)

 しかし、終わりを目前に控えて、新しい展開が起きることで、
 少しずつ冷静さを取り戻す苗木。
 夢の中でのうつらうつらにより、頭も半分寝ぼけていたが、急速に覚醒し始める。

 RPGなどでラストダンジョン直前など、話の終わりが見えると急に覚めるタイプの人間がいるが、
 今苗木はそんな人が抱く気分に近いものを抱きはじめていた。

(そういえば、何か言う事があるって言ってたな。
 気になってはいたけど、すっかり忘れてたよ)

 視線の先で朝日奈は顔を赤らめている。
 運動後だからか、汗もかいたその姿は妙に艶めかしく思える。

(……ん? いや、まさか本当に?
 いや、仮にそうだとしても、あれはジェイソン苗木で……)

 分かってはいるが、予防も兼ねて意味もなく自分に対して言い聞かせる。
 多感な思春期なので仕方ないのである。

(……なんというか、ボクの名前をした別キャラってのは困るな。
 万が一の展開が起きた場合、ボクが恥ずかしがっていいのかすごい悩む……)

 悶々と朝日奈の様子を見る苗木。
 その感覚は、青春ドラマや恋愛漫画の主人公が自分の名前だと恥ずかしいというのが近いだろうか?

(ま、まぁ、けど、たとえ大本がボクじゃなくても、
 ボクの要素が入った人が好かれてるってのは名誉なことなんじゃ……)

「私も飛込競技に本格的にチャレンジしたいの!
 ジェイソンにはまだ遠く及ばないけど、今の勝利に免じてコーチしてくれない!?
 競泳だけじゃなくて、水泳競技を全てマスターしたいんだ!」

(いや、まぁ、知ってたけどね……。そういうオチだって……。ハハハ……)

 苗木は苦笑いしながら頬を掻く。
 それに対して、ジェイソン苗木は自信ありげな顔でサムズアップで了承の意を示す。
 そして、それを見た仲間たちが歓声の声を上げたのを皮切りにで、夢の世界に罅が入り始める。

 こうして、朝日奈視点だと順風満帆に夢の世界は終わりを迎えたのである。



 もっとも、その終わりの傍らで、苗木はちょっと考え込んでしまっていたが……。

(……そもそもボクって設定だったけど、
 最後もジェイソン呼びだったし……。ボクって設定忘れられてる?
 実は敵だった展開だったはずなのに、特に皆リアクションしなかったし……?
 実はリストラされてた……とか? いや、さすがに、それは……ないよね?
 ………………今度、朝日奈さんにドーナツプレゼントしとこうかな。うん。そうしよう……)

 なお、苗木の名誉のために言っておくと、良印象か悪印象かといえば、
 苗木は朝日奈から間違いなく良印象を持たれている。

 そもそもそうでなければ、
 魔改造とはいえ理想の男性像を被らしたり、重要なポジションを与えたり、
 妹を褒める言葉として兄に似てると持ち出したり……などしないだろう。

 単純に、設定的な矛盾を朝日奈が気にせず、ほとんど展開をその場のノリで進めていただけである。

 結局、苗木が気にするだけ無駄だと冷静になったのは、夢から出てしばらく経った後であった。

不思議なことに投下前にチェックしてるうちに1レス増えたりするんですよね。チェックとはいったい……
……それはおいといて今回の投下はこれで終わりです
朝日奈さんの夢も終わりで一区切りです

生存報告です

なお資格試験は受けなくてよくなりましたが代わりに職場変わる模様(転職2回目)
スレの更新速度的に吉と出るか凶と出るか不明です
とりあえず24日かゴールデンウィークの間に一度更新できるように頑張ります

すみません。生きてはいます。
2か月近く更新できてなくて申し訳ない。
新しい環境に慣れてきて通勤中に書くくらいの余裕はできそうなので、来週の土日に一度更新できると思います。

すまぬ……すまぬ……
帰りの電車で疲れて寝落ちしまくってたら間に合わなかった……
もうすぐ最後の更新から2か月ですが投げ出したりはしないのでよろしくお願いします……

本当にごめんなさい
生きてます
3アニメ開始する7月までには復活します

とりあえず更新再開の合図代わりに2レス
土日にも少し更新します




◆◆◆

 朝日奈の世界に穴が開き、そこに落ちた苗木の視界は真っ暗になった。
 先ほどまで照っていた太陽の光はない。
 どうやら朝日奈の夢から出たようだ。

「……あれ? まだ誰か寝てるのか?」

 最初、いつもの場所、扉の並ぶ空間に出たのだろう……と苗木は思った。
 だが、そう思った直後、苗木は首を捻る。

「……なんかいつもと違うような?」

 何も見えず、苗木は目を凝らす。
 最初は急激な明るさの変化に眼が追い付かず、いつもより暗く見えているのだと思った。
 しかし、精神世界とも言うべき場所において瞳孔の動きが影響するのかという疑問が浮かぶ。
 そして、その疑問により、見えるはずのものが見えないことに気付く。

(あの扉は他の人の扉に関係なくずっと点滅してたはず……)

 自分自身を示していると思われる電球に似た平凡な色合いの扉が見えないことに苗木は気付く。
 そもそも、夢の中に落ちるという現象に巻き込まれるようになってから、
 苗木が完全な暗闇を見ることはなかった。何かしらの光源が常に存在していたからだ。
 しかし、今この場において、苗木の目に映るものは何もない。

「……これはいったい」

 苗木はゴクリと唾を呑む。
 まずいことが起きているではないかという不安が苗木を襲う。

 そして、そのときだった。

「うぷぷ……」

「モノクマ……? って、うわぁっ!?」

 白い何かがヌゥ……と苗木の前に急に現れた。

「苗木クン。ご機嫌いかが?
 ボクは濃厚な放置プレイをされた後、暇を持て余して筋トレしてたよ。
 見て見て、この上腕二頭筋と胸鎖乳突筋。プリティでしょ?
 それに運動したら何かを刺激したらしくて、背ものびちゃった~。
 どうだい苗木クンも汗を流さないかい? ハァハァ……。
 なんだったら、キミが筋トレしてる間はボクが苗木クンの代理を勤めるからさぁ。ハァハァ……」

「うわあああああああああああああああああああああああああああああ!?
 青白い肌した頭だけモノクマな全裸のマッチョがボクのパーカー着て、ハァハァしてるー!?」

「こっちは黒だよ。いつもと違う白黒分けもイカしてると思わない?」

「うわあああああああああああああああああああああ!?
 背中はテカテカ黒光りしてるうぅ!? 来るなああああああ!?」

「あはは、待ってよおぉ、苗木クゥン~。そんなに急ぐと転んじゃうよ~」

「って、うわっ!? ……………………きゅう」

「あっ、ホントに転んだ」



◇◇◇

「来るなああああああ!? あ、夢…………か。
 ……やっぱり、疲れてるのかなボク?」

 上半身を持ち上げた状態で苗木は頭を抱えた。
 夢の内容が奇天烈であることは普通なことなのかもしれない。
 だが、それにしても、八頭身のモノクマのインパクトは強く、
 その面影が苗木の脳裏に焼き付いて離れない。
 
(夢の中で寝る事も出来るって聞いてたけど、夢の中で見る初めての夢が、
 マッチョな八頭身モノクマの夢になるとは思いもよらなかった……。
 ……マッチョな人がボクのパーカーを羽織るのが流行ってるわけじゃないよね?)

 ジェイソン苗木、八頭身モノクマ……とマッチョ(苗木成分配合)を続けざまに見ることになるとは、
 苗木は数時間前まで考えもしなかった。


(最悪なのが、最後の光景が夢じゃない場合だけど……。
 扉の空間でもなかったから、きっと夢だよね……うん…………)

 夢の世界に入ることも中々にハードであるが、
 それに加えて、その度に八頭身モノクマと顔を合わすことになるなど冗談ではなかった。

「何かあったか? 叫んでたが?」

 深刻な顔をしていた苗木に対して、声がかかる。
 松田であった。
 どうやらここは保健室のようだ。
 彼に続くようにして見知った顔が次々とベッドわきに立つ。

「大丈夫? 苗木君? うなされてたみたいだけどぉ」

「だ、大丈夫ですかぁ? 精神が安定するお薬が必要ですかぁ!?」

 まず、不二咲、保健室の先輩が話しかけてきた。
 不二咲は隣のベッドにおり、保健室の先輩は保健委員だから近くにいたようだ。

 そして、彼らの言葉を皮切りにして、
 保健室内にいた他のクラスメート達も次々と話しかけてきた。
 そして、今は既に夕飯時なのか、クラスメートの中には飲食している者もいた。
 例えば、朝日奈だ。
 苗木より少し前に起きたばかりだろうに、ガッツリと炭水化物を摂取している。

「パクパクパク……。あ、苗木も起きたんだー! ムシャムシャ……。
 さっきはごめんねー! ……ゴックン。
 もし、また同じようなことがあったら、苗木も一緒に体を動かそうねー!」

(……覚えてるのか。ただ、気にするところはそこじゃないと思う)

 苦笑いを浮かべる苗木。
 そんな苗木に対して、舞園、戦刃、霧切が話しかける。

「苗木君、食堂が閉まる時間までに起きるのか分からなかったのでお弁当を貰っておきました。
 ……苗木君用のスペシャル仕様らしいです」

「ありがとう舞園さん」

「……毒見は済ませてある」

「ど、毒見……? うん? えっと、ありがとう戦刃さん」

「あの先輩、家庭料理も得意のようよ。……いや、家庭料理の方が得意なのかしら?」

「へぇ……。」

 先輩の1人である≪超高校級の料理人≫の意外な一面を聞いて、苗木は声を漏らす。

「お弁当か……。すごい久し振りだな……。
 なんか夢のせいかお腹も空いてるし、美味しく食べられそう」

 さっきまで部活か運動会に参加しているかのような夢を見ていたためか、
 物理的にはそれほど空腹ではなかったが、妙に食欲が沸いた。
 そんな苗木の顔を見て、松田がぶっきらぼうに言った。

「必要なデータは採っているし、
 聞きたいことも不二咲から聞いてるから、部屋に戻っても食堂に行ってもいいぞ」

「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて……。
 あ、保健室いつもありがとうございます」

「い、いえいえ、こちらこそぉ、いつもご贔屓にありがとうございますぅ……!」

 苗木は保健委員に挨拶をしつつ、部屋を出る準備を始めた。
 すると、それに続くようにクラスメート達も動き始める。
 その中には、朝日奈もいた。

「私も夕飯食べよー」

(今の夕飯じゃなかったのか……)

 よく寝て、よく動いて、よく食べる……それが≪超高校級のスイマー≫の力の源なのかもしれない。
 そんな益体のないことを苗木は考えた。

けっこう期間が開いたのに2レスしか投下できなくて申し訳ないですが
土日にももう少し更新しますのでこれからもよろしくお願いします




◇◇◇

(そろそろ寝る時間だ……。
 というか、ボク、寝てばっかだな……)

 夕食を終え、部屋に帰って寝る準備を終えた苗木は時計を見る。

(今日は夢の中に入っても、ひたすら寝よう……。
 昨夜入れなかった霧切さんの夢に入ることも考えたけど……)

 先ほど食堂で話した内容を思い出す。

「念の為、今夜は休んだ方がいいと思うわ。
 連続でも数回なら大丈夫だって話だけど、
 昨夜の石丸君を含めれば、今日はもう3回も夢に入ってるし」

「うん。そうする」

 是が非でもない。
 即断であった。
 ただひたすらに寝ようと苗木は決意していた。

 腐川や大和田などの昼を希望する者達もいるため、
 今夜入らないとなると霧切の夢に入るのが明日の夜以降になる可能性が高いが、
 それでも大事を取ることにしたのである。

(けど、なんか嫌な予感がする……)

 苗木は考える。
 運気には流れがあると誰かが言っていたことを苗木は思いだす。

(松田先輩から貰ったリミッターもあるし。きっと大丈夫だよな……?
 あ、けど、念のため、もし、いつもの場所に入ったら、すぐにウサミと協力してモノクマを縛らないと……)

 モノクマに対する遠慮も今やまったくなくなっている。
 これほど苗木が容赦しない相手も珍しいだろう。

(リミッターの効き目次第で、明日以降どうるかも変わるし、しっかりしないとな……。
 もし誰かが眠ったときに強制的にボクも眠るのを防げるなら、放課後は皆と一緒に遊びに行ったりもできるし……。
 ハァ……。登校初日に舞園さんと久しぶりに遊びに行けるねとか言ってたのがすごい懐かしく感じる)

 体感的には各人の夢に入るたびに数時間単位で忙しい時間を過ごしているため、
 新学期開始日から3日目にして、既に1週間は経過した気分であった。

(何人かは途中で眠ってもおんぶして帰ってくれる言ってたけど……、さすがにちょっとなぁ)

 とはいえ、この1週間を逃すとしばらく放課後の時間を確保できない者もいるだろう。
 そう考えると、最悪の場合はおんぶを頼むかもしれない。

(学園長に頼めば、ボディガードの人も付けてくれるって話だけど、
 あの同じ顔した人たちがずっと尾行してくることになりそうだ。
 万が一のときのおんぶとどっちがマシだろう……?)

 万が一のおんぶと、最初からボディガード付き、どっちが恥ずかしくないか?
 そんな益体無い事を考えながら、苗木はベッドに横になった。

(石丸クンが寝る10時を過ぎたけど、まだ大丈夫だな。
 やっぱり、すでに入ったことのある人が寝ても引きずり込まれないってことだな。
 ……石丸クンの次に早く眠る人は誰だろう?
 まだ入ってない誰かが寝てるなら、安心して眠れるんだけどな……)

 ここ数日強制的に意識が飛ぶことばかりだったためか、
 いざ眠ろうとしても、あまり寝付けない苗木であった。

(寝つきはかなり良い方なんだけどな……)

 嫌なことがあったり、次の日に重大な事が迫っているときでも、
 苗木はあっさりと安眠できるタイプであった。

(残った人で早寝するのは大神さん、続いて舞園さんだな。
 となると、大神さんが寝たことを確認できたらいいのか?
 ……どうやって? もう寝た? って聞いてもいいけど寝てたら返事来ないよね……。
 うーん……。うーん……。うー……。……………)

 苗木はそうして取り止めのないことを悩んだ。
 そして、悩んでいるうちにあっさりと眠った。

1レスですが更新しないよりマシかなと思い更新しました
進むときは一気に進むかも

みなさんいつもありがとうっす
三連休中は忙しかったんで次回更新は今週の日曜日になります
よろしくお願いします



◆◆◆

(2つ光ってるんだけど……。
 というか、結局、ここまで来てるし……)

「うぷぷ……。がっかりしてるね苗木クン。頭の苗木が萎びてるよ」

(……とりあえず、こいつ縛るの手伝って。ウサミ)

(あいあいさー! でちゅ!)

「おい、ばか、やめ……ムギュウ…………容赦ないなぁ」

 とりあえず、考えながらもモノクマを腕で抑える苗木。
 そして、動きを止めたモノクマをウサミがステッキ一振りで雁字搦めにする。
 モノクマを縛るのはこれが初めてではなかったからか、2人の手際は妙に良かった。

「うぷぷ……。苗木クンってばそんな趣味があるなんて。
 そんなにボクの柔肌に跡をつけたいかい?」

「……あちしの兄を自称するなら、フェルト地だから跡は残らないんじゃないでちゅかね?」

「ぬいぐるみの兄がロボットでもいいじゃないかー?」

「鉄じゃもっと跡は残らないだろ……」

 呆れた様子で苗木がモノクマを見る。
 するとモノクマは顔を赤らめた。

「……イヤーン」

(もういいや無視しよう)

 苗木は視線を逸らす。
 いくつかの扉が光っている。
 弱々しく光る扉が1つ、強い光を放つ扉が2つある。
 前者は白色、後者はピンク色と赤銅色である。
 弱い光の扉は既に夢に入ったことのある人のもの――今回は石丸のもの――であり、
 強い光の扉はまだ入ったことのない人のものだ。

(白い扉は石丸クンだとして、
 ピンク色と赤銅色か……。舞園さんと大神さんかな?
 ……あ、そういえば2つ光ってるってことは、
 片方が寝ただけじゃここに引きずりこまれなかったってことだよね?
 2人が秒単位で同時に寝たとかじゃなければ、リミッターは効果があるってことか。
 ……結局、ボク自身が寝たらここに来ちゃうみたいだけど)

 完全ではないが、リミッターが十分な効果を発揮していることに気づき、
 苗木は細やかな安堵を覚える。
 強制寝落ちがないというだけで、苗木としては十分であった。

 ……なお、リミッターが1人までは耐えられたが、
 2人寝ることにる引きずり込みには抗えなかった可能性もあったのだが、
 それに関して苗木は考えなかった。

 もっとも仮に今考えたとしても結論が出ないことなので、
 苗木にとって問題はないだろう。
 むしろ、苗木にとって気になることは別にあった。

(これから1週間くらいは、現実で寝たうえでここでも寝るのか……。
 なんか変な気分だな。それに扉が光ってるから、なんか落ち着かないな……)

 苗木はあらためて強い光を放つ扉を見る。
 アイドル衣装にでも使いそうな華々しいピンク色と、
 仏像にでも使われてそうな赤銅色である。

(やっぱりピンク色が舞園さんで、赤銅色が大神さんかな?)

「大神さんの名前はさくら、桜色はピンク色……。
 ここまで言えばあとは分かるわね? 苗木クン?」

「そうかその可能性もあるね! さすが霧……って、モノクマじゃん?
 なにやってるの? というかどうやって移動した!?」

「うぷぷ……。縛られててもボクは動けるよ。見て見て」

(携帯みたいに振動してる……)


 いつの間にかモノクマが苗木の足元で笑っている。
 微弱な振動を利用して少しずつ移動していたようだ。

「うぷぷ……。苗木クンの考えていることなんかお見通しだよ。
 どうせ扉の色を見て、誰の扉だろう……とか考えてたんでしょ?
 そんなに気になるならさっさと入っちゃえばいいのに~」

「いや、今日は入らずに休むつもりだから」

「アイドルが赤銅色でもいいじゃない?
 歌って踊れる仏像系アイドルってのもいいと思うよ。
 きゃっきゃうふふ、瓦も割れるよ」

 「ポロリもあるよ」のノリでわけのわからないことをモノクマは言う。
 そんなモノクマに対して、苗木はため息を吐く。

「はぁ……。
 まぁ、どうせそのうち分かることだからいいよ」

「ユー、開けちゃいなヨー」

(無視無視……。
 どうやらモノクマに勝手に開けられることもなさそうだし)

 扉を見たところ、光る扉には以前見なかった鎖と鍵があった。
 Xを描くように扉には2本の鎖がかけられ、
 その交差する部分には南京錠が取り付けらていた。

(さすがに腕も使えない状態じゃモノクマも開けられないだろ……)

 ヘアピンか何かで南京錠を開けるモノクマの姿は想像できたが、
 さすがに両手足が縛られている状態で、鍵を開ける方法はないだろうと苗木は思う。
 そもそも、地を這っている状態では南京錠の位置に手を届かせることもできないはずだ。
 しかし、それでも苗木は思う。

(けど、なんか不安なんだよな……よしっ!)

 不安が残る苗木は、
 念には念を入れて、モノクマを他の扉に括り付けることにした。

「えっと、こうやって……」

「……こうすればちょうど身動きできなはいずでちゅね」

「ねぇねぇー。いまどき犬でもこんなつながれ方しないと思うよ?
 誇りあるクマなボクとしては断固抗議したいんだけど?」

 2本の縄によって、モノクマが2つの扉のちょうど中間に転がされる形で縛り付けられる。
 桑田とセレスの夢の世界に繋がっていた扉のドアノブからピンと伸びた縄が、
 それぞれモノクマの首のあたりと、腰の当たりに巻き付けられている。
 2つの縄の長さはたるみがないよう調整されており、
 モノクマはどの方向にも動くことができない。

 桑田とセレスの夢の世界に繋がっていた扉が隣だったことも苗木達にとっては幸いであり、
 モノクマにとっては災難であった。

 仮に無理やり引っ張ることで2つの扉を開けられたとしても、
 桑田とセレスの世界は既に入ったことがあるため、開いたところで意味はないはずだからだ。

「じゃあ、ウサミには悪いけどボクは寝るから……」

「お疲れさまでちゅ! 苗木君! あとは任せてくだちゃい!」

「ねぇねぇボクには謝罪とかないの?」

「……もう寝るから黙ってて」

「苗木クンってボクには厳しいし口汚いよね。
 なんなのツンデレなの? ボクに特別なもの感じちゃってる系?
 いざ付き合ったり、結婚とかすると亭主関白になるの?」

「………………」

「無視はよくないよー」

 苗木は既に横になっている。
 布団はないが、この空間自体寒くも暑くもないため、問題なく眠れそうだった。
 強いて言うなら床が固いことが気になるが、疲れが溜まっていたのか、苗木は問題なく寝息を立て始めた。


「あ、布団出しまちょうか……ってもう寝てまちゅ!?
 疲れてたんでちゅね……」

 眠りについた苗木を見て、ウサミはやさしい目をした。
 だが、次の瞬間、モノクマに向かって、威嚇するように言った。

「あちしは不意を打たれてステッキを取られたりしないように、宙に浮かびながら寝てまちゅ。
 ちなみに、ウサギは寝てても物音には敏感でちゅから、悪だくみしようとしても無駄でちゅよ!」

「ふーん……。宙に浮かぶとか魔法使いアピール必死だねウサミ。
 なんなの免許更新でもあるの?」

「別にアピールしてるわけじゃないでちゅ!
 いいから、良い子も悪い子も早く寝なちゃーい!」

「………………」

 ウサミはそう言うと耳をピクピクさせながら、眼をつぶった。
 警戒しながら眠れるというのは本当らしい。

 ウサミが寝息を立てはじめ、
 モノクマが「……はぁ」とため息を吐くと、それに合わせて耳も動いている。
 狸寝入りの可能性もあるが、どちらにせよ、モノクマが何か音を立てれば、すぐにでも飛び起きるだろう。

「………………はぁ」

 モノクマは再度ため息を吐くと、自身も目蓋を閉じた。



 ……そして、なんと驚くべきこと三者の眠りはつつがなく進み、一晩は開けた。



 しかし、そのことに最も驚いたのは、目を覚ました苗木であった。

「実はこの扉の空間に見えるところが、誰かの夢の中ってことはないよね……?」

「疑心暗鬼かよ苗木クン」

 縛られたままのモノクマが呆れたように言った。
 すると、久しぶりに安眠できたからだろうか、
 寝る前よりは温和な態度で苗木がモノクマに対応する。

「いや、まぁ、てっきり……。今までのことを考えると……。
 あぁ、けど、良かったよ。これでリミッターとウサミさえいれば安眠はできるってことだよね?」

「うぷぷ……まぁ、それはそうなんだけど」

「ん?」

「ここから苗木クンが現実世界に帰還するにはどうすればいいんだろうね?」

「えっと……?」

「だって気分的には起きてるけど、体は寝てるんでしょ?
 うぷぷ……。脳波とかどうなってるんだろう?
 また松田クンが頭かかえそうな状態だよね」

「あ……」

 つまり、誰かが寝たことで扉の間に来たわけではないため、
 クラスメート全員が起きても、ここから出れない可能性があるのである。

 現在、起きている者としては朝の鍛錬があるのであろう石丸、大神(推定)、朝比奈がいる。
 しかし、他の者たちは眠っているようだ。

(少なくても、早起きは出来なさそうだな……)

 全員が起きたら出られる可能性はあるが、
 その場合でも、だいぶ先になりそうだ。

「まいったな……」

「ねぇねぇ、暇なら、いっそ誰かの夢にお邪魔したら?
 今からなら滞在時間が短くて済むかもよ?
 誰かが一緒に入ったとしても、その誰かも目が覚めて抜けるかもしれないし、
 夜になってすぐ入るより、わりかしお得じゃない?
 どうせなら、この夢に入る現象をさっさと終えて、つまらない平凡な日常に戻りたいんでしょ?」

「……つまらない日常かはともかく、
 まぁ確かに……この現象はさっさと終わってほしいよね。色々不安も残るし……。
 ……ただ、なんでモノクマがアドバイスくれるの?」


「苗木クンの好感度を上げておかないと、毎日縛られそうだからかな。
 うぷぷ……。ボクってマメだよね。
 ボクのアドバイスが役に立ったら、縛るのは止めてよね? ね?」

 妙にキラキラした目で苗木を見上げるモノクマ。
 その態度に苗木は少しひるむ。

(……うっ。たしかに素直に協力されると、ちょっとやりづらいな。良心が痛むというか……。
 …………………………まぁそれでも……夜になったら縛るけど!)

 ひるみつつも、心の奥で確固たる意志を以って苗木は決めていた。

 他の人は許す。
 だが、モノクマは許さない。

 前世に何かあったのかと自分でも思う程度には、
 苗木はモノクマ絶対許さないマンであった。

 とはいえ、苗木は苗木である。

「……じゃあ、お礼に今は縄を外してあげるね」

 敵対しててもどこか甘かった。

 睡眠によって当座の疲れが取り去られ、余裕が出来ていたことも理由だろう。
 苗木はモノクマの拘束を解く。

「うぷぷ……。まぁ、今はこれで満足しておくよ」

 モノクマは短い手足を上下に伸ばして、体をほぐす。
 そんなモノクマを見て「はぁ……」と苗木は息を吐く。

「あ、いくつかの扉の光が消えまちたね」

 そして、そんなやり取りをしているうちに、
 またいくつかの扉の持ち主が目を覚ましたようだ。
 規則正しい生活をする者はもう起きている時間なのだろう。

 すると、そんな光景を見て、モノクマが言った。

「残りでまだ苗木クンが入っていないのは、
 葉隠クン、腐川さん、大和田クンかな?」

(腐川さんと大和田クンは昼間希望だったな……。
 ただ、今入ると桑田クンと山田クンが一緒に入っちゃうことになるんだよな。
 となると、やっぱり、今は止めておいたほうがいいな。
 いっそ霧切さんがまだ寝てたら、ちょうど良かったかもな……。
 今まで何回も入り損ねてたから事後報告でも許してもらえたかも……。
 うまくいかないなぁ……)

 苗木は苦笑しつつ先ほど言った3名のうち、最後の一名の扉を見る。
 アースカラーとも呼ばれる黄土色、葉隠が身に着けている腹巻と同色の扉だ。

(葉隠クンは早い段階で入って欲しそうだったし、今入ってもいいかもな……。
 葉隠クンが他の人の夢に入りたそうだったのはちょっと気になるけど、
 結局、葉隠クンだし……。悪用しようと思っても出来なさそうだしな……)

 お金に困った葉隠が他の人の夢に入って悪さをする可能性もあったが、
 同時に葉隠だからすぐ露見するだろうとも思う。
 二重の意味で葉隠に対する苗木の信頼は厚い。

「よし……。じゃあ、葉隠クンの扉を開けてみようか」

「あのう……。苗木君? 決めたところ悪いのでちゅが……」

「え? なに?」

「鍵閉まってるから開けられないんじゃないでちゅか?」

「あ?」

「うぷぷ……」

 初めから覚えていたのだろう。
 モノクマが小ばかにするようにほくそえんでいた。


「やーいやーい。苗木クンのバーカ」

「くっ……。ど、どうせ、お前が開けられるんだろ……? この扉?」

「できるわけないじゃーん!」

「えぇ……嘘だろ……?」

「見てよ、この手。
 人間と違って丸くて大きいでしょ? こんなんでピッキングとかできるわけじゃじゃーん!」

「今さら、そんな常識的なこと言われても……」

 モノクマの言っていることが嘘か本当かは分からなかったが、
 結局、その後、苗木達はおしゃべりをして時間を潰すこととなった。

 なお、当初の懸念であった脱出方法の有無であるが、
 時間が経過し、現実の苗木の体が覚醒したら、
 何事もなく、苗木の意識はこの扉の間から出ることが出来た。

「いってらっしゃーい~!」

 なお最後の瞬間では、
 再度縛られたモノクマが留守番する家族か何かのような態度で、苗木を見送っていた。

今日はここで終わりです

本当は次の人の夢にさっさと入る予定だったのですが
ちょっと夢に入る細かい順番で悩んだり、現実世界で仕込みしないと!ということに気づいたんで
お茶を少し濁す感じに(汗)

ちなみに明日は葉隠クンの誕生日です
一日早いですがお祝いしときます!おめでとう!

生存報告です
お盆は実生活が修羅場だった……

生存報告です
実生活忙しいとか言ってたらロンパ3ももう終わりそうで困る

今週末あたりに動きを取り戻しそうだけど
その前に最終書き込みから1か月たちそうなので生存報告です

ちなみに現在撮りためしてたロンパ3視聴中です
正直、放送前は内容次第ではやる気が消えるんじゃないかとか戦々恐々してたんですが
今のところはそういうことなさそうです(オチとかけっこうネタバレくらってます)

このSS的には、朝日奈さんの響子ちゃん呼びとか舞園さんため口とか採用するか悩む程度っすね
まぁクラスメートが超仲良しになる直前(過渡期?)の話ということで、キャラ間の呼称はこのままゲーム無印のまま行こうかなと思います

生存中です
時間が経つのが早すぎる……
v3の限定版も気づいたら品切れだしロンパの動きに追いつけなくて困る
他に1キャラが関係してそうな作品は霧切草くらいですかねぇ

生存してます
年末年始は実家に戻って暇を極めてるはずなので久しぶりに更新できそうです

たいへん申し訳ないのですが
まとまった分ができるのに一々時間がかかりそうなので
一度、1週間以内にhtmlにしようかと思います

更新の間が空きすぎて話の整合性とか文字数配分が自分でもよく分からなくなってきてるので
書き終えてから調整してまとめて投稿します(投稿分もちょっと変えるかもしれません)
おそらく早くて年末かと思います

いちおう外部サイトのなにがしかで生存報告だけはできるようにしておきます(Pixivに過去作とか投稿してるのでそのユーザープロフィールとか)

長らくお待たせしたうえにこういう結果で申し訳ないです

V3も今日やっと体験版をやれる……。
限定版はなんとか買えました…倍額くらいで……



下記が生存報告用です。

http://www.pixiv.net/member.php?id=1205344

それではHTML化してきます。

HTML化依頼してきました。
色々と申し訳なかったです。

いずれまたお会いしましょう

書き終えた後、一度pixivで下書き的に上げたりする可能性もありますが(誤字脱字の修正など楽なので)、
最終的にこっちの速報にもスレ立てて書きますんでよろしくお願いします。

このSSまとめへのコメント

1 :  SS好きの774さん   2014年03月21日 (金) 22:36:09   ID: Zz0utLic

楽しそうなSSだな、
今後も頑張って下さい!

2 :  SS好きの774さん   2014年05月31日 (土) 11:55:31   ID: 8ugrsNbq

面白いです!頑張って

3 :  SS好きの774さん   2014年06月12日 (木) 00:49:08   ID: cZpCI88B

書き方がすごい上手いと思う。面白い

4 :  SS好きの774さん   2015年04月13日 (月) 00:34:28   ID: XPTFlogj

何これマジで面白い!!
続き待ってます。

5 :  SS好きの774さん   2016年02月24日 (水) 22:29:43   ID: T4zw891M

続き待ってます!

6 :  SS好きの774さん   2016年07月23日 (土) 23:43:31   ID: lnd7EnVp

頑張って下さい!

7 :  SS好きの774さん   2016年10月03日 (月) 17:40:56   ID: wwy9-7Y2

最後迄がんばって下さ〜い

8 :  SS好きの774さん   2017年05月22日 (月) 23:47:57   ID: hqAyD62N

まだまってるで

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