結衣「ちなつちゃんに笑ってほしい」(139)

いつもの放課後。
京子が先生に呼び出しを食らい、廊下で掃除をしているあかりともすれ違ったから
部室にはちなつちゃんしかいないはずだ。

急ぐ理由なんて無いけど、この季節、廊下はひどく冷えていて、
自然と足早になってしまう。
早く中に――
あっという間に辿り着いた部室の前。ドアに手をかけて、それから私は。
そのドアを開くことが出来なかった。

結衣「……ちなつちゃん?」

薄く開いたドアの隙間。
こちらに背を向けて座っているちなつちゃんは。

なんだか、泣いているみたいだった。


結衣「……」

バクバクと鳴っている心臓を落ち着けようと、私は大きく深呼吸した。
思わず戻ってきてしまった教室には誰もいない。
おかげで声を出して息を吐き出すことが出来た。自分の声で、少し頭が
冷静になってくれる。

結衣「……なにやってんだ私」

冷静になった頭で、私はどうして逃げてしまったのだと後悔した。
ちなつちゃんはいつも明るくて、泣いているところなんて見たことなかったから。
一人で泣いてるなんて、見られたくないだろうし。
なにより、私なんかが声をかけていいのかわからなかったから、どうしても部室に
入れなかったのだ。

京子「あれ、結衣?」

自分の対応に頭をかきむしりたくなったとき、のんびりとした声が
私を教室へと引き戻した。

結衣「京子……」

京子「先部室行ったんじゃないのー?さては私を待っててくれたか!」

結衣「ちげーよ」

えぇと口を尖らせながら、京子は自分の机に駆け寄って置いてあった鞄を肩に
かけた。
どうやら今の今まで先生にこってり絞られていたのだろう。

京子「よし、そんじゃ行くか!」

けれどそんな様子は微塵も見せずに京子はそう言って私に寄って来た。
ちょっと待ってと言う暇もなく、京子が私の背を押して教室を出ようとする。

京子「今日はなにする?」

結衣「なにするって……」

なんとか鞄を持ち出しながら、私は返答に詰まった。
京子はちなつちゃんが泣いていたことを知らない、当たり前だけど。
それに私だってちなつちゃんがどうして泣いていたのかなんてわからないし。

京子「結衣?」

結衣「……っ」

立ち止まった私を、京子が「なんだよー」というように振り返った。
行きたくないわけではないけど、今ちなつちゃんと顔を合わせるのは
正直きつい。

京子「おーい」

結衣「ごめん、今日は」

そう言い掛けたとき、京子が「どうした?」と首を傾げた。
「なにが」と問い返すと、「なにかあったのかなって」

結衣「……そういうわけじゃ、ないけど」

こういうときの京子はへんに鋭い。
それでも私は、京子から目を逸らして首を振った。
なんとなく、ちなつちゃんのことは言い辛かった。京子のことだからちなつちゃんに
真正面切って何か言いそうだし。

京子「ふーん?」

結衣「と、とりあえず今日は私」

けれど、京子は「大丈夫だって」と笑った。
そのまま、私の後ろに回ると教室を出たときのようにぐいぐいと私の背中を
押して行く。

結衣「ちょ、京子」

京子「あかりもちなつちゃんも待ってるしさ」

ちなつちゃんも。
私は何も言えなくなって、結局部室の前まで来てしまった。

京子「よ」

けれど、ここまで来てなお京子がドアに手をかけようとしたのをつい止めて
しまっていた。

京子「なに?」

結衣「いや……」

京子「結衣の手邪魔なんだけど」

結衣「う、うん……」

無理矢理私の手をどかそうとする京子と、なんとか中に入るのを阻止しようとする私。
結局押し問答になってしまったとき、中からこちらへ走り寄って来る音が聞こえた。

結衣「あっ……」

そして、あっけなく開いてしまったドアから顔を覗かせたのは。
きょとんとした表情のちなつちゃんだった。

ちなつ「……な、なにやってるんですか」

京子が「結衣のやつが」と文句を言い始めるのを口に手を当てて阻みながら、
私は苦笑して「なにも」と答えた。

結衣「……えっと、遅くなってごめんね?」

ちなつちゃんは一瞬何か言いたそうな顔をしたあと、すぐに首を振って
笑ってくれた。

ちなつ「結衣先輩が来てくれただけで嬉しいですっ」

その笑顔を見て、私はようやくほっとした。

―――――
 ―――――

その日はそれ以上なにも変わったことなんてなくって、いつものとおりの部活
(というかただの遊び)が始まって。ちなつちゃんも変わった様子はなく、けれど
私はちなつちゃんの小刻みに震えた背中が忘れられなかった。

結衣「……」

ちなつ「……」

結衣「……」

ちなつ「……あのっ、結衣先輩っ?」

だから次の日からも、ついちなつちゃんの顔をじっと観察してしまっていた。
ちなつちゃんが少し赤くなって「どうしたんですか?」と慌てるのを、私は
「いやなんでも……」と同じく慌てながら目を逸らした。

あかり「えへへ、結衣ちゃんさっきからちなつちゃんのほう見てばっかりだよぉ」

ちなつ「キャー、やっぱりそう!?」

京子「結衣にちなつちゃんは渡さんぞ!」

結衣「何言ってんだよ」

とりあえず京子に突っ込みながら、私はお茶に手を伸ばした。
ちなつちゃんの淹れてくれたお茶はすっかりぬるくなってしまっていた。

あかり「京子ちゃん、あかりは?」

京子「あかりはどうでもいい!」

あかり「そんなっ!?」

ぼんやりそんな声を聞きつつ、ぬるいお茶に口をつける。
今日は少し、いつもより苦い気がした。
それでもごくんとそれを身体に流し込むと、私はコップ越しにまた、ちなつちゃんの
横顔をじっと見詰めて。

結衣「……」

変わったことはない、たぶん。
ただ、時々ふとした瞬間に見える翳りがどうしても気になってしまった。
たとえば京子が私になにか言ってきたときとか、京子がちなつちゃんに何かしている
ときとか。

結衣「……ん?」

ってことは、ちなつちゃんが泣いていたのは京子のせいってこと?
私はわからなくなってぐびっとお茶を飲み干して首を傾げた。

――――― ――

帰り道。
後ろを歩く一年生組を気にしながら、私はこそっと京子に話しかけた。

京子「うん?」

結衣「だから、お前、ちなつちゃんになんかした?」

京子「うん、してるよ!」

えっ、と言いかけてすぐに思い直す。
確かに京子はちなつちゃんに毎回なにかしているわけだし。

結衣「……じゃなくて、ちなつちゃんを、泣かせるようなことっていうか」

今度は京子が「えっ」という番だった。
「はあ?」というように首を捻る京子。

京子「いくら私でも大事なちなつちゃんを泣かせるわけなんてない!」

結衣「……うん、そうだよな」

本当に、そうなのだ。
京子は人に迷惑をかけてばかりだけど、誰かを泣かせるなんてことはするわけないし、
京子ができるはずなんてない。

ちなつ「先輩、私がどうかしました?」

声が大きかったのか、ちなつちゃんが後ろから不思議そうに声をかけてきて
私は慌てて「なんでもない!」と答え返して、京子の手を引いて少しだけ足早に
なった。

京子「えっ、なに?ちなつちゃん泣いてたの?」

結衣「いや……」

私はこの期に及んでも、京子に本当のことを言えなかった。
京子は「なんだよー」と突いてくるけれど、それ以上なにかを聞いて来ようとは
しなかった。無理矢理聞いてくるような奴じゃなくて良かったとこういうときになって
思う。

だからそんな京子に、私はぽつりと訊ねてみた。

結衣「もし、泣いてたとしたら京子ならどうする?」

京子「笑わせる」

結衣「即行だな」

京子「ちょっとかっこよくない?」

結衣「……まあ」

笑わせる、か。
あの時逃げてしまったこともあって、京子の言ったことなのに、
その言葉はずしりと重く聞こえてしまった。

―――――
 ―――――

結衣「……んー」

その夜、私は薄暗い部屋でテレビを垂れ流しながら、クッションを胸に抱えて
ごろりと後ろに倒れこんだ。
カーペットの上だとしても、床だから少し頭が痛い。

こういうとき、ごらく部の部室はいいよなあ、なんて思ってしまう。
畳は過ごしやすいのだ。

そんなことよりも。

結衣「……」

テレビから聞こえる笑い声をBGMに、私はちなつちゃんのことを考えていた。
泣いているところを見てしまったからには、やっぱりそのままにしておくわけには
いかないと思ったのだ。先輩としても、同じ部活の仲間としても。

今さらかもしれないし、あの時なにかあっただけであの後すぐにあかりが行っているはず
だから解決してるかもしれないけど。
時々見える翳りだって、もしかするとまだなにかあるのかもしれないわけで。

私なんかが、なにかできるかはわからないけど、それでもやっぱり
考えずにはいられない。

昔から、誰かの涙には弱いのだ。
京子のやつも、あかりのやつも小さい頃はすぐに泣いちゃって。

勝手に消えてすみません保守ありがとう
>>37からできる限り続ける

私がずっと二人のお守り。
ちなつちゃんのことも、何からかはわからないけど守ってあげなきゃ。

結衣「……」

とは思いつつ、逃げちゃったものだから本人を前にしては聞きにくい。
突然「どうして泣いてたの」と訊ねるわけにもいかないし。
そんなふうに思考がぐちゃぐちゃになって、私はテレビも消さずに目を閉じた。

ちなつちゃんの背中が、ずっと目蓋の裏に映ったまま。


翌日の放課後、まるで図ったかのように部室にはちなつちゃんしかいなかった。
ドアを開きかけて思わず止めてしまったのは、またちなつちゃんの後姿が
見えたから。

けれど今日は、泣いているわけではないみたいだった。

結衣「……」

そっと部室に入ると、ちなつちゃんは小さく身動ぎ。
眠っているみたいだった。

私は今朝あかりに聞いた話を思い出しながら、ちなつちゃんの隣に腰を下ろす。

あかり『え、ちなつちゃん?』

京子にちなつちゃんを任せながら、私はあかりにこっそり訊ねていた。
最近、元気なかったりとかするかな。
するとあかりは「うーん」と首を傾げたのだ。

あかり『そんなことはないと思うけどなぁ』

ちなつちゃんはいつも通りだよ、とあかりは確かにそう言って。
あかりは嘘をつけるような子ではないし、第一ちなつちゃんが元気ないみたいなのなら
すぐに私達に言ってくるだろう。

うん、そうだよねと私は苦笑して。
代わりに、「それなら」と言った。

それならちなつちゃんが元気ないとすれば、どんなことをしてあげるのが一番かな。

あかり『……えーっとね』

きょとんとしながらもあかりは、「なんでも」と答えた。
問い返すと、今度はいつものあかりの笑顔で。

あかり『結衣ちゃんのすることなら、ちなつちゃんはきっとなんでも嬉しいだろうし
    どんなことでも元気になると思うなぁ』

――なんでも、ね。

結衣「……はあ」

私は溜息をついて、机に頬杖。
なんでもと言われたって、具体的にどんなことをすればいいのかわからない。
あかりもちなつちゃんはいつも通りだといっていたから、どうして泣いていたのかも
聞けなかったし。

ちなつちゃんのことは気になりながらも、中々前へ進めない自分がひどく
もどかしかった。泣いていた理由もわからないのにちなつちゃんを元気にできるわけ
なんてないわけで。

私って案外へたれなのかもな、なんてことを思いながら。

ちなつ「……えへへ、結衣先輩」

びくっとした。
突然名前を呼ばれて、ちなつちゃんが起きてるのかと思ったけれど、
覗き込んだ横顔はちゃんと眠っている。

結衣「……なんだ」

ほっと安堵の息をつきながらも、どんな夢見てるんだろうなあ、と考える。
私の名前を呼ぶってことは、私のことを見てくれているのだろうか。
少し、嬉しくなる。

最初は茶道部志望で、無理矢理京子に入らされたこのごらく部に今でも律儀に
居続けてくれているちなつちゃん。
ちょっと黒いところもある気がするけれど、本当にいい子だと思う。

私と京子、そしてあかりの幼馴染三人しかいなかったこの部活に、ちなつちゃんが
入ってきてくれて本当に良かったと思うし、最初は少し浮き気味かななんて思っても
いたけれど、今となっては手の掛かる可愛い妹が増えた感じだ。

そんなちなつちゃんだけど。
やっぱり私はまだまだちなつちゃんのことをわかっていないんだなとも思って。

結衣「……もふもふ」

ちなつちゃんの柔らかい髪に埋もれる、そっと伸ばした手。
あたたかいし、気持ちいい。
ちなつちゃんの温かさだな、なんて柄にもないことを思って赤面したくなる。

結衣「……」

ちなつ「……ふふっ」

気持ち良さそうなちなつちゃんの寝顔に、
けれどそんなことまでどうでもよくなってきてしまった。

少しあどけないくらいの子供っぽい横顔。
こんな顔を見るのも、今までなかったような気がする。

ふと、ちなつちゃんはどんな顔をして泣いていたんだろうと思った。
背中しか見えなかった、あの時。
もちろん、見たかったわけではないけれど。

ちなつちゃんの頭をゆっくりと撫でながら、私は首をふるふると振って。

なに考えてんだろ、自分。

ぼんやりそう思った。
いつのまにか、ちなつちゃんの寝顔を見詰めていると自分まで眠くなってきてしまい、
うとうとと頭が傾き始める。

やばいかな。
ちょうどそう思った時「結衣先輩……?」と寝ぼけたちなつちゃんの声が
聞こえ、眠かった頭が一気に覚めた。

結衣「あ、ちなつちゃん……!」

慌ててちなつちゃんの頭に置いていた自分の手を引っ込めた。
ちなつちゃんは気付いていなかったのか、こしこしと目を擦りながら「なにか
しましたか?」と。

結衣「いや、なにも」

私は苦笑して、微妙に熱くなった手をそっと背後に隠した。
見えていたってなんの問題もないわけだけど。

ちなつ「そうですか?」

結衣「うん」

ちなつ「……そっかあ」

身体を起こして、ちなつちゃんは少し残念そうにそう言った。
一瞬、その表情に落ちた影に、ドキッとした。

ちなつ「えへへ……すみません、寝ちゃってて」

それからすぐに、ちなつちゃんは恥ずかしそうにはにかんで。
私は「ううん」と首を振りながらそっとちなつちゃんから目を逸らした。

『結衣ちゃんのすることなら、ちなつちゃんはきっとなんでも嬉しいだろうし
 どんなことでも元気になると思うなぁ』

あかりの言葉を思い出す。
私は迷いながらも、ちなつちゃんと目を合わせないようにしながら「ちなつちゃん」と
名前を呼んでみた。

ちなつ「へっ!?」

結衣「えっ」

ちなつ「ななな、なんですか結衣先輩!?」

あまりにもいきなりだったからだろう、ちなつちゃんは噛み噛みになりながら
私を見詰めてきた。

結衣「う、うん……」

ちなつ「あ、お茶ですか?それなら私、すぐに――」

結衣「いや、そうじゃなくって!」

慌てたように立ち上がったちなつちゃんの手を掴んで、引きとめた。
見上げたちなつちゃんは、困惑したように私を見返してくる。
その視線を、今度ははっきり受け止めて私は言った。

結衣「私になにかしてほしいこととかある、かな」

ちなつ「……結衣先輩に、してほしいこと……ですか?」

うん、と私は真剣な顔をして頷いた。
ちなつちゃんは「そんなの、そんなのそんなのそんなの……!」と今にも叫びだしそうな
くらいぱたぱたとして――脱力したようにその場に座り込んだ。

結衣「ちょっ、ちなつちゃん!?」

ちなつ「……そ、そんなのたくさんありすぎて」

あぁ、たくさんあるんじゃなくってその……!
ちなつちゃんは「もう私ったらなに言ってるのよ」と頭をふるふる縦に横に振って。
それからぺたんと座り込んだまま。

ちなつ「私、結衣先輩と一緒にいられるだけで、その……」

時々ちらちらと私に視線を向けながら、今にも沸騰しそうなくらい真っ赤になった
ちなつちゃんが小さな声でそう言った。

ちなつ「……だから、これからも一緒にいて、ほしいなあ、なんて」

ちなつちゃんの様子を見ているうちに、私まで落ち着かなくなってきてしまった。
熱くなってきた頬をなんとか冷めさせる方法はないかと考えあぐねながら、
私は「そんなの当たり前だろ」と。

少しだけ、言葉遣いが荒々しくなってしまったかもしれない。
ちなつちゃんの「えっ……」という小さな声。

結衣「いや、だから……一緒にいられない理由なんてないんだし」

ちなつ「……先輩」

結衣「だからね、私、その他にちなつちゃんにしてあげられること、ない?」

ちなつちゃんはじっと私を見たまま、固まってしまった。
言い方がまずかっただろうか、そう考えていると、ふいに再起動したちなつちゃんが
「そ、それじゃあ!」と。

結衣「うん、なに?」

ちなつ「今だけで、いいんですけど……」

――ちなつ、って呼んでくれませんか?

ちなつちゃんは、不安そうな瞳で私を見上げてきて。
そんな目で見られて、断れるはずなんてなかった。
第一自分がちなつちゃんのためになにかしたいと言ったのだから。

結衣「……ほんとに、そんなことでいいの?」

そんなことで、ちなつちゃんが元気になるとは思わないけど。
それでもちなつちゃんがこくんと頷いた。
私はかりかりと頬をかいて、ちなつちゃんの不安そうな瞳から視線を逸らした。

結衣「……ちな、つ」

正直なことを言えば、いきなり呼び方を変えるなんてこと、照れ臭くって
しかたがない。
せっかく冷め始めていた熱がまたぶり返してくるのがわかった。

結衣「……」

ちなつ「……」

結衣「……ちなつちゃん?」

中々反応のないちなつちゃんのほうを見ると、ちなつちゃんは放心状態のように
ただ一心に私を見ていた。

真正面からそんなふうに見られると、恥ずかしいどころじゃない。
「ちなつちゃん、あの……」ともう一度声をかけると、ちなつちゃんはようやく
はっとしたようにこちらへ戻ってきた。

ちなつ「す、すみません私……!」

結衣「いや、いいけど……」

とりあえず視線を逸らされてほっとする。
本当にこんなことでいいのだろうか。ちなつちゃんがこれで元気になってくれるのなら、
いくらでも呼べる気がするけど。

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