岡部「鈴羽を預かれだと?」 ダル「うん」(171)

時は西暦2022年、8月15日。

俺は、自宅を訪れた橋田夫妻を客間に通し、久しぶりの再会を果たしていた。

そして今日はダル夫妻の他に、もう一人来ている。

岡部「なに? 鈴羽を預かれ、だと?」

ダルの隣、ソファに座った小さいのが、こちらを不思議そうな顔で伺っていた。

鈴羽は2017年生まれ。もうすぐ5歳になるという。

すでにその栗色の髪にはダルの趣向かわからないが、おさげが出来上がってており、
あどけないながらも、俺達を根底から救ってくれたあの未来の戦士の面影が見られる。

しかしやはり、そのパーツのほとんどが阿万音由季氏に似たのだな。

まあ、それでもダルの犬っぽいクセ毛はしっかりと引き継いでいるが。

鈴羽「とうさん」

鈴羽が、ダルの横腹をつついてその顔を見上げた。

ダル「そう言うときはパパと呼びなさい」

鈴羽「この人がオカリンおじさん?」

あ、忘れられている……。

まあ、前に会った時は分別もつかない赤ん坊だったのだから仕方ない。

ダル「そうだよ。パパの古い友人なんだ」

鈴羽「へぇ、そうなんだー」

そう言って鈴羽は、にぱっと笑顔を浮かべた。

以前の鈴羽――秋葉原騒動の時――と変わりのない屈託のないそれに、俺は何でかホッとする。

それから鈴羽は、道中買ってもらったと思しきソフトクリームに夢中になっていた。

ダル「今日1日だけなんだ。頼むよオカリン」

岡部「ううむ、そうだな……」

俺は今でもオカリンと呼ばれている。

以前は間抜けな響きだからと嫌っていたこのニックネームも、今となっては逆に心地よい。

そして以前に比べて縮小したとはいえ、未だ目に見えて巨大なダルの隣で、
何とも可憐な女性が俺の顔を見つめてくる。

由季「本当に悪いんだけど、何とかお願い出来ないかな?岡部君」

いや、こんな女性に哀願する風に頼まれて断れるはずもない。
すぐに頷いてやる。

岡部「…仕方がない、今日1日だけならば構わないさ。 しかし、未だに夫婦でコミマへ行ってるとはな」

由希「えっ、いや~。 へへ……いくつになってもやめらんないよね…」

俺が突っ込むと、阿万音由季氏……今の姓は橋田の由季が、照れくさそうに頭を掻いてみせた。

岡部「まあ、鈴羽の事は俺に任せて存分にコスプレでも何でも楽しんでくるといい」

俺がそういうと、ダルが眼鏡の奥を煌めかせ、こちらに手を差し伸べてくる。

相棒の握手に応じるべくその手を握るや、突如怪力でグイッと引っ張られ、
たじろぐ俺にダルが耳打ちしてきた。

お前……口元はニコニコしているが、目が笑っていないではないか。

ダル「さっすがオカリン、感謝するお。 あ、ただし、変な事は吹き込まないでね」

岡部「なっ……あ、当たり前だ…!」

ダルの手を振り払う。

この俺が何を面白がって鈴羽に吹き込むというのだろうか。

しかし、その後もダルの親バカ攻撃は追撃コンボの手を緩めず、おかしな物を見せるな、
とか、変なものを食べさせるな、といった様々な注文を繰り出してきて、
俺はというと、そんな我が娘デレっぷりにいちいちと反応してやる事にだんだん疲れてきていた。

ふむ、この過保護ぶりでは鈴羽はきっと将来苦労するのだろうな…。

ダルの話を、宇宙の大規模構造について考えながら半分ちかく聞き流してやった。

ダル「それじゃあ鈴たん、今日はオカリンおじさんのとこで、お利口さんにしてるのだぜ?」

岡部「……」

鈴羽「うん! とうさんもね!」

ダルがしゃがみこんで、鈴羽に視線を合わせる。

ダル「だからね? そう言うときはパパと呼びなさい、わかった? 鈴たん」

鈴羽「……」

あ、やっぱり言った。 鈴たんって言った。

しかも鈴羽はそれに答えてないし。

もしかして遠まわしに嫌がってるんじゃないか?

しかし、あえて突っ込みはしない。

他人の趣向……もとい、教育方針に口を出すのは野暮というものだ。

それからというもの、もの惜しげに車に乗り込んだ橋田夫妻を見送り、家には俺と鈴羽だけが残された。

鈴羽「父さんも母さんも、いっちゃったね」

岡部「む……そうだな」

先ほどまでニコニコとしていた鈴羽だったが、ダルたちを見送ってすぐに、
俺の手を握りながら、どことなく寂しそうな表情を覗かせた。

しかしバイト戦士め、随分と縮んでしまいやがって……。

手など、俺の半分もない。

なにか不思議な気分だ。

ええい、こいつめ。

などと、空いた方の手で頭をワシャワシャしてやると、鈴羽はあからさまに嫌そうな顔をした。

岡部「それにしても鈴羽よ……お前、手がベッタベタではないか」

さっきから気になっていた。

握った手が、糖分でベタベタと張り付いて気持ち悪い。

鈴羽「あー、ソフトクリーム食べたからかな…」

そう言って鈴羽が、ワンピースのスカートで手を拭おうとした。

岡部「あ、おい待て!」

鈴羽「ひゃっ!」

俺は、とっさにその手を掴む。

すると鈴羽は、小さく悲鳴を上げた。

岡部「服で拭う奴があるかっ」

思わず声を荒げてしまい、鈴羽は俺と目が合うや、目に涙を浮かべた。

鈴羽「ううっ……オカリンおじさん……こわい……」

岡部「うぐぬっ……!」

なんだこれは……!

何事にも物怖じしなかった、なんとも大物な性格まで確実に縮小しているではないか!

ダルのバカ! 親バカ!

と、心の中でダル批判をしてやる。

岡部「す、すまない……しかしな、その……服でベッタベタの手を拭うのは看過出来ん」

鈴羽「か、かんか?」

細い首を傾げ、顔でクエスチョンマークを転がす。

岡部「……大目に見てやる事は出来ない、と言っている。 特に俺のテリトリー……この家ではな」

鈴羽「う、うん……ごめーん……」

これは多分、よく理解出来ていないようだ。

岡部「……なあ、先に言っておくが……鈴羽よ?」

鈴羽「な、なに?」

見上げてくる鈴羽の瞳には、先ほどとはうって変わって、警戒の色が浮かんでいた。

無理もない。三十路のお兄さんに怒鳴られた後だからな。

多分俺なら泣き出す。

岡部「俺は、お前が4歳だろうが5歳だろうが容赦せずに大人と同等の扱いしかするつもりはないぞ?」

だが、このスタンスは譲るつもりはない。

ダルから口うるさく言われたが、別に子供に対して大人になってへりくだれ、と命令された訳でもない。

俺は俺なのだ。

どこぞの親バカの店長やら、スーパーハカーのように甘々に接する事は出来ん。

鈴羽「う、うん……よくわかんないけど、わかったよ」

岡部「よろしい。 ではさっさと台所へ行って手を洗ってくるのだっ! 行け、鈴羽よ」

鈴羽「わ、わかった!」

そう答えた鈴羽は心許ない足取りで、パタパタと台所に向かっていってしまった。

それを見やったあと、肩でため息をつく。

今日は安請け合いしてしまったものの、本当に俺でよかったのだろうか。

根性なしの子供……しかも女の子を相手に、果たして俺のやり方でいいのか悪いのか……。

そんな時、テーブル上にほったらかしていた携帯がメールの着信を知らせるメロディを流す。

Frm.まゆり
Sub.お久しぶり~
『今日は、ダル君とこのスズちゃんが来てるんだって?』
『ダル君からメールが届きました』
『オカリン一人で大丈夫かな?』
『私はちょっと心配です(笑)』

あのスーパー親バカ野郎……まさかこれで安全策を巡らせたつもりか?

……つまり、この俺を全然信用していないのではないだろうか?

なんだか悔しくなってきた。

まゆりからの屈辱的なメールに、力を込めて返信してやる。

To.まゆり
Sub.RE:お久しぶり~
『心配などいらない。お子様一人や二人の世話など、
俺にとっては赤子の手を捻るほど造作もない事なのだ』

そして、すぐさま返信が届く。

Frm.まゆり
Sub.ダメだよオカリン
『スズちゃんの手を捻ったら、ダル君に言いつけるからね(((´ω`;)))』

捻るかっ!

そこで返信する気も失せてしまい、俺は携帯をソファに放り投げて大の字に仰け反った。

鈴羽「オカリンおじさん、手洗ってきたよ」

岡部「ん?」

逆さまになった視界に、手を洗い終えた鈴羽が満面の笑みを浮かべながら戻ってくる。

以前と同じく、一度注意されたからといって後に引きずらないのは相変わらず、か。

それがバイトのサボり癖に繋がってたんじゃないかと思うと少し心配だが。

………まあ、もう少し俺一人で頑張ってみよう。

岡部「そういえば鈴羽よ……お前、今日は何かしたい事はないのか?」

鈴羽「うーん、したい事……?」

左右交互にゆっくりゆっくり首を傾げながら考え込んでしまっている。

岡部「ふむ、特に考えていないようだな?」

鈴羽「うん、考えてなかった」

そうかそうか。

いや、そうだろうそうだろう。

俺は、鈴羽にニヤリと笑ってみせる。

岡部「ならば……今日は我々が開発してきた未来ガジェットを“特別に”見せてやろう」

お前も一応、ラボメンではあるしな。

鈴羽「未来……がじぇっと?」

岡部「そうだ。 今は我が家の倉庫に眠っているのだが、これがなかなかにロマンたっぷりの代物なのだ」

鈴羽「へえー、ありがとうオカリンおじさん! それは楽しみだよー」

そう言って、鈴羽は笑顔を浮かべた。

岡部「ククク……そうして笑っていられるのも今のうちだ……よし、ついてくるがいいッ!」

鈴羽「おーっ!」

ダルから変なものを見せるな、とクギを刺されはしたが、別に未来ガジェットは変なものではない。

ただ、使い道がまるでないだけであって。

鈴羽「うっわぁ! 何これ、すごーい!」

倉庫に通してやると、鈴羽はまず最初にビット粒子砲、サイリウムセイバーに目を付けた。

いきなりそのチョイス……実にお子様だな。

俺は、思わずにやけてしまいそうになるのを堪える。

すると鈴羽は、セイバーを構えながらビット粒子砲を俺に向けてカチカチと引き金を引いてきた。

馬鹿め、そんな事をしてもこの俺は倒せまい。

せいぜいテレビのチャンネルが変わるだけだ。

まあ、ここは乗ってやらない事もない。

岡部「や、やめろっ!それをこっちに向けるなー!」

鈴羽「にっひひー」

俺もよく、悔しくて仕方ない時は人に向けてやったものだが。

ひとしきりビット粒子を射出させた鈴羽がそれらを片付け、今度は奥の棚からこれまた懐かしい物を持ち出してきた。

鈴羽「うーん、おじさん、これはなにー?」

岡部「ん? ああ、タケコプカメラーだな」

鈴羽「ふーん…」

いい事を思いついた。

岡部「付いて来い。それの機能について説明してやろう」

鈴羽の手を引いて庭まで連れ出す。

快晴の太陽が目に眩しい。

岡部「鈴羽よ、もちろん……竹トンボは知っているな?」

鈴羽「たけとんぼ? ううん」

岡部「なにっ!?知らないというのか……?」

鈴羽「うん」

鈴羽がコクコクと頷く。

これも世代の違い……ジェネレーションギャップだというのか…。

俺は語るよりもまず実践すべく、タケコプカメラーの軸に両手を添えた。

岡部「よく見ているのだぞ?鈴羽よ」

鈴羽「うんうん!」

鈴羽はまたもやコクコクと頷きながら、目を爛々と輝かせている。

岡部「そいっ!」

重ねた手のひらを交差させて引くと、タケコプカメラーはブーンと回転しながら空を舞った。

しかし所詮たけとんぼ。すぐに浮力を失って、パタリと地面に落ちる。

いやはや、なんともチープなデモンストレーションだ。

しかし、どうやら子供心を掴むにはあれで十分だったようで、

鈴羽「うわー!すごい!今のってどうやるの?」

などと、落ちたタケコプカメラーを拾ってきた鈴羽が好奇心に満ちた顔で聞いてくる。

岡部「手のひらで擦って回してやるだけだ。やってみるといい」

鈴羽「うん! わかったよ!」

そう言って、タケコプカメラーは何度も何度も空を舞った。

こんなもので20分も時間を潰せるとは、この幸せものめ。

俺はというと、残念ながらだんだん飽きてきていた。

岡部「そろそろ次の機能についても説明してやろう……」

鈴羽が、驚愕の眼差しでタケコプカメラーを見つめる。

鈴羽「えー!まだ何かあるの?」

そう言って、今度は手元のタケコプカメラーと俺の顔を交互に見やる。

岡部「ああ、そのタケコプカメラーには、もう一つ恐るべき機能が隠されているのだ…」

実際にそれが恐るべき機能なのかどうかはわからないが、ある意味恐ろしいのは事実。

俺は再び、鈴羽を連れてリビングへ戻ると、テレビに配線を繋いだ。

岡部「このタケコプカメラー、ただの竹トンボじゃあない……」

あえてもったいぶるように言いながら雰囲気を演出してやる。

鈴羽「そうなんだー!すごーい!」

岡部「ま、まだ俺は説明していないっ!」

鈴羽「あ、そうなんだー」

岡部「ぐぬぬ……」

俺はガクッと膝が折れそうになるのを堪え、テレビの側までいくとその上部を手のひらでバンバンたたいた。

岡部「聞いて驚け……っ!このタケコプカメラー……なんと中にカメラが仕込まれていたのだ」

鈴羽「ほ、ほんとに!?」

岡部「ああ、本当だ……つまり、さっきからお前が喜んで竹トンボを飛ばしている間……」

俺は、ズバッと天井を指差す。

岡部「こいつは密かに空中を撮影し続けていたのだ!フゥーッハハハ!」

パチパチと拍手が返ってきた。

うむ、サンクス。

鈴羽「すごいすごい!そうだったんだ! 全然知らなかったよ!」

このお子様、なかなかに“わかっている”ようだな。

未来ガジェットが誉められると、実に気分がいい。

岡部「まあ無理もない……素人が見たところで、十中八九が竹トンボだ、と答えるだろう…」

俺はニヤけながらテレビの電源を入れ、入力切り替えボタンを押した。

岡部「それでは鈴羽よ、しかと見ろっ! これぞ、我が岡部家の上空映像だっ!」

意気込んで再生ボタンを押してやる。

すると、テレビにはなんとも気持ちの悪いものが映し出された。

左から右へグルグルと景色が吹き飛んでいき、目が回りそうになる。

鈴羽はすでに、小さな頭をぐわんぐわんと揺らしはじめていた。

鈴羽「う……なにこれ……」

岡部「う、うむ……回転していてよくわからないかもしれんが、これは間違いなく上空映像なのだ」

鈴羽「だ、だまされた……」

鈴羽がガックリとうなだれる。

岡部「すまない……」

しかし、現実の厳しさを知ってもらう、という点に於いては俺の思惑通りと言って差し支えない。

そうして、再生を止めようとしたその時だった――。

???「あー、オカリン!やっぱりスズちゃんにおかしなもの見せてるー!」

背後から聞き覚えのある、限りなく気の抜けた怒り声。

まずい……まゆりだ。

鈴羽「あ!まゆりお姉ちゃん!」

まゆりの姿に気づいた鈴羽はソファから立ち上がり、彼女の足元に絡みつく。

まゆり「もー、やっぱりダル君の心配したとおりだったよ……」

岡部「い、いや……まゆり、これは断じておかしなものなどでは……」

とっさに苦しい反論をするが、まゆりは腰に手を当てたまま、依然こちらを睨みつけてくる。

まゆり「でもこれ、グルグルしてて気持ち悪くなるやつだよね?」

岡部「う、うむ……確かに。 しかしな……?まゆりよ」

真っ直ぐな瞳に見据えられてたじろぐ俺を、まゆりがさらに畳みかけてくる。

まゆり「オカリンの言う“おかしなもの”と、みんなの思う“おかしなもの”は全然違うと思うなぁー!」

ぐぬっ………ごもっともだ。

しかし、もっともだからこそ胸に痛い。

このままでは、完全にまゆりのペースにあてられてしまいかねない。

ここは話を逸らさねば。

岡部「というかまゆりよ……お前、またチャイムも押さずに人の家に上がり込んできたな?」

まゆり「あっ……」

今度はまゆりがたじろぐ。

未だに、実に扱いやすい。

岡部「それは社会的に見ても、かなりマナーに反する行為ではないのか?」

まゆり「うう……ごめんオカリン。 昔からの癖でつい…えっへへ」

まゆりはそう言って苦笑いしながら、小さく舌を突き出した。

岡部「まあいい、タケコプカメラーの件を黙っていてくれるなら、お前の家宅侵入も罪には問うまい…」

まゆり「お、オカリン……相変わらずえげつないね……」

岡部「いや待て。 そこは合理的な取り引きだ、とでも言ってほしいものだがな?」

まゆり「あー……はいはい」

まゆりは、そう言って呆れ顔でかぶりを振ると、台所に引っ込んでいってしまった。

人の家だと言っているのに、随分なフリーダム加減だな……。

俺は今度こそタケコプカメラーの再生を止め、鈴羽と二人、ソファにて、
まゆりが台所から出てくるのを待った。

急に、右の袖口をチョイチョイと引っ張られる。

見ると、鈴羽が顔を寄せてきていた。

鈴羽「オカリンおじさん、さっきのすごかったねー」

俺のすぐ側で耳打ちしてくる。

岡部「さっきの……何がだ?」

鈴羽「まゆりお姉ちゃんがあんなに怒ってたのにさー」

岡部「ああ、あれか。 ……でも、あんなもの本来なら褒められたものではないのだがな?」

鈴羽「そうなんだー、じゃあオカリンおじさんが悪かったの?」

鈴羽がにぱっと笑いながら聞き返してくる。

岡部「……お前の言い方が妙にキツい気がするが……まあ、そういう事だ」

そう言ったところで、鈴羽が首を傾げた。

鈴羽「あ、でも、うちの父さんは、母さんに叱られるといっつもションボリしちゃうよ?かっこわるいよ……」

まあ、ダルだからな。

でも、きっとそうなのだろう。

それは多分、ダルが正しい。

岡部「……まあ、今のお前には難しい話かもしれんが、恐らくそれが正しいやり方なのだろう」

お前の父さんは、たいしたものだ。

鈴羽「え? ションボリしちゃうのが?」

鈴羽は、更に不思議そうな顔を向けてくる。

岡部「…ああそうだ。 そう言うときは黙ってションボリしちゃうのが正解なのだ」

そういって、鈴羽の頭に手を置いてやった。

鈴羽「ふぅん……よくわかんないけど、わかったよ」

岡部「うむ、よろしい」

そう言って、再び鈴羽の髪をワシャワシャしてやった。

そんな時、またもや後ろから声。

まゆり「へぇー、意外だねぇ」

振り返ると、二人の背後に人数分のコップを盆に乗せたまゆりが佇んでいた。

こちらを見てにやついている。
……聞いていたのかよ……趣味の悪い。

まゆり「なんだかんだで、オカリンもだんだんらしくなってきたねぇ」

鬼の首でも穫ったように得意げに微笑むまゆりを鼻で笑ってやる。

岡部「ふん、何も変わってないさ。 俺は俺だ……未来永劫にな……フゥーハ――」

まゆり「はいはい、っと」

そう言って、まゆりはテーブルに持ってきていた茶菓子とコップを置いた。

まゆり「どうぞ、スズちゃん。オカリン特製の麦茶だから美味しくないけどねぇ」

鈴羽「えー! 美味しくないんだぁ!お茶なのに!」

岡部「ぐぬっ……やかましいぞ!まゆり!鈴羽!」

確かに……煮出しすぎて美味くないのは事実だが。

こいつ、俺の人質をやめてからというもの、少しずつ腹黒くなって来たんじゃないか?

俺は、盆からコップをひったくり、一口あおった。

岡部「うま……」

鈴羽「まっずー……なにこれ」

実に素直な感想だ。

岡部「まあ、これは……まずいよな……」

テーブルの向こうで、今度こそ、と得意げに微笑むまゆりの顔が見えた。

それから俺たちは昼も回ったという事もあり、まゆりの作ったマズい焼きソバを、
これまたマズい麦茶で黙って胃袋に流し込んだ。

……こればかりはダルの言いつけを守れなかった。

まゆりの焼きソバは、明らかにおかしな物を食べさせるな、というものに反しているし。

まゆり「それじゃあオカリン、私はこれで帰るね?」

鈴羽「えーっ、まゆりお姉ちゃん、帰っちゃうの!?」

台所で洗い物を済ませたまゆりが、タオルで手を拭いながらリビングへと出てきた。

鈴羽は例によってまゆりの足元に絡みついている。

岡部「なに? 今日はこの後も一緒にいてくれるのでは無いのか?」

俺はソファに座ったまま振り返り、まゆりを窺った。

まゆり「うーん、そうしたいのはやまやまだけど……今日は私、当直だから」

そう言って、まゆりは微笑む。

それは以前の彼女と違い、大人じみた笑顔だ。

岡部「そうだったのか……」

まゆりのやつ、夜勤だったのか……だったら今頃は寝てなきゃダメだろう。

岡部「そんな無理を………いや、気を遣わせた。悪かったな」

まゆりは、目を伏せて首を横に振る。

まゆり「ううん、私もちょっと楽しかったし。 ルミちゃんにも面白いお土産話が出来たしねぇ♪」

岡部「な、なに……!? フェイリスには話すなよ? ……絶対にだ!」

まゆり「ええー? どうだろうねぇー、えっへへ」

岡部「むぐぐ……」

歯噛みする俺を見て、まゆりが続けた。

まゆり「でも、来てみてわかったけど、やっぱり心配無かったみたいだね」

岡部「あん?」

まゆり「だってね、オカリンも真面目にちゃんと考えてるみたいだし」

岡部「………」

まゆり「んで、スズちゃんはオカリンに任せても大丈夫だね、って思えたから、それでよし…なのです」

なのです、に照れが見られる。

ていうか、さっぱり意味がわからん。

まゆりは、そのまま玄関の方へと踵を返した。

まゆり「じゃあね、スズちゃん、オカリン」

振り返りながら手を振ってくる。

鈴羽「うんっ! ばいばい、まゆりお姉ちゃん!」

鈴羽は小さな手をまゆりに向けてブンブンと振った。

岡部「ありがとな、まゆり。 また来てくれ」

俺は軽く右手だけ挙げて、まゆりの背中を見送る。

それからしばらくしてまゆりからメールが届いた。

Frm.まゆり
Sub.今日はありがとう♪
『やっぱりオカリンは、昔から変わってないようなので安心しました』
『いつまでも、そのままのオカリンでいてね』

……よくもまあ、こんな純粋の塊みたいなメールを未だに送れるものだ。

でも……サンクス。

それから俺たちは、満腹感からくる気だるさを持て余し、ただダラダラと過ごしていた。

俺はソファで横になり、タケコプカメラーをクルクルと回しては、昔の事を思い出している。

あの時は上空映像の再生後、すぐにまゆりが気持ち悪くなってしまい、大変な事になったりもしたっけ。

ひどく懐かしい。

思わず口元がゆるんでしまう。

岡部「む、いかんいかん……」

ハッとした俺は、慌てて気持ち悪く歪んだ表情を引き締めた。

そんな時、鈴羽の方から声をかけられる。

鈴羽「ねーオカリンおじさん?」

岡部「ん……なんだ?」

鈴羽「さっき言ってた未来がぜっとけんきゅーしょってさぁ」

岡部「未来ガジェット研究所、だ」

鈴羽「そう、それそれ!みらい……がぜっと……」

岡部「ガジェット。 それがどうした?」

鈴羽「うん、あのね? 父さんと、まゆりお姉ちゃんも仲間だったんだよね?」

岡部「そうだ。連中は俺を入れて全部で8人いる」

鈴羽「8人も!? すごーい!」

岡部「だろう?俺もビックリだ。まずは俺、そしてまゆり、ダル、紅莉栖、萌郁、ルカ子、フェイリス……」

最後の一人を言いかけて、言葉に詰まる。

鈴羽「へぇー、そのみんなで、さっきの面白いオモチャを作って遊んでたんだね、楽しそう!」

岡部「あ、いや……あれはオモチャではないぞ? そこは勘違いしないでもらいたいものだな」

鈴羽「え、そうなの?」

岡部「ああ……あれは元々、悪の組織によってもたらされた世界の支配構造を破壊するための…」

鈴羽「へぇー」

岡部「さっ、最後まで聞けよ!人の話は!」

鈴羽「だってー、オカリンおじさんの話って難しいからよくわかんないんだもん」

そう言って鈴羽はふくれっ面を作った。

岡部「……わ、悪かったな。 ……まあ俺も昔、まゆりによく言われたものだ」

鈴羽「へぇー」

また聞いてないな。

こいつが“へぇー”と返事をしてきた場合、大体において聞かれていない場合が多い事がわかってきた。

岡部「とにかく、人の話は最後まで聞くように」

これは自分に対しても言える。

鈴羽「わかった!」

鈴羽は、それに対して元気よく返事をしてきた。

岡部「しかし……こうしていても暇だな……おい、鈴羽よ」

ソファから身体を起こし、鈴羽のいる窓側に向き直る。

鈴羽「うん?」

水槽を飽きもせずに眺めていた鈴羽が振り返ってくる。

水面の光が反射して、その白い頬にはゆらゆらと水のゆらめきが描かれていた。

岡部「……さっきは何をやるか俺が提案したのだ。今度はお前がなにか考えてくれ」

鈴羽「うーん、これから何をするか考えればいいの?」

岡部「そうだ。 そうしないと退屈で眠くなってしまうからな」

実際、もう結構やばいところまできている。

目がしばしばする。

俺は29を過ぎた辺りから、昔ほどの元気は出なくなったのだ。

これが食後となれば、なおさらひどい。

ソープに当直ってあるんだ……

鈴羽「えーっと……じゃあ、お絵かきなんてどうかな?」

岡部「なに? 鈴羽、お前絵を描くのか?」

見たところ、全然得意そうな感じはしないが……。

以前は完全に外でぶっ飛び回るようなアウトドア派だったのに、
今では随分と小さくまとまったものだな。

鈴羽「うん、お絵かきは好きなんだー」

岡部「ふむ……そうか。 ならば準備しよう。待っているがいい」

鈴羽「わかった、ありがとう!オカリンおじさん」

岡部「う、うむ。そして俺の画力の前にむせび泣くがいいわ!フゥーハハハ!」

と偉そうに言いつつ、俺も絵は得意な分野ではない。

言ってしまえば、ルカ子と同じ部類に入るはず。

そんな事はどうでもいいか。

ええと……この家には色鉛筆があったよな、たしか。

はて……。

棚を開けたり引き出しを引いてみると、書類やらハンコやら、全然関係ないモノばかり出てくるではないか。

俺は、今までろくに家の片づけなどもやった事がないので、どこに何があるのか把握しきれていない。

途中、まゆりに電話で聞こうかとも思ったが、さすがにそれは怒られそうなのでやめておく。

岡部「あ、あったあった」

ようやく見つけた。

やっとの事だ。

岡部「なぜか台所にあったぞー」

隣室の鈴羽に向けて、発見報告をする。

鈴羽「へぇー!」

岡部「……」

するとリビングからは、力いっぱいの“へぇー”が返ってきてしまった。

まあ、それはそうだろうな。

岡部「さあ、こいつを存分に駆使するがいい!」

テーブルの上には、俺が見つけ出してやったお絵かきセットが所狭しと鎮座している。

鈴羽「うわあ、いっぱいあるんだね?」

岡部「うむ。 俺のではないがな」

鈴羽は早速それらを手にとってためつすがめつし始め、俺もその中から鉛筆を選び出した。

そこから静かな時間が始まる。

聞こえるのは鉛筆が紙を走る音と、時計の針が回る音だけ。

鈴羽の集中力はすごいもので、さっきから話しかけてもうんともすんとも返って来やしない。

岡部「……ううむ」

一体こいつはなにを書いているのだ、と横から覗き込んでやろうとすると、
ようやくこちらの不穏な動きに気付いた鈴羽に絵を隠されてしまった。

鈴羽「あー、ダメダメ!できるまでは見せないからね!」

岡部「むう……ケチだな」

鈴羽「うるさーい!」

岡部「ぐっ……」

まさか4歳の子供に鬱陶しがられるとは……。

それにしても参ったな……。

これはなんだ……?

俺は何を書いていたのだったっけ。

自分の紙に目を落としてみるも、何やらよくわからないものが描かれているのみ。

鈴羽は、再び自分の紙にカリカリと絵を描き始めてしまった。

よそ見をしたら置いてけぼりにされた気分。

俺は呆然と紙を眺める。

そんな時。

鈴羽「ふんふーん♪」

岡部「……?」

気分でも良くなったのだろうか。

鈴羽は紙の上で色鉛筆を忙しく動かしながら、急に鼻歌をうたいはじめた。

青空をイメージさせるような、それでいてどこか切なさを感じさせる曲だ。

しかし、今の時代の曲じゃない。

岡部「……いいメロディだな」

思わず口をついて、俺はそんな言葉を発していた。

鈴羽「うん?なにが?」

岡部「あ、いや。今、お前の歌っていたやつだ」

鈴羽「ああ、えへへ……」

岡部「いいメロディだ、と言った」

どこか、懐かしさを感じるような。

鈴羽「うん、ありがと」

岡部「えっ? ああ……」

何がありがとうなのかよくわからないが、俺はその鼻歌をBGMにして、
再び絵を描く事に取り組む事とした。

しばらくして、鉛筆がテーブルにパタリと置かれる音がして、鈴羽が息をもらす。

どうやら向こうも完成したようだ。

岡部「出来たのか?」

鈴羽「うん!オカリンおじさんは?」

岡部「ああ、俺のはとっくのとうに出来ている……ククク」

鈴羽「ほんと?すごい! 見せて見せて?」

岡部「う、うむ……」

鈴羽は立ち上がるとこちらに回り、俺の絵を覗き込んでくる。

鈴羽「……え?なにこれ?」

なんだろう。

岡部「わからん……」

鈴羽「え?」

岡部「いや、わからないのだ。自分でもなにを書いていたのかが」

鈴羽「それは……す、すごいね」

なんとも微妙な評価をいただいてしまった。

岡部「……で」

鈴羽「うん?」

岡部「そろそろお前の絵も見せてくれてもいいんじゃないか?」

鈴羽「あ、そうだね!はい、これ!」

鈴羽は自分の描いた絵を、ペラリとこちらに渡してきた。

俺はその絵を受け取り、それに目を落とす。

岡部「うむ……あ……え?」

思わず絶句してしまった。

だってこれは―――。

岡部「鈴羽……、これは何の絵だ?」

鈴羽「うん、オカリンおじさんだよ!」

岡部「……」

鈴羽の絵の中の俺は、なぜか白衣を着て笑っていて。

その周りには―――。

岡部「………この周りの人たちは誰なのだ?」

なんとなくわかっているが、信じられずに確認してみる。

鈴羽「オカリンおじさんのお友達!」

岡部「そ、そうか……」

家かどこかで、ラボメンたちの集合写真でも見たのだろうか。

それらは、間違いなくラボメンたちであった。

あ、でもそれにしては萌郁の姿だけが見当たらないな……。

岡部「鈴羽、何でラボメンたちの姿を知っている?」

鈴羽「え?」

岡部「こいつはパッと見で誰が誰かわかるほど上手く書けているではないか」

鈴羽「そう? ありがとー!えへへ」

そういって鈴羽は笑顔を浮かべた。

どうやら俺の質問は見事に右から左へ受け流されてしまったようだ。

岡部「……」

改めて、この驚くべき絵に目をやる。

ふと、紙の端にとんでもないものが描かれているのが目に映った。

青い服を着た女の子で、髪を結っておさげにしている。

岡部「お、おい鈴羽よ……こいつは……一体誰だ?」

それを指さして、鈴羽に訊ねてみる。

まさか……他のラボメンの写真が残っていたとしても、
このバイト戦士の肖像が今の世界に存在しているわけがない。

この笑顔は、俺の記憶の中にしか存在していないはず。

だから鈴羽には、この戦士の絵を描けるはずがない。

鈴羽「ああ、その人はあたしのお友達だよ?」

岡部「な……に?」

鈴羽「えっとね、あたしの夢によく出てくるんだ。このお姉ちゃん」

岡部「……」

俺は、思わず鳥肌の立った二の腕をさする。

鈴羽はそんな俺の様子を気にもとめずに続けた。

鈴羽「夢の中でね、私とそのお姉ちゃんと、あと、その絵の中のみんなで遊ぶの!」

岡部「……っ」

夢の中で、みんなで遊んでいる、か。

鈴羽の言葉に、普通ならこれは有り得ない事だとわかっているのに、何故か涙が浮かびそうになる。

岡部「そうか……こいつは、すごくいい絵だな。とても……」

鈴羽「あはっ! ありがとう、オカリンおじさん!」

鈴羽が、屈託のない笑顔で微笑んでくる。

バイト戦士。

まさか、お前とこんな所で、しかもこんなタイミングで再び出会えるとはな。

これも運命石の扉の選択、なのだろうか。

俺は今、確かに鈴羽の中に未来を垣間見たような気がした。

俺は、胸の中が満たされていて、それが溢れそうになるのを抑えるように、
また鈴羽の頭をワシャワシャとかいてやった。

鈴羽「あーもう、またやったー!」

鈴羽が、おさげを庇うように両手で押さえる。

鈴羽「おさげが崩れちゃうじゃーん!」

岡部「あ、ああ。すまなかった。そういえば、それは母さんがしてくれたのか?」

鈴羽「あ、うん。このお姉ちゃんとお揃いにしてもらったの!」

なるほど、こいつのおさげはそういう事だったのか。

岡部「……鈴羽、お前はよほど、そのお姉ちゃんの事が大好きなのだな」

鈴羽「うん! さっきオカリンおじさんがほめてくれた歌があるでしょ?」

岡部「…ああ。さっき絵を描いてた時にお前が歌っていたな?」

鈴羽「そう、あれもね、お姉ちゃんがよく夢の中で歌ってくれるから覚えたんだよ」

岡部「……」

……なんとも不思議な事ばかりが続き、いい意味で頭がクラクラとしてしまう。

岡部「そうか……やはりあれは……いいメロディだな」

鈴羽「ありがと!えへへ」

そう言って笑う鈴羽の頭に手を置いてやる。

岡部「よかったら、もう一回聞かせてくれないか?」

鈴羽「うん、いいよー!」

急に立ち上がった鈴羽が、駆け寄ってくるなり、ちょこんと俺の膝の上に乗ってくる。

岡部「うわっ、ちょ……!」

俺の膝の上はヒョロヒョロでグラグラとしていて心許ない。

危ない!

グラつく鈴羽をとっさに支えようとして、意図せずその肩を抱いてしまった。

岡部「あ!すまん……」

何をやっているんだ、俺は。

これではまるでHENTAIのようではないか。

慌てて手を離そうとしたところで、鈴羽は目を閉じたまま、さっきのメロディを口ずさみはじめた。

頭をゆっくりと左右に揺らしながら。

鈴羽「―――――♪」

岡部「……」

俺も黙って目を閉じると、子供らしい甘ったるい香りが鼻に届く。

なるほど、実にお前らしい曲だな。

……バイト戦士よ。

それから、別れまでの時間はあっという間に過ぎていき、時刻は夕方。

俺たちは、俺の事や鈴羽の事についてをあーでもないこーでもないと、
途中で――子供相手に――マジになりながら話したり。

そんな事をしている内に、とうとう玄関のチャイムが鳴ってしまった。

岡部「鈴羽、父さん達が帰ってきたみたいだぞ?」

隣に座った鈴羽に、手をさしのべて立ち上がるよう促す。

鈴羽「えー? もう?まだ話足りないよー」

岡部「うん? そうか。じゃあ、続きはまた今度だな」

鈴羽「うーん……約束だからね?」

岡部「ああ、わかった。約束しよう」

そう言ってやると、ようやく鈴羽は俺の手を握ってくれた。

由季「いやぁ、岡部君、今日は助かったよー」

玄関先に立っていた由季氏が、ニコニコの顔で鈴羽に手招きをしている。

ダルはというと、車の方で買い込んだ荷物を整理し、もう一人分の座席を用意していた。

岡部「……なんだアレは。随分とエンジョイしてきたようだな」

由季「あはは、お恥ずかしい。そういえば……鈴羽はいい子にしてた?」

由季氏が申しわけなさそうに聞いてくる。

岡部「ああ、いや。 逆にこっちが構ってもらったようなものだ、なあ、鈴羽?」

鈴羽「うん!とっても楽しかったよ!」

そういって鈴羽は由季に駆け寄ると、こちらを振り返って笑顔を見せてきた。

由季「そう、よかったねー。鈴羽」

鈴羽「うん、母さんもよかったね。えへへ♪」

由季「あー……ははは…」

あっと、そうだった。

岡部「鈴羽、こっちに来てくれないか?」

鈴羽「んー?なになにー?」

鈴羽が歩み寄ってくる。

岡部「ちょっと手を出してくれ」

鈴羽「??」

俺は、さっき用意しておいたピンバッジをポケットから取り出して、鈴羽に手渡した。

鈴羽は、それを不思議そうに手のひらの上で転がしている。

鈴羽「これは?」

岡部「……それはな、我がラボ、未来ガジェット研究所のメンバーのみが持つことを許された…」

そこで、バサッとマッドサイエンティストの決めポーズをとる。

随分久しぶりだ。

あ、しまった……由季氏がいたのを忘れていた……。

そろりと姿勢を戻し、コホンと咳払いをしてごまかす。

岡部「……ラボメンの証、そして思い出のバッジなのだ」

鈴羽「うわぁ!ほんとにー!?」

そう言ってやると、途端に鈴羽は目を輝かせた。

由季「あ、それ父さんが大事にしてるのと一緒だね。いいの?岡部君」

いや、むしろ鈴羽に渡すために一個残してあったのだ。

岡部「ああ構わない。鈴羽、それを大事にするように。 ……特にお前が18になるまではな?」

鈴羽「え? うん。よくわからないけど、わかった!」

岡部「よろしい」

そんなやりとりに由季氏が不思議そうな顔をして首を傾げていると、向こうからダルが手を振ってくる。

ダル「おーい!車の準備が出来たぞーぅ!のりこめー!わぁい!」

由季「あ、それじゃあ岡部君、準備が出来たみたいだから行くね?」

岡部「ああ、気をつけて帰るようにな」

由季「うん、今日は本当にありがとう!」

その笑顔に照れてしまい、俺は思わず自分の頭に手をやる。

鈴羽「オカリンおじさん、またねー!」

鈴羽が振り返って、手を振ってきた。

無邪気なものだな。本当に。

俺も手を挙げてそれに応える。

岡部「あ、そうだ鈴羽」

鈴羽「なーに?」

少し離れてしまった分、声のトーンを上げて呼び止める。

岡部「また、夢であいつに会ったらよろしく伝えてくれ。あと、ありがとう、と!」

鈴羽「わかったー!」

そう返事をして、鈴羽はそのまま車に乗り込んでしまった。

それとすれ違いでダルが顔を出してくる。

ダル「オカリン、今日はマジでありがとな。これお土産」

ダルが差し出す紙袋を手に取ると、中にはフィギュアやらマンガ本らしきものが見える。

こんなものを貰っても、俺はどうすればいいというのだろうか。

岡部「サンクス……」

とりあえず、部屋にでも飾っておこう。

ダル「いやいや、こっちこそ。そんじゃ、また後で連絡するお」

岡部「ああ」

踵を返して車に向かうダルの背中に声をかけてやる。

岡部「ダルよ、くれぐれも安全運転を心がけるようにな」

俺の注意に、ダルは黙ってサムアップして振り返らずに行ってしまった。

なんというか、思っていたより随分あっけないものだったな……。

一人残され家の中に戻るも、そこは何故かいつもよりガランとしていて、
俺は何ともいえないもの寂しさを覚えた。

それが急に全身にゾワリと感じ、たまらなくなった俺は財布と携帯だけを持って家を飛び出す。

しばらく歩いた頃には辺りはすっかり暗くなってしまっていて、
いつか見たような夜空には、数多の星が光って見えていた。

ダル『オカリンさー、うちの鈴羽に何したん?』

電話のスピーカーから、ダルの訝しげな声が聞こえてくる。

岡部「は? おいダル、人聞きの悪い事を言うな!俺はいかがわしい事など……」

ダル『あ、いやいや、そう言う意味じゃないんだけどさ、今日1日でオカリンにやたら懐いたみたいなのだぜ?』

岡部「なに? そ、そう、なのか?」

まあ、奴はもともと人なつっこい性格のようだからな……。

ダル『うん、次はいつ会えるんだ、って今日はなかなか寝付かなかったわけで』

岡部「……そうか。 ま、まあ、鈴羽にはまたいずれ会いに行くさ」

ダル『おおう、わかった。そん時はよろしく頼むお』

まあ、しばらくは無理だ。

こっちもこれから忙しくなるはずだし。

岡部「奥さんにもよろしく言っといてくれ」

ダル『ういお、オカリン、今日は本当にありがと。でもさ、子供ってやっぱいいもんだろ?』

……ははあ、こいつめ。

やっぱり鈴羽を預けてきたのも、ダルなりの気遣いのつもりだったのかも。

でもまあ、それならそれで、やはりダルは大したもんだ。

岡部「……そうだな。 今は本当にそう思うよ。 こちらこそ感謝する、ダル」

ダル『よせやーい! ま、オカリンなら絶対大丈夫だから自信持てって』

岡部「……ああ」

あっと、しまった。

言い忘れるところだった。

岡部「あ、ダル。俺からも一つ頼みがあるんだが」

ダル『ん?なんぞ?』

岡部「鈴羽には、そのうち自転車を買ってやってくれ」

ダル『はあ?いきなりどうしたん?』

岡部「あいつには自転車が必要なのだ。もしお前が買わないのなら俺が買うが? 自費で」

そう言うと、ダルは電話の向こうで少し考え込んでいるようだった。

それからすぐに、返事が返ってくる。

ダル『……オカリンが何で自転車にこだわるかわかんないし、鈴羽にはあんま危ない事させたくないけど……』

……おい。

ダル『……まあ、オカリンがそう言うんなら、そうなんだろうな。わかったお』

……なんだなんだ、照れくさいな。

岡部「……そうか、ありがとな」

ダル『うん、こっちこそ。 じゃ、オカリン、またその内遊ぼうぜ』

岡部「ああ、楽しみにしておく」

ダル『そんじゃなー』

プツリと音がして、先輩からの電話が切れる。

俺はそのまま携帯の電源を切ってポケットにしまった。

――紅莉栖の部屋を訪れると、彼女はベッドの上で仏頂面を称えたまま、窓の外を見つめている。

岡部「紅莉栖、調子はどうだ?」

紅莉栖「あら…こんな時間に会いに来るなんて、どういう風の吹き回しかしら?」

俺が声を掛けると、紅莉栖は凍りついた笑顔のままこちらを振り返ってきた。

……こいつめ、まだ昨日の喧嘩を引きずっているようだな……。

まあ、怒らせたのは例によって俺なのだが。

岡部「……そう怒るなよ。 ……昨日は俺が全面的に悪かった。すまない、紅莉栖」

そこまでいって、テーブルの上に自販機で買ってきたホットミルクを置いてやる。

途端に、紅莉栖がキョトンとした。

紅莉栖「……っ。 さ、サンクス。 も、もう別にいいけど?気にしてないし」

それだけ言って、ふい、と向こうを向いてしまう。

岡部「……よかった。 まあ……怒りすぎは胎児に悪影響を及ぼすというからな?」

紅莉栖「あ…はは……怒らせてるのは9割あんただけどな……」

やれやれ、と言った感じで首を振り、紅莉栖がホットミルクを一口含んだ。

岡部「すまん……それより、予定は早まったりしないのか?」

紅莉栖「……は?」

俺がそう聞くと、紅莉栖は目をまん丸にして見つめてきた。

言わずもがな、その目が語っている。

こいつはいきなり何を言い出すのか、と。

でも、なんかこう……俺がこんな風に思ってしまうのもしょうがないのだ。

今日は。

岡部「いや……その、出産予定日が、だ。前倒しで生まれたりはしないのか?」

それだけ聞いて、紅莉栖は深くため息をつく。

紅莉栖「……あんたまさか、鈴ちゃんを見てて待ちきれなくなったとか?」

……。

岡部「ゲェーッ!なんでそれを知っている……!?」

思わず立ち上がると、俺の座っていた椅子がガターンと音を立てた。

紅莉栖「やかましいな!朝一番でまゆりから聞いとったわ!」

岡部「うわっ!お前っ!大きな声を出すなよ!」

紅莉栖「え、えっ?」

岡部「お腹の子に悪影響が……」

紅莉栖「……早くも親バカぶりを発揮か……」

岡部「ぐ、ぐぬぬ……それにしてもまゆりのやつめ……」

紅莉栖「……クスッ。 こないだまで、あんなに父親になる事にビビってたのにな?」

手を口に当て、プッと吹き出される。

いや、まあそれは事実だが?

しかし、それはそれで笑われると悔しいものだ。

岡部「ビビってなどいない!ちょっと腰が引けただけであってだな……」

紅莉栖「ワロスワロス。 意味が同じだろ……でも、あんたが思ってた通りの子煩悩そうで安心した」

そう言って、紅莉栖はさっきまでの仏頂面などどこ吹く風で、優しい表情を見せてくれた。

岡部「いや……でも、俺が子守りなんか引き受けて不安じゃなかったのか…?」

いつもだったら、俺が子守りなどを安請け合いしたと知った途端に怒りの電話を飛ばしてきそうなものだが……。

紅莉栖「んー……全然ね」

しかし、俺の考えに反して、紅莉栖の答えは随分とアッサリしていて意外なものだった。

岡部「え、全然……?」

紅莉栖「そ、全然。 まあ、信頼してるからね……それにちょっと期待してたっていうか」

岡部「き、期待……だと? 俺に……?」

聞き返すと、紅莉栖はウィンクするように片目を閉じて、得意げな顔をする。

紅莉栖「当たり前じゃない………なんせ、あんたは私の旦那様なのだぜ?」

紅莉栖はそう言うや否や、ふい、と向こうを向いてしまった。

ただ、耳まで紅いのは隠せていないのは昔のままだが。

しかし、やられた。

こうして惚れ直させられたのは何度目だろうか。

紅莉栖「……あんたは変わらなくていい。 私は……そのままの倫太郎が好き」

そうして、紅莉栖は自分の大きなおなかを撫でて――。

紅莉栖「きっと、この子もそう思はず。 きっとね……」

――と。

俺は、そんな風に言ってくれる彼女が何より愛おしくて。

しかも、これからは三人での新しい生活が始まるのだという未来に胸が躍って。

思わず視界がぼやけた。

岡部「うぐぐ……っ」

紅莉栖「こ、こら!いい歳したオッサンが泣くな! 恥ずかしいだろが」

俺はぐずぐずの顔を見られたくなくて、つい、子供のように紅莉栖にしがみつく。

紅莉栖は、そんな俺の頭をいつまでも。

優しく、撫でてくれていた。



おわり。


   /.   ノ、i.|i     、、         ヽ
  i    | ミ.\ヾヽ、___ヾヽヾ        |
  |   i 、ヽ_ヽ、_i  , / `__,;―'彡-i     |
  i  ,'i/ `,ニ=ミ`-、ヾ三''―-―' /    .|

   iイ | |' ;'((   ,;/ '~ ゛   ̄`;)" c ミ     i.
   .i i.| ' ,||  i| ._ _-i    ||:i   | r-、  ヽ、   /    /   /  | _|_ ― // ̄7l l _|_
   丿 `| ((  _゛_i__`'    (( ;   ノ// i |ヽi. _/|  _/|    /   |  |  ― / \/    |  ―――
  /    i ||  i` - -、` i    ノノ  'i /ヽ | ヽ     |    |  /    |   丿 _/  /     丿
  'ノ  .. i ))  '--、_`7   ((   , 'i ノノ  ヽ
 ノ     Y  `--  "    ))  ノ ""i    ヽ
      ノヽ、       ノノ  _/   i     \
     /ヽ ヽヽ、___,;//--'";;"  ,/ヽ、    ヾヽ

一応、なかった事になってしまった鈴羽の数々の人生に、救いが欲しかったので書いたやつでした。

よかったら最後に聴いて下さい。

阿万音鈴羽で『メロディ』

http://www.youtube.com/watch?v=hIQ1Yz_qNQs&sns=em

音量にはお気をつけて。

みなさん、今日は本当にサンクス。

乙でした!

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