替えの利く替えの利かない話 (34)

サンシャインクリエイションのSS同人部にて発行されたコミケ本に寄稿したものです。
内容は送った時のままです。

短編ですので暇つぶしにでもどうぞ



SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1383133206



突然だが『テセウスの船』というものを知っているだろうか。
別名『テセウスのパラドックス』とも呼ばれ、
ある物体の全ての部品が置き換えられたとき、
基本的に同じであると言えるのか、という問題だ。



いまいちピンとこない話かもしれない。
僕だってそうだ。
たまに哲学に関して友人とあーでもないこーでもないと話すのは好きだが、
あくまでそれは趣味の範囲の話である。
本気で考えたことなどあまりない。
しかし現在僕は以前聞いたこのことについて現実問題として直面するハメになったのだ。





「もうほぼダメですね。全身に転移してしまっています。
 『交換』してしまったほうが早いでしょう」

「……はい?」



突然突きつけられた言葉。
僕は理解できずにいた。
いや正確には理解したくなかった。




「これをご覧ください。このマークが癌です。
 そしてこのマークがついた位置、これら全てが癌ということです」



そう言って医師が指し示しているのは人の形をした図に点が打たれている紙である。
ぱっと見た感じでは、胃、すい臓、その他色々な位置に点が打たれている。





「どうしてこんな状態まで放っておいたんですか?
 ……まあ自分で気づけというのも幾分か酷な話ではあるのかもしれませんが」

「はぁ……」

「しかしよかったですね。十数年前ならどうにもなりませんでしたが、
 今ではiPS細胞のおかげで再生医療が行えます。
 すぐにあなたのスペアと『交換』すれば問題ないでしょう」

「そうですか……」



そんな医師の説明を聞いてもやはり僕は上の空だった。
まるでドラマのワンシーンでも見ているかのようだった。
自分のことではない、他人のことを聞いているかのように。
僕は今聞いている僕自身のことに対していまいちリアリティを感じられずにいた。

それから色々事務的な話をされたはずなのだが、
僕は家に着くまでのことをあまり覚えてはいなかった。



『交換』か……
そうだよな。交換すればいいんだ。
そうすれば今まで通り、また普通に生活ができるんだ。
何も気に病むことはない。
そう、ただ私の細胞からまた新しく作られた臓器と交換するだけなんだ……。



後日、私は一枚の契約書の前でやはり動けないでいた。
それは『交換』を承認するための書類。
あくまで必要な手続きの一つ。
でも私にはそれがとても大切でとても重要な書類に思えた。



「これにサインするだけで『交換』することができる。
 今ではこのような手術は国が全額出してくれるからお金の心配もいらない。
 サインするだけ。サインするだけでいいんだ」



まるで呪詛のように何度も何度も自分に言い聞かせる。
これは普通のことなのだ。
何もおかしいことはないのだ、と。


しかしいくら言い聞かせても自分の頭の中でずっと支配し続けていることがある。


『テセウスの船』


古代、帝政ローマのギリシア人著述家、プルタルコスの投げかけた疑問。
全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのかというもの。


まさに僕は今これと同じような状況なのではなかろうか。
別に全部の部品を、臓器を置き換えるわけではない。
何も問題のない臓器はそのまま続けて使えるわけだし、
僕という存在自体は何も揺るがないはずだ。

でも……そう僕は続ける

でも、僕が今使っている、今まで使ってきたこの臓器は……、
この肉体はすべて親からもらったものだ。
今回はダメになってしまった箇所を変えるだけでもらった場所は残っているが、
この先事故などしたとしてまた変えて……となったらそれは僕のままなのだろうか?
考えすぎだというのはわかっている。
わかってはいるんだが……考えると怖くなってしまう。




僕はもっと生きたい。
僕は僕でありたい。



一見何も矛盾していない、いや実際何も矛盾していない事柄だが、
今の僕には矛盾しているように感じてしまう。

僕はどうすればいいんだろう……?


結局その日は契約書にサインすることができず、一日が終わった。



次の日も契約書と向き合うが、そこから先に進まない。
サインするだけだと理解はしているが行動には移らない。
とりあえずは会社に事情を説明し、長期の休暇を取る。
元々有給を取ったのは人間ドックのために一昨日と昨日だけだったのだが、
上司が気前良く長めの有給を取らせてくれた。



――そんな事情じゃ仕方ねえな。どうせだから長く休みをくれてやる。
  ついでに田舎にでも帰って親御さんに顔を見せたらどうだ。
  その代わり戻ってきたらたくさん仕事をくれてやるがな!ハッハッハ!

とまあそんな感じだ。



上司の優しさに感謝しつつ、実家に電話をかける。
事情を簡単に説明するとお袋が



「帰っておいで」



と優しく言ってくれた。



荷物をまとめ、駅へ行き新幹線のチケットを買う。
どうせだしゆったりしたかったので指定席だ。
2時間ほど揺られ今度は鈍行に乗り換える。
懐かしい景色を眺めながらも揺られていると実家の最寄り駅についた。
駅を出て、バスを待っていると親父が軽トラで迎えに来てくれた。
何時に着くなどとは伝えていないはずなのだが、どうしてこれたのかと尋ねると、



「馬鹿野郎。何も言わなくても息子のことならわからぁ!」



と恥ずかしそうに親父は答えてくれた。
その返答に僕もちょっぴり恥ずかしくなった。



そのまま車に揺られ、実家についたのが昼過ぎ。
お袋は昼飯を用意して待っていてくれた。
初夏らしく涼しげなそうめんだ。

病気のことも忘れ、久々に両親と楽しく話しながら飯を食った。
『交換』のことなど一度たりとも話題にあがらなかった。
飯を食い終わった僕は少し散歩に出かけた。
少し日差しがきつい。
じんわりと汗をかきながら土手沿いを歩く。
こうしている瞬間は仕事も病気も人間関係のごたごたも全て忘れられそうだった。



散歩を終えて戻るといい頃合で、両親は晩飯を作って待ってくれていた。
並んでいる料理はどれも僕の好物ばかりだった。
久々に腹いっぱいに好物ばかりを食べて満足していると、
親父が晩酌でもどうかと誘ってきた。
今までそんなことを親父としたことがなかった僕は、
気恥ずかしくもなりながらそれに応じた。





「……仕事はどうだ」

「ぼちぼちやってるよ」

「そうか……それはいいことだ」

「ははっ、なんだよ。『いいこと』って」

「うん……?うん、まあぼちぼちってのはいいことなんだよ。そのうちお前にもわかる」

「ははっ。そっか」

「うん……」

「……」

「……」




沈黙が場を支配する。
しかし、それは嫌な沈黙ではなかった。
心地よく、そのまま身を委ねてしまうと眠ってしまいそうな。
そんな優しい沈黙だった。



「お前……」

「うん?なんだい親父」

「お前、どうするつもりなんだ?」

「どうするつもりって……病気のこと?」

「それ以外に何があるってぇんだ」

「ははっ、確かに」



「『交換』……するのか?」

「……なんだよそれ。そんなの当たり前だろう?」

「じゃあなんでお前はサインするのを渋ってんだ」

「なんでそれを……」

「悪いと思ったんだがな、荷物見せてもらったわ」

「あぁ……」



親父が見たという僕の荷物。
その中には服と貴重品、それ以外に入ってるものといえばあの契約書だ。





「お前は俺に似てるからな。『交換』するの嫌なんだろ?」

「……」

「お前が思ってることもある種間違いじゃねえよ。
 でもな、俺たちはお前が長生きしてくれるのが一番嬉しいんだ」



親父が言ってることは悩んでたこととまったく同じで、
そしてまったく違ってて、とても優しかった。



「お?なんだ?それとも俺が言ってることは見当違いか?」

「いや……そうでもないよ」

「ハッハッハ、そうだろそうだろ」



そう言って親父はまた盃を呷った。
その顔は笑っていて、でもその目には涙がたまっていた。





2、3日実家でゆっくりするとまた僕はあの喧騒の中に帰っていった。
お袋は僕が帰るとき、



「あんたの思うようにしなさい。きっとそれが一番いいんだから」



と言ってくれた。
流石僕の両親だ。
僕のことを一番わかっているのはきっとこの二人だろう。
いつも僕よりも僕のことをわかっていて、一番欲しい言葉をかけてくれるんだ。


帰りの電車の中、僕は流れる涙を止めようとはしなかった。





家に戻って一番最初にしたことは、あの契約書にサインを書くことだった。
僕は決めたのだ。
僕は生きていたいのだと。
それを病院に持っていくと数日後には手術が行えるといわれた。
あまりに早いので驚いていると、



「診察が終わった段階で既に色々準備はしておくんですよ」



と説明がされた。

数日後、手術は行われ、僕は無事退院した。
手術前は色々悩んでいたこともあったが結局これでいいのだ。



親からもらったこの身体、それの一部が変わってしまったことはやはり少しは悲しい。
でもこれはこれでいいのだ。

テセウスの船でも大事なことは継続性だと誰かが言っていた。
僕もそうだ。
僕が僕であり続ける限り、中身が変わろうとそれは僕なのだ。
大事なことは自分を見失わないこと。
僕は今回のことでそれを学べたのだからよしとするとしよう。

色々と替えの利く世界になってきた。
でも結局替えの利かないものもたくさんあるのだ。
これはそんな世界の変えの利く替えの利かない話の一つなんだ。





終わり

以上が寄稿した作品でした。
素人の浅知恵なんでおかしい部分はあるかもしれませんが目をつぶってくださると幸いです。

感想レスありがとうございます
まさかこの短い間についてるとは思ってませんでした

このスレ自体はこのまま落とすか
また別のオリジナル短編を適当に投下するか
今度どうしようかなあとちょっと迷っています

決まり次第またここにレスなりなんなりすると思いますのでよろしくお願いします

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