少女「治療完了、目を覚ますよ」 セカンド −オリジナル小説 (574)

オリジナル小説の続きを、思い出したかのように淡々と貼っていきます。

前スレ

2クール目、13話からの投稿になります。

サイコ系、ホラー要素が入った夢物語です。

「僕は逃げない。立ち向かう。僕達がこれからも人間であるために!」
――少年の叫びが張り詰めた宙を切った。



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燃える家の中に、理緒は座っていた。

その瞳は見開かれてはいたが、光を失い、焦点が合っていない。

彼女は崩れ、倒壊してくる家の中、
壁に背中をつけて小さくなっていた。

しばらくして、ドルンというエンジンの音が聞こえた。

うつろな瞳のまま顔を上げた彼女の目に、ドクロのマスクと、
ボロボロのシャツにジーンズ、
そして巨大なチェーンソーを持った男の姿が映った。

しばらく、男と理緒はただ見詰め合っていた。

「…………殺して」

理緒はそう呟いた。

「早く私を殺して……」

光を失った瞳のまま、彼女は押し殺した声で叫んだ。

「どうしたの? どうしていつも、近づいてこないの?
どうしてそこでじっとしてるの?
殺してよ、早く私を殺してよ!」

男は動かなかった。

ただチェーンソーを回転させて、
こちらをマスクの奥の黒光りする瞳で見つめている。

理緒は頭を膝を抱き、そこにうずめてすすり泣いた。

「死にたいよ……死にたいよぉ……」

絶望しきったその声が、倒壊する家屋に響く。

顔を上げた時、そこには男の姿はもうなかった。

理緒はぼんやりとした表情のまま立ち上がり、
燃える家の洗面所まで歩いていった。

そして、カミソリを手に取り、左手首に当てる。

そこには、沢山のためらい傷や、一文字の切り傷があった。

縫った痕もある。

彼女は腕に力を込めて、刃を細い肉に力いっぱい押し込んだ。

ブツリという嫌な音がして、皮、肉、血管、筋が断裂する。

何度も、何度も行ってきた行為。

もう慣れてしまった熱い感触。

血がたちまちあふれ出す。

意識が段々と薄れていく。

「やだ……やだよ……」

彼女はカミソリを取り落としながら、
火が落ち着き始めた周囲を見て狼狽した。

そして腕から血を流しつつ、頭を抑える。

「やだ……もう起きたくない……起きたくない!」

火が段々と消えていく。

まるで、テープを逆再生するかのように。

理緒はその場にうずくまり、そして絶叫した。



★Karte.13 涙★



理緒は目を開いた。

そこは、いつもの変わり映えがしない病室の中だった。

明るい照明。

そして自分を囲んでいる機器と点滴台。

点滴を刺され過ぎて、肘の内側が真紫になっている。

「もう駄目かもしれない」

カーテンの奥から、圭介の声が聞こえた。

ああ、私のことを言っているんだなと理緒は、
ぼんやりとした思考の奥でそう思った。

「マインドスイーパーの適正がなかったと考えるしかない。
スカイフィッシュに打ち克つ力が、彼女にはない」

「だが、見捨てるにはまだ早すぎる」

大河内の声も聞こえた。

圭介はそれを鼻で笑い、押し殺した声で言った。

「使い物にならない道具に興味はない。
お前が欲しいんなら、やるよ」

「大概にしろよ、高畑!」

椅子を蹴立てて大河内が立ち上がる。

「今の言葉は聞かなかったことにする。
最後まで責任を持て! お前が原因なんだぞ!」

「声を荒げると、また起きるぞ」

「……ッ!」

歯噛みした大河内が、落ち着きなく部屋の中を歩き回る。

そこで、聞き知らない女性の、ゆったりとした声が聞こえた。

「喧嘩をしている場合? お二人とも、少し休んだ方がいいわ」

「ジュリアさん……」

大河内がそう言って深くため息をつく。

「……その通りだ。お見苦しいところを見せてしまった」

「あなた達がここでいくら喧嘩をしても、
患者が良くなるわけではないわ」

ゆったりとした声だった。

患者?

それを聞いて、理緒は少し疑問に思ってから、
すぐに合点がいった。

そうだ。

私は今、患者なんだ。

「自殺未遂十一回。夢の中でも何度も死んでいるようね。
自殺病の発症を確認。
もうこの子の精神はボロボロよ。早々に手を打たなきゃ」

「ミイラ取りがミイラになるとは、まさにこのことだな」

圭介の声に、大河内の影が圭介の影の胸倉を掴み上げたのが、
理緒の目に見えた。

「お前があの時に、あんなことを教えなければ……」

「お二人とも、出て行ってくださる?」

ゆったりと、ジュリアと呼ばれた女性がそう言う。

「もう起きているみたい。少し二人でお話をさせて?」

背の低い女性の影が、こちらに近づいてくる。

カーテンが開き、その隙間から、
長い金髪を腰まで垂らした女の人が中を覗き込んだ。

二十代前半だろうか。

理緒と同じくらいの背丈だが、
妙に落ち着いた雰囲気をかもしだしている。

白衣だ。

青い瞳。日本人ではないらしい。

目が大きく、人形のような女性だった。

彼女――ジュリアは落ち窪んだ目をした理緒と視線が合うと、
ニッコリと微笑んで見せた。

大河内と圭介が黙って病室を出て行くのが見える。

ジュリアはカーテンの中に入ってくると、
理緒の隣の椅子に腰を下ろした。

体を起こそうとした理緒にそのままでいいと
ジェスチャーで言ってから、彼女は口を開いた。

「私はジュリア・エドシニア。
あなたを助けるために来た、マインドスイーパー治療班の一人よ」

「治療班……?」

理緒はかすれた声でそう言った。

「私、もう治療なんていい……いいです……」

泣き出しそうな顔でそう言って、理緒は血のにじむ左腕の包帯を見た。

ぐるぐる巻きにされている。

全て、ここ数日で切ったものだ。

ガラスを割って刺したこともある。

鏡を割って切り裂いたこともある。

鎮痛剤を投与されているので、あまり痛みは感じなかったが、
所狭しと縫われている腕は、ジクジクと異様な感触を与えた。

衝動的に。

いや、そう言ってはおかしいかもしれない。

実に自然に。

理緒は、生きることがとてもつらくなった。

理由という理由はないのかもしれない。

ただ、つらかった。

その原因を考えるまでの余裕は、彼女にはなかった。

大河内をはじめ、周囲は自殺病の発症だといった。

どこから感染したのか、何が病因なのかは分からない。

心当たりが多すぎて、どうしようもなかったのだ。

汀が意識を失ってから、僅か三日で、
理緒の心と体は、既に衰弱してボロボロになっていた。

ジュリアは理緒の手を握り、優しく語りかけた。

「死にたいの?」

「はい……」

頷いて、理緒は薄く目に涙を溜めながら続けた。

「夢の中に……あの人が出てくるんです。
でも何もしない……私が死ぬのを待ってるんです……
私もう疲れました。もう駄目……殺してください……
お願いします……もう私を、これ以上苦しめないでください……」

「それはただの夢よ。現実ではないわ」

「現実か夢かなんて……誰も分からないじゃないですか。
私、今ここにいることが現実かどうかも……
分からなくなってきました」

理緒の目から涙が流れる。

「分からない……分からないんです……」

両手で顔を覆い、涙を流す理緒の頭を撫で、ジュリアは続けた。

「よく聞いて。あなたは自殺病にかかっているわ。
無理なダイブを繰り返したせいで、
スカイフィッシュ症候群に感染したの。
即急に治療をしなければ、命が危ない」

「治療なんて……いいです……」

「生きる気力を、患者が持たないといけないわ。しっかりして」

「本当にいいんです……もう許してください……」

ひく、ひくと泣いて、理緒は体を脱力させた。

「薬なんて効かない……私もう眠れない……」

「あなたを絶対に助ける。
そのためには、あなたの協力が必要なの」

ジュリアはそう言って、ベッドの上に腰を移すと、
理緒の頭を抱いて引き寄せた。

久しぶりの人間の感触に、理緒が小さく息を吐く。

「…………」

「落ち着いた? あなたはまだ戻れる。
戻れるうちに、帰って来なさい。私達が待ってるから……」

「私……帰れる……? 戻れる……?」

「ええ。あなたは帰れる。お家に、帰れるわ」

「あなたに……何が分かるんですか……」

落胆した声で、理緒は小さく呟いた。

言葉を飲み込んだジュリアに、彼女はかすれた声で続けた。

「私のお家は、赤十字病院です……
お父さんもお母さんも死にました。
親戚もいません……私は、一人ぼっちなんです……」

「そうだったの……」

ジュリアは強く理緒の顔を抱きしめると、ささやくように言った。

「でも、絶対に助ける。諦めないで。
あなたも、あなたの友達も、私達が助けるから」

「私の……友達……」

光がなかった理緒の目に、少しだけ活力が戻った。

「私……友達がいる……」

「そう、あなたには友達がいるでしょう?
大事な友達。あなたが、命がけで守った友達がいる。
見捨てて逃げることは出来ないんじゃなかったの?
聞いたわ。あなたは優しい子なのね……」

「ジュリアさん、私……」

理緒はジュリアの胸にしがみついて、涙を流した。

「汀ちゃんに会いたい……」



「……以上が今回のプランです。
S級のスカイフィッシュに対抗するために、
私もダイブに同席します」

ジュリアがそう言って、息をつく。

元老院と赤十字病院の医師達が集まっている、
薄暗い会議室の中を、彼女は見回した。

後ろの方の席に圭介はいた。

興味がなさそうに足を組んで、
ボールペンをカチカチと鳴らしている。

前の席に座っていた大河内が、咳をしてから、かすれた声で言った。

「……テロリストの進入も考えられる。安易なダイブは危険を招く」

「しかし即急に救わないと……
少なくとも片平理緒さんの命は、長く見積もっても、
あと三日もつかもたないかです」

それを聞いて、医師達がざわめく。

「……沢山のマインドスイーパーがここで命を落としている。
病院の見解としては、マインドスイープに対して
かなり慎重にならざるをえないことは理解してもらいたい」

赤十字病院の医師の一人がそう言うと、同調するざわめきが広がった。

ジュリアは頭を抑え、軽く髪を手で梳いてから圭介を見た。

圭介は一瞬彼女と視線を合わせたが、
すぐに視線をそらして横を向いた。

彼を睨んでから、ジュリアは元老院の方を向いた。

「ご老人方はどうお考えですか?」

問いかけられた元老院の老人の一人が、
少し考えてから重苦しく口を開いた。

「……高畑汀と、片平理緒を失うのは、
今の日本の医療業界にとって、重大な損失だ。
できることなら……いや、確実に二人は治療しなければいけない」

「ありがとうございます」

ジュリアが頭を下げる。

「そのために私は、日本に来ました」

「しかし……テロリストの件が表立ち、
今の日本ではマインドスイープを行える医師が、
治療を自粛する流れになってきている。
聞けば、テロリストの狙いは、
高畑汀だそうではないか、なぁ高畑医師」

部屋の隅に立って、タバコを吸っていた初老の男性が口を挟んだ。

深く掘りが入った顔に、くぼんだ目をしている。

表情が読めない男性だった。

圭介は彼をちらりと見ると、
資料をテーブルの上に投げてから口を開いた。

「その件に関しては、お話しする義理がございません」

「高畑医師! それはあまりにも粗暴がすぎないか!」

赤十字病院の医師の一人が、
顔を真っ赤にして立ち上がり、怒鳴った。

「あなたの……いや、お前のせいで、
何人のマインドスイーパーが死んだと思っている!
いくら元老院所属とはいっても、
これ以上の協力は我々としても……」

「静粛に」

大河内が低い声を発する。

彼が手を叩いたのを聞いて、医師達は圭介を睨みつつ、
歯軋りしながら口をつぐんだ。

元老院に頭を下げ、大河内は続けた。

「お見苦しいところをお見せしました。
ご老人方、どうか気分を悪くされないでいただきたい」

「良い。この度の一件に関しては、こちらにも非がある」

元老院の老人がそう言う。

圭介は興味がなさそうに、軽くあくびをして、椅子に肘をついた。

「……議題を戻してもよろしいでしょうか?」

ジュリアが周りを見回し、おっとりとした声で続けた。

「高畑汀さんの精神中核を持っているのが、
片平理緒さんである以上、汀さんを助けるためには、
理緒さんをまず救わなければいけません」

「何……?」

そこで初めて、圭介が狼狽したような声を発した。

彼はジュリアを見て、噛み砕くように言った。

「理緒ちゃんが、汀の精神中核を持っているのか……?」

「先ほど本人から聞きました。ある程度落ち着かせて、
断片的に聞いた内容ですが、間違いないと思われます」

「そんな重要なことを、何故今まで黙っていた……?」

押し殺した声で呟くように言った圭介を冷めた目で見て、
ジュリアは続けた。

「目の色が変わりましたね、ドクター高畑」

「質問に答えて欲しい」

「聞かれなかったから答えなかったまでです。
あなたは、あの子達に信用されていないのでは?」

公の場で嘲笑にも等しい侮辱を受け、圭介は軽く歯を噛んだ。

そして背もたれに体を預け、足を組みなおしてから口を開く。

「それは、そちらのご想像にお任せしましょう。
議論の余地はありません」

「……そうですね。軽率な発言でした。
とにかく、汀さんの精神中核を、理緒さんの精神内から抜き取って、
元に戻さなければいけません。
その施術を行いつつ、スカイフィッシュの相手をしなければいけません。
私のチームが力を当てますが、
卓越した技量を持つマインドスイーパーの力が必要です」

彼女がそう言うと、医師達の間にざわめきが広がった。

一人の医師が声を荒げた。

「私は協力を辞退させていただきます。
これ以上、ラボから人員を消すわけにはいかない」

それに同調する人々の声を聞いて、
ジュリアは手を上げて声を制止した。

「ドクター高畑、協力していただけますね?」

含みをこめて聞かれ、圭介は一瞬視線を揺らがせたが、
狼狽したように彼女に言った。

「……私が?」

「はい。元特A級能力者、
対スカイフィッシュ戦闘用マインドスイーパーの、
あなたの力が必要です」

医師達が目を見開く。

元老院の老人達は目をつぶり、息をついた。

くっくと笑うタバコの男を横目に、圭介は苦々しげに言った。

「…………どこからその情報を入手したのかは分からないが、
私はもうマインドスイープを止めました。ダイブは無理です」

「あの子達を、助けたくはないんですか?」

ジュリアに問いかけられ、圭介は発しかけていた言葉を飲み込んだ。

そして、しばらくして頭を抑え、目を隠す。

まるで、殺気を込めた視線を隠すように。

圭介はメガネをテーブルの上に置き、深呼吸してからジュリアに言った。

「……分かりました。
ただし、ダイブの時間は五分とさせていただきます」

「ご協力感謝いたします。
それでは今回のダイブの説明を始めさせていただきます」

ジュリアが頭を下げ、ホワイトボードを手で示した。

大河内が横目で圭介を見る。

圭介は爪を噛みながら、
瞳孔が半ば開いた目でジュリアを睨んでいた。



薬で眠らせている理緒を囲むようにして、
ヘッドセットに機器を接続したマインドスイーパー達が
椅子に腰掛けていた。

ジュリアと圭介の頭にも接続がしてある。

暗い表情をしている圭介をちらりと見てから、
計器を操作している大河内が口を開いた。

「第一段階のダイブは、時間を十分に設定します。
いいですね、ジュリア女史」

問いかけられ、ジュリアが頷いた。

「時間が300秒を突破しましたら、
何が起こっても強制的に回線を遮断してください。
たとえ、この中の誰が帰還不能になってもです」

機器が接続されているマインドスイーパーは、
黒人や西洋の人間など、いろいろな人種が混ざっているが、
一様に二十代前半から後半の者達だった。

「目的はスカイフィッシュの排除。精神分裂を防ぐことです。
また、外部からのハッキングが考えられます。
防御手段を持たないので、スカイフィッシュ共々、
この機会に駆逐します」

「分かりました。幸運を祈ります」

ガラス張りの部屋の向こう側には、
沢山の医師達が腕組みをしながらこちらを見ている。

タバコを吸っている男も、無機質な目で圭介を見ていた。

「高畑、いけるのか?」

大河内に小声で問いかけられ、圭介は鼻を鳴らして、
自嘲気味に笑った。

「さてな」

「さてな……って……お前、遊びではないんだぞ」

「また俺をあそこに送り込むのか。鬼畜共め」

くっくと笑い、圭介は大声を上げた。

「ダイブを開始してください!」

その右手が、かすかに震えている。

圭介は左腕でそれを押さえ込むと、大河内を見てニヤリとした。

「やるよ、俺は。お前みたいな役立たずとは違うからな」



理緒は目を開いた。

あたり一面血まみれだった。

そうだ、私は。

さっきまた腕を切って。

血が段々となくなって、
体が段々と冷たくなっていくのを感じながら、
気持ちよく眠りについたんだった……。

でも、どうして……。

どうして私はまた、起きてしまったんだろう。

そこまで考えて、理緒は左腕の深い切り傷から流れる血液を、
必死に止血しているジュリアの姿を見た。

ジュリアは、彼女を守るように立っている
他のマインドスイーパー達と目配せをすると、
理緒のことを強く抱きしめた。

「私達が来たから、もう怖くないわ。
大丈夫。早くこの悪夢から抜け出しましょう」

そこは、燃える建物の中だった。

病院の中だった。

理緒が現実か夢か区別がつかなかったのも無理はない。

彼女の病室と全く同じ景色。

しかし、窓の外の暗闇は、赤々と燃える、
巨大なキャンプファイヤーのようなものに照らされていた。

豚の丸焼きのように、
沢山の人間が足から吊るされて火にかけられている。

あたりには据えた悪臭が充満していた。

病室のいたるところも欠損して、燃えている。

「ドクター高畑は?」

ジュリアがヘッドセットのスイッチを入れて声を上げる。

ブツリ、という音がして大河内の声が返ってきた。

『ダイブにはあと二、三分ほどの
イメージ構築の時間が必要だそうです。
それまで、彼女を保護してください』

「何ですって……?」

絶句してジュリアが息を呑む。

彼女に、英語で他のマインドスイーパー達が口々に何かを言っている。

「……議論はあとでしましょう。とりあえず、ここを脱出します」

ジュリアはそれを手で払い、理緒を抱いたまま、病室から外に出た。

他のマインドスイーパー達も、ジュリアを囲むようにして部屋を出る。

そこで、ドルン、というチェーンソーの起動音が聞こえた。

ビクリとして振り返った全員の目に、暗い病室の廊下の向こう側に、
ドクロのマスクを被った、大柄な男がゆらりと立っているのが見えた。

「いやあああああああああ!」

理緒が絶叫したのとほぼ同時に、ジュリアは無言で走り出した。

他のマインドスイーパー二人が
しんがりを守るように立ち、壁に手をつける。

壁のコンクリートがぐんにゃりと変質して、
刃渡り十八センチほどのナイフに変わった。

スカイフィッシュがチェーンソーを振りながら走り出す。

黒人の男性が、壁を殴った。

コンクリートが砕け、手首までが中に入り込む。

そこから彼は拳銃を掴み出すと、
スカイフィッシュに向けて数発、発射した。

飛び上がったスカイフィッシュが、もんどりうって床に転がる。

深追いはせずに、全員病院の出口に向かって走り出した。

「もうやだ! もうやだよう!」

理緒が首を振って泣きじゃくる。

ジュリアは病院の出口に到達すると、
ロビーに出たことを確認して足を止めた。

そして息を切らせながら理緒に言う。

「よく聞いて、片平さん。私達大人は、あなた達ほど長時間、
夢の中で動くことは出来ないわ。
だから、お願い……あなたを助けさせて!」

「助かりたくない! やっと……
やっと死ねるところだったのにどうして邪魔するの!
やっと私、楽になれたところだったのに!」

癇癪を起こしたように喚く理緒の口に指を当てて黙らせ、
ジュリアは言った。

「友達の精神中核。あなたが持っているんでしょう?
一緒に、友達を治しに行きましょう。
死ぬのはそれからでも遅くはないわ」

理緒はそれを聞いて、押し黙った。

「汀ちゃんの……中核……」

理緒はポケットに手を入れた。

病院服の、血まみれになったそこから、
ビー玉のような黄色く光る玉を取り出す。

「これ……」

「それを絶対に離しちゃ駄目。
あなたの大事な友達は、それを壊されたら生きる屍になるわ」

「汀ちゃん……」

「高畑汀さんに、会うんでしょう! しっかりしなさい!」

ジュリアがそう言ったときだった。

彼女らの背後の天井に、ビシッと音を立てて亀裂が走った。

そして轟音を立てて崩れ落ちる。

慌てて距離をとったジュリア達の目に、
無傷のスカイフィッシュが、
床に着地して立ち上がったのが見えた。

恐怖のあまりに、声も出せずに理緒がジュリアにしがみつく。

不意を突かれた形で、拳銃を持っていた黒人の男性が、
スカイフィッシュのチェーンソーに頭をカチ割られた。

あたりに絶叫と、血液と、脳漿と、
よく分からない物体が飛び散る。

スカイフィッシュは倒れた男を蹴り飛ばすと、
ドルンドルンと、血まみれのチェーンソーを鳴らした。

「ドクター高畑を早く!」

ジュリアが外に逃げながら、大声を上げる。

『今転送を開始しました! ダイブ開始まで十秒、九、八……』

スカイフィッシュが人間とは思えない動きで移動し、
大きくチェーンソーを振った。

ナイフを持っていたマインドスイーパー達が、
腹部を両断されて、驚愕の表情のまま二つになり、床に転がる。

一拍遅れて、あたりに噴水のように血の雨が降った。

スカイフィッシュは、ジュリアを守るように固まった
マインドスイーパー達に向かって飛び上がり、
チェーンソーを振り下ろそうとして――。

そこで、突っ込んできた人影に体当たりをされ、
そのまま背後の壁に、ひびが入るほどの衝撃でブチ当たった。

人影……病院服を翻した圭介は、押し付けられたまま、
チェーンソーの刃を回転させ、
こちらに向けたスカイフィッシュの腕を、
体全体で力を込めて押さえ、地面に転がっていた拳銃を蹴り上げた。

そして空中でそれをキャッチし、スカイフィッシュの眉間に当てて、
何度も引き金を引いた。

そのたびに、ビクンビクンとドクロの男の体が跳ねる。

圭介は返り血でびしょ濡れになりながら、
無言で、弾が切れた拳銃を横に振った。

それが刃渡り三十センチはある長大なサバイバルナイフに変質する。

彼はスカイフィッシュの喉にそれを突き立て、
壁に磔にすると、一歩下がって、殺されたマインドスイーパー達が
持っていたナイフを蹴り上げた。

そして一瞬でサバイバルナイフに変質させ、
一気に二本、スカイフィッシュの両腕に突き立てて壁に縫いとめる。

ガラン、とエンジンが切れたチェーンソーが床に転がった。

スカイフィッシュは、それでも、
体を刺すナイフの痛みが気にならないのか、
ゆっくりと壁から体を引き剥がしにかかった。

圭介はその一瞬を見過ごさなかった。

彼は考える間もなくチェーンソーを拾い上げると、
鎖を引っ張って起動させた。

そしてスカイフィッシュに回し蹴りを叩き込み、
また壁に縫いとめると、その胸にチェーンソーを叩き付けた。

凄まじい高音の叫び声が、あたりに響き渡った。

あたりを骨片や血液、よく分からない生物の内臓が飛び跳ねる。

チェーンソーは時間をかけてスカイフィッシュの胸を貫通すると、
コンクリートの壁に突き刺さって止まった。

それでもなお、スカイフィッシュはガクガクと震えながら、
かすかに動いていた。

圭介は息をつき、汗だくになりながらその場に膝をついた。

「ドクター高畑!」

呼吸が困難になっている圭介に、マインドスイーパーの一人が駆け寄り、
横にしてから何度か人工呼吸を行う。

しばらくして圭介は、自分に唇を合わせていた女性を押しのけ、
ジュリアに目をやった。

「理緒ちゃんを……降ろせ!」

「え……ええ、分かってる。分かってるわ……」

ジュリアは頷いて、理緒をそっと床に降ろした。

腰を抜かして、ペタリとしりもちをついた理緒に、
圭介は立ち上がって、
病院服のポケットに手を突っ込みながら近づいた。

「時間がない……やるんだ、理緒ちゃん」

問答無用に彼はそう言うと、
足元に転がっていたガレキを一つ手に取った。

それが拳銃に形を変える。
理緒に拳銃を握らせ、圭介はしゃがんで、
まだ動いているスカイフィッシュを見た。

「いいか、心臓を狙うんだ。君が殺さないと、
君のスカイフィッシュは死なない」

「先生達……どうして……」

「俺達もマインドスイーパーだったという話はしただろう」

理緒を突き放し、圭介は無理やり彼女の手を引いて立たせた。

「早く撃て! 何をしてる!」

「ドクター高畑! 乱暴はよして!」

ジュリアが間に割って入る。

それを鼻で笑い、圭介は言った。

「何だ、役立たずの一人か。ジュリア。
仲間を盾にしてまだ生きているとは、見上げた根性だよ」

「あなた……! どうしてすぐにダイブしてこなかったの!」

「スカイフィッシュが動きを止める瞬間を狙っていた。
何せ、俺は……」

そこまで言ってから言葉を飲み込み、
圭介は理緒の手に自分の手を添えた。

「撃てないか? 引き金を引くだけでいい」

「で……でも……でも、あの人……まだ生きて……」

ブルブルと震えている理緒に、苛立ったように圭介は言った。

「あれは生き物じゃない。ただのイメージだ」

「私そんな風に割り切れない……割り切れないよ……」

「じゃあ君を助けるために死んだマインドスイーパーは
どうでもいいっていうのか? 君は、それでもいいのかい?」

問いかけられ、理緒は動かぬ躯となった
マインドスイーパー達を見回した。

そして彼女はぎゅっ、と目をつむり。

引き金を引いた。

スカイフィッシュがビクッと跳ね、動かなくなる。

銃を取り落とし、両手で顔を覆った理緒を抱きしめ、
ジュリアが口を開く。

「よくやったわ。よく……」

「ジュリア、他のマインドスイーパーに理緒ちゃんを守らせろ。
外に出るんだ」

しかしそれを打ち消し、圭介が言った。

『外部からのハッキングだ! 止められない、転送されてくるぞ!』

大河内の声が聞こえる。

息を飲んだジュリアの目に、先ほど殺したスカイフィッシュと
同様の格好をした、しかしマスクはつけていない、
白色の髪をした少年の姿が映った。

一貴だった。

彼はチェーンソーを肩に担いで、
動かなくなったスカイフィッシュを見てから唇を噛んだ。

「……何てことを……」

一貴は、地面のガレキを二本のサバイバルナイフに変え、
前に進み出た圭介をにらみつけた。

「分裂精神を自分の手で殺させたのか!」

「それが『治療』だ」

圭介は淡々とそう言い、ナイフを構えた。

「あれが……ナンバーX……」

ジュリアはそう呟いてから、理緒を抱きかかえて
病院の外に向かって走り出した。

他のマインドスイーパー達もそれを追う。

横目でそれを見て、一貴はパチンと指を鳴らした。

病院の出口がグンニャリと形を変え、コンクリートの壁になる。

足を止めたジュリア達の方を向いて、彼は言った。

「逃がさないよ。なぎさちゃんの精神中核は僕がもらう」

「それをさせると思うか?」

振り返った一貴の目に、二本のサバイバルナイフを
振りかぶった圭介が飛び掛ってくるのが映った。

チェーンソーを振って日本刀に変え、
一貴はそれを弾いて何度かバク転をして後ろに下がった。

そして地面に膝をついて刀を構えながら、苦々しそうに圭介に言う。

「ヤブ医者が……! 分裂精神を殺させるなんて、聞いたことがない!」

「少なくとも俺の方法はそうなんだよ」

「自分の精神の半分を喪失するってことだぞ!
患者を強制的に心身喪失させるのが、お前達のやり方か!」

理緒はそれを聞いて、呆然としてジュリアを見た。

「心身……喪失……?」

ジュリアが目をそむける。

彼女の服を掴んで、理緒は真っ青になって言った。

「どういうことですか? 私に何をさせたんですか!」

「教えてあげるよ、片平さん。こいつらは、
君の感情の何かを壊させた。スカイフィッシュと一緒にね」

「どういう……こと……?」

一貴は歯を噛んで、サバイバルナイフを手に切りかかってきた
圭介の攻撃を、軽くいなしながら続けた。

「スカイフィッシュは、その人の精神が分裂したものだ。
だからそれは、感情そのものだといえる。
スカイフィッシュを殺すっていうことは、
確かに自殺病を防げるかもしれないけど、
感情が変化したスカイフィッシュを、
自分の手で殺すということは……」

一貴が圭介に日本刀を振り下ろす。

圭介はそれを、二本のサバイバルナイフで受けた。

そのまま刀を押し込みつつ、一貴は怒鳴った。

「こいつらのような、
『不完全な』人間になるっていうことなんだ!」

「言わせておけば……! 人間は元来不完全なものだ!
不完全なものを不完全に戻して、何が悪い!」

圭介がそう怒鳴り返し、一貴の腹に蹴りを叩き込む。

「ジュリア、何をしてる! 帰還の扉を構築させろ!」

怒鳴られたジュリアがハッとして、
周囲のマインドスイーパー達と目配せをする。

数人のマインドスイーパーが目を閉じて、意識を集中し始めた。

それにあわせて、コンクリートの壁に、
木造りのドアのようなものが浮かび上がってくる。

それを見て、一貴は舌打ちをした。

「させるかあ!」

叫んで起き上がり、圭介の足に日本刀を突き立てる。

太ももを貫通した日本刀は、そのまま肉を両断して、外側に抜けた。

圭介の太ももから凄まじい勢いで血が流れ出し、
彼は膝をつき、そして――。

頭を抑え、髪をかきむしった。

「うああああ! うわあああ!」

突然恐慌を起こしたかのように叫びだした圭介を、
ジュリアは青くなって見た。

「ドクター大河内! ドクター高畑のシナプスが危険域です、
遮断してください!」

『やっているが、もうすこしかかる!
あと三十秒ほど耐えてくれ!』

「はは! あははは! 時間切れか!」

日本刀をゆらゆらとさせながら、一貴は立ち上がって、
圭介の頭を思い切り蹴り上げた。

舌を噛んだのか、地面に転がった圭介の口から、
盛大に血が溢れ出す。

「若い頃にマインドスイープさせられすぎたせいで、
脳みその伝達機構がイカれちまってるんだ!
こうなればもう形無しだね」

もう一度一貴は圭介の腹に蹴りを入れ、
うずくまって動かなくなった彼に、日本刀を向けた。

「待って!」

そこで理緒が声を上げた。

彼女はジュリアの手を振り払い、圭介に駆け寄ると、
彼らの間に割って入り、手を広げた。

「……何してるの?」

一貴が呆れたように言う。

「理緒さん、戻って!」

ジュリアが叫んでいる。

理緒は震えながら一貴を睨みつけた。

「私の夢の中で、これ以上好き勝手しないで。
もう、そっとしておいて。お願い」

「こいつは、君の大事な記憶か感情を殺させた奴だよ。
庇う必要はないだろ」

そこまで言って、一貴は理緒の手をひねり上げた。

悲鳴を上げた彼女のポケットに手を突っ込み、
無造作に汀の精神中核を掴みだす。

「これはもらっていくよ」

そこまで彼が言った時だった。

理緒は無言で一貴の日本刀を奪い取ると、力いっぱい横に振った。

一瞬、一貴は何が起こったのかわからないといった顔で
ポカンとしていた。

ボトリ、と何かが落ちた。

一貴が、汀の精神中核を握っていた手が、上腕から両断されていた。

加えて脇腹が斬られていて、噴水のように血が流れ出す。

「へぇ……」

一貴はクスリと笑うと、理緒から手を離し、よろめいた。

「君は……いざとなればやれる子なんだね……」

理緒はそのまま、一貴の胸に日本刀を突きたてた。

彼女のひ弱な力でも、簡単に刃は貫通して向こう側に抜けた。

「ごめんなさい……工藤さん……」

理緒の目から涙が落ちる。

一貴はゆっくりと後ろ向きに倒れながら、
倒れ際、理緒の目を手で拭った。

「今のうちに泣いておくといい……」

ドサリ、と鈍重な音を立てて一貴が倒れる。

「多分もう、君は泣けない」

ゴポリと一貴が吐血する。

理緒は震えながら自分の肩を抱き、
そして扉が構築されたのを見て、ジュリアに言った。

「治療完了です」

「……あなた……」

返り血で濡れた理緒は、どこか無機的な目でジュリアを見ていた。

「私の夢から、出て行ってください」

そこで、彼女達の意識はブラックアウトした。



理緒は目を開けた。

何度も何度も切り刻んだ左腕が、ジクジクと痛む。

右腕には点滴が沢山つけられていた。

体が重い。

頭が痛い。

右手で頬を触ると、泣いていたのか、濡れていた。

悲しい?

悲しかった?

何が?

よく分からなかった。

何が悲しくて、何をどう苦しくて、何故泣いていたのか、
彼女は分からなかった。

そもそも、悲しいということはどういうことなのか。

苦しいというのは、どういうことなのか。

分からなくなっていた。

ぼんやりとした、霞がかかったような思考のまま上半身を、
やっとの思いで起こす。

そこで、カーテンの向こうにいたらしいジュリアが、
勢いよくカーテンを開けた。

「目を覚ましたわ!」

彼女が満面の笑顔で、理緒に駆け寄って抱きつく。

ジュリアは泣いていた。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

何度もそう呟くジュリアを、不思議そうに理緒は見た。

「何が……」

かすれた声でそう呟き、理緒は首を傾げた。

「どうしたんですか?」

「覚えてないの……?」

問いかけられ、理緒はまた首を傾げた。

部屋にいた大河内が、息をついて立ち上がる。

「……君は自殺病にかかったんだ。
高畑がダイブして、その元凶を破壊した。もう大丈夫だ」

「高畑先生が?」

抑揚のない声でそう言った理緒を、大河内は沈痛な面持ちで見た。

そして、小さな声で言う。

「高畑は今、意識混濁状態になっている。集中治療室に入ってるよ」

「そうなんですか」

頷いて、理緒はニッコリと笑った。

「……で、汀ちゃんはどこですか?」

その、どこか壊れたような笑顔は、何故か狂気を感じさせるものだった。



お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご感想などがございましたら、
お気軽に書き込みをいただけますと嬉しいです。

このスレでも引き続きよろしくお願いいたします。

それでは、今回は失礼させていただきます。

こんばんは。



圭介の自殺病治療後の持論と、一般的な治療の後の感覚は異なります。
本当は治って幸せなのかもしれませんし、生き残ってしまったこと
それ自体が不幸なのかもしれません。

圭介の複雑な表情に、その葛藤が含まれています。



元老院は、揶揄的な表現ではなく存在している組織です。
医療業界は二つの勢力に二分され、片方が「元老院」側、もう片方が
存在が表立ってはいない「機関」側となります。

圭介や大河内は機関に育てられた元マインドスイーパーです。
その後圭介は直接元老院側につき、大河内は元老院管轄の赤十字病院に
在籍していることになります。

元老院の存在は医療界では知れ渡っていますが、
一般人は赤十字病院の存在しか知りません。

ナンバーⅩ=一貴や岬達は機関に育てられた、いわば圭介達のような
マインドスイーパーです。



第14話を投稿させていただきます。

お楽しみいただけましたら幸いです。



全てがスクリプトだったら、どんなに楽だろう。

全てが全て、決められたことだったら、
どんなにか楽なことだろう。

だって、そのスクリプトの中でもがいて、
苦しんで、喚いていたって、結局は独り、
一人ぼっちであるという事実は変わらない。

スクリプトなら気が楽だ。

どんなに叫んでも、声が返ってくるわけはないのだから。

幸せそうな人たちがいた。

充実した生活を送っている人たちがいた。

隣の芝は青く見えるということわざがある。

それはことわざだが、えてして的を射ている。

でも、事実は事実だ。

スクリプトだろうがなんだろうが、周りを見回すと、
人々は全て、ちっぽけな幸せを持って生きている。

必ず、持って生きている。

ならば。

ならば、そのちっぽけさえ持っていない自分は、
一体何なんだろう。

生きてて楽しい? と頭の中の誰かが聞いた。

人生楽しい? と頭の中の誰かが聞いた。

楽しくはない。

楽しかったら、私は今ここにはいない。

そうだな。

苦しい、とは違うな。

悲しいな。

ただ、ひたすら、悲しいな。

それでも生きていってしまうであろう、私自身が悲しいな。

全てがスクリプトだったら、どんなに楽だろう。

そう考えて、また同じ結論にたどり着く。

私は袋小路の中に入り込んでしまっていた。

もう、出ることは出来ない。



★Karte.14 時間よ止まれ★



「はぁ、そうなんですか」

ぼんやりした声で理緒がそう言う。

大河内は身を乗り出して、彼女の肩を揺すった。

「どうした? まだ意識がはっきりしないのか?」

「私ははっきりしていますよ。問題ありません。
先生こそ、何を戸惑ってらっしゃるんですか?」

人形のように淡々と理緒はそう言い、鳥かごに手を突っ込んだ。

それは、赤十字病院に住む子供達が飼っていたインコの籠だった。

沢山の人達の言葉を覚え、人気があったマスコット的存在だった。

特に可愛がっていたのは理緒だった。

彼女が圭介の病院で暮らすことになってからは、
大河内が育てていたのだが、寿命か、昨日死んでしまったのだ。

仰向けになって硬直している小さなインコに、
泣いているマインドスイーパーの子達もいる。

全員が、一番優しかった理緒がどうするつもりなのか、
不安げな表情で見ていた。

理緒はぼんやりとした視線のまま、手の中で死んでいるインコを見た。

左腕には包帯が巻かれていて、長袖で隠れている。

右腕は点滴台を掴んでいて、いくつか、針が手の甲に刺さっていた。

「死んだんですか」

理緒は淡白にそう言って、左手でインコを掴み出すと、
大河内に向かって差し出した。

「で、いつ死んだんですか?」

「いつって……今朝方だと思うが……」

「じゃあそろそろ腐り始めますね。捨てた方がいいと思います」

ニッコリと笑って、理緒は無造作にゴミ箱に
インコの死骸を投げ捨てた。

彼女の凶行に、周囲が唖然とする。

「理緒ちゃん……!」

大河内が声を荒げかけ、部屋に入ってきたジュリアを見て、
言葉を止めた。

ジュリアはゴミ箱から大切そうにインコを掴み出すと、
紙に包んで胸に抱いた。

「片平さん、ちょっとお話があるの。お時間もらえるかしら」

「いいですよ」

インコを捨てた後だというのに、
何事もなかったかのように理緒は頷き、ジュリアの後に続いた。

ジュリアは近くのマインドスイーパーの頭を撫で

「後で埋めてあげましょうね」

と言ってから、理緒の手を掴んだ。

そして大河内と目配せをして、部屋を出る。

大河内もそれを追う。

マインドスイーパーの一人が、そこで大河内に囁いた。

「理緒ちゃん、どうしたんですか?
何だか様子がおかしいです……」

大河内は不安げな顔でこちらを見ている子供達を見回し、
立ち止まると、質問してきた子に微笑みかけた。

「何、今回の仕事はかなりのものだったからね。
理緒ちゃんも、現実と空想の区別がまだついていないんだろう。
しばらくああいう状態が続くと思うが、
みんな優しくしてやってくれ」



ジュリアの研究室に入り、促されるままソファーに座って、
理緒は息をついた。

急遽用意された研究室だったが、
きちんと整理整頓がなされていて、
所々に大きなぬいぐるみが飾ってある。

研究者の部屋というよりは、年頃の女性の部屋といった感じだ。

赤十字病院は、研究室といえども
二、三の部屋に分かれているので、そこに宿泊することも可能だ。

生活感が出ていても不思議ではない。

大河内も後から入ってきて、部屋の鍵を閉めた。

それを確認して、ジュリアは、
ミッフィーの大きなぬいぐるみを胸に抱いた理緒に目をやってから、
棚から取り出した桐の箱にインコを入れた。

大河内は立ったまま、ポケットに手を突っ込んで、
神妙な顔つきをしていた。

ジュリアはぬいぐるみを弄りながら
嬉しそうな顔をしている理緒に、口を開いた。

「片平さん。何か飲む? コーヒーは大丈夫かしら」

「ごめんなさい、私コーヒー駄目なんです」

「あら、そうなの。じゃあミルクを温めるから少し待っててね」

冷蔵庫から牛乳を取り出してカップに注ぎ、
電子レンジに入れるジュリアを見てから、
大河内は理緒に目を落とした。

「どうした……理緒ちゃん。君はそんな……
何というか、人形のような子ではなかったはずだ」

「どういうことですか?」

きょとんとして聞き返され、大河内は言葉に詰まった。

そして小さく唇をかんで、理緒から目をそらす。

「いや……分からないならいいんだ」

「はぁ、分からないので、じゃあいいんですね?」

機械的に問いかけられ、大河内は悲しそうな顔で頷いた。

それが全く気にならないのか、理緒はジュリアが差し出した
温かいミルクのカップを受け取り、口に運んだ。

「ありがとうございます」

「気にしないで。ドクター大河内はブラックでいいわね」

「すまないね」

手馴れた動作でバリスタを操作してカップをセットしてから、
ジュリアは理緒の正面に腰を下ろした。

「片平さん。元老院から正式な決定が下されたわ。
あなたは、これから特A級スイーパーとして扱われることになったわ」

「はぁ、そうなんですか」

どうでも良さそうに頷いた理緒に、ジュリアは続けた。

「特A級スイーパーは、日本には、あなたを含めて二人しかいないわ。
もう一人は言わなくても分かるわね?」

「はい。汀ちゃんですね」

「嬉しくないの? 給与手当ても、待遇面も、
今までとは段違いに良くなるわ」

「特には……別にそういう、大人の人の事情って、
私、よく分からないもので」

淡々とそう言い、理緒はミルクを口に運んだ。

ジュリアが怪訝そうな顔で大河内を見る。

大河内はしばらく押し黙った後、ジュリアの隣に腰を下ろした。

「理緒ちゃん。だいぶ紹介が遅れたが、
こちらは、ジュリア・エドシニア教授だ。
今回は君達を助けるために、アメリカから派遣されてきた。
私達と、昔仕事をしたことがある、元マインドスイーパーの一人だよ」

「とはいっても、私が出来ることなんて、
普通のダイブだけだったんだけれどもね」

微笑んだジュリアに、ミッフィーの人形を抱きながら理緒は笑い返した。

「わざわざ私なんかを助けに来てくれて、ありがとうございます」

「よく聞いてくれ」

大河内は含みをこめてそう言うと、
きょとんとした理緒を真正面から見た。

「君を助けるために、三人のマインドスイーパーが死亡した。
高畑はまだ目を覚まさない。そのことについて、君はどう思う?」

「そうなんですか」

理緒は首を傾げた。

「死んだんですか」

「高畑はまだ死んではいないよ」

「他の三人の人は、どうして死んだんですか?」

「スカイフィッシュの攻撃を防ぐことが出来なかった。
言うなれば、君の盾になったようなものだ」

どこか、大河内の口調に責めるような語気が混じってくる。

理緒は、それに全く動じることもなく、ただ淡々と言葉を口にした。

「はぁ、それはありがとうございます」

「ありがとう……?」

呆然とした大河内に、理緒は頷いた。

「いえ、私なんかのために命を落としてくれて、
勿体無いなぁと。それだけです」

「悲しいとか、苦しいとか、心に来るものは何かないのかい?」

「うーん……」

理緒は、意味が分からないという顔をしてから、息をついた。

「特には……」

逆に困ったような顔をされ、大河内は深くため息をついた。

「ドクター大河内。その話題はやめましょう。
この原因は、私達です」

「ジュリアさん、しかし……」

「この子を責めても何も変わりません。
お気持ちは分かりますが……」

「責めているわけではない。
責めるのなら、何も出来なかった私自身をだ」

大河内はもう一つため息をつき、バリスタの方に
歩いていったジュリアを目で追った。

「ドクター大河内のサポートは完璧でした。
目的も達成しました。確かに犠牲はありましたが、
私達はそれを覚悟してこのミッションに臨みました。
結果は上々です」

「上々……」

ジュリアからコーヒーを受け取り、
しかしそれに口をつけずに、大河内は声を荒げた。

「人が死んでいるのに、上々はないんではないですか?」

「上々です。それ以外の言葉は、見つかりません」

大河内の言葉を打ち消し、ジュリアはため息をついた。

その悲しそうな顔を見て、大河内が言葉を飲み込む。

「惜しむらくは、ドクター高畑がタイムアップにより、
テロリストの排除に失敗したことです。
これから、テロリスト達は、より慎重な行動をしてくることでしょう」

「テロリスト……」

そこで、大河内はハッとして理緒を見た。

「理緒ちゃん、まさかとは思うが……
君は、あのテロリストの少年と知り合いなのか?」

問いかけられ、理緒は特に隠す気配もなく、元気に頷いてみせた。

「はい」

「何だって……?」

大河内の顔が青くなる。

ジュリアも息を呑んで、そして声を低くして理緒に聞いた。

「どこで会ったの?」

「少し前に赤十字病院で会いました。
工藤一貴さんというらしいです。
あの人、テロリストなんですか?」

「工藤……一貴……」

そこまで言って、大河内は、自分が理緒に対して
何も説明していなかったことに気がついた。

言葉に詰まった彼を横目に、ジュリアが言葉を引き継いだ。

「彼の型番はX、十番目のナンバーズよ」

「ナンバーズ?」

「少し前に、特A級からS級のマインドスイーパーには、
ナンバーがつけられることになったの。
ちなみに、あなたはナンバー14に当たるわ」

「そうなんですか」

特に感慨はわかなそうに理緒は言うと、
大きくあくびをしてカップをテーブルに置いた。

「赤十字病院まで潜入してたのか……」

「監視映像を当たらせるわ。理緒ちゃん、いつ頃?」

「二ヶ月くらい前です」

「警備を強化させてくれ。今の奴らの狙いは理緒ちゃんだ」

「私、狙われてるんですか?」

首を傾げて、理緒は面白そうにフフフと笑った。

「何だか鬼ごっこみたいですね」

「理緒ちゃん、冗談を言っているんじゃ……」

「……そうよ、鬼ごっこ。
命をかけて、あなたは鬼ごっこをしなきゃいけないの」

しかしジュリアが大河内の声を打ち消した。

彼女はやるせない表情で理緒を見て、悲しそうに呟いた。

「ごめんなさい……
あなたを巻き込んでしまったのは、私達の落ち度だわ」

「どうして……謝るんですか?」

「分からなくてもいい。いいの……でも、謝らせて……」

「はぁ、そういうことなら……」

理緒は釈然としなさそうに頷いてから、小さく呟いた。

「汀ちゃんと遊びたいな……」

それを聞いて、大河内は一瞬押し黙った後、口を開いた。

「すぐに遊べるさ。君の力を使えば」

「本当ですか?」

「ああ。君が心の中に持っている、汀ちゃんの精神中核を、
無事に彼女の中に戻せば、汀ちゃんは目を覚ます」

「それなら簡単ですね」

頷いて、理緒は微笑んだ。

「精神中核がない人間の心の中って、赤ちゃんと同じですもの」

「その通りだよ。汀ちゃんのダイブには、君一人で入ってもらいたい。
私達は、外部からのハッキングを防ぐことに全力を尽くす」

「分かりました」

理緒は点滴台を適当に弄りながら、
どこか焦点が合わない目で大河内を見た。

「で、いつダイブするんですか?」



もう既に準備がなされていたようで、
理緒による汀へのダイブは、それから二時間後のことだった。

汀の横には、丸くなって眠っている小白がいる。

その頭を撫で、理緒は汀の手を握った。

「汀ちゃん……」

そう呟いて、彼女は口の端を吊り上げて、
形容しがたい、人形のような冷たい笑みを発した。

「おそろいだね、私達」

その冷たい、感情が麻痺したかのような顔を見て、
大河内が息を呑む。

ジュリアと他のマインドスイーパー達が、
計器を操作しながら目配せをした。

そして彼女は口を開いた。

「片平さん、いい?
汀さんの精神中核を元に戻すだけの簡単な作業よ。
精神中核を触れるあなたなら、一瞬で終わるはず。
時間は三分間に設定させてもらうわ」

「いいですよ。それで」

理緒とは思えないほど、単純に、即決に彼女は言うと、
自分でヘッドセットを被った。

「いいか、理緒ちゃん。精神中核を戻した途端に、
精神世界が構築されて、汀ちゃんのスカイフィッシュが現れるかもしれない。
そのときは、上手くフォローして逃げてくれ」

「はい」

頷いて、理緒はニッコリと笑った。

「まぁ、死んだらその時はその時でお願いします」



理緒は目を開いた。

そこは、いつかダイブした赤ん坊の意識にそっくりな空間だった。

白い珊瑚礁の砂浜に、真っ青な海、
エメラルドブルーの空が広がる空間だった。

それ以外何もない。

波打つ水の音が周囲を包んでいた。

理緒は周りを見回した。

少し離れた場所に、びっくりドンキーのテーブルが、
砂浜にポツリと置いてあった。

「ダイブ完了しました。精神中核を入れる箱を見つけました」

理緒の足元に、小白が擦り寄ってニャーと鳴く。

「小白ちゃんも見つけました」

そう言った理緒は、ヘッドセットからノイズ音しか
返ってこないのに疑問を感じ、何度かスイッチを操作した。

しかし、ヘッドセットから反応がない。

壊れた……ということは考えられない。

これはイメージで作られた特殊な器具だ。

現実のものではない。

外的衝撃が加わったわけでもないのに、
故障ということはありえないのだ。

考えられる原因は三つ。

外部からのハッキングか。

オペレーションを行う側に何らかの不具合が生じたか。

そして最後に、『時間軸の不一致』か。

理緒は、ぼんやりとそんなことを考えながら、
小白を抱き上げて胸に抱えた。

通信が使えなくなって、普通だったら取り乱して泣き叫ぶところを、
理緒はいつもの彼女とは百八十度違い、
冷静極まりない頭で整理していた。

先ず一つ。

外部からのハッキング。

その兆候はない。

次に二つ目。

これは、ダイブしている側の自分にはどうすることもできない。

ダイブ時間内に、回復してくれることを祈るばかりだ。

そして問題の三つ目。

おぼろげに、昔医師に聞いたことのある事を思い出す。

「時間軸の不一致かぁ……」

口に出して呟く。

夢を見ていて、たった五分寝ただけなのに、
何時間も経っていると感じたことはないだろうか。

その現象だ。

つまり、精神世界内の時間軸が安定せず、
現実世界の一分が何十時間になったりもすることがある。

あくまで体感的なものであり、そんな患者は極めて稀だったのだが、
理緒は随分前に、時間軸が現実と精神で合致していない
赤ん坊の治療を行ったことがあった。

そのときも、このように通信が使えなくなった。

その時の症例に、よく似ている。

理緒はしゃがみこみ、足元の砂を手に取った。

そして、ゆっくりと下に落とす。

砂は、落ちなかった。

ある程度の塊になって、空中に留まっている。

いや、見えるか、見えないかの速度でものすごく
スローモーションに落ちている。

海の波はきちんと動いて時間を刻んでいるため、不思議な光景だ。

理緒は、小さくクスリと笑うと、あたりに砂を撒き散らした。

まるで星空のように、
彼女を取り囲んで白い珊瑚礁砂が空中に静止する。

小白がニャーと鳴いて、砂を手でカリカリと掻いた。

「こんなところにずっといたんだ。何年じっとしてたの?」

砂の落ち方から見ると、推定一分あたりが
百倍ほどの長さに延長されているようだ。

どことなく老猫のようになっている小白に、
理緒は穏やかな顔で聞いた。

言葉が分かるのか、小白はニャーと鳴いて目を伏せた。

「そっか。早く起こしてあげなきゃね」

病院服のポケットから、黄色に輝く汀の精神中核を取り出し、
理緒はニッコリと笑った。

そう言って理緒は、びっくりドンキーのソファーに腰を下ろした。

そしてメニューを広げる。

そこには何も書いていなかった。

精神中核をつまんで、メニューの中にポトリと落とす。

中核はドロリと溶けると、たちまち白いメニューの中に広がった。

それが写真や文字を形作り、たちまち食事メニューを形成する。

瞬きをした次の瞬間だった。

そこは、びっくりドンキーの店内だった。

いつも汀達が座っている席だ。

目の前には、山盛りのメリーゴーランドのパフェ。

理緒の目の前には、汀がぼんやりと、
定まらない視線で腰を下ろしていた。

小白がニャーと鳴いて、汀に駆け寄る。

理緒は嬉しそうに笑って、スプーンを手にとって、
パフェを口に運んだ。

「おはよ、汀ちゃん」

呼びかけられ、汀は目を開き理緒を見た。

そして、信じられないといった顔で、自分の顔や胸を触る。

全くの健康体。いつもの病院服だ。

「理緒ちゃん……?」

怪訝そうにそう聞いて、汀は珍しくどもりながら言った。

「わ……私、私……確かに撃ち殺されて……」

「汀ちゃんは死んでなんていないよ。
一時的に仮死状態になっただけ。何も問題はないの」

「理緒ちゃん……?」

いつもの喋り方と違い、淡々と口を開く理緒に、
不思議な目を理緒は向けた。

「……誰?」

しばらく考えて、汀はソファーから腰を浮かせて、身構えた。

理緒はきょとんとしてから、左腕に巻いた包帯を見た。

「ああ、これ?」

あっけらかんとそう言って、理緒は包帯を解いた。

凄まじい量の切り傷が、痛々しい様相を呈していた。

まだ血がにじんでいる縫い傷もある。

呆気に取られた汀を尻目に、
ケラケラと笑いながら、理緒は言った。

「私、自殺病にかかっちゃって。
スカイフィッシュ症候群っていうのかな?
それでね、治してもらったんだけど、
どこか頭のネジが抜けちゃったみたいで、みんな変な顔するの」

「スカイフィッシュ症候群……? 嘘……!」

立ち上がった汀を淡々とした目で見て、理緒は続けた。

「嘘じゃないよ。何だかね、起きてからずっと、頭の奥のほうに、
何かがつっかえてる気がするんだけど、何だか分からないの。
私、おかしい?」

「心神喪失……圭介に何をされたの!」

「スカイフィッシュを、私の手で殺したんだよ」

理緒の言葉に、汀は絶句して手で口を抑えた。

「そんな……嘘……そんな、酷い……酷すぎる……」

「一貴さんもそう言ってたけど、私は普通だよ?
でも、私を助けるために三人もマインドスイーパーが
死んじゃったんだって。ね、汀ちゃん。
お金とか請求されるのかな?」

「理緒ちゃん……理緒ちゃん」

言葉に詰まり、汀はよろよろと理緒に近づくと、
その体をぎゅ、と抱きしめた。

「汀ちゃん……?」

「理緒ちゃん!」

汀は強く唇を噛んだ後、両目から涙を流した。

「ごめん……ごめんなさい……私、私、
たった一人の友達なのに……友達なのに……!」

「友達だよ? 私達はずっと、友達じゃない?」

「私、理緒ちゃんに何もしてあげられない……
もう理緒ちゃん、元に戻れない……
私のせいだ……元老院が、私のせいでそんなことさせたんだ……!」

「何泣いてるの? 汀ちゃん、ちょっとおかしいよ?」

「うう……ぐっ……」

何度かしゃっくりを上げて、
汀は理緒に背中を撫でられながら息を整えた。

そして、ニッコリと笑っている理緒と顔をつき合わせる。

「大丈夫。汀ちゃんは私が守るよ。だって、私達、友達じゃない」

それを聞いて、汀はサッと顔を青くして周囲を見回した。

いつの間にか、ガヤガヤとしていた周囲の声がピタリと止まっていた。

行きかっていた人々の動きも停止している。

まるでDVDを一時停止させたかのような感覚だ。

「え……」

「まだ時間軸が元にもどらない……汀ちゃん、私に任せてね?」

可愛らしく首を傾げて笑う理緒の背後にいた人間の体が、
風船のようにボコリと膨らんだ。

「いや……いや……」

耳を押さえて首を振った汀の前で、次々と人々の体が膨らんでいく。

服が弾け、肉が飛び散り、血液が吹き荒れ、まるで脱皮するかのように、
人間の皮の中から、ズルリと奇妙なモノが這い出してきた。

まるで玉のような胴体に、ムカデを連想とさせる足が沢山ついている。

胴体から伸びる体には幾十もの腕。

腕にはそれぞれナタが掴まれている。
ドクロのマスク。

「スカイフィッシュのオートマトンだ……」

震えながら汀はそう呟いた。

五十は下らないだろうか。

血の海と化したびっくりドンキーの店内に、
その奇妙な生物がカサカサと動き出す。

「オートマトン……?」

聞き返した理緒に、汀は過呼吸になりかけながら答えた。

「理緒ちゃんだけでも逃げて……
分裂型スカイフィッシュは、自分のダミーを無限に作り出せるの……」

「逃げる? どうして?」

全く恐怖を感じていないのか、理緒はニコニコしながら前に進み出た。

「汀ちゃん、私のこと嫌い?」

「理緒ちゃん! 遊びじゃないの! 死んじゃうよ!」

「答えて」

理緒はそう言って、手にコップを持った。

それがぐんにゃりと形を変え、出刃包丁に変わる。

「変質……」

呆然と呟いた汀に、理緒はもう一度問いかけた。

「汀ちゃんは、私のこと嫌い?」

「違うよ……私、私……理緒ちゃんのこと、大好きだよ……」

「私もだよ」

満足そうに頷いて、理緒は悠々とオートマトンに対して足を進めた。

一瞬後、理緒の体が掻き消えるようにして視界からなくなった。

オートマトンの首が飛んだ。

理緒が、知覚することも出来ないほどの動きで、
地面を蹴り、自分の身長ほども飛び上がったのだった。

ゴロンゴロンとオートマトンの首が転がる。

それは汀の前まで転がっていくと、ケタケタと哂って、爆散した。

血まみれになりながら硬直した汀の目に、
あろうことか、天井に『着地』した理緒の姿が映る。

理緒は重力を完全に無視した動きで天井を蹴ると、
落下ざまに、近くにいたオートマトン、三体の首を、
回転しながら抉り斬った。

そこには、怖い怖いと震えていた少女の姿はもうなかった。

あったのは、ただ機械的に敵を駆逐する。

それだけの、プログラムのような存在。

またオートマトンの首が転がる。

汀でさえも知覚出来ないほどの動きで、
理緒はオートマトンの首を切り落としていく。

敵は、全く反応できていなかった。

「やめて……」

しかし、汀は小さく、震える声でそう言った。

目を見開き、ニコニコと笑った理緒が、壁に『着地』する。

その鼻から、タラリと鼻血が垂れた。

「理緒ちゃん死んじゃう! やめてえええ!」

オートマトンの一体が、腹部まで両断されて地面に転がる。

そこで、ザザッ、という音がして理緒の耳についている
ヘッドセットの通信が回復した。

『片平さん! 状況を説明して!』

踊るようにオートマトンの首を切りながら、
理緒は息を切らすこともなく言った。

「分裂型スカイフィッシュとかいうのに囲まれてます。
沢山殺しましたけど、キリがありません」

『殺した……? あなたが……?』

絶句したジュリアの声に、理緒はあっけらかんと笑った。

「あはは! 面白いですね! 夢の中って、
こうやって動くものだったんだ!」

「理緒ちゃん駄目! 脳を過剰に動かすと、本当に死んじゃう!」

両方の鼻の穴から血液を垂れ流している理緒に、
泣きながら汀が叫ぶ。

それを聞いて、ヘッドセットの向こうで大河内が大声を上げた。

『理緒ちゃん、脱出するんだ。ダイブの時間はあと二分だ。
分裂型スカイフィッシュは、本体を倒さないと何の意味もない』

「でも、でも先生! 面白い!」

正気を失ったように笑いながら、
理緒はオートマトンの頭に包丁を突き立てた。

「人を殺すのって、凄く面白い!」

『理緒ちゃん、脱出しろ!』

大河内が怒鳴る。

しかしそれに構わず、理緒は暴れ続けた。

『強制的に切断しますか?』

ジュリアの声に、大河内が息を切らせながら答える。

『駄目です! 汀ちゃんの精神が安定していません。
今切断は出来ません!』

汀は、ガチガチと歯を鳴らしながら、
飛び散った血液でぬるりとぬめるテーブルに手をついて、
腰を抜かしたまま、何とか立ち上がった。

そして、よろよろと理緒に向かって歩き出す。

理緒が、地面を滑りながら汀の脇に移動した。

「待っててね汀ちゃん! すぐに皆殺しに……」

「理緒ちゃん」

汀は、そっと理緒の肩に手を回し、抱き寄せた。

「そんなに……無理しなくてもいいんだよ」

耳元で、そっと囁く。

理緒は少しの間きょとんとしていたが、
目を手でごしごしとこすった。

「あれ……? 血が目に入ったかな……」

理緒は泣いていた。

自分でも何故か分からないのだろう。

混乱しながら、理緒は目を拭う。

「あれ……? あれ……?」

「帰ろ。もう、帰ろ?」

汀にそう言われ、理緒は深く息をついて、
自分達を遠巻きにしているオートマトンを、
名残惜しそうに見回した。

そして包丁を脇に投げ捨てる。

「分かったよ。汀ちゃんがそう言うんなら」

「小白。帰るよ」

汀がそう言って、小白を床に放る。

ポン、という音がして、巨大な化け猫に変わった
小白の背に乗り、二人の少女は、手を絡ませあった。

「汀ちゃん……どうして泣いてるの?」

泣笑いながら理緒がそう聞く。

血まみれの顔でそう聞く。

汀はしゃっくりをあげながら、自分の顔を両手で覆った。

小白がオートマトンを薙ぎ倒しながら
びっくりドンキーの出口に向かって走り出す。

そして、扉に向かって体当たりをした。

そこで、彼女達の意識はブラックアウトした。



「どういうことなの、せんせ……?」

汀はかすれた声で、ベッドに横になりながら
大河内に向かって言った。

「汀さん、それは……」

「あなたとは話してない……」

ジュリアの声を打ち消し、
汀は俯いたままの大河内に問いかけた。

「嘘だよね……? せんせが、そんな酷いことさせるわけないよね?
理緒ちゃんを、壊すわけないよね?」

すがるようにそう言われ、しかし大河内は答えずに、
汀の隣に腰を下ろした。

「理緒ちゃんには少し眠ってもらった。
理性的な話が出来るような状態ではないからね……」

「せんせ!」

悲鳴を上げた汀に、大河内はつらそうな顔で答えた。

「全て、ジュリアさんが説明したとおりだよ、汀ちゃん。
君を助けるために、私達は、片平理緒ちゃんの精神を壊した」

それを聞いて、汀は唖然として言葉を飲み込んだ。

しばらく葛藤してから、彼女は大河内を涙目で睨んだ。

「……人でなし……!」

押し殺した声は、大河内の心を直撃したらしかった。

言葉を発しようとして失敗した彼の肩を叩き、
ジュリアが首を振る。

そして彼女は口を開いた。

「私達を、どんなに非難してくれても構わないわ。
それだけのことをしたのですもの。
でも、現にあなたも、片平さんも無事に生きています。
その事実を、厳粛に受け止めてください」

「…………」

言い返す気力がないのか、汀は俯いて唇を噛んだ。

しばらくして、彼女はぼんやりと呟いた。

「……圭介は?」

「片平さんを助けるために、スカイフィッシュと戦って、
シナプスの臨界点を超えたために、意識不明の重態よ。
深追いしたのが悪かったの……」

「殺してやる……」

汀が、小さく呟いた。

その不穏な言葉に、ジュリアと大河内が息を呑む。

「工藤一貴……あの男、殺してやる……」

ギリ、と歯が鳴るほど噛み締め、
汀は動く右手を力いっぱい握り締めた。

彼女の脇で眠っていた小白が起き上がり、
怪訝そうにその顔を見上げたほどだった。

「汀ちゃん……滅多なことを言うものではない。
それに、ナンバーXは特異なタイプだ。君では殺せない」

大河内が息を吐いてから言った。

汀は口の端を歪め、そして続けた。

「出来るよ。私もスカイフィッシュになればいいんだ」

「汀さん、それはいけない!」

ジュリアが青くなって叫んだ。

そして汀の肩を掴んで、強く引いた。

悲鳴を上げて硬直した汀に、ジュリアは押し殺した声で言った。

「あなたを助けるために、沢山の人が死にました。
沢山の犠牲を払っています。
それで、あなたがスカイフィッシュ変異体になったら、
元も子もない。
医者としての私達と、あなた自身を愚弄する気ですか!」

「離してよ……」

「いいえ離しません。あなたは人を殺すために、
マインドスイーパーになったんですか? 違うでしょう!
人を助けるためにマインドスイーパーになったんでしょう!」

耳元で怒鳴られ、汀はハッとしてジュリアを見た。

「人を……助ける……」

「ええ……ええ! そう。あなたは人を助けるために、
マインドスイーパーになった。違う?」

「どうしてそれを知ってるの?」

問いかけられ、ジュリアは一瞬置いて汀から目をそらし
肩から手を離した。

そこで大河内が、汀の隣に移動してジュリアを見た。

「私も聞きたいな。高畑が元特A級のマインドスイーパーだったことは、
私達と元老院しか知らない極秘事項だったはずだ。
どうしてあなたがそれを知っていた?」

「それは……」

「昔一緒にダイブしたことがあると仰っていたな。
いつ、どのような案件か聞いてもいいだろうか?」

「…………」

「黙秘するのか?」

いつになく厳しい口調で問い詰める大河内を見上げ、
そこから目をそらして汀は歯を噛んだ。

「あなた……誰なの?」

「私は……」

ジュリアはしばらく考えてから答えた。

「……私は、『機関』から派遣されてきました。
ナンバーズの回収を目的としています」

「機関……だって?」

大河内が唖然として色を失う。

ジュリアは表情を変えず、大河内を見た。

「知っているのですか? ドクター大河内」

「…………」

「今度はあなたが黙秘ですか……まぁいいでしょう。
私の受けている任務は二つ。
ナンバーズの保護、そして敵対するナンバーズの排除です。
そのための手段は問いません」

「言うことを聞かないマインドスイーパーは殺してこいってこと?」

汀が小さな声でそう聞く。

ジュリアは寂しそうに微笑んで、答えた。

「ええ。今回は『失敗』しました。
しかし、片平理緒さんを特A級スイーパーに認定し、
ナンバーズに迎え入れることに成功しました。
機関は、その功績に大きく喜んでいます」

「機関って何? 私達をどうするつもりなの?」

汀がそう問い詰める。

しかしジュリアは椅子を立ち上がると、
出口に向かって歩き出した。

「逃げるの?」

挑発的に言葉を投げつけられ、彼女は足を止めた。

そして振り返らずに言う。

「……今はゆっくり休んでください。
お話は、後ほどゆっくりとさせてもらいます」

部屋を出て行くジュリアを見送ることしか出来ず、
汀はまた歯噛みした。

それを見て、大河内が口を開きかけ、
しかし言葉を出すことに失敗してまた口を閉じる。

彼は息をついて、髪をガシガシと、困ったように掻いた。

そして汀に言う。

「機関というのは、赤十字病院を統括している、
元老院と対を成す組織だよ。
世界中の病院は、機関と元老院が統括してる。
機関は研究側、元老院は実習側だ。
言うなれば、機関は病院側のラボだよ」

「人体実験を行ってるの?」

汀にそう問いかけられ、大河内は口をつぐんだ。

「せんせ、どうして私に隠し事をするの?
私のこと、嫌いになっちゃったの?」

すがるように汀に言われ、しかし大河内は答えなかった。

汀の目に涙が盛り上がる。

大河内は唇を噛んでから、小さな声で言った。

「汀ちゃんのことが嫌いになったんじゃない。
ただ、世の中には、子供は知らない方がいいこともあるんだ」

「私はもう子供じゃない!」

ヒステリーを起こしたように甲高い声で怒鳴った汀を見て、
大河内は首を振った。

「……すまない。君はもう、十分に大人だったな。
でも、知らない方が幸せなことは、世の中に沢山あるんだ。
汀ちゃんには幸せになって欲しい。
だから、知らないでいて欲しいんだ」

「せんせのお話が難しくてよく分からないよ……」

「それでいい。だから、汀ちゃんは、そのままでいてくれ。
殺したいなんて、悲しいことを言わないで、
ナンバーXも助けてあげることが出来る人になるんだ」

「あの人を……助ける?」

「患者を助けるのが、医者の役割だろう?」

問いかけられ、汀は唇を噛んだ。

「そんな風に……割り切れないよ……」

彼女の呟きは、空調の音にまぎれて消えた。



凄まじい音を立てながら、一貴が、岬の持っている洗面器に
胃の中のものをぶちまけた。

赤黒く、血が混じっている。

「いっくん……いっくん!」

青くなって岬が一貴の名前を呼ぶ。

その様子を見ながら、結城が息をついた。

「先生、いっくんが……いっくんがまた血を……」

「分かってる。
見れば分かることをキャンキャン喚かないでよ、うっとおしい」

髪の毛を後ろでまとめ、結城は一貴の背中をさすった。

「おい、お前また言うことを聞かずにダイブしたな。
隠し事が出来ない体なんだよ、お前は」

一貴は答えようとしたが、またくぐもった声を上げて吐血した。

深くため息をついて、
結城はポケットから出した注射器の中の金色の薬を、
一貴の右上腕に刺して押し込んだ。

「少し我慢しろ。すぐ良くなる」

彼女が言った通り、一貴の真っ青な顔に、
しばらくして血色が戻り、彼は体を弛緩させてベッドに倒れこんだ。

「いっくん!」

岬が、慌てて洗面器を台に置いて、彼を抱きとめる。

「いちゃつくなら別のとこでしてくれないか?」

かったるそうに呟いた結城を睨んで、岬は言った。

「いっくんがこんな調子だって言うのに……
どうしてそんなに冷静なんですか!」

「自業自得だろ。こいつは、自分で望んで自分の命を縮めてるんだ。
あたしの知ったこっちゃないね」

「先生!」

「うるさいな……また一貴がどうかしたの?」

そこで、別の少年の声がした。

岬が青くなり、一貴を守るように、彼に覆いかぶさった。

「た……たーくん……」

カチュン、カチュン、と金属の音を立てながら、
中肉中背の、白髪で猫背な男の子が部屋に入ってきた。

目にはくっきりとクマが浮いている。

「起きたのか、忠信(ただのぶ)」

呼ばれて、忠信と言われた少年は、突っ伏している一貴と
岬を見てから、手に持っていた、刃渡り十五センチほどの
バタフライナイフを、器用に指先でくるくると回し、
曲芸師のように空中に放り投げ、見もせずに折りたたんで手に掴んだ。

忠信は、岬を見てから呆れたように言った。

「みっちゃん、まだ俺のこと警戒してるの?」

「仕方ないだろう。とりあえずナイフを仕舞え」

結城にそう言われ、忠信は腕を振り、
一瞬でバタフライナイフの刃を出すと、
結城の眼前にそれを突きつけた。

「……俺に指図すんじゃねぇよ」

「いいや指図するね。お前らが生きていられるのは
あたしのおかげだ。自覚しろ、クソガキ」

「言ってくれるじゃねぇか、クソババァ」

睨み合う二人を横目に、岬は強く一貴を抱き寄せた。

そして、視線が定まらない彼の耳元でそっと囁く。

「大丈夫。あたしが守るから……大丈夫」

忠信は岬を見てから、ナイフを一閃して結城の白衣の胸を切り裂いた。

力加減をしたのか、服がめくれ、彼女の下着が露になる。

「それとも、あんたが俺の相手をしてくれるってわけ?」

「いい加減にしろよ……」

結城が歯を噛む。

彼女をおちょくるようにナイフをひらひらと振ってから、
彼は音を立てて刃を回転させ、それを仕舞った。

そしてカチョカチョと揺らしながら、岬を見る。

「何、その目」

「た、たーくん……危ないよ……?」

「いいねその目。抉り取りたいくらいだ」

そう言って無邪気に笑い、彼は結城に言った。

「で、一貴はまた失敗したの?」

「見ての通りだ」

ぶっきらぼうに結城がそう返す。

忠信はニヤリと裂けそうなほど口を開いて笑った。

「分かった。じゃあ次は俺が行くよ」

「何?」

岬も驚いたように顔を上げる。

「いい加減、おイタが過ぎるんじゃないかな、
なぎさちゃん。俺がきっかり殺してくる」

「駄目だよたーくん! なぎさちゃんは、あたし達の大切な……」

「大切な……何?」

無機質な表情で、忠信はバタフライナイフを回転させ、
岬の頭に当てた。

岬が震えながら一貴に抱きついて目を閉じる。

忠信はニヤニヤと笑いながら、
岬の下着をナイフの刃でなぞりつつ、言った。

「……ああ、そう。大切な友達だからね」

彼のどこか狂ったような言葉は、しばらくの間空中を漂っていた。



お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご感想などがございましたら、
お気軽に書き込みをいただけますと嬉しいです。

それでは、今回は失礼させていただきます。

>>130
>機関は研究側、元老院は実習側だ。


【機関】とは研究者の集まり、【元老院】は臨床医と病院経営者の集まり。二つは対立しているのではなく縦割りの関係で、それでテロ攻撃への対応で連携が遅れた。
【機関】はようやくジュリア先生を派遣したが、この機会に最優秀のナンバーズ=汀を取り戻したい下心が丸見え。そのために理緒をにわかナンバーズに仕立てて使い潰す気でいる。
ジュリアは個人的には忸怩たる思いがあるようだが任務は別だ。
高畑は全て解っていて理緒に施術した………という状況理解でOK?



この物語の性格上あんまり設定厨になってもしょうがないと思うんだけど、サスペンス展開が凄まじ過ぎてついて行くのが大変!

おはようございます。



>>146
詳しい補足、ありがとうございます。

機関は表立っての組織ではないため、存在や内情を知らない医師が多いです。
赤十字病院は機関の表面的な部分とは繋がっています。
元老院も同様です。

圭介が元特A級マインドスイーパーだったことが知られていないように、
現在の医師達は元老院も機関も、そこに在籍している人間の名前さえも
大概は分かっていないです。

それゆえ、ジュリアが自分は機関所属だと名乗ったのは、
かなりの異例中の異例であると言えます。



それでは、15話を投稿させて頂きます。

お楽しみいただけましたら幸いです。



 「B級とA級のマインドスイーパー達が
ダイブできない状況が続いているわ。
あなたたちに『治療』をお願いしたいの」

会議室に集められた少女達がジュリアを見ていた。

理緒は、大事そうに汀の車椅子を持っている。

汀は、どこか暗い瞳でジュリアを睨んでいた。

その膝には小白が丸まって眠っている。

最近、とみに眠っていることが多くなった。

まだ子猫だというのに、あまり活発な動きをすることがない。

大河内は、汀の精神世界の中で長時間過ごしすぎたためだと言っていたが、
それも汀の心を暗くしている一つの要因だった。

「何よ……完全なテロ行為じゃない。
医療行為の妨害なんて、信じられない……」

その隣の椅子に腰掛けた、ソフィーが口を開いた。

彼女は、左肩から下をギプスで固定して、
三角巾で首から吊っている。

汀の精神世界でスカイフィッシュに斬られてから、
彼女の左腕は機能しなくなっていた。

「フランスの赤十字は何て言ってるの?」

ソフィーがジュリアにそう問いかけると、
彼女は頷いて資料をめくった。

「今は、ソフィーさんの身柄の安全を確保することを最優先に、
ということよ。だから、危険なダイブは当然あなたには避けてもらうわ」

「相手は、日本の赤十字のセキュリティを潜り抜けて、
精神遠隔操作までしてきて、強制的にダイブしてくるのでしょう?
ネットワークを通じてマインドスイープする機構がある以上、
その脅威はどんな状態でも避けることは出来ないわ。
今、狙われているこの二人をマインドスイープさせることが一番危険だと、
私は思うのだけれど」

ソフィーに指差され、汀が眉をひそめる。

ジュリアが少し考えて答えた。

「そうね……でも、こうしている間にも、一般外来の自殺病患者の
死亡数は増えていくばかりだわ。
一定以上の成果が期待できるマインドスイープを行えるスイーパーは、
あなた達しか、現状残っていないの」

「フランス赤十字から、増援の派遣は?」

「世界中に要請しているわ。警察も本格的に動いてる。
ここ数日の辛抱だと思うけれど、私達が医者である以上、
目の前で苦しんでいる人を助けなければいけない使命は
変わらないと思うの。だから、あなた達の意思に任せることにしたわ」

ジュリアがそう言うと、ソフィーは鼻を鳴らして馬鹿にしたように笑った。

「ていのいい言葉ね。結局はダイブを強制したいんじゃない」

「そう受け取るならそれでもいいわ。汀さん、片平さんはどうかしら?」

汀はしばらくジュリアを睨んでいたが、息をついて答えた。

「……私は人を助ける。重篤な患者からダイブしていくわ」

「汀ちゃんが行くなら、私も行く」

理緒が微笑みながら頷く。

ジュリアがそれを聞いて、安心したように息をついた。

しかし汀は、低い声で続けた。

「人体実験をしたいなら、いくらでもすればいい。
あなた達の思惑には乗らない」

「……どういうことかしら?」

「とぼけるつもり?」

ジュリアと汀が数秒間睨み合う。

そこで部屋の扉を開けて、大河内が入ってきた。

「重度の患者が、また死亡した。今日助けられる見込みがあるのは、
あと三人だ。早くしてくれ」

「二人とも、行きましょう。私達しかダイブできないなら、
どの道ダイブしなければ患者は死ぬわ。
たとえ中が『戦場』になったとしても、仕方がないことだと思う」

ソフィーがそう言う。

汀はしばらく考えて

「……そうね」

と呟き、表情を暗くした。



★Karte.15 医者と患者★



「僕らの記憶を共有しよう」

いっくんがそう言った。

私達は、手を繋いで円を作り、その花畑の中に立っていた。

四葉のクローバーが無限に広がるその空間に。

「共有……ってどういうこと?」

みっちゃんが首を傾げる。

いっくんは笑い、そして続けた。

「この先、何かがあって、僕らの中の何かがどう狂うか分からない。
だから、僕らは、今のままの僕らでいられるように、
忘れない一つの記憶を共有するんだ。
そうすれば、離れ離れになっても、また会ったときに思い出せる。
お互いのことを」

たーくんが苦笑しながらそれに続けた。

「一貴と話したんだけどさ、俺たちはいつ離れ離れになるか、
いつここに集まることが出来なくなるか、
分かんないらしいんだ。特に、なぎさちゃんなんてそうだろ?」

問いかけられ、私は頷いた。

「うん……」

みんなと会えなくなる。

この世界が、現実ではなくなる?

そう考えるだけで、私の胸は張り裂けそうだった。

だから、私は乗った。

彼の、悪魔の提案に。

分かってはいた。

分かってはいたはずなのに。

私は、孤独でいるよりも、その「恐怖」を共有する道を選んだ。

みんなを忘れないように。

いつか、きっとまた。

ここで、みんなと遊べますようにと、単純な願いのために。

だから、私は。

笑って、いっくんの手を握った。

「いいよ。同じ夢を見よう」

「私も。いっくん達と同じ夢を見れるなら、悪夢でも構わない」

「俺も、それでいいよ」

みっちゃんとたーくんがそう言う。

いっくんは頷いて、そして目を閉じてから言った。

「僕は今から、みんなの心の中に僕の記憶……
僕の悪夢の元を埋め込む。
最初はそれに苦しむだろうけど、身を任せるんだ。
悪夢に逆らおうと考えずに、悪夢になるんだ。このように」

いっくんの体がざわつく。

髪がひとりでに風になびいたように逆立ち、
服が体に巻きついて形を変える。

髪の毛はドクロのマスクに。

病院服は薄汚れたジーンズとシャツに。

思わず後ずさった私達を見回して、いっくんは息をついた。

「そう怯えなくてもいいよ。すぐに見慣れる」

瞬きする間に、いっくんの姿は元に戻っていた。

彼は、私達の手を握りなおすと言った。

「さぁ、僕と同じところに、みんなも早く来るんだ。
待ってるから。ずっと」



「高畑汀!」

フルネームで名前を叫ばれ、汀はハッとしてその場を飛びのいた。

今まで汀が立っていた場所に、首狩り鎌のような、
巨大な、湾曲した鎌が突き刺さった。

「汀ちゃん!」

理緒が大声を上げて、汀を引き寄せて地面を転がる。

鎌がザリザリと音を立てて地面を抉り、脇に大きく振られたのだった。

二人の頭の上を、鋭く尖った鎌が通り過ぎる。

「え……? え!」

汀は動揺しながら周囲を見回した。

今に至るまでの記憶が全くない。

頭に残っているのは、一貴の声。

そして岬、もう一人……忠信の顔だった。

「思い出した……私……?」

そう呟く。

「ドクタージュリア、高畑汀の意識が戻ったわ!」

「汀ちゃん、来るよ!」

頭を振って無理やり現実に照準を合わせる。

いや、「夢の中」に意識を集中させた。

巨大な鯨が浮かんでいる。

一頭、二頭……三頭。

真っ赤に着色された、気味の悪い空に、
ひれを動かしながら浮かんでいる。

あたり一面、人間の首が据えられていた。

十字架を象った墓標の前に、人間の頭部が無造作に置かれている。

そのどれもが舌を出し、目を見開き、無残な様相を呈していた。

全て日本人だ。

汀達は墓地の中にいた。

どこまでも、果てしなくその墓地が続いている。

そして目の前には……奇妙なモノがいた。

鯨人間とでも言うのだろうか。

巨大な鎌を持った、頭部だけが鯨の男が、
髭歯をむき出しにして笑っている。

上半身は丸出しで、下半身は血まみれのシーツの
ようなものでくるまれている。

鯨人間は、手近な人間の頭部を掴むと、口の中に入れた。

バリ、ボリ、と良く分からない液体を飛び散らせながらそれを咀嚼する。

汀の肩にくっついていた小白が、シャーッと声を上げた。

「私、意識を失ってたの?」

慌てて立ち上がり、鯨人間から距離を取る。

理緒が頷いて、近くの人間の頭部を蹴り飛ばして、墓石を手に掴んだ。

墓石が形を変え、出刃包丁に変わる。

「三十秒くらいかな。大丈夫。汀ちゃんはじっとしてて。
私があれ、ブッ殺してくる!」

そう言って、ソフィーが制止しようとする間もなく、
理緒は鯨人間に踊りかかった。

「片平理緒! どうしたの? 様子がおかしいわ!」

『片平さんは人格欠損を起こしているわ。
二人とも、彼女が暴走しているようだったら止めて!』

ジュリアの声が耳元のヘッドセットから聞こえる。

丁度そこで、理緒が包丁で鎌を受け止め、横に吹き飛ばされた。

人間の頭部を巻き込んでゴロゴロと転がりながら、
理緒が墓石にしたたかに背中を打ち付ける。

しかし理緒は、それに全く構うことなく、
地面を蹴ってすぐに鯨人間に肉薄した。

そして自分に鎌が振り下ろされる直前に、鯨人間の首に、包丁を突き立てる。

どう、と音を立てて鯨人間が倒れた。

「きゃははは! あはははははは!」

狂ったように笑いながら、理緒は何度も、何度も、
倒れた鯨人間に包丁を振り下ろした。

やがて包丁を突き立てられているモノが痙攣し、
動かなくなったところで、やっと汀は理緒に追いつき、
血まみれの彼女を引き剥がした。

「理緒ちゃん、もう死んでる! 死んでるよ!」

荒く息をつきながら、
理緒は返り血で真っ赤になった顔で汀を見て、ニコリと笑った。

「汀ちゃんもやろうよ。人殺しって楽しいんだよ」

「酷い……赤十字に何をされたの?」

ソフィーが、動かない左腕を庇うようにして走って来て口を開いた。

問いかけられ、汀は目を伏せた。

ソフィーが舌打ちをして、汀の胸倉を、右腕で掴み上げる。

「……何とか言いなさいよ! こんなの片平理緒じゃないわ!」

「汀ちゃんに何してるの?」

そこで、ゾッとするような低い声で、理緒が呟いた。

彼女は焦点の合わない目でソフィーを見ると、
立ち上がって包丁をゆらゆらと振った。

「汀ちゃんに何してるの?」

もう一度問いかけられ、ソフィーは汀から手を離して、理緒に言った。

「……あなたはダイブできる状態じゃない。ドクタージュリア。
すぐに片平理緒の接続を切ることをオススメするわ」

『そこは異常変質心理壁の中よ。すぐには切れないわ!』

「理緒ちゃん、落ち着いて」

汀は慌てて、ソフィーを守るように立った。

そして理緒の肩を掴んで、力を込める。

「落ち着いて。この子は敵じゃないわ。
私を守ってくれたんでしょう? ありがとう。
だから、少し落ち着こう、ね?」

「私は落ち着いてるよ」

「落ち着いてないから言ってるの。包丁を手から離して」

「分かった」

ガラン、と音を立てて包丁が手から離れ、地面を転がる。

息をついた汀とソフィーの目に、しかし二人が反応できるよりも早く、
鯨人間の持っていた鎌を掴み上げた理緒の姿が映った。

身を守ることも出来ずに、ただ呆然とその鎌が振られるのを見送る。

奇妙な手ごたえと共に、断末魔の声が上がった。

ソフィーの後ろに立っていた、
先ほどの鯨人間と全く同じ形のトラウマが、
袈裟切りに両断されて地面にドチャリと着地した。

周りを見回した二人の目に、十……二十体近くの鯨人間がこちらに、
鎌を持って近づいてくるのが映る。

「トラウマに囲まれてる……」

ソフィーが歯噛みする。

顔についた鯨人間の血を手で拭いながら、
汀は理緒の落とした包丁を拾い上げて、腰のバンドに刺した。

そして口を開く。

「理緒ちゃん、無駄に殺してもキリがない。
少し待って。ソフィー、中枢への扉を持ってるトラウマを特定できる?」

名前を呼ばれ、ソフィーは頷いた。

「挙動がおかしいトラウマがいる。左後方の、三十メートル先の鯨」

丁度それが、足元の人間の首を口に入れて噛み砕いたところだった。

「おかしいってどこが?」

「他のものは規則的に動いてるのに、あれの動きは不規則だわ」

「聞いた? 理緒ちゃん、殺すならアレにして」

「うん。汀ちゃんがそう言うならそうするよ」

理緒は微笑んで、鎌を構えて、こちらに向かって
踊りかかってきた鯨人間達を見回した。

「ま、どの道皆殺しにしそうだけど」

楽しそうにそう、彼女が言った時だった。

凄まじい爆音、そして熱風が彼女達を襲った。

とっさに小白が化け猫の形に膨らみ、汀達を覆い隠す。

蛇のように、飛び掛ってきた炎は周囲を舐めると、
瞬く間に墓地を火の海にした。

鯨人間達が苦しそうに咆哮を上げ、火に飲まれていく。

『外部からのハッキングよ! 回線を緊急遮断するわ。
遮断まで残り二分!』

ジュリアの声が聞こえる。

「いつもいつも対応が遅い!」

汀が、ところどころ焦げた小白の皮の下から這い出て、怒鳴る。

ソフィーが歯を噛んでから言った。

「それは違うわ、高畑汀。ドクタージュリア達は、
私達とテロリストを交戦させたいのよ。そんなことも分からない?」

言われてから、汀は言葉を飲み込んで歯軋りした。

「……どこまでも最低な奴らね……!」

『…………』

ジュリアが押し黙る。

そして、しばらくして彼女は、ノイズ交じりの音声と共に言った。

『ハッキング対象は、一人のようよ。三
人で協力して撃退して頂戴。患者の命を第一優先に』

「詭弁を」

ソフィーが鼻で笑う。

「日本赤十字は患者の脳をバトルフィールドに使う集団ね!
医者ってみんなそう!」

「その通りだよお嬢さん。赤十字病院のそれが本来の姿さ」

そこで、落ち着いた声が周囲に響いた。

熱気から汀達を守るようにしていた理緒が立ち上がり、首を傾げる。

「あれ……? 工藤さんじゃない」

彼女の呟きに、マイクの向こう側が緊張するのが分かる。

ソフィーが特定した鯨人間……既に事切れているその死体を
ズルズルと引きずりながら、背の高い猫背の少年が、
墓地の向こうの火を掻き分けて、姿を現した。

ぼさぼさの白髪をしている。

目は鷲のように尖っていて、眼光が異様に鋭い。

口元はだらしなく開いていて、ガムでも噛んでいるのか、
クチャクチャと音を立てていた。

右手にはバタフライナイフを持っていて、カチャン、カチャン、
と音を立てながら、刃を出したり引っ込めたりを繰り返している。

「やあなぎさちゃん。殺しに来たよ」

どこか狂気を感じさせる、ゆったりとした口調でそう言うと、
彼はドサッ、と鯨人間の死体を放り投げた。

「あなたは……忠信君……たーくん……?」

汀が呟く。

忠信と呼ばれた少年が、にっこりと微笑む。

そこで、彼女達の意識はホワイトアウトした。



チク、タク、チク、タク、と鳴る、
巨大な古時計が空中に浮かんでいる、
四方が白い空間に、四人は立っていた。

人一人分くらいの大きな時計だ。

広さは正方形に十メートルほど。

汀は、目が開くと同時に、腰にさしていた、
理緒が変質させた包丁を抜き放って、
振り下ろされたバタフライナイフを受け止めた。

耳鳴りのような音がして、汀と忠信が、
互いに反対方向の壁に向かって吹き飛ばされる。

汀は、体を反転させて壁に「着地」し、軽く蹴って床に下りた。

忠信は壁を蹴り、何度か床を転がってからゆらりと立ち上がった。

長い髪の奥で、鷲のような目を鈍く光らせながら、
彼はバタフライナイフを何度か開閉させた。

「最初は何がいいかな。そうだ、服を剥ごう」

ブツブツと、小さい声で忠信は呟き始めた。

「下着だけにするのがいいな。うん、それでいこう。
女が服を着てるのには虫唾が走る」

「たーくん……? たーくんよね? どうしたの? 私……私だよ」

自信がなさそうにそう言って、汀は、口をつぐんだ後、続けた。

「私、なぎさだよ! どうしてあなた達は、私を攻撃してくるの!」

「うん、君がなぎさちゃんだって言うことは知ってる。
そんなのは周知の事実だ。俺が今考えているのは、
君の服をどう剥ぐかということと」

バタフライナイフを回転させ、指先で回してから、

彼はそれを掴み、刃先を理緒とソフィーに向けた。

「他の二匹をどうしようかなということだ」

「気をつけて、高畑汀。あのテロリスト、
精神崩壊を起こしてる挙動があるわ」

「……分かった」

ソフィーが押し殺した声で言う。汀は頷いて、
そして眉をひそめて前に進み出た理緒を見た。

「理緒ちゃん下がって。相手が悪いわ」

「汀ちゃんは前に出ることはないよ。私が全部やるから」

「相手が悪いわ。おそらくS級のスイーパーよ」

理緒が服を破り取る。その一片が形を変え、出刃包丁に変質した。

『……二人とも、片平さんを止めて!』

マイクの向こうでジュリアが声を荒げる。

しかし制止を聞かずに、理緒は駆け出すと、
無造作に忠信に肉薄した。

そして包丁を突き出し……体をひねって避けた忠信に、
躊躇なく胸にバタフライナイフを叩き込まれた。

「か……」

目を見開いて体を硬直させた理緒を面白そうに見て、
口の端をゆがめた忠信は、二度、三度と彼女の胸にナイフを突き刺した。

そのたびに理緒の体が痙攣する。

ゴボッ、と理緒が血の塊を吐き出した。

「理緒ちゃん!」

汀が走り出す。

忠信は理緒の病院服を破りとり、激しく咳をしている理緒の口に、
自分の口を一瞬重ね、ベロリと血を舐めた。

そして片手で、汀に向かって理緒を投げ捨てる。

弾丸のように飛んできた理緒を真っ向から受け止め、
汀は背中から床に叩きつけられ、反対側の壁に勢いよく頭をぶつけた。

小さくうめいて体を丸めた汀の手の中で、
理緒はガクガクと震えながら立ち上がろうとし、
しかし鼻と口から血を噴き出して、その場に崩れ落ちた。

徐々に彼女の目の光がなくなっていく。

「どいて!」

ソフィーがそこで怒鳴って、理緒を汀から引き剥がした。

そして自分の病院服を破りとり、
理緒の胸の傷口を手で抑えて、止血を始める。

「ドクタージュリア! 片平理緒がやられたわ!
彼女の意識が消える前に、回線を緊急遮断して!」

『…………』

「ドクタージュリア!」

ジュリアの返事がないことに、ソフィーが悲鳴のような声を上げる。

考える間もなく、忠信が腕を振った。

その瞬間、彼の腕がまるで鞭のように伸びた。

ゴムの玩具のように、腕が伸び、七、八メートルは離れている汀に
向かってバタフライナイフを掴んだ手が飛んでくる。

汀は包丁でそれを受けて、忠信の体に向けて走り出した。

「左肩だ」

忠信がそう言って、伸びた腕を振る。

それがしなり、汀の後ろから、彼女の左肩にナイフが突き刺さった。

うめき声を上げて、もんどりうって床を転がった彼女の目に、
シュルシュルと音を立てて戻っていく忠信の手が見える。

「……自分の体を変質させてるの……?」

ソフィーが呆然と呟く。

ボコリ、と忠信の体が風船のように膨らんだ。

病院服の背中が割れ、中から肉を裂き、無数の「腕」が姿を現す。

まるで、さかさまになった蜘蛛のような姿だった。

そのおぞましさにソフィーが硬直する。

まるで千手観音のように、
合計十六本の腕を背中から生やした忠信は、
それら全てにバタフライナイフを持ち、一斉にシャコン、と刃を出した。

そこで、か細く息をしていた理緒の体が、まるで蜃気楼のように、
フッと残像を残して消えた。

彼女だけ、夢の世界から、強制的に回線が遮断されたのだった。

「私達には、あの化け物を撃退しろってこと……?」

ソフィーがマイクに向かって悲鳴を上げる。

ノイズ交じりのマイクの向こうから、ジュリアの声がした。

『残り一分三十秒で回線を遮断するわ。それまでもたせて』

「ふざけないで! 早く切りなさい! 人命救助保護法に違反してる!」

『…………』

「ドクタージュリア!」

ブツッ、と音がして、通信回線が切れた。

ソフィーが呆然としてヘッドセットを取り落とす。

忠信が奇妙な笑い声をあげて、背中の腕を大きく振った。

全てが先ほどのように伸び、しなり、鞭のように汀に斬りかかった。

雨あられのように、四方八方から襲い掛かるバタフライナイフに
どうすることも出来ずに、汀は体のいたるところを
突き刺され、一瞬で血まみれになった。

しかし、自分の顔面を狙ってきた一本の腕、
その手首を正確に掴んで止めると、力の限りそれを引っ張った。

忠信の体が宙に浮き、人一人が重機に引っ張られたかのような衝撃で
汀に向かって引き寄せられた。

汀は拳を固め、こちらに向かって飛んでくる忠信の顔面に向かって、
それを突き出した。

奇妙な音がした。

汀の手首からと、忠信の首からだった。

衝突の勢いが強すぎたのだ。

吹き飛ばされ、向こう側の壁に激突し、
ずるずると床に崩れ落ちた忠信を目にし、
汀は手首を押さえてうずくまった。

右腕が、おかしな方向に曲がっていた。

忠信がそこで、甲高い声で笑いながら立ち上がった。

伸びていた腕がすべて元にもどり、背中でわさわさと動く。

「やっぱりなぎさちゃんだ! そういうところ好きだなぁ! ひゃはは!」

曲がっていた首を、自分の手で掴んで、
不気味な音と共に元の位置に戻す。

しばらく首を回して感触を確かめると、忠信は汀に言った。

「やっぱり下着は駄目だ! 全裸に剥こう!
そのほうが君にはお似合いだよ!」

「……あなたを『治療』するわ」

汀はそう言って、右腕をダラリと垂らしたまま、立ち上がった。

そして、残った左腕で包丁を構える。

「治療? 僕を? どうして?」

「あなたが患者で、私が医者だからよ」

汀はそう言って、地面を蹴った。

その姿が掻き消え、一瞬で忠信に肉薄する。

知覚することも難しいほどの速度で動いたのだった。

「おやすみ、たーくん……」

寂しそうに汀は呟いた。

包丁は、正確に忠信の心臓を貫いていた。

「あ……?」

忠信は呆然としてそれを見つめ、やがて鼻と口の端から、
おびただしい量の血を流し始めた。

「何だよ……? 何してんだよ……」

そう呟いた忠信の背中の腕が動き、
汀の体がバタフライナイフでめった刺しにされる。

衝撃で汀の小さい体が後ろに弾かれ、
彼女は床にナメクジのように血の跡を光らせながら、転がった。

ソフィーが慌てて汀に駆け寄り、彼女を抱き起こす。

忠信の背中の腕がゆっくりと消えていき、
彼は胸に突き刺さった包丁を抜こうと必死になっていた。

「くそ……抜けねぇ……何だこれ! 抜けねぇ!」

怒号と共に吐き出された血が飛び散る。

汀は荒く息をつきながら立ち上がろうとして崩れ落ち、
ソフィーに支えられながら口を開いた。

「……あなたの精神中核を……もらっていくわ……」

「俺に何をした!」

「その包丁にウィルスを仕込ませてもらったわ。
精神中核に到達してる。もう抜けない」

「くそっ! 勝ったつもりか!」

忠信が包丁を抜くのを諦め、
バタフライナイフを振って汀に向かって走り出した。

そこで、彼女の肩に乗っていた小白が膨れ上がり、
化け猫の姿になった。

「小白、やっていいよ」

化け猫が腕を振り上げる。

それを呆然と見上げた忠信の頭に、巨大な腕が振り下ろされる。

奇妙な声を上げて、まるで蟲のように人間一人が叩き潰される。

すぐに元の姿に戻った小白の頭を撫で、
汀は地面を這って忠信だったモノに近づいた。

そして、包丁を抜き取る。

そこには、まだ脈動している心臓が突き刺さっていた。

「テロリストの精神中核を捕縛。
理緒ちゃんが行動不能のため、患者の治療を中断……
目を覚ますよ……」

汀がそう言って、血を吐き出して崩れ落ちる。

ソフィー慌てて駆け寄り……
そこで、彼女達の意識はブラックアウトした。



「忠信を緊急搬送! 絶対に死なせるな!」

結城が怒鳴っている。

あたりには、忠信が吐き散らした血液が散らばっていた。

怯えた顔で、岬は一貴にしがみついて、
辺りをバタバタと騒がしく移動している、
沢山の病院関係者達を見ていた。

一貴が、ベッドに横になりながら、手を伸ばして岬を引き寄せる。

「大丈夫だよみっちゃん。なぎさちゃんは、忠信を殺したりしない」

「たーくん……やられたの……?」

「だから僕はとめてたんだ。なぎさちゃんには、忠信じゃ勝てない。
スカイフィッシュの悪夢に取り込まれた人間じゃ、勝てないんだ」

一貴は軽く咳をすると、呼吸器をつけられ、
担架で搬送されていく忠信を見た。

忠信の手からバタフライナイフが落ちて、床に転がる。

意識はない様子だった。

「たーくん……一体どうしちゃったの……」

恐る恐る岬がそう聞く。

「悪夢に負けたんだ。精神が壊れかけてた。
このままじゃ、どのみち現実の世界でも犯罪者になるところだ。
僕も……人のことは言えないけど」

自分の手を見つめ、一貴は点滴をむしりとった。

そして岬に支えられながら、ベッドから起き上がる。

「なぎさちゃんに会って、
忠信の精神中核を取り戻さなきゃいけない」

それを聞いて、結城が素っ頓狂な声を上げた。

「精神中核を抜き取られた……?
そんな芸当が、ナンバーⅣに可能なのか?」

「基本的に、僕にできることはなぎさちゃんにも、
みっちゃんにも、忠信にもできる。そう考えた方がいいね。
早くしないと、忠信の精神中核から情報を抜き取られるよ」

「チィ!」

舌打ちをして、結城は足早に忠信を追おうとして、
近づいてきた人影に、足を止めた。

それは、どこか暗い顔をした、タバコを吸っている男だった。

「あんたは……」

言いよどんだ結城に、タバコの男は煙を吐き出して、
壁に寄りかかりながら口を開いた。

「……貴重なサンプルを駄目にするとは。
君の管理責任を、一度問いた方がいいな……」

「サンプル……?」

岬が顔を青くして、一貴の横に隠れる。

それを面白そうに見てクスリと笑い、男は一貴に目をやった。

「久しぶりだな、ナンバーX」

「久しぶりですね、教授。いや、今はGDと呼んだ方がいいでしょうか?」

どこか皮肉気にそう言った一貴に、軽く笑いかけてから、男は続けた。

「私は、今はただの『喫煙者』だよ。そう呼んでくれればいい」

「何の用ですか? 今、大事なところなんですが」

結城が喫煙者に低い声で言う。

彼はタバコをふかしてから、それに答えた。

「赤十字が、ナンバーⅠの使用を解禁しようとしている」

「何……だって……?」

それを聞いて、一瞬意味が理解できなかったのか、
結城が目を白黒とさせる。

一貴は深くため息をついて、ベッドに腰を下ろした。

「そうなれば、君達はお仕舞いだ。
理想とやらも実現できずに、このテロも幕を閉じる」

「全力で阻止する必要がありますね。あなたはどうお考えですか?」

一貴がそう言うと、彼は頷いてから手に持っていた資料を放った。

それが床に落ちる。

結城が拾い上げて、そこに載っていた写真を見た。

「こいつは……」

「高畑圭介。本名、中萱榊(なかがやさかき)
……元老院お抱えの、医者ということになっている」

「何度か交戦しましたよ」

一貴が写真を横目で見て言う。

頷いて、喫煙者は続けた。

「彼の力は強力だ。
単体でS級スカイフィッシュを撃退する程の能力を持っている。
出来うることなら、目の届かない場所で遂行したい。
ゆえに、赤十字中枢へのダイブを行い、
即急にナンバーIの起動を阻止する」

「それが機関の選択ですか」

結城が苦い顔でそう言うと、彼は笑ってタバコをふかした。

「何のために君達を遊ばせていたと思うんだ。
今、この時を利用しなければ、何の意味もない」

「……わかりました。やりましょう」

一貴がそう言うと、岬が青くなって彼の袖を引いた。

「いっくん駄目……駄目だよ。死んじゃうよ……」

「大丈夫。僕は死なない。絶対に。死なない」

自分に言い聞かせるようにそう言って、一貴は喫煙者を見た。

「僕がやります」

決意を含んだ声は、しかしどこかかすれていて、
力が含まれていなかった。

喫煙者はそれを聞いて、ニコリと微笑んでみせた。



お疲れ様でした。

次回の更新に続かせて頂きます。



書き溜めてある分は以上となります。

以降はリアルタイムに書かせて頂きます。

大体1話あたりを制作するのに、4~7日かかります。

書け次第投稿させて頂きますが、
何卒、気長にお付き合いいただけましたら幸いです。

投稿スピードが若干落ちることをご了承下さい。



ご意見やご感想などがございましたら、
お気軽に書き込みをいただけますと幸いです。

それでは、今回は失礼させていただきます。

こんばんは。

投稿間隔があいてしまい申し訳ありません。
仕事をしながらなので、一話辺りの平均制作時間に4~7日をいただきます。

ご了承ください。

16話を投稿させていただきます。

お楽しみいただけましたら幸いです。



まだ空が青く見えていた頃。

まだ、全てに色がついて見えていた頃。

俺はあの子の手を握り、
握り返された力に対してそっと微笑んだ。

時折このようなビジョンを見る。

時折。

このような、夢ではない記憶を見ることがある。

目の前の骸骨を見つめて、圭介は静かに言った。

「もう俺の前に現れるな。君は死んだんだ」

骸骨は笑った。

ケタケタと音を立てて。

そして崩れて落ちた。

圭介は立ち上がり、服の埃を払った。

白い病院服以外何も纏っていない。

夢の中か……そう思って息をつく。

何が起こったのか思い出そうとするが、
頭の中が何かに引っ掻き回されたようにぐちゃぐちゃで、
思い返すことが出来なかった。

これは、おそらく……。

誰かのスカイフィッシュと戦闘した後の様だ。

灰色に見える世界の中で、圭介は周りを見回した。

全てが色をなくしたかのように、灰色だ。

町並みだった。

圭介と汀が住んでいる東京都八王子の町並みだ。

人が行きかっているが、それらは圭介が、
まるでいないかのように横を通り過ぎていく。

(俺の夢世界の中で目を覚ましたのか……)

自分の夢の中で目を覚ますという矛盾。

誰しもが一度は体験したことがあるだろう。

半覚醒と自分たち医者は呼んでいるが、
そんな状態になった時、一番危険なのが、
スカイフィッシュ、つまり悪夢との遭遇。

対抗手段を持たない場合、致命的になり、
自分の夢に食い殺されてしまう危険性も高い。

しかし圭介は、気にしていないかのように首の骨を鳴らし、
小さくため息をついて歩き出した。

「榊(さかき)?」

後ろから声をかけられ、圭介は足を止めた。

そしてゆっくりと振り返った。

数十メートル離れた場所に、一人だけ色がついた女の子が立っていた。

圭介と同じような病院服。

長い赤茶けた髪の毛をくゆらせ、にこにこと微笑んでいる。

圭介は彼女に向き直ると、行きかう人々の中で口を開いた。

「……真矢(まや)、君は死んだんだ。
もう、俺の夢の中には出てこないって、約束したじゃないか」

「死ぬ? 死ぬってどういうこと?」

真矢と呼ばれた女の子は、ニコニコしながら足を踏み出した。

圭介がそれを見て、一歩後ずさる。

「私みたいになること? 記憶の断片になること?
それとも……忘れ去られてしまうこと?」

謎かけのように、ポツリポツリと問いかけ、少女は足を止めた。

そして息をついて圭介を見る。

「どうしていつも逃げるの?
榊、私のこと、嫌いになっちゃったの?」

「違う。君の事は絶対に助け出す。
だけど、それとこれとは話が別なんだ」

圭介はそう言って歯を噛んだ。

「……ここは、俺の夢の世界で、君がいていい場所じゃない。
分かってくれ、真矢。君の優しさは俺を殺す」

「あなたの言っていることは難しくて、私よく分からない……」

真矢は悲しそうな顔を伏せ、そして足元の小石をつま先で蹴った。

「折角榊が困ってるから、私の力を貸そうと思ったのに」

「やめろ。誰も、君に助けてほしいなんて言ってないぞ」

「榊はいつもそう。図星を突かれると慌てるんだ。
困ってるんでしょ、今? なら、私の力が必要じゃない?」

圭介は押し黙り、そしてまた一歩後ずさった。

「すまない。真矢。今は……君の相手をしてる場合じゃないんだ」

そのままきびすを返し、圭介は反対方向へ走り出した。

真矢は一瞬呆然としたが、
すぐに顔を歪めると右手を圭介の方に伸ばした。

「逃さないよ、榊」

彼女の右腕がボコボコと泡立ち、次いで、
肘の部分から先が溶けて飛び散った。

そこから凄まじい勢いで渦を巻いた黒い水が噴出する。

水は辺りの人を巻き込んでゴウッ、と回転すると、
周囲の建物や車を飲み込んで、それでも尚増え続け、
圭介に向かって巨大な津波となって襲いかかった。

「真矢……」

圭介は立ち止まると振り返り、自分に向かって
覆いかぶさってくる津波を見上げ、そして絞りだすように言った。

「……また来る」

彼は右手を広げて意識を集中させると、パンッ、と地面を叩いた。

地面に光が走り、真っ黒い鉄の扉がアスファルトの上に
横たわるように出現する。

圭介はその扉を無理矢理引き開けると、
その中の漆黒の空間に体を踊らせた。



★Karte.16 無理だな★




「ドクター高畑、聞こえますか?
聞こえたら視線を横に動かしてください。
私の声が、聞こえますか?」

機械の音。

点滴台。

薄暗い天井の照明。

白い壁、白い天井。

そして、静かだが耳に障る女性の声。

「ドクター高畑?」

「……うるさいな……」

苛立ったように呟き、かすれた声で圭介は続けた。

「聞こえてる」

「良かった……体に異常を感じませんか?」

「…………」

それには答えずに、圭介は少し離れたところに停まっている
車椅子の上で眠っている汀と小白、
そしてぼんやりとした表情でソファーに腰掛けながら、
頭にヘッドフォンをつけて3DSのゲームをやっている理緒を見た。

理緒の顔には、ゾッとする程表情がなかった。

それを感情の読めない瞳で一瞥してから、
圭介はベッドの上に体を起こそうとして、右足の痛みに思わず呻いた。

彼をベッドに押し戻しながら、ジュリアが慌てて言った。

「あなたの右半身にはまだ麻痺が残っています。
精神がスカイフィッシュに斬られています。
いくら回復速度が異常とはいえ、まだ動かない方が懸命です」

「……戻ってくるんじゃなかったよ」

そう呟いて圭介はベッドに体を預け、クックと笑った。

「また戻ってきた。俺の意思には関係なく」

「…………」

ジュリアが少し沈黙してから立ち上がり、
圭介にシーツをかけてから問いかけた。

「何か飲みますか?」

「今何時だ?」

「先ほど夜の八時半を回りました」

「汀をベッドで寝かせろ。その子はデリケートなんだ」

「汀ちゃんの心配ですか?
いえ、『道具』のお手入れというわけですか?」

ジュリアに冷淡な目で見られ、圭介はそれを鼻で笑った。

「それがどうした?
何だ、汀を壊したら、お前が責任をとってくれるとでも言うのか?」

「この子はそう簡単には壊れませんよ。もう大人ですから」

「違うな。まだ子供だ。これまでも、これからもな」

含みを込めてそう吐き捨てると、
圭介はジュリアを瞳孔が開いたような目で見た。

「理緒ちゃんはどうした?」

「予定通り、重度の心神喪失状態ですが、生命活動に異常はないわ。
マインドスイーパーの能力も良好。
あなたが目覚める一週間前に、特A級スイーパーに昇格してる」

「そうか」

どうでもよさそうにそう返し、圭介はこちらを一瞥もせずに
ゲーム画面を見つめて指を動かし続ける理緒を見た。

そしてまたジュリアを見て繰り返す。

「汀をベッドで寝かせろ」

「……分かったわ。そうせっつかないで」

頷いてジュリアは汀を抱き上げると、
少し離れた場所に設置されていた簡易ベッドにそっと寝かせた。

点滴台を移動させ、彼女の身体に毛布をかけるところまでを確認し、
圭介はそこでやっと息をついた。

「状況は?」

「……テロ活動は停止しているわ。
でも、日本中のマインドスイーパーが治療を自粛している流れが広がってる。
自殺病患者の死亡数が、ここ3日で過去二年の死亡記録を上回ったわ。
赤十字病院に対するデモも起きてる」

「いいことだ。供給過多な人口が減る。
赤十字も、この機会に馬鹿な一般大衆への対応を考えればいい」

「それが医者の言葉ですか」

呆れ返ったように言い、ジュリアは小さく呟いた。

「変わりましたね……私の好きだったあなたはもう……榊君……」

「俺をその名前で呼ぶな、アンリエッタ」

「……お互い様ではないですか?」

「…………」

どこか淡々とした、冷たい調子で返した
ジュリアを無視し、圭介は続けた。

「変異亜種は?」

「まだ現れていないわ。
機関は、この隙に多数の自殺病患者を治療するために、
ナンバーI(ワン)システムを起動することを決めたわ」

「何?」

大声を上げた圭介に驚いたのか、緩慢な動きで理緒が顔を上げる。

それを横目で見ながら、圭介はジュリアに詰め寄った。

「機関は何を考えてるんだ! 元老院は何を言ってる!」

「使えるものは使うというのが、今回の元老院と機関の決定よ。
あなたがどうこうできる問題じゃないわ」

「お前……!」

ジュリアの服を掴み上げようとして、
圭介が体の痛みに顔をしかめ硬直する。

「それでよくのうのうと機関に尻尾を振っていられるな……!」

「…………」

叱られた子供のように、ジュリアが圭介から視線を離して下を向く。

圭介は歯を噛んで畳み掛けるように言った。

「自分に都合が悪い話になると聞かなかったフリをするのは
昔から治ってないな。腐った癖だ」

「……あの事件は……悪かったと思ってる。
あなたと……真矢ちゃんと、健吾君。私が全部悪かった。
悪かったと思ってる……」

「…………」

かすれた声で絞りだすように呟いたジュリアに、圭介が押し黙る。

「だから、だから機関の派遣要請を受けたの。
あなたにもう一度会うために。
榊君、私を許せない気持ち……
私と、健吾君に対する憎しみはよく分かるわ。
でも、健吾君はもう……それに、真矢ちゃんも……」

「アンリエッタ!」

圭介が大声を上げる。

理緒が顔をしかめて3DSから視線を離し、
ヘッドフォンを頭から降ろして首にかけた。

そして圭介に抑揚が感じられない声をかける。

「あぁ、高畑先生、生きてたんですか……」

「……理緒ちゃん……?」

彼女の異様な雰囲気に、
原因は分かっているものの、圭介は戸惑った声を発した。

「動かないから死んだと思ってました。
良かったです。私、あんまりお金持ってないので」

「……心神喪失にしては感情の起伏がなさすぎるな。
ちゃんと薬は与えてるのか?」

押し殺した声で囁いた圭介に、ジュリアは小さな声で返した。

「ええ。治療段階で精神の汚染が進みすぎていたと考える他ないわ」

「高畑先生、それよりこれ見てください。
汀ちゃんに言われてポケモンやってたんですけど、
この先に進む方法が分からないんです」

そう言って立ち上がり、3DSを差し出した理緒と
圭介との間に割って入り、ジュリアは彼女を押しとどめた。

「片平さん、高畑先生は今起きたばかりで、
ゲームが出来る状態じゃないの。
自分の部屋に戻ってもらえるかな?」

「嫌です。私は汀ちゃんと一緒に遊ぶんです」

はっきりと拒否の声を発し、理緒は歪んだ、
良く分からない表情で微笑んでみせた。

「……私まだ眠くないので」

「汀さんにはさっき薬を投与したの。
落ち着いて聞いて。あなたにもお薬をあげる。
よく眠れるお薬よ。だから、今日はもう寝ましょう?」

「……嫌です。私は汀ちゃんと一緒に遊ぶんです」

さっきと同じセリフを繰り返し、
理緒は面倒くさそうにジュリアを睨んだ。

「邪魔をするんですか?」

「邪魔をしているわけじゃないの。片平さん、落ち着こう?」

「私は落ち着いてます」

そこで圭介は、長袖から除くジュリアの細腕が
痣と引っかき傷だらけなことに気がついた。

よく見ると、化粧に隠されているが顔にも傷がついている。

「説得しても無駄だ。GMDの三十五番を投与しろ。早く」

右手で3DSを持ちながら、左手でジュリアの腕を
掴もうとした理緒を見て、圭介は声を上げた。

そこでジュリアがハッとして、逆に理緒の腕を捻り上げる。

小さく悲鳴を上げた理緒の首に、ジュリアはポケットから出した
小さな注射器の、一ミリにも満たない針を突き刺して、
中身を流し込んだ。

問答無用の行動だった。

「……私に何をしたんですか!」

理緒が首を抑えながら後ずさる。

彼女は忌々しそうにジュリアを見て、繰り返した。

「そこをどいてください。私は汀ちゃんと一緒に遊ぶんです!」

「聞く耳を持つな。精神崩壊した人間を説得しても無駄だ」

圭介が上半身を無理矢理に起こしながら口を開く。

「精神崩壊?」

理緒が怪訝そうに繰り返して圭介を見た。

「私がですか?」

「他に誰がいる?」

「私は正常ですよ。異常なのは高畑先生の方じゃないですか?」

あっけらかんとそう言われ、圭介は一瞬言葉に詰まって理緒を見た。

「……何?」

「ですから、異常なのは私ではなく、あなただと言っただけです」

理緒はニィ、と笑って続けた。

「異常者に異常者扱いされたくありませんね。心外です」

「片平さん……! 高畑先生はあなたの命を救った恩人ですよ!」

咎めるようにジュリアが声を荒げる。

理緒はそれを聞いてケタケタと笑うと、
小馬鹿にするように彼女に言った。

「何ですか? あなたとは話していません。
それとも昔の男の前で格好つけたくなりました?」

ジュリアの顔から血の気が引いた。

「……何ですって?」

「あら? 図星でした?」

「聞いてたのね……この子!」

思わず手を振り上げたジュリアの目に、
理緒が不気味な無表情でクローゼットを開け、
自分のバッグを開いたのが映った。

「ちょうどいいや。これ買ってきたんです」

ずる、と理緒が嬉しそうに中から肉切り包丁を取り出したのが見えた。

「エドシニア先生、生きてる人間ブッ叩いたらどんな感触なのかな?
教えて下さいます?」

挑発するように包丁をゆらゆらさせた理緒を見て、圭介が歯噛みする。

「……お前はどんな管理をしてるんだ」

呆れたようにジュリアに向けて呟き、
圭介はため息をついてから理緒に言った。

「医者に刃物を向けるとは何事だ。
少なからずとも、君も医者の端くれだろう。
それとも、単なる快楽殺人者に堕落したいのか?」

「でも先生、人を殺すってすごく楽しいんですよ?
知らないんですか?」

「知らんな」

冷たくそう返し、圭介は左手を伸ばしてベッド脇の
緊急ナースコールのボタンを押した。

数秒も経たずに、バタバタと足音が聞こえて黒服の
SPと白衣の看護師達が病室に駆け込んでくる。

彼らは理緒を見て一瞬ギョッとしたが、さすがに対応が早かった。

すぐに理緒はSP達に取り押さえられ、壁に押し付けられた。

「離してください……! 離して……」

そこで、声を上げた理緒の体から、
いきなり力が抜けて、彼女はグッタリとその場に崩れた落ちた。

「……効果が確認できるまで二分三十秒か。
かかりすぎだ。もっと強い三十六番を投与しろ」

「で、でも……この子の脳細胞が……」

「それで殺されたら元も子もないだろう!」

圭介に怒鳴られ、ジュリアが小さくなる。

圭介は小さく咳をすると、近くの看護師に言った。

「その子は私がいいと言うまで部屋から出さないでください。
心配ない、出れないと分かれば静かにしてる。
拘束することはできないから、私の名前を使って至急元老院から
マインドスイーパー管理用のSPを四人雇ってください。
その子の身の回りの世話をさせます」

頭を下げて下がった看護師を見送り、
圭介は連れ出される理緒からジュリアに視線を戻した。

「……呆れてものも言えないな」

「…………」

唇を噛んだジュリアに、彼はかすれた声で続けた。

「大河内を呼んでくれ。話がある」



「……そうか」

片手にコーヒーの缶を持ちながら小さく呟いた大河内に、
圭介は珍しく声を荒げた。

「分かっているのか? 聞こえなかったか?
機関を止めろと言ったんだ」

「何故それを私に言う?」

薄暗い病室の中で、ジュリアは腕組みをして壁にもたれかかり、
二人の会話を聞いていた。

圭介は横目でチラリとジュリアを見てから、
大河内に押し殺した声を発した。

「白を切るつもりか……お前が機関と、いや、
『GD』と繋がっていることはもう分かっているんだ」

ジュリアがハッとして息を呑む。

顔を上げた大河内の表情を見て、圭介は言葉を止めた。

大河内は薄ら暗く笑っていた。

その不気味な表情を見て、圭介が色をなす。

「何がおかしい……!」

「いや、何。お前が狼狽したところを見たのは、
坂月君が死んだ時と、真矢ちゃんが死んだ時以来だと思ってな」

「この……!」

圭介がいきなり上半身を起こして、大河内の胸ぐらを掴み上げた。

大河内が持っていたコーヒーの缶が床に転がり、
中のコーヒーが床にぶちまけられる。

それを気にする風もなく、大河内はゆっくりと圭介に言った。

「お前も私も、病み上がりだ。お互い乱暴はやめようじゃないか」

「答えろ……!
お前、知ってたな。テロが起これば、機関がナンバーIシステムを
起動させることを、知っていて今まで黙っていたな!」

「お前らしくもないな……落ち着けよ、高畑」

「腐れ外道が……!」

吐き捨てて大河内を殴りつけようとして、
圭介は体中の痛みに顔をしかめ、腕を止めた。

大河内は手を放して体を丸めた圭介をしばらく見ていたが、
やがて白衣のポケットに手を突っ込んで、軽く喉を鳴らして笑った。

「……私の口からは一言も言っていない。全て、お前の憶測だ」

「……何ィ?」

「だが、汀ちゃんは必ず取り戻す。その言葉は今も昔も変わらないよ。
ジュリア先生も、よく覚えておくといい。その子は、私のものだ」

挑発的にそう言って、大河内は冷たい麻痺したような目で、
簡易ベッドで眠っている汀を見下ろした。

ジュリアが青ざめた顔で足を踏み出し、大河内を見上げた。

「……どういう意味ですか?
あなたは、赤十字病院所属の医師ではないのですか?」

「…………」

「ドクター大河内、答えてください」

「教えてやるよジュリア。
そいつはおそらく、お前の所属している『機関』の更に上層部から、
数年前に赤十字病院に派遣されてきた、諜報員の一人だ」

「え……」

呆然としたジュリアに、
口を挟んだ圭介は苦虫を噛み潰すように続けた。

「組織の名前はGD。元素記号ガドリニウムの略だ」

「GD……東機関ですか!」

「知らなくてもいいことを知っているということは罪だな。
なぁ高畑?」

大河内は奇妙に歪んだ笑みを圭介に向けた。

「有り体な反論をさせてもらうとすると……
証拠はあるのかね?
私が、そのGDとやらの諜報員であるという証拠が」

大河内は汀の簡易ベッドによりかかり、ゆっくりと続けた。

「そもそも機関のマインドスイーパーが知らされていない
組織が存在するのかい?
そして私は、仮に存在するとして何を諜報させられているんだい?
答えてもらおうか」

「ナンバーIシステムの後釜を探しているんだろう。
汀はそのターゲットになっているだけだ」

押し殺した声でそう言った圭介の言葉を聞いて、
大河内は発しかけていた言葉を飲み込んだ。

そして引きつった笑みを返して口を開く。

「憶測だ」

「生憎と世の中には親切な人がたくさんいてね」

圭介は冷たい無表情で大河内を見て、鼻を鳴らした。

「その親切な人達は、お前の思っている以上に強い」

「その言葉をそっくりそのままお前に返すよ」

淡々と言った大河内と圭介が睨み合う。

そこでピピピとジュリアが持つ携帯端末から、
小さな呼び出し音が鳴った。

彼女が耳にはめていたイヤホンを操作し、口を開く。

「はい……はい。分かりました。準備を進めます」

イヤホンの通話を切り、彼女は大河内と圭介を見た。

「言い争いはそこまでにしていただきましょうか。
明日の朝、八時間後の午前六時にシステムの起動を行うわ。
重篤な患者十五人の『治療』を行う予定よ」

それを聞いて、大河内と圭介はそれぞれ全く違った表情を浮かべた。

大河内はジュリアの方を見て、ニッコリと優しそうに微笑んでみせた。

「良かった。これで十五人の尊い命が助かる」

「ふざけるな!」

圭介は顔を真っ赤にしてドンッ、と壁に拳を叩きつけた。

「それは治療じゃない! 精神のロボトミーだ! 『殺人』だぞ!」

「汀ちゃんが起きるぞ」

「話をすり替えるな!」

「聞いて、ドクター高畑。
ナンバーIシステムの起動はもう避けられないわ。
でも、患者の『被害』を最小限にする方法はある」

「…………」

黙り込んだ圭介に、ジュリアは淡々と言った。

「その時のために、汀さんを育ててきたのでしょう?」

「何だと?」

大河内の顔から血の気が引いた。

「何の話をしているんだ?
ナンバーIシステムの起動が成功すれば、
もう汀ちゃんや理緒ちゃんがダイブをする必要はなくなる!
それどころじゃない、世界中のマインドスイーパーが……」

「成功なんてしない。そう出来てるんだ。現に、坂月は死んだだろ!」

「本当の意味では死んでない! 坂月君はまだ生きてる!」

大河内と圭介が怒鳴りあう。

今度は大河内が圭介の胸ぐらをつかみ上げ、
彼の顔を怒りの表情で覗きこんだ。

「……汀ちゃんをシステムにダイブさせるつもりだな?
……そんなことはさせないぞ! 
彼女を第二の坂月君にするつもりだな!」

「吠えてろよ。まだ汀は俺のものだ」

「私の……私のこの五年間を全て無にするつもりか?」

声を震わせながらそう言った大河内に、
圭介はニヤリと歪んだ笑みを返した。

「お前の五年間なんて、俺にとっては病室に紛れ込んだ
ちっぽけな蜘蛛ほどの価値もないんだよ」

「やめてください、ドクター大河内。
ドクター高畑は先ほど目が覚めたばかりなんです」

ジュリアに手を掴んで止められ、大河内は圭介から手を離した。

「元老院は、システムの暴走を防ぐために、
汀さんとの共同ダイブを命じています」

「くっ……」

歯噛みした大河内に、圭介は突然引きつったような奇妙な、
甲高い笑い声を投げつけた。

「はは……はははは! つくづく運が無いなァ、お前って男は!
だがそれが現実だ。いい機会だ。
機関、お前らがそういう形で挑戦状を叩きつけてきたんなら、
俺達はそれを叩き潰すまでだ」

「…………」

ドンッ、と大河内が歯ぎしりをしながら壁に拳を叩きつける。

「喧嘩を買ってやるよ」

「この……卑怯者が……!」

睨み合う大河内と圭介。

少し離れたところでバスケットの中に起き上がっていた小白が、
爛々と金色に輝く目で彼らを見ていた。



無理矢理に起こされた汀は、白衣を着て松葉杖をついた圭介を見て、
しばらく狼狽していたが、やがてボロボロと涙をこぼし始めた。

「圭介……良かった。死んじゃったかと思った……」

「理緒ちゃんと同じことを言う。さすが友達だな」

圭介は淡々と言って、汀の隣の椅子に腰を下ろした。

「まだ右半身に麻痺が残ってるが、大丈夫だ。心配をかけたな」

「うん……心配したよ」

「……話は後からしよう。生憎と俺は、まだ後遺症のお陰で
ダイブが出来ない。いきなりで悪いが仕事だ。やってくれるか?」

問いかけられ、汀は僅かに憔悴した顔を彼に向けた。

「仕事? でも、私テロリストの子に、
精神をかなり傷つけられちゃって、
夢でも現実でもまだうまく動けないの」

「何? テロリストと交戦したのか? どうなった?」

身を乗り出した圭介に、汀は少し言い淀んでから答えた。

「……精神中核を捕まえた」

「何だって? 早く情報を抜き取るんだ!」

圭介に押し殺した声で言われ、汀は首を振った。

「警察の人とか、病院の人にもそう言われたけど……断った」

「え……?」

「私、医者だから。患者の情報は守秘義務があるから」

「そんな事言ってる場合じゃないだろう?
医療機関のラインを狂わせてるサイバーテロリストの情報だぞ。
一刻も早く情報開示するべきだ」

圭介がゆっくりと諭すように言う。

しかし汀は、またふるふると首を振った。

こうなった彼女は頑固だ。

ため息をつき、圭介は肩を落とした。

「……分かった。だが、病院側がお前を告訴したら、
裁判所が仲介に入って強制的に情報開示を迫る場合がある。
その時は、お前の身が危ない。素直に引き渡せ」

「嫌だよ。そうなったら私はもう、ダイブをやめる」

「…………」

圭介は歯噛みして、しかし口をつぐんだ。

そして壁の時計を見て、汀の顔をのぞき込んだ。

「瞳孔の拡散はないな。その話も後だ。今からダイブできるか?」

「ダイブはできるけど、役に立つかどうかはわからないよ……」

「できればいい。理緒ちゃんもつける。
お前に、治療中枢エリアにダイブしてもらいたい」

「治療中枢エリア?」

問い返した汀に、圭介は頷いて続けた。

「マインドスイープは全て、
一つのコンピューターから伸びたネット回線を使って行われている。
今回ダイブするのは、そのすべての回線をまとめている
コンピューターの中に作られた、仮想夢空間の中だ」

「そんな所があるの?」

「ああ。そこに、ウィルスが入り込む。
お前と理緒ちゃんには、それを破壊してもらいたい」

「圭介、話が早すぎて何が何だか分からないよ」

「簡単に言おう。赤十字病院は、
コンピューターに多数の患者の脳を接続して、
中にウィルスを送り込もうとしている」

「え……どうして?」

圭介は低い声で言った。

「ロボトミーって知ってるか?」

「うん、前頭葉を物理的に切り離して、
患者の精神病を治療する方法だよね……
でも、患者は前頭葉がなくなるわけだから、
障害を持っちゃうっていう……」

「それと同じだ。ウィルスは患者の夢の中で、
自殺病に汚染された『区画』をそれごと破壊する。
精神を欠損させて自殺病を消し去る。
それが今から赤十字が行おうとしてる『治療』だ」

「…………」

「赤十字は止まらない。お前にはそれを、
出来るだけ阻止してもらいたい」

「……どうして?」

単純な疑問を投げかけられ、圭介は引きつった表情を彼女に返した。

「どうしてって……そんな施術、理に反してる。
患者の人格までもを否定して……」

「圭介達が理緒ちゃんにやったことと、何が違うの?」

圭介が、言葉に詰まった。

「答えて圭介。どうして理緒ちゃんは助けてくれなかったのに、
今回は助けようとするの?」

「理緒ちゃんを助けなかったわけじゃない。最善を尽くした結果だ」

「嘘。圭介は何かを隠してる。私に何かをさせたいんだ。
だから理緒ちゃんを見捨ててまでも私を呼び戻したんでしょ?」

圭介は少し言い淀んでから、何ともいえない悲しげな、
それでいてやるせなさそうな瞳を汀に向けた。

「全てお前の憶測だ。汀、お前は人を助けたいんだろう? 
なら、マインドスイーパーとしての役割を果たせ」

「友達一人救えないのに……ダイブする意味ってあるのかな?」

ポツリと汀が呟いた。

圭介はしばらく沈黙した後、汀の隣にそっと資料を置いた。

「ダイブは今から一時間後だ。その気があるなら目を通してくれ」

「…………」

「お前に任せる。来るも、来ないも。ダイブをするも、
やめるもお前の自由だ。
勿論今ここでリタイアしたって、俺はお前を責めたり怒ったりはしない。
これからも、お前のサポートはし続けるつもりだ」

汀は口をつぐんで圭介を見た。

その目に涙が盛り上がる。

「卑怯だよ……」

「俺は昔から卑怯なんだ。すまないな……」

圭介は何ともいえない表情のまま、汀をそっと抱き寄せて頭を撫でた。

「俺は行かなくちゃ。残念だが、お前とゆっくり話してる暇はない」

「ダイブするの?」

「お前が出来ないなら、俺がダイブしてでも止める」

「…………少し、考えさせて」

「分かった。来る気があるなら、資料には目を通しておいてくれ。
その方がいいと思う」

圭介は立ち上がると、松葉杖を鳴らしながら病室に鍵をかけ、出て行った。

汀は隣で眠っている小白の頭を撫でてから息をついた。

少しして、病室の鍵がゆっくりと開いた。

汀が顔を上げると、薄暗い廊下から、
ひょろ長い影が滑り込んだのが見えた。

圭介ではない。

「……誰?」

まだ頭がぼんやりしていてはっきりしない。

うすけた視界でそう呟くと、人影は懐から煙草の入った
金属製の箱を取り出し、蓋を開けて中身を一本つまみ上げた。

「すまないね……どうも習慣づいてしまって、
くわえておかなければ落ち着かない。
安心したまえ。病床のレディーの前で火はつけない」

「誰なの!」

馴れ馴れしいしゃべり方にゾッとして、汀は大声を上げた。

そしてナースコールのボタンに手を伸ばし……
大股で近づいてきた男に、自由な右手と口を
そっと抑えられて、目をむく。

「静かに。私は、君のためになることを教えに来たんだ」

「…………」

「静かにしてくれるなら、要件だけを伝えて
二分でここを去る。煙草も吸わない。
この手も放そう。君は聡い子だ。分かるね?」

煙草臭い息。

咳き込みかけた汀は、慌てて何度も頷いた。

男は手を放し、安心させるように汀から数歩距離をとった。

そして椅子に軽く腰を掛ける。

「…………誰?」

押し殺した声で問いかけた汀に、男は言った。

「喫煙者と呼んでくれ。名前は教えるに値しない」

「ここは関係者以外立入禁止よ。
出てってくれるなら、人を呼んだりしないわ」

右手を伸ばしてナースコールのボタンを掴み、
脅すように汀は言った。

喫煙者と名乗った男は、息をついて軽く肩をすくめた。

「私は君の主治医、高畑君といささか旧知の仲でね。
簡単に言うと友達のようなものだ」

「圭介と……?」

「ああ。何度か会ったこともある」

フゥー、と息を吐いて喫煙者は続けた。

「昔話をしよう、何、簡単な昔話だ。一分で終わる」

「…………」

「今から十年前、赤十字病院に数人の優秀なスイーパーがいた。
そのうちの二人はS級に達するほどの、
非常に強力な適性能力を持っていた」

「…………」

「一人の名前は坂月健吾、もう一人の名前を松坂真矢と言う」

「坂月……」

繰り返してハッとする。

理緒が呟いていた言葉。

自分の夢の中に出てくるスカイフィッシュと
同じ顔をしているという、赤十字の医者。

「坂月君と仲が悪い特A級スイーパーもいた。
犬猿の仲というわけだ。その子の名前は、中萱榊(なかがやさかき)。
君の、よく知る人だ」

「私の……?」

頷いて微笑み、喫煙者は続けた。

「中萱君と、坂月君は同時に松坂君のことを好きになってしまった。
しかし間の悪いことに、松坂君は自殺病を発症。
マインドスイーパーとしての任務を行うことができなくなるばかりではなく、
日常生活や、会話でさえも困難な生ける屍になってしまった」

「…………」

「中萱君と坂月君は必死になって松坂君を治療する方法を探した。
先に治療法を見つけたのは、坂月君の方だった。
彼は松坂君の治療に独断であたり……失敗した」

淡々と続け、喫煙者は息をついた。

「失敗して坂月君は死んだ。そして同時に、松坂君も死んだ。
中萱君は悲しんだ……とても、とても悲しんだ。
そして憎んだ。私達、原因を作った大人を」

「…………」

「しかし大人は、松坂君と坂月君、
S級能力者がそのまま『死んだままでいる』ことを許さなかった。
ここまで喋れば、君ならこの後どうなったか、想像がつくんじゃないかな?」

いつの間にか、汀は真っ青になっていた。

彼女はガクガクと震える肩を動く右手で強く抑えた。

床に、カランカランと音を立ててナースコールのボタンが落ちる。

クククと笑って、喫煙者は立ち上がった。

「ナンバーIシステムの正体が分かったかい? 
変異亜種と言われるスカイフィッシュの正体が分かったかい? 
汀君。君はどちらにもなれるし、どちらにもならなくてもすむかもしれない。

そして同時に、君は選択しなければいけない」

「…………」

「君は一体、何になりたいんだね?」

「私は……」

汀は、額に大粒の汗を浮かべながら呟くように言った。

「私は……大きくなって、普通に結婚して……」

「…………」

「大河内せんせと結婚して……子供は三人以上つくって……」

「…………」

「小さな病院開いて……沢山の人を助けてあげて……」

「…………」

「幸せな……生活を…………」

「無理だな」

汀の言葉を端的に打ち消して、喫煙者は息をついた。

汀はそれを聞いて、目を見開いた。

停止した彼女に、静かに、畳み掛けるように彼は言った。

「『大人』がそれを許さないさ」

「…………」

「覚えてないのかい? 汀君。いや、網原汀(あみはらなぎさ)君。
君が何をしたのか。
坂月君、松坂君、そして中萱君に対して何をしたのか、
まだ思い出せないのかい?」

「私は……」

「…………」

「沢山の人を助けて……」

「…………」

「幸せに、なるんだ……!」

ギリ……と歯を噛み締めて汀は振り絞るように言った。

その必死の視線を受けて、
喫煙者は息をついて懐からサングラスを取り出した。

そして薄暗い中だというのにそれを顔にはめ、立ち上がる。

「長居をしてしまった。汀君。君の贖罪を全うするために。
いや、『沢山の人を救うために』……行くんだ。
君は、ダイブを続けなくてはいけない」

「…………」

「私からの助言は、以上だ」

喫煙者が去った後も、汀は大分長いこと呆然としていた。

葛藤。

恐れ。

苦しみ。

混乱。

様々な状況と感情が彼女の頭の中を引っ掻き回していた。

しかし。

彼女は時計の針が朝六時を指すのを見て、ハッとした。

そして資料を引き掴む。

汗を振り飛ばし、汀はかたわらの小白に叫ぶように言った。

「行くよ、小白。私達は、人を救うんだ……!」



お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご感想などがございましたら、
お気軽に書き込みをいただけますと嬉しいです。

それでは、今回は失礼させていただきます。

うちの近所にもあった、びっくりドンキー。初めて入ったけど美味かったぞ。
でもこのSSでイメージしたのと違ったというか、圭介は汀にこんな雰囲気を与えたかったのかと思うと胸熱。

メリーゴーランドの人気メニューぶりときたら。子供そっちのけでパフェに夢中なお母さんの微笑ましい事よ。

こんばんは。



汀と圭介が行なっている治療も、精神的ロボトミーに含まれます。

しかし、汀にはその自覚がありません。

彼女は、何かを得るためには何かを捨てなければならず、
治療にもその考えが適用されると思っています。

そのあたりが、汀が他の普通の子供とは違う、達観した違和感を
漂わせている原因なのかもしれません。



びっくりドンキーの料理は本当に美味しいのでオススメです。

>>265さんもお書きになっている通り、とても良い雰囲気を
醸し出している店舗が多いです。

特にメリー・メリーゴーランドは値段に比べてボリュームが
多く、満足できることは間違い無いです。

お近くにありましたら、是非足を運ばれてみることを
推薦いたします。



17話を投稿させていただきます。

お楽しみいただけましたら幸いです。



自殺病の原因は分かっていない。

そもそもウィルスとはただの呼称であり、明確な定義があるわけではない。

マインドスイーパーが夢の中で見ている景色が
本当のことかどうかも判然としない中、
これが原因だと特定できる要素は、ない。

それ故に自殺病を防ぐことはできない。

かかってしまった人間は、ごく普通に、生きることがつらくなる。

それが悪化していき、仕舞いには生を放棄するようになる。

自壊的な破滅思考に頭の中を蝕まれ、それに耐え切れなくなり、自我が崩壊し。

自我の崩壊と共に、肉体も生命活動を止める。

そういう病気だ。

いや。

そもそも自殺病を病気と定義していいものかどうか、それさえも怪しい。

ただの集団ヒステリーの一つなのかもしれないし、
流行的な誘導催眠なのかもしれない。

しかし現にそれにより人は死に。

今も、死のうとしている。

圭介は多数の赤十字の医師達が準備をしている中、大河内と睨み合っていた。

彼は松葉杖を苛立ったように鳴らすと、大河内に向けて言った。

「ヘッドセットを渡せ。医療業務の執行妨害だ」

大河内は圭介のヘッドセットを、握りつぶさんばかりに掴んでいた。

歯を噛みながら、彼は、その様子に唖然としている周囲の中で、
押し殺した声で圭介に言った。

「……頼む。今回のダイブだけは遠慮して欲しい。
これには未来が……沢山のマインスイーパー達の未来がかかっているんだ。
理緒ちゃんだって治せるかもしれない。
他の重度で、もう手の施しようがない患者だって……」

「知るか。ヘッドセットを渡せ。これは最後通告だ」

哀願するように言った大河内に、淡々と圭介は告げた。

「三十秒待ってやる。それ以上俺の業務を妨害するなら、
元老院の拘束規定事項により、お前の身柄を一時的に拘束させてもらう」

圭介の背後から、黒服のSPが数人立ち上がり、大河内を取り囲む。

しかし大河内は、ヘッドセットを離そうとしなかった。

「……大河内。俺は思うんだ」

圭介は静かに口を開いた。

「大多数を救うために、一人を犠牲にするのは、医療行為と言えるのかな」

「必要な犠牲だ。いや……犠牲ではない。礎だ。そう、礎なんだよ、高畑。
真矢ちゃんも、坂月君も礎になったんだ。
それを使って何が悪い! 助かるんだぞ、沢山の人が!」

「それは俺達のエゴだよ」

圭介はニヤついたような、しかし悲しそうな歪んだ奇妙な表情のまま続けた。

「俺達は一介のエゴイストに過ぎない。
救世主にはなれない。
創造主にもなれない。
誰かを助けるなんて、救うなんて、所詮そいつの自己満足、
主観的な感情論でしかないんだ。
お前はそれを押し付けることで自己を保とうとしているだけだ」

「だが、それで助かる人が、幸せになれる人が、感謝する人がいる!」

大河内はSPに取り押さえられながら喚いた。

「高畑! お願いだ、そっとしておいてくれ!
見なかったふりをしてくれ!
汀ちゃんだけは……」

「……もう遅い」

部屋の自動ドアが開き、
そこで息を切らして車椅子を片手で操作してきた汀が、
倒れこむようにして中に滑り込んだ。

転がり落ちかけた彼女を、慌ててジュリアが支える。

「……汀ちゃん……」

大河内が息を呑んで、そして大声を上げた。

「ここを出るんだ! 君が来ていい場所じゃない!」

「……せんせ、私、ダイブするよ……」

ゼェゼェと息を切らしながら汀は言った。

「私、やる……私は、人を救うんだ。沢山の人を……」

「駄目だ汀ちゃん! 君にはまだ早すぎる!」

SPの一人が、懐から出した拘束用の簡易手錠を大河内にはめる。

汀は悲しそうな顔でそれを見ていたが、
ジュリアの手を振りほどいて車椅子を操作し、大河内に近づいた。

「大丈夫だよせんせ……私、救ってくる。だって、私、医者だもん」

「汀ちゃん……」

「だから、少しだけ待ってて欲しいの」

「君がダイブすることは想定の範囲内なんだ。でも、その先を君は……」

「全部知ってるよ」

ポツリと呟くように言った言葉を聞いて、
圭介も大河内も、ジュリアも顔を上げた。

「私、全部知ってる。早すぎないよ」

「……思い出したのか?」

圭介に問いかけられ、汀は彼の方を一瞥したが、
すぐに近くの医師を見上げて言った。

「早く私を接続して。理緒ちゃんを連れてきて。ダイブする!」



★Karte.17 真矢★



汀と理緒は目を開いた。

そこは、どこまでも広がるリノリウムの真っ白い床だった。

病院だ。

数百メートル先は暗闇に包まれて見えなくなっている。

天井には薄暗い蛍光灯。

どれも切れかけて、ジジ……と音をたてている。

壁には無数のドアが見て取れた。

部屋の中は暗い。

覗き窓からは中を伺うことはできない。

閉塞感に首をすぼめ、汀はヘッドセットに手をやった。

「ダイブ完了。ここが治療中枢?」

「汀ちゃん……私、何だかおかしい。体がうまく動かない……」

理緒が苦しそうに言う。

顔には大粒の汗が浮かんでいて、息が荒い。

『古びた病院のイメージのはずだ。
理緒ちゃん、君にはGMDという薬が投与されている。
一時的に脳の動きを抑えているが、
落ち着いて対処すれば、君の能力なら切り抜けられる』

ヘッドセットから圭介の声が聞こえる。

今回は小白はダイブしてこなかった。

回線が複雑すぎて、ここの夢座標を見つけられなかったせいだと思われる。

理緒はしばらくふらついて歩こうとしたが、
やがてペタリとその場にしゃがみこんでしまった。

「大丈夫、理緒ちゃん……?」

心配そうに顔をのぞき込んだ汀に、理緒は泣きそうな顔で言った。

「ごめん、汀ちゃん。私今回役に立てないかもしれない……頭が痛いの……」

「大丈夫。その分私が動くから。だって、私達、友達じゃない」

「私のこと嫌いになったりしない?
汀ちゃんの役に立てない私のこと、捨てたりしない?」

「大丈夫だよ。心配しないで」

理緒の手を握って一生懸命語りかける汀だったが、
彼女の体も傷だらけだった。

忠信のナイフでめった刺しにされた傷がまだ塞がっていない。

『時間がない、動け汀。
その空間は虚数をはらんでる。十二分に気をつけろ』

「虚数空間なの?」

『接続先がない入口は、虚数だ。
存在しないが存在すると仮定された接続先に飛ばされる。
下手なドアを開けて中に飛び込んだら、
一生出てこれない可能性がある。
理緒ちゃんをうまく誘導してやってくれ』

「分かった」

おそらく、この無数に繋がる部屋の入口が、マインドスイープの入り口。

ここを通って、スイーパーはそれぞれの人間達の頭の中にダイブするのだ。

汀は足を引きずりながら、理緒の手を引いて歩き出した。

「全部ドアが閉じてる……」

呟いた汀に、圭介が言った。

『日本中のマインドスイーパーが治療を自粛しているせいだ。
今回の患者達の夢座標を読む。その場所に移動しろ』

「うん」

『お前達のいる仮想空間を一階だとすると、
三階の奥に固まってドアが開いている部屋があるはずだ。
そこに侵入しようとするものを、お前達の判断で、
危険因子だと判断したら、出来るだけ撃退してくれ。
抜けられて中に入られたら、
患者の頭の中まで追いかけて行かなければいけない』

「分かった」

頷いて、汀は階段を登りはじめた。

そこで理緒が足を止めた。

「どうしたの、理緒ちゃん?」

そう言った汀の手をいきなり離し、理緒は彼女を突き飛ばした。

銃声がした。

『どうした!』

圭介の声がヘッドセットから響く。

もんどり打って床を転がった理緒は、
右肩を抑えながら立ち上がろうとして失敗し、
声にならない悲鳴を上げた。

しかし何とか壁の手すりにつかまりながら上半身を起こし、立ち上がる。

手すりがぐんにゃりと形を変え、重厚な肉切り包丁に変化した。

「テロリスト……! 狙われてる!」

理緒は細い声を振り絞って、
左手で肉切り包丁を目にも止まらない速さで振った。

キンッ、という金属音が鳴り響き、
理緒が殴り飛ばされたかのように吹き飛んでまた床を転がる。

彼女の頭を狙ってきたと思われる銃弾が弾かれて、壁に突き刺さった。

「うう……」

頭痛が酷いのか、理緒がよろめきながら立ち上がってふらつく。

「圭介! 『T』を理緒ちゃんに投与して、早く!」

汀が踊り場にしゃがみ込みながら大声を上げる。

『無理だ! 彼女に今「T」を投与したら、ショックを引き起こすぞ!』

「このままじゃ理緒ちゃんが死んじゃう!」

また理緒が包丁を振り、銃弾を弾き飛ばしたが、
その勢いで吹き飛ばされて壁にたたきつけられる。

ズルズルと力なく床に崩れ落ち、
理緒は糸が切れたマリオネットのように倒れこんだ。

「理緒ちゃん!」

どこから銃弾が飛んでくるのかわからない状況だったが、
汀は慌てて立ち上がると理緒に駆け寄ろうとして……
理緒がそこで右手を自分に伸ばし、手を広げているのを見た。

「来ないで……」

「理緒ちゃん、でも……!」

「行って。私は大丈夫だから」

理緒は憔悴した顔で笑ってみせた。

「また後で、遊ぼうね……」

「理緒ちゃんを置いていけない!」

「早く……! 人を助けよう。一緒に」

理緒がそう言って、よろめきながらまた立ち上がる。

撃たれた肩からボタボタと血が流れ落ちていた。

「汀ちゃんが行けば、沢山助かるんだよね?
だから、行って。すぐに追いつくから」

「…………分かった。
絶対に、絶対に死んじゃ駄目だよ、理緒ちゃん!」

「うん……分かった」

汀が走って階段を登り、向こう側の暗闇に消える。

理緒はそこで、足音が近づいてくるのを見てそちらに無表情を向けた。

長大なスナイパーライフルを肩にかついだ、
赤毛の女の子が少し離れた場所で足を止めた。

岬だった。

「……驚いた。三発も止められて何をしたのかとおもったら、
包丁で弾き返したの……?」

驚愕した声で呟く彼女に、理緒は低い声で言った。

「テロリストね。そこで待ってなさい。ブチ殺してあげる」

「あなた……片平さんよね。片平理緒」

岬はそう言って、足を止めた理緒を馬鹿にするように、
鼻を釣り上げてみせた。

「なぎさちゃんにまかせて、
この前みたいに脇で震えているのがお似合いじゃないかしら」

「大きなお世話よ」

「そう、残念ね。こんなところじゃなければ、
私達いい友達になれたような気がするのだけれど」

「…………」

「ごめんね」

岬はスナイパーライフルを軽く振った。

ズンッ、というなにか巨大なものがリノリウムの床を砕いて落ちた。

理緒の目が見開かれる。

良く分からない。

分からないが、あれは危険なものだ。

心の中の本能的な何かが警鐘を鳴らす。

理緒は知らなかったことなのだが、
岬の脇には戦車に搭載されるような、巨大な自動機関銃が出現していた。

その銃口が一人でに理緒の方を向き、きしんだ金属音を立てる。

モーターが回転し、大人の指ほどもある銃弾が瞬きする間に
何百発も理緒に向けて発射された。

銃弾の雨ではない、嵐が壁を砕き、ドアを砕き、
天井の蛍光灯を爆裂させて薙ぎ飛ばしながら理緒に向けて襲いかかる。

理緒はそれより一瞬早く壁を蹴ると、
三段跳びの要領で天井を蹴って、まるでネズミのように、
およそ人にはできない動きで身を翻した。

そして銃弾の嵐をかいくぐり、まだ壁を吹き飛ばし続ける
機銃の脇を通過して、空中を体を丸めてくるくると回さりながら、
岬に肉薄した。

肉切り包丁が振り下ろされた。

「……速い……ッ」

岬が悲鳴のような声を上げて飛びすさる。

その肩を浅く包丁がかすめた。

しかし威力は絶大で、岬は病院服ごと腕を袈裟斬りに斬られて、
もんどり打って床に倒れた。

理緒は無表情で床に降り立つと、
まだけたたましい音と作動音を立てながら銃弾を発射し続ける
機銃の操縦席に立った。

そしてハンドルを操作して、銃口を力任せに動かし始める。

「……戻れ!」

自分を撃とうとしていることに気づいて、青くなるより先に岬が叫ぶ。

理緒の足下の自動機関銃がパッと幻のように消えた。

床に崩れ落ちた理緒の目に、どこから取り出したのか、
巨大なショットガンを手にした岬の姿が映る。

彼女は理緒が反応するよりも早く銃をコッキングすると、
照準をつけずに何度も引き金を引いた。

散弾が前方に飛び散り、床を飛んで避けようとした理緒の右手と右足が、
ボロ雑巾のように吹き飛ばされた。

ゴロゴロと床を転がって、理緒は震えながら大量の血液を吐き出した。

何発か散弾が胸を抜けていて、病院服に赤い色が広がっていく。

岬は無表情で理緒に近づくと、頭を足で踏んでまた銃をコッキングした。

「さよなら。生きてても辛いだけだろうから、私が引導を渡してあげる」

理緒の目から段々と光がなくなっていく。

「汀……ちゃん……」

うわ言のように呟いて、理緒は動く左手で、
少し離れた場所に転がっている肉切り包丁を拾おうと手を伸ばした。

岬がそこにむけて勢い良く足を振り下ろす。

骨が砕ける音がして、理緒は悲鳴を上げた。

「残酷な殺し方はあんまりしたくない。抵抗しないで」

理緒の頭に銃口を向け、岬は呟いた。

「じゃ……」

何かを言おうとした時だった。

理緒は、床に落ちていた薬莢を砕けた左手で掴んだ。

それがぐんにゃりと形を変え、リボルバー式の拳銃に変化する。

あ、と思った時には遅かった。

一瞬の差で、理緒が引き金を引いた。

岬の体が宙を舞い、彼女は額からおびただしい量の血を流しながら、
何度か床をバウンドしてから転がった。

そして鼻から血を垂れ流して動かなくなる。

理緒は、しかし拳銃を取り落とし、右手と右足がなくなった体で、
そのままうつ伏せに倒れこんだ。

「汀ちゃん……」

彼女は小さくかすれた声で呟いた。

「高畑先生が新しいゲーム機買ってくれるんだって……
一緒に遊ぼう……だって……」

目から生気がなくなっていく。

「私達……友達じゃ……」

そこで、理緒は動かなくなった。



階段を駆け上がる汀は、三階に踊りだすと、
そのまま足を引きずりながら手すりを掴んで走りだした。

おびただしい数のドアが脇にある。

暗い病院のどこまでも続く廊下を走りながら、
汀はヘッドセットに向かって声を発した。

「圭介! 見つからない、患者達の意識に続く部屋が見つからないよ!」

『…………』

「圭介、どうしたの?」

『何でもない。理緒ちゃんがテロリストと交戦を開始した。
彼女のバイタル監視に集中する。
患者の部屋はすぐに見つかるはずだ。焦るな』

歯噛みしてヘッドセットの通話を切り、汀は廊下の角を曲がった。

そこで彼女は、十数メートル離れた向こう側に、
長大な日本刀をダラリと下げた一貴が立っているのを目にした。

ただでさえ暗がりなのに、
凶器を構えて異様な雰囲気を醸し出している。

その脱力したかのような姿に、汀は立ち止まって大声を上げた。

「そこをどいて、いっくん!
私はシステムを止めに行かなきゃいけないの!」

「……分かってる」

「あなた達の目的は何なの?
単純な医療テロが目的じゃないでしょ!」

汀の声に、一貴はつらそうに顔を歪めた。

そして何か言葉を発しようとして失敗し、激しくその場に咳き込む。

左手で口元を抑えて、一貴は何度か餌付くと
手の平に広がった血液の痕に目を見開いた。

「……病気なの?」

汀が一歩を踏み出す。

一貴は寂しそうに笑うと、ヒュン、と日本刀を振った。

「残念ながらね。でも自殺病じゃない」

「私は医者よ。あなたを助けてあげたい」

「なぎさちゃんが僕を? ……嬉しいけど、君には無理だよ」

「やってみなきゃ分からないわ」

「君の大切な人を、大切な人達を殺しかけた僕を助けようとしてくれるの?」

静かに問いかけられ、汀は足を止めた。

「……大河内せんせを刺したのは、あなたね」

「うん。腹が立ってさ。君は僕のものなのに、
あいつは君を自分のものにしようとしてる。
殺しそこねたけど、状況が一段落したら、
高畑とかいう医者諸共息の根を止めるつもりだよ」

「…………」

「ごめんね……なぎさちゃんをすぐに助けてあげられない。
僕はまだ、それほど強くない」

「いっくんは大きな勘違いをしてるよ」

汀はまた一歩を踏み出し、静かに言った。

「勘違い?」

「ええ。あなたは、私を無力でひよこみたいな存在だと思い込んでる。
だから自分が守らなきゃって、思ってくれてるんでしょ?
でも私はもう、産毛は抜けてるの。大人よ。
一人で歩けるし、一人で鳴ける」

「…………」

「大河内せんせのことが好きなのは、自分の意思。
圭介に協力してるのも、自分の意志。
あなた達のことを半分以上忘れてるのは悲しいけど、
私はそれを乗り越えて前に進むつもりよ」

「なぎさちゃん……」

「だから邪魔をしないで。私が前に進むのを止めないで。
私は、沢山の人を救うんだよ」

汀は言い終わると、一貴の目の前で足を止めた。

そして頭一つ分くらいも違う彼のことを、まっすぐ見上げる。

「大丈夫。私は医者よ。怖がらないで。
いっくんのことも、すぐに救ってあげる」

「なぎさちゃん……僕には……」

言い淀んで、一貴は日本刀を握る手に力を込めた。

「……時間がないんだ。君がここに到達するまで、
待っていられる余裕が無い。
だから、僕からもお願いだ。
僕を救ってくれるんなら、忠信の精神中核を置いて
ここからすぐに立ち去って欲しい。
今回は何もしない。約束するよ」

「…………」

「じゃなきゃ、僕は、今度こそ本当に君を……殺さなきゃいけなくなる」

数秒間汀と一貴は見つめ合った。

悲しそうな、やるせなさそうな目をしている一貴と対照的に、
汀は目を爛々と輝かせ、強い芯をはらんだ視線をしていた。

汀と一貴の手が、同時に動いた。

日本刀を横薙ぎに振りぬいた一貴の腕を、
汀が掴んでぐるりと体を反転させる。

次の瞬間、頭一つ分くらいも体格が違う男の子を、
小さな汀は軽々と背負って投げ飛ばした。

床に背中からたたきつけられ、一貴が空気を吐き出す。

汀はそのまま拳を固めると、力いっぱい一貴の顔面に振り下ろした。

ドッ、というおよそ人間が発せられる音ではない異様な重低音をさせて、
一貴の頭がリノリウムの床にめり込む。

放射状の衝突痕が床に広がった。

もう一度拳を振り下ろそうとした汀の手が止まった。

ざわざわと一貴の髪がひとりでに動き、彼の顔面を覆い隠す。

それはドクロのマスクを形作って定着した。

「駄目……もうスカイフィッシュになっちゃ駄目だよ!」

必死に声を絞り出した汀の前で、マスクをつけた一貴が手を伸ばす。

それに首を掴まれて、汀の小さな体がサバ折りのように曲がり、
簡単に押し戻された。

上半身を起こし、一貴はもう片方の手で日本刀を構えた。

それを汀の額にピタリと当てる。

汀は呼吸ができなくなっている状況の中で、
手を伸ばして反射的に日本刀の刃を手で掴んだ。

肉が切れ、ずるりと皮がめくれて血が溢れ出す。

一貴は汀の首を締めながら、彼女が押し戻そうとする日本刀を、
力の限り押しこみ始めた。

血と脂で滑り、日本刀が少しずつ汀の額にめり込んでいく。

「いっくん……」

汀は、目にうっすらと涙を溜めながら、小さく言った。

「私は行くよ。ごめんね……」

バキィッ、と音がした。

汀の頭蓋骨が砕けた音ではなかった。

一貴の日本刀が、半ばから砕け散っていた。

汀は折り取った日本刀の先端部分を掴むと反転させ、
一貴の胸に深々と突き刺した。

「がっ……」

異様な声を上げて、マスク姿の一貴が硬直する。

胸を抑えて、彼はよろめいて、どうとその場に崩れ落ちた。

汀も激しく咳をして、一貴に覆いかぶさるように倒れこんだ。

忠信にやられた切り傷が全て開いていた。

血まみれになっている汀を、一貴は震える手でそっと抱いた。

「……だいぶ、無理してたみたいだね……」

「いっくんこそ……」

「行きなよ。患者が待ってるんでしょ?
その結果、君が不幸になるとしても、それは君の選んだ未来だ。
後悔しなければ、僕はそれでいいよ……」

「後悔しない……私、行ってくる……」

汀は一貴に押されて、よろめきながら立ち上がった。

そこで、彼女達はパチ、パチ、パチ、と乾いた拍手を聞いて、顔を上げた。

拍手を発していた対象を目にして、一貴の目が見開かれる。

「まずい……もう起動してたのか……!」

彼がそう言って、胸に折れた日本刀を突き立てた状態のまま、
汀を庇うように無理矢理に立ち上がり、腕を振った。

両手に二本の日本刀が出現してギラついた光を発する。

「……何……」

一貴はペタ、ペタと足音を立ててこちらに近づいてくる人影を見て、
小さく呟いた。

「真矢先生……?」

呟いた先には、真矢と呼ばれた白衣の女性が立っていた。

長い赤毛に、整った顔をしている女性だった。

しかしどこか無機的な笑顔が張り付いていて、
薄暗い照明に照らされて、かなり不気味な雰囲気を醸し出していた。

真矢は一貴と汀から少し離れた場所で足を止めると、
白衣のポケットに手を突っ込んだ。

そして口の端を歪めて笑い、感情の感じられない目で二人を見る。

「……誰かと思えば、工藤くんと網原さんじゃない。久しぶりね」

「誰……?」

汀が小さく呟く。

一貴は少し言いよどむと、くぐもった声を返した。

「ナンバーIシステムの正体だよ。あれは虚像。
システムにアップロードされた、
昔のマインドスイーパーの、意識の断片だ」

「……赤十字……『機関』と『元老院』が、
マインドスイーパーの意識だけを切り離して、夢世界に閉じ込めたって……
そうすれば、生身の人間をダイブさせる必要はなくなる。
それがナンバーIシステムの正体ね……」

汀は真矢をまっすぐ睨みつけ、続けた。

「大人が考えそうなことだわ。ねぇ圭介!」

ヘッドセットの向こうに汀が大声を上げる。

圭介はしばらく沈黙していたが、やがて押し殺した声をそれに返した。

『汀、議論をしている暇がない。工藤一貴、聞こえているか?』

「…………」

一貴は血液混じりの涎を口の橋から垂らしながら、それに答えた。

「聞こえてる」

『一旦停戦としようじゃないか。
どうやら、お前の目的は俺達の目的と被るようだ。
ここで汀と争わせてもいいが、お前にとって、
それはあまり得策とは言えないだろうな』

「…………」

一貴は忌々しそうに歯噛みして、低い声で圭介に向かって言った。

「分かった。だが今回だけだ。条件がある。
岬ちゃん……片平さんと一緒にいた女の子の精神中核に手を出すな。
やられたんだろ?」

『…………』

圭介は一拍置いて、続けた。

『約束しよう』

「なぎさちゃん、これを」

一貴は汀に日本刀を一本渡すと、ふらつきながら自分の刀を構えた。

刃を向けられ、真矢がポケットに手を入れた姿勢のままニヤニヤと笑った。

「あらあら……無理はいけないわよ、工藤君。
そんなに血を吐いて、血を流して、
あなたの体も精神も、悲鳴を上げてるわ」

真矢は足を踏み出すと、悠々と一貴に近づいて、手を伸ばした。

「なぎさちゃん、説明は後だ!
こいつに触られるな、全ての精神情報をスナーク(読み取り)される!」

一貴は飛び退いて、足を踏みしめると真矢に向かって
日本刀を大上段に振りぬいた。

しかし、斬撃は振り切らないまま途中で止まった。

真矢が伸ばしていた手で、
日本刀の腹を簡単に親指と人差指で掴んで、止めたのだった。

「くっ……」

歯を噛み締めた一貴の両腕の力を、細い腕の女性は片手で簡単に押し戻すと、
大して力を込めている風はないのにあっさりとひねりあげた。

「ダメじゃない。大人に刃物を向けちゃ」

「なぎさちゃん離れて!」

「そういうことをするお馬鹿な子には……お仕置きが必要ね」

真矢がパッ、と日本刀から手を離した。

次の瞬間、彼女は一貴の方に手を伸ばし、
口をすぼめて勢い良く空気を吐き出した。

それが竜巻のような渦を巻き、途端に轟音を立てて燃え上がった。

炎の渦が目にも止まらない速度で一貴に襲いかかる。

一貴はそれを見て、頭を抑えて体を丸めた。

ざわざわと彼の体から水蒸気のようなものが立ち上り、
一拍後、彼はボロボロのシャツにジーンズ、
チェーンソーというスカイフィッシュのいでたちに変わっていた。

彼は唖然としている汀に、チェーンソーを持っている方とは
逆の手を突き出すと、とっさに大きく振った。

そこから防火マットのような黒い大きな布が出現し、汀の体を覆い隠す。

次の瞬間、二人を巨大な爆発が襲った。

病院の廊下、壁、天井が吹き飛んで、辺りに轟音と爆煙、
そして砕けたコンクリートによる土煙が吹き荒れる。

数秒後、爆風が収まった空間で、
一貴は回転するチェーンソーの刃で顔面を隠した姿勢のまま、
深く息をついた。

体の所々が焦げて、まだメラメラと燃えている箇所がある。

真矢と一貴達の間の廊下が、スッポリとなくなっていた。

バラバラとガレキが落ちていく。

虹色のゲル状になったものが詰まっている空間が、
砕けた病室の間から見える。

二階と四階に繋がる廊下と天井がなくなっていた。

「チィ……虚数空間なのか……!」

歯噛みした一貴に、真矢はフフフと面白そうに笑って答えた。

「そう、その先はどこにも繋がっていない暗黒の空間。
そこに落ちれば、意識をもう引き上げることはできないわ」

真矢の体が、かげろうのように揺らいで消えた。

「治療の邪魔をする愚か者の子供は、無限の虚無に落ちて、
自然消滅するまで後悔すればいい」

一貴のすぐ後ろから声が聞こえ、スカイフィッシュ状態になった彼は、
マスクの奥の瞳を光らせながら振り向いた。

その瞬間、真矢は変質してチェーンソーが変化した、
振りぬかれた一貴の日本刀を、また掴んで止めた。

そしてためらいもなく「虚数」と言った虹色の空間に、
刀ごと彼を投げ飛ばそうとする。

「その手を離しなさい」

そこで、押し殺した汀の声が響いた。

チャリ、と金属音がして、真矢の背後から刀が伸びて、
彼女の首筋につきつけられる。

「私は本気よ、意識だけのマインドスイーパー。
彼の刀から手を離しなさい」

「あらあら……網原さん。少し見ない間に、すっかり大人びちゃって」

面白そうにフフフと笑い、真矢は一貴の刀から手を離し、
白衣のポケットに手を突っ込んだ。

軽く目を閉じて、一貴と汀に刀を突きつけられながら、
しかしそれを全く意に解していないように、彼女は続けた。

「自殺病は完全に治ったみたいね。良かった」

「自殺病……?」

汀はそう呟いて、怪訝そうな瞳を真矢に向けた。

「私のこと……?」

「なぎさちゃん、聞く耳を持つな!
こいつはただの意識の集合体、プログラムの塊だ!」

「人間の意識なんてプログラムのようなものよ。
所詮機械で制禦できる。
あなた達子供には、難しすぎる話かもしれないけど」

「僕は子供じゃない……!」

一貴はそう吠えて、日本刀を振りかぶった。

金属音がして、火花が散った。

真矢が、いつの間に何を変質させたのか、
一貴のものと全く同じ日本刀を片手に持って、
彼の斬撃を受け止めていた。

瞬きをする間に、今度はもう片方の手で汀の刀を受け止め、
彼女は二人のマインドスイーパーを簡単に押し戻し始めた。

「患者の治療を、邪魔しないでもらえるかな?」

「させるか! 僕の目的はあんたの消滅だ!」

一貴がそう叫んで日本刀を持つ手に力を込める。

マイクの向こうで圭介が息を呑むのが汀には分かった。

しかし、真矢の力は物凄く、両腕に力を入れて踏ん張っていても、
徐々に体が押されて後ろに下がっていく。

「網原さん、あなたは自殺病にかかって全ての記憶と過去を失ったようね」

真矢はそう言ってまたくぐもった声で笑った。

「私は自殺病になんてかかって……」

「まだそれは思い出していないのね。いいわ、教えてあげる……」

一貴を吹き飛ばし、彼が床に開いた大穴を飛び越えて壁にぶつかり、
もうもうと土煙を上げてめり込んだのを確認し、
真矢は汀の刀も簡単に捻り上げて吹き飛ばした。

汀はくるりと回って壁を蹴り、床に降り立った。

そして真矢を挟んだ対角側で、一貴が床に崩れ落ちて大量に血を吐き出したのを見る。

「いっくん!」

「おっと、動かないほうがいいよ」

真矢がそう言って、日本刀を振った。

「ただのスカイフィッシュと小娘ごときに、どうせ私は止められない」

彼女は両腕に、自分の身長よりも大きな連装機銃……
つまるところガトリング銃を構えていた。

本能的に危険を察知した汀がその場に停止する。

「……網原さんは生きてる『私』が、
最後に治療した重度の自殺病患者。だから私も覚えてる」

「なぎさちゃん……自殺病にかかってたのか……」

無理やり起き上がろうとした一貴に無数の銃口を向け、
真矢は引き金を引こうとして……。

「やめて!」

汀の叫び声で、指を止めた。

いつの間にか、汀は両手で小さな短銃を構えて真矢に向けていた。

そのちっぽけすぎる抵抗を受けて、真矢は面白そうにまたフフフと笑った。

「何、それ。せっかくの夢の中なのに、
そんなものくらいしか具現化できないの?」

「あなたのしようとしてるのは、治療じゃない!
患者の精神内に入って、完全に区画……理性ごと
自殺病のウィルスを破壊するつもりなんでしょ?
そんなことはさせない! 私を惑わせようとしても無駄よ!」

「別に惑わせようとしてるつもりもないし……
あなた達じゃ止められない。
だって『私』はもう既に、患者の中に入っているのですもの」

汀の背後から声が聞こえ、彼女は慌てて振り返ろうとして、
首を掴まれ、壁に叩きつけられた。

空気を吐き出した汀の目に、
少し離れたところでガトリング銃を構えている真矢と……
自分のことを壁に押さえつけている真矢が映る。

一貴の脇にも三人目の「真矢」がどこからか現れていて、
彼を羽交い絞めにして首を押さえつけていた。

「ど、どうして……」

呟いた汀に、もがきながら一貴が怒鳴った。

「こいつらはプログラムだ!
いくらでも複製がきくんだ、早く抜け出して!」

「あなた達の精神を、麻痺させてもらうわ」

三人の真矢が同時にそう言って、ニヤリと醜悪に笑う。

『くそ……汀、「T」を投与した! 効果時間の間に何とかしろ!』

圭介の声がマイクから響く。

押さえつけられていた汀の姿が消えた。

「え……」

呆然とした背後の真矢の首が、落ちた。

凄まじい勢いで血液が噴出し、辺りの壁を真っ赤に染める。

崩れ落ちた首なし死体に構うことなく、
汀は地面を蹴って、片手に日本刀を持ち、
もう片手に短銃を持ちながら飛び上がった。

実に人間には不可能な程の勢いで、彼女は床に開いた大穴を飛び越えがてら、
一貴を押さえつけている真矢に短銃を向けた。

次の瞬間、汀の銃が火を吹き、二人目の真矢がもんどり打って地面に倒れた。

そのまま汀は、目にも留まらぬ勢いで日本刀を振りかぶって、
反応が遅れているガトリング銃を構えている真矢に振り下ろした。

袈裟斬りに斬られて、三人目の真矢が胸から血を吹き出しながら崩れ落ちる。

荒く息をついて膝をついた一貴の脇に着地して、
汀は四つん這いになり、ものすごい勢いで胃液を吐き出した。

血が混じっている。

「なぎさちゃん!」

慌てて一貴が汀を助け起こす。

汀は体を細かく痙攣させて震えながら、
一貴を吐き出した血と胃液で濡れた手で掴んだ。

そして自分の方に向けて引き寄せる。

一貴の背後から伸びた手が、彼の首を掴もうとしていた。

手が空を切り、一貴は振り向きざまに日本刀で、
背後から来た四人目の真矢を斬り飛ばした。

しかしそこで、汀と一貴、二人の目が見開かれた。

彼女達はいつの間にか、ポケットに手を突っ込んだ
数十人の真矢に囲まれていた。

彼女達全員が一斉にポケットから拳銃を取り出し、二人に向ける。

「今患者全員の『治療』を『私』が開始したわ。
あなた達は間に合わなかった。タイムオーバーね」

数十人が一度に口を開く。

巨大なスピーカーからの音のようにウワンウワンと響く
真矢の声の中で、汀は悲鳴のような声を上げた。

「どうすればいいの!
増殖するプログラム相手じゃ勝ち目がない!」

『分裂してるのか……! 汀、そこから離れて帰還しろ!』

「でも患者が……」

『もう止められない! 安全な場所まで逃げろ!
回線を強制遮断するまでの時間を稼げ!』

圭介が怒号を発する。

『真矢! 満足か……お前はそれで、満足なのか!』

数十人の真矢は、圭介の声に反応するでもなくフフフと不気味に笑った。

「大丈夫、なぎさちゃんだけは逃がす。僕以外の奴に君が殺されるなんて、
そんな未来まっぴらごめんだ!」

一貴はそう怒鳴って、壁を背にしながら汀をかばいつつ立ち上がった。

その時だった。

不意に数十人の真矢の動きが一斉に止まった。

「くっ…………電力供給量が圧倒的に足りない…………」

一人の真矢がそう呟くと、別の彼女が続いた。

「全てのシステムを一時凍結。強制切断、ラインの暗転を確認」

「MAYAシステムのシャットダウンを開始。切断まで残り三十秒」

「駄目……また、また暗闇は嫌……やっと出れたんじゃない……
やっと外に出れたんじゃないの?
私をまたあそこに閉じ込めるの?
私のことを、また閉じ込めるの……?」

真矢達が肩を抱いて銃を取り落とし、絶叫するように苦しみ始める。

「榊……健吾……助けて! 私また戻りたくない!」

『…………』

「圭介!」

呆然としていた圭介に、マイク越しに汀が怒鳴る。

『回線を強制遮断するぞ!』

ハッとして圭介が叫ぶ。

「待って、なぎさちゃん!」

慌てて一貴が汀に向かって手を伸ばした。

汀はそっとそれを握り返そうとして……その姿がフッと消えた。

沢山の真矢は、いつの間にか消えていた。

一貴はしばらくの間停止していたが、
やがて目の前で一人に戻って、肩を抱いてしゃがみ込み、
震えている真矢に近づいた。

「……真矢先生、お久しぶりです。
夢の中で、前は何度もお会いしていましたね。
僕に、変質のイロハを叩きこんでくれたのも、あなただった」

真矢の体がピシピシと音を立てて石灰のように
白い塊になり、崩れて落ちていく。

「……まだ、システムは未完成なんだ……いける……」

一貴はニヤァ、と口を裂けるのではないかと言わんばかりに開いて、
パンッ、と壁を平手で叩いた。

そこに古びたドアが出現する。

それを開き、彼はクックと笑い呟いた。

「なぎさちゃん、すぐに迎えに来るからね……」

一貴が扉の中の黒い空間に体を踊らせる。

そこで、天井の蛍光灯が一斉に、音を立てて消えた。



「そんな……システムエラー……ダウンだと……?」

大河内が呆然と呟いて、膝をつく。

圭介はそれを冷めた目で一瞥してから、周囲に声を張り上げた。

「片平理緒さんの手術を開始してください!
治療術式は中止だ! 患者の脳接続を全て切るんだ!」

「馬鹿な! システムは完璧だったはずだ!」

大河内が後ろ手に手錠をかけられたまま、大声を上げる。

圭介は頭からヘッドセットをむしりとると、それを床に叩きつけた。

そして大河内に近づいて、
ためらいもなくその腹に無事な方の足の爪先を叩き込む。

「ドクター高畑! 何をするんですか!」

ジュリアが慌てて彼を抑えて止める。

「よくも……よくも真矢を……」

ギリギリと歯を噛み締めながら、
圭介は殺気を帯びた視線を大河内に落とした。

しかし彼はそれ以上言わずに言葉を押し殺すと、
無理やりにそれを飲み込んで背中を向けた。



圭介は薄暗い病室の中で一人、備え付けの電話の受話器を手に取り、
しかし思い直してそれを元の位置に戻した。

そして懐から携帯電話を取り出し、窓際に移動してからダイヤルする。

しばらくコール音が鳴り響き、やがて人を食ったような
朗らかな調子の青年の声が聞こえた。

『やあ、大変だったようじゃないか。聞いてるよ』

「…………」

『機関は彼女とテロリストを交戦させようとする筋書きまでは
組んでいたけど、まさかシステムが自壊してダウンするとまでは
予想できなかったようだ。大騒ぎだ』

「……知ってたな。ナンバーIシステムの凍結が解除されたことを。
何故俺に黙っていた!」

『僕は君の協力者であって、奴隷じゃないからね。
聞かれてもいないことを答える義理はない』

淡々と冷たく返され、圭介は口をつぐんだ。

『相変わらず真矢ちゃんのことになると見境なくなるな。
今回の君の軽率な行動で、網原汀という大事なコマが、
自分自身の持つ贖罪の意味に気づき始めてる』

「…………」

『冷静になれよ、高畑。僕達が「真矢」と呼んだ人間はもう死んだ。
僕のように』

クックと笑い、電話の向こうの声は続けた。

『僕達は生きてはいない存在だ。
人間の本質が肉体になるのなら、もうとっくに死んでる。
いつも思うよ。僕達って、一体何なんだろうって』

「…………」

『高畑……いや、中萱(なかがや)、僕は君のことが嫌いだ。
大前提として、それを忘れないでもらいたいね』

「坂月……」

歯ぎしりして声を絞り出した圭介に、
電話口の向こうの青年は面白そうな笑い声を返した。

『おっと、「中萱榊」という名前はもう捨てたんだっけか? 
あの頃もそう言ってたな……君はいいよな。
そうやって自分に都合の悪いものを全て僕達に押し付けて、
自分だけはのうのうと安全な場所に居続けようとする。
腐った根性だ』

「…………」

『だから真矢は死んだんだよ。僕も、それに巻き込まれた。
君は一加害者の一人であって、被害者面をしてほしくないものだ』

坂月と呼ばれた声は、淡白な調子で吐き捨てた。

『網原汀にすべてを悟らせるのはまだ早い。
テロリストとも、もう接触をさせない方がいい。
あの少年は、知らなくてもいいことを知りすぎてる。
多分真矢のコピーが教えたんだ』

「……コピーでもいい。真矢を助けたい。協力しろ」

押し殺した声でそう呟くように言った圭介に、少しの沈黙の後坂月は言った。

『僕に助けを求めるなんて、君も相当追い詰められてるな』

「するのか、しないのかどっちだ」

『……いいよ。真矢ちゃんのことは、僕にも責任がある。
赤十字グループの思うとおりにはさせない』

「…………」

『網原君を、テロリストが動きを止めている隙に
「三十五番のエーゲ海」にダイブさせるんだ。
そこで、僕は彼女と話をしたい』

「分かった」

圭介はそう言うと、ブツリと一方的に電話を切った。

そして苛立ったように携帯電話をベッドに投げ捨て、
どっかと椅子に腰を下ろす。

病室の隣に、ガラス張りの無菌室が設置されている。

精神と肉体の傷は、時として連動することがある。

そこには体中いたるところに包帯を巻かれた汀と理緒が、
多数の点滴と機材に囲まれて静かに眠っていた。

中にはまだ医者や看護師が動いている。

そこで圭介は、入り口のベルが短く鳴ったのに
気がついて立ち上がった。

そして松葉杖を鳴らしながら鍵を開ける。

そこには、SPも連れずに青い顔をしたソフィーが立っていた。

「何だ……君か」

呟いた圭介に、ソフィーはぶっきらぼうに手に持った資料を差し出した。

「随分前にあなたに依頼された人間の、
夢座標の位置を割り出したわ。受け取って」

「天才にしては随分遅かったじゃないか」

「私も暇じゃないから」

髪をかきあげ、ソフィーは嘲るように圭介を見た。

「……あなたも随分悪趣味なことするわね。
他人の夢座標を勝手に割り出すのは、犯罪よ」

「だが医者ならばそれが許される」

暗い表情のまま、圭介は資料をめくって目を通した。

その口元がニヤァ、と開かれる。

ソフィーが一瞬それを見てビクッとした程、不気味な表情だった。

「……成る程、『三十五番のエーゲ海』か……」

圭介はそう呟いて、ソフィーに目をやった。

「なぁ、暇なら俺達のことを手伝わないか?」

「暇じゃないわ。もう金輪際こんなことはご免よ」

「つれないな……君のその左腕を治してやれると言ってもか?」

「え……?」

スカイフィッシュのチェーンソーで斬られてから、
機能しなくなっている自分の腕をソフィーは見た。

「……どういうこと?」

「とりあえず中に入れ。話はそこでしよう」

圭介は戸惑うソフィーを招き入れ、小さく笑った。

「赤十字を、ただじゃ済まさない。
君も個人的に恨みがあるようだな。協力体制といこうじゃないか」

「…………」

「俺達の『治療』の開始だ」

暗がりで圭介の表情をよく見ることができない。

だがソフィーは、彼の目を直視することができなかった。

それほど圭介の目は、激しい殺気と狂気を帯びていて。

およそ常人がすることのできない表情をしていたからだった。

眠っていた小白が頭を上げて、彼のことをじっと見上げた。

汀の腕に繋がれた点滴が、ピシャンと水滴を落とした。



お疲れ様でした。

次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご感想などがございましたら、
ぜひ一言いただけますと嬉しいです。

それでは、今回は失礼させていただきます。

こんばんは。

遅れてしまい申し訳ありませんでした。

体調を崩したりしておりまして、なかなか続きが書けませんでした。

18話から再開いたしましたので、書けた部分から掲載させていただきます。

少しずつの投稿になりますが、ご了承いただければと思います。



赤十字病院の会議室に集められた医師達が、全員暗い表情で何かを考え込んでいる。

それを見回し、ジュリアが口を開いた。

「海外からのマインドスイーパーの協力をとりつけることができました。
この機会に、赤十字病院協同で大規模な治療を開始します」

「これでやっと一安心か……」

老人の一人がそう呟くと、医師達と反対側の席の老人達が、
口々に安堵の呟きを発して顔を見合わせた。

「しかしシステム復旧の目処が立っていない以上、安易に治療を行うのは危険です! 
まだテロリストの排除にも成功していないんですよ!」

大河内が声を荒げて口を開く。

彼と反対側の席で、圭介が睨み殺さんばかりの視線を、大河内に向けていた。

ジュリアが冷静な目で大河内を見て、口を開く。

「対スカイフィッシュ変種用のマインドスイープ部隊も編成済みです。
常時アクセス可能な環境を構築し、
テロリストの侵入が確認でき次第送り込みます」

「くっ……」

歯噛みした大河内に、元老院の一人が静かに言った。

「大河内君。システムの起動はまだ早すぎたんだ。
マインドスイープの完全な機械化は、理論的には可能だが、
時代がまだそれに追いついていないのかもしれない」

「何をおっしゃいますか! システム化は十二分に可能なはずだ!」

「冷静になりたまえ」

大声を上げた大河内の声を打ち消し、老人は続けた。

「君の報告書には目を通させてもらった。
ナンバーIシステムの起動、運用に際して、正体不明の致命的なエラーが
三千九十八箇所も発生していたそうではないか。
そんな不確定な代物に、赤十字病院の名を冠して
治療を任せるわけにはいかんな……凍結だ」

「エラーはプログラムにはつきものです。
それに、ナンバーIシステムは学習プログラムを組み込んであります。
一度エラーを起こした問題は即急に解決して……」

「聞こえなかったか。ナンバーIシステムは凍結だと言ったのだ」

老人がゆっくりと繰り返す。

安堵の色を浮かべる医者もいたが、殆どが暗い顔をしていた。

大河内が言葉を飲み込んで、腕組みをして俯く。

そこで圭介が口を開いた。

「つきましては政治的、医療的に今後重要なポストとなりえる
患者を優先的に治療しようと思うのですが、宜しいでしょうか」

元老院の老人達は表情を変えなかったが、医者達は違った。

色をなして、顔色を変えて圭介を見た者もいる。

圭介は薄ら笑いのような微妙な表情を浮かべながら、それを見回して続けた。

「何、私の保有しているマインドスイーパーの弾には、限りがあるもので」

「しかし現在、高畑汀、片平理緒という二人の特A級スイーパーは、
システムへの干渉とテロリストとの交戦で行動不能になっていると聞く。
どうするつもりだね?」

老人に聞かれ、圭介は横目でそれをみてから手元の資料に視線を落とした。

「フランソワーズを使わせていただきます」

「ほう……フランソワーズ・アンヌ=ソフィーか。
フランス赤十字が首を縦に振るとは思えんが」

「振ります。いついかなる場合でも、
マインドスイープには『本人』の意思許諾が必要になるはずです。
今回の協力は、本人の強固な意思による、自主的な要望です」

「解せんな……」

別の老人が押し殺した声を発する。

「だが……君がフランソワーズ君を使って治したい患者とは一体誰だね?」

「話が早くて助かります」

そう言ってから、圭介は資料をテーブルの上に放った。

「患者の名前は白坂純一。重度の自殺病を発症し、現在七日目。
放っておけばあと一両日中に死に至ります」

「しかし……」

そこで黙って聞いていた医師の一人が口を開いた。

「他にも重篤な患者は多数いる。
高畑医師、あなたが今仰った患者は、私達が知らない一般外来の患者だ。
ここは赤十字病院に急患で運び込まれた患者を優先すべきではないのか?」

「……私に、あなた方に合わせる道理はないわけでして」

「口が過ぎるぞ!」

ドン、とテーブルを叩いて別の医師が怒鳴り声を上げる。

「……先程も言った通り、協力者である
フランス赤十字のA級マインドスイーパー、
フランソワーズの自由意志を尊重した結果です」

圭介がゆっくりとそう言うと、
せせら笑うようにテーブルを叩いた医師が言った。

「どうせお前の誘導だろう!」

「静粛に」

そこでジュリアが手を叩いて場の注目を集めた。

「世界医師連盟の承諾も、既に取り付けてあります。
高畑医師のチームに、まず私達は協力することになります」

「何だと!」

医師達が色めきだった。

明らかに敵意を向けている者もいる。

「モグリ医者風情が、我々よりも優先されるというのか!」

医師の一人が大声を上げると、それに同調する声が次々に上がった。

圭介はそれに興味が無さそうに小さく欠伸をすると、
鞄からiPadを取り出した。

そして電源をつけて、表示されたカルテに目を通す。

「失礼。最近は紙のカルテですと偽装される恐れがありましてね。
世界医師連盟から、今回の患者に関しての資料は
全てデータで送られてきています」

周囲のざわめきを完璧に無視して、圭介は続けた。

「白坂純一、四十五歳。重度の不眠症を患っている患者です。
投薬により眠りを深くし、
いわゆる『夢』を見ないように調整されているそうです」

「統合失調症の治療薬を投薬されているのか?」

元老院の老人がそう問いかけると、圭介は頷いてカルテを読み上げた。

「強度のジプレキサなどが投薬されていますね。
抗鬱剤に加え、ハルシオンなども試されているようです。
レム睡眠状態を抑えるためだと思われます」

「一応聞いておこう。この非常事態に、何故その患者なのだね?」

落ち着いた声の老人に聞かれ、圭介は一拍おいてからiPadをテーブルに置いた。

「この患者は、対マインドスイーパー用の精神防壁構築訓練を受けている、
『初期治療』の生き残りです」

彼がそう言うと、驚きのざわめきが広がった。

戸惑った声で老人がそれに返す。

「何だと……? ということは、赤十字病院の『実験』の……?」

「そうなりますね」

興味が無さそうに言って、圭介はカルテにまた視線を戻した。

「外部に漏れると困る話だとは思いますが……
恐れながら、元老院のご老人方や日本赤十字病院の方々は、
これから慎重に発言された方が良い。
私は世界医師連盟の依頼で動いています」

そう言って圭介はiPadを操作した。

そして全員に見えるように、画面を表に向ける。

通話中のアイコンが点滅していた。

それを見て、場の全ての空気が止まった。

今までの会話は全て、
どこの誰かと分からない人に対して流されていたことになる。

いや。

分からない人ではない。

医師も、元老院の老人達も、全員が察した。

「……申し遅れましたが、世界医師連盟の会長、
ゴダック・アルバート氏と通話が繋がっております」

圭介は薄ら笑いを浮かべてそう言ってから、iPadの画面を見えるように、
スタンドでテーブルの上に立てかけた。

「さて……話し合いを続けましょうか」



★Karte.18 大きくなる薬、小さくなる薬★



「高畑汀と片平理緒はまだ意識が戻らないの?」

不安げにそう問いかけられ、圭介は松葉杖を鳴らしてから答えた。

「汀はさっき目が覚めた。しかしダイブできるかどうかは危ういな……
夢傷(むしょう=夢の中で傷ついた場所が、痣になったり皮膚が裂けたりすること)が
体中に開いてる。精神の傷つきようがかなり強い」

「片平理緒は?」

「集中治療室に移動させた。もう、意識は戻らないかもしれないな」

淡々とそう言った圭介を睨みつけ、ソフィーは押し殺した声を投げつけた。

「あなたは人間じゃない……高畑汀と片平理緒が可哀想だわ!」

「可哀想? 何がだ?」

圭介は壁に寄りかかって息をつき、鼻を鳴らした。

「俺は自由意志を尊重しているだけだ。君達マインドスイーパーには、
何一つとして強制したことはない」

「よく言うわ、詭弁よ! 私達が子供であることをいいことに、
あなたは自分にされたことと同じことを返しているだけよ!」

ソフィーに刺すように言われ、圭介は口をつぐんだ。

そしてポツリと、小さな声でそれに返す。

「ああ……そうかもしれないな」

「…………」

言葉を飲み込んだソフィーに資料を投げて渡し、
圭介は軽く咳をしてから言った。

「とりあえず、汀に会わせよう。
同じ現役マインドスイーパーの君の方が、
あいつがダイブ可能かどうか判断できそうだ。
どうも……俺にはよく分からない」

「分からない……?」

「ああ。俺にはどうも、君たちのことはよく分からなくてな」

自嘲気味にそう言って、
圭介は松葉杖をついて病室の外に向けて歩き出した。



汀は、腕中にいくつも点滴を刺され、
鼻にカテーテルを深く差し込まれた状態で、ぼんやりと宙を見ていた。

しばらくして、病室のドアが開いて圭介が入ってきたのを見て、
言葉を発しようとして失敗する。

鼻から入ったカテーテルが喉に到達しており、
喋ることができなくなっているのだ。

「また吐くぞ。落ち着け」

圭介に言われて、汀は息をついた。

体中に膏薬が貼り付けてあり、包帯には血が滲んでいる。

交通事故に遭った後のような無残な姿になっている汀を見て、
ソフィーが息を飲んだ。

「酷い……」

そう呟いて、彼女はキッ、と圭介を睨んだ。

「ダイブできるわけないじゃない! 
彼女は重病人よ、夢傷に冒されすぎてる!」

「見ただけでよく分かるな。さすが天才は違う」

「からかわないで! どういう神経してるの!」

ソフィーが無事な右手を伸ばして、
視線を向けようとしない圭介の服の袖を掴みあげた。

「あなたこの子の保護者でしょう! 
私は、彼女にダイブを強制するようなら、
医師連盟にありのままを報告するわよ!」

汀が、そこで軽くえづいて指を伸ばした。

圭介がiPadを操作してあてがうと、
汀は表示されたキーボードを指で操作し始めた。

程なくして彼女の意思を表示する書き込みが出来上がる。

『ダイブできるよ。次の患者は?』

「何を言ってるの!」

ソフィーがヒステリックに叫んで、
汀に覆いかぶさるようにして大声を上げた。

「拒否権を行使しなさい! このままじゃ、あなたは殺される!」

『私はダイブできる。精神世界なら、普通に動ける』

「そういう問題じゃ……」

『邪魔をしないで』

表示された言葉を見て、ソフィーは口をつぐんだ。

そして圭介の服から手を離し、疲れたように椅子に腰を下ろす。

「……邪魔をしているわけじゃないわ。気に障ったなら、謝る」

『心配してくれてありがとう。でも動けるから、大丈夫』

時間をかけて文字を入力し、汀は圭介の方を見た。

『痛み止めをちょうだい』

「これ以上は投与できない。眠れなくなるぞ」

『いいよ』

「駄目だ」

端的に汀の言葉を打ち消し、圭介はため息を付いて頭をガシガシと掻いた。



お疲れ様でした、次回の更新に続かせていただきます。

ご意見やご感想などがございましたら、
お気軽にお書き込みください。

それでは、今回は失礼させていただきます。

こんばんは。

小出しになってしまい申し訳ありません。

続きが書けましたので、投稿させて頂きます。

お楽しみいただけましたら幸いです。



「ソフィーにも言ったが、俺にはどうも、
お前がダイブできる状態かどうか判断がつかない。
ちなみに、赤十字の医師の見解は、お前は二ヶ月間絶対安静だ」

「…………」

無言を返した汀を見て、圭介は続けた。

「死ぬぞとは言わない。それは覚悟の上のことだろうからな。
だが、俺から一つ言わせてもらうとすれば、
お前はこのままではスカイフィッシュになってしまう可能性がある」

「ど……どういうこと?」

ソフィーが声を震わせて呟くように聞く。

圭介は彼女を横目で一瞥してから、投げやりにそれに答えた。

「何という事はない。過去に同じような症例があっただけだ」

「人間がスカイフィッシュになるとでもいうの? 
意識だけが肉体から切り離されて、
夢世界の中で生きるだけの存在になるとでも?」

「その通りだ。人間はスカイフィッシュに変わる」

何でもない事のように圭介は言うと、ソフィーを意外そうな顔で見た。

「天才ならとっくに気づいていると思っていたがな」

「馬鹿にしないで! 
それが事実だとしたら、マインドスイープを続けることで、
悪夢の元を量産していることになるじゃない!」

「その通りだ。スカイフィッシュは、
元々はマインドスイープさせられすぎた人間が、
『ある記憶』を共有することで変質したものだからな」

唖然としたソフィーに圭介は続けた。

「ナンバーIシステムは、その応用だ。
人工的にスカイフィッシュに相当するプログラムを創りだしたに過ぎない」

「スカイフィッシュは……
何かの策謀で創られた人工的なものだとでも言いたいの?」

ソフィーにそう問いかけられ、圭介はしばらく沈黙してから汀に向き直った。

「どうするんだ、汀。一気に死ねるなら余程いい。死ねなくなるぞ」

端的にそう聞かれ、汀は充血した目をiPadに向けた。

そして指先を緩慢に動かして文字を打ち込む。

『私は人を助けるよ。スカイフィッシュにもならない』

「この通りだ」

肩をすくめた圭介に、ソフィーはしばらく考えこんでから息をついて、言った。

「……分かったわ、高畑汀。
あなたの意思を尊重して、次のマインドスイープに同行してもらうわ」

「いいのか?」

「そういうふうに誘導したいんでしょう。
どういう作意があるか分からないけど、私も死にたくはないから」

ソフィーはそこで、何とも言えないやるせないような視線を汀に向けた。

「ごめんね……」

聞こえるか聞こえないかの声でそう呟くと汀が端的にそれに返した。

『気にしないで。いいよ』

「……それじゃ、今回のダイブについて説明する。
危険地帯へのダイブになるから、十分注意して聞いてくれ」

圭介が、感情を感じさせない瞳で二人を見る。
ゾッとする程の無表情だった。

「二人共、再起不能になられては俺も困る。
だから今回は防衛策を張らせてもらう」

「防衛策?」

怪訝そうにソフィーに問いかけられ、彼は頷いて続けた。

「好きな武器を持たせてあげよう」



ソフィーは目を開いた。

そこは、波にゆらゆらと揺れるボートの上だった。

水が苦手な彼女が、思わず身を固くして中央のマストにしがみつく。

病院服に裸足。

いつもの夢世界での格好だ。

ボートは誰も操縦していないのに、
エンジンがかかっていてゆっくりと進んでいる。

青い海だった。

さんさんと照りつける太陽が薄着の体を焼く。

「……ダ、ダイブ完了。夢世界への侵入に成功したわ」

ヘッドセットを操作して引きつった声でそう言ったソフィーに、
マイクの向こうの圭介が口を開いた。

『どうした? 状況を説明してくれ』

「ボートの上にいるわ。どこまでも海が続いてる。
不眠症って聞いてたけど、この抑揚のなさは、
まだ夢に入りかけててレム睡眠状態ね……
麻酔が弱いんじゃないかしら」

『すぐに麻酔の投与量を増やす。
ノンレム睡眠……つまり「夢」に入る前に、汀の治療を頼む』

「ええ、分かったわ」

頷いてソフィーはボートの上を見回した。

沢山のブルーシートにくるまれた荷物が積んである。

今回のダイブに際して、かなりの数の人間が動いていた。

実際にダイブしているのは汀とソフィー二人だけだったが、
日本赤十字病院中の医師による情報機器の管制。

そして、テロリストの襲撃に備えて海外で多数の
対スカイフィッシュ用の訓練をされた
マインドスイーパーが待機させられていた。

テロリストの侵入が感知されたら、
即回線を通して夢の中に送り込まれる仕組みになっている。

それだけではなかった。

今回は、ダイブに至るまで実に六時間半もの準備時間がかかっている。

夢の世界の座標軸を安定させ、
ジュリア達特殊なマインドスイーパーがダイブ。

そして、患者の夢の中に、代わる代わる変質させた
「道具」を設置するというものだった。

多数の機銃がブルーシートの中から覗いている。

武器もあったが、ソフィーが何よりまず飛びついたのは、
大きな救急セットだった。

そして彼女はセットを引きずりながら、
ボートの隅で弱々しく丸くなっていた汀に近づいた。

小白がボートの隅で丸くなって眠っている。

「高畑汀、意識はある? 応急だけど処置をするわ」

そう呼びかけると、汀は熱で真っ赤になった顔でソフィーを見た。

「ダイブ……成功したの?」

「ええ。傷を見せて。夢の中で治療しなきゃ、
現実のあなたの夢傷は、何時まで経っても治らないわ」

「うん……」

体を動かして、小さく悲鳴を上げた汀の体を見て、
ソフィーは息を飲んだ。

「何……これ……」

『どうした?』

圭介に問いかけられ、ソフィーは歯噛みしてそれに答えた。

「簡単に言うわ。夢傷が化膿してる。
このままじゃ腐って、現実の体の内臓疾患に結びつく危険があるわ」

『その程度のことは分かってる。
何のために君をダイブさせたと思ってる? 
道具はあるはずだ。
患者が夢を見始めるまで、汀の処置を済ませるんだ』

舌打ちを押しとどめ、ソフィーは簡潔に圭介に返した。

「……了解」

汀の傷は、殆どが膿んで真紫の膿に汚れていた。

まだ血が流れ落ちている傷もある。

夢の中でここまで傷ついているのだ。

動けていることが……
いや、現実世界でまだ「生きて」いられていることが
不思議な程の傷だった。

「どうしてこんなになるまで放置していたの……!」

ガーゼに消毒薬を吹き付け、ソフィーが膿を拭き取り始める。

消毒薬が当たった傷口が、ジュッと音を立てて白い煙をあげる。

汀は押し殺した声で悲鳴を上げた。

「我慢して」

ソフィーが短く命令し、次々と膿を拭き取り、傷口を露出させていく。

体中に開いた刺し傷が潮風に触れ、たまらず汀は、
体を断続的に痙攣させながら、しゃっくりのような声を上げた。

ソフィーが消毒薬とガーゼを大量に消費しながら、
汀の様子に気をかけることなく、機械的に処置をしていく。

キシロカインの注射液を汀に投与し、
ソフィーは深い切り傷を縫い始めた。

「すぐに済むから……」

局部麻酔が効いてきたのか、汀の呼吸が安定してくる。

「早くして……」

汀に必死に懇願されながら、ソフィーはあらかた傷を縫い終わり、
膏薬を塗りつけたガーゼをそれぞれの傷口に当てた。

そして強く包帯を巻き始める。

程なくして、体中に包帯を巻いた姿で、
汀は両目に大きく涙を溜めながら息をついた。

「よく耐えたわ。あなた、本当に痛みに対して鈍感なのね。
ショック死しててもおかしくないのに」

呆れたようにソフィーが言う。

『終わったか?』

圭介に問いかけられ、ソフィーはため息をついてそれに答えた。

「キシロカインを投与したから、しばらくは動けないはずよ。
そうじゃなくても、骨に達してる傷もある。
動けない、じゃなくて『動かしちゃいけない』状態ね」

『……聞いたか、汀。戻ってこい』

圭介が少し考えこんでから汀に呼びかける。

しかし彼女は、額に浮いた汗を手で拭ってから、
ソフィーの服の裾を手で掴んだ。

「痛み止めを打って」

「馬鹿なことを言わないで……」

それを振り払って、ソフィーは軽蔑するように汀を見た。

「痛み止めを打っても、夢の中の傷よ。根本的な解決にはならない」

「大丈夫。痛みさえなければちゃんと動ける……!」

「分からない子ね……足手まといだって言ったの。
あなたのエゴで、助けられる患者一人潰すつもり?」

ソフィーに鼻を鳴らされ、汀は口をつぐんだ。

「あなたの夢世界での治療は完了したわ。
もうこの患者へのダイブは私に任せて、後退して頂戴」

「圭介、私に『T』を投与して」

『何……?』

思わず聞き返した圭介に、汀はヘッドセット越しに言った。

「要は脳が動けばいいのよね。私にクスリを投与してよ。
そうすれば私が仕事を……」

パァン、と音がした。

ソフィーに頬を殴られた汀が、呆然として体を硬直させる。

次いで襲いかかってきた痛みに、彼女は悲鳴を上げて丸まった。

「いい加減にしなさい……!」

吐き捨てるように言って、ソフィーは続けた。

「私ね、そうやって自分だけがいい気分してるのって一番嫌いなの。
自分しか治せないとか、どうせそんなこと思ってるんでしょ」

肩を抱いて痛みに震えている汀の前にしゃがみこんで、ソフィーは言った。

「これだけで動けなくなってるような状態で、
何か助けになるとは思えないわ。
ドクター高畑、患者が夢に入る前に、彼女の回線を強制遮断して」

『……分かった。汀、回線を切るぞ』

「嫌だ、戻らない!」

汀は引きつった大声を上げた。

『聞き分けてくれ。お前、本当に大変なことになるぞ』

「大河内せんせは? せんせと話をさせて!」

『…………』

「圭介!」

『分かった。今、替わる』

圭介が短く言って、通信を操作する。

程なくして、汀は通信の向こうから聞こえてきた大河内の吐息に、
顔を輝かせて口を開いた。

「せんせ……せんせ! 
どうしてお見舞いに来てくれなかったの? 私寂しかった!」

彼女の声を受け、大河内はしばらく沈黙した後、静かに答えた。

『汀ちゃん、仕事中だ。私用なら、話は後で聞くよ』

「現実では私喋れないんだよ? 
せんせ、私せんせに聞きたいことがあるんだ」

汀は段々尻すぼみに小さくなっていく声で、しばらく迷った後言った。

「せんせは、私のこと嫌い? 嫌いになっちゃった? 
だから来てくれなかったの?」

『すまない、汀ちゃん。ダイブ中だ。通信を切る』

「せんせ!」

「高畑汀、いい加減に……」

彼女のヘッドセットをむしりとろうとしたソフィーの腕を、
汀が不意に掴んだ。

そして荷物の中からサバイバルナイフを抜き出し、
ソフィーを後ろ手に締めあげてから首にナイフを当てる。

「な……何を……」

青くなったソフィーに

「ごめん……ちょっと話をさせて」

と囁いて手を離してから、汀は続けた。

「私まだせんせのこと好きだよ、大好きだよ! 
だから、せんせが私をスカイフィッシュにしたいんだったら、
私のことをシステムにしたいんだったら、
私せんせの思う通りになるよ!」

『…………』

マイクの向こうで、大河内が絶句して言葉を失う。

汀はナイフを脇に構えて、腰を浮かせながら言った。

「だからせんせ、教えて? あなたの目的は何なの? 
機関は、『GD』は何をしようとしてるの?」



次回の更新に続かせて頂きます。

ご意見やご感想、ご質問などございましたら、
お気軽に書き込みをいただけますと嬉しいです。

それでは、今回は失礼させていただきます。

こんばんは。



連日寒いですね。

皆様、昨日の地震の被害はありませんでしたでしょうか。

地震は本当に怖いです。



続きが書けましたので投稿させて頂きます。

お楽しみいただけましたら幸いです。



『…………』

大河内は、しかし答えようとしなかった。

ブツリと音がして、通信が大河内から圭介に切り替わる。

「せんせ!」

大声を上げた汀に、冷静な圭介の声が刺さった。

『気が済んだか? 強制遮断するぞ』

「せんせとお話させて! 私には要求する権利がある!」

『ない。この状況ではお前の意思よりも患者の命が優先される。
たくさんの人に迷惑をかけて、何をしてるんだお前は』

口をつぐんだ汀に、淡々と圭介は続けた。

『それに、大河内の身柄は現在医師連盟に更迭されてる。
現場の指揮権は俺にある』

「そんな……」

言葉を失った汀に、ソフィーが言った。

「分かった? 
何もかもが全て自分の思うとおりになるとは思わないことね」

「せんせは何も悪いことをしてないじゃない!」

『駄々をこねるな。大河内の行為は医師連盟規定に違反してる。
これ以上干渉させるわけにはいかない。
それに、お前はそれ以上のことは知らなくてもいい』

「…………」

『戻ってくると一言言えば、
お前がさっき言った言葉は聞かなかったことにしよう』

取引とも言える言葉を聞いて、汀は歯を噛んだ。

しかしそこでソフィーが、ハッと顔を上げた。

そして青くなってヘッドセットの向こうに声を張り上げる。

「患者がノンレム睡眠に入るわ! 
それに何だか様子がおかしい!」

海が、段々と荒れ狂い始めた。

小さなボートがまるで木の葉のように、波の上をふらふらと揺れる。

小白がそこで目を開けて、汀の足に擦り寄った。

汀はサバイバルナイフを縁に突き立てると、
小白を抱いて口の端をニィ、と歪めた。

「C型の異常変質区域だね」

ソフィーが悲鳴を上げてマストにしがみつく。

辺りにモヤのような白い霧が立ちこめ、たちまち周りが暗くなった。

汀はよろめきながらヘッドセットに手をやり、言った。

「私が、治してあげてもいいよ」

『どういう意味だ?』

圭介に問いかけられ、汀は喉を軽く鳴らして答えた。

「取引しようよ圭介。ソフィーじゃ、この患者を治療できない。
いくら装備を持っても、未経験者一人で、
対マインドスイーパー用の訓練をされた、
不眠症患者の治療は無理だわ」

『…………』

沈黙した圭介に、ソフィーは唇を噛んで押し殺した声で言った。

「……やっぱり……何かあると思ったけど、
最初からこの子を使うつもりで、
私にこの子の治療をさせるためにダイブさせたわね!」

『俺は君達の自由意志を尊重している。
何一つとして強制はしていない。
不躾な物言いは止めてもらおう』

圭介は静かにそれに返すと、汀に向けて言った。

『……で、だ。お前から要求してくるとは珍しいな。
確かにその患者は、特別な事情を持つ不眠症患者で、
夢という空間それ自体が安定しない。
物理法則が通用しないから、
普通のマインドスイーパーでのダイブは無理だ。
何だ? 気づいていたのか』

「私を誰だと思っているの」

馬鹿にしたように呟き、汀は続けた。

「大河内せんせを解放して。
私がこの患者の治療に成功したら、せんせにかけた更迭を、
圭介に責任をもって解いてもらいたいの」

『嫌だね。犯罪者の肩を持つほど、俺は落ちぶれてはいない』

「圭介の好き嫌いは聞いてないの。やるの? やらないの? 
ちなみに私は、せんせが助からないなら、
別にこの患者が死んでも死ななくても構わないわ」

『そう来たか……汀、お前が今発言したことは、かなり重要なことだぞ。
子供だからといって何でも言っていいというわけではない』

「私は子供じゃない!」

押し殺した声で叫んだ汀に、ソフィーがなだめるように小さな声で言った。

「高畑汀、患者の命を盾に取る行為は、
テロリストと何ら変わらないわ。馬鹿な真似はやめて」

「私は自分の正当な権利を行使しているだけよ」

『やれやれ……厄介だな。
まさかダイブ中にへそを曲げられるとは思わなかった』

圭介がため息をつき、しかし変わらない調子で続ける。

『…………いいだろう。だが責任をもってその患者を完治させろ。
他人に責任を要求するのなら、お前にも責任が発生する。
その単純な理屈は分かるな?』

「……うん」

『危なくなったら「T」を投与するが、それまでは何とか我慢しろ。
ソフィー、気休めでいい。汀に痛み止めを投与するんだ』

「……分かった」

頷いて、ソフィーは揺れるボートの上で救急箱から取り出した薬を、
汀の腕に注射した。

「……効かない」

呟いた汀に

「当たり前よ。時間差があるし、ただ痛みを拡散させるだけの薬よ」

と返し、ソフィーは波が治まってきたのを見て息をついた。

数秒後、フッ、と嵐直前の様相だった海から、
映像をぶつ切りにしたかのように、
静かな、波一つない大海原に変わった。

霧がだんだん引いていき、真っ暗な海が眼前に広がる。

空には星ひとつない、完全な暗闇だ。

汀が荷物の中から手探りでライトを取り出して光をつける。

そして前方を照らして、動きを止めた。

「気をつけて。その傷で海に落ちたりなんかすれば、
確実にショック死するわ」

近づいてきソフィーも前を見て息を呑む。

先端が見えないほど大きな、
コンクリートと思われる壁が海を寸断していた。

とろとろとボートがそちら側に進んでいる。

「何これ……こんな巨大な拒絶壁、見たことない。
まさか、これがこの人の心を守る障壁なの?」

「マインドスイーパーに対して、
防御型の心理壁展開で侵入を防ごうとしてるね。
でも人間の心だから、必ず穴があるはず」

「どうやってこれを越えて中に入ればいいのかしら……
前の患者みたいに、パズルになってたら楽だけれど……」

「あの患者は、私達を誘い込んで殺す待機型の心理壁を持ってた。
パズルはその、逃さないための一環ね。
こっちのほうが単純な分楽だわ」

呟くように言って、汀はボートの先端がコンクリートの壁に
コツンと当たったのを確認し、
オールを持って歯を食いしばりながらボートを壁に横づけにした。

「どうするの? 完全に心への侵入を拒否されてる」

「何事にも偶然って言うことはないんだ。
私達がこの場所に止まったのは、この患者の意思でもあるの」

汀はライトを口にくわえて、壁を手探りで触り始めた。

遠目だと分からなかったことだったのだが、
壁には三十センチ四方くらいの穴が所狭しと開いていて、
中には仏像が掘り込んである。

その不気味な光景に息を呑んだソフィーの耳に、圭介の声が響いた。

『患者のバイタル安定を確認した。
ダイブのカウントダウンを開始する。
十二分でどうにかしてくれ』

「ちょっと黙ってて」

汀が冷たくそう言って、近くの仏像を手でつかみ、引っ張る。

「これじゃないか……」

そう言って、また別の仏像を引っ張る。

しばらくそれを繰り返すと、不意にガコン、と言う音がして、
反応した仏像がはまっていた穴が、ひとりでに開いた。

中は数メートル、トンネルのようになっているが……。

小さい。

三十センチ四方の穴しか開いていない。

体全部を通すには小さな穴を見て、ソフィーが舌打ちした。

「高畑汀、意味が分かる?」

「何となく。この人の職業は細工職人。
多分伝統工芸品の……仏像かな、それを作ってる。
仕事は好きだけど、仕事それ自体がトラウマになってるみたいね。
奥さんを早くに亡くしてるみたい。それが原因かな……」

呟きながら、汀は背後をライトで照らした。

「どうしてそこまで……」

唖然としたソフィーが停止した。

彼女が悲鳴を上げてマストにつかまる。

背後の海に、何か巨大なモノが立っていた。

全長にして三百メートルは超えるだろうか。

身長百五十にも満たない彼女達にとっては、
規格外の大きさだった。

『どうした?』

圭介に問いかけられ、汀が小さく笑いながらそれに答える。

「別に。心を守ろうとしてるガーディアンっていうの? 
それがいるだけ」

『障害は排除して進め』

「分かってる」

ソフィーが悲鳴を上げたのも無理はなかった。

巨大な影は、人間の形をしていたのだ。

いや。

違う。

背後に数十本の腕を生やした三面の化物。

千手観音のような姿をしたそれは、脇についている二本の腕、
その指先にそれぞれじょうろのようなものを摘んでいた。

そこから水滴が海に落ちる。

すると、海がボコボコと沸騰をはじめ、
たちまち周囲を真っ白な煙が覆った。

熱気で息をすることも困難になり、
汀とソフィーは口を手で抑えて、
ボートにしゃがみこんだ。

「高畑汀、一旦退却しましょう! 
あれが動き出したら、太刀打ち出来ないばかりか、
このボートはすぐに熱湯に転覆するわ!」

ソフィーが悲鳴のような声を上げる。

しかし汀は首をふると、三百メートル近い巨体が
ゆっくりと足を踏み出しはじめたのを見て、
面白そうに笑ってみせた。

「あはは、たーくんみたい」

「ちょっと、聞いてるの!」

「ちゃんとマスト掴んでなきゃ本当に落ちるよ」

端的に汀がそう言った瞬間、足を踏み出した
千手観音の体に押された巨大な波がボートを襲った。

小さなボートが巨大な津波に飲み込まれる……
とソフィーが体を固くした時だった。

「クリアできないゲームって結構あるけど、
付け入る隙のない人間の心って、あんまりないんだよね」

汀はそう言って、襲いかかる熱湯の津波に、
先ほど開いた穴から取り出した仏像を向けた。

仏像の顔に、女性の写真が貼り付けてある。

「いいの? あなたの奥さんは、
私達を通してくれるつもりみたいだけど」

津波が、まるで映像を一時停止させたかのように止まった。

汀とソフィーに覆いかぶさる寸前で停止している。

汀は肩の小白を撫でてから続けた。

「時間がないから、相手をしてる暇がないの。
追ってくるなら追ってきて」

彼女は仏像の手に当たる場所にはめ込まれた小さな瓶を摘みとった。

中には透明な液体が入っている。

それを半分口の中に流し込んで、
汀はソフィーに瓶を押し付け激しく咳き込んだ。

ソフィーも、慌てて瓶の中身を口に流しこむ。

猛烈な苦味と、なんとも言えない臭みが口の中に広がった。

思わずえづいたソフィーの体が、みるみるうちに縮んでいく。

汀も同様だった。

数秒後、彼女達は十数センチほどの大きさになって、
ボートの上に立っている小白の背中に乗っていた。

「ちゃんとつかまって。行くよ、小白」

ソフィーと小白に汀が言う。

小白がニャーと鳴いてジャンプし、
コンクリートの壁の穴に飛び込んだ。

悲鳴を上げてソフィーが小白の毛にしがみつく。

そこで、彼女達の意識はホワイトアウトした。



次回の更新に続かせていただきます。

ご質問やご感想などがございましたら、
書き込みをいただけますと嬉しいです。



明けましておめでとうございます。

生存報告が遅れてしまい申し訳ありませんでした。

今年も完結に向けて邁進させて頂きます次第です。

18話を最後まで書きましたので投稿させて頂きます。

汀とソフィーが目を開けた時、彼女達は座礁して横転した船の縁に転がっていた。

体の痛みに呻き声を上げている汀に、慌ててソフィーが近づいて助け起こす。

「高畑汀、しっかりして! やっぱり無理よ!」

『どうした? 状況を説明してくれ』

「ドクター高畑! 高畑汀だけでも強制遮断して! 
無理よ、このままじゃ本当に死んでしまう!」

『汀は死なない。あとおよそ十分で治療を完了させれば済む話だ』

「あなた……!」

一転して冷たい調子で断言した圭介に、ソフィーが息を呑む。

そして彼女は激高した。

「……あなた達はおかしい! 
ドクタージュリアも、ドクター大河内も、あなたも! 
人の命を道具とも思わないあなた達はおかしい! 
そんなの医者じゃないわ。

高畑汀、あなたも例外ではないわ!」

肩を掴まれて汀が悲鳴を上げる。

ソフィーは彼女の鼓膜が破れんばかりに大声を上げた。

「何のためにダイブするの? 
自分の命や、大切な人の命や、大切なはずの命さえ大事に出来ない人が、
何かを救えるとは、何かから救われるとは到底思えないわ。

いいえそんなはずはない! 
あなた達は狂ってる! 
狂ってる人が、狂ってることをやって、

当たり前のように幸せやその結果を望むのは間違ってる!」

『ソフィー、時間がない。文句があるなら戻ってきた後聞こう』

圭介が淡々と言う。

絶句した彼女に、汀が冷たい視線を投げつける。

「離して」

「帰還しなさい。目の前で人が死ぬのを、医者として見過ごすわけにはいかない」

「分からない子ね……このままじゃ、あなたも死ぬよ」

「患者の命を助けてから死ぬわ」

「多分それさえも無理。無事に、あなたと私が揃って
帰還するためには私の力が必要なはず。言い争ってる暇が惜しいわ」

彼女達が転がっていたのは、どこまでも広がる果てしない砂漠だった。

赤茶けた細かい砂が、風一つ吹かない平野に広がっている。

どこまでもどこまでも続く。

地平線が見えない。

天空にはメラメラと燃える火の玉が無数に浮かんでいた。

熱い。

暑い、のではなく熱い。

皮膚から白い煙が立ち登り始める。

小白が汀の方の上で弛緩して、舌を出して細かく呼吸をはじめた。

日差しを遮るものが何もなく、風も吹かない状況だ。

熱気がダイレクトに皮膚を焼く。

「このままじゃ私達、こんがり焼かれて勝手に唐揚げになっちゃう」

汀がクスクスと笑いながら言う。

ソフィーは歯噛みして汀から手を離し、
何か役立つものは無いかと横転した船の荷台を漁り始めた。

「逃げるよ。手を貸して」

そこで汀が鋭く呟いた。

え、とソフィーは呟きかけ、空を見て硬直した。

いきなり暗くなった、と思ったら、
先程の千手観音がいつの間にか後ろに出現して、
彼女達を見下ろしていたのだった。

両目からボダボダと褐色の血の涙のようなものを流している。

それが落ちた地面が、ドッジュゥ! という不気味な音を立てて真っ黒に沸騰した。

「ひ……」

スカイフィッシュに睨まれた時に似ていた。

ソフィーの体から力が抜け、失禁しそうに腰から下の感覚がなくなる。

震えて尻餅をつき、後ずさったソフィーの手を、汀がしっかりと掴んで引いた。

「早く! あれの目を見ちゃだめだよ!」

そこでハッとしてソフィーは手近なハンドガンを掴み、
汀を支えて、よろめきながら走りだした。

「ど……どうしてあなたは平気なの!」

息を切らしながら問いかけたソフィーに

「……慣れた!」

と端的に返し、ソフィーは肩にしがみついている小白に言った。

「しっかりつかまってて!」

小白がニャーと鳴く。

ソフィーに支えられながら、汀は手に持った仏像の、
もう片方の手に掴まれている小瓶を手に取った。

「これしかないの……?」

吐き捨てるように呟く。

それを横目で見て、ソフィーが走りながら口を開いた。

「さっきの……小さくなる薬?」

「うぅん。さっきのはなくなった。これは反対側の手に握られてたやつ」

「じゃあ……」

「この人はアリス症候群の可能性が高いね。
ものの大小が分からないんだ。
不眠症の副産物なのかどうかまではわかんな……きゃあ!」

そこで汀が、砂につんのめって前に倒れこんだ。

それを支えようとしたソフィーも足を取られて盛大に転がる。

「う……」

体中の痛みに硬直している汀が、
しかし自分達を踏み潰そうと足を上げた千手観音を見上げる。

そしてソフィーが持っていたハンドガンを奪い取り、小瓶の中身を振りかけた。

「アリス症候群なら、逆にそれを利用してやればいいだけの話……!」

――不思議の国のアリス症候群。

そう呼ばれている。

日常生活を送るにあたって、ものがいきなり大きく見えたり、
小さく見えたりする疾患だ。

原因は脳の一部が炎症を起こしているせいだと言われている。

特に子供に起こりやすく、遠い記憶でそのような体験をしたことがある人も、
少なくはないのではないだろうか。

酷い時には蚊が何十センチの大きさにも見えたり、
逆に人の頭部がなくなって見えることもあるらしい。

汀が液体を振りかけたハンドガンが、
次の瞬間、ぶくぶくと風船のように膨らんで膨張をはじめた。

そしてたちまち、車よりも大きな……
戦車のようなサイズになって、ズゥン、と砂に沈み込む。

「唖然としてないで手伝って!」

汀に怒鳴られて、ソフィーが慌てて空に向けられた銃口から弾丸を発射せんと、
一抱えほどもあるトリガーに手をかける。

汀とソフィー二人が力の限り引いて、そして撃鉄が降りた。

パンッ、という軽い音がした。

しかし音に反して、発射された人間大の銃弾は空気を裂いて飛んでいき、
千手観音の足を貫通して空の向こう側へと抜けていった。

「うわ……」

小さく呟いた汀の目に、ぐらりと後ろ向きに倒れこんだ観音像が映る。

足の傷口からおびただしい量の血が垂れてきて、
小白が瞬時に傘のような形状になり、汀とソフィーを守った。

血が当たった小白傘の表面が、ジュゥ、という音とともに白い煙を発する。

倒れこんだ千手観音は、しかしそのまま倒れたわけではなかった。

空中でみるみるうちに小さくなり、たちまち人間大にまで圧縮されて、
ドチャリと地面に崩れ落ちる。

「お……終わり……?」

ホッとしたようにソフィーが呟く。

しかし汀は、巨大な銃口を千手観音に向けて動かそうと体に力を入れた。

「まだ……終わってない!」

彼女の体に巻かれた包帯に、ものすごい勢いで血が滲み始める。

汀の馬鹿力とも呼べる力に押されて、
天を向いていた銃口が横にスライドして、千手観音の方を向いた。

「引き金を……」

そこまで汀が言った時だった。

倒れこんでいた千手観音の姿が消えた。

そして、反応できていなかった汀の体が宙を舞った。

実に五メートル近く放物線を描いて小柄な体が舞い、地面に叩きつけられる。

もんどり打って頭を押さえ、汀が地面を引っ掻いて悶え回る。

何が起こったのか、とソフィーが理解するよりも早く、
砂煙を舞い上げながら千手観音が、
車にも負けない勢いで移動するのが見えた。

空中を僅かに浮遊している。

時速にして九十キロ近くは出ているだろうか。

観音像は汀のすぐ上に移動すると、無数の腕を振り上げて、
満身創痍の汀に向けて力の限り振り下ろした。

小白がとっさに反応したのか、風船のような姿に変わってそれを受け止めるが、
殴られた勢いに負け、ボコボコと変形しながら汀を巻き込んでまた吹き飛ばされた。

ゴロゴロと小さな女の子と猫がバラバラに地面を転がる。

「お……おかしいわ! こんなの、強すぎる!」

引きつった声をソフィーが発する。

少し沈黙して圭介が押し殺した声で言った。

『ガーディアンと戦闘中なのか? 汀のバイタルが異常値だ』

「相手の姿が見えない! 人間の想像力の限界を超えてる!」

『ガーディアンとはそういうものだ。
物理法則が通用しないと言っただろう。
野生のスカイフィッシュのようなものだと思え』

「どうやって……きゃあああ!」

そこでソフィーの脇を観音像が走り抜けた。

彼女の体が空気圧に負けて吹き飛ばされ、砂の上を転がる。

見ると、汀はうつ伏せに倒れこんだままピクリとも動いていなかった。

小白が近づいてその頬をペロペロと舐めている。

『汀のバイタルが消えた……
ソフィー、早くガーディアンを倒して治療を完了させろ!』

遂に汀の体と精神に限界が訪れたらしかった。

分かっていたことなのだが、ソフィーが青くなって息を飲む。

「私一人じゃ……」

そこで、彼女はゾクリと悪寒を感じて振り返った。

背後の、数十センチも離れていないところに千手観音が浮いていた。

悲鳴を上げたソフィーの頬に、鞭のようにしなった腕の一つが突き刺さる。

そのまま少女は地面に頭から叩きつけられた。

殴られた、そう感じる暇もなく、ソフィーは無我夢中で手を伸ばした。

そして指先に硬い感触が当たったのを感じて、それを掴む。

汀が取り落とした仏像の一つだった。

そこの顔に当たる部分に貼ってあった女性の写真を手で剥がし、
口の中が切れたのか血が混じった唾を吐きながら、彼女は叫んだ。

「あなたの奥さんを殺したのはあなた自身……仕事じゃないわ! 
その罪の意識から逃げ出そうとして、
どんなに私達を痛めつけても何も変わらない!」

「…………」

千手観音の動きが止まった。

「奥さんの死因はわからないけど、あなた、

死に目に仕事をしてて立ち会えなかったの? 
そうなのね? 
だから精神を病んで……こんな不毛な世界になったんだ!」


彼女の糾弾に、千手観音は僅かに後ずさった。

ソフィーは押し殺した声で叫んだ。

「現実を見ましょうよ! 
あなたの見ている景色は大きくも小さくもなくて、
等身大の、あなたの奥さんと同じ景色よ!」

千手観音が身を捩り、口を開いて不気味に絶叫した。

ソフィーは手に持った写真を観音像に向けて投げつけた。

次の瞬間、写真が一瞬真っ白く光り火柱を吹き上げた。

それに巻き込まれて、千手観音が身を捩りながら段々と砂になっていく。

荒く息をついたソフィーの目に、今まで観音像がいた場所に、
ビー玉のようなか細い精神中核が浮かんでいるのが見えた。

「……ガーディアンを撃退したわ。精神中核を確認……」

『了解した。すぐに治療班を向かわせる。君達は帰還してくれ』

圭介の淡々とした声を聞いて、ペタリと尻餅をついてソフィーは呟いた。

「治療……班?」

『精神中核の汚染を除去できるチームは用意した。
君達の仕事は、ガーディアンの撃退だ。よくやった』

クックと笑って、圭介は付け足した。

『ご苦労様』

そこでソフィーは、ひらひらと先ほど爆裂したはずの
女性の写真が舞い落ちてきたのを見た。

それが裏向きに、パサリと砂の上に落ちる。

そこにはエーゲ海の青い海原と、右下に「No,35」という表記が見て取れた。

左上に、ゼロと一の羅列が書いてある。

「夢座標……?」

そう呟いたところで、ソフィーの意識はブラックアウトした。



次回、第19話に続かせて頂きます。

ご意見やご感想などがございましたら、
お気軽に書き込みをいただけますと嬉しいです。

それでは、今回は失礼します。

ああ向こうのスレもお前か
どおりで見覚えがあったわけだ

乙乙乙!!
随分待ったよ!


>>422
読み手が凄く言いたかった事を声を大にしてくれたソフィー!!!ううう!
忘れがちだけど彼女は未だ片腕が利かない状態なんだよなあ。


もう一つの連載も頑張ってください。

乙!

418だけど、
急かすような事言ってごめん

ななばつにまとめられててビビった
SS速報からななばつにまとめられるのって中々ないから

7xから来て今読み終わった、面白いな
書き方というか設定に個性があって、すぐトレーナーの作者だってわかった

>>449
>>51を読んでいればわかると思うんだが…

>>450
いや、その物の説明じゃなくて外観のイメージ

こんばんは。

皆様のところは大雪、大丈夫でしたでしょうか。
車の運転などには十二分にお気をつけ下さい。



>>438
向こうのスレも私です。
時間が出来ましたら一気に更新させて頂きます。

>>440
正しいことを言っているのにか細いという不思議な状況ですね。
夢傷の治療方法がこれから重要になってきます。

>>441
いいえ~。お気軽に書き込み下さい。

>>444
7xさんにはお世話になっています。
いつもありがとうございます。

>>446
ありがとうございます。
TRAINERを読んで下さった方に遭遇するのは初めてです。

>>450 >>452
外見のイメージとしては、ジェイソンが近いかもしれません。
単純な暴力と狂気を体現している存在です。



19話の冒頭を書きましたので、投稿させて頂きます。



「駄目だな、もう使い物にならない」

淡々とそう言って、圭介は紙カップに入ったコーヒーを口に運んだ。

彼ら以外誰も居ない会議室の中、椅子に座って歯噛みした大河内が口を開く。

「使い潰して飽きたら捨てるのか。悪魔め」

「世界医師連盟に掛けあってお前の更迭処分を取り消したのは俺だ。
随分な物言いだな」

「頼んだつもりはない」

「いずれにせよ、GDはナンバーIシステムの運用に失敗した
お前のことを見逃さないだろう。
即急に手を打つべきだと思うがね。殺されるぞ」

圭介は抑揚のない声でそう言って、紙カップをテーブルに置いた。

「まぁ、俺には関係のない話だが」

「……全くだ」

「汀を使いたいなら、無理だな。
多少無茶をして『被験者』にダイブさせてみたが、
夢傷にやられすぎていて話にならない。
もう、再起不能だと言ってもいいな」

「……汀ちゃんのちゃんとした『治療』が必要だ」

押し殺した声で言った大河内を、圭介は冷たい瞳で見下ろした。

「やりたいならやれよ。
俺はメリットのないことに協力するほど、お人好しではない」

「お前は……ッ!」

椅子を蹴立てて立ち上がり、大河内は圭介の胸ぐらを掴みあげた。

そして壁に叩きつけ、顔をぶつけんばかりに近づけて睨みつける。

「お前は本当に、私達と同じ人間なのか! 
おかしいぞ……何か狂っていることに気づかないのか!」

「お前に言われたくはないね」

「汀ちゃんの身柄を引き取る。文句は言わせない」

「文句はないが、今更ブッ壊れたガラクタ一つ手に入れて、
何が変わるわけでもないと思うが」

「汀ちゃんはガラクタじゃないぞ……お前に、そんなことを言わせないぞ!」

首を絞めんばかりに力を込めている大河内の手を掴み、圭介は逆に彼を睨みつけた。

「患者を直せなくなった医者は……ミイラ取りがミイラになった医者は、
もうヒーローじゃないんだよ。
これ以上汀を使ってみろ。坂月の時を超えるスカイフィッシュが誕生するぞ!」

「坂月君本人から聞いたのか!」

負けじと大声を上げた大河内に、圭介は言葉を飲み込んで沈黙を返した。

「お前と坂月君の精神体がつるんでいることくらい知っている! 
汀ちゃんを利用して、何かまた情報を得たな……
高畑、私も大概鬼畜だが、お前には恐れいったよ。人間の所業じゃない!」

そこでガラリと会議室のドアが開き、カルテを持ったジュリアが顔をのぞかせた。

彼女は掴み合っている大河内と圭介を見ると、
慌ててカルテをテーブルに投げ出し、駆け寄ってきた。

「何をしているのですか! 
あなた達は冷静に話し合いができないのですか!」

悲鳴のような声を上げて、彼女は無理矢理に二人を引き離した。

肩で荒く息をしている大河内とは違い、
圭介はズルズルと壁にもたれかかったまま座り込んだ。

そして疲れたように息を吐いて、頭を抑える。

「ドクアー高畑!」

真っ青な顔をしている圭介を覗きこんで、ジュリアが青ざめる。

「頭が……」

「興奮したせいだわ。今GMDを投与するから……」

ジュリアがポケットから注射器を出して針にかかっていたキャップを抜き取る。

大河内はそれを淡々とした瞳で見下ろし

「ふん……失敗作の分際で……」

と吐き捨てた。

それを聞いたジュリアが弾かれたように振り返り、大声を上げる。

「……聞き捨てなりませんね。
人間を人間とも思っていないのは、あなたの方ではないのですか!」

「話を聞いていたな。エドシニア女史。
いや、『アンリエッタ・パーカー』と呼んだほうがいいかな」

アンリエッタと呼ばれて、ジュリアが硬直して注射器を床に取り落とす。

コロコロと転がった金色の液体が入った注射器を拾い上げ、
手で弄んでテーブルの上に置き、大河内は不気味な笑みを発して続けた。

「図星か。やはりあなたで間違いはなかったようだ」

「あ……あなたは、どこまで知っているのですか……?」

怯えたように呟いたジュリアに、大河内は嘲るように言った。

「あなたが想像しうるほぼ全てのことは」

「これ以上お前と話すことは何もない。
汀が欲しいんなら、くれてやるよ。
だから俺の目の前から今すぐ消えろ……!」

圭介が頭を抑えながら吐き捨てる。

大河内はニィ、と口の端を歪めると、きびすを返して二人に背を向けた。

「絶対に、後悔させてやる」

大河内の呻くような呟きを受け、圭介はかすれた声でそれに返した。

「やってみろ」



★Karte.19 捨てられるのですか★




汀は弱々しく呻いて目を開いた。

辺りは薄暗く。部屋の窓にかかったカーテンから、
夕焼けの赤い光が漏れている。

ここはどこだろう……そう思った汀の目に、
隣に置かれた椅子に腰掛け、
腕組みをしてコクリコクリと頭を揺らしている大河内の姿が映った。

大河内せんせ、と声を上げようとして汀は喉に挿入された
カテーテルにえづき、そのまま猛烈な嘔吐感に、
その場で硬直して呻いた。

彼女の呻き声に気づき、大河内が目を開けて慌てて脇の計器を見る。

「汀ちゃん、目が覚めたのか? 
今カテーテルを抜いてもらうからな。もうちょっとの辛抱だ」

耳元でそう言われ、汀は痛みと混乱でボロボロと涙を零しながら、
必死に点滴が無数に刺された手を伸ばし、大河内の服を掴んだ。

大河内はその手を握り返し、
壁のインターホンのボタンを押して口を開いた。

「高畑君の目が覚めた。至急、治療班を回してください」



医師達によるテキパキとした処置が済み、
汀はとりあえず鼻と喉のカテーテルから開放されて息をついた。

まだ喉に何かが刺さっているような感じがする。

しかし、体中に点滴が刺されて身動きを取ることも出来ない。

夢傷による体の痛みも増していた。

喋ろうとして、かすれたしゃがれ声が出た。

「私……」

そのまま小さく咳をして、汀は隣に腰を下ろして、
カルテに何事かを書き込んでいる大河内を見た。

「どうしたの……?」

「治療中にガーディアンにやられて意識を失ったと聞いている……
よし。これで大丈夫だ」

大河内はニッコリと笑って、
さり気なく汀の点滴の一つに金色の液体が入った注射器を刺して流し込んだ。

汀は苦しそうにまた咳をしてから、すがるように大河内に聞いた。

「私……成功したの……? 治療に……」

「ああ。君のおかげで私の更迭処分は取り消された。ありがとう」

大河内が手を伸ばして汀の頭を撫でる。

途端に安心したような顔になった汀に、しかし大河内は声を低くして続けた。

「だが……これっきり、あんなことはやめるんだ。
君のしたことは、テロリストと変わらないよ」

「せんせが……いない世界なんて……壊れちゃえばいいんだ……」

汀はかすれた声でそう返して、また小さく咳をした。

「滅多なことを言うものじゃない……」

困ったような顔をして、大河内は息を吐いた。

「まぁ、とにかく無事でよかった。まだ助かったとは言えないが……」

「圭介……は?」

そう聞かれ、大河内は息を止めて汀から視線を逸らした。

そして吐き捨てるように言う。

「あいつのことは忘れるんだ」

「……?」

「これから、君は、私と普通の女の子として生きていこう」

きょとんとして顔を見上げた汀に、彼はぎこちなく微笑んで続けた。

「これから、ずっと一緒だ。もうダイブする必要も、傷つく必要もない。
私が君のこれからの仕事も世話をしよう。
そうだな……マインドスイーパーを育てるアドバイザーなんてどうかな?」

立ち上がって冷蔵庫からコーヒー缶を取り出し、大河内はやけに明るく言った。

「君の特A級免許は取り消されることはない。
赤十字にこれから入ることになるが……
言ってしまえば、何もしなくても君には保証が下りる。
それだけで、無駄遣いをしなければ生活をしていくことだって十分可能だ」

「せんせ……?」

「心の整理がつかなければ、しばらくの間、旅行をしてもいいかもしれないな。
うん、そうだ。そうしよう。医師連盟に君のための補助チームを作らせよう。
汀ちゃんは東京から出るのは始めてかい? 沖縄はお勧めだぞ」

「……せんせ……?」

怪訝そうにもう一度問いかけられ、大河内は言葉を止めて汀のことを見下ろした。

「ん?」

「……圭介は?」

同じことを問いかけられ、大河内はつらそうに表情を歪めて、しばらく考え込んだ。

そして決心がついたかのように何度か頷いてから、椅子に腰を掛ける。

「……よく聞いてくれ。高畑は、君の身柄を私に引き渡した。
聡い君なら、その意味が分かるな?」

「……?」

意味が分からなかったのか首を傾げた汀に、大河内は静かに言った。

「あいつは、君の力を使い多数のマインドスイープで治療を行なってきた。
そしていざ、君の運用が困難になった時、君を捨てた」

「…………え?」

「別のマインドスイーパーを育てるそうだ。
君は、高畑に医者として再起不能と判断された」

淡々とした大河内の声を聞いて、汀はしばらくの間目を丸くしていたが、
やがて持ち上げかけていた上半身をベッドに戻し、息を吐いた。

予想とは異なった汀の反応に、大河内は怪訝そうにその顔を覗きこんだ。

「汀ちゃん?」

「圭介が……そう言ったの?」

「いや……直接は言っていなかったが。おおよそその通りのことは」

「ふふ……」

どこか暗い安穏とした笑みを発し、汀は大河内のことを見上げた。

「圭介は……私から離れられないよ……」

「……どういうことだい?」

「どれだけ……表向き捨てたつもりでも、
圭介はもう……私のことを完全に捨てることは出来ないよ……」

「…………」

汀のどこかおかしいネジが外れたような言動と表情に、
大河内は言葉を止めて視線を逸らした。

そしてポツリと呟く。

「君が、赤十字の『実験』の生き残りだからかい?」

汀はそれを聞いて、ケタケタとした笑みを止めて言った。

「……うん」

「君のことは調べさせてもらった。
不快に思ったなら、すまない。
でも、私としてはどうしても高畑のことを知る必要があった」

「…………」

「君は、元々は機関が養成した特殊なマインドスイーパーだ。
そうだな? 本名は網原汀(あみはらなぎさ)と言う……
『実験』の副作用で、記憶障害が起こっていたらしいが、
思い出したかな?」

ゆっくりと語りかけられ、汀は小さく頷いた。

「だが、しかし君は自殺病のウィルスに感染してしまった。
そこで君の治療を担当したのが、
君が夢の世界で対面したナンバーIシステムの元、松坂真矢と高畑だ。
二人は君のスカイフィッシュにやられ、治療をすることはできたが松坂女史は死亡、
高畑はシナプスに大きな傷を負った」

「……だから圭介は、私にダイブをさせて、
あの時の償いを……松坂先生の死を、償わせようとしてるの……」

汀は小さく咳をしてもぞもぞと体を動かした。

そして息をついてから目を瞑る。

「治療の過程で……私は過去の記憶を全部無くした。
圭介は、松坂先生を取り戻そうとしてる……
私はよく分からないけど、誰かがそれに関与してる。
複数ね……」

「そのうちの一つの勢力が、私が所属してい秘密機関GDだ」

大河内は弄んでいたコーヒー缶のプルタブを開けると、
中身を口に流し込んだ。

「ただ、GDの内部でも少々揉めていてね……
私とは別に動いている者もいる」

「……GDの目的は、ナンバーIシステムの、
いえ……マインドスイーパーなしで、
システムで自殺病の治療をできる環境の確立ね……」

「…………」

「テロリストは赤十字を攻撃してたけど……
本当の目的は、GDが目的にしてるシステムの破壊……
その理由は、多分復讐……」

「ああ。テロリストグループは、
機関に育てられたマインドスイーパーの集まりだ。
自分達を使い捨てにした医療機関への憎しみが、
彼らを動かしていると思っていいだろう」

大河内はそう言うと、缶をテーブルに置いた。

「汀ちゃん、そこまで分かっているのなら……
悪いことは言わない。全てを忘れて、現場から退くんだ。
専属医が君のことを手放した今しか、
君を『システムに適合しなかった』と報告できるチャンスがない」

彼はそう断言して、汀の隣の椅子に腰を下ろした。

そして手を伸ばして、痩せて乾燥しきった汀の手を握る。

「……私は、GDの目的を達するために、
ナンバーIシステムの復活を任務にしてる。
君をそれに使おうと思っていた。すまない。
私にも事情があってね……テロリストと方法は違えど、
そうすることが赤十字への復讐になると思っていた」

「…………」

汀はニッコリと笑って、かすれた声で言った。

「せんせが望むなら……私は、システムでも構わない……」

「そんなことを言わないでくれ……」

大河内は汀の上半身をゆっくりと起こすと、
自分よりも一回り以上小さなその体を抱きしめた。

そしてしばらくの間歯ぎしりするように唇を噛み締めていた。

汀は点滴だらけの手を大河内の背中に回し、静かにさすった。

「……私に、そんなことを言っては駄目だ……
私は君を殺すために派遣されたんだぞ……」

「…………」

「人間のシステム化だ……
元になった人間は、生きていてはいけないんだよ……」

彼の声が尻すぼみになって消える。

汀は微笑みながらそれに返した。

「せんせが……そう言うなら、私、それでいいよ……」

「駄目なんだ。汀ちゃん……それじゃいけないんだよ」

「どうして? ……せんせは、私のこと嫌いになったの……?」

「違う。私は君のことが……」

言いかけ、大河内は言葉を止めた。

そして汀の体を離して、そっとベッドに寝かせる。

「……いや、いいんだ。
汀ちゃん、『命令』なら聞いてくれるか? 
もう高畑に関わるのはやめよう」

「……うぅん。私は……人を助けるよ……」

か細いがしっかりとした声を聞いて、大河内は僅かに声を荒げた。

「……汀ちゃん。それは『実験』で君の脳に刷り込まれた情報に過ぎない。
君にインプラントされた意識の断片だ。
君がかたくなに人を助けなければならないという意識を持ち続けているのは、
初期のマインドスイーパーの脳の奥に、
人工的に埋め込まれた断片意識のシグナルなんだ。
君達は、意識下の『命令』を実行し続けなければ
ノルアドレナリンの分泌量が増加して、不快感を得るようになっている」

「…………」

「しかしそれは投薬で治療できる。
君が今負っている夢傷もそうだ。全て治療できるんだ。
君の体の麻痺だって治るかもしれない。
普通の治療を受けて、精神と、体の状態を普通に戻せればの話だが……」

「…………」

「それを聞いても、同じことが言えるかい?」



次回の投稿に続かせて頂きます。

ご意見やご感想がございましたら、
お気軽に書き込みをいただけますと嬉しいです。

そろそろ1ヶ月



こんばんは。

お待たせしました。
19話を最後まで書きましたので、投稿を再開させて頂きます。



■アンリエッタ・パーカー
これは本名ではなく、通り名です。
ジュリア・エドシニアという名前も偽名です。
本名はアンリエッタですが、「パーカー」という通り名の意味が重要になってきます。

■夢傷
夢の世界で現実と寸分違わない傷と痛みを受けた場合、
肉体がそのシグナルを非現実だと認識できずに、現実のものであると認識してしまいます。
それゆえに現実の体に深刻な状態異常を起こしてしまいます。
それが夢傷です。

■ノルアドレナリンの分泌量が~
汀は初期段階に調整されたマインドスイーパーの一人です。
この頃のマインドスイーパーには、「条件」が人工的に意識下にインプラントされ、
その条件をクリアしなければ、原因不明の不快感と焦燥感を得るようになっています。
汀が頑なに人を助けなければならないと呟いていたのは、このせいです。



>>480
現実の私の仕事が変わりまして、その引き継ぎなどで来ることができませんでした。
お待たせして申し訳ありません。
時間があるときに更新していくスタンスですので、月刊か、隔月連載程という感覚で
いていただけると幸いです。

汀はしばらく考え込んでいたが、やがて小さな声で聞いた。

「せんせは……私が病気だっていうの?」

「そうだ、君は病人だ」

断言して、大河内は息をついた。

「夢傷の重症患者でもある。このままでは、君は……」

少し言い淀んでから、彼は意を決したように言った。

「君は間違いなく、スカイフィッシュになってしまう」

「…………」

「高畑は、おそらく『だから』君のことを手放した。
危険性が高すぎる。私も、君にはすまないがそう思う」

「私が……夢の世界で、悪夢のもとになってしまうって、そう思うの?」

「……確証はないが、高畑の態度を見ていて想像がついた。
あいつは、坂月君……君の夢に出てくるスカイフィッシュが、
元は人間だったことを知ってる。
おそらく変質の現場を見ているんだ」

汀は息をついて、ベッドに体を預けた。

そして大河内から視線を外してもぞもぞと体を動かし、彼と反対側に首を向ける。

「……ちょっと寝る。寝ていい?」

「…………分かった。薬を投与するよ。
そして、君の夢の中に、一人ダイブさせたい人がいる」

「私の夢の中になんて……入ってこないほうがいいよ……」

「『精神外科医』を呼んでいる。ソフィーが君の夢傷の手当をしてくれたそうだが、
もっと専門的な治療が必要だと私は思う。
現に、君は今存在しない傷の痛みで、体を動かす事もできないはずだ」

「精神外科……?」

聞きなれない言葉を繰り返し、汀はハッとした。

そして押し殺した声で言う。

「……GDの人?」

「そうだ。夢傷の治療の専門家を呼んでる。悪い人ではない。保証するよ」

「……せんせがそう言うなら、信じる……」

汀はニッコリと笑おうとして失敗し、痛みに顔を歪めた。

「いいよ、でも小白も連れてきてね……」



燃え盛る家の中、汀はグッタリと血まみれの包帯まみれの姿で座り込んでいた。

足を投げ出し、もはや動くことも出来ないといった状態でか細く息をしている。

その周りを、白い子猫が困ったように歩き回っていた。

耳につけたヘッドセットから、大河内の声がする。

『汀ちゃん、周りはどうだい? 
GMDが投与されているから、スカイフィッシュは現れないはずだ』

「…………」

『汀ちゃん?』

返事もできない汀の様子に、大河内がわずかに焦った声を発する。

『無理して返事をしなくていい。もう少しで到着する。それまで……』

「もう到着してるよ。なるほど……」

柔らかい声が頭の上から投げかけられた。

汀は充血した目をやっとの思いで開き、上に向けた。

白衣を着た背の高い男性がそこに立っていた。

艶のかかった白髪だった。

女性のように後頭部で、長い髪を一つに結っている。

ニコニコとした笑顔を浮かべた、気さくそうな青年だった。

日本人ではない。

瞳が青いことから、おそらくフィンランドなどの
日照量の少ない地域の人間であることが伺えた。

髪は、もしかしたら染めているのかもしれない。

「これはひどいな……」

白衣の胸ポケットからメガネを取り出して目にかけると、
青年は汀の前にしゃがみこんだ。

「ドクター大河内。今すぐにオペが必要だ。
緊急レベルAプラスと判断する。
重度5の患者を、よくここまで放っておいたものだ」

青年はニコニコとした表情のまま、右手を上げてパチンと指を鳴らした。

途端、燃える家の中に手術台が出現した。

何かを変質させているわけでもない。

何もない空間から突然手術台が現れたのだ。

目をむいた汀を抱き上げ、青年は彼女を手術台の上に寝かせた。

「驚いた? 最新のイメージ転送システムを使ってるんだ。僕の能力じゃないよ」

「どう……いうこと?」

「サーバー上に、夢世界であらかじめ構築しておいた道具を保存しておく技術だよ。
こんなこともできる」

パン、と青年が手を叩いた次の瞬間、汀達は燃え盛さかる家ではなく、
白いリノリウムの床が光る手術室の中にいた。

「え……?」

「言い遅れた。僕の名前はマティアス。
今やったのは、サーバーにアップロードしておいた手術室の
イメージをそっくりそのまま、この夢の中にダウンロードした」

そう言うと、マティアスと名乗った彼は汀の腕をアルコールが
染み込んだ脱脂綿で拭き、おそらく麻酔薬だと思われる薬を、
問答無用で注入した。

「余計な手間を省くためにも、君には意識を失って、
特殊なレム睡眠に入ってもらうことにする」

「…………」

猛烈な眠気が汀を襲う。

「大丈夫。次に目をさます頃には、多少荒療治だけど、
傷はきちんと治ってる。
もう痛い思いをしなくてもいいんだよ」

マティアスはニッコリと笑うと、台に乗っていたメスを手にとった。

「痛くも痒くもないと思うけど……まだ意識があるかな?」

目を閉じた汀のまぶたを指先で上げ、
彼女が意識を失ったことを確認して、彼は言った。

「ミギワさんの意識がなくなった。
時間軸をいじる。
ドクター大河内。これから十五分ほど、実時間で連絡が途絶えるから」

『分かった……マティアス、闇医者の君に頼むんだ。
彼女を治してやってくれ……』

「精神の『修理』はお手の物だから、心配することはないよ」

奇妙な笑顔のまま、青年は汀の包帯をハサミで切った。

痛々しく縫われた傷口が顕になる。

そこでマティアスは、足元をウロウロしている子猫を見下ろして、口を開いた。

「少し待っていてくれないか? 君の主人が死にかけてる」

『マティアス……』

 「何だい? そろそろ時間軸の操作に移行したいんだけど……」

 『お前が……いや、GDが何の対価もなしに汀ちゃんの
 治療に手を貸すとは思えない。
 聞いておきたい。
 何が目的だ?』
 
 マティアスはそこで手を止め、大河内には見えていないながらも、
 通話向こうの彼が言葉を止めるほどの異様な雰囲気を発し、
 口が裂けるのではないか、という奇妙な表情で笑った。
 
 「いい心がけだよドクター。
 日本人はそこら辺の大事なところを曖昧にしたがるから困る」
 
 『話をはぐらかさないでくれ。時間がない』
 
 「これが欲しかったんだ」
 
 青年はそう言って、汀のポケットに手を突っ込んでビー玉ほどの核を取り出した。
 
 それは汀に傷を負わせたテロリスト、忠信の精神中核だった。
 
 「テロリストの精神中核。
 この子の夢の中にダイブしないと手に入らないものだからね。
 悪いけどもらっていく」

 『…………』
 
 「この子に異様に信用されているあなたの協力がなければ回収できなかった。
 礼を言うよ」
 
 忠信の精神中核をポケットに仕舞い、代わりに同じ色のビー玉を
 テーブルの上からつまみ上げ、汀のポケットに入れてからマティアスは続けた。
 
 「あぁ、それと……」
 
 『ナンバーIシステムの稼働失敗の件、本部はえらいお怒りだ。
 後ろに気をつけたほうがいい。
 僕が、この精神中核を本部に届けるまでの間ね。
 少なくとも寝てはいけない』
 
 『言われなくても……』
 
 「無駄話をしている隙がない。それじゃ」
 
 一方的に通信を切り、マティアスは手術用の白衣、帽子とマスクを着用した。
 
 「オペを開始しますか」



 「ん……」
 
 小さく呻いて、汀は目を開いた。
 
 「あれ……?」
 
 呟いて右腕を上げる。
 
 シーツの下で、やせ細った腕が痛みも何もなく、緩慢に動いた。
 
 「動く……」
 
 薄暗い病室。
 
 ベッドを囲むカーテンの向こう側に、人影が二つ見える。
 
 体の痛みは嘘のように消えていた。
 
 まだ息が苦しく、脳のどこかが麻痺している感覚はあるが、
 何か大事なことから切り離されてしまったような。
 
 そんな違和感を感じるものの、痛みはない。

 切り離された……?
 
 思い出せない。
 
 夢の中で誰かに会った気がするけど……。
 
 それに、ここ数日……。
 
 私は何をしていて、そしてどうしてここにいるのだろう……?
 
 私は確か、ひどい怪我をしていて……。
 
 そして大河内せんせと会って……。
 
 で、ここにいる。
 
 何か忘れているような気がするのだが、思い出せない。
 
 咳をしたところで、人影が動いた。
 
 カーテンが開いて、憔悴した顔の大河内が中を覗き込む。
 
 「汀ちゃん! 大丈夫かい?」
 
 いの一番に聞かれて、汀は息をついて大河内に対してにっこりと笑ってみせた。

 「うん……体、痛くないよ……」
 
 それを聞いて大河内は一瞬、とてもつらそうな、曖昧な表情を浮かべた。
 
 しかしそれをすぐに引っ込め、汀が気づくよりも早く口を開く。
 
 「良かった……君はマインドスイープの治療中、
 重症を負ってここに運び込まれたんだ」
 
 彼はそう言って、カーテンの向こうの人影に目配せをした。
 
 煙草の煙。
 
 病室で、煙草……?
 
 汀がまた咳をする。
 
 煙草を吸っていたと思われる人影は、
 息を長く吐くと革靴のかかとを鳴らして病室を出て行った。
 
 「誰かいたの……?」
 
 大河内に問いかけると、
 彼は換気扇のスイッチを入れてから汀に対し、言葉を濁した。

 「ん……ああ。ちょっとした知り合いだよ。汀ちゃんが知らない人だ」
 
 「そう……」
 
 「ところで、久しぶりに意識を取り戻したと思うから、
 二、三質問させてもらってもいいかな?」
 
 「ん、いいよ」
 
 「ありがとう」
 
 大河内は汀の隣に腰を下ろし、頭を優しく撫でた。
 
 そして口を開く。
 
 「高畑圭介という名前に心当たりは?」
 
 「高畑……圭介?」
 
 怪訝そうに首を傾げ、汀は繰り返した後言った。
 
 「患者さん?」
 
 「…………ああ、そうだ。覚えてないならいいんだ」

 「覚えてない……」
 
 大河内はニコニコとした表情のまま、続けた。
 
 「君の名前は?」
 
 「大河内……汀……」
 
 「そうだ、あとひとつ」
 
 「…………」
 
 「君は、ダイブを続けたいと思う?」
 
 大河内の質問に対し、汀は首を振った。
 
 「うぅん……」
 
 「…………そうか」
 
 「もういいよ……もうたくさんだと思う……」

 「そう思うなら、それでいい。ほら」
 
 異様な汀の様子を全く気にすることなく、
 大河内は手元のキャリーケースを開けて中から子猫を取り出した。
 
 「ええと……」
 
 覚えてる。
 
 この猫は、私の猫だ。
 
 でも、名前……。
 
 名前が、思い出せない。
 
 固まった汀に、大河内は猫を渡してから言った。
 
 「小白だよ。君のことをずっと心配してた」
 
 「こはく……? うん、そうだったね。ありがとう……」
 
 汀はゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄る小白を撫でてから、大河内に言った。
 
 「せんせ、私達、いつお家に帰るの?」

 「精密検査が終わってからだね。明後日には病院を出れると思う」
 
 「うん」
 
 ニッコリと微笑んで、汀は頷いた。
 
 「楽しみだなー……旅行」
 
 小さく呟いたその瞳には、数時間前まで人を助けると
 言っていた決意の色は欠片も見えなかった。
 
 歳相応の無邪気な顔。
 
 大河内は、自分の苗字を名乗った汀の頭を撫でて、
 しばらく口をつぐんでいた。
 
 「どうしたの? せんせ……」
 
 「…………」
 
 「パパって呼んだ方がいい?」
 
 「…………」
 
 パパ、そう呼ばれて大河内は一瞬目を見開いた。

 そして唾を飲み込んでから、かすれた声を発する。
 
 「……これで、良かったんだよ……」
 
 「……?」
 
 「良かったんだよな……?」
 
 問いかけられ、汀は小さく笑った。
 
 「どうしたの、パパ? 何だかいつものパパじゃないみたい……」
 
 「……今日は、一緒にここで病院食を食べようか。
 明後日からは旅行だぞ。
 沖縄に行こう」
 
 「うん!」
 
 頷いた汀の頭を撫で、大河内は立ち上がってカーテンを開いた。
 
 汀に背を向けたその顔は、唇を強く噛み、
 今にも押し殺した感情で破裂しそうになっていた。



「高畑汀を……手放した?」

信じられないような調子で聞かれ、
圭介はココア缶のプルタブを開けて中身を口に流しこんでから、
息をついて言った。

「ああ。治療中に患者の命を盾に取る行為は、重度Aの危険行為だ。
言い逃れは出来ない」

「だからって……あなたにあそこまでボロボロになって協力してた子を、
使い捨てるつもりなの!」

掴みかからんばかりに大声を上げたソフィーに、
圭介は薄ら笑いを浮かべて言った。

「使い捨てる? 違うな」

「……?」

「あんな便利な道具、そう簡単に無条件で手放すわけはないだろう」

クックと笑って、圭介は缶をテーブルに置いた。

そして片手で醜悪に笑っている顔を隠しながら、
不気味に光る目でソフィーを見た。

「……どういうこと? 話がさっぱり見えないわ」

「さしあたっては、約束通りに君の腕の治療を行おう。
俺は嘘をつくのは嫌いだからな」

「気になっていたのだけれど……
スカイフィッシュに斬られた腕の手術なんて無理よ。
あなたにどんなあてがあるのかわからないけれど……」

「オペ(手術)なんてしない。
君には悪いが、新型システムのモニターになってもらいたい」

「新型……システム?」

聞きなれない不穏な言葉に、ソフォーが色をなす。

「まさか……!」

「察しがいいな。さすが天才だ」

頷いて圭介は椅子に腰を下ろした。

そして青くなったソフィーを見上げる。

「何も精神治療にはナンバーIシステムだけが開発されていたんじゃない。
医療技術は日進月歩。
様々なものがある。
中には、無認可の危険なものもな」

「…………」

「君に受けてもらいたいのは、移植処置だ。精神のな」

「そんな危険な施術を試すと思う?」

押し殺した声でそう返したソフィーに、圭介は鼻で笑ってから答えた。

「受けるさ。君は何としても自由に動く体がほしいはずだ」

「…………」

「腐った精神を切り離して、新しい腕を接合する。
理論的には何ら問題がない移植作業だ」

「それが許されるのなら、あなたが一番嫌うロボトミーも許されるはずだわ」

「一緒にしないでほしい。
今回は、きちんと施術用に精神構築された腕を、君に『接続』する。
成功率は限りなく99%に近い。
拒絶反応さえでなければの話だがな」

「…………」

答えることが出来ないソフィーに、小さく笑ってから圭介は言った。

「もう後戻りはできない。
俺も、君も。
汀も、大河内も、もう戻ることは出来ない。
ただ、今活動するためには君の腕が足りない。
それに、汀の存在はマイナスにしかならい。
だから一時的にリリースした。それだけだ」

「……やっぱりあなたは、高畑汀をただの道具だとしか思っていないのね……」

「俺だけじゃない。
たとえ大河内でさえ、大人は皆自分以外のものは、悲しいかな道具だとしか捉えていない。
苦しいことだが、それが大人から見た世界なんだよ。
それが分からない君たちは、まだこの世界で生きていく資格を持っていない、
人間以下の存在だとしか俺には言えない」

悔しそうに唇を噛んで、ソフィーが黙りこむ。

そして彼女は顔を上げ、圭介に言った。

「……分かったわ。私にも私の事情がある。
施術を受ける。どうすればいいの?」

「三日後、君の夢の中に専門のチームをダイブさせて行う。
その後、君にはある場所にダイブしてもらいたい」

「……施術直後に動けるかしら……」

「所詮精神の切り貼りだ。現実の傷ではない」

「よく真顔でそんなことが言えるわね……!」

「夢傷それそのものが原因で死んだ人間は存在しないからな」

端的にソフィーにそう返し、圭介は夜の景色を映す東京都の窓の外を見た。

「汀は必ず俺のところに戻ってくる。
それがあいつの贖罪なんだ。
あいつは、俺のところに戻らざるをえないカルマを背負ってる。
まだ汀は、何一つとして目的を達成していない」

呟くようにそう言った圭介の顔を見て、
ソフィーは発しかけていた言葉を止めた。

不気味な表情だった。

視線だけが無機的で、口元が笑っている。

その、どこか壊れたような顔を見て、ソフィーは一つのことを確信していた。

この人達は壊れている。

自分とは、違う。



汀の車椅子を押しながら、
大河内は多数の医師に囲まれた状態で空港を歩いていた。

医師の周りには、やはり多数のSPがついている。

看護師の女性が、他の人に聞こえないように大河内に耳打ちをした。

「先生、やはりこの子を沖縄まで『隔離』するのは、時期が早いのでは……」

「大丈夫だ。何も問題はない」

短くそう返して、大河内は車椅子の上で、
片手で3DSをいじっている汀の肩を叩いた。

3DSを膝の上において、耳につけていたイヤホンを外した汀が、
大河内を見上げる。

「どうしたの、パパ?」

「そろそろ飛行機に乗るから、ゲームをしまった方が良い」

「わぁ、私飛行機はじめて!」

ニコニコしながら汀が近くの看護師に3DSを渡す。

「眠くないかい?」

「大丈夫、たくさん寝てきたから!」

元気にそう言う汀に、大河内はニッコリと笑いかけて言った。

「そうか。
医療機関の特別ファーストクラスだから不便はないと思う。
病院のみんなも同席してくれる」

「私とパパの旅行なのに、みんなに悪いね」

そう言った汀に、近くを歩いていた看護師の女性たちが
ニコニコしながら何かを言う。

大河内は会話をはじめた彼女達から目を離し、
どんな要人が飛行機に乗るのかという好奇の視線に囲まれた状況で、
周囲に視線を這わせた。

それが、ゲート近くにポケットに手を突っ込んだコート姿の男が
立っているのを見て停止する。

大河内は汀に

「すぐ戻るから」

と囁いて、近くの看護師に車椅子を預け、
SPを数人引き連れて男のところに近づいた。

ニット帽を目深に被り、サングラスをかけた男。

白髪だ。

大河内は彼の前に立つと、
SP数人に周りを固めるように指示をして、押し殺した声を発した。

「……ここで何をしてる、マティアス」

マティアスと呼ばれた、汀の精神にダイブした
「精神外科医」はサングラスをずらして大河内を見て、
口の端を歪めて裂けそうに笑ってみせた。

「監視」

端的にそう言ったマティアスの視線が動く。

ハッとした大河内の目に、マティアスの視線の先に、
空港に数人同じようなコートにサングラス、白髪の人影があるのが映る。

「北ヨーロッパ赤十字は、高畑……失礼、『大河内汀』のことを、
最重要、危険度AAAの観察対象として認定したんだ。
僕は彼女の精神手術を担当した手前、こうして出向いてきたってわけ」

大河内は歯を噛んでマティアスを睨みつけた。

「丁度良かった……お前には言いたいことがあったんだ」

「血圧上がってるな、『パパ』? 
どうだい、悪い気はしないだろう?」

「私と汀ちゃんはそういう関係ではない。
よくも間違ったインプラントをしてくれたな」

「そういう関係じゃないって……じゃあどういう関係なんだ?」

あくまで軽く、のらりくらりと怒りをかわされ、
大河内は額を抑えて息をついた。

「……説明したくはないな。
言いたいことはそれだけじゃない。
汀ちゃんの記憶が、マインドスイーパーとしての強制記憶と一緒に、
一部かなり欠落してる。
いい加減な仕事をしたな!」

「言葉遣いに気をつけなよドクター。
誰に対して言っているんだ?」

マティアスはニヤニヤした表情を崩さず、大河内の肩にポンポンと手を置いた。

「彼女の膿んだ精神夢傷の手当ては、完璧に済んだ。
何、その周囲の精神真皮ごと切り取ったから、
縫合後は記憶の大部分欠落が見受けられるけど、
それに相当する分の『都合のいい思い出』はインプラントしておいた。
もうあれは、高畑圭介の使っていた道具じゃない。
ドクターの、娘だよ。
戸籍も書き換えてある」

「私の娘としての思い出を埋め込んだな……何てことを……」

「だから何を憤ってるんだ? ん? もしかしてあの子は……
『娘的ポジション』ではないのか? おいおい……」

呆れたように腕組みをして、マティアスは息を吐いた。

「ペドフィルだったのか、あんた」

「冗談を言っている場合ではない。
あんなのは汀ちゃんじゃない!」

「やれやれ……十三歳だぞ。
日本人の法律や価値観、趣味嗜好はよく分からないな……
変態が多い国だとは聞いていたけど、まさかここまでとは……」

「あれでは別の人間だ。
完全にフォーマットされてる。
ある程度の価値観は残すべきだ」

「具体的には?」

「……具体的と言われても……」

口ごもった大河内の肩をまた叩き、マティアスは言った。

「……ま、僕らは沖縄までしばらくの間、と言ってもミギワさんの
監視命令が撤廃されるまで専属医として同行する。
GDの意向だから、ドクターの身柄も保証できるよ。
その方がドクターとしてもありがたいんじゃないかな」

「…………」

「……反乱分子は、テロリストとどうも繋がっているらしくてね。
ヨーロッパ赤十字は、血眼になって探してる。
慎重にならざるをえない背景、ドクターなら理解できるよね? 
あんたの趣味に合わないっていうなら、
アフターサービスで少しくらいは、あの子の性格をいじってあげるよ」

これ以上喋っても無駄だと自覚したのか、
大河内は深い溜息をついて、こちらに向けて手を振っている汀を見た。

それに手を振り返した彼に、マティアスは続けた。

「元気に動いてるじゃないか。
それとも、あの悪夢の中で血まみれで転がってた方が幸せだったって、
ドクターはそう仰るのかな?」

「そういうわけじゃ……」

「じゃ、僕は先に飛行機に乗ってるよ。
彼女、だいぶはしゃいでるようだけど気をつけなよ」

「どういう意味だ?」

「……分からないならいいんだ。それじゃ、沖縄で」

ひらひらと手を振って、マティアスがゲートに向かって歩いて行く。

大河内は舌打ちをしてSPに何事かを言い、汀の方に足を向けた。



「パパ、すごいよ! 雲の上にいる!」

窓際に座った汀が大声ではしゃいでいる。

大河内は、わずかに憔悴した顔でニッコリと笑ってみせた。

「ああ、そうだな。体は大丈夫かい?」

「うん、何だか最近すごく調子がいいの。
私、元気になったかもしれない」

「……そうか」

頷いて、大河内は職員からジュースを受け取って
ストローを指し、汀に手渡した。

「私も長期で休暇届を出した。しばらく沖縄で羽目を外そうか」

「うん!」

頷いた汀が息をついて、背もたれに体を預ける。

「眠いなら少し寝てもいいんだよ」

「うん。でももう少し、雲見たい」

窓の外に視線をうつした汀だったが、そこで彼女の動きが止まった。

「あれ……?」

小さく呟いた彼女に、大河内が怪訝そうに聞いた。

「どうした?」

「誰か、私のこと呼んだ?」

周りにいる看護師達を見回して、汀は首を傾げた。

「男の子の声が聞こえたの。
どこかで聞いたことがあるんだけど……空耳かなぁ」

それを聞いて、一瞬停止して大河内は青くなった。

「……何だって?」

眠りにも入っていないのに。

おかしい。

立ち上がりかけた大河内の耳に、
ブツリ、という音とともに機長室からのアナウンスが飛び込んできた。

『A390にご搭乗の皆様に告ぐ』

「あ……」

汀が顔を上げる。

「この声」

「え……?」

思わず聞き返した大河内は、次の言葉を聞いて息を呑んだ。

『当機は、現時点をもって我々「アスガルド」によって占拠された。
乗客の皆様に危害を加えることは、なるべくならば避けたい。
それゆえ、我々の要求を一度だけ、簡潔にお伝えしたいと思う』

「ハイジャック……!」

押し殺した声で叫んで立ち上がった大河内を嘲るように、少年の声は続けた。

『赤十字の皆さん、乗っているんでしょう? 
我々が要求するのは、「網原汀(あみはらなぎさ)」の身柄だ。
あなた達が隔離しようとしている女の子を、平和的に受け取りたい』

「あみはら……なぎさ……?」

汀が小さく呟いて、不安そうに大河内を見る。

「パパ……何だか怖い……」

「…………」

大河内が無言で汀の手を握る。

『網原汀がこの機内にいることは、既に確信している。
赤十字の皆様に要求することは、「無抵抗」だ。
どうか無駄な抵抗をしないでほしい』

そこで、ウィィィィ……と、
スピーカーから聞いたこともないような音が流れだした。

高圧で鼓膜を震わせ、脳を振動させるような重低音だった。

それを聞いたSPや看護師達、大河内、汀に至るまで、
ファーストクラスエリアにいたその場の全員が頭を抑え、
ついで襲って来た猛烈な眠気に歯を食いしばる。

『乗客の皆様には、これより眠っていただく。
諸君らは人質である。
我々アスガルドは、網原汀の精神中核を要求する。
もしも抵抗するのであれば、容赦なく「殺させて」いただく』

眠気に耐え切れず、看護師が一人、二人と倒れていく。

「ダイブの準備だ! 汀ちゃんを守れ!」

SP達に怒鳴り、大河内はガクン、と
首を垂れた汀の頭にヘッドセットを被せた。

「……ドクター……!」

そこでファーストクラスのドアが開いて、
ふらついたマティアスと、数人の白髪の男女が駆け込んできた。

全員ヘッドセットをつけている。

「人質全員を眠らせて……汀ちゃんの精神中核を連れ去るつもりだ……
私もダイブする。テロリストを撃退するぞ……!」

大河内も眠気で震える手でヘッドセットを装着した。

音が段々大きくなっていく。

大河内が眠気で目を閉じ、意識をブラックアウトさせたのと、
マティアス達もその場に崩れ落ちたのは、ほぼ同時の事だった。



次回の更新、20話に続かせて頂きます。

ご意見やご質問、ご感想などございましたら、
お気軽に書き込みください。

それでは、失礼させて頂きます。

こんにちは。

体調不良などにより停滞してしまっていました。
申し訳ありません。

書け次第UPさせていただきますので、隔週~月刊連載ほどと
考えていただけますと幸いです。

20話の前半が書けましたので、投稿させて頂きます。



「何だ……ここ……」

大河内は言葉を失って周囲を見回した。

そこは、半径三十メートル四方ほどの丸い空間だった。

中央に小さな小屋があり、木が一本近くに立っている。

周囲は緑色の芝生に覆われ、たくさんの蝶々や小鳥が周囲を飛んでいた。

芝生には花壇が設置されていて、色とりどりの花が咲いている。

空は青。

中点には優しく輝く太陽。

しかし、それも丸い円形空間の中だけでの話だった。

崖のようになっていて、その外は奈落になっている。

大河内はすぐその、落ちる寸前の場所に立っていた。

その下を見て、彼はゾッとした。

ぐつぐつと煮えたぎるマグマのような、
溶岩のようなものが蠢いていたのだ。

「汀ちゃんの精神世界……入れたのか?」

「強制フォーマット後の安定しない世界なんだ……
安定してる空間は、今のところここだけだ。
落ちれば多分虚数空間になってるから、元に戻れないよ」

背後から言葉を投げかけられ、大河内は慌てて振り返った。

白衣のポケットに手を突っ込んだマティアスが立っていた。

彼はヘッドセットを操作したが、
その向こうからノイズしか聞こえてこない事を確認して、
舌打ちして手を止めた。

すぐ近くに、看護師数人とマティアスと同じ、
北ヨーロッパ赤十字の職員が倒れていた。

彼らが頭を振りながら起き上がり、
同様にヘッドセットを操作しようとする。

「ナビをする人間が外にいないから駄目だ。
それより、早くミギワさんの精神中核を保護するんだ」

指示を受けた職員たちが、小屋の方に走っていく。

大河内も慌ててついていくと、
小屋の中には小さなブラウン管型テレビが床に設置されていて、
その前に揺り椅子がひとつ置いてあるだけだった。

ブラウン管型テレビには、ノイズ混じりの砂画面が映しだされている。

汀が、揺り椅子に座ってぼんやりとテレビを見ていた。

「マティアス、精神中核の入れ物を見つけました!
実体を保ってます!」

職員の一人が声を上げると、汀が顔を上げて周りを見回した。

そして大河内の姿を見とめると、
急いで立ち上がってパタパタと走ってきた。

病院服ではない。

白いワンピースに、ピンク色のバンプス。

髪飾りに、歳相応の女の子である証拠のように、
わずかに化粧をしている。

汀は大河内に抱きつくと、頭をこすりつけてきた。

「パパ、どうしたの? ここは私の夢の中だよ?」

「汀ちゃん……良かった、無事だったか」

大河内は彼女を抱き上げると、
小屋の壁に背中をつけて周囲に目を走らせた。

汀の体は、信じられないほど軽かった。

まるで重さがないようだ。

羽毛布団を持ち上げているかのような感覚に、
大河内は彼女が飛ばないようにきつく抱きしめた。

汀は大河内の首に腕を絡めると、その胸に顔を埋めた。

「どうしたの? 何だか、すごく何かを怖がってるみたい……」

「絶対に、何があっても私から離れるんじゃないぞ。
しっかり掴まってるんだ」

「……うん。分かった」

押し殺した声で言った大河内に、
怪訝そうな顔ながらも汀が頷く。



★Karte.20 Wake UP★



マティアスが大河内と汀を守るように職員と看護師に
立ち位置の指示をしてから、パンッと手を叩いた。

職員、看護師たちの手に機関銃がどこからともなく現れる。

「使い方は分かるな? テロリストに容赦をすることはない。
相手はスカイフィッシュの変種だ。
攻撃を受けたら即死だと思え。姿を確認次第、全戦力で叩く」

早口でマティアスが言って、
自分のショットガンをコッキングした。

それらの物騒な様子を見て、汀が小さく震えながら
大河内に抱きつき、ぎゅっと目を閉じる。

今までの彼女からは考えられない弱々しい様子に、
大河内は少し躊躇して、言葉を発しようとし……。

「ドクター! 後ろだ!」

マティアスの叫び声にハッとして、
汀を抱いたまま前に転がった。

汀が悲鳴を上げて大河内にしがみつく。

その、今まで大河内の頭があった場所の背後の壁から、
無数の日本刀が突き抜けた。

出現する無数の日本刀は、
ものすごい勢いで小屋の壁を埋め尽くすと、
今度は床や天井に突き刺さりはじめた。

職員や看護師達が、機関銃を構えながら、
転がるように小屋の外に向かって駆け出す。

「早く、何してるんだ!」

マティアスが大河内を引き起こしてパチンッと指を鳴らした。

その彼らを庇うように、
小屋を内側からなぎ倒しながら鈍重な戦車が出現した。

出現を続けていた日本刀が、
まるで雨のように戦車に打ち当たって、
ガシャガシャと地面に転がっていく。

実に十数秒も日本刀の雨は続き、たちまち狭い空間が、
周囲に鉄臭い黒い刀身がギラつく物騒な様相を呈した。

「掴まって!」

マティアスがそう言って、大河内と汀を戦車の上に引き上げる。

職員の一人が戦車に駆け上がり、
操縦席に座った途端、鈍重な機体が高速でバックした。

汀が声を上げて頭を押さえる。

大河内は汀が転がり落ちないように抱きしめながら、
必死に戦車の上にしがみついた。

戦車は小屋があった場所から奈落の手前までバックすると、
そこで止まった。

職員と看護師達が、機関銃を構えながらバラバラと
戦車を囲むように整列する。

「こんなものまでサーバーに保存できるのか……!」

押し殺した声を発した大河内を無視して、
マティアスは銃座に駆け上がると、
機関銃の砲身を前方に向けて、一気に引き金を引いた。

職員と看護師達も、持っている銃の引き金を引く。

連続した凄まじい射撃音が鳴り響いた。

汀が体を硬直させる。

大河内は彼女の耳を手で塞ぎ、
庇うようにその体に覆いかぶさった。

周囲に雨のように親指大の薬莢が飛び散る。

焦げ臭い硝煙の臭い。

小屋の向こうで立ち上がった人影にすべての
銃弾が吸い込まれていき、炸裂した。

一本だけ立っていた木が粉々に吹き飛ばされ、
小屋の残骸が煙となって飛び散る。

芝生がえぐれ、吹き上がり、周囲にもうもうと土煙が舞った。

数秒経ち、煙が風に舞っておさまってきたところで、
大河内は顔を上げて硬直した。

銃弾が炸裂した場所に、マントを体に巻きつけた人影が
しゃがみこんでいたからだった。

「チッ……効果がないか……!」

「確認しました! スカイフィッシュ変種です!」

職員の一人が大声を上げる。

マティアスがまた手を叩くと、彼の胴回りに防弾ベストが出現した。

そこにぶら下がっていた手榴弾を幾つか手に取り、
歯でピンを抜いてから間髪を置かずに投げつける。

スカイフィッシュは飛んでくる無数の手榴弾を見上げ、
両手をそちらに向けて開いた。

彼の周囲に、凄まじい数の日本刀が、
何に支えられているわけでもないのに出現して、浮遊をはじめた。

そのうちの何本かが手榴弾に突き刺さり、
空中で大爆発を上げる。

そこで、大河内は青くなった。

「マティアス、気をつけろ! 一人じゃない!」

スカイフィッシュの背後に、また動くものが見えたのだった。

それは日本刀の群れに隠れるようにしていたが、
手前のスカイフィッシュがサッと身をかがめた瞬間、
前に飛び出してきた。

「スカイフィッシュ変種が……二体だと!」

マティアスが声を荒げる。

マントにドクロのマスクを被ったスカイフィッシュ。

それが二人立っていた。

後ろから飛び出してきたスカイフィッシュが、
担いでいたロケットランチャーをこちらに向ける。

巨大な砲弾が火を吹き、
放物線を描いてこちらに向かって吹き飛んできた。

 「マティアス、どうするんだ!」

 大河内が悲鳴のような大声を上げる。

 マティアスは飛んでくるロケットランチャーの砲弾を睨みつけ、
口の端を裂けんばかりに開いて笑った。

 「大人を……赤十字を舐めるなよ!」

 嘲るようにそう言った彼に、別の職員が地面を手で叩いてから叫んだ。

 「閉鎖領域への夢座標の転送、完了しました。扉を開きます!」

 「開放しろ!」

 「了解!」

 ロケットランチャーの砲弾が、戦車に打ちあたって炸裂する……と、
大河内が汀を強く抱きしめ、彼女を庇うように体を丸めた瞬間だった。

 職員の一人が叩いた地面に、木造りの扉が出現した。

 それがひとりでに開き、中から数人の人影が、
戦場の様相を呈している空間内に踊り込んできた。

 そのうちの一人が、人間とは思えない程の跳躍をして、
今まさに炸裂せんとしている砲弾を手で掴む。

 次いで人影は、思い切りそれをスカイフィッシュ達に
向かって投げ返した。

 ロケットランチャーを担いだスカイフィッシュが、
慌ててもう一発のランチャーを発射する。

 空中で二つの砲弾が衝突し、まるで昼間のように光が飛び散り、
爆炎と鉄の破片が周囲を舞った。

 「パパ……!」

 汀が悲鳴を上げて大河内にしがみつく。

 大河内は爆炎で吹き飛ばされないように、しっかりと汀に抱きついた。

 「くく……」

 押し殺した声で、マティアスが笑った。

 「もう終わりだよ、お前ら」

 ポケットに手を突っ込んで、彼は戦車の上に仁王立ちになった。

 彼を守るように、扉から出てきた人影が四つ、
戦車の周りに立って腰を落とす。

 そして四人同時にチェーンソーの鎖を引っ張った。

 「え……」

 大河内は目を見開いて、その光景を見た。

 「スカイ……フィッシュ……?」

 四人。

 ドクロのマスク。

 黒いボロボロのマント。

 ジーンズに血にまみれたタンクトップ。

 同じ格好をしたスカイフィッシュが、四人、
大河内達を守るように立っていた。

 ドルンドルンとチェンソーのエンジン音があたりに響き渡る。

 「どういうことだ……? スカイフィッシュが……四人も……」

 「対スカイフィッシュ変種用の、
GDが保有している『人工スカイフィッシュ』だ」

 ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべながら、マティアスは大声を上げた。

 「よーしいい子たちだ! 
お前たちの目の前にいるあいつら! 
食っていいぞ!」


 スカイフィッシュ達が、マスクの奥の口を開けて
金切り声のような絶叫を上げる。

 「マティアス! 私はこんなもの知らないぞ! 
何だ、人工スカイフィッシュって!」

 大河内が真っ青な顔をして怒鳴る。

 マティアスはうずくまっている彼を見下ろして、
鼻の端を歪めて笑ってみせた。

 「その名の通り、人工的にスカイフィッシュに『した』子どもたちだよ。
実験の副作用で、理性なんて消し飛んでるけどね。
まぁ……ボディガードにはそれくらい単細胞な方が適してるから、問題ない」

 「問題ないって……お前!」

 「とことんやり方がクズだな。赤十字……」

 そこで、日本刀を構えていたスカイフィッシュ変種が口を開いた。

 何度も聞いた声。

 大河内が歯を噛んで、汀を背後に庇う。

 「工藤……一貴!」

 一貴はスカイフィッシュの仮面を脱いで脇に捨て、
ギラつく目で大河内とマティアス達を見回した。

 「僕達みたいな子供を意図的に量産するなんて、
性根が腐った人間しか思いつかないことだ。
お前たちが考えそうなことだよ」

 「テロリストに非難されるほど、
非人道的なことを行なっているつもりはないんだがな」

 マティアスは戦車の上で腕組みをすると、一貴を冷たい目で見た。

 「よってお前達と話し合いをするつもりも、情けをかけるつもりもない。
ここで八つ裂きにして虚数空間に投げ込んでやる」

 「随分と強気じゃないか」

 一貴が空中に浮遊していた日本刀の一本を手に取り、構える。

 その背後でもう一体のスカイフィッシュ変種がマスクを脱いで髪を掻きあげた。

 「君は……!」

 大河内が声を上げる。

 岬はそれを無視して、ゴミでも見るかのような目で周囲を見回すと、
一貴に向かって口を開いた。

 「……片平理緒がいないわ」

 「そうみたいだね。でもなぎさちゃんがいる」

 「私は、片平さんを殺したいんだけど……」

 「分かってる。それは時期を見て必ず、岬ちゃんにさせてあげるよ」

 一貴はそう言うと、自分たちを取り囲むように包囲を狭めてきた、
四体のスカイフィッシュを見回した。

 「こいつらを作るために、一体何人のマインドスイーパーを犠牲にした!」

 「さてね……」

 マティアスはクックと笑ってから肩をすくめた。

 「いちいち数えるのが面倒くさくなったから、僕は知らない。
電算処理部にでも聞いてくれ」

 パチン、とマティアスが指を鳴らす。

 途端、チェーンソーを回転させながら四体のスカイフィッシュが、
一斉に一貴と岬に襲いかかった。

 一貴は自分に向かってきた二体を見据え、日本刀を構えて腰を落とした。

 「岬ちゃん、残り任せたよ」

 「うん」

 岬が頷いて、手に持っていたロケットランチャーを振る。

 アサルトライフルを脇に挟み、彼女はためらいもなく
飛びかかってきた二体に向けてそれを乱射した。

 銃弾を真正面から浴びて、
二体のスカイフィッシュが吹き飛び、地面を転がる。

 しかし銃弾は貫通することなく、バラバラと地面に転がった。

 無傷のスカイフィッシュ達がまた岬に飛びかかろうとして……。

 ズンッ……。

 という重低音と共に、周囲が凄まじい地震が起きたかのように揺れた。

 悲鳴を上げた汀を支えたまま、大河内が戦車の上から転がり落ちる。

 マティアスも身をかがめたほどだった。

 地面に打ち当たる寸前、大河内が汀の下に体を滑り込ませ、
彼女を受け止める。

 したたかに肩を打ち付け、大河内は息をつまらせて激しく咳き込んだ。

 「パパ……! パパしっかりして!」

 汀が声を荒げて大河内を揺さぶる。

 「な……何が……」

 マティアスが顔を上げ、そこで彼は目を丸くして動きを止めた。

 直径十メートルを超える巨大な黒光りする「鉄球」が、
地面にめりこんでいた。

 どこから現れたのか、何を変質させたのかわからないが、
とにかく規格外の大きさだった。

 その天辺に岬が立ち、マントを風に揺らしていた。

 「いっくん、片付いたよ」

 彼女がそう言って飛び降りたところで、マティアスは見てしまった。

 二体のスカイフィッシュが、鉄球に押しつぶされて、
まるで虫の標本のようにぐちゃぐちゃな血反吐の塊になっているところを。

 「うっ……」

 思わずえづいた彼の目に

 「早かったね」

 と言って日本刀を、飛びかかってきたスカイフィッシュの
口に突き刺した一貴の姿が映る。

 彼は地面にスカイフィッシュを縫い止めると、
残った一体に向けて口をすぼめて強く息を吐いた。

 熱風。

 いや、違う。

 炎の竜巻が巻き起こり、残った一体の体を吹き飛ばす。

 虚数空間に落ちていったそれを見下ろして、一貴は息をついた。

 「迎撃部隊全滅しました……! マティアス!」

 「外部との連絡通路、構築出来ません! 
何らかの阻害電波が発せられています!」

 職員たちが悲鳴のような声を上げる。

 一貴と岬は悠々と足を進めると、
戦車から少し離れたところで歩みを止めた。

 「まぁ、経験と素質の差ってことで……
同じスカイフィッシュだと思ってもらっては困るんだよね」



次回の更新に続かせて頂きます。

ご意見やご感想、ご質問などがございましたら、
お気軽に書き込みをいただけますと嬉しいです。

それでは、今回は失礼させて頂きます。

おまたせしてしまって申し訳ありません。

リアルの方が忙しく、なかなかINできませんでした。

まだ目処が立ちませんが、書け次第UPさせて頂きます。

5月中にはもう一話を上げる予定です。

楽しみにしてくださっている方々には申し訳ありません。

月刊ほどの更新頻度ととっていただけると嬉しいです。

これからも、よろしくお願いします。

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