[オリジナル] The Five Elements ~New Contract Peach Warrior~  (70)

特撮テイストな話を書きたくなったので勢いに任せました。

※突き抜けた厨二、黒歴史具合にご注意下さい。
地の文、キャラ名あり。

書き溜めたのでまったり投下していきます。

SSWiki : http://ss.vip2ch.com/jmp/1423871786


――ピピピピ……

 
 夢の世界の中、どこからともなく微かに警鐘が鳴り響いて来た。


(この音…… どこかで聞いたような)


 俺は夢の中にいる。
 この夢は今までの俺を振り返るような、そんな内容だった。


(まさか夢の中ではなくて、いわゆる走馬灯のような―― そんな状況だったり)


 俺は死ぬのだろうか。

 別にそれでもいい。
 そう思う。

 亡き父の面影がぼんやりと陽炎の様に揺らめいた。

 父は強かった。
 確立した威厳を持ち、そして弱きを救う強さと優しさを併せ持っていた。


――そんな父でも運命には逆らえなかった。


 俺がまだ幼い頃、父は死んだ。
 俺はその場面にはいなかった。家族からは不慮の事故で亡くなったとだけ聞いている。

 俺は亡くなる前の父があまり思い出せない。
 切り取られた遺影の表情ではなく、生きていた頃の記憶が薄らいでいるのだ。
 その代わり強く焼き付いているのは、魂が抜けて棺の中に眠る父だった「物体」の姿。

 そして俺は塞ぎ込んだ。
 父がいなくなった故の喪失感からなのかは分からない。
 いつしか学校では一人になっていて、理由もなく苛立って…… 「父のようになれ」、「父はあんなに立派だったのに」、そういう見えないプレッシャーに抗うように家族にも反抗していた。

 俺は最低だ。最悪だ。
 祖父母、母はこんな俺に手を差し伸べてくれていたのに、俺はそれを拒んだ。
 いつしか亡き父に憎しみに似た感情をも抱き始めていた。


――だから俺は逃げた。


 そんな感情や状況を振り切るように逃げた。



――夢の中、映像が切り替わる。


 誰かからの手紙を読む自分。

 そう。この手紙だけが俺の支えだったのかもしれない。

 送り主は同じ歳の女の子。
 俺と彼女はそんなに面識があったわけではなかった。
 俺の家…… 土門(つちかど)家と彼女の家は昔に縁があったらしく、それが今まで続いていて何かの機会に数回会った程度だ。
 だけど俺達はその数回の機会で打ち解けていた。
 初めて会った時はどんな状況だったか…… それは思い出せないが、気付くと彼女が目の前にいた。
 彼女は俺の家から遠く離れた場所に住んでいるから、恐らくあれはお盆か何か…… 親父の命日とか、確かそんな状況で家に来たのが最初だったかもしれない。

 彼女を一目見た瞬間、俺は今まで感じた事がないような感情に見舞われたことを強く覚えている。
 それはなんて名前が付いた感情なのかは分からないけど……
 彼女は塞ぎ込んだ俺をいとも簡単に解してみせた。
 
 やがて…… 俺達は文通を交わすようになっていた。

 彼女の一文字一文字に込められた想いは俺の脆い精神を支えていた――


――ピピピピ!


 警鐘の音は次第に大きくなって夢の世界を破壊していく。

 崩壊する前にあの笑顔を……

 彼女は長く艶やかな美しい黒髪と、宝石の様に鮮やかな藍の瞳を持っていた。

 流れる黒髪…… 俺を見つめる二つのブルー。

 黒髪…… 透き通る藍……


――ピピピピピピピ!!


 ああ…… そんな。

 もう少しで完成したのに。


――やがて…… まばゆい光が俺を襲って……


「――くん、朝だよ……」

(ん……?)

「――くん! 起きて!」

(確か俺は……)

 
 
 おぼろげな世界はやがて確たるものへ変わっていく。



「――和間(カズマ)くん……!」
「うーん…… おはよう千春」
「もう! やっと起きた!」


 カーテンの隙間から眩しい光が俺を差している。
 鳴り響いていた警鐘はいつの間にか止んでいた。
 どうやらあれは目覚まし時計のアラームだったらしい。

 ベッドから体を起こす。

 俺の自室となっている広い洋室。
 床一面に華麗に敷かれた高価そうな絨毯。同じく高価そうな本棚や鏡台、家具一式。大きなベッド。
まるで富豪の豪邸の一室…… いや、実際そうなんだけど。


「もう…… 9時過ぎてるよ?」
「――やば…… 大遅刻だ!!」
「遅刻? 今日は日曜日だよ?」
「――そうだった…… 休みだから9時にアラームを設定したんだった……」
「ふふふ…… 和間くんおかしい」


 俺を覗き込む同い年の女。
 長く艶やかな黒髪と、鮮やかに澄み渡る藍の双眸。美しい造形をした面。
 優しく俺を見つめる大きな青い瞳に吸い込まれそうになって、思わず視線を逸らす。


「まだ入学して間もないから…… 疲れてた? 大丈夫?」
「うん…… 昨夜はなかなか眠れなくてさ」
「やっぱり疲れが溜まってるんだよ。今日はゆっくりした方がいいよ?」
「特に予定ないし、そうするよ。千春は?」
「私は友達と約束があるんだ」
「さっそく友達が出来たんだ」
「さっそくって…… 入学して間もないとはいえ1週間は過ぎたんだし。友達は出来るよ」
「そっか……」
「和間くんも早く友達いっぱい作らないとね」
「そんなにいらないよ」
「――それじゃ、約束の時間来ちゃうから行くね?」
「うん」
「朝食はラップに包んでおいたから。ちゃんと食べてね!」
「うん…… ちなみにメニューは?」
「和間くんが好きなものだよ。冷蔵庫に入れてあるからちゃんと食べてね?」
「うん。ありがとう」
「それじゃ行ってくるね!!」
「行ってらっしゃい――」


 そうして彼女は踵を返し俺の部屋を出て行く。
 去り際の綺麗な微笑が夢の中で探し求めていた幻と折り重なった。

 一人になった部屋。
 腹の虫が空腹を知らせる。


(――起きるか)


 ベッドから出てスリッパを履き、部屋着のまま重い体を引きずってリビングへ向かった――


「――誰もいない…… な」


 二階にある自室から一階へ下りてきて、誰もいないリビングへ入る。

 まるで外国…… アメリカかどこかの家にあるような、そんな広いリビング。
 キッチンとリビングが一体になっている、いわゆるリビング・ダイニング・キッチンという造りだ。

 窓からは春の暖かい陽光が木漏れ日のように差し込んでいる。
 眩しさに目が慣れてくると、次第に外の風景がありありと飛び込んで来た。


(広い庭だな……)


 まるで外国の――


――俺はこの豪邸と言っても何ら差し支えない洋館風の屋敷に住んでいる。


 ちなみにここは俺の家ではない。
 
 何故他人の家に俺が住んでいるのか…… その訳を辿ると少し長くなる。


「――ピザトーストに、これはシーザーサラダか? あとはスクランブルエッグにウインナー……」


 キッチンにある大きな冷蔵庫を開けると、最初に目に飛び込んできたのはラップが掛けられてメモが貼ってある、料理が盛られた幾つかの皿。
 温めて食べろ…… ということだった。彼女が作ったらしい今日の朝食。
 全てを取り出し、温めるものはレンジへ入れて、トーストはトースターへ放り込んで焼くことにする。

 恐らく彼女がそうしておいてくれたのか、保温状態になっている電気ポットのお湯を使ってコーヒーを淹れた。
 独特な香りが鼻腔を通って脳を刺激する。

 完全に目が覚めた。
 レンジから料理が盛られた皿を取り出す。トーストはまだ焼けていないらしい。
 トーストが焼ける間、コーヒーをすすりながらサラダをつつく。
 シーザードレッシングがかかったレタス、トマト、ゆで卵、鳥のササミ肉、クルトンその他。とても色鮮やかで食べてしまうのがもったいないようにも思える。

 サラダ一品にも手が込んであって感心する。彼女は料理が好きらしかった。

 やがてトースターが高らかに鳴く。
 丸いササミ肉、スライスされたピーマン、とろけたチーズ、表面を覆いつくすケチャップ。

 俺はこのピザトーストが好きだった。
 さっそくそれを皿の上に乗せて、食卓へ運ぶ。
 全ての朝食が出揃って一つ「いただきます」の合掌をしてからさっそく口をつけた。


――日曜日か。


 目まぐるしく過ぎていく時間。
 その合間、束の間の休息。


――俺…… 遠くまで来たんだな……


 コーヒーを飲み込むと、安堵のため息が漏れる。


「――来ちゃったんだな……」


 そんなことが口をついて出て、いつの間にか自分を省みていた。


(俺…… こんなことして良かったのかな)


――これは自分で決めたことだった。


 本当にこれで良かったのか。
 良かったんだ。
 合理化する為に俺は今一度自分の決断を振り返った――

 
 父が亡くなり、塞ぎ込んで公私共に暗黒の日々を送っていた俺。
 どうしてこうなったか…… 俺は弱い自分を憎んでいた。
 少なくとも俺以外の人々は悲しみを受け入れ乗り越え進んで行くのだ。
 誰にだってそういう側面があるのにも関わらず、それを知っていながら…… 俺は他の大多数の人間を、俺以外の全ての人間を憎んだ。
 道行く人々が皆幸せの絶頂にいて、不幸の「ふ」の字も存在しないと決め付け、行き場所のない焦りや不安、怒りを誰にでもぶつけていた。
 
 俺は俺を憎んでいた。弱さを憎んでいた。他の人間を憎んでいた。

 そして父も憎み始めていた。
 あんたが死ななければ、俺は……

 こういう負の感情がループして、俺を掻き乱していて、そうして俺は遂に感情を無理やり奥底に押し込んで沈めた。


――だけど、俺は彼女に救われた。


 そんなに面識もないのに、初めて出会ったあの時から彼女は最低な俺に手紙をくれた。何度も。
 たとえ俺が投げやりで乾燥して無感情な返事を出しても、彼女は長々と温かな想いをしたためて送り返してくれたのだ。
 
 いつしかそんな彼女に惹かれて、憧れて、感情を取り戻していった。
 彼女は俺に感情をくれた。


――そして俺は地元を飛び出した。


 あそこでは息が詰まって、過去に閉じ込められて、枯れ果てて死んでいくしかないのだろうと本気で思った。
 そういう衝動に駆られて、俺は家を飛び出した。


「――大宙(おおそら)学園という高校を受験することに決めました」


 いつかの彼女の手紙にそういう報告があった。
 それを見て、俺もそこへ行くことに決めた。
 彼女に会ってお礼を言いたい、彼女の近くにいたい…… 邪な理由かもしれないけど、そう思ったからだ。

 学園は俺の地元から遠く離れた場所にある。
 進学を理由に俺は地元を飛び出す決心をした。
 決心と同時に自分でも不思議に思えるほど…… そこへ入学したいという一心のみで別人になったかのように勉強の虫となっていた。
 
 やがて俺は幸いにも合格の切符を手にした。


――そして俺は彼女、木ノ下千春の家に居候させてもらうことになった。


 合格が決まって俺は学園の寮に入って寮生活をする予定だった。
 しかし入学までの間、準備に追われていた春休みのある日のこと。


「――木ノ下さんが、それなら家に来なさい…… と言ってくれたから――」


 と、母や祖父母から強制的な決定が下された。


 かつては名家として名を馳せていたらしい木ノ下家と俺の土門家はどういうわけか親戚でもないのに縁があって、家同士親しくしていた。
母や祖父母が学園に進学が決まったことを何かの機会に木ノ下家に話したらしく、木ノ下家も「偶然ながら娘も同じ学校に通うわけだし、家は学園に近いし、部屋もいらないほど余っているし、それなら是非……!」ということで、居候をほぼ強制的に決められてしまったのである。

 親に勝手に決められたことは少し不服に思ったけど、結果的にこうなったのは俺にとってこの上ない僥倖だった。
 彼女…… 千春と同じ学園に通えるだけでなく、同じ屋根の下で生活出来るなんて……! そんな風にいやらしい希望に胸を躍らせる自分が嫌になったが、この機会に灰色の生活から抜け出せるかもしれないと思って承諾してしまった。
 学園へ入学することを俺からは千春に言っていなかったので、彼女は大変驚いていたが居候も快く認めてくれた。
 
 千春の両親はどこか企業の社長らしく…… 国中、ひいては海外を飛び回っているようで一年中ほとんど家を空けているという状態みたいだ。
 だからこの豪邸には現在千春と彼女の祖父しかいない(祖母は大昔に亡くなったようだ)
 いつだか「あの娘に寂しい想いをさせてしまっているから――」ということを千春の両親がこぼしていたと家族が話していたのを小耳に挟んだ。
 恐らくそういうこともあって、人が多いほうが―― ということで俺を呼んでくれたのかもしれない…… まあ、これは「そうであって欲しい」という俺の勝手な思い込みだけど。
 ともかく、経済面でも生活面でも俺にとっては大変ありがたく、木ノ下家には頭が上がらない……


――そんなこんなで、高校生活が始まり今に至る。


 まだまだ慣れない生活で気苦労が絶えないけれど千春たちのおかげで色々と助けられている。
 千春と違って友達という友達はまだ出来ていないけれど、どうにかして灰色の日々から脱出できそうな予感がしていた。


 今までのお礼をちゃんと千春に伝えないと――


 彼女に救われた。助けられている。
 だから感謝の気持ちを伝えないといけない。


(だけど――)


 いざ彼女を目の前にすると、気恥ずかしさなどが押し寄せてきてうまく自分を出せない。
 ここへ来るまでは手紙のやり取りがほとんどで長い間会っていなかったので、彼女と再会した時は初めて会った時以来二度目の衝撃を受けた。

 成長した彼女は益々華麗に、綺麗に…… 美しくなっていた――

 同時に、どこか掴めば壊れてしまいそうな美術品のような…… そんな儚さも感じさせた。


(駄目だ駄目だ……! 邪念は捨てろ)


 脳裏に焼き付く千春の微笑みを無理やり拭い去る。
 
 いつか…… 出来るだけ早く、絶対にこの気持ちを伝えないと――


――頭の整理が終わる。


 時計の針は午前10時前を指している。
 いつの間にか考え込んでいて食べる手を止めていた。
 別に急いでもないのに無理やりかきこむように残りの朝食をたいらげる。

 そして全てたいらげて、食器を流し台へ運ぶ。


(自分で出来ることは自分で――)


 居候させてもらっている身だ。
 最低限の事は自分でやらなければならない。
 木ノ下家に迷惑をかけてはいけない。

 水道、蛇口を捻って水を出し、食器をすすぐ。
次に食器洗浄用の液体洗剤をスポンジに染み込ませ、泡立て、念入りに皿を擦って洗った。
最後にもう一度すすいで洗剤や泡を完璧に落とし、水を切り、洗い終わった食器は水切り用の食器かごへ。


(よし…… さてと――)


 食器洗いも終わりひと段落つく。
 

――今日は予定なし。
 

まずは自分の部屋を掃除して、布団を干して、シーツはこの前洗ったばっかりだし…… 干すだけでいいかな――



――ひとしきりやるべき家事をこなし一息ついていた時だった。


「――和間くん…… ちょっと付いてきて欲しいんだ――」


 自室、デスクチェアに腰を掛けてボーッと窓の外を眺めていたところ。
 部屋の扉が二度ノックされ、千春の祖父である春雄さんが扉から顔を覗かせる。


(――何だろう?)


 春雄さん(俺はおじさんと呼ばせてもらっている)はそれだけ言って扉を閉めてしまう。
 何か悪いことでもしたのか? と咄嗟に感じたが心当たりは特になかった。
 疑問を抱きつつもおじさんに付いて行く事にした――


「――あの…… これは一体どこへ行くんですかね……」


 聞くのがいささか遅過ぎた質問をおじさんの車の中、後部座席で呟く。


「――和間くんに話しておきたいことがあってね」


 おじさんに付いて行った俺は気付くとおじさんが運転する車の中にいた。
 いつもは優しいおじさんが見せた有無を言わせぬような厳粛さを纏った雰囲気…… それに気圧されて為されるがままこうして付いてきてしまった。


(話しておきたいこと――)


 やっぱり何かまずいことをしてしまったんじゃ……
 いや、でも反感を買うようなことはしてないはずだ。
 居候についてもおじさんだって快く迎えてくれたし。
 わざわざ場所を変えて話したいことって……


――では…… 一体。


 視線を外へ移す。

 俺が移り住んできたこの都市。
 星天(せいてん)市。
 この都市は都会部分と田舎部分を併せ持っている…… いわゆる地方都市というイメージ。
 中心部は高層ビルや高層マンションが並び立ち、それを囲むようにアパートや住宅地、繁華街が存在する。
 また、郊外は海に面していて海水浴場や漁港も存在するし、山にも囲まれている。

 五行町(ごぎょうまち)。
 星天市の中でも田舎部分…… 郊外地区の五行町に木ノ下家と大宙学園はあった。
 学園は大規模で、俗に言うマンモス校。
 地元の学生だけでなく俺のように遠方から入学してくる生徒も多いようだ。
 広大な敷地に何棟もの校舎等建物が存在し、複数の学科があり、いくつもの部活や同好会も存在し自由そうな雰囲気があって生徒たちは活気に溢れている…… 入学して間もないので表面上だけど、そんな感じだった――


――おじさんの運転する車は見知った光景をひた走る。


(これって…… もしかして)


 学園までの…… 通学路。
 車は俺達がいつも行き来する通学路を走っていた。
 そして…… 行き着く先は――


「――学園!?」


 車は校門を通って学園の敷地内へ進入した――


「――唐突だけど、この世にはどうしても道理では説明できない現象があってね」


 広大な一室。
 見たこともない器具がひしめき合い、白衣を身に纏った大人たちが忙しそうに行ったり来たり……
 部屋の奥、防弾性のもののような分厚いガラスを一枚隔てて、その向こうには何もない体育館の中みたいな広々としたスペースが見える。

 そんな様相の一室で、周りを白いボードで簡単に仕切られた小さなスペースに通される。
 脚の部分にローラーが付いた軽そうなデスク、相対するように設置されたデスクチェア。まるで役所とか保健所とか職員室にある相談スペースのような…… 
 手前の椅子に座った俺におじさんがコーヒーを淹れてきてくれて、そんな言葉を放った。
 おじさんも自分の分のコーヒーカップを置いてから奥の椅子に腰掛けた。


「――あの…… これはどういう――」


 自分が置かれた状況をまったく理解できなかった。
 いきなり話があると言われて付いて行った先が学園で、更に敷地内にある高層ビルのようにそびえ立った研究棟(のような建物と思われる)に案内され、そして最終的にやって来たのがこの部屋……

 そもそも、何故こんな施設が学園に……
 いや、おかしくはない。
 確か専門技術系の学科があったし、それの実習施設などと考えれば頷ける。
 しかし大人の研究員がこんなに…… 
 これじゃまるで独立した研究所のような――


「――いきなりですまなかったね。これから説明していくよ」


 そう言うおじさんの顔はいつもの優しそうなそれだった。


「実は私はこの研究室の室長をやっていてね――」


 初耳だった。


「ああ……! コーヒーをどうぞ。インスタントで申し訳ないけど――」


 驚愕の事実をさも当たり前のように軽々しく放ったおじさんは、そう言ってコーヒーを一口含ませる。
 驚く俺を一瞥して、俺にもコーヒーを勧めてくれた。


「――あ、すみません…… いただきます」


 気持ちを落ち着かせるために俺も一口含ませた。

 確かに千春から、おじさんは何かの研究をしてるとかなんとかは聞いたことがある。
 だけどまさか彼がそんな権威のある人物だったとは知らなかった。
 まあ、「木ノ下家」ということを考えれば頷ける事実ではあるけれど。


「それで…… 自分は何故ここに――」


 問題はそれだ。
 ただの新入生の俺を研究室に勧誘…… なんてことはありえないし。そして俺は普通科だし。
 そして冒頭のあの言葉――


「――長くなるけど、まずはさっきの言葉について説明しよう」


 この世には道理では説明できない現象が存在する――

 おじさんの言葉を思い出す。
 一体どういうことなんだ?



「本当に唐突だけれど、私達はそういう現象のことを超常現象、超自然現象、怪異…… またはただ単に現象と呼んでいてね――」


 それが俺を呼び出したことと何の関係が……


「この部屋を見れば察しが付くかと思うけど、私をはじめここのみんなはそういうことについて研究しているんだ」
「はあ……」


 いわゆるオカルト的なことを科学の力で究明する為に研究している…… そういうことだろうか?
 そういう現象を完全否定しているわけじゃないけど…… なんだか胡散臭いというか…… もちろんこんなこと口に出して言えないけどさ。


「――そして、これを見て欲しい」


 おじさんはいつの間に用意していたノートを一冊渡してくる。


「――これは?」


 ノートを開くと新聞や雑誌のものと思われる記事が切り抜いて貼ってあった。
 スクラップブックらしい。


「その記事の内容をざっと見てごらん」


 何ページにも渡って貼られた記事。
 おじさんの指示に従ってその内容をざっと流し見していく。


「――猟奇的事件…… 失踪…… 殺人……」


 数ページに渡って内容を確認すると、どの記事にもおぞましい文字が連ねられている。


「その事件の数々は全て昔のものだ」
「――はい」


 記事の日付に目を通すと、おじさんの言ったとおり全て過去…… 数十年以上前のものだ。


「――これは何の関係が……」


 では、この事件はこの研究所と何か関係しているということなのか?


「これらは全て――」


 優しいおじさんの顔に影が落ち、そして険しくなった。



「――鬼 の仕業だ」

 
 シーン……

 周囲には人が数多く存在するのにも関わらず、ここだけ違う世界に隔離されたような疎外感がやって来て、雑音が遠くなる。


「――お、に?」
「そう、鬼…… だ」


 一体何を言い出すかと思えば…… しかしおじさんの顔は真剣そのもので決して冗談で言っているわけではないようだ。

 鬼って……


「つまり…… これらの事件は全て鬼の仕業ってことですか……?」


 あまりにも予想の斜め上を行くおじさんの発言。自分で言葉にしてみたらおかしさを通り越して恐ろしさまで感じた…… 寒いという意味で。

 しかし。


「その通り―― 記事にマーカーが引いてある。見てごらん」


 至極当然と言う様なおじさんの表情。
 言われるがまま再び記事に目を通す。


「――大量の血液を抜き取ったような痕跡…… 獰猛な獣の牙によるものと思われる傷口……」


 赤いマーカーが引かれた部分にはそういう事柄が記載されていた。
 しかも一つだけでなく、ページをパラパラめくっていくとどの記事のマーカー付けされた文章もそのような事柄が書かれていた。


「――これは一体」
「それらは全て 鬼 の仕業だ。付いて来てくれ――」


 状況を整理する間もなく、続けざまおじさんはそう言って、「見せたいものがある」と席を立つ。


(――どういうことだ)


 俺が呼ばれた理由は? 鬼って一体何だ? 

 頭の中はとっくに処理可能な要領を越えてパンクしている。
 気付けばおじさんは遠く、退室するところだった。


 急いでその後を追いかける――



「これは――」


 ドッキリか何かに俺を引っ掛けているのではないか――
 そう思った。
 いきなり「鬼」なんて言われれば誰だってそう思うだろう。

 
 
 だけど――



「――角が生えてる……」


 おじさんに付いて行った先、今度は同じ階にある一室に通された。
 未来的に感じる自動ドアを潜ると中は仄暗い暗室。
 何かの機器が発する幾つかのグリーンライトに照らされながら奥へ進むと……


――そこには 鬼 がいた。


 2メートルは優に越そうかという具合の大きな培養器のような…… モンスター、特撮映画などに出てくる、怪物を収容している円柱型のケース…… まさにそんなイメージがピッタリだ。
 
そんな透明なケースの中に 鬼 がいたのだ。

 そう形容するほかなかった。

 全身を鎧の様な外殻に包まれた筋骨隆々の人型。
 縦幅、横幅共に大柄で収容しているケース一杯に鎮座している。
 額からは鋭利な一本角が生えていて、体にはケースから伸びた用途不明なチューブが幾つも刺さっている……
 目は固く閉じられていて身動き一つしない。

 そんな…… 薄緑の謎の液体に満たされた鬼がいたのだ――


「――おじさん…… これは一体」
「これが鬼だよ」


 作り物と言えばそれはそれで納得できるけど、わざわざ俺にドッキリを仕掛けるためにこんな大掛かりなセットを準備する必要はない。
 ということは――


「――本物!?」


 未だ信じられないが、しかしそこで急激にゾッとした悪寒がやってきた。
 嫌な汗が背中をツーッと一筋伝い落ちたのがわかる。


「大丈夫だよ。生きてはいないから――」


 恐怖に身がおののき、自然と体が動いて数歩後ずさりしてしまう。
 こいつの目が開いて、ガラスに包まれたケースを破り俺を惨たらしく殺すのではないか――
 そう感じたからだ……
 しかしおじさんのその一言で恐怖はとりあえずのところ払拭された。


「――先刻言ったように、私はこのような怪異を専門に研究している」


 俺が一息ついたところを一瞥し、それから再び目の前の怪物へ視線を注ぎながらおじさんは一人語り始める。


「始まりは昔、大昔…… 太古の昔と言える時代まで遡る。
 これを見れば分かるとおりに、この世には説明し難い…… 理解し難い種が存在している。
 人間はそれらを 鬼 と呼んだ。
 鬼は時に人間を襲い、また時に助けてもきた――」


 正直言ってこれが実物だとしてもまだまだ…… いや、到底…… 受け入れられるものではなかった。
 鬼…… 昔話や創作の世界ではお馴染みの存在ではある。
 だがそれが実在するとなると…… いや、実在するはずがない!
 だったら目の前のこいつは……


「伝え聞いた話によると――
 ある時代を境に人間と鬼は長きに渡る戦争を始めた。
 そして最終的に人間が勝利を収めた」


 俺が動揺しているのをよそにおじさんはつらつらと、語り部のように話を紡いでいく。


「人類は鬼に勝利し、それからは長い間平穏な状態が続いた。しかし――」


 しかし…… 今度は何だ!?


「鬼の生き残り…… 残党が各地で悪さをし始めた」


 だとしたらこいつはその残党の中の一人…… いや、一匹…… なのか?


「戦争…… とまではいかないが、それからは鬼の残党と人類の戦いが再び始まった――」


 始まった…… そして次は?


「――そして…… その戦いは今、現在もなお続いている――」
「そんな――」


 何だって…… 「今」も続いている……!?


「さっき見た事件の数々…… それは鬼が起こしたものだ」
「それは……」
「信じられない気持ちは分かるよ。私も最初はそうだった――」
「おじさんはどうしてこいつ…… いや、鬼の研究を?」
「――大学を卒業し、その後は研究職に就いた。
 今と似たような内容を研究していた、そんなある時だ――」


 虚空を眺め、おじさんは辿ってきた人生を振り返る。


「――ある人物から誘いを受けた。
 鬼 について共に研究してみないか―― と」


 一度俺に視線を注いで、それからまた虚空へと移す。


「誘いを受けて、私は鬼について研究することになった。それは政府直属の研究機関だった……
そうして長い間研究を続けてきたが…… ある日、私たちはある人物との接触に成功した――」


――ある人物?


「それが――」


 強い眼差しが俺に注がれる。


「真土(まさと)くん…… 君の父だ――」


――ドシリ。


 嫌な予感。
まるで鈍器で殴られたかのような衝撃が俺を襲った――


 真土…… おじさんは俺の父の名を確かに言った。
 耳を疑った。
 だけど…… 確かにおじさんは言った。


「――父さん…… と出会った!?」
「そう…… 君の父、真土くんと私たちは出会った」


 驚愕の事実。
 そんなこと俺は聞いたことがなかった。
 ひしひしと、彼方から異様な空気が押し寄せてくる。


「それで…… 父さんは――」
「――真土くんは」


 土門家と木ノ下家の縁…… もしかしてそれが始まりだったのか!?

 コホンと、おじさんは一つ咳払いをしてから。


「鬼と戦う戦士だった――」
「――そんな」


 馬鹿な。
 いやいや…… ドッキリもいい加減にして欲しい。
 親父がこの怪物と戦う戦士だった? そんな馬鹿な。
 聞いたこともない。
 親父はただの会社員で、突然の交通事故で亡くなったんだ!


「嘘、ですよね!?」
「信じられないだろうが…… 真実だよ」
「そんなはずは…… 父さんは会社員で――」
「真土くんが鬼を倒す場面に私たちは遭遇した」
「冗談は――!」


 やめてくれ……!!


「それから私たちと真土くんの関係が始まった」


 俺の抗議を遮っておじさんは話し続ける。
 駆け足で、機関銃のように連続して俺を襲う言葉たち。
 それは俺の介入を決して許さないものだった――

――真土くん…… 君の家系は 鬼退治 を続けてきた一族……
 君の父は代々続くその意志を受け継ぎ鬼の残党と戦っていたのだ。
 やがて政府からの命令を受け、私たちと真土くんは鬼という不確かな存在を完全に究明し、そして人類の平和の為に一掃するという意志のもと団結した。
 こうして私たちと真土くんの戦いは始まった。
 先程見せた鬼による事件の数々も全て真土くんが解決したものだ。
 
 戦いは続き、終わりが見えないものだったが…… 遂に一つの幕が下ろされた。
 残党を仕切っていたと思われる鬼を真土くんが討ち取った――

 一方的に語るおじさんの口がそこで止まった。


「父さんが…… 討ち取った――」
「――そう。相討ちだったとも言えるだろう」


 相討ち……!?
 ということは――


「――鬼を討ち取った。しかし真土くんもその時に致命傷を受け、後に息を引き取った」


 
 嘘だろ? 父さんは交通事故で――


――鬼は人の心の闇に付け入る。
もし鬼がまだ一匹でも残っていた場合、鬼は魔術…… 呪いの力を用いてそういった闇に付け入り人間を鬼に変え、仲間を増やすだろう。
 鬼は 五行 の理、その力を持っている五つの 鍵 を欲している。
 鍵は鬼を倒す為に創られた強力な聖遺物で、選ばれし人間の中に宿る。鬼はその鍵を持つ保持者を探している……
 絶対にそれを鬼の手に渡してはならない。
 全ての鍵が渡ってしまえば、やがて鬼が絶対的な力を手にして人類を滅ぼすだろう――


「――真土くんは亡くなる前にそう言っていた」
「何が何だか……」


 分からない。信じられない。五行? 鍵? 保持者?
 父さんは一体何者だったんだ……


「――真土くんが亡くなって…… それからは鬼の出現もしばらくはなくなっていた。
 しかし彼の言葉にあったように…… 
鬼たちは息を吹き返したのだ。政府からその報告を受けた。
 一刻も早く対処する術を見つけ出さなくてはならない。だから私たちはこの鬼の亡骸も用いて研究を進めている。
 鬼はどこに潜んでいるか分からない。そういった理由も含めた諸事情があって政府はこの学園の敷地に複数ある研究室の一つを設置した。
 そして私は引き続きここを任されているわけだけど――」


 この鬼―― おじさんは目の前の怪物を一瞥する。


「それじゃ…… この鬼は」
「そうだ…… これは真土くんが最期に討ち取った鬼の亡骸だ。
 通常なら青い炎とともに消滅するのだが…… この個体だけは何故か消えずに、腐りもせずに残っていた。
 それを私たちが回収し研究材料としているが…… 
 まだまだ真理には程遠い」


 そんな…… こいつが父さんを!?


「鬼を倒す戦士が不在な今、早急に研究を進め…… そして彼が言っていた 鍵 の保持者を見つけ出して保護せねばならないだろう。
 それを見つけ出す方法も未だ解明するに至っていないわけだが…… 研究者として恥ずかしい…… 彼に申し訳が立たないよ……
なんとかして究明しようと、対処する術を見つけ出そうと、定年をとうに超えてもこうしてやってきたが、私も先は長くないだろう――」


 おじさんは彼方を見つめながらため息をこぼし、力なく笑った。


「――きたるときまでは交通事故か何かで亡くなったと息子には伝えてくれ。
 真土くんは彼の家族と私にそう言葉を遺した。
 和間くんには黙ったままで申し訳なかった」


 そして、おじさんは一つ深々と頭を下げる。


「そんな…… 頭を上げてください……」


 頭の中は真っ白で、自分の立ち位置が分からない。俺はホワイトアウトの中に一人取り残されている……



「すまなかったね……
 こちらから勧めたとは言え、君が私の家に来たのも何かの縁だと、運命だと思ってね…… 君のお母さんやおじいさんおばあさんから了承を経て、この機に話しておこうと思っていた。
 突然のことで飲み込めないと思う。だけどこれは本当のことなんだ――」


 そう言っておじさんはジャケットの内ポケットをまさぐり……


「――真土くんが言っていた五つの鍵…… その一つが、実はここにある」
「これが…… 鍵?」


 五行の理…… その力を持つ五つの鍵。そのうちの一つ……


「これも信じられないだろうけど…… この鍵は亡くなる直前、真土くんの胸元から光を放ち現れた……
 その時 が来たら和間くんに渡してくれと託されたんだ――」


 それは琥珀色した金属をただの五角形にかたどった、色あせたペンダント。鍵と言っていたがとても鍵の形状とは思えない…… 概念としての「鍵」ということだろうか?
 そっと、おじさんは俺の首にそれを掛ける。


「俺が…… こんな大事なものを――」


 授かっていいのだろうか?
 もしこの話が全て真実ならば、俺は再び姿を現したという鬼に命を狙われるのではないだろうか。
 それに、そんな重要なキーアイテムの一つをこんな簡単に受け取っていいのか……
 未だ、そしてこれからも到底信じられないような話……
 覚悟なんてできっこない。


――俺は最低な人間なんだ…… 父さんをも憎んだ弱い人間なんだ。


「その時 が果たして今か……
 それは真土くんにしか分からないだろう。
 しかし私は…… 今なのではないかと思っている。
 確証はない。だが、そんな気がしているんだ」


 おじさんの微笑は全ての役目を終えたというような…… どこか諦観の色も含まれているようにも思えた。


「――休みの日に突然こんなことをして悪かったね……
 だけど大事な話で、この機に話すほかないと思ったんだ…… どうか許してくれ」


 もう一度、おじさんは弱々しく頭を垂れる。


「正直なところ…… まだ受け入れることができません。
 だけど…… 大切な事を話して頂いて本当にありがとうございました」


 そう。立て続けに様々な情報が押し寄せて来て処理不能な状態だ。
 だから飲み込むには時間が必要。
 だけどおじさんが語ってくれたこの話は、少なくとも俺を騙すような偽りの情報ではないということは分かる…… 最初こそ疑っていたけど、優しいおじさんがそんなことをするはずもない。疑っていた自分が情けない……


 何だか申し訳なくなって、俺も頭を下げた。


「ありがとう…… 忙しくさせて申し訳ないが、家まで送るよ」


――時間が必要だ。


 おじさんの車に乗って、俺は来た道を引き返し木ノ下家へ戻った。
 まだ起床してからそこまで経っていないのに、何だか疲れがドッと押し寄せてきた――


――和間、強い男になれ。


(――これは?)


 真っ白な風景。
 周囲には何もない。
 ただそこにいるのは幼い俺と――


――ごめんな、和間。


 何で父さんが謝るんだよ。

 幼い俺と、膝をついて俺の頭を撫でる父さん。
 慈しみとほんのわずかな後悔、懺悔の色を帯びた微笑を浮かべて……


――和間、俺はお前に罪を背負わせてしまった。

 何でだよ。そんなこと言わないでくれよ。


――全ての因果は俺で断ち切らなければならなかった。

 何を言ってるんだよ。

 父さんは強くて、立派で……


――恨むなら俺を恨んでくれ。

 そんなこと言うなよ!
 俺が、俺が…… 俺が全部悪いんだ!
 謝るのは俺の方なんだ!
 過去の悲しみの中にずっと閉じこもって、自暴自棄になって、壁を前に尻尾を巻いて逃げたんだ俺は! 負け犬なんだ! 底辺のクズだ!


――違う。

 違うもんか!
 俺は自分の弱さを父さんになすり付けようとしたんだぞ!


――人は弱い。

 そうだ…… その中でも俺は…… 底辺の中の底辺、最低だ……


――お前は自分の弱さを知っている。

 知ってるよ…… もう反吐が出そうなくらいに。


――それがお前の強さだ。

 どういうことだよ……


――己の弱さを知り、受け入れられる人間は強い。

 もう何もかも分からない。


――いずれそのことを実感するだろう。

 今の俺には考えられない。


――俺は自分を強いと思い込んでいた。思い込もうとしていた。

 父さんの口からそんなことを聞きたくなかった。


――強くあろうとした。己の弱さを受け入れず、必死に気高き存在であろうとした。

 
 これは……?

 真っ白な背景がどす黒く変わる。
 そして目の前に現れた、ある風景。


――これが俺の弱さだ。


 何だよこれ……

 
 辺り一面に広がるおびただしい人間の亡骸、地獄絵図。
 山のように積まれた人だったもの。
 屍の山。
 そして屠られた怪物の残骸。
 遠く彼方まで広がる荒野、ぽつぽつと見えるのは枝が全てボロボロに千切れ針の山のようになった木々。まるで砲弾の雨が降って削ぎ落とされたようであった。
 バケツをひっくり返したように地面を覆いつくす生暖かい血痕。
 燻る黒煙。

 戦場だ…… 

 これは夢の中だと思われる…… しかし胃から何か込み上げてくるような激流を感じ、必死にそれを飲み込んだ。

 次々と場面は切り替わる。
 どの光景にも見えるのは、さっきまで生きていたような存在が全て朽ち果てているさまだった。
 一方では無数に穿たれた泥沼のような穴に溺れる亡骸たち。それはさながら映画か何かで目にした塹壕戦。
 また一方では、目と口をこれでもかと開き「死んだ」叫びを上げたまま硬直する亡骸たち。
 そして足元には黒焦げの亡骸たち。

 もう止めてくれ……!! 悪夢はうんざりだ!!

 込み上げるものを堪え切れずに、遂に吐き出した。

 夢なんだよな? 夢なんだろ!!

 早く覚めて欲しかった。
 夢の中なのに、まるで今この場に生きているような感覚。


――これが俺たちの弱さだ。


 ビチャ、ビチャと泥沼を歩く足音。
 振り返るとそこには父さんがいる。
 初めて見るような酷く悲しい顔だった……



 俺たち?


――そう。俺たちはずっと戦ってきた。

 鬼…… とか?


――そうだ。俺たちは争いを止められなかった。それが俺たちの弱さだ。


 背景は再び真っ白に戻る。


――だが、和間…… お前はそうじゃない。

 何だよ…… こんな俺にどうしろっていうんだよ。

 突如嵐のようにやって来た真実。おじさんから聞かされた父さんの真実。


――運命からは逃れられないのかもしれない…… だが、それを乗り越える強さをお前は持っている。

 だから……! 俺は弱い人間で、父さんでさえ憎んだ最低な男だ!


――だが、お前はそれがいけないことだと分かって、そして前を向いた。違うか?

 前を向いたんじゃない…… 逃げたんだ。


――それは逃亡じゃない。

 だったら…… 何なんだ。


――お前は今前を向いている。それは決して弱者にはできないことだ。お前は己の弱さを受け入れ、それでも強くなろうと、今を変えようとしている…… 和間、お前はこれからどうしたい?

 どうしたい…… 俺は、俺は……

 そこで何故か千春の顔が浮かんだ。綺麗で無垢な笑顔だった


――和間、お前は俺じゃない。お前はお前だ。

 父さん……


――俺の影を気にすることはない。そいつは闇だ。必要のないものだ。

 ごめんなさい…… 父さん。


――お前はお前のやりたいようにやれ。勘違いするな、お前の生き方はお前のものだ。それは誰であろうと縛ることのできない唯一のものだ。

 俺のやりたいように……


――そうだ。和間、お前はお前の道を行け。俺のものでもない、誰のものでもない、お前だけの道だ。

 俺の、道……


――ああ。お前の道、だ。

 ペンダントが――


 おじさんから授かった父さんのペンダントが強い光を放つ。


(ありがとう…… 父さん)


 強く眩しい光の中で…… ほんのりと温かく優しい涙が一つ浮かんで、頬を伝い落ちていくのが分かった――


「――おはよう…… じゃなくておそよう? ここで眠ってたんだね」
「ああ、疲れてて…… 寝てた」
「大丈夫……? 何だろう…… 慣れない環境で体調崩しちゃった?」
「いや、大丈夫――」


 そうだ。俺は帰ってきて部屋で昼寝をしてたんだ。
 いつの間にこんな時間が…… 寝すぎたな……

 まるで白昼夢を見たような、現実と空想の狭間にいたような…… そんな、なんとも表現しにくい不思議な寝起きだった。
 また千春の呼びかけで目が覚める。
 一つ冗談を言ってくすりと笑い、俺の体調を気に掛けてくれた。

 体を起こす。窓の外は既に夜。夜空にはまん丸とした満月が煌々と浮かんでいる。
 夢は覚えている。
 瞼を閉じれば父さんの顔がうっすらと浮かぶ。
 なかなか思い出せなかったのに、幼き頃の父との思い出が駆け足で通り過ぎた。


「――ご飯できたよ。遅くなってごめんね」
「いや、寝てたし…… 大丈夫。ありがとう」


 いつの間に帰宅していた千春は私服の上に純白のエプロンを纏っている。夕食を作っていたらしい。
 豪邸に住む木ノ下家。ここはそんな広い屋敷故にお手伝いさんを雇っているようだが(屋敷の清掃代行等諸目的で)、千春は「何もかも任せるのは申し訳ない」として炊事洗濯など自分で出来る範囲は自分でこなしているようだ……
 それじゃお手伝いさんの仕事がなくなっちゃうんじゃ…… と疑問を口にしたところ、
「出来るものは自分でやらないと…… もう高校生だし!」
 と胸を張って答えた。
 俺もただ居させてもらうのも申し訳ないし、何か手伝わないとな……

 千春は「それじゃ下で待ってるね」と言って颯爽と部屋を出て行った。
 貪るように眠っていて乱れてしまった着衣を整え、俺もリビングへ向かった。


「――ねえ、和間くん」
「どうしたの? 千春」


 夕食を済ませ自分の部屋に戻ってすぐのことだった。
 夕食の席には俺と千春のみだった。千春は「おじいちゃんは外で済ませてくるって」と言っていた…… あの昼の出来事があって、おじさんは再び研究室に戻ったようなので恐らくまだそこでの仕事が終わっていないのだろう。


「何か言いにくいこと…… かな?」


 控えめなノックと共に扉を開けた千春は、扉から顔を覗かせたままで中には入ってこない。そしてもごもごと口を動かしてはいるものの、それを言葉として口に出すことが出来ないでいた。


「とりあえず中に入りなよ」
「――うん。入るね」


 目を伏せたままゆっくりと入室する千春。
 ベッドに腰掛ける俺の数歩前で立ち止まり、やがて伏せた視線を俺へ注いだ。


「相談事とか…… かな?」
「相談事…… うん」


 俺の推測に反応する。
 相談事…… 学校生活は問題なさそうだし、一体何だろうか。
 彼女からの言葉を待つ。


「アドバイスできるほどの力はないけど…… 口に出してみるだけでも楽になるだろうし、良かったら聞かせてよ」
「――うん」


 深呼吸する千春。
 そして何か決意したようで俺をまっすぐ、力強く見つめた。


「――和間くん、あのね」
「うん…… どうした?」


 何故か俺の方の心拍数まで上がり始めた。
 ドクドクと脈打つ鼓動。段々とその速度も上っていく。


「あの――」


 俺を見つめる藍色の双眸は透き通っていて、そして一つ煌いたように見えた。


「泣いてた」
「――え?」


 泣いてた―― それはどういう……


「和間くん、泣いてた――」
「――俺が?」


 ゆっくりと首を縦に振る千春。
 俺が泣いてた…… 


「さっき、眠ってる時に…… 泣いてた」
「――ああ」

 そういうことか。
 さっき見た夢、それから覚めて起きた時…… あの夢の中のように、俺の目には涙が浮かんでいた。

(心配させてしまった)

 それを見てしまって心配してくれたのだろう。



「あれは…… 実はちょっと怖い夢を見てさ」
「大丈夫……? 病院行った方が…… きっとストレスが溜まって――」
「ああ! いやいや、大丈夫だって! 今日休んで結構回復したし」
「そう…… あのね――」

 そしてまた目を伏せる。
 今日の千春はなんだか歯切れが悪い。

 妙な間が俺たちを支配する。


「――ごめんなさい」


 沈黙に吸い込まれそうなか細い声。
 そんな声で弱々しく謝罪の言葉を呟いた。


「なんで千春が謝るの?」
「あのね、私――」


 何で千春が謝るんだ…… 迷惑をかけているのはこっちなのに。


(ごめんな、和間――)


 あの夢での光景が折り重なる。

 ドキリ。

 千春の重い口が開いたその時、俺の脳裏に予感めいた何かが突如押し寄せる。


「――私…… 和間くんのお父さんのこととか…… 全部知ってたの」
「千春――」


 藍色が揺れていた。
 唇は震え、その言葉も同様に震えていた。

「千春……」

 どういうことだ?
 つまり千春もおじさんのように、鬼とかいう怪物の存在や父さん、俺の家系についての話を知っていた、そういうことだろうか。


「鬼の存在も?」
「うん……」
「父さんがそいつらと戦って命を落としたことも?」
「うん……」
「おじさんが鬼の研究をしていることも?」
「――うん…… 昔おじいちゃんから聞いたの」


――そうか。


「今日、和間くんはおじいちゃんからその話を聞いた…… だよね?」
「――うん」

 そうか。
 千春も知っていたんだ。


「私からは言ってはいけないって、そう言われたから、だから私―― ごめんなさい」


 そうだ。
 きっと言い出したくても、誰かから口止めされていて言い出せなかったんだ。
 それで秘密にしているという罪悪感などに苛まれつつも俺を支えてくれていたんだ。

 それに違いない。なのに俺は――


「――千春も、俺を騙したんだね」
「えっ――」


 最低だ。何でそんなことを言うんだ、俺は。


「そんな…… 騙してなんか――!」
「何が鬼だよ! 俺を馬鹿にするのもいい加減にしてくれ!」


――最低だ。


 分かってるんだ。今日おじさんから説明されたあれが現実のものだということも、父さんについても。
 きっと周りの皆は父さんの遺言に従いきたるタイミングまで言わないようにして、そうして俺が混乱しないように気を使っていてくれたんだろう。見守っていてくれたんだろう。


――そう分かっているのに!


「千春まで――! 俺は…… 俺は――!」

 分かっているのに、何故か裏切られたと感じてしまう。
 最低だ…… 最低だ。


――俺はまた現実という壁から逃げようとしている。


「それじゃ千春は秘密を知って、それで同情心で今まで手紙を寄越してきたんだね」
「そんなわけ――!!」


 馬鹿野郎! 小さい頃からこんな俺の為に書いて送ってきてくれたのに!
 止めろよ! 止まってくれよ…… 俺。


「かわいそうだなぁ~ あ、どうせだし手紙でも書いてやるか…… そう思ってたんだね」


 俺は最低だ。


「――和間くんの馬鹿っ!!」


――ガタリ。


 大粒の涙を落としながら千春は出て行った。


「最低だ――」


 誰もいなくなって重い、重い沈黙が俺にのしかかる。
 俺はかけがえのない大切な何かも失ってしまった。
 そう思った。
 取り返しのつかないことをした。
 俺を支えてくれた大切な人。
 そんな大事な存在を…… 俺は。


――やってしまった。


 もうどうしようと後の祭りだ。


「――馬鹿野郎」


 俺は……


「最低だ――」

「――はぁ」

 雲一つない春の青空。
 遠く、遠く彼方まで広がる青。
 どこかから風に乗って運ばれてきた桜の花びらが足元へ落ちる。

「はぁ……」

 空はこんなにも青く、世界は広いのに。

「何してるんだろう…… 俺は」

 手すりに手を置き、下界を見渡す。

――昼休み。

 思い悩む最低な俺を置き去りにして時間は容赦なく経過していく。
 あれから翌日、気付けば午前の授業が終わっていた。
 いつもなら千春が弁当を作ってくれて、それを教室で食べているところなのに――

――屋上。

 春の優しい風が頬をなぞる。
 片手に持つのは購買で買った一個の調理パン。
 食欲はあまりない。

 昨夜千春と喧嘩して(喧嘩と言うより俺が一方的に責め立てただけであるが)、彼女と顔を合わせられなかった。
 俺は逃げるようにして千春より早く家を出て学校へ来た。そして同じく逃げるように屋上へ駆け込んだ…… 口も利いていない。朝飯も食べていない。
 食事が喉を通るような状態でもなかった。

 大切な存在である千春からも俺は逃げた。
 そしていわれのない罵詈雑言も浴びせてしまった。
 優しい彼女だ。俺が言ったことで自分を責めてしまっているかもしれない。
 そう分かっているのに…… 俺は――

「さいて――」
「――ようっす和間!! 今日は屋上にいたのか!!」

 口癖になりつつある「最低だ」を呟いた時。
 屋上の入り口扉がギギギ…… と開いて誰かが飛び出してきた。

「君は――」
「ったく…… もう一週間以上経ったのに 君 はないだろよ和間」

 両手を腰に当て堂々と立つ男子生徒。

「――朱彦…… くん?」
「アケヒコ、でいい」

 ニヤリと笑う朱彦。
 彼は同じクラスで俺の後ろの席だった。

「おいおい…… 屋上で食うなら俺にも言えよな!」

 朱彦は前後の席順という関係もあってか何かと俺に絡んでくる。
 クラスの中でも目立つ存在で、背の高さと比例して態度もデカい。
 良く言えばムードメーカー、悪く言えばお調子者。
 そんな人間だった。
 交友関係は広いようで、既に人気者の座を確立しつつある……
 昼は一緒に食べる、そんな約束をしてもいないのに、果たして何の用だろうか。

「何か用かな?」
「お前…… ちょっとクール過ぎるぜ…… あのな、昼飯を一緒に食ってる仲だろうが!」
「――え?」
「えっ…… じゃねぇよ!」

 特にこれといった友人もいない俺は、初めから現在まで自分の席で昼食を食べていた。
 思い起こしてみると…… 確かに朱彦も友人はたくさんいるはずなのに何故か自分の席で食べていて、そして俺に絡んでいた。別に約束もしていないのに。

「ったく、酷いぜ…… それが友達にすることか!」
「――友達!?」
「それも否定する気かよ!!」
「あはっ…… はははは!」
「和間…… あんたは悪魔だ」

 友達、か。
 こんな俺を「友達」と呼んでくれた――
 あまりにも自然に言うので、かえって違和感を覚えてしまった。

 久しく感じることがなかった感情が流れて、久しく笑うことのなかった俺は笑う。



「――で、今日はどうした和間。何かあったのか?」
「いや、別に――」

 昼休み中の屋上。気付くと俺は朱彦と一緒に胡坐をかいてパンをかじっている。
 自分では何もなかったように振舞っていたつもり(他人とこれといった会話はしていないけど)だが、どうやら彼には見抜かれていたようだ……

(口に出してみるだけでも――)

 昨夜千春に言った言葉がブーメランのように返ってきて突き刺さる。

(馬鹿みたいだ)


「お前よ…… 俺が渾身のギャグをかましてもツッコミ一つ入れない、おまけに授業中教師から 話を聞いてるか? と指摘されることこれ5回! 午前中の授業だけで5回だ!」
「よく数えてたな」
「異常だ、和間。何もなかったと言う方がおかしい」
「いや、だから何もないって――」
「木ノ下さんと喧嘩でもしたか?」
「んなわけ――」
「――そういうことか」

 どうしてそれが……
 まるで誘導尋問。いや、尋問でもない…… あっけなく答えに導かれてしまった。自爆だ。

「はあ…… そういうことか」
「何で分かったんだ?」
「簡単だ…… お前はいつも木ノ下さんと話してるのに、今日は一言も言葉を交わしていない…… ちなみにこれも数えようとしてたからな」
「最後の一言はストーカーみたいだから止めてくれ」
「冗談だよ、冗談!」

 これだけ広大な学園で、俺は何の縁か千春と学科・クラスともに一緒だった。
 席は離れているが、確かにすれ違いざまや休み時間に一言二言いつも交わしていたので、そこを見抜かれたらしい。

「しょうがねぇな、俺が相談に乗ってやるよ! ほれ、話せ」
「いや、いいよ……」
「いいよじゃねぇ…… お前らが喧嘩するとこっちにも被害が及ぶんだよ!」
「被害?」
「そうだ! あのな、和間。お前は恵まれてる」
「恵まれてる?」
 
 恵まれてる…… こんな俺が?

「そうだ、和間。お前は 彼女にしたい女子 ランキングの現在学年ナンバーワンの木ノ下さんと唯一話せる男子なんだぞ!」
「そんなランキング初めて聞いたよ」
「これは凄い事だ…… 学年ごと十数はあるクラスの中で現在ナンバーワン、だぞ!」
「入学してから一週間とちょっとでよく集計できたね」
「ああ、そうだな―― いや、んなこたぁ今はどうでもいい!」

 爽快なツッコミ。平手で俺の肩をパシリと叩く朱彦。

「それで、だ! お前と木ノ下さんが喧嘩でもして戦争状態になったらどうなるか分かるか?」
「戦争って…… さあ、どうなるのさ」
「馬鹿野郎お前、架け橋 がなくなるんだよ架け橋が!」
「――架け橋?」
「そうだ! お前は木ノ下さんと会話できる…… お前は木ノ下さんと男子共を繋ぐ唯一の架け橋なんだぞ!」
「ごめん…… 意味が分からない」
「だから、つまりだな…… お前がいれば、お前を介して他の男子共も木ノ下さんと会話出来るってわけだ。だからお前がいないと男子共は木ノ下さんに話しかけられないってこった。
ま、俺は違うけどな」

 そういうこと…… 人を橋呼ばわりとは。


「だからお前が木ノ下さんと仲違いするとまずい」
「別に自分から声かければいいじゃん」
「馬鹿野郎――!!」
「――ヒエッ」
「あの神聖なる地母神キノシタにそんな…… 恐れ多いにも程がある!」
「神って……」
「ま、俺は話しかけられるけどな…… ともかく! そういうわけだ。ここは俺たちを神のお膝元まで導いてくれる天使和間の日頃の行いを労い、相談に乗ってやろうじゃないか」
「都合がいいな…… まったく」
「まあまあ、そう言わずに頼む」


 彼女にしたい女子、か。


 千春は確かに…… 頭脳明晰であるようだし、運動も出来るみたいだし、芸術方面にも秀でているようだし…… 料理も出来るし、性格も良いし、顔も、スタイルも……


「――それと、友達が困ってんのはたまんねぇしな」
「えっ――」
「ま、話したくないなら無理に言うことはねぇけどな。そーゆーの強要したくはねぇし」


 朱彦……

 そうだ…… 俺はそんな彼女に酷いことを言ってしまったんだ。


「――俺は」


 こんな俺を友達と言ってくれた朱彦。
 こんな俺を支えてくれた千春。

 やけに昼休みが長く感じるけれど、それも好都合と重い口をなんとか動かし友に打ち明けることにした――


「――なるほどな…… どうりでお前が木ノ下さんと会話できるわけだ」
「失礼な……」

 どれくらい経ったか…… 俺は朱彦に自分と千春の関係を話した。
 混乱を招かないように父さんのことやあの怪物のこと、同じ家に住んでいることなどは告げなかった。
昔からの関係…… 幼馴染というようなニュアンス、そういう体で、それを踏まえて俺が彼女に酷いことを言ってしまったと説明した。


「そうか…… 感情を制御できず口に出してしまうのは若者にはよくあることさ」
「年長者みたいに言ってるけど、俺たち同い年だから……」
「それでお前は今どう思ってる?」
「もちろん取り返しのつかない大変なことを、馬鹿をしてしまったと思ってる」
「そうだな…… それで?」
「――それで?」
「ああ。お前は自分の行いを反省できた。そして次はどうしたいんだ――?」


――どうしたい…… 次に行うべきことは…… 決まってるさ。


「――謝りたい…… 許されるものではなくても…… 千春に謝りたい」
「そうだな。ずっとお前と支え合ってきた仲みたいだからな」
「支え合ってきた?」
「そうだ。恐らく木ノ下さんも何かしらお前からの手紙を頼りにしてたんじゃないのか?」


 俺の、返事を……?


「じゃないと手紙なんてずっと続かねぇって。一方通行じゃな…… お前はどう思ってたのか知らないけどよ。お前からの返事を待ち侘びて、頼りにして、そうやって木ノ下さんも今まで生きてきたんじゃねぇのか?」
「頼りに…… 俺の返事を……」
「そうだよ…… ったく、羨ましくて絞めてやりたいぜ鈍感野郎め」


――俺の返事を…… そうなのか? 千春……


(なかなか友達ができなくて。和間くんはどうしていますか? また会いたいです)
(オレも友達いないからうまくアドバイスできないけど…… 千春なら大丈夫。勇気をふりしぼって声をかければ、千春はやさしいし、きっと向こうも喜んで友達になってくれるよ)
(この前はありがとう! 私、和間くんのおかげで友達ができました! ありがとう和間くん! 和間くんのおかげで友達ができて、毎日が楽しくて――)


――あ。


 今まで部屋を整理した時その都度…… 自暴自棄になっては何度も何度も捨てようと思った…… しかし捨てられなかった千春との文通の数々。
 それを一枚一枚呟いて確認していたあの時の俺。
 大切な記憶が…… 灰色に覆われた全体の片隅、ほんのこれっぽっちの所で鮮やかに輝く宝石のような思い出が。


――今、俺の脳裏に蘇って強く訴えかけてくる。


「謝らないと! 俺――」
「おう。覚悟が決まったみたいだな」


 そうだ。俺のしたことは許されるものじゃない…… 許してもらえるかは分からないけど、でも人間として…… 謝らないと! そして支えてくれている彼女へ感謝の気持ちも伝えるんだ!


「ここぞという時に決めてやるのが男だ。頑張れよ? お前の為、木ノ下さんの為、そして俺達男子の為にもな」
「最後の一言は余計だ」
「冗談だよ、冗談――」


 そうやって朱彦は「ハハハッ!」と爽快に笑ってからパンをかじる。
 俺もつられてむしゃりとかぶりついた。
 彼のおかげで、今になって食欲も沸いてきた。


「――そういえば、さ…… 朱彦…… くん」
「だから朱彦でいいって」
「朱、彦……」
「何だ? まだ何か相談事か? 高くつくぜ?」
「いや、何でもない」
「あー…… 冗談だ冗談。いいよ言ってみろ」
「あのさ――」

 心を許し合えるような人が出来て、この機に尋ねておきたい事が一つ浮かんだ。


「もし目の前にデカい壁があって、それに立ち向かわなければならなくて…… そしたら、朱彦だったらどうする?」


 自分から、他人から、大切な人たちから逃げてきた自分。
 そんな状態で、真実という名の壁が新たに現れて行く手を阻む。
 俺とは正反対な彼、朱彦ならどうするのか…… それを聞いてみたかった。


「――もう答えは出てるじゃねぇか」
「えっ!?」
「立ち向かわなければならない…… 答えは出てるだろ」
「あっ――」


 朱彦はニッと笑う。
 その顔はとても明るくて、輝いていて…… 導いてくれるような気がした。


「――ま、でも逃げてもいいんじゃないか?」
「逃げてもいいのかな」
「ああ。俺はそう思ってる…… 道は一つじゃない」

 そして「まあ…… たかが一高校生が言える立場じゃないけどな」と付け加えて朱彦は語っていく。

「――ダメだと思ったら、別に逃げたっていいんだ。俺の人生だしな」
「でも…… 逃げ続けるのも」

 逃げ続ける…… まさに今の俺だ。

「そうだな。別に逃げたっていい…… だが、逃げちゃいけない道もある」
「逃げてはいけない道?」
「そうだ。それは 自分自身で決めた道 だ」
「自分が決めた道……」
「ああ。もしもの話…… だけどよ。お前がそれまで散々な目に遭って、時に躓いて、時に逃げていたとする……
だけど、 これしかない! これをやりたい! そういう道をようやく見つけたとして……
そしてお前はその道を駆け抜けた。駆け抜けて遂に達成まであと一歩だ!
その地点にお前は着いた。だが――」
「――だが?」
「あと一歩のところで…… ゲームで言うならラスボス直前だ! そこでラスボスという名のデカい壁が現れたら…… さあ、和間はどうする――?」

 ラスボス…… そんなの決まってる。

「ラスボスに挑む」
「そういうことだ――」
「――あ」

 度肝を抜かれた…… 言葉で表すならばそんな状態だった。
 当たり前のことなのに、それでも俺は――

「ま、大抵はラスボスに辿り着くまでに終わっちゃうのが人生ってやつだけどな」
「朱彦…… ほんとに高校生か?」
「失礼な! 俺は老けてない!」
「いや…… そういうことじゃなくてさ」
「うむ…… まあ、ラスボスを見つけるのが人生の楽しみでもあるんじゃねぇの?」
「ラスボスを見つける……?」
「そうそう。それを見つける為なら、それまでは逃げたって、回り道したって別にいいんだ。
ただ、そいつが見つかったら立ち向かわないとな。目の前にはゴールがあるんだ」
「ゴール……」
「そのゴールからまた話が始まるのかもしれないが…… まあ、お前は立ち向かうべきボスがいるってことだろ?
それじゃもう答えは出てるじゃねぇか――」


 そう言って朱彦は笑う。
 優しく、諭すように包み込む笑みだった。


「――そうか…… そうだな。ありがとう」
「いいってことよ。あ、お礼として木ノ下さんのメルアドくれよ」
「ダメだ」
「酷い奴だ! それじゃ購買のパンな!」
「それなら…… わかった」
「決まりな! あ、お前もしかしてメルアド知らないのか?」
「し、知ってるよ」
「あちゃー…… 頑張ってくれ! お前は架け橋なんだ!」
「うるせっ! 人を橋呼ばわりしやがって!」
「痛っ! やるじゃねぇか! 冗談だって冗談!」


 ああ…… 楽しいってこういうことだったんだな。
 初めて手にしたかもしれないこの感情。
 それがこんなに嬉しく、大切に思えるものだなんて。


「――おっと! 昼休みも終わりか…… 和間のせいで全然食えなかったぞ!」
「ちょっ……! 相談に乗ってくれるって言ったのはそっちじゃないか!」


 そんなところで予鈴が鳴って、それは学園中に響き渡る。
 次はホームルームでの授業だったからまだそこまで急ぐ必要はないけど、すっくと立ち上がって屋上を後にする。


 屋上を出て、急いでパンを放り込む朱彦を横目に屋上扉の鍵を閉めた。


「――ところでよ、和間お前その鍵どこで手に入れたんだ? 教師から借りるにも許してくれるはずがないし。屋上が開いててビックリしたぜ」
「鍵は…… ここに入ってた」
「おいおい…… 嘘だろ? よし! でかした和間! 今度から俺たちの秘密基地にしよう」
「小学生じゃあるまいし――」


 ガチャンと扉の施錠を済ませる。
 そして壁に接する形で扉の横に置かれた学習机(教室にあるようなものと同一の型)の収納スペースに鍵をそっと入れた。
 最初に俺が屋上へ出ようとした時、もちろん扉には施錠がされていた。
 諦めて引き返そうとしたが、まさかとは思ってこの机のスペースを覗いたところ、煌くこれを見つけたのだった。
 学園側がこんなずさんな管理をするわけがないので、恐らく悪知恵を働かせた過去の生徒か在校生の誰かが造った合鍵だろう。


「――そういえば和間」
「どうした?」


 ホームルームへ戻る最中、歩きながら朱彦はふと呟く。
 パンはいつの間にたいらげたみたいだ。


「なんか俺たち高校生を狙った悪質宗教団体が勧誘してるみたいだぜ」
「何だよ急に…… うん。先生言ってたね…… まだ環境に慣れない一年を標的にしてるとか」
「ああ…… それで噂なんだが、そいつらは修道服? を身に纏ってて、勧誘に付いてくとなんでも町はずれの不気味な廃墟の教会に案内されるらしいぞ」
「廃墟?」
「そうそう…… お前はここが地元じゃないし知らんと思うが、その廃墟はここら辺や市内、ひいては県内の奴らの間じゃ有名な心霊スポットだ」
「心霊スポットねぇ…… まだ夏じゃないけど」
「まぁそう言うなって。 怖い話は女の子と親密になれる鉄板ネタだ」
「――それで?」
「和間、俺とお前、そして木ノ下さんを誘って突撃するぞ!」
「直前の発言で下心が見え見えだ。ダメ」
「ちぇー和間のけちんぼ」
「なんかむかつく」


 やがてホームルームに辿り着き、着席する。
 俺と朱彦は前後の席だから、そんなどうでもいいやりとりが尾を引いて授業が始まるまで交わしていた。
 以前までの俺なら、こんなことを話合える友達なんていなかった。


(恵まれてる)


 もし朱彦が屋上に来てくれなかったら…… 俺は決意もままならぬ状態で、そして自分の人生からも逃げ出していたかもしれない。決して大袈裟な表現ではなく起こり得ることだったと思う。


(後で朱彦にも感謝の言葉を――)


 伝えないと。
そう…… 俺は恵まれている。
 大切な友が出来て…… そして。


(――千春)


 これまで、そして今も俺を支えてくれている大切な、大切な存在。
 神様が与えてくれた奇跡という名の恵み。奇跡という名の存在。
 友と、そして千春と、授かったその奇跡を…… 恵みを与えてもらった者として勝手にそれを放り投げてはいけない。何より俺はそんなことを望まない。
 誰に言われるでもなく、これは俺の決断だ。


(自分自身で決めた道だ)
(お前はお前の道を行け)


 朱彦、父さん。

 俺は俺の道…… それがまだ何か分からないけど、でも、やるべきことは分かる。


 行くよ、みんな――


――終わった!


 終業を告げる予鈴が鳴って今日の日程もいつも通り終了となる。
 午後からはやけに時間が長く感じたが、今となってはどうでもいい。
 これからの決戦(そんな大それたものじゃないけど)の作戦を練り、遂に実行の時がやってきた。

 謝罪…… という名の決戦である。
 午後の授業中はどうやって千春を呼び出し、また謝罪するかの作戦を思案していた。
 正直言って授業の内容はまったく頭に入らなかった。
 学生の身でこんなことを言ってはいけないが、今は授業などどうでも良かったのだ。
 別に家に帰ればまた会えるのだしこんな念入りに考えを巡らせなくてもよかったのだが、思い立ったがなんとやらで、いち早く学校で済ませ楽になりたかった。

 放課後になりぞろぞろと教室を出て行くクラスメートたち。
 千春を探す。
 気まずいけど自分がしてしまったことだ。
 ちゃんと気持ちを伝えないと……


(――千春!)


 廊下側、前列の席で友達と談笑している。
 友達には悪いけど、今しかない。


(男だろ…… 決意したんだろ?)


 自分に強く言い聞かせる。
 覚悟を決めたんだ。

 席を立つ。
 ゆっくりと一歩を踏み出し――


「ちは――」
「――和間、掃除行くぞー」


(しまった――!)


 くそ……! 盲点だった!
 マンモス校のくせに清掃は業者任せじゃなく基本的には生徒がやるんだった!


「――そんな」
「ん? どうした和間」
「朱彦、今日だけ掃除サボっていいかな」
「高くつくぜ」
「朱彦! 架け橋が崩れてもいいのか!?」
「そういうことか…… だがな、冷静になれ和間」


 俺の言動と態度からこれから何をするのか察したらしい朱彦。


「掃除の時間だ。もちろん木ノ下さんも掃除に向かうだろう。今は好機じゃない…… 掃除が終わったら決戦だ、いいな? 現在木ノ下さんたちの班は確か教職員・来賓者用の玄関が担当だったな。距離的にここからは遠い。
対する俺たちはこの階のトイレとその周辺だ。
つまり俺たちの方がここに戻って来るのが早い。さっさと終わらせて教室で待ち伏せし、後はお前の頑張り次第だ…… さあ、いち早く掃除を終わらせるぞ!」


 そうだ…… 目先の事に囚われて冷静さを失っていた。
 まずは掃除をクリアすることが先だ。


「――よし! 行こう朱彦!」
「おうよ!」


「――くそ! やられた!」
「まさかこんな時に限って――」


 廊下を駆け抜け、教室に飛び込む。


「――すまねぇ…… 和間」
「しょうがない…… 次のチャンスにかけよう」


 くそ…… どうしてこういう時に限って!


 心の内で何度も悪態をつく。
 教室には放課後のおしゃべりに耽る男女グループしかいない。
 そこに千春はいなかった。
 
 俺と朱彦ら掃除班はスピーディかつ丁寧に掃除をしたつもりだった…… いや、そうしていた。
 朱彦の激励(架け橋が崩れる危機が云々という大仰なもの)によって鼓舞された同じ班の男子生徒も協力に応じてくれていつもより早く掃除は終わったのだ。
 そしていつも通り担当の教師が進捗具合を確認しにやって来た。


(どうして…… こういう時に限って……)


 掃除はそこで終わるはずだった。
 しかしそんな俺達の鬼気迫るほどの集中具合を何か勘違いした教師が恐るべき一言を放った。


「――今日はなんか気合入ってるなー。いいねぇ、それじゃまだ時間あるし細かいとこやるか!」


 してやられた。
 まさにそんな状況だった。俺たちの熱意を上手く利用されてしまったのである。
 想定外の出来事だった。
 そうして掃除の時間が長引いてしまったのだ。
 しばらくはあの教師に何度も呪いの言葉を浴びせ続けることだろう…… 心の中で。


「もう帰ったみたいだな」
「そうだね……」


 千春の机を見ると、もうそこにはスクールバッグなど何もない。椅子も綺麗に机の内側にしまってある。帰宅してしまったということが一目瞭然だ。


「木ノ下さんは部活とかに入ってるのか?」
「いや…… 今のところ何にも入ってないと思う」


 学校で謝罪するチャンスは逃してしまった。
 となれば……


「それじゃまた明日、だな」
「そうだね…… 俺たちも帰ろう」


 男子の恨みを一斉に受ける可能性があるので誰にも言っていないが、千春と同じ屋敷に住んでいるわけで、まだ帰宅してから謝罪するチャンスが残っている。
 恐らく千春は帰宅したらいつも通り夕飯の準備をしているだろう。
 チャンスはその時だ……
 二人きりの時に済ませてしまわないと。おじさんが帰ってきて見られたら気まずいし。

 あれこれとくだらない雑談をしながら俺と朱彦は昇降口、下駄箱に向かいやがて校内を後にする。
 校門で別れて、俺たちはそれぞれ家路に就いた。



「――おかしい」

 俺一人だけの閑散としたリビング。
 そう、俺一人「だけ」なのだ。

「もう18時を過ぎてるのに……」

 いつもならとっくに夕飯の準備にとりかかっている時間なはずだ。
 

 あれから真っ直ぐ帰宅してきた俺。
 最初の異変は屋敷に鍵がかかっていたこと…… いや、施錠されているのは当たり前だが、問題はそこじゃない。
 千春が先に帰ってきていれば玄関は開いているか、また、呼び鈴を鳴らせば開けてくれるという状態なはず。
 しかし鍵はかかっていて、呼び鈴に誰も反応しない。つまり無人だったのだ。
 なので仕方なく、合鍵で玄関扉の施錠を解いて中に入った。

 二つ目の異変は千春から何も連絡がないということ。

 ここまでならまだ、千春は「放課後に友達と遊んでいる」とか、「夕飯の買出しに出ている」とかで真っ直ぐ帰って来なかった、寄り道しているという結論に落ち着く。
 しかし現在は18時を回り19時に向かっている。
 都会の人間なら「まだまだ夜はこれからだぜー」とか言う状態かもしれないが、ここは市の郊外地区で田舎町。田舎の夜は早い。遊びに行くとなれば恐らく市の中心。歩いて行くのも不可能ではないが現実的ではない。時間がかかりすぎる…… よって電車か何かを使う。
 そうなれば「遅くなるから夕飯は~」などと連絡を入れるはず。
 内戦状態とはいえ(俺が全面的に悪いのだが)、いくらなんでも連絡の一つは寄越すだろう。


「くそ…… なんで未だにメルアド聞いてなかったんだろう」

 それが悔やまれる。携帯電話の電話番号はお互いに知っているものの、千春のメールアドレスは知らなかった。

 電話もかかって来ないし…… 本格的に心配してきた。
 反抗期の娘ならまだしも、千春はそんな人間じゃない…… 何かあったのかもしれない。


(――いや、待てよ)


 俺とは内戦状態だ…… ということはあっちも話しかけづらいし、おじさんの方に連絡を入れているかもしれない。おじさんは屋敷にいないようだから、まだ研究室かどこか外に出ているということだろう。


「おじさんに連絡してみるか――」


 おじさんの携帯電話の電話番号も教えてもらっていたから、仕事中だったら申し訳ないけど電話をかけてみることにする……
 携帯をポケットから取り出してさっそく電話をかけた。


――でも、千春がおじさんに連絡を入れていたなら、俺の方におじさんから連絡が入るはず。

 いや、仕事が忙しくて忘れていた可能性もあるし。
 というか、そうであってくれ――


「――あ、お仕事中すみません…… 和間です」


 奇跡的に数回の呼び出しでおじさんは出た。
 千春からそういった連絡が入っているかを単刀直入に聞く。


「え…… 本当ですか?」


 しかし、結果は――


「分かりました。千春に電話してみます…… はい、はい…… 分かりました。ありがとうございます。失礼します」

 否、だった。

 おじさんの方にも何も連絡は入っていないらしい。
 嫌な予感がひしひしとやってくる。
 ただの余計な危惧であって欲しい……

 おじさんの方は「もし電話して反応がなく、少し経っても折り返しの電話がなかったらまた私に連絡してくれ。私からも連絡を入れてみるよ」ということだった。

 その助言に従い千春に電話をかける。
 もう喧嘩してるからとか、そんな悠長なことを言っている場合じゃない。

「――出てくれ…… 千春」


――プルルル。


 無機質な呼び出し音が続く。
 もう五回は回った。
 一向に出る気配がない……

 七回。
 八回。
 九回。


――十回。


「――くそ…… ダメか」

 そろそろ「おかけになった~」というアナウンスが入りそうな頃合であった。

「――くん?」

 そんなタイミングで。

「千春っ!」


――出た! 良かった……


「千春、どこにいるんだ!?」
「――て」
「何だ!? 聞こえないよ千春」

 電波が遠いのか、ノイズでぶつ切りになった千春の声を聞き取れない。

「――けて」
「何!? ごめん良く聞こえないよ!」

 ザザザザ…… というノイズが邪魔でまったく聞き取れない!

「どこにいるの千春!」

 こっちも思わず叫んでしまう。

「千春!?」

 すると今度は数秒間の沈黙。
 依然として耳をかき回す雑音。


「和間くん!」


――雑音を強行突破した千春の叫びが飛び込んできた。


「千春! どうしたの!?」


 しかしまた雑音が――


「――和間くん助けて!」
「千春っ!?」


 助けて。
 確かに千春はそう叫んだ。
 俺の耳は確かにそう捕らえた。


 どういうことだ!
 助けてって…… 大変だ!!


「千春!? どこにいるの!」
「――にいるの! 助けて!」
「どこだって!? 聞こえない!!」
「教会の廃墟―― きゃっ――!!」
「――千春!!」


――ブツリ。


 千春の悲鳴と共にあちらから電話が切られた。


「そんな…… 大変だ」


 千春が…… 千春が。
 まだ謝ってもいないのに。

 頭は真っ白で、思考は止まる。
 何が起こっているんだ? 俺はどうすれば? 千春を助けないと!
 どうすればどうすればどうすればどうすれば!!


「――教会…… 廃墟……」


(――高校生を狙った悪質宗教団体が勧誘してるみたいだぜ)


 もしかして!


(――町はずれの不気味な廃墟の教会に案内されるらしいぞ)


 そうだ!
 朱彦が言っていたその場所…… 俺は確かに千春の言葉を聞き取った。
 教会、廃墟…… そのワードが出た!
 ならばそこにいるに違いない…… だけど俺は――!


「どこだ……!! 分からない!!」


 行き先は分かっても、場所が……
 とにかく急がないと!!


「――どうすれば」


 だけどどうする? 警察を呼ぶか…… いや。


「まずはおじさんに連絡しないと!!」


 混乱する脳内。
 ぐちゃぐちゃになって様々な単語が浮かんでは消え浮かんでは消える。
 とりあえずのところで導き出したのがその選択だった――


「――恐らくここで合っているだろう!」
「はい……!!」

 田舎道を車でひたすら山間に沿って行くことおよそ30分。
 周囲一帯を鬱蒼とした雑木林に覆われた道を行くと、その先にあるのは不気味な廃墟。
 正門は障害物や有刺鉄線で塞がれているが、ある一箇所は強引に破壊されたと思われる状態のスペースが空いているのが分かった。

――あれから俺はおじさんに連絡を入れた。

「すぐ迎えに行くから家で待っていてくれ!」

 とのことであったので、おじさんの到着をひたすら待った。
 数分経っておじさんが家に来て、おじさんの車に乗り千春がいると思われる教会跡へ向かった。
 どうやら朱彦が言っていたような噂がおじさんの耳にも入っていたらしく、「教会の廃墟と言えばあそこしかない」ということで迷うことなく辿り着くことができた。
 道中でおじさんは警察に通報し、「一刻も早く突入したい気持ちもやまやまだが彼らを待とう」という方針に至ったのだった。

「――駐在さんが来てくれた」
「良かった――」

 教会跡…… とは言うが、その建物はしっかりと取り壊されることなくそのまま残っていた。
 ただ噂は本当だったらしく、柵や建物自体に所々スプレー缶で落書きされている。
 そして一部は何者かによって破壊されていた。
 恐らく「心霊スポット」に肝試しに来た者がはしゃぎ回って好き勝手に荒らしていったのだろう。

 そうやって辺りを見回し、気持ちを落ち着けていたところで周辺の駐在所のものと思われるミニパトがやって来た。
 通報を受け近くにいる駐在所の警察官がいち早く来てくれたのだろう。
 まだ油断は出来ないが心強い存在が到着し一息つく。そして車を降りた。

 やがて警察官はおじさんと一言二言交わした後に破壊され空いたスペースから教会の敷地内へ進入していく。

「危険なのでここにいて下さい」

 警察官はそう言って入り口の扉へ向かって行った。

(千春…… 無事でいてくれ)

 中に入りたい。
 しかし警察官からの警告があって、そして「危険」の二文字が脳内でうごめき足がすくむ。

(くそ…… どうしてこんなことに!)

 まだ仲直りもしてない。想いを伝えられていない。

 警察官は大きな木製の入り口扉を押し開けた。
 施錠はされていない…… ということは…… 

(ここからじゃ中は見えない!)

 早く千春の安否を確認したいという一心。しかし恐怖が体を支配する。


 その時、警察官の叫びが響いて来た。

 教会内で木霊したそれはこもっていて、何かを「叫んだ」ということしか分からない。


「――千春!!」
「和間くん! 危険だ――!!」

 おじさんの制止を振り切って敷地に進入、入り口へ向かう。

 もう待てなかった。
 危ないのは分かっている。だが早く千春の顔が見たかった。
 心臓は早鐘を打ち、嫌な汗がじっとりと全身を覆う。
 足は振るえ、手も振るえ、呼吸さえも震える。
 早足が次第に駆け足へ変わり……

 遂に入り口は目の前だ。
 開いたままの入り口扉。しかし中は異様に暗く、警察官の姿さえ確認できなかった。

「――千春!!」


 今、教会内部へ入った。


――暗い。
 

当たり前かもしれないが、中には照明一つなかった。
日が暮れて夜に向かう外界。そんな状態であるから内部は一層暗くすぐそこまでしか視認できなかった。
 突入したはずの警察官はどこへ行ったのか。その姿も確認できない。

「千春!!」

 もう一度叫ぶ。

 お願いだ。俺が全て悪いんだ。
 謝りたい。感謝の気持ちを伝えたい。
 千春のおかげなんだ! 全部、全部お前のおかげだ!
 ここまで生きてこれたのも、何もかも!

 だから……!!


「――和間くん!?」


――聞こえた。


 大切な人、俺の全て!!

 彼女の…… 千春の声が!!


「千春!! いるのか!! どこだ――!!」
「ここだよ和間くん!!」


 ようやく視界は暗闇に若干慣れてきた。


――奥だ!!


 真っ直ぐ続く身廊。
 それを突っ切った最深部。
 そこに存在する祭壇……


――祭壇の上に千春はいた。


「和間くんごめんね…… 助けて……!」
「千春! 今行くよ!!」


 なんてことか……
 仰向けの千春。恐らく何者かに拘束されて身動きが取れないようだ。
 誰がこんなことを!!


「今行くよ! 千春!」

 身廊を駆け抜ける。
 暗くて足元がおぼつかないが知ったこっちゃない。

「千春――!!」

 その名を叫ぶ。

「――和間くん!!」

 祭壇はもうすぐそこだ。

「大丈夫か千春!!」


「――危ない!!」


 危ない……!?
 それは――

――衝撃。

 それが起こったと確認できたのはだいぶ後になってからだった。

「――これはいけませんねぇ」

 気付くと俺は床に仰向けになっていた。
 倒された、突き飛ばされたんだ!
 だが…… 一体誰にっ!?

「痛っ……」

 遅れてやってくる痛み。
 背中、そして頭も打ったらしい。
 くらくらと脳震盪の状態に陥り、視界が揺らめき音は遠のく。


 誰だ…… 一体何が起こって――

「ミイラ取りがなんとか…… とはこのことでしょうねぇ」

 ようやく意識が明瞭になって元に戻る。

「あなたもわざわざご苦労様ですねぇ」

 軋む体を無理やり起き上がらせる。
 
「――あんたは…… 一体誰だ!!」

 あともう少しで千春に到達できた。
 あと一歩のところで、俺は何者かに阻まれたのだ。
 立ち上がった俺の目の前にいたのは、礼服を上下に纏った男。
 いつの間に現れ俺を突き飛ばしたのかまるで分からない。

 そして同じくいつの間に…… 教会内が明かりで照らされていた。
 廃墟であるはずなのに…… 蝋燭が各所に設置されていて、俺が倒れていた間に火が灯されていたのだ。

――今になってはっきりと教会内の状態が確認できる。

「――これは…… 一体」
「ようこそ。憐れな子羊くん」

 そう答える男。
 蝋燭の火に照らされながら不気味に笑う。
 漆黒の髪、血のような色をした瞳、鋭く狡猾そうな気色悪い視線。

「これを御覧なさい!!」
「――あんたは……」

 両手を広げ甲高い声で叫ぶ男。
 動きにつられ、俺は周囲を見渡す。

「――なんだよ…… これは!!」

 異常、異様、とち狂った光景。
 もはや現実のものとは思えない。

――段々と並び続く礼拝者用の長椅子。そこに座り込んで俯く何人もの人たち。

「なんだよ…… これは……」

 機械的に、それしか言葉にできない。
 気絶しているのか、その人たちは身動き一つしない。
 まさか死んでしまったのか……!?

「あんたが…… これをやったのか」
「そうですよ。私の大事な エサ です」
「エサ…… だって!?」
「はい。エサです。エサが増えて嬉しいですね。ほら――」

 礼服姿の男は一点を指差す。

「――お巡りさんが」

 それを辿っていくと、そこには駆けつけてくれた警察官が。
 他の者と同じように長いすに俯いて座っている……


「――そしてあの娘もエサです。いやぁ、うまそうだなぁ」


 そして千春の方へ振り向く男。


「ふざけるな!! こんなことして…… 狂ってる!!」
「狂ってる……? はあ、よく分かりませんね」
「ふざけるな!!」


 とぼけた顔をするふざけた男は、ニヤリと笑って言い放つ。


「鬼が人間を食うのは当たり前のことじゃないですかぁ――」

「――お、に…… だと」


 記憶は巡る。
 研究室の怪物、父さんの真実、俺の家系。そして――


――鬼の生き残り、残党…… 現在も続く鬼との戦い。


「これが――」

「どれから食べようかなぁ…… あの娘は一番美味そうだから最後にしましょう」

「――鬼なのか」

「まずは君から食うとしましょう――!!」


「――ン……!! アアア……」
「君からいただきましょう!!」

 一瞬。ほんの一瞬だった。
 目の前から男は一瞬で姿を消し、それが確認できた時にはもう何もかも遅かった。

「や、め、ろ……!!」
「やめるはずがないじゃないですか!!」

 一瞬で俺は地に組み伏される。
 そして力強く両手で首を絞められた。
 目の前には醜悪な男の顔。

「苦しみで顔を歪ませる人間の顔が私は好きなんですよねぇ!!」

 まるで人間など指一本で容易く殺せるとでも言うかのような……
 あえていたぶり殺しているというような狂気じみた口ぶり。

「やめろ……!!」

 異常なほどの怪力。振り解こうともがくが、かえって体力を消耗するだけだった。

(もう駄目なのか……?)

 鬼。
 本当はそんな存在、受け入れたくなかった。
 あの話が単なる冗談ならいいのにと何度思ったことか。

 でもそれは紛う事なき真実だったんだ。

(どうして…… こんなことに)

 どうして俺が、俺ばかりこんな目に遭わなければならないんだ。

 もう…… 駄目だ。

 視界は霞む。
 音も遠くなる。
 目の前の汚い笑みはもう見えない。
 視界は真っ白になっていき、次に暗くなる。

(死んだらどうなるんだろう)

 俺はただ普通に、平和に生きたかっただけなんだ。
 自分の弱さを克服し、友達に囲まれ、青春の日々を過ごし、そして大切な人と――

 そんな、どこにでもいる一高校生の生活を送りたかったんだ。

(何も見えない。何も聞こえない)

 真っ暗。
 ああ、俺は遂に死んだのか。

 千春、本当にごめんなさい。
 俺は君のおかげで生きてこれた。
 なのに大切な君を傷つけた。
 謝りたかった。
 そして仲直りして、「ありがとう」と精一杯の感謝を伝えたかった。

 千春…… 千春……

 せめて千春を逃がしてやれたら。
 千春を守って死にたかった……

 千春、父さん…… ごめんなさい。


「――和間」
「父さん!?」


 暗い、暗い空間が眩い光に包まれ――


「ここは……?」


 いっぱいの青空。
 雲は一つもない。どこまでも続く青空。彼方まで、見える限りどこまでも…… 何もない空間。
 足元を見ると冠水している。それはさながらどこかの塩湖のようで、鏡面のように空の風景そのままを映していた。
 これじゃどっちが空でどっちが地面か分からない。


――絶景。ここが極楽浄土と言われても否定は出来ない、そんな空間。



「――和間」
「父さん…… ここは」


 目の前には父さんがいた。


「父さん、ごめんなさい。俺は俺の道を行けなかった」


 大切な人も守れなかった。


「――いや、まだ終わっていない」


 どういうことだ?


「俺は死んだ―― ここは死後の世界ってやつでしょ?」
「――違う」


 違う? ならここは……


「和間、お前はまだ終わってはいない」
「父さん…… 俺は」


 どうすればいいんだ……


「どうしたい? 和間」
「俺は――」


(――もう答えは出てるじゃねぇか。)


 そうだな…… 朱彦。


「父さん、俺は――」


――俺は!!


「俺は父さんじゃない。だから父さんの様にはなれない。
俺は俺だ。誰かのものじゃない……
父さんが父さんの道を行ったように。
俺は俺の道を行くよ、父さん。
もう逃げない。壁は見つかった!
後はその壁を越えるだけ…… そうだろ? 父さん」



 今まで…… 自分からこんな主張ができた時があっただろうか。
 自然と「覚悟」が口をついて出た。


「そうだな――」


 父さんは笑う。
 ああ…… いつか見た父さんだ。いつも通りの父さんだ。
 俺が好きだった、あの笑顔だ。


「――和間」


 父さんは胸元を指差す。


「叫べ、お前の覚悟を――」


 ペンダント。
 五角形のペンダント…… まるでそれは闇をかき消す光。


「お前の覚悟は五行の理。
それが指し示すのは 土 の力。
土は全ての生命を育み、広大な大地へ変える。
土は始まり。
全ての力、その和を取り持ち、新たな力を誕生させる。
その力は 宇宙 だ――」


 俺の覚悟。


「言葉はやがて力となってお前を守る」


 俺は俺の道を行く。


「叫べ、和間――!!」


 父さん、行くよ――


 覚悟を…… 言葉に!!


「「――合体変身!!」」


 煌くペンダント。
 
 その光明は空を覆い尽くし、全てを照らす。

 光の世界。
 やがてそれはより一層強い輝きを放って――



「――合体変身!!」
「何だっ!? 眩し――」


 まだだ! ここで終わってたまるか!

 ペンダントが放つ閃光が男の目をくらまし、俺の首を絞める手は離された。
 その機に乗じて立ち上がる。

「――これはっ!」


(――土 の力だ)
(父さん!!)


 脳裏で、胸の中で父さんの声が響く。
 閃光が止んで、不思議な力が俺を満たす。
 そして瞬時に「戦う」イメージが俺を支配した。

 言葉では表せない、第六感的感覚。
鬼を殺す。
その為の戦い方、イメージが俺を突き動かす。
 

「――うおおおおおおお!!!!」


 体が動く――!!


「グハッッ!!」


 ――渾身の回し蹴り。

 
 両手で目を覆う男のみぞおちへ。


「次は――!!」


 数メートル先へ吹き飛んだ男への追撃。


「拳、だ!!」


 右ストレート、返しの左フック。流れに任せ、腰の回転で右ボディ、左ボディ。
 体がくの字に曲がったところを右のフックで顎を打ち抜く。

 そして――


「――終わりだ!!」


 右フックで傾いた体を引き起こし、そしてもう一度「決め」の右ストレート。
 圧倒的威力。
 今まで格闘技など習ったこともない。
 しかし「イメージ」が俺を突き動かし、戦わせる。

「――そんな……」

 馬鹿な。
 鬼の男は祭壇の前まで吹き飛び、倒れ伏した。


「――これが」


 五行の理その一つ、「土」の力…… それを発現する「土の鍵」であるペンダント。

 そして。


「俺が、鬼と戦う戦士――」


(――選ばれた者にのみ宿る力)

 ふと体を見回す。

(制服を着てたのに……)

 あの光に包まれて「合体変身」した時から変わったのか?


(それが、戦士になったお前の姿だ)
(――父さん)


 制服を着ていたはずなのに、今の俺は鬼の男のように礼服を纏っていた。
 裾が長い、いわゆる燕尾服。
 高級そうな革靴、真白な礼装用手袋とシャツ、黒のベスト。
 「琥珀色」のネクタイ。

「琥珀色――」


(五行の理、土が示す色は黄色だ)


 戦士…… 俺は「土」の戦士になったのか――?


「――和間くん!!」
「千春!!」


 うつ伏せで倒れる男は声一つ上げない。
 やったのか?
 千春が俺の名を呼ぶ。
 急いで祭壇へ向かい、拘束を解いた。

「――千春!!」
「和間くん……!!」


 祭壇を降りた千春を俺は抱きとめる。


「千春、ごめん――」
「ありがとう…… ごめんね……」
「俺が全部悪いんだ…… 千春はこんな俺を支えてくれたのに」
「私も…… 秘密にしててごめんね……」
「酷いこと言って、本当にごめん」
「ううん…… もういいの――」
「本当に、本当にありがとう。千春のおかげで俺は今まで生きてこれたんだ」
「私だって――! ありがとう、和間くん」

 震える体…… 俺の胸にそっと体を預ける千春。
 儚く脆い体を今一度優しく包む。


――やっと伝えられた。


「――家に帰ろう、千春」
「うん――」

 終わった。
 後はここの人たちだ。
 警察の応援が来るはずだ。後はその人たちに任せよう……
 俺にはこれ以上どうにもできない。


「さあ、行こ――」
「――まだだあああああああああああああああ」


――背後。すぐ後ろから上がった咆哮。


「なんだと……!!」


 倒したはずの男がそのまま転がり、立ち上がり、数メートル後ろへ飛び退いた。


「――人間め…… 人間の分際でぇ!!」


(和間!! 来るぞ!!)


「そんな……!! 千春下がって!!」


 男の体が異様にうごめく。


――ゴキ、バキ!!


 骨が粉々に折れたかのようなすさまじい音が発せられ、どんどん形を変えていく。


 そして。


「――地獄の苦しみを与えてから食い殺す!!」
「こ、これが――」


 やがて青い炎に包まれながら姿を現した怪物。


「死ねぇぇぇぇぇぇ!!!!」

「――本当の鬼の姿ッ!!」


 額から生える一本の鋭利な角。
 2メートルは越そうかという大柄な体躯。
 鎧のような外殻に包まれた肉体。
 獰猛な肉食獣のように並び生やした牙と裂けるほどに大きな口。


――これが、鬼の真の姿!


「死ねええええええええ!!」
「――早っ!?」


 その姿を完全に捉えるより早く僅か数歩で一気に距離を詰め襲い掛かる怪物。


「――グ!!」
「和間くん!!」


 巨体から繰り出される質量を無視した高速の蹴り。
 顔面へ繰り出されたそれを片手でガードする。いわゆるボクシング等格闘技の防御の動きと同様だ。


「ふんっ――!!」


 一撃を防いで、しかし瞬時に二撃目が飛んでくる。
 鍵の力による「イメージ」で攻撃の軌道を捉えて対処することは出来る。しかし――


「死ね! 死ね! 死ね!」


 今度は拳の弾丸。
 それはまるで稲妻だ。
 軌道を読めたところでしかし…… 回避ないし防御行動で手一杯だ。
 ダッキング、スウェーを用いて拳の嵐を掻い潜る。
 そして回避しきれないものは防御……


「ングッ――!!」


 体が付いてこない――!!


 イメージにより自然に対処はできるが、次第に体力が削がれて鈍くなり、集中力も散漫になっていって防御の手が緩くなる。
 重い一撃。ミシミシと悲鳴を上げる腕。
 わずか数メートル後ろには千春がいる…… 向きを変えるわけにはいかない!


「もらったぁ――!」


――ドスン。


 ビキビキ……!!


 重い衝撃。軋むみぞおち。


「――カッ……ハ」


 顔面めがけて集中していた拳の雨。
 しかし突如ボディを目掛けた一発が俺を襲った。
 上体に集中していて対応が遅れる。散漫になった集中力も相まってもろに一撃を貰ってしまった。一発が来るのはわかった…… しかし反応が遅れてしまった!

 重い、重い一撃。
 みぞおちにめり込む鬼の拳。
 衝撃で俺の体は上へ跳ね上がる。


「――和間くん!!」


 響き渡る千春の悲鳴。
 思考が遠のき、視界は霞む。
 息が止まって、苦しさに体を曲げて膝から崩れ落ちた……


「ハァ…… ハァ」


 息が……!! 苦しい!!

 肩で必死に呼吸するが、苦しさでうまく酸素が取り込めない。


「さて…… 終わりだ」


 無慈悲な宣告。
 崩れ落ちる俺の首を掴む鬼の手。
 怪力でそこを絞め上げながら俺の体を悠々と持ち上げる。


「アア……!!」
「どうやら貴様、普通の人間ではないな?」


 やがて宙に浮かされた……
 本能で拘束から逃れようと必死にもがくが、それはかえって自身の体力を無駄に削ってしまう……


「答えろ人間。もしや貴様、鍵 の保持者か?」
「うる…… さい!」


 絞め上げる力はある一定のところでキープされている。
 しかし呼吸は依然として浅く、苦しい。


「そうか…… ならば死ね」
「――アアァァ……!!」

 言葉にならない、声にならない弱々しい呻きが漏れる。
 そして絞める力は最大値へ向かっていく……


「貴様を殺して鍵も頂くとしよう!」


 グググググ……!!

 怪物の力が最大になって、遂に首がミシミシと悲鳴を上げ始めた。
 鍵の力で肉体も強化されているのかは分からない…… いや、恐らくそういうことなのだろう。通常の自分ならもう既にポキリと折られて死んでいるはずだ。だけど――

(もうこれまでなのか――)


 もう保ちそうにない…… 駄目なのか。
 結局俺なんかじゃ大切な人を守れないのか。壁を乗り越えられないのか。


(――そんな)


 あんまりだ。
 千春と和解できたのに、これからだったのに。


 逃げてくれ千春、おじさん、みんな。
 俺がやられているうちに。


(せめて最後に――)


 千春の顔を見たい。
 最後の抵抗。
 最後の力を振り絞って軋む首を、ギ、ギ、ギ…… と振り向かせていく……


「――和間くん!!」


 やめろ!! 来ちゃ駄目だ千春!!

 朦朧とする意識、視界の中…… こちらへ寄ってくる千春の姿をぼんやりと捉えた。


 駄目だ…… 駄目だ! 俺のことはいいから――


――逃げてくれ。千春。


(わたしはちはる。あなたは――?)
(ぼくは、かずま……)


 これは。


(かずまくん、いっしょにあそぼ!)
(うん……)


 幼い頃の記憶。千春と初めて会ったあの日。


(俺は弱いんだ)
(そんなことない、和間くんなら大丈夫。私が和間くんに支えられているように、和間くんも私が支えるから――)


 手紙を交わした日々。


(ありがとう、和間くん。これからも一緒だよ)
(俺も千春のように頑張るよ)


 走馬灯のように巡る記憶。
 今度こそ俺は死ぬのか……?


 千春、千春、千春――


「――和間くん!!」


 あれ……? 俺、まだ死んでいない……


「和間くん!!」
「ち、は、る……」


 すぐそこまで来た千春。
 彼女の胸元が――


「またか!! くそぉがああああああ!!」


 ――刹那、眩い閃光がやってきて思わず目を閉じる。


 鬼の手の力が緩み、ふっと首を離した。
 体が宙に浮き、やがて俺は地に落とされる。

「ハァ、ハァ……! 千春!?」


 閃光を放った千春の胸元。
 それが止んで目を開け、立ち上がり、千春を見る。


「ぐおおおおおお……」


 閃光に襲われた鬼は本日二度目、両手で目を覆いながらどんどん後ずさりしていく。


「千春…… それは!?」
「これは……!?」


 依然として力強い輝きを放つ千春の胸元。そして――


「それは…… もしかして――!!」


 今一度パッと煌いた千春の胸元から五角形の金属を吊り下げたペンダントが現れる。
 そしてそれは数秒間宙に浮いた後ゆっくりと落下していき、千春は両手ですくうような形で受け止めた。


――藍色に塗られた五角形。それはまるで千春の瞳の色に同じ。


「クソォ!! 何度も何度も! 人間がぁ!!」


 光に襲われ苦しんでいた鬼が持ち直す。


「――クソ…… 千春、逃げて!!」
「ダメ……! 私も戦う――!!」
「――えっ」


 覚悟を孕んだ瞳。
 そこに曇りは一つもなかった。


「これは…… 五行の理その一つ、 木 の鍵――」


 覚悟を孕んだ千春の声。
 そこに迷いは一つもなかった。


「千春…… どうしてそれを――」
「私にも宿った…… 
私は守りたい、大切な人を。
私も一緒に戦いたい。支え合いたい。支えたい……
だから一緒に戦おう? 守り抜こう? これからも一緒だよ?」


 こんな状況なのにも関わらず、千春はそう言って満面の笑みを浮かべた。


「――許さん!!」


 ゆっくりと、徐々に速度を上げて再び襲い来る鬼。


(叫べ! 和間!)


 父さんの声が脳裏で木霊する。


「和間くん、 合体変身 だ――!! 叫ぶのだ!!」


 そしていつの間に…… 教会入り口でそう叫ぶおじさん。


「叫ぶ―― 合体変身?」


 点滅しながら輝く俺のペンダントと、千春のペンダント。
 それを彼女はすっと首へ掛けた。


(これは……?)


 まるでそれは互いに惹かれ合うかのように。


「和間くん――」
「――うん」


 鬼が接近してくる最中、ある「イメージ」が俺に刻み付けられた。


「――人間風情が!!」
「和間くん!! 叫ぶのだ!!」


 千春…… ありがとう。


「一緒だよ、和間くん」


 速度を上げる点滅具合。


――そして俺たちは互いに片手を掲げ、指を絡め、強く組んで握る。


 もう離しはしない。一緒だ。


「和間くん――」
「――千春」


 覚悟はやがて言葉となって放たれる。



「「――合体変身!!」」


 本日三度目の閃光が俺たちを包む。

 これが「三度目の正直」だ。

 千春の体が光を放ち、やがて俺の体と重なる。
 吸収、同化。

(和間くん! 来る!!)

 俺の内で響くのは千春の優しく澄んだ声。
 俺と千春は一つになった。合体した。合体変身した。
 一つになり意識も共有される。そのイメージだ。

 一つになった俺たちのイメージ。
 戦うという、守るという、その覚悟。

 俺の首に掛かるペンダント…… 煌くブルー、千春の色。そして――

「悪足掻きも終わりだ!」

 振りかかる鬼の拳。

「――フン!」
「なっ――!」

 カウンター。

 僅かコンマ何秒の差。
 鬼の懐に飛び込み、右の土手っ腹に一撃。

「ガハッ――」
「お返しだ」

 衝撃で体を折り曲げる鬼。
 更に数歩分後ろへ飛び退き助走を付け――

「おらああああああ!!!!」

 鮮やかな飛び蹴り。
 助走によって体重が乗った一撃は鬼を遥か遠く入り口前まで吹き飛ばす。

「グオオオオ!!」

 吹き飛び、転げ回り、沈む巨体。

――力が底から沸々と湧いてくるような。

(和間くん…… 凄くあったかい)

 温かな奔流。それがもたらす親愛のような力。

「うん。凄く優しい力だ――」

 俺の中には千春がいる。
 千春が持つ、全てを包み込む優しさ。
 優しさは力……
 それは俺を優しく抱擁し、強さを与えてくれる。

「――これは」

 教会の壁に掛けられた大きな鏡。
 横を一瞥したときにふと目に入って、己の姿を垣間見る。

 千春と合体した俺。
 その姿は 変身 していた。

 先程の燕尾服姿に、気付けば漆黒のマントが加わっている。
 更にネクタイは青色…… 藍色に変わっていた。
 そして、そして……

「髪と瞳の色が――」

 俺は生まれつき茶髪…… 栗色の髪とアンバーの瞳を持っていた。
 しかし変身した今、俺の髪色は漆黒に変わり瞳は澄んだ藍色……
 そう、千春と同じ色。

「これが、合体の力」


 俺の 土 の理を司る鍵と、千春の 木 の理を司る鍵。
 それが一つとなってもたらされた力。

(五行の理…… 木 が指し示す色は青――)

 千春……

(そして和間くん、胸元を見て――)

 胸元……

「これは……」

 燕尾服の胸元には刺繍されたかのように青く煌く模様が浮かぶ。
 その模様は……

(木が司るもの…… 色なら青や緑、季節なら春。そして守り神は青龍)

 胸元には、青く輝く昇り龍の模様が刻み付けられていた。

「――人間ごときが…… 人間の分際で……」

 ぶつぶつと呪詛のように言葉を吐いて鬼は重々しく立ち上がる。


――和間くん、何か強い「イメージ」が浮かんできたの……

「うん、俺もだ――」


――私、和間くんにいっぱい助けられてきたね。

「そんな…… 俺の方こそ――」


――だからこれからは私が和間くんをもっと、もっと支えたいの。支え合っていきたいの。

「ありがとう。俺も千春のおかげで生きてこれた……」


――嬉しい…… だから、だからね…… 私は 仁 を貫いていきたい。

「うん…… 木 は 仁 の徳を持っている。仁 は即ち親愛……
それなら俺は、土 が持つ 信 を貫くよ――」


――ふふ…… 私たち相克の関係だね。

「そうだね…… それのせいか知らないけど喧嘩しちゃったし…… ごめん」


――いいの…… でも、私は相克なんかじゃないと思う。

 千春の言葉…… その旋律は俺を癒し、育み、確かな強さをもたらす。


「――人間ごときに何ができる!? お前らなどちっぽけな蟻だ! この世界を統べるのは我々だ!」

 吼える怪物。おぞましい叫びも何故か今は恐ろしく感じなかった。

「うん…… 俺たちは相克じゃない。
土が木を育てるように、木もまた土を肥やし育み豊かにする。
だから俺たちは相克じゃない。二人で一つだ――」

「――終わりにしてやる…… 鍵は頂く!」

 鬼の片手が怪しく光って、そこから一本の斬馬刀のような大太刀が現れた。その姿は処刑人さながらである。


――私たちは相克じゃない、想生だね。

「ああ…… 千春、奴が来る!」


 大太刀をギリギリ……と力強く両手で握り、そして振り被り、そのまま大股で接近して来る鬼。

 
 
 どうする―― 千春。



――和間くん、受け取って!!


「これは――?」


――守り神、青龍の力を持った 仁 の刀…… 仁龍。


 千春の叫びと共に俺の片手も青白い稲光のような輝きを放って、そこから現れたのは一振りの日本刀。

 一切の淀みもない、清流のように澄んだ刃紋、刀身。
 円形の鍔には龍をかたどった装飾が成されている。
 邪悪を一切寄せ付けないような、荘厳で神聖な業物。
 ずっしりと確かな存在感を持った一本。
 
 両手で遊びを持たせつつ握り込み、軽く絞って、中段で構える――


「――人間ごときが……!! 下等な種族が!!」

「さあ、鬼退治 の時間だ――」


 上段で振り被ったまま、鬼はすぐそこまで押し寄せて来た。
 大太刀のリーチまであと僅か――


――千春の意志…… 確かに受け取ったよ。


「俺たちは二人で一つ。
俺たちは相克じゃない、想生だ……
仁の意志と信の意志、その力は――」
「――粉々になれええええええ!!」
「お前の 傲慢 を一刀両断する!!」


 振り被った大太刀は今、振り下ろされる。
 煌く刃は一閃。
 一瞬の稲光。
 空気が裂け、時が止まる。


――その刹那、軌跡を捉える双眸と第六感。やがて来る未来の確信。


「――打突、仁龍一閃!!」


 電光石火。疾風迅雷。
 たった一撃。
 たぎる血潮。鮮血の噴流。


「――馬鹿な」


 流れるような一振りで鬼の胴を一閃した。
 今振り下ろされようという瞬きの間、ガラ空きになっていた胴へ飛び込むように横一閃。
 残心しつつ鬼の後方へ抜ける。


 おごりではない勝利の確信。
 振り返ることはなく、役目を終えた鞘なしの刀を地面へ突き刺す。
 命の駆け引きは刹那の内に幕を下ろした。


「くそ…… が!」
「――俺は俺の道を行く。
大切な人を守るために、鬼を討つ」


 流れ出る鮮血の豪雨。
 その激しい雨音が止んで…… ようやく鬼の方へ振り返る。


「俺が新しい 桃太郎 だ――」

「覚えていろ…… 地獄から蘇って…… 貴様を殺す!!」

「――鬼退治、完了」


 捨て台詞を放って、鬼は青い炎を激しく巻き上げながら…… やがて消滅した。


「終わった――」


 夜明けのような安堵と解放感。
 終わった、何もかも。
 全て片付けた。
 超えるべき壁、己のしがらみ、枷、重荷…… 伝えたかった想い。

 力が抜けていく。
 すっと足から脱力していき、肩の重圧も消え去った。
 ぷつりと切れる緊張の糸。
 安堵、解放。


「自由だ――」


 そしてその場に大の字に倒れてしまった。
 もう力が出ない。湧いてこない。
 終わったんだ。何もかも。
 新しい日々が始まる…… そう感じる。
 やっと、やっとだ。

 俺は生まれ変われたのかもしれない…… そんな感じがする。

 安心して、すると突然睡魔がやって来た。
 眠い…… 何だろう。

(やっと、やっと俺は前へ進める)

 ありがとう、みんな。


「――和間くんっ」

 合体が解けたようだ。
 千春の声がする。
 彼女の声は子守唄のようで――


――俺はゆっくり目を閉じた。


「――ここは」
「おかえり、和間くん」


 何度目か…… また千春の声で目を覚ます。
 視界、意識はおぼろげなものから覚醒して確かになった。
 見慣れた天井。

 おかえり――

 どうやら俺はいつの間にか屋敷に帰ってきていたようだ。
 自室のベッドの上、俺の顔を覗く千春の顔が目に入った。

「俺は――」
「あの時のこと、覚えてる?」

 あの時…… 鬼と戦い、倒して、そして……

「うん、覚えてるよ…… あの後俺は――」
「――眠っていたみたいだから、私とおじいちゃんが和間くんをここまで運んで来たの。
大丈夫? 痛むところとかない?」
「そうなんだ…… ありがとう、大丈夫」

 そうか、二人がここまで運んでくれたのか。

「――和間くん大丈夫かい?」
「おじさん…… すみません、大丈夫です」

 上体を起こしたところでおじさんがちょうど部屋に入ってきた。

「そうか…… 良かった、本当に」
「ご迷惑をおかけしました」
「いいんだ…… 皆が無事で本当に良かった」

 皆が無事…… そうだ!

「おじさん、あそこにいた他の人たちは――」

 鬼の手にかかって気絶させられていた他の人たち……
 彼らの安否が気にかかる。

「――心配には及ばないよ。みんな無事だ」
「良かった――」

 ほっと一息、自然と安堵のため息が漏れた。
 良かった。守ることができた。

「和間くんのおかげだよ」
「そうだ、ありがとう和間くん」

 危険が去って二人も安堵している様子だ。
 そう言って千春とおじさんは優しく微笑む。


「あの後のことだが――」


 一つ頷いてから、やがて切り替えるようにおじさんはそう切り出した。
 俺が出し尽くして果てたあの後、それからの顛末をおじさんはゆっくりと語っていく――


「警察の応援が駆けつけてくれて全ての事は収束した。
他の人達はどうやら気絶していたらしく、あの後皆目を覚ましたんだ。
どうやら記憶が錯綜していて、何故あそこにいたのか覚えていないようだった。
警察が主導になり、怪我も特になかったから皆それぞれ帰っていったよ……
恐らく全てあの鬼の仕業だろう」


 そうか…… 怪我がないなら良かった。


「それで残された私たちは状況説明などの事情聴取を受けてね。
鬼が現れ、和間くんがそれを撃退したことを告げたよ……
鬼の行方を調査している捜査班という機関の人間が突然現れてね…… 詳しく話を聞かれたんだ。
和間くんの存在も上の連中の耳に入ることだろう」

 捜査班…… どこから現れたのか知らないが、ともかくそうすると鬼という存在は上の人間には周知の事実…… つまり、やっぱりこれは現実の話ということなのか。

 あの戦いの記憶が蘇る。

 そうだ…… これは現実なんだ。
 鍵の存在、鬼と戦う戦士……

 俺がそれになってしまったということ。

 それから――


「――まさか千春も鍵を持っていたなんて」


 ただただ呆気に取られたように千春へと視線を注ぐおじさん。
 選ばれた者の内に宿る…… そのような話であったが、まさか千春の中に宿るとは。

「私も信じられなかった……
おじいちゃんから話は聞いていたから、そういう存在があることは分かっていたけど、それがまさか私に宿るなんて。
急に閃いたというか…… 何か力を感じて、そういうイメージが頭に浮かんだの」

 千春自身もその事実を飲み込みきれない様子であった。

「そうだ…… おじさん、合体変身というのは」

 俺と千春の鍵が惹かれ合うように光を放ち、そしてあの言葉を叫んで一体化した……
 あの現象は一体。
 あの時はただ頭に浮かんだものをそのまま叫んでいたが、今になって疑問が次々と浮かぶ。

「合体変身…… 真土くんが生前に言っていた言葉だ。
鬼と戦う戦士、鍵を持つ戦士はそれを叫ぶことによって鍵に秘められた力を解放すると。
そして鍵を持つ者同士でその力を合体する、一体化し戦うことも可能と言っていた。
それが合体変身ということらしい…… まさかとは思ったが、君たちがそれをやってのけるとは」

 そうだったのか…… 父さん。

 首に掛かる五角形のペンダント。
 それを胸元から取り出して見つめてみるが、もう父さんの声は聞こえなかった。

「そんな力が……」

 千春も自分の体から発現した藍色のペンダントを取り出し、まじまじと見つめている。

「――ともかく、君たちは鍵の所有者となった。
鬼に立ち向かえる力が宿ったのだ」


 鬼と戦える力…… か。

「しかし、同時に鬼に狙われる危険性も高くなってしまった」

 五つの鍵…… 父さんの話が本当なら、鬼は俺と千春の鍵と残り三つあるそれを手に入れようとしている。

「信じられないがこれも運命なのかもしれない…… こうなった以上対策を練らなければならないな」
「そうですね……」

 運命…… そんな大それたものが本当にあるのかは分からない。
 だけど俺が、俺たちが目にしたものは紛れもない現実の話で、あの怪物も実在する。
 鍵が鬼の手に渡ってしまえば、この力はそのまま鬼のものになってしまい…… 人間への被害は深刻化するということだ。

「――運命」

 運命…… いや、これは必然だったのかもしれないと、今はそう思える。
 これは使命なのかもしれない。
 俺の一族に代々伝わる使命。親父から受け継いだ俺の使命……

――お前はお前の道を行け。

 少し前までは信じられなかった。受け入れられなかった。
 今だって半ばそんな状態だけど…… でも。

「千春、おじさん――」

 灰色の日々を脱出し、人並みに青春の日々を送れればいいと思っていた。
 だけど逃れられない現実に直面し、また新たな壁が姿を現す……

 大切な人たちがいる。
 守りたい人がいる。
 だから――

「――俺は父さんじゃないから、父さんのようにはなれない……
だから俺は俺のやり方で、俺の道を進んで行こうと思います。
全ての鬼を倒すとか、人類の平和を守るとか…… それも勿論大事だけど、そんな大それたことじゃなくて……
俺は俺の大切な日常を、大切な人たちを守るために。
これからはその為に生きていこうと思っています」

 もう逃げたくない。
 大切な人から、俺自身の人生から。

「そうか…… ありがとう和間くん。やはり真土くんの息子だ……
私たちも二人の為に精一杯協力させてもらうよ。
千春は、どうしたい――?」

 俺とおじさんの視線は千春へと注がれる。

「――私も和間くんと同じ。
危険な立場なのかもしれないけど…… 和間くんがいるから私は大丈夫。
大切な人を、大切な日常を守れたらいいなって…… そう思う」

 そう言って千春は綺麗に笑った。

「そうか…… ありがとう。
今日はもう遅いから、今夜はここで一旦解散しよう」


 やがておじさんはそう言って踵を返す。


「オホン…… そうだ、和間くん」
「――はい?」
「君が鬼と戦う戦士…… 桃太郎 になったことが上に知れ渡るだろう。
明日以降忙しくなるかもしれないが…… どうか人類の為に協力してくれると助かる」
「はあ…… はい――」

 忙しくなる…… どういうことだろうか。


 それだけ言ってからおじさんは部屋を静かに出て行った。
 真意を汲み取ることもできないまま、そうして夜は更けていく……


 おじさんが出て行って、そして部屋には俺と千春、二人きり――


「――げ…… もう11時過ぎてる」

 何だか気恥ずかしくて、沈黙に耐え切れずに壁掛けの時計を見る。
 いつの間にか深夜帯に入っていた。

「そうだね――」

 千春もどこか緊張しているような様子だった。
 応答がぎこちない。

「明日の課題やってないや」
「――私も」
「なんかもう眠いし、明日学校に早く行ってやるかな」
「私も、そうしようかな――」

 何だろう、この緊張感。
 仲直り出来たはずなのに、何故か妙な緊張が俺達の間に存在している。

「「――あの」」

 挙句の果てに出だしの言葉が重なってハモる始末。

「千春から、いいよ」
「そんな……! 和間くんから――」

 実にぎこちない……

「あのね……」

 千春も沈黙に耐え切れなくなったのか、やがて重い口を開いた。

「――ごめんね、和間くん」
「な……! どうして謝るのさ!?」
「まだ怒ってるのかな…… って」

 頭を下げる千春。
 そんな…… 千春は何も悪くないのに。

「俺の方こそ、千春は何も悪くないのに…… 当り散らして、酷いこと言って本当にごめん!!」

 仲直りは済んだ…… はずだが、しかし混乱の最中でうやむやになっていた部分はある。
 もう一度、改めて深く頭を下げて謝罪した。

「そうだよ和間くん!」
「――えっ」

子供っぽくいたずらな、可愛げのある語調。
 呆気に取られて頭を上げる。

「和間くんは、和間くんの言ってたような気持ちで私が今まで手紙を送ってたと思ったの?」
「いや…… ごめん」
「そんなわけないよ! だって私は…… 最初だってその…… そうだよ!
和間くんがかっこいいなって! それで手紙のやりとりしたいなって思ったんだもん!
和間くんからの返事も大事にとってあるんだから!!」
「あの…… 千春?」

 やけくそのように千春は声を張る。
 顔を赤らめて、頬をぷくりと膨らませて…… どうやら自分がとんでもないことを口走ってしまった自覚が――

「――っ!! 和間くんのばか……」

 自覚はあったようだった……

 言い切って顔を俯かせる彼女を見ると、こちらも恥ずかしさが込み上げてきて……

「ありがとう」

 それしか言えなかった。


「――指切り」


 また沈黙が訪れようとしたその瞬間、千春は顔を俯かせたままそんな言葉を呟いた。


「指切り?」
「うん。仲直りの指切り――」

 そして新雪のように白く滑らかで儚い…… 綺麗な手の小指をこちらに差し出す千春。

「――なんだそれ」
「私と和間くんの仲直りの指切り…… 小さい頃やってたじゃん!」
「――やってたっけ?」
「酷いよ和間くん……!!」

 そんなこんなで笑い合いながら、俺も千春の小指に自身のものを絡める。

「指切りげんまん…… 嘘ついたら――」
「何の嘘だよ……」
「仲直りしたのにしてないって言ったら――」
「言わないよそんなこと…… もうむちゃくちゃだな…… 言ったら?」
「もうお弁当作ってあげない!」
「勘弁してよ……」
「「指切った!!」」

 ブンブンと振って、そうして離れる俺たちの手。
 俺たちの間にはもうわだかまりはない。

「なんだか…… 安心したらお腹が空いてきたよ」
「何も食べてないもんね…… 今作ってくるね!」
「そんな、いいよ! 悪いし」
「いいの! 作ってくるね!」

 傍らに座っていた千春はそう言って立ち上がる。

「――いつもありがとう。千春」
「こちらこそ、ありがとうね…… あの――」
「どうしたの?」
「これから、もしかしたらまた今日みたいなことが起こるかもしれないけど」
「うん、大丈夫…… 自信はないけど、俺が千春を守る」

 大切な人を、鬼の手から守ってみせる。

「ありがとう…… 私も、和間くんを支えるから」

 交わされた誓い。
 
 もう迷わない。
  
 俺は俺の道を行く――


 ありがとう、父さん。



 あれから何日か経った。
 鬼の出現は今のところなく、平和な日常が続く。
 何気なくも大切な…… そんな日々。
 桜の花びらは散ってしまって少し物寂しいけれど、それは新しい日々のスタートを物語っているような、そんな気もする。


 灰色の過去があった。閉じこもっていた日々があった。


 だけど、過去の俺はもういない。
 大切な人、大切な友…… 俺を支えてくれる人たち。
 みんなのおかげで俺はここにいる。
 俺は一人じゃなかったんだ。
 自分でそう思い込んでいただけなんだ。
 何かのきっかけがあれば…… 勇気を振り絞って、たとえほんの少しの歩幅でも進んでいけば。
 そこには昨日とは違う自分がいる。


 遠回りでもいい。時には逃げてもいい。


 そうして見つかった俺の道。
 壁がある。高い壁がある。
 だけどもう迷わない。あとはどうやってそいつと向き合っていくか。
 ちっぽけな力でも、積み重なれば大きくなるはずだ。


――おじさんが言っていた言葉…… それは見事に的中した。


 おじさんの研究室にお偉い方々がやってきて、彼らは俺と千春を呼び出した。
 なんでも鬼に対抗する手段を見つける為の研究…… とかなんとかで、鍵の力を調べたり、俺と千春が合体変身したときの能力・状態をデータにしたりするとか、そんな研究に付き合わされることになった。
 彼らが言うには、鬼と戦う戦士は俺たちの他にも存在するらしいが、戦士だけに頼っているようでは不測の事態に対応できない…… つまり普通の人間でも鬼と対等に渡り合える力を生み出す為の研究ということだった。

 そんなこんなで平日は学校、休日や放課後は研究に付き合わされたり…… 忙しい日々ではあるが、以前の俺からは考えられないほどの充実感を得られている。

 鬼という恐ろしい存在がある。
 だけど俺はその壁を超えなければならない。
 壁が、「ボス」が見つかったんだ。
 あとはそれに立ち向かうだけ…… 


――困難な道のりだけど、俺は一人じゃない。


「――いやぁ良かったよ。和間と木ノ下さんが仲直りして」
「なんだよ改まって」

 何気ないけど大切な日々。
 昼休み、校舎屋上。

 あれから朱彦の提案でこの屋上は俺たちの昼食スポットとなってしまった。
 教師に見つからないかヒヤヒヤする毎日である。

「架け橋崩壊の危機だったが、よくやってくれた同志和間よ」
「同志って何だよ…… まあ、色々とありがとう朱彦」
「礼には及ばんよ同志和間。お前のおかげで俺もこうして木ノ下さんと会話ができるってこった」
「――自分から話かけられるって言ってたような……」
「何か言ったか?」
「いや、何も。同志朱彦」

 朱彦はどこか誇らしげに購買のパンを頬張る。
 一方の俺はというと――

「そういやぁよ和間、お前の弁当毎回美味そうだよな。母ちゃん…… いや、お前寮生だっけ? 自分で作ってるのか?」
「いや、これは――」

 男どもからのむさ苦しい…… もとい、狂信的なほどの熱い眼差しを向けられているらしい千春…… そんな状態で「この弁当は千春が作ってくれた」とか、「千春の家に住んでいる」とか言った暁には俺の命はない。
 どう言い訳したものか――


「――今日のお弁当どうかな? 急いでたからちょっと自信なくて」
「あ……!! き、木ノ下さんどうしたの!? ってか…… 今日のおべんとう、だと!?」
「ち、千春っ!?」


 どう言い訳しようか考えを巡らせていたところだった。
 なんというタイミングか、千春が屋上に現れたのである……


「ここで食べてたんだね…… 私もまぜてもらってもいいかな?」
「なん…… だと」
「い、いやぁ千春。俺たちは全然大丈夫だけど、友達は?」
「友達も連れてきていい?」
「う、うん…… どうぞどうぞ」
「――おい和間ぁ!」
「げっ…… これは違うんだ誤解だ!」
「俺は聞き逃さなかったぞ…… 詳しく話してもらおうか」
「どうしたの朱彦くん?」
「いやぁ…… 木ノ下さん、もしかしてこいつの弁当って――」


 やめろ! 言うな千春! 言っちゃだめだ!!


「――私が作ったんだ!」


 終わった―― 神様…… ああ神様。


「なんだと…… ち、ちなみにどうして?」
「和間くん放っておくと菓子パンとかばっかり食べるだろうから…… それじゃ体に良くないよっていうことでこうなったんだ!
綺麗に食べてくれるから嬉しくなってつい作り過ぎちゃうの。
この前も夕飯をうっかり作り過ぎちゃって、残ったものを次の日のお弁当に入れたの。もったいないと思って…… そしたら、
昨日の夕飯と同じか…… でも美味しいから全然いいけど。また作って欲しい。
って和間くんが言ってくれて――!」
「――なん……」
「わああああ!! 千春止めろそれ以上は止めろ!!」
「そうだ! 和間くん今日の夕飯何にしよっか?」
「二人って…… もしかして――」
「違う朱彦!! もう…… 千春は冗談がうまいなぁー」
「え? 冗談って……? あ――」
「もしかしてこいつと木ノ下さんって、一緒に住んでるとか――!?」


 終わった。
 何もかも。
 墓穴を掘り、突き抜けて地球の反対側へ到達したような気分だ。


「あ! そうだ次体育じゃん着替えないと――」
「まて和間ぁ! 貴様を絞める!」
「まだ昼休み始まったばっかりだよ和間くん!」


 異端審問にかけられる前に撤退……


――立ちはだかる壁がある。

 目を背けられない現実がある。

 だけど俺は進む。
 
 俺は弱い、ちっぽけな人間だ。
 時に躓き、時に閉じこもり、時にどん底に落とされる。
 余計な遠回りもするかもしれない。

 だけど俺は進む。
 
 俺は一人じゃない。支えてくれる人がいる。
 そんな大切な人と共に進む。

 俺の道を。俺の人生を。

 俺は誰かじゃない。俺は俺だ。


(そうだろ? 父さん――)


 俺は俺の道を行く。


(――そうだな、和間)


 ふと空を見上げる……
 どこまでも続く雲一つない青空。
 そんな青空に父さんの顔が浮かんだような、そんな気がした。


 今一度「ありがとう」を呟いて。
 弱い俺はこれからも生きていく――



 終

ありがとうございました
勢いでやったので矛盾点とかは勘弁して下さい 泣
痛い黒歴史垂れ流し失礼しました。


一回で読むには長かったし終わるとは思ってなかったが面白かったよ

ありがとうございます
今更ながらタイトルをもっと短くすれば良かったと後悔…
本当は新訳桃太郎とかが良かったけど先に書かれてる方がいるみたいなので
とにかく長文失礼しました
タイトルは仮ということで 笑
もしかしたら需要ないですがいつか続編出すかもしれません 笑

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