貴音「宵待草のやるせなさ、今宵も月は出ぬそうな」(175)

【昨年四月の出来事】

花見から十日ほど経ったある日、高木殿から重要な報告があるとのことで、
あいどる全員が事務所に集められました。


響「一体何の報告なんだろうな」

真「今後の活動方針とかそういう話じゃないかな」

亜美「ピヨちゃんの結婚報告かもよ!」

真美「それはないっしょ→ だってピヨちゃんだよ?
   そういえばお姫ちん最近見なかったけど、ど→してたの?」

貴音「体を壊して寝込んでおりました……もう大丈夫ですから心配は無用です」

皆がいつもより明るく感じられるのは、おそらくこれから報告されることなど何も知らないからでしょう。
報告がなされた時、皆のこの笑顔が閉ざされてしまうのかと思うと、わたくしは余計に暗澹たる気分になりました。

社長「オホン、全員集まったようだね。
   あ~実は今日は大変残念な報告をしなければならない」


高木殿は気まずそうにもう一度空咳をすると、急に真顔になりました。

社長「君たちのプロデューサーがうちの事務所をやめることになった。
   もっと早くに報告すべきことだったのだが、あいにく予定がうまくあわず、今日報告することになってしまった。
   こういう形で伝えるはめになってすまない」

いることが当たり前だと思っていた方が突然にいなくなったのです。
すぐには受け止められようはずもなく、わたくし以外皆信じられないといった顔をしていました。


律子「引き継ぎは終わっているから、みんなの面倒はしばらく私が見ることになるわ。
   突然のことでみんなびっくりしているだろうけど、これからよろしく頼むわよ」

口調はいつものようにハキハキしているはずなのに、律子の声にいつもの張りはありません。

春香「引継ぎってことは、律子さんたちは前から知ってたんですか? 
   プロデューサーさんがいなくなること」

律子「やめることを知っていたか、って言われたらそうなるわね。引継ぎまで受けたんですから。
   でもなんでやめるかまでは詳しく聞いてないわ。というより聞いても教えてもくれなかったんですもの」

春香「なんでもっと早く教えてくれなかったんですか? 第一プロデューサーさんもひどいですよ。
   何もいわないでいなくなっちゃうなんて」

美希「社長は何か聞いてないの?」


社長「自己都合による退社だ。彼のプライバシーに関わることでもあるし
   私の口からは何も言えない。といっても詳しいことは実は私も知らんのだ。
   それだけは彼も頑なに口を閉ざしてね」

高木殿の言葉を聞くと、美希は携帯を取り出し、どこかへ電話をかけました。


美希「嘘なの……」


携帯を持った手がだらりとさがり、美希はその場に崩れ落ちました。



美希「ねぇ、社長は連絡先くらいは聞いてるんだよね? だったら教えて欲しいの」


すがるような声をだして美希が聞いても、高木殿は何も答えませんでした。

その後の事務所では、嗚咽する者、すすり泣く者、虚脱する者。悲しみ方も皆一様ではありません。
けれど、あの方がいなくなったことで皆の心に深い傷をついたということだけは同じでした。


【昨年六月の出来事】

花見をしたことがまだ昨日のことのように思われるのに、
桜の花はどこにも見られず、わたくしの目に映るのは街灯に照らされた若葉だけです。

貴音「もう二月もたったのですね」

ため息をついて空を見あげれば、雲ひとつないいい天気で、星がいつもより綺麗に見えていました。
それなのに月はどこにも見あたりません。
どうやら運悪く、今宵は新月のようです。

貴音「宵待草のやるせなさ、ですか。わたくしと同じですね」

待てど暮らせど来ぬ方を、それでも待ち続けてしまう
わたくしは愚かなのでしょうか。

己の身となぞらえた宵待草に聞こうとも、この季節に見られるわけもなく、ただただ虚しいだけです。


春香「こんな時間にお散歩ですか、貴音さん」


不意に、背後から春香の声が聞こえてまいりました。


貴音「寝つけずに散歩していたら、ふらりここまで足を運んでしまったようです。
   春香は仕事帰りの寄り道、といったところでしょうか」

春香「正解です。収録がこんな時間まで長引いちゃって。
   ここで花見をしたのももう二ヶ月前かぁ……
   当たり前だけど桜も咲いてませんね」

貴音「諸行は無常なものです。人も季節も、変わらないものなどないのですよ」


春香「でも来年にはまた咲きますよ。春はまたやってくるんですから」


貴音「来年、ですか。随分とまた先の話をするのですね」

春香「待ってる時間って長く感じちゃいますけど、プロデューサーさんは絶対戻ってくると思います。
   だから気長に待ちましょうよ。それで来年も、みんなでまた花見をするんです」


貴音「戻ってはこないかもしれませんよ。そうなれば待つこと自体、徒労に終わるやもしれません」


春香「だったらこっち側から見つけちゃえばいいんですよ。
   貴音さん、高みからの景色が見たいっていつも言ってたじゃないですか。
   そこからはプロデューサーさんも絶対に見つかるはずです」


貴音「なかなかそういう風には考えられないものなのです。
   そういう春香は一体どのような気持ちであの方を待っているのですか?」

それが聞くべきではないことだとはわかっておりました。
けれども、同じくあの方を待つものとして、どうしてもそれを知りたかったのです。

春香「正直、私は待ってないと、心が折れちゃいそうになるんです。
   だから私もあんまり偉そうなことは言えませんね。ごめんなさい、貴音さん」


眉尻の下がった、困った笑顔で春香はそう答えました。
わたくしもそんな本音を聞いては、あの方が帰ってこないなどとはいえようはずもありません。


貴音「お互い困ったものですね。けれども春香、目標を思い出させてくれてありがとうございます」



高みから見える景色。
本当にそこからは、あの方の姿が見えるのでしょうか。
いいえ、おそらく見えることはないでしょう。

けれども、ただ待っているだけならば、時は過ぎゆくばかりです。
そこまでの道のりがいかに険しくとも、夢だけは叶えねばと思いました。
そうでなければあの方が去ってしまわれたかいもないのですから。

【昨年七月の出来事】

美希「貴音、響、よろしくなの」

新設されたぷろじぇくとふぇありー、そのめんばーの一人にわたくしも選ばれました。

貴音「必ずや、頂点をとりましょう」


響「すごいやる気だな。おーし、自分も貴音に負けないくらい頑張るかぁ」


美希「トップアイドルになって、絶対ハニーを後悔させてやるの」


美希の口から意外な言葉が漏れたことに驚きました。


貴音「後悔、とな。美希はあの方を好いていたのではなかったのですか?」


美希「ハニーのことは今でも大好きだよ?」


質問するやいなやの即答です。

貴音「ではどうして」

美希「ハニーはやめたこと絶対後悔してるって、ミキ思うの。だからミキたちがもっともっと有名になって、
   もっともっとキラキラすれば、たくさんたくさん後悔して、きっとまたプロデューサーやりたくなっちゃうじゃないかな。
   そうなれば絶対に戻ってきてくれるの」

響「美希のモチベーションは相変わらずプロデューサーなんだな」

美希「それはちょっと違うかな。ハニーがいてもいなくてもミキは頑張ってキラキラするの」


その返答の意味がつかめずにわたくしと響が頭をかしげているのをみて、美希は不思議そうにしていました。


美希「だってミキがアイドルをしてるのはミキのためだよ? ハニーはハニー、ミキはミキなの」


昔と少しも違わぬ、美希のひたむきな眼差しをみて、わたくしは胸が痛くなりました。
なぜそこまでまっすぐに、己の気持ちに正直でいられるのでしょうか。
わたくしには、とても真似できそうにありません。

もっとも仮に真似できていたとしたならば、そもそもこのような結果にはならなかったのでしょうが。

【昨年八月の出来事】


昨年から事務所に置いてあるぬいぐるみがあります。
気づけばそれはずっとここにいて、もはや景色の一部になっていたので、
さして気にすることもありませんでした。

真「それかわいいでしょ。プロデューサーから貰ったんだ」

くまをじいっと見つめるわたくしがよほど可笑しかったのでしょう。
笑いながら、それを抱きしめると、真は遠い目をして
懐かしそうにその来歴を語ってくれました。
その目線の先にあるのは、やはりあの方の面影なのでしょう。


貴音「そんなことがあったのですか」


真「別にプロデューサーがボクの王子様ってわけじゃないんだけどね。
  そういえばお姫様扱いされたのなんてあの時が生まれてはじめてだったけ」


貴音「それが今では、誰も真をそのように扱ってはくれないと」


真「本当、困っちゃうよ。なぜだかボクが王子様になってるんだもん。
  でもいいんだ。そのうち絶対お姫様になって、王子様が迎えに来るのをまつんだから。
  その点、貴音はうらやましいよね。だって銀色の王女じゃないか」

貴音「人がそう勝手に呼んでいるだけです。王子様とやらも、いまだに迎えにきてはくれません」


真「あ~あ。ボクもみんながお姫様っていうくらい、女の子らしくなれたらなぁ~
  でも、もしボクがとびっきりのお姫様になったら、プロデューサーもびっくりするだろうね」


驚いたあの方を楽しげに想像する真は、実に生き生きとしておりました。
待つことすら己の精進の糧にする。素直にすごいと感心しました。


貴音「それではわたくしも、お姫様を目指すといたしましょうか」


真「えっ!? 貴音はもう王女様じゃん」


それから数日たったある日のこと、真は参考資料として少女漫画をいくつか貸してくれました。

その中でとりわけわたくしの心が惹かれたのは、宿命にあらがいながらもかなわない恋を遂げようとする二人の話。
結末は、まだ出ていないそうです。

【昨年九月の出来事】

暦の上では秋といえども、まだまだ残暑は厳しく、外を歩けばすぐに汗ばんでしまいます。
仕事を終え事務所に戻ると、雪歩が熱心に花をいけていました。

雪歩「あれ、四条さん。お仕事終わったんですか?
   お疲れ様です」

会釈をしてそう言うと、雪歩はまた花をいけはじめました。いけているのは桔梗でしょうか。
花の紫色が白い手のせいで、余計に際立って見えます。

貴音「風流なことをなさっていますね、雪歩。ここに飾るおつもりですか?」

わたくしがそう声をかけると、彼女は手を止め、暗い顔をしました。
はて、わたくしは何かまずいことを聞いてしまったのでしょうか。

雪歩「はい……プロデューサーがいなくなってから
   だいぶ経つのに、やっぱりまだ、みんな暗い感じがしちゃって……
   お花でも飾れば少しでも明るくなるのかなぁって思ったんですが……
   やっぱり余計なお世話ですよね、こんなこと……」

花を持つ手を少し震わせながら、雪歩は申し訳なさそうに俯きました。

貴音「余計なお世話などではありません。皆、喜ぶと思います。
   わたくしも次は何か花を持ってくるといたしましょう。
   その時は、今日のように生けていただいてもよろしいですか?」

雪歩「本当ですか! 貴音さん、ありがとうございます」

貴音「礼には及びません。雪歩は強いのですね」

雪歩「わたしなんか、全然弱いですよぉ」

貴音「辛い時にこそ、人間の真価は問われるものなのです。
   己が辛い時に他者を慮れる者が弱いというのであれば、
   世の中に強い人間など一人もいなくなってしまいます。
   ですから雪歩、あなたはもっと自分に自信を持つべきです」

えらそうなことをいいながら、わたくしは強くあれかしと願うだけの弱い人間なのだということに気づきました。
他人のことを考える余裕もない、日々を生きていくだけで精一杯なわたくしが強いはずはありません。
そんなわたくしが雪歩に花を贈るのは、罪滅ぼしをしたいという弱い心のせいなのでしょうか。
けれども、もしそうだとしても、弱いわたくしはどうしてもそれだけのことをしなければ気が済まないのです。
そんなことで己の罪が償えようはずもないことはわかってはいるのですが。


その翌日、白い秋菊を持っていき、雪歩に手渡しました。

貴音「やはり雪歩には、白い花がよく似合いますね」

雪歩「貴音さん、本当に持ってきてくれたんだ。
   ありがとうございますぅ」

そう言って幾度も頭を下げた後、雪歩はさっそく秋菊を生け始めました。

雪歩「完成しました。どうですか、貴音さん」

秋菊佳色有りとはいいますが、雪歩の生けたその花はかくも見事なものでした。
その美しさが心をうつのは、雪歩の真心がこもっているからなのでしょう。
この花の美しさで、事務所の皆の心もかるくなればよいのですが。

【昨年十一月の出来事】


事務所に戻る車中のこと、渋滞にはまってしまい、なかなか抜けられそうにありません。
実質一人で事務所全員の面倒を見ている律子はとにかく忙しいのでしょう。
イライラした様子で、何度も時計を確認しています。


律子「なかなか進まないわね。雨も強くなってきたし、まだまだ混みそうだわ」

勢いを増した雨で白く染まった車窓の向こうを見ると、律子は言いました。


貴音「最近きちんと寝ているのですか、律子」


律子「大丈夫よ」

顔を合わせるたびに黒くなっていく目の下の隈を見ている身としては、
その言葉が真実であると信じるわけには行きません。
いつもは蒟蒻問答でおわるばかりのこの話題ですが、今日は時間がたっぷりとある。

ですから今日は、ちゃんと休みをとるように説得せねばならぬと、わたくしは心に決めました。


貴音「しかし……このままでは律子まで倒れてしまいかねません」

律子「大丈夫だっていってるでしょ」

貴音「ですが……!!」

律子「ですがもなにも、もう私しかいないじゃない。プロデューサーはもう、私しかいないんだもの」

律子は意地を張っているようにも見えました。
おそらく何をいっても彼女が聞き入れることはないのでしょう。
こうなったのも、全てはあの方がいなくなったからです。

貴音「……あの方から何か連絡などはありませんでしたか」


恐る恐る聞いてみました。

律子「知らないわ」

突き放すように、律子は言いました。
もし連絡が来ていたとしても、それが吉報でない限りわたくしたちに伝える気はないのでしょう。


律子「あのね、私だってこんなこと言いたくないわよ。
   でもプロデューサーのことはもう忘れなさい。
   いなくなった人を待ってても辛いだけだわ」


そう言われてしまっては、わたくしも黙るほかありません。

それから事務所に戻るまでの時間はお互い無言で、車を叩く雨の音ばかりがやかましく響いておりました。


【昨年十二月の出来事】


事務所で小鳥嬢が年賀状の絵柄をどれにするか選んでいました。
どの蛇の絵がよいかを尋ねられても、生憎わたくしは蛇が苦手で、
見ることさえおぞましく感じてしまいます。


小鳥「一年なんかあっという間ねぇ~
   だとすると、みんなが結婚してここを出てく日も案外近いのかしら」

貴音「相手ありきの話ですから、まだまだ心配することはありませんよ。
   そういう小鳥嬢が案外一番早く出ていくのやもしれませんし」


小鳥「お上手ねぇ。そういう貴音ちゃんにはいい人いないのかしら?」

貴音「それは、とっぷしーくれっとです」

小鳥「もう! つれないんだから~」


貴音「それはそうと、来年はわたくしも二十歳ですか。
   この事務所にきて、もう二年近くたつのですね」

小鳥「ようやくお酒が飲めるようになるわね」


貴音「お酒、ですか。忘憂の物とたとえられますが
   そのようなものだから皆飲むのでしょうか。
   悩みはとにかく尽きないものです」


小鳥「忘れられるのなんて飲んでる間だけ。
   ううん、飲んでるから考えちゃうつらいこともいっぱいあるわよ」


貴音「結局憂いから逃れることはできないのですね」


小鳥「そうね、けど悩みなんて時間が解決してくれることのほうが多いもの。
   お酒を飲めば時間が早くなるように感じちゃうから、それでみんな飲むのかもしれないわね」


貴音「そういうものなのですか」


小鳥「そういうものよ。だから貴音ちゃんが辛くなった時は一緒に飲みましょ」


そう言った後、片目を瞑ってういんくすると、小鳥嬢は鼻歌を歌いながら仕事の続きをはじめました。

【今年一月の出来事】

れこーど大賞に紅白歌合戦、終わってからは翌日の収録のために現地入り。とにかくこの時期は忙しいものです
あいどるには盆も正月もありません。

響「仕事増えたのは嬉しいけど、家族のことが気になるぞ……
  ペットホテルで寂しい思いしてなきゃいいけど」

前の席に座っている響が、珍しく弱音をはきました。


やよい「きっと大丈夫ですよ、響さん!
    それに忙しい分、いっぱいお給料もらえるんだから頑張らないと」

響「うん、そうだな! 帰ったら家族にも美味いもの食べさせてあげよーっと。
  それにしてもやよいは元気だな。分けて欲しいくらいだぞ」

やよい「えへへ、今年はいっぱいお年玉あげられそうだから、私なんだかうれしくて」


やよいはあの方がいなくなっても、平気なように見えました。
おそらく、動機が家族のためとはっきりしているために、切り替えも早くできたのでしょう。
しかしその考えが少し間違っていることは、すぐにわかりました。

伊織「じゃああんたは誰からお年玉もらうのよ」


やよい「だって私はお姉ちゃんだから我慢しないと。
    伊織ちゃんはお兄ちゃんからもらえるの?」

伊織「いらないって言っても押し付けてくるの。
   いつまで子供扱いしてんのよって話しよね」

響「うちの兄貴なんてお年玉くれたことすらないぞ」


やよい「お兄ちゃんいるだけ羨ましいですよぉ。
    私もお兄ちゃん、ほしかったなぁ」

お兄ちゃんみたいに思ってたのにどこにいっちゃったんだろ、ときこえないほどの声でつぶやくと
やがてやよいは小さな寝息をたててしまいました。

どれだけ元気に振舞ってはいても、あの方がいなくなった事実はやよいの心に今も小さな傷を残したままでした。
立ち直りこそすれ、その傷はまだ癒えてはいない。それは強く見える他の皆でもきっと同じなのでしょう。

伊織「やよいはもう寝ちゃったのね。せっかくの新年だっていうのにお子様なんだから」

律子「あんたも、年があけて興奮してるのはわかるけどもう寝なさい。
   ついたら早々に収録があるんだから体持たないわよ」

伊織「……律子はいつ寝るのよ」

律子「むこうについたら仮眠を取るわ。いらない心配はしないの。
   さぁ、みんなさっさ寝る! 」



明け方、現地に到着したものの、律子は仮眠を取る暇もなく、忙しく動きまわっていました。

【今年二月末の出来事】


律子が過労で倒れて病院に運ばれたという報せを受けた時、
ついに来るべき時が来たのだと思いました。

病院に急いで向かうと、病室の入口近くで、春香が泣きながら何かを言っています。


春香「私がひどいこと言っちゃったからだ……
   私のせいで、今度は律子さんまで……ごめんなさい、ごめんなさい……」



確か以前にもこういうことがありました。

あれもちょうど昨年の今頃で、やはり突然の連絡があり、
あの方が重い怪我をされたといわれて仕事が手につかなくなったことを憶えております。
あの時と違うのは、今回は皆が病室に立ち入るのを許可されたということでしょうか。


伊織「なんでこんなになるまで頑張っちゃうのよ、ばかぁ!」


律子を怒鳴りつけると、伊織は涙声でまた馬鹿と何度となく繰り返していました。
誰一人として伊織を諌めるものがないのは、少なからず皆も同じ気持ちだったからでしょう。

大声だったのにも関わらず、律子は死んだように眠ったままです。

伊織「なんで頼ってくれないの? せめて相談くらいしてくれたっていいじゃないっ」


送迎に深夜の接待、足を棒にする営業、予定の管理に終わりの見えない事務仕事。
そんな日々の中では相談する暇もなかったのでしょう。
目の下の隈が日に日に深くなっていていく彼女を、わたくしたちは心配していたものの、
誰も助けてあげることはできなかった。
それに律子の性格からして、わたくしたちに弱音を吐くなど、ましてや助けを求めるなど、
絶対にしなかったでしょうし、出来なかったでしょう。

そんな孤独な戦いを、律子は一年近くもの間続けていたのです。


あずさ「でも……律子さんまでいなくなっちゃって、私たちこれからどうすればいいのかしら」


亜美「兄ちゃんももういないしね……」


プロデューサーのいないあいどる、それは寄る辺のない孤児のようなものでした。
予定の決まっている分は良いとしても、当面は全てを自分でこなさなくてはならない。
先の見えない未来に皆は不安になり、余計に黙ってしまいました。



伊織「あんたたち何暗くなってんのよ!」

しいんとしていた病室の空気が、突然の大声に震えました。


伊織「私達、仲間なんでしょ? だったら律子の分フォローするなんて当たり前じゃない。
   とりあえず決まっている分の予定をこなしながら、あいた時間は営業かレッスンにまわすわよ。
   そしてこれからはできるだけスケジュールも自分で管理するの。わかった!?」


伊織の剣幕にだれもが気圧されていました。
こんな伊織をわたくしは知らない。
ということは、この一年で伊織は成長したということなのでしょうか。


よくよく思い返してみると、伊織は竜宮小町の長です。
その立場からは、律子の苦労がわたくしたち以上によく見えていた。
律子が不在のときは、長としてその重責に耐えねばならなかった。
今のように仲間を鼓舞しなければならなかった。

あの方が不在の一年近く、ずっとそのように生きてきたればこそ
伊織はこのような強い心を持ち得たのでしょう。



伊織「それから! いなくなったやつのこといつまでもグジグジ言ってないの。桜が咲いたらもう一年よ?
   だからもう忘れなさい。私たちはアイドルなんだから。アイドルが暗い顔してちゃダメじゃない」


赤くなった目に涙をためているくせに、無理矢理の笑顔をつくって、伊織は病室から出て行きました。

仕事の都合で、病室からは一人、また一人と、仕事に戻っていなくなってしまいました。
残ったのは如月千早、春香、そしてわたくしの三人だけです。
誰も言葉を発しないまま、面接時間終了までその三人だけが残っていました。



春香「私、もうアイドル続けられないよ……」


三人一緒に帰路についていると、春香が突然そんなことを言い出しました。


千早「いきなりそんなこと言い出して、どうしたの、春香!? ねぇ、春香ってば」


虚脱した春香の体を、如月千早が肩を掴んで揺さぶると、春香はぽつりぽつりと心情を吐露しはじめました。

その悲しい独白はもしかしたらわたくしがしていたものなのかもしれません。
それをせずにすんだのは、あの方がなぜ帰らないかを知っていたからで、
わたくしと春香との違いは、ただそれだけでした。

みんなアイドルになった理由がはっきりあってうらやましいなぁって思う。


え? 私にもあるはず?
うん、きっかけはもちろんあるよ。
ちっちゃい頃ね、よく公園で歌ってたお姉さんがいたの。
その人と一緒にみんなの前で歌を歌ったことがあったんだけど、上手だねってそのお姉さん褒めてくれたんだ。
それから私はアイドルになるんだぁって、突っ走っちゃって……
いつの間にか本当にアイドルになっちゃった。

でもね、この事務所でアイドル始めてから、見つかったんだよ。アイドルやりたい本当の理由。

私ね、この事務所で、みんなと一緒にアイドルがやりたい。
ずっと仲良くアイドルやれればそれでいい。

もちろんそれがどれくらいわがままなことなのかってことぐらい、もうわかってるよ。

去年のニューイヤーライブの前も、私のわがままのせいでみんなに迷惑かけちゃったしね。
プロデューサーさんには、迷惑どころか大怪我までさせちゃった……

だからね、あの時みたいなわがままはもういわないよ。

今の私はね、せめてみんなの帰る場所が同じなら、それでいいの。
仕事が忙しくて、めったに顔合わせられなくても、それでいいの。
みんなが帰る場所が私の帰る居場所でもあるんだって思えれば、それでいいの。
一人もかけないまま、みんなでずっとアイドルをやっていければ、それだけでいいの。

だからね、ずっとプロデューサーさんの帰りを待ってた。
そう思ってないと心が壊れそうだったから待ってた。
じゃないと私ががんばれないから待ってた。

でもね、本当は気づいてたの。プロデューサーさんはもう帰ってこないんだってことくらい。
だけど、そんな事ないって、必死に自分に言い聞かせてた。
じゃないと私、アイドル続けられなくなっちゃうから。

だけどもう限界だよ……

なんで、何も言わずにいなくなっちゃったの?
なんで、連絡も何もくれないの?

こんなんじゃもうこれ以上待ち続けられるわけなんて、ない。

それでね、今日、律子さんにひどいこと言っちゃったんだ。
律子さん、今まで私達のために、体壊すくらい頑張ってくれてたのに、私、ひどいよね。
それでね、さっきの伊織を話を聞いてて思ったの。
私にプロデューサーさんを忘れることなんかできっこない。
だからこの先もずっと辛いままなんだって。
ごめんね、千早ちゃん……私、もう限界だよ……

【三月初旬】


ごきげんよう、律子

体の具合はいかがですか? 
大分よさそうでではありますが、無理は禁物ですよ。
今はお医者様のいうことをしっかり守って、ゆっくり静養していてください。

事務所の皆はどうしているか、ですか。

ふふふ、絶対にお聞きになると思っていました。
高木殿、及び皆からの言伝があります。
何も心配せず、長い休暇を貰ったと観念して、しっかり体を癒すように、だそうです。

それからこれは皆からのお見舞いの品です。
随分と沢山あったので、持ってくるのが大変でした。

花は小鳥嬢が後日花瓶を持ってきてくださるとのことです。

実を言うと、今日は律子に謝るためにきたのですよ。
本来であれば、事務所の皆全員に謝るのが筋ではあるのでしょうが……

謝る訳が分からない?
いえ、理由はちゃんとあるのです。


謝らなければならない理由はただひとつ。
あの方はわたくしのせいで事務所を去ってしまわれたのですよ。
とどのつまり、皆が悲嘆にくれていたのも、律子が倒れる羽目になったのも、
ひいては春香が今のようになってしまったのも、全てはわたくしの招いたことなのです。

事の発端は、わたくしはあの方に恋をしてしまったことにあります。
それがあいどるとしてありうべからざることであるのは
もちろん了解しておりました。

まったく世間は不条理です。
わたくしはあいどるで、恋などは許されない。
しかしあいどるにならなければ、あの方と出会うことも、
この恋をすることもなかった。
これが不条理でなくては一体なんなのでしょうか。

しかしそれを嘆いても仕方がありません。不条理な世の中であればこそ、天は運命を切り開く力を
人間にあたえたもうたのですから。
そしてわたくしにその力がなかったがために、この事態を引き起こしてしまったのです。

さて、それでは前置きはこのくらいにして、これより全てを話させていただきます。



慕情抑えきれず、あの方の住まいを訪れたのは、昨年の三月、あの方が退院して間もない頃です。
むかう道中、白梅がいたるところで見られました。

呼び鈴をならすと、あの方は風呂上がりだったのでしょう、
濡れた髪のままわたくしを出迎えてくれました。

上気したその頬を見て一瞬、わたくしと目があったことで顔を赤らめてくれているのだと、思い上がりも甚だしい
勘違いをしてしまいましたが、今思えばそれも恋のうちです。
こういう風に思えてしまうのも、やはり一年という時のおかげな気がいたします。

それはそうと、なんだか照れてしまうものですね、己の恋の話というのは。
もちろん、罪の告白をしているものが言う言葉ではないとは分かっています。
ですが他人と恋の話をするなどという人並みの経験すら、わたくしにはないのです。
ましてやこれは秘密の恋の話ですから、なおさらですね。

仮にわたくしがあいどるなどではなく、律子ともただの友人であれば
きっとこれも楽しい会話になっていたのでしょう。

それでは話を戻します。

貴音「きれいになさっているのですね」


流石にいきなり想いを伝えることなどできません。
ですからはじめの方は世間話に終始しておりました。

とは言っても緊張していて、あまり会話の内容は覚えてはおらぬのです。
話題そのものは、退院後の調子や事務所の皆についてだったとうっすら記憶しているのですが。

しかしわたくしの様子から、あの方はただならぬものを感じ取ったようでした。
なかなか本題を切り出せてはくれません。
切り出そうとするとうまく話をそらされるのです。

貴音「わたくしが今日きたのは、世間話をするためではありません」

ようやくその言葉が言えたのは、話題も尽き、あの方が会話に窮した時です。

とはいえども、想いの丈を伝えるというのはやはり勇気のいるものなのですね。
先程までは言えずじまいで、じれったくすら感じていたのにおかしなものです。

貴音「お慕いもうしております。どうかわたくしと添い遂げてはいただきませんか」

ただこれだけのことをいうのに、どれだけの月日を要したことでしょうか。
やっと言えたのがそれだけというのもなにやら情けなく感じてしまいますが、その時のわたくしにはそれが精一杯だったのです。


おや、どうしたのです、律子。鳩が豆鉄砲くらったような顔をなされていますが。

はて、いきなりぷろぽーず、とな。
言われてみればそうですね。
さりとて不自然なことは何もないでしょう。
まがい物の恋ならばいざしらず、わたくしはこの恋が真のものであると信じておりましたから。
たとえ夢と引換にしてでも、
残りの人生をこの方と添い遂げることが出来たのであれば、それこそ本望だと思ったのです。

けれどそんなわたくしの思いとは裏腹に、返ってきた言葉はつれないものでした。


自分はプロデューサーであるから、あいどるのわたくしと男女の付き合いをすることは出来ない。

だいたいこういった意味の言葉をあの方は返されました。
でしたら、と、わたくしは用意していたものを渡し、再びたずねました。

貴音「あいどるであるがゆえに付き合えぬというのであれば、
   ただの四条貴音に戻りお尋ねいたします。
   あなた様はわたくしをどう思っておいでですか?」

姑息な手だとは我ながら思いましたが、これしか方法はないと思ったのです。

しかし、その時辞表を手にしたあの方は一体どのような顔をしていたのでしょうか。
答えばかりが気になって、唇しか見ておりませんでしたから、それすら憶えておりません。

貴音「答えてくれねば何もわかりません。そしてもしも袖にされるというのであれば、それも仕方なきことです。
   今宵、その覚悟あればこそ、わたくしはここに参ったのですから」


世の中にはどうしようもないことがあると、あの方は答えました。

全くの正論ですが、どうしようもないことをどうにかできると考えてしまうのは若さでしょうか、青さでしょうか。

ですが問いの答えを言わぬということは、あの方もわたくしのことを好いてくれいると
受け取っても良いものだと思いました。

貴音「あなた様も、わたくしと同じ気持ちだと思ってよろしいのですね」

さしものあの方もようやく観念したようで、一言だけ、わたくしのことを愛していると言うと、先ほどの辞表を破り捨てました。
思えば、あの方の口から直接そのようなことを言われたのは、後にも先にもこの時だけです。

その言葉を言うまでに、あの方は事務所を去る決意をされたのでしょう。
それなのにその愛の言葉がどれだけ重いものかを露ほども考えず、
わたくしは天にも昇る気持ちで幸せをかみしめていました。

思いが通じてからというもの、わたくしは通い妻のようなことをやっておりました。

思慮が足りない、と言われてしまっては仕方がありません。
もっとも、思慮深い時というのは人間大抵不幸なときで、幸福であれば思慮は浅くなるのが常です。

恋ゆえの思慮の浅さを色ぼけといいますが正に言い得て妙ですね。
わたくしも、あの一月ばかりは色ぼけをしておりました。


……少しばかりのろけさせていただいてもよろしいでしょうか。
もっとも、破れた恋ののろけなど、語る方も物哀しいだけですが。


いいではありませんか。
まだまだ日は長いのです。
というわけで勝手に話させて頂きます。



この写真をご覧下さい。


実は一度だけ、あの方とでえといたしたことがあるのです。

それはこの時の写真です。

驚くことに誘ってくれたのはなんとあの方からでした。
いなくなる三日前のことですからあの方なりに罪滅ぼしの気もあったのかもしれません。

どこか行きたいところはあるのかと、前日に聞かれた時はわたくしもびっくりしてしまいました。

貴音「でえと、ですか。それなら海がいいですね」


四月とはいえ、まだまだ肌寒い季節です。
そんな頃になぜそのような酔狂を言うのだろうと、あの方はきょとんとしておりました。


貴音「今も昔も恋人は海へ行くものです」

指を唇にそえてそう言うと、あの方はわかったと了解してくれました。



とはいっても翌日は仕事が入っておりましたし、人目も気にせねばならぬ身ですから、
海についたのは、夜の帳もすっかり降りてからのことです。風もない、静かな夜でした。

わたくしたちの他に誰もいない砂浜に、寄せては返す波の音しか聞こえてきません。
空を仰げば、あまたの星々がまたたいています。
月が照らす海の上には、彼方の地平線まで続く光の道ができておりました。
その道をたどっていけば、遙けき月まで行けそうな気がいたしました。

貴音「いっそこのまま、あの道を渡って二人でどこか遠くまで逃げてしまいましょうか」


海に映る月を指さして、わたくしは半ば本気でそう言いました。
未だにあの時そうしておけばよかったと後悔することがあります。

けれども先ほど申したように、幸せな時ほど思慮は浅くなるものです。
愚かにも心のどこかで、この幸せが永久に続くものだと考えていたわたくしは、
うっとりとその風景に見とれたまま、あの方の肩に頭をのせていました。


帰る直前、あの方は一枚の写真を取りました。
先程私が申した海と月の写真です。


貴音「現像したら、ぜひわたくしにも一枚ください。
   一生の宝ものにいたします」


さて、のろけ話はここで終いです。
いなくなる日の前日、とはいっても日付もかわろうとする時刻の話です。
ですから実際は、当日のことと考えていただいても差し支えはないでしょう。

貴音「おかえりなさい、あなた様。あなた様?」


普段、お酒を召して帰ることなどめったにないのに、その日ばかりは泥酔していて足元も覚束ない様子。
どうしたものかとたずねてみても的はずれな答えが帰ってくるばかりです。

そうして背広のままでべっどに倒れこみ、うわ言のようにごめんなぁと繰り返していました。


貴音「そのまま寝ては皺になります。寝間着に着替えてください」


何度声をかけても、あの方はべっどから動こうとしません。
しまいにはいびきをかいて寝てしまう始末ですから、どうしようもありませんでした。


貴音「これでは今度くりーにんぐに出す必要がありそうですね」

皺くちゃの上着だけをなんとか脱がし、衣紋掛けに吊るしておこうとすると、懐になにかが入っているようです。
仕事のものであれば大変だと思い取り出してみれば、出てきたのはなんと退職届でした。


先程の謝罪の意味が、突然理解できました。


貴音「わたくしのせいなのですね……」

あの方はプロデューサーが天職だとおっしゃっていました。
忙しいけれど、この仕事が大好きだと日頃からおっしゃっていました。

それなのに自ずからこの仕事をやめるのです。
なぜやめねばならぬのか。それは明白です。
わたくしと男女の付き合いをしてしまったからです。

どれほどの無念で、これを書かねばならなかったのか。
どれだけの自責の念と後悔でこれを書いたのか。
一筆一筆にそういった思いが刻みつけられているような書面でした。

そして、それをを書かせてしまったのはわたくしなのです。




眠っているあの方からは、お酒の匂いがしました。
きっと相当な量を飲まれたのでしょう。
あらゆる憂いを忘れようと、慣れもせぬ強いお酒を浴びせ飲んでいるあの方の姿が、ありありと浮かびました。


貴音「申し訳ございません……あなた様」

わたくしはあの方と添い遂げたかっただけなのです。
この方との幸せな未来と比べれば、夢など軽いものと簡単に考えておりました。
けれどもこの結末はどうでしょうか。

まことに世は不条理です。己の夢を捨て恋を取ろう決意したのに、
わたくしはあの方の夢を取り上げてしまっただけなのです。

そして自分は浅ましくも、未だに夢を追いかけている。
覚悟といったのは結局口だけの話で、あの時渡した辞表も
あの方のそれとは比べものにならないほど薄っぺらく、軽いものでした。

それなのにそんなわたくしの夢を守ろうとして、あの方はここを去ろうとしている。

わたくしに、あの方を引き止める資格などありませんでした。



夜が明け、前日の背広をきると、あの方はそっとしゃがみこみ、
しばらくわたくしの顔をじいっと見た後で、家から出て行きました。


貴音「さよならすら、言ってはくださらないのですね……」


もしも声をかけてくれたのなら、わたくしはおそらく泣いてすがっていたことでしょう。
無様でも、みっともなくとも、そしてそれが自業自得であることがわかっていたとしても、
やはりそうしていたと思います。
それがわかっていたからあの方は何もいわずに出ていったのでしょうか。
しかしそれが違うことには、すぐにわかりました。

枕元には、一枚の写真だけが置かれていました。



貴音「これは……あの時の写真ではないですか」


その写真をみた瞬間、わたくしはわかってしまったのです。
あの時のあの方もわたくしと同じ気持ちでいてくれたことにも、
別れの言葉すら言わずに去ってしまわれた意味も。


それは、言うに尽くせぬ思いが込められた、一葉の恋文でした。
おそらく世界中でわたくしにしか伝わらない、けれども
どんな愛の言葉にも勝るに違いない一枚の写真だけを残してあの方は行ってしまった。


そしてその写真が持つ別れの意味の重さも、わたくしにはわかりました。
わたくしが二人で渡ろうといった道を、あの方は一人で行くつもりなのです。

月程遠い、わたくしの手が届かないところまで。
おそらく、わたくしに二度と会わないために。


貴音「そんなこと……わたくしは耐えられません」


乱れ髪、寝巻き姿のまま、裸足で外に飛び出してみても、あの方の姿が見えようはずもなく、
わたくしは道の途中で泣き崩れてしまいました。

道の果てまで目を凝らしても、邪魔をするのは桜吹雪か溢れる涙か、あの方の姿だけはやはりどこにも見つかりません。


貴音「わたくしをおいていかないでください……どうか、わたくしも一緒に連れて行ってください……」


それからのことは律子もご存知のとおりです。
あの方からの連絡は無く、行方は杳としてしれません。

わたくしの罪がおわかりになったでしょうか。


わたくしはあの方の夢を奪うのみならず、今、春香からも夢を奪おうとしてしまっているのです。
そしてわたくしは罰せられるわけでもなく、のうのうと夢を目指して生きている。

世の中は、真に不条理です。


長い話に付きあわせてしまって申し訳ありません。
話はこれで終いです。

律子「なんで今まで黙ってたのよ! もっと早く言ってくれてれば、
    あんたもそんなに苦しまなくてすんだかもしれないのに」


貴音「申し訳ありません」


律子「それに今のプロデューサーは私よ? もっと頼ってくれてもいいじゃない」

貴音「律子は全てを知りつつ、黙していたのだとおもっておりました」


律子「私のことを買いかぶりすぎよ。
    ……まぁいいわ。誰にも言えなくて、今まで辛かったでしょう?」


律子は急に優しい顔になると、わたくしにそういいました。


貴音「わたくしよりも苦しんでいるものがいるのに、辛いなどとは言えません。
   こんなことを頼める立場ではないのはわかっています。ですが、どうか春香を助けてあげてください。
   彼女を救いたくとも、今のわたくしには、何もすることができません」

律子「それに春香のプロデューサーは今は私よ?そんなの助けるに決まってるじゃない。
   それと、さっきも言ったでしょ。今の貴音のプロデューサーも私なの。
   だから貴音の問題は私の問題でもあるわけ。いえば少しは楽になるわ……
   どうせだから一年分の愚痴もここで吐き出していきなさい」


それから面会時間が終了するまで、今まで誰にも言えなかった胸の裡を、律子はひとつひとつ聞いてくれました。

【三月中旬】

お久しぶりです。
急に電話しちゃってごめんなさい。
覚えていますか?秋月律子です。

今、お時間大丈夫ですか?

プロデューサーがいなくなってから一年たちましたけど、
今じゃ竜宮小町以外のアイドルもみんな私の受け持ちですよ。

やめるって聞かされた時は驚きましたけど、引き継ぎがある程度すんでいたせいか
思ったほどの苦労はしないですみました。

しんどいかですって?
当たり前じゃないですか。かなりしんどいですよ。
竜宮小町だけのときでも十分しんどかったんですから。

でも仕方ないですよね。
新人のプロデューサーは入ったそばからみんなきつくてやめていくし、
私しかいないんですから。

ただ少し頑張りすぎちゃったみたいです。
おかげで最近まで、過労で寝こんでました。


おっと、愚痴はここまでにして、早速本題に入らせていただきます。

今日電話したのは、春香のことでです。

プロデューサーが居なくなってから、ひと月たった五月のことです。
一気に増えた仕事を前に、私がため息をついていると
春香が事務所に帰ってきました。


春香「律子さん、お疲れ様です」

律子「ははは、お疲れも何も、まだ全然終わりそうにないわよ。
   あんたたちみんなの面倒みてたプロデューサーって本当化け物だわ」


春香「プロデューサーさんもすぐに帰ってきますよ。
   それまでの辛抱ですから頑張ってください」


そういって春香は番組でつくったお菓子をくれました。

そんな彼女に言えるわけ無いですよね。プロデューサーは多分帰ってこないだろうって。
だって、あなたみたいな人がプロデューサーやめるだなんて、よほどのっぴきならない理由があってでしょうから。
それからも、春香にだけはそのことが言えませんでした。


律子「そういえば貴音は……」

貴音は昔から浮世離れした感がありましたが、
プロデューサーがいなくなってからは余計にひどくなったみたいで、
いつも上の空でした。

春香「絶対私がなんとかしてみせますから、律子さんは心配しないで下さい」


優しい子ですよね。
自分のことよりもいつも他人。
犠牲にするのはいつも自分。

それが長続きするはずはないことなんて、少し考えればわかることだったのに、
そんなこと考えようともしなかったんです。
優しさに甘えっぱなしで、どれだけあの子が傷ついていたのかなんて私は知ろうともしなかった。
そしてそのことを知ったのはそれから五ヶ月後のことです。




千早「最近の春香はどう、律子」

レコーディングの後、千早は唐突に春香の話題を振ってきました。

律子「どうっていわれても……いつもと変わんないわよ」


千早「最近、いいえ、ここ半年くらいの間、春香はずっと無理をしている気がするの」


律子「確かに仕事の忙しさは殺人級だけど、それは春香に限ったことじゃ」


千早「そういうことではなくて、何というか辛いのを押し殺して、無理やり明るく振舞っている気がするわ。
   ……見ていてなんだか痛々しく感じられるくらい」

言われてみれば、プロデューサーがいなくなったっていうのに
春香が暗い顔を見せたのは、報告された時の一回きりで、それからは会うたびにニコニコしていました。
けど春香ってもともと笑顔の多い娘じゃないですか? 
だから私は、そんなこと全く気づきませんでした。


律子「半年……プロデューサーがいなくなった頃からね」


千早「多分、ずっとプロデューサーのことを待っているんだと思うわ」


律子「それは私も知ってるけど、中々言いにくくて……
   帰ってこないって、いっそはっきり言ったほうがいいのかしら」


千早「それだけはダメ! そんなこと言われたら、春香は絶対耐えられないわ」


じゃあどうすればいいのか、って話です。
いろいろ話を聞いてみたりはしたんですが、あんまり効果はなくて、
結局春香は千早の言うとおりの痛々しい笑顔のままでした。
その笑顔の違和感に、私は今まで気づかなかったんです。
忙しくてそこまで気が回らなかったっていえば、言い訳になっちゃいますけど。

そして先月、私が倒れた日のことです。

事務所でね、春香が言うんです。

春香「ニューイヤーライブ、どうせプロデューサーさんは来ないんですよね」

去年、プロデューサーが大怪我した後も、そっくり同じ目をしていましたっけ。
嫌な予感しかしませんでした。


律子「それはわからないけど……来るんならきっと連絡くれるはずだから。
   連絡が来たらその時教えるわね」


春香「もういいんです。ごまかすのはやめてください」


春香の言うとおりなんです。どうせあなたは来ない。

でも、そのことをもし伝えていたとしたら、こういう風になるのが早かっただけでしょうね。
それが怖いから私も千早も言えなかった。


春香「私たち、見捨てられたのかなぁって最近よく思うんです。
   その証拠に、プロデューサーさんがあれから連絡くれた
   ことなんてないじゃないですか。いなくなるときも、私たちには
   何もありませんでしたし」

拗ねたふうにそう言う春香は、まるで捨てられた子供のようでした。
いいえ、あなたがいなくなってから、春香は親に捨てられた子供同然だったんですよ。
それなのにあの子は来るはずのない連絡を、帰るはずもないプロデューサーを、ひたすらに待ち続けてたんです。
そして、ついに待てなくなったんでしょう。
今まで押し殺してきた感情が堰が切れたみたいにどっと溢れてきて、
あの子自身どうすればいいのかわからない感じがしました。


律子「プロデューサーにも色々事情があったのよ。
   でもライブのほうは心配しないで。プロデューサーはいないけど
   この一年で私もだいぶ力をつけて――」


かける言葉がうまく見つからず、お茶をにごすようなことを言おうとしたんですが、
途中、春香は大きな声でそれを遮りました。

春香「けど律子さんはプロデューサーさんじゃないじゃないですか!
   私は、プロデューサーさんじゃないとダメなんです。
   律子さんじゃ、プロデューサーさんの代わりにはなれません」

正直ショックでしたよ。
そんなこと言われちゃったから。

でも、何度も言うように、私は春香がプロデューサーを待っているのを知っていたんです。
それなのに、どこかで時間が解決してくれるだろうって考えてて、結局何もしなかった。
今のこの子のプロデューサーは私なのに、手を差し伸べてあげる事すらできなかったんです。


律子「ごめんね、春香」

春香「なんで律子さんが謝るんですか? おかしいですよ……」


律子「おかしくなんかないわよ」


春香「謝らなきゃいけないのはひどいこと言っちゃった私じゃないですか。
   それなのに律子さんが謝るなんて、やっぱりおかしいですよ」


律子「ごめんね、ほんとうにごめんね」


なんで私が今日の今日まで連絡しなかったのかわかりますか?
私、意地を張ってたんです。
もう私しかプロデューサーはいないんだって、だからなるべく自分の力だけでみんなをサポートしなきゃって。

でもそれって違いますよね。
だってプロデューサーが一番最初に考えなきゃいけないのはアイドルのことです。
そんな簡単なことに気付こうともしなかった。
私はプロデューサー失格かもしれません。

だけどもう、意地をはるのはやめました。

今の春香を救えるのは私じゃない。
プロデューサー、あなただけです。
だから力を貸してください。

来月も、事務所のみんなでお花見をします。
みんなには話しておきますから、プロデューサーも来てください。
もちろんこちらの予定はうまく調整しておきますから。


本当なら仕事に復帰してくれるのが一番いいんですけど、それはやっぱりプロデューサーの人生ですから。
お願いすることはできても、私が決めることじゃありません。

もし、復帰しないのであればその時は……

プロデューサーの口から春香に、いえ、みんなに直接そのことを話してあげてください。
それがあなたのプロデューサーとしての最後のけじめです。
罵られるかもしれないですけど、そのくらいは覚悟しといてください。

じゃないと本当の意味での引継ぎも、いつまでたっても終わらないままです。

それから! 貴音とのことは全部聞きました。

アイドルとプロデューサーの恋愛の是非なんて難しい問題、私にはわかりかねます。
だけどあんな別れ方、悲しすぎるし、貴音もかわいそうです。

貴音の心に、一生傷を残したままのつもりですか?
だとしたら、プロデューサーとかそういう問題以前に、男として最低です。

結局あなたは、貴音を、そしてみんなを見捨てて逃げただけじゃないですか。
その証拠に、あなたがいなくなったことで、みんな傷ついてる。
……もちろん私もですよ。おかげで入院までしちゃったんですから。

もし逃げたんじゃないんなら、絶対花見、来てください。

そしていろいろなこと、全部すっきりさせましょう。


……来てくれるっていうまで、何回だって連絡してやるんだから。


長くなって申し訳ありません。
予定が決まり次第、また連絡しますね。
それでは失礼します。

【今年四月の出来事】

春のひだまりは眠気を誘うほど優しいのに、桜の花の慌ただしさはいったいなんなのでしょう。
散るさまがいかに美しくとも、心が掻き立てられ、なんだか落ち着かない気持ちになってしまいます。

今日の花見に、あの方がやってくる。
頑なであったであろうあの方の決意を、律子はどのように翻意させたのでしょうか。
魔法でも使ったとしか考えられません。

そのことは後で直接聞いてみることとして、今は心を静めることに集中いたしましょう。

全てを話して一月、いろいろと考えた結果、
ようやくわたくしは自分なりの答えを見つけるところまで至りました。

後はそれを実行できるかにかかっています。
それができるほどの強さをいまのわたくしは持ち得たのでしょうか?

自分でもいささか疑問ですが、己を信じる他運命を切り開く術はありません。

春香「貴音さん、随分早くに来たんですね」

始まるまで、まだ時間は一時間ほどありました。

貴音「そういえば、たしか十月前にもここで春香と話しましたね」

春香「あれからもう十ヶ月かぁ……なんだか十年くらい経っちゃった気がします」


貴音「春香の言ったとおり、今年もみんなで花見をすることになりました」

春香「でも、プロデューサーさんが事務所に戻ってきてくるかはわからないじゃないですか」

あの方が帰ってくると知った春香は徐々に明るさを取り戻してはいましたが、
まだどこか暗いわけはそうした不安からなのでしょう。

貴音「それなら心配はいりません。あの方はまたプロデューサーに戻ってきてくれます」

春香「なんでそんなこと言い切れるんですか?」

貴音「それはとっぷしーくれっとです。答えはじきにわかりますからご安心を」


次第に皆も集まってきて、予定の時間五分前には全員が揃いました。
残るのは、あの方だけです。

――あの方がやってまいりました。

皆の視線が、いっせいにあの方に注がれます。
わたくしはすっと立ち上がって、あの方に相対しました。

貴音「わたくしは、今この場であいどるをやめさせていただきます。
   だからあなた様はこの事務所で、ずっとプロデューサーをしてください。
   もう、独りになどさせません。ずっとそばに置いていただきます。
   もし逃げようとも、地の果てまでも追いかけて、絶対にあなた様から離れません」

春の空に響く声で高らかにそう言うと、わたくしはあの方に歩み寄り、その胸元に飛び込んで、強く抱きしめました。
突然の宣言と行動に、皆は面食らっているようです。

この方が己の夢を犠牲にしてまで守ってくれたものを自ら捨てるなど、わがままにも程があることはわかっております。

けれどもわたくしは、夢よりも何よりもこの恋が大切で、それ以外を捨てる覚悟なら、今度こそ決めてまいりました。
もしこの一年で、皆のいろいろな強さを知ることがなかったのなら、きっとそれはかなわなかったでしょう。
答えはあの日と同じでも、覚悟だけは違います。

もっとも私の罪は何も許されたわけではない。それはもちろんわかっております。
ですからそのことは後ほど全てを話した上で、きちんと謝らねばならぬでしょう。

――ですがほんの少しだけ、今だけは誰にも邪魔されないままに、この方と二人で過ごさせてはいただけませんか。

願いが天に通じたのか、突然吹いた春一番が舞い散らせた幾千もの花びらが、わたくしたちを隠してくれました。
目に映る薄桃色の世界には、わたくしたち二人だけで他には誰もおりません。

首筋にするりと手を回すと、わたくしはこの方の唇を奪いました。
一年分の思いを込めた接吻からは、するはずもない、桜の花の香がするような気がいたします。

これでおしまい

読んでくれた人感謝


本当はもっと読みやすいように改行いれまくりだったのに
さるさんの馬鹿のせいで読みづらくてすいません


なーんかなー……報われない、誰も幸せにならないほうが綺麗に終わった気がした

>>154
というか途中まで心中物だったんです
なんか気づけばこうなってた

というか後半結構むりやりなげやり

Pをいかに喋らせないかに熱中するあまり
プロット放り投げという本末転倒になってしまった例


それでは皆様おやすみなさい

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